いつもお世話になっている「杵柄落語会」の重鎮・恋歌師匠から、
あるドクターのホームページ(院長コラム)をメールで紹介していただきました。
みつお記念クリニック
http://mitsuo-cl.com/index.html
院長先生のコラム、素晴らしいですよ。
お出かけあれ!
院長先生のコラムから、web遊行スタート。
次に行き着いたところが、永尾雄二郎医師。
「念仏医学」ということで、静岡県掛川市患者さんを看られていたようです。
http://www.koumyouji.com/hitokuchi/houwa/010.pdf#search='%E6%B0%B8%E5%B0%BE%E9%9B%84%E4%BA%8C%E9%83%8E'
平成14年11月「光明寺だより24号」から一部コピーです。
「念仏的人生」
お念仏のみ教えに生きている方を紹介したもので
『われら念仏に生きる』(編ー亀井鑛)という本があります。
その中に永尾医院(静岡県)の院長である、永尾雄二郎という方のことが紹介されていました。
氏はご自分の医学を「念仏医学」と仰っていますが、
ある患者さんで、70歳過ぎて中風が出た人がいました。
往診していても、どうもはかばかしくない。
ところが、その枕元に次のような色紙が掛けられてあったというのです。
いらいらやくよくよもせず
おおらかに
悠悠自適
老いの坂路を
「誰に書いてもらったの?」
「ある偉い先生から」
「これで落ち着けるの?」
「中々おおらかにいけませんわ」
「そうでしょう。私ならこう手直ししますよ」
いらいらやくよくよのみの人の世も
なごりなつかし
今日の一日
「これならどうですか?」
「あ、先生。イライラクヨクヨばっかりでいいんですか。
それがなごりなつかしい・・・そうですか、そうですか」
と、うなずかれ、それからの闘病生活は、
打って変わって明るいものになり、病状も改善されたと言われています。
ちなみに、前者の歌は、自力の教え(一般仏教)で、
後者は他力の救いを説く教え(浄土真宗)と言えるでしょう。
長年、念仏の教えに親しんでこられた方だけのことはあって、
氏の手直しされた色紙は、念仏の教えが医療の現場で見事に生きていることを物語るものだと思います。
ここで誤解しないで頂きたいのは、
前者の歌のような生き方が悪いと言っているのではありません。
イライラクヨクヨせずにおおらかに生きることができれば、それは素晴らしいことです。
ただ、そのような生き方が私にできるのかということです。
実は、親鸞聖人が二十九歳まで求め続けてきた道も、
前者の歌のような道(自力の道)だったのです。
そこには、20年間にわたる命がけの求道の遍歴があったのです。
厳しい修行を重ねるほどに、自力の道のいよいよ遠いことを知らされたのです。
そんな絶望のどん底の中に出遭ったのが「お念仏の道」だったのです。
それは「愚かな者だからこそ救わずにはおれない」という阿弥陀さまの本願(根本の願い)
の道でした。
本書には38名の念仏者が紹介されていますが、
一様に、「念仏の教えに出遭って、自分が見えてきた」と、語っています。
自分中心で、自分が正しい、自分は賢い、自分は善人のつもりの、頭の高い人間・・・そん
な愚かで思い上がった自分が見えてきたと言っています。
さらにWEB遊行。
次にたどり着いたのが、「第407回 一偶会例会」2004年11月の案内。
http://www.jma.or.jp/ichigukai/seminar/407.html
講師が永尾雄二郎医師。
で、永尾さんが金子大栄の聞法者であったことが判明。
講演の演題:「人生の道標 ~普遍の法と特殊の機~」
この演題は、金子大栄師の
[普遍の法を特殊の機に受行す これを廻向といふ]
が下敷きになっているようです。
更に、WEB遊行。
永尾医師が、NHK「こころの時代」に出演されていたことを知りました。
下記をご覧あれ!
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-63.htm
「こころの時代」の逐語録をブログで発信しているのは、奈良市在住のお方ようです。
有難い仕事をしてくれています。感謝。
恋歌師匠のメールから、今晩はWEB遊行をさせてもらいました。
近々、国会図書館に出かけて、各氏の著作にもあたってみようと思います。
先ずは、WEB遊行の備忘(メモ)です。
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