松山城 南隅櫓‣小天守

2024-09-19 09:09:09 | 松山城 ₂₀₂₂ +道後



連立天守 西側の 十間廊下から
南西の角の 南隅櫓


展示物見てみましょ







左上             右上
伊豫國松山藩 十五萬石     伊豫國宇和島藩 十萬石

これは 絶対 おかしい
松山が たった15万で  宇和島が 10万も?


下右から
伊豫國大洲藩 六萬石
伊豫國新谷藩 二萬石

土佐國高知藩 二十四萬二千石
  阿波國徳島藩 二十五萬七千九百石
  讃岐國高松藩  十二萬石   .

注 たぶん 乃 だろうと思う

土佐も 阿波も すごいでござる









ふむふむ





最初は 

あとは なんて書いてあるか 読めん


ありました





あ これは あれだ!

五言絶句!


コレコレ

            五言絶句

           人皆苦火炎   人は皆、火炎に苦しむ
           我愛夏日長   我、夏日の長きことを愛す
           薫風自南来   薫風、南より来たる
           殿閣生微涼   殿閣、微涼を生ず


5月 初夏のお茶席では
 薫風… の掛け軸が もてはやされる




すでに こんなのが あったんだ…




金ぴかの やかん

模様が入ってるぞ


なになに






ひかえおろ~

頭が高~い








その方の 悪事 許しがたい!
追って沙汰を申し付ける
覚悟するがいい


ガック~~





そういう 悪役人を懲らしめる
黄門さまと

悪事を働く輩を ひっとらえる
鬼平が

現代には 居ないから 悪が のさばる


ったく!






登り石垣が よくわかる






南隅櫓から 小天守に続く
連立の南側
東西に続く多聞櫓
窓から内庭を見ると
東側に


玄関   玄関多聞   内門   穴倉





360度狙われる 居心地の悪~い 内庭



玄関




これは 宇和島城 と 同じ

welcome

当初は無かったけど
江戸後期 再建時に造ったのでしょう



本壇入り口 左手 西側 南面の

小天守 一階 隅






石落とし ってなってるけど 鉄砲狭間だよね




🔺                          .
紫竹門東塀                         .

竹は 紫竹?



2階への階段

上がってみましょう

ワクワク




小天守は 復元でしたね

放火で燃えたんでした…





間接照明…

ありがたい
その割には ブレてるが




小天守 2階から 内庭




ま ここに 侵入されるということは
もはや これまで
と いうことではあるかと思いますが

こんなに広い 内庭 中庭がある城
他に 無いのじゃないかな
そもそも 連立天守が少ないし…

いや すごい




東の窓から 本丸広場


   売店 太鼓門   太鼓櫓    

🔺          .
天守閣入場受付            .


    太鼓櫓


  🔺             🔺
  馬具櫓           大手門跡


太鼓櫓の高石垣が すばらしく きれい



石鎚連峰          .

              🔺
              紫竹門東塀 現存



松山城の本丸広場

この広さ 他の城に あるのだろうか?






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2 コメント

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石高 (馬鹿琴)
2024-09-20 03:38:25
四国の石高が気になったので調べてみました。

徳島藩:25万石(阿波と淡路含む)
土佐藩:20万石(明治には新田含め49万石規模!)
高松藩:12万石(生駒時代には17万石)
宇和島藩:10万石(分知して7万石になるが後に新田で10万石)
伊予松山藩:15万石(加藤20万石、蒲生家24万石、久松松平家で15万石)

土佐より徳島が大身だったのですのね!これは意外(笑)

太鼓櫓の高石垣、本当に美しいです。
また見たいです。
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石高 (栗八)
2024-09-20 13:22:50
ありがとうございます。

江戸時代が長かったので石高もまちまちだったりしますよね?
今年、徳島城に行った時、四国で一番多いのは知りました。
吉野川流域、長いですし水も豊富、さすが、吉野川だな~って思いました。

土佐は、湿地を新田にしたんでしょうね!すごい増量!
伊予は、増えたり減ったり、、ちょっと怪しくないですか?(笑)
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