たった4年前の「コロナ時代」、世の中の人々はもう忘れているんじゃないかと書いた。それは一般論だから、自分の場合を振り返っておきたい。もちろん自分にとっても、新型コロナウイルスは大きな問題だったけれど、多くの人に比べれば影響は比較的小さかったと思う。僕にとって「コロナ」以上に、この間は「母親」の問題の方が大きかった。
1927年11月生まれの母は、2020年初めに「コロナ禍」が始まった時は92歳だった。家で食事をして、お風呂も入り、テレビも見ていた。新聞のテレビ欄を朝チェックして、見たいテレビに赤マルを付けていた。通院もせず、介護保険も使っていなかった。だから90代にしては元気だったけれど、さすがに以前のように頻繁にデパートに買い物に行くことはほぼなかった。僕は2020年から数年旅行しなかったが、それはコロナが原因ではなく、母親を置いて家を空けることが難しくなったと思ったのである。
92歳だから、ワクチンのお知らせが来たとき、どうしようかと思った。本人は行かなくていいと言ったけど、以前利用したクリニックでもやるというから、僕がネットで予約して連れて行った。その時は2回接種が必要だったわけだが、ワクチンが回ってこないと言われて、1回打った後で2回目をキャンセルされてしまった。そこでちょっと遠い(母親の足の状態では歩いて行けない距離の)小学校を予約して(システム上2回連続しか出来ない)、タクシーで連れて行った。8月の暑い日で、ちょうど東京五輪の女子バスケ決勝戦をやっていた時だった。そうやって、何とか2020年、21年を過ごしたが、2022年11月に95歳の誕生日を迎えた数日後、心臓の痛みを訴えて救急車を呼ぶことになった。そのまま入院になったが、それらのことは当時書いた。
(某病院の面会制限のお知らせ)
コロナ時代には病院や福祉施設などは、原則として面会禁止になった。入院当日や病状説明日などは別にして、はほぼ面会出来なかったと思う。母の場合、当初の救急病院から療養病院に転院したのだが、その転院日と病状説明日の2回しか会っていない。そういうことが多くの病院や施設で起こったはずである。急速に認知機能の衰えが見られたので、面会に行っても理解出来なかったかもしれない。別にものすごく親孝行というわけでもないけど、普通だったらもっと行っていたはずである。それが「僕のコロナ時代」だったということになる。
よくオンライン集会のお知らせを貰うんだけど、一度も参加したことがない。そこまでする気が起きない。「オンライン授業」とか「オンライン会議」とか言われても全く判らない。技術的に付いていけない。ずいぶん時代に離されてしまった気がする。この間、母親と同居していたので、自分なりに集まりや外食などを避けていた。それが長くなって、何だかリアルな集会などに行くのもちょっと面倒になった気がする。映画館、劇場などすべて閉まった。やってない以上、出掛けても仕方ない。
2020年4月、5月頃は大体は家にいたはずである。だけど、家で本を読むことは可能なんだから、それで精神的には大丈夫だったのである。小津安二郎監督の映画『彼岸花』で、田中絹代の妻が夫の佐分利信に対して「戦時中は大変だったけれど、家族がまとまれて良かった」と懐かしむようなセリフがあった。(正確には記憶していないが。)「コロナ時代」も似たようなことがあったのではないか。飲食や観光などの業界ではあり得ないだろうが、テレワーク可能な仕事をしていた場合、通勤せずに夫婦(と子ども)で過ごせた貴重な時間でもあった。それが嫌という人も中にはいるだろうが。
(半分の席しか入れない映画館)
僕の場合、フルタイムで働く現役じゃなかったので、要するにあまり変わらなかった。いや、もちろん映画館や寄席が開いていれば行きたいのである。落語を聞いていると、「戦争中でもやっていた寄席が閉まった」とマクラに語る人が何人もいる。だから、今こうして客が戻って来て嬉しいというわけである。だから、ようやく元に戻った感じなのは嬉しい。この間、コロナに感染した人も弱毒化したオミクロン株以後は増えてきた。しかし、自分は一度も罹らずに済んだ。他の単なる普通の風邪にも罹らなかった。マスクのおかげなのか、それまでよりも健康だったのは不思議だ。
1927年11月生まれの母は、2020年初めに「コロナ禍」が始まった時は92歳だった。家で食事をして、お風呂も入り、テレビも見ていた。新聞のテレビ欄を朝チェックして、見たいテレビに赤マルを付けていた。通院もせず、介護保険も使っていなかった。だから90代にしては元気だったけれど、さすがに以前のように頻繁にデパートに買い物に行くことはほぼなかった。僕は2020年から数年旅行しなかったが、それはコロナが原因ではなく、母親を置いて家を空けることが難しくなったと思ったのである。
92歳だから、ワクチンのお知らせが来たとき、どうしようかと思った。本人は行かなくていいと言ったけど、以前利用したクリニックでもやるというから、僕がネットで予約して連れて行った。その時は2回接種が必要だったわけだが、ワクチンが回ってこないと言われて、1回打った後で2回目をキャンセルされてしまった。そこでちょっと遠い(母親の足の状態では歩いて行けない距離の)小学校を予約して(システム上2回連続しか出来ない)、タクシーで連れて行った。8月の暑い日で、ちょうど東京五輪の女子バスケ決勝戦をやっていた時だった。そうやって、何とか2020年、21年を過ごしたが、2022年11月に95歳の誕生日を迎えた数日後、心臓の痛みを訴えて救急車を呼ぶことになった。そのまま入院になったが、それらのことは当時書いた。
(某病院の面会制限のお知らせ)
コロナ時代には病院や福祉施設などは、原則として面会禁止になった。入院当日や病状説明日などは別にして、はほぼ面会出来なかったと思う。母の場合、当初の救急病院から療養病院に転院したのだが、その転院日と病状説明日の2回しか会っていない。そういうことが多くの病院や施設で起こったはずである。急速に認知機能の衰えが見られたので、面会に行っても理解出来なかったかもしれない。別にものすごく親孝行というわけでもないけど、普通だったらもっと行っていたはずである。それが「僕のコロナ時代」だったということになる。
よくオンライン集会のお知らせを貰うんだけど、一度も参加したことがない。そこまでする気が起きない。「オンライン授業」とか「オンライン会議」とか言われても全く判らない。技術的に付いていけない。ずいぶん時代に離されてしまった気がする。この間、母親と同居していたので、自分なりに集まりや外食などを避けていた。それが長くなって、何だかリアルな集会などに行くのもちょっと面倒になった気がする。映画館、劇場などすべて閉まった。やってない以上、出掛けても仕方ない。
2020年4月、5月頃は大体は家にいたはずである。だけど、家で本を読むことは可能なんだから、それで精神的には大丈夫だったのである。小津安二郎監督の映画『彼岸花』で、田中絹代の妻が夫の佐分利信に対して「戦時中は大変だったけれど、家族がまとまれて良かった」と懐かしむようなセリフがあった。(正確には記憶していないが。)「コロナ時代」も似たようなことがあったのではないか。飲食や観光などの業界ではあり得ないだろうが、テレワーク可能な仕事をしていた場合、通勤せずに夫婦(と子ども)で過ごせた貴重な時間でもあった。それが嫌という人も中にはいるだろうが。
(半分の席しか入れない映画館)
僕の場合、フルタイムで働く現役じゃなかったので、要するにあまり変わらなかった。いや、もちろん映画館や寄席が開いていれば行きたいのである。落語を聞いていると、「戦争中でもやっていた寄席が閉まった」とマクラに語る人が何人もいる。だから、今こうして客が戻って来て嬉しいというわけである。だから、ようやく元に戻った感じなのは嬉しい。この間、コロナに感染した人も弱毒化したオミクロン株以後は増えてきた。しかし、自分は一度も罹らずに済んだ。他の単なる普通の風邪にも罹らなかった。マスクのおかげなのか、それまでよりも健康だったのは不思議だ。