東映実録映画の話に戻って。実録映画の「スワンソング」とも言われる「北陸代理戦争」(1977)は、日本映画史上でも最凶レベルの「呪われた映画」である。公開当時に(多分銀座並木座で)見たと思うけど、その後長いこと見る機会がなかった。シネマヴェーラ渋谷で40年ぶりに見たんだけど、それももう2週間前である。早く書こうとは思ったけれど、どうせなら伊藤彰彦「映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件」(講談社+α文庫)を読み直してからと思ったのである。
この映画があまり上映されなくなってしまったのは、上映直後にモデルになった川内弘組長(映画では川田登)が映画と同じように殺害されるという事件が起こったからだ。そこには東映映画の深い因縁が幾重にも絡んでいて、その問題は後で語ることにする。川内組長は毎日のように同じ喫茶店にコーヒーを飲みに行っていて、そこで襲撃された。ところで、2カ月前に公開された映画でも、名前こそ変えられているものの、その喫茶店で襲撃されるのである。
先の書の初めの方で、そのシーンは実際の喫茶店を実物大に採寸して、東映京都撮影所内に再現したセットで撮影されたと書かれている。僕はこの本を前に読んでいるにもかかわらず、このシーンでは「現実の喫茶店でロケされた」と思って見ていた。監督の深作欣二の著書にもそう書いてあるというから、思い込みというのは恐ろしいものだ。僕も本を読み直さなかったら、同じような間違いを書いたに違いない。自分でもビックリである。だけど、それほどうまく編集されている。
当時の東映映画の主力とされていた「実録映画」は、もうかなり陰りを見せていたが、東映はまだ作ろうとしていた。「実録」とある以上、実際の抗争事件をモデルにする。完全な実話ではない。それでは問題が起きるから、フィクションということにして、名前を変え事件経過も再構成する。実在人物の話を誰か作家にリライトしてもらって、「原作小説の映画化」という体裁にすることも多かった。だけど、映画になりそうな題材もだんだん少なくなる。そこに福井の川内弘を紹介されたのである。
脚本の高田宏治が川内に会い、インタビューをする。その時の録音テープが高田のもとに残されていて、先の伊藤著「映画の奈落」はそのテープを使って入念な検討がなされている。そこから脚本の完成までの苦労、さらに撮影時のトラブル、とにかく大変なこと続きだった。トラブルのすべてを書いていてはとても終わらない。そもそも当初は菅原文太主演で「新仁義なき戦い」シリーズになるはずだった。だけど、文太は病気療養ということで、松方弘樹が主演になった。当時、文太は「トラック野郎」シリーズも大ヒットし、確かに多忙だったろうけど、実録映画に飽きていたのかもしれない。
社内で脚本を問題視する声も上がるし、福井県警からはロケの協力が得られない。それにかつてない大雪に見舞われ、ロケはさっぱり進まない。助演の渡瀬恒彦は、ロケの最初で車が横転して大けがをして降板した。松方弘樹の連れ合いとなる高橋洋子は、市川崑の「悪魔の手毬歌」と掛け持ちで、死体となって水に浮くシーンで風邪をひいてしまった。「北陸代理戦争」撮影時には38度の発熱状態。もともと「深作組」とは「深夜作業組」の略だと言われるぐらいの深作でもさすがに追いつかない。
当時の大手映画会社では、系列映画館に定期的に新作映画を供給し続けなければならない。前作品がよほどの大ヒットでもしない限り、封切りの日時は最初から決まっている。この場合は2月26日である。ところが2月になっても全然撮影が進まない。もう仕方ないから、中島貞夫監督に頼み込んで、B班を作って撮れるシーンを頼み込む。そういうことは昔のプログラムピクチャーでは時々あったことだけど、この映画ほど追い込まれた状態での依頼も珍しいのではないか。
だから、細かく見るとタッチの違いもあるのかもしれないが、中島貞夫も深作と並んで実録映画を中心的に担っていたし、見ていて違和感は全くない。追い込まれて撮っている感じもそれほど感じない。もともと映画自体が、追い込まれて窮地に立つヤクザたちの物語なので、かえって迫真力が増したかもしれないと思うほどである。そうやって、困難な撮影が終わったのが、2月22日。今の感覚で言えば、ウソとしか思えない日付だ。全国公開の4日前まで撮影していたなんて…。
まあ、あまりにも大変な公開までの日々は「映画の奈落」を読んでほしいと思う。だけど、やはり本だけでは実感が得られない。映画を見直して、記憶の中では北陸の冬の寒々した印象ばかりが残っていたのだが、案外ユーモアもある。というか、今見ると、そのやり過ぎ的なシーンが笑わずにいられない。冒頭、川田は約束を守らない親分の西村晃を雪に埋めて、その周りを車で回って脅している。(実際の撮影は土管の中に西村が入り、その周囲を雪で囲ったという。)そこから、すごい迫力である。
だけど、このように「親を親とも思わない」ヤクザ像は掟破りである。実際にいたとしても、公然と描いているのは危険とは言える。しかも、過去の抗争事件ではなく、当時の川内組は現実に抗争を抱えていた。今では考えられないが、東映は「山口組三代目」などの映画を実名で作っていた。警察側とのあつれきはずっとあって、高倉健主演の山口組シリーズはヒットしながらも2作で中止される。「北陸代理戦争」も、モデルとなった福井県では上映されなかったのである。
映画の筋はかなり複雑なので、ここでは省略する。山口組と目される「全国制覇を目指す組織」は、北陸進出をねらって内紛があると仲介役となる。弱小側は強者に助けを頼んで「代理戦争」となる。だけど、この映画内の川田組長は、けっして大組織の走狗とならず、敗れても敗れても大組織を追い出そうと抵抗する。それはフィクションだからで、現実とは違うはずだが、現実にも映画撮影開始の日に、川内弘は所属する山口組系菅谷組を破門されたのである。
その問題は別にして、映画内ではその抵抗ぶりが面白い。そして、川田を助ける女の側の描き方。姉の野川由美子は川田の命乞いのため、対立する親分の女となる。その妹の高橋洋子は、傷を負った川田の看病をするうちに関係が芽生え、川田をはめた実の兄を殺害する。その激しい女の激情が、この映画のもう一つの魅力になっている。先の伊藤著によれば、いままで「実録映画の終末」と言われてきたこの映画は、実は脚本の高田宏治が後に書き続ける「鬼龍院花子の生涯」や「極道の妻たち」シリーズにつながる女性映画の先駆けとも言えると評価している。
今見ても、その熱気に驚くような映画だけど、この映画はヒットしなかった。もう実録映画も飽きられていたし、宣伝の時間もなかった。ハナ肇、地井武男らの助演も印象的なので、本来はもっと評価されても良かったと思う。だが、公開2か月目に川内弘組長殺害事件が発生して、映画そのものが事件を誘発したのではないかとまで言われた。そこまで言えるかどうかはともかくとして、とにかく一種触れてはならない映画のように扱われてきたのは間違いない。伊藤氏の本が出て、ラピュタ阿佐ヶ谷で特集上映が行われた数年前まで、ちゃんと上映されなかったと思う。思っていたよりも、陰惨な映画ではなく、出来は良かった。そのことを記録しておきたい。
この映画があまり上映されなくなってしまったのは、上映直後にモデルになった川内弘組長(映画では川田登)が映画と同じように殺害されるという事件が起こったからだ。そこには東映映画の深い因縁が幾重にも絡んでいて、その問題は後で語ることにする。川内組長は毎日のように同じ喫茶店にコーヒーを飲みに行っていて、そこで襲撃された。ところで、2カ月前に公開された映画でも、名前こそ変えられているものの、その喫茶店で襲撃されるのである。
先の書の初めの方で、そのシーンは実際の喫茶店を実物大に採寸して、東映京都撮影所内に再現したセットで撮影されたと書かれている。僕はこの本を前に読んでいるにもかかわらず、このシーンでは「現実の喫茶店でロケされた」と思って見ていた。監督の深作欣二の著書にもそう書いてあるというから、思い込みというのは恐ろしいものだ。僕も本を読み直さなかったら、同じような間違いを書いたに違いない。自分でもビックリである。だけど、それほどうまく編集されている。
当時の東映映画の主力とされていた「実録映画」は、もうかなり陰りを見せていたが、東映はまだ作ろうとしていた。「実録」とある以上、実際の抗争事件をモデルにする。完全な実話ではない。それでは問題が起きるから、フィクションということにして、名前を変え事件経過も再構成する。実在人物の話を誰か作家にリライトしてもらって、「原作小説の映画化」という体裁にすることも多かった。だけど、映画になりそうな題材もだんだん少なくなる。そこに福井の川内弘を紹介されたのである。
脚本の高田宏治が川内に会い、インタビューをする。その時の録音テープが高田のもとに残されていて、先の伊藤著「映画の奈落」はそのテープを使って入念な検討がなされている。そこから脚本の完成までの苦労、さらに撮影時のトラブル、とにかく大変なこと続きだった。トラブルのすべてを書いていてはとても終わらない。そもそも当初は菅原文太主演で「新仁義なき戦い」シリーズになるはずだった。だけど、文太は病気療養ということで、松方弘樹が主演になった。当時、文太は「トラック野郎」シリーズも大ヒットし、確かに多忙だったろうけど、実録映画に飽きていたのかもしれない。
社内で脚本を問題視する声も上がるし、福井県警からはロケの協力が得られない。それにかつてない大雪に見舞われ、ロケはさっぱり進まない。助演の渡瀬恒彦は、ロケの最初で車が横転して大けがをして降板した。松方弘樹の連れ合いとなる高橋洋子は、市川崑の「悪魔の手毬歌」と掛け持ちで、死体となって水に浮くシーンで風邪をひいてしまった。「北陸代理戦争」撮影時には38度の発熱状態。もともと「深作組」とは「深夜作業組」の略だと言われるぐらいの深作でもさすがに追いつかない。
当時の大手映画会社では、系列映画館に定期的に新作映画を供給し続けなければならない。前作品がよほどの大ヒットでもしない限り、封切りの日時は最初から決まっている。この場合は2月26日である。ところが2月になっても全然撮影が進まない。もう仕方ないから、中島貞夫監督に頼み込んで、B班を作って撮れるシーンを頼み込む。そういうことは昔のプログラムピクチャーでは時々あったことだけど、この映画ほど追い込まれた状態での依頼も珍しいのではないか。
だから、細かく見るとタッチの違いもあるのかもしれないが、中島貞夫も深作と並んで実録映画を中心的に担っていたし、見ていて違和感は全くない。追い込まれて撮っている感じもそれほど感じない。もともと映画自体が、追い込まれて窮地に立つヤクザたちの物語なので、かえって迫真力が増したかもしれないと思うほどである。そうやって、困難な撮影が終わったのが、2月22日。今の感覚で言えば、ウソとしか思えない日付だ。全国公開の4日前まで撮影していたなんて…。
まあ、あまりにも大変な公開までの日々は「映画の奈落」を読んでほしいと思う。だけど、やはり本だけでは実感が得られない。映画を見直して、記憶の中では北陸の冬の寒々した印象ばかりが残っていたのだが、案外ユーモアもある。というか、今見ると、そのやり過ぎ的なシーンが笑わずにいられない。冒頭、川田は約束を守らない親分の西村晃を雪に埋めて、その周りを車で回って脅している。(実際の撮影は土管の中に西村が入り、その周囲を雪で囲ったという。)そこから、すごい迫力である。
だけど、このように「親を親とも思わない」ヤクザ像は掟破りである。実際にいたとしても、公然と描いているのは危険とは言える。しかも、過去の抗争事件ではなく、当時の川内組は現実に抗争を抱えていた。今では考えられないが、東映は「山口組三代目」などの映画を実名で作っていた。警察側とのあつれきはずっとあって、高倉健主演の山口組シリーズはヒットしながらも2作で中止される。「北陸代理戦争」も、モデルとなった福井県では上映されなかったのである。
映画の筋はかなり複雑なので、ここでは省略する。山口組と目される「全国制覇を目指す組織」は、北陸進出をねらって内紛があると仲介役となる。弱小側は強者に助けを頼んで「代理戦争」となる。だけど、この映画内の川田組長は、けっして大組織の走狗とならず、敗れても敗れても大組織を追い出そうと抵抗する。それはフィクションだからで、現実とは違うはずだが、現実にも映画撮影開始の日に、川内弘は所属する山口組系菅谷組を破門されたのである。
その問題は別にして、映画内ではその抵抗ぶりが面白い。そして、川田を助ける女の側の描き方。姉の野川由美子は川田の命乞いのため、対立する親分の女となる。その妹の高橋洋子は、傷を負った川田の看病をするうちに関係が芽生え、川田をはめた実の兄を殺害する。その激しい女の激情が、この映画のもう一つの魅力になっている。先の伊藤著によれば、いままで「実録映画の終末」と言われてきたこの映画は、実は脚本の高田宏治が後に書き続ける「鬼龍院花子の生涯」や「極道の妻たち」シリーズにつながる女性映画の先駆けとも言えると評価している。
今見ても、その熱気に驚くような映画だけど、この映画はヒットしなかった。もう実録映画も飽きられていたし、宣伝の時間もなかった。ハナ肇、地井武男らの助演も印象的なので、本来はもっと評価されても良かったと思う。だが、公開2か月目に川内弘組長殺害事件が発生して、映画そのものが事件を誘発したのではないかとまで言われた。そこまで言えるかどうかはともかくとして、とにかく一種触れてはならない映画のように扱われてきたのは間違いない。伊藤氏の本が出て、ラピュタ阿佐ヶ谷で特集上映が行われた数年前まで、ちゃんと上映されなかったと思う。思っていたよりも、陰惨な映画ではなく、出来は良かった。そのことを記録しておきたい。