日本人が「平成を振り返る」などとドメスティックな追憶に浸っていては、世界的視野を失うばかりだ。平成元年とは1989年だから、天安門事件や東欧革命(ベルリンの壁崩壊やチェコのビロード革命など)から30年である。小渕官房長官が掲げる「平成」額で始まるテレビ番組は外国情勢を紹介しているんだろうか。世界的に見れば、今年はまず「冷戦終結30年」の年ではないか。
冷戦下の「東ドイツ」の青年たちを描く映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」が公開されている。素晴らしく感動的で、とても心を揺さぶられる。テーマ的な問題だけじゃなく、シャープな映像に冒頭から目が離せない。生徒たちにのしかかる葛藤の重みに、見ている方もドキドキしてしまう。そして、「東ドイツ」(ドイツ民主共和国)という国の虚構性、「社会主義」という名の体制でありながら、事実上はロシアの植民地だった時代を理解させてくれる。
舞台になった町は1956年の「スターリンシュタット」という製鉄都市である。そんな町がドイツにあったのか。ドイツ東端のポーランド国境の都市で、戦後に鉄鋼業の都市が作られた。スターリンの死後に記念として命名され、スターリン批判後の1961年に「アイゼンヒュッテンシュタット」と再改名された。(ウィキペディアによる。)ドイツにそんな名前の町があったとはビックリだ。そして人は時々ベルリン行きの列車に乗って「西ベルリン」へ出かける。壁ができたのは1961年で、それ以前は墓参といった名目で西へ行けたらしい。もちろん列車内で秘密警察の検問があるが。
ある日、高校生のテオとクルトが西ベルリンに「墓参」に行く。しかし真の目的は「映画」である。「西側」ではヌードの女性が映画で見られるのだ。そこにいかに潜り込むか。そして本編の前にニュース映画があった。1956年といえば、ハンガリー事件だ。東では新聞の下の方に小さく「ハンガリーで反革命暴動」と出ていただけだったが、実はソ連に対する民衆蜂起だった。有名なサッカー選手もソ連軍に撃たれて死んだらしい。ショックを受けて戻った二人は、ヌードを見たかとからかうクラスメートに対して、「ハンガリーのために黙祷しよう」と呼びかけた。
体制寄りで反対の生徒もいるが、多数決を取って実行する。歴史の時間の冒頭、2分間黙っていたのである。たったそれだけの出来事が大事になってゆく。校長に呼び出され、真相を聞かれる。校長はもみ消したい感じだが、やがて党の地区委員会の調査も始まる。純粋な正義感から発した行動が、「反革命事件」とみなされ、ついには教育大臣までが訪れる。そして一週間以内に「首謀者」を明らかにしないと退学にすると脅迫される。一方、生徒たちもハンガリー情勢を追いかける。西側のラジオを聴ける叔父さんがいる生徒がいて、皆で集まっ聴きに行く。(その叔父さんは「同性愛」で迫害されてきたらしい。)有力者の親、労働者の親、それぞれの家族にも圧力がかかってくる。
単に「当局の横暴」というだけでなく、生徒の家族それぞれの事情も描き出してゆく。「東ドイツ」では家族も秘密を抱えていた。また生徒一人一人も揺れている。そんなドラマはどのように終局へ向かうのか。実話を元にした映画だそうで、体験者が書いた本が原作になっている。黙祷はほんのちょっとした出来事であって、大した問題じゃないとも言える。でも日本だって、卒業式で国歌斉唱に座っていただけで処分される教師がいる。中国では天安門事件に触れれば、もっと大変な弾圧が待っているだろう。世界中同じだと言いたいのではなく、どんな国、どんな仕事でも似たような不正義が起こるんだと思う。その時に友を裏切るかどうか一人一人に突きつけられる。
監督のラース・クラウメ(1973~)は「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」(2015)という映画を監督している。こっちは戦後の「西ドイツ」の欺瞞を暴いている。様々な妨害にひるまずアイヒマンを追い詰めるドイツの検事長を描いた映画である。戦後も捕まらずに逃亡しているナチス戦犯には、ドイツ国内で助ける人々がいたことが判る。ドイツ国内で高く評価された。(最近ナチス映画が多くて、僕は見たけど今ひとつに感じたが。)西ドイツの欺瞞を描いた次に東ドイツの欺瞞を暴く映画を作った。両方に目配りするのは大事なことだ。高校生を演じた若手俳優たちも熱演している。と同時に党官僚を演じた俳優の存在感があっての感動だと思う。
冷戦下の「東ドイツ」の青年たちを描く映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」が公開されている。素晴らしく感動的で、とても心を揺さぶられる。テーマ的な問題だけじゃなく、シャープな映像に冒頭から目が離せない。生徒たちにのしかかる葛藤の重みに、見ている方もドキドキしてしまう。そして、「東ドイツ」(ドイツ民主共和国)という国の虚構性、「社会主義」という名の体制でありながら、事実上はロシアの植民地だった時代を理解させてくれる。
舞台になった町は1956年の「スターリンシュタット」という製鉄都市である。そんな町がドイツにあったのか。ドイツ東端のポーランド国境の都市で、戦後に鉄鋼業の都市が作られた。スターリンの死後に記念として命名され、スターリン批判後の1961年に「アイゼンヒュッテンシュタット」と再改名された。(ウィキペディアによる。)ドイツにそんな名前の町があったとはビックリだ。そして人は時々ベルリン行きの列車に乗って「西ベルリン」へ出かける。壁ができたのは1961年で、それ以前は墓参といった名目で西へ行けたらしい。もちろん列車内で秘密警察の検問があるが。
ある日、高校生のテオとクルトが西ベルリンに「墓参」に行く。しかし真の目的は「映画」である。「西側」ではヌードの女性が映画で見られるのだ。そこにいかに潜り込むか。そして本編の前にニュース映画があった。1956年といえば、ハンガリー事件だ。東では新聞の下の方に小さく「ハンガリーで反革命暴動」と出ていただけだったが、実はソ連に対する民衆蜂起だった。有名なサッカー選手もソ連軍に撃たれて死んだらしい。ショックを受けて戻った二人は、ヌードを見たかとからかうクラスメートに対して、「ハンガリーのために黙祷しよう」と呼びかけた。
体制寄りで反対の生徒もいるが、多数決を取って実行する。歴史の時間の冒頭、2分間黙っていたのである。たったそれだけの出来事が大事になってゆく。校長に呼び出され、真相を聞かれる。校長はもみ消したい感じだが、やがて党の地区委員会の調査も始まる。純粋な正義感から発した行動が、「反革命事件」とみなされ、ついには教育大臣までが訪れる。そして一週間以内に「首謀者」を明らかにしないと退学にすると脅迫される。一方、生徒たちもハンガリー情勢を追いかける。西側のラジオを聴ける叔父さんがいる生徒がいて、皆で集まっ聴きに行く。(その叔父さんは「同性愛」で迫害されてきたらしい。)有力者の親、労働者の親、それぞれの家族にも圧力がかかってくる。
単に「当局の横暴」というだけでなく、生徒の家族それぞれの事情も描き出してゆく。「東ドイツ」では家族も秘密を抱えていた。また生徒一人一人も揺れている。そんなドラマはどのように終局へ向かうのか。実話を元にした映画だそうで、体験者が書いた本が原作になっている。黙祷はほんのちょっとした出来事であって、大した問題じゃないとも言える。でも日本だって、卒業式で国歌斉唱に座っていただけで処分される教師がいる。中国では天安門事件に触れれば、もっと大変な弾圧が待っているだろう。世界中同じだと言いたいのではなく、どんな国、どんな仕事でも似たような不正義が起こるんだと思う。その時に友を裏切るかどうか一人一人に突きつけられる。
監督のラース・クラウメ(1973~)は「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」(2015)という映画を監督している。こっちは戦後の「西ドイツ」の欺瞞を暴いている。様々な妨害にひるまずアイヒマンを追い詰めるドイツの検事長を描いた映画である。戦後も捕まらずに逃亡しているナチス戦犯には、ドイツ国内で助ける人々がいたことが判る。ドイツ国内で高く評価された。(最近ナチス映画が多くて、僕は見たけど今ひとつに感じたが。)西ドイツの欺瞞を描いた次に東ドイツの欺瞞を暴く映画を作った。両方に目配りするのは大事なことだ。高校生を演じた若手俳優たちも熱演している。と同時に党官僚を演じた俳優の存在感があっての感動だと思う。