夏目漱石全集を読むのも久しぶり。選挙もあったけど、10月の読書はジロドゥや安藤鶴夫なんかにけっこう時間がかかった。いよいよ「こころ」である。まあ「こゝろ」なんだろうけど、ここでは「こころ」と表記する。1914年(大正3年)の4月20日から8月11日まで朝日新聞に連載された。ウィキペディアを見ると、2016年現在、新潮文庫で歴代1位の716万部を発行したと出ている。
「名作」として知られ、若い時に読むべき人生の書のように言われている。もちろん僕もこれは読んだ。正直言うと、名作かもしれないけど好きになれないと思った。それは今回も大体同じ。案外そういう人が多いんじゃないだろうか。でも、今回改めて読んでみて、判りやすい文章、構成の妙、伏線のうまさなど、やはりこれは名作だなあと読んでいて感心した。
適当にページをめくってみて、例えば鎌倉で「私」が「先生」と出会って、それから東京で先生の家を訪問するようになる6章。「私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数が重なるにつれて、私はますます繁く先生の玄関に足を運んだ。」そのちょっと後の会話。「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしてもよござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
まあ、今じゃ「よござんすか」なんて、落語かなんかでしか聞かない。先生に対しても「いらっしゃる」なんて敬ってもらうことはほとんどないだろう。地の文でも「繁く」なんて使わない。「会う度数が重なるにつれて」も、今の言葉としては固い。「何度も会うようになると」程度の表現になるだろう。でも、意味は十分に通じる。100年前の会話だけど、完全に意味は了解可能である。そして、そのちょっと固い感じになってしまった古風なムードとリズムが心地いい。
「こころ」の筋書きについては、ほとんどの人が知ってるだろう。だから、ここでもすでに知っているものとして書くことにする。今の場面、「先生」は毎月雑司ヶ谷墓地にある墓に参っていることを指している。これは誰の墓か。この時点では明らかにされない。第3部の長い長い手紙の中で、自殺した友人Kの墓だと明かされる。しかし、この小説の語り手である「私」は、かなり早い時点ですでに「先生」が死んでいることを明らかにしている。だけど、その事情は明かされない。
「先生」の人生、あるいは「先生」夫妻のありようには、どうも謎めいたところが多い。第一、「先生」というけど(実名は明かされない)、最後の最後まで無職の人物だった。大学は出ているから、漱石がそうだったように、旧制中学の教員ならすぐになれたはず。だが、彼は一度も世に出なかった。今なら「引きこもり」かなという感じだが、何らかの事情があるようだ。そういう謎めいた雰囲気のもとで、物語全体がグルーミー(憂鬱な)ムードに覆われ、霧が立ち込めたような感じがする。
その謎がすべて解かれるのが、第3章の「先生」の手紙。その意味で、この小説は一種の「倒叙ミステリー」とも言える。普通のミステリーは殺人(あるいは何らかの謎)があり、その犯人探しを目的に物語が進行する。だけど、もう冒頭で犯人が判ってしまうタイプのミステリーもある。それじゃ物語にならないだろうと思うかもしれないけど、そんなことはない。現実の殺人事件なんかを見ても、例えば相模原の障害者施設襲撃事件なんかが典型だろうが、「犯人は誰か」ではなく「動機をどう考えるか」こそが問題で、真に恐ろしいということが多い。
「こころ」という小説は、いわば「先生自殺事件」なんだけど、自殺だから「犯人」は判ってるわけだが「動機」が判らない。「先生」の謎めいた一生の奥深くに潜む「動機」こそが「謎」だった。そしてそれは「友人K自殺事件」が伏線で、実は「連続自殺事件」だったことになる。その「先生」の決意を固めさせたのが、明治天皇の死であり、それに続く乃木大将の「殉死」だった。
乃木希典は1912年9月13日に死んだ。異様な衝撃が日本中に走ったわけだけど、そのことは僕には「歴史的知識」としては知ってるけど、もちろん実感はない。1867年生まれの漱石は、根っからの「明治人」だから、明治の終焉に大きなショックを受けたことは当然だろう。乃木が校長を務めていた学習院で学んだ「白樺」派の文学者、例えば武者小路実篤なんかは日本人が乃木大将を偉人として尊ぶのを嘆いてバカにしている。トルストイやロダンなどが「人類的偉人」なのである。20年ほどの世代差があると、感じ方が全然違うわけだ。
その意味で、「先生」がなんで死んだかという一番重大な問題が、僕には今ひとつピンとこない。Kの自殺をどう考えようが、乃木大将が死のうが、もう彼しか頼りにする人がいない妻を残して先に逝くほどの理由になるのか。ならんだろ、全然、と今の人ならほぼ全員がそう思うんじゃないだろうか。そこに疑問があるわけだけど、じゃあ「先生」が死ななければいいのか。「先生」が何かの職についていればよかったのか。そうでもないだろう。友人Kの死を背負って、一生世に出ずに終わった。そして最後は乃木大将殉死の報を受けて、長い長い手紙を残して世を去る。そこに「感動」がある。
そういう仕掛けなんだから、それを批判しても仕方ない。だけど、現実には相当無理がある設定だろう。手紙で語られるKとの交際は、「同じ人を好きになってしまった」問題である。これは今でもいっぱいあるだろう。「先生」が正直に行動できない理由はとてもよく判る。妻にも打ち明けられないのも、実によく判る。だけど、そういうことはずべて飲み込んで、そのうえで学問や教育に一生を捧げて優れた業績を上げる。そんな人も決して稀ではない。要するに「先生」はそこまでの人物ではなかった。
先生が世に出ないで済むのは、一定の財産があったからである。「私」が大学卒業後にすぐ職に就かないのも、同様。「私」は大学卒業をありがたがる田舎の両親に対して、大学を出た人なんか何百人もいると言っている。しかし、全日本で数百人なんだから、特別すごいエリートだった。「先生」が出た時はただの「帝国大学」。1897年に京都帝国大学ができて、東京帝国大学となった。主人公はもう東京帝大時代の卒業である。卒業式には天皇が訪れる。1912年に卒業した主人公は、天皇の病気が公表されてビックリした。当時は6月卒業だったので、天皇を見たばかりだったのである。
「こころ」は何回か映像化されている。新藤兼人監督が1973年に映画化したが、それより市川崑監督が1955年に映画化した日活作品が名作だと思う。「先生」に森雅之、妻が新珠三千代、Kが三橋達也、妻の母が田村秋子、「私」が安井昌二、女中が奈良岡朋子というキャスト。これは見ればこれしかないだろうと思う顔ぶれで、本を読んでいても映像が俳優の顔で浮かんでしまう。セットもよく出来ていて、一見に価値ある映画になっている。
(市川崑監督「こころ」)
「名作」として知られ、若い時に読むべき人生の書のように言われている。もちろん僕もこれは読んだ。正直言うと、名作かもしれないけど好きになれないと思った。それは今回も大体同じ。案外そういう人が多いんじゃないだろうか。でも、今回改めて読んでみて、判りやすい文章、構成の妙、伏線のうまさなど、やはりこれは名作だなあと読んでいて感心した。
適当にページをめくってみて、例えば鎌倉で「私」が「先生」と出会って、それから東京で先生の家を訪問するようになる6章。「私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数が重なるにつれて、私はますます繁く先生の玄関に足を運んだ。」そのちょっと後の会話。「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしてもよござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
まあ、今じゃ「よござんすか」なんて、落語かなんかでしか聞かない。先生に対しても「いらっしゃる」なんて敬ってもらうことはほとんどないだろう。地の文でも「繁く」なんて使わない。「会う度数が重なるにつれて」も、今の言葉としては固い。「何度も会うようになると」程度の表現になるだろう。でも、意味は十分に通じる。100年前の会話だけど、完全に意味は了解可能である。そして、そのちょっと固い感じになってしまった古風なムードとリズムが心地いい。
「こころ」の筋書きについては、ほとんどの人が知ってるだろう。だから、ここでもすでに知っているものとして書くことにする。今の場面、「先生」は毎月雑司ヶ谷墓地にある墓に参っていることを指している。これは誰の墓か。この時点では明らかにされない。第3部の長い長い手紙の中で、自殺した友人Kの墓だと明かされる。しかし、この小説の語り手である「私」は、かなり早い時点ですでに「先生」が死んでいることを明らかにしている。だけど、その事情は明かされない。
「先生」の人生、あるいは「先生」夫妻のありようには、どうも謎めいたところが多い。第一、「先生」というけど(実名は明かされない)、最後の最後まで無職の人物だった。大学は出ているから、漱石がそうだったように、旧制中学の教員ならすぐになれたはず。だが、彼は一度も世に出なかった。今なら「引きこもり」かなという感じだが、何らかの事情があるようだ。そういう謎めいた雰囲気のもとで、物語全体がグルーミー(憂鬱な)ムードに覆われ、霧が立ち込めたような感じがする。
その謎がすべて解かれるのが、第3章の「先生」の手紙。その意味で、この小説は一種の「倒叙ミステリー」とも言える。普通のミステリーは殺人(あるいは何らかの謎)があり、その犯人探しを目的に物語が進行する。だけど、もう冒頭で犯人が判ってしまうタイプのミステリーもある。それじゃ物語にならないだろうと思うかもしれないけど、そんなことはない。現実の殺人事件なんかを見ても、例えば相模原の障害者施設襲撃事件なんかが典型だろうが、「犯人は誰か」ではなく「動機をどう考えるか」こそが問題で、真に恐ろしいということが多い。
「こころ」という小説は、いわば「先生自殺事件」なんだけど、自殺だから「犯人」は判ってるわけだが「動機」が判らない。「先生」の謎めいた一生の奥深くに潜む「動機」こそが「謎」だった。そしてそれは「友人K自殺事件」が伏線で、実は「連続自殺事件」だったことになる。その「先生」の決意を固めさせたのが、明治天皇の死であり、それに続く乃木大将の「殉死」だった。
乃木希典は1912年9月13日に死んだ。異様な衝撃が日本中に走ったわけだけど、そのことは僕には「歴史的知識」としては知ってるけど、もちろん実感はない。1867年生まれの漱石は、根っからの「明治人」だから、明治の終焉に大きなショックを受けたことは当然だろう。乃木が校長を務めていた学習院で学んだ「白樺」派の文学者、例えば武者小路実篤なんかは日本人が乃木大将を偉人として尊ぶのを嘆いてバカにしている。トルストイやロダンなどが「人類的偉人」なのである。20年ほどの世代差があると、感じ方が全然違うわけだ。
その意味で、「先生」がなんで死んだかという一番重大な問題が、僕には今ひとつピンとこない。Kの自殺をどう考えようが、乃木大将が死のうが、もう彼しか頼りにする人がいない妻を残して先に逝くほどの理由になるのか。ならんだろ、全然、と今の人ならほぼ全員がそう思うんじゃないだろうか。そこに疑問があるわけだけど、じゃあ「先生」が死ななければいいのか。「先生」が何かの職についていればよかったのか。そうでもないだろう。友人Kの死を背負って、一生世に出ずに終わった。そして最後は乃木大将殉死の報を受けて、長い長い手紙を残して世を去る。そこに「感動」がある。
そういう仕掛けなんだから、それを批判しても仕方ない。だけど、現実には相当無理がある設定だろう。手紙で語られるKとの交際は、「同じ人を好きになってしまった」問題である。これは今でもいっぱいあるだろう。「先生」が正直に行動できない理由はとてもよく判る。妻にも打ち明けられないのも、実によく判る。だけど、そういうことはずべて飲み込んで、そのうえで学問や教育に一生を捧げて優れた業績を上げる。そんな人も決して稀ではない。要するに「先生」はそこまでの人物ではなかった。
先生が世に出ないで済むのは、一定の財産があったからである。「私」が大学卒業後にすぐ職に就かないのも、同様。「私」は大学卒業をありがたがる田舎の両親に対して、大学を出た人なんか何百人もいると言っている。しかし、全日本で数百人なんだから、特別すごいエリートだった。「先生」が出た時はただの「帝国大学」。1897年に京都帝国大学ができて、東京帝国大学となった。主人公はもう東京帝大時代の卒業である。卒業式には天皇が訪れる。1912年に卒業した主人公は、天皇の病気が公表されてビックリした。当時は6月卒業だったので、天皇を見たばかりだったのである。
「こころ」は何回か映像化されている。新藤兼人監督が1973年に映画化したが、それより市川崑監督が1955年に映画化した日活作品が名作だと思う。「先生」に森雅之、妻が新珠三千代、Kが三橋達也、妻の母が田村秋子、「私」が安井昌二、女中が奈良岡朋子というキャスト。これは見ればこれしかないだろうと思う顔ぶれで、本を読んでいても映像が俳優の顔で浮かんでしまう。セットもよく出来ていて、一見に価値ある映画になっている。
(市川崑監督「こころ」)