法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》
ZOOM法音道場のご案内
主宰者の《日乗》

「誰かがひとりでも」

2022年07月03日 23時18分31秒 | 日乗

先週の水曜日(6/22)の文化放送《大竹まことゴールデンラジオ》。
作家の大沢在昌さんが登場。
新刊『晩秋行』のPR。
大竹さんと大沢さんはゴルフ仲間。
水曜パートナーの壇蜜さんをまじえて、
男の未練がましさと情けなさ、
女の潔さと前へ進む感じを談笑。

ボクは、大沢作品を全く読んでいません。
番組に触発されて、葛飾区立中央図書館で一冊借りてきました。

大沢在昌対談集
「エンパラ」
光文社 1996年11月25日 初版1刷発行

少し古い本ですが、
当時話題の作家との対談集です。

浅田次郎さんとの対談の題名は、
「読者に福音を授けたい」。

浅田さんの言葉。
僕(浅田)は、どんな程度でももいいから、
世の読者に福音をもたらさなければ小説の価値はないという信念を
昔からもっていましてね。
・・・そもそも小説の始原は宗教書だと思うんですよね。
大昔、読み書きできない人々に、
人のみちを面白く語り聞かせて教えるために、
仏典や旧約聖書のお話のような宗教書が出来たと思うんです。
その末裔として、僕らは小説を書いている以上、
小説本来のその使命を失うべきではないと、自分では思っています。
かなりクサイ考え方ですね。(笑)

昔、全然活字にならないのに綿々と小説を書き続けていたとき、
今の人には分かってもらえなくてもいいから、
百年後、誰かが僕の小説を読んでくれて、
ひとりでも感動してくれればいいんだと、
しみじみ考えたことがあります。

ボクが浅田さんの言葉から拾った「核心の一句」は、
「百年後、誰かが僕の小説を読んでくれて、
ひとりでも感動してくれればいいんだ」。

そうそう、浅田さん言葉を借りてもう一つ付け加えると、
仏典は小説のように読むのが大事ですよね。
仏教学者の真似をして難しくすることはありません。
「各各の受けとめ優先」で良いです。
ニコニコ・ハラハラ・ウキウキしながら読みたいです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする