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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「終の信託」

2012年12月31日 23時43分45秒 | 映画 (新作日本映画)
 年末に最後、本の話を書いて終ろうかと思ったんだけど、思わぬ体調不良で2日ほど寝てしまった。最近はほとんど単行本は買わないんだけど、それでも買ってしまった赤坂真理「東京プリズン」、村上春樹新訳のチャンドラー「大いなる眠り」、原武史「レッドアローとスターハウス」、小熊英二編著「平成史」、西村健「地の底のヤマ」などは枕頭に積み上げられて越年することになった。

 今日はようやく外出する気になって、よく行ってる池袋の新文芸坐で「終の信託」(ついのしんたく)を見たのでこれについて書いておきたい。この映画は公開時から評判で、ベストワンを3回取ってる周防正行監督の新作だから見ない選択はないんだけど、ロードショーは見過ごした。まあ東京ならどこかで後追いできるので、その日しかやってないような古いレアもの映画を優先して見るわけで、新作を見逃してしまうことがある。今回は高倉健の新作「あなたへ」と2本立てで、1月3日までやってるので是非見て欲しい。こういうお得な企画が名画座ならではの素晴らしさである。(新文芸坐は行くまでの道のりの環境がデート向きではないけど、スクリーンや座席の環境は素晴らしく、とても見やすい。トイレが混むので、近隣の駅や店を利用してから行くようにしている。)

 見た評価を、一言でいうと傑作。周防監督は今まで自分で書いたオリジナル脚本を映画化していたが、今回は朔立木(さく・たつき)原作を監督自身が脚本にした。この原作者は「死亡推定時刻」という本を読んだことがある。「現役法律家」というだけのことがある本格的な設定で面白かった。「法律家」では判らないが、やはり裁判官や検察官ではなくて、「高名な弁護士」であるということらしい。ある「医療事件」で「終末医療」を扱うと言う話だと思って見て、まあそうなんだけど「末期ガン」ではなくて「ぜんそく」だったことが少し意外。だから「終末医療」と言っても、苦しみ抜いたあげくのガン患者、という一般的な設定ではないことに大きな意味がある。

 この映画の予告編は何回も見た。ラジオで監督夫妻が出演してるのもたまたま聞いた。だから医療裁判の話だとは知ってて見たわけである。主演の草刈民代が「女医」で、役所広司が患者。大沢たかおが検事。草刈、役所のコンビは、かの「Shall we ダンス?」(1996)以来で、それだけで期待が高まるわけである。見てみると、演技を中心にして、物語の密度が非常に高く、時間を忘れて見入る映画になっている。演技と演出の力の大きさで、やはり2012年屈指の力作映画であることは間違いない。ただ予告編を見た予想が裏切られるところが(良くも悪くも)ほとんどなく、期待通りの力作だったというある種珍しい映画体験になった。(期待を裏切られたり、期待しないで見たら案外良かったということの方が圧倒的に多い。)

 この映画の演技の質感を味わうのは素晴らしい体験で、役所広司がうまいのは判り切っているが、ほとんどすべて出ずっぱりで、濡れ場から取り調べまで全く医者らしく演じきっている草刈民代の演技者としての凄さにはビックリした。バレエを引退した後、テレビや舞台でもいろいろ活躍してるが、引き出しにはもっと一杯ありそうだ。女優としての草刈民代を見出したことは周防正行監督の公私を超えた貢献と言えるかもしれない。役所広司も、迫真のぜんそく演技を見た医療指導の医者から念のために検査されたというほどである。芝居くささを感じさせず、本当に患者としか思えない仕草の数々。本当に素晴らしい役者だなと思った。他にいろいろな映画もあったが、「わが母の記」「キツツキと雨」を含めると、役所が今年公開映画の男優賞か。(「わが母の記」は傑作だと思うが、井上靖の小説をたくさん読んでないと面白くない部分もあるかと思い、ここには書かなかった。「キツツキと雨」は映画としては完全に成功してるとは言えないが、役所広司の演技、映画内映画の演技も含めて素晴らしいものがあった。役所広司の映画は皆面白いが、1月にシネマヴェーラ渋谷で上映される「シャブ極道」(1996、細野辰興監督)というすごいのがある。これは名前だけで敬遠してしまう人が多いと思うので、あえてあげておく。)

 検事役の大沢たかおもほとんど座ってるだけで、取り調べのみのシーンが続くが、すごい迫力。さて、そろそろ話の中身を書かなてくてはならないが、この映画はほぼ「順撮り」で撮られたという。(順撮りとは、シナリオのシーンの順番に取っていくやり方。普通の映画は役者の出番やロケ、セットの都合で、シナリオの順番を変えて撮影することが多い。)それというのも、簡単に言えばこの映画は「二人芝居」で、前半は草刈と役所(病院)、後半は草刈と大沢(取り調べ)になっている。いや冒頭は検察の呼び出しシーンなんだけど、場面が過去と現在を行ったり来たりせずに、すぐに過去(映画内では3年前)の役所が患者だった頃、草刈が同僚医師の浅野忠信と「不倫」してた頃に戻り、そのまま映画が進行する。つまり「何があったのか」がすべて最初に示されて、後半でそれが(法的に)問われるかどうかという問題が追及されている。

 さてそうすると、この問題をどう考えればいいのか。役所広司はぜんそくの患者で発作はとてもつらそうだ。浅野忠信に棄てられた(と言っていい)草刈は、自殺未遂(と思われてしまう)睡眠薬の飲み過ぎ事件を病院内で起こす。そのあたりから、信頼する医者と患者という関係が、さらに深まっていった感じを受ける。それは言ってみれば「愛」の関係である。もちろん役所には妻子があり、というか重病患者なので、完治するような病ではなく、その「愛」は普通の「恋愛」とは少し違う。人間同士の関係の深まり、「相手が存在してくれることが切ないまでの支えとなるような関係」と言うような。それは言葉にしてしまえば「信頼関係」と言うことになる。多くの(テレビドラマ、映画や小説など)物語は「愛または愛の不在の物語」だけど、その愛には普通は性愛や金銭、世間的思惑などが絡んでくる。夫婦でも親子でも、上司と部下、教師と生徒、なんでもいいけどただの「信頼」で終わる関係ではない。「ある種の信頼」は多くの場合ベースにあるが、大体はよく思われたい心理とか金をめぐる問題とかが関係してくる。しかし、重病患者と付き合ってきた医師の間には、ただ「信頼」がベースになる関係が存在しうるのだと思う。少なくとも僕はこの映画の役所と草刈の関係は、「信頼と言う名の愛」の関係だと思った。

 最近は何事も不信の時代である。電話があれば「振り込め詐欺」、メールは「なりすまし」、政治は信頼できず、会社も信頼できない。アメリカも中国も…世界中が信頼できないような感じをニュースを見てると受けてしまう。政治家は昔から不信視されていたけど、官僚も教師も警官も皆信頼できないと言う人が多い。まあそういう事件も確かに起きている。全部じゃないはずだが、個人情報が悪用されるとかつてなく大変な時代になってしまい、皆が身構えて暮らしている。そういう時代に「命まで預けてしまう」関係が存在しうるのか。僕は見ていて、草刈民代の折井医師に「プロとしての隙の大きさ」を感じてしまった。それほどの信頼を受け、いざと言う時の延命治療の拒否と言える依頼を受けた時に、そのときに「身を守る」ことを優先するのはおかしいかもしれない。しかし、プロとして多くの命を預かる身としては「つまらないことで引っかけられないようにする」(医療過誤訴訟対応)は、必須のプロの技であると思う。残念ながら、現代は「身を守る工夫」をしなければ、きちんとした仕事ができない時代である。(ツイッターやブログで、誰がトンデモナイ医者がいると触れ回るか判らない。)だから、その信頼を受けたら、書面にして本人と家族の署名をしておいてもらうとかの措置が必要だったと思う。

 僕がそういうのは、教師も今や同じような状況にあって、「身を守ることが最優先」で仕事をしないといけない時代になっていると思っているからである。しかし、その「身を守る」というのは、例えば「いじめを隠蔽する」という意味ではない。そんなことして大問題になれば、個々の担任が隠したことになって身を守れない。逆に早めに管理職に報告しメモを残す。保護者対応は複数で行い、かならず報告を残す。管理職や保護者との重大な場面では録音を取って残すことも場合によって必要だろう。この映画の事例では、3年立ってから遺族から告発があったようである。つまり学校の例で言えば、「保護者対応」がもめた場合にあたる。その後の検察取り調べでも、どんどん「自白」を取られて僕は見ていて歯がゆい思いをした。(脚本、および大沢の演技の力。)逮捕されることも考えていないようだし、調書にサインする前に「弁護士と相談させてほしい」と言うべきだ。書類はほとんど押収されているだろうし、逮捕の必要性自体がない。(逃亡したら医者として生きていけない。多分、「自殺の恐れがある」というような判断があって逮捕状は認められてしまうだろうが。それにしても逮捕状が用意されていたのは、アンフェアである。やはり取り調べは「原則、黙秘」が正しいということだろう。どうせ逮捕されてしまうんだから。)

 と思いながら、でも例えば弁護士と同道するくらいはすればできただろうから、もうする気はなかった。「自分の行為を罪と言うなら、罰して欲しい。そんな現世の法律で裁けるほど、私たちの信頼関係は薄いものではない」というのが真意ではなかったか。一体何を役所広司(患者江木)は医師に「信託」したのだろうか。それは「医者として罪に問われること」を望むものだったのか。現に遺族が告発し医師は殺人罪に問われた。これは患者江木が望んだことなのか。遺族は本人の望まないことをしてしまったのか。僕が今思うのは、「単に法に問われない範囲の延命拒否」を望んだのではないのではないか。法を超えて、「苦しんでいると思う状態になったら治療を止めて欲しい」という含意があったような気がする。だからこそ草刈は涙とともにその信頼に(仮に法に問われたとしても)応えたいと思ったのではないか。医者としてではなく、人間として。そこまで言えば、これはある種の「嘱託殺人」だったとも言えるのかもしれない。しかし、家族の経済状態を考えてまでの行為を家族ではなく医師に託したことが、家族から言えば納得がいかなかった。その告発も「愛の裏返し」、嫉妬のような部分がないだろうか。と言う風に僕は考えたのである。

 この映画の中に、プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」の中の有名なアリア、「私のお父さん」(お父さんにお願い)が出てくる。予告編にも出てきて印象的。言うまでもなく、フォースター原作、ジェームズ・アイヴォリー監督「眺めのいい部屋」で有名になった曲。この映画は最近もやっているが、予告編が妙に上出来で本編よりずっと面白かった記憶がある。予告編が出来過ぎだと本編を見てガッカリする好例。歌はキリ・テ・カナワ盤。ニュージーランドの歌手で、珍しい名前だが、白人とマオリ人の混血である。僕は「眺めのいい部屋」で使われた曲(つまり今回と同じ)があまりに素晴らしく、CDを買っただけでなくキリ・テ・カナワのコンサートにも行った。そういう思い出がある曲。これからはこの映画とともに思い出すことになるだろう。
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善人は若死にをする-民主党政権の3年

2012年12月26日 01時50分41秒 | 政治
 さて今日で民主党政権も終わり。野田政権の話も書いていないので最後に書いておきたいと思う。今さらという感じもあるかと思うが、それぞれの「立ち位置」を測る際に民主党政権の3年間を振り返ることは役にたつのではないか。民主党という党は、ずっと鳩山由紀夫菅直人が「起業」したという性格が強かった。そこに途中で「代表役員」として小沢一郎が加わる。この「鳩菅小」という頭の上の重石のような存在が引っ込んで、もっと若い世代が前面に出ると少し変わってくるのではないかと最初は少し野田政権に期待しないでもなかった。しかし、それは幻想だった、と少しして気が付いた。でも野田政権を大批判するばかりでは、自民政権カムバック支援運動になってしまうだけ。どうせどんなに遅くても2013年8月にはなくなる内閣を批判してもつまらないから、僕は何も書く気がなかった。大体今の時点でも、野田佳彦、安倍晋三、石原慎太郎、橋下徹で「首相公選」をするんだったら、仕方ないから僕は野田に一票を入れる。「ルペンにするわけにはいかないから、シラクに入れる」というようなもんだ。(2002年のフランス大統領選挙では、左翼が振るわず棄権した人が多かったので、極右のルペンが2位になって決選投票に残ってしまった。)

 今思うのは、「小泉政権の呪縛」の大きさ。「自民党をぶっ壊す」と言い放ち、郵政民営化法案が参議院で否決されたら、関係ないはずの衆議院を解散して大勝利した。後継首相はその大議席を減らすリスクを抱え続け、結局2009年夏まで解散できず、民主党に大敗してしまった。その「オセロゲーム」の怖さを知る民主党もまた、解散先送りを続けることになる。小泉以後にも首相には「小泉的な振るまい」が求められ、福田康夫は自分が国民を熱狂させるリーダーではないと自覚していただろうが、安倍、麻生、政権交代後も鳩山、菅と「強いリーダー」を演じられる(と自分では思い込める)タイプが首相を務めては失敗してきた。

 鳩山由紀夫が「最低でも県外」と言ったのは、たぶん当てがあったのではなく、選挙での受けねらいで「善意」からそう言ったのだろう。菅首相が参院選で消費税に言及したのも、本気で財政立て直しが必要だという「善意」だったんだと思う。自民党は官僚にあやつられ既得権力を守るだけの「悪人集団」で、民主党はそういう自民政治を打ち破る「善玉のヒーロー」だというだというムードをあおって政権獲得をしてしまったから、この党には権力を動かしていくときの「あくどさの力」が不足していた。そんなものはいらないということはないだろう。民主党政権で使った「権力者の力」は、鳩山首相が福島少子化担当相(社民党首)を罷免したときと、菅首相が東電に乗り込んだときくらいだったのではないか。僕が民主党政権に思うことは、「善人は若死にをする」(by大西赤人)という言葉である。権力には「悪」もついてくるが、それは劇薬で間違えて使うと身を滅ぼすが、必要な時もある。必要な時に民主党政権は使わなかった。中曽根、後藤田みたいな政治家が民主にいれば、(別に全然好きではないんだけど)また違ったかもしれない。仙谷由人は多少そういう「悪人性」があったが、その力をうまく使えていたとは思えなかった。

 せっかく得た権力は内輪で分配することで使い果たしてしまった。各グループの長老級老人連に交代で大臣枠を配っていったのはまずかった。まあ高齢議員には二度とない政権与党だから、どんどん大臣を量産したのかもしれないが。女性大臣の数が極端に少ない。自民党政権では、野田聖子だの小渕優子だの皆抜擢されてきた。まあ蓮舫がいるではないかというかもしれないが。菅内閣で一時女性閣僚がゼロになった時は、僕はこのブログで批判したけれど、マスコミでは大きな問題にはならなかった。千葉景子法相、蓮舫行政刷新相、岡崎トミ子国家公安委員長、小宮山洋子厚労相、田中真紀子文科相の3年間合わせてたった5人である。(社民党の福島党首を除く。)党内には閣僚適齢期の女性議員がいなかったのは確かである。でも抜擢と民間人枠を使っても、女性閣僚を内閣に5人くらい入れればイメージはだいぶ違った。小泉、安倍の自民党では4人もいたのである。そこら辺の感覚、党内のやっかみをおさえても「お飾り」を入れる力。それが現代では必要だった。

 野田氏は「運命のいたずら」で党の代表を引き受けることになった。新進党で96年総選挙に落選した野田氏は、「さきがけ」出身で最初から民主党で当選を続けている前原、枝野らに比べ当選回数が一回少ない。2002年9月の代表選挙では、若手統一候補として出馬して、鳩山、菅に次ぐ3位となり、横路を上回った。しかし、2005年の郵政解散惨敗後の代表選では、若手統一候補に前原が選ばれて代表に当選した。そのため、鳩山、菅、岡田、小沢、前原と5人いる代表経験者は、2009年の鳩山政権成立時に閣僚または幹事長になったのに、野田は財務副大臣に留まった。しかし財務大臣の藤井が翌年早々に辞任、続いて横滑りした菅直人のもとで副大臣、菅が首相になると財務大臣昇格と一番重要なポストが転がり込んできた。前原が外相を献金問題で辞任していたという事情もあり、菅内閣の総辞職後は首相にまで上り詰めた。つまり、民主党では次代のリーダーは「野田か前原か」と言われ続けていたわけだが、野田の方が首相になれたのは「人間万事塞翁が馬」というようなもんだろう。

 この段階では、参議院で過半数を持っていないという事情を野田氏が引き継いだわけで、元々保守の野田氏は「民自公でできること」に政策をしぼらざるを得なかった。それは仕方ないと言えば仕方ないんだけど、今から思えば「筋から言えば野田内閣そのものがなくても良かった」と思う。野田氏がもっと早く解散していれば、政権は失っただろうが150程度は当選したのではないか。民主党内では、もう一回予算編成をしてから野田首相を代えて解散すればよかったというようなグチを言う人もいるようだが、一月ほどの細野内閣を作って何の意味があるか。「4人目の首相」では50議席も行かなかったのは確実である。保守的な政治観の持ち主だからとって、世襲でもない野田氏が新進党崩壊後に自民党に行っていても、首相になれていたはずはない。せいぜい大臣一回経験したくらいだろう。野田氏が民主党に入ったのは正解だった。野田首相と対抗する自民党総裁を選ぶときも、まあ思い出立候補の町村氏を除き、安倍、石破、石原、林と50代の候補がそろった。もうこれからは世界と伍していくために、大体は50代以下の指導者になっていくだろう。野田氏の最大の功績をあえて挙げれば、政界の若返りを進めたことではないか。

 民主党政権になったらすべてうまく行く、「官僚政治」は完全に変わるなどという期待は、僕はほとんど抱いていなかったので、逆に民主党政権に裏切られた、失望だけだなどという感想はない。参議院の過半数を失った中で、「高校授業料の無償化」ができただけでもそれなりの実績である。そう思うんだけど、菅内閣にはまだあった、2010年夏に「韓国併合100年」の総理大臣談話をだすというような発想が、野田内閣にはなかった。「外交オンチ」がはなはだしく、人権と歴史の感覚も乏しかった。そういうタイプのリーダーが、自民では出世できないと見切って民主党に集まってしまった。世代交代を進めて、一時は清新さを出したけれど、結局「本性はタダのおじさん」だったというのが野田内閣ではないか。7月7日(盧溝橋事件の日)に尖閣国有化を決め、9月11日(満州事変の起きた9・18の直前)に国有化を実行するなどと言うのは、外務官僚は何をしてたのか、ブレーンはいないのか。中国からすれば「挑発」というべき日付で、そういう配慮ができる人ではなかった。まあ、国会周辺に行った人は知ってると思うが、この3年間右翼街宣車は、「民主党の反日亡国政治打倒」なんてことを言って回り続けていた。右傾化する日本の状況を反映して、目が国内にしか向かなくなってしまったのが、野田政権だったのではないか。
 
 まあそれはともかく、どこかの党になれば政治を全面的に変えてくれるなどと言うことはない。維新に一票を入れる前に、僕なら大阪市民がより幸せになったかどうかを確認してからにしたい。でも、全員が幸せにならなくてもいいという立場に立ってしまえば、格差が拡大していることをもって「橋下市政がうまく行った証拠」とみなす人もいるかもしれない。想像力がますます必要な時代を迎えるんだろう。僕は民主党はなくてもいいと思うけど、というかどこの党もなくてもいいけど、自民よりも左の方である程度の大きさのある党、が存在しないと、自民党がまた国民の不信をかったときに、右の選択肢しかなくなってしまうのも困る。まあ、今後の話はいつか書くとして、民主党の3年間を検証することは今こそ必要なのではないか。
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「警察日記」と「卒業」

2012年12月23日 01時06分56秒 |  〃  (旧作日本映画)
 フィルムセンターの日活映画100年特集で「警察日記」を再見。1955年久松静児監督作品。ベストテン6位。僕の生まれた年の作品で、学生の頃見ているけど久しぶり。前から見直したいと言う気はあったが、特に「週刊文春」12月13日号で小林信彦「本音を申せば」で取り上げられていて是非見たくなった。週刊誌はほとんど買わないが、この号はミステリーベストテン発表と衆院選全選挙区当落予測というのがあったので買った。小林信彦はずいぶん読んでいて、喜劇人の評価は一番信用している。ただし、「本音を申せば」で、女優はB型に限るなどと変なことを言いだしたのでガッカリした。

 「警察日記」は会津の警察署で起こる様々な事件を描いた人情文芸映画。原作は戦前に農民作家として知られた伊藤永之介。戦前に豊田四郎監督で映画化された「」「うぐいす」の原作者でもある。ミステリーで言うモジュラー型の警察もので、警察を舞台に様々な事件が同時多発的に起こる。殺人などの事件は起こらないのでミステリー的要素はないが、地方を舞台に様々な人間模様を描く。きだみのる(山田吉彦)原作、渋谷実監督「気違い」(「」とは村落のことで被差別ではない。原作は八王子近郊の農村地区に住んで書いたルポ「気違い周遊紀行」)、杉浦明平原作、山本薩夫監督「台風騒動記」などより風刺的、社会批判的要素が少なく、人情ものになる。
(「警察日記」)
 配役がすごい。三島雅夫署長のもと警察官は森繁久弥、三国連太郎、十朱久雄、殿山泰司、宍戸錠(新人デビュー作、豊頬手術以前で初めは誰だか判らない)など。周旋屋に杉村春子、料亭のおかみに沢村貞子、狂った元校長先生に東野英治郎、他伊藤雄之助、左朴全、三木のり平、飯田蝶子、小田切み((黒澤「生きる」)など。森繁、三国以外は日本映画の名脇役総出演である。その中でも、極めつけは子役の二木てるみ。49年生まれだから、6歳。この子役は有名で、もちろん知識としては知っているが、こんなに可愛かったか。ほんとに泣かせる。すごい。森繁や三国は他にすごいのがいくらもあるけど、この子役だけは他の映画では見られない。

 事件は貧しさから起こる。子どもを捨てるとか、娘を違法周旋屋の紹介で工場に行かせるとか、無銭飲食とか、そんな事件ばっかり。それを扱う警官はソーシャルワーカーである。そこに出身の通産大臣(今の経済産業大臣)が里帰りする。その歓迎もしなくては。周旋屋の事件では、警察に対して、労働基準監督署や職業安定所が自分の方の事件だとクレームを付けてくる。愛知県から来た労働基準監督官がすぐに顔を出すから、この町には労基署やハローワークがあるらしい。何だか記憶の中では、小さな派出所のようなイメージだったが、けっこう本格的な町の警察なのである。そういう町の高度成長以前の様子が、今見ると新鮮で芸達者も楽しめる

 この映画を前に見たときは、スピードの遅さ、警察にみなぎる「人情」の押しつけ、泣かせる演出などが不満だった。もう古い映画のように思った記憶がある。改革すべき日本を象徴するような映画に思えた。今見ると確かにリズムは遅いのだが、これはこれで歴史的証言だと思った。、役者の演技も貴重で非常に興味深い。「人情」に昔ほど否定的感情を持たなくなったのである。名作だと思う。久松静児監督は、戦前以来各社で文芸ものや喜劇を撮った。永井荷風原作の「渡り鳥いつ帰る」や壺井栄原作の「女の暦」、駅前シリーズの何本かなどがあるが、「警察日記」がベスト。森繁主演で戸川幸夫原作の「地の涯に生きるもの」もある。

 その後で、アメリカ映画「卒業」(1967)を見た。「午前10時の映画祭」である。ダスティン・ホフマンが結婚式に乗り込んでキャサリン・ロスと逃げてしまう、あの映画。もちろんこれも前に見ていて、何十年ぶりかの再見。いやあ、リズムが「警察日記」と違う。カラーだし、勢いがあって、セックスや車もある。これを見た当時は「アメリカン・ニュー・シネマ」と言われる一群の映画があり、これもそういう「若者の反乱」「現代アメリカへの反抗」映画とされた。サイモン&ガーファンクルの曲を使ったのも新鮮と言われた。「サウンド・オブ・サイレンス」や「スカボロ・フェア」、「ミセス・ロビンソン」は有名だが、僕がすごく好きな「四月になれば彼女は」も使われていたのを忘れていた。
(「卒業」)
 しかし、内容的には、これは何なんだ。今見れば、壮絶な「ストーカー映画」である。ただし、暴力はない、メールを何千も送るとかもない。でも彼女の大学のそばに移り住んで追い回す。彼女の母親と結ばれるのも、かなり不自然。ただし、初めてのホテル場面や、結婚式の場所をどうやって知ったのかなどのディテイルがきちんと描かれていたのには感心した。そういうところは全部忘れてた。アメリカの恵まれた階層の空虚な生き方への風刺もよく出ている。あんな親に囲まれていたら、頭がおかしくなる。今の若い人が見たらどう思うのだろうか。日本では大塚博堂の「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」なんて歌まで作られた。

 元カノの結婚式に乗り込んで復縁を迫るなんて、今考えると迷惑千万。「キモイ」としか言えない。それが勇気ある行為や誠実さに見えたのは、「結婚が親同士の見栄や都合で決められるもの」という要素が残っていた時代だからだ。本人が乗り気でない結婚だから、「僕の方がもっと君のことが好きだ」と言っても、見てておかしな感じがしない。でも、今は女性が望まない結婚を周りの圧力でするということはほとんどない。振られたのは家の都合ではなく、女の気持ちが本当に変わってしまったわけだ。しつこくすれば、ますます嫌われる。結婚式には乗りこまない方がいい

 彼女の親と前に付き合っていたってなんで皆知ってしまうんだろう。これは「特殊アメリカ的」ではないだろうか。アン・バンクロフトの母親が黙っていて、「娘には秘密にこれからも会って」という展開の方が日本ではありそうだ。ダスティン・ホフマンは大学卒業したばかりという設定で21歳だけど、実際の年齢は1937年生まれの30歳。母親役のアン・バンクロフトは1931年生まれで、なんと36歳。娘のキャサリン・ロスは1940年生まれで27歳。この俳優の実年齢を見れば、ダスティン・ホフマンはどっちと結ばれても、また両方と付き合っても全然おかしくも何ともない。これもビックリである。
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「声をかくす人」他-最近見た新作映画

2012年12月21日 00時15分58秒 |  〃  (新作外国映画)
 選挙の話は終わってません。でも、遅く帰って来て11時過ぎからパソコンを見るような日には、時間がかかるので書いていられない。また週末にまとめて書きたい。

 19日は昼間はウディ・アレンの「恋のロンドン狂想曲」を見ていた。ウディ・アレンは1935年生まれで、この作品は2010年製作だから、75歳の作品。そう考えると驚くほど若い。まあ定番の恋愛コメディだけど、ニューヨークを離れてヨーロッパを舞台にして若返った作品の一つと言える。しかしなあ、ヨーロッパ系はいくつになっても元気でカップル幻想に浸っているなあ。みな、年金とかどうなってる?「おひとりさま」で生きて行く人はいないのか。そう思ってみると、不思議。公開が後先になったけど、この後がアカデミー賞脚本賞を取った「ミッドナイト・イン・パリ」である。まあアカデミー会員の喜びそうな通好みの趣向で、20年代パリの文学、美術などの知識があることを前提にした高尚なスノビズム(俗物趣味)を楽しむ作品。ガートルード・スタインの名前を知らない人は楽しめない。ブニュエルやダリを知らなくても見てられると思うけど。ウディ・アレンもほとんど見てきたけど、だんだん詰まらくなったのがヨーロッパへ行って少し持ち直し、ここまで来たらずっと見てあげるという感じ。

 「声をかくす人」と言う映画をやってるけど、ロードショーは21日まで。これはあまり評判になってないけど、とても考えさせられる映画だった。アメリカ歴史版「死刑弁護人」だった。リンカーン大統領暗殺事件の犯人一味とされ死刑判決を受け、アメリカで死刑を執行された最初の女性になった人の物語。頼まれて北軍の軍人だった弁護士が弁護を引き受けるが、なんで敵を弁護するんだと非難され友人も離れていく。しかし誰でも弁護を受ける権利があると頑張り通し、無実をほとんど証明したかに見えたが…。ロバート・レッドフォード監督作品。ロバート・レッドフォードは、もちろん優れた俳優だが、意外なことにアカデミー賞主演男優賞は受けてない。その代り「普通の人々」で、アカデミー賞監督賞を受けているのである。(ちなみに「スティング」「クイズ・ショー」で主演男優賞ノミネート。)その「クイズ・ショー」を初め、「リバー・ランズ・スルー・イット」などの素晴らしい監督作品がある。この作品もレッドフォードの力量と、人権感覚や勇気をよく感じられる快作。

 その「普通の人々」はそれこそ「フツー」の家庭の冷え冷えとした崩壊の状況を描きだした冷徹な映画だったが、アメリカには時々「家族映画」の注目作が出てくる。最近では、皆が壊れてる「アナザー・ハッピー・デイ」と言う映画が面白かった。副題が「ふぞろいな家族たち」と言う、そのままの映画。先夫との間にできた長男が結婚するので、実母が男の子二人と車で実家に向かう。この子どもたちは、車の中でも映像を撮っていて、「空気が読めない」発達障害っぽい。先夫との間にはもう一人女の子があって、長男はその妹を付添い人に頼んでいる。でもこの子はリスカ少女で、大学で心理学を専攻しているが心理的に不安定。という、僕なんか会ったことのあるような子どもたちばっかり出てくる。違うのは、アメリカでは広々とした庭にテントを立て、結婚式やパーティをすること。だから何日もかかるし泊まり込みで行かないと。しかも皆再婚して異母異父兄弟が多くて、最初はなかなか人間関係が判らない。ホテルみたいなとこでやって、二次会に行きたけりゃ好きな人で行けばいい日本はだいぶ楽だ。ついてきた次男が言うには、皆の混乱ぶりをみて「家族が結束するのは結婚ではなくて、死なんだ」とのたまう。「国で考えても、9・11の時はまとまった」という。監督・脚本はサム・レヴィンソンと言う若手で、バリー・レヴィンソン(「レインマン」の監督)の子供。

 日本映画ではタナダ・ユキ監督「ふがいない僕は空を見た」が良かった。高校生映画としては「桐島、部活やめるってよ」も良かったけれど、この映画もいい。原作の感触がほぼそのまま映画化されている。あの原作は映画化が難しいと思うけど、視点の変化がきちんと映像化されている。セックス場面満載で誰にでもおススメではないかもしれないが、現在の日本の「格差」が見事に形象化されている。日本映画の注目大作群がいくつもあるが、そのうち見ればいいと思っているうちにどんどん終わっていく。まあそのうち見ればいいでしょう。高倉健が出た「あなたへ」は最近見た。90年代以後の降旗康男監督作品はほとんど好きになれない映画ばかりだったけど、この映画はまあ割と良かった。岩井俊二監督の新作「ヴァンパイア」はカナダで作った全編英語の映画。蒼井優が留学生役で出てるけど、基本はみなヨーロッパ系。変な吸血鬼映画で、ネットの自殺希望者サイトで自殺希望者を募って、血を抜いて先に死なせてあげるというアイディアで血を集める高校教師。それでもいいのか、吸血鬼は。冷え冷えとした感触が悪くはないけど、「ラブレター」が懐かしいなあ。

 むしろ旧作を見てるわけだけど、「私が棄てた女」を久々に見て感じるところが多かった。その話はまた別に書きたい。
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高石ともや年忘れコンサート

2012年12月20日 00時33分54秒 | 自分の話&日記
 僕が多分1982年以来30年間、夫婦で行っている高石ともや年忘れコンサート。これに行くと今年も終わるんだなあと思う。昔は有楽町の読売ホール(旧そごう、今のビックカメラの8階)でやっていたが、そこはもうホールが使えないので、ここ数年は亀戸のカメリアホール。そこは小さいので、大体満員。コンサートや舞台というより、僕には東京大空襲や関東大震災の集会で行った思い出の方が強いところ。

 毎年ホノルルマラソンの直後だけど、今年も30何回目かの参加をしてきたという。何でも足を痛めて入院した後だったということで、それでもよく走れると感心。まあ、70を超えてフルマラソンを走るということ自体がすごい。歌うだけでなく、今でも70を超えてギターがうまく弾けるようになってきたという話をしている。そういうところもすごい。ちょうど今日、上野千鶴子「男おひとりさま道」(文春文庫)を読んでいるのだが、高石ともやさんも去年から「死別シングル」である。料理もしながら頑張っているらしい。

 6月に安倍晋三と法然の集まりで偶然隣になって、「健康はもういいんですか」と聞いたら、「最近いい薬ができて」という話だったという。「失礼しました。歌うたいの高石ともやと言います」と自己紹介したら、「受験生ブルースですね」と言う話になったというのがおかしい。安倍晋三は1954年生まれで、僕の一つ上、まさに同時代で、ラジオで冬になると「受験生ブルース」が流れていた。でも、高石ともやさんは1941年12月9日生まれ、ハワイの真珠湾攻撃の翌日の生まれである。ハワイ時間で言うと、7日がパールハーバー、8日がジョン・レノン暗殺の日だという。ジョン・レノン殺害犯はハワイ生まれで、奥さんが日系人だったという。そこで「イマジン」を歌った。

 北山修が「戦争を知らない子供たち」の詞を書いたけど、加藤和彦がこの詞では曲を書けないと言って、杉田二郎が書いたという。子どもが大きくなって、「はだしのゲン」を読んで広島の記念館を見たいと言って連れて行った。アメリカは悪いと子どもは言ったけど、戦争では日本人もひどいことをしたと子どもに伝えて行かなくてはと思って、北山修は新しい歌詞を書いた。それが「戦争を知らない子供たち 83’」と言う曲である。教科書の文章を引用しながら、日本が朝鮮で、中国で起こした出来事をつづっているという難しい歌詞。これを最近はかなり歌っている。若い人が戦争の時代を知らないことに対して、伝えて行く役目もあるということで。

 ギターを聞かせるという趣旨もあって、カーター・ファミリーやウディ・ガスリー、ボブ・ディラン「神が味方」(朝日新聞から、ボブ・ディランがノーベル賞を取ったらコメントをお願いしますと事前の電話があったという話)、ゴードン・ライトフット「朝の雨」などを歌った。今年はチケット売り出しの日に買ったので、席はかなり前。バンジョーの名手坂本健の「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」を毎年聞いてるけど、今年が一番近くで見たかもしれない。やはりうまいなあ。

 昔のようにいろいろなゲストを呼ぶことは今はない。灰谷健次郎や岡本文弥はここでしか聞いてない。谷川俊太郎の詩に曲を付けたCDを作った時の谷川さん。高田渡も良かったけど、遠藤賢司(エンケン)を聞いた時はホントビックリ。「カレーライス」なんかの曲は知ってたけど、本人は見たことはなかった。あまり驚いて、CDを買ってしまった。そういう風に実にいろいろなゲストを呼び、昔はそれが面白かったけど、今は毎年来てるような高齢化した観客とともに、ひっそりと隠れ里的なコンサート。僕も事前にアナウンスする気はない。毎年の楽しみと一年の終わりの確認。
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後に続くものを信じて-井上ひさしの「組曲虐殺」

2012年12月14日 00時46分58秒 | 演劇
 井上ひさしの「生誕77周年フェスティバル」の最後を飾る遺作「組曲虐殺」を12日に見た。フェスティバルは珍しい作品をたくさん上演した企画だったけど、なかなか行けないで終わってしまった。2009年初演のこの作品は当時は見なかった。井上ひさしの新作は、最近はほとんど見ることにしていたのだけれど。値段の面もあるし、10月公演で学校が忙しい時である。(数か月前には劇団からハガキが来るが、10月の予定なんか決められない。こまつ座の場合、井上ひさしが遅筆のため、最初の頃を取るのは危ない。でも10月後半だと文化祭直前にぶつかるわけである。)また天王洲銀河劇場が行きにくいというのもあった。ここでは2007年に市村正親、藤原竜也、寺島しのぶなどが出た「ヴェニスの商人」しか見たことがない。東京の話になるが、東京モノレールか「りんかい鉄道線」というのに乗らないと行けない。
 

 あともう一つ、小林多喜二の評伝劇だというのが、大丈夫かなという感じもした。多喜二と言えば、まあ波乱万丈と言えば言えるけど、それは警察権力から拷問され虐殺されたということで、劇にしにくいのではないか。まっすぐに生きたプロレタリア作家という印象が強く、太宰や啄木、林芙美子みたいな怪しい部分が少ない。そう思ってしまった部分も確かにあった。もちろん「これが遺作になる」と判っていれば仕事は休暇を取っても見たけど、そんなことはもちろん判らない。

 しかし、この芝居は素晴らしい。当時も読売演劇大賞などで高く評価された。今回は初演のキャストそのままなんだけど、井上ひさしの「歌入り評伝劇」もこれが最後かと思うと、感激も大きい。長く宇野誠一郎音楽だったけど、宇野氏の健康状態の関係で小曽根真(おぞね・まこと)が音楽を担当し、演奏もしている。これが素晴らしい。本当に心に沁みるような素晴らしさ。大阪の取調室から始まり、そこで多喜二を取り調べた二人の刑事が東京に派遣されるという設定。この刑事二人が面白い。そして小樽から出てくる姉(高畑淳子)と「いいなずけと妻の間」の恋人・田口瀧子(石原さとみ)。東京で世話をする伊藤ふじ子(神野三鈴)らを通して、小林多喜二(井上芳雄)の生涯が描かれていく。

 井上ひさしの歌入り評伝劇はいくつも見てるけど、この作品が最高傑作というわけではないだろう。ある意味、似たような趣向の部分があるんだけど、でもこの作品の感動は大きい。それは「まっすぐに生きて、間違ったものと闘う」というメッセージが今を生きているということだと思う。多喜二が拠った共産主義というものが、当時としてソ連の世界戦略に利用されていたという側面はある。しかし小林多喜二という人生は、貧しいもの、不正なものと戦った人生で、貧困や不正は今もいっぱいあるわけだから、そういうものがなくなる世界が来ない限り、この劇の感動は消えない。そして、特高警察の中にも人間性を見、つながりあえる部分を見つけて行こうとするこの劇の精神は生き続ける。

 「後に続くものを信じて走れ」という絶唱が中にあり、井上ひさしの遺言になってしまったと思った。井上ひさしの作った多くの歌(「ひょっこりひょうたん島」から「組曲虐殺」まで)の中でも、もっとも感動的なものではないか。素晴らしい劇を残してくれてありがとうございます。30日までやってるので、何とかもう一回見てみたい。何度も上演されると思うけど、初演メンバーがそろうのは最後になるかもしれないので。
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追悼・小沢昭一

2012年12月11日 00時12分08秒 |  〃  (旧作日本映画)
 ラジオ番組の収録を降りて入院中ということだったから、遠からず小沢昭一さんの訃報を聞くことになるだろうと覚悟はしていた。でも僕は悲しい。「小沢昭一」、本当に素晴らしい役者であり、話芸者であり、存在そのものが僕に大きな影響を与えてきた一人だった。

 1929年(昭和4年)4月6日~2012年12月10日。83歳。
 何から書けばいいのか判らない。小沢昭一という名前はラジオで初めて知った。73年に始まり1万回を超えて続いた「小沢昭一の小沢昭一的こころ」である。初めは夕方の放送だった。(東京のTBSラジオ。)そのころは中学生で、学校と塾の間に聞いていた記憶がある。時間的に大学生頃から聞けなくなったけど、21世紀に定時制勤務になったら時々聞くことがあった。お昼過ぎの放送になっていたのだ。相も変わらず「宮坂さん」なのが可笑しく話芸の達者ぶりを楽しんだ。

 永六輔、野坂昭如とともに「中年御三家」と称して活動したのが、僕の浪人生時代。東京新聞夕刊には、1974年12月に冗談が現実になった武道館コンサートの写真が掲載されている。さすがに受験生なのでこのコンサートには行ってない。その当時は「新御三家」(野口五郎、郷ひろみ、西条秀樹)の時代で、中年御三家はそのパロディ。「中年御三家」はおおよそ「焼け跡派」で、戦争の悲しみを忘れたように繁栄する日本に対して斜に構えた視点があった。「戦争」を(被害者として)知っていた最後の世代と言える。僕にとっては父母の世代である。大人になっていくときに、この人たちの影響が大きかった。

 大学生になって、昔の映画を見るようになった。小沢昭一は俳優座の俳優だった50年代半ばから、たくさんの映画に出ている。特に早稲田の同級生だった今村昌平のつてで、日活と専属契約を結んだ。無数の日活アクションに怪しげな中国人役などで出ている。川島雄三監督の「幕末太陽傳」(1957)では川島監督から大きな影響を受けた。今村作品には、ほとんどすべてに(チョイ役も含め)出ている。(一番最後の「赤い橋の下のぬるい水」以外は、劇映画は全部出ているはず。)

 何といっても最高なのは、主演男優賞総なめの「人類学入門」である。というか、脇役中心で数少ない主役映画。野坂昭如の「エロ事師たち」の映画化で、ブルーフィルム製作など怪しい性産業を細々とやってる主人公の悲しくおかしく、かつ大マジメな姿を見事に演じきった。素晴らしい演技だけど、同時に様々なアクション映画で演じたおかしな役も忘れがたい。なお、最初の映画出演は1954年の松竹作品、渋谷実監督「勲章」という再軍備を風刺した映画である。元陸軍中将の息子佐田啓二の友人の大学生で、アルバイトで寄席の手伝いをしている設定。ほとんど同じような学生生活をしてたのではないかと思った見た記憶がある。

 演劇では「芸能座」(1975~1980)、「しゃぼん玉座」(1982~)を作って活躍した。前者は井上ひさしの「しみじみ日本・乃木大将」を初演したところ。これは実に面白かった。「しゃぼん玉座」は小沢昭一のひとり劇団で、やはり井上ひさし作品を中心にやっていた。こまつ座も含め、劇団から新作ごとにハガキは来ていたが、結婚、就職、「校内暴力」の時代で、忙しくてほとんど見られなかった。

 その後、井上ひさしの小説「戯作者銘々伝」にある「唐来参和」(とうらい・さんな)をひとり芝居にして、660回以上の公演を行った。これが舞台俳優としての最高の仕事だろう。僕はこのラスト公演は見に行った。なんとなくいつか見ればいいと思っていたら、最後というのに驚いて駆け付けた。場所は新宿の紀伊國屋ホール。間違えて紀伊國屋サザンシアターだと思いこんでいて、あわてて南口から紀伊國屋本店に急行した思い出がある。中身以上にそっちを思い出す。
 (放浪芸を探る小沢昭一)
 学生時代頃から、小沢昭一が放浪芸を見て回っているという話はよく聞いていた。小沢昭一の芸能本、エッセイなどはかなり読んでいて、どれを読んだのかよく覚えていないが、「日本の放浪芸」「ドキュメント綾さん」「ぼくの浅草案内」を読んでいるのは覚えている。その放浪芸をまとめた集大成がレコードで出て、レコード大賞特別賞を取った。その後CDになっているが、これは高すぎて持っていない。

 だからちゃんと聞いていないのだが、ここに無着成恭編「山びこ学校」に出てくる説教節の語りが入っている。「山びこ学校」では親が芸人で、つまりは「篤農家」(とくのうか=農業に励む人)ではなく家が貧乏で子どもも苦労するという感じで書かれていた。子どもの目で見た作文では村でも困りもの視されていた感じだったが、その親はちゃんとした「芸能人」で、レコードで残すべき芸を持っていたのである。このエピソードを知って、僕は「戦後民主主義」の見逃してしまった部分をきちんと追いかけているのが、小沢昭一の仕事なのだとよく判った気がした。

 僕にとって小沢昭一の最大の思い出は、演劇でも映画でもラジオでもない。2005年に新宿末廣亭で聞いた「芸談」である。俳句仲間の柳家小三治の働きかけで、落語協会のトリを10日間取ったのである。それは「芸談」と名付けた話芸だった。何を話したのかと言えば、僕ももう覚えていない。満席なので立ち見で聞いた。至福の話芸という記憶があるのみだ。小沢昭一と小三治の様子は頭に焼き付いている。これを聞きに行って、本当に良かった。

 「中年御三家」時代に歌っていた「ハーモニカブルース」という曲がある。
 「ハーモニカが欲しかったんだよ/どうしてか どうしても/欲しかったんだ/ハーモニカが欲しかったんだよ/でもハーモニカなんて/売ってなかったんだ/戦争に負けたんだ/かぼちゃばっかり/喰ってたんだ」(1番のみ。谷川俊太郎作詞、小沢昭一補作)
 僕は何となくこのうたを時々口ずさんでしまう。戦争に負けた国の子どものうた。
 作曲は、小沢昭一作曲/山本直純補作曲。「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の「お囃子」も山本直純。「中年御三家」は僕にとって、いつまでも生きててほしい人たちだったんだけど…。
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大傑作、横山秀夫『64』

2012年12月09日 23時58分17秒 | 〃 (ミステリー)
 警察小説の名手、横山秀夫の7年ぶりの大長編『64』(ロクヨン)(文藝春秋)は噂にたがわぬ大傑作。年末恒例のミステリーベストテンでは、「このミス」も週刊文春も宮部みゆき「ソロモンの偽証」を押さえて今年度のトップ。「半落ち」や「クライマーズ・ハイ」などの傑作を超えて、横山秀夫の(今までの)最高傑作。最近はハードカバーをあまり買わないんだけど、この本は1900円出しても十分以上に報われる。ただ一つの欠点は「読んだら止められない」ということで、647頁、1541枚もあるので、絶対に一日では読み終わらない。だから忙しい人は年末まで読まない方がいいかもしれない。僕も昨日はパソコンも見ずに、ずっと深夜まで読み続けてしまった。


 さて題名の「64」とは、たった7日しかなかった昭和64年のことである。平成になる直前の1月5日、D県で起こった「翔子ちゃん誘拐事件」。子どもは殺され、身代金も取られてしまうという大失態にも関わらず、未だに容疑者逮捕に至らず時効が翌年に近づいている。という設定だから、これは2003年時点を舞台にしている。(殺人の時効は現在は撤廃されているが、当時は15年だった。)D県警にとって忘れることのできないこの屈辱を、内部では「ロクヨン」と呼び表していた。ところが今になって、警察庁長官が来県し被害者宅を訪れるという。一方、この誘拐事件には謎の部分があるようで、その実態は「幸田メモ」に書かれているというのだが、そういうものは果たして実在するのか。幸田というのは当時第一班として被害者宅に詰めながら事件後すぐに退職した警察官のことらしい。何か事件捜査にはミスがあったのか。それは何故今まで知られずにいるのか。そして今、中央から長官視察が組まれた真の狙いは何か。

 というのが主筋で、それを「三上広報官」を主人公にして描いて行く。よく知られているように、横山秀夫は1979年から1991年まで群馬県の上毛新聞社で新聞記者をしていた。D県警シリーズという作品を初め、今までいろいろの作品を書いているが、刑事だけでなく鑑識や看守など警察内部の様々な部署を描いてきた。記者時代にはちょうど85年の日航機事故に遭遇、その経験をもとにした「クライマーズ・ハイ」も書いている。しかし、警察組織と新聞記者の接点になる「広報官」という存在は今まで取り上げられなかった。多くの警察小説でもそうだと思う。この「広報官」の設定は実にうまく効いている。「三上」という広報官は、実に屈折に富む人物で、4つの問題を抱えながら納得のいかない人事をこなしている。広報官を拝命して広報のあり方も大きく変えたいと思っているのだが、警察内部でも記者クラブとの関係もうまく行かなくなってくる。今まで刑事部で捜査にあたってきたが、自分でも「本籍は刑事部」と思い、いずれ捜査の現場に戻りたい。しかし、刑事部からは「警務に身を売った」とみなされ、事件の中身を教えるとマスコミに漏れるだけだと何も情報が入らない。キャリア組の上司は、何も知らなければリークの危険もなく、言われただけでいいのだと通告される。初めはキャリアの上司に屈せず改革を進めていたが、私的なことから上司に弱みを見せてしまう。娘が家出してしまったのだ。本庁につてのあるキャリアの警務部長は、すぐに本庁に写真をファックスし、全国の警察官が気を付ける態勢を作ってくれるのである。自分だけなら上司に屈せず地方の派出所に飛ばされてもいいが、娘が突然戻ってきたときのために今の家に住み続けるしかないと思えば、組織の中で仕事していかなくてならない。

 こうして刑事部、上司、新聞記者と腹背に敵を受けながら、娘の問題を抱え妻との関係も難しく…と様々な葛藤を抱えながら生きているのが、広報官三上である。広報室の3人の部下、かつての刑事仲間、当時の捜査員でありながら辞めてしまった科警研のメンバー、様々な点景の人物が実によく描かれている。また警察の実名発表問題、新聞社内部の様々な対立状況、親子や夫婦の関係、東京と地方など実に多くの問題が出てきて考えさせられる。一つの鍵は、「鬼瓦と呼ばれるほど無骨な剣道部出身の三上」を「県警一の美人婦警」と令名の高かった美那子」がなぜ結婚相手に選んだのか。その結果生まれた娘は、美人母ではなく父親に似てしまって…。

 しかしやっぱり問題は「ロクヨン」。最後の最後に、怒涛の展開であれよあれよのジェットコースター状態になる。そこは書かない方がいいと思うけど、いや伏線の回収ぶりに驚くしかない。この後のさらなる大混乱を前に筆を置くのもいい。横山秀夫は「半落ち」に泣かされたが、警察捜査小説の短編なんかなど少し満足できないことも多かった。最近の警察小説は大盛況だが、キャリアの陰謀とか内部対立が多い。それもいいけど、マスコミの存在や犯罪被害者、家族のあり方などを入れるだけで視点はずいぶん広がるのだと感心した。現代日本を考えるためにも読みがいのある本だった。
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笹子トンネル事故ー「民営化」と「世襲」

2012年12月02日 21時59分19秒 | 社会(世の中の出来事)
 中央道笹子トンネル事故には、本当にゾッとした人が多いと思う。そんなに使ったトンネルではないが、僕も何度も通っている。数日前にはJR京葉線の電車が突然止まってしまい、2時間後に高架の線路を歩いて最寄駅まで行くという事故があった。東京で電車に乗っていると、「人身事故」が非常に多いだけでなく、最近は「車両故障」により動かなくなってしまうことが本当に多くなったように思う。昔はそういう事故が少なかった。利益至上主義なのか、「団塊」世代の退職後に技術が伝承されていないのか、現場力を削ぐことを続けて来てゆとりのない職場が多くなってしまったためか、とんでもないミスが多発する社会になってきている。外国のニュースを見ると、時々ビルが倒れたり、橋が落ちたりすることがある。中国の高速鉄道事故など今も記憶に新しい。そういうことは日本では少なく、政治家はダメでも現場の力が素晴らしいという社会だったのだが。「腐敗」のために工事費が着服されて手抜き工事が行われている…ということは日本では多分まずない。しかし、地震や台風の多い国だから、建設から時間が経って当初の想定より早く問題が生じている場合も多いだろう。メンテナンス面で予算や人手が足りなくなって、現場では心配していたけれど、下の声が上に通らないという職場も多いのではないか。

 最近は工場の大規模事故も多くなってきた。9月には姫路で日本触媒の工場で爆発事故があり消防士一人が亡くなったという事故があった。4月には三井化学岩国大竹工場で爆発事故があり社員一人が亡くなっている。昨年11月にも日ソー徳山工場で爆発事故と、本当にひんぱんに大事故が起こっている。こういうのも何か日本社会が深い所でおかしくなり始めている感じがして怖い。思えば、2005年4月25日に起こった、JR西日本の福知山線脱線事故が始まりだった。「国鉄民営化」というものが、「国労つぶし」であり労働運動への攻撃だったことは、今では中曽根元首相なんかも公然と認めていることである。それ以後、「民営化」と「派遣」で働くという意味が大きく変えられてしまった。「まともな労働運動」がない職場では、「過労死」と「事故」が多発するということが、われわれが見てきたこの20年間なのではないか。

 そう考えてみると、今回の事故をきっかけにして、小泉内閣で進められた「道路公団民営化」を改めて問い直す必要があるのではないか。高速道路(自動車専用道)を地域ごとに分社化しても、相互の競争は起こらない。社長や役員の数が一杯増えるだけで。まあサービスエリア整備の競争はあるかもしれないが。道路公団民営化を実質的に仕切っていた猪瀬某氏に是非見解をうかがいたいところである。

 それにしても小泉政権は「自己責任」を主張していたと思うけど、御大の小泉氏初め、福田康夫、中川秀直、武部勤など幹事長、官房長官を務めた人物がどんどん息子に「世襲」させていくのは、彼らの言っていた「自己責任」というのが何だったのかをよく表している。もちろん安倍氏も自身が世襲議員。世襲というのは、親が国会議員だったということではなく、後援会ぐるみ「相続税のかからない財産」を受け継いで、「父がお世話になりました」とだけ演説して議員になれるような仕組みを指している。「立候補の自由」がある、「小さい時から政治を見て来て経験がある」などと言う人がいるが、別にそのことを否定するわけではない。党が他の選挙区から出せばいいだけである。政治家になりたいんだったら、親の選挙区以外の「公募」に応じるように党で決めればいい。福田の息子は広島で、武部の息子は群馬で、中川の息子は東京でなどなど。小泉進次郎も小泉城下町みたいな横須賀で出ないで、自民がなかなか勝てない岡田副首相の三重や玄葉外相の福島で出ればいいのである。比例もあるんだからチャレンジすればいいではないか。
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