昨日の「無住住忌」の講師・那須信孝先生が配付の資料からの引文。
『曽我量深選集』からの孫引きになります。
私は昨年七月上旬、高田の金子君の所に於て、「如来は我なり」の一句を感得し、
次いで八月上旬、加賀の暁烏君の所に於いて
「如来我となりて我を救い給ふ」の一句を回向していただいた。
遂に十月頃「如来我となるというは法蔵菩薩降誕のことなり」と云ふことに気付かせてもらひました。
病に苦しめられ、心意常に散乱妄動し、日々聖教読誦を課業としながら、さらにその異議が分からず、
特に近来浮世の下らぬ問題に迷悶しつゝあるところの私には、
誠に千歳の暗室を照らす燈炬を得た心地がしたのである。
(選集2-408頁)
アンダーラインは、ぼくが記しました。
この頃、ずっと考えていることは、「我の基軸」ということであります。
その作業は、内観であり・行いによって深められるものと確信しています。
具体的な営みとしては、「読誦」ということ。「音読ということ」。「音声のほとけに出会うということ」。
いよいよ、来年1月から、「声明と楽談の会」をスタートさせます。
ご一緒に、「聖教読誦」の大道を、歩んでいきましょう。
現在、三名の方から申込がありました。
学習会は、三人から成立と考えています。
よって、学習会は成立です。
ありがたいことです。
どなたでも参加できます。
ぜひ、お出かけください。 応援のクリックよろしく。
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