尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『宙わたる教室』、夜間定時制高校「科学部」の挑戦ー伊与原新を読む③

2025年03月03日 22時24分10秒 | 本 (日本文学)

 伊与原新を読むシリーズは一応3回で終わりたい。最後に『宙(そら)わたる教室』(文藝春秋、2023)を中心に、『ブルーネス』(2016、文春文庫)、『オオルリ流星群』(2022、角川文庫)にも少し触れたい。これらは長編小説で、短編集である『藍を継ぐ海』より感動的だと思う。(特に僕のイチ押しは『オオルリ流星群』。)それはともかく、これら3作には共通した感触がある。それは学界でうまく行ってない(非主流的な)研究者が在野(もしくは小さな研究組織)で大学をも凌駕する研究をめざすという構図である。それって何となくどこかで読んだような気が…? そう池井戸潤の『下町ロケット』じゃないか。

 しかし、池井戸潤は宇宙工学の研究者ではない。(文系出身の元銀行員である。)従って『下町ロケット』の技術的な部分は取材して書いたんだろう。作家の仕事は読者に伝わる文章を書くことだから、それで良いのである。『下町ロケット』の技術的、工学的な叙述はとても判りやすかった(全部忘れてしまったけど)。一方、伊与原新はホントの学者出身だから、地球物理学的なテーマの科学的な信憑性は高いけれど、けっこう本格的に難しいときがある。そこが「文学」的にどうなのかと言われて来たようだ。そして、実際に『ブルーネス』や『宙わたる教室』の科学的な部分には僕には難しすぎる部分があるんだなあ。

 『宙わたる教室』は東京の夜間定時制高校(架空の東新宿高校定時制)の生徒たちが、新任の理科教諭に指導されて「科学部」を作って本格的な研究にチャレンジする話である。実際に東京の夜間定時制に勤めた身としては結構ツッコミどころも多いけれど、感動的な物語なのは間違いない。だからこそNHKでドラマ化され、評判を呼んだわけである。そのチャレンジは「火星(の重力)を地球上で再現する」というもので、読んでるときは何となく納得してしまうけど、僕には説明不能。だけど、中で出てくるNASAの火星探査船オポチュニティの話は感動的だ。2004年に始まり、予定をはるかに越えて2018年まで活動した実話は心に沁みる。

 (オポチュニティの轍)

 少子化の時代に夜間定時制に集まる生徒には大体4つの類型がある。まずは今も一定数いる「ヤンチャ系」で、喫煙、ケンカなどで全日制を退学してしまったようなタイプである。次は「不登校系」で、病気やいじめ、発達障害などで中学に通えなくなって、全日制高校へ行けなくなったタイプ。3番目は「ニューカマー外国人」で、日本語力の問題で全日制は難しく(定員割れしている)夜間定時制に来る。外交官や大企業幹部の子どもならインターナショナル・スクールに行けるわけで、親が働きに来ている東南アジア各国の子どもが多い。最後が昔行けなかった高校に一度通いたいという「高年齢生徒」である。

 「科学部」の4人はこの4類型が集まっていて、幾つもの衝突を繰り返しながら研究にチャレンジしていく。もちろんこんなにうまく行くかよという気はするが、これら生徒たちの悩みを知って欲しいという気はする。実際にこういう生徒たちと長い時間接してきて、あまり思い出したくないところもある。だけど、実際にこういう人たちが今の日本で学んでいるという現実は多くの人に知って欲しい。政治家やマスコミの人は大体「良い学校」を出ている場合が多いはず。存在すら気付かぬ「定時制高校」に目を向けて欲しい。これに訳あり全日制生徒も加えて、考えるところが大いにある小説になっている。

 『オオルリ流星群』は神奈川県秦野市近郊(丹沢山系)に小さな天文台を作る話。かつて高校時代に3年なのに文化祭で燃えた。空き缶でオオルリを描くタペストリーを作ったのである。それから25年、一人は死に、一人は引きこもっている。そして一人は国立天文台の研究者の任期が延長されず、丹沢に一人で天文台を作ろうと思っている。もはや中年を迎えた3人はそれに協力しようと思ったが…。これも「先に死んだもの小説」で、心に響く展開が待っている。中年以上ならすごく感動的だと思う。

 『ブルーネス』は東日本大震災で大きく揺れ傷ついた地震学者たちの物語。「原子力村」があるように「地震村」もあると書かれている。学界で「はぐれもの」になった人々がリアルタイムで津波を検知できるシステムを開発しようと奮闘する。それは実際に出来るのか、そして津波を防ぐのに有効なのか。この架空の物語の科学的正確性は判定できない。だけど「学界」は大変だなあと思う。どの分野でも似たようなもんだろう。学者の世界だから純粋な人ばかりということはもちろんあり得ない。

 最後に先ほど書かなかった『宙わたる教室』のツッコミどころ。幾つもあるが、まず「東新宿高校」があるパラレルワールドには新宿山吹高校はないのだろうか。都教委は山手線内にあった普通科の夜間定時制課程は全部無くしてきた。(山手線内では専門高校の工芸高校だけ全定併置で残っている。)もう20年以上前からで、代わりに単位制高校をたくさん作ってきた。「東新宿」に全定併置校があること自体不自然。元は大阪の定時制高校の実話だというが、何故東京に移したのか疑問。少なくとも「統廃合」の対象校にもなってない普通科の全定併置校が東新宿にあるって、どうも不自然。これは「小さな問題」ではない。

 次に主人公の藤竹先生の問題。各学年1クラス(単学級)の定時制に「地学基礎」があるのも不自然だが、教師が休職していて数学も教えているって無理だし。理科教師は一人なんだから、物理、化学、生物なども一人で教えなくちゃいけないはず。数学をやれる時間的余裕はないし、数学の講師なら見つけやすい。理科と数学と二つ免許を持ってる人はごく少数だと思うし、免許はどうなってるのか。しかも、この先生は今も午前に大学に行っていて、時々は午後も校長が「特別研修」として認めて研究しているという。まあ小説だから、東京にはない制度を利用している教師がいてもいいのかもしれないが。

 というような問題もあるけど、一番不思議なのが「給食」が出て来ないところ。5時40分開始で、9時終了だと時間割的に不可能だ。給食は法的な裏付けがあるし、もちろん東京では各校で実施している。それだけ食べに来る生徒がいるというなら理解出来るけど、全く話題に出て来ないのはおかしい。職員会議を夜やってる話があるが、書かれてない大問題でも起こっているんだろうか。もちろん夜間定時制の定例会議は昼間の授業前に行うのである。そう言えば校長は出てくるが、定時制担当の副校長が出て来ないのも不自然というべきかもしれない。まあ、ほとんどの人にはどうでもよい問題だろうけど。

 でも東京の夜間定時制で苦労した身としては、一応書いておきたいのである。僕は昔のことが思い出されて苦労が甦ってきた。全定生徒の対立、暴力的な生徒、リストカット…、大変過ぎるが、それは現実である。それでも何人かは自分がいなかったら高卒資格を取れずになった生徒もいたかもしれない。何年も引きこもっていて、ようやく初めて選挙に行きましたと告げた生徒もいる。そういうことを小さな矜持として、現実の教員としては日々を送ってきたわけである。

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『青ノ果テ 花巻農芸高校地学部の夏』、最高の宮沢賢治小説ー伊与原新を読む②

2025年03月02日 22時14分15秒 | 本 (日本文学)

 伊与原新を読むシリーズ2回目。『青の果テ 花巻農芸高校地学部の夏』(2020)は最高の高校生部活小説で、宮沢賢治小説。しかし、新潮文庫nexというライトノベル向けのレーベルから書き下ろしで刊行されたので、知らない人も多いんじゃないかと思う。「花巻農芸高校」という高校は実在しない。宮沢賢治が教師を務めた花巻農学校の伝統を受け継いでいるのは、「花巻農業高校」である。しかし、明らかにモデルになっていて、そのことはあとがきで明記されている。その架空の高校で、生徒たちが実在しない「地学部」を結成して、夏休みに「イーハトーボ」を探索して回る。そこに登場人物たちの謎が絡まってくる。

 宮沢賢治(1896~1933)を好きな人は世界中に多い。だから宮沢賢治に関わる「二次創作」(映画や小説など)も数多い。宮沢賢治の父親に焦点を当てた門井慶喜銀河鉄道の父』は直木賞を受賞し映画化もされた。だけど、『青ノ果テ』ほど『銀河鉄道の夜』に関する様々な謎に言及している小説はないと思う。(『銀河鉄道の夜』に関心がない人はこの本を読んでも仕方ない。)ところで宮沢賢治といえば、もう一つの代表作がある。『風の又三郎』である。だから当然、この小説も始業式に「謎の転校生」がやって来るところから始まるのである。東京から来た2年生深澤北斗とは一体何者なのか?

(花巻農業高校の宮沢賢治像)

 彼は「佐倉七夏」(なのか)という同級生を知っているのだろうか。そう心配するのは「鹿踊り(ししおどり)部」で活躍する江口壮多である。幼なじみの彼は中学でいじめられていた七夏をいつも見守ってきた。深澤は「イギリス海岸」を見てみたいと、最初の日に訪ねていく。七夏と壮多も何故か付いていって案内することになった。そこで「三井寺」という先輩が化石探しをしていた。三井寺は化石マニアで「地学部」を作りたかったが、今まで誰も賛同者が現れなかった。ところが深澤は入っても良いという。壮多は指を怪我して、せっかく出場が決まっていた全国総文祭にも出られず、七夏を含めて地学部に参加することになる。

(イギリス海岸)

 この「イギリス海岸」は『銀河鉄道の夜』で「カムパネルラが死んだ場所」という説がある。『銀河鉄道の夜』に出てくるいろいろな場所は、モデルになる土地があるとされる。そういう話が頻繁に出てくるので、『銀河鉄道の夜』に関心がない人にはつまらないかもしれない。だが賢治は「カムパネルラが死なない」異稿も書いていた。「カムパネルラが死ななかった世界」とは何だろうか? そういう問いが生まれる中で、突然七夏が学校に来なくなり、家からも消えてしまった。一体何が起こっているのか? 

 そして夏休みに入り、「地学部」は岩手県各地をめぐる2週間もの「巡検」に出るのである。参加者は三井寺、深澤、壮多の三人。早池峰山、種山高原から三陸海岸に回り、小岩井、岩手山から八幡平をめざすという壮大な旅である。この旅で見る各地の様子、また地質や星の描写はものすごく魅力的。「夏休みの部活小説」の魅力満載である。そう言えば、伊与原新の前に「地学」と結びついた小説を書いていた人は「宮沢賢治」だった。賢治は鉱物を収集し、宇宙に関心を寄せ、当時としては最新の科学知識を持っていた。伊与原新が宮沢賢治に関する小説を書くのは全く当然の道筋だったのである。

(宮沢賢治)

 ここで小説の謎の中身を書くことは出来ない。ただし、それは「カムパネルラが死ななかった世界」という言葉に大きく関わっている。カムパネルラは川に落ちたザネリを救って自らは死んだ。このような「自己犠牲」にはどのような意味があるのだろうか? ここで「先に死んだもの小説」という概念を考えることが出来る。有名な夏目漱石の『こゝろ』を思い浮かべれば、「先に死んだもの小説」という言葉で言いたい意味が判って貰えると思う。あるいは大江健三郎に僕の好きな『日常生活の冒険』という長編がある。村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』もそうだし、『ノルウェイの森』初め多くの作品も挙げられる。

(岩手の郷土芸能鹿踊り)

 宮沢賢治の実人生でも、妹のトシが先に死んでしまった。トシへのレクイエムとしてサハリンへの旅が実行され、その旅も『銀河鉄道の夜』に生かされていると言われる。そして、実はそのような「先に死んだもの」小説の中に入るのが、この『青ノ果テ』なのである。あるいはその後に書かれた『オオルリ流星群』も同じである。「先に死んだもの」とは、逆に言えば「遺されたもの」がいるわけだ。もちろん人間は全員死ぬわけだが、親や配偶者、友人などが予想外に早く死んでしまったら、遺族は大変だ。さらに「もしその死が自分のためだったら」という場合、遺された人はどう生きていくべきなのか。

 井上ひさしの戯曲『イーハトーボの劇列車』では先に死んだ者が「思い残し切符」というものを遺されたものに渡していく。この優れた青春小説も、「思い残し」が何年かして若者たちに現れた話と言えるだろう。中で語られる地学、あるいは宮沢賢治世界をめぐる言説が面倒に感じられる人もいると思うが、これは一読の価値ある青春小説、素晴らしき宮沢賢治小説だった。

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『藍を継ぐ海』へ至る道、「地学小説」の醍醐味ー伊与原新を読む①

2025年03月01日 22時24分03秒 | 本 (日本文学)

 伊与原新(いよはら・しん、1972~)をご存じだろうか? 2025年3月現在、最新の(第172回)直木賞受賞者である。僕も昨年12月まで名前を知らなかった。何でも定時制高校を舞台にした小説を書いていて、それがドラマ化されたという話を聞いたのが最初。その本『宙わたる教室』を見つけた後で、『藍を継ぐ海』が直木賞候補になり受賞した。大体3年経つと文庫になるから、受賞作だからといって単行本を買うことはほとんどない。でもつい買ってしまって、この人の本を今いろいろと読んでいる。

(『藍を継ぐ海』)

 「伊与原」というのは珍しい姓だなと思ったら、日本には存在しない姓らしい(本名は「吉原」)。この人は作家としては珍しい経歴の持ち主である。東大大学院で理学系研究科地球惑星科学を専攻し博士課程を修了し、2003年から富山大学助教を務めていたのである。つまりホンモノの学者だったのだが、プロットを思いつき江戸川乱歩賞に応募して最終選考に残った。当初はそのように科学に基づくミステリーを書いていたらしいが、その後もっと幅広く「人間ドラマの中に科学を取り込む」方向に進んでいき、高い評価を受けるようになった。『月まで三キロ』で新田次郎賞、『八月の銀の雪』で直木賞候補になっている。

(伊与原新氏)

 森鴎外以来「医者」にして「文学者」という人はいっぱいいる。安部公房などはやはり「科学的」感性がベースにあると思うし、今も医療小説を書く現役医師はたくさんいる。しかし、現役の学者だったという作家は他にいないのではないか。(文系だとフランス文学で博士課程を修了している佐藤賢一がいるが、大学の研究職に就いた経験はない。)しかし、そういう経歴という以上に、「科学」が物語の核に存在する点が特別なのである。中でも著者の専攻から「地学」が取り上げられることが多い。

 つまり、「宇宙」とか「地質」などである。「気象」「化石」から「動物」に広がることもあるし、宇宙の話から必然的に素粒子などに話が及ぶこともある。「化学」「生命科学」方面はほとんど出て来ないが、まあ専門分化が著しいから大変なんだろう。ところで、宇宙とか地質とかの話になると、時間スケールが非常に長くなる。人間の歴史をはるかに越えた対象を見つめることから生じる「壮大な孤独」の詩。短い時間を生きるしかない「人間」の世界に、実は長い宇宙の時間が隠れている。言われずとも誰でも知っていることだが、普段はあまり意識しない。それを「科学」「エンタメ」「小説」として提示するのである。

(『月まで三キロ』)

 まあ評価された作品をまず文庫で読もうかと『月まで三キロ』(新潮文庫)を読んでみた。6つの短編(+掌編)と逢坂剛との対談が入っている。好みは分れるかと思うが、僕は『星六花』の気象をめぐる話やつくば市を舞台にした『エイリアンの食堂』が心に残った。その短編はラストのオチがなるほどという感じだが、同時に科学者をめぐる厳しい人事状況も忘れがたい。最後の『山を刻む』も日光白根山を舞台に火山研究者を描いていて興味深かった。自分も登っているので土地勘が働くのである。そして主人公にどんな「謎」があるのかという興味でも上手に描かれている。全体に「女性の生き方」を考える作品が多い。

(『八月の銀の雪』)

 次に『八月の銀の雪』(新潮文庫)を読んでみた。直木賞候補になった(受賞は西條奈可『心寂し川』)作品だが、選評を記録しているサイトを見ると興味深い。「科学」を評価しつつも、まだ「人間が描けていない」という評が多い。これが直木賞のキーワードで、こう言われて多くの作家が受賞出来なかった。しかし、小説なんだから「人間を描く」のは当然で、エンタメ系では筋書きやトリック重視の作品が多いのも事実。『八月の銀の雪』は表題の理由が詩的で素晴らしい。『海へ還る日』も科博(名前は違うが)を舞台にアッという小説。『玻璃を拾う』を含めて現代日本で苦闘する様々な女性像が刻まれている。

 そして受賞作『藍を継ぐ海』(新潮社)。『夢化けの島』の山口県見島と萩焼。『祈りの断片』の長崎原爆と向き合う地方公務員。『星堕つ駅逓』の隕石と北海道開拓史。今までの自然科学に加えて、「歴史」への眼差しも加わり一段化けたということだろう。だけど僕は『狼犬ダイアリー』が興味深かった。「狼犬」(おおかみけん)とは何か。紀伊山地で狼を見たという話をめぐる少年と犬の話。僕は犬好きだし、昔動物学者になりたかったぐらいで動物をめぐる話に弱い。『藍を継ぐ海』は徳島県のウミガメをめぐる物語。三作合わせて、女性の自然科学者を主人公にする物語が多いのも特徴。考えさせられる点が多い。

 僕は前から「地学振興」を唱えていて、高校教育の理科の中で「地学」の授業が少なくなった現状を指摘したことがある。日本は地震、火山噴火、台風、集中豪雨などの災害を避けることが出来ない。そんな国で生きている我々は「地学」を学ぶ必要があるはずだ。まあ学校でいくら勉強しても忘れちゃうものだが、伊与原新という作家が現れたことで皆が多くの学べるはずだ。もちろん勉強のために読むわけではない。直木賞受賞作家なんだからとても読みやすくて感動的なのである。

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『鍵・瘋癲老人日記』『陰影礼賛・文章読本』『台所太平記』ー谷崎潤一郎を読む③

2024年11月18日 22時12分34秒 | 本 (日本文学)

 谷崎潤一郎を読むシリーズ3回目(最後)。谷崎作品の中には、今となってはこれはどうもという小説が結構多い、いつもスルーしておくんだけど、谷崎の場合はその説明も意味があると思うので書いておきたい。まず、伝奇小説系のエンタメ色の強い作品は面白くない。『乱菊物語』『武州公秘話』などが代表。もっともどっちも未完だから、面白くなくても仕方ないかもしれない。一般論として、純文学は生き残るがエンタメ小説は賞味期限が短い。芥川賞の名前となった芥川龍之介は皆が読んでるだろうが、直木賞の由来である直木三十五なんで、読んでないどころか名前も忘れられている。まあ、それはともかく現代の冒険小説、幻想小説、時代小説の水準は非常に高くなっているので、今じゃ谷崎作品レベルじゃ満足出来ないのである。

 戦後に書かれた大問題作『鍵・瘋癲老人日記』もあまり面白くなかった。どっちも老人の性を赤裸々に描いて、評判・非難・称賛された小説である。『』(1956)は「異常」な性行動が日記体で書かれていて、国会で問題にされたぐらいだ。どんなエロティックな話なんだと思うと、今じゃ『鍵』で興奮する人なんかいないだろう。56歳の大学教授と45歳の妻がお互いに相手に読まれると知っていて、日記に性行動を書く。さらに、娘と夫の教え子もいて複雑な関係になる。夫婦、親子で心理ゲームを仕掛けあうのが鬱陶しい。『』の夫の日記と『瘋癲老人日記』はカタカナ日記なので、今では読みにくいったらない。

 『瘋癲(ふうてん)老人日記』(1962)は谷崎75歳の作品で、77歳の老人の日記という体裁。実娘より嫁(息子の妻)に執着して、嫁の足形の「仏足石」を墓石にして、あの世に行っても嫁に踏まれたいと望む。谷崎の「マゾヒズム」「足フェチ」を究極まで突き詰めた最後の長編小説。小説としてみれば、紛れもない傑作だが、あまりにも変すぎて笑えるぐらい。気色悪いのは否定出来ない。これもモデルがあって、三人目の妻松子の連れ子の妻、渡辺千萬子である。

 それより『鍵』も同じだが、主人公は病気持ちなのである。高齢で美食しているから、高血圧で脳血管障害がある。実際に小説中で倒れている。驚くのは救急車を呼ばないのである。調べてみると、救急車自体はもうあったが、全国各地に普及するのはもう少し後らしい。大体各家庭に電話がないんだから(60年代後半まで固定電話もない家が多かった)、呼ぶのも大変。小説の主人公は裕福で電話もあるが、病院に行ってもMRIなんかないから自宅で安静が一番という時代である。東大病院の医師が往診に来るのでビックリ。血圧の上が200を越えたりしているのも、驚き。医療水準の違いこそ、今では読みどころである。

 『陰影礼賛・文章読本』は30年代に書かれた有名な評論だが、初めて読んだ。本格的に論じるのは大変なので、ちょっと感じたことだけ。どっちも今でも興味深い論点もあるんだけど、全体的に古びた感じがする。有名な『陰影礼賛』(1933)は人種的観点があるのがマイナス。「白人」の文化が「陰影」を解さないのは「皮膚の色の違い」が原因だみたいな箇所がある。それなら「黒人」はどうなんだという観点が全くない。これは昔の文明論の特徴でもあるが、日本とヨーロッパ(の英仏独など大国)を比べるだけで、「東西文化」を論じちゃうのである。また「トイレ」も取り上げているが、洗浄便座が普及した現在では、昔の「厠」(かわや)の方が奥ゆかしいなんて思う人は誰もいないだろう。都会の夜は明るすぎて星空も見えないけれど、安全には代えがたい。

 『文章読本』(1934)はとても良く出来た文章入門編だけど、今じゃ例文が古すぎる。でも『城の崎にて』(志賀直哉)を取り上げて何度も論じているところは勉強になる。なるほど、これが志賀の文章推敲かと実感できた。古典文を引用しているのも貴重。だが可能な限り「新語」を使うべきでなく、「概念」「観念」は「考え」と言えば通じるという(218頁)のは、今では通じない。出ている例文、「彼には国家という観念がない」は「彼には国家という考えがない」と言えるかというと、現代人ならそこに微妙な違いがあることが理解できると思う。「観念」「概念」「理念」などはそれぞれ特別なニュアンスが生じたのである。 

 『台所太平記』(1962)について最後に簡単に。これはライトノベル的に谷崎家にかつて勤めた「女中」を回想した小説。すごく面白いし、映画化されたのも面白い。だけど時代の違いをこれほど感じる本もない。堂々と「同性愛」嫌悪が語られるし、家意識、家父長意識が随所に出ている。谷崎がいかに転居を繰り返したかが判って興味深い本で、時代相の描写も面白い。しかし、「良き主人」と「良き女中」による「良き家庭」を心底信じていた時代の産物なのである。

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『春琴抄』『少将滋幹の母』『猫と庄造と二人の女』ー谷崎潤一郎を読む②

2024年11月17日 21時46分51秒 | 本 (日本文学)

 谷崎潤一郎を読むシリーズ2回目。谷崎作品は数多くあるけれど、最高傑作は何だろうか。僕は学生時代に読んだとき、『春琴抄』(1933)が内容的にも方法的にもひときわ抜けた作品だと思った。今回読み直しても評価は変わらなかったが、『少将滋幹の母』(1949)も同じぐらい素晴らしいと思った。もちろん『細雪』を忘れてはいけないが、谷崎文学の特色である「女性崇拝」「母恋い」というテーマを突き詰めている点で、この2作が突出していると思う。

 『春琴抄』は大活字に変わった新潮文庫でも128頁、そのうち92頁から「注解」になるから、ずいぶん短い小説である。しかし、その90頁ほどの中は、ほとんど句読点がなく字ばかりがずっと続いている。内容も異様だが、文体も異様な熱を帯びていて、一見すると読む気が失せる感じだが、読み始めると案外作品世界に入りやすい。「春琴」という盲目の三味線奏者に丁稚の佐助が生涯掛けて尽し抜くという「女性崇拝」の極致。しかも美女とうたわれる春琴がある事件により顔に傷を負うと、佐助は自らも盲目になって付き従う。「マゾヒズム」というか、恐るべき愛の境地を緻密に描いて読むものを「納得」させてしまう。

 何度も映像化されているが、この小説は本来映像化不能だと思う。肝心なところを薄めないと映像に出来ないし、どう工夫しようと「盲目」の世界を描き切るのは不可能だ。この超絶的小説を成立させるため、作者が試みたのは「評伝」として書くという方法である。幕末から明治にかけて活躍した奏者の伝記、「鵙(もず)屋春琴伝」という本を作者が見つけ、墓も訪ねる。ゆかりの人にも話を聞いて、「春琴伝」に書かれていない春琴、佐助の「真実」を追求していくという体裁である。これが成功して実在人物のように読めて感銘が深くなる。(実在人物と思い込んで春琴の墓を探す人が多かったという。)

 そういう風に、様々な本に当たりながらまるで歴史の考証のように始まる小説は、『春琴抄』が初めてではない。1931年の『吉野葛』も同じような構成になっていて、ほとんど歴史紀行みたいに始まる。南北朝統一後も吉野の奥で活動を続けた「後南朝」の秘史を探るというスタイルで進行し、いつのまにか「母恋い」の物語となる。吉野の風景描写も趣深く、昔から好きな小説なんだけど、完成度から言えば、内容と形式の融合が不十分で読んでいて中途半端感が残るのが残念だ。

 『少将滋幹(しげもと)の母』は、戦後の1949年に書かれた傑作。『今昔物語』にあるエピソードをもとに想像力を膨らませ、谷崎が創作した「偽書」を巧みに織り交ぜて「母恋い」ものの極致に至る。左大臣藤原時平は老齢の大納言藤原国経の北の方が美しいと聞き、計略を巡らせて白昼堂々奪い去る。幼くして母を奪われた後の左近衛少将藤原滋幹(国経と北の方の子)は母を慕いながらも会うこともならずにいたが、後年になって思いがけず再会の日がやって来る。藤原時平はもちろん実在人物で、右大臣菅原道真が左遷されときの左大臣である。国経、滋幹も実在人物なんだけど、ここで描かれたエピソードは作者の創作である。

 時平の横暴が凄すぎて、今となってはこんなパワハラが許されたのも驚き。老齢国経の生きざまもすさまじく、この小説はどうなるんだと思う時に、偽書を基にした滋幹のエピソードが出て来る。ものすごく感動的で、谷崎文学でこれほど清冽な感動を覚えるのも珍しい。この小説も昔読んでいて、その時も面白いと思った記憶があるが、どうも年齢が高くなってから読む方が感動が深いかもしれない。妻を奪われた国経の絶望が身に沁みるのである。権力者の横暴がこれほど印象的な小説もない。

 もう一つ、「母恋い」とも「女性崇拝」とも関わらないけど、思いがけぬ傑作が『猫と庄造と二人の女』(1937)。1956年に豊田四郎監督によって映画化され、キネ旬4位となった。主人公の森繁久彌が前年の『夫婦善哉』を思わせる名演で、読んでいて森繁が思い浮かんでしまう。まさに題名通りの小説で、猫のリリーが真の主人公。庄造と前妻、現妻がリリーを巡って相争う。関西小説としても興味深いが、日本史上最高の猫小説じゃないだろうか。最初人間どうしの駆け引きが鬱陶しいが、リリーの存在感がどんどん大きくなっていき、読んでる方も納得させられてしまう。猫好きな方は一読を。

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『痴人の愛』『卍』『蓼喰ふ虫』ー谷崎潤一郎を読む①

2024年11月16日 22時12分13秒 | 本 (日本文学)

 10月からずっと谷崎潤一郎を読んでいて、計14冊になる。文庫に入っている主要作品は大体読んだことになる。いや、けっこう大変だった。今谷崎を読まなければならない内的必然性なんか全然なく、単に溜まっているから片付けようというだけ。近代日本文学史に残されたピースを埋めたいだけなのだ。谷崎は若い頃に何冊か読んで、その後ずっと読んでなかったが、数年前に『細雪』を読んだことはここで3回書いた。今回読んでみて、案外詰まらないもの、古びたものが多いのに驚いた。 

 谷崎潤一郎(1886~1965)はもちろん同時代に新作を読んだ作家ではない。でも、僕の若い頃は作家死後10~20年程度しか経ってないので、そんな昔の作家とも思ってなかった。それから早半世紀、今では100年前に書かれた作品を読むんだから、世の中の風俗、生活洋式も大きく変わってしまった。『刺青』で新進作家と認められたのは1910年で、その後幻想、怪奇的な作風で知られた。新奇な風俗に関心が強く、映画『アマチュア倶楽部』のシナリオも書いている。

『痴人の愛』

 東京都中央区日本橋人形町の生まれだが、1923年の関東大震災を機に関西に居を移した。その後、「日本趣味」に回帰し数多くの傑作を生み出した。それらの中で今も傑作として読めるのは、『痴人の愛』(1924)、『』(1928)、『蓼喰ふ虫』(1929)だろう。特に『痴人の愛』は『春琴抄』『細雪』に並ぶ有数の傑作だった。何度も映像化されていて、僕も映画を2本見ているので、大体の筋は知っていた。でも読むのは初めてなのである。この長編小説は神戸時代に書かれたが、舞台は東京である。

(谷崎潤一郎)

 電気会社の技師河合譲治が浅草のカフェで、まだ少女のナオミを見初める。そして家庭事情もあるらしいナオミを引き取って、教育を施して自分にふさわしい女性に育てたいと思った。そして東京南部の大森に居を定める。ナオミという名前は「ハイカラ」な「変わった名前」だと言われている。ナオミはまだ15歳というんだから、今では「犯罪」になるだろう。これは現代の「源氏物語」なんだと思う。光源氏が若紫を引き取って理想の女性に育てようとしたのと同じく、譲治はナオミを自分好みの女に仕立てたい。ところが身分制度の崩れた近代社会ではそんなことは不可能で、ナオミは「小悪魔」となり譲治の支配者となっていく。

(1949年映画の京マチ子)

 谷崎文学は「異常性愛」「マゾヒズム」で知られるが、この頃の作品はその絶頂といっても良い。特に『痴人の愛』は今の感覚で見ても「異常」な展開になっていくが、文章はキビキビして生きが良く紛れもない傑作。何度か映画化されているが、ナオミは最初の木村恵吾監督版(1949年)の京マチ子が最高だと思う。しかし、譲治は宇野重吉なのでマジメすぎて、1967年の増村保造監督版の小沢昭一の方が似合っていた。(ナオミは安田(大楠)道代。)ナオミはダンスを覚えて享楽的な女になり、大学生と浮名を流すようになる。譲治は徹底的に引きずり回されるが、「美にひれ伏したい」谷崎マゾヒズムの白眉だ。鎌倉での避暑なども含め、大正時代の東京の「中流」生活の様子も興味深い。読んで気持ち良くなる作品じゃないけど、うまく出来ている。

 『』(まんじ)は同性愛を描いた作品として著名。だが今読むと、そのこと以上に「大阪弁の語り小説」として読解が難しい作品になっている。『痴人の愛』も譲治による回想として書かれているが、いわゆる「標準語」だからスラスラ読める。『卍』は大阪の言葉に直すために助手を付けて徹底的に直した。その結果、僕には読みにくくて困った。この小説は柿内園子という女性が、夫がありながら徳光光子という女性に惹かれる。ところが、光子には綿貫という男が付きまとっている。そして様々な駆け引きが行われ、人心操作小説になっていく。そこが思ったよりも詰まらないところ。結末も判るようで判らない(僕には)。

 『蓼喰ふ虫』は新潮文庫に『蓼喰う虫』として入っているが、小出楢重の挿画が「完全収録」された中公文庫版『蓼喰ふ虫』を読んだ。この小説は谷崎の「日本回帰」として重要視され、内容的にも傑作と言われることが多い。でも相当に読みにくくて、僕は何だかよく判らなかった。愛情の冷めた夫婦がいて、子どもの手前取り繕っているが離婚も考慮している。妻は決まった愛人があり、夫公認で日々会いに行っている。夫は秘密の「売春クラブ」みたいなところに長年通っている。(遊郭があった時代だがそういう場所ではなく、「神戸」という国際港ならではの外国人経営の不思議な場所である。)

 そんな不可思議な関係の話かと思うと、まあそうなんだけど、それ以上に人形浄瑠璃(文楽)についての講釈なのである。そもそも冒頭が妻の父から招待されて、浄瑠璃に行くかどうかという場面。その後、淡路島に義父、その妾とともに淡路の人形浄瑠璃を見に行ったりする。これは今重要無形文化財に指定され、「淡路人形座」で上演されている。昔はもっと野趣に富んだ上演形態で、ジャワ島の影絵芝居を見に行くみたいな雰囲気だ。この場面が非常に好きだという人がいるらしいし、確かにとても印象的。でも、全体的に浄瑠璃講釈が多すぎで、そういう好事趣味が谷崎文学の特色でもあるけど、付いていけない人も多いと思う。

 ところで、異常な性愛ばかりを書き綴った谷崎だが、実は大体モデルがあるんだという。谷崎は1915年に石川千代と結婚し、翌年に長女が生まれる。しかし、翌年には妻の妹石川せい子(同居して谷崎が音楽学校に通わせていた)が好きになり、この女性が『痴人の愛』のモデルだという。せい子は谷崎脚本の映画『アマチュア倶楽部』で、女優葉山三千子としてデビュー。『浅草紅団』などに出演した。せい子は谷崎の求婚を断り、映画界で活動したが、1932年にサラリーマンと結婚して引退した。

 妻の千代は夫に顧みられず、それに同情した作家佐藤春夫と親しくなった。このため『蓼喰ふ虫』のモデルは長らく佐藤ではないかと思われていたが、実は違うという。当時谷崎宅で書生をしていた和田六郎が本当のモデルだという。和田は戦後になってミステリー作家大坪砂男となった人物である。一方、谷崎は一時妻を佐藤に譲ると言いながら谷崎が前言を翻し、二人は1921年に絶交した(小田原事件)。1926年に和解し、千代と和田が結ばれることに佐藤が反対し、結局1930年になって谷崎と千代は離婚、千代は佐藤春夫と結婚する。三人連名の挨拶状を送り、「細君譲渡事件」と騒がれた。まあ驚きの文壇エピソードである。

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今も面白い織田作之助、大阪を描いた作家「オダサク」を読む

2024年09月11日 22時46分55秒 | 本 (日本文学)
 最近織田作之助オダサク)を読んでいたので、そのまとめ。大阪で生まれ大阪を描いた作家織田作之助(1913~1947)は、短い生涯の中で印象的な作品を幾つも残した。1939年の『俗臭』が芥川賞候補になり、翌1940年にもっとも知られる『夫婦善哉』(めおとぜんざい)が発表された。敗戦後の1947年1月に急逝したので、「戦時下の作家」だったことに改めて気付く。今回読んだのは「夫婦善哉」をモチーフにした演劇を見るからだが、実はその前から読み直したいと思っていた。
 (岩波文庫の2冊)
 今回は岩波文庫の『夫婦善哉正続他十三篇』『六白金星・可能性の文学他十一篇』を読んだのだが、その2冊は前から持っていた。2024年4月に新潮文庫から『放浪・雪の夜 織田作之助傑作集』が出て、すぐに読んでみた。続いて新潮文庫の『夫婦善哉決定版』を買って読んだのは、字が大きくて読みやすそうだったからだ。織田作之助は昔「ちくま文学全集」で読んだ記憶があるが、もう一回ちゃんと読んでみたいと思っていた。だから岩波文庫を買っていたわけだが、なんか字が小さいので後回しにしていた。今回も新潮を読んですぐに岩波も読むつもりだったけど、つい面倒になってしまった。
 (新潮文庫の2冊)
 両方の文庫には共通の作品が幾つも収録されている。新潮で読んだものは飛ばそうかと思ったが、間に数ヶ月入ったので読むことにした。たった数ヶ月しか経ってないのに、案外忘れていて我ながら驚いた。細かい所は結構忘れていたのだが、今度の方が面白く読めたのも驚き。一度目に読んだ時は展開が気になってストーリーを追うことで精一杯。特に難しいわけではなく、むしろ今なら直木賞候補になるような物語性豊かな作品群だ。今回読んだ時は大体筋は覚えていたので、細部の描写や全体の構成、文体の工夫などに目が行く。そっちこそが面白いのである。

 オダサクと言えば『夫婦善哉』、特に特に1955年の豊田四郎監督、森繁久彌淡島千景主演の東宝映画を思い出す人も多いと思う。僕はこの映画が大好きで、たまたま同じ年に林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の『浮雲』とぶつかってベストワンになれなかった(2位)のを残念に思う。『浮雲』を読むときに高峰秀子と森雅之が脳内に浮かんでしまうのと同様に、『夫婦善哉』を読むときも映画の主演二人が目に浮かぶ。その結果、大阪庶民の人情喜劇みたいなちょっと古風な物語を書いた作家というイメージがあった。
(映画『夫婦善哉』)
 ところで20世紀にオダサクを読んだ人は、『続夫婦善哉』を読んでないと思う。映画にも『続夫婦善哉』があるが、これは完全なオリジナル作品で淡路恵子が怪演している。本物の続編が見つかったのは、2007年だという。戦前の有名な出版社、改造社社長山本実彦の資料を収蔵する故郷・薩摩川内市の図書館から見つかった。雑誌『改造』掲載のために書かれて、検閲を恐れて不掲載になったと想定されている。そんなに反軍的なのかというとそんなことはないけれど、「事変」の泥沼化に連れ物資不足が深刻になっていく様がよく描かれている。と同時に舞台が大阪から別府温泉に移ることも驚き。
(織田作之助)
 今まで『夫婦善哉』は大阪庶民を見つめて書いたフィクションだと思い込んでいたが、実は作者周辺にモデルがいたのだと解説にある。一族の没落と復興を強烈に描く『俗臭』、あまりにも独善的な人物を描く『六白金星』などとりわけ強烈な作品は皆モデルがあるらしい。『夫婦善哉』はモデルの人物が実際に別府に移転しているらしく、「別府もの」と呼んでもよい作品群がある。『雪の夜』も惚れた女と別府に逃げるモテない男の話。マジメ人間が何かの拍子に「フーゾク」系にハマってしまうが、女も情にほだされて男に付いていくという話が複数ある。『夫婦善哉』と似てるけど内容的には逆である。

 岩波文庫を読んだら解説を佐藤秀明さんが書いていた。三島由紀夫の研究者として著名だが、調べたら今は近畿大学教授だった。オダサクも研究していたのか。実は大学時代に学科は違うが同じ学年だった。前田愛先生の授業に出たりしていたから、記憶にあるのである。解説ではその前田先生の『幻景の明治』に始まり、中沢新一やエドワード・サイードに触れながら「大阪」という町のトポロジーに迫っていく。これが読みごたえがあって、オダサクが少し判った気がした。『夫婦善哉』も複数の語りが内在していて、「甲斐性なしの男に惚れた芸者が尽くす」というような「人情モノ」では済まない構造を持っている。

 オダサクを本格的に論じるほど読んでないが、同じ頃に活躍してともに「無頼派」「新戯作派」と呼ばれた太宰治坂口安吾ほど読まれているだろうか。少なくとも東京では『人間失格』や『堕落論』のような「文学青年に限らず若いうちに読むべき作品」に『夫婦善哉』は入ってないだろう。大昔の風俗小説、映画化の原作程度のイメージじゃないか。しかし、オダサクほど「庶民」の内実を事細かく描いた作家も珍しい。「知識人」の自我をめぐるゴタゴタなんかほぼ出て来ない。林芙美子の放浪よりさらに追いつめられた放浪であり、戦時下民衆の実像が記録されている。東京にもこういう作家が欲しかった。
(夫婦善哉)(自由軒のカレー)
 ところで「夫婦善哉」というのは、大阪の法善寺横丁にある実在の甘味処である。昔大阪に行ったとき夫婦で寄ろうと思ったが、満員で入れずレトルトを買ってきた。作品に出て来る「自由軒」の卵をのせたカレーも有名。こっちも満員だった。20年ぐらい前でそうだから、今ではもっと入りにくいだろうと思う。作品中には大阪の庶民の食べ物がいっぱい出て来て、上流の『細雪』と違って出て来る店も大分違う。そこも面白いところだ。
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『緋の河』、〈カルーセル麻紀〉の子ども時代に迫るー桜木紫乃を読む③

2024年08月21日 22時17分49秒 | 本 (日本文学)
 桜木紫乃を読むシリーズ3回目で最後。今回は主に『緋の河』(2019、新潮文庫)を取り上げるが、その前に読み終わったばかりの『』をちょっと。講談社文庫の桜木作品連続刊行の最後。これは桜木作品には珍しく、釧路ではなく根室を舞台にしている。釧路以上に寒い環境で展開される三姉妹の物語だが、途中であれよあれよと怒濤の展開でヤクザ小説、または政治小説になっていくのでビックリ。非常に面白かったが、冒頭で根室を代表する水産会社の次女がよりによって中学卒業後に芸者になってしまう。

 長女は政界進出をめざす運輸会社の長男に嫁ぎ、次女が花街に行ってしまい、結果的に三女は自分が犠牲になって婿取りをして家を守ると決意する。最初が花街で始まるのでそういう話かと思うと、どんどん変容していくのが面白い。昭和30年代の根室では北方領土をめぐってきな臭い動きが絶えない。そこら辺も面白いが、もし読むなら解説は後にした方がよい。最後の展開がバラされているので。それは別にして、子どもが三人いれば一人は親の期待から外れて生きるものなのだ。

 そのことが実話に基づきフィクション化されているのが、『緋の河』である。これは釧路に生まれたカルーセル麻紀(1942~)の人生にインスパイアされた小説である。刊行当時話題になったので、文庫になったら読みたいと思っていたが2022年に新潮文庫に入ったのに気付いていなかった。今回桜木作品をまとめ読みしようと思って調べたら、とっくに文庫になっていた。文庫で600頁を越える長い小説だが、それでも22歳までしか達せず、その後のことは『孤蝶の城』(2022)という続編があるがまだ読んでない。

 カルーセル麻紀(作中では「カーニバル真子」)は元祖「性転換タレント」である。まだ子どもだった自分は、そういうことが可能なのかと驚いたものだ。その前にテレビ番組によく出ていたが、まだLGBTなんて概念もなく「男だけど女として生きる」という生き方があると示した人である。もっとも世間的にはどこか「怪しい」感じも匂っていたと思う。ともかく1970年代前半にはある程度の年齢の人は全員が知っていたと思う。当時は「ジェンダー・アイデンティティ」なんて考えはなく、世の中には生まれながらの「男」「女」しかないと僕も思っていた。
(カルーセル麻紀)
 そのカルーセル麻紀は釧路に生まれたので、桜木紫乃はぜひ自分で小説に書きたいと思っていたという。戦時中の生まれで出生名が「徹男」と付けられたのは、厳格な父の「米英と徹底的に戦う男」という意味らしい。小説では「秀男」となっているが、幼いときから女児のように思っていた。周りは姉のお下がりを着せられたからで、いずれ「治る」と思っていたようだが、いつまで経っても体は華奢なままだった。自分のことも「あちし」(「わたし」と言えず)と呼ぶ弱々しい「少年」は、学校に上がると格好のいじめの標的である。そのためいつも強いものを見つけて守って貰った。親や教師も本人が弱いからだと思われていた。

 そんな彼は中学では初めて「友人」を見つけた。何とか中学を卒業し高校へ行ったが、そこでは丸刈りが校則で「頭髪検査」があった。演劇部で女性役をするからと何とか目こぼしされていたが、ついに教頭が来て無理やりバリカンで刈られた。それをきっかけに教師に啖呵を叩きつけて退学した。そのまま家出して東京をめざすも無理と判って札幌で下りて、何とかゲイバーにたどり着く。そういう場所があると子ども時代に教えられていたのである。
(カルーセル麻紀の若い頃)
 その後は「ショービジネス」の小説となっていく。札幌から東京へ出て行き、さらに大阪へ行く。その間に多くの男性遍歴もあるが、もともと客商売に向いていた。度胸もあるし、話もうまい。10代にして夜の世界で人気者となる。その後、単にゲイバーでショーをするだけではなく、本格的に舞台に出るチャンスがめぐってくる。しかし、そこでは女優のわがままが目に余る。ついに若輩の真子が啖呵を切る。このように2度の「啖呵」シーンがとても印象的だ。カルーセル麻紀に同じような場面もあったんだろうが、桜木紫乃の小説家としての力量が示されている。
(『霧』)
 『緋の河』は今度テレビに出られるというところで終わっている。その後は続編で。誰にも認められないと思って生きる「秀男」だが、ただ姉だけが味方になってくれる。ずっと親の期待を背負って生きていた姉が、ラスト近くで大きく変わっていく。そこも読みどころだ。性別違和(性同一性障害)の子どもの心理をここまで書き込んだ小説はあまりないと思う。これは「釧路小説」とは言えないが、やはり釧路という町が背景にあって成立している。もっともこの時代、大阪では釧路の位置を知ってる人などほとんどいないのだが。とにかく桜木紫乃の小説は面白いのでお薦め。
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『ラブレス』『家族じまい』、「家族」の過酷な歴史ー桜木紫乃を読む②

2024年08月20日 22時19分58秒 | 本 (日本文学)
 桜木紫乃の直木賞受賞作『ホテル・ローヤル』(2013)、あるいはその前に書かれたミステリー風の作品『硝子の葦』(2010)には、釧路湿原を望む場所に建つ「ラブホテル」が出て来る。両作品に共通の人物は登場せず独立した作品だが、「ホテル・ローヤル」という名前が共通する。昔『ホテル・ローヤル』を読んだときは、ただフィクションに付けられた架空の名前だと思っていた。しかし、実はこれは作者の実家だった。15歳の時、父親がラブホテル経営に乗りだし、湿原を望む郊外に作ってそこそこ繁盛したらしい。桜木紫乃は仕事の手伝いをしていたというから驚く。

 桜木紫乃は「新官能派」などと呼ばれたらしいが、その小説に出て来る性描写は渇いている。そういう生育をすれば、「愛」や「性」に過大な期待を持てなくなるだろう。道東の寒々しい風景描写の中で、人々は結ばれたり別れたりするが、どこにも湿った思い入れがない。過酷な人生を歩む主人公が多いが、孤独で厳しい人生行路も桜木紫乃の読後感を涼しくさせている。

 小説に出て来る登場人物には思いやりを持って暮らす家族などほとんどなく、天涯孤独な人も多い。普通ならそういう設定は難しいのだが、戦争直後の北海道には開拓農家北方領土からの引揚者が多く、また主産業の炭鉱には全国から労働者が集まった。どこの出身なのかよく判らない謎に満ちた人物が出て来ても、昔の北海道は妙にリアルな環境なのである。

 桜木紫乃が初めて大きく評価されたのは長編小説『ラブレス』(2011、新潮文庫)だった。直木賞や吉川英治文学新人賞の候補になるとともに、島清(しませ)恋愛文学賞を受賞した。女性どうしのいとこの話から始まって、その親たちの姉妹の長い人生が語られていく。道東の開拓農家に生まれた極貧の姉妹は全く異なった人生を歩む。姉は途中で旅芸人に一座に飛び込み、妹は地元で理容師になる道を選ぶ。ちなみに桜木紫乃の父親はホテル経営の前には床屋をしていて、作品に床屋が出て来ることも多い。

 さらに驚くべきは姉妹の母親の苦難で、くだらない男どもに翻弄されながら戦後を生きてきた。姉百合江が握りしめていた謎の位牌とは何か。今は阿寒湖や川湯温泉の方まで合併して釧路市になっているが、そのような釧路近郊も描きながら壮大な家族の戦後史が語られる。謎を追うミステリー的な部分もあるが、まずは姉妹を通して描き出される過酷な戦後民衆史に言葉をのむ。1970年の山田洋次監督の映画『家族』では閉山した炭鉱から新天地を求めて、長崎から道東まではるばると旅をする家族が描かれた。70年頃まではそういう「幻想」があったわけだが、現実は過酷だった。非常に見事な代表作の一つだと思う。

 もう一つ、『家族じまい』(2020、集英社文庫)は中央公論文芸賞を受賞した作品。釧路に住む老夫婦には二人の娘があるが、一人は札幌近郊、もう一人は函館と実家から遠くに住んでいる。そして横暴だった父が元気で、母の方がボケて来ているらしい。そんな家族をめぐるアレコレが語られる。長女は父と距離を置いて生きてきたが、その生き方に批判的だった妹は二世代住宅を建てて父母と同居しても良いらしい。しかし、実現した「理想の暮らし」に父親が黙って従っていられるか。

 「横暴な父」あるいは「無理解な父」というのも桜木作品の定番的設定である。現実に床屋をやめてラブホテル経営を始めるような、「家族巻き込み型」の山師的父親だったらしい。そして1970年代ぐらいまでは、そうそう理解ある父親なんていなかったのも確かだろう。特に女性の場合、大学進学を認めないとか、結婚相手を自由に選べないなどよくある話だった。それでも北の大地の極貧の父親たちの横暴は迫力が違う。そんな家族の中で生き抜いた女性も大変だった。

 「家族」への幻想など飛び散ってもおかしくない。そんな冷徹な世界を行きている女性の小説は、何も釧路が舞台だからというだけでなく、読んでいて夏の猛暑も少しは涼しくなるというものだ。他にも多くの作品があるわけだが、ハードボイルド的な『ブルース』『ブルースRed』、第一作品集『氷平線』なども釧路や周辺を舞台にしながら、どこか渇いた人間たちが出て来る。本質的に「冷涼」なのが桜木作品の特徴だ。
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涼しくなれる釧路小説ー桜木紫乃を読む①

2024年08月18日 21時50分36秒 | 本 (日本文学)
 東京はほぼ毎日猛暑日が続いている。台風が接近した8月16日(金)だけは別だが、他の日は35度に届かなくてもそれに近い。もういい加減猛暑には飽きてしまって、マジメ系テーマを書く気が失せている。そこで最近読んでる桜木紫乃(1965~、さくらぎ・しの)の本について数回書きたい。何しろ読むだけで涼しくなれる小説なのである。桜木紫乃は北海道釧路(くしろ)市に生まれ育ち、作品の舞台も主に釧路である。今は同じ北海道でも札幌に近い江別市居住というが、釧路を舞台にした『ホテル・ローヤル』(2013)で、同年に直木賞を受けた。その後も釧路で展開する小説を書き続け、釧路市の観光大使にもなっている。
(桜木紫乃)
 釧路と言えば夏でも涼しい土地柄で知られる。今年の最高気温を調べてみたら、8月10日に29.1度になっているが30度越えは一日もない。ここ3日間では、16日が23.3度、17日が20.8度、18日が21度になっている。この気候を生かして近年は釧路に夏長期滞在する旅行プランが人気だ。何で涼しいかというと、寒流(親潮)の影響が大きい。また夏は海から吹く風で「海霧」が発生する。昔釧路に行った時、帰りの飛行機が濃霧で欠航したことがある。もっとも釧路でも年に何日かは30度近くになるが、道東地方では宿に冷房がないことが多くて困る。(下に釧路の地図を示しておく。)
(釧路の位置)
 今回読んでみたのは、講談社文庫が4ヶ月連続で桜木紫乃の旧作を文庫化しているのがきっかけ。僕も知らなかった釧路を舞台にしたミステリーが刊行された。「北海道警釧路方面本部」シリーズだそうである。もっとも2作しかないけれど、どちらも女性刑事の苦闘を描くことが共通する。第一作『凍原』(2009)の帯には「女が刑事として生きるには、あまりにも冷たい街」と出ている。人間関係の希薄さもあるが、この「冷たい街」とは現実に冷涼な日々が続くことを指している。
(『凍原』)
 第二作『氷の轍』(2016)もそうだが、まず題名が寒々しい。そして内容も同じく寒いのである。出張で札幌や青森県の八戸まで出掛けるシーンがあるが、気候が違って暑いという描写が印象的。それに対して事件現場である釧路は、釧路湿原や海の描写も多い。それらが事件そのものや刑事、事件関係者の設定に不可欠になっている。そして読んでいていかにも冷涼な街の様子が浮かび上がり、こっちの気分も涼しくなる。漁業と炭鉱の町だった釧路は、戦後になっても外からやって来た人が多く、生まれ育ちもよく判らない人が有力者になっている。そんな特質がミステリーに向いている。
(『氷の轍』)
 「犯人当て」としてはどっちもちょっと薄味かもしれないが、寒々しい風景描写が心に残る小説である。出来映えからすると短編集『起終点(ターミナル)駅』(2012)が心に残った。表題作は篠原哲雄監督によって映画化され、2015年に公開された。その映画は遅れて見て、なかなか面白かった。佐藤浩市、尾野真千子、本田翼などが出ていて、やはり釧路が舞台。元裁判官の佐藤浩市は今は釧路で官選の刑事事件しかやらない弁護士になっている。そうなった理由は何故か。そこに本田翼演じる女性の覚醒剤事件を担当することになって…。本田翼がなかなか良くて忘れがたい。今回原作を読んでみたら映画はほぼ原作と同じだった。
(『起終点駅』)
 文庫の帯には「始まりも終わりも、みなひとり」とある。当たり前と言えば当たり前なんだけど、桜木紫乃の登場人物は皆孤独で道東の荒涼たる風景に似合う人ばかり。新聞記者を主人公にした「海鳥の行方」「たたかいにやぶれて咲けよ」も見事。『ホテル・ローヤル』も連作短編集だったが、桜木紫乃は基本的に短編向きかも。忘れがたき風景や人間関係を点描することが特徴である。もちろん直木賞作家なんだから、エンタメ系のすぐ読める小説である。しかし、それらの小説はほぼ釧路周辺で展開する孤独な人間の道行なのである。読んでると気持ちも涼しくなるが、それは高原の避暑地の涼しさとは違う。夏も荒涼たる道東の涼しさなのである。なお、釧路で鶏の唐揚げを「ザンギ」と呼ぶと映画を見て初めて知った。原作でも主人公がザンギを作っている。
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木内昇『かたばみ』を読むー戦中戦後を生き抜く家族小説

2024年05月18日 20時45分09秒 | 本 (日本文学)
 『リラの花咲くけものみち』を読んだ次に、花の題名つながりで木内昇かたばみ』(角川書店)を読んだ。東京新聞などに連載され、面白くて感動的と評判になっていた。550頁もある長い小説だけど、確かに面白くてあっという間に読める。単行本を買ってしまったが、2350円(税別)の価値は十分にあった。木内昇(きうち・のぼり、1967~)は2010年刊行の『漂砂のうたう』で直木賞を受賞した女性作家。確かな筆力で、人物と時代がくっきりと浮かび上がってくる様は見事。

 冒頭は戦時中(1943年)に女子槍投げ選手山岡悌子が引退して「国民学校」(小学校から改名されていた)の「代用教員」になるところから始まる。代用教員は戦前にあった制度で、旧制中学や高等女学校を出ていれば師範学校を出ていなくても小学校で教えられた。悌子は日本女子体育専門学校(現・日本女子体育大学)を卒業したので代用教員になれたのである。この学校は1922年に二階堂トクヨ(1880~1941)が開いた二階堂体操塾に始まり、人見絹枝など8人の五輪選手を育てたという。今やパリ五輪金メダル最有力候補の槍投げ選手北口榛花がいる日本だが、何事にもこのような先駆者がいたのかと感慨深かった。
(木内昇)
 検索すると角川のサイトで紹介文が出て来る。「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」太平洋戦争の影響が色濃くなり始めた昭和十八年。故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいた…。実はもっと出ているんだけど、これ以上は読まずに読んだ方が絶対に面白い。

 もともと岐阜生まれで、普通の女子がスポーツをやるために上京するなどあり得ない時代だ。しかし、幼なじみの神代清一が甲子園で活躍し早稲田に進学したので追いかけるように上京したのである。悌子は肩を痛めて競技生活は諦めたが、それでも親の圧力を跳ね返して東京に居続けたのは、清一がいたからだ。多摩地区の小金井市で職を得たが、学校は「少国民錬成」の時代だった。体育専門の悌子は竹槍訓練の中心にならざるを得ない。その中で戦時教育に疑問を持たざるを得なくなっていく。彼女は学校に通いやすい小金井に下宿先を見つけた。下が食堂で二階に部屋を作り最初の下宿人となった。

 結局この下宿先の一家と知り合ったことが悌子の人生を決定するのだが、それはまだ判らない。えっ、こうなるの的な展開が続くので、一気読み必至。悲しいことが多かった戦争時代はやがて終わるが、戻る人戻らぬ人様々。悌子は思わぬ人生を歩んでいく中で、「家族」とは何かを考えさせられる。真面目一本気で、まさに槍投げのような人生を送る悌子だが、強いだけではダメな人生に立ち向かう。周囲の人物、それも後半になるに連れ子どもたちの存在が大きくなるが、その破天荒な設定は書かないことにする。厚い小説だけど、あっという間に読めるから是非読んでみて。
(カタバミの花)
 カタバミはよく道端にある「雑草」だけど食べられる。戦時中はこの一家も食べていて、その酸味を好んでいた。花言葉は「母の優しさ」と「輝く心」だと出て来る。ネットで調べると「喜び」というのもあるらしいが、どれも復活祭(イースター)頃に花が咲くことに由来するという。これが題名の理由なんだろう。ものすごく面白かったが、次第に教師として以上に「親と子のあり方」みたいになってくる。小説内では端役の人物が時々思わぬ金言を吐くので油断出来ない。多分人間って誰しも宝石のような言葉をもともと持っているんだろう。そして、「思い込み」や「慣習」に囚われて生きることの愚かさを痛感する小説でもある。
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藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』ー不登校から獣医師へ、感動の小説

2024年05月15日 22時07分57秒 | 本 (日本文学)
 藤岡陽子リラの花咲くけものみち』(光文社)はとても感動的で心打つ小説で多くの人にお薦め。2024年の吉川英治文学賞新人賞受賞作品。発売(2023年7月)当初の評判(書評)で買ったが、しばらく読まなかった。なんか「感動」するに決まってる小説を読みたい時と読みたくない時がある。この本は不登校になった中学生が祖母に引き取られて生き直してゆく物語である。というと梨木香歩西の魔女が死んだ』みたいだが、この小説はもっと長い人生を語っている。そして東京都大田区に住む主人公は、都立の「チャレンジスクール」に通うのである。(明記されてないが、世田谷泉高校だろう。)これは読まなくちゃ!

 世に「不登校」を語る言説は多く、小説にもかなり書かれていると思う。しかし、主人公岸本聡里(さとり)の陥った過酷な状況は今まで読んだことがない。こういうこともあるのか。多くの場合、「不登校」なんだから学校で嫌なことがあるのである。聡里は小学校4年の時に母が死んで、2年後に父が再婚して妹が生まれた。その後、父は九州に単身赴任し、新しい義母は妹にしか構わない。それどころか、娘が動物アレルギーだったら困ると言って、愛犬パールを手放すように迫るのである。学校に行ってる間にパールが捨てられたら大変だと思って、聡里はそれ以後部屋に引きこもって一瞬もパールから離れなくなったのである。
(藤岡陽子)
 新しい家族とうまく行かないという設定はあるけど、犬を守るために学校へ行けなくなるなんてあるのか? しかし、犬を飼っていた思い出があるなら、この気持ちはよく判るはず。そんなひどい義母がいるのかと思うし、父も何してるんだと思うが、パールを守れるのは聡里しかいないんだから、彼女はよく闘ったのだ。しかし、その代償として不登校どころか、すべての人間関係をなくし髪を切ることさえ出来なくなった。母方の祖母、牛久チドリは可愛がっていた孫から突然何の連絡もなくなって悲しい思いをしていた。ついに中三の誕生日に聡里の家を訪ねて真相を知り、聡里とパールを引き取ると宣言したのである。

 祖母チドリはそこから大車輪でチャレンジスクールを調べ、入学後は夢を持てない聡里の進路として動物好きの彼女に「獣医」を勧めたのである。東大は無理だから、東京の国立大で獣医学部のある東京農工大を受験したが失敗。聡里はそれからでも間に合う私立として北海道の北農大学に合格したのである。札幌近郊の江別市にあるその大学は、酪農学園大学がモデルになっている。(後書きに謝辞が書かれている。)そして北の大地の真っ只中にある大学の女子寮に今しも入寮するために、聡里とチドリはやってきたところである。友だちもいず、人間関係に臆病な聡里は果たして大学生活を送っていけるのだろうか?
(酪農学園大学)
 そこで営まれている学生生活は、思った以上に過酷である。何度も挫折を繰り返しながら、それでも祖母の期待を裏切れないから頑張り続ける聡里。青春小説だから友だち問題もあれば、恋の悩みもある。だけど、獣医学部にはもっと本質的な大変さがあった。犬や猫ならまだしも、「産業動物」である牛や馬になると大きすぎて女子大生には大変だ。そして「命を預かる」という仕事で、人間相手の医師と同じく獣医師にも究極の選択を迫られる場面もある。実習を重ねる中で何度も壁にぶつかるのだ。そしてただ一人の味方の祖母は、授業料を捻出するために一軒家を売ってしまった。祖母ももう高齢でホントはそばについていてあげたいけど…。

 作者の藤岡陽子(1971~)の本は以前『手のひらの音符』を読んで紹介したことがある。(『確かな感動本、「手のひらの音符」を読む』2016.7.28)とてもよく出来た感動作だったけど、今度の本はそれ以上の魅力がある。それは北海道である。聡里にとって「冬の寒さ」も大きなハードルだが、それ以上に花や動物たちの天地である。各章には花の名前が付けられている。「ナナカマドの花言葉」「ハリエンジュの約束」「ラベンダーの真意」…といった具合である。それがまた魅力になっている。それにしても獣医への道は厳しい。人間の場合と同様に、6年間の勉強が必要でその後に国家試験がある。
(ナナカマド)
 僕は藤岡陽子さんの小説は題名がどうなんだろうと思うことがある。『手のひらの音符』もよく判らないけど、『リラの花咲くけものみち』も事前にはよく判らない。この本を書店や図書館で見て、題名で手に取って貰えるだろうか。終章から取られた『リラ…』より、第一章の『ナナカマドの花言葉』でも良かったのではないか。その花言葉というのは、「私はあなたを見守る」である。聡里も何人もの人に見守られていたが、聡里もパールを見守っていた。そして、聡里が多くの人を、動物を見守れるようになれるんだろうか? 展開にお約束が多いとは思うが、感動の小説である。特に犬、猫、馬、牛などが好きな人は涙なしに読めない。
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川本三郎『林芙美子の昭和』を読むー「大衆」を生きた女性作家

2024年03月12日 22時24分13秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子を読んできて、とりあえずこれが最後。川本三郎林芙美子の昭和』(新書館、2003)である。僕は川本三郎さんの本が好きでかなり読んできた。この本は400頁以上ある分厚い本で、2800円もした。どうしようかと思ううちに、発行1ヶ月で第2刷になっていた。やっぱり買っておくことにしたが、この本を読むのは林芙美子をちゃんと読んでからにしたいと思って、早20年。読み始めたら面白くて『放浪記』より早く読み終わった。中身も面白かったが、ようやく片付けられて嬉しい。

 川本三郎さんの本をここで何回書いたか、自分で調べてみたら4回書いていた。それは『川本三郎「荷風と東京」を読む』、『川本三郎「小説を、映画を、鉄道が走る」』、『川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む』、『川本三郎「『細雪』とその時代」を読む』の4本。本当はもっと読んでるが、書いてないのもある。例えば、どちらも2014年に出た『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)や『日本映画 隠れた名作 - 昭和30年代前後』(筒井清忠と共著、中公選書)である。

 川本三郎は70年代後半から「都市論」的な評論で注目されたが、次第に近代日本の小説や映画を論じるようになった。都市論的視角から東京を歩き回った永井荷風に関心を持つ一方で、昔の庶民の姿を写し取る成瀬巳喜男監督の映画にも惹かれた。そうなると、成瀬監督が何作も映画化し、荷風を敬愛した「東京を歩く人」である林芙美子に注目したのは必然というべきだろう。そして予想通りこの本はとても面白くて読みふけってしまう本だった。
(川本三郎氏)
 まず本書では『放浪記』を「大都市東京を歩いた本」として読み解く。それも「新興の町・新宿」から生まれたという。なるほど芙美子本人も新宿から近い落合近辺に長く住んでいたし、「下町」を舞台にした小説は少ない。あれほどの「貧乏」に苦しめられながら、東京の東側に住んだことがないのである。そして一日中行商に歩いたり、原稿売りに歩き回る。世田谷に住んでいた時は、歩いて都心の出版社に原稿を持ち込んで、また数時間かかって家に到着すると、すでに速達で原稿が戻っていたりした。

 言われてみれば『放浪記』で林芙美子は東京を歩き回る。ただ読んだときにはその事をあまり意識しない。それは「求職」か「原稿売り」という、窮迫に迫られての徒歩だからだ。もっとお金があれば市電を使うんじゃないかと思ってしまう。だが、確かにこの本を読むと、林芙美子の「肉体」は歩くことを苦にしない。だからこそ、後に中国戦線で「漢口一番乗り」を果たせるのである。150㎝もない身長だったというが、驚くべき元気さ。それは「都市」という誰も知らない町で、自立して生きている女性の強さである。他の「女流作家」には「お嬢様」が多い中、これほど庶民そのものの中から出て来た小説家は珍しい。

 そして東京を歩き回ったように、林芙美子はパリも歩く。「満州」も歩き、戦火の中国も歩いた。そこで見た民衆像を等身大で書き続けた。ただ従軍して書かれた文章には、やはり弱さもある。林芙美子は「一生懸命戦う兵隊」に寄り添いたいという思いでいっぱいだった。しかし今から考えれば、その戦争は紛れもなく「不義の戦争」だった。当時はそのことを書けないとしても、そのことを全く意識していないらしいのは、今になると困る。現時点で断罪するというのではなく、ただ林芙美子の真情に寄り添うのでもなく、現在地からすれば「次は間違わない」ためにどうすれば良いのかを問う必要がある。

 戦時中の疎開から帰って来て、林芙美子は書きまくる。そこで書かれたのは、「解放された明るさ」ではなく「暗い戦争」であった。それが『浮雲』を覆っている「暗さ」に現れている。しかし、最後に未完で終わった新聞小説『めし』では、新しく登場した「主婦の不安」を描いているという。林芙美子を読んで、今読んでも十分面白いことに驚いた。数多くの庶民が出て来るが、ジェンダー的に引っ掛かるところが少ない。戦争中の文章は頂けないが、当時生きていた人々を考える時には、今も必読だと思う。

 川本三郎氏の本は重くて持ち歩くのも大変だが、林芙美子を読んでなくても、成瀬巳喜男の映画を見てなくても、十分面白く読めると思う。こういう本を読むのはとても楽しい。人生のご褒美みたいな体験だ。
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桐野夏生『ナニカアル』、戦時下の林芙美子の「秘密」

2024年03月11日 22時12分30秒 | 本 (日本文学)
 女は夫がいる40歳の小説家、男は妻子がいる7歳下のジャーナリスト。二人が東南アジアの町で再会し、かつての愛情が燃えあがる。そんな小説があるわけだが、作者は誰だろう? 森瑤子(1993年に52歳で亡くなった作家)? それとも昔の林真理子か? いやいや、それが桐野夏生ナニカアル』(2010)という小説で、読売文学賞島清恋愛文学賞を受けた。この本を今まで何となく敬遠していたんだけど、今回読んでみて大変感心した。圧倒的な迫力で、戦時中を再現する素晴らしい筆力に感嘆。何で今読んだのかというと、主人公が林芙美子なのである。つまり実在人物を登場させたフィクションということになる。

 しかも内容がものすごい。「林芙美子」が一人称で書いた手記という体裁だが、彼女には前から毎日新聞の記者をしている恋人(斎藤謙太郎)がいる。なかなか会う機会がなかったが、南方に派遣されボルネオにいたときに、斎藤も社の仕事で同じ町にやってきたのである。そして熱烈に愛し合い、「私」(芙美子)は子どもを身ごもってしまう。日本に帰って妊娠に気付いた芙美子は悩みながらも、一人で産むことにした。夫には養子を貰って育てると言いつくろう。林芙美子は1943年に養子の泰(たい)を迎えた事実がある。『ナニカアル』では、その「養子」(名前は晋だが)が実は芙美子の実子とされているのだ。
 
 いやあ、小説は何を書いても良いけれど、こういう設定はやりすぎと違うか。信長や秀吉が小説や映画の中でいろいろと会話する。あり得ないような「本能寺の変」の原因が語られる。でも、まあ大昔のことだから、いいのかなと思う。しかし林芙美子はもうずいぶん前に亡くなっているとは言え、執筆当時は没後60年ぐらいだった。しかも、一人も子どもを産んでないとされている林芙美子が、実は「不倫」相手の子を出産していたという設定である。ちょっと何だか抵抗があったのである。そんなのアリ? 
(桐野夏生)
 最近ずっと林芙美子を読んでるから、この機会に読もうと思ったわけだけど、いやあ読み逃さなくて良かった。これは傑作である。しかも非常に読みやすい。どんどん読み進んでしまう。そして、林芙美子の私生活が描かれているけど、本当のテーマは「戦争と軍隊」なのである。林芙美子は日中戦争初期に「南京に女性一番乗り」で知られて、続いて「漢口一番乗り」を果たした。「従軍記者」として、あくまでも戦う兵士の立場で書くと本人は思っていたが、書きたいことを自由に書けず戦争に協力していたわけである。その「実績」のある林芙美子が1942年になって、再び南方に派遣される。

 それは事実で、陸軍省に同じく女性作家(当時の言葉では「女流作家」)窪川(佐多)稲子宇野千代なども集められた。宇野千代は断ったが、林芙美子や窪川稲子(プロレタリア文学者で「転向」していた)は断れない。同じ時にラジオ作家だった水木洋子(戦後に脚本家となり、林芙美子原作の『浮雲』を脚色した)も加わっていたのが興味深い。シンガポール(当時は「昭南」)まで船で行くが、もう米軍の潜水艦が心配な戦況になっていて、着くまで生きた心地がしない。林芙美子は到着後にマレー半島を連れ回され、その後「蘭印」(オランだ領インドシナ=インドネシア)のジャワ島に行く。

 そしてボルネオ(カリマンタン)島まで「派遣」されるのである。具体的には今南カリマンタン州都になっているバンジャルマシンである。そこでは日本軍が占領した後に「ボルネオ新聞」を刊行している。そこに出掛けて「取材」するということになる。林芙美子には有名作家ということで、「当番兵」まで付く。ありがたいような、迷惑なような。しかし静岡出身の床屋と称する当番兵は、一体何者なのだろう? 芙美子は次第に疑惑の念が湧いてくる。あちこち連れ回されて疲れ果てた頃に、斎藤からバンジャルマシンに行くとの連絡が入る。英米に派遣され「交換船」で帰国した彼とは長く会えなかったのである。
(バンジャルマシン)
 そこだけを切り取れば、戦争中に盛り上がった「不倫恋愛小説」である。ちなみに林芙美子は画家の手塚緑敏と「結婚」していたが、戦争末期に養子泰とともに「入籍」するまでは「事実婚」だったようである。その間もパリ滞在中に恋人がいたとされている。「斎藤謙太郎」という人物は虚構だと思うが、モデル的人物がいた可能性はある。しかし、この小説の眼目は林芙美子の私生活を暴くことにはない。ボルネオでの斎藤との出会いは、実は仕組まれたものだった。軍の思惑によって動かされていたのである。

 そのことがはっきりしていく後半の叙述は圧巻である。軍というか、「情報機関」的な国家組織の恐ろしさを心に突き刺さるように描いた小説は滅多にない。旧東ドイツの秘密警察「シュタージ」の恐怖を描く映画が幾つかあったけど、そういうのを思い出した。芙美子と斎藤はもう一回ジャワ島で会うことになる。そこで大げんかして、二人は永遠に別れる。斎藤は林芙美子が書いたものは死んで10年すれば何も残らないと決めつけ、まあ『放浪記』だけは資料として読まれるかも知れないがと付け加える。恐らく「世界」を論じる「大説」に意味を求める男だったのだろう。しかし、死後何十年も経って、他の作家が読まれなくなっても「小説」の中で庶民を描いた林芙美子は読まれている。そのことの意味をじっくり考えてしまう傑作だった。
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『放浪記』、貧困・恋・文学の無限ループー林芙美子を読む④

2024年02月29日 22時10分59秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子を読むシリーズ4回目。その後に文庫に入っている『林芙美子随筆集』(岩波文庫)、『トランク 林芙美子大陸小説集』(中公文庫)を読んで、最後に『放浪記』を読み直してみた。まあ人生に2回読んでも良い本かなと思って、昔読んだ新潮文庫を見つけ出してきた。ところが字が小さくて、今じゃ読み辛いのである。しょうが無いから他の本を探すことにして、本屋で実物を見たら岩波文庫なら何とか読めそうだったので、買い直してしまった。解説が充実していて買った意味はあった。

 しかし、これが思った以上に大変なシロモノだった。前に読んだときもそう思ったけど、今回も底なし沼にハマったかと思った。今は戦後になって発表された第三部を含めた三部作の「完全版」が出ている。ところがこれが改訂に改訂を重ねた「魔改造日記」(by柚木麻子)なのである。解説に出ている一番最初の原『放浪記』は確かに「若書き」であり、まだ作家以前の文章とも言える。成熟した作家となり、文章を練り直したいというのは理解出来る。また戦前には検閲を考慮して削除されていた記述もあった。(皇族関係など。)それを復活させたいのも判る。だが問題は『放浪記』の根本的な構成にあるのである。
(舞台版『放浪記』の森光子)
 『放浪記』は映画や舞台となって、むしろそっちで知られた。名前も知られているから読んでみた人も多いだろうが、「完全版」だと途中で挫折した人もかなりいるんじゃないだろうか。普通は「三部作」というと、それは時系列で進む物語である。まあ、実際の日記をもとにしているので、物語性に乏しいのはやむを得ない。それは良いとして、実は日記の時系列をバラバラにして、複雑なピースにして並べているのが『放浪記』第一部なのである。映画や舞台で有名なカフェで働く場面も確かにあるが、実は女工や女中、女給、事務、宛名書き、露天商、行商など実にいろいろな仕事をしている。

 時系列をバラして、人名も匿名にしているのは、当時は関係者が皆生きていたからだろう。母親や作家仲間の平林たい子、壺井栄などを除き、関係があった男性は皆誰だかよく判らない。戦後になってまとめられた第三部では、かなり実名に戻している。それが逆効果なのである。「無名の貧しい女性」の魂の叫びをぶつけた実録日記として売れたのに、一番大切な自然な思いを作者はあえて消してしまった。そして、時系列バラバラの構成は、第一部、第二部、第三部すべて同一なのである。つまり、第二部が第一部を受けた内容というわけではなく、すべて同じ時期、東京へ出て来てから結婚して落ち着くまでの数年間なのである。
(映画『放浪記』の高峰秀子)
 貧乏に苦しみ、仕事については辞め、文学を志す男と知り合って同棲しては壊れ、それでも文学に心惹かれて詩を書き続ける。貴重なドキュメントで、今まで一度も書かれなかった貧困階級の真実である。だが日記は飛び飛びで、数ヶ月するとまた違う仕事をしている。いつの間にか付き合う男も変わっている。もちろん、そのことが悪いわけじゃない。だけど、そのような貧乏→新しい仕事→新しい男→また辞めて放浪→新しい仕事→新しい男→貧乏のループが第一部、第二部、第三部とすべて同じように繰り返されるのである。この「無限ループ」から読者も抜け出せないのだ。

 何しろ文庫本でも545ページもあるので、この無限ループを読み進めるのが苦しくなってくる。バカバカしい気もしてくる。ところどころに挿入される詩も、最初は新鮮だが次第に飽きてくる。それが『放浪記』なんだけど、第一部発売当時に大ベストセラーになった。その当時は無名女性の日記なので(一部では新人作家として知られてきていたが)、どっちかと言えば「カフェ女給が書いた」というスキャンダラスな本として売れたんじゃないか。

 しかし、林芙美子は天性の放浪者であると同時に、天性の詩人だった。自分は美人じゃなく、もっと美しかったら仕事も恵まれていたとよく書いている。仕事としては確かに今以上にルッキズムがはびこっていただろう。だけど、文学志向、芸術志向の青年たちと続々と恋愛しているのは、どこか只者では無い雰囲気があったんだと思う。だがその文学志向が「良妻」になることを妨げ、中には暴力を振るったりする男もいる。仕事を投げ出して詩を書いていても、トコトン貧乏になっていくだけ。さらに母や義父が飛び込んできたりする。貧窮の中でも「文学」に取り憑かれてしまったのが林芙美子という女性だった。
 
 林芙美子の実人生に関しては、ここでは書かないことにする。前にも書いたが、尾道の女学校の教師がよくぞ才能を見出して励ましたものである。貧窮の中で魂の叫びを発したが、それは「プロレタリア文学」ではない。プロレタリア陣営からは批判されたりもしたが、今でも読まれているのは林芙美子の方である。林芙美子が本格的な作家になったことをよく示すのが、『トランク』という作品集である。中国、フランス、ソ連についての小説が収録されている。戦時中の文章には戦争協力の跡があって痛ましいが、豊かな物語性が今も生きている作品が多い。『林芙美子随筆集』も面白いが、どうも随筆や旅行記だからと言って必ずしも「事実そのまま」ではない場合もあるらしい。これで林芙美子は終わりだが、関連本がまだ残っている。
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