HONDA ヒストリー
グランプリシリーズ
Racing - Automobile
伝説の名車たち
CURTISS 1924
ホンダ創設以前宗一郎が初めて製作した4輪車。
エンジンは飛行機用の8200cc。
数々のレースで優勝を重ねた。
RA271 1964
1495cc/60°V12横置き
4バルブDOHC
12連フラットバルブキャブレター
220PS/12000rpm
525kg
ドイツGPに初出場
当時のF-1は1500ccだった。
つまりバイクの2気筒250ccのノウハウがあった。
横置きのエンジンの中央からパワーを取り出し、
デフ、ミッションも横置きレイアウトだった。
エンジンサプライヤーとしてロータスと契約しようとしたが、
うまくいかず、他のシャーシーを探すが、
横置きV12を搭載できるものはなかった。
テスト車だったRA270をベースに製作され、
白いボデイに赤い日の丸が、ニュルブルクリンクに姿を現す。
RA271Eユニット
センターパワーテイクオフ、組み立て式クランクシャフト、ボールベアリングなど、パワーは他よりずば抜けていたが、
レギュレーションの最低重量を75kgオーバーしていて、
セッティングに悩まされる。
RA272 1965
1495cc/60°V12横置き
4バルブDOHC
メカニカルインジェクション
230PS/12000rpm
3950-1675-793mm
498kg
冷却系とブレーキの容量アップ。
モノコックにジュラルミンを多用し軽量化する。
最終戦メキシコで予選3位からリッチー・ギンサーが飛び出すと
第一コーナーまでにトップに立つ。
そのまま誰にも抜かれることなくF-Ⅰ初勝利をもたらす。
1.5リッター最後の年を有終の美で飾る。
RA273 1966
2.992cc/90°V12縦置き
4バルブDOHC
400PS/10.500rpm
3.955-1.688-845mm
650kg
3リッターになったので横置きは不可能となり縦置きとする。
ギアボックスの間ににデフを配置する。
アウトプットシャフトとエキゾーストがあるため
90°バンクとなる。
パワーは群を抜くも重量は当初720kgあった。
67年からはフェラーリを飛び出したJ・サーティーズが走らせることになる。
RA300 1967
2.992cc/90°V12縦置き
4バルブDOHC
420PS/11.500rpm
3.955-1.788-845mm
590kg
273に限界があり、ローラのシャシーをベースにニューマシン投入。
しかも80kgの軽量化。
イタリアGPではJ・サーティーズがブラバムを振り切り、
2度目の優勝をする。
RA301 1968
2.992cc/90°V12縦置き
4バルブDOHC
450PS/11.500rpm
3955-1788-845mm
530kg
最強のホンダF-1と言われた。
300で自信を付け軽量化を進める。
吸排気レイアウトを逆向きにしパワーアップする。
が、好成績は収めることができなかった。
この頃、ハイウイングが流行る。
プロトタイプにも装着されていた。
RA302 1968
2987.5cc/120°V8
4バルブDOHC
430PS/9500rpm
空冷
3780-1796-816mm
500kg
空冷信奉の宗一郎が主導で空冷ユニットを開発。
エンジン・シャシーにマグネシュウムを多用し軽量化。
しかし、冷却性不足により、パワー低下、オイル漏れに悩まされる。
雨のフランスGPでシュレッサーはスピン、土手にぶつかって炎上。
命を落としてしまった。
サーティーズは2位になる。
アメリカGPで3位になるも目立った成績は残せず、
68年11月F-1活動の一時休止を宣言した。
BRABHAM HONDA BT16
1965
996cc
水冷直列4気筒
DOHC16バルブ
135PS
64年からF-Ⅰに参戦したが、
65年からはエンジンサプライヤーとして、F-Ⅱにも参戦。
ブラバムに供給したユニットは、
ライバル、コスワースより20PSも高かった。
最終戦でジャック・ブラバムが2位に入る。
BRABHAM HONDA BT18
1966
150PS/11.000rpm
3980-1620-787mm
420kg
3リッターF-1ユニットと同じトーションバー式バルブ・スプリングを採用。シーズンオフで150PSまでパワーアップ。
シャーシーも新設計のBT18。
2戦目のイギリス・グッドウッドから11戦連続優勝。
ほとんどが1-2フィニッシュという圧倒的な戦闘力で、
ブラバムは大差でチャンピオン獲得。
しかし翌年の67年からは1600ccに拡大されるため
当初から参戦しないことにしていた。
66年でF-Ⅱも一時休止となった。
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