2021年9月29日に自由民主党総裁選挙が行われ、岸田文雄氏が新総裁に選出された。この結果は誰もが予想したところだが、4候補の中で第一回投票では河野太郎行革担当相が1位だろうと予想されていた。概ねのマスコミ報道では当日でも大体そう予想していた。ところがたった一票だけだが、第一回から岸田氏が1位だったとは。議員投票だけを見れば、2位に高市早苗氏が入って驚かせた。4位の野田聖子氏も「議員票34票」(地方票と合せて63票)と予想以上に健闘した。これは「河野太郎が議員票3位だったので負けた」のではない。「河野太郎の敗北が確定したので、議員票が逃げた」と読むべきだろう。
(総裁選各候補の得票状況)
もっとも細かく見てみると、第2回投票で河野の議員票は131票で、1回目から45票増えている。岸田票は1回目から103票増えて、249票である。1回目議員票は、高市114票、野田34票だった。つまり、岸田・高市で「2・3位連合」が出来たと伝えられたが、野田票がすべて河野に回ったと想定しても、11票の高市票は岸田に行かなかった。野田票が全部河野とは考えにくいので、現実には1回目高市、2回目河野はもう少し多かっただろう。もしかすると、1回目投票で岸田ではなく高市を2位にしようと、あえて高市に入れた河野票が実在したのかもしれない。まさかそのために河野票が1回目から2位になるとは考えなかったということになる。
今回の岸田勝利は僕は(自民党内の論理として)「順当」なものだと思う。「党役員任期」という問題を出して、菅首相を支える二階幹事長を事実上交代に追い込んだ。後を引き受ける人がいなくて追い詰められた菅首相は辞任に追い込まれた。菅体制に「一番槍」を付けたのだから、党内で評価が高まるのも当然だろう。岸田氏は安倍政権で外相、政調会長を歴任したが、菅政権では無役だった。だから菅政権でのコロナ対策に責任を負わない。(与党の一員なんだから、完全に責任なしとは言えないが。)対立候補の河野氏は菅政権で「ワクチン接種担当」をやらされた。菅首相の「説明力不足」が最大問題の時に河野氏が後継では無理がある。
(当選直後の岸田総裁)
10月4日に臨時国会が開かれて、岸田文雄首相が誕生する。100代目と言われるけれど、これは旧憲法どころか、それ以前の内閣制度発足から数えた場合である。日本国憲法の規定に従って、国会で総理大臣の指名を受けた回数で数えるなら、今回が55代目となる。(人数では33人目。)こっちの数で考えるべきだと思う。その前に党役員人事が動き出している。それを見ると岸田政権の実際が見えてくる。岸田氏は「聞く力」を掲げるけれど、国民の声を聞く前に「党内の声」を聞く力を発揮しているようだ。
特に幹事長に甘利明氏と伝えられている。甘利氏は安倍政権で第一次から第三次まですべて閣僚を務めた人物である。第一次(2006年)には経産相、第二次、第三次(2012~2016)では経済財政担当、TPP担当などを務めていた。ところが2016年1月にUR(都市再生機構)へのあっせん口利き疑惑が週刊文春に報道された。薩摩興行という会社の社長と大臣室で会っていたのは認めていて、政治資金としての報告がない500万円があったのも間違いない。大臣は辞任し、調査して報告すると言ったまま、「睡眠障害」を理由にして国会を欠席し続けた。告発されたが結果的に不起訴になっているものの、未だに約束した調査報告を行っていない。
幹事長は公職ではないと言うものの、与党の最高幹部である。甘利氏のような人物が就任して良いとは思えない。少なくともまず「調査報告」を先に行うべきだろう。それは組織運動本部長に内定した小渕優子氏にも言えることだ。党三役に高市早苗政調会長、福田達夫総務会長という人事案も報道されている。福田達夫氏は「若手代表」なんだろうけれど、若手がなる役ではない総務会長では力をふるえるのだろうか。(福田達夫は福田家三代目だが、政治的資質は小泉進次郎より上だという声が高い自民党有望株には違いない。)また河野太郎広報本部長と言われている。これは左遷だが総選挙を控えて野放しには出来ないのだろう。
逆に力を落としたのは、菅義偉、二階俊博、石破茂の三者である。菅首相は安倍、麻生を裏で足を引っ張ったと思っていて、総裁選では河野太郎を支持した。同じ神奈川選出で、コロナ対策の継続性などと言うが、要するに「反岸田」である。その結果大敗して、もはや党内に影響力を失ったと言っていい。中国の胡錦濤前主席みたいな感じか。石破茂は今回立候補せず、河野当選に賭けて敗北した。2008、2012、2018、2020と4回総裁選に立候補したが念願は果たせなかった。派閥のメンバーもどんどん抜けて、もう派閥の体をなしていない。派閥で推薦人を出せないので、総裁候補としては終わった。
(二階俊博氏)
二階俊博の政治人生はアップダウンが激しく、それはそれで面白い政治家人生だったと思う。小沢一郎側近として自民党を離党、新生党、新進党、自由党と同行したが、自由党が自民と連立した後、2000年に連立を離脱する時に小沢と別れて「保守党」を結成して連立に残った。扇千景、小池百合子、野田毅、加藤六月などが同じグループだった。2003年選挙で惨敗し自民党に復党。小泉郵政民営化路線に総務会長として協力して勢力を伸ばした。
二階派というのは、志帥会(しすいかい)である。もともと中曽根派で、渡辺美智雄に引き継がれた。山崎拓一派が独立して離脱したので、安倍晋太郎派を離脱していた亀井静香グループと合同して1999年に結成された。その時は参院議員だった村上正邦と亀井で「村上・亀井派」、その後村上が江藤隆美に代わって「江藤・亀井派」、江藤が引退して「亀井派」になったものの、郵政民営化に反対した亀井は離党して伊吹文明が会長になって「伊吹派」。2012年に伊吹が衆院議長になると、派内では傍流の二階が会長となった。亀井離党後は派内に総裁候補を持たない集団になっているが、「キングメーカー」二階の拡大路線で人数だけは膨れ上がっている。しかし、今後は離脱、分裂もあり得るのではないか。
(総裁選各候補の得票状況)
もっとも細かく見てみると、第2回投票で河野の議員票は131票で、1回目から45票増えている。岸田票は1回目から103票増えて、249票である。1回目議員票は、高市114票、野田34票だった。つまり、岸田・高市で「2・3位連合」が出来たと伝えられたが、野田票がすべて河野に回ったと想定しても、11票の高市票は岸田に行かなかった。野田票が全部河野とは考えにくいので、現実には1回目高市、2回目河野はもう少し多かっただろう。もしかすると、1回目投票で岸田ではなく高市を2位にしようと、あえて高市に入れた河野票が実在したのかもしれない。まさかそのために河野票が1回目から2位になるとは考えなかったということになる。
今回の岸田勝利は僕は(自民党内の論理として)「順当」なものだと思う。「党役員任期」という問題を出して、菅首相を支える二階幹事長を事実上交代に追い込んだ。後を引き受ける人がいなくて追い詰められた菅首相は辞任に追い込まれた。菅体制に「一番槍」を付けたのだから、党内で評価が高まるのも当然だろう。岸田氏は安倍政権で外相、政調会長を歴任したが、菅政権では無役だった。だから菅政権でのコロナ対策に責任を負わない。(与党の一員なんだから、完全に責任なしとは言えないが。)対立候補の河野氏は菅政権で「ワクチン接種担当」をやらされた。菅首相の「説明力不足」が最大問題の時に河野氏が後継では無理がある。
(当選直後の岸田総裁)
10月4日に臨時国会が開かれて、岸田文雄首相が誕生する。100代目と言われるけれど、これは旧憲法どころか、それ以前の内閣制度発足から数えた場合である。日本国憲法の規定に従って、国会で総理大臣の指名を受けた回数で数えるなら、今回が55代目となる。(人数では33人目。)こっちの数で考えるべきだと思う。その前に党役員人事が動き出している。それを見ると岸田政権の実際が見えてくる。岸田氏は「聞く力」を掲げるけれど、国民の声を聞く前に「党内の声」を聞く力を発揮しているようだ。
特に幹事長に甘利明氏と伝えられている。甘利氏は安倍政権で第一次から第三次まですべて閣僚を務めた人物である。第一次(2006年)には経産相、第二次、第三次(2012~2016)では経済財政担当、TPP担当などを務めていた。ところが2016年1月にUR(都市再生機構)へのあっせん口利き疑惑が週刊文春に報道された。薩摩興行という会社の社長と大臣室で会っていたのは認めていて、政治資金としての報告がない500万円があったのも間違いない。大臣は辞任し、調査して報告すると言ったまま、「睡眠障害」を理由にして国会を欠席し続けた。告発されたが結果的に不起訴になっているものの、未だに約束した調査報告を行っていない。
幹事長は公職ではないと言うものの、与党の最高幹部である。甘利氏のような人物が就任して良いとは思えない。少なくともまず「調査報告」を先に行うべきだろう。それは組織運動本部長に内定した小渕優子氏にも言えることだ。党三役に高市早苗政調会長、福田達夫総務会長という人事案も報道されている。福田達夫氏は「若手代表」なんだろうけれど、若手がなる役ではない総務会長では力をふるえるのだろうか。(福田達夫は福田家三代目だが、政治的資質は小泉進次郎より上だという声が高い自民党有望株には違いない。)また河野太郎広報本部長と言われている。これは左遷だが総選挙を控えて野放しには出来ないのだろう。
逆に力を落としたのは、菅義偉、二階俊博、石破茂の三者である。菅首相は安倍、麻生を裏で足を引っ張ったと思っていて、総裁選では河野太郎を支持した。同じ神奈川選出で、コロナ対策の継続性などと言うが、要するに「反岸田」である。その結果大敗して、もはや党内に影響力を失ったと言っていい。中国の胡錦濤前主席みたいな感じか。石破茂は今回立候補せず、河野当選に賭けて敗北した。2008、2012、2018、2020と4回総裁選に立候補したが念願は果たせなかった。派閥のメンバーもどんどん抜けて、もう派閥の体をなしていない。派閥で推薦人を出せないので、総裁候補としては終わった。
(二階俊博氏)
二階俊博の政治人生はアップダウンが激しく、それはそれで面白い政治家人生だったと思う。小沢一郎側近として自民党を離党、新生党、新進党、自由党と同行したが、自由党が自民と連立した後、2000年に連立を離脱する時に小沢と別れて「保守党」を結成して連立に残った。扇千景、小池百合子、野田毅、加藤六月などが同じグループだった。2003年選挙で惨敗し自民党に復党。小泉郵政民営化路線に総務会長として協力して勢力を伸ばした。
二階派というのは、志帥会(しすいかい)である。もともと中曽根派で、渡辺美智雄に引き継がれた。山崎拓一派が独立して離脱したので、安倍晋太郎派を離脱していた亀井静香グループと合同して1999年に結成された。その時は参院議員だった村上正邦と亀井で「村上・亀井派」、その後村上が江藤隆美に代わって「江藤・亀井派」、江藤が引退して「亀井派」になったものの、郵政民営化に反対した亀井は離党して伊吹文明が会長になって「伊吹派」。2012年に伊吹が衆院議長になると、派内では傍流の二階が会長となった。亀井離党後は派内に総裁候補を持たない集団になっているが、「キングメーカー」二階の拡大路線で人数だけは膨れ上がっている。しかし、今後は離脱、分裂もあり得るのではないか。