亀井勝一郎の『親鸞の語録について』を読んでいる。
今の若い方には縁遠い作家かもしれないが、私の年代の者はよく読んでいたように思う。
少し長いが引文する。
先月、作家の五木寛之さんの講演会にでかけた。五木さんも講演の中心に同じ箇所を取り上げていた。
親鸞の人間通たることを示すよい言葉として、私の機会あるごとに引用するのは、次のような一節である。親しいものの死に遭って、嘆き悲しんでいる人に対したときの、心づかいである。
「悲しみに悲しみを添ふるようにはゆめゆめ弔ふべからず。もし然らば弔ひたるにはあらで、いよいよわびしめたるにてあるべし。酒はこれ亡憂の名あり、これをすすめて笑ふほどに慰めて去るべし。さてこそ弔ひたるにてあれと仰せありき。」(『口伝鈔』)
人が嘆き悲しんでいるとき、それを慰めるのは、至難中の至難というべきである。慰めても慰めきれないと、ハッキリわかっていることに対して、敢えて慰めの言葉を言わなければならないからである。慰めの言葉もないというのは真実である。いかに衷心からの言葉も嘘になりかねない。云わば表現力を失ったとき、親鸞は酒をすすめ、「笑ふほどに慰めて去るべし」と教えているのである。人間の悲しみに対しては、とるべき態度も言葉もないことを、深く知ったひとにしてはじめて言いうる言葉ではなかろうか。鋭敏な感受性、こまやかな心づかいなくては出来ないことである。
次の土曜日(4月25日)から、【くりのみ会】で「歎異抄とカウンセリングコース」がスタートする。
教育現場の若い先生方に、是非とも先人の言葉を尋ねてもらいたいと思う。
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