社会科は学校教育の中で「虐待」され続けてきた。そういう風に感じている社会科教員が多いと思う。虐待どころか、高校の学習指導要領ではとっくの昔に「社会科」はなくされてしまったんだから、「虐殺」というべきか。「社会科」が高校にはないということは、1989年(平成元年)告示の学習指導要領で決められ、1994年から実施された。もはや平成も終わろうかというのに、いまだに「主要5教科」などと言う人がいる。(都立高校の進学指導重点校の「数値目標」を見ると、そう書いてある高校がある。都教委もその書類を訂正せずに受け取っているから驚く。)
高校では「社会科」は「地理歴史科」と「公民科」に分割された。社会科教員で賛成した人はいないだろう。分けられたことにより、それ以後の教員免許は「地理歴史」「公民」となり、片方しか持っていない人も増えている。島しょ部や夜間定時制など教員が少ない高校、あるいは勤務形態が特殊な三部制高校などでは、困ってしまうケースも出てきているだろう。(大学で両方取れるように履修すれば両方取得できる。)それはともかく、この高校社会科解体は、中曽根内閣の「戦後政治の総決算」路線の一環だった。戦前は「国史」として皇国史観を教え込む教科だったものが、戦後の教育改革で「民主主義を担う人材を育てる」社会科に改編された。
そういう意味じゃ「社会科」は常に教育行政を支配する保守派に疎まれて来た。「戦争はいけない」「憲法を護れ」と教える教員が多かったのは確かだろうし。それをはっきりと示しているのが、義務教育段階である中学での授業時間数である。1958年告示の指導要領では、1年・2年・3年の標準時数が「4・5・4」=計13時間もあった。1969年告示の指導要領でも、「4・4・5」と学年の配当は違うけれど、やはり卒業までに週13時間も勉強していた。自分はその頃の中学である。
1977年告示の指導要領では、「4・4・3」と計11時間と2時間も減っている。僕が中学教員になった時はそれで、教えきれないことが多くて困った。しかし、それがまだ減っていく。1989年の指導要領では「4・4・2~3」と変則的な制度となり、さらに1998年告示では「105・105・85」になる。判りやすくするために、年間総時数を今まで週当たりに変換して書いてきた。学校は年間35週なので、105とは、つまり週当たりの時間割に3コマ社会科があるという意味である。「85」では割り切れない。僕はその頃は高校に転じていたので、一体どうしたのかよく知らない。
こんなに減らしてどうするんだと言うと、「選択教科」と「総合学習」に回ったのである。土曜が休みになり学習時間が減ったこともあるが、それだけでなく「個性を育てる」の名目のもとで、中学社会をどんどん減らしたのである。これだけ時数を減らせば、当然のごとく駆け足的、暗記重視的な授業になるしかなく、社会的な批判意識を養うような授業をする余裕がなくなる。若い世代は選挙に行かないとか、新聞も読まないなどと批判されることが多いが、こうしてみると「文科省の意図した政策」によって作り出されたものだいうことが判る。
その後、2007年告示の指導要領で選択授業がなくなり、社会科も「3・3・4」とある程度増やされた。(しかし、一番増えたのは各学年3時間から各学年4時間になった英語である。)2017年告示の指導要領でも時数は変わらない。それはまあ増えたとは言えるけど、中学1年、2年で3時間ずつでは、地理、歴史も終わらないだろう。この時数削減は高校に影響してくる。昔と違って、中学の歴史的分野では世界史がほとんど出て来ない。それもあって、高校の社会科がなくなった時から、地理歴史では「世界史」が必修となった。(それ以前は社会科で現代社会のみ必修。)この結果、進学校での「世界史未履修問題」が後に起こることになる。
国語は全教科のベースだと言われ、数学は思考力を養う教科だとされる。英語は国際化する社会の中で重点的に取り組まないといけないという。このように「3教科」は大学受験もあってとりわけ大事だとされる。じゃあ、理科はと言うと「理科教育振興法」があり、予算的にも恵まれている。文科省肝いりで、「スーパーサイエンスハイスクール」(SSH)という国策も展開されている。理科に実験が必須なのは判るけど、多くの高校には「物理室」「化学室」「生物室」「地学室」など特別教室が整備されている。社会科系にはうらやましい限りだ。国が地歴・公民に分けたんだから、国が特別予算を組んで「地理歴史室」「公民室」と2つ作れと言いたいぐらいだ。
しかし、まあ設備的な面は諦めよう。問題は何のために勉強するかも判らず、「暗記科目」と思い込んでいる生徒に対して何を言うかである。現実社会を考えるための必須の学習だとしても、近代・現代の日本の暗部に切り込んでいく授業をすれば、ともすれば「問題」とされる。校務分掌や部活動に加えて、社会科教員は多くの学校で「旅行行事」担当になることも多い。自分はすべての勤務校で、自分の学年の旅行担当をした。旅行の企画は大好きだからそれはいいんだけど、「社会科」にはよくそういう仕事も回ってくる。
新指導要領では、地理歴史科で「地理総合」「歴史総合」、公民科で「公共」という新しい2単位科目が設置される。歴史系では初めて日本史、世界史の枠を超えた新科目である。「公共」というのもどうなるのか、今はよく判らないことが多い。そういう問題を考えるのも大事だけど、僕は高校で社会科を復活させることが先決なんじゃないかと思う。「社会科」に込められた思いを再確認するところから出発する必要がある。「アクティブラーニング」の掛け声に合わせて、歴史や地理も「考える授業」にしようなどと意気込んでもなかなか難しい。
高校では「社会科」は「地理歴史科」と「公民科」に分割された。社会科教員で賛成した人はいないだろう。分けられたことにより、それ以後の教員免許は「地理歴史」「公民」となり、片方しか持っていない人も増えている。島しょ部や夜間定時制など教員が少ない高校、あるいは勤務形態が特殊な三部制高校などでは、困ってしまうケースも出てきているだろう。(大学で両方取れるように履修すれば両方取得できる。)それはともかく、この高校社会科解体は、中曽根内閣の「戦後政治の総決算」路線の一環だった。戦前は「国史」として皇国史観を教え込む教科だったものが、戦後の教育改革で「民主主義を担う人材を育てる」社会科に改編された。
そういう意味じゃ「社会科」は常に教育行政を支配する保守派に疎まれて来た。「戦争はいけない」「憲法を護れ」と教える教員が多かったのは確かだろうし。それをはっきりと示しているのが、義務教育段階である中学での授業時間数である。1958年告示の指導要領では、1年・2年・3年の標準時数が「4・5・4」=計13時間もあった。1969年告示の指導要領でも、「4・4・5」と学年の配当は違うけれど、やはり卒業までに週13時間も勉強していた。自分はその頃の中学である。
1977年告示の指導要領では、「4・4・3」と計11時間と2時間も減っている。僕が中学教員になった時はそれで、教えきれないことが多くて困った。しかし、それがまだ減っていく。1989年の指導要領では「4・4・2~3」と変則的な制度となり、さらに1998年告示では「105・105・85」になる。判りやすくするために、年間総時数を今まで週当たりに変換して書いてきた。学校は年間35週なので、105とは、つまり週当たりの時間割に3コマ社会科があるという意味である。「85」では割り切れない。僕はその頃は高校に転じていたので、一体どうしたのかよく知らない。
こんなに減らしてどうするんだと言うと、「選択教科」と「総合学習」に回ったのである。土曜が休みになり学習時間が減ったこともあるが、それだけでなく「個性を育てる」の名目のもとで、中学社会をどんどん減らしたのである。これだけ時数を減らせば、当然のごとく駆け足的、暗記重視的な授業になるしかなく、社会的な批判意識を養うような授業をする余裕がなくなる。若い世代は選挙に行かないとか、新聞も読まないなどと批判されることが多いが、こうしてみると「文科省の意図した政策」によって作り出されたものだいうことが判る。
その後、2007年告示の指導要領で選択授業がなくなり、社会科も「3・3・4」とある程度増やされた。(しかし、一番増えたのは各学年3時間から各学年4時間になった英語である。)2017年告示の指導要領でも時数は変わらない。それはまあ増えたとは言えるけど、中学1年、2年で3時間ずつでは、地理、歴史も終わらないだろう。この時数削減は高校に影響してくる。昔と違って、中学の歴史的分野では世界史がほとんど出て来ない。それもあって、高校の社会科がなくなった時から、地理歴史では「世界史」が必修となった。(それ以前は社会科で現代社会のみ必修。)この結果、進学校での「世界史未履修問題」が後に起こることになる。
国語は全教科のベースだと言われ、数学は思考力を養う教科だとされる。英語は国際化する社会の中で重点的に取り組まないといけないという。このように「3教科」は大学受験もあってとりわけ大事だとされる。じゃあ、理科はと言うと「理科教育振興法」があり、予算的にも恵まれている。文科省肝いりで、「スーパーサイエンスハイスクール」(SSH)という国策も展開されている。理科に実験が必須なのは判るけど、多くの高校には「物理室」「化学室」「生物室」「地学室」など特別教室が整備されている。社会科系にはうらやましい限りだ。国が地歴・公民に分けたんだから、国が特別予算を組んで「地理歴史室」「公民室」と2つ作れと言いたいぐらいだ。
しかし、まあ設備的な面は諦めよう。問題は何のために勉強するかも判らず、「暗記科目」と思い込んでいる生徒に対して何を言うかである。現実社会を考えるための必須の学習だとしても、近代・現代の日本の暗部に切り込んでいく授業をすれば、ともすれば「問題」とされる。校務分掌や部活動に加えて、社会科教員は多くの学校で「旅行行事」担当になることも多い。自分はすべての勤務校で、自分の学年の旅行担当をした。旅行の企画は大好きだからそれはいいんだけど、「社会科」にはよくそういう仕事も回ってくる。
新指導要領では、地理歴史科で「地理総合」「歴史総合」、公民科で「公共」という新しい2単位科目が設置される。歴史系では初めて日本史、世界史の枠を超えた新科目である。「公共」というのもどうなるのか、今はよく判らないことが多い。そういう問題を考えるのも大事だけど、僕は高校で社会科を復活させることが先決なんじゃないかと思う。「社会科」に込められた思いを再確認するところから出発する必要がある。「アクティブラーニング」の掛け声に合わせて、歴史や地理も「考える授業」にしようなどと意気込んでもなかなか難しい。