尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「コロナ時代」とは何だったのかー新年度から一般医療に移行

2024年03月30日 22時08分11秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 「新型コロナウイルス」に全世界が翻弄されていたのは、たった4年前のことである。2020年の今頃は突然の学校休校で大騒ぎになっていた。2023年5月の連休明けから感染症法上の位置づけが「5類」に移行し、感染者の全数把握が行われなくなった。その前までは毎日毎日の新規感染者数が日々の大きなニュースになっていた。5類に移行した後でも、特に大きな問題は起きなかった。今では何となく「もう終わった問題」に感じている人が多いだろう。

 そして、2024年4月からは、感染者の医療は(普通の病気と同様に)自己負担が発生するようになる。(今までは全額国庫負担。)ワクチン接種もインフルエンザ等のワクチンと同様に自己負担となる。(高齢者等への配慮はあると思うが。)最後の週末に「駆け込み接種」に訪れている人も多いとか。2020年の「流行語」だった「三密」も、今ではすぐに全部言える人は少ないんじゃないだろうか。自分もそうなので、検索してみたら「密閉・密集・密接」だった。忘れるのは早い。

 もちろん、コロナウイルスそのものは今も当然存在し、新たに感染する人は多い。3月29日に厚労省は定点医療機関からの新規感染者数は計2万5727人だったと発表した。(東京新聞3月30日付。)これは前週比0.85倍だという。1医療機関あたりの感染者数は、東京や大阪が3人台なのに対し、秋田が10人を越えるなど比較的東北地方に多いらしい。今でも毎週2万5千人が新たに感染しているのである。だけど、社会が不安感に満ちることはない。この間感染した人も増えてきたが、まあ「風邪」のような感じで軽快した人が多い。今では過剰に心配する人はいないだろう。

 コロナウイルスの専門家会合も解散したという。2024年4月をもって、「新型コロナウイルスの時代」は完全に終了すると言っても良いだろう。4年前の夏は中止せざるを得なかった高校野球も、春の選抜大会では声出し応援も可能になって開催されている。こうなると、世の中の人々は「あの頃の恐怖」を全く忘れたのかと逆にちょっと心配だ。あの時代は一体何だったのか。そして、そこから学ぶべきこと、考えるべきことは何か。例えば内閣や国会で、総括する動きはあるのだろうか。あるいはマスコミや医療関係者もきちんと検証しているのか。もう忘れてしまっても良いという問題じゃないだろう。
(平均寿命の推移)
 日本では2023年5月までに、約6万人の死者があったという。当初は「自粛」で他の感染症も減り死者が減少したが、翌年以降は高齢者の「フレイル」(衰弱)が進行し、死者が増大した。結果的にずっと伸びてきた(東日本大震災以後)の平均寿命が下がる現象が起きた。「コロナ期」に予想以上に少子化が進行したのも、自粛やテレワークの影響が大きいと思われる。その影響は今後もずっと続くわけで、日本社会に大きな影響を与えた大事件だった。忘れてよい問題ではなく、多くの組織で記録を保存する必要がある。公立学校など職員が異動する職場では、この間の取り組み状況が廃棄されてしまう可能性がある。

 僕の見るところでは、コロナの影響は職業や生活環境によって大きく違ったと思う。医療関係者新規開業したばかりの飲食店などが一番大変だったのではないか。自分の住んでいるところでも、ずいぶん店がなくなった。もともと回転が早い店が多いのだが、出来たばかりの店がコロナで閉店してしまったのは借金が返せないのではないかと心配になる。学校や福祉施設なども大変だっただろうが、基本的には「言われたとおりにやって、感染を防ぐ」以外に方法がない。普通の会社はテレワークが多かったようだが、結局一段落すると元に戻ったのだろうか。いや、労働力は結局完全には戻っていないのではないか。

 国全体で言えば、「緊急事態」に対応する専門部署が必要だと、大災害などが起きるたびに言われるが結局何も変わらないようである。何事も「その場しのぎ」という政治文化が根づいているのである。これほどの規模のパンデミックは、100年間起きないかも知れない。だが、SARSなどを考えると「10年に一度は中程度の新感染症の流行がある」と考えるべきだろう。その間に大地震も1~2回程度はある。集中豪雨などはほぼ毎年起きる。またテロ事件なども起きないとは言えない。やはり「常設機関」が必要だと僕は思っている。
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深まる孤立と分断ーコロナ禍3年の総括④

2023年06月23日 22時52分58秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 コロナ禍3年の総括も、キリ無いから今回で一端終わりたい。医学的な検証はずいぶん残されていると思う。ウイルスの発生経過もまだ完全に解明されたとは言えないだろう。中国・武漢で動物(コウモリ?)から伝染した可能性が高いとされるが、自由に検証できない。中国のコロナ対応も謎が多かった。各国で死者数には違いがあったが、それは政策の違いか、それとも医学的な問題か、あるいは社会的な違いによるものか。当初はいろんな説(BCG仮説など)が出たが、結局どうだったのだろうか。

 医学的な問題も重要だが、社会的にどう対応したのかはもっと大切なのではないか。世界的なパンデミックは今までは一世代に一回経験するかどうかの大災厄だった。しかし、世界各国の往来が盛んになって、今後はもっと起こりやすくなる可能性がある。しかし、その記憶をきちんと検証して後世に伝えようという動きは少ない。むしろもう忘れたいというのが世界のホンネか。それも判らないではない。戻ってきた経済活況に乗り遅れないことが多くの人の関心になっている。

 今日(6月23日)の新聞によると、22年度の税収は過去最高を更新し、70兆円台に届くかもしれないという。企業業績は(一部を除き)完全に復調し、さらに円安やインフレを受けて見かけ上の利益が大きくなっている。財政難が続く日本のことだから、税収が多くなるのは取りあえず良いことだろう。だが同時に同じ日の新聞に、若者の自殺数を分析すると、コロナ禍において女性の自殺が顕著に多くなったという研究実績も報道されている。企業は好調でも、この間厳しい環境に置かれた人たちもいた。
(コロナ禍の自殺者)
 誤解なきように言っておくと、自殺者を性別で見ると男性の方が圧倒的に多い。それは男性の方が自殺に追い込まれやすい社会的環境があるということだ。(また「自殺」にも体力が要るという問題も大きいだろう。)しかし、男性に関してはコロナ前後で自殺に関する有意な差はなかったとされる。一方、女性の場合コロナ禍において自殺に有意な差があり、増えたのである。それは何故だろうか。想像するに、もともと経済的に大変な女性(低所得のシングルマザーなど)が多く、それらの人を支えていた外食業や観光業などにコロナの影響が強く表れたということではないか。
(G7の中で高い日本の自殺率)
 もともと日本は先進国の中で自殺率が高い。それは社会的なセーフティネットが整備されていないということだろう。この間の新自由主義的政策の積み重ねによって、人々は競争に追いやられてきた。それを当たり前と受けとめ、困難があっても「自己責任」とする風潮が強い。若い世代ほど、そのような自己責任感を内面化してしまっていて、追いつめられた人が多いのではないか。それが大きな問題となることなく、社会の中では隠されている。外食アルバイトがなくなって、大学を中途退学に追い込まれた学生も多くいたはずだ。若い世代のコロナ禍の影響はむしろ今後大きな負の問題になっていく可能性がある。
(コロナ禍の精神的影響)
 多分どこの町でも、この3年間につぶれてしまった店があると思う。いろんな理由があるだろうが、僕の町でも2019年秋に新規開店したピザ屋が2020年中に閉店してしまった。多分借金があったと思うし、もう持ちこたえられなかったのだろう。一度夫婦で食べにいったことがあったが、その店主はどうなったんだろうか。2020年には東京五輪があるはずだったから、一念発起して借金で店や民泊施設などを開いた人もたくさんあっただろう。事業に運不運は付きものだが、まさかパンデミックとは誰も予想しなかったし、それに備えた保険もなかったに違いない。

 コロナ禍が終わったことになり、外国人観光客も戻ってきた。株価の日経平均もバブル後最高値を記録している。そういうニュースばかり報じられるが、その裏で経済的困窮に見舞われた人々が多数いるだろう。もちろんそれ以前から貧富の差はあったし、それを完全に無くすことは不可能だ。だがコロナ禍に「何か」がぶつかった世代があるだろう。もう少しで大学を卒業出来たはずなのに、最後に学費を払えなくなった。夢だった店を開いた途端に休業を余儀なくされた。外食のバイトで食いつなぎながら、音楽や演劇などで成功を追いかけてきたが、もう限界と諦めた。そして、父や母をコロナで突然失って、まだ心の整理が付かない…。

 きめ細かな福祉のセーフティネットが今こそ必要だ。多くの企業は好業績なんだから、全員ではない。だが国民の中に「見えない分断」があり、孤立が深まっていると思う。スマホ代が払えなくなれば、SNSにSOSを出せない。新聞を取ってなければ、投書も出来ない。しかし、そういう人がきっと多くいると思って、マスコミや行政関係者が問題意識を研ぎ澄ますことを望んでいる。
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「エビデンスなき政治」の完成ーコロナ禍3年の総括③

2023年06月22日 22時46分04秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 この3年間に及んだ「新型コロナウイルス」によるパンデミックに世界各国はいかに対処したのか。今後世界的に検証が進められるだろう。日本の対応はどうだったのか、今の段階で考えておきたい。それぞれの社会に合ったやり方で進められたわけで、現段階で善し悪しを論じるには裏付けとなるデータが不足していると思われる。日本は確かに死者数は少なかったと思うが、コロナ対策と社会経済的な影響の得失をどのように判断するか、自分にはまだはっきりした答えはない。

 当初はずっと安倍元首相尾身茂氏(新型コロナウイルス感染症対策分科会長)が並んで記者会見していた。尾身氏の属した組織は、いろいろと変化していて僕もよく認識していない。時々「それは尾身さんから」と首相が振っていたが、はっきり言ってどこが「政治」で、どこが「医学」なのか、聞いていて判らなかった。当初は政府がどういう対策を打ち出すか、かなりの緊張感を持ってテレビで見ていた記憶があるが、そのうち段々と「たいしたことは言わない」と悟って、ちゃんと見なくなった。

 今でも僕が腑に落ちない気持ちを持っているのは、2020年2月27日に突然安倍首相(当時)が全国の学校に一斉休校を要請したことである。当時の感染状況は次第に深刻化しつつあったものの、まだ感染者が一人もいない県も多かった。また、離島や山間部など都市部との交流が非常に少なく、感染者が多発するとは考えられない地域も休校することになった。(まあ、そういうところで感染が起きると、医療機関も少ないわけだが。)そして、これが一番問題だと思うのだが、首相は「何よりも大切な子どもたちの命のため」などと理由付けしたことである。

 当時すでに諸外国のデータから、未成年世代の重症者は非常に稀であることは知られていた。そして、そもそもインフルエンザなどの「休校」とは「社会全体への影響を少なくする」ために行われる。その後オミクロン株の流行時に良くあったことだが、子どもたちの間で感染が広がり、そこから親世代にも広がっていった。さらに高齢世代に広がると大変なので、「休校」措置で子どもたちの流行をそこで止めるというのが本来の趣旨である。その目的を知ってか知らずか、安倍氏は「子どもたちの命」を保護するためとして、子どもの生命に危機が迫っているかのように国民をミスリードしたと思う。

 当時も批判したけれど、今思っても腹立たしい気持ちになる。もう年度末が迫っていたのだから、テストなどを最小限に絞って実施し、年度末の学校行事(遠足や球技大会など)を中止すれば済んだ。卒業式、入学式もマスク着用で実施出来たのである。今になれば、そのことは誰でも理解出来るだろう。国のやるべきことは、「国歌斉唱は省略」と通知するぐらいだろう。後は各教委と学校で判断に委ねれば良いのである。一生に一度の行事を奪ったのは、政府の大きな過ちだったと思う。

 そのころから、政治の世界で「エビデンス」という言葉をよく聞くようになった。"evidence" (証拠)から派生した日本語なんだという。どうもこの言葉に違和感があったのだが、やはり通常の使い方ではないようだ。「科学的根拠」と言うのが定義になるだろう。もっとも医学、特に疫学の世界では使われていた言葉らしく、エビデンスの信頼度の5レベルというのがあるようだ。見てもなんだか理解不能なんだけど。
(エビデンスの信頼度)
 そこから考えてみると、日本は「エビデンスなき政治」になっているということが今回のコロナ禍でよく判った。「科学的根拠」を政治に利用している。役立つときだけ、学者を利用する。決まった結論に箔を付けるためだけに、「学者」が必要になる。そのような「科学への蔑視」を象徴したのが、菅内閣による「学術会議会員任命拒否」問題だった。理由を聞かれても、菅氏も後任の岸田氏も何も答えない。「総合的、俯瞰的」と訳の判らない呪文を唱え続けるだけだった。時期から見て、この問題は安倍内閣時代から杉田和博官房副長官主導で進められていて、当時の菅官房長官、岸田政調会長も了解していたんだと今は考えている。

 そういう「科学の政治的利用」、「エビデンスの無視」は、もちろん以前から存在した。しかし、コロナ禍で人々はまざまざとその実態を見たのである。だが何となく、安倍内閣、菅内閣が終わったことで、この問題も消え去ったかの感じだ。しかし、実は岸田内閣で、むしろ「完成した」と言うべきだ。防衛費増、少子化対策…何を聞かれても財源を答えない。入管法、マイナカード問題なども、何を聞かれてもちゃんと応答しない。それでいて、多数の力で法律だけ通してしまう。そういう日本政治の完成形が「コロナ禍」を通して見えたのである。
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「超過死亡」の理由を考えるーコロナ禍3年の総括②

2023年06月21日 22時39分49秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 「コロナ禍」で何が起こったのか。病気の問題だから、まず死者数がどうなっていたかを見てみたい。日本では「少子高齢化」が進行しているといつも言われている。じゃあ、何人ぐらい生まれて、何人ぐらい死ぬのか、数を答えよと言われてもすぐには出て来ない人が多いだろう。コロナ禍前からという意味で、2016年から見ておきたい。
死者数合計             (出生数
2016年  1,308,158人        (977,242人)
2017年  1,340,567人        (946,146人)
2018年  1,362,470人        (918,400人)
2019年  1,381,093人        (865,239人)
2020年  1,372,755人        (840,835人)
2021年  1,439,856人        (811,622人)
2022年  1,582,033人        (770,747人

 2016年から見たのは、それまでは死者は120万人台、出生は100万人台だったからである。2007年からずっと死者数が出生数を上回っている(人口自然減)が、近年はその差が30万、40万、50万と増え続け、ついに2022年には出生数は死者数の半分以下になった。これは完全に「非常事態」というしかない。ずっと続いてきた傾向だが、それにしても2022年は異常である。それをもたらしたものが「コロナ禍」だと考えられる。

 実は2021年、2022年に関しては「超過死亡」があったとされている。この超過死亡というのは難しい概念なのだが、かいつまんで言うと統計的に推測される死者数より実際の死者が過大になる事象である。日本で一番出生数が多かったベビーブーマー(団塊の世代)が70代半ばを迎えて、今後も毎年のように死者数が多くなる。誰が死ぬのか、病気にせよ事故や自殺、殺人などもあるわけだから、完全な予測は不可能である。だが統計学的におおよその推計が出来るのである。それを有意に大きく上回る死者が出た場合を「超過死亡」とする。インフルエンザの流行によるものが多いが、2011年には東日本大震災で死者数が例年を大きく上回った。
(超過死亡)
 その「超過死亡」はどのくらいあったのか。厚労省の推計によれば、2022年には11万3千人とされている。問題はそれは何によって起きたかである。その問題を考える前に、まず「総コロナ死者数」を見ておきたい。公式的な死者数は厚労省のサイトによれば、2020年からの総死者数は「74,694 人」である。これは2023年5月9日現在のもので、5類変更を受けて厚労省の統計はそれ以後更新されていない。以下に厚労省サイトのスクリーンショット画像を載せておく。(何故か加工出来ない。)この数字は、多すぎるとか少なすぎるとかの意見もあるが、日本政府の公式的な統計では7万5千人弱の死者が出たのである。
(コロナ感染症の死者)
 「超過死亡」の理由については、おおよそ以下のような推測がなされていると思う。
コロナ死者数が少なく数えられていて、超過分の大部分は実はコロナ死者である
流行期に医療の逼迫がおき、コロナ以外の病気で、救急車が来ない、入院出来ないなどで死者が増大した
③(一部意見だが)2021年から超過死亡が生じたのは、ワクチン接種に原因がある
高齢者の外出自粛、通院控えが長期化することで、病気を悪化させたり老衰が進んだ人が多く出た

 一番最初に提示した例年の死者数を見て欲しいが、2020年は実は死者数が減っていた。これはコロナ死者が実は隠されていて、本来はもっと多いという憶測を否定するデータである。もちろん、統計に出て来ない隠れコロナ死者もいるとは思う。しかし、原則的にコロナが疑われた死者は、死亡後でも検査が行われたと思う。一番大変な時はそうもいかなかったかもしれないが、それでも死亡診断書には何か書くわけで、死亡者が肺炎を疑がわれる場合はPCR検査をしたはずだ。

 また③のワクチン説も、2020年の過少死亡を説明出来ない。ワクチンがなかった時期は、高齢化を反映して死者が増えるはずである。全く被害者のいないワクチンは歴史上ないので、コロナのワクチンも当然ワクチン被害は出ているはずである。現在なかなか認定されないが、証明が難しいということだろう。種痘やポリオワクチンでも被害は出ていたので、今回もあると考えて対処しなければならない。ただ、そのワクチン禍で10万人を超える死者が出たというのは、妄想に近いだろう。死亡診断書に死因を書くわけで、ある程度はあったかもしれないがワクチン主因説は無理筋だと考える。

 そうなると「医療逼迫説」と「長期の自粛によるフレイル(衰弱)説」になる。前者はある程度あったに違いない。ただ、2020年の過小死亡は「自粛生活」によると理解されている。他の感染症にかからず、また転倒も少なくなるなどで、かえってコロナ禍1年目は高齢者の死者が減ったのである。しかし、それも3年続くとどうだろう。子どもや孫にも会えない、旅行も行けない、地域の行事もなくなったというのが、1年目は緊張感で乗り切れたとしても、次第に精神的にも肉体的にも衰弱していったと推測出来る。しかも、異常があったらすぐに受診していたのが、医療逼迫や外出自粛で医者にかからない。そういうことの積み重ねで死者が増大した。現時点ではその要因が大きいと考えている。
(死者数の推移)(死因)
 なお、この間の死者数の推移を表わすグラフを示しておきたい。さらに死因の円グラフも。新型コロナウイルスの流行にも関わらず、日本では死因に変化はなかった。人はガン、心臓疾患、老衰で死ぬのである。
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未だにマスクをしてるわけーコロナ禍3年の総括①

2023年06月19日 22時32分25秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 「新型コロナウイルス問題」について、だいぶ長いこと書いてない。2023年5月の連休明けに、感染症法上の位置づけが「2類相当」から「5類」に変更された。これをもって、(多少の例外的措置はあるものの)原則的に新型コロナウイルス感染症は、法的に「普通の感染症」扱いになった。一体、この3年間のコロナ禍時代とは何だったのだろうか。改めて考えてみたいと思う。

 感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)では、1類にエボラ出血熱、ペスト等、2類に結核、ジフテリア、SARS等、3類にコレラ、腸チフス等が指定されている。最初は治療法も確立されてないから「2類相当」でやむを得ないが、もともとコレラやチフスより大変な病気というのは無理があるだろう。(なお、4類は狂犬病、日本脳炎、マラリアなど動物由来の病気。5類はそれ以外の麻疹、百日咳、赤痢、風疹などである。)
(感染症法の区分)
 その後は「全数把握」がなくなったので、毎日毎日夕方にテレビを見てると「ニュース速報」で「本日の感染者数」が報道されることもなくなった。だから人々も何となくコロナのことを考えなくなってきているが、感染者は漸増しているという話もある。「第9波の入口」と言う人もいる。ただ、今回以後は感染者が増えたとしても、学校の休校などの措置があったとしても社会全体の動きを止めることはないだろう。つまり、インフルエンザの流行と同じである。実際、インフルエンザも流行っているという話だが、それで経済活動を止めてしまうわけではない。それは今までと同様である。
 
 僕の周辺では長く感染者の話を聞かなかった。2022年ぐらいから身近な感染者も出てきたけれど、自分は今まで感染していない。もともと小さい子どももいなければ、外食もほとんどしないから掛かりにくいのだろう。ただ、それだけでなく、やはり「マスクの効用」もあったのだと思う。今まで一年に一回ぐらい「風邪気味だなあ」という日があったものだが、この3年間それもなかった。つまり、今までよりも健康に過ごしたのである。旅行はしてないけれど(それはコロナ禍というより、高齢の母親がいるためだが)、外出はしていた。それでも風邪さえ引かずに済んだのは、やはり「マスク」のおかげじゃないか。
(1月の世論調査)
 マスクに関しては、1月のNHK世論調査で今後どうするか聞いている。半数近くが「基本的には外すが、今までよりは付ける機会を増やす」みたいな答えになっている。「外す」「付ける」が4分の1ぐらいで、こういう調査では中間的回答が多くなる。印象では5月にはかなりの人が付けていたが、最近暑くなるにつれ、若い人には外している人が多くなった気がする。時間帯、場所などにもよるだろう。映画館などでは当初、独自にマスク着用を継続して求めるところもあったが、最近はどこでも観客に任せているようだ。ただ観客には付けている人が多いと思う。

 自分について言えば、まだマスクを付けていることが多い。ただし、家から駅までは付けていない。電車内や映画館では付けているのである。あれほど「マスク嫌い」だったのに、慣れてしまったのである。最初の年は夏になったら肌が相当荒れてしまった。化粧水や乳液を付けてしのぐことになった。最近は化粧水は付けるけど、肌の方もマスクに適応したんだと思う。なんで今でも付けることが多いのか。概ね以下の4つの理由である。

①「寒暖差アレルギー」 花粉症はないけれど、寒暖差アレルギーがあって、夏は電車内の冷房がきついので鼻水やくしゃみが出やすいのである。それは感染症によるものではないけれど、周囲の人には判らない。マナーとしてマスクを付けておく必要が(今では)あるわけだ。
②「他の感染症が怖い」 ワクチンもしてるし、今ではコロナウイルスはかかっても多分そんなに重くならない。だけど、インフルエンザも流行しているという。こっちの方が重くなる可能性が強い。そっちも防ぐ必要がある。
③「高齢化」 自分も年取ってきているわけだから、コロナぐらい大したことないだろう的な自己過信は禁物である。②と重なるが、マスクを付けて防げることがあるなら、マスクぐらいガマンするよということ。
④「成功体験」 マスクなんか意味があるのかと思ったが、外出はしているのに風邪さえ引かなかった。つまりこの3年間は「成功体験」だったので、それを変える意味を見出せない。今後も何らかの感染症はずっとあるわけだから。

 もっともどうでも良い時までする気はない。僕の見に行く映画など、ときにはガラガラのことがある。この前なんか、2人しかいなかった。それも1人は前の方、自分は後ろの方である。そんな時までマスクを付けてる意味はほぼないだろう。心配し過ぎれば、いろんなケースは考えられるけど。だから、しばらくはまだまだ人が多い場所ではマスクを付けることになるのかなと思っている。
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コロナ「第7波」で死者激増、行動制限なしで良いのか

2022年08月19日 22時53分49秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルス問題をずっと書いてない。2020年には、確かに他に考えるべきこともなかった。現在はウクライナ問題、物価高やエネルギー危機と地球環境問題、安倍元首相暗殺事件と旧統一協会問題などなど、考えるべきことが山積している。ニュースでもコロナは最初に出てこなくなった。そして3年ぶりに「行動制限なし」の夏を迎え、旅行者もかなり多かったようだ。

 しかし、その間に新型コロナウイルス感染者が激増している。今日(2022年8月19日)発表された新規感染者数は、全国で26万人を越えて過去最多を記録した。それなのにそれほど大騒ぎされていないのは、症状が軽い人、感染しても無症状の人が多いということなんだろう。芸能人やスポーツ選手の感染もたくさん報道されるが、ほとんどはちょっとすれば回復しているようである。

 それだけで済めばともかく、やはり少し遅れて死者数も激増して、過去最多レベルに近づいてきた。最初の頃と違って必ずしも「新型コロナウイルスによる肺炎」が死因ではないようだ。コロナ感染による肺炎は、ワクチン接種、治療薬や治療経験の積み重ねでかなり防げるようになった。しかし、これだけ感染者が多いと、どうしても高齢者や基礎疾患保有者にも広がっていき、腎臓、肝臓、心臓などが高熱で働かなくなってしまう。コロナ肺炎としては中等症なのに、亡くなるケースが多くなったという。
(死者数の推移、東京の場合)
 上記画像は東京都におけるコロナ死者数の推移である。2020年から通覧出来る全国データが見つからなかったので、東京都のサイトから作ることにした。第6波が今まで一番死者数が多かった。しかし、死者数は感染者数から少し遅れて増加するので、今後増加すると思われている。今までの感染者数は東京の場合を下記画像で示すことにする。2021年までは現在に比べると感染者数が一ケタ違った。確かにちょっと前まで、東京で千人を超えたというと大ニュースになっていた。両方のデータを見ると、以前は感染者数に比べて死者数が多かったことが判る。これだけ感染者が増えているんだから、死亡率は激減していることになる。
(発症日別の新規感染者数、東京の場合)
 もはやコロナは「単なる風邪」化してきたのだろうか。しかし、単なる風邪でも僕は引きたくないし、風邪を引いて発熱したら社会的活動は出来ない。つまり仕事を休まざるを得ない。諸外国ではもはや規制を完全に撤廃している国もあるし、入国に際して陰性証明等を必要としない国も多い。東アジアの国だけが厳格な規制を続けているのが実態だろう。日本でも「全数把握」を見直すという声も出て来ている。実態としては全数把握はもはや破綻しているのではないか。しかし、法的な分類が変わらない以上、全数把握を求めざるを得ない。この感染者数を見れば、医療施設の負担が大きすぎる。何らかの見直しは避けられないだろう。

 僕が今思っているのは、岸田内閣からのメッセージ不足である。「無策」と言っても良いかもしれない。安倍内閣では西村康稔経済再生相(現経産相)が「新型コロナ対策相」として、毎日のように顔を見ていた。菅内閣では河野太郎行政改革担当相(現デジタル相)が「ワクチン接種推進相」として発信していた。まあ西村氏や河野氏の顔を見るのも結構ストレスだったような気もするけど。では現在の第2次岸田改造内閣では、コロナ対策担当、ワクチン接種担当の大臣は誰なんだろうか。ちゃんと言える人は少ないと思う。いないんじゃないかと思ってる人も多いのではないか。

 いや、一応ちゃんといるのである。コロナ対策担当は山際大志郞経済再生相で、選挙中に「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない。本当に生活を良くしたいと思うなら、自民党、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」と、まさにホンネなんだろう暴言をした人物である。大臣に再任された後で、旧統一協会との関わりを認めた人でもある。ワクチン接種担当は、松野博一官房長官の兼務。いるのである。でも、何の存在感もない。そもそもコロナ対策で専門家の会議も開かなくなった。政府が行動制限をしないと決めてしまったが、それは専門家に諮って決めた対策ではない。それで良いのだろうか。

 この中で舞台芸術は大変なことになっている。例えば「ハリー・ポッター」が舞台化され話題になっているが、8月上旬はずっと休演である。また池袋の東京芸術劇場で行われるNODA・MAPの公演も7月分は中止となった。8月はやっているようだが、このように公演中止になる舞台が相次いでいる。人気公演は当然事前に売り切れているが、中止分は払い戻しすることになる。その莫大な負担に耐えきれない劇団が出ると言われている。もう舞台装置などは作ってしまった後で中止するんだから大変だ。今までは遅すぎる、少なすぎると言われつつ、何らかの助成金制度があった。今回は行政による行動制限がないから、補償の仕組みもないのである。

 全数把握を継続する、外国人の個人旅行は認めないという厳しい対策をする以上、日本国民に対しても何らかの行動制限が必要だったのではないか。政府は何も方針を出さず、民間は自由にして良いという中で、感染者は増えて医療機関がパンクする。飲食店も開けて良いと言われても、猛暑もあって客足は伸びないだろう。しかし、今回は補償がない。その方針の是非を国会で議論したのか。まだ第7波が見えなかった6月15日に国会を締めて、その後参院選後に3日だけ臨時国会を開いただけ。何の論戦も行われなかった。政府のコロナ方針を質す機会がないまま、第7波の厳しさにある。僕ならこうするという対策もないので、あまりコロナ問題を書きたくなかったんだけど、どうも岸田内閣の無策ぶりがひどいと思う。
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宮坂昌之『新型コロナワクチン 本当の「真実」』を読む

2021年08月30日 21時02分57秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 講談社現代新書8月の新刊で、宮坂昌之新型コロナワクチン 本当の「真実」』という本が出た。「真実」が赤字なのは本がそうなっている。宮坂昌之氏は1947年生まれの免疫学者。今まで大阪大学医学部教授等内外で様々な研修職を歴任し、現在は大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授。講談社ブルーバックスで「新型コロナ7つの謎」「免疫力を強くする」などを書いていて、僕は読んでないけど名前を知っていた。

 理系の本はあまり読む機会がないんだけど、時々読むと頭がスッキリする。内容が難しくても、ロジックが通っているから面白いのである。この本は今まさに全世界で課題となっている「新型コロナウイルスのワクチンをどう考えるか」、そのすべてが書かれていると言って良い。「全国民必読」というには難解かなと思うが、世の中でサブリーダー的な立場にある人は判らないながらもザッと見ておくといいかと思う。結構売れているらしき「嫌ワクチン本」も真っ正面から論破している。「科学リテラシー」の大切さを教えられる本だ。

 プロローグ「新型コロナウイルス感染症はただの風邪ではない」では、今回の新型コロナウイルスそのものの説明が書かれているが、その説明は省略する。その後、第1章「新型コロナワクチンは本当に効くのか?」、第2章「新型コロナワクチンは本当に安全か?」、第3章「ワクチンはそもそもなぜ効くのか?」と続いている。これらの章を読むと、免疫学の進展の奥深さに驚いてしまう。免疫には「自然免疫」「獲得免疫」がある程度の知識では太刀打ちできない。そもそもワクチンは獲得免疫を目指すものだが、自然免疫も強化されるという。
(宮坂昌之氏)
 新型コロナワクチンにも様々な種類があるが、ファイザー社、モデルナ社のものは「mRNA」(メッセンジャーRNA)という新しい手法で作られた。2020年1月10日に中国が新型コロナウイルスのゲノム配列を発表すると、ビオンテック社(ファイザー社のワクチンを開発したドイツのベンチャー企業)は2週間で20種類のワクチン候補薬をコンピュータ上で設計した。モデルナ社はゲノム配列発表の4日後には治療原薬の製造を始めた。このスピードには驚くしかない。あまりの素早さに宮坂氏も2020年末段階では安全性、有効性に疑いを持っていて、ワクチン接種には慎重と明言していた。

 その後、各国で接種が進み信頼できるデータが続々と報告された。その結果、宮坂氏は高い有効性を認め、安全性も従来のワクチンと同程度と判断し、接種を推進する立場を表明した。本人もすでに2回接種を終えている。しかし、従来のワクチンと同じ程度の安全性というのは、従来のワクチンと同じ程度の危険性があるということでもある。そのこともきちんと説明し、どのような危険性があり、なぜ危険性があるのかも書かれている。

 なお「ワクチンの有効率」とは何かということが出ている。僕も今まで「有効率90%」というと、つい「100人にワクチンを打ったら、90人には効いたが10人には有効な抗体ができなかった」という風に思っていた。それが違うという。式で言えば「1-{(接種者罹患率/非接種者罹患率)}×100」になる。これじゃ全然判らないが、ワクチン接種者100人と非接種者100人をある期間で比較し、感染者が接種者では5人、非接種者では50人出たとする。この設定では接種者罹患率は5%、非接種者罹患率は50%である。先の式に当てはめて、{1-(5÷50)}×100=90となる。これがワクチン有効率90%の意味だという。

 さらに第4章「ワクチン接種で将来「不利益」を被ることはないか?」、第5章「ワクチン接種で平穏な日常は戻るのか?」と続き、最後に第6章「新型コロナウイルスの情報リテラシー」、第7章「「嫌ワクチン本」を検証する」と続いている。ここで判ることは人はずいぶんいろんな心配をするものだということだ。もちろん「ワクチンにチップが埋め込まれている」などという妄想系は論外である。そんなことが出来ればノーベル賞どころの騒ぎじゃないだろう。しかし世の中には「mRNA」という遺伝子情報の一部を体内に取り込むことで、DNA情報が書き換えられてしまうという人がいるらしい。

 それはあり得ないという説明は説得的だ。そもそもワクチンで遺伝子情報が変わるなら、新型コロナウイルス本体に感染した場合こそ大変なはずだから、そっちの心配をするべきという指摘は鋭い。体内に取り込まれた「mRNA」は少しすれば体内で分解されるらしいし、そもそも分子生物学で言う「セントラルドグマ」に反することは起こらない。セントラルドグマとは、DNAの二重らせん構造の発見者フランシス・クリックが提唱した概念で、「遺伝情報は「DNA→(転写)→mRNA→(翻訳)→タンパク質」の順に伝達される」というものである。これは不可逆的なもので、つまり、mRNAからDNAへの逆転写は起こらない。何事にも例外はあってレトロウイルスという種類だけは逆転があるが、人間には当てはまらない。
(セントラルドグマ)
 それにしても、体内に異物を送り込むわけだから、一定の危険性は存在する。それは基本的にはアナフィラキシーショックで、アレルギーや蜂に刺された場合などと同じだ。時々給食でアレルギー食品をうっかり食べてしまい大変な事態になったという報道がある。それは急性の症状であって、翌日以後も給食を食べていて、数日後に数日前の食品のアレルギーが出るなんてことはあり得ない。日本では多くの高齢者が心臓や脳内出血、あるいは原因不明で突然死している。その発生率を上回るようなワクチン接種後の死亡事例は起こっていないと思う。しかし、不明な点は残るし、疑問を持つ人もいるだろう。著者は死亡事例はCTやMRIによる画像診断を行うべきだと提言している。フェイクニュースの見分け方、近藤誠氏ら反ワクチン論者への批判などは僕は紹介するより、是非自分で読んで欲しい。
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夏休みの延長が必要ではないかー教員にも広がるコロナ感染

2021年08月19日 22時11分06秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 菅内閣は17日に6都府県に出ている緊急事態宣言の延長(9.12まで)と新たに20日から7府県に緊急事態宣言を出すことを決定した。一応書いておくと、延長するのは東京神奈川埼玉千葉の首都圏及び大阪沖縄である。新たに出すのは、茨城栃木群馬静岡京都兵庫福岡である。また北海道、福島、石川、愛知、滋賀、熊本に出されている「まん延防止等重点措置」も延長され、新たに宮城、山梨、富山、岐阜、三重、岡山、広島、香川、愛媛、鹿児島の10県にも出される。どこに何が出ているか、ちゃんと判っている人はいないだろう。
(緊急事態宣言の延長)
 その緊急事態宣言を延長することで、一体何がどうなるのか。人出が減っている感じはしないし、いろんな場所(デパート、劇場、映画館等)は(ところによって人数制限をしているが)、やっているのである。やっていれば行く人がいる。そこら辺の問題をどう考えるべきかはまた別の問題だが、そうは言っても電車は一時期よりは空いている。テレワークもあるんだろうが、それより何より「夏休み」だから高校生がいないわけである。そして、もうすぐ夏休みが終わってしまう。このまま学校に子どもたちが集まってしまって大丈夫なんだろうか。

 高校野球や高校総体(インターハイ)でも辞退校が出ていると書いたが、本当はこの問題を書きたかったのである。沖縄県では「夏休みの延長」という措置を取る市町村もあるようだ。もっとも沖縄で8月中に夏休みが終わるとは知らなかった。寒冷地方では大体8月20日過ぎには夏休みも終わるだろうし、東京でも基本的に8月いっぱいが休みだろうが、小中学校では2学期を早めることも多いと思う。つまり、もうすぐ全国かなりの地域で夏休みが終わるのである。このまま2学期に入るとどうなるだろうか。
(沖縄県の夏休み延長状況)
 東京都の場合だが、教員のコロナ感染が非常に増えている東京都教育委員会のホームページの「新着情報一覧」を見ると、このところほぼ毎日「新型コロナウイルス感染者について」という記事が掲載されている。土日は更新されないので、週明けには5人、6人とまとめて載っていたりする。8月の分だけまとめてみると、8月19日掲載までで総計でちょうど60人になった。ただし、正職員以外も載っていて、行政職(教育庁勤務等)が6人、非常勤職員が8人である。差し引くと、常勤の教育職の感染は46人ということになる。都教委のサイトだから、都立学校(高等学校、特別支援学校、中高一貫校)のみである。市区町村の小中学校教職員、あるいは近隣県の教職員だけは感染しないという理由はないから、恐らく感染者はある程度出ているはずである。

 また子ども世代の感染も増えているという。家族内感染が多いのである。その場合、親が発症した段階では子どもは無症状のことが多いらしい。やはりデルタ株であっても、若い世代には無症状のケースが多くあるのである。親が発症してPCR検査を受けて陽性を確認するまでの間に、子どももすでに感染しているが、しかし無症状だから、陽性が確認された親の濃厚接触者になるまでPCR検査を受けられない。その間は無症状だから、当然学校に登校するだろうが、この段階でも感染力はあるということになる。

 そういう心配があるということを夕方のニュースでやっていた。つまり、教員も生徒も感染者が多い現状から、このままでは学校では集団感染が多発する可能性がある。そう思うんだけど、去年の「全国一斉休校」の傷というか、トラウマが残っているんだろうか、学校休校という選択肢が問題にされない。実際、高校生などでは果たして家庭で勉強しているか怪しいかもしれない。つまり「オンライン授業」にすべきだという意見も出てくる。また2学期は学校行事や進路指導でとても休校するわけにはいかないという意見もあるだろう。しかし、教員が生徒に感染させるケースが起きたら、休校せざるを得ないだろう。

 教員が風邪を引いて休暇を取ることは日常的によくあることだけど、その場合は一般的に数日で終わる。そういうときは「自習」になってうれしいという記憶がある人はかなりの年長だろう。今は自習課題を用意して、自習監督も付くことが多いのではなか。コロナの場合、数日で復帰できるとは思えないから、一人が感染するだけで教科や学年への負担は非常に大きくなる。そういうことが頻発することは目に見えていると思う。都教委のサイトでは学校名は不明だが、都立高校は全部で186校、特別支援58校、中高一貫校10校なので、感染者が全部違う学校だとすると、8月中にすでに5校に1人ぐらい感染教員が出ている。7月以前にも多くの感染者が報告されているが、もう現場復帰できる状態なのかどうかは判らない。

 当然ながら生徒の感染も増えているだろう。僕は何も「全国一斉休校」は求めていない。緊急事態宣言の出ている地域の学校で、教員や生徒、保護者の感染状態を見ながら、どの程度の危険性が予想できるか判断するべきだ。感染者が出てバラバラに休校すると、「どこ?」「誰?」という噂が飛び交う可能性もある。危険性、緊急性が予見されるなら、ある程度「まとめて夏休みを一週間延長」などとする方が良いのではないだろうか。

 もちろん弊害も多い。高校だと就職希望者の試験が迫っていて進路指導が欠かせない。また普通科高校では9月半ばにも文化祭を予定していたところが多いだろう。文化祭のあり方も課題だが、簡素な形で生徒の準備登校を認めてもいいだろう。小学校などの場合、昨年も問題化したけれど「給食」をどうするか。夏休みに食事環境が悪くなっているケースも多いと思う。給食だけ出すこともあるだろう。その場合も出来るだけ家に持ち運べる「弁当」形式にするのも考えられる。むしろしばらくマスク付きで出来る教科を中心にした「午前授業」にして、給食で終わりという方がいいのかも。「一斉」が行き過ぎて、個別事情を酌めないのもおかしい。

 いろんなケースがあるだろうが、学校でクラスターが発生することは避けられず、それを見越した対応を準備しておかないと後手後手になる。誰々が感染したから行事や部活ができないなどと、ウェブ上で曝されるような事態をあらかじめ避けるのが最優先だと考える。
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4度目の緊急宣言を考えるー憲法と歴史認識がなぜ大切なのか

2021年07月19日 22時03分20秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 東京都に12日から4回目の緊急事態宣言が出されている。じゃあ、どれだけ緊迫しているかと思うかもしれないが、実はもう多くの人は気にしていない感じがする。テレワークは少なくなったのか、電車も混んでいる。むしろ宣言前より混んでるかもしれない。都民の多くも「慣れた」というより、「緊急事態と感じていない」のではないか。今回に関しては、病床の逼迫度など「緊急事態宣言」の水準に達してなかった。しかし、明らかに感染者は増加していたから、今後さらに大幅に増加する可能性はある。しかし、年末にはもっと多かったことを覚えている。

 要するに「こういうレベルになると緊急事態宣言を出す」という判断基準が時々によって違うのである。そして出すたびに「これを最後にする」と言って、次にまた出しても「変異株」が現れたからだとする。まあ、今回は実は記者会見を見てないので何を言ったか知らないんだけど。今まで見た感じで言えば、言質を取られないような一般論を繰り返すし、責任をもって取り組み感じを受けないことが多かった。今回はなんでも、挙手してる人を当てずにしてない人を当てたとか。ホントかどうか知らないけど。

 このような菅内閣に対して各マスコミの世論調査で支持率が下がり続けている。直近の調査では3割を切るか、ギリギリ3割程度まで下がった。それも当然かと思うが、では就任当初の「ご祝儀相場」はなんだったのだろうか。安倍政権復活以後、8年にわたって毎日記者会見をしていた菅官房長官だったが、首相になると「この人誰?」という人が結構したのでビックリした。「たたき上げ」などと言って持ち上げる人まであった。しかし、菅氏の記者会見を少しでも覚えていたら、「こういう人だ」というのは容易に予想出来たはずだと思う。
(今までの3回の緊急事態宣言)
 もう今までの3回の緊急事態宣言の詳しいことも忘れている。比較している画像があったので上に載せておきたい。2回目は「飲食店を中心にしたピンポイント」と言って、3回目は「ゴールデンウィークを中心に短期」と言ってた。だが、いずれも解除する時期には感染者数が増加に転じていた。その結果、3回目、4回目の緊急事態がすぐに必要になったわけである。僕はそれを「同じような間違いを何故繰り返すんだろう」と思ったし、「整合性なきコロナ対策の末に」という記事も書いた。だけど、今ちょっと考えを変えている。

 僕は1月に「急がば回れー菅首相は「学術会議」と「桜を見る会」を解決せよ」を書いた。コロナ対策で国民の信用を得るためには、まずコロナ以前に「学術会議問題」と「桜を見る会問題」にきちんと向き合って解決しないといけないと論じた。特に「学術会議問題」は専門家の声は自分に都合のいいときしか聞かないと宣言したようなものだった。そういうことを説明なく強権的に進める政権が、科学的な整合性を持ったウイルス対策を進められるはずもなかったのである。今になってみれば、そういうことだと思う。

 さらにさかのぼって考えてみれば、安倍政権の目玉政策は「整合性」などないようなものだった。特に「集団的自衛権の一部解禁」を行った2015年の安保法制。現在では(日米安保条約のある)アメリカ軍だけでなく、オーストラリア軍やイギリス軍の警護まで「自衛隊」が担当している。もはやそういうニュースも大きく報道されない。慣らされてしまって、ニュース価値がないのである。しかし、いくら何でも「集団的自衛権」が憲法上認められるとは思えない。このとんでもない「(憲法に対する)整合性なき政策」を考えてみれば、コロナ対策で何回も緊急事態宣言を出すなんて驚くような物じゃなかった。

 何度も同じような間違いを繰り返すというのも、自民党議員が「歴史認識」や「性的マイノリティ」問題などで「暴言」を繰り返していることを思い出せば全然ビックリすることではない。そこら辺から考え直さない限り、日本人は同じような総理大臣ばかり持つことになる。結局日本国民がそういう内閣を作り出しているんだということを自覚しないといけない。それこそがパンデミックから学ぶべきことだ。
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ワクチン不足は風評じゃないーワクチンをめぐる諸問題

2021年07月17日 20時40分33秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 日本では気候の話題で会話が始まるが、今年の春はもう一つ「ワクチンどうなった?」という会話から始まることも多かった。僕の周りは高齢者ばかりだから、問題は「予約は取れたのか」である。今日は関東でも梅雨が明け、猛暑がやってきた。そんな日の夕方に母親のワクチン接種に付き添って近所の病院に行ってきた。実は僕と妻はもうすでに2回目まで終わっている。それなのに一番高齢の母親が初めてというのは、「打たなくていい」と言い張っていたからである。それならそれで自分の選択だと思うけど、今度は何が理由か知らないけど「打ちたい」と言い出した。まあ、いつもそういうことが多いので驚くことではない。

 調べてみると、集団接種だけじゃなく、いろいろな病院で「個別接種」も始まっている。前に行った整形外科でも始まるというので、そこで受ける予約を何とか取ったのだった。まあ細かく書いても仕方ないけれど、出掛けたあとに最寄り駅からタクシーで家まで行って、そこからクリニックへ。本人確認書類がどうだとか様々な問題があったが、そこでは普通の病室に呼ばれて、事前のやり取りがあって、ワクチンを打つ。自分の時は前を向いて上腕に打つから接種の瞬間を見られない。医療関係者じゃないと、なかなか見たことがないと思う。そうか、こうやって打ってるのかと思ったが、別に普通の注射と同じなんだけど。

 今回思ったのは、高齢者や障害者などにとっては「知ってる病院」で接種することのありがたさである。ちゃんとそこに勤めている医者が病状を確認できるし、診療室で打って貰える。その後15分待つというのも、冷房の効いた待合室の椅子でテレビを見ながら待ってられる。(タイマーも貸してくれる。)「かかりつけ医」の「個別接種」の方が恵まれている。猛暑の行き帰りで、自分が打ったわけでもないのに、というか自分の時以上に疲れてしまった。(ということで、昨日はブログを書く気力が残ってなかった。)
(政府のワクチン供給計画)
 最近「ワクチン不足」という声を聞くことが多い。しかし、自民党の下村博文政調会長は13日の党会合で、新型コロナウイルスワクチンに関し、「足らないという風評が広がっている」と述べた。この発言はあまり問題になっていないが、僕は許せない発言だと思う。「かかりつけ医」の接種予約がどんどん停止され、すでに予約した人も取り消されている。実は母親の予約も取り消しになってしまった。なんとか策を講じているが、とにかくワクチンが入ってこないんだという。

 モデルナを使う「職域接種」だけではなく、ファイザーを使う「個別接種」が困っている。問題はこのワクチンは2回打たないといけないことだ。1回だけなら、とにかく待っていればいいけれど、1回打った後で2回目が取り消される「2回目難民」なんて言葉もあるらしい。これは非常に困る。今回のワクチン接種は自治体ごとにやり方がかなり違っている。「個別接種」を中心に進めたところほど困っているらしい。僕もいくつかのケースを聞いている。問題はそれが何故起こったのかがよく判らないし、じゃあどうすればいいかが判らないことだ。身近にパソコン、スマホを使える人がいなければ本当に困ってしまうだろう。

 「大規模接種」や「職域接種」は「モデルナ」を使用するが、モデルナの場合は供給が減ったということもあるらしい。「職域接種」が思った以上に申し込みが多かったと言われるが、突然受付中止になったことは都議会選挙にも影響したらしい。ファイザーは地域で使用するから、モデルナ使用分が余るはずで、下村氏は「6月までの供給量と接種実績を差し引きすると、4200万回分が市町村にプールされている」としている。
(ファイザーのワクチン)
 しかし、現実には各病院への供給がストップしている。河野大臣が各ニュース番組にハシゴ出演して、各自治体の接種が思った以上に進展してワクチンが足りていないようなことを言っていたと思うが、その場合「予約分」がなくなるのが理解出来ない。このワクチンは2回接種で、最初の予約時に2回の日時を決める。その分のワクチンを確保出来る見通しがあって、予約を受け付けたはずだと思うが。やはり国会を延長せず閉会したのが間違いで、多くのことに政府が情報を的確に公開していない感じがする。

 自分自身に関しては、1回目は打った部分がかなり痛くなったが、すぐになくなって、2回目は発熱も少ししかなかった。(妻の場合は僕より発熱があった。)しかし、それは個別ケースの例なので一般化出来ないから、特に書く気はしなかった。世界中で多くの人が接種しているんだから、そんなに多くの重大事例が起きるはずがないが、どんなワクチンでも一部の重大ケースは生じる。今までのすべてのワクチンが同じだと思う。今回は「メッセンジャーRNA」という仕組みで作られている。現在ほとんどのワクチンで行われている「不活化ワクチン」と比べて、病原体を直接入れるわけではない。それでどうだこうだの判断は僕には出来ないけれど。

 インフルエンザは特効薬が存在する上、流行するタイプが異なるとあまり接種の意味がない。一方、新型コロナウイルスに関しては、現時点で認められた特効薬がない。さらにコロナ禍で多くの産業、文化、教育などに大きな影響が生じて困っている。その事を考えれば、アレルギー等で打てないという人の意思は尊重しながらも、可能な限り多くの人がワクチンを接種するべきだと思う。どの国も「7割の壁」があるというが。変異株はワクチンを接種しても感染する場合がある。(北海道の帯広で医療従事者のクラスターが起こった。)それにしても、ファイザー製ワクチンが変異株にも8割程度の有効性を持っていると言われている。これは相当に高いので、多くの人がワクチンを接種することが有効だと考えている。
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「ワクチン弱者」にどう対応するかー予約できない高齢者問題

2021年05月18日 23時06分33秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 テレビのニュースは「ワクチン」一色と言って良い状態になっている。日本ではワクチンの輸入が進まない上に、接種態勢もなかなか整わなかった。入ってきたワクチンも医療従事者が優先だったので、一般の高齢者への案内も遅れた。ようやく4月末頃から接種券が送られつつあるが、調べてみると自治体ごとにやり方がかなり違う。大きな接種会場を作るところ、小さな接種会場を幾つも作るところ、地域の病院での接種が中心のところなどがある。

 さらに高齢者をいくつかの段階に分けるところも多い。「75歳以上」(後期高齢者)と「65歳から74歳」(前期高齢者)に分けるところがかなりある。(年齢は2022年3月31日が基準となる。)一方、「65歳以上」に一括して案内を送るところもある。自分の住んでいるところはそっちだったので、5月当初に予約を済ませてあって、もうすぐ1回目の接種の予定。

 その予約だが、パソコンスマホ電話によるところが多い。しかし、ニュースで見た新潟県上越市では最初から日時と会場を指定して送っているという。そういうのもあるかと思ったが、地方ではその方がいいかもしれない。(地方では家族が車で送迎することが可能だが、大都市では公共交通機関で来るように指示される。行きにくい会場が指定されると困ってしまう。)

 その予約が出来ないスマホもパソコンも使えないという声がいっぱいある。そうなると電話を掛け続けることになるが、全然つながらない。もう諦めたという人もいるらしい。取れた人の中でも、子どもに手伝ってもらった人が多いらしい。現時点ではやむを得ないかと思うが、今後はどうするんだろうか。(子どもに手伝ってもらうというのは、子ども世代とつながりがあるということだから、先にワクチンを接種する意義がある。)そのうち接種も進んで行くだろうが、現在の時点では大量の「ワクチン弱者」が生み出されている。

 政権側も危機感を持って、自治体に圧力を掛けているようだ。神奈川県は首相とワクチン接種担当相の選挙区なので、遅れることは許されないという。そうは言っても自治体の能力を超えることは不可能だ。ワクチン確保も重要だが、それ以上に人手や態勢の不備が大きいようだ。政府は東京と大阪に対しては、新規に承認したモデルナ社のワクチンを使って「大規模接種会場」を作って自衛隊が大量に摂取を行うという。24日から始まるが、果たしてスムーズに進むかどうか。それもあるけれど、なんで自衛隊が全面に出てくるのかも不審に思う。
(自衛隊が進める大量摂取の予約画面)
 高齢者と言っても、21世紀に働いていた世代ではパソコンやスマホを使わざるを得ない職場が多かった。しかし、それ以上の世代では「機械嫌い」も多くて、銀行のATMの操作も出来ない、交通系ICカードのチャージも出来ないことを「デジタル無能自慢」のように語る人もいる。現役時代は部下にやらせていたんだろう。ニュースを見たら「インターネットは難しい」と言ってる高齢者がいた。インターネットの初期設定をゼロからやるのは確かに大変だけど、スマホでもパソコンでも「デジタルネイティヴ世代」には「難しい」という感覚自体が理解出来ないのではないか。

 しかし、加齢に伴って視角聴覚も衰えていく。触覚も衰えていくのであって、タッチパネルが苦手なのは現実に「画面が動きにくい」という現象があるからだ。スマホは肌の表面にある静電気を感知して作動するが、高齢者になると「乾燥肌」になりやすい。角質層が厚くなって乾きやすいのである。案内の字が見えにくい上に、触っても画面がスムーズに動かない。圧力で作動すると思って、何度も強く押すけどダメ。だから「難しい」と思ってしまう人が出て来るのは当然だろう。
(ファイザーのワクチン)
 役所に行くと助けてくれるところもあるようだが、そういうポジティヴな人ばかりではない。ちょっと電話を掛けて、つながらないからそのままにしている人が大量にいると思う。社会的に「孤立」している人は、自ら助けを求めない。また情報リテラシーにも偏りがあることが多く、「注射は怖い」「ワクチンは危ない」と思い込んでいる場合もある。何もしなければワクチンを接種しないままの高齢者が生まれるだろう。どうすればいいのだろうか。当面は予約した人の大量摂取に力を取られる。秋までには衆院選もあるし、自治体の能力を超えるのではないか。

 国が中心になって予算を組んで、今から予測して特別の態勢を作らないと高齢者の感染が続くことになりかねない。「孤立」した高齢者と言っても、食べなければいけない。自炊が難しいので、そういう人ほど外食に頼るだろう。皆がマスクを取れるようになったとき、ワクチンを売ってない高齢者だけが感染リスクが高いままになる。福祉の問題として、地道な働きかけをする以外に解決方法はない。また「接種券」が届かない「ホームレス」の人の接種はどうするんだろうか。希望者には接種する道を用意しなければいけないと思う。
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整合性なきコロナ対策の末にー「分科会」で政府方針が一変

2021年05月17日 22時42分20秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルス問題について、あまり書いてない。現在、東京都には「緊急事態宣言」が出されているけれど、自分の日常生活はあまり変わっていない。良く行く小さな映画館は上映を継続しているから。寄席が最初は開けていて、そのうち閉まったことは前に書いた。しかし、12日から客席を制限して再開されている。同日からプロ野球大相撲も観客を入れているし、歌舞伎ミュージカルも再開した。しかし、TOHOシネマズなどの大規模映画館は閉まっている。デパートは少し売り場を再開したらしいが、国立博物館国立美術館は相変わらず閉まっている。

 この実情に「整合性」はあるのかと多くの人が言っている。僕もそう思っているが、当面美術館に行かなくてもいいやと思う。そもそも東京都に「緊急事態宣言」を出すかどうかもなかなか決まらなかった。「まん延防止重点措置」の効果を見たいなどと言っていたが、結局4月25日から5月11日までの期間で緊急事態宣言が出された。連休の人出を抑える必要があると言っていたが、近県は「まん延防止」に止まったので、出掛ける人もいたようだ。そもそも5月11日までというのは、「短すぎる」と当初から言われていた。案の定、5月31日まで延長された。

 もはやどこの県に緊急事態宣言、またはまん延防止重点措置が出ているか、ちゃんと判っている人は少ないだろう。5月14日の朝刊には、「まん延防止 5県追加へ」「群馬・石川・岡山・広島・熊本」と大きく一面に載っていた。ところが、翌15日の朝刊では「政府案一変 緊急事態」「分科会が反対 北海道・岡山・広島追加」とある。(なお、群馬・石川・熊本は「まん延防止」で、ともに6月13日まで。)今まで専門家会議は政府の諮問案を結局は追認してきたが、今回はついに政府案への疑問が噴出し、政府側が異例の方針転換に至ったのである。
(異例の方針転換を説明する西村経済再生相)
 この専門家会議は「分科会」と言われるけれど、一体何の分科会なのか。僕もよく判らないので調べてみると、内閣官房に「新型インフルエンザ等対策推進会議」というのが置かれている。その下に「基本的対処方針分科会」、「医療及び公衆衛生分科会」、「社会経済活動分科会」、「新型コロナウイルス感染症対策分科会」がある。根拠法と構成員はリンク先から見られる。今回の方針を一変させた「分科会」は「基本的対処方針分科会」である。前回も北海道には緊急事態宣言を出すべきだという意見が出されていたが、その時は意見が通らなかった。

 こういう状況になったら「まん延防止」、こういう数値になったら「緊急事態」といった明確な基準がなく、その都度その都度自治体の長と話を詰めつつ政治的に決まる感じ。大阪は2回目の緊急事態宣言を東京に先駆けて途中で解除した。その時点ですでに英国型変異株が見られたのだが。東京も感染者数は少しずつ増加傾向に合ったときに2回目の緊急事態を解除した。そして、やはり増えてしまって再び緊急事態宣言である。そもそも2回目の時には、菅首相は「ウイルスのことがかなり判ってきた」として飲食への対策に止めた。その時は大規模施設は閉まらなかったのに、3回目ではデパートや大規模施設が閉まった。どこに境目があるのか、判らない。
(5月14日の菅首相会見)
 その都度、菅首相が記者会見するが、一向に判った感じにならない。特に今回は北海道や岡山・広島の話なので、もう僕は見なかった。東京の延長の時は少し見たけど、まあ同じだなと思って途中で止めた。そもそも「11日まで」が短いので、延長するといっても誰も緊張感がない。でも12日から出来るかもと思って、店を開ける準備をした人も多かったという。そして、12日から野球も相撲もテレビを見れば一目瞭然、観客がいるのだから、実質の気分としては半分ぐらいもう解除された感じである。何度も何度も「勝負の2週間」「我慢の年末年始」みたいな言われ方をされて、正式な緊急事態になっても慣れてしまった感じか。

 この事態を変えるとしたら、記者会見を繰り返している首相が正直に語るしかない。ところが、質問には同じ答えを繰り返すだけだ。もともと11日まででは短かったと問われても、連休の人流は減ったとか答える。まあ安倍内閣の官房長官として「何も答えない」ことを得意技にして「実力者」と見られるようになった。「誠実に答える」ことではなく、「無愛想で質問には答えない」ことで党内で評価されたのである。しかし、それがリーダーシップとして評価されるのは、日本ぐらいだろう。去年以来何度も「コロナ」を書いたけど、本当はもう書きたくない。「賞味期限」が短すぎるから。自分でも去年何を書いたか読み返さないし、今になっては古い情報が多い。今回書いたこともすぐに意味がなくなるのだが、やはり書く必要もあるかと思って記録することにした。
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3度目の「緊急事態」、「東京に来ないで」を考える

2021年04月24日 23時05分38秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 2021年4月25日から5月11日にかけて、東京都大阪府京都府兵庫県に3回目の「緊急事態宣言」が出された。2回目の宣言解除時に、菅首相は「3度目の宣言を出さないようにすることが私の責務」と語っていたということだが…。東京で2回目の緊急事態が終わったのは、わずか一ヶ月前。3月21日のことだった。そして4月9日に「まん延防止重点措置」が出た。春休みと年度末期間だけ、全く何もなかった不思議。それは政治の間違いというべきではないのか。

 今回は大阪は感染者が多く、医療崩壊状態ともいうから緊急事態宣言は必要だろう。しかし、東京は現時点ではほとんどの数値が、緊急事態宣言が必要とされる「ステージ4」に達していない。「変異株」が増加していて、何もしないと連休明けに2千人にもなるという想定もあるようだ。しかし、いつも後手後手だった政府が何故今回だけ東京で「先手」策を取るのか

 そのため土曜の24日はデパートや大型映画館も開いていて、25日の日曜から閉めるという。みんなそれを判っているから、土曜の24日に出掛けている。会社や学校は大体土日が休みだから、金曜の夜に決まっても何の方針も決まってないまま月曜の始業を迎えることになる。2度目の宣言時には東京は2千人を超えた日があった。それでも「飲食に特化した対策」だったのに、それよりはるかに感染者が少ない今回になんでデパートも閉鎖、プロ野球も無観客となるのか。

 理解しがたい不審点がいくつもあるが、ここでは特に小池都知事の「東京に来ないで」発言を取り上げて考えたい。小池都知事は今まで何回か同じような発言をしている。最初は15日だったようだが、「通勤を含め、(医療従事者などの)エッセンシャルワーカー以外の方は可能な限り東京へ来ないでいただきたい」と述べた。都民に対しても「都県境を越える外出自粛」を要請してきた。ただ、感染者の増加に歯止めがかからないために都外からの通勤客などに幅広く移動自粛を呼び掛けることにしたという。
(小池都知事の発言を報じるテレビ)
 「エッセンシャルワーカー」って何だろうと話題になったが、逆に言えば「重要じゃない仕事」はあるんだろうか。勤めている人は会社やお店などが求める限り出勤せざるを得ない。そこで給料を貰っているんだから、その人に取っては掛け替えのない仕事だ。通勤しなくても給料をくれるんならいいけど、そうじゃなければ行かざるを得ない。それを言うなら会社に言ってくれという話だろう。通勤者に求められても困る。大企業の本社などは東京にこそ集中してるんだから、都知事が要望するのは大企業の方だ。

 それともう一つ大事な点は、東京という都市の構造を判ってないという点だ。都県境を越える移動がダメだというなら、23区と多摩地区の移動もダメだと言わないとおかしい。たまたま親の家が大きければ別だが、東京以外から来たり、あるいは結婚等で独立した場合、どこかに家を買うか借りるかしなければならない。東京の中心は中央官庁や大企業本社が集中する千代田区や都庁がある新宿区などである。そこから1時間位内で通えるところを探してみる。

 たまたま23区内や多磨地区に見つかるかもしれないが、たまたま神奈川県埼玉県千葉県などで見つかる場合もある。持ち家もマンションも都県境に関係なくズラッと続いている。近隣県だけでなく、茨城県や栃木県、静岡県から通勤している人も今までにいた。僕も千葉県に住んで東京に通っていた時期があるが、東京に来るなと言われても困ってしまっただろう。今も一駅行けば埼玉県というところに住んでいる。時々寝過ごして都県境を越えるけど、同じように住宅が並んでいて見ただけではどこだか見当が付かない。

 町の規模や機能を考えると、多摩地区の立川と神奈川県の相模原、埼玉県の大宮、千葉県の船橋などは同じような感じがする。東京中心部に通勤する人がたくさん住んでいて、デパートなども集中している。下の写真を見れば判るけれど、駅前の様子も何となく似ている。しかし、25日からは立川のデパートや映画館は閉まるけれど、他のところは営業している。「東京に来ないで」と言ってる間に、どんどん東京から近県繁華街に出かけるんじゃないだろうか。
  (順番に、立川、大宮、柏の駅前風景)
 東京は山手線に沿って主要な繁華街が並んでいて、そこからJRや各私鉄が放射状に伸びている。昨年夏には旅行に行けないなら、東京でも奥多摩の方には素晴らしい自然があるとテレビで紹介していた。それを見て思ったけど、何で東京の東に住んでいる自分が3,4時間もかけて奥多摩まで行かなくちゃ行けないのか。奥多摩に行ったこともあるし、いいところなのは知っている。でも東武線特急を使えば日光に2時間以内で着くのである。小田急線沿線なら箱根へ行った方が早くて安全。中央線沿線の人なら奥多摩が近いけど、他地区の人には不便なだけである。

 テレビ東京の「アド街ック天国」でちょっと前に東村山を取り上げていた。プロ野球では隣の所沢市が本拠の西武ライオンズのファンが圧倒的に多いと言っていた。そりゃ、そうだろう。都県境を越えるなと、東村山市民も東京ドームでジャイアンツ、または神宮球場でスワローズの応援をすべきなのか。もちろん、そういうファンもいるだろう。でも「感染リスク」から考えた場合、都心に出かけるのではなく西武ドーム(メットライフドーム)に行く方がずっと安心だろう。

 例えば西武新宿線沿線で住む人にとって、東村山駅と所沢駅で大きな違いがあるとも思えない。僕はそれぞれの通勤、通学路線を中心に、出来るだけ「沿線で過ごして」と言えばいいのではないかと思う。東京に出たい場合は新宿や池袋、自然に触れたいなら秩父や奥武蔵に行ってもいいんじゃないか。東武線沿線だったら、一日ぐらい子どもを東武動物公園に連れて行くぐらいはいいんじゃないだろうか。自分の家から車や電車で行きやすい動線の中で過ごすようにするという呼びかけの方が合理的で、東京の都市構造に合っていると思う。
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「第4波」と「ワクチン敗戦」、効果が薄い「まん延防止重点措置」

2021年04月19日 22時46分53秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルス問題をしばらく書いてない。そうなるだろう方向にただ一日一日動くだけで、書く意味を見出せなくなっている。映画館などには行っているが、この間の経験でただ行くだけならほとんど問題はないことが判っている。外食はほとんどしないが、それは何もコロナが怖いからではなく、若い頃のように食べないのである。

 この間、来ると言われていた「第4波」が現実のものとなってきた。特に大阪では過去最高の感染者数を毎日のように更新している。グラフを見れば一目瞭然だが、対応は過去最高になっていない。ちょっと今までの対応を振りかえっておきたい。2度目の緊急事態宣言1月7日に首都圏4都県に出された。その後14日に近畿3府県、東海2県、福岡、栃木にも緊急事態宣言が拡大された。2月8日にさらに1ヶ月延長された。(栃木県は延長せず解除。)
(大阪府の感染者数)
 しかし、首都圏を除く6府県に関しては2月28日に期限を待たずに解除された。首都圏4都県はさらに延長されたが、3月21日をもって解除された。菅首相は記者会見で、「1都3県の感染者数は、1月7日の4,277人から、昨日の725人まで、8割以上減少しています。東京では、2,520人から、本日は323人となり、解除の目安としていた1日当たり500人を40日連続で下回っております」と述べて解除を正当化していた。
(東京の感染者数)
 しかし、東京は4月7日以来、日月を除き500人を超えてしまっている。大阪に至っては最近はずっと1000人を超えていて、人口からして東京の比ではない爆発的感染になっている。すでに「医療崩壊」しているとの声も聞かれる。大阪府では政府に再度の緊急事態宣言を出すと述べている。この間、4月5日から大阪、兵庫、宮城に「まん延防止等重点措置」が発令されている。12日から東京、京都、沖縄に、20日から埼玉、千葉、神奈川、愛知に追加された。

 「まん延防止等重点措置」というのは、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にある措置で、法律の中で「蔓延」ではなく「まん延」と書かれている。これは一体何だろうかということは今は書かないけれど、大方の人はあまり意味が無いのではないかと思っている。「緊急事態宣言」がある間は、それが「錦の御旗」になっていた。一転して「解除」されたとなると、今度は多くのことがなし崩し的に解禁されてしまった。

 東京では解除時点ですでに感染者数が増加傾向にあった。しかし、解除されたら途端に近くの中学校では部活動が始まり、映画館でも上映時間が繰り下げられた。「まん延防止」が発令されても、何も変わっていない。むしろ「まん延防止」が始まった日から、大手映画館では11時頃まで上映している。解除された時期が、桜が満開になり、年度末の異動、卒業進学の時期と重なる。それは誰でも判っていることなのに、何で昨年と同じように政府は「間違ったメッセージ」を出すのだろうか。「聖火リレー」が始まるときに、「緊急事態」ではまずいということなのか。

 「緊急事態」が解除されると、何もなくなってしまう。本来はそこで「まん延防止」に移り、さらに減れば「まん延防止」が解除になるということでなくてはおかしい。なんでこうダラダラ発令したり、解除したりを繰り返すのか。そのことに政府は何も説明せず、責任を負う人もいない。今回の再度の感染者増加は政治の責任ではないのか。さらにワクチン接種が全く進まない問題がある。ワクチンが来ないということもあるが、仮にワクチンが届いていたとしても人員もそろわず接種が進まなかったに違いない。それはもう確実だ。
(当初のワクチン接種計画)
 4月12日から、高齢者へのワクチン接種が始まった。ということになっている。しかし、それはほんのわずかの例外中の例外の場合で、多くの市区町村では何の連絡も来ていないだろう。そもそも高齢者接種が始まったことが、それに先立つ医療従事者への接種が終わったことを意味しない。12日段階で、2回接種が終わった医療従事者は12%、1回目の接種が終わった人は24%だという。首相が言ってしまったから、12日に一部で高齢者接種を始めたんだろう。だが日本はまだ高齢者への接種に進める段階ではなかったのだ。

 説明もないまま再度の緊急事態宣言が近づいている。国会では野党が何回も「第4波なら総辞職では済まない」と追求していた。僕は常識で判断すれば、こうなることは予想できたと思っている。何もしなくても支持率が下がらない(むしろ上がっている)国では、政府が緊張感を持たずにいられる。国会議員や中央省庁にも年度末に会食する人がいたのも当然だろう。
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イスラエルのワクチン接種とドイツのビオンティック社

2021年02月12日 23時12分10秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 諸外国では昨年のうちに新型コロナウイルスへのワクチン接種が始まったという報道が聞かれた。しかし、日本ではどうなっているんだろうか。河野太郎が突然「新型コロナウイルス感染症ワクチン接種推進担当大臣」なんて任命を受けたが、調べてみるとそれは1月18日のことだった。そしてようやく、2月12日になってファイザー社(推定)のワクチンがベルギーから到着した。もっとも日本ではまだ厚労省の正式承認が下りていないから、明日から打てるということはない。(異例に早く14日に承認され、すぐにも医療関係者の接種が始まるらしい。)
(ワクチンが到着)
 日本政府はワクチン製造会社と国民全員分の契約を済ませているということだが、アメリカやEUも「ワクチン囲い込み」を強めている。自国の分を後回しにしてまで他国に輸送するのは難しいだろう。世界ではイスラエルでワクチン接種が進んでいる。すでに国民の4割ほどが2回の接種を行ったという。これはネタニヤフ首相がファイザー社と契約し、接種時のデータを提供する代わりに早めにワクチンの提供を受けたらしい。

 イスラエルでは直近2年間で4度目の総選挙が予定されている。収賄で訴追されている首相と人口は約880万人ほどの国でデータが得られるファイザー社の思惑が一致したのだろう。しかし、パレスチナの占領地域では接種が遅れているのと話もある。データとしては「2回目の接種から7、8日後のワクチンの有効性は、現在のところ93%と推定される」という。ネタニヤフ首相は「過去30日間に国内で死亡した感染者は1536人で、このうち97%以上がワクチン未接種で、接種済みの人は3%より少なかった」とも発表している。接種していても死亡する例がある。

 そのイスラエルでワクチンを打った日本人がいる。共同通信の特派員の体験記が2月6日付東京新聞に掲載されている。事前に「震えや肩の痛みがあるかもしれません。肩の痛みは3日ほど続くでしょうが、さらに続けば連絡して」と言われた。接種後に10分ほどアレルギー反応確認のため待機したが、全部で15分程度で済んだという。しかし、夜になって左肩の痛みが増し、激しい頭痛や歯ががたがたするふるえに襲われた。翌日も肩の痛みや頭痛が続いたが、2日後に回復。2回目の接種の方が副反応が強いと話す人が多く不安が募るともいう。

 これをどう思うか。他のワクチンに比べて結構副反応が強いような気がする。許容範囲とも考えられるが、イスラエルでも若い世代は感染リスクが少ないと考えるのか、接種が進まないとも言う。12月20日から接種が始まったイスラエルでも、最近は人数が減ってきているらしい。果たして日本でどのような副反応が出るのか。このような肩の痛みや頭痛がウェブ上でリアルタイムで拡散されると、恐ろしいと思う人が増えるかもしれない。もっとも副反応は少ないかもしれず、今のところなんとも言えない。

 ところで今回今までに比べて非常に早くワクチンが開発された。イスラエルの接種を報告した特派員によれば、そのワクチンには「ファイザー・ビオンティック・COVIDー19」と書かれていた。ファイザーはアメリカの大企業だが、次のビオンティックはドイツのベンチャー企業である。「多和田葉子のベルリン通信」(朝日新聞1月26日付)に出てくる。そこでは「バイオンテック」と表記されている。興味深いのはその会社を創設したのが、トルコ系移民夫妻だったということだ。2001年に最初の会社を作り、2008年に小都市マインツにバイオンテック社を作った。トルコ系の医学生夫婦が会社を作って研究を積み上げてきた。それが可能なドイツの社会はやはり素晴らしい。
(mワクチンの仕組み)
 今回のワクチン開発が早く進んだのは、従来の病原体のウイルスを弱毒化して使うワクチンと違うからだ。それは「メッセンジャーRNA」を体内に送り込んで体内でウイルスのタンパク質を作らせるという方式である。僕がこれ以上書いても混乱させるだけなので、詳しく知りたい人は自分で調べて欲しい。ここ数十年の生命科学の発展がワクチン開発に生かされている。ところで中国もロシアもワクチン開発を行っているのに、何で日本製ワクチンがないのだろうか。いや、日本の会社も開発を進めているのだが結局遅れを取っているらしい。ドイツの例で判るように、若い人が起業してワクチンを開発するということは不可能ではない。それも凄いことだ。
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