尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ワン・ボイス」政党でいいのか-「希望の党」に希望はあるか③

2017年09月29日 23時20分24秒 |  〃  (選挙)
 続けてどんどん書きたい。小池氏が言うには「選挙で仲間として戦えるかどうか、ワンボイスで戦えるかどうか。そこは重要な点だ」ということだ。この「ボイス」の対象は、「憲法観や安全保障政策の主張」だという話。じゃあ、原発政策や消費税なら党内に「アナザー・ボイス」があっても構わないのだろうか。そう言うと、憲法や安全保障政策は大事だろう、それが一致しない人が、そもそも同じ党を作る意味はあるのかと言われるかもしれない。

 僕も同じ内閣の中で憲法観が違うと言うんだったら問題だと思う。「閣内不一致」では政策を推進させられない。だけど、世の中に完全に同じ考えの人など、そうはいない。細かいことを言い出したら「一人一党」になってしまう。日本でも、世界でも、同じ政党と言えど、ずいぶん違う考えの人が一緒になっていたのではないか。それこそが「政党のダイナミックス」を生んできたのではないだろうか。

 30年ぐらい前の日本政治では、自民党にも社会党にも相当の幅があったと思う。自民党は一応改憲を掲げていたが、護憲を主張する人もいたし、外交や安保政策にも様々なスタンスの違いがあった。社会党も同じで、西欧の社民主義に近い人もいれば、マルクス主義に基づく革命を指向するグループもいた。そういう多様性が良かったというわけでもない。当時もそんなにバラバラでいいのかと言われていたと思うが、現実に多くの声が自社両党内から聞こえてきたものだ。

 しかし、当時も「ワンボイス」政党は存在した。共産党公明党である。「革命政党」(だったはず)の共産党は「民主集中制」で、党内で議論はしてもいったん決まれば一致して行動すると言っていた。確かに時々「除名」される人がいたから、党内で様々な対立はあったわけだが、反対派は存在することができない感じを受けた。公明党も宗教団体の創価学会を基盤にしているから、普通の意味での政治団体とは違っていて、党内で議論するより、上部団体の政治担当部署に見えていた。

 政治的立場は違うものの共産党と公明党は政界内で「孤立」していたが、最近はかなり違っているだろう。公明党は自民党と連立を組んで、もう20年近くなる。その前には93年の細川内閣に参加し、大臣も出した。共産党も他の野党との選挙共闘をするようになり、昔とだいぶ違っている。公明、共産とも、そういう路線をどう評価するかはいろんな立場があるだろうが、ただ共通しているのは「党内議論」が見えない。党内にも派閥などはないことになっていて、路線対立などないかの感じだ。

 でもどうなんだろう? 公明党内には「9条改正を掲げる安倍政権とずっと連立を組んでいてよいのか」という党内議論はないのだろうか。なければおかしいのではないだろうか。共産党も同様で、野党共闘路線や理論面の「柔軟路線」などに、党内で異論は出ないのか。本来は「革命政党」なんだから、喧々諤々の議論がないとおかしいのではないか。あるいは、それだったらいっそ「党名変更すべきだ」という党員はいないのか。そういう議論が外部に出てこない。

 このように考えると、僕は「ワンボイス政党」を評価する小池氏の考え方が判らないのである。小選挙区制に選挙制度が変わってから、自民党のワンボイス化が進行してきた。特に2005年の郵政解散以後、総裁の意向に従うのが正しいかのように思い込んでいる自民党員が多いんじゃないか。怖いのである。党内で異論を唱えれば、公認を失うこともあると思い知ったから。だから、安倍政権下でどんな強行的な政策が進められ、あるいはムチャな答弁をしても誰も反対しないようになってしまった。

 野党は強大な与党に対抗しなければいけない。「ワンボイス」では国民の声をすくう力が弱くなる。国民の安倍政権への考え方は多様だし、違和感を持つところも違うだろう。最大野党が「ワンボイス」では強大与党に対抗できなくなる。民主党が政権交代に成功したのも、党内では「鳩山、菅、小沢」のトロイカ体制を作り、さらに左には社民党、右には国民新党との連立政権という「多様な声を集める」ことに成功したからではないだろうか。

 もっともその後党内で様々な声が分裂の推進力になってしまった。小池氏がかつて所属した新進党も、党内がバラバラになって解体してしまった。そのような体験から、党内がバラバラでは勝てないと小池氏は思っているのかもしれない。だけど、政権取りには「連合戦線」を作ることが絶対条件である。安倍政権を上回るためには、「希望の党」にはあんな人もいる、こんな人もいるという姿を見せないといけないはずだ。相手の方が強いんだから、多くの人の力がいる。

 だが、小池氏が都議選当時代表を務めていた「都民ファーストの会」では、都議選以後誰もマスコミの取材に応じていない。小池氏は代表を辞任し、野田、荒木とすでに代表も3人目。その理由も判らないし、代表選のようなものもない。都議会では知事が素晴らしいというようなヨイショ質問しかしていない。どうなってるんだ。「ワンボイス」どころか「ノーボイス」である。市場移転問題では、決めた理由は記録に残さず、知事の専権、それを称して「AI」とまで言った。そういう人だから、クローンのような議員しかいらないのかもしれない。こんなんじゃ勝てない。都議選での勝利体験に寄りかかっているようではだめだと思う。それを直言できる人がいるのかどうか判らないけど。
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安保法制見直しは必須だー「希望の党」に希望はあるか②

2017年09月29日 21時06分46秒 |  〃  (選挙)
 菅官房長官は民進党と希望の党の候補者調整を「たった一夜にして、政策の協議がまったくない中でいつのまにか一つの政党になった。まさに選挙目当ての数合わせが進んでいる」と発言している。まさにその通りなんだけど、そのように突然の動きが起こったのは、国会の討論もなく突然に国会を解散するという「暴挙」を自分たちがやったからだ。安倍内閣が引き起こした出来事なのに、相手方だけを非難するというのはおかしなことだ。

 とは言うものの、確かに「選挙目当て」というしかない事態が進行しているのも間違いない。民進党を先に離党し希望の党立ち上げに参加した細野豪志氏は「新党の下では安全保障関連法に基づく集団的自衛権の行使を容認する考え」を表明している。希望の党の「新党では現実的に対応できる」とも言っている。これは新党の綱領の4にある「平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策を展開する」の「現実的」の意味内容なのだろうか。そうだとしたら、全くおかしい。

 安倍内閣の下で2015年に成立した「安保法制」によって、「集団的自衛権」が限定的に認められる事となった。それを認めることが「現実的」かどうかの問題以前に、集団的自衛権を憲法上行使できるのかという大問題があった。「できる」とするために、内閣法制局の人事に介入し、強引に解釈の変更を押し通した。そのやり方の強引さ、憲法無視の姿勢に多くの批判が集まった。当時の民主党も野党の中心として、反対の論陣を張っていたではないか。

 まあ、細野氏や前原氏、あるいは長島昭久氏や松原仁氏などはもともと民主党内の右派、防衛タカ派で知られていた。「安倍政権の進め方」への批判という一点で、党内の大勢に従って反対したものの、内心では中身には反対していなかったんだろう。そうじゃなければ、ここで突然「希望の党」に従って「集団的自衛権賛成」にならないだろう。でも、それでいいのか。

 いまの日本の安全保障環境をどう考えるか。とりあえず「北朝鮮情勢」が緊迫の度合いを強めていることは確かだろう。だからと言って、憲法改正を待たずして「解釈変更」で何でもできるというやり方は、認められるのか?「北朝鮮情勢」そのものも、冷静に分析してみる必要がある。日本が軍事的に「貢献」できることなど限られていて、戦争に巻き込まれる可能性を増大させるだけではないのか。「現実的」というなら、米軍追随的な現状こそ「現実的」に見直す必要がある。

 小池氏は当時は自民党議員で、安保法制に賛成した立場である。今さら見直すとは言えないかもしれない。だが、民進党議員は違う。当時は違憲論を主張し、国会内外で活動していた人がいっぱいいたではないか。憲法解釈に関して、これほど短期間に立場を変えるようでは、他の問題でも信用に関わるのではないか。安倍政権下でなされた多くの「悪法」の中でも、安保法制は違憲性が際立っている。これをなかったことにできるという人が、安倍政権打倒を言って何の意味があるか?

 もしかして選挙で多数を取ったとしても、「安倍なき安倍政治」が出現してしまうだけだ。国民はそういうものを求めているのか? 違憲性を払しょくできない安保法制を見直さない限り、憲法改正などを口にしても信用できない。「安倍政治を終わらせる」とは、中身だけでなく、手法においても、強引に進められた政策を見直すものでなければならない。安保法制を見直さないことを前提にする「希望の党」では、どこに「希望」があるんだろうか? 僕には理解できない。
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映画「オン・ザ・ミルキー・ロード」-やがて哀しきクストリッツァ

2017年09月27日 20時21分02秒 |  〃  (新作外国映画)
 僕の大好きなエミール・クストリッツァ(1954~)の久々の新作、「オン・ザ・ミルキー・ロード」(2016)が公開中。さすが見事な冒険、恋愛、奇想の大ロマンである。いつものようにハチャメチャな展開だが、今回はイタリアからモニカ・ベルッチを共演に迎え、なんと自分で主演している。毎度同じく音楽も素晴らしい。、自ら率いる「ノー・スモーキング・オーケストラ」のメンバーである息子のストリポール・クストリッツァが担当するバルカン風音楽が画面に鳴り響いている。

 どことも明示されない「とある国」が隣国と戦争している。(舞台が舞台だからボスニア戦争を思い出してしまう。)右肩にハヤブサを乗せたコスタ(エミール・クストリッツァ)は、村からの戦線の兵士たちにミルクを届けるため、ロバに乗って前線を回っている。戦前はミュージシャンだった彼も、今は戦場の村で乳しぼりとミルク運びの日々。いったい戦争はいつ終わるのか。それでも村には様々な人が住んでいて、日々の暮らしは続いていく。ミルク売りの娘ミレナはコスタに想いを寄せている。戦争が終わって、兄のジャガが帰ってたら、兄妹で同じ日に結婚する夢を持っていた。

 ある日、ようやく戦争が終わり、兄はイタリア生まれの美しい花嫁(モニカ・ベルッチ)を迎えることになる。ところが、コスタと花嫁はひかれあってしまい…。一方、この花嫁、実は訳ありで逃亡中。父を求めてセルビアに来て戦争に巻き込まれた彼女は、多国籍軍の英国人将校に熱愛され逃れてきたのだ。将校は彼女を追い求め、生死を問わず連れ帰れと部下に命令。襲われた村人は猛火に包まれた。ミルク配送中のコスタだけが蛇に絡まれているうちに襲撃を逃れた。井戸に隠れていた花嫁を救い出し、後はひたすら逃げていく…。この逃亡劇が凄い。

 もともと若いころからフェリーニやブニュエルが大好きだった僕は、クストリッツァのような「マジック・リアリズム」的な作風が好きである。エミール・クストリッツァは、旧ユーゴスラヴィアのサラエヴォでセルビア人とモスレム人の両親のもとで育った。だから、90年代に「祖国」が崩壊し、生まれた町が戦火にまみれた。(今はセルビアに住む。)彼の映画では、(アメリカでジョニー・デップ主演で撮った「アリゾナ・ドリーム」は別にして)どうしても「ユーゴスラヴィアの歴史」が絡んでくる。

 この映画も資本的にはともかく、中身としては「セルビア映画」ということになるだろう。この映画で「多国籍軍」の英国人将校の横暴という設定になっているのは、やっぱりベースににNATO軍などへの消せない反感があるんだと思う。だけど、外国からの派遣軍が兵士を私兵のように使うという設定はどうなんだろう。架空の戦争という設定だから、もうなんでも好きに作っちゃうということか。

 この映画は、今までの映画にもまして動物が出てくる。今までも「アリゾナ・ドリーム」「黒猫白猫」など動物がたくさん出てきて印象的だ。この映画は冒頭にガチョウの行進が出てくる。ついで、ハヤブサの目から見た村の様子。さらに蛇、犬、猫。そして羊の大群に囲まれて地雷群を逃げ延びようとする。ラストは15年後にと生きる姿。毒蛇だけはCGを使ったけど、熊は何年もかけて仲良くなり食べ物を口移ししている。この映画の動物は多すぎないか。動物好きというレベルをはるかに超えている。

 僕が思ったのは、もうクストリッツァは、人間の目ではなく「動物の目」で世界を見ているということだ。平和を訴えるなどと言った甘い誘惑もそこにはない。ただ自分の愛だけは信じられる。もう戻ってこないと知っている過去だけを愛している。「今はなきユーゴスラヴィア」に殉じるかのごとき映画だ。もちろん今までの映画に見られたユーモアとエネルギーは消えてはいない。(大時計のシーンなど実におかしい。)だけど、言うべきとを言い、見るべきものを見たクストリッツァは「やがて哀しき」境地にあるのか。そんな気さえしてしまうほど、悲しいラストに見入ってしまう。
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「希望の党」に希望はあるか①小池氏の行動をどう見るか

2017年09月26日 23時02分30秒 |  〃  (選挙)
 安倍首相の解散表明に合わせて、小池百合子東京都知事が「希望の党」を立ち上げ、自ら代表を務めると発表した。都議選直後のブログで、「小池新党」は必ず国政選挙に出ると書いたけど、本人がどこまで関与するかは判らなかった。自ら代表になるというのは、今後の政治行動をかなり縛ってしまうので相当リスクが高いと思う。それでも決断したのはどうしてだろうか? 選挙の構図を変えてしまう可能性があるから、注目して見ていく必要がある。

 「希望の党」に希望はあるかというのは、大体二つの意味がある。一つはもちろん、「希望の党」が躍進することが日本の「希望」につながるのかという問題。もう一つは、「希望の党」から出る候補者にとって、希望の持てる選挙情勢になるかどうかという問題。僕は大体どこの党にも大した期待は抱いていない。もちろん「希望の党」にも特に大きな希望は見出さない。都議選以後の小池氏、並びに「都民ファーストの会」の行動を見ても、何してるんだと思うことが多い。

 だけど、まあ公約も判らなければ、どんな候補が出てくるかも判らない現時点では、もう少し見ていることにしたいと思う。いま書こうかと思うのは、「希望の党」を小池氏自ら引っ張っていく意味についてである。ちょっと前から、自民党を離党した若狭勝氏と、民進党を離党した細野豪志氏が新党の立ち上げを画策していた。だが、この「若狭・細野新党」では、どう見ても力不足。小池氏に先頭に立ってほしいという要望は強いものがあっただろう。

 とは言うものの、自分が都知事を辞めて国政に打って出ることはできない。2020年五輪を終えるまでは、都政投げ出しはできないだろう。いくら何でも、それは無責任に過ぎる。2016年に都知事に当選したばかりなんだから、批判が集中するに決まってる。となると、「日本初の女性首相を実現させよう」という選挙はできない。それなら「小さな党」を当面作っておくだけでもいいのでは?

 公明党からは都政を優先させてほしいと相当に強い要望が出ていた。公明は都政では「都民ファースト」と選挙協力を行い、都政の与党になっている。一方、国政では自民党と連立を組んでいる。今回は国政選挙なんだから、自民党と「希望の党」が競合する場合、自民党を支援するのが当たり前だ。だが、3カ月前の都議選では「都民ファースト」に入れたんだから、そう簡単に納得できるだろうか。いくら固い公明支持者だって、小池知事の応援演説を聞けば、動いてしまう人もいないだろうか。

 そういう問題があるから、公明党筋からは「都政の協力関係を見直すかも」という話も出ている。一方、小池氏は総理大臣指名選挙では「公明党代表の山口那津男氏が良いのでは」などとムチャクチャなことを言っている。長く国会議員をしているんだから、自分の発言の意味は判っているだろう。これはほとんど「国政の自公連立の方を辞めたら」というのに近い。

 支持・不支持を別にして、小池氏の選挙勘はあなどれない。1992年に日本新党から参院選に出て当選。以後、1993年に衆院転身。その後、新進党に参加し、解党時は小沢一郎氏の自由党に参加。2000年に自由党が連立を離脱した時は、小沢氏を離れて連立に残り、保守党を経て自民党へ。2005年の郵政解散では地元の兵庫から、東京10区に「刺客」として参戦して圧勝。そして、2016年に都知事選に立候補して当選。2017年都議選では「都民ファーストの会」が圧勝。

 一つ一つの行動は割と知られているだろうが、改めてこうして見ていくと、一度も選挙に負けていない。二世、三世議員として、長年の地盤があって誰もは入れ込めないというわけじゃない。参院から衆院へ、兵庫から東京へ。それぞれリスクある行動だ。都知事選もそうだし、夏の都議選も同様。むしろ意外とも思える大胆な行動で政治的な力を増してきた。そういう人がなぜ?

 五輪を控えて中央政府との協力は欠かせない。都政運営を考えると、公明との摩擦は避けたい。それを考えると、今回のような突然の選挙では、むしろあまり関わらない方が得策なんじゃないだろうか。若狭・細野両氏を中心に小さく作っておいて、2019年参院選あたりから本格参戦する。いくらでも言い様はある。「都政の課題に専念したい」「五輪成功は超党派的課題だ」「小さく生んで大きく育てる」とかなんとか言ってれば、大方は納得するに違いない。

 それなのに、リスクを取って代表となって参戦する。僕は「勝機を感知した」としか思えない。全国に立てるようなことを言ってるけど、権力の源泉は都知事であることにある。東京の小選挙区で勝てないと、どこでも勝てない。2014年衆院選で、東京の25小選挙区では、自民党の23勝2敗だった。自民が負けたのは、長妻昭と柿沢未途だけ。(柿沢は何でも「希望」に移りたいようだが。)だから、「希望の党」は自民党を倒さないと議席が増えない。それを目指すということだ。

 しかし、そのための候補者を短期間に見つけられるのか? そこで考えられるのが、候補者バンクとしての民進党である。民進党ごとではないにせよ、どんどん離党を勧める。民進党をこぼれ落ちて来る人に「踏絵」を踏ませて、自民に匹敵する「保守党」を作る。いま安倍批判をすれば、どっと「希望の党」に流れてくる。都議選で起こった、自民激減民進解体が首都圏で起こり得る。

 さあ、どうする? それはともかく、選挙戦が始まると、言い方はソフトかもしれないが小池氏の安倍批判が激しくなるに違いない。本来、安倍首相と対比されるべきは、野党第一党代表の前原氏である。だけど、テレビの報道は多分、安倍と小池をクローズアップする。そういう構図になり得る。そういう「勝機」を今小池氏が感じ取ったということだろう。しかし、まだだれが出るかが判らない。東京で本気で勝ちに行くのなら、8区の石原伸晃、11区の下村博文、24区の萩生田光一などに対抗できる候補を見つけられるかにかかっている。ここに、自分が郵政選挙で経験したような「話題性たっぷりの刺客」をぶつけられるのか。注目するところだ。

 ところで、「希望の党」は総理大臣指名選挙で誰の名を書くのか。代表を知事が務める。これは「日本維新の会」の松井大阪府知事と同じだというが、その「維新」の松井氏にも同様の問題がある。衆議院の小選挙区では、候補者が誰を内閣首班に推すか、事前に決まってないのはおかしい。2012年衆院選の「日本維新の会」は、橋下徹、石原慎太郎両氏が「共同代表」だった。2014年衆院選の「維新の党」は、橋下徹、江田憲司両氏が「共同代表」。実は国会議員ではない人がトップの党が、衆議院選挙に臨むのは初めてなのだ。(昔、社会党委員長を飛鳥田一雄横浜市長が務めたことがあるが、直近の衆院選に立候補して当選したから問題は生じない。)これじゃ無責任と言われても当然なのではないか。そこが「希望の党」の最大の弱点だろう。
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山田洋次監督の映画「小さいおうち」(2014)

2017年09月24日 21時08分41秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターの倍賞千恵子特集で、山田洋次監督の映画「小さいおうち」を再見した。この特集では倍賞千恵子本人のトークもあったけど、いっぱいで入れなかった。その後全然見ていなかったけど、「小さいおうち」という映画はまた見てみたかった。2014年の映画だから、旧作というには近すぎるけれど、公開当時はここで書かなかった。中島京子直木賞受賞作(2010)の映画化だが、公開時には原作の印象が強く、映画はその「絵解き」のように見えてしまった。

 この映画は、山の手の「赤い屋根のある小さいおうち」に住み込みで働いていた女中、布宮タキの目で、昭和10年代の東京の中産階級の生活を見つめている。年老いたタキ(倍賞千恵子)は「自叙伝」をノートに書いていて、その映像化という体裁である。若い時期のタキを黒木華が演じていて、ベルリン映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)を獲得した。「6歳のボクが、大人になるまで」のパトリシア・アークエット、「薄氷の殺人」のルー・グンメイなどを抑え、よく黒木華を見出したと思う。

 黒木華以外は、奥様の平井時子役の松たか子、板倉正治役の吉岡秀隆、タキの大甥(タキの兄弟の孫)で話の引き出し役・健史役の妻夫木聡など、近年の山田映画に出た人が多い。チョイ役だけど、タキの最初の勤め口だった作家夫妻は橋爪功と吉行和子で、ここのところずっと山田映画で夫婦を演じている。そういう「既視感」が、最初に見た時に面白くなかった。

 また妻夫木聡が老いたタキの「自叙伝」を読んで、いろいろとチャチャを入れるのも、結構うっとうしい。今時「十五年戦争」なんて言葉で昭和史を教えている教師があるとは思えない。歴史に関心がなければ、南京大虐殺もほとんど知らないだろう。一方、現代史にある程度関心があれば、「満州事変」(1931)以後の昭和史が「暗黒」一色に塗りつぶされていた、なんて思ってる人はもういないだろう。どうもそんなセリフにも、山田洋次の思い込みのようなものを感じてしまったのである。

 そういう「弱点」は今回見ても同じなんだけど、今回見て公開当時より「現代性」が増している気がした。たった3年しか経っていないけれど、時代が「戦前」に戻ってしまったのか。「五輪」を前に浮かれて儲けをもくろんでいたはずが、あっという間に奈落の底に落ちる。それぞれの段階では、「何とかなる」と思っている。「近衛さんなら大丈夫だ」と根拠なく思い込みながら。男たちは「儲け」から「戦争」へと「男だけの言説空間」を持っている。そこへ入れないものはどうする?

 そこへ入れないのは、「」「子ども」と「二級男子」である。老人男性は「昔取った杵柄」で「戦争熱」をあおる方にへ入れる。だけど、徴兵検査で甲種じゃなかった病弱、障害男性は、戦時体制には不要だ。玩具メーカーの常務、平井家に出入りする社員(というより美大出の芸術家タイプの玩具デザイナー)板倉は、徴兵検査が丙種だから、普通だったら徴兵されない。(日本が「普通じゃない戦争」段階に入って召集令状が届く。)その前後に平井家に「恋愛事件」が起きる。

 この小さな「恋愛事件」をめぐって、小説と映画では少し違いがある。だが基本的なシチュエーションは同じ。もうネタを隠す必要はないから、その解釈を考えてみたい。タキは結局生涯を通して結婚しなかった。晩年に書いた「自叙伝」で、奥様と板倉との間に生じた恋愛感情、あるいは「姦通事件」を示唆した。召集令状が届いたと知らせに来た翌日、奥様は板倉に会いに行こうとする。その意味がピンときたタキは必死になって止める。代わりに自分が手紙を届けると説得し、奥様は手紙を書く。
 (黒木華と松たか子)
 しかし、結局板倉は訪ねて来ず、平井夫婦は昭和20年5月25日の山の手大空襲で亡くなる。子どもは生死不明。タキと平井一家の関わりはそれで尽きてしまうが、タキが亡くなった後で遺品の中から「平井時子」名の手紙が見つかる。タキは奥様の手紙を板倉には届けず、最後まで自分で保存し続けていたのである。それは奇跡的に見つかった平井家の息子によって、数十年後に開封された。

 さて、その意味は何かということになる。タキの行動の「コインの表側」は「女中としての職業的義務感」である。平時ならともかく、周りの目の厳しい戦時中に「姦通の手引き」はできない。雇い主は「旦那様」であり、本来の忠誠心はそちらに発揮されるべきものだ。

 だけど、それはタテマエである。「コインの裏側」には何があるか。一つは「タキも板倉を慕っていた」という解釈。板倉は前日夜に別れる前にタキをハグしている。それは同じ北国出身者としての「同胞愛」のようなものと思えるけれど。もう一つは「タキは奥様に憧れを抱いていた」という解釈である。板倉との恋愛沙汰に煩わされる奥様の様子に心配が募り、自分の考えで手紙を渡さなかった。もう一つは「タキはただ奥様と子どもとの平穏な生活が続くことだけを望んでいた」という解釈。

 いろいろと見方は考えられると思うけど、何にせよ戦後のタキはこの「小さな罪」に殉じたのだと思う。奥様はタキの将来について、自分がきっといい嫁ぎ先を見つけてあげると言っていた。平井家が戦争を生き延びていれば、奥様が勧める縁談をタキは断らなかったに違いない。だけど、自分の行動で奥様は思う人と最後に会えずに戦争で亡くなってしまった。これは自分の罪だとタキは思った。

 僕が今回見て思ったのは、タキは「周りの目」を理由に奥様を止めているということだ。米英との開戦で万歳を叫んで回っている酒屋の主人がいる。彼は板倉の下宿屋の主人と囲碁仲間で、いつか下宿を訪ねた奥様を見ていた。そのことをタキに告げて、時局柄好ましくないのではと脅迫的に告げる。それを聞いて、タキは奥様を止めるわけだけど、これはタキの「小さな戦争犯罪」だったのだと思った。人が誰に会うか会わないか、それが自由にならない。「非国民」の声にひるんだ。タキは戦後何年たっても、この小さな「恋愛事件」での自分の行動を許せなかったのだ。

 そういう見方もできるのではないか。時子の姉の貞子(室井滋)は折々に訪れて妹を諭していく。ある時期までは、山の手郊外に家なんか建てて、都心の名門校(一高、東大につながら中学に入りやすい小学校)への「お受験」はどうするのかと問う。しかし戦時下になると、新宿の中村屋で一緒にお茶を飲んでいた男性は誰なんだと問い詰めに来る。

 庶民にとってそれが戦争だったとすれば、最近の女性週刊誌などが「お受験」よりもく、「不倫」糾弾に熱中する記事が多くなっている気がするのは不気味である。戦争が始まる前に、相互監視、道徳的非難が起こっている。戦争が始まってから、どうして戦争に反対できるだろうか。戦争が始まる前の「非国民糾弾」の時点で、誰が世の中を不自由にしているのかを問わないといけない。
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「満韓ところどころ」-漱石を読む⑦A

2017年09月23日 22時30分01秒 | 本 (日本文学)
 ちくま文庫版漱石全集第7巻には、小説「行人」と紀行「満韓ところどころ」、随筆(病床回顧)「思い出すことなど」が入っている。「行人」だけで430頁もあるから、そこで挫折しそうなので、後ろの二つから読むことにした。書かれた順番ではそっちが先なんだし。両方合わせて230頁程度の作品。
 
 ということで、一応書いておくんだけど、これは「記録」という感じ。「思い出すことなど」はともかく、「満韓ところどころ」は全く面白くない紀行だった。こういう文章を漱石が書いていることは大昔から知っていた。「満州」「韓国」の当時の状況を、日本の知識人がどのように見ていたのか。非常に貴重な記録なんじゃないかと思い込んでいたけれど、まったく違った。

 時期的なことをまとめておくと、1909(明治42)年9月2日から10月14日まで、満州と韓国(大韓帝国)を旅行した。帰国後、10月21日から12月30日まで「満韓ところどころ」を朝日新聞に連載した。小説をみると、1908年に「三四郎」、09年に「それから」。10年の「門」執筆中に、胃腸病で入院した。まさか翌年死にかけるとは思ってなかったろうが、前年の旅行時も胃腸の不良が続いた。

 歴史的には、1904年に日露戦争、1905年のポーツマス条約で、日本はロシアが租借していた遼東半島を獲得した。また、ロシアの東清鉄道の奉天以南も獲得し、1906年に南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立された。総額2億円のうち、日本政府が半額の1億円を現物出資した「半官半民」の会社である。単なる鉄道会社ではなく、事実上「満州」(中国東北部)の植民地経営を行う会社だった。漱石の帰国直後の、10月26日には、前韓国統監伊藤博文がハルピンで暗殺された。翌1910年が「韓国併合」なので、漱石はその直前の貴重な時期に旅をしていたことになる。

 だけど、「満韓ところどころ」にはそういう緊張感がどこにもない。というか、そもそも韓国旅行の部分が出てこない。連載が長くなり、12月30日になったから「もうやめ」と書いてある。なんだなんだという感じで、せめて出版時に「韓」の字を削るべきだっただろう。ただし、「社会的緊張感」はない代わりに、漱石がゼムなる仁丹みたいなものをいつも服用しながら、時には見学を休んでいる。体調不良に関する「緊張感」ならずっと続いている。こんな旅行しなけりゃ良かったのに。

 じゃあ、なんで行ったのかというと、一高時代以来の大友人、中村是公(1967~1927)が第2代満鉄総裁を務めていたからである。漱石は、是公を一高以来「ぜこう」と呼びならわしていた。多くの人がそう呼んでいたけれど、本当の読み方は「よしこと」という。これは読めない。東京帝大法科大学を卒業後に大蔵省に入り、台湾総督府時代に民政局長の後藤新平と知り合い腹心となった。

 後藤新平は初代の満鉄総裁になり、中村是公を副総裁に据えた。1908年、後藤が第2次桂太郎内閣の逓信大臣になると、是公は41歳の若さで第2代満鉄総裁になり、満鉄史上一番長い5年間を務めている。1913年に原敬によって満鉄を追われ、その後は貴族院議員、鉄道院総裁、東京市長などを務めた。この経歴は、ずっと後藤新平絡みの政官界人生だったことを示している。今はもう「漱石の友人」として知られているだけだろう。その是公が漱石を呼んだわけである。

 漱石の友人、知人、かつての弟子などがこの紀行にはたくさん出てくる。そのことの意味もいろいろ論じられている。是公は多くの日本人にはいまだ知られざる「日本人による植民地の発展」を見せたかったが、漱石は一種の「同窓会旅行」のように書いた。そこに何か意味を求めるかどうか。だけど、昔の友人や熊本時代の教え子なんかが、なんでこの時代の「関東州」に集中していたのか。

 すべてセッティングされ、お金も出してもらえる(と書いてある)「主人持ち旅行」。結局この紀行がつまらないのは、そういうことだと思う。自由に民衆の中に入っていくことはない。そういう体力もないけど、そういう発想もないと思う。それは当時の旅行というものの限界だろう。「日本人の活躍ぶり」ばかりが出てくるのも、やむを得ない。そういうとこばかり周っているんだから。セッティングされた名所めぐり。中国や北朝鮮に招待されて書かれた紀行が、昔いっぱいあったけどなんだかそんな感じ。

 「露助」や「チャン」と言った「差別語」も出てくる。中国人民衆が汚いとか、苦力(クーリー)を下に見るような表現も出てくる。それをどう見るか、さまざまな説があるようだけど、言葉を使う仕事なんだから、そういう言葉を安易に使っては困るように感じた。そもそも体調もあって、それほど乗っていた気がしない旅行記である。たった数年前に戦争があったばかりの、旅順の古戦場も訪ねている。

 日本はロシアとの大戦争を戦い、関東州を獲得した。この文章を素直に読む限り、漱石は「国家の発展」に肯定的な「帝国の作家」と言える。漱石は一高、東大を卒業、英国に留学もした「一流のエリート」である。当然、学校時代の友人もエリートである。そういう人が外地にたくさん出ていた。内地を食い詰めた人が植民地に流れる時代ではなかった。創設間もない満鉄を中心に、実務エリートが外地に集められていた時代なんだろう。そういう人の声を記録するのも意味はあるが、この紀行はそこまでの中身がない。もう少し体調が良ければ、もっと意味あるものになったかもしれないが。
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是枝裕和監督「三度目の殺人」

2017年09月21日 22時23分18秒 | 映画 (新作日本映画)
 是枝裕和(これえだ・ひろかず 1962~)監督・脚本の新作「三度目の殺人」。題名通り、殺人事件とその後の裁判を描き、それを通して「人間存在の不可思議」に目を凝らしている。今年屈指の力作だと思うが、なんかザラザラと残り続けるものもあり、大傑作と太鼓判を押せるかとためらう部分も…というような映画体験だ。拘置所での弁護士(福山雅治)と被告人(役所広司)の面会シーンが何回もあるが、すごい緊迫感。それだけでも見る価値がある。役所広司はやはり素晴らしい。
 
 冒頭で役所広司(あとで三角高司という名前と判る)が誰かの頭を殴りつけている。寅さんシリーズのように、冒頭シーンは夢だというお約束の映画もあるけど、普通のリアリズム映画がほとんどの是枝作品だから、三角高司の「犯人性」は疑えないはずである。続いて、弁護士の重盛福山雅治)が他の弁護士とともに三角の面会に行く。修習同期の摂津吉田鋼太郎)が担当していたが、三角の供述がコロコロ変わるので、対応が難しいということで、重盛に手助けを頼んだのである。重盛は若いイソ弁の川島満島真之介)を連れ、三人で面会に赴くわけである。

 というあたりから、画面にはずっと強い緊迫感が漂い続け、一瞬も気が抜けない。だんだん判ってくるけれど、三角は過去にも殺人事件を起こしていて、その時の裁判長が重盛の父親(橋爪功)だった。北海道の留萌(るもい)の事件で、被害者二人の放火殺人だというから、死刑でもおかしくない。というか、多くの場合は死刑だろう。その時死刑にしていたら、今回の事件はなかったと裁判記録を持って上京した父親は言う。無期懲役で仮釈放中の強盗殺人ならば、今回は死刑不可避だろう。

 ところで、被害者は誰かというと、被告を雇っていた食品会社の社長だという。三角はそこを解雇されたばかりだった。弁護士として検察に対抗するとすれば、「強盗殺人」を単なる「殺人」と「窃盗」にするしかないだろうと重盛は主張する。確かに社長の財布が狙いだったかには疑問もあった。刑事事件の弁護士は、検察主張のあらを探して少しでも被告人の刑を軽くするのが仕事。重盛はそう割り切っていて、三角にもそのような主張を法廷で通すのように求める。

 こうして話は法廷へ移るかと思うと、二転三転、何が「真実」なのかという展開になっていく。週刊誌は「社長の妻に頼まれた保険金殺人」と書き立てる。その証拠と言えなくもない「謎のメール」も残っていた。一方、現場の河川敷へ行くと、そこに若い女性がいる。被害者の家を訪ねると、その女性は被害者の娘、山中咲江広瀬すず)と判る。彼女の登場で、事件は全く新しい様相を見せるが…。

 法廷ドラマだから、これ以上はここでは書かない。是枝監督はどんな題材を作っても安定した技量を発揮する段階になっている。最高傑作「誰も知らない」(2004)以後で見ると、「歩いても歩いても」(2008)、「そして父になる」(2013)、「海街diary」(2015)などがある。デビュー作「幻の光」(1995)には見られたぎこちなさはどこにもない。となると、後は好き嫌いや映画内の世界観の評価になる。

 「空気人形」(2009)はファンであるぺ・ドゥナが出ている以外、どうにも面白くない。一方、「奇跡」(2011)は話は小さいけれど、気持ちいい出来栄え。前作「海よりもまだ深く」(2016)は実によく出来ているんだけど、阿部寛のだめ男ぶりがあそこまで徹底してると、どうにも見るのが辛くなってくる。福山雅治が出た「そして父になる」も映画の出来は確かに素晴らしいけど、じゃあ何なんだ的な気持ちも起きてしまって、僕はブログには書けなかった。傑作でもそういうことがある。

 今回は弁護士の仕事を割り切って考えている重盛が、次第に事件の奥深さにのめり込むところが見どころだ。裁判は「一種のゲーム」であるのは間違いない。原告、被告双方の「証拠」をどう評価するべきかをめぐる「ゲーム」である。だが、「証拠」と言っても裁判官が「証拠採用」して初めて「証拠」になるわけで、客観的なすべての事実が法廷に出てくるわけではない。多くの冤罪事件では、「検察官が手元に無罪の証拠を隠し持っていた」というケースさえある。

 それに「事実」をいくら積み上げても、それが「真実」になるかというとそこは判らない。「神の目」で見るようなことは人間にはできない。この映画では、ほぼすべてが重盛弁護士の行動を描写している。まあそれは福山雅治のスター性でもあるだろうけど。ところが、冒頭シーンや途中に出てくる「被害者家族の会話」のような、重盛が知るはずもないシーンがある。それなら、監督が「神」になって、すべてを観客に見せるタイプの映画かというと、それが違う。

 どうもそのあたりが、この映画に残るザラザラ感、どう評価するべきか迷うところなのかもしれない。当初は被告人・三角が何を考えているのか判らず、実に不気味である。そして、「判らない」という点に関しては、最後の最後までよく判らない。だけど、「不気味さ」は次第に薄れてくる気がする。被害者家族の事情、ひたすら重刑を求める検察官、事件処理を急ぐ裁判官などを見ていくとも、同じく「不気味」というしかない気もしてくる。人間存在そのものが不気味なのか?

 刑余者を雇用する「篤志家」と思われていた被害者の社長も、違う側面を持っていたようだ。だけど、殺していいのか。昔の事件も「動機」がよく判らなかったという。その事件で死刑だったら、その方が良かったのか。人間は変わり得るか。それともすべては運命なのか。三角は「刑務所内と違って、外は『見て見ぬふり』をしなくちゃいけないから辛い」と言う。この人は現世では生きがたい性を持っていたのだろう。この事件をめぐってどんどん深く考えるべきことが出てくる。そこが面白い。だけど、重いテーマではある。「重いから、面白い」。そして思う、この題名の意味は何だろう?
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岩波新書「戦争をよむ」

2017年09月20日 22時45分26秒 | 〃 (さまざまな本)
 中川成美『戦争をよむ』(岩波新書)を読んだ。中川成美(しげみ、1951~)氏は立命館大学教授やスタンフォード大学客員教授などを経て、現在は立命館大学特任教授と紹介されている。専門は「日本近現代文学・文化、比較文化」と書いてある。名前も承知していなかったけれど、70冊の本を通して「戦争」の諸相を考えてみようという本。ぜひ多くの人が戦争を考えるヒントにしたい本。

 著者の専門を反映して、ここには「広義の文学」が選ばれている。歴史専門書、戦争や国際関係の理論書などはない。小説の中でも「純文学」系が多く、エンターテインメント系の小説は少ない。(江戸川乱歩や松本清張などは選ばれている。)でも、それでいいと思う。今はなかなか読まれていない本、忘れられたような本がたくさん入っているけど、それこそ著者の目的だと思う。

 本、特に「文学」の本は、人間の精神の歴史においてとりわけ重要な役割を果たしてきた。今では映像や様々な芸術ジャンルも考えないといけないけれど、何かを真剣に考えようと思ったらやはりまず本を読まないとダメだ。昔は若者向け読書ガイドみたいな本や雑誌企画がいっぱいあった気がする。このような読書ガイドに使える「本の本」がもっと必要なんじゃないだろうか。

 この本の構成を見ると、最初に「戦時風景」、続いて「女性たちの戦争」、「植民地に起こった戦争は-」、「周縁に生きる」、「戦争責任を問う」、「今ここにある戦争」と6つの章に分かれている。戦後の「戦争文学」と言われる本は最初の章だけで、あとは女性、植民地、周縁、戦争責任…と問題関心が広がっていく。このテーマ設定に、21世紀の現代性が現れている。だから単なる「戦争小説紹介」に留まらず、「現代世界を新しく理解するヒント」になっていると思う。

 第1章では、定番的な火野葦平「麦と兵隊」大岡昇平「野火」梅崎春生「桜島」原民喜「夏の花」などが選ばれている。特に戦争というテーマにしぼらなくても、「野火」や「夏の花」なんかは全日本人必読なんだから当然だろう。でも冒頭に選ばれているのは、徳田秋声の「戦時風景」という作品である。そして、ただ一人2つの作品が選ばれているのも徳田秋声(1872~1943)だけ。「自然主義」私小説の大家と言われながらも、今はほとんど読まれない徳田秋声を2つ選ぶ理由は何?

 そこにこの本の独自性というか、著者の独特の戦争観があると思う。その理由は読んでもらうとして、そういう独自性は以下の章でも存分に発揮されている。「女性たちの戦争」で、「二十四の瞳」「浮雲」などに加えて、近年の世界的ベストセラー「朗読者」やノーベル文学賞を受けたドキュメンタリー作家、アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」を選ぶ。それはまだ判るとしても、森三千代(金子光晴の妻)や池田みち子(山谷に生きた女性作家)、宮田文子(武林無想庵の妻として渡欧した後で離婚)など、今ではほとんど名前も忘れられている作家が取り上げられている。

 そういう選び方をするのは、女性と戦争の関わりを単に「被害者」「加害者」といった枠組みから解放し、もっと複眼的な目で見てみるということだろう。その結果、実に多様な戦争の実相が紹介される。「植民地」の章でも同様。朝鮮、満州、台湾など日本の植民地が扱われるが、朝鮮では梶山季之「族譜」だけでなく、「親日派」として文学生命を抹殺された張赫宙「岩本志願兵」にも触れる。台湾でも先住民の作品も扱う。ベトナム戦争も取り上げる。バオ・ニン「戦争の悲しみ」ティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」という割と知られた小説だが。そうやって、植民地における戦争を重層的に考えるわけである。その本を読まなくても、そういう本があると知ってるだけで力になる

 「周縁に生きる」の章になると、安本末子「にあんちゃん」永山則夫「無知の涙」など、直接には戦争に関わらない本まで登場する。第5章「戦争責任を問う」でも、「ジョニーは戦場へ行った」から始まり、山田風太郎「戦中派不戦日記」坂口安吾「戦争論」中野重治「五勺の酒」などからノーマ・フィールド「天皇の逝く国で」まで扱う。いま中身には詳しく触れないけど、この選択には深くうなづかされるしかない。この章には、僕の大好きな竹内浩三「戦死やあわれ」結城昌治「軍旗はためく下に」も入っている。これはぜひ読んでほしい本だ。

 そして最終章。オーウェル「一九八四年」ウェルベック「服従」なんかに加えて、目取真俊「水滴」伊藤計劃「虐殺機関」などが選ばれた。ここにはパスカル・メルシエ「リスボンへの夜行列車」ヤスミラ・カドラ「カブールの燕たち」という小説が紹介されている。読んでないどころか、そういう本があることを知っている人もほとんどいないんじゃないか。そんな本が書評に出てたなと思い出したけど、くわしいことは全然知らなかった。こういう本があり、そういう著者がいるんだ。ぜひ読んで見たいと思ったけど、読む読まないじゃなくて、そういう本を書いた人がいると知ってること自体が大事だと思う。

 この本には70冊しか出ていない。多様な歴史を考えるためにあえて選ばれた本も多い。だからというか、戦後日本でよく読まれた本、あるいは大長編小説なんかが選ばれていない。(例えば、五味川純平「人間の條件」大西巨人「神聖喜劇」など。)またエンタメ系や児童文学が少ないから、あまり本を読んでない人には取っつきにくいかもしれない。戦場の実相を伝える小説や戦後の生活を描く小説も少ないけど、すぐれた作品がたくさん書かれているので、自分で探していく必要がある。
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「一院制」をどう考えるか?

2017年09月19日 22時11分23秒 | 政治
 なんでも新党準備中の若狭勝氏は「一院制」の憲法改正を重視しているらしい。細野豪志氏などが加わった新党は今月中にも結成されて衆院選に出るという話。その行方は別にして、この「一院制」という主張はどのように考えればいいのだろうか?

 世界には「一院制」の国もあれば、「二院制(両院制)」の国もある。いまだ国会のないサウジアラビアを除き、世界の国はこのどっちかである。どっちもあるということは、一院制にも二院制にも、それぞれメリットとデメリットがあるということだ。二院制にはデメリットもあるんだから、この問題を考えてみるのはいいだろう。でも、僕は実現不可能な課題にあまり時間を使いたくない。

 よく言われるのは、二院制の場合、両院の政党構成が同じだったら、同じ質疑を繰り返すだけ時間のムダ。両院の政党構成が違っていたら、両院が違うことを決めるから何もできなくなる。現在の日本では、衆参両院とも与党が圧倒的に多数だから、結局内閣提出法案は必ず成立するはずだ。だから「参議院はいらない」となりやすい。だけど、2007年から2009年の自民党内閣、あるいは2010年から2012年の民主党内閣では、参議院で与党が過半数を持っていなかった。当時はそれが「決められない国会」と呼ばれていた。これは問題なのだろうか?

 日本の場合、衆議院が優先と決められているけれど、法律案の審議などは同等の権限を両院が持っている。内閣総理大臣の指名、予算案、条約などは確かに衆議院が優先するが、具体的な政策を進めるための法律は衆参で議決が一致しないと成立させられない。参議院議員は解散がないから、最短でも次の参院選までの3年間は政権が行き詰まり続ける。

 参議院議員が6年任期、3年後とに半数改選という規定が、時には「政治の停滞」を生むということだ。しかし、ある意味では参議院の役割はそれだろう。「衆議院に待ったをかけること」である。そこまで行かなくても、法案成立まで時間がかかるから、反対する野党には意味がある。その間に反対運動が盛り上がったり、政府側の答弁に問題があったり…ということがある。

 そもそも何で日本は二院制なのか。大日本帝国憲法では、衆議院貴族院が置かれた。貴族院は身分制議会だから、仮に衆議院で急進的改革に賛成が多くなっても、保守的で選挙を気にしない貴族院が葬り去る。それが日本の二院制の目的だったんだろう。実際に女性参政権は戦前に衆議院は通過していたが、貴族院で廃案になっている。だから、時には衆議院の妨害をするということこそ、第二院の役割と言えるのである。

 戦後の日本国憲法では、貴族院は参議院となって残った。当初のGHQ案では一院制だったが、日本側の(特に憲法問題を担当した松本蒸治国務相の)反対で、二院制になった。もっともそれはGHQ側が「日本側に譲歩する」余地をあえて残した提案だったことも判っている。アメリカ本国は上下両院の二院制で、上院は6年任期、2年ごとに3分の1ずつ改選と、日本の参議院と似ている。

 議会の歴史が古い国、英米仏などでは二院制が多い。身分制議会の名残りがあったり、連邦制の国が多いからである。日本はどっちでもないから、確かに一院制でもいいはずだ。一院制にすることで生じるデメリットをできるだけ解消する方策があるんだったら、一院制でもいい。

 衆議院選挙しかなかったら、今の制度のままだったら「与党が圧勝する」可能性が高い。(ここ4回連続して、与党が3分の2を獲得している。)そのまま一院制にしたら、巨大与党の意のままに政治が進められてしまう。だから、「選挙制度を比例代表制に変える」とか「重要問題は国民投票で決める」などが考えられるだろう。そういうことを含めて議論するんだったら、「頭の体操」として「一院制」「二院制」のメリット、デメリットを国民的に議論してみてもいいと思う。

 だけど、僕は最初に「実現不可能」と書いた。そう思っているのである。それは何故かと言えば、要するに「参議院で参議院廃止勢力が3分の2を占める」ってあり得るだろうか。会社だったら、この部門は撤退とトップが決断すれば、会社にとって歴史ある分野も一夜にしてなくなるかもしれない。だけど、そこで「社員投票で3分の2以上の賛成」がないといけないという決まりがあったら…?自分で自分たちのリストラに賛成するってあり得ないと思うけど…。

 参議院議員は自分たちの仕事は国家的に重要な役割を果たしていると思っているだろう。いや、内心では衆議院のカーボンコピーで、自分たちは採決の時に賛成票を投じればいいだけと思ってる与党議員もいるかもしれない。でも公にはそう言えないだろう。野党議員の方は、間違いなく自分の役割は重要だと思っている。衆議院で「悪法」が通過した後でも、その法案を阻止できるかもしれない。それはひとえに参議院議員のわれわれの役割だと思っているに違いない。

 それに実は「衆議院議員経験者の参議院議員」が多い。まあ、有り体に言ってしまえば、衆院選挙に落ちた人が知名度を生かして次の参院選に立候補したということだ。また参議院議員経験者の衆議院議員ある程度はいる。この場合は、優先院の議員に転身したいということだろう。かつての石原慎太郎がそうだし、蓮舫が衆院に出るとか言っていたのも同様の発想だろう。

 それはおかしい、参議院は衆議院落選者の「失業救済機関」ではないなどと言われつつ、内心では議員はどっちもあった方がいいなあと思ってるんじゃないか。そういうことを考えると、現実問題として「参議院で参議院をなくす主張」が大多数を占めるとは考えられない。それはやむを得ないだろうと思う。デメリットしかないんだったら、それは「既得権にしがみつく」と言われるだろうが、参議院にはメリットもある。世界の重要国にも二院制の国が多い。

 それを考えると、この問題こそ一番大事だと意気込むほどの問題だろうかと思う。現実にこの新党は参議院議員が何人集まるだろうか。参院で主張を広めていけるだろうか。今の日本でもっと緊急性があるテーマはいくらでもあるんじゃないだろうか。僕は条件付きで一院制賛成者なんだけど、いまそれを求める気持ちはない。もっと優先順位が高いことを議論した方がいいと思うけど。
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小選挙区に「決戦投票」を!

2017年09月18日 21時33分40秒 |  〃  (選挙)
 安倍首相は、衆議院解散を本当にするようだ。高田渡「値上げ」という歌があるけど、「値上げは全然考えない」から始まって政治家の言葉が次第に変わっていく。今回も同様で年頭には「解散は考えない」と言ってたものが、だんだん変わっている。今はニューヨークの国連総会に出かけて、「帰国後に判断する」と言っている。よほどのことがない限り、解散するということだ。

 選挙制度のあり方に関して、今までに何度も書いてるけど、ここでもう一回書いておきたい。大事なことだから、何度も書いておく。次回から衆議院の定数が削減され、小選挙区の区割りも変更される。小選挙区は295から6つ削減され、289。(青森、岩手、三重、奈良、熊本、鹿児島で削減。)また比例代表も4つ減って、176。(東北、北関東、近畿、九州で削減。)合計で、465議席

 これは諸外国に比べて、あまりにも少ない。今年選挙があった国を見れば、イギリスは人口が6300万と日本の半分ぐらいだが、下院の定数は650議席。フランスも人口はほぼ6300万弱で、国民議会の定数は577議席。いま選挙中のドイツは人口が8100万で、定数は598議席。(ただし、小選挙区比例代表併用制のため、超過議席が生じる。)日本の国会は「過少議席」なのである。

 日本の人口は約1億2千万(有権者は約1億人)で465議席、そのうち小選挙区は289というんだから、一小選挙区あたりの人口がとても少ない。英仏は小選挙区オンリーだから、選挙区あたりの人口は日本の4倍ぐらい違う。これじゃ、日本の有権者が選挙に興味を持てなくなるのは当然だ。大組織に支援される候補が有利になるから無党派層の関心が薄れる。日本では「国会議員が多すぎる」と言われるけどこれは逆なのである。少なすぎるから、国民の選挙への関心が低くなるのである。

 ところで、今回の小選挙区の区割り変更で、東京では自治体をまたぐ変更も実施される。それがおかしいという人が結構いるんだけど、国政選挙とは何かが判っていないのである。国政選挙は「国民の代表」を選ぶのであって、「自治体の代表」を選ぶのではない。国民が人口比に応じて代表を選出できることが何より大事なことである。

 自分の住んでる場所が別の選挙区になってしまったという政治家もいるようだけど、それを言うなら「住所と選挙区が違う候補者」なんかいくらでもいる。国民であれば、どこの選挙区で立候補してもいい。だから、小泉郵政選挙で「刺客」が出られた。「ホリエモン」が広島で亀井静香の対抗馬になったけど、住んでたわけじゃない。安倍首相自身が東京で育って東京の私立学校しか通ってないけど、親ゆずりの山口県下関から出馬している。自民党の二世、三世議員は皆同じである。

 それより問題なのは、国会議員は税金の使い道を決めたり、憲法改正まで発議できるというのに、「小選挙区の比較多数」で当選してしまうことだろう。民進党内が共産党との選挙協力をするべきかどうかで割れているけれど、その問題も関心がないわけじゃないけれど、それより「選挙制度の改善」の方が優先ではないか。要するに、自民党候補が有効得票の過半数を得ていないで当選した場合、国民の代表として憲法改正の発議を行う資格があるのだろうかということだ。

 例えば民進党候補と共産党候補の得票を合わせれば自民候補を上回っているとする。そうすると民進・共産(に加えて他の野党も)が協力して候補を一本化していれば、当選したかもしれない。ということなんだけど、それはそれで選挙に向けた戦術として考えるべき問題である。だけど、それ以上に「本質的問題」なのは、先に書いたように、選挙区民の過半数を得ていない候補が重要法案に国民の代表として一票を行使するということの方だろう。

 フランスでは、小選挙区で過半数を得た候補がいなかった場合、一週間後に上位二人の候補で決選投票をする。これが難しいと考えるなら、「候補者に順番を付ける」というやり方もある。オーストラリアのように実施している国が現にある。過半数を得る候補がいない場合、得票が下位の候補者から「2番目の候補」へと票の読み替えを行っていくわけである。当然「自書式」(候補者の名前を有権者が書く)はやめて、候補者名を印刷しておいて数字を書いていくわけだ。

 やり方はともかく、選挙というのは「選ばれた正当性」がないと政治への信頼を失わせる。野党の準備が整わない時期に議論もせずに選挙をして、野党が分立した結果として与党が大勝利して、じゃあ大勝利したから「憲法改正が認められた」が通るのかという話である。(なお、小選挙区を前提に以上の問題を書いたけど、比例代表を中心にした制度に変えるという議論もしないといけない。)
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大相撲、「公傷」制度の復活を

2017年09月15日 23時27分14秒 | 社会(世の中の出来事)
 サッカーではワールドカップ・ロシア大会に日本代表の出場が決定した。陸上競技の100m走では、桐生祥秀選手が9秒98の記録を出した。プロ野球では、セパ両リーグとも、広島、ソフトバンクが優勝目前である。スポーツの話題もいろいろと尽きないんだけど、僕がいちいち独自の見解を持ってるわけじゃないから、見てるけど特に書かない。そんな中で相撲の話をちょっと。

 だけど、まあその前に簡単に書いておくと、桐生選手の記録は「アジア系記録」である。アジア陸連所属のアジア記録は、カタールのフェミ・オグノデという人の9秒91というものだが、この人はナイジェリアから国籍変更した選手である。国籍変更したアフリカ系選手以外で、10秒の壁を初めて破ったのは、中国の蘇炳添(スー・ビンチャン)の9秒99。他に10秒を破った選手はいないので、桐生選手の記録は「モンゴロイド最速」ということになる。(それにどれほど意味があるかは別だけど。)

 さて、大相撲の秋場所が開催中だけど、4人いる横綱のうち白鵬稀勢の里鶴竜の3人が休場した。場所が始まったら、大関の高安が負傷休場に追い込まれ、カド番の大関・照ノ富士までが休場して大関陥落が避けられない。横綱大関で7人もいる中で日馬富士、豪栄道しか残っていない。他にも初日からブルガリア出身の碧山(あおいやま、途中出場)、佐田の海(途中出場)、さらに人気の小兵力士、宇良までが3日目から休場。これはいくら何でも異常事態だろう。

 だから、その異常の原因は何か、マスコミはいろいろと言っている。「力士の大型化」とか「夏巡業の苛酷なスケジュール」などが言われるが、そういうことも確かにあるだろう。でも、僕に言わせると大事なことが抜けていると思う。相撲界はちょっと前は様々なスキャンダルが相次ぎ、人気の低迷が長かった。暴力、大麻、ギャンブルに加えて、八百長問題が発覚した。携帯電話なんてものが登場したばかりに、ついに証拠がつかまれてしまったのである。

 だから、それ以後は基本的には「事前の約束された勝敗のやり取り」はないんだと思う。昔はどの程度あったのかは知らないけど、最終日(千秋楽)なんかの取り組みはどうも怪しい感じがした。取り決めてなくても、「片八百長」的なこと(優勝が掛かっているわけでもない力士は、勝ち越しさえ決まってれば、後はケガしないように無理せず取ろう…的な取り組み)はあったんじゃないか。

 今は若い力士が伸びてきていること、「無気力」的な相撲を嫌う力士が番付上位に多いことから、まあ見ていてお互いに力を出し合っているなという取り組みが多いと思う。(片方が故障していたり、立ち合いで変化することも許されているので、簡単に決まっちゃう取り組みも一定程度あるけれど。)でも、大型力士どうしが正面からぶつかり合うんだから、ケガが多くなるのも当然ではないか。

 そういう場合に、かつて「公傷制度」というものがあった時代がある。土俵上のケガには、翌場所に休場しても同じ番付に留め置かれるという仕組みである。つまり、ケガした場所は休場分が負けにカウントされる。2勝2敗で迎えた5日目に取り組みでケガした場合、その場所は2勝13敗になる。番付は大きく下がるけど、次の場所に休場しても、次々場所の番付は変わらない。調べてみると、この制度は1972年から2003年まで実施されていた。

 問題は大関の場合である。昔は「大関は3場所続けて負け越すと関脇陥落」というルールだったからである。だが、それじゃ甘すぎるとなって、1969年から「2場所負け越しで陥落、関脇で10勝以上で特例復帰」になった。特例があるから、当初は大関には適用されなかったけれど、だんだん大関にも公傷が認められるようになった。それがなぜなくなったのか。

 土俵のケガと言っても、今までの古傷は大体が持っているわけで、どの程度が「取り組みでケガした」と言えるのか。病気では取れないけど、何でもケガすれば「公傷」なのか。どうも公傷が多すぎるんじゃないかという感じは当時僕も思わないでもなかった。公傷力士が多すぎると、下に下がる力士も減るから、逆に十両から上がってこようという新進気鋭には不利になる。若の里や、今の栃ノ心千代の国のように、ケガで幕下まで下がりながらも這い上がってこそ「力士の鑑」とも言える。

 そうも思うんだけど、この「公傷制度」はやっぱり必要なんじゃないか。横綱を期待されながら、大関を陥落した力士は大体ケガである。ここ最近では、琴欧州把瑠都などみなそう。琴奨菊もケガをおして出続け陥落した。照ノ富士もケガしなければ横綱になる勢いだったけど、ケガをおして出続けて陥落してしまう。せっかく大関に昇進した高安も、来場所に勝ち越さないと陥落だから、きっと無理して出てくる。それでケガを悪化させてしまわないか。

 遠藤大砂嵐も同じ。ちゃんと休場して、もっと傷を完治させるべきだったのではないか。小兵の異能力士として人気が出てきた宇良も、このままではケガで大成できないかと心配になる。大相撲に限らず、スポーツでは、ちゃんと休むより、無理して出ることが「力士の美学」になりやすい。それはまずいから、ちゃんと休める制度を作っておくほうがいい。それに問題が起こると、「解雇」されている。解雇される契約関係にあるんなら、一種の「労災」が必要なんじゃないか。

 ところで横綱の場合は、ちょっと違う。多少のケガで出場できるとしても、8勝7敗では許されない。最低でも終盤まで優勝を争い、二けたの勝利を挙げることが求められる。その強いプレッシャーに耐えられないケガをしたときは、休場も認められる。その代りに休場明けには、地位を賭けた結果が求められる。だから休場してもいいんだけど、「土俵を離れたことによる精神的不安」も起こる。

 今は大横綱、白鵬が強すぎて、なかなか他の力士が横綱になれなかった。気迫で取る日馬富士がなんとか昇進したけど、「第二横綱」という感は否めなかった。鶴竜も同様。稀勢の里もやっと昇進できたけど、白鵬がいなければずっと前に横綱になっていただろう。こうして白鵬という重しがあるために、皆が年齢が高くなり30歳を超えた横綱ばかり。だから協会が配慮して、巡業などの負担を減らさない限り、今後もケガが避けられないだろう。
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「門」と「彼岸過迄」-夏目漱石を読む⑥

2017年09月14日 22時34分30秒 | 本 (日本文学)
 この間、ちくま文庫版漱石全集第6巻の「」と「彼岸過迄」を読んでいた。どちらもなかなか手ごわくて、一向に面白くならない。部分的には面白いんだけど、漱石というのは今読むとずいぶんつまらないんだなと痛感するような巻だった。「」は「三四郎」「それから」と続く前期三部作の最後、「彼岸過迄」は「行人」「こころ」と続く後期三部作の最初とされている。だから読まないといけない。
 
 「」は1910年の3月から6月、「彼岸過迄」は1912年の1月から4月に朝日新聞に連載された。「門」執筆中に胃腸病で入院し、その後、伊豆に転地療養中に大喀血して一時危篤におちいる。いわゆる「修善寺の大患」である。だから、1911年には講演や随筆などはあったが、小説は書かれなかった。「彼岸過迄」が再起第一作ということになる。

 「」は野中宗助という男と妻御米(およね)の貧しい生活をじっくり描いている。彼はかつて京都の大学で学んでいたが、友人の安井の「内縁の妻」だった御米を奪うような形で一緒になった過去がある。そのため親類、友人関係を失い、広島や博多を転々としてきた。かつての同窓生にあって、ようやく東京に戻って官吏をしている。年の離れた弟小六がいるが、親は早く死に親戚のもとで暮らしていたが、それも難しくなり宗助には頭が痛い。というような生活が事細かに語られる。

 それは結構読ませるところなんだけど、いくら文章で読ませても主人公の魅力がここまで乏しいと、読んでるうちに嫌になってくる。それに彼らに子どもが3回できたが、いずれも育たなかった。それは彼らが「罪」を負っているからだと思い込んでいる。だが、もともと安井は「妹」として御米を紹介していたんだし、お互いに好きになっちゃえば仕方ないじゃないか。宗助・御米は今も仲良くしているみたいだから、それでいいじゃないか。今の目からはそうも思うけど、宗助だけでなく安井も大学をやめてしまったので、その原因を作ったという負い目があるのである。

 山の手の坂のある町で、坂下の借家に彼ら夫婦が、坂上に大家の坂井が住んでいる。ひょんなことから坂井と交際が始まり、そこも面白いんだけど、良いことも悪いことも「偶然」起こる。そして坂井から安井の消息を聞いて、そこから悩みが深くなる。一人で悩んで妻にも何も言わず、鎌倉の禅寺に籠ってしまう。そこがどうしようもなくつまらないところで、どうなってるんだと思ってしまう。

 「それから」で夫ある妻に対する恋愛を書いて、その続編的「門」では友人から奪った女と暮らす主人公が悩む。子どももできない。これでは「姦通は道徳に反するから不幸になります」と言いたいのかとさえ思う。小説は道徳じゃないんだから、そういうことになってはいけない。当時は二人が幸せになっては新聞小説的にまずかったのか。それとも漱石は悩める主人公が好きなのか。何にせよ、あまり面白くない展開の中で突然修行を始めるなど、小説的興趣としてはガッカリの最後が待っている。

 「彼岸過迄」(ひがんすぎまで)は、1月に始めた連載を彼岸過ぎまで書くという程度の意味らしく、話の中にお彼岸のシーンはない。6つの短編が相互に関連を持つように作られたというけど、どうも視点が変わるだけで、あまり成功しているとも思えない。第2編の「停留所」はちょっと探偵小説的な面白さはある。都市小説というか、市電を描く交通小説という感じ。主人公は友人の伯父に就職を頼むけど、私的な仕事でもいいと言うと「尾行」を依頼される。まあ多少面白い。

 後半になると、その時の友人須永の人生、いとこの千代子との関係とか生い立ちの問題が語られる。それも面白くはあるが、結構長いうえに、主人公須永が思った以上にはっきりしない性格で読んでいて嫌になってくる。二人で柴又へ行って帝釈天に参って「川甚」で鰻を食べて語り合っている。ストーリイ以外の、そういう細部の事情が、今になると「東京小説」として興味深い。

 もう一つ、「門」「彼岸過迄」に共通するが、「外地」が大きな意味を持ち始めている。日露戦争で多額の負債を負った日本では、戦後に不況が来て大学を出てもなかなか良い働き口がない。働いていない主人公がよく出てくるが、「高等遊民」という言葉と別に、単に大卒にふさわしいだけの求職が少なかったという面もあるんだろう。そういう中で、ある人々は朝鮮、満州、さらには蒙古へ出かけてゆく。そういう事情が風説のように語られている。そこに「帝国」の生活が反映されている。
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「新テスト」は結局どうなるか-大学入試問題③

2017年09月13日 21時24分58秒 |  〃 (教育問題一般)
 「大学入試のあり方問題」はかなり根が深い。いつでも、どこでも、多分同じだと思うけど、「今の教育はおかしい」という主張が常になされている。特に現代ではAIの進化により、「そもそも人間の労働とは何なのか」という問題も発生している。AIにはできない、人間ならではの「考える力」を育成しないと行けないと言われると、その通りだ、まったくだと思ってしまう。

 大学入試が変わらない限り、それに対応する高校以下の教育も変わらない。そう考える人が、大学入試に「考える力を問う問題」を取り入れろと言うわけだ。つまり、大学入試を「初中等教育を変える手段」とみなしている。だけど、そのためには「社会的コスト」がかかる。記述式テストを採点する手間ひまは、結局「外部化」する、つまり「民間業者」に委託するということになる。

 もう一つ、「高校生の学力判断」という大問題がある。大学側から、入学者の学力低下が指摘されたのは、もうずいぶん前のことだ。日本では「義務教育」段階で「落第」がない。だから、毎日学校へ来ていれば卒業できる。そして、その大部分が高校へ行く。高校が学力だけで判断すれば、かなりの生徒が卒業できなくなるだろう。それでいいのか? 高校は義務教育じゃないんだし、現に留年があるんだから、卒業に際して「高卒に値する学力があるか判定テスト」をするべきだ、という意見もあった。

 そんなことを本当にやったら、学校現場はテスト漬けで大変になるだけ。中学生にしても、高校へ行っても卒業できないんなら、行く必要もない。中卒で正社員に雇ってくれる会社もないから、アルバイトを少ししながら家でブラブラするような若者を大量に生み出すだけだ。「低学力者向けの高校」には社会的な存在意義がある。ということで、「高校卒業判定テスト」は実現が難しい。ということで、紆余曲折ありながら、「学びの基礎診断」という名前で始まるようだ。

 これがどう機能するか。まずは国語、数学、英語で始まるようだが、高校は多様な学びの実態がある。そういうものが欲しいという意見も判らないではないけど、高校の「必履修科目」(卒業までに必ず履修しなければならない科目)は、国数英以外にたくさんある。国数英だけを「基礎科目」として、重点的に学力強化に取り組むのはおかしいだろう。それに職業高校もたくさんあるわけで、職業科目は授業の3分の1ぐらいを占めている。それを学ぶ目的で高校へ入ったのに、中学と同じく国数英にばかり取り組んではやる気をそぐだろう。

 ところで、こういう風にいろいろと問題があるのだが、やっぱり一番大きいのは「英語の学力をどう評価するか」になる。結局、センター試験の英語は最終的に廃止し、民間テストに完全移行するという。民間テストはいくつもあるけど、TOEFL、TOEIC、英検などをカネと暇さえあればいくらでも受けられる。一方、離島などの受験生は受けにくい。そういうことから、受験期間を「高校3年の4~12月の間に2回まで」にするという。(朝日新聞、8.24記事)

 これはちょっと考えられないのではないか。「浪人生」はどうするんだろう。一生高3の成績が付きまとうのか。高校を出てから、自分で学びなおすということを認めないのか。それでは「高等教育」の自己否定だろう。現役時代には伸びなかった英語力を、浪人して伸ばした人はいっぱいいるだろう。

 とにかく、世の中の英語力最重視は今後も強まるのは間違いない。それなりの有名大学へ行きたいという人は、何をおいても英語力をつける必要がある。学校で頑張るだけじゃダメで、当然のように英語塾、英語の予備校に通うだろう。そういうことができない人は後れを取る。必ずそうなると思う。

 自民党の政治家には、私立学校や教育関連業界の人がかなりある。民主党が大勝利した2009年に落選した議員の中には、2012年に復帰するまでの間、私立大学の客員教授などをしていた人もかなりいるらしい。だからかどうか知る由もないが、自民党政権が長年続けてきた政策は、私立学校や教育産業に有利に働くようなものが多い。今回の新テストも、結局はその準備(実施側の準備も、受験者側の準備も)を教育産業にゆだねざるを得ないことになるんだろう。
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「学士課程」を前期、後期に分けてみる-大学入試問題②

2017年09月12日 22時18分37秒 |  〃 (教育問題一般)
 大学を中退する人が結構いる。僕の時代にもいたけど、最近もかなりいる。というか、とても増えている。文科省が2014年に発表した調査結果によると、2012年において、全大学生約300万人中、退学者は約8万人だった。(2.65%)そのうち、経済的理由が20.4%で最大になっているという。その5年前には14%だったから増加傾向にある。また「学業不振」による中退も多い。

 さて、大学を中退した人はどういう扱いになるんだろうか。普通に考えると、「最終学歴は高卒」になるはずだ。でも、選挙公報を見ていると、時々「〇〇大学中退」という候補者がいる。最終学歴ではなくても、そう書いてあるということは、「日本では大学は入っただけで意味がある」ということの証明だろう。中退者はいつどんな理由でやめるのか。人それぞれだろうが、ほとんど通わずやめた人もあれば、卒業近くまで頑張ったけど単位が足りずやむなく中退する人もいるだろう。

 短大だったら2年間で教育課程が終わり、「短期大学士」(2005年9月以前は「準学士」)という学位が授与される。(高専は「準学士」。)ところで、大学生が2年以上大学できちんと単位を取った後で、経済的理由等でやむを得ず退学する人はどうなるのか。短大や高専同等以上の教育を受けたわけだから、「準学士」の学位が与えられてもいいんじゃないか。

 ある時、僕はふとそう思ったんだけど、どうなんだろうか。そこからさらに考えると、大学院を考えてみれば、「博士課程前期」「博士課程後期」に分かれている。(前期を修了すれば「修士」になるので、以前は「修士課程」と呼ばれていたけど、今はそう呼ぶところはないだろう。)だったら、「学士」をめざす課程(つまり普通の4年制大学の4年間のことだけど)だって、前期・後期に分けてはだめか。

 つまり、「前期学士課程」「後期学士課程」である。(そうなれば、短大というのは「前期学士課程に特化した教育機関」ということになる。)もちろん、そうなると不都合も生じる。2年から3年にかけて留学する人はどうなるのか。体育系や芸術系なんかは連続した教育の方が望ましいだろう。

 でも、別にそれはそれでいいのである。大学は大学で「4年間この大学で学んでもらう」ことを前提にした教育課程を作るだろう。学生の方だって、途中で留学して元の大学に戻って卒業するつもりでいい。何かの理由で退学した場合、きちんと単位を取っていれば、後から「準学士」(なり、それに類した名前の学位)を認定すればいいだけのことだ。

 だが逆に、「学士課程後期」は別の大学に移っていくことを前提にして、それまでの2年間を語学や一般常識、ボランティアなどを中心に学ぶ地方の大学だってあっていいじゃないか。高校を出たばかりでは、まだ親元から近いところに通いたい、通わせたいという人も多いはず。2年後になって、「是非この先生について学びたい」と専攻がはっきりしたら他大学へ編入するというのもありだろう。

 大学や大学生は、いつも何か批判されている。「イマドキの若者は…」ということになる。大学生の専門教育が批判されているわけじゃないと思う。むしろ「一般教養」というか、ちょっと前の人なら知っている常識が欠けている(その代りに、その後登場した「新技術」には精通している)ということだ。確かに少子化が進み、様々な社会体験をつむ機会減っているのも確かだろう。

 だから僕は「学士課程前期」という教育課程を作って、新しい教育を模索する試みもあっていいと思う。僕が考えるに、最初の2年間は家から近い大学で「語学」(英語)や「ボランティア」、「社会的表現活動」(町作りや地域活動と、自己の表現活動をミックスしたような活動)などを行う。そのまま同じ大学で学んでもいいけど、その後は別に大学で後半の大学生活を送るというのもいいと思う。

 そして、「無償化」はこの「学士課程前期」から進めていくというのがいいと思う。そうすれば、短大や専門学校も含めて、「高等教育の最初の2年間」をまず無償にするということになる。その方が平等という見地からはいいだろう。ちょっと入試そのものと離れてしまったけど、「入学試験廃止」と合わせて、大学のあり方を完全に変えてしまうことを考えてみませんかという提案。
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「無償化」より「無試験化」を-大学入試問題①

2017年09月11日 22時23分08秒 |  〃 (教育問題一般)
 大学入試のあり方が大きく変わる。その問題は折々に触れたこともあるけど、ここで何回か改めて考えてみたい。「北朝鮮問題」もまだ書きたいことがあるし、教育問題だったら「部活動のあり方」をいよいよ本格的に書かないといけないと思っている。しかし、その前にちょっと大学入試に関して。

 細かい話をする前に、一番大きなことを書いておきたい。以前(2015.1.18)「究極の『大学入試全廃論』」という「夢想」のような「暴論」のようなものを書いたことがある。その時は自分でも「究極」と思っていたんだけど、だんだんマジメに大学入試をやめたらどうかという考えが強くなった。

 ただし、その時に書いたのは「極論」である。例えば「東大に入りたい者は、ただ入学を希望すれば全員入れるようにする」というものだ。だけど、教室のキャパシティは一定の限度がある。必修の語学などを履修しようと思うと、希望が殺到する。その時は担当教員の責任で「受講生の選抜」を行えばいいというものである。だから学力がない者が東大に入っても、1単位も取れずに年月が過ぎ去っていくだけである。単位が取れないというか、そもそも授業に出られない。

 今までの感覚だと、そんなバカな、入学したのに授業が取れないなんてということになる。今まではそんなことはありえない。一部の超有名人気ゼミなんかは別にして、必修の語学や体育なんかは全員が履修できるようになっていたはずだ。だけど、頭を切り替えて、完全に学生の自己責任と考える。「自己責任論」は今まで否定していたのではないかと言われるかもしれないけど、翌年にまた別の大学に無試験で入学できるんだから、それでいいだろう。

 というようなことを書いたんだけど、もう少し実現可能にした方がいいと思ってきた。そのためには「4年制大学を前期、後期に分ける」というアイディアを持っている。そのことは次回に書くけど、今回書くのは「外部テストを参考にする」「高校卒業論文を大学入試の選抜に使う」ということである。つまり、「無試験化」ではあるが「一定の選抜」は避けられないだろうということだ。

 いま、「高等教育の無償化」という議論が盛んに行われている。それは大事なことだけど、財源の問題もある。だが、とりあえずそれは何とかなったとして、「無償化」それだけでいいのだろうか。無償化、つまり大学の授業料がタダになるということで、普通に考えれば「多くの若者が高等教育を受けられるようになる。」そうなんだけど、実はそれだけではない。タダになれば、有名大学の難感度が今以上に高くなる。お金の問題で大都市を避けていた人も都会の難関校を目指すから。

 今後「新テスト」が実施されるようになると、記述式問題を取り入れたり、英語で「書く、話す」能力を問うようになるということだ。それだけ考えると、「試験としては改善される」ように思う。だけど、「より良い試験方法」を求めても、それに対する「対策」が進んでしまう。特に英語の「書く、話す」能力などは自分ひとりで努力するだけではなかなか向上しない。受験対策にお金を掛けられる富裕層の子どもが圧倒的に有利になる。「教育の階層化」がますます進む。

 記憶力を試すだけみたいな暗記問題は評判が悪い。だけど、そういう問題は誰でも時間をかけて努力すれば向上が見込める。だから、そういうテストの方が「教育の階層化を緩和する効果」があるとも言えるだろう。じゃあ、暗記テストで大学入試をすればいいかというと、それはそう思わない。高校以下の教育も、大学入試にならって「暗記力」化してしまい、多くの生徒がやる気を失う。

 じゃあ、どうすればいいのか。思い切って「従来の意味での大学入試」をやめてしまえばいい。しかし、現実には「英語力」の学力格差は大きいだろう。高校の授業でいい成績を取っていても、学校間の学力差が大きいからそのままでは使えない。入学後の英語授業に付いていくためにはある程度の「英語力審査」は欠かせないのではないか。しかし、それは一点の差をつけるものではなく、「その大学が求める英語力の基準」を示すものでいい。外部テストを使うのもありだとは思うが、地方、特に離島の生徒が受験しにくい。学校で行う「到達度テスト」などは必要かと思う。

 一方、英語以外に関しては、「論文」だけでいいんじゃないか。僕は高校でも「卒業論文」を必修にすればいいと思う。高校のカリキュラムを変えて、「総合学習」を「卒業論文」に変更する。それを12月までに書くことにし、1月に高校で審査し卒業が認定されたら、2月以後に大学での入学審査を行う。これは時間をかけて行えばよく、大学の新学期は5月の連休後でいいではないか。

 もし大学入試というものが、これほど大きく変わったなら、高校以下の学校のあり方も大きく変わる。自分で考え、自分で学ぶ意欲を持つ生徒を育成することができるだろうか。日本の高校は、順位付けをなくしてしまって進路指導ができるか。教師の力量がそこで試される。塾や予備校も、大きく変わりつつも「大学選定助言機能」を持つ学校以外の機関はむしろ必要とされるだろう。
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