本日の【落穂拾い】は、文藝春秋3月号から拾いました。
特別鼎談「我らが青春 芥川賞を語ろう」
石原慎太郎(作家)
村上 龍(作家)
綿矢 りさ(作家)
石原:文学の大きな主題の一つであるモラリティだって、現代ではインモラルなものがこれでもかと視覚化されて氾濫している。そこで龍さん、こういう時代の文学の役割は何なのかね?とても難しい時代にきていると思うけど。
村上:新聞の三面記事を見れば、あらゆるタイプの心の闇が溢れていますからね。ただ、僕が思うのは、未来になって、たとえ医療技術が高度に発達して寿命が200歳まで延びても、人間がナイトメア、つまり悪夢を見なくなることはないと思うのですよ。(略)
石原:面白いな。なるほど、文学は悪夢か。
村上:いじめで子どもがたくさん自殺して、文科省も学校も、子どもの自殺の防止策をしきりに考えているけど、自殺を止めさせるのは本当に難しいと思う。校長先生が壇上から「人の命を地球よりも重い、自殺はやめましょう」といくら言っても、子どもは分かんないですよ。でも、ひょっとしたら、ある種の小説には、自殺をしようかなと思っている子どもを止める力はあると思う。「それはあなただけじゃないんだ」というメッセージだったり、あなたは知らないかもしれないけども、人生はこんないに複雑なんだ、それをもっと知った方がいい、知るためには今死なない方がいいよ、というメッセージとしてあり得るんじゃないかな。人が悪夢を見るということは、誰だって自殺の誘惑にかられる危険性があるということですよね。そういうときは、案外、文学に存在価値があると思うんですけどね。
綿矢:文学は内面の深い描写も多いので、知らない世界を広く深く知ることができます。
石原:文学の持っている毒が、自殺しようとしている子どもの心を揺さぶることがあるということですね。大事なキーワードだねえ。ナイトメア。
さて、そこで、村上が言うように「防止策をしきりに考えているけど、自殺を止めさせるのは本当に難しいと思う」は、その通りだと思う。
この頃は更に、「カウンセラーを派遣する」「臨床心理士を派遣する」「心を癒すよ手だてを考える」・・・ということが防止策としてとられる対策のように思う。
村上は作家なので、文学を通して、自殺をしようとする子ども(人)にメッセージが送れると考える。それは、作家としては当然の考えであろう。
さて、教師は、どう考えるか?
村上が言うように、校長が壇上から、教師は教室で「人の命は地球よりも重い、自殺はやめましょう」といくら言っても、子どもは分らないということを先ず心底に気づくべきだと思う。(この事が分っていない校長・教師・教育委員会が実に多いいいように思う)
では、どうするか?
村上の言葉を借りると、「教師自身が自分の毒に真摯に向き合うこと」その事をはずしては、すべてが対策になってしまうように思う。
「対策」は、あくまでも「対症療法」である。
恩師・五十嵐正美先生は、「教師がカウンセリングにならうのは、教育の裏打ち」
道元禅師は、「自己をならう・・・」
親鸞聖人は、「二つの白法あり、よく衆生を救す。一つには慙(ザン)、二つには愧(ギ)なり。・・・」
いろいろな「対策」は、外に向かう眼
「教育の裏打ち」「自己をならう」「慙愧」は、内に向かう眼差し
いま大事なことは、この転換のように思う。