東京・熟柿庵は、
都立竹早高校の近くにある仏教道場です。
庵主さんは、武田智亮さん。
以前、毎月一回開催されている「歎異抄」学習会に参加していましたが、
この頃は、ボクの仕事の都合でご無沙汰をしています。
熟柿庵は、
仏教を羅針盤にした集いで、
参加者の本音の語りあいを大事にしています。
「熟柿庵」の由来
十九世紀の禅僧、良寛さんの「法華讃」の中の
『熟柿 従来 熟柿を弔う』という文言に由来します。
年老いた柿がとなりの年老いた柿に対して、
その柿の人生すべてを見通して、
精一杯の想いで悲しみや喜びを分かち合う(弔う)。
人間も、互いに批判しあうのではなく、
ともに心や気持ちが分かち合えたらどんなに素敵だろうと思います。
“ 熟柿 ”という言葉に、「 慈悲 」という想いを込めました。
(熟柿庵ブログより)
今日は、一日、自宅で閑居。
古いノートの整理をしながら過ごしました。
次の俳句を、メモしておりました。
いちまいの 皮の包める 熟柿かな
野見山朱鳥(アスカ) (1917ー1970)