東京新聞2017年11月25日(土)に掲載された「考える広場 論説委員が聞く」の「刑務所から見るニッポンー増える高齢者や障害者ー」という記事は最近になく重要な指摘だと思う。佐藤直子記者が浜井浩一氏(龍谷大学教授 刑事政策、犯罪学、統計学)にインタビューしている。
リンク先を読んでもらいたいと思うが、その最初のところだけ引用しておく。「刑務所の内側を想像したことがありますか。映画や小説に出てくるような残忍な受刑者はむしろ少なく、そこで刑に服しているのは、貧困のために無銭飲食や万引などの軽微な犯罪を繰り返す私たちの「隣人」が大半です。高齢の受刑者が急増し、心身の障害で働けない者も多い。出所しても家も仕事もないような人たちの再犯をどのように防ぐのか。元法務省官僚の法学者、浜井浩一さん(57)と一緒に考えます。」
浜井さんの本は読んだような気がしたので、調べてみると「2円で刑務所、5億で執行猶予」(光文社新書、2009)。同じような問題意識で書かれた河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」(岩波書店)などとともに、世間に流布する「凶悪犯罪が増えている」などという印象に統計的に反証している。じゃあ、なんで治安が悪化していると思うかというと、数が少ないからこそ全国のどこかで起こった殺人事件を集中的に各テレビが追いかけることが可能だからである。
(浜井浩一氏)
「世界の殺人発生率 国別ランキング・推移」というサイトを見ると、日本の殺人事件発生率がいかに低いかが判る。(2017年5月30日データ更新と書いてあり、直近データは2015年。だから、相模原や座間で起こった異様な事件は反映されていないけど、統計的には大きな変化はないと思う。)全201か国中、日本は197位で、10万人当たりの殺人事件発生率は「0.31」になっている。
日本より下位にあるのは、香港、シンガポール、マカオ、ナウル、リヒテンシュタイン、アンドラ、ニウエ、サンマリノである。ナウル以下の五か国は発生率「0.00」になっているけど、どこも非常に小さな国だ。日本だって小さな離島の殺人発生率は、大体の島でゼロだろう。なお、ニウエってのが判らなかったので調べてみると、ニュージーランドの北東にある人口1229人(!)の島国で、ニュージーランドと自由連合を組んで、外交・防衛は委任しているという。世界で20か国しか国家承認していないけど、中国やインドに続き、日本も2015年に承認したということだった。
世界で一番殺人発生率が高いのは、中米のエルサルバドルで「108.63」、次がやはり中米のホンジュラスで「63.75」になっている。主要国ではロシアが「11.31」、アメリカ合衆国が「4.88」、イギリスが「0.92」、イタリアが「0.78」、中国が「0.74」などとなっている。もっとも警察の統計がどのくらい正確か、また「殺人発生率」とは何かという問題もある。傷害致死や正当防衛などをどこまで含めるか、多少の違いはあるだろう。年による違いもあると思うが、おおよその傾向は変わらない。
日本は21世紀初頭には「0.5」前後だったのが、次第に下がって行って2010年代には大体「0.3」前後になっていて、人口が多い国としては、世界で一番低いグループに入っている。そのような実態にもかかわらず、20世紀の終わりごろから「厳罰化」が進行した。1995年のオウム真理教事件が最大のきっかけだろう。アメリカや欧州諸国に先がけて、日本は大規模テロ事件を経験した。そのこともあって、社会全体に寛容性が失われ、歴史修正主義が勢力を伸ばすようになった。
そのような「厳罰化」によって、刑務所に障害者や高齢者が多くなっていったと言われる。そういう話を聞くようになって、もうずいぶん経つように思う。なんでそうなるかというと、「累犯」(るいはん=前刑終了後、5年以内に新たな罪を犯したもの、あるいはそういう犯罪が3回以上続くもの)を重く罰する規定があるからである。一般的に考えると、もう二度と刑務所には戻りたくないと思って犯罪を思いとどまることを期待して、累犯重罰規定がある。懲りずにまたやった者ほど重く罰するのである。
日本では一度刑務所に行った人を正社員に雇う企業は少ないだろう。もともと社会的に恵まれない環境にある者ほど罪を犯しやすい。精神的、あるいは知的な障害があるものにとっては、ただでさえ生きがたい社会である。そんな社会で他者といさかいを起こしたり、万引きを繰り返したり、無銭飲食をしたりする人もいる。刑務所に行っても、それらの原因が解消されるわけではないから、刑期が終わるとまた同じような罪を犯す。次第に刑務所でしか生きられないような人間になってしまう。
もともと「言われた通りにルールを守っていればよい」刑務所は、発達障害や知的障害を抱える受刑者にとって、一般社会よりもずっと生きやすいのだと思う。だから、出所後にまた軽微な無銭飲食をわざと起こして、刑務所に舞い戻ったりする。三食保証付きだから、支える家族がない人だったら、そっちの方がいいと思う人がいて当然だろう。ある時期までは親が面倒を見てくれるが、親が先に死ぬと無情な社会に放り出される。福祉のセーフティネットがあるだろうと思うかもしれないけど、人とうまくかかわれず、ぼう大な提出書類を書く能力がない人には難しい。
ところで浜井氏の紹介するイタリアの事例は、受刑者が市民と交流する新しいタイプの刑務所と作り再犯率が激減したという。(平均の半分以下の18%になったという。)ミラノのボッラーテ刑務所では、百人以上の民間ボランティアが受刑者と一緒に社会的企業を作り、は委嘱サービス、コールセンターなどを運営している。そんな例が紹介されている。イタリアでそのような改革ができたのは、1978年成立の「精神保健法」(バザーリア法)が大きい。
バザーリア法は精神保健に関心が深い人にはかなり有名だけど、精神病院を廃止して地域で病気を回復するシステムを作ったのである。いくつかの映画でも描かれている。そのような「成功体験」が、刑務所改革を可能にさせたというのである。これはとても大切な指摘だと思う。日本でもまず、もっと精神保健改革が必要なのかもしれない。そして、すべての人を地域から排除しないシステム作りを考えていく必要がある。日暮れて途遠しの感が強いが、やがて日本でも必ずそうなるだろう。
なお、日本でどうして殺人事件発生率が低いのか、いろいろな仮説が考えられる。大災害などが起きると、家族の力が発揮される。日本では家族に包摂されて犯罪が起きにくいと思える。逆に、犯罪が起きるときは家族内が多く、虐待等で家族が機能しない場合に犯罪が多くなるとも言えるだろう。しかし、最大の原因は少子化だと思う。犯罪を起こすのは、汚職事件なんかだと権力者にならないとダメだから高齢者が多い。でも殺人事件などは、失うものが少なく、体力と時間的余裕があり、社会体験が少ない人ほど起こしやすい。つまり10代、20代の男が多くなる。これは当然のことだ。その世代が少ないから、母数が減る。これが最大の理由だと思うのだが、どうなんだろうか。
(高齢化が高まる刑務所を示すグラフ=東京新聞所載)
リンク先を読んでもらいたいと思うが、その最初のところだけ引用しておく。「刑務所の内側を想像したことがありますか。映画や小説に出てくるような残忍な受刑者はむしろ少なく、そこで刑に服しているのは、貧困のために無銭飲食や万引などの軽微な犯罪を繰り返す私たちの「隣人」が大半です。高齢の受刑者が急増し、心身の障害で働けない者も多い。出所しても家も仕事もないような人たちの再犯をどのように防ぐのか。元法務省官僚の法学者、浜井浩一さん(57)と一緒に考えます。」
浜井さんの本は読んだような気がしたので、調べてみると「2円で刑務所、5億で執行猶予」(光文社新書、2009)。同じような問題意識で書かれた河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」(岩波書店)などとともに、世間に流布する「凶悪犯罪が増えている」などという印象に統計的に反証している。じゃあ、なんで治安が悪化していると思うかというと、数が少ないからこそ全国のどこかで起こった殺人事件を集中的に各テレビが追いかけることが可能だからである。
(浜井浩一氏)
「世界の殺人発生率 国別ランキング・推移」というサイトを見ると、日本の殺人事件発生率がいかに低いかが判る。(2017年5月30日データ更新と書いてあり、直近データは2015年。だから、相模原や座間で起こった異様な事件は反映されていないけど、統計的には大きな変化はないと思う。)全201か国中、日本は197位で、10万人当たりの殺人事件発生率は「0.31」になっている。
日本より下位にあるのは、香港、シンガポール、マカオ、ナウル、リヒテンシュタイン、アンドラ、ニウエ、サンマリノである。ナウル以下の五か国は発生率「0.00」になっているけど、どこも非常に小さな国だ。日本だって小さな離島の殺人発生率は、大体の島でゼロだろう。なお、ニウエってのが判らなかったので調べてみると、ニュージーランドの北東にある人口1229人(!)の島国で、ニュージーランドと自由連合を組んで、外交・防衛は委任しているという。世界で20か国しか国家承認していないけど、中国やインドに続き、日本も2015年に承認したということだった。
世界で一番殺人発生率が高いのは、中米のエルサルバドルで「108.63」、次がやはり中米のホンジュラスで「63.75」になっている。主要国ではロシアが「11.31」、アメリカ合衆国が「4.88」、イギリスが「0.92」、イタリアが「0.78」、中国が「0.74」などとなっている。もっとも警察の統計がどのくらい正確か、また「殺人発生率」とは何かという問題もある。傷害致死や正当防衛などをどこまで含めるか、多少の違いはあるだろう。年による違いもあると思うが、おおよその傾向は変わらない。
日本は21世紀初頭には「0.5」前後だったのが、次第に下がって行って2010年代には大体「0.3」前後になっていて、人口が多い国としては、世界で一番低いグループに入っている。そのような実態にもかかわらず、20世紀の終わりごろから「厳罰化」が進行した。1995年のオウム真理教事件が最大のきっかけだろう。アメリカや欧州諸国に先がけて、日本は大規模テロ事件を経験した。そのこともあって、社会全体に寛容性が失われ、歴史修正主義が勢力を伸ばすようになった。
そのような「厳罰化」によって、刑務所に障害者や高齢者が多くなっていったと言われる。そういう話を聞くようになって、もうずいぶん経つように思う。なんでそうなるかというと、「累犯」(るいはん=前刑終了後、5年以内に新たな罪を犯したもの、あるいはそういう犯罪が3回以上続くもの)を重く罰する規定があるからである。一般的に考えると、もう二度と刑務所には戻りたくないと思って犯罪を思いとどまることを期待して、累犯重罰規定がある。懲りずにまたやった者ほど重く罰するのである。
日本では一度刑務所に行った人を正社員に雇う企業は少ないだろう。もともと社会的に恵まれない環境にある者ほど罪を犯しやすい。精神的、あるいは知的な障害があるものにとっては、ただでさえ生きがたい社会である。そんな社会で他者といさかいを起こしたり、万引きを繰り返したり、無銭飲食をしたりする人もいる。刑務所に行っても、それらの原因が解消されるわけではないから、刑期が終わるとまた同じような罪を犯す。次第に刑務所でしか生きられないような人間になってしまう。
もともと「言われた通りにルールを守っていればよい」刑務所は、発達障害や知的障害を抱える受刑者にとって、一般社会よりもずっと生きやすいのだと思う。だから、出所後にまた軽微な無銭飲食をわざと起こして、刑務所に舞い戻ったりする。三食保証付きだから、支える家族がない人だったら、そっちの方がいいと思う人がいて当然だろう。ある時期までは親が面倒を見てくれるが、親が先に死ぬと無情な社会に放り出される。福祉のセーフティネットがあるだろうと思うかもしれないけど、人とうまくかかわれず、ぼう大な提出書類を書く能力がない人には難しい。
ところで浜井氏の紹介するイタリアの事例は、受刑者が市民と交流する新しいタイプの刑務所と作り再犯率が激減したという。(平均の半分以下の18%になったという。)ミラノのボッラーテ刑務所では、百人以上の民間ボランティアが受刑者と一緒に社会的企業を作り、は委嘱サービス、コールセンターなどを運営している。そんな例が紹介されている。イタリアでそのような改革ができたのは、1978年成立の「精神保健法」(バザーリア法)が大きい。
バザーリア法は精神保健に関心が深い人にはかなり有名だけど、精神病院を廃止して地域で病気を回復するシステムを作ったのである。いくつかの映画でも描かれている。そのような「成功体験」が、刑務所改革を可能にさせたというのである。これはとても大切な指摘だと思う。日本でもまず、もっと精神保健改革が必要なのかもしれない。そして、すべての人を地域から排除しないシステム作りを考えていく必要がある。日暮れて途遠しの感が強いが、やがて日本でも必ずそうなるだろう。
なお、日本でどうして殺人事件発生率が低いのか、いろいろな仮説が考えられる。大災害などが起きると、家族の力が発揮される。日本では家族に包摂されて犯罪が起きにくいと思える。逆に、犯罪が起きるときは家族内が多く、虐待等で家族が機能しない場合に犯罪が多くなるとも言えるだろう。しかし、最大の原因は少子化だと思う。犯罪を起こすのは、汚職事件なんかだと権力者にならないとダメだから高齢者が多い。でも殺人事件などは、失うものが少なく、体力と時間的余裕があり、社会体験が少ない人ほど起こしやすい。つまり10代、20代の男が多くなる。これは当然のことだ。その世代が少ないから、母数が減る。これが最大の理由だと思うのだが、どうなんだろうか。
(高齢化が高まる刑務所を示すグラフ=東京新聞所載)