毎週・水曜日の夜(8時25分~8時55分)は
zoom法音道場 『顕浄土真実教行証文類』学習会です。
テキストは、本願寺出版発行『顕浄土真実教行証文類』(現代語版)と、
岩波文庫 金子大栄校訂『教行信証』です。
レポーターは、東京大谷声明学園の友人のIさんにお願いしています。
今晩は、テキストの54頁。
道綽禅師の『安楽集』四文の箇所。
「念仏効能の文」をレポートしてもらいました。
世尊が、父・淨飯王に念仏三昧をお勧めの箇所です。
世尊は、仏の真如実相第一義空を凡夫が修めることは難しい境地なので、
念仏三昧を勧めます。
そこで、淨飯王は念仏功徳について尋ねられます。
世尊は、伊蘭樹と栴檀の喩えで父に説明しています。
今晩の学習会の井戸端での話題は、
仏典や仏典の中で展開される喩えの読み方について。
または、仏典の学び方について。
現代人合理的な見方(価値観)で仏典を読みますと、
疑問や矛盾を覚える箇所が多々でてきます。
現代語訳には、
「栴檀の芽が次第に生長して、少しばかり樹木らしく見えるようになると、
かぐわしい香りを放ち、遂には伊蘭の林のいやな臭いにをす
べてよい香りに変えてしまいます。」
とあります。
現代人の我々は、
商品名は書きませんが(笑)、
いやな香りを消臭したり、臭みを抑えることはできても、
本当によい香りに変えるのは無理なのでは?
とレポーターのIさんの言。
ボクの提案。
仏典の読み方、仏典理解の眼目は、意味の理解や前後関係の理解といったことよりも、
(信を生ずるような読み方が大事なのでは?)と。
例えば、カウンセラーがクライエントの陳述を傾聴がごとくに、
経典の世尊の説法を、疑問や批判の心を忘れて聞いていく。
ボクの仏典の読み方は、
若い頃からのカウンセリングの学びに裏付けられているようです。
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