法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》
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主宰者の《日乗》

1月の「吟醸酒の会」

2012年01月29日 16時00分49秒 | 日乗

昨晩、7時~10時、月例の吟醸の会に出かけました。

写真は、片付け前のワンショット。

吟醸酒の会は、
主宰者の「吟醸の館」さんが、毎月、お勧めの吟醸酒を六本用意してくださいます。
参加者は、500円位のお酒の肴を持参。

お猪口が二個あり、各自が「手酌で吟醸酒と会話を楽しむ」。
ただそれだけの会ですが、これが面白い。
30年以上も続いています。

参集の方々面白い。会話も楽しい。

お酒ヨシ、友ヨシ、肴ヨシ、会話ヨシ…。
本当に素敵なスペース、時間です。


ある方のお話


お孫さんが、「お祖父ちゃんの家に行ってきました。ずっと遠い田舎です」と作文に書いたそうです。

作文を読んだ先生:「遠い田舎ってどこなの?」

子ども:「越谷です」

先生:「越谷なの?」

子ども:「そうです!」

先生:「越谷は、遠いねー。田舎なんだ?」と言って、笑いをこらえたそうです。

 

実は、この先生、越谷の先から通勤。
でも、先生はご自分の通勤のことを伏せて、子どもの話を聞きました。」


エライ先生ですねー。


その子どもの(遠い田舎)の実感を、そっとしておきたかったのでしょうー。

 

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細谷亮太先生講演会「子どもと安穏」

2012年01月29日 15時37分39秒 | 日乗

昨日午後(3時~4時30分)、築地本願寺で細谷亮太先生の講演会がありました。

◆仏教文化講座 
講師:細谷亮太先生(聖路加病院副院長 小児総合医療センター長)
演題:子どもと安穏

細谷先生の生家は歴史の長いお宅で、何代かにわたって次男三男を僧侶にするようなお宅だったそうです。
先生ご自身も、現在キリスト教の病院で医師をされています。
総長の日野原先生はキリスト者ですが、細谷先生は仏教者と言っていました。
生家は曹洞宗ですが、先生は特に宗派にはこだわらずに仏教者の立場で、僧侶の方々や仏教者との交流をしておられます。

講演の内容は、40年にわたる小児医療の最前線で出会われた子ども達や家族の方々との交流でした。
往相廻向・還相廻向という言葉は使っていませんでしたが、亡くなった子ども達からのメッセージを感じられている先生は、「還相の廻向」をしっかり受けとめておられる本当に魅力的なドクターです。

講演の記録は、後日、【落穂拾い】にまとめさせてもらいます。

 

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くりのみ会・1月の〈親鸞とカウンセリングコース〉終了

2012年01月29日 09時39分33秒 | カウンセリング研究会【くりのみ】

昨日午前(am10~12)、1月の『親鸞とカウンセリングコース』が終了しました。

参加者は、4名(男性2名 女性2名)でした。
常連のIさ・Sさんはお仕事でお休みでした。

いつものように、「教行信証・総序」の読誦、井戸端、
そして、(聞者くりのみ)による浄土和讃を皆さんに聞いていただきました。

その後、
テキスト:岩波文庫「教行信証」100㌻4行目~105㌻9頁を読みました。

「他力といふは、如来の本願力…」で始まる箇所でございます。

一般に、「他力」といいますと「自力」と対にして語られる傾向があります。
例えば、手元にある広辞苑でも、(他人の助力)と説明しております。

(如来の本願力)
(他人の助力)

ずいぶんと違います。

ご参加の皆さんと一緒に、里村専精先生の提言を読みながら「他力」について話し合いました。

※次回は2月25日(土) タワーホール船堀 301会議

 

里村専精先生の提言

他力という言葉は、現代の言葉では全く宗教を顕さなくなっています。
けれども、他力という言葉こそ日常を超えた仏道の運動を語っていたものです。
他力が改めて理解されないと、仏教全体が見えなくなってしまいます。
自力の仏教ということは、特殊な優れた人だけの思い込みになってしまっています。
この自力とか他力という言葉は、五世紀から六世紀にかけて必要上出た言葉です。
曇鸞(475-542)という人が、大きな回心を通して中国式の仏教を見直しました。
仏教は、人の努力で開かれたものではなかったのです。
むしろ人の努力が、仏教を矮小化してしまっていたのでした。
曇鸞大師は、大きな他力の仏道を確認しました。
ブッダのスケールで展開する仏道が、衆生を包むかのように息づいているのです。
このことに驚いた曇鸞大師は、無量寿経に基づく仏道に生きる人になりました。
中国浄土教の始まりでした。
他力という言葉は、インドの仏教の在り方に驚いて見いだされたものでした。
人間の問題は、人知の限りを尽くしても不徹底さが残ります。
つまりいくら自力を重ねても、無量の人類の問題は徹底を欠くのです。
流転とは、そのような在り方全体を言うものでした。
その流転からの大きな出離こそ、仏教の課題なのです。

 

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