続けてどんどん書きたい。小池氏が言うには「選挙で仲間として戦えるかどうか、ワンボイスで戦えるかどうか。そこは重要な点だ」ということだ。この「ボイス」の対象は、「憲法観や安全保障政策の主張」だという話。じゃあ、原発政策や消費税なら党内に「アナザー・ボイス」があっても構わないのだろうか。そう言うと、憲法や安全保障政策は大事だろう、それが一致しない人が、そもそも同じ党を作る意味はあるのかと言われるかもしれない。
僕も同じ内閣の中で憲法観が違うと言うんだったら問題だと思う。「閣内不一致」では政策を推進させられない。だけど、世の中に完全に同じ考えの人など、そうはいない。細かいことを言い出したら「一人一党」になってしまう。日本でも、世界でも、同じ政党と言えど、ずいぶん違う考えの人が一緒になっていたのではないか。それこそが「政党のダイナミックス」を生んできたのではないだろうか。
30年ぐらい前の日本政治では、自民党にも社会党にも相当の幅があったと思う。自民党は一応改憲を掲げていたが、護憲を主張する人もいたし、外交や安保政策にも様々なスタンスの違いがあった。社会党も同じで、西欧の社民主義に近い人もいれば、マルクス主義に基づく革命を指向するグループもいた。そういう多様性が良かったというわけでもない。当時もそんなにバラバラでいいのかと言われていたと思うが、現実に多くの声が自社両党内から聞こえてきたものだ。
しかし、当時も「ワンボイス」政党は存在した。共産党と公明党である。「革命政党」(だったはず)の共産党は「民主集中制」で、党内で議論はしてもいったん決まれば一致して行動すると言っていた。確かに時々「除名」される人がいたから、党内で様々な対立はあったわけだが、反対派は存在することができない感じを受けた。公明党も宗教団体の創価学会を基盤にしているから、普通の意味での政治団体とは違っていて、党内で議論するより、上部団体の政治担当部署に見えていた。
政治的立場は違うものの共産党と公明党は政界内で「孤立」していたが、最近はかなり違っているだろう。公明党は自民党と連立を組んで、もう20年近くなる。その前には93年の細川内閣に参加し、大臣も出した。共産党も他の野党との選挙共闘をするようになり、昔とだいぶ違っている。公明、共産とも、そういう路線をどう評価するかはいろんな立場があるだろうが、ただ共通しているのは「党内議論」が見えない。党内にも派閥などはないことになっていて、路線対立などないかの感じだ。
でもどうなんだろう? 公明党内には「9条改正を掲げる安倍政権とずっと連立を組んでいてよいのか」という党内議論はないのだろうか。なければおかしいのではないだろうか。共産党も同様で、野党共闘路線や理論面の「柔軟路線」などに、党内で異論は出ないのか。本来は「革命政党」なんだから、喧々諤々の議論がないとおかしいのではないか。あるいは、それだったらいっそ「党名変更すべきだ」という党員はいないのか。そういう議論が外部に出てこない。
このように考えると、僕は「ワンボイス政党」を評価する小池氏の考え方が判らないのである。小選挙区制に選挙制度が変わってから、自民党のワンボイス化が進行してきた。特に2005年の郵政解散以後、総裁の意向に従うのが正しいかのように思い込んでいる自民党員が多いんじゃないか。怖いのである。党内で異論を唱えれば、公認を失うこともあると思い知ったから。だから、安倍政権下でどんな強行的な政策が進められ、あるいはムチャな答弁をしても誰も反対しないようになってしまった。
野党は強大な与党に対抗しなければいけない。「ワンボイス」では国民の声をすくう力が弱くなる。国民の安倍政権への考え方は多様だし、違和感を持つところも違うだろう。最大野党が「ワンボイス」では強大与党に対抗できなくなる。民主党が政権交代に成功したのも、党内では「鳩山、菅、小沢」のトロイカ体制を作り、さらに左には社民党、右には国民新党との連立政権という「多様な声を集める」ことに成功したからではないだろうか。
もっともその後党内で様々な声が分裂の推進力になってしまった。小池氏がかつて所属した新進党も、党内がバラバラになって解体してしまった。そのような体験から、党内がバラバラでは勝てないと小池氏は思っているのかもしれない。だけど、政権取りには「連合戦線」を作ることが絶対条件である。安倍政権を上回るためには、「希望の党」にはあんな人もいる、こんな人もいるという姿を見せないといけないはずだ。相手の方が強いんだから、多くの人の力がいる。
だが、小池氏が都議選当時代表を務めていた「都民ファーストの会」では、都議選以後誰もマスコミの取材に応じていない。小池氏は代表を辞任し、野田、荒木とすでに代表も3人目。その理由も判らないし、代表選のようなものもない。都議会では知事が素晴らしいというようなヨイショ質問しかしていない。どうなってるんだ。「ワンボイス」どころか「ノーボイス」である。市場移転問題では、決めた理由は記録に残さず、知事の専権、それを称して「AI」とまで言った。そういう人だから、クローンのような議員しかいらないのかもしれない。こんなんじゃ勝てない。都議選での勝利体験に寄りかかっているようではだめだと思う。それを直言できる人がいるのかどうか判らないけど。
僕も同じ内閣の中で憲法観が違うと言うんだったら問題だと思う。「閣内不一致」では政策を推進させられない。だけど、世の中に完全に同じ考えの人など、そうはいない。細かいことを言い出したら「一人一党」になってしまう。日本でも、世界でも、同じ政党と言えど、ずいぶん違う考えの人が一緒になっていたのではないか。それこそが「政党のダイナミックス」を生んできたのではないだろうか。
30年ぐらい前の日本政治では、自民党にも社会党にも相当の幅があったと思う。自民党は一応改憲を掲げていたが、護憲を主張する人もいたし、外交や安保政策にも様々なスタンスの違いがあった。社会党も同じで、西欧の社民主義に近い人もいれば、マルクス主義に基づく革命を指向するグループもいた。そういう多様性が良かったというわけでもない。当時もそんなにバラバラでいいのかと言われていたと思うが、現実に多くの声が自社両党内から聞こえてきたものだ。
しかし、当時も「ワンボイス」政党は存在した。共産党と公明党である。「革命政党」(だったはず)の共産党は「民主集中制」で、党内で議論はしてもいったん決まれば一致して行動すると言っていた。確かに時々「除名」される人がいたから、党内で様々な対立はあったわけだが、反対派は存在することができない感じを受けた。公明党も宗教団体の創価学会を基盤にしているから、普通の意味での政治団体とは違っていて、党内で議論するより、上部団体の政治担当部署に見えていた。
政治的立場は違うものの共産党と公明党は政界内で「孤立」していたが、最近はかなり違っているだろう。公明党は自民党と連立を組んで、もう20年近くなる。その前には93年の細川内閣に参加し、大臣も出した。共産党も他の野党との選挙共闘をするようになり、昔とだいぶ違っている。公明、共産とも、そういう路線をどう評価するかはいろんな立場があるだろうが、ただ共通しているのは「党内議論」が見えない。党内にも派閥などはないことになっていて、路線対立などないかの感じだ。
でもどうなんだろう? 公明党内には「9条改正を掲げる安倍政権とずっと連立を組んでいてよいのか」という党内議論はないのだろうか。なければおかしいのではないだろうか。共産党も同様で、野党共闘路線や理論面の「柔軟路線」などに、党内で異論は出ないのか。本来は「革命政党」なんだから、喧々諤々の議論がないとおかしいのではないか。あるいは、それだったらいっそ「党名変更すべきだ」という党員はいないのか。そういう議論が外部に出てこない。
このように考えると、僕は「ワンボイス政党」を評価する小池氏の考え方が判らないのである。小選挙区制に選挙制度が変わってから、自民党のワンボイス化が進行してきた。特に2005年の郵政解散以後、総裁の意向に従うのが正しいかのように思い込んでいる自民党員が多いんじゃないか。怖いのである。党内で異論を唱えれば、公認を失うこともあると思い知ったから。だから、安倍政権下でどんな強行的な政策が進められ、あるいはムチャな答弁をしても誰も反対しないようになってしまった。
野党は強大な与党に対抗しなければいけない。「ワンボイス」では国民の声をすくう力が弱くなる。国民の安倍政権への考え方は多様だし、違和感を持つところも違うだろう。最大野党が「ワンボイス」では強大与党に対抗できなくなる。民主党が政権交代に成功したのも、党内では「鳩山、菅、小沢」のトロイカ体制を作り、さらに左には社民党、右には国民新党との連立政権という「多様な声を集める」ことに成功したからではないだろうか。
もっともその後党内で様々な声が分裂の推進力になってしまった。小池氏がかつて所属した新進党も、党内がバラバラになって解体してしまった。そのような体験から、党内がバラバラでは勝てないと小池氏は思っているのかもしれない。だけど、政権取りには「連合戦線」を作ることが絶対条件である。安倍政権を上回るためには、「希望の党」にはあんな人もいる、こんな人もいるという姿を見せないといけないはずだ。相手の方が強いんだから、多くの人の力がいる。
だが、小池氏が都議選当時代表を務めていた「都民ファーストの会」では、都議選以後誰もマスコミの取材に応じていない。小池氏は代表を辞任し、野田、荒木とすでに代表も3人目。その理由も判らないし、代表選のようなものもない。都議会では知事が素晴らしいというようなヨイショ質問しかしていない。どうなってるんだ。「ワンボイス」どころか「ノーボイス」である。市場移転問題では、決めた理由は記録に残さず、知事の専権、それを称して「AI」とまで言った。そういう人だから、クローンのような議員しかいらないのかもしれない。こんなんじゃ勝てない。都議選での勝利体験に寄りかかっているようではだめだと思う。それを直言できる人がいるのかどうか判らないけど。