尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『リアル・ペイン~心の旅~』、「悲劇のユダヤ人歴史ツァー」のロードムーヴィー

2025年02月11日 21時44分46秒 |  〃  (新作外国映画)

 日本では映画興行の中心が夏休みとお正月の邦画アニメになっている。シネコンのスクリーンが空いているのが、2月から春休みまでの間。ちょうどその頃に米国アカデミー賞のノミネートが発表になるので、賞レースに合わせてアート系注目作品がこの時期に公開されることが多い。「アカデミー賞最有力」とか「アカデミー賞○部門ノミネート」とか大々的な宣伝をするわけである。ということで、しばらく新作を一生懸命見て紹介していきたい。

 今回はジェシー・アイゼンバーグ監督『リアル・ペイン~心の旅~』である。ゴールデングローブ賞で助演男優賞を獲得し、アカデミー賞でも助演男優賞、脚本賞にノミネート中である。確かに脚本が面白く、こういう話が映画化出来るところがアメリカ映画の懐の深さだなあと思う。典型的なロードムーヴィーだが、それが「集団ツァー」だという点、またポーランドに「ユダヤ人の悲劇の歴史を訪ねる」というところに新味がある。お勉強映画じゃないけど、見ていて勉強になる点が幾つもある。

 冒頭でデヴィッドジェシー・アイゼンバーグ)が空港に向かいながら、何度もベンジーキーラン・カルキン)に電話しているが一向に返信がない。空港に着いてみると、ベンジーはもう何時間も前に来て人間観察をしていたんだという。この段階ではデヴィッドが落ち着きがなく、ベンジーが落ち着いているのかと思うが実は違った。ベンジーこそ何かと「独自の見解」を語り出し、集団行動が苦手なのである。飛行機の目的地はポーランドの首都ワルシャワ。二人はユダヤ人のいとこ同士で、昔祖母が住んでいたポーランドを訪ねて「ユダヤ人の悲劇の歴史を訪ねる旅」に参加したのである。

(参加者の皆)

 現地集合で集まってみたら、ガイドはイギリス人でメンバーは6人だった。ユダヤ系の夫婦、離婚したばかりのユダヤ系アメリカ女性、そして何故かアフリカのルワンダ出身の黒人。(何で彼がいるのか映画で確認を。)そして、ワルシャワ各所の記念碑をめぐりワルシャワ蜂起の歴史を学ぶ。デイヴィッドは静かに見たいタイプだが、ベンジーは誰とでもすぐに打ち解ける。記念碑の人々と同じ格好をして写真を撮ろうと呼びかける。歴史的に複雑な経緯もあるわけで、それは冒涜なのか。ベンジーは「守るべき常識」になど囚われず、ホテルにマリファナを送りつけていて一緒に吸おうぜというぐらいである。

(二人の従兄弟)

 そんなベンジーは時々苛立つ。過去のユダヤ人の苦難をしのぶ旅なのに、自分たちは一等車に乗って移動していて良いのか。あるいはユダヤ人墓地を訪ねて、これは何百年前の墓だと歴史の知識を学ぶだけで良いのか、地元のポーランド人との交流もないし。彼らの祖母は最近亡くなり、特にベンジーはショックを受けてウツになったとデヴィッドは言う。だから仕事と妻子を置いて、デヴィッドがこの旅を申し込んだのである。だけど「祖国を捨てた祖母の苦難」を「高級ホテル」に泊まって「美味しいディナー」を食べてしのべるのか。そういう旅行に参加していて心が苦しくならないか。それがベンジーの気持ちらしい。

(ついに収容所跡に)

 そして、いよいよクライマックスの収容所訪問になる。ポーランド南東のルブリン近郊、マイダネク収容所である。ここは「表現が難しい」がソ連軍の進攻が急だったためドイツが急いで逃げ「保存状態が良い」のだという。そして、そこで二人は一行を離れて、祖母が住んでいた町を目指す。この後半の展開は是非映画で見て欲しい。二人のいとこが出ずっぱりで、ほぼバディ映画の趣である。デイヴィッドのジェシー・アイゼンバーグが脚本、監督、製作、主演の大活躍。誰かと思ったら『ソーシャル・ネットワーク』でザッカーバーグを演じてアカデミー賞にノミネートされた人だった。『僕らの世界が交わるまで』に次ぐ監督2作目。

(祖母の住んでいた町で)

 しかし非常に高く評価されているのは、ベンジー役のキーラン・カルキン。圧倒的な演技で見る者の心を鷲づかみする。この人は『ホーム・アローン』のマコーレー・カルキン少年の弟だった。そのシリーズで子役デビューしている。その後『17歳の処方箋』(2002)でゴールデングローブ賞にノミネートされた。今回の映画が壮年期の代表作になるだろう。ポーランドの風景が美しく、修復された都市が見事。ほぼ全編ショパンが流れるのもポーランドムードを高めている。

 この映画は是非「歴史ファン」あるいは「歴史教員」に見て欲しいと思う。「歴史を学ぶとはどういうことか」が大事なテーマとなっている。ロードムーヴィーは数多いが、今回のような「ダーク・ツーリズム」を描くのは珍しい。歴史教員は仕事で沖縄や広島の修学旅行に携わることがある。そういう立場からすると、大事な視点がこの映画には出ている。誰しも歴史には戦争や虐殺などの悲劇があったことを知っている。しかし、それらを「学ぶ」とはどういうことか。ただ知識を得るだけで満足してしまう「歴史ファン」も世に多いだろう。本当に「苦難をしのぶ」ことについて考えるヒントが詰まっている。

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『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』、アルモドバル監督魂の傑作

2025年02月07日 20時21分34秒 |  〃  (新作外国映画)

 スペインのペドロ・アルモドバル監督の『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』が公開された。2024年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作である。スペイン語ではなく、監督初の英語長編映画である。(短編作品には英語映画がある。)シーグリッド・ヌーネスという作家の原作に基づいていて、翻訳は早川書房近刊と出ている。アルモドバル監督と言えば原色の氾濫、過激なストーリーで知られたが、この映画は「静か」で「枯れた」色調に驚く。死生観をテーマに魂に触れる感動作で、深く心に沁みる作品だった。また、ダブル主演とも言えるティルダ・スウィントンジュリアン・ムーアの演技が絶妙で、一瞬も目が離せない。

 作家のイングリッド・パーカージュリアン・ムーア)は新刊のサイン会で、旧友の戦場記者マーサ・ハントティルダ・スウィントン)が闘病中だと初めて知った。早速数年ぶりに会いに行くと、子宮頸がんで治療中だった。彼らは一番の親友というわけではなかったが、人生の重要な局面を共にしてきた。マーサには一人娘ミッシェルがいたが、関係は疎遠になっていた。そこでイングリッドは自分が毎日のように通うと約束するのだった。二人は病室で楽しく語り合い、思い出に浸る。

(ニューヨークの街を望む)

 ところがある日、マーサはすべての希望が消えたという。様々な治療は失敗し転移が明らかとなった。自分は延命は望まず、死を受け容れるという。その後、イングリッドに重要な依頼があった。自分は「安楽死」するつもりで、闇サイトで許可されていない薬物を購入したという。そして、「その時」を迎えるときにイングリッドに隣の部屋にいて欲しいというのである。数年会ってもいなかった自分が何故? イングリッドは死が怖いというタイプなのである。しかし、マーサは他に数人頼んでみたが断られたと言い、法的な問題が起きないように遺書を残すと約束する。結局、イングリッドはマーサの頼みを引き受けることにする。

(二人で語り合う)

 マーサはニューヨーク州北部ウッドストックに別荘を借りたという。イングリッドが車で連れて行くが、そこは樹木と鳥の鳴き声に囲まれた場所だった。結局「隣」ではなく、「下の階」になるが、こうして二人の一時的な同居が始まった。そしてマーサは「その時」はドアを閉めておく、ドアが開いていれば実行前だという。この間にマーサの娘の話、戦場での思い出、イングリッドの私生活などが少し語られる。だけど、基本的にはほぼ病気と死をめぐる会話と思索である。衰えゆくマーサを全身で表現するティルダ・スウィントン、その様子を見守るジュリアン・ムーアの受けの演技の見事さ。非常に見ごたえがある。

(ペドロ・アルモドバル監督)

 筋だけ聞けば何が面白いのかと思う人もいるだろう。しかし、見れば演技や演出、撮影などの完成度の高さに感動すると思う。僕も若い頃にベルイマン監督の『野いちご』という老境映画を見て、芸術的達成の素晴らしさは感じ取れた。だけど、テーマ的に「老い」を深く考えるには若すぎたと思う。この映画も高齢になって見る方がしみじみと感動するはずだ。あまり原作ものを撮っていないアルモドバル監督も、こういう原作を選ぶようになったのか。僕はマーサの気持ちが(はっきり言えば)理解出来ない。しかし、一人で逝きたくないし、病院の延命治療も拒否するというのは共感出来る。

 「死」との付き合い方というテーマの展開は、日本人的には今ひとつ納得出来ない気もする。しかし、映画的完成度が高いのは間違いない。主人公にこと寄せ、自分の行く末来し方をいろいろと考えてしまう映画だ。ハチャメチャな傑作『神経衰弱ギリギリの女たち』が1989年に初めて公開されて以来、ペドロ・アルモドバルの作品はすべて見て来た。『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』で頂点を極めた後で、21世紀は少し低迷が長かった。この数年『ペイン・アンド・グローリー』『パラレル・マザーズ』など復活の兆しが見られたが、まさかこのような英語の原作による死生観映画を撮るとは思わなかった。

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映画『アプレンティス ドナルド・トランプの創り方』を見る

2025年01月19日 19時47分07秒 |  〃  (新作外国映画)

 さて、ドナルド・トランプがアメリカ大統領に戻って来る。2ヶ月前の当選から、世界は戦々恐々としてその日を迎えようとしている。ということで、アリ・アッバシ監督『アプレンティス ドナルド・トランプの創り方』(The Apprenticeという映画を見に行ってきた。この映画は若き日のトランプを描く伝記映画で、アメリカでは選挙戦最中の公開をトランプ陣営が阻止しようとしたが、結局10月に小規模な公開となった。日本では何故か高須美容クリニック院長が協賛してテレビCMを流している。いろんな見方は出来るだろうが、まあ普通に解釈するならば「怪物が生まれるまで」を描いた映画ということになるだろう。

 「アプレンティス」とは「見習い」という意味で、同時にドナルド・トランプが司会を務めた有名なテレビ番組の題名でもある。その番組は2004年から2007年に放送された。応募者から選ばれた10数名が会社で見習いとして働き、本採用を目指すというリアリティ・ショー。脱落者にはトランプが「君はクビだ! (You're Fired!) 」と宣告する。この決めぜりふが有名になって、今でも演説でよく使っている。映画はそのはるか前、1970年代に始まる。テレビではニクソン大統領の「ウォーターゲート事件」疑惑が報じられている。そんな時代に若きトランプは苦境に立っている。父親の不動産会社が人種差別で司法省に訴えられたのだ。

 青年実業家ドナルド・トランプセバスチャン・スタン)は、有名人が集まるクラブの会員になって、「悪名高き」弁護士ロイ・コーンジェレミー・ストロング、1927~1986)に近づく。この弁護士は3回も訴追されながら無罪となった経歴がある。かつては検事でローゼンバーグ夫妻(原爆の情報をソ連に流したスパイとして訴追された)を死刑に追い込んだことを「国家のため」として誇っている。事件当時はまだ20代前半の検事だった。コーンはドナルドに「勝つための3つのルール」を伝授した。

(ロイ・コーン弁護士)

 それはまず「攻撃、攻撃、攻撃」であり、次に「絶対に非を認めるな」、そして「勝利を主張し続けろ」だった。選挙戦や前の大統領時代にどうにも奇妙な言動が多かったが、これを見て「ドナルド・トランプはロイ・コーンによって創造された」ことが良く判る。しかし、非を認めず勝利を一方的に主張するだけでは、もちろん現実の裁判で勝つことは出来ない。表舞台では「証拠」がものを言うからだ。しかし、ロイ・コーン弁護士のやり方は「裏で取引する」のである。相手に不利な情報を収集して、裏で恫喝して訴訟を取り下げさせたりするわけである。ここで「取引」というもう一つのトランプ流が成立する。

(トランプ)

 そうやって大ホテルを作り、トランプタワーを建て、アトランティック・シティ(大西洋岸のリゾート)にカジノを作る。モデルを追い回して結婚し、子どもも生まれ、次第に大物実業家になっていく。最初はある程度「ニューヨーク再開発」を考えていたようだが、次第に恰幅もよくなって大物ぶりが板に付く。一方でコーンは不祥事を起こし弁護士資格を取り上げられ、さらに病気にもなる。周囲は「エイズ」だと言うが、本人は肝臓ガンだと主張する。同性愛者の権利に厳しかったコーンは、実は同性愛者だったのである。そしてまだ50代で亡くなるが、その時点ではトランプは完全にコーンをしのぐ大物になっていた。

(アリ・アッバシ監督と)

 アリ・アッバシ監督はイラン出身だがスウェーデンで育ち、『ボーダー ふたつの世界』がカンヌ映画祭で「ある視点」部門グランプリを受けた。その後の『聖地には蜘蛛が巣を張る』でカンヌ映画祭コンペティション部門の女優賞を受けた。今回の『アプレンティス』も2024年のカンヌ映画祭コンペに出品されたが無冠に終わった。しかし、トランプ役のセバスチャン・スタンとコーン役のジェレミー・ストロングは高く評価されていて、ゴールデングローブ賞やイギリス・アカデミー賞の主演、助演にノミネートされた。主演はソックリぶりが見事だが、それ以上にコーン弁護士の存在感が半端ない。こういう人がいたのかと思った。

 もう一つ、トランプ家の問題、特に父と兄の存在がドナルドに与えた影響の問題がある。父の圧政に兄はつぶされ、弟は父を(良くも悪くも)乗り越えた。その意味でドナルド・トランプは間違いなく「成功者」であり、この映画を「成功の秘訣」探しとして見ることも可能ではある。だが「成功」しすぎて、何事も「取引」として考える世界に生きる姿は果たして「成功の報酬」としてふさわしいか。むしろ「モンスターの誕生」を目の当たりにする映画だと思う。面白く出来ていて一見の価値がある。

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メキシコ映画『型破りな教室』、過酷な現実と教育の可能性

2024年12月21日 22時15分21秒 |  〃  (新作外国映画)

 事前予約出来ないラピュタ阿佐ヶ谷というところに行ったら満員だった。どうしようかなとスマホで検索して、新宿に戻ってメキシコ映画型破りな教室』というのを見ることにした。公開2日目で今日見る気はなかったんだけど、そのうち見たいと思っていた映画。この前見た日本の小学校の記録映画『小学校~それは小さな社会~』と比べてみるのも興味深い。

 そこはメキシコとアメリカの国境地帯マタモロス。正直言って、日本がいかに恵まれているか身に沁みて考えさせられる。マタモロスを調べてみると、国境線の東端にあって人口52万ほど。よく報道されるように、国境地帯には麻薬カルテルの本部があって治安が悪いと出ている。殺人や誘拐も頻発し、車列の前後をパトカーが護衛するという話。映画でも銃声が聞こえるし、路上に死体が置かれていても、子どもたちは全然気にせず通り過ぎる。校長先生の車が通るときも麻薬探知犬が検査している。日本と比べるなんてレベルじゃなく、「教育」以前に生き抜くことも大変な状況ではないか。

(セルヒオ・フアレス先生と子どもたち)

 そんな町の子どもたちはと言えば、学力全国最低レベル。そこに新任の教師がやってきた。産休の先生がいたようで、前任校で訳ありだったらしいセルヒオ・フアレスという中年教師である。希望してやって来たらしいが、この「底辺校」で子どもたちが自ら考える教育を実践したいと思っている。子どもたちが教室に入ると、机と椅子は片付けられていて、ここは教室じゃない、救命ボートだという。全員は乗れない、じゃあどうしたら良い、みんな考えてくれという。翌日になって、またあの授業をやりたいと子どもの方から言ってくる。子どもたちは自ら「浮力」とか「質量」について調べ始める。

(校長先生と)

 そんなフアレス先生を心配して校長もよく見に来る。太った校長を見て、フアレス先生は校長先生は水に浮くかと問いかける。子どもたちは体積の量り方を考え出し、外の水槽に先生が入って水の増量を記録する。次に校長先生も入ってと強要して、人間の体積を比べてみる。しかし、学力テストこそ学校の直面する問題と信じる他の先生たちは、このような授業では困ると思っている。ENLACE(公立・私立ともに3,4,5,6,9,12年生の全生徒が受験する数学・科学・国語の国家試験)というのがあると映画館のホームページに出ている。そのテストで全国最低の地区で、半数の子どもが卒業が危ぶまれるという。

(数学の天才パロマ)

 この教室には今まで全く気付かれなかったが、数学の天才児が存在した。数学史に残るガウスが7歳の時に解いた例の問題「1から100までの数字を全部足すといくつになるか」を自力で見つけて答えを出してしまう。しかし、パロマはゴミ捨て場近くのぼろ家に住んでいて、廃品回収をしている病気がちの父から「勉強は意味ない」「夢を見るな」と言われている。ゴミ捨て場の廃品から望遠鏡を作ってしまうパロマ。そんな彼女にいつの間にか「不良系」のニコの気持ちが動いていく。そこが興味深い。この映画は実話に基づく劇映画で、実際にパロマに当たる数学の特異児童が存在したということだ。

 セルヒオ・フアレス先生を演じるのは、エウヘニオ・デルベスという人。そう言われても判らなかったが、『コーダ あいのうた』で合唱部顧問をやっていたメキシコ人俳優である。単に俳優というだけじゃなく、メキシコではテレビ司会者、コメディアン、映画監督など大活躍しているらしい。監督・脚本・製作のクリストファー・ザラはアメリカ人。この映画は2023年のメキシコ映画No.1の大ヒットになり、サンダンス映画祭で観客賞を得た。まったく退屈せずに見入る映画ではある。

 子どもには自ら学んでいく大きな可能性があると言うのは、その通りだろう。でも、この映画のような授業は日本では難しいと思った。パロマのような子どもは滅多にいるもんじゃない。それにフアレス先生も独走型で、教育当局ににらまれている。日本の感覚ではあまりにも凄い環境だからこそ、フアレス先生も存在出来る。もっと「恵まれた」「組織化された」日本では、同一歩調を求められ一人だけ教育計画を離れて好きな授業をやることは許されないと思う。だけど「アクティブラーニング」とか言ってるんだから、この映画を子どもと一緒に見て討論するぐらいのことはやってもいいんじゃないか。

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映画『ザ・バイクライダーズ』、青春のゆくえ、自由と愛と組織

2024年12月17日 22時16分07秒 |  〃  (新作外国映画)

 最近見た映画で一番面白かったのが、ジェフ・ニコルズ監督の『ザ・バイクライダーズ』だった。他にもいろいろ見ているけど、完成度と別に好みの問題もある。日本映画でも『正体』のようにすごく面白いんだけど、書くと「ネタバレ」&「司法制度の描写批判」になっちゃうから書いてない映画もある。(一言だけ書くと、この映画では「死刑囚」が脱獄するんだけど、「自殺を図ったフリ」をして外部医療施設に搬送されるという設定である。その反対に重病で死期が迫っているのに外部医療が受けられず見殺しにされたというならリアリティがあるが、拘置所にも医官がいるのにあの程度のケガじゃ移送しないでしょ。)

 『ザ・バイクライダーズ』だけど、これは簡単に言えば60年代アメリカのバイク野郎たちの物語である。そんなものが面白いかと言えば、語り口が絶妙なのと「青春の本質」に迫る物語が胸を打つのである。だからバイクに何の関心もない僕も興味深く見られたわけで、要するにバイクじゃなくても音楽とか演劇、あるいは政治やギャング映画なんかによくあるような「若い時のムチャ」が「成功の苦い報酬」になっていく様が上のチラシにあるような見事な構図で捉えられて心をとらえるのだ。

(ベニー)

 映画紹介からコピーすると「1965年アメリカシカゴ。不良とは無縁の生活を送っていたキャシーが、出会いから5週間で結婚を決めた男は、喧嘩っ早くて無口なバイク乗りベニーだった。地元の荒くれ者たちを仕切るジョニーの側近でありながら、群れを嫌い、狂気的な一面を持つベニーの存在は異彩を放っていた。バイカ―が集まるジョニーの一味は、やがて“ヴァンダルズ”という名のモーターサイクルクラブへと発展するが、クラブの噂は瞬く間に広がり、各所に支部が立ち上がるほど急激な拡大を遂げていく。その結果、クラブ内は治安悪化に陥り、敵対クラブとの抗争が勃発。ジョニーは、自分が立ち上げたクラブがコントロール不能な状態であることに苦悩していた。」ただバイクが好きでつるんでいた若者たちが「組織」になって変質していくのである。

(ベニーとキャシー)

 名前は違うが実際にあったモータークラブの写真集(ダニー・ライオン「The Bikeriders」1968)にインスパイアされて、ジェフ・ニコルズ監督が脚本を書いたという。映画はカメラマンが「当時の記憶やその後の事情」をキャシーに聞きに来て、彼女が思い出を物語るという趣向で進行する。そのため時間が前後することで、「あの頃」が客観化されるとともにノスタルジックな味わいが生じている。1965年から70年代に掛けては、ヴェトナム戦争の激化でアメリカそのものが大きく変わる時期だった。その社会的変動は否応なく彼らにも及んでいく。その痛みが全編を覆っていて、見る者の心が揺さぶられる。

(ベニーとジョニー)

 ベニーを演じるのは『エルヴィス』でアカデミー賞にノミネートされたオースティン・バトラー。「何とも魅力的なクズ男」をこれ以上ないほどの存在感で演じている。キャシーは『最後の決闘裁判』のジョディ・カマー。女友だちに頼まれて、普段は近寄らないバイカーたちのクラブにお金を届けに行った。そこでキャシーはベニーに一目惚れしてしまったのである。すぐに結婚したというのに、ベニーは妻を顧みずにバイクで暴走を繰り返し、警察に追われたり大ケガをしたり…。キャシーはそんな彼に変わって欲しいのだが、何より「自由」を求めるベニーは言うことを聞かず「出て行く」と言うのだった。

 ジョニートム・ハーディ)の統率力で、ヴァンダルズは大きな組織になっていく。他の町のバイカーも受け容れたジョニーだったが、やがて若い世代との確執が生じてくる。自分の後継にはベニーがなってくれと言うと、それを断ったベニーは妻も残して他の町に去って行った。ヴェトナム帰りの若い世代が牛耳るようになって、組織は大きく変わってゆく。こういう展開は、実録映画のヤクザ組織でもよくあった。あるいは音楽映画でも、若者たちがバンドを組み成功を夢みて活動するが、人気が出たらそれぞれの「方向性の違い」が出て来てバラバラになる。そんな物語と同じだけど、青春は一回だから心に沁みるのである。

(ジェフ・ニコルズ監督)

 ジェフ・ニコルズ監督(1978~)は名前を記憶してなかったが、デビュー作『テイク・シェルター』(2011)でカンヌ映画祭批評家週間グランプリ、『ラビング 愛という名のふたり』(2016)でアカデミー賞主演女優賞ノミネートという人だった。なかなか見事な演出で、すっかり魅せられてしまった。バイクや服装、音楽など60年代を再現していて、シカゴの60年代なんて知らないわけだけど、なんか懐かしい。ヴェトナム反戦や公民権運動なんて全然出て来ず、人種も白人ばかり。ヴェトナムに行きたかったと語る登場人物もいて、バイカーたちの社会的位置が「都市知識層」とは全く違うことが判る。

 僕はバイクそのものには全く興味がない。(それどころか一度も乗ったことがない。)同じようにスポーツカーや蒸気機関車、戦闘機、戦車…少年の好きなアイテムらしいが、全然関心がなかった。まあバイクが「カッコいい」という感覚は理解出来るが、むしろこの映画は「青春の栄光と悲惨」、「自由と愛の神話」なのである。自由を求めてさすらう「漂泊の人生」に憧れる人、芭蕉や山頭火が好きな人にこそ通じるような映画かもしれないと思う。ラストをどう解釈するべきかは見る人次第だろう。

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映画『チネチッタで会いましょう』、イタリアの巨匠ナンニ・モレッティの新作

2024年11月26日 22時17分10秒 |  〃  (新作外国映画)

 イタリア映画が好きなので、1996年にベストワンになった『イル・ポスティーノ』4Kデジタル・リマスター版を見に行ってしまった。物語だけじゃなく、風景も音楽も心に沁みる名作だが、まあここでは書かないことにする。(名作の評価は定着しているので、見てない人はどこかで見て欲しい。)続いて公開されたばかりのナンニ・モレッティ監督『チネチッタで会いましょう』も早速見に行って、すごく面白かった。内容も語り口も映像も、この監督ならではの洒脱さで感じるところが多い。

 ナンニ・モレッティ(1953~)は若くして世界の映画祭で認められ、『息子の部屋』(2001)がカンヌ映画祭パルムドールを受賞した。一昨年に『ナンニ・モレッティ監督『3つの鍵』『親愛なる日記』を書いたが、1994年カンヌ映画祭監督賞の『親愛なる日記』はとても面白かった。イタリアには社会的テーマに果敢に挑むマルコ・ベロッキオのような監督もいるが、ナンニ・モレッティは自分で主演した「私映画」的な作品で知られている。今回の『チネチッタで会いましょう』も自分で映画監督ジョヴァンニを演じて、まさに映画の中で映画製作を行っている。チネチッタはローマ郊外にあるイタリア最大の撮影所。

 ジョヴァンニは妻がプロデューサーを務め、40年間夫婦で映画を作ってきた。今回の映画は1956年のハンガリー事件当時のイタリア共産党をテーマにしている。共産党機関誌「ウニタ」編集長がいる「アントニオ・グラムシ支部」では、ハンガリー事件さなかにハンガリーのサーカスを呼んで公演が始まるところ。イタリア共産党は西欧最大の党員数を誇ったが、事前ミーティングでは若い俳優から「イタリアにも共産党があったんですか」などと言われる。共産党はロシアだけじゃないのと言うから、イタリアには200万の党員がいたと答えると、イタリアにロシア人が200万人もいたんですかなどと言われる。

(ジョヴァンニと妻)

 ジョヴァンニはどうも自分を抑えられず、わがまま気味のようである。妻が他の人と話していると平気で割り込む。何事も決めつけている。若い人ともズレ始めている。(もっともイタリア共産党をめぐる先のセリフは笑えるエピソードなんだろうが。)そういう夫に妻は自分の考えを言えず、長い間ストレスを溜め込んできた。実はカウンセラーに通い始めていて、妻は離婚を望んでいる。映画音楽を担当している娘もどうやら彼氏が出来た様子。夫婦で会いに行ったら、そこはポーランド大使館だった。そこで大分年上の男を紹介されるが、本人どうしは仲良くやってるようだ。

 監督の映画の方は、党員を演じる主演女優が暴走気味で、突然年長の編集長にキスしたりする。脚本にない芝居をするなと言うと、カサヴェテスとジーナ・ローランズはもっと自由に映画を作ってきたと反論する始末。その上フランス人プロデューサーが詐欺師だったことが判明し、製作資金が底をつく。そこでNetflixに出資を仰ぐと、テーマが地味でもっと引きつける脚本じゃないと言われる。「私たちは190か国で見られているんです」と言われてオシマイ。撮影中止かと思われる時に、なんと韓国人が出資して製作再開になるのだった。ここが興味深く、韓国の映画産業の活況ぶりがうかがえる。

(Netflixと交渉するが)

 かつて日本でも左翼文化団体がソ連、中国などの「文化使節」を招待することがあったが、イタリアでもどうやら共産党が「社会主義国」ハンガリーとの文化交流でサーカスを呼んだらしい。しかし、本国の動乱発生で彼らは気もそぞろ、ついにハンガリーの自由のためにとストライキを始める。一方、主演女優演じる党員は起ち上がって、イタリア共産党は自由を求めるハンガリー市民に連帯すると宣言する。しかし、共産党の正式な対応は「(ハンガリーに侵攻した)ソ連支持」だった。

 妻は初めて夫以外の監督のプロデューサーをしているが、ジョヴァンニはクランクアップ直前に訪れて撮影をストップさせ暴力描写は良くないとぶつ。もういい加減ウンザリした妻はついに家を出て独り立ちする。若い世代とは話が通じないし、家庭もゴチャゴチャ。ジョヴァンニの生活は公私ともに多難だが、自分の映画のラストでも意に反してソ連支持の機関紙を作ってしまった編集長は自殺を選ぶ。というところで、自分でもこの結末に納得出来なくなる。

(ラストの大行進)

 そして何も映画は現実通りじゃなくていいじゃないかとタランティーノ的覚悟を決めて、編集長はハンガリー支持の紙面を作ってしまう。ラストは関係者全員が大行進するというまさにフェリーニ的結末に至る。(僕はあえて「1964年の東京五輪閉会式のように」と表現したい気がする。)そしてイタリア共産党は真に人民の党として活動し続けたと字幕が出るが、これはもちろんフェイク。イタリア共産党はその後マルクス主義を放棄し、「ユーロコミュニズム」と呼ばれた。冷戦崩壊後の1991年には「左翼民主党」に改名、その後ただの「民主党」となった。納得しない左派は「共産主義再建党」などを作るが小勢力。

 そういう戦後史の流れを知っていて、グラムシやトリアッティ(当時の書記長で、映画に登場する)などの名前を知ってる方が面白いだろう。またジャック・ドゥミ『ローラ』やフェリーニ『甘い生活』が引用される他、「スコセッシに電話する」なんてセリフもある。様々な映画の話題も出て来るし、当時のヒット曲を歌ってミュージカルみたいになるシーンも。ジョヴァンニも歌謡映画を作ってみたいなどと言っている。そんな小ネタも面白いんだけど、ここまでやるか的な自虐的イタさを監督自身が主演していることの面白さ。好き勝手に生きてきて、今初めて自分がかなり傍迷惑な存在と気付かされた人生。いや、面白かった。

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映画『オン・ザ・ロード~不屈の男、金大中』、韓国民主化運動の歴史

2024年11月20日 22時06分43秒 |  〃  (新作外国映画)

 『オン・ザ・ロード~不屈の男、金大中』という映画が上映されている。韓国の元大統領、金大中(キム・デジュン、1924~2009)の生涯を多くの映像をまとめて描くドキュメンタリー映画である。これを見ると、苦難の韓国現代史がよく理解できるだろう。東京ではポレポレ東中野でやってるけど、見るのも書くのもどうしようかと思った。同時代に生きてきて、知っていることが多かったけれど、改めて感じるところも多かった。だからやっぱり見ておくべき映画かなと紹介する。

 韓国初のノーベル賞受賞者である金大中は、2024年が生誕百年にあたる。そのことに僕は気付かなかったが、あれほど有名だった隣国の政治家も没後15年になれば知らない人も増えているだろう。特に韓国の「民主化運動」及び、日本で取り組まれた「韓国政治犯救援運動」も知らない人が多くなったと思う。韓国映画には現代史を描く映画がかなりある(今年公開の『ソウルの春』など)が、民主化運動の歴史をきちんと知らないと韓国理解が偏ってくる。生年を見れば判るように、金大中は日本統治時代に生まれ、「光復」(日本敗戦による独立回復)は21歳の時だった。韓国南西部の全羅南道の島に生まれ、近くの港町木浦で育った。朝鮮戦争では「北」の軍隊に逮捕され殺されかかったが、マッカーサー率いる国連軍が仁川に上陸して危うく助かった。

(野党政治家として活躍)

 その当時は海運会社を経営する若き経済人だったのだが、戦争を辛くも生き延びてから政治を志すようになった。もっとも1954年の選挙では落選、その後も1959年、60年と落選している。決して当初から故郷の支持基盤が厚かったわけではなかった。しかし、李承晩政権と対立する野党民主党のリーダー張勉に引き立てられ、民主党のスポークスマンを務めている。このように古い時代のことは当時を知る人も少ないだろうし、あまり映像資料もない。61年の選挙で初めて当選したが、3日後に朴正熙大統領のクーデターで国会は停止された。どちらかと言えば党内でも「現実派」として出発したが、以後はずっと軍政に抵抗し続ける。

 そして、71年の大統領選(野党候補として善戦し注目された)、73年の金大中氏拉致事件(東京に滞在していた金大中が韓国情報機関により不法に拉致された)、76年の「民主救国宣言」発表とその後の弾圧と続くが、18年続いた朴正熙政権も1979年に突然終わった。朴正熙大統領が突然中央情報部長に暗殺されたのである。ここから「ソウルの春」と呼ばれた民主化が始まるが、今度は全斗煥将軍のクーデターでそれも挫折した。1980年5月に、クーデターに反発した光州の民衆を軍部が残酷に弾圧した「光州事件」が起きる。それ以前に拘束されていた金大中は事件を長く知らず、7月になって初めて聞かされて失神した。

 この「知らなかった光州事件の首謀者」として死刑判決が下されたが、全世界で救援運動が起こった。日本でも集会やデモが何度もあって、僕も参加している。当時の映像が出て来るが、「左派系」(政党や労働組合のもの)のデモが多く使われていたが、実際はもっと市民運動やキリスト教系の運動の方が広がっていたと思う。(映像がないのかもしれない。)最終的にはレーガン政権の「圧力」もあり、無期懲役に減刑され、1982年には「治療」目的で米国渡航が認められた。

 その頃の映像はかなり残っていて、獄中書簡などは感動的。頑なに渡米を拒んでいた(政治活動をしないなどの条件を呑みたくなかった)が、やがて受け容れるまでの面会の様子も映像で残されていたので驚いた。アメリカに落ち着いた後は、政治家や学者などに韓国民主化の必要性を訴えて理解者を増やしていった。1985年2月に「強行帰国」した際は、1983年に同じく「強行帰国」したフィリピンの野党指導者ベニグノ・アキノが空港で暗殺された事件の再現を防ぐため、米下院議員や報道関係者などが多数付き添っていた。全斗煥政権は直ちに「自宅軟禁」にしたが、金大中帰国が民主化運動を蘇生させたことが判る。

 金大中は獄中で考えを深め、「報復」ではなく「寛容」を説くようになっていく。そのことが後に大統領になったときに大きな意味を持ってくる。映画は大統領になるまでは描かず、あくまでも「民主化運動のリーダー」として描いている。そのため、民主化運動の高まりで大統領直選制などが実現した1987年までで終わっている。知っている人には意外な話はなく、知ってることを映像で確認する映画。金大中をめぐって意外な証言が出て来るわけでもなく、一本調子な感じは否めない。

 (光州に集まる民衆の様子)

 しかし、この映画のラストは本当に感動的だった。民主化実現後に初めて光州を訪れた時の映像である。光州に着く前から鉄道沿線に人々が集まって、金大中も窓から手を振り続ける。光州での様子は上の写真にあるが、もう見渡すばかり人、人、人の波である。金大中も慟哭して泣き続けていた。見ている方も胸が熱くなる。自分もいろんなことを思い出してグッときた。

 ところで、この映画の上映素材は韓国公開時のものではなく、日本語のナレーションで進行する「日本編集版」である。1980年の日本での救援運動の映像も、韓国で2024年1月に公開された時にもあったのかどうか不明。説明がないと判らない人も多いだろうし、字幕で見るのは不適当なのかもしれない。しかし、出来れば韓国で公開されたままのヴァージョンで見たかった。

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映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』をどう見るか

2024年10月25日 22時06分37秒 |  〃  (新作外国映画)
 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が公開された。『シビル・ウォー』の日本公開がアメリカから半年遅れて何故だろうと問題視されたが、この『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の場合はアメリカから一週間遅れの公開だった。アメリカでは公開2週目に観客動員が8割減になって衝撃を与えたが、日本では1週目も2週目も2位を維持している。(1位はどっちも『室井慎次 敗れざる者』)。 

 前作『ジョーカー』はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞の大傑作で、アカデミー賞大本命と目されたが、何と韓国の『パラサイト 半地下の家族』が作品賞、監督賞など4部門で受賞してしまった。『ジョーカー』は最多11部門にノミネートされながら、主演男優賞ホアキン・フェニックスと音楽賞の2部門受賞に止まったのである。しかし、前作の重要性はその後ますます増大していると思う。安倍晋三元首相銃撃事件の容疑者も見ていたようだが、あの映画以後世界で同様の事件が起きるたびに、映画『ジョーカー』を思い出してしまう人も多いんじゃないか。

 そこで続編が期待されたわけだが、満を持して放つ大問題作には違いない。アメリカの例もあるからあっという間に上映が少なくなるかと心配して、早めに見に行った。今週末の上映も余り減っていないので心配は無用だったかもしれないが、吹替え版の上映が多く字幕で見たい人には厳しいかも。続編は「フォリ・ア・ドゥ」と題されているが、まずこれが意味不明。映画内では説明されないので調べてみると、「Folie à Deux」(フォリ・ア・ドゥ)というフランス語で「二人狂い」の意味だという。

 「感応精神病」と呼ばれる妄想性障害の一種で、Wikipediaには「一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有することが特徴」と出ている。この映画でジョーカーことアーサー・フレックホアキン・フェニックス)と感応するのが、リーレディ・ガガ)という女性。アーサーはアーカム州立病院に収容されていて、裁判を待っている。病院の音楽セラピーに参加していた女性がリーで、参加を許された映画会で知り合う。そのためにリーが取った手段は衝撃的なまでに過激である。

 リーは家族に無理やり入院させられた犠牲者だと語り、ジョーカーに共感していたと語る。そこには虚言もあったことが後に判明するが、ともあれ今まで誰も理解者がいなかったアーサーは、ここで「宿命的な愛」に目覚めたのである。そして、それを二人で歌いあげるのである。そう、この映画は「ミュージカル映画」という作りになっているのである。それは成功しているか。判断は難しいが、大きな違和感はないけれどベストな方法でもないという気がした。
 (トッド・フィリップス監督)     
 そして、ついに裁判が始まる。そこら辺は制度の違いがいろいろあって、ななかなよく判らないところが多い。そもそも「責任能力」があると判断されたら、病院じゃなく拘置所にいるはず。病院に入院しているリーと知り合えるのが不思議。連続殺人事件の容疑者がけっこう自由にしているのも不思議だ。裁判でも弁護方針をめぐってアーサーは弁護人を解任して自分で弁護するという。日本だと殺人容疑の場合、弁護人抜きの裁判は刑訴法上不可だがアメリカでは可能なのか。(最高刑が死刑、無期、懲役3年以上の事件は、「必要的弁護事件」となり、弁護人なしでは開廷出来ない。)

 その後の裁判経過もよく判らないが、一番の問題は「ジョーカーかアーサーか」。リーなくして生きていけないアーサー=ジョーカーは、アーサーとしてリーを愛したいと思うのだが…。まさに「フォリ・ア・ドゥ」の面目躍如。その選択が裁判、そして場外の支援者にはどう受け取られるだろうか。ここでは内容はこれ以上書かないが、僕にはちょっと違和感、不満のようなものが残った。というか、理解出来ない展開と言うべきか。エッ、こうなるの的な怒濤の展開が続くが、面白いことは面白い。

 ミュージカル的な作りも完全に成功しているとは思えないのだが、じゃあ間違っているとも決められない。ミュージカルシーンはなかなか興味深いのである。(レディ・ガガだし。)じゃあ、何が不満かというと語り口がこなれていない感じがする。138分もあって長い割に、ゴタゴタした感じが残る。内容的にも「ジョーカー裁判」という難問をいかに描くか、苦闘している。内容的に見ておくべき映画だと思ったが、評価は難しい。リーを出さないと成立しないが、リーがいることで(物語上の)限界も生じた。
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映画『二つの季節しかない村』、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督最新作

2024年10月16日 22時32分57秒 |  〃  (新作外国映画)
 トルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『二つの季節しかない村』が公開された。2023年のカンヌ映画祭最優秀女優賞メルヴェ・ディズダルが受賞した作品である。これがまた198分もある超大作で、こういう映画はすぐ上映が少なくなるに決まってるから早速見て来た。この監督の映画は素晴らしい自然描写の中で、卑小な人間が繰り広げる壮大なドラマが展開される。非常に見ごたえがあって大好きだ。今回も全く退屈せずに見ることが出来たが、しかし3時間超は長過ぎだろう。

 映画はトルコ東部の山地にある村の学校で展開される。学校というのは誰もが行った思い出があるから、多くの映画や小説などに出て来る。だけど、その国の人には常識なことは説明抜きで進行する。ホームページにトルコの教育制度に関して詳しい説明があって、やっと理解出来た。トルコの学校は「4・4・4」の12年間が義務教育で、多分主人公の教師は真ん中の「Elementary」スクールで美術を教えていている。日本で言えば中学1年生の担任になると思う。一部私立学校もあるが、ほとんどが国立学校。主人公は東部のへき地から次はイスタンブールに転勤したいと言ってる。日本じゃ都道府県ごとの採用だから、北海道から東京の学校に転勤するなんてあり得ない。しかし、トルコでは教員は国家公務員で社会的地位が高いんだという。
(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)
 トルコ東部を舞台にする映画は時々あるが、複雑な背景事情がある地域だ。この地は政府が言うところの「山岳トルコ人」、つまりクルド人が多く住む。トルコ政府はクルド独立運動を激しく弾圧し、軍が駐留している。この映画でも主人公は軍警察に警戒されている。学校は基本的にケマル・アタチュルク以来の「世俗教育」が行われていて、女性教師にはスカーフを被っている人がいない。村人も同様で、エルドアン政権への支持が低い地域なんだと思う。メルヴェ・ディズダル演じる女性教師は、自爆テロで片足を失っている。これは恐らくISによる首都アンカラの無差別テロだろう。彼女は左派活動家で、集会が襲撃されたんだと思う。
(ホームページにある地図)
 物語をホームページからコピーして紹介すると「美術教師のサメットは、冬が長く雪深いトルコ東部のこの村を忌み嫌っているが、村人たちからは尊敬され、女生徒セヴィムにも慕われている。しかし、ある日、同僚のケナンと共に、セヴィムらに虚偽の"不適切な接触"を告発される。同じころ、美しい義足の英語教師ヌライと知り合い......。プライド高く、ひとりよがりで、屁理屈を並べ、周囲を見下す、"まったく愛せない"のに"他人事と思えない"主人公サメット。辺境の地でくすぶる男は、雪解けとともに現れた枯れ草に何を見つけ出すのか――。」
(サメットとヌライ)
 主人公サメット(デニズ・ジェリオウル)は冒頭では頑張ってる感じだが、途中で「生徒指導」を間違う。この展開は教師にとって他人事ではなく、誰にでも起こりうることだと思う。それにしてもきっかけは「抜き打ち持ち物検査」で、トルコじゃ今でもそんなことがあるのかと思った。そこからサメットの人間的狭量さが見えてきて、生徒相手に癇癪をぶつけるなど困ったものである。一方ヌライ(メルヴェ・ディズダル)は今もなお若い頃の理想主義を手放していない。そんな二人がラスト近くで10分以上人生論を闘わせる。圧倒的なシーンだが、その後の展開も人生の機微を感じさせて見事だ。
(セヴィム)
 ヌライは英語教師だが「英語を教えるよりクルド語を教わっている」という。この言葉にヌライの生き方も示されている。しかし学校の様子は出て来ない。サメットの学校の様子はかなり詳しく描写されるが、貧しい東トルコでは生徒の将来も希望が持てない。サメットも早くこんな学校、こんな地域を出ていきたいとしか思っていない。そういうタイプの教員が見事に描かれるが、見ていて辛いものがある。セヴィムという女生徒の描き方もリアルで、関係が壊れた生徒との難しさが身に応える。サメットもまずいと思うが、まだトルコでは「教師の権威」で押し切れるんだろうか。

 題名に反してほぼ冬しか出て来ないが、ラスト近くになってやっと夏が来る。サメットとヌライはケナンも一緒に、遺跡を訪ねる。これがまた素晴らしい映像で、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の映画はそこが魅力でもある。1959年生まれの監督は構想が大きいこともあり、最近は数年に一作の寡作になっている。今までにカンヌ映画祭で、パルムドール、グランプリ(2回)、監督賞、女優賞を獲得してきた巨匠である。あと幾つ見られるかわからないが、数作は見たいものだ。なお、今までに『トルコ映画「雪の轍」と「昔々、アナトリアで」』と『トルコ映画「読まれなかった小説」』、2回記事を書いている。
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映画『西湖畔に生きる』、グー・シャオガン監督の山水画映画第2弾

2024年10月03日 22時01分11秒 |  〃  (新作外国映画)
 中国映画『西湖畔(せいこはん)に生きる』が公開された。2021年に公開された『春江水暖』で高く評価されたグー・シャオガン監督の「山水画映画」第2弾である。前作は「川」を見つめ、川の流れの中に人生を象徴させた映画だった。映像が素晴らしく、監督は「山水画」の絵巻物のような画面を目指したと言っていた。今回は「湖」を中心に、山や茶畑を圧倒的な映像で描き出している。特に冒頭のドローン撮影やラストの鍾乳洞シーンは驚くばかりの見事さ。だが今回は人間社会の醜い面を直視した点が前作と違う。

 舞台は浙江省の省都、杭州(ハンチョウ)とその西にある西湖である。西にある湖は「西湖」と呼ばれやすいが(富士五湖にもある)、中国で「西湖」といえば世界文化遺産にも登録されたここを指す。西湖の風光明媚な景観は昔から日本にも大きな影響を与えてきた。杭州は2023年にアジア大会が開催されたばかりで、人口は1千万を超える大都市に発展している。最近公開された『熱烈』というダンス映画も杭州を舞台にしていて、いま中国でも熱い町なのか。映画で西湖の向こうに広がる大ビル群は印象的だ。
(杭州)(西湖)
 そんなキレイな場所で撮影した映画だが、人間関係の設定は悲劇的。西湖近辺は最高峰の中国茶・龍井茶の生産地で知られるそうだが、そこに茶の摘み取りをして暮らす母・タイホア(苔花)と息子・ムーリエン(目蓮)がいた。父は昔出稼ぎに行ったまま行方不明で、死んだとも失踪したともいう。そんな母が茶畑を追われ、いつの間にか怪しい「シェア経済」にハマっていく。息子は「違法なマルチだ」と何度も説くのだが、母は初めて生きていく実感が得られたと全く聞かない。その商売は体に効く「足裏シート」を周囲に紹介すると、階級が上がっていくというものらしい。足裏シートって、こういうの中国でもあるんだ。
(母タイホア)
 母タイホアを演じるジアン・チンチン(蒋勤勤)は圧倒的迫力。僕は知らなかったが、中国では多くのテレビドラマに出て有名だという。2023年のアジア・フィルム・アワード主演女優賞を受賞した。(ちなみに主演男優賞は役所広司だった。)足裏シートを売る「バタフライ社」に出会って、タイホアは全く印象が変わる。それまでの地味な扮装から一転して、髪型も化粧も一新したときの演技は衝撃的である。だが、それは「違法ビジネス」である。そういう風に宣伝されているが、それを知らなくても一目瞭然だろう。何故なら日本でも似たような事件がかつていっぱい起こったからだ。システムも疑問だが、西湖に浮かぶ船上で行われる「研修」という名の洗脳も凄い。日本でも似たような違法ビジネスや新興宗教が思い出されて来る。

 何とか母を救い出したい息子ムーリエン(ウー・レイ)は、母に従ったフリをして会社に潜入する。そして警察に密告するのだが、母には全く通じない。このような母子のありようは、どうしても安倍元首相銃撃犯を思い出させる。世界共通の構造的な問題なのだろう。ところで、これは「目蓮救母」という仏教の説話に基づくという。それは知らなかった。シャカの弟子目蓮は、亡母が餓鬼道に落ちていることを知り、何とか助けたいと思う。そしてシャカに相談したところ、自分の力を母だけでなく同じ苦しみを持つすべての人を救う気持ちを持つように諭されたという。そうして結局母は救われたという説話が基になっていた。
(グー・シャオガン監督)
 グー・シャオガン(顧暁剛)監督(1988~)は、東京国際映画祭で黒澤明賞を受賞した。杭州生まれ、杭州在住で映画を作っている。この「山水画」を映画で再現するというのが新味だが、今回は社会批判も含まれている。世界中どこにも「マルチ商法」は存在するが、社会の転換期、混乱期に現れやすい。この映画はフィクションだが、こういう設定が成り立つところに中国社会の現在も映し出されているんだと思う。
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映画『憐れみの3章』、ヨルゴス・ランティモス監督の奇怪な傑作

2024年09月30日 22時12分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 『哀れなるものたち』で見る者の度肝を抜いたヨルゴス・ランティモス監督の新作、『憐れみの3章』(Kinds of Kindness)が早くも公開された。題名通り中編映画が3つ合わさったオムニバス映画で、一編はそんなに長く感じないが合計すると165分もある。内容もこの監督らしい奇怪という他ない作品で、こういうのはすぐに上映が少なくなると思ったので、早速見て来た。

 この映画は間違いなく傑作で、見ていて非常に面白い。だけど、前作、あるいはその前の『女王陛下のお気に入り』などと同様に、嫌いな人も多いと思う。初めから終わりまで不穏なムードに包まれ、意味もよく理解できない設定で物語が延々と続く。3編すべて見る者を不愉快にする映画で、映画を見てスカッとしたい、感動を貰いたいなんて思う人は見てはならない。映像も演技も素晴らしいと思うが、この設定に入り込めない人がいても不思議ではない。説明抜きで映画が進むから、訳がわからない迷路の中で迷いつつ見る方が面白い。だからここで詳しく書いてしまうのは避けたいと思う。
(第1話)
 各章は「R.M.F.」という名が付いている。R.M.F. の死R.M.F. は飛ぶR.M.F. サンドイッチを食べるの3編だが、この意味も後で考えてそういうことかと思うけど、まあバカにしたような付け方である。そして、3編それぞれ同じ俳優が違う人物を演じている。最近3作連続で主演し、『哀れなるものたち』でアカデミー賞主演女優賞を獲得したエマ・ストーン、前作でも重要な役をやっていたウィレム・デフォー、そして今作でカンヌ映画祭男優賞を獲得したジェシー・プレモンスが全作で重要な役をやっている。
(ジェシー・プレモンス)
 ジェシー・プレモンスって誰だっけ。最初はマット・デイモンかなと思うが、プレモンスは映画『すべての美しい馬』でマットの少年時代をやってたぐらいで、そっくりさんで有名らしい。3編すべてで「支配された男」を演じていて、見ていて恐ろしくなる。エマ・ストーンの存在感が一見大きいのだが(特に2作目、3作目)、振り回される感じのジェシー・プレモンスの受けも凄い。さらに助演陣も共通で、マーガレット・クアリーホン・チャウジョー・アルウィンママドゥ・アティエなど、名前も知らないけど同じ顔の人が出てるなという感じで全部出てくる。つまり同じ俳優を使って、3つの中編映画を作ったわけである。
(エマ・ストーン)
 『哀れなるものたち』はいかにも変な設定だが、これには原作があった。『女王陛下のお気に入り』も一応英国王室史の史実をもとにしている。それに比べて、この映画はオリジナル脚本でヨルゴス・ランティモスエフティミス・フィリップが共同で手掛けている。このコンビは『ロブスター』『聖なる鹿殺し』などを書いていて、あの変テコな発想が再び甦ったのである。人間の中の善き面は出て来ないで、奇怪な思考に囚われる恐ろしさばかりが強調される。こんな映画があっても良いのか。もちろん良いのである。たまには見た方が良い。
(第3話。エマ・ストーンとジョー・アルウィン)
 3つの中編映画が集まったオムニバス映画は、エドガー・アラン・ポー原作をもとにした『世にも怪奇な物語』(ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ)など多数ある。しかし、同じ監督が3つ作ってまとめるというのは珍しい。最近では濱口竜介監督『偶然と想像』が思い出される。もしかして、この映画がヒントになったのかもしれない。またジム・ジャームッシュ監督『コーヒー&シガレッツ』もあるが、これは11もの小片映画の集まりだった。アルゼンチンの『人生スイッチ』もあったから、最近ちょっと一人監督のオムニバスが流行っているのかもしれない。昔の映画では今井正監督が樋口一葉原作3作を映画化した『にごりえ』(『東京物語』『雨月物語』を越えて1953年ベストワンになった)もあった。
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映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』、F・ワイズマン94歳の傑作

2024年09月04日 21時47分55秒 |  〃  (新作外国映画)
 アメリカのドキュメンタリー映画監督フレデリック・ワイズマンは何と94歳である。ワイズマンの映画はとにかく長いので、2022年に『ボストン市庁舎』を見たのが最初だったが、それから2年。今度はフランスへ行って有名なレストラン「トロワグロ」のすべてに密着する映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』を作った。それがまた240分もあるのだが、真ん中に休憩があるので『オッペンハイマー』や『キラーズ・オブ・フラワームーン』なんかよりは楽。それに劇映画でもないのに、なぜか見入ってしまって時間を忘れるような傑作だった。時間を恐れず機会があれば見るべきだが、ちょっと満腹し過ぎるかもしれない。

 「トロワグロ」は「親子三代55年間ミシュランの三つ星を持ちつづけ」ているフランス最高のレストランだとチラシに出ている。日本との関係も深く、新宿に系列店がある。映画内でも日本への言及が多く、それも興味深い。フレデリック・ワイズマンの映画は、幾つものカットを細かく積み重ねるスタイルで、「ノーナレ」で進行するのが特徴。だから当初はよく判らないことが多い。この映画でも最初に地図ぐらい出して欲しかった気もする。後で調べたら、フランス中部ロアンヌ(リヨンから電車で1時間)の近くにある。元は街中にあったが、2017年に郊外のウーシュという村に移転して話題となったという。
(フレデリック・ワイズマン)
 そこは田園地帯にあって、近くに農園や牧場もある。究極の「地産地消」をめざし、環境上の配慮もあっての移転らしい。もっともあまりにも美しい風景を見て、オーナーシェフ3代目のミッシェルが古民家を買いたくなったのである。2012年に権利を獲得し、5年間整備して宿泊施設もあるレストランにした。長男が店を手伝い、次男は30分ほど離れた場所にあるもう一つの店のシェフ、娘が宿泊部門の予約や事務の責任者といううらやましいような家族経営である。映画では冒頭から料理の材料やソーズについてミッシェルが確認している。その微妙なさじ加減の味覚には驚くばかり。
(厨房のようす)
 映画は厨房の調理の様子を細かく見ていく。恐らくこのレストランで働く人も、映画を見て初めて知ったことが多いと思う。「町中華」じゃないので、一人で全部は担当しない。肉、魚、ソース、スイーツなどいくつかの専門があるようで、皆自分の仕事で手一杯。それからフロア部門に映像が移る。このレストランではフロアスタッフの持つ意味が非常に大きい。料理の説明だけでなく、常連の好み、ワイン選び、世界中から来る客との会話、アレルギーの確認などやることがたくさん。コースだけでなくアラカルトもあるので、客席ごとに出す料理が細かく違っていく。それを見事にさばいて行くスタッフいてこそのトロワグロである。
(田園風景を望める店内)
 中継を挟んで、チーズ工房やブドウ畑など関連施設も紹介する。ここも非常に興味深い。日本関連では冒頭からソースの材料に「醤油」が使われ、もう定番調味料になってる感じ。さらに「活け締め」(イケジメ)は日本語のまま使われ、「ジャポネのハーブ」紫蘇も使われる。ミッシェルは若い頃に日本料理に触れて大きな影響を受けた。白くて丸いスイーツの命名に困っていたら、日本人客が真珠のネックレスをしていたのを見て「ミキモト」と名付けたとか。このように日本の影響も大きいのだが、やはり基本は肉食で塩やバターが多く使われている感じがした。塩分や脂肪分の含有量を教えて欲しいという気もしてきた。
(チーズ工房)
 飽きない映像が続くが、次第に映画内の料理には飽きてくるかも。やはりベースがフランス料理なので、逆に宿坊に泊まって精進料理を食べたくなってくる。グルメの劇映画はかなり多く、最近ではフランスの『ポトフ 美食家と料理人』が面白かった。劇映画だと登場人物のドラマが並行して描かれる。しかし、この映画は料理関連のみで、あるレストランのすべてに迫るという目的で作られている。それにしても90過ぎて異国で大長編を作るフレデリック・ワイズマンには驚くしかない。(まあフランスは『パリ・オペラ座のすべて』『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』など今までも縁があった国だが。)
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映画『ソウルの春』、迫力のポリティカル・アクション

2024年09月02日 21時42分17秒 |  〃  (新作外国映画)

 2023年の韓国映画で最高の動員となった『ソウルの春』が公開されている。これは1979年のパク・チョンヒ(朴正熙)大統領暗殺後の軍内部の暗闘を描いたポリティカル・アクションの傑作だ。1979年12月12日にチョン・ドゥファン(全斗煥)国軍保安司令官が上司の鄭昇和(チョン・スンファ)戒厳司令官(陸軍参謀総長)を逮捕して軍の実権を掌握した。(粛軍クーデター)。僕は隣国の情勢を固唾をのんで見守っていたのを記憶している。その事態をほぼ史実に近く映画化したのが『ソウルの春』である。朴大統領暗殺後の「民主化運動」が「ソウルの春」と呼ばれたので、この題名はちょっとミスリードかもしれない。

 チラシを見れば、二人の男の向かい合う顔写真になっている。左側がチョン・ドゥグァンで、名前を変えてあるがもちろん全斗煥(チョン・ドゥファン)。演じているファン・ジョンミンはカツラを被って顔つきを似せている。ほぼそっくりのイメージで、軍内の秘密結社「ハナ会」を牛耳る迫力は凄まじい。ナンバー2のノ・テゴン第9歩兵師団長(パク・ヘジュン)は、盧泰愚(ノ・テウ)である。この二人は韓国なら若い人でも顔が思い浮かぶだろう。映画でもソックリな感じでやってる。反乱グループを率いるリーダーシップは完全に「チョン・ドゥグァン」の圧勝である。
(映画のチョン・ドゥグァン)(実際の全斗煥、盧泰愚)
 映画を見ると全斗煥一派の勝利は薄氷を渡るようなものだった。国防長官はアメリカ大使館に逃れるし、チョン・ドゥグァンが大統領に戒厳司令官の逮捕の許可を求めに行くと、チェ・ハンギュ大統領(1979年12月8日に代行から昇格していた崔圭夏=チェ・ギュハ)は抵抗する。その間にイ・テシン首都警備司令官チョン・ウソン)が徹底的に立ちふさがる。陸軍士官学校出身じゃなかったイ・テシンは軍内主流ではなく、その無欲ぶりを買われて首都警備司令官に抜てきされた。そしてチョン・ドゥグァンは法を無視した独裁志向であり、首都を守るのは自分の役目だとクーデター阻止に全力を尽くす。
(映画のイ・テシン)
 僕はこういう人がいたことは知らなかったので、モデルの人物が判らなかった。家で調べると、張泰玩(チャン・テワン、1931~2010)という人で、Wikipediaによれば事件後に予備役編入、2年間の自宅軟禁になったという。民主化以後は2000年から4年間金大中政権与党に入党して国会議員を務めたと出ている。クーデター派は追いつめられると休戦ライン近くを守る第二空挺師団を呼び寄せるが、イ・テシンは橋を封鎖してソウルに入れないようにする。両者策謀をめぐらすが、保安司令部は各所の電話を盗聴できる権限を持っていて、情報が筒抜けだった。結局ハナ会一派は軍内各所ににいて防げなかったのである。
(イ・テシンのモデル張泰玩)
 基本的に史実に基づいているので、映画内の結末は決まっている。その後キム・ヨンサム(金泳三)政権下に「歴史の清算」が進み、このクーデターも裁かれた。全斗煥も盧泰愚も反乱罪で有罪となったので、今ではこの題材を映画化しても何の危険性もない。それにしても、クーデターの細かな動きを再現して、リアルな政治映画として完成度が高いのは見事。もちろんエンタメ映画の限界もあり、「男たちの対決」という構図で両雄のし烈なアクションになっている。中国でも「天安門事件」や「林彪事件」などを正面から描く政治映画が作られる日が来て欲しいものだ。『アシュラ』などのキム・ソンス監督。

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台湾映画『流麻溝十五号』、50年代の政治犯収容所を描く

2024年08月09日 22時25分07秒 |  〃  (新作外国映画)
 『流麻溝十五号』という台湾映画をやっている。台湾映画といえば以前は巨匠の問題作が多かったが、最近はエンタメ系青春映画なんかの方が多い気がする。そんな中でこの映画は50年代の「白色テロ」時代の政治犯収容所を正面から扱っているので、見てみたかった。監督は女性の周美玲(ゼロ・チョウ)という人で、映画も主に女性の「政治犯」を扱っている。描き方は主要な3人を中心に男性「政治犯」や看守側、地元の人々なども出て来る。ちょっと感傷的な作りになっていて完成度的には不満も残るが、かつて描かれなかった暗黒の現代史をテーマにした作品だ。

 題名の「流麻溝」というのは地名だという。「新生訓導処」(思想改造及び再教育のための収容所)があった場所である。それは台湾島東南の「緑島」に1951年から1965年まで置かれていた。一時期には2000人もの人々が収容されていたという。また「緑州山荘国防部緑島感訓監獄」(政治犯の監獄)も同島に1972年から1989年まで存在した。今は島は観光地として開発され、施設の跡は「人権記念公園」になっている。このように「過去」を忘却しないところに台湾の姿勢がうかがえる。
(緑島の位置)
 日本の植民地だった台湾は日本の敗戦後、「中華民国」に返還され国民党が権力を握った。しかし、強権的統治が民衆の反感を買い、1947年2月28日に軍が民衆デモに発砲した「二・二八事件」が起きた。その時代を描いたのがホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』(1991)である。1947年から1987年まで40年間に及んで戒厳令が布かれ、その間3000~4000名の人々が理由なく殺害されたとされる。また多くの人が「思想改造」のために収容所に送られ「反共」教育を強制された。この映画を見ても、多くの人々は「政治犯」というような実態はほとんどなく、自分でも何が問題になったか理解出来ない「冤罪」だった。
(女性収容者の人々)
 収容所の中でも、人々は情報を求めて新聞を回し読みしている。また不当な措置には団結して闘ったりもする。しかし、大部分は所側の要求に応じるか、拒否するかを問われる苦痛の日々だった。当局の求めに応じないと家族とのやり取りも不可能になる。一方、大陸に家族を残している人も多く、「反共の闘士」と宣伝材料になるのは危険が大きい。収容者は時には看守の理解出来ない日本語で意思疏通を図っている。(そこは現代の俳優なので、日本語の発音はたどたどしいが。)男女で惹かれ合うこともあれば、収容所のトップから性的関係を要求されている人もいる。島そのものの風景は美しいのだが、そこには恐怖の日々がある。
(収容所内部)
 そこへ蒋経国(蒋介石の長男で、1978年から1988年に総統)が視察にやってくることになった。収容所では有志を募って反共の舞踊劇を作ることになった。皆一生懸命取り組んだのだが、その結果は? この時代は「密告」で多くの人が囚われたが、その収容所の中でも密告は付きものだった。リーダー格の看護師、絵がうまい高校生、そして自ら「共産党」と自首したダンスが上手な女性の真意と運命は…。自由な思想を持つことすら許されなかった時代に、囚われの島で起きた悲劇。拷問なども出て来るが、割と見やすく作られている。台湾では「過去」となり、「忘れてはいけない」対象になっているということなんだろう。
(周美玲)
 台湾の負った複雑な現代史を知る意味で、この映画の存在を是非心に留めておいて欲しいと思う。ただ台湾内外で映画賞などには縁がなく、それはやむを得ないと思う。別に悪いわけじゃないんだけど、重厚感に乏しい。テーマ的にも現代台湾では危険性がなくなったということかと思う。しかし、この映画は中国で上映出来ないだろう。国共内戦の相手側(蒋介石政権)の非人道性を暴く映画なんだから、本来は中国が歓迎しても良いはずだ。でも、この映画の眼目は「思想の自由」であり、中国で上映するには危険である。登場人物は「台湾に自治があれば」と言っていて、中国からすれば「台湾独立派」の宣伝と見えるだろう。それにしても、蒋介石も毛沢東に勝るとも劣らぬ残虐な独裁者だったことがよく判る映画だった。
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韓国映画『密輸 1970』、抜群の面白さに拍手!

2024年08月01日 20時29分09秒 |  〃  (新作外国映画)
 7月12日公開の韓国映画『密輸 1970』(リュ・スンワン監督)はちょっと油断しているうちに上映が少なくなってきた。どうしようかと思ったけど見に行ったら、これが抜群の面白さで驚いた。海洋版『テルマ&ルイーズ』だという人があって、なるほどと思った。懐かしムードの歌謡曲に乗せて、猛然たるスピードで駆け抜けて時間を忘れて見てしまう。アクション&コメディの純然たる大エンタメ作品だが、冒頭から編集のうまさが光る。そして「サメ映画」でもあるんだから、大いに笑える。

 1970年の韓国西海岸クンチョン(架空の漁村)。海女たちがアワビを捕って暮らしていたが、化学工場の排水で不漁続きになる。そこに「密輸」の話が持ち込まれ、やむを得ず船主の娘でリーダー格のジンスク(ヨム・ジョンア)は話に乗ることにする。船が荷物を海底に沈め、それを海女たちが引き揚げるのである。今では「密輸」というと麻薬か覚醒剤かという感じだが、その当時の韓国はまだまだ経済発展途上にある。正規に輸入すれば多額の関税がかかるから、日本製の電気製品などをそうやって「密輸」するのである。ところがある日、税関の船が突然検査にやって来て、ジンスクは父と弟を失い,自らも逮捕されてしまった。
(海女の面々)
 それから2年。ジンスクはようやく監獄から出て来ている。そして、あの日一人だけ捕まらなかった親友のチュンジャ(キム・ヘス)が密告したんじゃないかと疑っている。チュンジャはソウルに逃げてすっかり垢抜けて、今も怪しい商品ブローカーとして幅をきかせていた。と思うと、そこにはやはり組織があり「ショバ代」を無視したチュンジャは,ある日痛めつけられてしまう。組織のボス、クォン軍曹(チョ・インソン)はチュンジャを始末しようかと思うが、うまい密輸方法があるとクォン軍曹に持ち掛けるのだった。
(チュンジャ)
 そして久しぶりにクンチョンに戻ったチュンジャだったが、そこではジンスクの父親に使われていたドリが偉くなって羽振りをきかせている。出所した海女たちは命令に従う立場になっていた。何とか海女たちを使って大々的な密輸を始めたいのだが…。それに加えて税関の係長として取り締まりの中心にいるジャンチュン(キム・ジョンス)、喫茶店のアルバイトだったのに今では店を乗っ取っているオップン(コ・ミンシ)など怪しい人物たちが入り乱れている。そこにクォン軍曹がヴェトナム帰りの部下を連れて現場視察にやって来るが、ひそかにドリはクォン軍曹に対抗心を燃やしていた。
(クォン軍曹)
 かくしてすべての人々がクンチョンに集まるが、昔のいきさつからジンスクはなかなかチュンジャを信用できない。一体2年前の真相はいかに? そして密輸場所に選ばれたのは、最近サメが出るとして海女たちが恐れていた場所だった…。ということで、驚くべき真相、驚くべきアクションが怒濤のように展開され、やり過ぎ的なお約束の結末に一気になだれ込んでいく。エンタメの極意は「反復」にあるが、この映画も重要な展開はすでに伏線として提示されているので、見事な「反復」に笑ってしまう。
(喫茶店で)
 この映画は2023年韓国映画の興収3位とヒットし、青龍賞で作品賞など4冠、大鐘賞では監督賞を得た。リュ・スンワン監督は『ベルリン・ファイル』『モガディシュ 脱出までの14日間』などを作った人だが、今まで見てなかった。素晴らしい疾走感で見せるが、海洋アクションの凄さも見どころ。まさかホントに海で撮ってるのかと思うが、もちろんプール撮影だという。海女はこんなに長く潜っていられるのかと思うぐらいワンシーンが長い。俳優たちは昔の日本映画を思わせる面構えで懐かしい。そして何より「歌謡映画」という作りになっていて、クンチョンだと昔の演歌っぽく、ソウルだとポップ調。昔の曲だけでなく、新たに作ったのもあるらしいが、見事に乗せられる。ムチャクチャ面白かった。
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