尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ミカド(天皇)とタイクン(将軍)-「遠い崖」を読む②

2018年06月30日 23時29分12秒 |  〃 (歴史・地理)
 萩原延壽「遠い崖ーアーネスト・サトウ日記抄」を延々と読み続けている。「アーネスト・サトウと幕末」の続き。途中でやめずに、ようやく最後の14巻まで来た。5月半ばに読み始めて、6月全部を使っても終わらない。「遠い崖」に関してもう少し書いてみたい。

 アーネスト・サトウに「英国策論」というものがある。1866年に横浜の英字新聞ジャパン・タイムズに無署名で寄稿した3つの論文を集めたものである。というか、「英国策論」は本人が出したのではなく、その匿名英語論文が勝手に訳されて日本中に散布されたのである。事実上英国の政策と同一視され、幕末の政局にも大きな影響を与えたらしい。イギリス軍艦に乗って宇和島に寄った時、幕末の4賢侯の一人伊達宗城(だて・むねなり)も読んでいた。

 外国から見たら、江戸の将軍って何なんだ?という疑問があった。外国人は長崎に行けと言われて長崎に行くと、江戸は遠いから連絡に時間が掛かると言われる。ペリーが江戸湾に直接現れたことで、幕府との間に日米和親条約を結ぶことに成功した。次は貿易ができるような通商条約を結びたいと幕府と交渉し、話がまとまった。そうしたら「勅許」(ミカドの許し)が出ないと言われる。江戸幕府が最高権力だと思っていたら、日本には幕府の上があったのか

 これは英国外交官にとってとても深刻な疑問だった。何故なら徳川将軍と英国女王(ヴィクトリア女王)との間に条約が結ばれた以上、将軍の上に天皇がいるなら「天皇は英国女王より上」になってしまうから。この問題は外国外交官にとって大疑問だったのである。幕府は将軍は天皇に任命されているが、全国統治権は完全に幕府のもとにあると主張していた。だから薩摩藩が起こした英国人殺傷事件(生麦事件)の賠償金も幕府が払った。でも事件の責任者の処罰という要求を幕府に突き付けても、どうも解決の見込みが立たない。

 そこに若き英国外交官サトウが現れ、日本語を自在に操り反体制派人士にも多くの知人を得た。文語も読めるから、国学者の文献なんかも読んでみる。日本書紀、古事記など古来の史書にあたれば、天皇の方が古いということが確認できる。どうも幕府の言い分の方がおかしいのではないか。サトウはそう思うようになっていったわけである。そこで「英国策論」では「将軍は主権者ではなく諸侯連合の首席にすぎない」という認識が語られる。

 さらに「現行条約を廃し、新たに天皇及び連合諸大名と条約を結び、日本の政権を将軍から諸侯連合に移すべきである」といった主張も展開している。匿名とはいえ、外交官としては踏み込み過ぎだろう。サトウの「若気の過ち」である。この論文が全国にばらまかれて、サトウが書いたのも知れ渡る(日本語力から他の人には書けない)。サトウは「倒幕派」の論客とみなされ薩長の情報が集まりやすくなった。サトウはこうして、幕末政局に事実上の反体制派支援者としてデビューしたのである。

 サトウの認識は現実の政治に影響した。徳川慶喜が将軍になり、外国外交官との謁見が行われたとき、英国以外は「陛下」(His Majesty)と呼んだのに対し、イギリスだけは「閣下」(His Excellency)と呼んだのである。幕府の外務官僚はその意味を理解して、わざわざ遣欧使節が英国本国に抗議している。将軍は当時外国では「タイクン」(大君)と呼ばれた。一方、天皇は「ミカド」である。タイクンとミカドの関係をどう理解するべきか。
(徳川慶喜)
 徳川幕府が亡びたことは、今では「それが歴史の流れ」と思ってる人ばかりだろう。日本人で将軍制度に戻すべきだという主張をする人は0%だ。現在もそうだし、明治時代も同じだろう。西欧文明を受け入れて日本を中央集権国家にする。それ自体は必然だったと今じゃ誰もが思っているだろう。ただ薩長中心に天皇が主権を持つ国家を作る以外に歴史のコースはなかったか。

 今サトウの論をみると、当時最大の勢力を誇る大英帝国の目が無意識に入り込んでいたように思う。つまり、「君臨すれども統治せず」の立憲君主制を絶対視し、それを日本に投影して日本の主権者を天皇だと考える。そういう傾向がないとは言えない。現実に幕府が倒された後は、イギリスの政策はむしろアメリカと対立するようになる

 日本を開国させたアメリカだが、1860年代半ばは南北戦争によって関係が薄れた。明治初頭になって条約改正などでアメリカは日本の主張を支持した。最大の貿易関係にあった英国は、アメリカを共和制国家の「過激派」とみなし、日本にアメリカ流の考えが入り込まないように忠告している。しかし、その頃から日本政府はイギリスではなく、ドイツの憲法を目標にするようになる。もう歴史の中で解決済みの問題なんだけど、その時代を生きている人にはそのことは判らない。幕末の日本に来たサトウも、自らタイクンとミカドの関係を考察せざるを得なかった。
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ワールドカップ16強、死刑があるのは日本だけ!

2018年06月29日 23時12分49秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 サッカーのワールドカップ・ロシア大会。1次リーグが終了して決勝トーナメントに進む16チームが決定した。日本代表は前評判がとても低くて、僕もテストマッチを見た感じではとても1次リーグ突破は難しいだろうと思っていた。しかし、第1試合のコロンビア戦に勝利するなど予想を上回る活躍で、H組を2位通過した。最後のポーランド戦終盤の「負けを受けいれて2位通過ねらい」の監督の戦術をどう思うか。いろんな考え方があると思うけど、それはまた別の機会に。

 前回「死刑冤罪」の問題を書いたので、ここでは「16強で死刑存置国は日本だけである」ということを書いておきたいと思う。サッカーと死刑制度に何か関係があるのか。いや、それは特に強い関係はないだろうけど、「世界の情勢」を知っておくべきだという意味ではそんな指摘も意味がないわけじゃないと思う。H組最終戦、セネガルがコロンビアに最後に追いついていたとしたら…。その時は実は「16強、全部死刑廃止国」という記事を書こうかと思っていた。そう、アフリカのセネガルも、南アメリカのコロンビアも、もちろんポーランドも皆死刑廃止国。H組で死刑制度があるのはもともと日本だけだったのである。そういう現実を日本人は知っているか?
 
 (世界の死刑状況地図。2010年段階。濃青が完全廃止、薄青が事実上の廃止国)
 
 最後の戦術の評価はともかく、日本が決勝トーナメントに進出したことはすごい。別にセネガル進出を望んでたわけではないけど、セネガルが死刑廃止国だということは知らない人が多いだろう。セネガルが1次リーグで敗退したことで、ずっと続いていたアフリカ代表の決勝トーナメント進出が絶えた。いつからか調べると、1986年メキシコ大会で今のような16強を選ぶシステムになって以来、8大会すべてでアフリカ代表が一か国はあった。2020年日韓大会はセネガルが8強、2006,2010年大会はガーナ、2014年ブラジル大会はアルジェリアとナイジェリア。

 世界では西ヨーロッパ各国が20世紀後半に続々と死刑制度を廃止し、EUに加盟するには死刑廃止が条件になっている。1989年の東欧革命以後に旧ソ連圏諸国も死刑が廃止された。ポーランド映画に故クシシュトフ・キェシロフスキ監督の「殺人に関する短いフィルム」(1988)という傑作があって、そこでは死刑制度があった。しかし1998年に廃止された。最近東欧諸国では右派政権の国が多く、ポーランドでも死刑復活論議があるようだが実現はしないだろう。西ドイツやイタリアでは、第二次大戦後に戦争への反省で死刑制度が廃止になった。

 ラテンアメリカ諸国では1970年代に過酷な軍政を経験した国が多い。チリ、アルゼンチン、ブラジルなど民主化が進む中で死刑制度が廃止されていった。軍事裁判などでは死刑が残っている国(ブラジル、チリ、ペルー)などもあるが、「事実上の死刑廃止国」とみなされている。アルゼンチン、コロンビア、メキシコ、パナマ、コロンビアは完全な廃止国。つまりサッカーの強いヨーロッパとラテンアメリカ諸国は死刑がないのが標準になっている。ヨーロッパで死刑があるのは、旧ソ連時代を引き継ぐ独特の政治体制を持つベラルーシだけ。

 死刑が法律上は残されているが、10年以上死刑執行がなく、死刑を推進しない政策をとっていると考えられる国もある。それらの国も「事実上の死刑廃止国」とされる。開催国のロシアはそのカテゴリーに入っている。韓国も同じ。モロッコチュニジア、それに今回は出場できなかったけど前回大会でハリルホジッチ監督が指揮して16強に入ったアルジェリアも事実上の廃止国になっている。イスラム教諸国の中でも、北アフリカでは死刑制度を凍結しつつある国もある。
 (死刑廃止国の増加を示すグラフ)
 こうしてみると、ワールドカップ出場国で死刑があるのは、日本イランサウジアラビアエジプトナイジェリアの5か国しかないのである。それが世界の情勢で、このことは法務官僚なども知らないはずはないのだが、一向に世界からの抗議が聞こえないふりをしている。もっとも中国やインドなどが死刑存置国だから、世界の人口に占める割合は大きいかもしれない。だけど、イスラム教諸国アジアの強権的国家にしか死刑制度は残っていない。

 日本のように重大犯罪発生率が低い国がどうして死刑を存置しているのか。世界は不思議に思っているが、要するに「アジアの強権的国家」だということだろう。「国家権力の峻厳さ」を示すために体制側が死刑を手放さないということだと思う。そういう国では教育制度も国家主導で進み、自分で考える人間が抑圧される。監督の指示で「犠牲バント」という作戦が存在する野球が人気があるのも、日本らしいのかもしれない。そう考えてくると、日本サッカーに創造力あふれるプレーが少ないのと、日本に死刑制度が存在することには通底するものがあるのかもしれない。
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無実を叫ぶ死刑囚たち-6.23集会

2018年06月28日 23時24分22秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 6月23日(土)に「無実を叫ぶ死刑囚たちー狭き門のまえで」という集会に参加した。主催は「死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90」で、水道橋の全水道会館。なんだか集会に足を運ぶのも久しぶりなんだけど、会場はいっぱいになっていた。聞こえてきたのは「袴田さんの(再審取り消し)決定はひどい」という声だ。僕も同じような気持ち。僕が集会に出たからといって、再審決定に影響するわけじゃないだろうが、せめて集会に行くぐらいしたいなと。

 最初に徳田靖之弁護士による飯塚事件の講演。徳田さんはハンセン病国賠訴訟で最初に提訴された熊本の西日本訴訟の中心を担った。今もハンセン病市民学会の共同代表の一人で、何度も話を聞いている。ハンセン病差別による死刑事件・菊池事件の再審請求の中心である。菊池事件は1962年に死刑が執行されてしまったが、飯塚事件も2008年10月28日に死刑が執行されてしまった。徳田弁護士は2審から担当し、再審の準備も進めていたが間に合わなかった。2009年10月28日に妻によって再審請求されたが、福岡地裁、高裁が棄却し最高裁に特別抗告中。
 (現代人文社のブックレット「飯塚事件」)
 飯塚事件の大問題は、怪しげなDNA型鑑定があるんだけど、警察の鑑定で試料が全部使われていて、再鑑定ができないこと。1992年の事件でDNA型鑑定の初期の時代だった。今では技術が格段に向上していて、その結果足利事件などの再審が開始された。再鑑定さえできれば、無実であればすぐに判る。(DNA型鑑定は他のすべての鑑定と同じく、それだけでは有罪を完全に証明できない。勘違いしている人がいるけど、個人の完全な識別はDNA鑑定ではできない。)

 その他車の目撃証拠も怪しいのだが、もともと一切の「自白」がない。多くの再審事件では、「自白」と科学鑑定の矛盾を大きな理由としたことが多い。しかし、この事件はそういうことができない。あくまでも無実を主張したことがかえって不利になっている。再審請求が遅れたことで、死刑執行を防げなかったことを徳田弁護士は「弁護過誤」と語って大きな悔いを何度も語った。しかし、法務省は無実主張を続けていた事件であると知っていて、問題になる前に執行してしまった。法務大臣の責任は大きい。(麻生内閣の森英介法相。9月24日に就任して、ほぼ一月後である。)

 その後、袴田事件弁護団の小川秀世弁護士から袴田事件の説明。論理的におかしく、きちんと答えないだけでなく、捜査機関が証拠をねつ造する動機がないなど悪意ある先入観があるとしか思えない。あきれ返って言葉もないような感じだった。その後、フォーラム90の安田好弘弁護士も加わってシンポジウム。死刑事件、特に執行されてしまった事件の再審は開かせないという国家意思があるのではないか。その指摘は重い。再審請求によって死刑の執行を停止する法改正が必要だとする。実は昨年に死刑を執行されたケースは再審中のものが3件あった。安田弁護士はそれは再審請求中のオウム死刑囚執行の「予行練習」だと指摘した。

 第2部では死刑冤罪再審の最新情報として5件の報告が行われた。鶴見事件の高橋和利さん、市原事件の佐々木哲也さんのように、冤罪問題に関心がある人には一応ある程度知られている事件もある。それでも細かい点は初めて知ることが多い。風間博子さん、阿佐吉廣さん、松本健次さんの事件はほとんど知らない。どの事件も「実行犯」「共犯」の供述が問題になっているように思う。松本さんのケースは関西の事件でほとんど知らなかったが、獄中で水俣病認定を受けているというのは驚いた。弁護士だけが再審の中心になっている事件は大変だなと思う。
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大傑作、永井愛さんの「ザ・空気ver.2」を見て…

2018年06月27日 21時23分05秒 | 演劇
 「万引き家族」の話は自分でも長くなりすぎだと思う。実は鑑賞条件が良くなかったのでまた見たい。ロケ地の散歩なども含めて、後で書き直したいと思う。ところで、26日に永井愛さん主宰の二兎社42回公演「ザ・空気ver.2」を見た。7月16日まで。池袋の東京芸術劇場シアターイースト。今日は簡単に書きたいと思う。何しろ1時間45分の上演時間で、お芝居としてはすごく短い。ワンテーマにしぼった凝縮された傑作だ。これはすごいと思った。

 前作「ザ・空気」はテレビ局の報道番組を題材に、現場を支配する「空気」を描いた。前作はマスコミのあり方、ジャーナリストの生き方などに広がっていったが、今回の「ザ・空気ver.2」はテーマを絞っている。マスコミと政権の癒着大マスコミとネットメディアの二つである。永井愛作品はずいぶん見てるけど、ここまでうまく出来てるのも少ないと思う。最初から最後までゲラゲラ笑い通し。こんなに笑える劇も久しぶりだが、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」(芭蕉)である。

 国会記者会館の屋上。そこから国会デモを撮影しようと「ビデオジャーナリスト・ネットテレビ局「アワ・タイムズ」代表」の井原安田成美)が忍び込んでいる。国会記者会館屋上を記者クラブに所属しないメディアが利用できるか。これは実際に裁判になった。そこに「リベラル系全国紙政治部記者・官邸キャップ」の及川眞島秀和)と「大手放送局政治部記者・解説委員」の秋月馬渕英里何)がやってくる。今日記者クラブのコピー機からトンデモナイものが発見された。総理の記者会見のQ&Aを記者側が作っていた証拠である。人物の肩書は公演パンフにある通り。

 その文書を見つけてしまったのは「保守系全国紙政治部記者・官邸総理番」の小林柳下大)である。「政権ベッタリ」と言われる中で志をまだ失っていない若い小林は、自社の上役が絡んでいるのではと疑う。会見で追及する方のマスコミが追及の逃れ方を指南するのはさすがにまずい…と思って、あえてライバル社の官邸キャップに相談したのである。一方、及川は秋月の関与も疑い、事前に呼び出して話を聞く。そこに一番疑わしい「保守系全国紙論説委員・コラムニスト」の飯塚松尾貴史)もやってくる。総理とよく食事するから「メシ塚」と呼ばれている男だ。

 この5人だけで話が進むが、ずいぶん作劇術がうまい。それは現実の風刺だからとも言える。メシ塚さんのケータイは呼び出し音が10種類もあるという。どうやら「ゴルゴ13」が「副総理」。マンガが趣味の方である。「ドンパン節」は官房長官の故郷の民謡だ。「救急車」が総理秘書官で、「パトカー」が総理本人らしい。飯塚と秋月が話していると、どうやら二人ともQ&Aを作っているらしい。飯塚は絶対に認めてはならない派、秋月は国民がウソと思ってることは潔く認めてしまって謝罪するべき派らしい。おかしいけど、だんだん笑ってていいのかと思う。

 最近スクープを連発して政権に打撃を与えた全国紙は明らかに朝日新聞。「政権べったり」全国紙は読売新聞。公共放送はNHKだから、政治部の女性解説委員と言えばあの人か。しかし、この大マスコミはネットメディアの「アワ・タイムズ」に対しては、記者クラブ入会の有無によって、団結して排除する側にいる。これがこの劇の一番重大なところで、ここをどう見るか。このすぐれたドラマに大マスコミしか出て来なかったら、もう絶望しか覚えない。だがもう一つ、別の可能性を安田成美の軽やかな名演で示している。こんな笑えるドラマも珍しいけど、もうすぐ国民は飽きるし、支持率は回復するとセリフで言われると、まさに図星であるから深刻だ。
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奪うこと奪われること-映画「万引き家族」をめぐって②

2018年06月26日 23時51分36秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画「万引き家族」は東京の「下町」を舞台にしているとよく言われる。本来の下町は江戸の商業地域、つまり日本橋や神田あたりのことである。近年になってどんどん言葉が広がり、今は東京23区の東部や南部の工業地域、住宅地帯まで指すことが多い。時代とともに言葉の意味も変わっていくけれど、それにしても千住品川は宿場町である。下町どころか江戸でもなかった。近代になって東京に組み込まれたが、そこは「場末」と言われて貧困地域のことだった。

 日本では古い一軒家や安アパートの近くに高級マンションが建ってたりする。はっきりしたスラム地域がない感じだが、今では「下町」という言葉は一種「貧困地域」の「言い換え用語」になっているんじゃないか。「花の咲いたプランターが道に並んでる」は「庭がない狭い家」を意味するはずだが、マスコミでは「街をきれいにする人情味あふれる下町」と表現される。まあ一事が万事、そんな感じ。最近は「川の手」という用語が使われることもあるが、同じことだ。

 最近東京のある中学校で性教育の授業が行われ、それに都議と都教委がイチャモンを付けるという「事件」があった。(このブログでも何回か記事を書いた。)都教委が問題視したのに対し、区教委は「貧困の連鎖を防ぐ」ことは地域の課題で問題ないと言った。その中学は「万引き家族」の舞台に近いあたりだ。僕はこの地域の中学、高校に20年以上勤務した。荒川堤防のすぐ下にある中学や名前にも荒川とか墨田川(川の名は隅田川だが)が付く高校に。

 この映画を見てると、心苦しいというかザワザワ胸騒ぎがするというか…。冒頭に一家の家が映し出されたときに、あっここだ、この家は行ったことがあると思ってしまった。不登校だった生徒を家庭訪問した家だ。いや、もちろん違う。あの家はアパートだったはずだ、一軒家ではなく。でも似てるな、まとっている空気が。なんというリアルな貧困描写。サッカーの大迫選手じゃないけど、「是枝監督、半端ないって」と言うしか言葉がない。「現代日本のリアル」を映し出している。

 以下、家族の事情に少し触れざるを得ない。「万引き家族」という題名と事前報道から、この家族は全員が働いていないのかと思っていたら違った。リリー・フランキーは建設現場で、安藤サクラはクリーニング屋で、松岡茉優は性風俗店で働いている。そしてリリー・フランキーは現場でケガして働けなくなったが労災は下りない。「労災」とは「労働者災害補償保険」のことで、保険だから事前に保険金を払ってなければ当然払われない。どういう雇用契約か判らないけど、自分でケガしたわけじゃないんだから、労災になると当初は本人も思っていた。その経緯を問いただすこともないが、彼は「奪われたもの」だった。万引きの常習で、彼は「奪うもの」でもあるけど。

 安藤サクラもクリーニング屋を解雇される。その経緯も理不尽なもので、店主から時給が高い二人のうちどっちかが辞めて欲しい、どっちが辞めるかは二人で決めてくれと言われる。これはベルギーのタルデンヌ兄弟の「サンドラの週末」と似た設定だけど、その映画と違って日本では労働者の連帯は描かれない。お互いに相手の弱点を言い合うが、柴田家に居ついた幼い女の子を相手が見ていて、その秘密をばらすと脅すので安藤サクラが辞めるしかない。だが退職金や失業保険という話は全然出て来ない。彼女もまた「奪うもの」にして「奪われたもの」として生きてきた。

 そして樹木希林演じる初枝もまた「奪われたもの」だった。だが彼女の場合は「夫を奪われた」らしい。夫が別の女性に心変わりしたらしいが、その事情は説明されないから判らない。松岡茉優が同居した事情も判らないけど、彼女は樹木希林の前夫の孫にあたるらしい。時々樹木希林は前夫と後妻の間の息子の家を訪れ、前夫の位牌に線香をあげる。それは理解できる心理とも言えるが、相手のうちでは来るたびに「心付け」を渡していて本音では迷惑している。事情は判らないけど、樹木希林の行動を「奪われたものが奪い返す」と見えなくもない。

 現代社会では多くの商品に囲まれて生きている。今さら自給自足もできないから仕方ないけど、この商品は貨幣と引き換えじゃないと入手できない。しかし彼らは「奪われたもの」だから、所有する貨幣が少ない。よって「奪われたものを奪い返す」ために万引きする。「店の商品は買われるまでは誰の所有物でもない」というへ理屈を子どもは言っている。それが本当なら堂々と持って帰れるはずだが、実はこそこそと隠して持ち出そうとしている。少なくとも「そんな悪いことじゃないけど、お店に見つかるとまずい」程度の考えは持っている。

 モノやサービスが商品として流通する社会では、本来商品であってはいけないものも「商品化」される。衣食住全部が商品だから、住んでる人間も商品に見られてくる。家や服には値段があるわけだから、家や服を見れば「いくらぐらいの人間」かが判るわけだ。出会いにも階級性があり、貧しいものには「性の商品化」を通してしかなかなか出会いがない。松岡茉優は自分の性を売り物にして出会いがあるが、どうやらリリー・フランキーと安藤サクラの出会いも性風俗だったらしいことが示唆されている。それどころかもっとすさまじい事情もあったことがラストで判る。

 どこにも「連帯」のきっかけさえ見つからない荒野を彼らの家族は生きている。連帯感がないわけじゃないのは、子どもたちと暮らしている事情から想像できる。でも社会的な連帯、あるいは福祉制度などへの期待はまるで感じられない。擬制的な「家族」だけしか信じるものがない。樹木希林が死んだあとで、葬式をせずに埋めてしまったことが、後で死体遺棄に問われる。でも警察に「捨てた」と言われた安藤サクラは「捨てたんじゃなくて拾った」と答えるのは、彼らの精神構造をよく示している。何物も信じない彼らは「家族」だけを信じている。

 映画内で「連帯」に近い感情を持っているのは、柄本明が演じる駄菓子屋の主人である。万引きした少年祥太に対して、万引きをとがめるのではなく「妹にはさせるなよ」と言うのである。荒野の中で一滴の水を与えられた少年は、そこから変わってゆく。彼ら家族は単なる「犯罪者」と言うより、意識の中では自分たち家族を救う「義賊」のつもりだったかもしれない。でも実は「仲間殺し」だった。彼らの住む町にある、経営もそんなに良くはないだろう店を困らせているだけである。

 連帯のかけらもない荒野の日本社会。僕らが生きている社会のリアルな認識だ。フランス映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」という映画があった。2015年カンヌ映画祭でヴァンサン・ランドンが男優賞を獲得した。ステファヌ・ブリゼ監督のその作品では、失業した男にようやく見つかった仕事はスーパーで万引きを監視する監視員だった。監視カメラをいくつかのテレビ画面で見ていて、怪しい人を見る。それどころか同僚が不正をしないかも監視する。それが「憂鬱」である。先に挙げた「サンドラの週末」と合わせて見る機会があれば、ヨーロッパの映画監督の問題意識は是枝監督と同じことが判る。だが描き方は正反対だ。そこに日本の絶望がある。
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映画「万引き家族」をめぐって①

2018年06月25日 23時15分01秒 | 映画 (新作日本映画)
 新作映画を順番に見ていって、そろそろ「万引き家族」も見ないと。是枝裕和監督(1962~)の2018年カンヌ映画祭パルムドール受賞作品。もうずいぶん前から、是枝監督はどんな映画でも自在に作ってしまえる映画的技量を獲得している。だから「面白くて考えさせる」映画になっているだろうとは、見る前に判る。その面白さを書いていってもいいんだけど、そうなると登場する家族に関して「ネタバラシ」することになってしまう。それを避けながら書いていきたい。

 ある家族が東京東部の小さな家に住んでいる。スカイツリーが見えるから、東京の東の方だと判る。もともと「親が死んでも届けずに、年金をもらい続けた詐欺事件」がシナリオのモチーフになったと監督は事前に語っている。その事件が起こったのは東京都足立区の北千住近くの荒川堤防ぞいだった。映画史的には小津安二郎「東京物語」や五所平之助「煙突の見える場所」などの名作の舞台となったあたりである。映画のロケもおおよそその近くで行われた。

 是枝監督の作品は、登場人物を裁かないで提示する。子どものネグレクトを扱った「誰も知らない」(2004)や病院で起こった子どもの取り違え事件を描いた「そして父になる」(2013)のようなカンヌで受賞した代表作でも、ひたすら事態を見つめている。2016年パルムドールの「私は、ダニエル・ブレイク」も同じように貧困問題をテーマにしていたけど、ケン・ローチ監督は明確にイギリスの政治に対して怒っている。オールド左翼の魂の怒りである。それに対して是枝監督は怒りの表出ではなく、見るものに観察を強いる映画を作り続けてきた。
 (カンヌの是枝監督)
 親切な説明はないから、画面とセリフに集中する必要がある。映画に最初に登場するのは、一見すると「父と子」の二人組がスーパーで万引きするシーンだ。その二人の真の関係はなかなかつかめない。判ってくるのはラスト近くになってからだ。他の「家族」も同様で、どういう関係か最初は呑み込みにくいけど、そうかそういうことだったのかと次第に判ってくる。「祖母」の柴田初枝が樹木希林。(写真だけ出てくる死んだ夫が山崎努なのは「モリのいる場所」と同じで笑える。)「父」の治がリリー・フランキー。その「妻」信代が安藤サクラ。「妹」亜紀が松岡茉優。是枝作品初登場の安藤サクラが、いつもうまいんだけど、とりわけ素晴らしく忘れがたい。

 それでも子役の存在にはかなわないだろう。祥太役の城桧吏(じょう・かいり)は一緒に万引きをしてきて、一人で勉強できない子どもが学校行くんでしょと思い込まされている。そこに少女が新たに加わる。そこからこの「家族」に変化が起きてくる。「ゆり」(じゅり)役の佐々木みゆをどうするか。虐待を受けてきたらしい「ゆり」を受け入れて、変容が始まる。大人は大人として生きていってもらうしかないけど、この二人の子どもはこの後どうなる? 監督は何も提示していないけど、観客はずっと気になり続けるだろう。それが物語の役割なんだと思う。

 外国から見ると、家族を描くから小津の影響かと言われるらしい。でもカッチリとした世界を作り続けた小津映画と子役を自在に動かす是枝映画はむしろ対極にあると思う。謎を残して終わる近年の是枝映画は、むしろ黒澤明の「羅生門」的。「万引き家族」ではストレートに進行してきた時間があるきっかけで反転して、登場人物が振り返り始める。それでも人間存在の奥に潜む謎は完全には解明されない。この構造は黒澤明の「生きる」なのではないか。現代の監督では家族を即興で撮っていくマイク・リーや謎めいた世界をただ提示するミヒャエル・ハネケを思い出す。

 カレーのソースに例えると、じっくりコトコト煮込んで玉ねぎはもちろんジャガイモも崩れて渾然一体となっている映画もある。一方で、素材そのままの魅力でジャガイモやニンジンがざく切りでごろごろしている映画もある。前者は熟成したソースになって、役者やテーマは後景になり映画そのものの印象が残る、後者は映画の筋は覚えてないのに、俳優たちの演じるシーンだけが印象に残ったりする。是枝監督は初期はゴロゴロ野菜の魅力で見せていたが、「奇跡」の頃からテーマや役者が一体となった映画も作ってきた、今回はその両者が絶妙の割合でブレンドされていて、全体のソースの味付けもうまいけど、俳優たちの顔や演技もゴロゴロと脳裏を駆け巡っている。間違いない傑作だ。万引きや地域性などの問題を書き残しているので、もう一回。
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映像と物語-映画「旅の重さ」の魅力③

2018年06月24日 23時22分55秒 |  〃  (旧作日本映画)
 映画「旅の重さ」は何よりも映し出された風景が美しい。それだけを見ていると「旅の軽さ」と言いたくなるぐらい、見ている者の心も解放される。そういう意味じゃ、この映画を支えているのは撮影であり、それ以前に「ロケハン」(ロケーション・ハンティング、ロケ出来る場所を探すこと)だ。ロケ場所に関しては、「居ながらシネマ」というサイトの「旅の重さ」(2013.7.26)の記事が詳しい。こんなに探してくれて大感謝。映画館のシーンが愛媛県八幡浜市でロケされたというのは、これで知った。ラストで少女が居つく港がどこかもこれで判った。関心のある人は直接探して下さい。

 撮影の坂本典隆は松竹の70年代、80年代の名作を多数手がけた。経歴はよく判らないけど、検索すると斎藤耕一監督の前作「約束」が最初にクレジットされている。斎藤監督のベストワン作品「津軽じょんがら節」や山根成之監督の「さらば夏の光よ」、「突然、嵐のように」、前田陽一監督「神様のくれた赤ん坊」など忘れられない名作を撮影している。1972年のキネ旬ベストテンは、4位が「旅の重さ」、5位が「約束」だった。斎藤監督、坂本カメラマンのコンビが素晴らしい成果を残した年だった。3月に公開された「約束」は涙なくして見られない名作で、斎藤耕一監督が続いて「旅の重さ」を撮ると聞いて、皆映画ファンはきっと傑作になると信じて見に行ったのである。

 斎藤耕一監督(1929~2009)は流麗な映像で知られた監督で、検索して調べるとクロード・ルルーシュに例えられたと出ている。そうだった、そうだった、「和製ルルーシュ」とか言われていた。ルルーシュは1966年に「男と女」がカンヌでパルムドールを取り、フランシス・レイの音楽も素晴らしく世界的に大ヒットした。「パリのめぐり逢い」「白い恋人たち」(グルノーブル冬季五輪の記録)と似たようなタッチの作品を続々と作って、パリのオシャレ映画に思えて日本でも人気が高かった。でも同じような映画が多くて、そのうち飽きてしまった。81年に大作「愛と哀しみのボレロ」が大ヒットしたが、その後はどうしたかと思ったら、2015年に「アンナとアントワーヌ」という映画が作られた。
 (斎藤耕一監督)
 ルルーシュのたくさんの映画もほんの数作しか記憶されないように、斎藤耕一監督の映画も「約束」「旅の重さ」「津軽じょんがら節」の3本になってしまうだろう。1974年に高倉健、勝新太郎、梶芽衣子「夢の競演」で、ロベール・アンリコ「冒険者たち」のような物語をねらった「無宿」(やどなし)を作った。大期待して待っていたんだけど、どうも失敗作としか言いようがなかった。「竹久夢二物語 恋する」(1975)や「凍河」(1976)あたりまでは見た記憶があるが、その後も何本も作ったけど見てないと思う。それより60年代に松竹で作っていた「思い出の指輪」「虹の中のレモン」「小さなスナック」「落葉とくちづけ」などの「歌謡映画」の再評価が必要かなと思う。

 映画監督は助監督から昇格した人が多いが、斎藤耕一は「スチル・カメラマン」(ポスターやマスコミ宣伝用の写真を撮る人)出身である。中平康監督の「月曜日のユカ」などの脚本も手掛けた。自分の映像イメージと違う映画に失望し、1967年に自費で「囁(ささや)きのジョー」を作った。これはスタイリッシュなノワール映画で、ブラジル行きを夢見る殺し屋の物語である。それなりに面白かったように覚えてるが、物語が弱く映像で見せようとする点は斎藤映画の共通点だろう。映像派や社会派は、世の中の変化や技術の発展であっという間に古くなってしまう。80年代になると、斎藤に限らず70年代に活躍した監督の多くが不調になるのは時代的要因が大きい。

 1972年の「約束」「旅の重さ」が心に残るすぐれた出来になったのは、脚本の石森史郎(ふみお)の功績も大きい。石森は日活、松竹、そしてテレビで数多くの娯楽作品を書いてきた。映画では「博多っ子純情」や「青春デンデケデケデケ」などがある。「約束」は88分、「旅の重さ」は90分と、今の映画に比べれば非常に短い。もちろん系列映画館では二本立てで公開されていた時代で、もう一本の映画と合わせると3時間超になるわけだ。デジタル時代と違って貴重なフィルム撮影だから、無駄を省きドラマをくっきりと印象付けるシナリオの役割が大きい。「旅の重さ」のきびきびとした進行はシナリオの功だと思う。

 さて最後に原作。数奇な運命で世に出た覆面作家、素九鬼子(もと・くきこ)のデビュー作である。70年代に何作書かれたが、当時は正体不明とされた。「大地の子守歌」「パーマネント・ブルー」はそれぞれ原田美枝子、秋吉久美子主演で映画化され、70年代の映画ファンには忘れられない名前だ。読んだことはないんだけど、映画を見ると全部四国、瀬戸内海が舞台。実際に作者は愛媛県出身で、東京から見ると風景も珍しい。この原作を石森が脚色し、映像派の斎藤監督が新人女優で映画化する。企画としてうまく行く要素がそろっていた。

 フォトジェニックなシーンが続き、何だか日本映画じゃないような気分で見ていた。でも僕は当時から思うんだけど、「旅の重さ」って何だろう。普通の人にとって、旅は日常より軽い。旅行に行くと、つい食べ過ぎて後悔したりする。気持ちが軽くなって浮かれてくる。旅から戻って日常生活が始まるのがうっとうしい。それが普通だと思うが、映画の主人公はあっけらかんと家出して、何となく年上の男の家に居つく。そこで暮らせば、それが日常だ。やっぱり日常の方が重いんじゃないか。そうも思うけど、もっと大きな目で見れば、人は皆生まれて死ぬまでの旅をしている。時には軽々と場所を変えられるが、どこにいても「旅の重さ」なのかもしれないなと思ったりする。
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高橋洋子と吉田拓郎-映画「旅の重さ」の魅力②

2018年06月23日 23時37分27秒 |  〃  (旧作日本映画)
 映画「旅の重さ」の話、続き。この映画の魅力はオーディションで選ばれた主演女優の高橋洋子の存在感である。同じオーディションを秋吉久美子も受けていて、次点だった。本名の小野寺久美子名義で、ちょっと出ている。最後に少女が居つく漁師の村で、読書の大好きな不思議少女をやっている。その役もそうだし、その後初主演した松本俊夫監督「十六歳の戦争」、あるいは実質的なデビュー作「赤ちょうちん」など初期の秋吉久美子は繊細で不安定な役柄が似合った。

 高橋洋子(1953~)は2017年に全国公開された「八重子のハミング」で28年ぶりに主演した。もう若い人には忘れられた名前かもしれない。昨年シネマヴェーラ渋谷の東映実録映画特集で「北陸代理戦争」のトークショーを聞いたが、とても元気で記憶もしっかりしていた。ウィキペディアによると、都立三田高校卒業後、文学座の演劇研究所にいた時にオーディションに合格した。「旅の重さ」の翌年には朝ドラ「北の家族」のヒロインに選ばれた。74年には熊井啓監督「サンダカン八番娼館 望郷」で、「からゆきさん」役の田中絹代(ベルリン映画祭女優賞)の若いころを演じた。テレビにもたくさん出ていたし、僕の大好きな神代辰巳監督「宵待草」のヒロイン役も忘れがたい。 

 70年代には女優として大活躍していたが、1981年には「雨が好き」で中央公論新人賞を受賞して作家としてもデビュー。83年には自身で監督して映画化した。著書もたくさんあり、結婚もして、女優を引退したわけじゃないけど幸せに生きてきたということだろう。実人生が証明したように、高橋洋子には健康的で打たれ強いイメージがある。その強さが「サンダカン八番娼館 望郷」や「北陸代理戦争」でも生かされていた。「旅の重さ」の少女の、家出して男の家に居つくという突飛な行動を無理なく見せる若い肉体の存在感があった。映画を見ているうちに、なんだか誰かに似ているような気がしてきた。誰かと思ったら、カーリングの藤澤五月。えっ、全然違うかな?
 
 この映画の高橋洋子は生き生きとして強い。映画館で痴漢にあっても、逆襲して食事をおごらせる。さすがに真夏の四国を歩き回って最後には倒れるが、それでも独特のエネルギッシュさがある。(今の目で見れば熱中症という感じだ。)そんなすごい美人じゃないけど、映画でずっと見ているうちに親しみが湧いてくる。70年代に活躍した若い女優は秋吉久美子桃井かおりなども同様で、容姿だけで言えばクラスメートにだってもっと美人がいたかもしれない。でもこんな生き生きした親しみやすさは映画内でしか接するものじゃなかった。それにクラスメートのヌードは見れないけど、70年代の女優は映画内で胸も見れた。(高校生には重大。)

 この映画の魅力はいくつもあるが、よしだたくろう吉田拓郎)の音楽も大きいと思う。それまでの映画音楽をよく作っていた人よりも親しみやすい。それが成功かというと、ちょっと軽すぎる感じもある。映像や俳優と「対決」するような音楽じゃなく、映像に伴走して俳優を包み込むような音楽。でもそれが見ている若い観客には親しみやすい。吉田拓郎というのは、映画が作られた72年に「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットした新進フォークシンガーである。71年には「広島フォーク村」や中津川の「フォーク・ジャンボリー」の活躍が伝説的に伝わってきていた。映画でテーマ曲になっている「今日までそして明日から」は71年7月に3枚目のシングルレコードとして出た曲だった。

 当時ベストテンの上位になった映画では現代音楽の作曲家が意欲的なスコアを書いていた。72年ベストワンの「忍ぶ川」では、松村禎三の音楽に一番感動した。物語や俳優以上に音楽にビックリしたのである。71年に1位、2位となった大島渚「儀式」、篠田正浩「沈黙」はどちらも武満徹の音楽で、非常に重要な力を発揮している。僕はそのようなアートシネマで現代音楽を知ったのだが、この映画の音楽はだいぶ違った印象がある。今回上映の作品を見ても、ゴダイゴ(青春の殺人者)、ムーンライダース(サチコの幸)、井上堯之(アフリカの光、太陽を盗んだ男)、頭脳警察(鉄砲玉の美学)などが音楽を担当している。映画も音楽も新しい時代になったのである。

 吉田拓郎自身も「フォークシンガー」というカテゴリーで登場してきたが、今思うとちょっと違っていた。72年に六文銭のメンバーだった四角佳子(よすみ・けいこ)と結婚、同時に「僕の髪が肩まで伸びて 君と同じになったら 約束通り町の教会で結婚しようよ」などと抜け抜けと歌った「結婚しようよ」を大ヒットさせた。いわゆる歌謡曲と違う、後に「ニュー・ミュージック」などと呼ばれるようになる曲が商業的に大ヒットした最初の例だった。その後「神田川」(かぐや姫)、「学生街の喫茶店」(ガロ)、「心の旅」(チューリップ)などが僕の高校時代に大ヒットした。

 まるで「旅の重さ」のテーマとして作られたかと思うほど、「今日までそして明日から 」は映画内容にあっていた。「私は今日まで生きてみました 時には誰かの力を借りて 時には誰かにしがみついて 私は今日まで生きてみました そして今私は思っています 明日からもこうして生きてゆくだろうと」 「生きてきました」じゃなくて「生きてみました」と歌う感覚が映画の少女に近い。ラストで驚くような決断をするわけだが、それも「明日からもこうして生きてゆくだろうと」と歌って相対化される。これが若き人生の感覚だった。今思うと、そんなことを言ってることが若さなんだろうが、僕にはなんだか発見のような気がしたのである。(ワールドカップを見ながらのんびり書いてると、監督や原作の話に行かずの長くなってしまった。もう一回。)
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映画「旅の重さ」(1972)の魅力①

2018年06月22日 23時28分58秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで「七〇年代の憂鬱 退廃と情熱の映画史」という特集上映が行われている。同時代で見ていたものとしては、あれがない、これもないなどと言いたくなるけど、とにかく興味深い映画17本が選ばれている。長年再見したかった「あらかじめ失われた恋人たちよ」も見たけど、71年の「前衛」的なムードには共感するものの、やっぱり失敗作だったなあと思った。一方、久方ぶりの「旅の重さ」はもう4回目ぐらいだと思うけど、やはりすごく面白かった。上映はとっくに終わっていて、見たのも2週間ぐらい前なんだけど、書き残しておきたい。

 1972年に作られた斎藤耕一監督作品。スタッフやキャストのことは2回目に回して、1回目は物語を中心に書きたい。この映画はまさに同時代に同年代の物語として見た。簡単に言えば、16歳の少女が夏休みに家出して、四国遍路を続けるうちに様々な体験をする話である。少女は名前も出て来ないが、16歳というから高校1年か2年である。この映画が作られた年に、僕は高校2年生で夏に中国地方を一人旅した。最初に見た時からもう主人公に感情移入してしまい、自分のために作られたロード・ムービーのように思った。同じように特別な思い入れを持つ人も多いだろう。

 この映画を久しぶりに見直して特に感じたのは「風景の美しさ」である。海や山の景色が美しいのは当然だけど、どこにでもありそうな田園風景が美しい。日本の田舎がこんなに美しかったのか。それは当時の僕に「発見」だった。まさに「ディスカバー・ジャパン」。この標語は当時の国鉄の観光キャンペーンで、日本経済が高度成長する一方で「公害」が深刻化した70年前後に話題を呼んだ。また1972年は「連合赤軍事件」の年だ。あさま山荘事件や山岳ベースでのリンチ殺人事件が大きな衝撃を与えた。政治の季節が終わり、共同体や柳田国男への関心が強まっていた。僕もそんな文脈で「日本の地方の風景」を見つけたのではなかったか。

 72年になかったものコンビニ自販機スマホ。自販機は当時もあったけど、この映画では使われない。調べたら70年に100万台を超えたと出てたが、多分大都市が中心だったと思う。僕も旅行中に飲み物がなくて困った記憶がある。コンビニは1974年にセブンイレブン1号店が東京にできた。黛まどかの四国遍路記を見れば、今じゃコンビニのないお遍路は考えられない。スマホはもちろんないけど、公衆電話はあるわけだが、主人公は母親に時々手紙を書いている。それが映画で朗読されて効果をあげている。家出をしたけど、手紙でつながっている。それが70年代である。

 72年にあって今はないもの500円札。これは岩倉具視の肖像だった。安宿に泊まると、一泊300円と言われる。お風呂は別で30円。いくら安いと言っても、今とは物価水準がひとケタ違う。ちょっとした支出は500円札で済む。町中の小さな映画館で痴漢に会う。痴漢はともかく、こんな感じの映画館は今は少ない。(愛媛県の八幡浜だということ。)しかし、小さな日用品は変わっていても、今も理解はできるものが多い。旅芸人の一座、魚の行商人、今はほとんど見なくなっただろうが、それでも理解できる。

 理解できないのは少女の決断。大きなエピソードとして、途中で会う旅芸人一座のシーンと病気で倒れて魚の行商人(高橋悦史)に助けられるシーンがある。旅芝居が面白い、自分も入っちゃおうかというのは判る。少女は父親と住んでいない。事情は分からないけど、母親の男関係が嫌になって少女は家を出た。そんな暮らしの中で、三國連太郎演じる座長の存在感にひかれるのも「父親への憧れ」なのだろうか。しかし少女は女性の座員(横山リエ)と親しくなり、同性愛を体験する。揺れるセクシャリティが何だか自然に理解できてくる。

 いろいろあって体力的にも精神的にも限界になった少女は道端で倒れる。そこを助けてくれたのが不愛想な行商人だった。これは気づいてみたら男の家で寝かせられていたので、選択の余地はない。初めはすぐに出発する気で一度は男の家を出るが、まだ回復が十分でなくまた倒れる。再び男の家に戻るが、今度は男が帰ってこない。突然船に乗って漁に出ることもあるというが、どうも違うらしい。なんだか博打で警察に捕まってたらしい。ほとんど話らしい話もせず、どういう人間か謎を秘めているが、この男に少女は惹かれてゆく。そして居ついてしまって「夫婦」のようになってしまう。これが判るようで判らない。昔からよく判らない。

 だけど判らなくていいんだと思う。完全に判ってしまう物語は浅い感じがする。この少女のラストの決断が判らないから、この話は忘れられなくなっていると思う。家出をするのは判る。そこで異性と出会うのも判る。しかしたいして風采も上がらない男の家に何となく居ついてしまう。これは判らないけど、そういう生き方もあるんだということだ。僕のまわりにだって、何となくえっという感じで結ばれてしまったカップルもいくつかあった。そういうもんかとも思うが、少女の「年上に惹かれる」心性が納得できるかということか。その後どうなって行くのか、ずっとうまく行くとも思えないが、それでも人生にはそんな選択も起こり得るということが若い僕には鮮烈なメッセージだった。
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てがみ座公演「海越えの花たち」を見る

2018年06月21日 22時17分29秒 | 演劇
 てがみ座15回公演「海越えの花たち」を紀伊国屋ホールで見た。(26日まで)最近てがみ座の長田育恵さんの作品をよく見ているけど、初めての紀伊国屋ホールである。下北沢に本多劇場のグループができるまで、若い劇団にとっては新宿紀伊国屋が目標だった。もっとも最近東京都の耐震性調査結果が発表されて以来、紀伊国屋ホールに行くのはなんだか迷ってしまうのだが…。

 今回は慶州ナザレ園にインスパイアされた物語である。ますます大変なテーマに踏み込んでいる。「慶州ナザレ園」というのは、戦後韓国に残された日本人女性のための施設である。高齢化によって事実上「老人ホーム」となっているが、それだけではない大きな意味があった。上坂冬子の「慶州ナザレ園」(1982)という本が評判になって、80年代にはかなり有名だったけれどもう僕も名前ぐらいしか覚えていない。それをテーマにどんなドラマが展開されるのか。

 長田育恵の劇は一人の人物に焦点を当てることが多かったが、最近は多数の人物の出てくる群像劇で大きなテーマが語られるようになった。今回も「民族」「植民地支配」「女性」「戦争」といった大変なテーマに加えて、「朝鮮戦争」「原爆」「宗教」「障害」などの問題が後半の大きなテーマとして現れる。あまりにも重大なことが劇中で起こり過ぎ、うまく消化されているとは思えないが、常に問われているのは「国家とは何か」という痛切な問いだろう。

 日本の植民地だった朝鮮半島に残された日本人妻とは何か。敗戦後に支配民族だった日本人の大部分は帰国する。しかし、朝鮮人と結婚していた日本人女性には残った人もあった。戦前戦中は「内鮮一体」と称して、日本本国と朝鮮は同等であると宣伝されていた。(しかし「朝鮮」を「鮮」と下の語で略するところにもう差別心がある。「朝廷」の「朝」を避けたと言われている。)日本国内で差別視されていた朝鮮人に嫁ぐことは、日本の実家と縁を切る決心が必要だった。

 朝鮮の有力一家は男子を日本の大学に進学させることも多く、日本人女性と知り合う場合もあった。この劇の主人公風見千賀(石村みか)はそのケースである。朝鮮の名家に嫁ぐ意思で結婚したから、出征した夫を待ち続けることになる。一方、そこに転がり込む松尾ユキ(桑原裕子)は貧しい労働者と一緒になり、親に勘当されて朝鮮に来た。だから戻るに戻れないのである。日本人女性にも明確な階層差があった。

 「弱い国」の女性が「強い国」の男性と結婚することはよくある。占領期に米軍人と結婚した日本女性、経済発展した日本で農村男性の結婚相手を求めた「フィリピン人妻」など。一方、支配民族の男の通念は、「強い国」の女性は「強い国」の男に嫁ぐべきだというものだ。「自分たちの女」が被支配者に取られるのが許せないのである。朝鮮人留学生と結婚した主人公は、要するにオバマ前米国大統領の母親と同じケースだが、時代的、民族的にはるかに厳しい境遇にあった。

 しかし民族差別や女性の生き方といった大きなテーマをじっくり考える余裕もない。日本敗戦、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の建国、「6・25」(朝鮮戦争)という時代の流れが次々と登場人物に選択を迫る。朝鮮戦争が「北」の侵攻だったことは今や自明のこととして語られている。北の軍隊に対してキリスト教会を装い「堤岩里を忘れたか」と言って助かる。1919年の三一独立戦争時に日本軍に虐殺された教会があった場所である。こうしてキリスト教に基づく助け合いの集まりとなっていき、日本からも韓国からも忘れられた日本人女性たちの集う場となった。

 舞台はシンプルなセットで進行し、時には椅子に座って体験を語るというスタイルもある。それぞれの負っている運命があまりにも大きなもので、どうも話が拡散してしまう感じもした。それにしても野心的なテーマを取り上げたと思うが、これは現実の慶州ナザレ園とは少し違うんじゃないかと思った。このように国家を告発する存在としてあったわけではないだろう。それにしても無謀な戦争さえなければ、ここまでの悲劇は起こらない。何度でも言って行かないといけないことだと思う。
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深田晃司監督「海を駆ける」

2018年06月19日 22時45分17秒 | 映画 (新作日本映画)
 前作「淵に立つ」が今なお鮮烈な深田晃司監督(1980~)の新作「海を駆ける」が公開されている。余り情報がないままに見たんだけど、全編インドネシアのスマトラ島北部アチェでロケした作品だったことに驚いた。アチェと言えば長いこと独立運動が繰り広げられた。そのことも出てくるが、それ以上に2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震を思い出す人が多いだろう。2011.3.11まで、世界の人にとってはまず思い出す「ツナミ」だったに違いない。

 今は静かで美しい海が映し出されるが、冒頭で海の中から「謎の男」が現れる。日本人だからインドネシア人だか、それすら判らないけどどっちの言葉も理解できるらしい。その男を現地語で海を意味する「ラウ」を仮に名付けて世話をすることになる。そのラウをディーン・フジオカが演じているけど、セリフも少ないからなんだかよく判らない。その後次第にラウが奇跡(超常現象)を起こせるらしいことが描かれる。こうなると僕の手に負えなくなってくる。

 震災復興のNGOで働いている貴子(鶴田真由)の家にラウは引き取られる。彼女の家には息子のタカシ太賀)も住んでいて地元の大学に通っている。タカシの父はインドネシア人らしいが出て来ない。タカシは二重国籍だったが、成人した時にインドネシア国籍を選択したという。母とは日本語で話している。鶴田真由、太賀は前々作「ほとりの朔子」にも出ていた。そこに東京から姉の子サチコ阿部純子)も訪れる。アチェのどこかの写真を持っていて、父の遺骨をそこに散骨して欲しいというのが父の遺言だったらしい。

 日本語を話す3人に加えて、タカシの大学の友人クリス、クリスの幼なじみでジャーナリストを目指しているイルマが登場する。クリスは家が内陸にあり津波の影響はなかったが、イルマは家が流された。イルマの方が成績が良かったのに、父も独立運動で足をけがして大学へ行けない。イルマは明らかにムスリムで、クリスとは信仰が違うというからクリスはキリスト教徒なんだろう。この若者4人に間には色恋沙汰も起こって、それがなかなか面白い。夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという話が伏線になっている。(その話は一種の伝説らしいが。)

 そういう若者同士のエピソードと絡むようで、何だかよく判らないのがラウの話。現世的には「記憶喪失」の日本人らしいということになるが、身元は全然判らない。そして彼はあちこちで不思議な出来事を起こす。生命力を甦らせる力が彼にはあるのだろうか。それだけなら善き力だが、それだけでなく悪しき力をも持っているのだろうか。どうも僕には判らないんだけど、ラウが「海」と名付けられたように、その不思議な力は海に由来するのだろうか。海に消えた多くの生命の甦りなのだろうか。どうも判らないけど、アチェの風景も興味深く何だかいわく言い難いムードがある。

 「淵に立つ」ほどの現実を切り裂く力がない感じだけど、深田監督は見続ける意味がある。それに東南アジアに関心があるので、この物語の発想が興味深い。撮影の芹沢明子も素晴らしい。「岸辺の海」や「羊の木」の人で、深田監督とは「さようなら」で組んでいる。インドネシアの空気をうまく映し出している。日本の俳優では阿部純子(1993~)が印象深い。河瀨直美の「2つ目の窓」に吉永淳の名前で出てた人。高校生役で共演した村上虹郎はその後も活躍しているが、吉永淳はどうしたのかと思うと、慶応を出てニューヨークにも留学、今は本名で活動している。「狐狼の血」で薬剤師役をやっていたが、その時は気づかなかった。注目株である。
 (阿部純子)
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沖田修一監督「モリのいる場所」

2018年06月18日 22時10分38秒 | 映画 (新作日本映画)
 沖田修一監督脚本・監督の映画「モリのいる場所」は、超俗の画家と言われた熊谷守一(くまがい・もりかず)の日々を描いている。何しろ何十年も自宅の庭しか出なかったというから凄い。そして庭で虫や植物をじっと眺めて暮らし、抽象画のような虫の絵を描いた。その自宅はどこにあったかというと、豊島区要町なのである。池袋から地下鉄で一駅、今や住宅地のど真ん中だけど、ここに豊島区立熊谷守一美術館が建っている。

 淡々としたドキュメンタリーを見ている感じもする映画だが、熊谷守一本人は1977年に97歳で没している。だから俳優が演じている劇映画なんだけど、それは見ている人も皆判っている。だけどモリを演じる山崎努、その妻を演じる樹木希林、二人ともが仙境に入りつつある感じで、なんとも素晴らしい存在感である。演技力なんてものを軽く超越してしまった感じである。

 モリは一日中庭で何をしているのか。上の画像はアリを見ているところ。アリは左二本目の足から歩きだすということを発見したというんだけど、他の人には判らない。アリなんか見ていて面白いかと言えば、でもなんだか面白そうではある。他にもやりたいことがあるから自分はやらないけれど、昆虫観察は面白いだろう。小さな庭だけど、そこには宇宙に通じる秘密が隠されている。生き物の世界というのは、そういうもんだ。でも、普通はここまで極端にはならない。単に芸術家というだけでは解けない人間としての秘密もありそうである。

 モリの家には多くの人が訪ねてくる。それらの人々との交流をユーモラスに描きながら、映画は進んで行く。映画内で登場人物が深刻な対立におちいるわけではなく、日常とはちょっと違う環境にありながらもユーモラスに日常が進んで行く様を「観察」している。そういう作り方は、沖田監督の脚本・監督作品に共通してる。「南極料理人」「キツツキと雨」「滝を見にいく」「モヒカン故郷に帰る」など大体そんな感じ。「横道世之介」は吉田修一原作の力が大きく一番面白かったと思うが、「モリのいる場所」はまた違った感じの傑作だ。何といっても山崎努と樹木希林が忘れがたい。
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「米朝首脳会談」をどう見るか

2018年06月17日 22時48分10秒 |  〃  (国際問題)
 6月12日にシンガポールで、ドナルド・トランプとキム・ジョンウンの会談が行われた。事前に2回書いたから、会談そのものについても書いておきたいと思う。だけど、正直あまり細かく見ていなかった。今回は家族の突然の入院と重なってしまい、どうしてもそっちに気を取られた。そういう時は大ニュースも霞んでしまう。僕にとってはもっと重大な袴田事件の再審決定には時間を作って出かけたが、会談前日の悪いニュースに愕然とし過ぎてしまったこともある。

 僕の感想はまず首脳会談というのは「政治ショー」なんだなあということだ。これは悪く言ってるわけではない。カナダのシャルルボワで直前に行われていた「G7」サミットだって政治ショーだろう。実務家どうしの折衝では解決できないこともある。だからこその首脳会談だが、政治家だからどうしても政治的な駆け引きや思惑が関係する。会談後にあれこれ言われているが、とにかく会ったわけで、それが一番重大なんじゃないかと思う。まあ当初は「朝鮮戦争終結宣言」とか「米朝国交正常化」という観測もあったから、それを思えば「中身が薄かったな」とも思ってしまうけど。

 何で6月12日だったのだろうか。当初から「早すぎるな」という気がした。この日程だったから、トランプはサミットを中座して出かけることになった。もしかしたらそれが理由か。さすがにサミット出席そのものはキャンセルできないが、自分が批判されると判ってる会談には出たくないだろう。貿易問題などの議論に深入りする前に、「俺様はこれからサミットより大事な会談に出かけるぞ」と言って出てきてしまう。一方、直後に韓国の統一地方選挙が予定されていて、ムン・ジェイン大統領与党が圧勝した。(保守系野党は慶尚北道と大邱は死守したのみ。)選挙日程は事前に判っているので、事実上キム・ジョンウンがムン・ジェイン政権に「恩を売った」と言える。

 共同宣言を読んでみると、気になることがあるのは間違いない。最初の方で「トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を提供することを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全な非核化への、確固として揺るぎのない約束を再確認した。」その後に「新たな米朝関係の樹立が朝鮮半島と世界の平和と繁栄に寄与すると確信し、相互の信頼醸成によって朝鮮半島の非核化を推進することができると確認し、トランプ大統領と金委員長は以下のことを表明する。」
 
 その「以下の表明」は4項目にわたっている。細かな部分を省いて順に紹介すると、
①新たな米朝関係を樹立することを約束する。
②持続的で安定した平和体制を構築するために共に努力する。
③北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて努力することを約束する。
④身元特定済み遺骨の即時送還を含め、捕虜や行方不明兵の遺骨収集を約束する。

 「北朝鮮」と訳しているのは日本の新聞で、原文は「DPRK」である。「朝鮮民主主義人民共和国」の英語名の略語だが、本来は呼び方も重要なので原文通り訳すべきだろう。ところで以上を見てみると、DPRKが「約束」しているのは「非核化」ではなく、「非核化に向けて努力すること」である。それに①③④は「約束」しているが、②の「平和体制構築」は双方の「努力」に止まっている。とりあえず努力することはできるが、約束はまだできないのか。

 だから非核化に関する「CVID」がないじゃないかと指摘するする人がいる。なんだそれはと言うと、〝Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement”の略で、「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」のことだ。そんな言葉も知らなかったけど、「検証可能」は必須だが「完全」と「不可逆的」は定義が難しい。原子爆弾を作るためにはウラン濃縮技術と原子炉が必要だけど、原子炉の最終的な解体には何十年もかかることは原発の廃炉と同じ。「完全」な非核化には何十年もかかるわけだが、それまで制裁を続けることはありえない。

 保守派の中には、ここぞとばかり「キム・ジョンウンにだまされてはいけない」と言って回るひともいる。大歓迎して「米国と北朝鮮の信頼感」という人もいるけど、僕が思うにトランプもキム・ジョンウンも信用できないとするのが普通の感覚ではないか。日本政府は「北朝鮮の態度はまだはっきりしない」から米国から購入予定のミサイル防衛システムは予定通り配備を進めるそうだけど、そうすると完全な非核化、ミサイル放棄が実現して困るのはアメリカ側ではないのか。日本に防衛装備を買わせるまで「北朝鮮情勢のあいまい化」を続けながら、アメリカ本国では平和の使徒のようにふるまって中間選挙に臨む。そういうことなのかなと思う。

 本気で交渉する気があるなら、もっとシンガポールにいるのが普通だろう。そそくさと帰ってしまったのは、「今回は顔合わせ」と決めていたからだと思う。そして会って見て、サミットであれこれうるさく指図する「大国」に比べて、礼遇してくれるキム・ジョンウンに親近感を持って帰った。そういうことだと思う。前に書いたように、似た者同士だから相性がいいのかもしれない。今後も様々なことが起こりそうだけど、今後は日朝交渉にも注目が集まる。安倍首相の自民党総裁選とも絡んで注目が必要だ。(安倍氏が退陣した場合、日本国内で強力な政権ができない可能性が高い。親安倍グループが反対キャンペーンをすれば、日朝交渉はつぶれる。だから、当然北側は安倍三選と絡めて日程を考えてくるだろう。)
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台湾映画「軍中楽園」ー1969、金門島の「慰安婦」たち

2018年06月16日 23時02分44秒 |  〃  (新作外国映画)
 国立映画アーカイブでブルガリアのカメン・カーレフという監督の映画が2本上映されるので見に行った。開映時間が1時半だと思い込んで、1時ギリギリに行った自分も悪いんだけど、なんと満員で入れないとは想定外。そこで渋谷のユーロスペースに「軍中楽園」を見に行った。これは見逃さなくて良かったなあと思う映画で、まあ結果的に良かったと納得できる日。

 2014年、ニウ・チェンザー監督作品。今までには「モンガに散る」が公開されている。ホウ・シャオシェンの「風櫃の少年」に主演した人で、今回もホウ・シャオシェンが「編集協力」としてクレジットされている。この映画は1969年の金門島が舞台になっている。若い人だと名前を知らないかもしれないが、中国の福建省の目の前にある島で、大陸とは2キロ程度しか離れていない。1949年の中国革命時、台湾に逃れた国民党政権が防衛に成功した。最前線の島として世界に有名だったが、この頃は映画にあるように奇数日は中国側、偶数日は台湾側から砲撃と決まっていた。

 新兵のルオ・バオタイ(イーサン・ルアン)は体格を見込まれ精鋭部隊に選抜されたが、水泳が苦手なことを知られ「特約茶室」担当に飛ばされる。そこは軍隊にある娼館で「831部隊」と呼ばれていた。(何だか「731部隊」みたいな名前だけど。)またの名は「軍中楽園」で、結婚を禁じられた老兵たちにとって「楽園」になっていた。バオタイは婚約者がいて結婚までは純潔を誓い合っている。親からも831には近づくなと言われていたが、軍命とあればやむを得ず仕事せざるを得ない。この娼館のセットがすごくて、実物を相当に調べて再現したものだという。

 娼婦の映画は昔の日本でもかなり作られているが、大体パターンは決まっている。それなりの事情があって娼婦になったわけだが、その不幸な事情につぶされるタイプがいて、もう一方に事情は事情として男たちに貢がせて蓄財に専念するタイプがある。また男の人気を得にくい「年増」や「不器量」もいるが、経験と貫録でリーダーとなったり派閥争いをしたりする。環境にめげずに生きているタイプがいて、全体を観察する役をやる。この映画もパターンに沿った構成だが、中でも不幸な事情を持ち、バオタイと心を通わせるニーニーを演じたレジーナ・ワンが素晴らしい。「帰らざる河」(マリリン・モンローが歌った映画主題歌)を歌うシーンは忘れがたい。金馬奨助演女優賞。
 (ニーニーとバオタイ)
 この娼婦たちは完全に軍の管理下にある。831部隊で働くと女性受刑者の刑期が減刑になるという制度もあるから、もう完全に国家の制度である。さすがに人権上問題だと1990年に廃止されたというが、それまであったのも驚き。まさに「軍慰安婦」というしかない。外国から連れてきたりしてないし自由意志で来てるんだろうけど、一日10人のノルマもあって「性奴隷制度」には違いない。「フーゾク」で働くにしたって都会の方が面白いと思うが、万が一戦場にならないとも限らない場所だから「危険手当」「僻地手当」みたいな措置があったんだと思う。

 もっとも女性たちの境遇はあまり語られず、むしろバオタイの上官だったラオジャン(老張)の悲劇が心に残る。まだ幼い時期に抗日戦に参加し、国民党軍に従うまま台湾に来てしまった。大陸に残した老母とは会うこともままならない。結婚も出来ずに年を取ってしまい、軍を引退して餃子屋を開く夢を一人の娼婦に語っている。バオタイは彼女に「純情なラオジャンをたぶらかすな」と忠告していたが…。また新兵時代の知り合いは坑内作業でいじめられ、娼婦に救いを求める。

 この映画は何を言おうとしているのだろうか。人間は歴史の中でもがいて生きるしかない。生まれた時代や生まれた家は選べない。国民党に連れられて台湾に来て大陸反攻を夢見て老いた兵も歴史の犠牲者だろう。一方、国民党が逃げてきて台湾を支配した結果、台湾で生まれて徴兵されて金門島で兵役に就いた青年も歴史の犠牲者である。もちろん娼婦一人ひとりも言うに言われぬ歴史の不幸を背負っているだろう。ここでは語られないが、島の対岸の大陸本土でも「文化大革命」という歴史の一大悲劇が繰り広げられていた。

 そうなんだけど、人は自分の持ち場でできることをやって生きていくしかない。そしてバオタイは多くの悔いを残して除隊を迎える。もしかしたら自分のちょっとした不注意が悲劇を生んだのではないか。もっと違った人生がありえたのではないか。ラストに出てくる架空のシーンは泣けてくる。金門島の美しい自然の中で繰り広げられるドラマは、案外普遍性がある感慨を呼ぶ。特殊な環境を描く社会派かと思ったら、むしろ世界のどこでも起こり得る出会いと別れのドラマだった。それが僕の思ったこと。「慰安婦」映画でもあるし、台湾の歴史を描く映画でもあるけれど、もっと普遍的に人間を見つめた映画になっている。撮影も音楽も見事で完成度も高い映画だった。
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「レディ・バード」、サイコーの青春映画

2018年06月14日 21時31分46秒 |  〃  (新作外国映画)
 最近一番ごひいきにしているアメリカの女優、グレタ・ガーウィグ(Greta Celeste Gerwig 1983~)の本格的な初監督作品、「レディ・バード」(Lady Bird)は本当に素晴らしい青春映画の大傑作だった。こんなに面白くて心に沁みる映画も珍しい。アメリカで評判になった時から早く見たいと思っていた。アカデミー賞の作品賞だけでなく、監督賞にもノミネートされ、ようやく日本公開。「あるある」感満載の女子高生映画だが、映画史的にも絶対に見逃せない映画だと思う。

 主演のシアーシャ・ローナン(1994~)は、「つぐない」「ブルックリン」に続き、早くも三度目のオスカー・ノミネート。「ブルックリン」も素晴らしかったので、このコンビは期待大。カリフォルニア州の州都サクラメントに住むクリスティン・マクファーソンは母親とうまく行ってない。自分のことも「レディ・バード」(テントウムシ)と名乗り、家族や学校でもそう呼んで欲しいと言っている。冒頭、大学見学帰りの車の中、母は「怒りの葡萄」の朗読を車内で聞いていて、余韻に浸りたいと音楽を聞かせてくれない。地元の大学に行って欲しい母と絶対に東部の大学に行きたいと言い張るレディ・バードが言い争う。と突然、娘はドアを開けて車外に転がり落ちる。
 (シアーシャ・ローナン)
 この始まりに度肝を抜かれるが、こういう「進路」をめぐる親子のいさかいは全世界共通のものだろう。レディ・バードは父とはうまく行ってるけど、母のマリオン(ローリー・メトカーフ=アカデミー賞助演女優賞ノミネート)とは衝突しがちである。父は体調もすぐれず、会社はリストラ最中。養子の兄も大学を出たもののアルバイトで、病院で働く母が夜勤もいとわず働いて家を支えている。しかし、宗教戒律の強い学校生活に飽き飽きしているレディ・バードは町を脱出したい。 

 カリフォルニアと言えば自由そのもののようなイメージがあったが、「サクラメント」(秘跡)という地名を持つ州都はずいぶん宗教的らしい。公立校で事件があったとかで、母は娘をカトリック学校に入れる。そこには友人もいるけど、どうにも窮屈。しかし、学校でやるミュージカル公演のオーディションに出て見たらと言われて、大役じゃないけど役が付く。そこで主役のダニー(ルーカス・ヘッジズ=「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の甥役)がかっこいいと思ったら、スーパーで出会って仲良くなれる。感謝祭に招かれると、なんと憧れの大邸宅が彼の叔母さんの家だった。

 この階級差のある恋愛は、あるきっかけで頓挫するけど、今度はバイト先でカイル(ティモシー・シャラメ=「君の名前で僕を呼んで」の青年役)と親しくなる。感謝祭パーティで音楽をやっていた青年である。ちょっと斜に構えたクールさがステキに見えるし、自分は童貞というから処女を捧げてもいいかなというぐらい好きになる。「愛と性」はやっぱり青春の大テーマで、彼女たちもいくら宗教学校でも頭の中は思春期である。レディ・バードは家が豊かではないから、あまり弾けてないけど、顔はカワイイ。そしてイケメンを見ると弱いようである。

 レディ・バードはサクラメントを脱出できるのか。友人との関係は、男友達とは…。そして憧れのプロム(プロムナード=舞踏会、アメリカの高校卒業パーティのことで人生の一大事)はどうなる?でも、お堅い学校のプロムは案外おとなしく、帰りに友だちに「映画で見るように騒がしくなかったね。やりたい、やりたいと思ってたけど、やってみたらオナニーの方が良かったみたいな」と言うのが笑える。このちょっとはっきり言いすぎの女の子、レディ・バードの行く末、心配だけど愛しくなる。

 グレタ・ガーウィグは実際にサクラメント出身で、自身の体験かと言うとそうでもないらしい。2002年から一年の設定で、グレタの実年齢より少し若い。スマホ登場前で、「9・11」の後ということらしい。画面にはイラク戦争の話も出てきて、世界が変わる時代に生きていることが示される。カイル役のティモシー・シャラメは、グレタに対して「レディ・バードはグレタだと皆が思っているけど、本当はカイルの方だ」と言ったらしい。これは言いえて妙の卓見だろう。監督の実体験を甘く切なく再現する思い出映画じゃない。その鋭い観察力を見抜かないといけない。
 (グレタ・ガーウィグ)
 グレタ・ガーウィグを初めて見たのは、脚本・主演の「フランシス・ハ」で、主演したフランシスの不器用な生き方に共感してしまった。その後の「20センチュリー・ウーマン」や「マギーズ・プラン」も似たような感じ。生きづらい世の中に立ちすくむ主人公は、幾分か本人に近いんだと思う。グレタはレディ・バードと同じくサクラメント脱出を目指すも、現実には全部落ちて地元大学だったらしい。ひょんなきっかけで映画に出演、その後も映画や演劇の専門学校には通わず、自分の力で脚本を書いてきた。今回の初監督は紛れもない才能の証で、今後も注目していきたい。

 アカデミー賞監督賞にノミネートされた女性は今まで5人。受賞したのは「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグローだけ。他は「ロスト・イン・トランスレーション」のソフィア・コッポラ、そして外国映画の「セブン・ビューティーズ」のリナ・ヴェルトミュラー、「ピアノ・レッスン」のジェーン・カンピオンというんだから、近年呉美保、荻上直子、三島有紀子、安藤桃子、ヤン・ヨンヒなどがベストテンに選出されている日本の方が女性監督が活躍しているのかもしれない。映画の専門教育を受けていない女性が自ら脚本、監督して、これほどの大成功を収めたことは全世界の女性に大きな影響を与えると思う。高校生映画は数多いけど、思えば皆男目線だった。その意味で、この映画に影響された「女子映画」が映画史を書き換えていく日が来るかもしれない。
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