尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

フランスとイスラエルー大規模デモの行方は?

2023年03月31日 22時47分57秒 |  〃  (国際問題)
 国際問題としては「台湾情勢」をめぐる問題を書かないといけないと思っているけど、書き出すと何回も掛かりそうである。そこで、その前にフランスイスラエルで起こっている大規模デモについて考えてみたい。フランスではマクロン大統領が1月に年金制度改革を発表して以来、国民の間に急速に反対運動が広がった。年金改革といっても、62歳支給開始を64歳支給開始に2年遅らせるというものである。日本は基本は65歳からだし、イギリスに至っては現在66歳からが数年後に67歳からになるという。ドイツもメルケル政権下で65歳から67歳支給に延長する予定だという。だからフランス大デモは近隣諸国には波及しない。

 マクロン大統領は国家財政の危機として一歩も引かない構えを見せている。フランス大統領は1期5年、2期までと憲法で規定されていて、2期目のマクロン大統領に3選はない。中国やロシアじゃないんだから、自分で憲法を変えて勝手に居座るわけにはいかない。だから支持率がいくら下がろうと気にしない。不人気政策を実現して支持率が下がっても、歴史の中で評価されれば良いという思いがあるんだろう。テレビに出て国民を説得しようとしているが、今のところ国民には受け入れられていないようだ。
(マクロン大統領)
 僕はフランスの年金財政については何も知らないけれど、近隣諸国の支給年齢を見ても「62歳支給」を維持するのは大変だろうなあと思う。でもマスコミ報道を見ていると、2年も長く働けというのかという怒りが国民に充満しているようだ。日本では「もっと働けるように定年を延ばせ」という議論になるが、フランスではいつまで働かせるのかとなる。国民性の違いを見る気がする。日本もそういう発想で生きていけば、もっと幸せな人生になるのかもしれない。

 ところで、フランス国民議会(577議席)でマクロン与党は250議席なので、過半数を持っていない。左派や右派(国民連合)はともかく、元は保守本流だった共和党グループから支持を得てようやく多数を得る状況になっている。ところが共和党の中からも慎重論が出て来たため、マクロン大統領は「議会の採決を見送り、大統領権限で成立させる」という強硬策に出た。そういうことが憲法上可能なのだという。ただ、野党側にも切り札があり、国会に内閣不信任案を出して可決されれば、そこで審議終了に出来るのである。しかし、野党の出した不信任案は278票と過半数まで9票と迫りながらも、辛くも否決されたのである。
(デモ隊に倒されたマクロン人形)
 3月16日に強行成立、20日に不信任案否決である。この強権的手法が国民の怒りに火を付けた。これまでもマクロン政権では強権的手法が目立ち、今回も国民の82%が批判しているという。各地で抗議デモやストが続き、パリではゴミ収集が止まってしまい、エッフェル塔やルーブル美術館も閉まったりしているという話。これはもしかしたら、日本の「60年安保」における「1960年5月19日」になるのだろうか。つまり、岸内閣の強行採決が安保条約の是非を越えて「民主主義の危機」ととらえられた日である。反対派はマクロン大統領のやり方に粘り強く運動を続けると言っている。果たしてどうなるのか、予断を許さない状況が続いている。

 イスラエルの状況はもっと深刻である。史上もっとも右派的なネタニヤフ政権は、司法改革を進めてきた。しかし、その内容は議会が最高裁判事の任命権に影響を強めるもので、簡単に言えば最高裁判決を議会多数派がひっくり返せる可能性がある。ネタニヤフ首相は汚職で公判が続いていて、政府職員の解任を裁判所が命じにくくする「改革」も入っていて、自分の身を守るためだとして国民の反発を呼んだ。労働組合の呼びかけたゼネストが続き、人口900万ほどの国で100万人を越える抗議活動が行われた。
(イスラエルの大デモ)
 日本ではあまり報じられていないが、イスラエルにとって一番の「同盟国」であるアメリカでは大きな問題になっている。バイデン大統領も慎重な審議を求めている。イスラエルでは兵士の間にも反対が広がり、予備役の召集などに影響が出てきたことから、ガラント国防相も反対を表明して首相から解任されてしまった。ただ極右政党の中には、最高裁がヨルダン川西岸地区への入植に違憲判決を出す可能性があるとして、司法改革を強硬に求めているという。極右の支持を得て僅差で首相に返り咲いただけに、ネタニヤフ首相も引きにくい。

 国内各界の反対を受け、首相も審議中断、採決先送りを決めた。しかし、これは一ヶ月間だけということで、このまま廃案になるかどうかは判らない。内閣不統一で政権崩壊したら、毎年やってる総選挙もありえなくはない。今回の大反対を受けて、イスラエル政治では久しく右派が強かった政治状況が変わるのかどうか。中東情勢は世界に大きな影響がある。これも注視していかないといけない。ネタニヤフ政権がやろうとしたことは、ちょっと無茶で取り下げない限り国民の大反対運動は続くと考えるべきだろう。
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女優奈良岡朋子の逝去を悼むー素晴らしかった『ドライビング・ミス・デイジー』

2023年03月30日 23時09分20秒 | 追悼
 劇団民藝の代表を務めていた女優の奈良岡朋子が3月23日に死去した。93歳。年齢が年齢だけに、そう遠くない時期に訃報を聞くことは避けられないと思っていた。最後の舞台になるかもしれないのだから、是非もう一回見たいと思っていた。そして、2020年の民藝のレパートリーに、奈良岡朋子の公演が入っていた。それは『想い出のチェーホフ』という作品である。これは絶対に見ようと思っていたのだが、コロナ禍で中止になってしまった。そうしてもう一度見ることが出来ないままになってしまった。

 奈良岡朋子は多くの舞台出演とともに、映画やテレビにもたくさん出ていた。だから、多分若い頃にテレビ番組で名前と顔を覚えたんだと思う。調べてみると、東芝日曜劇場に多く出演しているし、大河ドラマや連続テレビ小説にも出ていた。『おしん』のナレーションをやっていたのは、この人だった。映画では東京新聞に黒澤明監督の『どですかでん』、木下恵介監督の『父よ!母よ!』、山田洋次監督の『息子』の名が挙っている。全部見てるけど、奈良岡朋子が出ていたのは記憶にない。こういう巨匠作品だと、脇役的出演が多かった奈良岡朋子は記憶されないのである。

 舞台も幾つかは見ているが、正直言ってすぐには名前が浮かんでこない。自分でブログを検索してみたら、『カミサマの恋』『静かな落日』『「仕事クラブ」の女優たち』を見ていた。そうかと我ながら忘れているのに驚く。もちろん、それらも素晴らしかったと思うけれど、何より素晴らしかったのは『ドライビング・ミス・デイジー』だった。ここではその話を書いておきたい。
(『ドライビング・ミス・デイジー』)
 この芝居は二人しか出て来ない。奈良岡朋子仲代達矢である。奈良岡朋子は民藝だし、仲代達矢は俳優座。その後、自分で無名塾を開いたから、この日本を代表する二人の名優は舞台で共演したことがなかった。そこで是非共演を見たいという声があって、この企画が実現したということだった。2005年のことである。元はアメリカでピュリッツァー賞を受けた名作戯曲である。映画化され、1989年度のアカデミー賞作品賞を受け、主演のジェシカ・タンディも80歳でアカデミー賞主演女優賞を受けた。もう一人の運転手役はモーガン・フリーマンだった。

 1940年代から70年代にかけてのアメリカ南部の話である。人種差別が激しかった時代から、公民権運動の時代へ。激動の時代を、あるユダヤ系元教師の老女性とその運転手を務める黒人男性の二人に絞って描いていく。良く出来ている。もちろん映画は当時見て、まあ名作だなと思った。「まあ」というのは、要するにこういう展開になるだろうなという予測に沿って進行する構造が気になるのである。それを日本でやったって、筋書きは知ってるし、仲代達矢が黒人役なの? という感じで、僕は最初は見なくてもいいかなと思っていた。仕事は忙しいし、見たいものは多いんだから。

 上演されたら評判がとても良かった。東京でも時々何回か上演され、ついにこれが最後という公演が予告され、やっぱり見ておこうかなと思った。仲代達矢や奈良岡朋子もいつまで元気というわけじゃないだろうし。今まで何回も見ておきたい舞台を逃してきた。これは見ておこうかという感じである。僕は予定調和的な原作があまり好きではなかった。そんなに期待していなかったのである。だけど、素晴らしい舞台だった。時代と民族を越えて、まさに「ミス・デイジー」がそこにいた。良心的でありたいと思いつつ、人種の壁をなかなか越えられずに、次第に老いてゆく老女性。奈良岡朋子の「神技」を見た気がした。

 そして終わった後で、何とスタンディング・オベーションが起きた。コンサートならともかく、静かに見ている「新劇」系の演劇でスタンディング・オベーションが起きるのか。その後も一度も見たことがない。(去年、ミュージカルの『ラ・マンチャの男』で経験したけれど。)未だに思い出すと、素晴らしいものを見た重いが蘇る。他にも井伏鱒二の『黒い雨』の朗読を長く続けたこと。宇野重吉、滝沢修亡き後、大滝秀治とともに民藝を支えてきたこと。文学座の杉村春子を尊敬していたこと。書くべきことはいっぱいあるけど、それはもういいだろう。なお、劇団民藝のホームページを見ると、4月5日までの期間限定で「ある女優・奈良岡朋子」という映像を劇団民藝YouTubeチャンネルで公開していると告知されている。(https://youtu.be/DPERsCEFHmM)
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韓国映画『パーフェクト・ドライバー』と『オマージュ』

2023年03月29日 22時20分26秒 |  〃  (新作外国映画)
 韓国映画の新作を続けて見たので、その感想。一本目は『パーフェクト・ドライバー/成功確率100%の女』である。シネコンで見逃したが、柏のキネマ旬報シアターでやっていたので見に行った。『パラサイト』で一家四人の長女(美術の家庭教師)役をやっていたパク・ソダムが、超絶ドライバー役で主演している。女性が主人公の犯罪アクション映画は珍しい。

 もちろん裏社会でワケありの「荷物」を運ぶのである。そして敵と時間に追われる中、超絶的テクニックで運転していく。そのアクションが見どころ。カーアクション映画は多いけど、最近ではアメリカの『ドライブ』や『ベイビー・ドライバー』が思い浮かぶ。その韓国版、女性版と言える映画だが、アメリカの2作とは途中からかなり違ってくる。そもそもアメリカの2作は、犯罪者御用達のドライバーだった。『パーフェクト・ドライバー』も当然裏社会の要望に応えるわけだが、誰かと事前に組んでいるのではなく、一回ごとに依頼されて運転するタクシーみたいな仕事である。

 パク・ソダム演じるチャン・ウナは「脱北者」という設定で、脱出の過程で壮絶な体験をしている。韓国社会で生きるために、プサンで「特殊配送」をしている。多くの場合、「なんだ女か」と言われるが抜群のテクニックで「成功確率100%」を誇っている。だが、ある時請け負ったソウルの仕事は厄介だった。野球賭博に関わった選手とその息子を逃がすというミッション。ところが、その選手は事前に殺されてしまい、子どもだけが残る。仕方なく子どもだけ連れて逃げざるを得ない。その子をやってるチョン・ヒョンジョンも『パラサイト』で社長一家の子どもだった子役。

 こうなると、映画に詳しい人ならもう一本の映画を思い出すだろう。ジョン・カサヴェテス監督の『グロリア』(1980)である。子どもを連れて組織から逃れるジーナ・ローランズの壮絶な逃避行。ウナも同じように必死に逃げながら、子どもへの愛情が芽生えてくる。そして追ってくる敵の正体は? ウナが脱北者だということから、国家情報院まで絡んできて、ついにプサン港にある会社で壮絶な闘いが始まる。この展開は韓国的かもしれないが、ちょっと不満。車の逃亡が中途半端になっているからだ。ソウルからプサンだとすぐ着いちゃうのである。でも一貫して不機嫌そうなパク・ソダムがカッコよくて見映えする。パク・デミン監督。広大なアメリカ大陸と違う狭い道ばかりの韓国で上手にロケして盛り上げている。

 アクション娯楽作の『パーフェクト・ドライバー』と違って、もう一本の『オマージュ』は歴史を越えて女性映画監督の世界を描く作品である。女性ドライバー映画も珍しいが、女性映画監督を主人公にした映画というのも興味深い。女性のシン・スウォン監督の3作目。売れない女性監督ジワンイ・ジョンウン)は新作ホラー映画も大コケして映画製作のピンチにある。夫婦関係も上手く行かず、一人息子も頼りない。そんな時文化センターの仕事として、60年代に活動した女性監督ホン・ジェウォン女判事』の修復を頼まれる。映画は途中から音声が失われているので、それを再現する仕事である。

 セリフを確認するために監督の娘のもとを訪ねるが脚本は見つからない。代わりに若い頃に撮った写真を貰う。その写真には3人の女性が写っていた。そしてデジタル映像を確認していてラストの展開がおかしいと気付く。そこで探索を始め、写真を撮った場所である「明洞茶房」が奇跡的に残っていた。そして編集者だった女性の住所を教えて貰い、忠清道まで会いに行く。その田舎暮らしのシーンが心に残る。昔行ったことがある辺りで、何となく風景になじみがある。そこで教えられたのは、展開がおかしいのは検閲で切られたということだった。

 その「女判事」という映画は当然フィクションだと思うし、60年代初期に女性映画監督がいたかどうかも知らない。ただ、韓国映画に「紅一点」の女性監督がいて、1962年に韓国初の女性裁判官の実話映画を作ったという設定は刺激的だ。時代的には朴正熙大統領の軍事政権が始まったばかりの頃である。女性に対する偏見は今よりずっと大きかったことが判る。修復する映画も、映画内の女性監督も、特にフェミニズム的な社会映画を作っているわけではない。だけど、時間を越えて「女性映画監督」という連帯感がある。完成度的に多少甘いと思ったけど、興味深い映画だった。主演のイ・ジョンウンも、『パラサイト』でワケあり夫を抱えた前の家政婦をやってた人で、『パラサイト』にはさすがに才能が集結していた。
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防衛費激増の新年度予算、日本の「防衛」とは何だろうか

2023年03月28日 22時37分51秒 | 政治
 今日(3月28日)、2023年度予算が参議院で可決され成立した。もっとも2月28日に衆議院で可決されていたから、参議院で揉めたとしても憲法60条の規定により、今日予算案は自然成立する。それにしても、従来の予算案以上に問題が多いと思われるのに、こんなにスムーズに成立してしまって良いのだろうか。参議院では「ガーシー議員」問題、あるいは「総務省文書」問題ばかりが記憶に残る。昨秋から低支持率に悩んでいた岸田首相が、ウクライナ訪問など外交で「成果」(または国民からの目くらまし)を挙げたということかもしれない。野党側もウクライナで「大しゃもじ」を贈ったなどの追求に終始した印象が残る。

 新年度予算は、なんと114兆3812億円という巨額である。前年度より7兆8千億円ほども増えている。下の画像で示すように、予算はどんどん増えている。もちろん社会保障関係費も6千億円増額になっているが、それ以上に異常なまでの「防衛費の増額」が目に付く。前年度の 5兆3687億円から、6兆7880億円と1兆4千億ほども増えているのだが、最大の問題はそこではない。「防衛力強化資金(仮称)」というものを創設して、3兆3806億円も防衛費に繰り入れるという。
(年度ごとの予算)
 そのお金は一体どこから出て来るのか。今のところ決まってなく、首相は一時は「増税」とも発言した。統一地方選を前に、増税案は引っ込めた形になっているが、首相の真意は判らない。本心かもしれないし、観測気球かもしれない。僕が推測するのは、「防衛政策の大転換」という本質的問題を隠す意図ではないか。「増税」を首相が口にしたことで、「防衛費増は仕方ないけど、増税はイヤ」という方向に世論が誘導されてしまった。野党も「増税するなら、その前に国民の信を問え」と迫るので精一杯だった。

 誰がどう見ても「敵基地攻撃能力」など憲法違反としか考えようがない。僕はそう思うけど、2015年の安保法制の時のような大反対運動はなかった。「コロナ禍」で大集会やデモが開きにくい。そもそも法律の改正を必要とせず、政府の方針転換だったということも反対運動が難しくした。僕にしても、成立してから批判を書くのではなく、その前に論陣を張るべきだと言われるかもしれない。だが「予算案の成立阻止」(または「予算案の組み替え」)は基本的に無理な方針だと思う。よほどの大問題が起きれば、予算案の年度内成立が難しくなり、臨時予算の編成に追い込まれることはある。それでも最終的には原案が成立するものだろう。
(敵地攻撃能力のイメージ)
 それとも国民がワールドカップやWBCに浮かれていて、何となく政府の言うとおりに流されているのか。いや、そんなことはないだろう。防衛費増額方針に対する世論調査の結果を見れば、賛否半々、むしろ反対が多い。(NHKの2月調査では、賛成40%、反対40%。読売新聞の1月調査では、賛成43%、反対49%。東京新聞(共同通信)は、防衛費増のための増税のみしか質問がない。朝日新聞、毎日新聞は過去の結果はデジタル会員しか見られない。)この間の世論調査を振り返ると、物価高対策、同性婚の是非などが大きく扱われている。防衛費増額問題は国民の関心を呼んでいなかった。

 それは基本的には、岸田首相の「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」(防衛大卒業式での訓示=3月26日)という認識を国民も一定程度共有しているということだと思う。僕も中国やロシア、「北朝鮮」の人権状況には大きな危惧を持っているが、だから今すぐ戦争の危機が迫っているという認識はどうなんだろうか。それもあるけど、そもそも「防衛費増額」とは、要するに戦闘機やミサイルを整備することだという岸田首相の身も蓋もない方針をどう考えればいいのか。憲法問題はさておき、自衛隊の身の丈を越えた装備としか僕には思えない。

 アメリカから兵器を買うこと、それが「いざという時」の日米安保条約発動の担保となるという認識だろうか。自衛隊を増強し、敵基地攻撃能力を持ったからと言って、僕もそれだけで日本が「軍国主義」化して、今しも侵略戦争を始めるだろうなどとは思わない。そんなことはアメリカが許さない。要するに日本はアメリカの下請けしか出来ないし、求められない。それがリアルな認識だろう。周辺アジア諸国に一定程度あるような「日米安保条約ビンのふた論」を日本国民も心の底で持っているのではないか。
(日本の食料自給率)(日本のエネルギー自給率)
 僕はそれより「日本防衛」とは何だろうかと思う。上記画像で判るように、日本は食料自給率エネルギー自給率も極端に低い。中国との貿易が断たれたり、東アジアの貿易航路の安定が失われた場合、日本在住者の生活は破滅に追い込まれる。間違いなく、大変なことになる。日本周辺で戦争が起きる事態は何が何でも止めないといけない。もちろん戦争は人命が失われるし、究極的な人権侵害である。今出来ることは、「もし攻撃されたら」などと仮定する前に、再生可能エネルギーの開発、食料自給・農業の再生に力を注ぐことこそ、「日本の防衛」と言えるんじゃないだろうか。
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ウクライナ戦争、中国の和平提案をどう考えるか

2023年03月27日 22時42分39秒 |  〃  (国際問題)
 中国で年一回開かれる全人代(全国人民代表者大会)が3月上旬に開かれ、習近平主席が異例の3期目に満票(2952票)で選出された。それに合わせたかのように、中国の外交活動が活発化している。その代表的な「成果」が10日に明らかとなった、サウジアラビアとイランの国交回復を中国が仲介したという報道だ。中東でアメリカの威信が失墜しつつある象徴的な出来事かもしれない。サウジアラビアは世界最後の権威的王政国家だから、人権問題にシビアなアメリカは煙たいに違いない。

 今は中東問題は置いて、中国とロシアの関係に絞って考えてみたい。中国はウクライナ戦争に関して本格的な発言はしてこなかったが、開戦1年を機に2月24日に和平案を発表した。そして、全人代終了後の3月20日に習近平主席がロシアを公式訪問して、プーチン大統領と会談し共同声明を発表した。中国の和平提案に関しては、それを評価する声も一部にあるが、疑問を持つ人の方が多いだろう。イラン、サウジの仲介に際しては、両者を北京に招いている。ウクライナ戦争に関しても、もし本気で和平を仲介するつもりなら、ロシアだけでなくウクライナも訪問する必要がある。しかし、それとは逆にプーチンを中国に招待している。現状では中国の意図に疑問を持つのも当然だ。
(習近平、プーチン会談)
 習主席のロシア訪問はちょうど岸田首相のウクライナ訪問と被っていたが、その時発表された中ロ共同声明の主な内容は以下のようなもの。
●ウクライナ問題について双方は、国連憲章の目的と原則は遵守されなければならず、国際法も尊重されなければならないとした。
●ロシア側は、ウクライナ問題に対する中国の客観的かつ公正な立場を積極的に評価する。
●双方は、いかなる国家または国家グループが、軍事、政治およびその他の利益を追求するために、他国の正当な安全保障上の利益を損なうことに反対する。
●双方は、ウクライナ危機を解決するために、すべての国の正当な安全保障上の懸念を尊重しなければならず、陣営間の対立形成や火に油を注ぐようなことを防止しなければならないと指摘した。双方は、責任ある対話こそが、問題を着実に解決する最善の方法であると強調した。
●双方は、国連安全保障理事会によって承認されていない、いかなる一方的な制裁にも反対する。
(中ロ共同声明) 
 言葉はもっともらしいが、国連憲章や国際法を持ち出すなら、ロシア軍の撤退を打ち出さない限り信用されない。それはそもそもの12ヶ条に及ぶ和平提案にも言えることである。「ウクライナ危機への政治的解決のための中国の立場」と題された文書は以下のようなものである。細かくなるが全項目挙げておきたい。
(1)国家の主権を尊重:一般に認められている国際法と国連憲章は「厳密に」遵守されなければならない。
(2)冷戦の考え方を放棄、自国の安全のために他国を犠牲にしてはならない。
(3)敵対行為をやめる:全ての当事者は「合理性を保ち、自制を保ち」、紛争を煽ってはならない。
(4)和平交渉の再開:対話と交渉がウクライナ危機に対する唯一の実行可能な解決策だ。
(5)人道危機の解決:人道危機の緩和に貢献する全ての行動は「奨励され、支援されなければならない」
(6)民間人と戦争捕虜の保護:全ての紛争当事者は、国際法を遵守し、民間人や民間インフラへの攻撃を回避する必要がある。
(7)原子力発電所の安全確保:原子力発電所への武力攻撃を拒否する。
(8)戦略的リスクの軽減核兵器は使用されるべきではなく、核戦争は行われるべきではない
(9)穀物輸出の促進:全ての当事者は黒海穀物協定を実施する必要がある。
(10)一方的な制裁を止める:一方的な制裁と圧力は問題を解決できず、新しい問題を生み出すだけだ。
(11)サプライチェーンの安定化:全ての関係者は、既存の世界貿易システムを維持し、世界経済を政治目的の武器に使用してはならない。
(12)復興計画:国際社会は、影響を受けた地域で紛争後の復興を実施するための措置を講じるべきだ。
(中国の和平提案)
 復興計画まで書かれている、なかなか周到な提案である。原発の安全確保、穀物輸出の促進など、忘れられがちながら重大な問題も扱われている。しかし、この提案の鍵となるのは「国家主権の尊重」と「一方的制裁の拒否」だろう。共同声明では「核心的利益を互いに支持する」とされている。中国の「核心的利益」は台湾問題だから、これでは中国はロシアのウクライナ侵攻を支持し、ロシアは中国の台湾侵攻を支持する「相互同盟」ではないかと疑念を持たれてもやむを得ないのでないか。

 本気で和平を望むなら、ウクライナが和平会談に参加出来るような提案をしなければならない。そのためにはプーチン大統領の譲歩を求めなければおかしい。それが出来るのは中国だけなのだから、そこまで踏み切らないと信用されない。中国は「主権尊重」を強調するが、それだけで良いのだろうか。「主権」の名の下に、中国はミャンマーの軍事政権を非難しない。中国はウィグル問題、チベット問題などを「主権」の問題として、外国からの批判を受け入れない。この和平提案による限り、中国内部の人権問題の改善につながる論理が出て来ない。
 
 やっぱり中国は自国の独裁体制維持が最優先だから、ロシアの現体制が急激に崩壊し「モスクワの春」が実現するのを阻止したいのではないか。長い国境線を抱える中ロ間で、ロシアが真の民主国家となった場合、中国への影響は計り知れない。中国は「国連憲章」は言及するけれど、その後の国際人権法の進展を無視している。本当は国連憲章と並んで「国際人権規約」の尊重を言うべきだと思う。中国も批准しているわけなんだから。もっともそれを持ち出せば、アメリカや日本も不都合な問題がある。しかし、「主権」にとらわれている限り、21世紀のリーダーにはなれない。
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『社会学の主題と方法』ー見田宗介著作集を読む⑨

2023年03月26日 22時32分17秒 | 〃 (さまざまな本)
 毎月見田宗介著作集を読んできたけど、今回が9回目。全10巻だから後は2冊である。最後は10巻目の短編集だから、今回はまとまったテーマの本としては最後になる。だけど、多分つまらないだろうなあと予想していたとおりで、読んでいてこんなつまらない本も久しぶり。それは「社会学の主題と方法」というテーマだからである。

 最後の「解題」に、「本書は、社会学の将来に向けて、関心をもつ若い人たちが主題と方法を学ぶにあたって、可能性の視界を広げるような方向で、参考になるかもしれないいくつかの論考を収録した」と書かれている。だから「社会学」に「関心を持つ若い人」じゃない人には読む意味がほとんどないと思う。まあ、僕は全部読むという目的のために読んだけど…。社会学の方法論に関する議論は退屈としか言いようがない。まあ、こう書いて終わりでいいようなもんだけど。

 見田氏さんにも、若い「社会学者」として地道な研究論文があったということがよく判った。もっともそれは多くの人には意味を持たない。歴史学にも歴史学の方法論みたいな分野があるが、それは単なる歴史ファンには鬱陶しいだけだろう。「社会学」は学問的な対象に出来る分野が幅広く、「○○社会学」と名付ければ何でも出来る気がしてうらやましい感じもしていた。だが、この本で見てみると、社会で起こった各現象をデータをもとに「分類」していく手続が厄介だなあと思った。

 最後の方に「社会意識研究の諸データ」「数量的データと「質的」なデータ」「「質的」なデータ分析の方法論的な諸問題」という3つの論文がある。これらを読むと、「社会学」は歴史学とはずいぶん違うなあと感じた。そもそも社会学では「データ」なんだと思った。これは心理学などにも言えることだが、「学問」として成立させるためのデータ処理が研究の中心になってくる。歴史学だと「史料」と呼ぶが、史料を自ら作り出すことは出来ない。だけど、社会学では適切な手続を経た世論調査などを自ら実施することで、研究対象のデータを自分で作り出すことが出来る。

 そう言われて初めてなるほどと思った。歴史学でも自分で関係者をインタビューするなど「オーラル・ヒストリー」の分野がある。だが、社会学にも言えることだが、それが恣意的に作られたものじゃないかどうかの検討がいる。これは自然科学にも言えることだろうが、データを自分が使いたいように無意識的にゆがめてしまわないように戒めていかないといけない。「社会学」の場合、研究対象が幅広いことから、恣意的な研究も作られやすいんじゃないか。

 もちろん「歴史学」はもっと恣意的な、政治的目的を持って史料をゆがめて使う人はいる。学界で相手にされなくても、自費出版的に本を刊行すれば「両論ある」などと持ち上げる人が出て来る。「史料批判」の方法論は他分野でも有効だろう。だけど、学問研究の裏にある方法論の問題は「学問研究」に無縁な人には意味がない。そもそも「社会とは」とか「価値論」「時間論」などもあるけど、特に「価値意識の理論」など全く理解不能だった。ただ字面を追っただけで、そういう読書をしたのも久しぶり。
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『インタビュー ザ・大関』、№2の栄光と苦悩

2023年03月25日 22時36分46秒 | 〃 (さまざまな本)
 WBCは終わったが、他にもいろんなスポーツをやってる。今は大相撲春場所(大阪場所)も開催中。新聞の書評に武田葉月著『インタビュー ザ・大関』(双葉文庫)という本が紹介されていた。面白そうだなと思ったが、たまたま本屋に行った時にあったので買ってみた。小さい頃にテレビでよく見ていた大相撲だが、一時は見なかったけど最近また結構見ている。本を買うほどのファンじゃないけど、今回読んだのは、「大関」に絞ってインタビューしてることに魅力を感じたのである。

 どんな競技でも、一番の注目はその競技のトップを極めた選手である。大相撲ならトップは横綱ということになる。大鵬千代の富士北の湖貴乃花白鵬、それに戦前の双葉山などがもし対戦したら、一番強いのは誰か? 大谷翔平と王、長嶋が対戦したらみたいな想定をしたくなるわけである。それに対して、「大関」とは№2である。さっさと通過して横綱になった人はこの本には出て来ない。大関で終わった人だけを扱っている。五輪で金メダルを取った選手はいっぱいいるのに、よりによって銀メダルの人だけインタビューしてるみたいな本。でも、だからこそ興味深い話がいっぱい出て来る。

 ここには現役力士を含めて23人の話が載っている。ここ20年ほど大相撲の世界を席巻しているモンゴル力士は、この本には一人も出て来ない。モンゴル出身で大関になった朝青龍白鵬日馬富士鶴竜照ノ富士の5人は、全員横綱まで昇進したからである。だから外国出身で登場するのは、小錦(ハワイ)、琴欧洲(ブルガリア)、把瑠都(ばると、エストニア)、栃ノ心(ジョージア)の4人。時代も境遇も少しずつ違っているけど、外国から飛び込んで大関までなるというのがいかに凄いか痛感する。

 外国出身だと大柄な体格を見込まれて入門することが多い。番付下位なら体格だけでも勝てるけど、協会の看板力士になって優勝争いをするようになるとどうしてもケガが多くなる。ケガに苦しんで、せっかく昇進した大関から陥落することもある。先に挙げた4人は全員陥落した。次の場所に関脇で10勝すれば復帰できる特例があるが、琴欧洲はそこで8勝に終わり次場所で引退した。栃ノ心は一度は特例復帰出来たが、また陥落して次は復帰出来なかった。今場所は十両に落ちて取っている。把瑠都は復帰出来ないながら関脇で勝ち越したが、3場所目に負け越し。次場所全休で十両に落ちて引退した。今はエストニアの国会議員。

 そんな中で大関陥落後に4年も相撲を取っていたのが、小錦だった。最後は同じように陥落して下で取っていた霧島と対戦すると大喝采を浴びていた。プレッシャーから解放され、むしろ一番楽しんで相撲を取ってる感じがした。協会は退職してタレントで活躍している。今も霧島とは仲が良いらしく、この本の最後に二人の特別対談が載っている。大関時代は特に好きでもなかった二人だが、下でいつまでも頑張っていると応援したくなったものだ。
(霧島と小錦)
 僕の若い頃の力士では、1976年から79年に大関だった旭國が印象的だった。幕内最軽量の小兵で、足技を得意とした。小柄な技能派という感じだったのに、次第に強くなって三役に定着するようになった。関脇で8勝、12勝、13勝して大関に昇進したが、一度も優勝出来なかった。今ならこの成績なら優勝に届くと思う。一度なんか13連勝して、14日目に1敗、千秋楽も勝って、14勝1敗なのに優勝出来なかった。1敗した時の相手、横綱北の湖が全勝優勝だったから、どうしようもない。強い横綱のいる時代にぶつかった大関は大変なのである。だけど、引退して大島部屋を開設すると、横綱旭富士(現伊勢ヶ浜親方)、関脇旭天鵬(現友綱親方)、小結旭豊(現立浪親方)などを育てた。優秀な孫弟子の数では一番かも。モンゴル勢を一番最初に受け入れたのもこの人である。
(旭國)
 その旭國が引退直後に増位山と空港でバッタリ会って、大関獲りのチャンスだぞと励ましたという。増位山は歌がうまく、「そんな夕子にほれました」が大ヒットした。絵も上手で多趣味な力士という印象があったが、実は努力の人だったという。突然頑張って大関になったのを不思議に思ったが、そんなエピソードがあったのである。栃東は僕の家から15分ぐらいの所に玉ノ井部屋があって、「東京都足立区出身」とアナウンスされるので、下の頃から気になっていた。父が関脇栃東で、よくぞ先代を越えて大関になった。ケガが多く、2回も陥落しながら2度特例復帰した。最後は命に関わると言われて大関で引退したのが残念だった。
(栃東)
 大関になるには、「三役で3場所33勝」という目安があるとされる。横綱、大関は平均して6、7人はいたから、その中から数人を3場所続けて倒さないと大関には昇進できない。横綱、大関を倒すと、NHKの中継放送でインタビューされる。ところが大関に昇進すると、今度は自分を倒した相手がインタビューに呼ばれるのである。勝って当たり前で、負けが込むと批判される。そこで無理して頑張って大ケガする。そういう人が多い。もっと強い人は横綱に昇進していくから、昇進出来ない大関は肩身が狭い。看板力士であるプレッシャーにつぶれる人が多いことが判る。№2にまで上り詰めて地元ファンは大騒ぎするが、№2の苦悩は大きいのだ。

 ところで近年で一番残念だった大関は、野球賭博に関与して解雇された琴光喜だろう。この本じゃ、ちゃんと琴光喜にも聞いてる。全体で本人の語りを著者が上手くまとめて、裏話的な所は少ない。解雇に至る事情は出て来ないけど、まあ、その後を知ることが出来る。(コロナのガイドライン違反で6場所出場停止の朝乃山もいるけど。ここでは陥落前のインタビューで、自分にはまだ「心技」がダメなどと語っている。)出て来ない人を調べてみると、琴風大受が出て来ない。若島津は病気だろう。先代貴ノ花貴ノ浪北天佑など亡くなった人も。一番古いのは清國

 学校で言えば、№2は教頭先生。確かに大変そうだった。会社でも中間管理職は大変だろう。それと大分違うけれど、上は強くて、下には勝たないといけない。大関は大変だけど、主役と脇役の中間という立場の人は多いだろう。相撲を知らない人は読まないだろうが、なんか人生を考えた本。ところで著者の武田葉月という人は初めてだが、相撲の本を書いてるノンフィクションライターだという。著者の前書き、後書きなどが一切ないので、何でこの本を書いたのかは不明。各インタビューはなぜか「小説推理」という雑誌に連載された。
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「信じる力」の大切さーWBCの2週間

2023年03月23日 23時49分17秒 | 社会(世の中の出来事)
 ワールド・ベースボール・クラシックWBC)で日本代表が優勝して、もう日本中が熱狂している状態だ。僕は別に「熱狂」はしてないけど、この間の2週間はずっと見ていた。大いに楽しんだし、感動もした。やはり今年の大ニュースになるだろうから、そのことを簡単にまとめてみたい。僕は基本的にスポーツ中継は(テレビで)よく見ているが、それは面白いからだ。今回の準決勝、決勝を見れば誰でも判るだろうが、どんな「物語」にもましてドラマチックな一瞬一瞬がそこにはあった。

 今回のWBCは何と言っても「大谷翔平」のためにあった。「獅子奮迅」「前人未踏」「空前絶後」「八面六臂」「前代未聞」「粉骨砕身」「初志貫徹」「勇往邁進」「完全無欠」「天真爛漫」…。四字熟語が幾つでも浮かんでくる大活躍。日本からアメリカに行き、さらに大きくなって帰って来た。5年ぶりに日本で見られる5試合。皆が大谷に魅せられた2週間だったと思う。
(準決勝で9回に二塁打を打った)
 特に準決勝で一点負けていた9回、自分が二塁打を打ったときの雄叫びのような姿。このヒリヒリした瞬間を自らの手で作り出す。単に才能とか努力とかで語りきれない強運である。やっぱり凄いな。そして決勝戦の9回に登板した。僕はそれは予想していた。かつての日本シリーズと同じである。出られる状態なら、本人も出たいと思うだろう。しかし、トップバッターに四球を与えてしまう。それが併殺で2アウトになって、最後の打者はマイク・トラウトだった。もうこの話の結果は誰でも知ってるから書かない。MVP3回受賞、昨年も40ホームランの打者だ。大谷が打たれて同点になったら、もう仕方なかったと誰もが思うしかない場面だ。
(トラウトが三振して終了)
 一次リーグから、もうドラマ全開だった。最初の中国戦で、ヌートバーが初球を打ってヒットを放った。3月11日にはチェコ戦に佐々木朗希が先発した。12日のオーストラリア戦では1回に大谷がついに大ホームランを放ったが、それは何と自分の顔が大きく写った大看板に当たった。何でそうなるんだろうというドラマがいっぱいあった。だけど、一次リーグを1位突破するのは、大体予想していた通り。それだけなら、ドイツとスペインに勝って一次リーグを突破した2022年サッカー・ワールドカップ日本代表の方が凄いだろう。
(大谷がホームラン)
 僕はここまで「侍ジャパン」と書いていない。「侍」は嫌いだから。侍がカッコいいというイメージは近代に作られたものだろう。それに内外多事多難の中、各局のテレビニュースはほとんどWBCばかり。「ジャパン」を強調するのも嫌だ。「日の丸を背負って」なんて表現もどうかと思う。「国家」は暴力を独占していて、時には「」をなす組織だと思っている。それは「冤罪」問題一つとっても判る。今回は1次リーグとトーナメントの間に、袴田事件の再審開始決定と検察の特別抗告断念があった。まさにここに「国家悪」がある。僕はそっちの方が大事で、もし再審開始じゃなかったら準決勝、決勝を楽しめなかったと思う。

 そうなんだけど、だから「国家を讃える」「国民の目を政治からそらす」スポーツショーは警戒して一切見ないなどというのは、極端過ぎる。大体そんなこと言ってては会話が成り立たないような生徒もいっぱい見てきた。プロスポーツの話題で一緒に盛り上がれるタイプの生徒もいるじゃないか。ウルトラ・ナショナリズムを警戒するあまり、穏健なナショナリズムまで「敵」にしてはいけない。そうじゃないと、国民の中で浮き上がる存在になってしまうだろう。

 ところで大谷やダルビッシュも凄いけど、今回の勝因は明らかに素晴らしい「中継ぎ投手」だ。球数制限もある中、二番手、三番手の投手が試合を左右した。決勝戦だけ見ても、7人の投手が出て来た。そして打たれたヒットは9本、与えた四球は4つだった。アメリカは結構出塁しているのである。だが、点に結びついたのはソロホームランの2本だけだった。アメリカ投手が打たれたヒットは5本で、日本の方がずっと打たれていた。だが四球も8つで、合計すれば日米の出塁数は大差ないことになる。一瞬の気も抜けない中で、戸郷翔征、高橋宏斗、伊藤大海、大勢という若い投手陣がよく無失点で切り抜けたもんだ。キューバ戦で14点取った打線を相手にしているのである。ここで大量得点されたら終わりだった。
(準決勝で村上がサヨナラ打を打つ)
 そして思ったのは、1次リーグで不振だった村上宗隆をよく使い続けた。1次リーグは大谷、ダルビッシュ、吉田正尚の大リーグ勢に加え、佐々木、山本、近藤などパリーグ関係選手の活躍が目立った。でもセリーグ出身者も活躍しなければ、優勝は出来ないと思っていた。それが準々決勝で岡本が5打点、準決勝で村上が逆転サヨナラ打、そして決勝では村上、岡本がホームランである。よくぞ栗山監督は村上を信じて使い続けた。この「信じる力」こそ、今回一番印象的で感動的なことだった。
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山本文緒『自転しながら公転する』を読む

2023年03月22日 23時09分10秒 | 本 (日本文学)
 山本文緒自転しながら公転する』(新潮文庫)を読んだのは、『彼女はマリウポリからやってきた』より前だった。少し時間が経ってしまったけど、やはり書いておきたいと思う。2021年10月に58歳で亡くなった作家の、(多分)最後から二つ目の小説である。2020年9月に刊行され、島清恋愛文学賞中央公論文芸賞を受けている。2022年11月に文庫化されたが、650ページを越えるから長くてなかなか読み進まない。山本文緒は2000年に『プラナリア』で直木賞を受けた作家だから、文章自体は読みやすい。でも登場人物の境遇や心理をじっくり描いて、「身につまされ度」が高くいろいろ考えちゃう。

 人間の一生には大きなことが幾つかある。人それぞれ少し違うだろうが、特に恵まれた生まれの少数の人以外は「仕事」をしなければ生きていけない。そして誰かを好きになって「結婚」をする。しなくてもいいし、したくても無理な条件があるときもある。同性を好きになることもあるが、異性を好きになって家庭を作ることが多い。そして「」の問題がある。子のない人はいても、親がない人はいない。そして親が先に老いてゆくから、親の介護などの問題が付いて回る。

 なんて当たり前のことを書いてしまったが、この小説の主人公、30代初めの与野都という女性は、この3つすべて問題を抱えている。高卒で好きなアパレル・ブランドでアルバイトを始め、正社員に昇格して東京で店長にもなった。しかし、仕事も恋愛もいろいろあって(何があったのかはなかなか出て来ないけど)、さらに母親が体調不良で病院通いになってしまう。父親は家のローンが残っていて、仕事を辞めるわけにはいかない。だから一人娘の都に戻ってくれないかという話になる。母が死んだりしたらずっと悔いが残ると思って、そこは一応納得して都は故郷に戻ってきたのである。

 その故郷というのが茨城県南部の牛久あたりなのである。都は牛久大仏が望めるアウトレットのアパレルショップで契約社員として働きながら、仕事のない日は母に付き添って病院に通っている。結婚したいけど、今は特に付き合っている男性はいない。小説の中では書かれていないが、働いているのは牛久市の隣の阿見町にある「あみプレミアム・アウトレット」だろう。また「牛久シャトー」を思わせるレストランで母親と友人が食事をする場面もある。東京タワーが象徴的に出て来る物語はあるけど、牛久大仏に見守られている小説もあるのか。このような「東京からちょっと離れた」地域感が印象的だ。
(牛久大仏)
 山本文緒は1999年の『恋愛中毒』が凄いと思った。でも、こういう小説を書いちゃう人はどうなんだろうと思わないでもなかった。その後直木賞を取って人気作家になるも、2003年にうつ病になって闘病を余儀なくされた。その後エッセイで復帰するも、長編小説は少ない。この小説は2013年以来7年目の新作小説だった。どんな小説でも共感できる要素があるわけだが、この小説の主人公はどう生きれば良いのか。僕にはアイディアが浮かばない。アパレルショップの事情は判らないし、ましてや誰と結婚するべきかなど僕があれこれ言う問題じゃない。

 都は偶然ある男と知り合う。アウトレットにある回転寿司の第一印象最悪の店員である。だけど何となく悪くない感じもする。名前は寿司職人の父が名付けた貫一。だから彼は都を「おみや」と読んで面白がる。「貫一お宮」の『金色夜叉』である。何、それと本を読まない都には全然通じない。この二人は境遇も生き方も全然違っていることが段々判ってくる。それでも全然違うからこそ引かれ合う部分もある。で、どうするんだよと突っ込みたくなる展開が続いて、あまりにも痛い言葉が行き交う。
(山本文緒)
 ある仕掛けがあって、結局そうなったのかと思うラストまで一気呵成に読んでしまった。ラスト近く、都が広島にボランティアに行く場面など、あまりにいたたまれなくて読む方も沈んでしまう。高校時代(卓球部)のメンバーと時々会って、鋭い指摘を聞かされる場面。職場のセクハラ、パワハラなどの事情。それと冒頭に出て来るベトナムでの結婚式。どう着地するのか、なかなか見えてこないけど、人の一生は計りがたいことの連続だ。ちょっと可愛くて、仕事はきちんと出来るのに、なかなか幸せになれない。そんな主人公を生き生きとと描き出し、自分のことを書かれたのかと思う人も多いだろう。

 ところで題名はどういう意味だろう。小説内で貫一がよく言ってるけど具体的にはよく判らない。僕らは全員「自転しながら公転」しているけど、それを自覚はしない。あれこれ、グルグル思考が空回りすることの比喩にも思うけど、自分の回転は自分で認識出来ないということかもしれない。皆が皆、地球と共に自転しながら公転しているわけだけど。
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ベトナム人技能実習生リンさんに無罪判決を!

2023年03月21日 22時46分13秒 | 社会(世の中の出来事)
 エルサルバドルという国がある。中央アメリカにある小国で、西と北をグアテマラ、東と北をホンジュラスに接している。アメリカのレーガン政権時代に悲惨な内戦があったこと覚えている人がいるかもしれない。米ドルを通貨にしているが、さらに2021年に何と世界で唯一ビットコインを法定通貨の一つに指定したことでも知られている。

 この国ではカトリックの影響力が強く、人工妊娠中絶が禁止されている。そういう国は他にもあるけれど、ここではそれだけではない。驚くべきことに、死産・流産した女性が法的に処罰されるのである。2007年に腹部に痛みを感じ意識不明で死産したテオドラ・デル・カルメン・バスケスさんは、その後に起訴されて懲役30年を宣告された。アムネスティ・インターナショナルが世界的に抗議を行った結果、2018年になってテオドラさんはようやく釈放されたのである。

 このような話を聞くと、多くの人は信じられないと思うだろう。誰しも好きで死産する人はいない。それはやむを得ない身体的出来事であって、「胎児に対する殺人」などと考えるのはおかしい。だけど、以下のような日本で起きたケースを見ると、日本はどこまでエルサルバドルと違っているのか疑問が湧いてくる。それはベトナム人技能実習生レー・ティ・トゥイ・リンさん(24)の「事件」である。リンさんは妊娠したことを言い出せず、双子の子どもを死産してしまった。自宅で遺体を1日半置いておいたことで「死体遺棄」に問われたのである。

 2020年11月、熊本県芦北町で起こった出来事である。一審熊本地裁は懲役8ヶ月、執行猶予3年の有罪判決、福岡高裁は一審判決を破棄したものの改めて懲役3ヶ月、執行猶予2年を言い渡した。最高裁に上告し、口頭弁論が2月24日に行われた。判決は3月24日(金曜日)3時に言い渡される。最高裁の審理では、原判決を破棄する場合は口頭弁論(書類審査ではなく、当事者双方の言い分を直接法廷で聞くこと)を開かなければならない。口頭弁論を開いたら必ず破棄されるわけではないが、憲法違反や死刑事件じゃないのでほぼ間違いなく破棄されると期待している。差し戻しではなく、自判して無罪判決でなければならない。

 法律的な争点は「死体遺棄が成り立つか」である。刑法190条の死体遺棄罪には細かい事が何も書かれてない。この規定は「死者に対する敬虔感情」を守る事が目的とされる。具体的に言えば、「社会風俗上の埋葬とは認められない方法によって死体を放棄すること」である。関連サイトを見ると「リンさんは激しい腹痛に襲われ、一晩中痛みと出血、孤独と恐怖にさいなまれながら双子の赤ちゃんを出産しました。動かない赤ちゃんを見てとても悲しく、手近にあった段ボール箱を棺がわりにタオルを敷いて双子の遺体を安置しました。名前をつけ「ごめんね、私の双子の赤ちゃん!!早く安らかなところに入れますように」と書いた手紙を添えました。」ということである。常識で考えて、これは「死体遺棄」とは認められない。

 しかし、この裁判には法律的観点とは別にした「真の争点」がある。それは「現代の奴隷制度」とも言われる技能実習生制度の問題である。リンさんは19歳で来日し、柑橘農家で働きながら一年間に休日は10日間しかなかったという。家では病気の父を抱え、来日時には送り出し機関に150万円の借金をして来日したのである。手取り12万円の中から10万円を送金していたという。そんな中でSNSで同じベトナム青年と知り合い、妊娠するに至った。だが妊娠をきっかけに送還される例が多いことから言い出せないままになっていた。死産時は「推定妊娠8~9ヶ月」とされるから、自分でもまだ猶予があると思って働き続けていたのである。

 「技能実習生」の名の下に外国人労働者を目一杯働かせ、労働法規が通用しない日本社会を知っていたからこそ、リンさんは妊娠を言い出せなかった。同じように実習生が「死体遺棄」に問われた事件は、2018年以降だけでも8件あるという。まさに問われているのは日本社会であり、日本の人権状況ではないか。最高裁判決に注目したいと思う。
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『彼女はマリウポリからやってきた』、凄惨なヨーロッパ現代史を生きる

2023年03月20日 22時52分34秒 | 〃 (外国文学)
 何でもプーチンがマリウポリに「視察」に来たんだという。アゾフ海に面したウクライナのマリウポリなんて町の名前は、去年まで全然知らなかった。世界中の多くの人が同じだろう。そう思っていたときに、『彼女はマリウポリからやって来た』という本が出版された。著者はナターシャ・ヴォーディン(Natascha Wodin、1945~)というドイツで活動している作家である。白水社から2023年1月に刊行され、350ページ、税抜き2800円。高く重く長く、そして暗い本である。

 この本を読み切るのに一週間以上掛かった。単に長いだけじゃなくて、内容が悲惨すぎて読んでて辛いのである。そういう本も大事だけれど、ここまで来ると多くの人にお薦めしにくい。人名もいっぱい出て来て、誰が誰だか全然判らなくなる。家系図が付いているから、何度も見返しながら読んだ。小説好きというより、ヨーロッパ現代史に深い関心を持つ人向けかと思う。題名の「彼女」というのは、著者の母のことである。波瀾万丈をはるかに飛び越した悲惨極まりないファミリー・ヒストリーには驚くしかない。

 ドイツで育った著者は、ロシア人の父ウクライナ人の母の間に生まれた。わずか10歳の時に母が自殺したために母の一族を全く知らない。極貧の生活の中で母の遺品も少なく、面影も日々遠くなる。この本の成立にはインターネットの発達があった。ある日思いついて、インターネット上にロシア語で母の名を打ち込んでみる。特に期待もしていなかったが、やがて家系図探しを生甲斐にしているロシア人と知り合うことになる。著者は母がマリウポリ生まれだったということは聞いていた。
(マリウポリの位置)
 母親によれば、昔は貴族で祖母はイタリア人、一族にオペラ歌手がいた…、いろんなことを子ども時代の母は語っていた。しかし、幼い子どもには理解出来ず、証拠はどこにもない。母には姉と兄がいたが、どこで何をしているか消息不明。祖父母も同様で、母はドイツに連れて来られてから一度も自分の母には会えなかった。伯父伯母がいたからいとこがいるもしれないが、一族の行方は何も知らなかったのである。しかし、20世紀前半のヨーロッパには「二人の口ひげ」がいたわけだから、どうせ生き延びられなかっただろうと思って生きてきたのである。

 「二人の口ひげ」とは、後に電話で話した親戚が実名を言いたくなくて使った表現である。もちろんソ連のスターリンとドイツのヒトラーを意味している。この二人のため数千万の人命が失われた。その大惨劇を思えば、到底生き延びられたとは思えないではないか。ところがインターネットの検索によって、少しずつ事情が明らかになっていく。ギリシャ人が多かった港町マリウポリで、実際にイタリア人の船長が住み着いて大金持ちになった。母の兄はソ連でも有名なオペラ歌手だった時期もあった。「伝説」はおおむね確認出来たのである。そして、伯母(母の姉)リディアが80歳の時に書き遺した自伝が見つかる。そこまでが第一部。
(左=著者、右=若き日の母)
 リディア(1911~2001)の数奇なる人生は、とても書き切れない。ロシア革命によって、裕福な階級から一転して最下層に転落。何とかオデッサの大学を卒業した後で「政治犯」になった。何と反ソ連革命組織に関わっていたのだ。そんなものがあったのか。大学で知り合った米国帰りのユダヤ系女性が、ソ連共産党は反人民的組織に転落したと考えチラシなどを作っていたとは、全く驚くべき事実だ。リディアは流刑になったが、厳しい環境を生き抜いていく。少年犯罪者を教える教師になったエピソードなど忘れがたい。流刑地で結婚して子どももいた。一族はその後も恐るべき転変が相次ぐが、ここでは省略する。
(母、姉、兄が写った写真)
 第3部では著者の母親の人生がたどられ、第4部では幼い著者自身の体験が語られる。そこには推測も交じり、それまでのノンフィクション的な語りとは異なっている。祖母が姉リディアのところに行っていたときに、独ソ戦が始まった。そのため、マリウポリに残った母は一人で戦争を生き抜かなくてはならない。占領したドイツ軍の命令で働かされ、赤軍による「解放」が近づくと、今度は「ドイツ協力者」が許されないことを知っているから逃れようとする。そしてドイツの移送労働者になるのである。そこではナチスの宣伝とは全く異なり、最下層の労働者として酷使、差別される。

 戦後になっても、故郷に帰ることは出来ない。戦勝国になった祖国は、敵だったドイツより恐ろしいのである。だがドイツでは最下層の暮らしを余儀なくされる。そして心を病んだ母親は川に入って入水自殺することになる。この本では父親のことはあまり語られていないが、それは父に関しては別の本を書いたかららしい。父は暴力を振るって、著者は家を出てホームレス少女になったらしい。その後苦労して作家になっていく人生は、訳者あとがき、またドイツ語のウィキペディアに詳しい。

 この本を読んで、ヨーロッパ現代史の壮絶な犠牲に言葉もない思いがした。ロシア革命と言えば、一時は全人類の希望のように語られていたが、実は恐るべき災厄だったことがよく判る。ロシアから見ているのと、ウクライナから見るのとではまた違う。中国の文化大革命やポル・ポト時代のカンボジアを思わせる破壊と殺戮の繰り返しである。そして戦後ドイツ社会への認識も不足していた。ドイツは戦争責任に向き合ったかのイメージが強いが、著者のような「東方労働者」はほとんど無視され、60年代半ばになっても収容所暮らしだった。現在に至っても、きちんとした研究も少ないようだ。知らないことは多いと改めて思った。
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「ガーシー議員」除名問題、選挙と議会の本質を考える

2023年03月19日 23時16分42秒 | 政治
 参議院の「ガーシー(東谷義和)」議員が、ついに3月15日に除名となった。この問題については、1月27日に『「ガーシー」議員問題、どう考えるべきかー政党助成金削減も必要』を書いた。その時点では「欠席続きなのに文書通信交通滞在費などを受給して良いのか」、さらに「NHK党」は国会議員2人を擁する政党として助成金が支給されているのもおかしいと書いた。ガーシー議員の欠席の是非も大事だが、税金の使途という問題もあるという指摘である。
(除名を決定)
 今回はこの問題を選挙や議会の本質を考えるケーススタディとして書いてみたい。案外トンチンカンな議論を展開している人がいるから、ちゃんと考えておきたい。なお、「NHK党」は立花党首が辞任して、名前も「政治家女子48党」に変更したという。議員に男性しかいないのに、この名前もふざけた話だなと思う。ガーシー議員も本会議で除名が決定した時点で「前議員」だが、面倒なので「旧N党」「ガーシー議員」と表記したい。

 僕は今回の除名処分を「やむを得ない」ものと考えているが、中には「少数意見の排除につながる」という人もいるようだ。理解出来ない考え方である。国会に2議席を有する少数政党で、一人が海外にいて帰国せず欠席を続けている。少数意見を表明する権限を持ちながら、国会で採決に加わらない。自ら意見を表明しない人の除名で、「少数意見の排除」というのは理解不能である。今後繰り上げ当選になる新議員が出席すれば、「旧N党」は参議院で2倍の勢力を持つことになる。少数意見の排除どころか、少数意見表明の機会を保障する措置ではないか。

 国会を欠席し続けて除名になったという経緯から、「不登校の生徒を退学させて良いのか」などと言う意見もかつて見た。話は逆だろうと思う。国会議員は生徒ではなく、教員側のはずだ。立法権を持ち、国民のリーダーたる人々である。だから学校のたとえで言うならば、教師が一度も出勤せずに「授業はオンラインで出来るだろ」とか言ってるケースにあたる。職員会議を開くから出勤せよと職務命令を受けたのに、相変わらず欠勤続き。そこで無断欠勤で懲戒免職になったわけである。

 国会議員には自ら立候補して当選しなければなれない。当選出来たら、国会は仕事場である。理由なき欠勤はまずいだろうというのは、誰しもが理解出来るはずだ。「不当逮捕の恐れ」というのは理由にならない。国会議員には、会期中の不逮捕特権がある。(憲法50条。「両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。」)従って、「不当逮捕」される恐れはないと考えるのが常識だ。

 ところで、ガーシー議員はこの除名に関して、自分に投票してくれた「28万7714人」に詫びろなどと訳の判らないことを言っていた。これは全くの理解不足としか言いようがない。そもそも「28万強」の得票では当選出来ない。この票は「旧N党」の候補者リストで第1位になったという意味しかない。「政党名での得票」が80万票以上あったのである。「ガーシー」と個人名を書いた人の3倍近い。他の候補者の個人名得票と合計して、「旧N党」の得票は125万3875票。ガーシー氏の得票は全体の23%ほどしかない。政党名で投票した人のことを何にも考えていないのは、どういうことか。自分に対する期待より、所属政党へ期待した人の方が遙かに多かったのである。その期待に背いた責任を感じないのだろうか。

 さらに言えば、こっちの方が重要なのだが、そもそも国会議員は自分に投票してくれた人の代表ではない。衆議院の小選挙区を「世襲」する議員が多くなって、何か国会議員は自分の支持者だけ考える存在にように皆が思っている。だがそれでは議会制民主主義は立ち行かない。これは何度も書いているけど、「沖縄の問題を沖縄選出以外の議員が決めて良いのは何故か」という問題である。沖縄の問題を沖縄選出議員だけで決められるんだったら、辺野古埋め立ては不可になるだろう。しかし、国会議員は「全国民の代表」とされるので、国のあらゆる課題を多数決で決する権限がある。(だから辺野古移転が正しいという意味ではない。)

 本当にそういう思いで活動している議員が何人いるかは疑問だ。今の考え方は「民主主義の建前」である。だがこの建前を否定したら議会制民主主義は成り立たない。だからガーシー議員だって、当選した時点で「全国民の代表」なのである。だから詫びるなら全国民に詫びて欲しい。そのことが書きたかったのだが、これは多分他の議員にも言うべきことだろう。本当は立候補以前に「研修」がいるんじゃないかと思う。誰でも立候補して良いけど、民主主義のルールや歴史認識、科学的常識などの最低レベルは身に付けている人しか国会議員になってはいけない。

 ところで、国会議員を除名されて「ただの人」になった途端、逮捕状が請求されたとの話である。告発された以上、何らかの取り調べは不可欠である。名誉毀損は親告罪なんだから、不逮捕特権のある間に帰国して、相手方と和解すれば刑事事件化されない可能性もあっただろう。小さな交通違反であっても、呼び出しに何度も応じなければ逮捕されることもある。そんなことは誰でも知ってる常識だ。逮捕状から「旅券返納命令」になって、逃亡を続けるしかない人生になるのだろうか。容疑が「暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)」にアップした以上は、今さらどうにもならないだろう。
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「国家」を相対化する生き方ー追悼・大江健三郎②

2023年03月18日 23時20分39秒 | 追悼
 大江健三郎の文学に関する追悼を書いたけれど、書き足りない思いが残るのでもう少し書きたい。大江健三郎はある時点まで「新進作家」として注目され、そのうち大成してノーベル文学賞を取るまでになった。しかし、その頃には難解な作家とみなされ、むしろ社会的発言をする「進歩的文化人」として知られるようになっていたように思う。近年になっても元気な間は原発反対運動などに奔走して、集会やデモにも積極的に参加していた。

 そのような生き方を全体としてどのように評価するべきだろうか。今振り返っておけば、大江健三郎は作家生活の早い頃から、ずっと政治的な課題と向き合って生きてきた。戦後の作家はまず「戦争体験」という空前絶後の体験から出発した人が多い。大岡昇平野間宏などは、その壮絶な戦場体験、軍隊体験などと向き合うことから「作家」となったのだった。しかし、戦後10数年して若手作家となった世代(大江や石原慎太郎など)は、子ども時代に戦争を体験したとはいえ、軍に従軍したわけではない。今ではほぼ全国民がそうだけど、50年代末には彼らが「新世代」だったのである。

 1958年に岸信介内閣が「警察官職務執行法」の「改正」を目論んだとき、野党(社会党)、労働組合を中心にした大きな反対運動が起こった。その時彼ら新世代の「若き文化人」は「若い日本の会」を結成して反対を表明した。ウィキペディアを見ると、この会は石原慎太郎谷川俊太郎永六輔らが中心だった。参加者には大江の他、開高健寺山修司武満徹など幅広い顔ぶれが集まっていた。そして注目されるのは、石原の他、浅利慶太江藤淳黛敏郎など後に保守派として知られる人々も参加していた。

 そのことは前にも書いたが、50年代末には石原慎太郎と大江健三郎は政治的に同じ位置にいたのである。それがどうして、同時代人なら誰しもが知るように、全く正反対の立場になったのだろうか。石原慎太郎は現実に妥協して単なる保守派になったのではない。「保守」の枠組の中でも最右翼になって、日本という国家を強大にするべく憲法改正や核武装を主張するまでになった。一方、大江健三郎は晩年になって「九条の会」結成の呼びかけ人となり、あくまでも護憲派として終始した。

 この違いはどこから来たのか。それぞれの個性もあるだろうが、「国家観の違い」が最大の理由じゃないかと思う。この世代は幼いときは「少国民」と呼ばれ、「鬼畜米英」と戦って天皇のために命を捧げるように教えられて育った。ところが一端戦争に敗れると、上の世代は昔から戦争に反対だったかのように振る舞い、「民主主義」を唱えたのである。この「裏切り」にどう対処したか。大江健三郎の『遅れてきた青年』では、あくまでも敗戦を認めずに戦い続けようとする少年が描かれている。

 それは小説の設定だが、現実に「国(あるいは天皇)に裏切られた」という呪いのような感情は戦後日本の精神史に伏流として流れ続けてきた。このような感情は戦後社会の中でどのように処理されたのだろうか。例えば、戦争に負けたのはアメリカと戦ったからで、今度はアメリカに付くんだという立場もある。一方で、戦争を起こした軍部・右翼ではなく、「正しい考え」の持ち主が指導する日本を作るんだという立場もある。前者が自民党政権のホンネなら、後者が社会党や共産党支持者の考え方だろう。

 では大江健三郎の思想はどのようなものだろうか。それは「国家」というものは間違うものであり、人々が監視していかないといけないというものではないか。その国家は日本だけでなく、アメリカや旧ソ連、中国なども同じである。「正しい勢力」が権力を持てば正しい国家に成ると思うのなら、大江はその党のために支援をしただろう。戦後の「進歩的文化人」の中には、選挙で革新政党を支援した人も多い。国政はともかく、一時は全国に多かった「革新自治体」(その多くでは社会党、共産党の「共闘」が行われた)を支持する運動には多くの文化人が関わった。しかし、大江は選挙の応援には関わって来なかったと思う。

 大江健三郎においては、「国家」はいつも何か別の視点によって「相対化」されていると感じる。特に中期において展開された「四国の森」の喚起力は圧倒的だ。江戸時代の藩権力や近代の天皇制国家に表面的には従いつつも、もう一つの神話的世界が存在したという「オルタナティヴな歴史」を提示する。それは60年代、70年代に深化した民衆史や民族学、神話学などの成果と共通性もあった。それが実証的にどこまで現実に即していたのか、あるいは大江健三郎の想像力の産物なのかは、今の時点では見極めが難しい。
(1960年の初めて広島訪問)
 大江健三郎は社会的発言を行ったイメージが強いかもしれないが、どんなテーマにも発言したわけではない。例えば、60年代に文壇でも大きな問題だった冤罪・松川事件の救援運動の先頭には立たない。65年に結成された「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)にも関わっていない。大きな理由としては、長男に障がい児が生まれたことによって、家庭外の活動に制約が出来たことがあるだろう。実際に関係者に会って関わりを持った「広島」や「沖縄」、そして戦争否定の象徴としての「憲法9条」護持、核兵器反対から続く「原発反対」などに限って注力したのだと思う。
 
 そのような大江健三郎の「国家」(日本においては天皇制国家)に呑み込まれない生き方は、ノーベル賞受賞直後の文化勲章拒否に見事に示されている。そのような国家への向い方は広島との関わりから生まれた「核時代」という時代認識につながっている。核兵器が全人類の頭上にある世界で、一つの国家の「国益」というものは相対的なものでしかない。そのような核時代にどのように抵抗出来るのか。それこそが大江文学の目指すものだったと思う。僕もそのような大江健三郎の生き方には大きな影響を受けてきた。

 先に読み直して感じたところでは、残された論点として「60年代と朝鮮」があると思う。『われらの時代』『遅れてきた青年』『叫び声』『万延元年のフットボール』と続く作品群では、作中で在日コリアンが大きな意味を持っている。実際に愛媛県にどの程度の朝鮮人が徴用(強制連行)されたのか確認していないが、実証的な検討が必要だろう。同時代では60年代の大島渚監督の映画にも、朝鮮人が出て来ることが多かった。比較検討されるべき論点だろう。
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「再審法」改正が急務であるー証拠開示と検察官抗告禁止

2023年03月16日 22時57分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「袴田事件」再審開始決定に続いて書く予定だった記事を書いておきたい。それは「再審法」の改正が必要だということである。そのことは今までも書いているけれど、改めてこの機会にまとめておきたい。

 「袴田事件」開始決定後に、弁護団から最高裁に特別抗告をするなという要請が検察庁に行われた。国会の「袴田巖死刑囚救援議員連盟」も法務大臣に要請した。今回の高裁決定は最高裁の差し戻し決定を受けて審議されたものだから、特別抗告をして引き延ばすのは許されない。(なお、判決に不服で最高裁に上訴するときは「上告」というが、今回のような再審開始(あるいは棄却)決定に不服で最高裁に上訴する場合は「特別抗告」と言う。また、地裁決定に対して高裁に訴える時は「即時抗告」と言う。)
(弁護団要請後)(議員連盟要請)
 袴田事件に先立って、2月27日に滋賀県で1984年に起きた日野町事件で再審開始決定が出た。1988年になって逮捕された阪原弘さんは、無期懲役が確定し服役中の2010年に75歳で亡くなってしまった。本人が起こしていた再審請求は、大津地裁で却下され大阪高裁に即時抗告していたが、何と本人死亡で終了してしまった。2012年になって遺族が再審請求を起こし、2018年7月に大津地裁で開始決定が出た。それに対し検察官が即時抗告し、先月末に大阪高裁が即時抗告の棄却決定(再審開始)が出た。そして検察官は最高裁に特別抗告したのである。一体、いつまで引き延ばせば気が済むのか。

 僕がこう書くのは、単に時間が掛かることへの批判だけではない。日野町事件の場合、開始決定に至った大きな新証拠は再審段階で新たに検察側から開示されたものだった。それらの捜査書類や写真ネガなどがもともとの裁判に出されていたら、有罪判決は出なかった可能性が高いというのである。袴田事件に関しても、最終的に開始決定に結びついた「5点の衣類の写真」も2010年の再審請求によって新たに開示されたものだった。つまり、無罪判決につながる新証拠はもともと検察官が持っていたのである。

 これって単におかしい話という問題じゃないだろう。これは「犯罪」ではないのか。無実の証拠を隠し持っていたわけだから、「監禁罪」にはならないのか。いや袴田さんは死刑判決まで受けたのだから、「殺人未遂」というべきではないのか。検察官は公務員なのだから、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(日本国憲法15条)という精神を持たなければならない。自分たちのメンツのために有罪確定判決を守ろうという姿勢は自己防衛としか思えない。袴田さんは死刑の恐怖と長い拘禁によって、精神を病む状態が続いている。これは少なくとも「業務上過失傷害罪」が現在進行形で犯されているのだ。

 このような検察側の対応を見ると、やはり「再審法」改正が急務だと思う。日弁連(日本弁護士連合会)は2022年6月に「再審法改正実現本部」を設けている。詳しい内容は「再審法改正を、今すぐに」で見ることができる。いくつかの論点があるが、最も重要なものは「証拠開示の制度化」と「検察官抗告の禁止」である。もちろん「再審法」という個別法は存在しない。刑事訴訟法の第4編「再審」(435条~453条)の項目のことである。第一審に関しては細かくやり方が規定されているのに対し、再審に関しては具体的な方法が規定されていない。だから、担当裁判官の裁量が大きい。良心的な裁判官に当たるかどうかが、再審の可否を左右すると言っても過言ではないのが現状である。
(各国の再審規定の比較)
 日弁連は「諸外国における再審法制の改革状況― 世界はえん罪とどう向き合ってきたか ―」をまとめPDFファイルで公開している。フランス、ドイツ、韓国、台湾、アメリカ、イギリスの例が紹介されている。それを見れば、フランス、ドイツ、イギリスでは検察官が抗告できないことになっている。決して無理なことを言っているわけではないのである。韓国や台湾は検察官が抗告できるが、積極的な刑の執行停止(韓国)、受刑者がDNA鑑定を求める権利(台湾)など、人権擁護に向けて近年になって再審法の改正が行われている。

 これを見ても近隣アジア諸国において、日本より台湾、韓国の方が進んでいるんじゃないかと思う。そういう日本の「遅れた」部分にちゃんと気付いていかないとますます世界に遅れてしまう。前にも書いたけど、台湾は「同性婚」を合法化している。日本の現状はむしろ中国に近いのに、台湾と「価値観を共有する国」などと語る人がいる。人権擁護という観点から見れば、日本の状況は台湾よりも中国本土に近いのではないだろうか。
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追悼・大江健三郎ー大江文学の評価をめぐって

2023年03月14日 23時16分28秒 | 追悼
 大江健三郎が3月3日に亡くなっていたことが公表された。1935年1月31日生まれなので、享年88歳となる。多くの人に何がしかの感慨を呼び起こした訃報だったろう。誰しもが永遠には生きられないので、いずれの日にか訃報が報じられるのはやむを得ない。しかし、何となく予感していた人も多いのではないか。常に社会的発言を行ってきた大江だが、最近のウクライナ戦争、日本の防衛、原発政策の大転換などに何の発言もしていない。どうもかなり弱ってきているのかもしれないと感じていたのである。

 大江健三郎の創作活動はすでに大分前に終了し、作品は講談社から「大江健三郎全作品」全15巻として2018~19年に刊行された。これは小説だけで、他にも小説と同じぐらい多くの評論や対談などがあるが、取りあえず小説家としての全貌は振り返って見ることができる。もっとも大江文学は今ではどのくらい読まれているのだろうか。1994年にノーベル文学賞を受賞したのだから、名前ぐらいは多くの人が知っていただろう。しかし、中期になって方法的に難解さが増し、作中に外国文学の引用が多くなった。

 世の中全般が「軽い文化」になってしまい、「純文学」そのものが縁遠くなっている文化状況がある。世界最先端とも言える大江文学は、なかなかサラッと読むわけにいかない。読者にも粘り強く読み抜く努力が必要とされるのである。しかし、僕は今のうちに大江文学を振り返っておく必要性を強く感じていて、ようやく2年前に取り掛かった。だがそれも中途で途切れている。文庫本3巻に及ぶ『燃えあがる緑の木』三部作を読み終えたところで、読後の充実感に満ち足りてしまって間を置くことにしたのである。

 その時のまとめは「大江健三郎を読む」として11回も書いている。当時はあまり読まれなかったが、今になってヒットしている。
大江健三郎を読まなくなった頃ー大江健三郎を読む①」(2021.6.25)
「万延元年のフットボール」、性と暴力と想像力ー大江健三郎を読む②」(2021.6.27)
「懐かしい年への手紙」、壮大な人生の総括ー大江健三郎を読む③」(2021.6.28)
「洪水はわが魂に及び」、終末論と自閉症の世界ー大江健三郎を読む④」(2021.6.29)
「新しい人よ眼ざめよ」、障がい児と生きるー大江健三郎を読む⑤」(2021.7.22)
「静かな生活」と「二百年の子供」ー大江健三郎を読む⑥」(2021.7.28)
「遅れてきた青年」、悪漢小説の可能性ー大江健三郎を読む⑦」(2021.7.29)
「セヴンティーン」2部作、テロリストの誕生ー大江健三郎を読む⑧」(2021.8.23)
「叫び声」、性と犯罪時代ー大江健三郎を読む⑨」(2021.8.24)
「燃えあがる緑の木」三部作①ー大江健三郎を読む⑩」(2021.9.12)
「燃えあがる緑の木」三部作②ー大江健三郎を読む⑪」(2021.9.13)

 いや、我ながら良く書いたと思うが、これでも半分以上残っているのである。大江健三郎は当初『燃えあがる緑の木』で小説を終わりにすると言っていた。確かにそれだけの力作、問題作だが、その後武満徹の葬儀で新作を書いて捧げると弔辞を読んだ。そして『宙返り』に始まる8冊の小説が書かれた。それを大江自ら「レイト・ワーク(後期の仕事)」と呼んでいる。僕はそれらの小説は一つも読んでないのである。持ってはいるから今後読んで行くつもりだが。
(ノーベル賞受賞時の大江健三郎)
 日本のマスコミもあてにならないことが多くなり、予想したように「ノーベル賞作家」「社会的発言を行ってきた作家」としてしか報道していない。毎年秋になると、村上春樹がノーベル賞を取るかなど面白半分に報道し、『ノルウェイの森』や『風の歌を聞け』を代表作とか書いてる日本のマスコミである。多分ちゃんと文学作品を読んでる記者など少ないんだろう。半世紀前なら大江健三郎を読まずに、政治や社会を論じることなどあり得なかっただろう。僕も『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』を大江健三郎の大きな業績だと思っているけれど、でもちゃんと小説作品を読んで論じて欲しいと思っている。

 毎月読んでいる故見田宗介氏は戦後日本を「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」と三つに区分した。大江健三郎はその中の「理想の時代」に深くインスパイアされてきた作家だった。政治的にも「戦後の理想」を手放さず、いくら世の中が変わってしまおうと「戦後民主主義」を擁護し続けた。それが次第に左右両翼から攻撃されるようになって、何だか大江文学そものまで古くなったようなイメージを与えてしまったが、それはとても残念なことだった。大江文学の魅力を知る「真の文学ファン」は、この間もずっと大江文学の魅力に惹かれ続けていた。

 大江文学には確かに理想社会を目指していく登場人物が多い。だが現実との格闘を経て挫折していく様をじっくり見つめて、永遠に忘れられないイメージとして定着させる。『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』から『同時代ゲーム』を経て『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』に至る道程は、戦後に生き理想に燃えて闘ったことのある人の心に深く突き刺さる。特に「理想に燃え」たりしなかった人でも、その熱くたぎるエネルギーには圧倒されるだろう。

 特に中期以降の作品には自らの家族と思われる人物が多く登場する。だが日本伝統の「私小説」ではない。まるで「私小説」やエッセイのように思える作品でも、巧妙にフィクション化が施される。リアリズムのように書かれていても、実は何層もの重層的構造になっていることが多い。(そうじゃない作品もある。)グロテスクな、あるいは魔術的な発想の作品が多く、それは誰の影響というものではなく大江独自のものだったが、結果的に当時大きな評判になっていたラテンアメリカ文学と共通性が多かった。まさに世界最先端だったのである。
(大江健三郎の若い頃)
 だけどまあ、今まで大江文学を読んで来ていない人が、突然先に挙げた大長編にチャレンジしても挫折必至かもしれない。やはり若い時代の短編、『セヴンティーン』や『空の怪物アグイー』『アトミック・エイジの守護神』等、あるいは最初期の『奇妙な仕事』『死者の奢り』『飼育』などから読むべきだろう。これらを読んで、合わないと思った人はそこで終わって良い。でも何人かは登場人物の孤独、焦燥、希望、挫折などを我が事と感じるだろう。何よりも物語的に面白いし。大江文学はむしろこれから「発見」を待っているのだと思う。
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