尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『鍵・瘋癲老人日記』『陰影礼賛・文章読本』『台所太平記』ー谷崎潤一郎を読む③

2024年11月18日 22時12分34秒 | 本 (日本文学)

 谷崎潤一郎を読むシリーズ3回目(最後)。谷崎作品の中には、今となってはこれはどうもという小説が結構多い、いつもスルーしておくんだけど、谷崎の場合はその説明も意味があると思うので書いておきたい。まず、伝奇小説系のエンタメ色の強い作品は面白くない。『乱菊物語』『武州公秘話』などが代表。もっともどっちも未完だから、面白くなくても仕方ないかもしれない。一般論として、純文学は生き残るがエンタメ小説は賞味期限が短い。芥川賞の名前となった芥川龍之介は皆が読んでるだろうが、直木賞の由来である直木三十五なんで、読んでないどころか名前も忘れられている。まあ、それはともかく現代の冒険小説、幻想小説、時代小説の水準は非常に高くなっているので、今じゃ谷崎作品レベルじゃ満足出来ないのである。

 戦後に書かれた大問題作『鍵・瘋癲老人日記』もあまり面白くなかった。どっちも老人の性を赤裸々に描いて、評判・非難・称賛された小説である。『』(1956)は「異常」な性行動が日記体で書かれていて、国会で問題にされたぐらいだ。どんなエロティックな話なんだと思うと、今じゃ『鍵』で興奮する人なんかいないだろう。56歳の大学教授と45歳の妻がお互いに相手に読まれると知っていて、日記に性行動を書く。さらに、娘と夫の教え子もいて複雑な関係になる。夫婦、親子で心理ゲームを仕掛けあうのが鬱陶しい。『』の夫の日記と『瘋癲老人日記』はカタカナ日記なので、今では読みにくいったらない。

 『瘋癲(ふうてん)老人日記』(1962)は谷崎75歳の作品で、77歳の老人の日記という体裁。実娘より嫁(息子の妻)に執着して、嫁の足形の「仏足石」を墓石にして、あの世に行っても嫁に踏まれたいと望む。谷崎の「マゾヒズム」「足フェチ」を究極まで突き詰めた最後の長編小説。小説としてみれば、紛れもない傑作だが、あまりにも変すぎて笑えるぐらい。気色悪いのは否定出来ない。これもモデルがあって、三人目の妻松子の連れ子の妻、渡辺千萬子である。

 それより『鍵』も同じだが、主人公は病気持ちなのである。高齢で美食しているから、高血圧で脳血管障害がある。実際に小説中で倒れている。驚くのは救急車を呼ばないのである。調べてみると、救急車自体はもうあったが、全国各地に普及するのはもう少し後らしい。大体各家庭に電話がないんだから(60年代後半まで固定電話もない家が多かった)、呼ぶのも大変。小説の主人公は裕福で電話もあるが、病院に行ってもMRIなんかないから自宅で安静が一番という時代である。東大病院の医師が往診に来るのでビックリ。血圧の上が200を越えたりしているのも、驚き。医療水準の違いこそ、今では読みどころである。

 『陰影礼賛・文章読本』は30年代に書かれた有名な評論だが、初めて読んだ。本格的に論じるのは大変なので、ちょっと感じたことだけ。どっちも今でも興味深い論点もあるんだけど、全体的に古びた感じがする。有名な『陰影礼賛』(1933)は人種的観点があるのがマイナス。「白人」の文化が「陰影」を解さないのは「皮膚の色の違い」が原因だみたいな箇所がある。それなら「黒人」はどうなんだという観点が全くない。これは昔の文明論の特徴でもあるが、日本とヨーロッパ(の英仏独など大国)を比べるだけで、「東西文化」を論じちゃうのである。また「トイレ」も取り上げているが、洗浄便座が普及した現在では、昔の「厠」(かわや)の方が奥ゆかしいなんて思う人は誰もいないだろう。都会の夜は明るすぎて星空も見えないけれど、安全には代えがたい。

 『文章読本』(1934)はとても良く出来た文章入門編だけど、今じゃ例文が古すぎる。でも『城の崎にて』(志賀直哉)を取り上げて何度も論じているところは勉強になる。なるほど、これが志賀の文章推敲かと実感できた。古典文を引用しているのも貴重。だが可能な限り「新語」を使うべきでなく、「概念」「観念」は「考え」と言えば通じるという(218頁)のは、今では通じない。出ている例文、「彼には国家という観念がない」は「彼には国家という考えがない」と言えるかというと、現代人ならそこに微妙な違いがあることが理解できると思う。「観念」「概念」「理念」などはそれぞれ特別なニュアンスが生じたのである。 

 『台所太平記』(1962)について最後に簡単に。これはライトノベル的に谷崎家にかつて勤めた「女中」を回想した小説。すごく面白いし、映画化されたのも面白い。だけど時代の違いをこれほど感じる本もない。堂々と「同性愛」嫌悪が語られるし、家意識、家父長意識が随所に出ている。谷崎がいかに転居を繰り返したかが判って興味深い本で、時代相の描写も面白い。しかし、「良き主人」と「良き女中」による「良き家庭」を心底信じていた時代の産物なのである。

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『春琴抄』『少将滋幹の母』『猫と庄造と二人の女』ー谷崎潤一郎を読む②

2024年11月17日 21時46分51秒 | 本 (日本文学)

 谷崎潤一郎を読むシリーズ2回目。谷崎作品は数多くあるけれど、最高傑作は何だろうか。僕は学生時代に読んだとき、『春琴抄』(1933)が内容的にも方法的にもひときわ抜けた作品だと思った。今回読み直しても評価は変わらなかったが、『少将滋幹の母』(1949)も同じぐらい素晴らしいと思った。もちろん『細雪』を忘れてはいけないが、谷崎文学の特色である「女性崇拝」「母恋い」というテーマを突き詰めている点で、この2作が突出していると思う。

 『春琴抄』は大活字に変わった新潮文庫でも128頁、そのうち92頁から「注解」になるから、ずいぶん短い小説である。しかし、その90頁ほどの中は、ほとんど句読点がなく字ばかりがずっと続いている。内容も異様だが、文体も異様な熱を帯びていて、一見すると読む気が失せる感じだが、読み始めると案外作品世界に入りやすい。「春琴」という盲目の三味線奏者に丁稚の佐助が生涯掛けて尽し抜くという「女性崇拝」の極致。しかも美女とうたわれる春琴がある事件により顔に傷を負うと、佐助は自らも盲目になって付き従う。「マゾヒズム」というか、恐るべき愛の境地を緻密に描いて読むものを「納得」させてしまう。

 何度も映像化されているが、この小説は本来映像化不能だと思う。肝心なところを薄めないと映像に出来ないし、どう工夫しようと「盲目」の世界を描き切るのは不可能だ。この超絶的小説を成立させるため、作者が試みたのは「評伝」として書くという方法である。幕末から明治にかけて活躍した奏者の伝記、「鵙(もず)屋春琴伝」という本を作者が見つけ、墓も訪ねる。ゆかりの人にも話を聞いて、「春琴伝」に書かれていない春琴、佐助の「真実」を追求していくという体裁である。これが成功して実在人物のように読めて感銘が深くなる。(実在人物と思い込んで春琴の墓を探す人が多かったという。)

 そういう風に、様々な本に当たりながらまるで歴史の考証のように始まる小説は、『春琴抄』が初めてではない。1931年の『吉野葛』も同じような構成になっていて、ほとんど歴史紀行みたいに始まる。南北朝統一後も吉野の奥で活動を続けた「後南朝」の秘史を探るというスタイルで進行し、いつのまにか「母恋い」の物語となる。吉野の風景描写も趣深く、昔から好きな小説なんだけど、完成度から言えば、内容と形式の融合が不十分で読んでいて中途半端感が残るのが残念だ。

 『少将滋幹(しげもと)の母』は、戦後の1949年に書かれた傑作。『今昔物語』にあるエピソードをもとに想像力を膨らませ、谷崎が創作した「偽書」を巧みに織り交ぜて「母恋い」ものの極致に至る。左大臣藤原時平は老齢の大納言藤原国経の北の方が美しいと聞き、計略を巡らせて白昼堂々奪い去る。幼くして母を奪われた後の左近衛少将藤原滋幹(国経と北の方の子)は母を慕いながらも会うこともならずにいたが、後年になって思いがけず再会の日がやって来る。藤原時平はもちろん実在人物で、右大臣菅原道真が左遷されときの左大臣である。国経、滋幹も実在人物なんだけど、ここで描かれたエピソードは作者の創作である。

 時平の横暴が凄すぎて、今となってはこんなパワハラが許されたのも驚き。老齢国経の生きざまもすさまじく、この小説はどうなるんだと思う時に、偽書を基にした滋幹のエピソードが出て来る。ものすごく感動的で、谷崎文学でこれほど清冽な感動を覚えるのも珍しい。この小説も昔読んでいて、その時も面白いと思った記憶があるが、どうも年齢が高くなってから読む方が感動が深いかもしれない。妻を奪われた国経の絶望が身に沁みるのである。権力者の横暴がこれほど印象的な小説もない。

 もう一つ、「母恋い」とも「女性崇拝」とも関わらないけど、思いがけぬ傑作が『猫と庄造と二人の女』(1937)。1956年に豊田四郎監督によって映画化され、キネ旬4位となった。主人公の森繁久彌が前年の『夫婦善哉』を思わせる名演で、読んでいて森繁が思い浮かんでしまう。まさに題名通りの小説で、猫のリリーが真の主人公。庄造と前妻、現妻がリリーを巡って相争う。関西小説としても興味深いが、日本史上最高の猫小説じゃないだろうか。最初人間どうしの駆け引きが鬱陶しいが、リリーの存在感がどんどん大きくなっていき、読んでる方も納得させられてしまう。猫好きな方は一読を。

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『痴人の愛』『卍』『蓼喰ふ虫』ー谷崎潤一郎を読む①

2024年11月16日 22時12分13秒 | 本 (日本文学)

 10月からずっと谷崎潤一郎を読んでいて、計14冊になる。文庫に入っている主要作品は大体読んだことになる。いや、けっこう大変だった。今谷崎を読まなければならない内的必然性なんか全然なく、単に溜まっているから片付けようというだけ。近代日本文学史に残されたピースを埋めたいだけなのだ。谷崎は若い頃に何冊か読んで、その後ずっと読んでなかったが、数年前に『細雪』を読んだことはここで3回書いた。今回読んでみて、案外詰まらないもの、古びたものが多いのに驚いた。 

 谷崎潤一郎(1886~1965)はもちろん同時代に新作を読んだ作家ではない。でも、僕の若い頃は作家死後10~20年程度しか経ってないので、そんな昔の作家とも思ってなかった。それから早半世紀、今では100年前に書かれた作品を読むんだから、世の中の風俗、生活洋式も大きく変わってしまった。『刺青』で新進作家と認められたのは1910年で、その後幻想、怪奇的な作風で知られた。新奇な風俗に関心が強く、映画『アマチュア倶楽部』のシナリオも書いている。

『痴人の愛』

 東京都中央区日本橋人形町の生まれだが、1923年の関東大震災を機に関西に居を移した。その後、「日本趣味」に回帰し数多くの傑作を生み出した。それらの中で今も傑作として読めるのは、『痴人の愛』(1924)、『』(1928)、『蓼喰ふ虫』(1929)だろう。特に『痴人の愛』は『春琴抄』『細雪』に並ぶ有数の傑作だった。何度も映像化されていて、僕も映画を2本見ているので、大体の筋は知っていた。でも読むのは初めてなのである。この長編小説は神戸時代に書かれたが、舞台は東京である。

(谷崎潤一郎)

 電気会社の技師河合譲治が浅草のカフェで、まだ少女のナオミを見初める。そして家庭事情もあるらしいナオミを引き取って、教育を施して自分にふさわしい女性に育てたいと思った。そして東京南部の大森に居を定める。ナオミという名前は「ハイカラ」な「変わった名前」だと言われている。ナオミはまだ15歳というんだから、今では「犯罪」になるだろう。これは現代の「源氏物語」なんだと思う。光源氏が若紫を引き取って理想の女性に育てようとしたのと同じく、譲治はナオミを自分好みの女に仕立てたい。ところが身分制度の崩れた近代社会ではそんなことは不可能で、ナオミは「小悪魔」となり譲治の支配者となっていく。

(1949年映画の京マチ子)

 谷崎文学は「異常性愛」「マゾヒズム」で知られるが、この頃の作品はその絶頂といっても良い。特に『痴人の愛』は今の感覚で見ても「異常」な展開になっていくが、文章はキビキビして生きが良く紛れもない傑作。何度か映画化されているが、ナオミは最初の木村恵吾監督版(1949年)の京マチ子が最高だと思う。しかし、譲治は宇野重吉なのでマジメすぎて、1967年の増村保造監督版の小沢昭一の方が似合っていた。(ナオミは安田(大楠)道代。)ナオミはダンスを覚えて享楽的な女になり、大学生と浮名を流すようになる。譲治は徹底的に引きずり回されるが、「美にひれ伏したい」谷崎マゾヒズムの白眉だ。鎌倉での避暑なども含め、大正時代の東京の「中流」生活の様子も興味深い。読んで気持ち良くなる作品じゃないけど、うまく出来ている。

 『』(まんじ)は同性愛を描いた作品として著名。だが今読むと、そのこと以上に「大阪弁の語り小説」として読解が難しい作品になっている。『痴人の愛』も譲治による回想として書かれているが、いわゆる「標準語」だからスラスラ読める。『卍』は大阪の言葉に直すために助手を付けて徹底的に直した。その結果、僕には読みにくくて困った。この小説は柿内園子という女性が、夫がありながら徳光光子という女性に惹かれる。ところが、光子には綿貫という男が付きまとっている。そして様々な駆け引きが行われ、人心操作小説になっていく。そこが思ったよりも詰まらないところ。結末も判るようで判らない(僕には)。

 『蓼喰ふ虫』は新潮文庫に『蓼喰う虫』として入っているが、小出楢重の挿画が「完全収録」された中公文庫版『蓼喰ふ虫』を読んだ。この小説は谷崎の「日本回帰」として重要視され、内容的にも傑作と言われることが多い。でも相当に読みにくくて、僕は何だかよく判らなかった。愛情の冷めた夫婦がいて、子どもの手前取り繕っているが離婚も考慮している。妻は決まった愛人があり、夫公認で日々会いに行っている。夫は秘密の「売春クラブ」みたいなところに長年通っている。(遊郭があった時代だがそういう場所ではなく、「神戸」という国際港ならではの外国人経営の不思議な場所である。)

 そんな不可思議な関係の話かと思うと、まあそうなんだけど、それ以上に人形浄瑠璃(文楽)のついての講釈なのである。そもそも冒頭が妻の父から招待されて、浄瑠璃に行くかどうかという場面。その後、淡路島に義父、その妾とともに淡路の人形浄瑠璃を見に行ったりする。これは今重要無形文化財に指定され、「淡路人形座」で上演されている。昔はもっと野趣に富んだ上演形態で、ジャワ島の影絵芝居を見に行くみたいな雰囲気だ。この場面が非常に好きだという人がいるらしいし、確かにとても印象的。でも、全体的に浄瑠璃講釈が多すぎで、そういう好事趣味が谷崎文学の特色でもあるけど、付いていけない人も多いと思う。

 ところで、異常な性愛ばかりを書き綴った谷崎だが、実は大体モデルがあるんだという。谷崎は1915年に石川千代と結婚し、翌年に長女が生まれる。しかし、翌年には妻の妹石川せい子(同居して谷崎が音楽学校に通わせていた)が好きになり、この女性が『痴人の愛』のモデルだという。せい子は谷崎脚本の映画『アマチュア倶楽部』で、女優葉山三千子としてデビュー。『浅草紅団』などに出演した。せい子は谷崎の求婚を断り、映画界で活動したが、1932年にサラリーマンと結婚して引退した。

 妻の千代は夫に顧みられず、それに同情した作家佐藤春夫と親しくなった。このため『蓼喰ふ虫』のモデルは長らく佐藤ではないかと思われていたが、実は違うという。当時谷崎宅で書生をしていた和田六郎が本当のモデルだという。和田は戦後になってミステリー作家大坪砂男となった人物である。一方、谷崎は一時妻を佐藤に譲ると言いながら谷崎が前言を翻し、二人は1921年に絶交した(小田原事件)。1926年に和解し、千代と和田が結ばれることに佐藤が反対し、結局1930年になって谷崎と千代は離婚、千代は佐藤春夫と結婚する。三人連名の挨拶状を送り、「細君譲渡事件」と騒がれた。まあ驚きの文壇エピソードである。

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今も面白い織田作之助、大阪を描いた作家「オダサク」を読む

2024年09月11日 22時46分55秒 | 本 (日本文学)
 最近織田作之助オダサク)を読んでいたので、そのまとめ。大阪で生まれ大阪を描いた作家織田作之助(1913~1947)は、短い生涯の中で印象的な作品を幾つも残した。1939年の『俗臭』が芥川賞候補になり、翌1940年にもっとも知られる『夫婦善哉』(めおとぜんざい)が発表された。敗戦後の1947年1月に急逝したので、「戦時下の作家」だったことに改めて気付く。今回読んだのは「夫婦善哉」をモチーフにした演劇を見るからだが、実はその前から読み直したいと思っていた。
 (岩波文庫の2冊)
 今回は岩波文庫の『夫婦善哉正続他十三篇』『六白金星・可能性の文学他十一篇』を読んだのだが、その2冊は前から持っていた。2024年4月に新潮文庫から『放浪・雪の夜 織田作之助傑作集』が出て、すぐに読んでみた。続いて新潮文庫の『夫婦善哉決定版』を買って読んだのは、字が大きくて読みやすそうだったからだ。織田作之助は昔「ちくま文学全集」で読んだ記憶があるが、もう一回ちゃんと読んでみたいと思っていた。だから岩波文庫を買っていたわけだが、なんか字が小さいので後回しにしていた。今回も新潮を読んですぐに岩波も読むつもりだったけど、つい面倒になってしまった。
 (新潮文庫の2冊)
 両方の文庫には共通の作品が幾つも収録されている。新潮で読んだものは飛ばそうかと思ったが、間に数ヶ月入ったので読むことにした。たった数ヶ月しか経ってないのに、案外忘れていて我ながら驚いた。細かい所は結構忘れていたのだが、今度の方が面白く読めたのも驚き。一度目に読んだ時は展開が気になってストーリーを追うことで精一杯。特に難しいわけではなく、むしろ今なら直木賞候補になるような物語性豊かな作品群だ。今回読んだ時は大体筋は覚えていたので、細部の描写や全体の構成、文体の工夫などに目が行く。そっちこそが面白いのである。

 オダサクと言えば『夫婦善哉』、特に特に1955年の豊田四郎監督、森繁久彌淡島千景主演の東宝映画を思い出す人も多いと思う。僕はこの映画が大好きで、たまたま同じ年に林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の『浮雲』とぶつかってベストワンになれなかった(2位)のを残念に思う。『浮雲』を読むときに高峰秀子と森雅之が脳内に浮かんでしまうのと同様に、『夫婦善哉』を読むときも映画の主演二人が目に浮かぶ。その結果、大阪庶民の人情喜劇みたいなちょっと古風な物語を書いた作家というイメージがあった。
(映画『夫婦善哉』)
 ところで20世紀にオダサクを読んだ人は、『続夫婦善哉』を読んでないと思う。映画にも『続夫婦善哉』があるが、これは完全なオリジナル作品で淡路恵子が怪演している。本物の続編が見つかったのは、2007年だという。戦前の有名な出版社、改造社社長山本実彦の資料を収蔵する故郷・薩摩川内市の図書館から見つかった。雑誌『改造』掲載のために書かれて、検閲を恐れて不掲載になったと想定されている。そんなに反軍的なのかというとそんなことはないけれど、「事変」の泥沼化に連れ物資不足が深刻になっていく様がよく描かれている。と同時に舞台が大阪から別府温泉に移ることも驚き。
(織田作之助)
 今まで『夫婦善哉』は大阪庶民を見つめて書いたフィクションだと思い込んでいたが、実は作者周辺にモデルがいたのだと解説にある。一族の没落と復興を強烈に描く『俗臭』、あまりにも独善的な人物を描く『六白金星』などとりわけ強烈な作品は皆モデルがあるらしい。『夫婦善哉』はモデルの人物が実際に別府に移転しているらしく、「別府もの」と呼んでもよい作品群がある。『雪の夜』も惚れた女と別府に逃げるモテない男の話。マジメ人間が何かの拍子に「フーゾク」系にハマってしまうが、女も情にほだされて男に付いていくという話が複数ある。『夫婦善哉』と似てるけど内容的には逆である。

 岩波文庫を読んだら解説を佐藤秀明さんが書いていた。三島由紀夫の研究者として著名だが、調べたら今は近畿大学教授だった。オダサクも研究していたのか。実は大学時代に学科は違うが同じ学年だった。前田愛先生の授業に出たりしていたから、記憶にあるのである。解説ではその前田先生の『幻景の明治』に始まり、中沢新一やエドワード・サイードに触れながら「大阪」という町のトポロジーに迫っていく。これが読みごたえがあって、オダサクが少し判った気がした。『夫婦善哉』も複数の語りが内在していて、「甲斐性なしの男に惚れた芸者が尽くす」というような「人情モノ」では済まない構造を持っている。

 オダサクを本格的に論じるほど読んでないが、同じ頃に活躍してともに「無頼派」「新戯作派」と呼ばれた太宰治坂口安吾ほど読まれているだろうか。少なくとも東京では『人間失格』や『堕落論』のような「文学青年に限らず若いうちに読むべき作品」に『夫婦善哉』は入ってないだろう。大昔の風俗小説、映画化の原作程度のイメージじゃないか。しかし、オダサクほど「庶民」の内実を事細かく描いた作家も珍しい。「知識人」の自我をめぐるゴタゴタなんかほぼ出て来ない。林芙美子の放浪よりさらに追いつめられた放浪であり、戦時下民衆の実像が記録されている。東京にもこういう作家が欲しかった。
(夫婦善哉)(自由軒のカレー)
 ところで「夫婦善哉」というのは、大阪の法善寺横丁にある実在の甘味処である。昔大阪に行ったとき夫婦で寄ろうと思ったが、満員で入れずレトルトを買ってきた。作品に出て来る「自由軒」の卵をのせたカレーも有名。こっちも満員だった。20年ぐらい前でそうだから、今ではもっと入りにくいだろうと思う。作品中には大阪の庶民の食べ物がいっぱい出て来て、上流の『細雪』と違って出て来る店も大分違う。そこも面白いところだ。
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『緋の河』、〈カルーセル麻紀〉の子ども時代に迫るー桜木紫乃を読む③

2024年08月21日 22時17分49秒 | 本 (日本文学)
 桜木紫乃を読むシリーズ3回目で最後。今回は主に『緋の河』(2019、新潮文庫)を取り上げるが、その前に読み終わったばかりの『』をちょっと。講談社文庫の桜木作品連続刊行の最後。これは桜木作品には珍しく、釧路ではなく根室を舞台にしている。釧路以上に寒い環境で展開される三姉妹の物語だが、途中であれよあれよと怒濤の展開でヤクザ小説、または政治小説になっていくのでビックリ。非常に面白かったが、冒頭で根室を代表する水産会社の次女がよりによって中学卒業後に芸者になってしまう。

 長女は政界進出をめざす運輸会社の長男に嫁ぎ、次女が花街に行ってしまい、結果的に三女は自分が犠牲になって婿取りをして家を守ると決意する。最初が花街で始まるのでそういう話かと思うと、どんどん変容していくのが面白い。昭和30年代の根室では北方領土をめぐってきな臭い動きが絶えない。そこら辺も面白いが、もし読むなら解説は後にした方がよい。最後の展開がバラされているので。それは別にして、子どもが三人いれば一人は親の期待から外れて生きるものなのだ。

 そのことが実話に基づきフィクション化されているのが、『緋の河』である。これは釧路に生まれたカルーセル麻紀(1942~)の人生にインスパイアされた小説である。刊行当時話題になったので、文庫になったら読みたいと思っていたが2022年に新潮文庫に入ったのに気付いていなかった。今回桜木作品をまとめ読みしようと思って調べたら、とっくに文庫になっていた。文庫で600頁を越える長い小説だが、それでも22歳までしか達せず、その後のことは『孤蝶の城』(2022)という続編があるがまだ読んでない。

 カルーセル麻紀(作中では「カーニバル真子」)は元祖「性転換タレント」である。まだ子どもだった自分は、そういうことが可能なのかと驚いたものだ。その前にテレビ番組によく出ていたが、まだLGBTなんて概念もなく「男だけど女として生きる」という生き方があると示した人である。もっとも世間的にはどこか「怪しい」感じも匂っていたと思う。ともかく1970年代前半にはある程度の年齢の人は全員が知っていたと思う。当時は「ジェンダー・アイデンティティ」なんて考えはなく、世の中には生まれながらの「男」「女」しかないと僕も思っていた。
(カルーセル麻紀)
 そのカルーセル麻紀は釧路に生まれたので、桜木紫乃はぜひ自分で小説に書きたいと思っていたという。戦時中の生まれで出生名が「徹男」と付けられたのは、厳格な父の「米英と徹底的に戦う男」という意味らしい。小説では「秀男」となっているが、幼いときから女児のように思っていた。周りは姉のお下がりを着せられたからで、いずれ「治る」と思っていたようだが、いつまで経っても体は華奢なままだった。自分のことも「あちし」(「わたし」と言えず)と呼ぶ弱々しい「少年」は、学校に上がると格好のいじめの標的である。そのためいつも強いものを見つけて守って貰った。親や教師も本人が弱いからだと思われていた。

 そんな彼は中学では初めて「友人」を見つけた。何とか中学を卒業し高校へ行ったが、そこでは丸刈りが校則で「頭髪検査」があった。演劇部で女性役をするからと何とか目こぼしされていたが、ついに教頭が来て無理やりバリカンで刈られた。それをきっかけに教師に啖呵を叩きつけて退学した。そのまま家出して東京をめざすも無理と判って札幌で下りて、何とかゲイバーにたどり着く。そういう場所があると子ども時代に教えられていたのである。
(カルーセル麻紀の若い頃)
 その後は「ショービジネス」の小説となっていく。札幌から東京へ出て行き、さらに大阪へ行く。その間に多くの男性遍歴もあるが、もともと客商売に向いていた。度胸もあるし、話もうまい。10代にして夜の世界で人気者となる。その後、単にゲイバーでショーをするだけではなく、本格的に舞台に出るチャンスがめぐってくる。しかし、そこでは女優のわがままが目に余る。ついに若輩の真子が啖呵を切る。このように2度の「啖呵」シーンがとても印象的だ。カルーセル麻紀に同じような場面もあったんだろうが、桜木紫乃の小説家としての力量が示されている。
(『霧』)
 『緋の河』は今度テレビに出られるというところで終わっている。その後は続編で。誰にも認められないと思って生きる「秀男」だが、ただ姉だけが味方になってくれる。ずっと親の期待を背負って生きていた姉が、ラスト近くで大きく変わっていく。そこも読みどころだ。性別違和(性同一性障害)の子どもの心理をここまで書き込んだ小説はあまりないと思う。これは「釧路小説」とは言えないが、やはり釧路という町が背景にあって成立している。もっともこの時代、大阪では釧路の位置を知ってる人などほとんどいないのだが。とにかく桜木紫乃の小説は面白いのでお薦め。
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『ラブレス』『家族じまい』、「家族」の過酷な歴史ー桜木紫乃を読む②

2024年08月20日 22時19分58秒 | 本 (日本文学)
 桜木紫乃の直木賞受賞作『ホテル・ローヤル』(2013)、あるいはその前に書かれたミステリー風の作品『硝子の葦』(2010)には、釧路湿原を望む場所に建つ「ラブホテル」が出て来る。両作品に共通の人物は登場せず独立した作品だが、「ホテル・ローヤル」という名前が共通する。昔『ホテル・ローヤル』を読んだときは、ただフィクションに付けられた架空の名前だと思っていた。しかし、実はこれは作者の実家だった。15歳の時、父親がラブホテル経営に乗りだし、湿原を望む郊外に作ってそこそこ繁盛したらしい。桜木紫乃は仕事の手伝いをしていたというから驚く。

 桜木紫乃は「新官能派」などと呼ばれたらしいが、その小説に出て来る性描写は渇いている。そういう生育をすれば、「愛」や「性」に過大な期待を持てなくなるだろう。道東の寒々しい風景描写の中で、人々は結ばれたり別れたりするが、どこにも湿った思い入れがない。過酷な人生を歩む主人公が多いが、孤独で厳しい人生行路も桜木紫乃の読後感を涼しくさせている。

 小説に出て来る登場人物には思いやりを持って暮らす家族などほとんどなく、天涯孤独な人も多い。普通ならそういう設定は難しいのだが、戦争直後の北海道には開拓農家北方領土からの引揚者が多く、また主産業の炭鉱には全国から労働者が集まった。どこの出身なのかよく判らない謎に満ちた人物が出て来ても、昔の北海道は妙にリアルな環境なのである。

 桜木紫乃が初めて大きく評価されたのは長編小説『ラブレス』(2011、新潮文庫)だった。直木賞や吉川英治文学新人賞の候補になるとともに、島清(しませ)恋愛文学賞を受賞した。女性どうしのいとこの話から始まって、その親たちの姉妹の長い人生が語られていく。道東の開拓農家に生まれた極貧の姉妹は全く異なった人生を歩む。姉は途中で旅芸人に一座に飛び込み、妹は地元で理容師になる道を選ぶ。ちなみに桜木紫乃の父親はホテル経営の前には床屋をしていて、作品に床屋が出て来ることも多い。

 さらに驚くべきは姉妹の母親の苦難で、くだらない男どもに翻弄されながら戦後を生きてきた。姉百合江が握りしめていた謎の位牌とは何か。今は阿寒湖や川湯温泉の方まで合併して釧路市になっているが、そのような釧路近郊も描きながら壮大な家族の戦後史が語られる。謎を追うミステリー的な部分もあるが、まずは姉妹を通して描き出される過酷な戦後民衆史に言葉をのむ。1970年の山田洋次監督の映画『家族』では閉山した炭鉱から新天地を求めて、長崎から道東まではるばると旅をする家族が描かれた。70年頃まではそういう「幻想」があったわけだが、現実は過酷だった。非常に見事な代表作の一つだと思う。

 もう一つ、『家族じまい』(2020、集英社文庫)は中央公論文芸賞を受賞した作品。釧路に住む老夫婦には二人の娘があるが、一人は札幌近郊、もう一人は函館と実家から遠くに住んでいる。そして横暴だった父が元気で、母の方がボケて来ているらしい。そんな家族をめぐるアレコレが語られる。長女は父と距離を置いて生きてきたが、その生き方に批判的だった妹は二世代住宅を建てて父母と同居しても良いらしい。しかし、実現した「理想の暮らし」に父親が黙って従っていられるか。

 「横暴な父」あるいは「無理解な父」というのも桜木作品の定番的設定である。現実に床屋をやめてラブホテル経営を始めるような、「家族巻き込み型」の山師的父親だったらしい。そして1970年代ぐらいまでは、そうそう理解ある父親なんていなかったのも確かだろう。特に女性の場合、大学進学を認めないとか、結婚相手を自由に選べないなどよくある話だった。それでも北の大地の極貧の父親たちの横暴は迫力が違う。そんな家族の中で生き抜いた女性も大変だった。

 「家族」への幻想など飛び散ってもおかしくない。そんな冷徹な世界を行きている女性の小説は、何も釧路が舞台だからというだけでなく、読んでいて夏の猛暑も少しは涼しくなるというものだ。他にも多くの作品があるわけだが、ハードボイルド的な『ブルース』『ブルースRed』、第一作品集『氷平線』なども釧路や周辺を舞台にしながら、どこか渇いた人間たちが出て来る。本質的に「冷涼」なのが桜木作品の特徴だ。
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涼しくなれる釧路小説ー桜木紫乃を読む①

2024年08月18日 21時50分36秒 | 本 (日本文学)
 東京はほぼ毎日猛暑日が続いている。台風が接近した8月16日(金)だけは別だが、他の日は35度に届かなくてもそれに近い。もういい加減猛暑には飽きてしまって、マジメ系テーマを書く気が失せている。そこで最近読んでる桜木紫乃(1965~、さくらぎ・しの)の本について数回書きたい。何しろ読むだけで涼しくなれる小説なのである。桜木紫乃は北海道釧路(くしろ)市に生まれ育ち、作品の舞台も主に釧路である。今は同じ北海道でも札幌に近い江別市居住というが、釧路を舞台にした『ホテル・ローヤル』(2013)で、同年に直木賞を受けた。その後も釧路で展開する小説を書き続け、釧路市の観光大使にもなっている。
(桜木紫乃)
 釧路と言えば夏でも涼しい土地柄で知られる。今年の最高気温を調べてみたら、8月10日に29.1度になっているが30度越えは一日もない。ここ3日間では、16日が23.3度、17日が20.8度、18日が21度になっている。この気候を生かして近年は釧路に夏長期滞在する旅行プランが人気だ。何で涼しいかというと、寒流(親潮)の影響が大きい。また夏は海から吹く風で「海霧」が発生する。昔釧路に行った時、帰りの飛行機が濃霧で欠航したことがある。もっとも釧路でも年に何日かは30度近くになるが、道東地方では宿に冷房がないことが多くて困る。(下に釧路の地図を示しておく。)
(釧路の位置)
 今回読んでみたのは、講談社文庫が4ヶ月連続で桜木紫乃の旧作を文庫化しているのがきっかけ。僕も知らなかった釧路を舞台にしたミステリーが刊行された。「北海道警釧路方面本部」シリーズだそうである。もっとも2作しかないけれど、どちらも女性刑事の苦闘を描くことが共通する。第一作『凍原』(2009)の帯には「女が刑事として生きるには、あまりにも冷たい街」と出ている。人間関係の希薄さもあるが、この「冷たい街」とは現実に冷涼な日々が続くことを指している。
(『凍原』)
 第二作『氷の轍』(2016)もそうだが、まず題名が寒々しい。そして内容も同じく寒いのである。出張で札幌や青森県の八戸まで出掛けるシーンがあるが、気候が違って暑いという描写が印象的。それに対して事件現場である釧路は、釧路湿原や海の描写も多い。それらが事件そのものや刑事、事件関係者の設定に不可欠になっている。そして読んでいていかにも冷涼な街の様子が浮かび上がり、こっちの気分も涼しくなる。漁業と炭鉱の町だった釧路は、戦後になっても外からやって来た人が多く、生まれ育ちもよく判らない人が有力者になっている。そんな特質がミステリーに向いている。
(『氷の轍』)
 「犯人当て」としてはどっちもちょっと薄味かもしれないが、寒々しい風景描写が心に残る小説である。出来映えからすると短編集『起終点(ターミナル)駅』(2012)が心に残った。表題作は篠原哲雄監督によって映画化され、2015年に公開された。その映画は遅れて見て、なかなか面白かった。佐藤浩市、尾野真千子、本田翼などが出ていて、やはり釧路が舞台。元裁判官の佐藤浩市は今は釧路で官選の刑事事件しかやらない弁護士になっている。そうなった理由は何故か。そこに本田翼演じる女性の覚醒剤事件を担当することになって…。本田翼がなかなか良くて忘れがたい。今回原作を読んでみたら映画はほぼ原作と同じだった。
(『起終点駅』)
 文庫の帯には「始まりも終わりも、みなひとり」とある。当たり前と言えば当たり前なんだけど、桜木紫乃の登場人物は皆孤独で道東の荒涼たる風景に似合う人ばかり。新聞記者を主人公にした「海鳥の行方」「たたかいにやぶれて咲けよ」も見事。『ホテル・ローヤル』も連作短編集だったが、桜木紫乃は基本的に短編向きかも。忘れがたき風景や人間関係を点描することが特徴である。もちろん直木賞作家なんだから、エンタメ系のすぐ読める小説である。しかし、それらの小説はほぼ釧路周辺で展開する孤独な人間の道行なのである。読んでると気持ちも涼しくなるが、それは高原の避暑地の涼しさとは違う。夏も荒涼たる道東の涼しさなのである。なお、釧路で鶏の唐揚げを「ザンギ」と呼ぶと映画を見て初めて知った。原作でも主人公がザンギを作っている。
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木内昇『かたばみ』を読むー戦中戦後を生き抜く家族小説

2024年05月18日 20時45分09秒 | 本 (日本文学)
 『リラの花咲くけものみち』を読んだ次に、花の題名つながりで木内昇かたばみ』(角川書店)を読んだ。東京新聞などに連載され、面白くて感動的と評判になっていた。550頁もある長い小説だけど、確かに面白くてあっという間に読める。単行本を買ってしまったが、2350円(税別)の価値は十分にあった。木内昇(きうち・のぼり、1967~)は2010年刊行の『漂砂のうたう』で直木賞を受賞した女性作家。確かな筆力で、人物と時代がくっきりと浮かび上がってくる様は見事。

 冒頭は戦時中(1943年)に女子槍投げ選手山岡悌子が引退して「国民学校」(小学校から改名されていた)の「代用教員」になるところから始まる。代用教員は戦前にあった制度で、旧制中学や高等女学校を出ていれば師範学校を出ていなくても小学校で教えられた。悌子は日本女子体育専門学校(現・日本女子体育大学)を卒業したので代用教員になれたのである。この学校は1922年に二階堂トクヨ(1880~1941)が開いた二階堂体操塾に始まり、人見絹枝など8人の五輪選手を育てたという。今やパリ五輪金メダル最有力候補の槍投げ選手北口榛花がいる日本だが、何事にもこのような先駆者がいたのかと感慨深かった。
(木内昇)
 検索すると角川のサイトで紹介文が出て来る。「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」太平洋戦争の影響が色濃くなり始めた昭和十八年。故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいた…。実はもっと出ているんだけど、これ以上は読まずに読んだ方が絶対に面白い。

 もともと岐阜生まれで、普通の女子がスポーツをやるために上京するなどあり得ない時代だ。しかし、幼なじみの神代清一が甲子園で活躍し早稲田に進学したので追いかけるように上京したのである。悌子は肩を痛めて競技生活は諦めたが、それでも親の圧力を跳ね返して東京に居続けたのは、清一がいたからだ。多摩地区の小金井市で職を得たが、学校は「少国民錬成」の時代だった。体育専門の悌子は竹槍訓練の中心にならざるを得ない。その中で戦時教育に疑問を持たざるを得なくなっていく。彼女は学校に通いやすい小金井に下宿先を見つけた。下が食堂で二階に部屋を作り最初の下宿人となった。

 結局この下宿先の一家と知り合ったことが悌子の人生を決定するのだが、それはまだ判らない。えっ、こうなるの的な展開が続くので、一気読み必至。悲しいことが多かった戦争時代はやがて終わるが、戻る人戻らぬ人様々。悌子は思わぬ人生を歩んでいく中で、「家族」とは何かを考えさせられる。真面目一本気で、まさに槍投げのような人生を送る悌子だが、強いだけではダメな人生に立ち向かう。周囲の人物、それも後半になるに連れ子どもたちの存在が大きくなるが、その破天荒な設定は書かないことにする。厚い小説だけど、あっという間に読めるから是非読んでみて。
(カタバミの花)
 カタバミはよく道端にある「雑草」だけど食べられる。戦時中はこの一家も食べていて、その酸味を好んでいた。花言葉は「母の優しさ」と「輝く心」だと出て来る。ネットで調べると「喜び」というのもあるらしいが、どれも復活祭(イースター)頃に花が咲くことに由来するという。これが題名の理由なんだろう。ものすごく面白かったが、次第に教師として以上に「親と子のあり方」みたいになってくる。小説内では端役の人物が時々思わぬ金言を吐くので油断出来ない。多分人間って誰しも宝石のような言葉をもともと持っているんだろう。そして、「思い込み」や「慣習」に囚われて生きることの愚かさを痛感する小説でもある。
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藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』ー不登校から獣医師へ、感動の小説

2024年05月15日 22時07分57秒 | 本 (日本文学)
 藤岡陽子リラの花咲くけものみち』(光文社)はとても感動的で心打つ小説で多くの人にお薦め。2024年の吉川英治文学賞新人賞受賞作品。発売(2023年7月)当初の評判(書評)で買ったが、しばらく読まなかった。なんか「感動」するに決まってる小説を読みたい時と読みたくない時がある。この本は不登校になった中学生が祖母に引き取られて生き直してゆく物語である。というと梨木香歩西の魔女が死んだ』みたいだが、この小説はもっと長い人生を語っている。そして東京都大田区に住む主人公は、都立の「チャレンジスクール」に通うのである。(明記されてないが、世田谷泉高校だろう。)これは読まなくちゃ!

 世に「不登校」を語る言説は多く、小説にもかなり書かれていると思う。しかし、主人公岸本聡里(さとり)の陥った過酷な状況は今まで読んだことがない。こういうこともあるのか。多くの場合、「不登校」なんだから学校で嫌なことがあるのである。聡里は小学校4年の時に母が死んで、2年後に父が再婚して妹が生まれた。その後、父は九州に単身赴任し、新しい義母は妹にしか構わない。それどころか、娘が動物アレルギーだったら困ると言って、愛犬パールを手放すように迫るのである。学校に行ってる間にパールが捨てられたら大変だと思って、聡里はそれ以後部屋に引きこもって一瞬もパールから離れなくなったのである。
(藤岡陽子)
 新しい家族とうまく行かないという設定はあるけど、犬を守るために学校へ行けなくなるなんてあるのか? しかし、犬を飼っていた思い出があるなら、この気持ちはよく判るはず。そんなひどい義母がいるのかと思うし、父も何してるんだと思うが、パールを守れるのは聡里しかいないんだから、彼女はよく闘ったのだ。しかし、その代償として不登校どころか、すべての人間関係をなくし髪を切ることさえ出来なくなった。母方の祖母、牛久チドリは可愛がっていた孫から突然何の連絡もなくなって悲しい思いをしていた。ついに中三の誕生日に聡里の家を訪ねて真相を知り、聡里とパールを引き取ると宣言したのである。

 祖母チドリはそこから大車輪でチャレンジスクールを調べ、入学後は夢を持てない聡里の進路として動物好きの彼女に「獣医」を勧めたのである。東大は無理だから、東京の国立大で獣医学部のある東京農工大を受験したが失敗。聡里はそれからでも間に合う私立として北海道の北農大学に合格したのである。札幌近郊の江別市にあるその大学は、酪農学園大学がモデルになっている。(後書きに謝辞が書かれている。)そして北の大地の真っ只中にある大学の女子寮に今しも入寮するために、聡里とチドリはやってきたところである。友だちもいず、人間関係に臆病な聡里は果たして大学生活を送っていけるのだろうか?
(酪農学園大学)
 そこで営まれている学生生活は、思った以上に過酷である。何度も挫折を繰り返しながら、それでも祖母の期待を裏切れないから頑張り続ける聡里。青春小説だから友だち問題もあれば、恋の悩みもある。だけど、獣医学部にはもっと本質的な大変さがあった。犬や猫ならまだしも、「産業動物」である牛や馬になると大きすぎて女子大生には大変だ。そして「命を預かる」という仕事で、人間相手の医師と同じく獣医師にも究極の選択を迫られる場面もある。実習を重ねる中で何度も壁にぶつかるのだ。そしてただ一人の味方の祖母は、授業料を捻出するために一軒家を売ってしまった。祖母ももう高齢でホントはそばについていてあげたいけど…。

 作者の藤岡陽子(1971~)の本は以前『手のひらの音符』を読んで紹介したことがある。(『確かな感動本、「手のひらの音符」を読む』2016.7.28)とてもよく出来た感動作だったけど、今度の本はそれ以上の魅力がある。それは北海道である。聡里にとって「冬の寒さ」も大きなハードルだが、それ以上に花や動物たちの天地である。各章には花の名前が付けられている。「ナナカマドの花言葉」「ハリエンジュの約束」「ラベンダーの真意」…といった具合である。それがまた魅力になっている。それにしても獣医への道は厳しい。人間の場合と同様に、6年間の勉強が必要でその後に国家試験がある。
(ナナカマド)
 僕は藤岡陽子さんの小説は題名がどうなんだろうと思うことがある。『手のひらの音符』もよく判らないけど、『リラの花咲くけものみち』も事前にはよく判らない。この本を書店や図書館で見て、題名で手に取って貰えるだろうか。終章から取られた『リラ…』より、第一章の『ナナカマドの花言葉』でも良かったのではないか。その花言葉というのは、「私はあなたを見守る」である。聡里も何人もの人に見守られていたが、聡里もパールを見守っていた。そして、聡里が多くの人を、動物を見守れるようになれるんだろうか? 展開にお約束が多いとは思うが、感動の小説である。特に犬、猫、馬、牛などが好きな人は涙なしに読めない。
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川本三郎『林芙美子の昭和』を読むー「大衆」を生きた女性作家

2024年03月12日 22時24分13秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子を読んできて、とりあえずこれが最後。川本三郎林芙美子の昭和』(新書館、2003)である。僕は川本三郎さんの本が好きでかなり読んできた。この本は400頁以上ある分厚い本で、2800円もした。どうしようかと思ううちに、発行1ヶ月で第2刷になっていた。やっぱり買っておくことにしたが、この本を読むのは林芙美子をちゃんと読んでからにしたいと思って、早20年。読み始めたら面白くて『放浪記』より早く読み終わった。中身も面白かったが、ようやく片付けられて嬉しい。

 川本三郎さんの本をここで何回書いたか、自分で調べてみたら4回書いていた。それは『川本三郎「荷風と東京」を読む』、『川本三郎「小説を、映画を、鉄道が走る」』、『川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む』、『川本三郎「『細雪』とその時代」を読む』の4本。本当はもっと読んでるが、書いてないのもある。例えば、どちらも2014年に出た『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)や『日本映画 隠れた名作 - 昭和30年代前後』(筒井清忠と共著、中公選書)である。

 川本三郎は70年代後半から「都市論」的な評論で注目されたが、次第に近代日本の小説や映画を論じるようになった。都市論的視角から東京を歩き回った永井荷風に関心を持つ一方で、昔の庶民の姿を写し取る成瀬巳喜男監督の映画にも惹かれた。そうなると、成瀬監督が何作も映画化し、荷風を敬愛した「東京を歩く人」である林芙美子に注目したのは必然というべきだろう。そして予想通りこの本はとても面白くて読みふけってしまう本だった。
(川本三郎氏)
 まず本書では『放浪記』を「大都市東京を歩いた本」として読み解く。それも「新興の町・新宿」から生まれたという。なるほど芙美子本人も新宿から近い落合近辺に長く住んでいたし、「下町」を舞台にした小説は少ない。あれほどの「貧乏」に苦しめられながら、東京の東側に住んだことがないのである。そして一日中行商に歩いたり、原稿売りに歩き回る。世田谷に住んでいた時は、歩いて都心の出版社に原稿を持ち込んで、また数時間かかって家に到着すると、すでに速達で原稿が戻っていたりした。

 言われてみれば『放浪記』で林芙美子は東京を歩き回る。ただ読んだときにはその事をあまり意識しない。それは「求職」か「原稿売り」という、窮迫に迫られての徒歩だからだ。もっとお金があれば市電を使うんじゃないかと思ってしまう。だが、確かにこの本を読むと、林芙美子の「肉体」は歩くことを苦にしない。だからこそ、後に中国戦線で「漢口一番乗り」を果たせるのである。150㎝もない身長だったというが、驚くべき元気さ。それは「都市」という誰も知らない町で、自立して生きている女性の強さである。他の「女流作家」には「お嬢様」が多い中、これほど庶民そのものの中から出て来た小説家は珍しい。

 そして東京を歩き回ったように、林芙美子はパリも歩く。「満州」も歩き、戦火の中国も歩いた。そこで見た民衆像を等身大で書き続けた。ただ従軍して書かれた文章には、やはり弱さもある。林芙美子は「一生懸命戦う兵隊」に寄り添いたいという思いでいっぱいだった。しかし今から考えれば、その戦争は紛れもなく「不義の戦争」だった。当時はそのことを書けないとしても、そのことを全く意識していないらしいのは、今になると困る。現時点で断罪するというのではなく、ただ林芙美子の真情に寄り添うのでもなく、現在地からすれば「次は間違わない」ためにどうすれば良いのかを問う必要がある。

 戦時中の疎開から帰って来て、林芙美子は書きまくる。そこで書かれたのは、「解放された明るさ」ではなく「暗い戦争」であった。それが『浮雲』を覆っている「暗さ」に現れている。しかし、最後に未完で終わった新聞小説『めし』では、新しく登場した「主婦の不安」を描いているという。林芙美子を読んで、今読んでも十分面白いことに驚いた。数多くの庶民が出て来るが、ジェンダー的に引っ掛かるところが少ない。戦争中の文章は頂けないが、当時生きていた人々を考える時には、今も必読だと思う。

 川本三郎氏の本は重くて持ち歩くのも大変だが、林芙美子を読んでなくても、成瀬巳喜男の映画を見てなくても、十分面白く読めると思う。こういう本を読むのはとても楽しい。人生のご褒美みたいな体験だ。
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桐野夏生『ナニカアル』、戦時下の林芙美子の「秘密」

2024年03月11日 22時12分30秒 | 本 (日本文学)
 女は夫がいる40歳の小説家、男は妻子がいる7歳下のジャーナリスト。二人が東南アジアの町で再会し、かつての愛情が燃えあがる。そんな小説があるわけだが、作者は誰だろう? 森瑤子(1993年に52歳で亡くなった作家)? それとも昔の林真理子か? いやいや、それが桐野夏生ナニカアル』(2010)という小説で、読売文学賞島清恋愛文学賞を受けた。この本を今まで何となく敬遠していたんだけど、今回読んでみて大変感心した。圧倒的な迫力で、戦時中を再現する素晴らしい筆力に感嘆。何で今読んだのかというと、主人公が林芙美子なのである。つまり実在人物を登場させたフィクションということになる。

 しかも内容がものすごい。「林芙美子」が一人称で書いた手記という体裁だが、彼女には前から毎日新聞の記者をしている恋人(斎藤謙太郎)がいる。なかなか会う機会がなかったが、南方に派遣されボルネオにいたときに、斎藤も社の仕事で同じ町にやってきたのである。そして熱烈に愛し合い、「私」(芙美子)は子どもを身ごもってしまう。日本に帰って妊娠に気付いた芙美子は悩みながらも、一人で産むことにした。夫には養子を貰って育てると言いつくろう。林芙美子は1943年に養子の泰(たい)を迎えた事実がある。『ナニカアル』では、その「養子」(名前は晋だが)が実は芙美子の実子とされているのだ。
 
 いやあ、小説は何を書いても良いけれど、こういう設定はやりすぎと違うか。信長や秀吉が小説や映画の中でいろいろと会話する。あり得ないような「本能寺の変」の原因が語られる。でも、まあ大昔のことだから、いいのかなと思う。しかし林芙美子はもうずいぶん前に亡くなっているとは言え、執筆当時は没後60年ぐらいだった。しかも、一人も子どもを産んでないとされている林芙美子が、実は「不倫」相手の子を出産していたという設定である。ちょっと何だか抵抗があったのである。そんなのアリ? 
(桐野夏生)
 最近ずっと林芙美子を読んでるから、この機会に読もうと思ったわけだけど、いやあ読み逃さなくて良かった。これは傑作である。しかも非常に読みやすい。どんどん読み進んでしまう。そして、林芙美子の私生活が描かれているけど、本当のテーマは「戦争と軍隊」なのである。林芙美子は日中戦争初期に「南京に女性一番乗り」で知られて、続いて「漢口一番乗り」を果たした。「従軍記者」として、あくまでも戦う兵士の立場で書くと本人は思っていたが、書きたいことを自由に書けず戦争に協力していたわけである。その「実績」のある林芙美子が1942年になって、再び南方に派遣される。

 それは事実で、陸軍省に同じく女性作家(当時の言葉では「女流作家」)窪川(佐多)稲子宇野千代なども集められた。宇野千代は断ったが、林芙美子や窪川稲子(プロレタリア文学者で「転向」していた)は断れない。同じ時にラジオ作家だった水木洋子(戦後に脚本家となり、林芙美子原作の『浮雲』を脚色した)も加わっていたのが興味深い。シンガポール(当時は「昭南」)まで船で行くが、もう米軍の潜水艦が心配な戦況になっていて、着くまで生きた心地がしない。林芙美子は到着後にマレー半島を連れ回され、その後「蘭印」(オランだ領インドシナ=インドネシア)のジャワ島に行く。

 そしてボルネオ(カリマンタン)島まで「派遣」されるのである。具体的には今南カリマンタン州都になっているバンジャルマシンである。そこでは日本軍が占領した後に「ボルネオ新聞」を刊行している。そこに出掛けて「取材」するということになる。林芙美子には有名作家ということで、「当番兵」まで付く。ありがたいような、迷惑なような。しかし静岡出身の床屋と称する当番兵は、一体何者なのだろう? 芙美子は次第に疑惑の念が湧いてくる。あちこち連れ回されて疲れ果てた頃に、斎藤からバンジャルマシンに行くとの連絡が入る。英米に派遣され「交換船」で帰国した彼とは長く会えなかったのである。
(バンジャルマシン)
 そこだけを切り取れば、戦争中に盛り上がった「不倫恋愛小説」である。ちなみに林芙美子は画家の手塚緑敏と「結婚」していたが、戦争末期に養子泰とともに「入籍」するまでは「事実婚」だったようである。その間もパリ滞在中に恋人がいたとされている。「斎藤謙太郎」という人物は虚構だと思うが、モデル的人物がいた可能性はある。しかし、この小説の眼目は林芙美子の私生活を暴くことにはない。ボルネオでの斎藤との出会いは、実は仕組まれたものだった。軍の思惑によって動かされていたのである。

 そのことがはっきりしていく後半の叙述は圧巻である。軍というか、「情報機関」的な国家組織の恐ろしさを心に突き刺さるように描いた小説は滅多にない。旧東ドイツの秘密警察「シュタージ」の恐怖を描く映画が幾つかあったけど、そういうのを思い出した。芙美子と斎藤はもう一回ジャワ島で会うことになる。そこで大げんかして、二人は永遠に別れる。斎藤は林芙美子が書いたものは死んで10年すれば何も残らないと決めつけ、まあ『放浪記』だけは資料として読まれるかも知れないがと付け加える。恐らく「世界」を論じる「大説」に意味を求める男だったのだろう。しかし、死後何十年も経って、他の作家が読まれなくなっても「小説」の中で庶民を描いた林芙美子は読まれている。そのことの意味をじっくり考えてしまう傑作だった。
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『放浪記』、貧困・恋・文学の無限ループー林芙美子を読む④

2024年02月29日 22時10分59秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子を読むシリーズ4回目。その後に文庫に入っている『林芙美子随筆集』(岩波文庫)、『トランク 林芙美子大陸小説集』(中公文庫)を読んで、最後に『放浪記』を読み直してみた。まあ人生に2回読んでも良い本かなと思って、昔読んだ新潮文庫を見つけ出してきた。ところが字が小さくて、今じゃ読み辛いのである。しょうが無いから他の本を探すことにして、本屋で実物を見たら岩波文庫なら何とか読めそうだったので、買い直してしまった。解説が充実していて買った意味はあった。

 しかし、これが思った以上に大変なシロモノだった。前に読んだときもそう思ったけど、今回も底なし沼にハマったかと思った。今は戦後になって発表された第三部を含めた三部作の「完全版」が出ている。ところがこれが改訂に改訂を重ねた「魔改造日記」(by柚木麻子)なのである。解説に出ている一番最初の原『放浪記』は確かに「若書き」であり、まだ作家以前の文章とも言える。成熟した作家となり、文章を練り直したいというのは理解出来る。また戦前には検閲を考慮して削除されていた記述もあった。(皇族関係など。)それを復活させたいのも判る。だが問題は『放浪記』の根本的な構成にあるのである。
(舞台版『放浪記』の森光子)
 『放浪記』は映画や舞台となって、むしろそっちで知られた。名前も知られているから読んでみた人も多いだろうが、「完全版」だと途中で挫折した人もかなりいるんじゃないだろうか。普通は「三部作」というと、それは時系列で進む物語である。まあ、実際の日記をもとにしているので、物語性に乏しいのはやむを得ない。それは良いとして、実は日記の時系列をバラバラにして、複雑なピースにして並べているのが『放浪記』第一部なのである。映画や舞台で有名なカフェで働く場面も確かにあるが、実は女工や女中、女給、事務、宛名書き、露天商、行商など実にいろいろな仕事をしている。

 時系列をバラして、人名も匿名にしているのは、当時は関係者が皆生きていたからだろう。母親や作家仲間の平林たい子、壺井栄などを除き、関係があった男性は皆誰だかよく判らない。戦後になってまとめられた第三部では、かなり実名に戻している。それが逆効果なのである。「無名の貧しい女性」の魂の叫びをぶつけた実録日記として売れたのに、一番大切な自然な思いを作者はあえて消してしまった。そして、時系列バラバラの構成は、第一部、第二部、第三部すべて同一なのである。つまり、第二部が第一部を受けた内容というわけではなく、すべて同じ時期、東京へ出て来てから結婚して落ち着くまでの数年間なのである。
(映画『放浪記』の高峰秀子)
 貧乏に苦しみ、仕事については辞め、文学を志す男と知り合って同棲しては壊れ、それでも文学に心惹かれて詩を書き続ける。貴重なドキュメントで、今まで一度も書かれなかった貧困階級の真実である。だが日記は飛び飛びで、数ヶ月するとまた違う仕事をしている。いつの間にか付き合う男も変わっている。もちろん、そのことが悪いわけじゃない。だけど、そのような貧乏→新しい仕事→新しい男→また辞めて放浪→新しい仕事→新しい男→貧乏のループが第一部、第二部、第三部とすべて同じように繰り返されるのである。この「無限ループ」から読者も抜け出せないのだ。

 何しろ文庫本でも545ページもあるので、この無限ループを読み進めるのが苦しくなってくる。バカバカしい気もしてくる。ところどころに挿入される詩も、最初は新鮮だが次第に飽きてくる。それが『放浪記』なんだけど、第一部発売当時に大ベストセラーになった。その当時は無名女性の日記なので(一部では新人作家として知られてきていたが)、どっちかと言えば「カフェ女給が書いた」というスキャンダラスな本として売れたんじゃないか。

 しかし、林芙美子は天性の放浪者であると同時に、天性の詩人だった。自分は美人じゃなく、もっと美しかったら仕事も恵まれていたとよく書いている。仕事としては確かに今以上にルッキズムがはびこっていただろう。だけど、文学志向、芸術志向の青年たちと続々と恋愛しているのは、どこか只者では無い雰囲気があったんだと思う。だがその文学志向が「良妻」になることを妨げ、中には暴力を振るったりする男もいる。仕事を投げ出して詩を書いていても、トコトン貧乏になっていくだけ。さらに母や義父が飛び込んできたりする。貧窮の中でも「文学」に取り憑かれてしまったのが林芙美子という女性だった。
 
 林芙美子の実人生に関しては、ここでは書かないことにする。前にも書いたが、尾道の女学校の教師がよくぞ才能を見出して励ましたものである。貧窮の中で魂の叫びを発したが、それは「プロレタリア文学」ではない。プロレタリア陣営からは批判されたりもしたが、今でも読まれているのは林芙美子の方である。林芙美子が本格的な作家になったことをよく示すのが、『トランク』という作品集である。中国、フランス、ソ連についての小説が収録されている。戦時中の文章には戦争協力の跡があって痛ましいが、豊かな物語性が今も生きている作品が多い。『林芙美子随筆集』も面白いが、どうも随筆や旅行記だからと言って必ずしも「事実そのまま」ではない場合もあるらしい。これで林芙美子は終わりだが、関連本がまだ残っている。
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最高傑作『浮雲』、映画も原作も凄い-林芙美子を読む③

2024年02月13日 22時30分17秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子を読むシリーズ3回目。いよいよ最高傑作の呼び声高い『浮雲』(うきぐも)を読みたい。成瀬巳喜男監督による映画『浮雲』が好きすぎて、今まで原作を読まずに来てしまった。読んでみたら原作も大傑作で、間違いなく林芙美子の代表作である。雑誌『風雪』『文學界』に1949年から1951年まで連載され、1951年4月に出版された。林芙美子は1951年6月28日に47歳で急逝するから、ギリギリで完成したのである。梅崎春生幻花』や色川武大狂人日記』などと同じ。よくぞ間に合ってくれた。

 『浮雲』は現在も新潮文庫に大活字本で生き残っている。その気になればすぐ読めるわけだが、注がないから困る人がいるかも。この小説をあえて簡単に書くと、「仏印」で出会って「屋久島」で死ぬ女、幸田ゆき子の「不倫」の生涯をたどる物語である。ところで当時は誰もが知っていた「仏印」が今では判らず、今では誰もが知る「世界遺産の島屋久島」が作中ではそんな島があるのと言われている。原作当時は奄美諸島が米軍に占領されていて(1953年に返還)、映画は屋久島を「国境の島」と呼んでいる。
(映画『浮雲』)
 映画『浮雲』(1955)は成瀬巳喜男監督の最高傑作というだけでなく、日本映画史上ベストワン級の映画である。少なくとも僕は、小津安二郎東京物語』や黒澤明生きる』よりも、この『浮雲』の方がずっと好きだ。『東京物語』や『生きる』に出て来る登場人物はどこにでもいそうな庶民ばかりだが、それでも人間はかくも気高いのかと思わせる瞬間がある。一方この『浮雲』は「どうしようもない人物」「どうしようもない人生」の物語なのだが、そこにこそ惹かれてしまうのは何故だろう。幸田ゆき子が出会った農林省技官富岡謙吾は、幸田ゆき子に輪を掛けたどうしようもない人物で、ほとんど「悪人」と言ってもよい。それでもこの富岡を「悪人」として排斥してしまえば、『浮雲』という小説・映画、そして世界そのものも理解出来なくなる。
(二人は再会するが)
 富岡とゆき子は1943年に「仏印」(ふついん=フランス領インドシナ、現在のベトナム、カンボジア、ラオス)で出会った。具体的には南ベトナム中部の高原リゾート都市ダラットである。農林省でタイピストをしていたゆき子は、妻子ある「義弟」伊庭(いば、姉の夫の弟)に陵辱され処女を失った。日本を逃れたくて徴用に応じて仏印に来たのである。そこにある研究所に派遣されていたのが富岡で、彼には日本に妻があったがゆき子と結ばれてしまう。富岡は現地女性ニウとも情を交わし妊娠させていた。研究所にはゆき子に惹かれていた独身の若い加野がいたにもかかわらず、ゆき子は富岡に惹かれていくのである。
(ダラット)(地図)
 そんなバカなと言ってしまえる人はこの物語が理解出来ない。原作も映画もその道行は十分理解可能である。よく知られているように、映画ではゆき子を高峰秀子、富岡を森雅之が演じたが、二人とも生涯のベストだろう。特に有島武郎の子である新劇俳優森雅之は日本映画史上最高の「色悪」を演じている。これが成瀬監督もよく使った二枚目の上原謙(加山雄三の父)だったら、戦争で崩れ去ったインテリの虚無が出なかっただろう。映画を見ている人は、読んでいて映画の主役二人の顔がチラつくのを避けられない。でも、それでも大丈夫。映画は当時としては大作の124分だが、水木洋子の脚本が素晴らしい。基本的に原作通りなのだが、実に本質をとらえた脚本になっている。映画を見ていても原作鑑賞に何の支障もない。

 戦争に負け、何とか日本に復員したゆき子は富岡に電報で帰国を知らせたが、一向に反応がない。仏印では日本で待っているという話で、二人で暮らせると思って帰ったのである。実家に寄る気もなく、やむなく東京の伊庭の家に行くと伊庭も疎開中。勝手に居付いて富岡の家まで押し掛ける。その後いろいろあるが、単に妻がいるということだけでなく富岡はすっかり変わっていた。ゆき子も米兵と付き合ったり、いろいろあるのだが富岡を忘れられない。誘われて伊香保温泉まで付いていくが、富岡は死ぬつもりだった。しかし、宿泊代にするため時計を売ろうとして、飲み屋で「おせい」(岡田茉莉子)とその夫と知り合う。
(おせい=岡田茉莉子)
 富岡は今度はそのおせいと親しくなってしまうのだから、さすがの早業である。もともと妻の邦子も友人の妻だったのを「略奪結婚」したのである。しかし、敗戦後の富岡はもはや妻には何の魅力も感じない。単に「女にだらしない」というより、信じるものなき「虚無」が現在の境遇を脱出したい女を引きつけてしまうのか。富岡とゆき子が泊まったのは「金太夫」で、伊香保を代表する名旅館の一つだったが今は伊東園グループになってしまったのも時勢というものか。伊香保で富岡とゆき子が入浴するシーンは映画で見た方が昔の温泉ぽくて良い。小説で読んでも名場面である。結局、おせいと会ったこともあり、富岡は死ぬ気を無くしてしまった。年末年始だから誰も客がいないとされるのも敗戦直後らしい。
(映画の伊香保)(現在のホテル金太夫)
 さて、こうやって書いてると終わらないが、東京へ戻ったゆき子には苦難が続く。やむを得ず伊庭を頼ると、今は新興宗教の事務担当ナンバー2として羽振りがよくなっていた。そこでは「ゆき子さま」などと呼ばれて豪華な暮らしが出来たのである。話が後半に入ると、単に「不倫」に止まらず「殺人」や「横領」まで出て来るが、さすがに富岡もこれではいかんと考えて昔の友人に頼んで屋久島の営林所に就職することにする。ゆき子も付いていって、鹿児島で病に伏す。そんなどうしようもない二人の戦後を描くが、要するに二人とも「戦時中の輝き」が失われたのである。戦争中に一番輝いていた結びつきだったのだ。

 フィリピンや南洋諸島、あるいは「満州」などに派遣されていたら、彼らには悲惨な悲劇が待っていた。しかし、「仏印」は米英軍との主戦場にならなかった。空襲は少しあったようだが、本格的な地上戦を経験せずに済んだ。しかも、フランス人が開発したリゾート地に「支配者」として住めたので、ゆき子の生涯で一番楽しかったのである。引き揚げや空襲で大変な苦労をした人が周りに一杯いたから大きな声では言えないけれど、二人にとって戦争中こそ最高に輝いていたのである。戦争の苦労、敗戦の解放を語る言説は一杯あるけれど、庶民のホンネにはそういう思いもあったのだ。

 どうしようもない二人で、読んでいて(映画を見ていて)どうにもやるせないんだけど、僕らはこの二人を見放せない。それは林芙美子の力量だろうが、もっと基本的には「これが日本人」だからだろう。この煮え切らず、くっついたり離れたりを繰り返す男女の姿に自分を見るのである。もっとスパッと割り切って前向きに生きていくべきだと他人なら言えるが、紛れもなくここに「自分」も表現されているからむげに否定出来ないのである。僕はこのグズグズした二人の映画に昔から惹かれていて、4回か5回は見てると思う。今後も見たいと思う。そこに「日本人の真実」があるからだ。原作も素晴らしい出来映えで、最初の方こそ登場人物の視点変換にしっくりこないが、すぐ慣れてしまった。「現代小説」じゃなく「近代小説」だから、それで良いのである。
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伊吹有喜『犬がいた季節』、高校に犬がいた!感動の青春小説

2024年02月02日 22時32分07秒 | 本 (日本文学)
 伊吹有喜(いぶき・ゆき、1969~)『犬がいた季節』(双葉文庫、800円+税)という小説を読んだ。「本屋大賞第3位!」という帯と白い犬と二人の高校生を描くカバー・イラスト(金子恵)を本屋で見たら買わずにいられない。犬が好きな人なら気持ちが判るはず。2020年に出た本で、1月に文庫化されたばかり。ちなみにその年の本屋大賞は町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』、次点は青山美智子『お探し物は図書室まで』だった。著者の名前も覚えてなかったが、映画化された『ミッドナイト・バス』『四十九日のレシピ』の原作者で、『ミッドナイト・バス』『彼方の友へ』『雲を紡ぐ』で3回直木賞にノミネートされている。

 この小説は四日市市(三重県)の高校で白い犬(雑種とされる)が飼われて、数多くの高校生とともに生きた話である。というと松本深志高校の実話をもとにした映画『さよなら、クロ』(2003、松岡錠司監督)を思い出す人もいるだろう。調べてみると、その映画は昭和30年代半ばから10年ほどが舞台だった。映画製作時点から大体40年ほど前になる。一方『犬がいた季節』は1988年(昭和63年)の夏休み明け、つまり結果的に「平成初の卒業生」になった生徒たちから始まる。全部で5章あって、最後が2000年3月の卒業生。それに2019年の最終章があるが、ほぼ20世紀最後の10年間を描いている。
(伊吹有喜)
 この時間設定が絶妙なのである。出て来る話題、ヒット曲なんかが多くの人にとって懐かしいだろう。そして何より「あの頃」、つまり進路について迷い人生の岐路にあった自分を思い出して、登場人物たちの決断にドキドキしてしまう。つまり「犬小説」というより「高校生小説」だった。(「犬小説」を読みたい人は、『馳星周感動の犬小説、「ソウルメイト」2部作』を是非。)犬の名は「コーシロー」という。美術部の部室で早瀨光史郞という芸大志望の生徒がいつも座る椅子に座ってた。だから、なんとなく名前が付いてしまった。学校に迷い込んだらしい。(実は違うんだけど、生徒は事情を知らない。)皆で話合い、取りあえず里親募集のポスターを作ろうとなり、美術部前部長の塩見優花が書きかけのポスターを家に持ち帰る。

 塩見優花は湯の山温泉近くのパン工房の長女で、兄は高卒でパン屋で働いている。犬を飼いたいけれど、祖母が食べ物屋で動物はダメと言うに決まっている。進路をめぐっても、受かるかどうかは別にして、本当は東京の大学にもチャレンジしてみたい。それも許されるかどうか。モヤモヤして成績もピリッとしない。美術部も一番緩いと聞いて入っただけで、そこへ行くと同級生の早瀨は本当に絵に打ち込んでいる。早瀨は時々遅くなってパンを買いに来ることがある。ある日聞いたら、絵を描くときに消しゴムみたいに使うんだと言った。この塩見優花は結果的にこの小説のキーパーソンになり、第1章にもずいぶん多くの伏線があるのだが、それはともかく地方に住む女子高生の進路の悩みがリアルに迫ってくる。
(三重県立四日市高校)(校章の八稜)
 塩見らが通う高校は「三重県立八稜高校」とされ、略称「八高」(はちこう)だから犬がいるのに相応しいと言われている。そう思って付けた校名かと思うと、そうじゃない。著者は三重県有数の進学校である四日市高校の卒業生で、その高校の校章は上に示した画像のように「八稜形」をしている。本書公刊後に著者は母校の同窓会で講演していて、母校がモデルだと明かしている。近鉄富田駅近くという設定も同じである。そして解説を読むと、なんと四日市高校にはホントに「幸四郎」という犬がいたんだと出ている。実際は茶色い犬で、1974年から1985年までいたという。著者は69年生まれだから、最晩年の幸四郎を見たはずだ。
 
 なお、四日市高校は2回甲子園に出ていて、1955年夏には初出場で優勝している。卒業生にはイオン創業者の岡田卓也、映画監督の藤田敏八、作家の丹羽文雄田村泰次郎、イラストレーターの大橋歩らの他、数多くの衆参国会議員、四日市市長などがいる。異色な人として、1972年にテルアビブ高校で乱射事件を起こした3人の1人、安田安之がいる。(事件で死亡。)
(四日市ふれあい牧場)
 最初の話で長くなってしまったが、以後鈴鹿サーキットでアイルトン・セナを見た話、阪神淡路大震災で被災した祖母を引き取る話、八高生としては異色な、ロックバンドで活動したり、裏で「援助交際」してる生徒の話なんかが展開される。その間生徒たちは「コーシロー会」を結成して、部活とも生徒会とも違う形で犬の世話を続けてきた。時々コーシローの心の声が出て来るが、春になって桜の匂いがしてくると、世話してくれた人たちはいなくなる。そのことをコーシローは理解していく。彼らは時々戻って来るけど、大体は二度と会えない。ところが塩見優花は5章で再び戻って来る。ちょうど犬の寿命を考えると…という頃である。まあ、僕には予想通りだったから書いてしまうと、東京の大学を出た塩見優花が母校の教師に戻って来るのである。
(四日市の夜景)
 5章は1999年、ノストラダムスの大予言の年、四日市ふるさと牧場がモデルだという牧場主の孫が八高生となっている。祖父は今入院中。そして塩見先生の母親も。バブル崩壊後の10年に何があったのか。四日市の夜景を見ながら、振り返ることになる。人生はままならないんだけど、コーシローは人間を優しく見つめてきた。小説としては都合良く進みすぎる箇所が多く、どうなんだろうなと思う展開が多い。それは母校を舞台にしたためかもしれない。案外、犬小説という感じがしないけど、青春小説のドキドキ感は十分味わえる。自分の飼ってた犬は家族のケンカを一生懸命止めてたから、コーシローみたいに人間の恋心に気付く犬もいるかな。
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時代に先駆けた「女ひとり旅」ー林芙美子を読む②

2024年01月28日 22時30分19秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子の旅行記が文庫に2冊入っている。一つは岩波文庫の『下駄で歩いた巴里』で、2003年に出て今も入手出来る。その本のことは知っていたが、中公文庫でも2022年に『愉快なる地図 台湾・樺太・パリへ』という本が出ていることに気付いた。この両書にはけっこう同じ文章が入っていて、最初は損したかなと思ったけど、日本各地の紀行は前者、台湾紀行は後者にしかないので、やはり両方読む意味はある。同じ文章なのに、後者では「下駄で歩いたパリー」とカタカナになっているのが不思議。
(中公文庫)
 作家が旅行記を書くことは多い。ここでもブルース・チャトウィンパタゴニア』とかポール・セローユーラシア大陸鉄道大紀行(『鉄道大バザール』『ゴースト・トレインは東の星へ』)などを紹介した。他にもスタインベックが愛犬とともにアメリカを旅した『チャーリーとの旅』も良い。日本でも『土佐日記』の昔から様々な紀行があり、西行、芭蕉など旅に死す放浪詩人が文人の理想だった。現代でも梨木香歩エストニア紀行』、村上春樹遠い太鼓』『辺境・近境』などいっぱい思いつく。一生懸命探せばもっといろいろ見つかるだろう。
(岩波文庫)
 林芙美子の紀行は素晴らしく面白いんだけど、まとまったものではない。お金もないのに外国へ飛び出し、雑誌や新聞に書き送ったような印象記が多い。だけど、文章が生き生きとしているし、何よりも旅することが好き。天性の旅行者だったのである。それは幼い頃から行商の両親に連れられて各地を転々とした生育歴から来るものだろう。だから林芙美子は「旅のことを考えると、お金も家も名誉も何もいりません。恋だって私はすててしまいます。」(林芙美子選集第7巻あとがき)と言い切る。
(パリの林芙美子)
 実際に林芙美子は結婚して夫がいても、常にひとり旅を好んだ。パリロンドンまで、シベリア鉄道でひとり旅。「満州」や北京へもひとり旅。樺太北海道もひとり旅なのである。言葉も判らず、一人でシベリア鉄道に乗って「社会主義社会」の中を行く。ソ連幻想に全く冒されていない林芙美子は冷静にソ連社会の貧しさを見つめている。と同時にロシア人の温かさも印象的に書き残す。パリでも一人で宿を借り、半年も滞在する。カフェへ行ってクロワッサンを食べ、バゲットをかじりながら街を行く。

 とても100年近く昔の女性とは思えない。「女ひとり旅」はずっと難しかった。旅館がなかなか泊めてくれないのである。何か事情があり自殺しに旅に出たのかと思われた。70年代に「アンアン」「ノンノ」などを持った女性の旅ブームが起きたが、友人同士で旅するものだった。『男はつらいよ 柴又慕情』では事情を抱えた吉永小百合が友人2人と3人で旅に出て寅さんと知り合う。女が一人で旅しているのは、ドサ回りの三流歌手リリー(浅丘ルリ子)ぐらいのものである。70年代でもそんな感じだったのに、1930年代に林芙美子は一人で植民地を旅して、一人で飲み屋に入る。その自由なエネルギーが素晴らしい。

 時代はちょうど満州事変から日中戦争へ至る頃である。戦争が近づく足音を聞きながら、満州からシベリアへ入る。満州事変直前にハルピンに行くのも貴重な証言になっている。ヨーロッパでは中国人が開く抗日集会にも出掛けて共感している。世界中どこでも皆愛国者だと感じたのである。まだ『放浪記』がベストセラーになる前、ようやく多少知られてきた時に台湾への講演旅行メンバーに選ばれた。それはひとり旅じゃなく、総督府へのあいさつ回りなどを強いられ迷惑だった。その後一人で旅に出るのは、その影響もあるかもしれない。しかし、どこでも街へ出て一人で飲み食べ、自分で感じている。
 
 樺太(サハリン)への旅も凄い。もちろん当時日本領だった「南樺太」を訪れたのだが、これもスポンサーなしのひとり旅である。今のように飛行機で行ける時代じゃない。鉄道を延々と乗り継ぎ津軽海峡、宗谷海峡を船で越えるのである。そして着いた樺太では枯れ山が目立つことを見落としていない。王子製紙による乱伐の影響である。そして北へ北へと旅をし、現地の子どもたちを教える小学校に出掛ける。見るべきものを見ている旅人だったのである。そして旅行者として凄みを感じたのは、その樺太からの帰途、ふと思い立って滝川で下車して道東に出掛けたことである。
(北海道滝川で泊まった三浦華園)
 滝川はもうすぐ途中まで廃線となる根室本線への分岐で、そこで泊まった上記画像の宿は今も残っているらしい。そして釧路まで行って、摩周湖などを見ている。ひとり旅と言っても、全部自分で手配するのではなく、現地の新聞社などの支援を受けているが、それにしても樺太一人旅の直後にさらに思い立って下車するなんて、どういう人だろう。また伊豆の下田へ行った紀行では、1934年に始まった黒船祭を記録した。もうすぐ戦争となる日米関係だが、その時はグルー大使が駆逐艦に乗って下田まで来て大歓迎を受けた。そんな記述も貴重な証言である。
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