尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

藤子不二雄Ⓐ、柳生博、山本圭、ジャック・ペラン他ー2022年4月の訃報

2022年05月06日 22時27分32秒 | 追悼
 2022年4月の訃報のまとめ。僕にとって、見田宗介先生の訃報がすべてだった。東京新聞に掲載された上田紀行氏(文化人類学者、東京工業大教授)の追悼文から。「現代を耕しながら、種をまき続けてきた見田宗介氏。あなたがいなければ今の自分はなかった…、どれだけ多くの人たちがいまそう感じていることだろう。その希望の種は著作で、そしてその強烈な個性に触れた人たちの中で、これからも成長し続けるだろう。託されたバトンを強く意識しながら、心からの感謝を送りたい。」

 一番大きく報道されたのは、「藤子不二雄Ⓐ 」だろう。本名は我孫子素雄(あびこ・もとお)、4月7日没、88歳。「藤子不二雄」という名前はもちろん子どもの頃から知っていた。「オバケのQ太郎」がテレビで放送されていたからだ。実は二人の共作だというのも大体知っていたと思う。まさか二人が別々になってしまうとは想像もしなかった。藤本弘が「藤子・F・不二雄」(1996年没)で、我孫子素雄が「藤子不二雄Ⓐ 」である。そして実は共作名で発表されていても、「ドラえもん」や「パーマン」は「F」の作品だった。そして「Ⓐ」が「怪物くん」や「忍者ハットリくん」だったとは。あれま、と思ったけど、読んでないからよく判らない。
(藤子不二雄Ⓐ)
 二人とも富山県出身で、高卒後に就職していたが、夢をあきらめず21歳の時に上京。1年後に手塚治虫がトキワ荘を出たので、その後に入った。1987年にコンビを解消、「プロゴルファー猿」、「笑ゥせぇるすまん」、「まんが道」などがある。同郷の芥川賞作家、柏原兵三の「長い道」を「少年時代」として漫画化。篠田正浩監督によって映画化され井上陽水のテーマ曲が大ヒットしたのも忘れがたい。この映画は戦時中の「縁故疎開」を描き戦時下の子どもの様子がよく判るので、授業で使った思い出がある。

 俳優の柳生博が4月16日に死去、85歳。映画「あれが港の灯だ」(1961年、今井正監督)がデビューというのに驚いた。テレビ「いちばん星」の野口雨情役で知られ、クイズ番組の司会、ナレーションや外国映画の吹き替えなどで幅広く活躍した。それ以上に八ヶ岳山麓にレストラン、ギャラリーを開き、自然の魅力を発信したことで知られる。2004~2019年には日本野鳥の会の会長を務めた。本当に柳生一族の末裔だったのも驚き。
(柳生博)
 俳優の山本圭が3月31日に死去していた。81歳。訃報は4月25日に発表された。70年代には非常に有名な人だったけれど…。叔父が山本薩夫監督で、その超大作「戦争と人間」3部作などで重要な役を演じた。そもそも俳優座養成所出身で、舞台の出演も多かった。テレビの「若者たち」の三男役で人気が出て、同名の映画3部作にも出演した。今井正監督の「小林多喜二」(1974)のタイトルロールもやったから、左翼系映画の印象が強い。兄の山本學は最近右寄りになっているようだが、この人はどうだったのか。弟の山本旦も俳優で、山本三兄弟で知られた。妻の女流棋士、小川誠子とは2019年11月に死別した。
(山本圭)
 映画プロデューサーの佐々木史朗が4月18日に死去、83歳。もともと早稲田を中退して鈴木忠志らと早稲田小劇場を結成、その後TBSに勤務し、さらに「東京ビデオセンター」を設立してテレビ番組を製作した。映画「星空のマリオネット」製作に関わって、そこから1979年に日本アートシアターギルドの2代目社長に就任した。2017年に国立フィルムセンター(当時)で佐々木史朗特集が行われたが、そこで判ったことは「ヒポクラテスたち」「ガキ帝国」「遠雷」「風の歌を聴け」「転校生」「家族ゲーム」「廃市」「ナビィの恋」…、若い頃に見ていた映画の多くの傑作が佐々木史朗製作だったことである。
(佐々木史朗)
 書籍デザインの第一人者、装幀家の菊地信義が3月28日に死去、78歳。澁澤龍彦「高岳親王航海記」などで講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。手掛けた本は1万5千冊を越えるという。俵万智「サラダ記念日」や、この前読んだ平野啓一郎「決壊」もこの人。広瀬奈々子監督「つつんで、ひらいて」という記録映画にもなった。映画にも出て来るが、作家古井由吉のほとんどの本を担当した。講談社文庫、講談社文芸文庫、河出文庫、平凡社新書のフォーマットを担当している。
(菊地信義)
 元ミズノの野球グラブ職人、坪田信義が4月3日死去、83歳。15歳でミズノに入社、長い下積みを経て40歳で特注品作りを任された。ポジション別のグラブを初めて作った人で、労働省の「現代の名工」に選定された。王貞治、イチロー、松井秀喜、野茂英雄、松坂大輔…、皆この人のグラブを使っていた。イチローは「いつも想像を超えるものをつくっていだいた。まさに名人芸だった」と追悼している。
(坪田信義)
 フランスの俳優ジャック・ペランが4月21日に死去、80歳。日本では「ニュー・シネマ・パラダイス」で大人になった主人公を演じたのが一番知られている。しかし、若い頃から活躍し、イタリア映画「鞄を持った女」「家族日誌」などで人気を得た。その後、「ロシュフォールの恋人たち」「ロバと王女」などに出演したが、1970年のコスタ=ガブラス監督の「Z」では製作者も兼ねた。これはロシア語ではなく、ギリシャ語で「彼は生きている」の意味。アカデミー賞外国語映画賞を獲得した。他にも「戒厳令」「ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー」など社会的なテーマの映画を製作した。2002年に製作・総監督・ナレーターを務めた「WATARIDORI」は渡り鳥に密着したドキュメントでアカデミー賞にノミネートされ、日本でも話題を呼んだ。童顔のイメージが禍して、重厚な老け役に恵まれなかったが、プロデューサーとして大成したと言える。
(ジャック・ペラン)
 ルーマニア出身のピアニスト、ラドゥ・ルプーが4月17日に死去、76歳。12歳でデビューし、モスクワ音楽院に留学。1966年にヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝しながら、副賞のコンサートをすべて断って帰ってしまったことで知られた。詩情あふれる演奏で知られ、非常に有名な人だったらしい。
(ラドゥ・ルプー)
中川イサト、7日死去、75歳。「五つの赤い風船」メンバー。最近文庫化された、なぎら健壱関西フォークがやって来た! 五つの赤い風船の時代」(ちくま文庫)に中川イサトのことが詳しく書かれている。
ひろさちや、7日死去、85歳。宗教評論家。仏教の教えを判りやすく説いた多くの著作で知られた。
照屋寛徳、15日死去、76歳。前社民党衆議員議員。参議院1期、衆議院では沖縄2区から6回当選。
尾身幸次、14日死去、89歳。元衆議院議員。自民党から8回当選(一番最初は無所属)。財務相などを務めた。
村生ミオ、16日死去、69歳。漫画家。ラブコメ漫画で知られ「胸騒ぎの放課後」「結婚ゲーム」「サークルゲーム」など映画、ドラマ化された。
横山マコト、22日死去、87歳。漫才師。兄弟トリオ「横山ホットブラザーズ」の次男。
岸野猛、30日死去、86歳。コメディアン。「ナンセンス・トリオ」で、「親亀の背中に子亀を乗せて」や「赤上げて白下げて」などのギャグで知られた。

デヴィッド・マッキー、6日死去、87歳。絵本画家。「ぞうのエルマー」で知られた。
ウラジーミル・ジリノフスキー、6日死去、75歳。ロシアの極右政党、自由民主党党首。近年は体制内野党になっていた。
彭明敏(ポン・ミンシン)、台湾の国際政治学者、政治家。早くから「台湾独立」を主張し、64年には戒厳令下に「台湾人民自救運動宣言」を発表しようとして逮捕された。その後特赦受け、70年にアメリカに脱出。96年の初の民選総統選に民進党から出馬して、李登輝に敗れた。
ジャック・ヒギンズ、9日死去、92歳。冒険小説の大家。「鷲は舞い降りた」「死にゆく者への祈り」など多数。
ミシェル・ブーケ、13日死去、96歳。フランスの俳優。舞台・映画で知られ、映画「トト・ザ・ヒーロー」に出演した。
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