見田宗介氏が1985年、86年に朝日新聞に連載した「論壇時評」を読み直す2回目。その時評は刊行時に「白いお城と花咲く野原」と題された。最初は「夢よりも深い覚醒へ」にするつもりだったとあとがきに書かれている。「夢よりも深い覚醒へ」は1985年7月30日に掲載されたもので、「色即是空と空即是色」が副題。在日外国人の「指紋押捺」問題に始まり、「『〈在日〉という根拠』や斬新な井上陽水論でデビューした竹田青嗣」を取り上げる。フッサール論などが僕には今ひとつ理解が難しい。
「白いお城と花咲くお城」の方は、1986年7月29日掲載で「幻想の相互投射性」と副題される。「ユリイカ」の『民話の誕生/物語の起源を求めて』という特集をめぐって、グリム童話を論じている。メルヘンチックな題名だが、今泉文子という人が引用しているブレヒトの「反民話(あるいはメタ・メルヘン)」から取られている。〈むかしはるかなメルヘンの国にひとりの王子様がいました。王子様はいつも花咲く野原に寝ころんで、輝く露台のあるまっ白なお城を夢見ていました。やがて王子様は王位について白いお城に住むようになり、今度は花咲くお城を夢見るようになりました〉
「白いお城」と「花咲く野原」は、近代社会の「相互投射性」の象徴だろう。一国内においては、都市に住む人は「大自然の豊かさ」に憧れるが、地方に住む人は新幹線や高速道路の完成を待ち望む。国際的なレベルなら、高度に発達した先進諸国では発展途上国にある自然(珊瑚礁や珍しい動植物など)に憧れる。一方で発展途上国では、家族を支えるために先進諸国への「移民」に憧れる。すでにある世界の構造の中で、人々はお互いに幻想を投射してしか生きられない。「白いお城」は監視カメラで見張られているが、「花咲く野原」には毒キノコや毒虫がいっぱいである。そのことは事前には想像できないのである。
(若き日の見田宗介氏)
そのような限界の中で生きている我々には、どのような解放の展望があるだろうか。その道筋を考えているのが、1年目の終わりに書かれた「〈深い明るさ〉の方へー現代日本の言説の構図」である。そこには下の画像のような図が載せられている。これは時評の最初にあった大江健三郎の反核論にみられた「良心的に暗い文章」への「共感と違和感」を可視化する試みである。その違和感は、当時から論壇に幅をきかせていた「右」からの「批判あるいは嫌み」、また「ポストモダン世代」の「嘲笑あるいは無関心」とも違っている。そこでX軸とY軸で区切られた4つの象限で考えてみることになる。
(現代日本の言説の構図)
X軸方向には、「スタンス」とある。これは政治状況へのスタンスで、「左右」であると共に「深さ」「浅さ」も表わす。Y軸方向には「感覚」とあって、高度成長後のポストモダン時代の「軽み」感覚のようなものだろう。時評では、4つの象限で作られる空間に、当時の代表的な雑誌を代入してある。それを紹介すると(現在もあるもの太字)、左下のL(重く深い)には「世界」「クライシス」(社会評論社刊の季刊雑誌)、右下のR(重く浅い)に「中央公論」「文藝春秋」「Voice」「諸君」「正論」、右上P(軽く浅い)に「現代思想」「GS」(浅田彰、四方田犬彦らによるニューアカデミズム雑誌)が入っている。
(「深い明るさの方へ」)
そこでさらに図2(上掲)が作られる。先の図では「スタンス」だった横軸が、「深い」「浅い」とされ、「感覚」だった縦軸は「明るい」「暗い」とされる。最初の図では、各象限にLRPOと書かれている。説明はないけれど、恐らくは最初の3つは「レフト」「ライト」「ポストモダン」なんだろう。そうすると左上のOは「オルタナティヴ」だろうと想像できる。深く暗かった「戦後革新」ではないが、「右」でも「ポストモダン」の軽みでもない言論世界はあるか。そこでこの本では「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」や「〈透明な人々〉の呼応」などで、石牟礼道子を論じ、環境問題に関わる「新しい社会運動」を考察する。
それは当時読んでものすごく興味深かったわけだが、果たして今になってみてみるとどうなのか。今では僕はバグワン・シュリ・ラジニーシを「現代世界の最も魅惑的な思想家のひとり」とは思わない。当時はラジニーシ教団のメディテーション用のカセットテープをずいぶん聞いていたけれど。当時筑紫哲也が「朝日ジャーナル」の編集長を務めていた。調べてみると、84年から87年とあるから、論壇時評の時期は全く重なっている。当然、「朝日ジャーナル」掲載の論考もずいぶん触れられている。当時「朝日ジャーナル」では「新人類の旗手たち」と題して、若者たちの新しい動きを大きく取り上げていた。
「四つの肌の環の地平ー新人類と原住民」の最後には辻元清美、川村暁雄、中本啓子、上村英明、河本和朗の名が記されている。上村英明は検索して思い出したが、多くの人が知る辻元清美の苦しい道のりを思うと、一体日本に「オルタナティヴ」はあり得たのかと思ってしまう。「フェミニズムとエコロジー」と副題された「現代の死と性と生」ではアンドレ・ゴルツの論が紹介される。実存主義、新左翼から「エコロジスト宣言」を書いて有名になった人である。今後のテクノロジーの発展で、一人当たり生涯労働は2万時間ほどで済むようになる。40年で割れば週10時間の労働で生きていけるというのである。
その結果、一日5時間、2日間労働すればよくなると予測するのだが、これは逆に考えてみれば「一日10時間働く労働者を5日間働かせる」ことにより、「4人を正社員として雇わずに済む」ということでもあった。「クソどうでもよい仕事」(ブルシットジョブ)も世の中に必要だから、残った4人を非正規で雇えばよい。そうすれば一日5時間、週二日しか働かない労働者に対する研修や社会保険料が節約できるのである。結局そのような「死ぬまで働かされる一人」と「非正規でしか働けない4人」に、先進諸国の社会は「分断」されてしまった。現実社会の歩みはオルタナティヴを見つけられなかった。
「身体」や「教育」などまだまだ書きたい気もするが、長くなる上に結構精神的に大変なので止めることにする。ここで論じられていないことは当然多い。その当時まだ見えていなかった、数年後に起きるソ連圏の崩壊、その後に起きる民族紛争、イスラム社会の問題もまだ論じられていない。日本では90年代後半からになる「IT社会」の問題、インターネット、ケータイ電話などによる社会変化も出て来ない。85年頃はワープロ(文書処理専用機)が使われるようになってきた頃だ。それでも挟み込まれていた「出版だより」には「別冊科学朝日 ASAHIパソコン」の広告が載っていた。気付かないところで、世の中が変わり始めていた。
(「ASAHIパソコン」の広告)
「白いお城と花咲くお城」の方は、1986年7月29日掲載で「幻想の相互投射性」と副題される。「ユリイカ」の『民話の誕生/物語の起源を求めて』という特集をめぐって、グリム童話を論じている。メルヘンチックな題名だが、今泉文子という人が引用しているブレヒトの「反民話(あるいはメタ・メルヘン)」から取られている。〈むかしはるかなメルヘンの国にひとりの王子様がいました。王子様はいつも花咲く野原に寝ころんで、輝く露台のあるまっ白なお城を夢見ていました。やがて王子様は王位について白いお城に住むようになり、今度は花咲くお城を夢見るようになりました〉
「白いお城」と「花咲く野原」は、近代社会の「相互投射性」の象徴だろう。一国内においては、都市に住む人は「大自然の豊かさ」に憧れるが、地方に住む人は新幹線や高速道路の完成を待ち望む。国際的なレベルなら、高度に発達した先進諸国では発展途上国にある自然(珊瑚礁や珍しい動植物など)に憧れる。一方で発展途上国では、家族を支えるために先進諸国への「移民」に憧れる。すでにある世界の構造の中で、人々はお互いに幻想を投射してしか生きられない。「白いお城」は監視カメラで見張られているが、「花咲く野原」には毒キノコや毒虫がいっぱいである。そのことは事前には想像できないのである。
(若き日の見田宗介氏)
そのような限界の中で生きている我々には、どのような解放の展望があるだろうか。その道筋を考えているのが、1年目の終わりに書かれた「〈深い明るさ〉の方へー現代日本の言説の構図」である。そこには下の画像のような図が載せられている。これは時評の最初にあった大江健三郎の反核論にみられた「良心的に暗い文章」への「共感と違和感」を可視化する試みである。その違和感は、当時から論壇に幅をきかせていた「右」からの「批判あるいは嫌み」、また「ポストモダン世代」の「嘲笑あるいは無関心」とも違っている。そこでX軸とY軸で区切られた4つの象限で考えてみることになる。
(現代日本の言説の構図)
X軸方向には、「スタンス」とある。これは政治状況へのスタンスで、「左右」であると共に「深さ」「浅さ」も表わす。Y軸方向には「感覚」とあって、高度成長後のポストモダン時代の「軽み」感覚のようなものだろう。時評では、4つの象限で作られる空間に、当時の代表的な雑誌を代入してある。それを紹介すると(現在もあるもの太字)、左下のL(重く深い)には「世界」「クライシス」(社会評論社刊の季刊雑誌)、右下のR(重く浅い)に「中央公論」「文藝春秋」「Voice」「諸君」「正論」、右上P(軽く浅い)に「現代思想」「GS」(浅田彰、四方田犬彦らによるニューアカデミズム雑誌)が入っている。
(「深い明るさの方へ」)
そこでさらに図2(上掲)が作られる。先の図では「スタンス」だった横軸が、「深い」「浅い」とされ、「感覚」だった縦軸は「明るい」「暗い」とされる。最初の図では、各象限にLRPOと書かれている。説明はないけれど、恐らくは最初の3つは「レフト」「ライト」「ポストモダン」なんだろう。そうすると左上のOは「オルタナティヴ」だろうと想像できる。深く暗かった「戦後革新」ではないが、「右」でも「ポストモダン」の軽みでもない言論世界はあるか。そこでこの本では「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」や「〈透明な人々〉の呼応」などで、石牟礼道子を論じ、環境問題に関わる「新しい社会運動」を考察する。
それは当時読んでものすごく興味深かったわけだが、果たして今になってみてみるとどうなのか。今では僕はバグワン・シュリ・ラジニーシを「現代世界の最も魅惑的な思想家のひとり」とは思わない。当時はラジニーシ教団のメディテーション用のカセットテープをずいぶん聞いていたけれど。当時筑紫哲也が「朝日ジャーナル」の編集長を務めていた。調べてみると、84年から87年とあるから、論壇時評の時期は全く重なっている。当然、「朝日ジャーナル」掲載の論考もずいぶん触れられている。当時「朝日ジャーナル」では「新人類の旗手たち」と題して、若者たちの新しい動きを大きく取り上げていた。
「四つの肌の環の地平ー新人類と原住民」の最後には辻元清美、川村暁雄、中本啓子、上村英明、河本和朗の名が記されている。上村英明は検索して思い出したが、多くの人が知る辻元清美の苦しい道のりを思うと、一体日本に「オルタナティヴ」はあり得たのかと思ってしまう。「フェミニズムとエコロジー」と副題された「現代の死と性と生」ではアンドレ・ゴルツの論が紹介される。実存主義、新左翼から「エコロジスト宣言」を書いて有名になった人である。今後のテクノロジーの発展で、一人当たり生涯労働は2万時間ほどで済むようになる。40年で割れば週10時間の労働で生きていけるというのである。
その結果、一日5時間、2日間労働すればよくなると予測するのだが、これは逆に考えてみれば「一日10時間働く労働者を5日間働かせる」ことにより、「4人を正社員として雇わずに済む」ということでもあった。「クソどうでもよい仕事」(ブルシットジョブ)も世の中に必要だから、残った4人を非正規で雇えばよい。そうすれば一日5時間、週二日しか働かない労働者に対する研修や社会保険料が節約できるのである。結局そのような「死ぬまで働かされる一人」と「非正規でしか働けない4人」に、先進諸国の社会は「分断」されてしまった。現実社会の歩みはオルタナティヴを見つけられなかった。
「身体」や「教育」などまだまだ書きたい気もするが、長くなる上に結構精神的に大変なので止めることにする。ここで論じられていないことは当然多い。その当時まだ見えていなかった、数年後に起きるソ連圏の崩壊、その後に起きる民族紛争、イスラム社会の問題もまだ論じられていない。日本では90年代後半からになる「IT社会」の問題、インターネット、ケータイ電話などによる社会変化も出て来ない。85年頃はワープロ(文書処理専用機)が使われるようになってきた頃だ。それでも挟み込まれていた「出版だより」には「別冊科学朝日 ASAHIパソコン」の広告が載っていた。気付かないところで、世の中が変わり始めていた。
(「ASAHIパソコン」の広告)