『オン・ザ・ロード~不屈の男、金大中』という映画が上映されている。韓国の元大統領、金大中(キム・デジュン、1924~2009)の生涯を多くの映像をまとめて描くドキュメンタリー映画である。これを見ると、苦難の韓国現代史がよく理解できるだろう。東京ではポレポレ東中野でやってるけど、見るのも書くのもどうしようかと思った。同時代に生きてきて、知っていることが多かったけれど、改めて感じるところも多かった。だからやっぱり見ておくべき映画かなと紹介する。
韓国初のノーベル賞受賞者である金大中は、2024年が生誕百年にあたる。そのことに僕は気付かなかったが、あれほど有名だった隣国の政治家も没後15年になれば知らない人も増えているだろう。特に韓国の「民主化運動」及び、日本で取り組まれた「韓国政治犯救援運動」も知らない人が多くなったと思う。韓国映画には現代史を描く映画がかなりある(今年公開の『ソウルの春』など)が、民主化運動の歴史をきちんと知らないと韓国理解が偏ってくる。生年を見れば判るように、金大中は日本統治時代に生まれ、「光復」(日本敗戦による独立回復)は21歳の時だった。韓国南西部の全羅南道の島に生まれ、近くの港町木浦で育った。朝鮮戦争では「北」の軍隊に逮捕され殺されかかったが、マッカーサー率いる国連軍が仁川に上陸して危うく助かった。
その当時は海運会社を経営する若き経済人だったのだが、戦争を辛くも生き延びてから政治を志すようになった。もっとも1954年の選挙では落選、その後も1959年、60年と落選している。決して当初から故郷の支持基盤が厚かったわけではなかった。しかし、李承晩政権と対立する野党民主党のリーダー張勉に引き立てられ、民主党のスポークスマンを務めている。このように古い時代のことは当時を知る人も少ないだろうし、あまり映像資料もない。61年の選挙で初めて当選したが、3日後に朴正熙大統領のクーデターで国会は停止された。どちらかと言えば党内でも「現実派」として出発したが、以後はずっと軍政に抵抗し続ける。
そして、71年の大統領選(野党候補として善戦し注目された)、73年の金大中氏拉致事件(東京に滞在していた金大中が韓国情報機関により不法に拉致された)、76年の「民主救国宣言」発表とその後の弾圧と続くが、18年続いた朴正熙政権も1979年に突然終わった。朴正熙大統領が突然中央情報部長に暗殺されたのである。ここから「ソウルの春」と呼ばれた民主化が始まるが、今度は全斗煥将軍のクーデターでそれも挫折した。1980年5月に、クーデターに反発した光州の民衆を軍部が残酷に弾圧した「光州事件」が起きる。それ以前に拘束されていた金大中は事件を長く知らず、7月になって初めて聞かされて失神した。
この「知らなかった光州事件の首謀者」として死刑判決が下されたが、全世界で救援運動が起こった。日本でも集会やデモが何度もあって、僕も参加している。当時の映像が出て来るが、「左派系」(政党や労働組合のもの)のデモが多く使われていたが、実際はもっと市民運動やキリスト教系の運動の方が広がっていたと思う。(映像がないのかもしれない。)最終的にはレーガン政権の「圧力」もあり、無期懲役に減刑され、1982年には「治療」目的で米国渡航が認められた。
その頃の映像はかなり残っていて、獄中書簡などは感動的。頑なに渡米を拒んでいた(政治活動をしないなどの条件を呑みたくなかった)が、やがて受け容れるまでの面会の様子も映像で残されていたので驚いた。アメリカに落ち着いた後は、政治家や学者などに韓国民主化の必要性を訴えて理解者を増やしていった。1985年2月に「強行帰国」した際は、1983年に同じく「強行帰国」したフィリピンの野党指導者ベニグノ・アキノが空港で暗殺された事件の再現を防ぐため、米下院議員や報道関係者などが多数付き添っていた。全斗煥政権は直ちに「自宅軟禁」にしたが、金大中帰国が民主化運動を蘇生させたことが判る。
金大中は獄中で考えを深め、「報復」ではなく「寛容」を説くようになっていく。そのことが後に大統領になったときに大きな意味を持ってくる。映画は大統領になるまでは描かず、あくまでも「民主化運動のリーダー」として描いている。そのため、民主化運動の高まりで大統領直選制などが実現した1987年までで終わっている。知っている人には意外な話はなく、知ってることを映像で確認する映画。金大中をめぐって意外な証言が出て来るわけでもなく、一本調子な感じは否めない。
しかし、この映画のラストは本当に感動的だった。民主化実現後に初めて光州を訪れた時の映像である。光州に着く前から鉄道沿線に人々が集まって、金大中も窓から手を振り続ける。光州での様子は上の写真にあるが、もう見渡すばかり人、人、人の波である。金大中も慟哭して泣き続けていた。見ている方も胸が熱くなる。自分もいろんなことを思い出してグッときた。
ところで、この映画の上映素材は韓国公開時のものではなく、日本語のナレーションで進行する「日本編集版」である。1980年の日本での救援運動の映像も、韓国で2024年1月に公開された時にもあったのかどうか不明。説明がないと判らない人も多いだろうし、字幕で見るのは不適当なのかもしれない。しかし、出来れば韓国で公開されたままのヴァージョンで見たかった。