尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ルーマニア映画「私の、息子」

2014年11月27日 21時54分37秒 |  〃  (新作外国映画)
 引き続き、25日に見た映画。ルーマニア映画で、2013年のベルリン映画祭金熊賞(最高賞)、国際映画批評家連盟賞を受賞した「私の、息子」である。カリン・ペーター・ネッツァ-監督、ルミニツァ・ゲオルギウ主演、と言われても全然なじみがない。だから、映画祭受賞という実績と、この映画を最初にロードショーした東京・渋谷のBunnkamura(東急文化村)の信用で見た人が多いだろう。僕はロードショーは見逃してしまったのだが、映画評を見て是非見たいと思っていた。見たら、これもまた、とんでもなく凄い映画だった。驚きの世界である。
 
 実はルーマニア映画は近年評価が高くなり、「ルーマニア・ニューウェーブ」などと言われている。日本ではほとんど公開されず、クリスチャン・ムンギウ監督の「4カ月、3週と3日」や「汚れなき祈り」ぐらいしか公開されていない。日本ではこれらもあまり高い評価は得られなかったが、とにかく最近のルーマニア映画というだけで注目する必要がある。

 冒頭で、ある中年女性が友人に息子の態度が悪いと言い募っている。友人は「だから、もうひとり産んでおけばと言ったでしょ」と取り合わない。その母親コルネリアの誕生パーティがあるが、息子は当然現れない。集まったメンバーを見ると、父と母は結構セレブな社交界の一員らしい。父は医者らしく、母は舞台美術家、建築家であるらしい。そんなある日、息子バルブが交通事故にあったと連絡があった。息子を心配するが、実は「息子が交通事故を起こして、子どもを死亡させてしまった」というのが、事故の真相だった。そこから、息子を救うのは自分しかいない、息子を刑務所に入れることは許さないという、母の大車輪の「暴走」が始まっていくのである。

 母がひとり息子を溺愛する映画は珍しくないし、現実にもよくあることだろう。でも、ここまでうっとうしい母親も珍しいし、息子を救うというより、こうやって息子を支配してきたのかとつくづく納得できる。カメラは冒頭からは激しく手持ちで揺れ動き、その激しさにげんなりするんだけど、だんだん慣れてくると、というかストーリイの暴走が始まると、臨場感あふれる工夫にさえ見えてくる。その場で誰かが話したら、そっちにカメラを向けるというドキュメンタリー感覚である。その結果として、こんなに「うざい母」の存在感も珍しく、これほどの存在感は杉村春子以来ではないかと思うぐらいである。だから、邦訳題名も「私の、」と「、」が入っているのである。

 事故は高速道路で追い抜きをしようとスピードをあげて車線変更した時に、子どもが出てきて跳ね飛ばしてしまったというもの。高速道路の最高速度は110キロらしく、追い抜こうとした車も110キロ。だから、息子は140キロぐらいは出していたということだ。それでは困るので、警察に行けば、140キロを認めてはいけないと息子に強要する。110キロと供述調書を変えてもらいなさいと言って、変えさせてしまう。警官側も、最初は何という母親かと迷惑視していた感じだが、次に行くと有力者だと判ったからか、供述調書のコピーをくれて、代わりに頼みごとをしてくる。しかし、抜かれた方の供述も変わらない限り、追い抜くにはそれ以上出さないといけないんだからと、次はそっちも供述も変えてもらおうとする。運転手の連絡先を聞いて、コルネリアは彼に会いに行く…。

 という具合で、単なるクレーマーの域を超えている。自分は有力者で、世の中は金とコネですべてが決まるんだから、自分がすべて決めていくと心底信じ切っている感じである。いやあ、EUに加盟したルーマニアが、こんなに有力者が何でもできる国だったのか。それにしても、母がこれだけ強くては、子どもは困るだろうと思うと、案の定「自立」できていない。親の許しなく、息子は子ども連れのカルメンという女性と同棲している。母は、こんな事故を起こしたら実家で暮らすべきだと、留守中に息子の家に行き、下着などを持ってきてしまう。しかし、息子はもう二度とそっちから電話するな、必要な時はこっちから連絡すると激高する。その後、コルネリアが同棲相手カルメンと話すと、息子の意外な面が見えてくる。そして、3人で被害者宅を訪れることになるが、息子はどうしても車から降りることができない。母とカルメンだけが向かっていく。被害者の父と母は一体、どのような反応を示すだろうか。それは、映画で見ることで、もうここで書くことは止めておきたい。

 原題は「チャイルズ・ポーズ」(胎児の姿勢)で、車にこもって被害者に会いに行けないような息子の姿を指している。このような、「愛情という名の支配」はどこの国にもある問題なのだなあと思う。しかし、息子が警察に捕まっても、関係者の供述調書をカネで変えさせようなどと思う母親はいないのではないか。というか、そんなことは普通は民間人にはできない。(冤罪事件の場合、警察、検察が真実を語っている関係者を何度も何度も呼び出して供述を変えさせようと強要するケースはよくあるが。)そういうルーマニア社会への驚きが非常に大きい。だけど、だからといって、これほどトンデモナイ母親も珍しく、それを堂々と演じきったルミニツァ・ゲオルギウという女優はものすごい実力だと思う。

 ところで、なんで高速道路に子どもが入れるんだろう。老人が運転して出口から逆走して高速に入り込むという事故は日本でも時々報道される。しかし、高架になっていて、高いフェンスもあるから、子どもが高速道路を渡ろうとすることなどできないだろう。村上春樹「1Q84」や映画「新幹線大爆破」では、高速道路から降りていく主人公が出てくるが、そんなことをしている人を見たこともないが、まあ、それは大人ならやってやれないこともないんだろうけど。子どもが入れるようでは事故も危険だし、騒音もうるさい。何の防御策も取らないことは日本では考えられない。有力者の金力がものを言うらしいルーマニアでも、着実な交通事故削減策を取っていかないといけないと思う。父親が子どもに高速に入るなと注意してなかったと嘆くシーンがあるが、そういう問題ではないだろう。劇映画に言っても仕方ないけど。失われた命は帰ってこないが、教訓にしていくことはできる。
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ジャ・ジャンクーの新作「罪の手ざわり」

2014年11月26日 21時40分49秒 |  〃  (新作外国映画)
 25日にキネカ大森の名画座で2本の映画を見たので、その感想。もうロードショーは終わっているわけだけど、今後各地で上映に機会もあると思う。どちらもものすごい作品で、是非どこかで見て欲しい映画。今年は数年ぶりで外国映画の当たり年だと思う。まず1作目は、中国映画の第六世代を代表する映画作家、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の「罪の手ざわり」である。

 「罪の手ざわり」は、現代中国の恐るべき心の荒廃を圧倒的な映像で描き出した犯罪映画の傑作である。ジャ・ジャンクーは、2007年のキネマ旬報外国映画ベストワンになった「長江哀歌」(ベネチア映画祭グランプリ)という凄まじい傑作があった。それまでにも「プラットホーム」、「青の稲妻」、「世界」と驚くべき映像作品を作っているが、何しろ重厚長大というか、とにかく長くて、ストーリー性が希薄、ひたすら情景を凝視するような作品が多く、中国映画に関心があるシネフィル向けという面があった。「長江哀歌」は判りやすいうえに、108分と比較的短い。その後、「四川のうた」やドキュメントを作ったが、「罪の手ざわり」は久々の本格的新作という感じで、2013年のカンヌ映画祭で脚本賞を得た。

 この映画も129分と長いが、話は4つに分かれ、ほとんどオムニバス映画なので、今までで一番判りやすい。ジャ・ジャンクーの入門として最適。いつもと同じく、製作には北野オフィスなど日本の映画界が協力している。4話すべて、現実に起こった事件だというが、その暴力的な風土に驚くほかないような映画である。1話目は、山西省の元炭鉱夫が、村有の炭鉱を売り払って財閥になった昔の同級生や村長を恨み、個人的に決起する。「カネがすべて」の社会に生きられない男の侠気が、雄大な風景の中に展開する。2話目は、重慶の男が妻に隠して、犯罪に生きている姿を描く。この男は冒頭に出てきて、強い印象を残している。3話目は、湖北省の女が愛人の男ともめている。結局、男は広州へ戻り、サウナの受付をする女は仕事に戻るが、カネにあかせた男がマッサージを強要してきて、キレてしまう。4話目は、広東省の若い縫製工の男が仕事を逃げ、風俗産業に移り、そこで働く女に恋してしまう。4話目も悲劇だけど、普通の犯罪ではない。

 一つ一つの話は短いけれど、少しづつ人物が重なっていて、見ているうちに現代中国への壮大な告発になっている。「カネがすべての夜の中」への反発がすべてで見られ、特に3話目や4話目では主人公が金持ちに奴隷のような屈辱を味わわされる。まるで近松門左衛門の人形浄瑠璃である。このような中国社会の心の荒廃が一番印象的で、しかし、アメリカン・ニュー・シネマのことなどを思い出しても、自国の暗部を摘出する映画を作る人材が存在するということが社会の健全さでもあると思った。北京や上海と違う、地方都市の様子もうかがえ、中国ウォッチングの意味でも見逃せない。路地で演じられている京劇がたびたび挿入されるが、古典の世界と現代がつながっているような世界なのかと思う。

 
 ジャ・ジャンクーは、第5世代の陳凱歌(チェン・カイコ―)や張芸謀(チャン・イーモウ)に影響されて映画を志した世代だが、前世代の圧倒的な物語世界は封印してきた。しかし、中国の雄大な風景描写は今までも印象的で、今回の映画でも各地の様々自然描写が印象に残る。中国映画は世界に衝撃を与えてから、もう30年近くたち、最近は中国映画の存在感も薄れてきた。イランと同じく、社会的な困難さが映画作家にも影響を与えているのだろうと思う。ロウ・イエやワン・ビンのように、中国国内で公開できない道を選んだ作家もいる。ジャ・ジャンクーの場合は知らないが、やはり国際的な知名度ほどには国内で見られていないのではないか。

 こんなすごい映画を見ないで置くのは損だと思うが、「犯罪」に手をそめた人間の悲しさ、やるせなさが見る者に迫ってくる。こういう映画は昔の日本映画にもよく見られた。内田吐夢「飢餓海峡」とか、今村昌平「復讐するは我にあり」とかの、巨大スケールの「犯罪映画」である。そして、ジャ・ジャンク―が紛れもなく、内田吐夢や今村昌平に匹敵する映画史上の巨匠になったことを示しているのが、この映画だろう。
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善光寺坂のムクの木-小石川散歩④

2014年11月25日 22時57分12秒 | 東京関東散歩
 小石川も広いが、小石川植物園などは別に書くこととして、いったんこれで終わる。最後はカテゴリーも変えて、文学散歩である。青木玉さんの「小石川の家」(講談社文庫)という本がある。幸田露伴(こうだ・ろはん)の孫幸田文(あや)の娘である玉さんが、母や祖父との幼い頃を回想した自伝的エッセイ。昭和初期の生活の香りが懐かしい。と言っても、僕は最近初めて読んだんだけど、どこかで小石川に住む幸田家の前には大きなムクの木がある、と聞いたことがあるようなのである。このあたりを歩くんだったら、是非そこに行ってみたい…と露伴も文もほとんど読んでないのに、何となくそう思ったわけである。文庫本の表紙は幸田家を訪れた安野光雅が描いている。まずはそれを。

 場所は地図をよく見て、大体判った。まずは伝通院である。一回目に書いたように、春日駅から春日通りを西へ10分ほど歩くと、伝通院下に出る。伝通院から右側へ坂が下りている。これが善光寺坂だが、そこを少し下っていくと、道のど真ん中に大きな木が見えてくるではないか。そのインパクトはかなり強烈。最初に見たのは6月だが、秋になって最近2回見に行った。写真に撮ると、向かいのビルが傾いているかに見えるが、これは広角のマジックで、もちろんそんなことはない。
   
 もう道の真ん中にある感じで迫力が凄い。「善光寺坂のムクノキ」という案内板がある。では、幸田家はどこにあるかというと、すぐ真ん前の家がそんなんだと思うけど、まあ個人の家だから塀だけを。幸田露伴(1867~1947)は、漱石と同年生まれ。「五重塔」などで有名だが、僕の世代だと「名前は聞いたことがあるけど、読んでない」人が多いのではないか。もう一世代下だと、名前もよく知らないだろう。向島に住んでいたが、震災以後、井戸に油が混じるようになり転居を決意、生家のそばの小石川に転居したとある。娘の幸田文(1904~1990)は、1938年に離婚して娘を連れて父の家に戻った。父の死後、随筆や小説で有名となり、映画化された「流れる」「おとうと」は見ているが、原作は読んでない。晩年に日本各地の崩壊地形を見て回った「崩れ」を読んだだけである。
 
 「家の庭の向こうに、道路の真ん中、大きな椋の木があって、道いっぱい枝を拡げていた。二階の祖父の書斎に座れば、まるで木の枝の上に居るような感じで廊下のガラス戸を開ければ枝先がさわれそうだ。目の前に青々とした枝が拡がって、家の庭にも実生の何本かが伸び、どの枝が親木の枝で、どれが庭の塀越しに枝を伸ばしている若木か見極めがつかない。」(「小石川の家」72頁)この樹は近隣の人々にも近隣の雀にも、安らぎの樹木となっていたという様子が続いて書かれている。「ムクノキ」(椋の木)は東アジアに分布する落葉高木で、特に西日本に巨樹があるようだ。ムクドリは、よくムクノキの実を食べることから名が付いたという。

 この木をもう一度見たいと思い、そろそろ落葉かなと思い、11月半ばに訪ねてみた。今度は、坂の下の方から行ってみる。こんにゃく閻魔を過ぎ、小石川2丁目という信号を左に行くと、すぐに坂。ここを登っていくと、少し先にムクノキが出てくる。その前に坂の由来の善光寺がある。そのすぐ先である。こっちの道の方が駅から行きやすいように思う。
   
 晴れていたので、背景の空に良く映えるが、落葉はまだほとんどないではないか。では、もう一度と23日に行ってみたのだが…。なんと、伸びすぎたので17日に区が伐採すると貼り紙があるのだった。
   
 これはまたすっきりしてしまったもんだ。こうなっては、また伸びる来春以降にまた行くべきか。それとも雪の日かなんかに見に行こうかな。そう、なんだか気に入ってしまって、また見に行きたいのである。ムクノキのすぐ近くに、慈眼院・澤蔵司稲荷(じげんいん・たくぞうすいなり)がある。ここのホームページを見ると、ムクノキは江戸時代から有名だったとある。境内には、芭蕉の「一しぐれ 礫や降って 小石川」の碑もあるというが、よく判らなかった。秋に行くと、紅葉がきれいで、絵を描いている人が多いのに驚いた。坂道の途中で気持ちのいい場所である。坂の下の善光寺は、もとは伝通院の塔頭だったが、明治になって信州の善光寺の分院になったという。坂の名の由来。写真は省略。
   
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小石川後楽園-小石川散歩③

2014年11月24日 23時27分15秒 | 東京関東散歩
 小石川散歩の3回目は「小石川後楽園」。僕は小石川という地名をこの庭園で知ったんだけど、所在地の地名は今は「後楽」という。春日通りの北に、今「小石川1丁目」から「小石川5丁目」までの町名があるが、本来の小石川はもっとずっと広い地名なんだろう。岡山に有名な日本三名園の「後楽園」があるが、1923年に国の史跡、名勝に指定される時に、岡山と区別するために「小石川後楽園」と言うようになったという。今は国の特別史跡特別名勝に指定されている。もっとも「昭和の子ども」にとって、後楽園と言うのは野球場であり、遊園地である。それと別に「小石川後楽園」というものがあると知ったのは、ずいぶん後のこと。初めて行ったのも数年前である。

 ここは前に取り上げた六義園(りくぎえん)と並び、大名庭園の中でも名園中の名園だと思う。非常に素晴らしい日本庭園の美を味わうことができる。今は外国人観光客も非常に多く、数か国語のパンフが置いてある。今回は、10月の終り頃と11月23日に行った。その間の紅葉の違いなどを比べてみたい。(東京都心の紅葉はもう少し後の方が良かったようだ。)まずは10月末の写真。
   
 池に景色が映り、とても美しい。しかし、東京ドームやシビックセンターなどが背景に写ることを避けられない。では、11月23日の写真。
   
 この写真は中へ入って少し右の方、駐歩泉の先あたりで池を見る構図で撮ったもの(紅葉の4枚目を除き)だが、ここが一番構図が決まるのではないか。都立の庭園は9つあるが、面積は浜離宮が圧倒的に大きい。でも水の部分が多い。その次が六義園で、次いで後楽園。じっくり回ると、かなり時間もかかる。ここは、江戸時代の水戸藩上屋敷(元は中屋敷)で、水戸藩初代の徳川頼房が作り始め、2代目光圀の時代に完成した。幕末の斉昭時代のものもあり、歴史的に貴重なものがあるが、安政の大地震、関東大震災、空襲と3回の被害を受け、案外古い建物は残っていない。中では、「得仁堂」(とくじんどう)が光圀が18歳の時に「史記」を読んで、伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)の木造を安置したというところ。その近くには、朱塗りの「通天橋」や、石造りの「円月橋」がある。
   
 これらは何となく中国風の感じがあるが、それは明の遺臣・朱舜水の意見によるという。園の名も朱舜水の命名で、中国の「岳陽楼記」と言う本の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から付けられた。幕末の水戸藩に生まれた藤田東湖は、水戸学の集大成として大きな影響力を持ったが、安政の大地震に際して、母を援けるために屋敷に戻って圧死した。後楽園の一番奥の方に、東湖の記念碑が建っている。中国の西湖に見立てたという堤とか、道々に敷かれた石畳などが中国風だという。もう僕などにはよく判らないが。
   
 最後に、入口のところや園内のあちこちの写真を載せておく。広くてノンビリできるということでは、六義園と後楽園かなと思う。だけど、JRの水道橋、飯田橋のちょうど間で、少し遠い。地下鉄の後楽園が近いが、入り口に近いのは、都営地下鉄大江戸線の飯田橋駅だと今回知った。もっとも大江戸線は入り口から駅までが遠い。
   
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こんにゃく閻魔と牛天神-小石川散歩②

2014年11月23日 21時17分37秒 | 東京関東散歩
 東京の地図を見ていると、面白い名前のお寺や神社が多い。巣鴨のとげぬき地蔵などは、有名になり過ぎて何も感じなくなっているけど、文京区の小石川あたりには「こんにゃく閻魔」とか「牛天神」がある。ちょっと離れるので今回は行ってないけど「しばられ地蔵」というのもある。東京は大企業の都市だというのも間違いないが、一方で江戸時代以来の庶民の町的な部分もけっこう残っている。自分にはほとんど信仰心というものがないのだが、町を歩いて小さな寺社を見つけると、そこに地元の人(と思われる)が信心に来ているというのは、なんだか懐かしくなる光景だなと思う。

 では、こんにゃく閻魔に行ってみようと思うが、その前に寄るところがある。というか、実は一番最初にここに行ったのである。そして多くの人にお勧めなのが、まず「シビックセンター」に行くことである。要するに文京区役所なんだけど、すごく高いビルになっていて、高層に展望台がある。そして、一階に文京区観光協会があって、そこで散歩地図や博物館、美術館などのチラシが置いてある。文京区は歴史ある坂の町で、詳しい地図がないと探し物が見つからない。散歩に必須だから、まずここに行くべきだ。シビックセンターは集会などでよく使うところだが、上に上がったことがない。せっかくだから、一番上まで行くと、文京区がすっかり見渡せる。(最初の写真の緑が小石川後楽園。)ここは都営地下鉄三田線、大江戸線の春日駅から直結している。地名も春日で、今まで意識しなかったけど、これは春日局から来ている。江戸時代初期、3代将軍家光の乳母だった春日局にこの地の所領が与えられたという。隣の公園に春日局の銅像があった。
   
 シビックセンターから冨坂下信号のところを北へしばらく歩くと、こんにゃく閻魔(えんま)がある。正式の名は源覚寺。創建は江戸初期の1624年だから、日本全国的には格別古くないが、新開地江戸としてはそれなり。寺域は案外小さく、建物も新しい。由来となった仏像も見られない。ここには「こんにゃく閻魔」という仏像があり、右目が濁っているという。江戸時代中頃に、ある老婆が眼病の治癒を祈願したところ、夢に閻魔大王が出てきて、自分の目を代わりにして治してあげようと告げた。眼病は治り、老婆は好物のこんにゃくを断ってずっと供えた。これが「こんにゃく閻魔」の由来だとか。「汎太平洋の鐘」という、1690年に完成し、戦前にサイパンに贈られ、戦後になってテキサスで見つかったという鐘があるが、逆光でよく撮れなかった。
   
 その前の通り「えんま屋」という居酒屋があった。昼に通ったけど、ランチで流行っていた。その通りの店は「えんま商盛会」と名乗っていて、ホームページもある。道には「好きです この街 小石川 えんま通り商店街」と書いた旗が吊るしてある。そこをしばらく行って、小石川2丁目の信号を左折すると善光寺坂で、ずっと行くと伝通院。善光寺坂は別に書くので、今はここで終わり。ここからは本郷も近く、一葉や賢治など文学散歩の場所だけど、そっちもまた別に書きたい。
  
 さて、「牛天神」は伝通院前から安藤坂をずっと下って行ったところにある。後楽園駅から小石川税務署を通り過ぎ、坂の方を登ったすぐ。天神に牛は付き物だから、この名は不思議ではないけど、神社が「牛天神」と名乗っているのも他にない。道を少し入ると上り口があるが、ものすごい急な階段で、夏に行ったときは登る気にならなかった。今回は菊まつりで菊が置いてあった。登りきると、牛のかたちにくり抜いた板があり、おみくじが結び付けられている。下の安藤坂に明治中期、歌塾「萩の舎」があった。樋口一葉が通ったところである。(その説明板は前に「荷風散歩」の中に載せた。)その「萩の舎」の主催者だった中島歌子の歌碑が牛天神にある。
   
 下の写真の最初は牛天神の本殿だが、ここの一角にもう一つ別の神社があった。それが三枚目の写真。「太田神社」と言って、芸能の神だという。震災の頃までは、芸能界の信仰篤かったというが、今は忘れられている。芸能界を目指す人は行ってみたらどうか。またここの御神木である「木斛」(もっこく)が珍しい。どちらも行ってみたら小さな寺社で、ここだけ訪れるのはどうもというところだったけど、近くに見所が多いので、東京ドームの近くにこんなところもあるという紹介。
   
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伝通院-小石川散歩①

2014年11月22日 21時43分50秒 | 東京関東散歩
 散歩の写真がたまっているので、少し現実を離れて東京散歩のまとめ。小石川伝通院あたりから。初めて行ったのは6月なんだけど、10日ほど前にもまた行ってみた。もともと永井荷風の生地に近く、荷風のエッセイに「伝通院」があるから行ってみたのである。ついでに周囲の小石川一帯に史跡がたくさんあるので、最近はよく散歩している次第。

 「小石川」という地名は、小石川後楽園とか小石川植物園というのがあるので昔から知っていた。でも、戦前まであった「小石川区」が「本郷区」と合併して、今の文京区になっているので、「小石川」と言われても今ではあまりなじみがない。JRや地下鉄の駅名にないと、土地勘が判らなくなるのである。ネット検索では「小石川中等教育学校」(旧府立五中、都立小石川高等学校)が最初に出てくる。僕も東京の教員をしていたから、小石川というと学校の名前という感じなんだけど、所在地は文京区の北の方である。一応、旧小石川区の外れにあるようだけど、文京区の南の方の小石川後楽園とはずいぶん離れている。一体、「小石川ってどこだ」と昔から思ってきた。

 だんだん判ってきたけど、荷風が書いてた伝通院(でんづういん)がとても大事なのである。ビルが立ち並んでいるから、もうよく判らないが、伝通院というお寺のある場所が高台の頂点で、その辺りの川に小石がいっぱいだったのが地名の由来だとある。伝通院と言っても、僕は最近になるまで名前を聞いたことがある程度だったけど、ここは江戸時代には「江戸の三霊山」だった。他は上野寛永寺と芝増上寺である。つまり将軍家ゆかりの寺である。伝通院も同様で、ここには徳川家康の生母、「於大の方」の墓所がある。そもそも於大の方の法名が「伝通院殿」だったから、ここは伝通院なのである。そして小石川一帯は、江戸時代はほぼ伝通院の所領だった。

 というようなことが判ってきて、では伝通院に向かう。地下鉄の春日または後楽園からしばらく歩く。文京区役所前の大きな通り、春日通りを西へなだらかに登って行き、冨坂警察署を過ぎると「伝通院前」という信号がある。右を見わたすと、道路の突き当りが伝通院。荷風の時代にも火事になっているが、空襲でも焼けた。まず見えてくる大きな山門は2012年再建なので、真新しい姿で町を見下ろしている。山門の前に「酒を帯びて入るな」と書いた石柱があるが、これは今はない処静院(じょじょういん)という塔頭(たっちゅう)にあったものだとある。
    
 山門を入ると、かなり大きな境内だが、本来はもっと大きく、隣にある淑徳SC中等部・高等部という女子校も元は伝通院の中だった。山門前に会った石柱の処静院(じょじょういん)だけど、そこは1863年に浪士組が結成され集まった場所である。清河八郎らが将軍警護を名目に浪士を集めて、京都に旅立った。様々な経過があるが、この浪士組が後の新撰組となる。集まった250名ほどの中には、近藤勇、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨らがいた。このような歴史の舞台となった伝通院だけど、今の本堂は1988年に再建されたもの。
  
 ということで、建物には古いものはないので、現在は歴史散歩的には「墓めぐり」が中心。徳川関係だけでなく、有名人の墓がいっぱいある。墓地に入る前に案内図がある。ともあれ、まずは大きく目につくのが徳川関係で、於大の方だけでなく、千姫の墓もある。先の3つが於大、最後が千姫。他にもずらっと将軍の正妻の墓などが並んでいるが、省略。
   
 その他のお墓には、ズラッと並んでいるのが歴代住職の墓。次が作家・佐藤春夫、浪士組結成の呼びかけ人・清河八郎、明治時代の思想家・杉歌重剛
   
 続いて、明治初期の外務卿で、幕末の尊皇派公家・沢宣嘉、日本画家・橋本明治、作家の柴田錬三郎。柴田錬三郎は、眠狂四郎シリーズなどで有名で「シバレン」と呼ばれたが、他の歴史上の有名人と違い、大きな案内版がない。だから少し探してしまうけど、案内図の位置からしてこれだろう。本名は斎藤と言うようだし。
  
 ところで、伝通院の前に「浪越指圧専門学校」がある。「指圧の心は親心 おせば生命(いのち)の泉湧く」の言葉で存命時は超有名人だった浪越徳治郎の作った学校である。学校の前に本人の像などがあるが、伝通院に入って左手奥に「指塚」もある。これも珍しいもので、見逃せない。
  
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「健さん」が「テロリスト」だった頃-追悼・高倉健

2014年11月20日 23時25分41秒 |  〃  (旧作日本映画)
 高倉健が亡くなった。1931.2.16~2014.11.10。83歳だった。発表されたのは一昨日で、解散・総選挙という大ニュースがすっかり霞んでしまった。「高倉健」という存在は日本映画に止まらず日本文化のあり方を考えるうえでとても重要な意味を持つ。ちょっと遅くなったけど、やっぱり書いて残しておきたい。下の写真を見れば判ると思うが、若いころと晩年の風貌がほとんど変わっていない。
 
 俳優だから演技をして他人になる、その演技力で評価するというのが本当だろう。しかし、日本では演技力より「空気」とか「佇まい」(ただずまい)が大きな意味を持つことがある。出てくるだけで場を満たしてしまう。そういう「オーラ」のようなものである。晩年の宇野重吉、大滝秀治、あるいは笠智衆などもそうだったが、何と言っても渥美清と高倉健。誰でも知ってて、もう画面に出てくるだけで観客をつかむ。渥美清の場合、寅さんが渥美清か、渥美清が寅さんかという感じになっていたが、現実の渥美清は寅さんではなかった。でも高倉健最後の「あなたへ」を見ると、もう高倉健が「高倉健」を演じているんではないかという段階になっていた。スケール的には「不世出」のスターなのではないか。「スター」という存在そのものがもうありえないのかもしれない。

 「不器用」で「寡黙」な「含羞」(がんしゅう)の人、「誠実」で「一生懸命」な男というのが、役回りである。それを突き詰めると「精神主義」、「一生懸命生きている、それでけで尊い」という感じも出てくる。そうなるとそれを利用する人も出てくる気がして、僕は好きになれない。現に文化勲章までもらってしまい、「国民的俳優」視されてしまった。それまで任侠映画のスターというイメージを背負っていた高倉健が、1977年から「超大作」と「名作」に出る俳優になった。205本出た中で、そういう大作期(第3期)の作品は、ちょうど20本である。僕はそのうちの半分ぐらいしか見ていない。「大作」が嫌いだからである。ヒットする大作というのは、多くの人に共感されるように作られている。そういうものが嫌なのである。

 山田洋次の「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」はさすがに一定の出来になっている。でも僕はあまり好きではない。見直すと、結構トンデモ映画ではないか。「駅」や「あ・うん」などはそれなりに面白かったけど、中国映画「単騎、千里を走る」などは、チャン・イーモウとは思えぬほどつまらない。全部触れても仕方ないので「鉄道員」(ぽっぽや)だけ書くと、撮影で魅了する映画ではあるが、主人公はこんな人間でいいのだろうか。原作が感傷的なメロドラマだから仕方ないが、当時僕はJRから解雇された国労労働者にカンパしていたので、見ているうちに腹が立ってきた。この人は本物の国鉄労働者なんだろうか。自己犠牲の上に築かれる人生に感動してはいけないのではないか。最近も「教師は新入生の担任だったら、我が子の入学式にも出てはいけない」とか大真面目に主張する人がいる。そういう「ぽっぽや意識」こそ日本人を不幸にしているんじゃないか。

 僕が映画を見るようになったのは1970年ごろだが、高倉健はその当時東映任侠映画の主演者として、非常に有名だった。しかし高校生が見に行くにはけっこうハードルが高く、また自分でも「遅れた日本」を象徴する映画のように思えて、見たいと思わなかった。では、僕が最初に見た高倉健の映画は何だろうか。もう覚えていないんだけど、アメリカ映画に出演した「ザ・ヤクザ」(シドニー・ポラック監督)か、それとも斎藤耕一の「無宿」(やどなし)ではないか。「無宿」は勝新と高倉健の共演で、フランス映画「冒険者たち」の翻案と言えるが案外面白くない。でも、ヒロインの梶芽衣子が素晴らしく、僕も梶芽衣子を見に行った記憶しかない。となると、同時代作品として見て印象的だったのは、1975年の「新幹線大爆破」ということになるだろうか。
(「新幹線大爆破」)
 当時は、名作と言われる任侠映画が名画座によくかかっていた。多分、銀座並木座や池袋の文芸地下(今、新文芸坐のある土地に文芸坐があった。文芸坐は洋画専門で、その地下に日本映画専門の文芸地下があった。)で初めて見たと思う。三島由紀夫がギリシャ悲劇と言った「博打打ち 総長賭博」や「明治侠客伝 三代目襲名」には感動した。もっともこれらは鶴田浩二主演。高倉健映画も併映されてて見たように思うけど、あんまり記憶がない。当時は学生運動のよすがが残っていたころで、高倉健がタンカを切ると、画面に向かって「ヨシ!」と大声を上げる手合いが本当にいた。そういう話はどこかで聞いていたけど、ホントにいるんだと思ったものである。

 任侠映画時代の最高傑作は、「日本残侠伝 死んで貰います」(1970、マキノ雅弘監督)だと思う。山田宏一が日本映画ベストワンにしていたから見たかったのだが、僕が見たのはずいぶん後。でも、その後2回以上見たと思う。マキノ監督の長い監督人生の最後の時期の大傑作である。恐ろしげな題名から受けるイメージとは少し違い、老舗料亭をめぐる争いである。料亭の跡取りとして生まれながら、父の後妻に妹が生まれ、家を出て渡世人となる花田秀次郎(高倉健)。この料亭をめぐる乗っ取り争いと家族への思い。自分の幸せを封印して、周りの幸せを願う高倉健のセリフがいちいち心に刺さる。ここにあるのは、自分たちの共同体を守るために「テロリスト」となる主人公である。60年代末から70年代初期の社会変動の中で、高度成長の下で取り残された青年に受けたのもよく判る。

 そのように、やむに已まれず自己を守るために「孤独なテロリスト」となるというのが、この時代の高倉健のイメージである。そういう風に考えると、「新幹線大爆破」で犯行のリーダーとなる工場主こそが一番「健さんらしい」と言えるのではないか。この映画は全体としてはあまり評価しないのだが、犯行のアイディアと高倉健の演技は最高である。「寡黙」で「誠実」な人間が犯罪者となっていくのである。高倉健のイメージは、後に「国民的スター」となる前に作られたものから「テロリスト性」を引いたものだと思う。そういう「危険なイメージ」が落とされた第3期の映画は、僕にはつまらない。「世の中に受け入れられない」という主人公でなくては、「暗闇の中で心震わす」ことはできない。 
 
 ところで、今ほとんど触れられないのが、初期の助演作品である。特に内田吐夢監督の宮本武蔵シリーズの佐々木小次郎、「飢餓海峡」の若手刑事、もっと前の武田泰淳原作の「森と湖のまつり」(主演)などは印象が強い。また「人生劇場・飛車角」の宮川、「ジャコ万と鉄」などもいいけど、香港ロケした「ならず者」とか戦争映画「いれずみ突撃隊」などのあまり知られていない映画が素晴らしいと思う。なお、「悪魔の手毬歌」では探偵・金田一耕助を演じた10何人かの俳優のひとりになった。

 1965年の「網走番外地」「昭和残侠伝」の大ヒットから、東映を背負う大スターとなる第2期が始まる。「網走番外地」というから北海道かと思うと、「南国の決闘」とか、最高傑作とされる「望郷扁」のように長崎が舞台だったりする。それにしても、「網走番外地」から始まる「北」とか「雪」の「寒いイメージ」が後の第3期で完璧に生かされた。八甲田山で遭難したり、雪の駅で立ち尽くしたり、果ては南極とくる。この寒そうなイメージ、自己犠牲と感謝という高倉健のイメージの表象化でもあるだろう。日本人の心の底に「北方」にひかれる面があるのだろう。寅さんは北海道にも何度も行くが、最後は加計呂麻島でリリーと暮らす。高倉健のイメージが北方志向で作られた意味は、日本の大衆文化の中で解かれなければならない謎だと思う。でも、ちょっと寒すぎる感じが僕にはしてしまう。
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須賀敦子展と石川文洋展

2014年11月18日 23時28分12秒 | アート
 神奈川近代文学館で、11月24日まで須賀敦子展ををやっている。そのことは知っていたけど、会期末が迫ってきて、これは逃してはいけないということで、今日横浜まで行ってきた。
 
 須賀敦子(1929~1998)が亡くなって、もう15年以上過ぎてしまった。イタリア文学の優れた翻訳者として知っていた須賀敦子という人が、「ミラノ 霧の風景」で突然読書界にデビューしたのは、1990年、すでに61歳になっていた。評判になり、一読、並々ならぬ力量に感嘆するとともに、その背景にあるだろう世界の奥深さに恐れを抱いたものである。続いて書かれた「コルシア書店の仲間たち」(1992)では、ミラノにあったカトリック左派の書店を舞台に、後に夫となるペッピーノ(ジュゼッペ・リッカ)との出会い、その家族との深いつながりを描いた。僕はこの作品に深く心を打たれ、何度も何度も読み返した。まるで映画「鉄道員」のような貧しい鉄道員一家に生まれた夫、60年代の熱狂と社会変革への熱い思いを共有しながら、やがて立ち行かなくなるコルシア書店。そしてわずか6年間の結婚生活を残して、あっという間に先だった夫。一度読んだら永遠に忘れられない世界。間違いなく、現代に書かれたもっともすぐれた文章表現だと思う。

 こうして20世紀の最後の10年を須賀敦子を読むことを心の支えにして生きていったわけだが、生前に遺した著作はわずか5作、1998年に69歳で亡くなってしまうとは思いもよらないことだった。「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」を書き、様々な翻訳、特にナタリア・ギンズブルグやアントニオ・タブッキ、そしてウンベルト・サバなどの素晴らしい詩の数々を遺し、あっという間に逝ってしまった。没後にも多くの著作が出ているが、生前の5作の印象が強い。僕は単行本で読み、文庫で読み、さらに全集で読んでいる。今は河出文庫に全集が入っているが、さすがにそこまでは買っていない。でも文庫版全集が出ているくらいだから、須賀敦子を心の糧にしている人は思いの他多いのではないか。今日もかなりの人が来ていたようだったし。

 没後に出た追悼本の中で、夫のペッピーノの姿などには接していたが、今回の展覧会では幼年時の芦屋や夙川(しゅくがわ)の住まいの写真、コルシア書店のあった場所に今もある書店(中のようすはほぼ同じだという)、聖心女子大の卒論、ローマ留学時代の写真、須賀敦子がイタリア語に訳した日本文学の数々(「春琴抄」「陰翳礼讃」「山の音」「砂の女」「夕べの雲」など多数にわたる。)、そして多くの書簡や本などなど、様々な展示物に目を奪われる。まあ、須賀敦子を読んでない人には何の意味もないし、説明のしようもないんだけど。

 神奈川近代文学館は、「港の見える丘公園」を元町・中華街駅からずっと歩いて行く。寒い北風の吹く日だったけど、空は晴れて気持ちがいい。まあ今は「高速道路がよく見える丘公園」だと思うけど。このあたりは東京の学校だと遠足でよく行くところで、僕も何回か行っている。自宅からはちょっと遠いので、あまり個人的によく行くところではなく、近代文学館も堀田義衛展しか行ってないような気がする。手前に大佛次郎文学館があり、前に一度行った。今回は他のところはすべてパス。その横に陸橋があり、「霧笛橋」という。大佛(おさらぎ)の作品名から付けた名前。その先に近代文学館。
    
 丘を下りて、ずっと歩いて地下鉄の日本大通り駅まで。けっこう歩きがいがある。最近、天地真理主演の「虹をわたって」という映画を神保町シアターで見たら、元町あたりに水上生活者がいっぱいいて、そこに家出した天地真理が転がり込むという設定だった。いやあ、70年代初期までそんな生活が残っていたのだろうか。(この映画は初見なんだけど、天地真理は結構ファンだったので楽しく見られた。)元町から中華街入り口を経て、県庁のところまで。県庁前のイチョウが黄葉の初めできれいだった。その角に「新聞博物館」で石川文洋写真展をやっている。石川さんは確か2004年に、都立中高一貫校の教科書問題で集会を開いた時に講演をお願いした。中高一貫化でなくなってしまった都立両国高校定時制の出身である。石川さんのベトナム戦争の写真は、何度も見ているけれど、同時代の沖縄の写真も展示されている。12月21日まで。この新聞博物館は一度は行っておきたい場所で、なかなか勉強になる。横浜に行ったら是非。
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心打つ映画「ショートターム」

2014年11月17日 23時25分51秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ショートターム」という映画を見た。あまり大規模な公開ではないし、キャストもスタッフも有名な人はいないので、知らない人が多いだろう。11月15日公開で、公開直後の映画を見ることは少ないんだけど、是非見逃したくない映画だったのでさっそく見に行った。心打つ映画で、現代の日本で是非見て欲しい映画。見逃し禁止。(特に教育や福祉を志す若い人に是非。)
 
 原題は“SHORT TERM 12”で、なんだかよく判らないけど、これは12カ月を期限とする短期の児童保護施設というか、親と暮らせない子供たちのグループホームのことである。もっとも事情により12カ月を超えて在籍する子どもも多いという話がプログラムに出ていた。そこの様々な子どもたちと、スタッフの事情が細かく描かれる。児童虐待と、その心の傷が残り続ける様子を非常に心に残る形で映像化していると思う。監督はデスティン・クレットンという人で、これが2作目。実際にこのような施設で働いた経験があり、その時のことをもとに短編を作り、認められて長編映画にしたという。

 
 映画の中心は、グレイス(ブリー・ラーソン)という女性スタッフとメイソン(ジョン・ギャラが-・Jr)という男性スタッフ。二人とも20代で、一応周りには公言しないけど、付き合っている。この二人が子どもたちと関わりながら、自分たちの問題とも向き合う。こういうように、子どもたちだけでなく、若い世代のスタッフの悩みも等身大に描くという構成は、とても貴重なのではないか。そう思って、この映画を見てみたいと思ったのだが、実はこの二人も壮絶な過去を抱えているのだった。だから子どもたちの悩みもよく判るのだろう。絶妙な距離を保ちつつ、子どもたちに関わり続ける。

 18歳になり施設を出ていく時期が近づき荒れているマーカスという黒人少年。メイソンはある日、彼の作ったラップを聞かせてもらう。また所長の知り合いから預かる15歳のジェイデンという少女は、最初は全く心を開かない感じである。グレイスは彼女と関わる中で、自分の過去とも向き合う。ジェイデンが作った「タコと鮫」の童話は、見たら一生忘れられない強烈な哀しみに満ちている。これらの素晴らしいシーンは絶対見る価値がある。毎日毎日何かが起きるような施設の中で、そうした子供たちの様子を見守る。精神的にも肉体的にも大変な仕事であるが、彼らはユーモアと協力で乗り切っていく。スタッフ二人の関係がどうなっていくかは、映画で見てもらいたいので、ここでは語らない。

 僕がこの映画を見たのは、間違いなく「テーマ性」のため。そして、大変ためになった。人間の心の奥にあるもの、それは闇でもあるけど光でもある。これは若い人のための映画である。同世代の10代の若者も、また教育や福祉を志す若者も。いわゆる「映画ファン」「映画マニア」のための映画ではなく、もっと直接にこの映画を必要としている人に届くといいなと思う映画。だから、見て感想を書いているけど、大都市でないと公開されない感じだが、どこかでチャンスがあれば是非見て欲しいし、若い人に薦めて欲しい。見れば必ず何かを感じるだろう。日本でもこういう映画を作って欲しいな。虐待は他人ごとではない。親や関係施設や社会一般を非難していれば済むという問題ではない。自分ならどうするか。ここまで真っ直ぐ関われるだろうか。
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「道徳」は評価できるのか-道徳「教科化」問題③

2014年11月14日 22時33分38秒 |  〃 (教育行政)
 道徳の「教科化」などということにでもなれば、一番困るのは「評価」の問題である。道徳は果たして評価できるのか?その本質的な問題は後で検討するとして、とりあえず文章であれ何であれ「評価」しなければならなくなったとする。そのときはとんでもなく大変な事態が起きるだろう。つまり、全学級担任が関わっているのだから。学年生徒を何人かの教師で分担して教えることがある。4、5クラス規模ぐらいだと、学年を一人で持つことも可能だけど、大規模校だとそれはできない。また、社会科で歴史分野と地理分野を分けて担当するような場合もある。そういう場合、「評価」が教員ごとに大きく違ってはまずい。だけど、普通の教科であれば、定期テストの点数という一番基本になるものがある。そこに提出物や授業中の意欲などを加味すれば、大体「統一基準」が出来てくる。

 ところが「道徳」の場合、テストにはなじまないし、作文等の採点も教員ごとに基準がずれてきやすい。何しろ全担任が関わってくるので、「あの先生は厳しい」「あの先生は甘い」となってはまずい。基準をどうするか、その基準に沿って実際にどう評価するか。ものすごく多大な校内研修と作業時間が必要になるのは、目に見えている。生徒に道徳を説くはずが、生徒と接する時間が削られ会議と資料作成に追われることになるだろう。そのことに対する行政の配慮はできるのだろうか。

 その配慮とは何かと言えば、一言で言えば「教員定数の加配」である。つまり、担任が担当する時間とされていた道徳が、一つの「道徳科」という教科になったならば、教員定数を計算する際の「持ち時数」にならないとおかしいのである。そうでなければ「教科」とは言えない。「教科」にすると言っているのは教育行政の方なんだから、「道徳」を「担当授業時間数」に加えなければおかしい。そうすると、例えば6学級規模の中学校の場合、18時間の授業が新規に増加するわけだから、当然その分の教員が一人加配されなければおかしい。小規模校の場合は一人分にはならないかもしれないが、「道徳」分の講師時数増加が認められるべきである。それが「教科化」というもんでしょ。

 だけど、小学校1年生の「35人学級」にさえ文句を言う財務省の壁を、文部官僚が突破できるわけがない。結局、担任が負担を押し付けられるに決まっている。その時は教員こぞって反対するべきだけど、それも考えがたく「ま、仕方ない」程度になってしまうと思われる。で、どうなるかと言えば、校内に作られる「道徳教育委員会」などが「モデル評価文章例」を作成し、通知表作成時にパソコンで「コピペ」していく。または道徳評価の文章例が入ったソフトが開発され、それを統一して用いる。担任に多少裁量の自由があるだろうが、基本は学年で3つか4つのパターンに収まる文章が作られていく。そんなことではないか。確かに今までよりは手間がかかる。でも、まあ、そのくらいならいいかという範囲になってくる。そうでなければ現場はやっていけない。名前だけ「教科」になるが、だから一応文章評価はするけど、限りなく意味なき作業になっていく。思えば、ほとんどの学校で「総合的な学習の時間」も、そんなもんでしょ

 ところで、「道徳は評価できるのか」という本質問題に移る。中学、高校の教員免許は大学で「教職課程」を取るのが一般的だろう。その際、教科教育に関する教育と別に、教職に関する科目を取らないといけない。「教育原理」とか「教育心理学」などに加え、今では生徒指導やカウンセリングなどの授業もある。その中に「道徳教育の研究」とか「道徳教育指導法」といった講座があり、それを取らないと中学の免許が取れない。だから普通は中高の免許は両方持っているものだが、一部に高校の免許しか持たない教員もいるのである。

 僕の場合、その講義では「道徳は評価しない」「評価しないから道徳の授業が成り立つ」と教えられたものである。担当教員によって多少は違うかもしれないが、大方は「道徳は評価しないんだ」と教えられたと思う。「評価しない」のは、「評価できない」からである。それはもちろん、前回書いたような道徳で扱ういくつもの項目を解説することはできる。それを適切な題材を用いて、生徒に説得力をもって指導することもできるかもしれない。でも、しょせんは教師も人間、生徒も人間で同じ地平に立っている。「先生」と言われて、確かに「先に生まれている」けれど、だから「人生の先輩」として経験や知識は生徒より豊富だろうけど、生徒に求められる道徳は本来は教師にも求められている。だから、他の教科学習と違い、「教師も生徒も同じ立場で道徳を考える」のであり、確かに授業の進行ではリーダーシップを発揮するけれど、評価はできないのである。

 具体的に一つの項目を示す。「1の4」に「真理を愛し,真実を求め,理想の実現を目指して自己の人生を切り拓いていく」という文章が書いてある。これが人生において大切な教えだというのは、まあ大方の人が納得するだろう。「このことの大切さを理解できたかどうか」なら評価できないこともないだろう。でも、この文章を生徒と一緒に読んでみて、その生徒を「道徳」という教科で評価できると言える教師、あるいは親はいるだろうか。ほとんどの大人は子どもが勉強や部活動などでコツコツ努力する姿を見ていれば、自分の今の姿より立派だと思うのではないか。「理想の実現を目指して自己の人生を切り拓いていく」?ホントは他の仕事に就きたかったのに教師をしている自分の人生は何だと思う人も多いだろう。こんな「道徳」を教えて、生徒を評価できるなどと言える教師がいるだろうか。

 なぜ「道徳」の評価はしなかったのだろうか。「修身復活」への反発に対応して、戦前とは違い「評価はしない」という形で導入したという経緯が大きいだろう。が、それだけでなく、日本国憲法のもとでは「国家は国民の内面に介入しない」ということが大きいのではないかと思う。外形的な規制はできないことはない。デモを申請しても、公共の福祉の観点からデモの進路を変更させられることもありうる。しかし、その際に、デモの趣旨そのものを取り締まるわけではない。学校もまた、服装や頭髪の決まりを作ることはできる。そのルールを守らない生徒を指導することもできる。しかし、その生徒を「道徳的に劣っている」と評価してしまうことはできない。まあ、そういうロジックなのではないか。

 「道徳教科化」に伴い「道徳の評価」をすることになると、それは大変なことになると判るだろう。教師に生徒の内面評価の権限を与えることになる。それは「教師の内面」の方も腐敗させていくに違いない。「善なる目的」でそういうことを始めたとしても、教師が生徒を道徳的に評価できるんだったら、生徒が生徒を道徳的に評価してもいいではないかなどと思い込む生徒も出てくるだろう。「暗くて、遅くて、集団に迷惑な生徒」は、道徳が指導すべき「4の4」にある「自己が属する様々な集団の意義についての理解を深め,役割と責任を自覚し集団生活の向上に努める。」から見て問題がある。よって、道徳的に劣った生徒は「クラス皆で引き上げてあげる」べきである。これは実際は「皆でちょっかいを出す」という意味である。こうして、かえって「いじめ」は増加してしまう。そんなことはないか。

 「道徳教科化」のあかつきには、全国の様々な小中学校で、「道徳の評価法」に関する「研究」が盛んになるだろう。文科省や都道府県教委指定の「道徳教育研究校」がいくつも生まれる。かつて、大津市でいじめ事件が起きた中学は直前に「文科省指定道徳教育研究校」になっていた。僕もかつて、道徳研究校の直後に「荒れ」を経験したことがある。不思議というか、当然というか、教員が「道徳」を勉強する学校で問題が起こりやすいのではないか。偶然かも知れないが。でも、目の前の生徒を置き去りして、会議ばかり必要になるんだから当然かもしれない。特に「道徳」は全教員が関係するし、内容が内容だから、研究発表の論文などでも指導主事からのチェックが厳しい。正直言えば、生徒指導に手が回らない時もあるだろう。対応が後手後手になってしまうこともある。「道徳教科化」の果てに、かえって学校と教師の荒廃が起きる…という悪い予測をしてしまうのは僕だけではないだろう。
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「道徳」授業の実際-道徳「教科化」問題②

2014年11月13日 23時07分47秒 |  〃 (教育行政)
 自分が中学の教員で「道徳」を担当していたのも、もう20年以上前になる。その頃は「心のノート」なるものもなかったし、今とは相当に違うと思う。道徳の授業は、基本的に学級担任が行うとされているので、担任を持った年に「何かをやっていた」はずだけど、もう全然覚えていない。もっとも担当の教科でやっていた授業も全然覚えていない。学校行事などに比べれば、ほとんど記憶に残らないものである。ただ、はっきり言えることは、最近よく批判されるように、「道徳の時間」に「道徳」ではなく、「席替え」だの「(運動会などの)選手決め」を行うことは確かにけっこうあったと思う。

 今は「年間授業計画」の作成は義務付けられているし、「道徳」実施時数の調査などもあるので、昔よりは「道徳」をきちんとやっているのではないか。自分の時代は「月曜日の1時間目」に「道徳の時間」が設定されることが普通だった。それでは休日が多くなる。「ハッピーマンデー」なるものが出来た今では、「月曜の1時間目」では時数確保が難しすぎるので、他の時間にやっているのだろうか。でも、何かを月曜日に授業しないといけない。「学力向上」がこれほど叫ばれて、学校評価にも大きく影響するわけだから、ホントは「道徳」を月曜日に置きたいだろう。

 それに学校行事が近づいてくると、運動会や文化祭の準備に時間を取られる。どこかの授業をカットして、準備時間を作らないといけない。今は準備も短時間に減らされているかもしれないけど、昔はそういう時にも「道徳の時間」は大体最初にカットされていた。そして、それが問題であるとは全く思ってなかったし、今も思わない。なぜなら…という理由はいくつかあるけど、「道徳の時間」とは一体何なのだろう。「席替え」に使ってはいけないのか。確かにそれは本来は「学級活動」の内容だろう。でも、同じ担任がやってるんだし、「学活」が祝日や行事でつぶれることも多い。クラスの気分一新、新しい班作りで協力態勢を再編成することは、クラスにとって「道徳の実践」以外の何物でもない。

 「心のノート」などを使って、思いやりだの協調性だのと教師がいくら「道徳」を説いても、修学旅行の班決め運動会の選手決めなんかの時に、そのクラスの人間関係が試される。生徒と教師の底力はそういう場合に現れるのだと思う。行事の時期や休日の予定などを考え合わせ、「道徳の時間」を「柔軟に運用する」ことは、学校現場に必須のことであり、「道徳の実践」そのもので何ら非難されるものとは思わない。ましてや、そうやって「道徳」ではなく「学活」に使うから、いじめが増えるだなんてバカなことがあるわけがない。「道徳の時間」をもっと大切にすることが「いじめ対策」であり、そのために「教科化」するなどという発想そのものが現場的には理解不能だろう。

 ところで、「道徳」では一体どんなことをやっているのだろうか。実は僕は「文部省指定」の「道徳教育研究校」を経験したことがある。だから、中学の道徳教育にはある程度詳しいのだが、現行の指導要領を見ると、ものすごく詳しくなっていることに驚いた。1977年告示の中学学習指導要領は、国立教育研究所のホームページで見られるが、その当時は「16項目」と言っていた。(なお、いわゆる「愛国心」=「日本人としての自覚をもって国を愛し」という項目は、その当時から文言としては入っていた。)今の現行要領を見ると、4分類、24項目にわたって指導することになっている。 いやあ、これは考えるだけでも大変だなあ。あんまり細かく見てもどうかと思うけど、資料的な意味で触れておきたい。面倒くさいから飛ばしてけっこうです。

 まず、道徳の内容は4つに分かれている
1 主として自分自身に関すること
2 主として他の人とのかかわりに関すること
3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること
4 主として集団や社会とのかかわりに関すること
  具体的な中身は文章による表記なので、全文を引用すると長くなり過ぎるので、簡潔にまとめる。
 例えば、「1の(1)」は「望ましい生活習慣を身に付け,心身の健康の増進を図り,節度を守り節制に心掛け調和のある生活をする。」が正式だけど、これは「望ましい生活習慣」と略する。

1 主として自分自身に関すること。
望ましい生活習慣 ②強い意志 ③自律の精神 ④真実を求める心 ⑤自己を見つめる、個性を伸ばす
2 主として他の人とのかかわりに関すること。
礼儀の意義 ②人間愛と思いやり ③友情の尊さ ④異性に対する正しい理解 ⑤個性尊重と寛容の心 ⑥感謝の心
3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。
生命の尊重 ②美しいものに感動する心 ③生きる喜び(弱さや醜さを克服する強さや気高さ) 
4 主として集団や社会とのかかわりに関すること。
法やきまりの意義 ②公徳心及び社会連帯 ③差別や偏見のない社会の実現 ④集団生活の向上 ⑤家族の一員としての自覚 ⑥学級や学校の一員としての自覚 ⑦郷土愛、先人や高齢者への尊敬と感謝 ⑧日本人としての自覚、伝統の継承と新しい文化の創造 ⑨世界の平和と人類の幸福

 以上をちゃんと全部読んだ人は少ないと思うけど、教師でもあんまり指導要領を見ることはないかもしれない。でも、こういう項目に分かれていることは中学教員は大体知っているだろう。(小学校はもう少し少なくなっている。)今の「3の⑧」を僕は「日本人としての自覚、伝統の継承と新しい文化の創造」と略したけど、全部引用すると「日本人としての自覚をもって国を愛し,国家の発展に努めるとともに,優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献する」である。だから「愛国心」とまとめてもいいのかもしれないが、単なる愛国心に触れることが目的ではなく、「新しい文化の創造」と結びついている。だからいいじゃないかということではないが。大体、学校現場では「3の8」「3の9」あたりまでは時間的にやりきれない。

 「道徳」の時間は担任がやると言っても、勝手に自分の考えで進めることは普通ない。学校の年間計画を受けて、学年会で来週の時間はどこをやると決めるのが普通だろう。学年や学級の課題(いじめがあったとか、修学旅行が近いとか)に応じて、内容を柔軟に変えていくことは普通。時事問題も使う。例えば、マララさんのノーベル賞受賞などは、一体どこに該当するかと言えば、もういろんなところにあてはまるだろう。「強い意志」でもあるし、「寛容の心」「差別や偏見のない社会の実現」「世界の平和」などいろんな切り口がある。まあ、そういう題材を選びながら、これらの項目を進めていく。「集団や社会とのかかわり」が昔より重視されている気はするけど、「国を愛する心」などは教育基本法に盛り込まれているわけだから、「道徳」にも当然ある。しかし、そこだけを重視するなどということは学校現場ではありえない。(年間計画を公表しているはずである。)問題は、これらの項目を「道徳の時間」で取り上げることと、「教科として学習して評価する」ことには大きな違いがあるのではないかと思うのである。
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道徳の「教科化」問題を考える①

2014年11月12日 23時04分34秒 |  〃 (教育行政)
 「道徳」の教科化という問題が起こっている。これは「戦後教育の転換点」だと思う。しかし、その現場的な意味が十分に理解されているとは思えない。反対派の中にも、これは「安倍首相の『戦争をできる国作り』を支える政策だ」などと思っている人がいるらしい。例えば、週刊金曜日11.7号(1015号)に北村肇氏が書いている「『道徳』教科化を笑う」という小文などは、その一例ではないか。「安倍氏らの考えているのは『修身』の復活なのだろう。自己よりも国家を優先する思想に染め上げれば、戦争をしようが、労働力を搾取しようが、言論の自由を奪おうが、国民は国家に盾つかなくなる。『非国民』は獄につないでしまえばいい―。」小学校と中学校で、週に一時間教えるだけで、そこまでの凄いことができると本当に思っているのだろうか。教える教師は、その目論見をそのまま教え込むのか。

 そう考えてくると、道徳の「教科化」にそこまでの過剰な危機感(あるいは期待)を覚えるというのも、一種不思議な「現場無視」ではないかと思う。この問題の流れを見て来れば、これは直接的には「いじめ対策」から出てきたものだと判るだろう。だから、道徳「教科化」がいじめ対策としてふさわしいか、効果的なのかを論じなければ意味がない。次回以後に書くように、この「教科化」がもたらす「教師の負担増」はものすごく大きいだろう。それに見合った「負担軽減策」がなければ、いじめはかえって増加するだろうし、多分多くの学校はふたたび「荒れ」を経験することになるのではないか。

 さて、本格的にこの問題を論じる前に、基本的なおさらいと現状を書いておきたいと思う。戦前まで、日本の小学校には「修身」という教科があった。これは「忠君愛国」を教え込む性格のものだったので、占領下に廃止され、以後確かに右派は「修身復活」を主張している。今でもそういうことを言う人はたくさんいる。占領後にそういう議論があったが、「修身」ではなく「道徳」に「教科」ではなく、「道徳の時間」という扱いで、1958年に告示された学習指導要領で小中学校に新設され、(非常に例外的なことに)告示の年から直ちに実施された。その後、ずっと週に一時間「道徳」の時間が置かれているわけだけど、「道徳」以外のこと(主に学級活動)に使われることは確かに多かった。

 今回の「教科化」の流れを見ると、「上から」進められていることが明らかである。(だから、「安倍復古教育」を危ぶむ声が出てくるのも理解はできる。)安倍首相の下で「教育再生実行会議」が首相官邸に設けられ、その第一次提言に、いじめ対策として「道徳教科化」が打ち出された。(2013年2月)続いて、その具体化をめざすために「有識者会議」が作られた。正式には「道徳教育の充実に関する懇談会」で、2013年12月26日付で報告書が出された。続いて、2014年2月に、文科省が中央教育審議会に「道徳に係る教育課程の改善等について」を諮問した。その答申は2014年10月21日に出された。「道徳に係る教育課程の改善等について」である。このように、教育行政の手順を踏んできているので、このまま何もなければ次回の学習指導要領で正式に「教科」となるわけだろう。しかし、具体的な細かい問題が山積しているので、僕はそう簡単には進まないと見ている。要するに、ただ「教科」と呼ばれるようになっただけ、ということに当初はなるのではないか。

 では「教科」とは何なのか。法的な用語ではなく、どこかで正式に決まっている定義もない。だけど、学校で教えるべきことは、歴史の流れの中でいくつかの分野にまとめられていることは間違いない。寺子屋だったら「読み、書き、そろばん」とか。その場合の「3つの分野」が、言ってみれば「教科」ということになる。だから、道徳を「教科」にするということは、国語とか数学とかと道徳を同列の「学習対象」にするということである。なお、高校は「教科」の下に「科目」があるが、小中は「教科」しかない。中学社会科の地理、歴史、公民は、それぞれ違う教科書を使うが、それは「分野」と呼ばれて同じ社会科の一部分である。落第のない小中と科目ごとの「修得単位数」で卒業が決まる高校の違いである。

 中学校ではどのような教育活動を行うのだろうか。それを「中学校学習指導要領」で見てみたい。大きく分けると4つになり、「各教科」「道徳」「総合的な学習の時間」「特別活動」になる。一応書いておくと、「各教科」というのは、国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技術家庭、外国語の「9教科」である。「特別活動」は、学級活動、生徒会活動、学校行事に分かれる。「道徳」の中身がどのようなものかは、ここで書くと長くなるので次回に回すが、この「教科」とそれ以外の違いは何だろうか。言うまでもないだろう。「教科」は5段階で評価され、それが上級学校進学に大きな影響を及ぼす。「総合学習」も確かに「評価」らしきことはするのだが、これは「活動の時間」だから、「しっかり活動し、成果を挙げたか」といった評価基準となる。

 一方、「教科」は「学習」なので、「学習到達目標」に応じて、各生徒の到達度を数値で評価する。それがどれだけ客観的なものか、正確な評価かどうかは問題になるけど、「二次方程式を解けるかどうか」とか「英単語をどれだけ覚えているか」は、大体の評価はできるだろう。テストで100点を取ったら、それは求めるべき学習到達度から見て、成績は「5」だろう。そのテストがどれだけ客観的な学習能力を反映するかには疑問もあるけど、まあ、そう難しいことを言わなければ、教師による評価はできる。それが学校成立の根拠だし、それを皆が重要視している。では、「道徳」を「教科」にするとどうなるのか。「道徳」は「学習」の対象になってしまうのである。だから、「評価」の対象になってくる。今のところ、数値による評価ではなく、文章による評価という方向で検討されているが、「評価」が必要なのは間違いない。でも、一体「道徳」の何を評価できるんだろうか。「理解度」だろうか、「実践」だろうか。でも、道徳は「理解」すればいいというもんではないだろう。結局、この問題を深く考えていけば、「学校」とか「教師」とは何だろうという問題になってくる。その問題を考えずに、道徳教育を強化するのはいいことじゃないか、程度で進めてしまうと、ものすごく大変なことになってしまうと心配である。
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グザヴィエ・ドラン監督「トム・アット・ザ・ファーム」

2014年11月11日 22時24分22秒 |  〃  (新作外国映画)
 グザヴィエ・ドラン監督の「トム・アット・ザ・ファーム」(2013)を見た。グザヴィエ・ドラン(Xavier Dolan、1989~)って、誰だという人もまだ多いと思うけど、近年世界で最注目の映画監督の一人であることは間違いない。まだ25歳で、ゲイをカミングアウトし、セクシャル・マイノリティをテーマとする映画を作っている。すでに日本公開が4作目で、2014年のカンヌ映画祭では“Mommy”という作品で、審査員賞を受賞している。ゴダールと同時受賞だったが、同じフランス語映画界で超ベテランと新進気鋭が同時に評価されたわけである。今、フランス語映画界と書いたけど、この人はフランスの人ではなく、カナダのフランス語圏であるケベック州で映画を作っている人である。

 2013年に「わたしはロランス」(2012)という映画が公開され、性同一性障害をテーマとした端正な映像美に関心が集まった。僕も見たけど、ちょっと長すぎてテーマがうまく生かされていないように思い、ここでは触れなかった。その後、同監督の「マイ・マザー」(2009)、「胸騒ぎの恋人」(2010)も公開されたが、小規模な公開だったので僕は見ていない。「わたしはロランス」は監督が出演していないが、最初の2作、それに「トム・アット・ザ・ファーム」では監督本人が主演している。この作品はヴェネツィア映画祭に出品され、国際批評家連盟賞を受賞した。また最初の3作品では監督がオリジナル脚本を書いている。つまり、25歳にして、脚本、監督、主演する映画を続々と作っているのである。

 今回の「トム・アット・ザ・ファーム」(原題はフランス語だから“Tom à la ferme”)は初めての原作もので、カナダを代表する劇作家だというミシェル・マルク・ブシャールの戯曲をもとに、原作者とグザヴィエが脚本を書いた。監督が劇の上演を見に行って、すぐに映画化を決めたという。今回の作品も「同性愛」をテーマとしている。冒頭はカナダの田舎にある農場、なんだか人気がない。そこに金髪の青年(トム)が車でやってくる。人がいないのであちこち探しまわる。この段階では何もわからない。やがて合鍵を見つけて、家に入って休んでいると、老女が戻ってくる。どうやらトムは客としてきたのだが、それは彼女の息子であるギヨームが亡くなり、その葬儀に来たらしい。この監督本人が演じている、妻夫木聡を金髪にしたような青年がしっかりしてるのか頼りないのか、不思議な感じ。

 だんだん判ってくるのだが、ギヨームの「友人」だったトムは、実は同性の恋人だったらしいが、そのことは秘密にされていて、今まで存在を知らなかった暴力的な兄フランシスがいて、家を支配している。その兄は、ギヨームにはサラという恋人がいることになっていて母にはそういう風に装えと命令してくる。同性愛だということはどこにも出てこないのだが、画面の暗示することとグザヴィエの映画だから、やはりそうなんだなと思って見るわけである。この「ウソ」で固められた家族の、閉ざされた牢獄のような農場が、怖い。別に壁があって扉は鍵がかかっているという訳ではなく、農場だからどこでも行けるし、逃げることは出来そうである。実際逃げたこともあるけど、とうもろこし畑で怪我して捕まっただけだった。車で来たんだから、車で逃げられそうなもんだけど…。そして「架空の恋人」だったはずのサラが現実に現れて…、人間関係の闇が次第に明らかになってくる。

 こういう「田舎の閉ざされた世界」で、「秩序から排除されるもの」(例えば性的なマイノリティ、あるいは人種的なマイノリティ…)が現実に、または精神的に「閉じ込められる」恐怖を描く映画はアメリカ映画なんかにたくさんある。これもそういう感じだけど、カナダだけに寒そうな農村地帯で、そこを遠望するカメラが美しい。そこで描かれる人間関係の輪は、ものすごく「怖い」ので、これは一種のホラー・サスペンス映画に入るだろう。でも怖がらせることが目的のエンターテインメントではなく、人間関係の孤独を描くアート系映画の感触がある。まだまだ、ホントにすごい映画を見たというほどの興奮や達成感はないけど、この映画は十分の才気と映像美を味わえると思う。注目すべき新人監督として覚えておくべきだし、特にセクシャル・マイノリティ問題を、自分のテーマとする作家として注目すべき存在。それにしても、25歳でこんなに世界の映画祭を席巻した人もいないのではないか。この戯曲も是非日本で翻訳して公演して欲しいと思う。(なお、グザヴィエというのは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・デ・ザビエル Francisco de Xavier と同じである。)
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「誰よりも狙われた男」

2014年11月11日 21時27分06秒 |  〃  (新作外国映画)
 ジョン・ル=カレ原作の「誰よりも狙われた男」が映画化されて公開されている。(アントン・コービン監督。)この原題は何と言うかと思えば、“A MOST WANTED MAN”である。なるほど。主演はフィリップ・シーモア・ホフマンで、彼の遺作となる。今年の1月に46歳で急死し、「二人の名優の死-フィリップ・シーモア・ホフマンとマクシミリアン・シェル」を書いた。新宿武蔵野館には、ホフマンの大きな立て看板が作られている。
  
 ル=カレの原作はハヤカワ文庫に入ったので、読もうかなと思って買ってしまったけど、長そうで手を付けていない。だから、原作を読まず、細かい筋は知らずに見たわけだけど、ストーリイはともかく、テーマがアクチュアルで、是非見ておくべき映画ではないか。もっともドイツのハンブルクの映画だけど、ドイツ人役のホフマンを始め、皆が英語を話している。そういう点はあるが、非常にリアルな映画だと思う。ただし、問題点もある。

 バッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)はドイツの対テロ諜報組織の責任者で、ベイルートで過去に失敗があり、国内のハンブルクに異動させられた。現在の最重要課題は、イスラム過激派の動向と国内潜入である。ある日、組織の監視カメラがイスラム過激派としてマークされているチェチェン人イッサの姿をとらえる。この人物が会おうとしているのは誰か。どうやら大手銀行の頭取らしく、人権派女性弁護士を通して面会しようとしている。その目的は何か。バッハマンはイッサを泳がせて、より大きな目標をねらおうと画策するが、そこに国内の他組織や米国CIAの動向も絡んできて…。「この結末は誰も予想できない」。まあ、具体的な細部はともかく、ミステリーファンなら、ラストの予想がつかないでもないとは思うけど、一応やはり「衝撃のラスト」というべき結末に至る。

 冷戦終結後に「スパイ小説はどうなるか」と言われたものだが、「9・11」以後は「対テロ戦争」をめぐる諜報活動が重大になり、実際にこういう話があるのではないかと思うようなリアルな映画だと思った。主演のホフマンは記憶に残る名演で、これが最後とは悲しい。過去の傷を引きずりながら、仕事にのめり込むタイプを全身で演じている。諜報と言っても、現在のネット社会での変容が印象的である。ところで、今回の事件の背景にあるチェチェン問題を考えると、ロシア軍の方が「国家テロ」と呼ぶべき蛮行を繰り返し、その問題が背後に潜むことがだんだんわかってくる。イスラム過激派に対抗するために、国家の側も「国家テロ」を行っている実態が明らかになってくる。そういう意味では恐ろしい映画である。ル=カレの映画かと言えば、スマイリーを主人公とする「裏切りのサーカス」が記憶に新しいが、あのような「目で見るチェス」のような知的なゲーム性はない。もっと本格アクション映画っぽい作りだけど、多分実際の対テロ諜報戦そのものも、そういう荒っぽい世界なのではないか。ビンラディン暗殺作戦などにも、その一端がうかがわれる。現実を反映しているらしき点は怖い映画だと思う。ただ、これではイスラムの慈善団体がテロ支援団体であるように思えてしまう。「西欧の目」というバイアスのかかった映画であると思う。
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映画「ニンフォマニアック」

2014年11月11日 00時10分40秒 |  〃  (新作外国映画)
 それなりに重要な新作映画を見たら、できるだけ短評を書いておくことにしたい。デンマーク出身のラース・フォン・トリアー監督の新作「ニンフォマニアック vol.1/vol.2」を見た。1と2は続いているので、順番に見ないといけない。これは題名で判る通り、シャルロット・ゲンズブールが演じる「ニンフォマニア」(色情狂)の女性の半生記である。トリアーだけあって、またまた過激な描写が満載で、今回は性描写が半分位を占めている。だけど、全然性的な興奮をもたらさない。その意味では、ポルノグラフィとして作られているが、いつもの通り「観念的」な作品になっている。
 
 大体トリアーの映画は、変すぎて好きになれないものが多い。初期の映画は見てないのだが、「奇跡の海」が素晴らしく心に沁みる名作だと思った以外は、カンヌでパルムドールの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を含めて、どうも好きになれない。特に、最近の「アンチ・クライスト」「メランコリア」は、それぞれシャルロット・ゲンズブール、キルスティン・ダンストにカンヌ映画祭女優賞をもたらしたものの、映画としては納得できない感じがぬぐえない。判るとか判らないとか、評価するとかしないとかと別に、肌が合わない。今回の「ニンフォマニアック」を含めて、「うつ3部作」というらしいけど、そういうことかと思う。見ていて辛いというか、「イタイ」という映画だと思う。

 今回は鞭打ちの場面もあり、見ていてずいぶん「痛い」。主人公ジャンの若い頃からの男性「あさり」も、見ていて楽しいものではなく、痛ましいという感じがする。冒頭で、雪の中に倒れている女性(シャルロット・ゲンズブール)を老人男性が救助する。その男性は自分の家に連れて行き、彼女の話を聞く。彼女はその日までの人生を語り始め、驚くべき「ニンフォマニア」の人生が明らかになる。という構成で、途中で前編が終わるが、話は後編に続いている。その人生行路を一々書いても仕方ないけど、明らかに「居場所のない」人生で、僕には痛ましいとしか思えなかった。途中で性的快感を得られなくなり、それでも性交を求め続け、さらには「鞭打ち」などにも通う。ホントにやってるのかなと思えるような場面である。職場でカウンセリングに通うことを命じられるが、「セックス依存症」と言われて、自分で「ニンフォマニア」と規定し直している、でも、本質はどう見ても依存症そのもので、この映画は「依存症患者の悲しみ」を描いていると思った。

 まあシャルロット、及び彼女の若い時代を演じる女優の体型の好みもあると思うけど、ここまで性を描きながら全く興奮しないというのも、自分がおかしいのか。楽しいかと言えばまったく楽しくないし、見る意味があるのだろうか。それでも「女性の一代記」なので、ストレートな進行が判りやすく、また老人との会話の観念性がある意味で興味深い。依存症患者の苦しみを体感する意味はあるし、最近の2作、あるいはその前の「ドッグヴィル」「マンダレイ」よりは面白い。それはセックスというテーマのせいかなと思う。ラース・フォン・トリアーの「問題作」。好感は持てないけど、やはり見ておくべき作品となるだろうか。
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