浄土真宗にようこそ(004)
他力ということをずっと述べてきましたが、本当に大切な要点なのです。
誰かがこんなことを言っていた、などということは当てにしないでください。
ブッダあるいは経典に、このように述べられていますということが肝心なのです。
親鸞は本願力の回向と言いましたが、それは他力が歴史していることを言っています。
他力に出会った人々の系列が、ちゃんと一つのサンガ(和合衆)を形成していました。
それは他力の歴史でありつつ、またサンガ(samgha=和合衆)の歴史でもあります。
仏教は、我々のもとに歴史して迫っているのです。
それが如来のレベルの回向であり、他力なのです。
念仏・念法・念僧伽、この三つだけが仏教の三宝とされています。
ただ、三学ということがあって、戒・定・慧の三つが学びの方法と示されています。
この方法は、実は三宝を実現するための方法だとわきまえる必要があります。
さもないと、仏教の学び全体が混乱してしまうのです。
帰依三宝から始まって、帰依三宝のあくなき実現が仏教の学びなのですから。
その三宝の中で、“念僧伽”を改めて見直したいものです。
私見ですが、念僧伽こそ浄土教の基盤だと思っています。
言い換えるなら、浄土は大きなサンガ世界だと思っています。
これに気がついて聖典を読み直してみると…。
具体的なサンガ世界が、実に豊富に語られていることに驚きます。
和讃でも正信偈でも経典でも…。
親鸞だけでなく、多くの先達たちはサンガを確信していたようです。
サンガ世界を抜きにして、仏教も浄土も語ることはできないように思われます。
七高僧の温かさは、実にこのサンガ感覚から来ているのではないかと思っています。
*里村専精師の(提言004)をお届けします。
*里村専精師の提言は、土曜日に更新します。(一応、私の目標デス!)