尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

初の憲法13条違反ー「性別変更に手術要件」は違憲

2023年10月30日 22時01分12秒 | 社会(世の中の出来事)
 最高裁大法廷(戸倉三郎裁判長)は、10月25日に「性同一性障害特例法」の一部規定を憲法違反と判断する決定を下した。最高裁における違憲判断は12例目で、21世紀になって7例目。最近時たま見られるとはいえ、そうお目にかかれるものではないから、ここで記録しておきたい。僕も小法廷は傍聴しているが、裁判官15人がそろう大法廷は見たことがない。時には1年に1回もないのである。今回は大法廷に送付された時点で違憲判断を予想できたわけだろうが、2019年に合憲判断が出ていたから、僅かな期間で逆転するのかとも思った。(ちなみに、今回は「家事審判」に対する判断なので、「判決」ではなく「決定」である。)
 (大法廷)
 僕はトランスジェンダーの問題にそれほど詳しくなく、この法律をめぐる争点をどう理解するべきか判らない点も多い。にわか勉強して書いても間違うから、ここでは違った観点から書いておきたい。今回は初の憲法13条違反の判断なのである。その事の意味は後で書くが、まず今回の決定は「手術要件は違憲」という点で、15裁判官全員一致だった。ただし、性同一性障害特例法では性別変更に5要件があり、そのうち「外観要件」は判断されなかったので、高裁への「差し戻し」となった。3裁判官は「外観要件」も違憲と判断する少数意見を書いている。ただ、「憲法違反」という判断が15裁判官で共通だったことはとても重い判断である。

 それは原告の置かれた状況がよほど過酷で同情すべきものだったということだ。今までの違憲判断を見てみると、議員定数の配分をめぐる問題など純粋に憲法解釈上の問題もあるが、個別事例の救済のために違憲判断がどうしても必要だという場合が多い。刑法の尊属殺人罪違憲判決や地裁段階だがハンセン病違憲訴訟(熊本地裁判決)など、裁判官が憲法違反と判断しない限り「気の毒な事情を持つ原告」を救済する手段がないのである。そこで裁判所は違憲立法審査権という伝家の宝刀を抜いたのである。

 この判決を批判する人もいるが、決定文をきちんと読んでいるのだろうか。法が手術を要件とすることがいかに過酷な人権侵害となりうるか。裁判所が判断を変えたのは、決定を読む限り日本内外で行われてきた多くの人々の努力の結晶だと思う。「社会状況の変化」と題された部分では、法務省、文部科学省、厚生労働者などの取り組み、東京都文京区の条例、世界保健機関(WHO)や欧州人権裁判所などの判断などが紹介されている。その結果として「性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり」と判示されたのである。この間の内外の取り組みに背を向けていた者は、この判断を受け入れられないのだろう。
(性同一性障害特例法の5要件)
 僕はこの決定は極めて重要な判例になるのではないかと思っている。今までの違憲判断は、その半数が憲法14条(平等権)に関わる判断だった。ところが先に書いたように今回は「憲法13条違反」が認定されたのである。

 「憲法十三条」=すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

 「個人の尊重」「幸福追求権」などと言われるが、いかにも抽象的である。むしろ「公共の福祉」を理由として、権利の侵害を合理化する規定になってきたのが実情だ。今までは「法の下の平等」を理由とした裁判は、ある程度裁判で勝利することがあった。しかし、「個人の尊重」を訴えた裁判(外国人指紋押捺制度訴訟など)では、「公共の福祉」のためとして合憲判断がされてきたのである。それに対し、今回は「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、人格的生存に関わる重要な権利として憲法13条で保障されている」と決定冒頭で判示されている。

 これは教育、福祉、医療などの現場でも「使える判例」ではないだろうか。日本各地で現に困っている人、困窮している人、理不尽な扱いを受けている人にとって、単にトランスジェンダーの性別変更問題に限らない、重要な人権擁護の先例が切り開かれたと思う。今後も憲法13条を「武器」にした闘いが全国各地で起こされるだろう。ひとりひとりが自分に「個人の尊厳」「幸福追求権」があるということを銘記して生きていきたいと思う。
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東近江市長の「フリースクール否定発言」を考える

2023年10月29日 21時37分57秒 |  〃 (教育行政)
 滋賀県東近江市小椋正清(おぐら・まさきよ)市長が10月17日に「フリースクール否定発言」をして問題になっている。10月3日には昨年度の調査結果が文科省から公表され、そこでは「いじめ」も「不登校」も過去最多になったと発表された。この「不登校増加」という問題をどう考えるべきか。小椋市長発言をもとに、少し考えてみたい。
(国家の根幹を崩すと発言)
 発言内容に入る前に、「東近江(ひがしおうみ)市」がどこにあるか見ておきたい。21世紀になって合併による新市名が多すぎて見当がつかない。調べてみると、2005年に八日市市、永源寺町、五個荘町、愛東町、湖東町が合併して誕生し、翌年には能登川町、蒲生町も編入した。その結果、琵琶湖畔から三重県境の鈴鹿山脈まで東西に広がる広大な面積になって、実に不思議な形をした自治体である。永源寺や「湖東三山」のひとつ百済寺など、昔行ったことがある名所も今はここに所在している。

 小椋市長は2013年に初当選し、その後も当選を続け現在3期目。1951年4月生まれの71歳で、八日市市の小中学校を経て彦根東高校、同志社大学を卒業した。1976年に滋賀県警に採用され、長浜警察署長などを務め、2013年に自民党、日本維新の会、公明党、みんなの党(当時)の推薦を得て立候補し、現職の西澤久夫市長を破って当選した。このように保守系の中でも特に「警察官僚」出身ということで、「国家主義」的発想が極めて強い人物なのではないかと思う。

 発言は滋賀県の首長会議で行われたもので、会議中の発言なので必ずしもまとまっていない。切り取ることになるが「文科省がフリースクールの存在を認めてしまったということに愕然としている」「国家の根幹を崩しかねない」「フリースクールがあるんだったらそっちの方に僕も行きたいっていうなだれ現象が起こるんじゃないか」「私はその怖さを感じています」などと発言。さらに同会議後のマスコミ取材に「不登校は大半は親の責任。財政支援を国が言うべきではない」などと発言した。

 発言に批判が集まり、保護者を傷つけたとして謝罪したものの発言そのものは撤回しないと何度も強調している。正直言って「今どきこんなことを言う行政トップがいるんだ」とある意味「感心」してしまった。「教育は国家のためにある」という信念が根強いんだと思うが、文科省がフリースクールを認めているのはそれなりの国家戦略があると理解出来ないんだろう。それとともに、市長は教育内容に介入してはならないが、教育環境整備の責任はある。行政トップが親に責任転嫁しているようでは困る。
(撤回はしないと発言)
 文科省統計によれば、小中学生の不登校は約30万人に上り、過去最多だと報道されている。(下記の画像は昨年度のグラフ)。10年連続で増えていて、特に小学生の不登校が増加していることは下記のグラフで確認出来る。それはコロナ禍の影響などとともに、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」でフリースクールや自宅でのICT機器を活用した学びなどを「公認」したことも大きいと文科省が分析している。
(不登校数の変遷。2022年発表まで。)
 だが僕からすれば、その分析は一番肝心なところを外している。一番重要なのは、小学校の新指導要領にある。僕は発表された時に『「亡国」の新指導要領ー「過積載」は事業者責任である』(2016.9.5)を書いた。広く知られているように、小学校では「英語」「プログラミング」などが必修とされ、また「道徳」も教科となった。代わりに何か減ったかといえば、何も減っていない。ゆえに僕は「過積載」と表現したのだが、現実に週にギリギリの授業を詰め込み行事なども削減しなければこなせないだろう。

 これでは「仕事だけ増えて、給料も社員も増えない会社」みたいなものである。退職したり、病気になる社員が増加するのは、当然だろう。同じように今の教育現場、特に小学校などは、教師も集まらないし生徒も不登校が増える。「教員不足」と同じく、「不登校増加」も当然予想された結果に過ぎず、国家的な「不登校増加政策」を実施しているから、その「効果」が出ているのである。それがマズいと思うなら、文科省の政策自体を批判しなければならない。
(フリースクール関係者に謝罪)
 ところが、「何が何でも親や生徒が頑張れば、学校へ通えるはずだ」などと考えてしまう「頭の古いタイプ」がまだまだ存在する。自分の頃(半世紀以上前)は、「頑張れば何とかなった」のだ。小学校で英語なんかやらなくて良かったし、勉強についていけなくなっても我慢して机に座っていれば何とか卒業出来た。しかし、今は違うのである。「自ら学ぶ」ことが求められ、「発表」が求められる。単に少々内気なだけの子どもは、思い切って「頑張る」ことも大事だろう。しかし、もっと難しい問題を抱え持った子どもは居場所が見つけにくい。自分の通った時代の学校とは時代が全然違っているのだ。

 文科省は「総合学習」を残し「アクティブラーニング」を求めながら、一方で「学力重視」「授業量増加」を求める。それでは溺れかかる子どもが増えるのは当然だ。そのことを判っているから、そういう子どもたち向けのフリースクールなどを公認するのである。それで良いと国家として判断しているのだ。それは「出来る子だけ育てれば良い」ということなのだろう。「少子高齢化」で学校に掛ける予算は今後減らさざるを得ない。国家も、学校それぞれも「出来ることだけやっていく」がホンネだろう。

 今は教員のなり手不足が深刻化し、「教員不足」が常態化しつつある。教員になりたくないような学校現場から、逃げ出す児童・生徒がいても誰が責められるだろう。「不登校が多い」ことを問題と考えるなら、その批判は親や子どもではなく教育政策に向けなければならない。
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『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』ーコーマック・マッカーシーを読む②

2023年10月27日 22時31分40秒 | 〃 (外国文学)
 「コーマック・マッカーシーを読む」の2回目は、『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』(No Country for Old Men、2005)について。『ザ・ロード』の前作で、2007年にコーエン兄弟によって映画化された。映画はアカデミー賞で作品賞、監督賞など4部門で受賞し、日本でも2008年に『ノー・カントリー』の題で公開されキネマ旬報ベストワンに選出された。翻訳は最初「扶桑社ミステリー文庫」から『血と暴力の国』の名で刊行され、2023年に改訂のうえハヤカワepi文庫で再刊された。もとの文庫も読んでいるけど、大分前のことでほぼ忘れた。映画も公開時に見たままで、傑作だったことしか覚えていない。
 
 当初ミステリー専門文庫で刊行されたように、この小説は多分マッカーシーの作品中でも一番「ジャンル小説」に近い。この小説のジャンルは、広義のミステリーだが、さらに細分化すると「犯罪小説」「ノワール小説」になる。アメリカ南部、テキサス州のメキシコに近い辺り、麻薬に絡む抗争と思われる殺人が起きる。トラックに数多くの死体があり、現場に遭遇したヴェトナム帰還兵が金をさらって逃げる。それを回収しようとして男が追ってくる。その逃げる男、追う男の追跡劇が主筋となる。ところがストーリーの間に、その地域の保安官を務める人物の語りが入る。次第に長くなっていて、主筋よりそっちが心に響いて終わる。
(映画『ノー・カントリー』)
 題名はイエーツの詩から取られたというが、「老人の住む国はない」といった意味である。(だから映画の邦題は「国はない」だけになってしまい、意味が通じない。)第2次世界大戦に従軍した経歴がある保安官エド・トム・ベルは、「最近はおかしな世の中になった」と慨嘆している。小説内の時代は1980年である。インターネットやスマホが現れた21世紀は、ますますおかしくなったと言うべきか。昔いっぱい作られた日本のヤクザ映画でも、大体古いタイプの主人公は「最近の若いもんは仁義を忘れている」などと言う。あからさまに金儲けや殺人を行うのは、悪党の中でも尊敬されないことだった。

 しかし、新世代になると「麻薬」に平気で手を出すし、殺人にもためらいがない。これは映画『ゴッドファーザー』シリーズでも同じような描写になっていた。ビジネスであれ、学問であれ、昔とは大きく違ってしまったという「嘆き」のようなものは、いろいろと描かれてきた。ところで、この小説で際立っているのは、金回収を行うアントン・シガーという人物が「凄すぎ」なのである。映画ではハビエル・バルデムが圧倒的な存在感を見せ、2007年のアカデミー賞助演男優賞を獲得した。(スペイン人として初。なお、妻のペネロペ・クルスも翌2008年にアカデミー賞助演女優賞を得ている。結婚は2010年だが。)
(映画のアントン・シガー)
 このシガーという殺し屋をどう理解するべきか。この小説はそこにすべてがある。娯楽としてのミステリーにしては、異形にすぎるのである。殺し方(あるいはコインの裏表で殺害実行の可否を被害者に決めさせる場合もある)が異常すぎるというのもある。対象を見つける手段も、その当時最新のハイテクを駆使しているが、それだけでは理解出来ないぐらい凄い。しかも、ミステリーなら「合理的な解決」がラストに示されるべきだが、この小説はそうはならない。最後にシガーがどうなったか不明だし、完全すぎる悪役は皮肉すぎる「事故」に見舞われる。

 そこでこの小説は「神」あるいは「悪魔」を描いているという解釈が出て来る。人間はひょんなことから「悪」に染まる。それを「神の手」が追ってきて、逃れることが出来ない。神あるいは悪魔のように見える「完璧な悪党」であってさえ、やはり「神の手」の上で踊っている存在なのか。そういうことを考えさせられるのである。あまりにも血が流れるし「痛い」(肉体的に)描写が多いので、多くの人に勧めて良いかと迷う小説だが、一貫して「暴力」を突き詰めたマッカーシーのひとつの頂点だろう。
(『チャイルド・オブ・ゴッド』)
 ここで長編第3作の『チャイルド・オブ・ゴッド』(1973)にも触れておきたい。これはアパラチア山脈近辺のプア・ホワイトが連続殺人者になる話である。いつの時代かと思うと、60年代半ばの実話がモデルだと後書きに出ていた。主人公の内面が全く描かれず、これぞ「ハードボイルド」という小説で、僕にはよく判らないところが多かった。まだ作家として完成していない時期なのかと思う。ここでも暴力が描かれ、あまりにも悲惨、残酷な描写が多い。それを「神の子」と題するところなど、やはり作家の関心は「暴力を通して神を考える」という点にあるのだろう。非常に高く評価する人もいるらしいが、他文化に属する者としては理解するための材料がなさすぎて困った。
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『ザ・ロード』ーコーマック・マッカーシーを読む①

2023年10月26日 21時52分31秒 | 〃 (外国文学)
 アメリカを代表する小説家の一人、コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy、1933~2023)の作品をまとめて読み始めた。前から持っていたが、読まないうちにマッカーシーは2023年6月に亡くなった。現時点で8作品が翻訳され、そのうち7冊を持っている。すべて早川書房から出ていて、主な作品はハヤカワepi文庫に収録されている。マッカーシー文学は「ジャンル小説」の枠組で書かれた純文学とでも言うべき作品が多い。その意味では読みやすいはずだが、やはり「純文学」だから難解なのである。一番最初は、2006年に刊行されピューリッツァー賞を受賞した『ザ・ロード』(The Road)に取り組んだ。 

 これは傑作である。最初は設定が判らないから戸惑うけど、次第に詩的な文体に捕われていく。ジャンルとしては「SF」と言ってよく、文明崩壊を迎えた世界に生きる父と子の逃避行をひたすら描いている。何で文明世界が崩壊したのかは、何も書かれていない。核戦争なのか、パンデミックなのか、何だか判らない。何にしても全人類文明が滅びるというのは不可解だが、そういうことを言っても仕方ない。もはや文明はそこにはなく、恐らくアメリカと思われる国に住んでいた2人はただ歩いている。
(コーマック・マッカーシー)
 2009年に映画化されていて、2010年に日本でも公開された。しかし、あまり評判にならず賞レースにもほぼ無縁だった。僕も見逃しているが、画像を検索すると以下のようなものが見つかった。親子で旅している様子が想像出来るだろう。人類だけでなく、動植物も無くなりつつあるから、核戦争に伴う気候変動、急激な寒冷化と言った事態かもしれない。とにかく寒いので、2人は「南」を目指している。母親がいたわけだが、生きることに絶望して自ら命を絶ったらしい。父は最期まで諦めず、ひたすら歩く。ところどころに町の廃墟があるが、探し回っても食料や衣料品などはすでに略奪されていることが多い。
(映画『ザ・ロード』)
 それじゃすぐに死んでしまうはずだが、時々は襲撃を免れた屋敷、シェルターなどを発見して、食品を入手出来るのである。それでもずっと居付くことはなく、また出発する。それは「恐怖」があるからだ。少数の生き残った人々は、この父子のような「善き人々」ばかりではなかった。むしろ子どもを見れば捕まえて、食料にしてしまう集団が発生したのである。だから人を見れば、生き残ったという連帯ではなく、襲われないかという恐怖が先立つ。特に文明社会を知らず、その世界しか知らずに育った子どもからすれば、世界はただ恐ろしいものである。
(映画『ザ・ロード』)
 そんな小説が面白いのか。確かに最初の頃は、ただ歩いて食料などを探すことの繰り返しで、少し退屈かもしれない。次第に過去の想い出などが断片的に出て来て、滅びた世界で生きることの日常が読む側の身体にも染み込んでくる。マッカーシー文学は「暴力」の考察である。『ザ・ロード』では、「文明」に覆われて見えなかった人間の本質としての暴力が描かれている。それが本当に衝撃的で、滅びた世界で争い合う人間存在が恐ろしい。それを解釈せずにただ歩く父子を通して提示する。読む側にも疲労感が伝染してくるころに、突然終わる。そこに「」はあるのか。父は、つまり作者はそのことを何度も自問する。

 それが真のテーマなのかと思うが、われわれにはちょっと遠いかもしれない。それでも読んでいるうちに、これは凄い傑作だと思った。アメリカではベストセラーになり、広く読まれた。日本でももっと広く取り上げられるべき、終末小説、ディストピア小説の傑作だ。コーマック・マッカーシーは生前ノーベル賞候補と呼ばれ続けた。その人の代表作と言って良い小説だ。
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『君の名は』三部作を見るー疑問だらけのすれ違いドラマ

2023年10月25日 22時23分09秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで、菊田一夫原作の映画特集をやっている。「「君の名は」公開70周年記念」とうたっていて、その『君の名は』3部作をこの機会に見た。今まで「総集編」を見たことはあるが、もとの3本の映画は見たことがなかった。2時間超あるから、合わせて6時間を越える。今回は一週ごとに一部ずつやってたから、何とか見に行けた。今でも見られる「すれ違い」メロドラマの古典だが、設定には疑問も多い。菊田一夫(1908~1973)は日本の商業演劇、ミュージカルの発展に忘れられない人で、多くの舞台脚本を書いた。今回は他にも興味深い作品が上映されているが、時間の関係上見なかった。
(映画はモノクロ)
 『君の名は』は元々はNHKのラジオドラマである。(テレビ放送開始は翌1953年。)1952年4月10日に始まり、1954年4月8日まで続いた。毎週木曜日20時30分から21時までの30分間で、計98回。(このデータはWikipediaに拠る。)「番組が始まる頃には女湯が空になる」という伝説がある。(当時は家に内湯がある人はほとんどなく、多くが銭湯を利用していた。)松竹で映画化され、1953年9月15日に第1部、同年12月1日に第2部が公開され大ヒット。同年の配給収入トップ2となった。第3部は1954年4月27日に公開され、同年の配給収入1位。合わせて観客動員数3千万人という超大ヒットである。
(菊田一夫)
 物語は1945年(昭和20年)5月24日に始まった。東京大空襲と言えば、10万人が犠牲になったと言われる3月10日が知られるが、その時は東京東部が中心だった。その後も空襲は続き、中でも5月25日は皇居や首相官邸が焼けた山手大空襲として知られる。ただ死者は3651人で、3月に比べて少なくなっている。この間に疎開が進んだり、密集が少ない地域性によるだろう。一方、その前日の5月24日にも罹災者22万を出す空襲があった。空襲地の詳しいことは知らないが、銀座・有楽町付近はこの日に爆撃されたのだろう。今回初めて気付いたが、この日はちょうど僕が生まれた日の10年前ではないか。

 後に後宮春樹(あとみや・はるき)と氏家真知子(うじいえ・まちこ)と判明する二人の男女は、この日たまたま銀座周辺にいて、一緒に避難する。翌朝名前を聞こうとするが、また空襲警報が鳴ったので、生きていたら半年後に同じ数寄屋橋(すきやばし)で会おうと約束して別れたのだった。数寄屋橋は江戸城外濠に架かっていた橋で、関東大震災後の1929年に石造になった。真ん前に大きな日本劇場(日劇)があり、有名な東京風景だったという。1958年に高速道路が上を通ることになり外濠は埋め立てられた。その後しか知らないから、実際の橋が見られるのは貴重である。
(昔の数寄屋橋)
 このドラマ、映画は大ヒットしたが、角川春樹(1942~)、村上春樹(1949~)はそれ以前に生まれているので、「春樹」という名前はその影響じゃない。1973年の金大中氏拉致事件時の駐韓国大使は後宮虎郎という人だったが、「うしろく」という読みだった。「あとみや」なんて読み方があるのか。佐田啓二(1926~1964)が演じたが、今は中井貴一の父と言わないと通じない。37歳で自動車事故のため亡くなり、前年に亡くなった「小津に呼ばれた」などと言われた。小津安二郎、木下恵介、小林正樹など名匠の作品で忘れられない存在感を残している。昔の映画を見ている人には親しい存在だ。

 岸惠子(1932~)は、1951年にデビューして鶴田浩二や佐田啓二の相手役をしていた(鶴田浩二と噂になったが松竹が別れさせたとWikipediaにある)が、本格的な大スターになったのは『君の名は』だろう。時々見せる氷の表情が魅力的で、21歳とは思えない。以下の画像にあるストールの巻き方は、「真知子巻き」として今も名が残る。北海道ロケで寒かったから、私物を使ったというが、今見るとまるでヒジャブみたいな感じがする。この後、1957年にフランスのイヴ・シャンピ監督と結婚して一人娘が生まれるも、1975年に離婚。その間も日本の映画には断続的に出演し、『雪国』『おとうと』『怪談』『細雪』など文芸映画で名演した。僕は若い頃に見た『約束』(斉藤耕一監督、1972)の女囚役が忘れられない。小説やエッセイも高く評価されている。
(岸惠子と佐田啓二)
 ま、そういう俳優情報は別にして、この二人はその時東京で何をしていたのか。男はほとんど軍隊に行ってた時代だ。その後の仕事を見ても理系とは思えない後宮が何故東京にいたかが不思議。真知子は約束の前日におじに連れられて佐渡に帰らざるを得ず、数寄屋橋に行けない。東京育ちならともかく、佐渡に同級生・綾(淡島千景)がいるんだから、佐渡育ちなのである。それなら何故疎開しないのか不思議。おじは強圧的人物で帰りたくないんだろうけど、命には換えられない。健康な男女が東京都心でウロウロしていること自体が不思議で、その背景事情は全く説明されない。

 名前も判らないでは探しようもないが、それはエンタメの特性から判明する。一方、佐渡で真知子には縁談が持ち込まれる。中央官庁に勤めているというかなり恵まれた縁談で、おじの強要で断りにくい。おば(望月優子)は長く圧政に苦しんできて真知子に同情的だが、やむなく見合いに進む。その相手が浜口勝則川喜多雄二、1923~2011)で、主要人物の配役は皆判るのにこの人だけ知らない。元は歯医者だそうで、スカウトされて50年代には結構多くの映画に出ている。60年代に引退して歯科医に戻ったそうだ。浜口はすぐ結婚とは言わない、東京へ行って一緒にその人を探してみようと誘う。そして、実際に姉(月丘夢路)が住む三重県鳥羽に帰ったと聞いて探しに行く。しかし、すれ違いで会えない。そして、真知子は浜口の親切にほだされ、結婚を承諾する。
(川喜多雄二)
 すれ違いの筋を延々と書いても仕方ないから止める。第1部は佐渡の尖閣湾、第2部は北海道の美幌と摩周湖、第3部は雲仙、阿蘇と全国観光めぐりになっているのも、この種の映画の定番設定。第2部では真知子が北海道まで行き、後宮に会おうとする。第3部では後宮が雲仙まで真知子を訪ねてくる。飛行機ですぐ行ける時代じゃなく、ご苦労様という感じ。夫婦関係は一度妊娠するも流産し、その後は悪化する一方。それは「嫁姑関係」に問題がある。父を失い母と暮らしてきた浜口は、妻より母を大事にし、何事も母に仕えることを第一とする。その母は息子を失うことを恐れ、流産しても温かい言葉ひとつ掛けない。佐渡から来たおばが第2部でズバッと言い返すが、さすが望月優子の名演で胸のつかえが取れる。日本社会の家父長制の伝統、家族主義に苦しむ女性という構図は戦後的テーマである。

 第3部では離婚調停から、刑事告訴(!)もという展開に至るが、泥沼の愛憎の中、二人はあくまでも清くありたいと望む。浜口も次官の娘と付き合うようになったが、その娘は結婚したら母親とは別居が条件と言い渡す。姑も今さら真知子の方が良かったと気付き、雲仙まで謝りに来るが病気で倒れる。まあ、すったもんだがずっと続くが、ようやっと最後に病床の真知子に離婚届にサインして浜口が会いに来る。どうして、こんなことになってしまったのか。二人は語り合うが、誰も悪くなかった、仕方なかったと真知子は語る。結局、戦争と同じである。ひとりひとりは皆いい人で、責任はない。やむを得ず揉めることになってしまったけど、と言うのである。これが『君の名は』が受け入れられた真の原因ではないかと思う。

 もう一つ、今は2人のすれ違いという主筋を書いたが、結構多くの人物が出て来て副筋の物語がある。そこでも不幸な人々がいかに幸せになれるかがテーマとなり、何故か皆が幸せになっていく。だが、そのように多くの関係人物のドラマがあることで、主筋、副筋、風景的シーンが絡みあいドラマチックに進行するのである。そこが上手く編集されていて、やはりエンタメ作品は(当然脚本、俳優、演出を前提として)、編集が重要だなと強く思った。編集を担当したのは、女性映画人のパイオニアの一人として知られる杉原よ志である。スタッフ、キャストの大半は亡くなっているが、存命なのは岸惠子北原三枝(石原裕次郎夫人)ぐらいか。監督は多くの娯楽作品を松竹で作った大庭秀雄で安定感がある。
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ルーマニア映画『ヨーロッパ新世紀』、すさまじき偏見の恐ろしさ

2023年10月23日 20時56分18秒 |  〃  (新作外国映画)
 ルーマニアクリスティアン・ムンジウ監督(1968~)の新作『ヨーロッパ新世紀』(2022)を渋谷のユーロスペースで見た。これが希望を感じさせる題名と反して、ヨーロッパ辺境のすさまじき差別感情の噴出を見つめる傑作だった。2022年カンヌ映画祭のコンペティションに選ばれたが、無冠に終わった。全く理解出来ない結果で、僕からすればパルムドールの『逆転のトライアングル』や75周年記念賞の『トリとロキタ』より、明らかに衝撃的である。もっと大きな公開が望ましいが、内容の暗さ、重さから難しいだろう。貴重な機会を逃さず、是非チャレンジして貰いたい映画だ。

 冒頭で字幕が3色になると出る。ルーマニア語、ハンガリー語、その他(ドイツ語や英語)が映画の中で飛び交い、それを色分けするというのである。さらに字幕なしのせリフもあるが、それは監督の意図なので字幕は付けないという。何故そうなるかというと、ルーマニア西北部のトランシルヴァニア地方で撮影されたからである。そこはルーマニア人の他に少数民族のハンガリー人が多く住んでいる。また昔から移住していたドイツ系の人も残っているようだ。「吸血鬼ドラキュラ」の舞台で知られ、1989年の東欧革命では反チャウシェスク蜂起が始まった地方である。だけど映画の舞台になるのは、山の中の因習の村である。
(緑=トランシルヴァニア)
 男たちはドイツなどに出稼ぎに行って家族を養っている。クリスマスを前にマティアスは暴力事件を起こして、国に帰って来た。夫婦関係は破綻していて、小学生の息子ルディは山の中で怖いものを見て口を聞かなくなっている。羊を飼っている父親は高齢で衰え、その世話もしなくてはいけない。村に居場所がない彼は昔の恋人シーラに安らぎを求めようとするが…。シーラは村のパン工場の責任者をしているが、そこの悩みは労働者が集まらないこと。何度求人を出しても、全然集まらない。最低賃金しか払えないからである。そこでEUの補助金を活用して、外国人労働者を雇うことにした。その結果、スリランカ人が3人やって来る。
(マティアスと息子)
 村にあった鉱山が閉山して、人々は失業したが、最低賃金で働くより生活保護の方が有利なので働かない。貧困地域だから生活必需品のパンを値上げすることも出来ず、やむを得ず会社は外国人に頼ることにした。村の壮年層はドイツなどに働きに行き、そこで見下げられて苦労している。それを知っているのに、高齢の人々はアジア人を受け入れることが出来ない。教会で不満が爆発し、村人を集めて集会が行われる。村人は彼らは未知のウイルスを持ち込む、ムスリムはお断りだと決めつける。シーラたちが会社はちゃんと衛生管理をしている、スリランカ人はムスリムじゃない、彼らはカトリックだと何度言っても聞く耳を持たない。昔ロマ人(ジプシー)を追放した村に、今度はアジア人を入れるな、解雇するまでパンは買わないと宣言する。
(村人の集会)
 マティアスをめぐる女性、子ども、父親などの悩みがそれに関わってくる。冬の村はいつも薄暗い。そんな中でスリランカ人たちはきちんと働くし、自分たちで料理を作って暮らしている。彼らにはルーマニアの最低賃金でも、働く意味があるんだろう。そんな様子もきちんと描いている。それなのに人々は現実のスリランカ人労働者と会うこともなく、偏見を持って見ている。「ヨーロッパ新世紀」とは、このような偏見だらけの世界を意味するのか。村には隠微なルーマニア人とハンガリー人の対立がある。しかし、彼らは「反アジア人」では一致できる。村の自然をとらえる映像は壮大で、そんな中に偏見に囚われた人々が暮らす。
(ムンジウ監督)
 実にすさまじき展開の連続で、全く驚いてしまった。この驚くべき作品が様々な映画祭で受賞していない。カンヌでも審査員は大体ヨーロッパ系だから、ここまでヨーロッパの偏見を見つめた映画を評価したくなかったのか。そうとでも思いたくなる傑作だ。クリスティアン・ムンジウ監督は、『4ヶ月、3週と2日』(2007)でパルムドール、『汚れなき祈り』(2012)で女優賞、『エリザのために』(2016)で監督賞とカンヌの常連となっている。すでに受賞しているから外された面もあるだろう。自国の闇を見つめる作品を作っている監督である。

 原題は『R.M.N.』というが、これは核磁気共鳴画像法(MRI)のルーマニア語の頭文字だと英語のWikipediaに出ていた。そう言えば、父親が病院でMRI検査を受ける場面があった。ルーマニア社会を「スキャンする映画」という意味らしい。そう考えると、これは的確な題かもしれない。邦題の方が理解不能である。シーラが劇中で何度かチェロで弾いているブラームスのハンガリー舞曲(第5番)も印象的。
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サードステージ『アカシアの雨が降る時』を見る

2023年10月22日 22時23分18秒 | 演劇
 ちょうど一週間前に天地真理を見に行ったばかりだが、今日は竹下景子の舞台を見てきた。竹下景子(1953~)も70年代に大人気だった人で、当時「お嫁さんにしたい女優№1」と呼ばれていた。自分の結婚相手ではなく、自分の息子の結婚相手に望むという、ホントの「嫁」である。今ではセクハラだろう。舞台女優のイメージは薄いかもしれないが、昔から商業演劇ばかりでなく小劇場にもずいぶん出て来た。黒木和雄監督『祭りの準備』(1975)の影響で、僕の中では70年代の想い出が残っている。

 何も竹下景子だから見たのではなく、作者の鴻上尚志(こうかみ・しょうじ)にも関心があるが、それよりもシニア料金があったから見たのである。映画館、美術館にはシニア設定があるのに、演劇にはほとんどない(ユース割りはあるのに)。マチネ(昼)で席が空いてるなら、演劇にもシニア割りが欲しいと思っていたら、この公演にはあったのである。サードステージアカシアの雨が降る時』である。(新国立劇場小劇場。)題名にも心引かれた。僕は関口宏の司会ぶりが批判されると、「アカシアの雨がやむとき」が脳内に鳴り響くのである。(何でという人向けの説明は書かない。)
(左から鈴木福、竹下景子、松村武)
 舞台には3人しか出て来ない。(声だけ出る人はいるけど。)孫(鈴木福)が祖母(桜庭香寿美=竹下景子)の家を訪ねると、玄関に倒れていた。あわてて救急車を呼ぶと、医者から一時的な失神だと言われる。孫の両親は離婚していて、母とも息子とも疎遠だった父親とは数年ぶりに病院で会う。そして意識が目覚めると、祖母は自分は20歳の学生だと言い張り、孫は自分の恋人で、まだ子どもがいるはずはなく父親は知らない人だと言う。医者からは妄想を否定してはいけないと言われ、二人は「香寿美ちゃん」と呼ぶことになる。この祖母が自分は「村雨橋」に行かなくちゃと言い出したのである。

 「村雨橋」(むらさめばし)は横浜市神奈川区にある橋で、1972年8月5日、相模原市の米軍施設から横浜港に向かう戦車を市民が取り囲んで止めた現場である。ベトナム戦争に加担してはならないと考える「ただの市民」が集まって座り込んだ。当時の飛鳥田横浜市長が、車両制限令で橋を通行できる重量が決められており、戦車を積載したトレーラーは重量が超過するとして通行を認めなかったのである。香寿美はノンポリ学生だったけど、心の底で何かしなければと思っていた。今こそ行かなくちゃと二人を誘う。エッと驚くと、あなたはベトナム戦争をどう思っているの?と問い詰めてくる。

 これは同じ鴻上尚志が原案・脚本を担当した2007年の『僕たちの好きだった革命』の姉妹編というか、逆ヴァージョンである。あの舞台は中村雅俊が主演した抱腹絶倒の傑作コメディだった。高校闘争のさなかに石に打たれて意識を失ったまま30年、1999年になって突如意識が戻り、かつての革命意識を持ちながら47歳で目覚めた男が高校に戻ってきた…。男と現役高校生のギャップが面白かったのだが、その舞台から早くも10数年。相模原戦車闘争からすでに半世紀である。あの時代に20歳だった学生が意識不明で今蘇っても古稀を越えている。今さら高校や大学に復学するという設定が成り立たないほど時間が経ってしまった。

 ということで、祖母の意識が昔に戻るという設定にせざるを得ない。だが、そうなると孫世代はすでに戦車闘争どころか、ベトナム戦争も知らない。香寿美は高野悦子の『二十歳の原点』を読みたいと言い出す。岩波ホール支配人じゃなく、立命館大学学生だった人である。むろん孫は知らない。実際に鈴木福君はこの舞台に立つまで、戦車闘争も『二十歳の原点』も知らなかったんじゃないかと思う。今はスマホがあるから、舞台上でも孫はあわててベトナム戦争って何だっけと検索している。それだけじゃ観客に見えないから、舞台上にはスクリーンがあって『二十歳の原点』が流れるし、当時や今の村雨橋の映像が映し出される。
(出演者と鴻上尚志)
 そこがどうしても説明的になってしまい、演劇的感興を削ぐのである。設定上、今じゃ観客も判らないことが多く、セリフだけでは伝えきれない。やむを得ないけれど、残念な点である。話はそこから、祖母が秘密のミッションに乗り出し、それは脱走米兵を受け入れるということで(知ってる人なら予想が出来る)、だけどすぐに頼める若いアメリカ人などいないから、父親が金髪のカツラを被って脱走兵に扮する。これは予想外で爆笑。祖母(20歳の香寿美)は歌が好きで時々歌うシーンがある。最初は「遠い世界に」で孫は何て曲と聞く。次は元気が出る曲として香寿美が選んだ「友よ」で、竹下景子と鈴木福が舞台で歌ってる。

 そこに親子や夫婦の葛藤、施設に入れるべきかなどの問題が出て来る。そのうち祖母は脳梗塞を起こし、やがて肺炎を起こして亡くなる。実際の竹下景子の年齢を考えると、これは若すぎる。確かにそういう人もいるけれど、日本人女性の平均寿命を考えると、今や85歳超じゃないとおかしい。母を亡くすというのは、最近自分の身に起こったばかりで、その意味では身につまされる劇だが、自分の場合は95歳だから想い出は戦争前後である。だけど、まあ竹下景子が「遠い世界に」や「友よ」を歌うのを聞けたんだから、それでいいじゃないかと思った。

 この芝居は本来、2021年に上演されるものだった。その時は竹下景子ではなく、久野綾希子が演じていたが、コロナ禍で中断せざるを得なかった。その間に久野が2022年8月に亡くなってしまい、今回キャストを変えて再演となったという。父親役の松村武(1970~)は「劇団カムカムミニキーナ」を主宰する作家兼役者で、この劇では鬱陶しい父親であり、かつ仕事でトラブっているという難役を見事に演じている。スマホが鳴るたびに、それは仕事のトラブル関係がほとんどなので、見ているこちらもビクッとしてしまう。鈴木福は小劇場系の舞台出演は少なく、こういう場で出ずっぱりの体験は大切だろう。この後何公演か地方を回るけど、東京は今日が最後。
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映画『ロスト・キング』、リチャード3世の遺骨を見つけた女性

2023年10月21日 21時50分51秒 |  〃  (新作外国映画)
 『ロスト・キング 500年越しの運命』 という映画をやっている。映画的にはあまり評判になってなくて、きっとそう大した映画じゃないんだろうなと思ったけど、題材が興味深くて見に行った。案の定、映画の出来は普通の佳作だったが、内容的にはこんなことがあったんだと驚いた。歴史好きには興味深いと思う。冒頭に「実話に基づく」と出るが、一介の歴史マニアの女性が英国史の謎である「リチャード3世の遺骨」を見つけてしまった話である。2012年の話だが、僕は全く知らなかった。

 リチャード3世(1452~1485、在位1483~1485)と言われても、多くの日本人はよく判らないだろう。僕も同じで、なんかシェークスピアの戯曲にあったなあ程度のイメージしかない。それも読んだことも見たこともない。5百年以上前の国王で、戦死した最後のイングランド王だという。プランタジネット朝最後の王で、シェークスピアの戯曲では悪逆非道な「せむし男」に描かれているという。1485年のボスワースの戦いで戦死し、死体は川に流されたなどと言われてきた。しかし、悪評は次のチューダー王朝が流したもので、リチャード3世は立派な人物だったと考える「リカーディアン」と呼ばれる人々が活動を続けてきたという。日本で言えば室町時代で、応仁の乱が終結したあと、山城の国一揆(1585年)とか加賀一向一揆(1588年)があった頃になる。
(リチャード3世)
 仕事も家庭も問題を抱えるフィリッパ・ラングレーサリー・ホーキンス)という女性が、たまたま子どもと一緒にシェークスピア『リチャード3世』を見に行った。それをきっかけに、フィリッパはリチャード3世に取り憑かれてしまったのである。映画では劇で演じたリチャード3世が、現実となって常に現れて助言したりする。そこがリアリズムを越えた描写になっている。主役のサリー・ホーキンスは『ブルー・ジャスミン』(助演)や『シェイプ・オブ・ウォーター』(主演)でアカデミー賞にノミネートされたが、どっちも自分の思い通りに生きるタイプを演じていた。今回も完全にリチャード探しにのめり込む危ない女性である。
(フィリッパとリチャード3世)
 リチャード3世の遺骨は教会に葬られたという説もあったが、その教会が今どこにあるか不明である。いろんな事を言う人がいるが、そういう場所はその後も空き地になっていることが多いと言われる。今は福祉会館の駐車場になっている場所を見に行くと、何となく気になる。問題は現実に発掘出来る体制を整えることで、イングランド中部のレスターの市当局や大学などに掛け合うが、なかなかうまく行かない。それもある意味当然で、単なる主婦の思い込みだと皆思っているのである。いろんな幸運が重なり、クラウドファンディングも行って、ようやく駐車場を発掘出来るようになったが…。
(発掘の様子)
 実話の映画化なので、いずれ遺骨が出ることは予測出来て、その意味でのサスペンスはない。発掘に成功すると、推進者のフィリッパは除け者にされ、レスター大学の手柄になっていくが、それもありがちのことだろう。兄弟姉妹の子孫が突きとめられ、ミトコンドリアのDNA鑑定などを経て、遺骨はリチャード3世のものと確認された。そこから再埋葬されるまでの経過については、ウィキペディアに「リチャード3世の発掘と再埋葬」に詳細な記述がある。僕は全く知らなかったが、日本では報道されたんだろうか。
(実際のフィリッパ・ラングレー)
 監督のスティーヴン・フリアーズ(1941~)も、もう80代になっている。80年代から近年までコンスタントに活躍してきた監督で、特にヘレン・ミレンがエリザベス女王役でアカデミー主演女優賞を得た『クイーン』(2006)で知られている。『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985)、『危険な関係』(1985)、『グリフターズ/詐欺師たち』(1990)の頃が一番面白かっただろうか。最近では『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』(2016)、『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)などがあるが見ていない。こうしてみると安心して見られる英国秘史を任せられる監督なのかもしれない。
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ガザの人道危機をめぐる情勢、中東世界は変わるか

2023年10月20日 22時14分46秒 |  〃  (国際問題)
 ガザ地区をめぐる情勢、続報。イスラエルの地上侵攻の準備は整ったとされるが、まだ始まっていない。国連安保理では2つの決議案が採決され、どちらも否決された。議長国ブラジルによる停戦決議は日本も賛成したが、(予想されたことだが)アメリカの拒否権で否決された。ウクライナで戦闘を続けているロシアが停戦決議を出した(否決)のも白々しいが、ウクライナでロシアの拒否権を非難するアメリカも自ら拒否権を行使する。米ロとも、あからさまなダブル・スタンダードである。

 バイデン米大統領がイスラエルを訪問する18日直前には、ガザ地区北部の病院で爆発が起き、471人の死者が出たと報じられた。死者数はその後も増えている。患者だけでなく、多くの地域住民が病院中庭に避難していたという。その原因をめぐって、イスラエルの空爆とするハマスと、(ガザ地区にあるハマスとは違う組織)「イスラム聖戦」によるロケット弾の誤射だとするイスラエル側が対立している。どっちが正しいかは自分には決めがたいが、それは一番の問題ではない。近隣アラブ諸国では大規模な民衆デモが起こっているが、アラブ側からすれば「真の原因はイスラエルの占領」だということになるだろう。
(病院爆発)
 今回の事態で改めて思うことは、「ガザ地区」の特殊性だ。93年のオスロ合意でパレスチナ自治政府が成立して、ガザ地区でも「自治」が始まった。当初はパレスチナ解放機構主流派のファタハが優勢だったが、ファタハの腐敗もあり2006年の第2回選挙ではハマスが第1党になった。ファタハ出身のアッバス議長と内閣は度々対立し、武力衝突が起こってガザ地区はハマスが武力で制圧した。これが「ガザ地区を実効支配するハマス」と呼ばれる理由で、その後暫定統一内閣が出来ているが選挙は行われていない。つまり、ハマスは最初は選挙で支持されたが、「実効支配」は正当なものではない。僕はそのように判断している。
(ガザ地区周辺)
 そもそもガザ地区はイスラエルに基本的なエネルギーを依存していて、「自治」の根本をなしていない。今回イスラエル側はガザ地区へ通じる検問所を閉鎖して「兵糧攻め」を行っている。食糧や水、エネルギーが尽きつつあり、こういうやり方は許されない。イスラエルに通じる地区だけでなく、エジプトに通じるラファ検問所も未だに開放されていない。エジプトはシナイ半島にイスラム原理主義者勢力が多いため、検問所を厳格に運営してきた。今回バイデン米大統領の働きかけで、エジプトは検問所を開放するとされているが、まだ実現していない。完全な開放はガザ地区から大量の住民がエジプトになだれ込みかねないので、実現しない。
(ラファ検問所)
 世界ではイスラエル支持、非難双方の動きが広がっている。今回は日本人の人質がいなかったため、他人事ではないか。人質がいたとしたら、イスラエルにもハマスにも人質救出を優先するように求めるだろう。調べてみると、今回死者、行方不明(人質)が出ている国は、イスラエルを筆頭に、タイ(20人死亡、14人人質)、アメリカ(14人死亡、人質も?)、ネパール(10人死亡)、フランス(8人死亡、20人不明)、アルゼンチン(7人死亡、15人不明)、ロシア(4人死亡、6人不明)、ウクライナ(2人死亡)、イギリス(2人死亡)、カナダ(数人拉致)、ドイツ(数人拉致)、フィリピン(5人不明)、チリ(3人死亡、1人不明)、ペルー(2人死亡、3人不明)、他カンボジアブラジルオーストリアイタリアパラグアイスリランカタンザニアメキシココロンビアアイルランドなど、実に多数の国に及んでいる。

 恐らくハマス側も想定外だったのではないだろうか。これらは音楽祭参加者の他、キブツ(集団農場)に研修に来ていたり、外国人労働者として来ていた人々が多いだろう。相次ぐ空爆で「人質」にも被害が出ているとされる。今「人質」と書いたが、正確には「拉致被害者」だろう。ガザ地区には多くの地下通路があるとされ、どこに隠されているか不明である。イスラエルもこれほど多くの「人質」の存在を無視できないだろうが、そのために攻撃を止めるとは思えない。「テロリストとは取引しない」と宣言して、どこかで強硬策に出るのではないか。「まず停戦を」という声が聞かれるが、僕も出来るなら望ましいと思うけれど、イスラエルもハマスも相手の存在自体を根本的に否定している。従って、「停戦」が実現したとしても、それは「取りあえず」であって、イスラエルが納得出来る条件が提示されるとは思えないので、いずれ本格的な対決になるだろう。
(アラブ諸国の抗議)
 アラブ各国で反イスラエル抗議活動が高揚している。またイランの支持するレバノンのシーア派組織「ヒズボラ」がイスラエルを攻撃している。イエメンのフーシ派組織もミサイルをイスラエルに向けて発射したとされる。イランはヒズボラを通して、南北の二正面作戦を行うだろうか。事態によってはあり得なくないと思うが、なかなか現実には難しいと思う。イランは明確な反イスラエルだが、出来ることは限られる。サウジアラビアはこの事態を受けてイスラエルとの国交正常化交渉を凍結した。前回書いたように、これこそがハマスの今作戦の政治的目標だっただろう。

 反イスラエルの民衆感情は中東諸国を揺るがす事態に発展するだろうか。それは一部諸国を除けば考えにくいと思う。ただペルシャ湾岸のシーア派が多い諸国、例えばバーレーンなどではイスラエルと国交を結んだ王政当局に対する批判が大きくなる可能性がある。ただ、エジプトやシリアなどで政権基盤が揺らぐことはないだろう。一方、イスラエルでは今回の「ハマス掃討戦」終了後に、長かったネタニヤフ時代が終わるだろう。それもまた想定しておくべきことである。
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実態遊離、子ども無視の根底にあるものー埼玉自民党「留守番禁止」条例問題

2023年10月19日 22時36分41秒 | 政治
 先に書いた埼玉県の「虐待禁止条例改正案」問題の続報。世の中ではすっかり「留守番禁止条例」などと言われるようになった。10月の「スポーツの日」を含む3連休に大問題になってしまい、あっという間に取り下げになった。まあ、多分僕もそうなるだろうと思っていた。誰か党の上の方から指図されたのかもしれない。しかし、取り下げの会見で自民党の田村琢実県議団長は「瑕疵(かし)はなかった」「説明が不十分だった」などと言っている。この会見がよろしくなく、「自民党に子ども政策を任せられない」と思った人も多いのではないか。
(取り下げ記者会見)
 ところで、埼玉県では議会による条例制定が非常に多いのだという。それは本来なら地方議員の仕事をしっかり果たしているということだ。普通は知事提案の議案を審議するだけで精一杯だろう。そうなんだけど、埼玉県議会では自民党が過半数を占めているから、自民党県議団が決めてしまえば、自分たちだけで突っ走ってしまうことが起こる。有名な「エスカレーター歩行禁止条例」というのもある。僕は埼玉県に詳しくないが、ちょっと見た感じでは変化ないと思う。僕は東武線沿線しか知らないので、県庁所在地では違うかもしれない。まあ、少しは減ったという話もある。でも大変化とは言えないようだ。
 
 今年、自転車乗車時のヘルメットが「努力義務」とされたが、町をゆく自転車はほぼノーヘル状態。それを思えば、埼玉だけで「子どもだけの留守番は虐待」「子どもだけの外遊びは虐待」などと言われても、誰も守らないだろう。そんな「廊下を走ってはいけない」レベルの校則みたいな決まりを作っても、順守されるはずがない。ただ遵法意識が薄れるだけだろう。それにしても、何で実態無視のこの条例改正案が出て来たのだろうか。ひとつは「女性議員が少ない」ことで、58名の自民党議員団の中に3人しかいない。(写真が県議会のホームページに載っていて、明らかに男性名の議員は調べてないが3人女性がいることは確認した。)

 「働く女性の実態を知らない」という批判ももっともだろう。しかし、「女性は家で育児を担当するべきだ」という考えだけでは、この改正案は出て来ない。子どもだけの登校は不可と言われても、子ども一人だけなら母親が付き添うという考えが成り立つが、子どもが複数の場合(子どもが複数でなければ少子化は止まらない)、どうすれば良いのか。今、全国で「熊被害」が相次いでいて、富山県では小学校に熊が現れたとかで、親が車で送り迎えをすることになったという。

 だから、そういうことが出来る地域もあるのである。埼玉には山の方もあり、ほぼ各家庭に自家用車がある地域もあると思う。だけど、東京に近い地域は全然違う。小さい家やアパートが立ち並び、自動車などない家も多いはず。そこでは熊は出ないだろうが、同時に家庭で送り迎えしろと言われても無理だ。父親が行けば良いというかもしれないが、埼玉県は東京への通勤圏として発展してきた。東京へ長い時間をかけて通勤しているのに、父も(母も)子どものために帰れるはずがない。

 それで良いか悪いかの問題以前に、とにかく無理に決まってる。住民の生活実態から遊離した発想が何故出て来るのか。日本では子どもだけで登下校させて構わないのである。(もちろん、災害や今回の熊問題など緊急の例外ケースはある。)子どもだけで留守番させておくと、家にある拳銃の暴発事故が心配なんてアメリカみたいな国とは違う。日本でも子どもをねらう犯罪はあるが、重大犯罪の発生率は極めて低い。だから放置して良いとは言わないが、子どもたちは大体友だち同士で登下校していて、特に問題は起こらない。(時々起こると全国的大ニュースになるが、それは稀少だからだ。)
(条例反対運動)
 「働く女性」という問題意識は多くの議論がされているが、僕はもう一つ「子どもの側の権利」を問うべきだと思っている。子どもと言っても、今は18歳で選挙権がある。選挙権がある成人なのに、高校生の子どもがいても小学生の留守番はダメみたいな解釈があった。子どもの声を聞く努力はしたのだろうか。もちろん、してないだろう。自分たちだけで遊んでいたら虐待だなんて、そんな決まりをどう考えるか。学校で子どもたちにこの問題を考えさせてはどうだろう。多分「バカにしてる」と怒り出すんじゃないだろうか。子どもだけで外遊びするのを虐待視するなど、論外というしかない。

 「子どもの権利」「子どもの主体性」という発想が全くないんだと思う。子どもと言えど、もう何年かすれば選挙に行くのである。子どもの意見を正式に聞くシステムが是非欲しい。これじゃ逆に虐待が増える案である。親子だけでいれば虐待じゃないというのは全く逆。濃密な親子関係は、子どもに対する圧力を大きくする。具体的な暴力ではないかもしれないが、「勉強しなさい」的な圧力の増大で、子どもが壊れてしまう。子どもだけで遊べる場所の確保こそ、政治がやるべきことではないか。

 このような改正案が何故自民党から出て来たのか。じっくり自省して欲しい。それは僕が何度も書いている「マイナ保険証」問題にも言える。福祉施設、病院、あるいは高齢者、障害者の声に向き合っていれば、紙の保険証廃止は無理だと判るはずだ。野党に転落後、選挙に強い世襲議員が生き残り、その後安倍政権下で「風」で当選した議員が多数に上る。国民の声をきちんと聞ける体質が今まで以上に失われているのではないか。自分たちだけで決められるという驕りが表れていないか。国政でも「常識」という感覚が働いていない政策があるように思う。
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立川市の都議補選、驚きの自民落選を点検する

2023年10月18日 21時50分38秒 |  〃  (選挙)
 2023年10月15日に、東京都立川市都議会議員の補欠選挙が行われた。定数2のところに3人が立候補し、なんと自民党候補が3位で落選した。自民会派が分裂したわけではなく、定数2人なら2位には入るかと思われていたから、この結果は驚きを持って受けとめられている。ただ東京ローカルのニュースなので、全国では知らない人も多いかと思って紹介しておきたい。
(選挙結果)
 立川(たちかわ)市は東京都西部の多摩地区の中心として繁栄している都市である。人口は18万5千人ほど。今は立川市について書いているわけじゃないので、それ以上の情報は省略する。そもそも何でここで補欠選挙があったかというと、9月3日に行われた市長選に立川選出の都議会議員2人がそろって立候補したことによる。その都議は2021年にあった都議選で当選していたので、都議選、市長選の結果を示しておきたい。

都議会議員選挙(2021年7月) 定数2  投票率37.24%
当選 酒井大史(立憲民主党・現) 20,633 当選5回 
当選 清水孝治(自由民主党・現) 20,470 当選3回 
落選 石飛香織(都民ファーストの会・新) 14,619 

立川市長選挙(2023年9月)  投票率37.15%
当選 酒井大史(無所属・新) 21,731 
落選 清水孝治(無所属・新) 20,150 
落選 伊藤大輔(無所属・新) 11,463
 他2人(のぐちそのこ、金村まこと)は省略
(当選した酒井市長)
 この2回の選挙は投票率もほぼ同じで、対決の構図も同じである。市長選は無所属で出ているが、有権者は酒井氏は元立民、清水氏は元自民と知っている。伊藤大輔氏は都民ファーストの会所属の市議会議員だったので、それも判っている。2回やって、酒井氏、清水氏はほぼ互角ながら、若干酒井氏の得票が上回っている。都議選では自民公認の清水氏は公明党の推薦を受けていた。

 では、この2つの選挙の中間時点にあった参議院選挙の比例区票の出方を見てみたい。(当選者を出した党のみ)
参議院選挙・比例区(2022年7月)  投票率53.10% 得票順(小数点以下は切り捨て)
 自由民主党 (25,106)  立憲民主党 (10,242)  日本維新の会 (9,732)  公明党 (9,380)  日本共産党 (8,113)  れいわ新選組 (4,846)  国民民主党 (4,838)  参政党 (2,694)  社会民主党 (2,216)  NHK党 (2,029)

 これで見る限り、去年の参院選で自民党(候補)に投票した人が2万5千人もいるんだから、投票率が全然違うとは言え、市長選で清水候補が落選したのは意外だったということだ。立民+共産+社民は、2万ちょっと、「れいわ」を入れても2万5千ほどである。投票率が下がっていることを考えると、よほど歩留まりが良かったのである。自民党は今年の統一地方選以来、地方選挙で不振が続いていて、それが影響したのかもしれない。

 さて、今回の都議選補選を見てみたい。
都議会議員補欠選挙(2023年10月) 定数2  投票率28.90%
当選 伊藤大輔(都民ファーストの会・新) 17,499  
当選 鈴木烈(立憲民主党・新) 12,141  
落選 木原宏(自由民主党・新) 12,050 

 トップ当選の伊藤氏は9月の市長選に出たばかりで、知名度が高かった。それに小池都知事が応援に3回応援に入ったことも大きいと言われる。自民党は今春からの公明党との関係悪化を引きずり、市長選と同様に公明党の推薦がなかった。木原氏は市議会議長も務めた人で知名度もあるから、2位には入れると踏んで推薦を求めなかったのだろう。一方、小池都知事は公明党の政策を持ち上げ、公明票の獲得を図ったらしい。立憲民主の鈴木氏は元葛飾区議で知名度が不足する中で、共産、れいわ・生活者ネット(東京の地域政党)の推薦を得て、辛うじて競り勝った。91票差だから、ほとんど差はないと言えるけど、勝ちは勝ちである。
(伊藤候補応援に訪れた小池都知事) 
 中央の岸田内閣の支持率低迷もあるけれど、マスコミでは埼玉県議会の「虐待禁止条例改正」問題の影響を指摘している。全国ニュースより前に、首都圏ニュースのような番組で大きく取り上げられていた。非常に大きな反発が巻き起こり、「自民党の体質」に批判が起こっていた。そういうことの複合なんだろうけど、補選ということで投票率が4人に1人ほどに落ち込んだので、各党の基礎票の出方が不明。伊藤氏が一月ほどで6千票も増やした真の原因は判らない。ただ「自民」「立民」よりも、「維新」に支持が集まるような風潮がここでも影響しているのかもしれない。
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『源頼朝と木曽義仲』、「対決の東国史」を読む③

2023年10月17日 22時35分25秒 |  〃 (歴史・地理)
 吉川弘文館から出ている「対決の東国史」というシリーズは、去年『足利氏と新田氏』『山内上杉氏と扇谷上杉氏』を紹介した。全7巻はまだ完結していないが、どんどん刊行されている。8月に出たばかりの『源頼朝と木曽義仲』を読んでみた。著者は富山大学講師の長村祥知氏である。1982年生まれの若手研究者で、もちろん僕は名前を知らなかった。

 このシリーズは5巻が「○○氏対○○氏」と題されている。先の2冊も同様で、もう一冊は『鎌倉公方と関東管領』という役職名。つまり個人名が本の題になっているのは、この巻だけである。だけど、源頼朝と木曽義仲は「対決」したのか。もちろん本人どうしは全く面識がない。そもそも「木曽義仲」じゃなくて、「源義仲」である。歴史に詳しい人なら周知のように、この二人はいとこ同士だった。義仲の父・源義賢が、源頼朝の父・源義朝の異母弟にあたる。しかし、義賢を滅ぼしたのは、義朝の長男・義平だった。それが1155年に起こった大蔵合戦である。大蔵というのは、現在の埼玉県嵐山町になる。
(木曽義仲像=富山県小矢部市)
 嵐山町には鎌倉時代の武士畠山重忠の本拠地とされる「菅谷館」があり、その近くの木曽義仲生誕地には顕彰碑も立っている。前に行ったことがあり、『菅谷館と嵐山渓谷ー武蔵嵐山散歩』で書いた。木曽義仲というけど、生まれたのは東国・武蔵だったのである。幼くして(2歳)で父を亡くした駒王丸は命を救われ、木曽の豪族・中原兼遠に預けられた。これが後の木曽義仲となる。ただ義仲は庶子で、京都にいた嫡男・仲家源頼政の養子となって、八条院の蔵人を務めていたが、1180年の以仁王(もちひとおう)の乱に養父源三位(げんざんみ)頼政とともに参加し敗死した。

 いま「八条院」という言葉が出て来たが、これが実は反平家運動のキーワードとも言える。鳥羽上皇美福門院(鳥羽がもっとも寵愛したと言われる)の間に生まれた暲子(しょうしorあきこ)内親王のことで、生涯未婚で皇后に就いていないのに「女院」の称号を受けた。両親から全国200数十箇所にもなる莫大な荘園を受け継ぎ、「八条院領」と呼ばれた。八条院は多くの子女を養育し、後白河法皇の子である以仁王もその一人だった。そのため、源頼政など反平家に蜂起した人が周囲に多かった。以仁王の令旨を頼朝に伝えた源行家(義朝の弟、頼朝の叔父)も八条院の蔵人だったのである。

 ちょっと細かなことを書いたが、様々なつながりを探る中で研究は深化してきている。八条院本人が何も反平家だったわけじゃないだろう。金持ちには芸術家など多くの人が寄ってくる。また警備のために多くのガードマンを雇うことになり、その中に反政府分子が紛れ込んでいたわけである。源平の争いから「武士の時代」などと教えるけど、実際は荘園制のトップに君臨する天皇家や摂関家に仕えたのが武士たちだった。その中には源氏や平氏がいるが、どちらも元は天皇家にさかのぼるけれど、皇族の末裔は無数にいる。貴族の最上位にある藤原氏も同様で、「北家」の中でもさらに道長流の「摂関家」でなければ出世は見込めない。
(伝・源頼朝像)
 そんな中で、いかに武士が上り詰めていったかをたどるのがこの本である。それは絶えざる源氏内部の争闘史である。頼朝は後に異母弟の源義経や源範頼と対立していくが、それは何も頼朝だけじゃない。父親の義朝、祖父の為義の時代も同様というか、もっと陰惨である。そもそも為義は子の義朝と対立し、保元の乱では対立陣営に属した。その結果、義朝は父や兄弟を処刑することになった。残酷な処置だが、同時に当時の慣習法では一族内の問題は一族で処理し、その代わり一族の領地は保証されるというものだったともされる。母親が違えば育ちも違い、むしろ同じ領地を誰が継ぐかという問題が起こりやすく、内部争いが絶えない。
(長村祥知氏)
 そういう厳しい中を、なぜ頼朝が生き延びられたか。ひとつは父義朝が保元の乱で勝者となり、高い官位を得たことにより、子どもの頼朝もわずか12歳(数え年)で皇后宮少進に、翌年には右近衛将監などの官位を得ていた。当時は親の地位で、子どもの官位が決まる「蔭位」(おんい)という制度があった。頼朝は母の死に伴い喪に服すため辞任して、そのまま平治の乱で父が敗死して伊豆に流された。しかし、京都に上った段階で「無位無冠」だった木曽義仲に対して、「元の官位」を持っていた頼朝は貴族世界に認知されやすかったのである。そのような意外な理由が案外歴史を決めて行くのかもしれない。

 この本で見ると、義仲は単なる乱暴者ではなかったと思うが、やはり歴史は敗者に厳しい。そして勝ちきるまで京都に上らず、鎌倉に居続けた頼朝が勝利した。そこが大事なところだった。頼朝が「征夷大将軍」の官位を得た理由も興味深い。「制東大将軍」など別の可能性もあった。なかなか細かい話が多く、『平家物語』などとは実際は相当違うのである。
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天地真理を見に、『真理ちゃん映画祭り2』へ

2023年10月15日 22時44分56秒 |  〃  (旧作日本映画)
 雨の中、池袋HUMAXシネマズ シネマ1で開かれた『真理ちゃん映画祭り2』に行ってきた。6千円もするけど、もう8月に予約していたのである。「真理ちゃん」というのは、天地真理(あまち・まり、1951~)のことで、そう言われても判らない人もいるかもしれない。1971年にデビューして、70年代中頃まで絶大な人気を誇った歌手で、出演映画も何本かある。今回は『愛ってなんだろ』(1973)、『虹をわたって』(1972)の映画2本の上映の他、テレビ番組の歌映像上映、タブレット純×佐藤利明のトークショーもあった。しかし、そういうことより、天地真理本人の舞台あいさつがあったのだ。これは逃せない。
 
 実はそこまで大ファンだったわけではない。探してみたら、シングルレコードは72年の大ヒット曲「ひとりじゃないの」しか持ってない。アグネス・チャンやキャンディーズより少ない。そもそもアイドル系歌謡曲はそんなに持ってなくて、サイモン&ガーファンクルやザ・ビートルズ、あるいはモーツァルトやバッハなどのクラシック、ジャズなど雑多なLPレコードを聴いていた。それでも71年秋に「水色の恋」でデビューした天地真理はよく聞いた。媒体はラジオである。テレビは一家に一台で、夜遅くまで見るわけにいかない。高校生が受験勉強するときの友はラジオの深夜放送だった。だから、当時のヒット曲は詳しいのである。
(「ひとりじゃないの」ジャケット)
 まず最初に舞台あいさつ。今日は『愛ってなんだろ』で共演した森田健作とともに天地真理が登壇した。森田健作前千葉県知事は要らないんだけど、さすがに元政治家だけにうまく誉めるのに感心した。本人はさすがに年は取っているが、今も魅力的。ちょっと体調が心配な感じもあるが、今まで何度も苦境を乗り越えてきた人だ。今は娘と孫もいて、ファンクラブは娘さんが手伝っている。今日はどうせ「じいさん」ばかりだろうと思っていたら、まあベースはそうなんだけど、案外女性客が多い。3割か4割はいた。若い人もいないわけではない。広く愛された歌手だったんだなあと思った。

 当時のテレビ番組「真理ちゃんシリーズ」から、歌の映像が流された。「アイドルの名を冠したバラエティのルーツ」とチラシにある。木曜夜19時だとあるが、僕はその番組を見ていない。家では主にNHKニュースを見る時間だったんだと思う。ここで聴ける当時の歌は非常に素晴らしい。デビュー当時のキャッチフレーズが「あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫」だった。「白雪姫」と言われるような白が似合う衣装に、澄み切った歌声が響き渡る。実は国立音大附属高の声楽家卒で、ジョーン・バエズや森山良子に憧れていた。その後、ヤマハ附属ミュージックスクールで学んでプロを目指していた。天地真理は、60年代までの「大スター」性、70年代以後の親しみやすい「アイドル」性、それに60年代末のフォーク系歌手のそれぞれのイメージをまとっていた。

 歌声の素晴らしさとテレビ『時間ですよ』でデビューした親しみやすさが天地真理の持ち味だった。この位置づけに関しては、タブレット純(歌手・芸人)と佐藤利明(娯楽映画研究家)の対談が刺激的だった。一番面白かったのは実はこのトークショー。佐藤さんはとにかく詳しくて、天地真理の最初の映画は本名斎藤真理名義でクレジットされた『めまい』(斉藤耕一監督)だという話に驚いた。書きたいことは多いが、僕が一番驚いたこと。幼い佐藤氏は足立区北東部の花畑団地に住んでいて、最初に買ったLPレコードは竹ノ塚駅前のレコード屋で買った天地真理だった。そこは多分僕が「ひとりじゃないの」を買った店だ。
(タブレット純)(佐藤利明)
 広瀬襄監督の『愛ってなんだろ』は天地真理の歌を全面的に見せるための歌謡映画で、映画的には物足りない。共演が森田健作だが、この人気青春スターを使いながら、二人は恋人にならない。天地真理はおもちゃ会社の社員で、同僚と歌のグループを作っている。いろいろあって、森田が作詞作曲した(設定の)「若葉の季節」をテレビで歌う。そこら辺が初々しい魅力で(ファンには)見応えがある。脇役の小松政夫、田中邦衛、佐藤蛾次郎、尾藤イサオ、谷啓など強力な布陣を楽しめる。来年3月に初DVD化。
(映画『愛ってなんだろ』)
 それに比べれば『虹をわたって』はずっと面白い。喜劇の名手前田陽一監督の作品で、横浜の水上生活者と山手のお嬢様の交流を描いている。前に銀座シネパトスで見ているが、今回の方が面白く見られた。萩原健一沢田研二が天地真理の相手役で出て来るから豪華なものである。萩原健一は実際に天地真理を乗せて車を運転しているし、沢田研二は天地真理とヨットに乗る。他にも有島一郎、なべおさみ、岸部シロー、日色ともゑ、左時枝など共演が見事なのは当時の映画に共通している。天地真理をあえて下層世界に投げ込んで働かせるという趣向が生きている。
(映画『虹をわたって』)
 休憩込みで5時間半ほどの長丁場。値段もそれなりで疲れたけど、やはり行って良かったなあと思って帰ってこられた一日だった。「2」というから、「1」があったはずだが、それは全然知らなかった。二人のトークショーは盛り上がって、他でまたやりましょうと言っていた。それは是非行きたいな。
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映画『BAD LANDS バッド・ランズ』、圧倒的に面白い犯罪映画

2023年10月14日 22時04分54秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画『BAD LANDS バッド・ランズ』は最近の日本映画で一番面白かった。一応興収ベストテンに2週連続でランクインしたが、下位の方だから知らない人もいるだろう。外国映画みたいな題名だが、これは原田眞人監督・脚本・製作の日本映画である。というか直木賞作家黒川博行の『勁草』(2015)を原作にした「コテコテ関西映画」というべきか。殺人シーンも多い犯罪映画で、特に「特殊詐欺」を扱うから、面白く見られない人もいるかもしれない。だが、勢いある演出で全編を疾走する感覚にしびれる。主演の安藤サクラも最高。こういう映画が僕は大好きなのである。

 ストーリー展開を書くわけにいかない映画だが、最初は大阪を根城にした「特殊詐欺」グループに属する橋岡煉梨(ねり=安藤サクラ)の話である。「三塁コーチ」と呼ばれていて、その意味は「受け子」が金を受け取る場面に秘かに付き添い、監視の影を感じたら中止の指令を出す役目。突っ込むか、止まるかの指示を出すという意味だ。「ねり」は元は大阪の貧困地区出身だが、抜け出して東京にいたらしい。しかし、ワケありで戻ってきて犯罪グループの手下として身を隠している。だが、彼女を捜し回る謎の男も出てくる。「ねり」はすでに親がいないが、血のつながらない弟、矢代穣(矢代・ジョー=山田涼介)がいる。
(安藤サクラと山田涼介)
 「特殊詐欺」、つまり「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」などと言われる犯罪は一向に減る兆しがない。「分断」が進む社会の中で、「犯罪に使われる側」になった人々がこの映画にはたくさん登場する。そして、それをいかに束ねて「組織化」するか、その裏にある真の黒幕は誰か。それを捜査する警察側も描きながら、その仕組みを暴き出してゆく。黒川博行といえば、関西弁とともに、代表作「疫病神」シリーズ(直木賞受賞の『破門』など)に見られる「バディ」(相棒)小説の名手だ。原作でも本来「ねり」は男だったというが、原田眞人が原作者に断って「性転換」したという。その結果、「血のつながらない姉と弟」というドラマティックな設定が生まれた。弟のジョーが登場して、映画は全く転調してしまう。
(「特殊詐欺」の面々)
 博奕好きで、考えずに突き進むジョーの登場で、思わぬ殺人、思いがけぬ大金と話はどんどん転がっていって、どうなるかと思う。そこに隠された愛のテーマが浮かび上がり、悲劇の色が濃くなる。そこら辺は書かないけど、面構えの素晴らしい役者を揃えて、その中に天童よしみも出てくるが良くなじんでいる。時々壊れてしまう「曼荼羅」役の宇崎竜童も素晴らしい。裏社会で博奕などを仕切っている林田役のサリngROCK(サリングロック)も見事。関西を中心に活動する劇団「突劇金魚」の作家・演出家・舞台女優だというが、全く知らなかった。そしてもちろん、安藤サクラが素晴らしい。『怪物』『ある男』などシリアス系だと、やはりマジメになるけれど、こういう犯罪映画での存在感は見事としか言いようがない。訳あって片耳が不自由という役である。

 原田眞人(1949~)監督は、若い頃に「キネマ旬報」を熱心に読んでいると、読者の映画評によく登場していた。アメリカで映画修行をして、帰国後に映画監督としてデビューした。近年は『日本のいちばん長い日』『関ヶ原』『検察側の罪人』『燃えよ剣』など大作スター映画を任せられているが、それらは概して中途半端な出来。むしろ得意なのは犯罪映画だろう。井上靖の母を描く『わが母の記』という名作を除くと、『KAMIKAZE TAXI』(1995)や『バウンス ko GALS』(1997)などアイディア勝負の小悪党映画が面白い。この映画はその頃を思わせる疾走感で、僕は大いに満足した。無理に勧められないタイプの映画だが。
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新宿梁山泊『失われた歴史を探して』ー関東大震災百年、虐殺の記憶

2023年10月12日 22時51分31秒 | 演劇
 久しぶりに演劇を見てきた。調べてみると、およそ1年前『レオポルトシュタット』を見て以来である。まあ、この間は事前にチケットを買うことが出来ない日々が続いていた。そろそろ寄席にも行きたいし、お芝居も見たい。だが、映画もそうなんだけど、余り見に行けない間に「どうしても見たいなあ」レベルが上がってしまった。要するに大部分は「まあ見なくてもいいかな」になっちゃうわけである。今回見たのは、新宿梁山泊の『失われた歴史を探して』で、9月に関東大震災時の虐殺問題を書いてたから見ておこうかと思った。今日が初日で、15日(日)まで計7回の公演が予定されている。

 場所は下北沢の「ザ・スズナリ」で、何度も行ってるのに下北沢再開発完成後初めてなので、うっかり迷ってしまった。スマホで検索しても、全然違ったところが出る。もう下北沢に着いてるのに、徒歩38分とか出るのには呆れてしまった。すごく狭い劇場だが、昼(2時)だからか題材なのか高齢層でほぼ満員だった。作者は金義卿(キム・ウィギョン)という韓国を代表する劇作家で、もう亡くなっているという。日本では文化座が『旅立つ家族』という作品を上演してきたというが、この作品が2度目の上演らしい。ただ原作は4時間ほど掛かるのに対し、今回は2時間ほどで、大胆に脚色されている。

 アフタートークによれば、主に趙博が脚色していったという。冒頭がもう現代の話で、女性二人が映画『福田村事件』のことを語り合っている。原戯曲は1986年の作品で、時代も国も違って伝わりにくい部分が多い。そのため、ところどころで現代の人物を出したり、設定を大きく変えたりしている。場所は江東区の大島にある「大島工作所」。工場主は朝鮮人に同情し、多く雇ってきた。それには過去の理由があることが後に判る。一方、息子は朝鮮で軍務について三一独立運動を弾圧した経験があり、朝鮮人嫌いになって帰って来た。今は地元の在郷軍人会の会長をしているが、親子の相違も原作と違うらしい。

 そこで働く金振道(キム・ジンド=趙博)は皆のリーダー格だが、中には博奕好きもいる。彼の娘金順起(キム・スンギ)は、実は工場主の息子、つまり朝鮮人を嫌いなはずの人物と恋仲で、二人は結婚を双方の親に言い出せない。そんな時に関東大震災が起きるのである。趙博はところどころで出て来て、解説も行ったり歌ったりする。「パギヤン」として知られる関西の在日コリアンミュージシャンだけど、大した存在感で舞台を締めている。『福田村事件』にも出ていたし、俳優としても才能を発揮している。
(趙博)
 そして新宿梁山泊主宰の金守珍が震災当時の内務大臣、水野錬太郎を演じて重厚な演技を披露する。この劇では水野内相が震災で大きな犠牲を出した民衆の感情をそらすために、「朝鮮人と社会主義者の陰謀」というデマを流すことを命じている。それが行き過ぎてしまったため、今度は自警団取り締まりを警視総監に指示することになる。だが、戒厳令下で実権を握るのは軍であって、内務大臣が虐殺事件の総責任者という判断はどうなんだろう。水野錬太郎は三・一独立運動当時、朝鮮総督府の政務総監だったのは事実だが、この役職は弾圧の責任者とは言えないのではないか。
(金守珍)
 いい味を出していたのが、刑事役の大久保鷹で、状況劇場以来の伝説的俳優。前日に80歳になったというが、年齢を感じさせない存在感だ。朝鮮人の監視役でありながら震災時には「保護拘束」をして助けようとする。朝鮮人を救った大川署長の実話にインスパイアされて作られた役だという。全体的に見れば、歴史内容的にも、脚色の是非に関しても、初日だから演技面においても、ツッコミどころは多いと思うけど、まだまだ練っていくとアフタートークで語っていた。悲劇を忘れずに直視していく決意を語る劇であり、見るべき価値があった。ウクライナやガザ周辺で起きている事態を思い出して見ざるを得ない。やはりそういう舞台なんだろう。
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