2024年6月の訃報特集。今回は内外合わせて、俳優など芸能界の訃報を取り上げる。外国の訃報は少なかったので、今回にまとめる。まず女優の久我美子。6月9日に誤嚥性肺炎で死去、93歳。読み方は「くが・よしこ」だが、本名は同字ながら「こが・はるこ」である。侯爵の久我(こが)家当主の長女として生まれた。村上源氏の系統で、五摂家に次ぐ清華家筆頭の家柄である。戦前ならとても映画女優になれなかったに違いない。経済的困窮もあったらしいが、1946年に東宝ニューフェースに応募して合格。
最近黒澤明監督の『酔いどれ天使』(1948)を見直したが、久我美子はまさに年齢と同じ17歳の女子高生を清楚に演じていた。結核患者だが明日を信じて医師の指示に従っている。「掃きだめ」のようなスラム街を舞台にした映画だが、久我美子が出て来るシーンだけ清らかな風が吹きすぎる感じ。76年も前の映画に出ていた人が今まで生きていたのは不思議な感じだが、女優にはそういうことがあるのだ。そして1950年に今井正監督『また逢う日まで』に出演した。出征する恋人岡田英次とガラス窓越しに接吻する切ないシーンは、戦争の悲劇を象徴する場面として未だに語り継がれる。
(『また逢う日まで』)
代表作は木下恵介監督の『女の園』(1954)だと思う。京都女子大の学生運動をモデルにして、闘争に積極的な学生を演じた。京都府学連委員長として運動を支援していた大島渚に大きな影響を与えた映画。共演した岸恵子に有馬稲子を加えて女優による初のプロダクション「にんじんくらぶ」を設立した。50年代の小津、溝口、木下など巨匠作品の名作に数多く出演している。またベストセラー『挽歌』の初映像化(1957)では主演した。大島渚『青春残酷物語』の主人公の姉は「前の世代の過ち」を演じた。その後も映画やテレビで活躍したが、やはり50年代が一番だろう。1961年に俳優の平田昭彦と結婚。
フランスの女優、アヌーク・エーメ(Anouk Aimée)が6月18日に死去、92歳。久我美子とほぼ同世代で、巨匠作品に出たことも似ている。50年代から60年代にかけて世界的に活躍した。特にクロード・ルルーシュ監督のカンヌ映画祭最高賞『男と女』の主演で知られる。僕はこの映画を見て、世界にはこんな美しい人がいるのかと思った記憶がある。『モンパルナスの夜』(1958)のモディリアーニの妻役で有名になり、フェリーニ『甘い生活』(1959)、『8 1/2』(1963)やジャック・ドゥミ『ローラ』(1961)などで、忘れがたい役柄を演じた。ルルーシュ監督が2019年に作った続編『男と女 人生最良の日々』でも主演した。
(アヌーク・エーメ)(『甘い生活』)(『男と女』)
カナダ出身の俳優ドナルド・サザーランドが6月20日に死去、88歳。60年代にアメリカ映画で活躍するようになり、ロバート・アルトマン監督の反軍映画『M★A★S★H マッシュ』(1970)で主演して世界に知られた。僕もこの映画で名前を知った思い出がある。その後も世界的に活躍し、フェリーニ監督『カサノバ』やベルトルッチ監督『1900』などヨーロッパ映画でも活躍した。アカデミー賞作品賞の『普通の人々』でも主演しているが、演技賞には縁が薄く一度もアカデミー賞にノミネートされなかった。晩年になっても『ハンガー・ゲーム』シリーズなどに出演している。
(ドナルド・サザーランド)
上方落語の桂ざこば(2代目)が6月12日に死去、76歳。1963年に桂米朝に入門し、桂朝丸を名乗った。88年に桂ざこばを襲名した。70年代には一時東京のテレビにも出ていたが、その後大阪で活動するようになった。上方落語なので僕は一度も聴いていない。米朝没後(2015年)は米朝事務所専務として一門を支えた。芸術選奨文部科学大臣賞(2017年)など受賞多数。
(桂ざこば)
沖縄アクターズスタジオ創設者のマキノ正幸が6月28日に死去、83歳。マキノ雅弘監督と女優轟由起子の間に生まれた。芸能界周辺で仕事をしていたが、72年頃に沖縄に移住し83年にスタジオを開設した。ここから安室奈美恵やSPEEDなどが出て来たわけで、非常に重要な意味があった。しかし、21世紀になって経営が傾くなどいろいろと困難があったようである。そういう学校があったことは知っていたが、マキノ家が関わっていたとは今回初めて知った。
(マキノ正幸)
メジャーリーグで史上最高の万能選手と言われたウィリー・メイズが6月18日に死去、93歳。黒人リーグから出発し、1951年にニューヨーク・ジャイアンツ(58年にサンフランシスコに移転)に入団した。54年には打率3割4分5厘、41本塁打、110打点で、MVPを獲得した。通算成績は3293安打、660本塁打、1903打点、打率3割2厘、339盗塁を記録している。ホームラン王4回、盗塁王4回など走攻守に秀でた成績を残した。大リーグ史上唯一の「3000本安打、300ホームラン、打率3割、300盗塁」を達成した選手である。「コンプリート・プレーヤー」と呼ばれた。
(ウィリー・メイズ)
・元NHKのディレクター、映画監督の佐々木昭一郎が18日死去、88歳。芸術選奨新人賞の『さすらい』(1971)、つげ義春原作でエミー賞優秀作品賞の『紅い花』(1976)、ギャラクシー賞、エミー賞優秀作品賞の『四季・ユートピアノ』(1980)、「川3部作」(『川の流れはバイオリンの音』(81)、 『アンダルシアの虹 川』(83)、芸術選奨文部大臣賞の『春・音の光 川(リバー)』(84))など多くの作品がある。2014年には映画『ミンヨン 倍音の法則』が公開された。「映像の詩人」と呼ばれた。
・山田昌(やまだ・まさ)、16日死去、94歳。名古屋弁で活躍した俳優で、「おしん」「真田丸」などのテレビにも出演した。
最近黒澤明監督の『酔いどれ天使』(1948)を見直したが、久我美子はまさに年齢と同じ17歳の女子高生を清楚に演じていた。結核患者だが明日を信じて医師の指示に従っている。「掃きだめ」のようなスラム街を舞台にした映画だが、久我美子が出て来るシーンだけ清らかな風が吹きすぎる感じ。76年も前の映画に出ていた人が今まで生きていたのは不思議な感じだが、女優にはそういうことがあるのだ。そして1950年に今井正監督『また逢う日まで』に出演した。出征する恋人岡田英次とガラス窓越しに接吻する切ないシーンは、戦争の悲劇を象徴する場面として未だに語り継がれる。
(『また逢う日まで』)
代表作は木下恵介監督の『女の園』(1954)だと思う。京都女子大の学生運動をモデルにして、闘争に積極的な学生を演じた。京都府学連委員長として運動を支援していた大島渚に大きな影響を与えた映画。共演した岸恵子に有馬稲子を加えて女優による初のプロダクション「にんじんくらぶ」を設立した。50年代の小津、溝口、木下など巨匠作品の名作に数多く出演している。またベストセラー『挽歌』の初映像化(1957)では主演した。大島渚『青春残酷物語』の主人公の姉は「前の世代の過ち」を演じた。その後も映画やテレビで活躍したが、やはり50年代が一番だろう。1961年に俳優の平田昭彦と結婚。
フランスの女優、アヌーク・エーメ(Anouk Aimée)が6月18日に死去、92歳。久我美子とほぼ同世代で、巨匠作品に出たことも似ている。50年代から60年代にかけて世界的に活躍した。特にクロード・ルルーシュ監督のカンヌ映画祭最高賞『男と女』の主演で知られる。僕はこの映画を見て、世界にはこんな美しい人がいるのかと思った記憶がある。『モンパルナスの夜』(1958)のモディリアーニの妻役で有名になり、フェリーニ『甘い生活』(1959)、『8 1/2』(1963)やジャック・ドゥミ『ローラ』(1961)などで、忘れがたい役柄を演じた。ルルーシュ監督が2019年に作った続編『男と女 人生最良の日々』でも主演した。
(アヌーク・エーメ)(『甘い生活』)(『男と女』)
カナダ出身の俳優ドナルド・サザーランドが6月20日に死去、88歳。60年代にアメリカ映画で活躍するようになり、ロバート・アルトマン監督の反軍映画『M★A★S★H マッシュ』(1970)で主演して世界に知られた。僕もこの映画で名前を知った思い出がある。その後も世界的に活躍し、フェリーニ監督『カサノバ』やベルトルッチ監督『1900』などヨーロッパ映画でも活躍した。アカデミー賞作品賞の『普通の人々』でも主演しているが、演技賞には縁が薄く一度もアカデミー賞にノミネートされなかった。晩年になっても『ハンガー・ゲーム』シリーズなどに出演している。
(ドナルド・サザーランド)
上方落語の桂ざこば(2代目)が6月12日に死去、76歳。1963年に桂米朝に入門し、桂朝丸を名乗った。88年に桂ざこばを襲名した。70年代には一時東京のテレビにも出ていたが、その後大阪で活動するようになった。上方落語なので僕は一度も聴いていない。米朝没後(2015年)は米朝事務所専務として一門を支えた。芸術選奨文部科学大臣賞(2017年)など受賞多数。
(桂ざこば)
沖縄アクターズスタジオ創設者のマキノ正幸が6月28日に死去、83歳。マキノ雅弘監督と女優轟由起子の間に生まれた。芸能界周辺で仕事をしていたが、72年頃に沖縄に移住し83年にスタジオを開設した。ここから安室奈美恵やSPEEDなどが出て来たわけで、非常に重要な意味があった。しかし、21世紀になって経営が傾くなどいろいろと困難があったようである。そういう学校があったことは知っていたが、マキノ家が関わっていたとは今回初めて知った。
(マキノ正幸)
メジャーリーグで史上最高の万能選手と言われたウィリー・メイズが6月18日に死去、93歳。黒人リーグから出発し、1951年にニューヨーク・ジャイアンツ(58年にサンフランシスコに移転)に入団した。54年には打率3割4分5厘、41本塁打、110打点で、MVPを獲得した。通算成績は3293安打、660本塁打、1903打点、打率3割2厘、339盗塁を記録している。ホームラン王4回、盗塁王4回など走攻守に秀でた成績を残した。大リーグ史上唯一の「3000本安打、300ホームラン、打率3割、300盗塁」を達成した選手である。「コンプリート・プレーヤー」と呼ばれた。
(ウィリー・メイズ)
・元NHKのディレクター、映画監督の佐々木昭一郎が18日死去、88歳。芸術選奨新人賞の『さすらい』(1971)、つげ義春原作でエミー賞優秀作品賞の『紅い花』(1976)、ギャラクシー賞、エミー賞優秀作品賞の『四季・ユートピアノ』(1980)、「川3部作」(『川の流れはバイオリンの音』(81)、 『アンダルシアの虹 川』(83)、芸術選奨文部大臣賞の『春・音の光 川(リバー)』(84))など多くの作品がある。2014年には映画『ミンヨン 倍音の法則』が公開された。「映像の詩人」と呼ばれた。
・山田昌(やまだ・まさ)、16日死去、94歳。名古屋弁で活躍した俳優で、「おしん」「真田丸」などのテレビにも出演した。
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