尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

安倍外交と北方領土ー「大誤算」の内情

2021年12月20日 22時50分45秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍晋三元首相が辞任して、すでに1年以上が経過した。内政のみならず、外交問題に関しても冷静に振り返ってみる必要があるだろう。安倍時代には特に日ロ平和条約締結を目指す首脳会談が頻繁に開かれた。安倍、プーチンの首脳会談は合計で(第一次政権時代から数えて)27回に及んだ。安倍氏はトランプ米大統領との親密な関係でも知られた。安倍支持者に言わせると、トランプにもプーチンにも何度も会える「偉大な安倍首相」となるらしいが、その認識は正しいのだろうか。この問題を考えるために必読の本がこの秋に出たので、読んでみた。一つは北海道新聞社編消えた『四島返還』 安倍政権日ロ交渉2800日を追う」(北海道新聞社、2021.9)である。もう一つは鈴木美勝北方領土交渉史」(ちくま新書、2021.9)である。
 
 北海道新聞社(道新)の本は地元紙としてこの間の交渉経過を追い続けた記録である。長くて大きい本だが、取材を基にした本だから読みやすい。帯裏には「北方領土交渉はなぜ失敗したのか」とある。道新本は安倍時代だけを対象にしているが、鈴木本は鳩山一郎政権の日ソ国交回復に始まり、中曽根、小沢一郎などの交渉を追い、その後に安倍時代を検証している。帯には「安倍外交の”大誤算”で、領土はもどってこない」とある。両著とも安倍外交を失敗と断じているが、その内実には驚くべきものがあった。政権寄りメディアが折々に「領土交渉に進展」のような報道を繰り返し、国内では当時平和条約締結近しとのムードが高まっていた。

 しかし、特に道新本を読めば、今井尚哉(たかや)氏(首相秘書官、後に首相補佐官)を中心とする経産官僚が外務省や菅官房長官さえ「排除」して、安倍首相の「レガシー」作りのため奔走した様子がヴィヴィッドに描写されている。外交交渉と呼ぶレベルじゃない。その結果、事実上の譲歩を繰り返して、ついには「二島返還」にほぼ絞られ、それでも島をめぐる交渉は全く動かなかった。鈴木氏によれば、安倍外交は「清水の舞台から飛び降りてみたが、複雑骨折してしまった」とまとめられる。
(「北方領土」地図)
 そもそも担当大臣でさえ、北方四島の名前が読めないことがある。ここで簡単におさらいしておくと、千島列島の最南端の二島が択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島の2島である。日本はサンフランシスコ平和条約で「千島列島」の領有権を放棄したが、同条約は当時のソ連が署名しなかった。日本は1855年に結ばれた安政の日露和親条約で、択捉島までが日本領、その北のウルップ島以北はロシア領とした歴史から、南千島の2島は「放棄した千島列島に含まれない」としている。また、色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島は、北海道に付属する小諸島として「平和条約締結後に引き渡す」と1956年の日ソ共同宣言に明記されている。

 ソ連時代は交渉もままならなかったが、ソ連崩壊後の90年代初頭、具体的には1993年10月のエリツィン大統領訪日、細川護熙首相との会談による「東京宣言」の頃が「北方領土が最も近づいた日」(鈴木美勝)だという。しかし、僕はこの頃をあまり覚えていない。国内政治が「政治改革」(選挙制度改革)をめぐって揺れていた上、外交的にはアジア諸国との「歴史認識」問題が問われていた時代だった。その時代にはロシア側も政治・経済面で弱体化していたが、日本も大胆な外交交渉が出来るような安定した政治基盤がなかった。その結果、原則論の応酬で何十年も空費した。

 その意味では、安倍元首相が経済協力を大胆に進めて、相互理解が進むことを優先させるべきと判断したとしても間違いとは言えない。だが、これらの本を読んで、冷静に判断すれば安倍時代に北方領土が解決する可能性はなかったと思われる。2014年のソチ冬季五輪に際して、欧米諸国はロシアの「同性愛宣伝禁止法」が人権上問題だとして、開会式に首脳が出席しなかった。それに対して、安倍首相は国会開会中であるにもかかわらず、また2月7日が「北方領土の日」であるにもかかわらず、同じ2月7日に開会するソチ五輪開会式に出席した。時差があるから可能だったのである。今、日本の保守派は「北京五輪外交ボイコット」を主張しているが、ソチ五輪の安倍政権は違ったのである。
(2018年11月14日のシンガポール会談)
 しかし、ソチ五輪終了後の2014年3月に、ロシアによるクリミア併合が起きた。G7諸国はロシアに対し「力による併合は認めない」として制裁を科した。日本政府は欧米諸国ほど厳格なものではなく、ほとんど形式的なものに近かったが、欧米にならって制裁を発動した。その間の事情はロシアも判っていると安倍政権は考えていたようだが、重要な局面になるとロシアは制裁を問題視した。

 実際問題として、米ロの「新冷戦」がここまで激しくなった現時点で、日本に歯舞、色丹を返還した場合、そこに米軍基地が出来る可能性は否定できないとロシアは考えた。それはないと安倍氏は保証したらしいが、口約束では信じられない、文書にして欲しい、米国側の保証もいると言われたら、どうしたらいいんだろうか。そう言われたかどうか、外交交渉の秘密で明かされていないが、事実上そんなやり取りがあったのではないか。なぜならプーチン大統領は公の場で「沖縄」を取り上げているからだ。沖縄の状況を見れば、日本政府よりも米軍の方針が優先されるのだと言われたら、僕には返す言葉がない。だからといって、日米安保がある限り北方領土は返さないなんて話になったら、いくら何でも内政干渉でバカにし過ぎだろう。

 安倍首相が日本の協力があれば極東ロシアが大発展できるとビデオで熱を込めて説明したときに、プーチン大統領は日本はロシアを下に見ていると内心憤慨したらしい。一方で、プーチン大統領も「日本は事実上米国に従属しているじゃないか」とバカにしていた感じがする。安倍氏はプーチン大統領を「ウラジーミル」とファーストネームで呼んで、「ウラジーミルと私で、平和条約締結まで、駆けて駆けて駆け抜けようではありませんか。」「今やらないでいつやるのでしょう」などとポエムみたいな演説をしていたが、内実は政権のレガシーが欲しい首相側近が先走って、外交としての実りがなかった。その証拠に安倍首相が11回も訪ロしたのに対し、プーチン大統領が訪日したのは国際会議(APEC大阪会議)を含めて2回しかなかった。

 プーチン氏が純粋に来日したのは、2016年12月のあの長門会談だけである。シリア情勢を理由になかなか到着せず、安倍氏がわざわざ故郷に招くとして、長門湯元温泉の高級旅館、大谷山荘を用意した例の会談である。その経過を見れば、日本はバカにされているのではないかと感じた人も多かったのではないかと思う。そうして、コロナ禍によって、2019年9月のウラジオストク会談が結果的に最後となった。11月にもAPECチリ会議で再会談することを予定していたが、チリの政情不安で国際会議そのものが中止になってしまった。あそこまで何度も会談した挙げ句、ロシアは憲法を改正して「領土割譲禁止」を決めてしまった。コロナということもあるが、しばらくは対ロ外交進展を手掛ける政権はないだろう。そして、安倍外交の結果、日本は今さら「四島返還」は持ち出せなくなったと考えられる。それが安倍外交の帰結だった。
(映画「クナシリ」)
 今、「クナシリ」というドキュメンタリー映画が公開されている。フランス在住のロシア人、ウラジーミル・コズロフ監督が特別の許可を得て撮影したもので、2018年のシンガポール会談の映像がテレビに映っているから、その頃の取材である。まだ「戦後」が残っているような厳しい生活を住民が語っている。風景の向こうには日本(知床半島)が見えている。土を掘れば日本時代の遺物が発掘できる。ソ連軍が上陸した過去を再現するイベントも開催されている。ヨーロッパから見れば、まさに「地の果て」の島の人々は、複雑な思いの中ナショナリズムを生きている感じだった。複雑な感慨を覚える映画だったが、貴重な映像だった。
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「アベノミクス」は成功したのか-安倍政権総括⑤

2020年09月22日 22時57分38秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍政権の経済政策はどう評価するべきなんだろうか。「アベノマスク」は「失敗」だが、「アベノミクス」は「成功」だったと思っている人がかなりいるのではないか。「成功」ではないとしても「道半ば」という人もいる。(いろんなことが安倍政権では「道半ば」だった。)あるいは「成功」したかもしれないけど(成功したがゆえに)、かえって「格差」が拡大したという人もいる。

 そもそも「アベノミクス」とは何だったのか。その定義次第で「成功」「失敗」の基準も変わってくる。安倍政権の経済運営すべてを言うのだったら、安倍政権では確かに「景気回復」が続いた。2012年12月に始まった景気回復局面は、最近になって2018年10月に景気後退局面に入っていたことが最近認定された。71ヶ月続いたことになるが、戦後最長の73ヶ月は更新できなかった。米中経済摩擦などがきっかけになった可能性が高いという。この間企業は順調だったが国民生活にはあまり波及しなかったと言われるが、とにかく景気は良かったわけだ。

 それをもって「アベノミクスの成功」と思っている国民も多いと思うけど、それで正しいのか。資本主義なんだから「景気の波」があるのは当然で、リーマンショックと東日本大震災で日本経済が落ち込んだ後だから、誰が首相でも景気は回復したはずだ。この間災害が全国に相次ぎ、「復興需要」のために大幅な財政出動が続いた。さらに「五輪招致」が決定し、建設業界には景気過熱状態も起こった。学校の改装改築などは、授業のない夏休みに集中するけれど、入札しても応札業者がいないなどという話も伝わってきた。

 この間日本のGDP(国内総生産)は増加はしている。しかし案外高くはなかった。もう右肩上がりの時代じゃないのである。リーマンショック以前に一番GDPが大きかったのは、第一次安倍政権退陣の2007年だった。名目531.7兆円(実質504.8兆円)だったが、その水準に回復したのは2015年、追い越したのは2016年だった。その年のGDPは名目535.5兆円(実質519.6兆円)で、以後は名目だけ見るが、545.9、546.9、553.8と来て、2020年ほ大幅に減る予測である。コロナ禍の2020年は抜くとしても、平均では1%程度のGDP成長率だった。
(GDP成長率の推移)
 これは円建てのデータだから、円安を考えるとドル建てでは成長率は低いだろう。米中と比較すると大きく差がついている。米中も経済規模が大きいが、基本的には経済が成長を続けていて、日本の状況と大きく違っているのである。
(米中日の成長率比較)
 これは日本経済が長く続くデフレを未だ脱却出来ていないことによるものだろう。大臣にはいろんな「特命担当」がついているが、「デフレ脱却担当大臣」というのもいる。それは麻生太郎氏で、副総理、財務大臣、内閣府特命(金融)とともに、4つの大臣を兼務している。(財務相や金融相がデフレ脱却を目指すのは当然で、何で別に付いてあるのか疑問だ。ところで菅内閣では「万博担当」なんてのを作ったせいで、今まで独立した大臣がいたこともある「少子化対策」「地方創生」などを誰が担当してるか知ってる人は少ないだろう。)
  
 僕が思うに「アベノミクス」は本来日銀と政府が協定を結び、物価上昇率2%を達成するまで「異次元緩和」を続けるというものだったと思う。日銀による量的緩和策は2019年までに約380兆円にも達している。最初は2年で達成するという目標だった。黒田日銀総裁と同時に就任した岩田規久男日銀副総裁(学習院大学名誉教授)は「2年で物価目標を達成出来なかった場合は辞任する」と明言した。しかし、2年経っても2%は達成できなかった。岩田副総裁は潔く辞任したのかと思うと、確かに日銀だけの責任とは言えないものの理由を付けて辞任せず、結局5年間の副総裁任期を全うして退任した。

 この間の物価上昇率は、2015年を100とした場合、2012年は96.2、2019年は101.8だった7年間で5%程度、年平均1%も達成できなかった。岩田氏らの主張は「リフレ派」と言われる。細かい説明は面倒なので自分で調べて欲しいが、「インフレターゲット」を定めてマネタリーベースを膨張させる政策と言える。ここまで大胆に「リフレ派」経済政策を取り入れた先進国はないだろう。だから僕も注目していた。これだけジャブジャブと金融緩和を続ければ、本当はハイパーインフレになってもおかしくない。確かに株価は上昇したけれど、企業決算や緩和状況を考えれば思ったほどではないと言うべきだろう。

 ここに至って僕は悟ることになった。「アベノミクスは道半ば」なのではなく、もはや日本経済はデフレを脱却することはないのだろうと。民主党政権が続いていても同じだったろうし、他のどんな政策を採用しても無理だろう。少子化、高齢化が続き、総理大臣が「自助」という国だ。公助は期待できないんだから、基本的には節約していかなくてはいけない。人口構成の変化とともに、もう国内で需要が供給を上回ることは(一部のサービス産業を除き)ないんだと思う。

 異次元緩和によって、急速に円安が進み大企業は外国でのもうけを円に替えるだけで膨大な利益を上げた。その史上最高の利益は、賃上げや配当に多少は回ったけれど、やはり「内部留保」されたままだった。しかし、「第3の矢」などといっても、国内に投資しても回収は出来ない。再び為替水準が変わったときに備えて、企業としては内部留保せざるを得ない。そして「コロナ禍」によって、その方針は正しかったと証明された。「異次元緩和によるデフレ脱却」という「アベノミクス」の本質から、「第3の矢」は言葉だけに終わる宿命にあった。今ではそう思っている。
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「報道自由度」の下落ー安倍政権総括④

2020年09月21日 22時41分20秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍政権の総括をあまり長く続けていても仕方ないので、後2回。最後は「アベノミクス」を考えるので、今回はそれ以外、特に報道の問題を中心に考えたい。「教育」を書かないことになるが、教育は何十年も経ってから弊害がはっきりしてくる。安倍政権が「国家主義的教育を推進した」などと簡単に論断する人もいるけど、そんな簡単な問題じゃない。ただし「道徳教科化」や「小学英語の教科化」など一端制度化されてしまったものは、もう教科書も出来ているし元に戻すには大変なエネルギーがいる。政治的には不可能に近いと思う。

 ある意味で「安倍政権を用意したのは民主党政権だった」という観点も重要な視点だと思うが、ここでは指摘しておくだけにする。安倍政権の最大の問題の一つは「不可侵の人事に手を付けた」ことである。内閣法制局長官、最高裁裁判官の後任、検事長の定年延長など、あり得ないような破天荒な人事を強行してきた。しかし、内閣で官僚人事を統括するというアイディアそのものは民主党内閣で作られた。それを安倍政権が「悪用」したわけだが、そんなことをする内閣が現れるとは誰も思わなかった。消費増税の「三党合意」もあったから、安倍政権は民主党内閣の「遺産」をとことん利用したのである。

 安倍政権のおよそ8年間の間に、「世界報道自由度ランキング」(World Press Freedom Index)が大幅に低下した。これは「国境なき記者団」が毎年180の国(地域)の報道自由度を採点して発表しているもので、細かい内容はウェブサイトで公開されている(という話だけど、フランス語サイトだから見てない)。北欧諸国が上位にそろっていて、最下位は北朝鮮、トルクメニスタン、エリトリアの3国が争う感じ。その上に中国やシリア、イラン、ベトナムなどがある。
(報道の自由度ランキング)
 日本は2010年に最上位の11位だったが、2012年に22位に下がった。(2011年は2012年と合わせて発表された。)その後、50位代、60位代、70位代と下がっていき、最新の2020年版では66位となっている。ドイツ11位、フランス34位、イギリス35位、韓国42位、台湾43位、アメリカ45位、香港80位、インド142位、ロシア149位…といった具合になっている。

 この低下を安倍政権だけの責任と見るのは間違いらしい。2010年代に一気に下げたのは、外国特派員が一番取材したい「原発事故」の状況がなかなか取材できなかったことにあるようだ。それは安倍政権にも責任はあるが、もう一つ日本独特の「記者クラブ」制度のため、外国から来たフリーランス記者には取材が難しいという問題もあった。しかし、「特定秘密保護法」の制定でさらに順位を下げ、その後は政権幹部がSNSで記者に反論したり(加藤現官房長官の得意技!)、特定の記者の質問に答えなかったり(菅官房長官の得意技!)が重なり、順位が中位で固定化されたということだ。その菅・加藤官邸コンビではさらに下げるだろう。

 政権中枢が報道機関に陰に陽に圧力を掛けたのも安倍政権の特徴だった。特にNHKは大きく変えられてしまった。安倍首相退陣に当たって多くの人がいろんなコメントをしたけど、僕がなるほどと共感したのが作家平野啓一郎氏のツイートだった。「負の遺産は山ほどあるが、NHKの7時のニュースの信頼を完全に失ってしまったことは、とても寂しい。子供の頃、祖父からNHKの7時のニュースは必ず見て、世の中のことを知らないといけないと諭されて以来、習慣化していたのだが。このあと変わるんだろうか?」と言うのである。(30日付)
(安倍政権とNHK)
 僕も全く同じである。NHKの7時のニュースはつまらなくなって久しいが、それでも「NHKがどう報道しているか」が一つのニュースだと思って見続けていた。夜間定時制勤務の時を除いて、間に合うときは大体見ていたと思う。それは「社会科教師の仕事」であると思っていたからだ。しかし、「どう報道するか」を知るためには、そもそも報道してくれない限り検証できない。NHKニュース、特に7時は報じないことが多くなりすぎた。大震災以降、災害・気象関係のニュースが優先されるようになったうえ、NHKの番宣が多い。そもそも出て来ないんだから、「どう報道しているか」はもう関係なくなった。自分も教師じゃないんだから、もう見る意味がない。

 母親が俳句をやってるから、数年前から木曜だけは「プレバト」を見ることが多かったけど、今じゃ他の日も民放を見ることが多くなってしまった。しかし、それを「NHKはダメになった」というとらえ方はしていない。政権や世論を踏まえて、どんなメディアであれ「絶えざる闘い」の最中にあるというべきだろう。安倍首相はNHKの経営委員百田尚樹氏など政権に近い人物を送り込み、2014年1月に会長に籾井勝人氏を据えた。籾井会長はNHKの国際放送についてだけれど、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と発言した。 

 「クローズアップ現代に菅官房長官が出演し、国谷裕子キャスターの質問に不快感を覚えたことから、7時半にあった「クロ現」がつぶされたと言われる。そういう問題こそ菅首相に質すべきことだと思う。テレビでは「令和」を掲げる菅氏ばかり映し出すが、記者会見で疑惑に向き合わない答弁を繰り返してきた様子を特番で報じれば、こんな馬鹿げた政権支持率が出ないと思う。国民は官房長官なんか、ちゃんと覚えてないのである。しかし、裏で放送局に圧力を掛けるというのは、菅氏が始めたことではない。もともとは安倍晋三氏の「得意技!」だった。

 テレビやスマホでニュースを見ているだけでは、肝心な情報はつかめない。それは原発事故の時に皆痛感したはずなのに、何で安倍政権や菅政権にコロリと参ってしまう人がいるのか、僕には理解出来ない。テレビで批判的報道が難しくなってくると、今度は新聞もおかしくなる。情報を批判的に読みこむ力が弱くなり、安倍政権批判派でも自分の意に沿うニュースだけ切り取って拡散する人が増えてきた。歴史を「史料」によらずに好き勝手に語る人も多い。どうしたらいいのかと悩む前に、僕は良質なミステリーを読むのがいいと思っている。「ミレニアム」シリーズやホロヴィッツの小説なんか。小説には欺されてもいいけど、だましの手口を学べる。
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差別への感性の鈍さー安倍政権総括③

2020年09月20日 22時20分53秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍前首相が病気で退任すると発表したとき、「可哀想」であるとか同情する声がかなり上がった。僕だって第2次安倍政権発足の後、1年も経たずに病気が再発したとでも言うのなら、主義主張は別にして「悲運の宰相」だと思っただろう。しかし、1回目に書いたように当初の総裁任期規定を超えて「長すぎた」政権だった。それと同時に、首相に同情する以前に「政権に無視された人々」の方を先に思い出してしまうのである。

 一体、首相に同情した人は、辺野古基地に反対する人々原発事故で避難を続ける人々、あるいは赤木雅子さん(赤木俊夫さん未亡人)や伊藤詩織さん…などには同情しないのだろうか。つい、そう思ってしまうのである。安倍首相が安倍晋太郎氏の次男に生まれたのは、本人にとって動かせないことだ。同じように多くの人々が自分ではどうしようもなかった出来事で困っている。国家のリーダーはそれに対してメッセージを発するべきだろう。

 ウィンストン・チャーチルの「第二次世界大戦回想録」にヒトラーに会わなかった話が出ている。戦争が始まるまで、もうチャーチルの政治生命は終わったと思われていた。政治から離れたチャーチルは、本を書いたり絵を描いたりして悠々自適の日々を送っていた。彼は「日曜画家」として有名で、ヨーロッパ各地に写生しに出掛けたのである。ドイツにいたとき、ある人が「せっかくだからヒトラーに会ってみないか」と言ってきた。チャーチルは「会うのはいいけど、ユダヤ人迫害はおかしいと言うよ」と話したら、この話は立ち消えになったという。

 ユダヤ人の子どもがユダヤ人の親から生まれたのは、本人の責任ではない。それがイギリスの保守の健全さであって、ナチスドイツは友人になれない存在だったのだ。それに対して、日本の「保守」は「差別に鈍感」であることが多い。「反差別運動」が「革新」政党と結ぶことが多かった事情もあるかもしれない。それにしても20世紀の自民党有力者たちはもう少し「雅量」というか「懐の大きさ」を持っていたと思う。それは「沖縄への向かい合い方」に典型的だ。小渕恵三元首相野中広務元幹事長などが代表的である。

 じゃあ政策内容が今と違ったかというと、そうまでは言えない。大田昌秀元沖縄県知事が基地問題に関して「米軍用地の代行手続き拒否」を表明したとき、村山政権は裁判所に訴えて無効判決を得た。そして橋本政権で「駐留軍用地特措法」を改正して知事の抵抗を不可能にした。それでも今から見ると当時の政治家は安倍政権とは対応が違っていたとよく言われる。安倍首相や菅官房長官は選挙に当選した翁長知事に長いこと会おうとしなかった。面会要請を無視して、沖縄振興予算を減額して締め付けた。
(安倍政権での沖縄関係予算の推移)
 例えば「相模原市障害者施設襲撃事件」でも、安倍政権は何のメッセージも発しなかったことが思い起こさせられる。菅官房長官は現場を訪れて献花したけれど、事件そのものに内閣としてのメッセージがなかった。もちろん事件そのものは単なる刑事事件とも言える。だが襲撃犯は国会などに手紙を送り、障害者差別の犯行であることを明確にしていた。事件対応は捜査当局や裁判の仕事だが、反差別のメッセージは政治の問題だ。

 それを言うなら自民党所属の杉田水脈(みお)衆議院議員が「LGBT支援の度が過ぎる」と雑誌に発表した時も何の反応もなかった。何でも「生産性がない」という理由だったと思うが、どこをどう見れば「度が過ぎる」になるのだろうか。好きで性的なマイノリティに生まれるわけではないのに、政治家が率先して差別して回っている。杉田議員は2012年に「日本維新の会」(旧)から当選したが、2014年は「次世代の党」から出て落選していた。
(杉田論文)
 「陰謀論」的な極端な意見などを産経新聞に書いていた杉田を自民党にスカウトしたのは、安倍首相自身だと言われている。安倍氏が絶賛し、櫻井よしこや萩生田光一とともに誘ったのだという。2017年総選挙では「比例中国ブロック」から出馬したので、安倍首相が誘ったのは事実なんだろう。中国地方は安倍、石破、岸田などがいるので、小選挙区はほとんど自民党が勝つ。その時は広島6区以外はすべて自民だったので、比例単独最上位だった杉田は悠々と当選した。経緯を見れば、安倍首相には杉田発言を「たしなめる」責任があったと思う。

 政権初期には「朝鮮高級学校への無償化排除」を法制化した。誤解している人もいるようだが、「高校無償化」は「私立大学への補助金」とは違う。学校への補助ではなく、高校生を持つ家庭への「学びの支援」だったはずだ。もし朝鮮学校に問題があるとするならば、家庭への直接支援にすればいいだけだ。生まれによって差を設けるから「官製ヘイト」などと言われたりする。これら様々なケースを見てきて、安倍首相には「差別への感性の鈍さ」を感じてしまう。

 恐らく生育歴から来るところもあるのだろう。祖父である岸首相が安保反対運動で退陣したことなどを見聞きして育ち、自分の方が被害者だと思って育ったのかもしれない。小学校ら大学まで同じ系列の私立学校だったから、学校にマイノリティはいなかったのではないか。(性的マイノリティや発達障害の人はいたかもしれないが、時代的に問題意識に上らなかった。)小説や映画などで自ら知ろうとしない限り、恵まれた家庭に生まれた人はなかなか「差別」に気付かない。身近に接してないから、自分は差別した事などないと思い込んで生きている。
(「コロナ差別」への啓発)
 日本社会に「差別」が横行している事実、むしろ自分たちが差別をまき散らしている事実に気付かないから、「新型コロナウイルス対策」に反差別メッセージが出て来ない。単なる感染症であるのに、掛かったら差別扱いされる病のようになってしまった。それどころか、感染者だけでなく医療従事者まで避けられている。どうしてこんな馬鹿げた社会になったのか。安倍政権が長い間、差別に向き合わないまま、むしろ「差別」に加担し続けたことの帰結としか思えない。安倍政権の最大の問題点だったのじゃないだろうか。
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「バカ殿時代」の光と影ー安倍政権総括②

2020年09月19日 22時17分50秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍政権は一言で言えば「バカ殿時代」だったなあと思う。これは基本的には批判的スタンスで使っているんだけど、必ずしも全面的に否定しているわけではない。総理大臣があまり小事にこだわっているのも良くない。親や担任教師は適当に欺されたふりが出来た方がいい。僕も携帯電話代は高いと思うけど、総理大臣が真っ先に取り組むべき課題なのか。思い出せば非自民党政権の「細川護熙」や「鳩山由紀夫」なんかも「バカ殿系」だった。

 細川護熙氏は本当に殿様の末裔だったわけだが、安倍晋三氏は単に「政治家三代目」というだけだ。しかし、「岸総理の(母系の)孫」と言われ、総理目前で病没した父安倍晋太郎の果たされなかった無念を引き継ぎ、若い頃から周りが「次代のホープ」と担いでくれた。自分でのし上がったわけじゃないし、どっちかというとチャンスの方から転がり込んできたタイプだ。

 あまり勉強してない感じはずっとつきまとっていて、政治家に知性を求める評論家からは、政治的立場を別にして何となく軽侮されてきた感じがある。最初から最後まで、「憲法の基本が判ってない」「歴史の教訓が判ってない」などと言われ続けた。中でも言葉の使い方が雑で、自己陶酔的「ポエム」に自分でも酔っている感じだった。その中でも極めつけが「桜を見る会」の地元後援会員参加問題。「募っている」けど「募集してない」という歴史的珍答弁だろう。

 こういう「バカ殿系」は、外から見ると「バカにしながら担ぎ続ける」ように見えるけれど、それだけではあんなに長く高支持率は維持できない。こういう人は外面はいいから、一緒にいて楽しいと思う「飯友」も現れてくる。「桜を見る会」など、自分の権力を惜しげもなく地元支持者に分配したし、そこには多くの芸能人も招かれていた。いろんなことを気にしなければ、楽しい人なのかもしれない。夫婦そろって独自の社交好きで、思わぬ人もなびいていくことになった。
(安倍夫妻)
 こういうタイプを世界に探すなら、僕はアメリカのクリントン夫妻だと思う。政治的スタンスが違うけれど、何の政治的権限もないはずのファーストレディが政治的な役割を果たしていた。夫婦そろって社交好きで、ホワイトハウスでは毎夜のようにパーティが開かれたらしい。招かれた文化人のレベルが違っているけれど、似ているのである。何でもビル・クリントンは支持者にとって非常に身近な感じを与える政治家だったらしい。だからモニカ・ルインスキーとの性的スキャンダルがあったけど、弾劾を免れた。内容は全然違うけれど、安倍首相がいくつもの「疑惑」をきちんと説明しなくても支持派が崩れないのも、身近な人には魅力があるのだろう。
(クリントン夫妻)
 安倍政権において、「権力の分配」のような「温かさ」は「地元支持者」や「飯友」にだけ与えられたわけではない。もし全く国民全体に無関係なお祭り騒ぎだけだったら、さすがに支持率はもっと下がっただろう。もともと日本の保守は「パターナリズム」(家父長的温情主義)である。「上から目線」だとしても、「弱者への眼差し」は持っている。岸首相にしてからが、単なる「防衛タカ派」ではない。「国民年金」も「国民健康保険」も岸政権で法律が成立している。「警職法改正」(反対運動で撤回)や「日米安保条約改定」ばかりやってたわけではないのである。

 安倍政権においても、財界に賃上げを要請したり、最低賃金を引き上げたりした。「働き方改革」を進めたり、いろいろな問題があるんだけれども「高等教育無償化」や「幼保無償化」も手掛けた。「悪夢のような民主党政権」で実現した「高校無償化」も、政権復帰後に止めなかった。「所得制限」を付けたり「朝鮮学校排除の法制化」など問題があるわけだが、制度自体は存在し続けた。このような政策を「権利」としてではなく、「パターナリズム」として推進したことが高支持率が続いた背景にあるだろう。
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長すぎた安倍政権ー安倍政権総括①

2020年09月18日 22時16分19秒 |  〃  (安倍政権論)
 9月16日に第4次安倍内閣が総辞職して、直ちに菅義偉内閣が成立した。菅内閣の今後を考えることも大切だけど、本当はまずは「安倍政権の総括」をしっかりと行わないといけない。そう思いつつ時間が経ってしまったのは、書き始めると何回も必要だし、少しじっくり考える時間がいると思ったからだ。そろそろ書かないと自分も関心が薄れてしまうので、今日から何回か。

 安倍首相は通算で3188日間首相に在任し、第2位の桂太郎の2866日間を圧倒している。桂太郎は明治後期に西園寺公望と交互に首相を担当し、「桂園時代」と呼ばれる。だから桂の「連続在任日数」では短くて、今までの連続首相在任記録は佐藤栄作2798日だった。安倍首相は2012年12月の第2次安倍内閣発足以来、第3次、第4次と務め、結局2822日間連続して在任した。8月24日には佐藤内閣の記録を抜いて史上1位となった。第1次内閣が短期で終わったため、復活後にこれほど続くと予想した人はいなかっただろう。
(左から安倍、桂、佐藤、伊藤博文)
 僕はこの日数は「長すぎた」と思う。「長くてもいいじゃないか」という考え方もあるだろう。首相の任期は憲法や法律で決められてはいない。世界を見回しても、大統領制の国では大統領の任期は決められているが、議院内閣制の国では首相の任期は決まってない。大統領だとアメリカは1期4年で2回まで、韓国は1期5年で再任なし、ロシアは2008年までは1期4年で2回までだったが、現在は1期6年、2回まで。しかし戦後ドイツでは西ドイツ時代を通して、たった8人しか首相がいない。現在のメルケル首相も2005年11月から連続在任中である。

 議院内閣制では国会が首相を指名する。国会議員の任期は憲法で決まっているわけで、数年ごとに必ず選挙が行われる。選挙で勝った党の党首が首相になるのだから、首相の人気が下がれば政党の方で首相交代の動きが出てくる。「政党」は私的な集まりだから、代表の任期をどう決めるかは法律で決めるべきものじゃない。そういうことなんだろうけど、しかし安倍首相復帰時にはは自民党総裁1期3年、2回までだった。それを2017年に「連続3回まで」と変更して「現任者から適用」とした。自分でルールを変えて自分から適用したわけである。
(2018年総裁選で石破氏に勝利)
 僕はそのことに引っかかりを感じているのである。当初の規定通りだったら、安倍政権は2018年9月までだった。そうなると「東京五輪」や「天皇交代」を前に退任することになる。それがやはり本人には残念だったのだろう。選挙でも勝っていたから、二階幹事長を中心に「安倍の次も安倍」などという方針が出てきた。そして「安倍3選」が可能になった。

 国民が支持するならそれでいいわけだけど、僕が引っ掛かるのはこれでは中国やロシアと同じではないかと思うからだ。中国主席は「1期5年、2回まで」と規定されていたが、2018年の憲法改正で無制限となった。恐らく現任の習近平主席から適用されるのだろうが、自民党政権はそれを批判できない。「日本はルールを守る国」というイメージを自ら壊してしまった。中国や韓国を「ルールを守らない」と安倍政権は批判するが、その「道徳的根拠」を自ら手放してしまった。

 さらに安倍首相が連続在任記録を続けている間、同じように「副首相連続在任記録」も「官房長官連続在任記録」も最長を更新し続けた。安倍首相を「愛国者」として賞賛する保守系の人が結構いるけれど、「愛国」の定義次第ではあるけれど、個人的事情を国家より優先する人は「愛国者」ではないだろう。僕にはどうしても解せないないんだけど、麻生太郎氏はなぜずっと副首相兼財務相兼金融相を担当し続けたのか。あれほど「失言」「暴言」を続けたあげく、公文書改ざん問題に事務次官セクハラ問題が重なった時はさすがに辞任すると僕は思った。

 しかし安倍首相は麻生氏の存在が必要なんだとかで、ずっと副首相を続けることになった。しかし、それなら「自民党副総裁」など党の要職で処遇すればいいのであって、「国家リーダー」としては「泣いて馬謖を斬る」ことが出来ないと困る。安倍政権のもとで「人治」になってしまった。これでは「日本の中国化」とみなされてもやむを得ないのではないか。そんな安倍政権を「反中国」らしき人々が「愛国者」ともてはやすのが僕には理解出来ない。
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安倍首相、再びの辞任劇

2020年08月28日 22時28分26秒 |  〃  (安倍政権論)
 2020年8月28日(金)に安倍首相が記者会見を行い辞任の意向を表明した。健康上の理由ということだが、辞任を決意したのは8月24日だという。その日慶応大学病院で診察を受けているが、ちょうどその日に「首相連続在任記録」が2799日となり、佐藤栄作を抜いて歴代1位となった。6月に通常国会が閉会して以来、国会や記者会見などは一切行わなかった。この間、新型コロナウイルス対応で厳しい時期もあったが、憲法に基づく野党の臨時国会開会要求も拒み続けてきた。何のために? 連続在任記録で1位になることだけが目的だったのだろう。
(山口県庁に掲げられた在任記録1位を祝う幕)
 数日前に金曜に安倍首相が記者会見を開くという情報が流れた。コロナ対応だとか言いながら、それならもっと何度も開いているはずだから、辞職するのかなと思った。前日(27日)に麻生派が緊急会合を開いたというニュースがあって、これはやはり辞任だなと思った。4時頃にスマホでニュースを見たら、辞任情報が流れていた。家で見た夕刊には載ってないから、夕刊の締め切り時間が過ぎた2時頃にNHKが報じたという。最後に岩田明子に報いたということなんだろう。最後まで安倍首相らしい幕の引き方だ。

 僕はもともと「五輪レガシー論」で安倍首相が2020年秋に辞任する可能性はかなりあると思っていた。ただ次期政権への影響力を高めるために、総選挙を先に行って年末年始の政権交代かとも思った。病気の再発が辞任を早めたのだろうが、次期内閣が発足するまで(自民党の次期総裁が決定するまで)は首相臨時代理を置かずに、投薬治療を行いながら首相を続けるということだから、もっと長くやれないこともないはずだし、逆にもっと早く辞めてもおかしくない。今回の辞任表明に至ったのは、病気を理由にして「政策の行き詰まり」を隠したいのだろう。
(2006年の首相就任時=13年前)
 コロナウイルス問題以後は支持率の低下が激しく、政権運営は行き詰まっていた。外交日程も全て停まってしまい、外交で点数を稼ぐこともできない。しかしトランプ大統領に媚びを売りながら何もいいことは無く、ロシアのプーチン大統領と何度も会談しながらロシアの憲法改正で領土問題解決の目はなくなった。(領土問題交渉は難しいものではあるが、それにしても自分が出来なかった憲法改正をロシアにやられてしまった外交的失態をどう思っているのだろうか。)中国の習近平主席の来日もならず、日韓関係は史上最悪、「北朝鮮」のキム・ジョンウン委員長からも会談の意向を無視された。外交の停滞は安倍首相の責任だ。
(8月28日の会見=13年前はずいぶん若かった)
 「アベノミクス」が功績だという人が多いだろうが、リーマンショック東日本大震災からの自然的回復局面に、あれだけの金融緩和をすれば円安、株高になるのは当然だろう。その後の「第三の矢」など新しい政策がほとんど意味を持たず、日銀の物価目標も結局実現しないままだった。一番問題だと思うのは、景気回復局面にあった時に政治的思惑で消費税増税を先送りしたのに、景気回復終了後(判明したのは最近だが)に消費税を増税したことだ。

 もっともそのような外交や経済は首相一人がいくら頑張ったって、うまく行かないこともあるだろう。だけど、政権はいずれ終わりが来る。次期政権へ向けて、後継者を育てることは首相の最重要の仕事とも言える。佐藤中曽根小泉政権はいずれも後継者を競わせることで次代のリーダーを育てた。別に自民党員じゃないんだから、次の総裁がどうなろうと知ったことじゃないわけだが、公の立場からすればこれじゃいけないだろう。本来なら麻生副首相が臨時に後継を務めるべきだ。そのための副首相じゃないか。しかし失言と高齢(1940年生まれだから、トランプ、バイデンより上)もあり、今まで財務大臣を続投していた方が不思議である。

 今後、「悲運の名宰相」と持ち上げる人が出てくる。「長くやったこと自体が偉大な業績」と早くも言い出す人がいる。「お友だち内閣」だから、仲間うちには評判がいい。つまり褒めてる人は「身内」なのである。しかし、結局は「公私混同の身内政権」的になっていた。「魚は頭から腐る」のであって、「森友・加計・桜」の首相、いくつもの失言と財務省のスキャンダルの副首相をトップに戴く組織は、下に河井夫妻秋元司のような人物を無数に生み出す。
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ついに「歴史と向き合う」が消えるー安倍首相の戦没者追悼式辞

2020年08月17日 22時31分05秒 |  〃  (安倍政権論)
 8月15日に行われた政府主催の「全国戦没者追悼式」で、安倍首相の式辞から「歴史と向き合う」という言葉が消えた。東京新聞によると、2019年は「歴史の教訓を深く胸に刻み」という言葉があった。それまでも毎年、「歴史に対して謙虚に向き合い」(2013)、「歴史を直視し、常に謙抑を忘れません」(2015)、「歴史と謙虚に向き合いながら」(2017)といった言葉があった。
(安倍首相式辞の変遷=東京新聞)
 そもそも第一次政権時には「アジア諸国の人々」への「深い反省」が入っていた。そういう言葉は2013年の第二次安倍政権以後、消えてしまった。これも東京新聞のまとめ(上記画像参照)をみると、「加害と反省」「歴史の教訓」がなくなって、「不戦の誓い」だけになった。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」という言葉はまだ入っている。思えば「歴史の教訓」というなら「敵基地攻撃能力」など持てるはずがない。戦争の惨禍を繰り返さないだけなら、今度は強い方に付いて「勝てる戦争」をすればよいことになる。そういうことなのだろうか。
(式辞を読む安倍首相)
 そもそも僕は「儀式」というものが嫌いだ。国旗国歌などの問題ではない。成人式も出る気はなかったし、どんな式も出ないで済むならその方がいい。(結婚式も嫌だった。卒業式や入学式も嫌だった。)全国戦没者追悼式というものがあって、テレビ中継しているのは知っているが、ちゃんと見たことはない。首相式辞も読んだことがない。紋切型で読むに耐えない。そもそも「全国戦没者追悼式」というものの形式と内容も批判しないといけなだろう。しかし、今はそういうことはちょっと置いて、最近の歴代首相式辞をいくつか見てみたいと思う。

 図書館へ行って新聞のバックナンバーを調べるまでの気持ちはない。インターネットで首相官邸ホームページから見られる程度を調べようという程度。村山内閣以後の資料が掲載されているが、ここでは21世紀に入った小泉純一郎首相以後の式辞を見てみたい。それでも毎年見るのは大変なので、最後の2006年の時を見てみる。8月15日に、小泉首相が靖国神社に参拝した日でもある。以後、全部じゃなくて部分的な引用である。

 「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。 」「私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく次の世代に継承する責任があります。 」「本日、ここに、我が国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し、平和国家日本の建設を進め、国際社会の一員として、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓います。平和を大切にする国家として、世界から信頼されるよう、全力を尽くしてまいります。 」 小泉首相でも、このぐらいのことは当時言っていたのである。

 次に第一次安倍政権は後に回して、民主党政権時代を見てみたい。鳩山首相は2009年9月に就任して翌年6月に辞任したので、実は戦没者式典には出ていない。菅直人(2010,2011)と野田佳彦(2012)の3回となるが、2011年と2012年は東日本大震災からの復興に触れた特別な式辞になっている。そこで2010年の菅直人首相の式辞を見てみたいと思う。
(式辞を読む菅首相)
 「先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。」「戦後、私達国民一人一人が努力し、また、各国・各地域との友好関係に支えられ、幾多の困難を乗り越えながら、平和国家としての途を進んできました。これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければなりません。」「世界では、今なお武力による紛争が後を絶ちません。本日この式典に当たり、不戦の誓いを新たにし、戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。」

 菅首相式辞は、基本的に小泉純一郎首相とほぼ同じである。むしろ引用箇所以前に、小泉時代よりも詳しく「戦争犠牲者」や「遺族」への慰藉の言葉が次のように述べられている。「最愛の肉親を失われ、決して癒されることのない悲しみを抱えながら、苦難を乗り越えてこられた御遺族の皆様のご労苦に、深く敬意を表します。」これは恐らく民主党政権、つまり日本遺族会の支持しない政権が誕生したことで、遺族への呼びかけが重視されたのではないか。

 しかし、基本的な戦争認識では、自民、民主を超えた「一定の枠組」がこの時点では成り立っていた。第一次安倍政権(2007年)でも、ほぼ同様の言葉が使われていたのである。7月の参院選に敗北した安倍首相には、ホンネを押し通す余力はなかったのだろう。「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」のように「アジア諸国」への配慮も入っていた。ニュアンス的に「靖国思想」(戦死者の犠牲があって、今日の繁栄がある)が他の首相より強い感じはするが、大きな枠組は同様だった。

 それが大きく変わったのが、第二次安倍政権以後である。まず「アジア諸国」への配慮、事実上の加害反省が消えた。全体的に「ポエム化」が著しく、「美しい言葉」を散りばめながら「何か言ってる感」を出すという「コロナ会見」まで続く安倍語法である。「祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。」「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。」

 それでも「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。」というまとめになっていた。少しずつ変わっていって、今年でついに「歴史に謙虚に向き合う」条項も消えたということになる。

 引用ばかりで読みにくいと思うけど、最後に今年の式辞の焦点部分。「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。」「積極的平和主義」とは「集団的自衛権一部解禁」に際して安倍首相が掲げた言葉だ。世界の戦争に「自衛隊」が「貢献」するという時の婉曲語法だろう。

 第2次から第4次の安倍政権に道筋の中で、美辞麗句を散りばめた「ポエム」的な施政方針演説が続いた。それに慣れてしまって、少しずつ「内実」が消失していったことに気付きにくい。歴史に向き合わないんだったら、そもそも「戦没者追悼式典」をやる意味はどこにあるのか? 「次の戦死者」を賛美するための準備だろうか。「次の戦死者」を出さないということが、国民誰しもの「自明の前提」だったはずである。これが安倍政権の7年半だった。

 なお、戦没者追悼式における首相式辞は、誰のものであっても本質的な問題がある。それは「追悼式」を行う前提なのかもしれないが、「犠牲者」があって「繁栄」があるという歴史観である。それは「靖国思想」と言われる考え方である。しかし、その発想自体に「いじめ」「体罰」「過労死」「サービス残業」などにつながるものがある。「8月15日」(日本国民に降伏が知らされた日)に式典を行うことから、考え直す必要があるだろう。
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「安倍4選」と「ポスト安倍」ー2020年の政局

2020年01月02日 23時16分25秒 |  〃  (安倍政権論)
 ちょっと前なら、大晦日に一年のまとめ、元旦には年頭所感かなんか書いてたような気がするけど、どうも最近は気が乗らなくなってしまった。クリスマスも正月もなく、新年早々政局の話。2020年は「ポスト安倍」がはっきりして来る年になるだろう。2017年10月22日に衆議院選挙が行われた。2021年10月に任期満了を迎える。衆参両院で圧倒的な第一党である自由民主党だが、その総裁任期は2021年9月までである。自民党総裁は任期3年、連続3期までなので、安倍総裁は今回で終わりである。

 ということで、史上最長の安倍政権も、長くても2021年秋までのはずだが、「安倍4選」「ポスト安倍は安倍」という声が絶えない。それをどう考えるべきだろうか。「大統領制」の国だと、憲法で大統領の任期を制限していることが多い。アメリカは任期4年、2期まで。韓国は任期5年、1期まで、といった具合に。一方、「議院内閣制」の国では、憲法上は首相任期に制限がないのが普通だ。選挙で選ばれた多数党の党首を国会が首相に指名することが普通。政党は国民が自由に作る結社だから、党首の任期を縛る権限が政府にはない

 だからドイツなど、西ドイツ時代から数えて、アデナウアー、エアハルト、キージンガー、ブラント、シュミット、コール、シュレーダー、メルケルと戦後に8人しかいない。1990年のドイツ統一以後では、たった3人である。日本でも憲法上の制限はないので、自民党が党則を変えれば安倍首相が続投することは可能だ。かつては自民党総裁が「任期2年、2期まで」だった時代がある。その時期の中曽根首相、小泉首相は、それぞれ1986年衆参同一選、2005年の「郵政解散」で大勝したため、特別に「総裁任期の一年延長」が行われた。だから両内閣は約5年続いたわけである。

 そのリクツでで言えば、同じように「安倍首相のもとで解散して大勝利」したならば、選挙で勝った首相を党則通りに辞めさせていいのかという声が出るだろう。しかし、安倍政権は2012年に政権復帰して以来、すでに7年も続いてきた。また選挙するなら、安倍首相は「まだやるのか」「いつまでやるのか」と「安倍4選是非」が選挙の最大争点になってしまう。それをはっきりさせないと「安倍政権の下で憲法改正を実現する」なんて言っても説得力がない。しかし「自分の手で改憲するまで辞めない」なんて言ったら、さすがに「権力の私物化」の世論が湧き上がるだろう。

 いま「安倍4選」とか言っているのは、二階幹事長麻生副首相である。これは「私利」に基づくものと考えられる。1939年生まれの二階幹事長、1940年生まれの麻生副首相は、誰が「ポスト安倍」だろうと、もうお役御免だろう。安倍後継内閣でも麻生財務相兼副首相なんてありえないし、そんなことがあったら支持率激減だ。だからもう、麻生は「永久副総理」でいいということなんだろう。二階幹事長も同様で、ここが権力の絶頂なんだから、「安倍4選」こそ望ましい。

 安倍首相の出身である「細田派」に「麻生派」「二階派」を加えれば、自民党議員の過半になる。だからその気になれば、この3派で安倍、麻生、二階で党則改正、安倍続投を決められる。しかし本当にそこまでするだろうか。本人の意向次第だとは思うが、例えば東京五輪を「花道」にして辞任するとすれば、安倍首相は後継選出に大きな影響力を及ぼせるだろう。中曽根、小泉は「まだ出来るかも」で余力を残して辞めたことで、その後も長く影響力を残せた。佐藤栄作など長くやり過ぎて、国民から飽きられてしまった。常識的に考えれば、無理せずに退くことで「後継内閣に改憲の影響力を残す」方を選ぶと思うが、周りから持ち上げられると「桜を見る会」みたいになってしまうかもしれない。

 2019年末に安倍首相がテレビ番組で「ポスト安倍」候補として4人の名を挙げたという。岸田文夫政調会長茂木敏充外相菅義偉官房長官加藤勝信厚労相の4人である。この顔ぶれは「石破茂元幹事長」を外していることに意味がある。安倍政権の7年間というのは、2012年総裁選で第一回投票で1位だった石破茂を、当初の幹事長から、地方創生担当相、そして閣外へと少しずつ遠ざけてきた歴史とも言える。過去に総裁選に立候補した人では、石原伸晃は失言等でもう望みはない。小池百合子は党を離れて都知事。かつて野党転落時に総裁選に立候補したことがある河野太郎は外相、防衛相を務めているが、安倍首相は名を挙げなかった。
(岸田政調会長)
 岸田は政調会長を務めながら、今ひとつ存在感がなく世論調査でも上位にならない。政策的に安倍首相と肌合いが違う「宏池会」(こうちかい=池田勇人、宮沢喜一系の派閥)を引き継いでいる。しかし自民党では政策より人間関係である。岸田氏と安倍氏は同じ「93年初当選組」で、岸田氏の初入閣は第一次安倍政権だった。第二次以後は長く外相を務め安倍政権を支えてきた。かつての加藤紘一が小渕首相に対抗して総裁選に出馬、2000年の森内閣に対する「加藤の乱」で党内基盤を失ったのを「教訓」にしているのか、ずっと「恭順」を続けてきた。
(茂木外相)(加藤厚労相)
 茂木敏充(もてぎ・としみつ)外相も、同じく93年初当選なんだけど、実は日本新党からだった。しかし、新進党に参加せず、95年に自民党に入党したので案外影響してないと思う。近年閣僚をずっと務めていて、大臣じゃない時期も政調会長などで重用されてきた。日米貿易交渉をまとめ急速に知名度を上げてきたけど、まだ総裁候補とまでは認知されてないだろう。それは加藤勝信厚労相も同様で、政策通だが首相には遠い。加藤六月元農水相の女婿で、2003年初当選。茂木、加藤両氏とも「竹下派」である。これは昔の「竹下登派」の流れだが、小渕派、橋本派、津島派、額賀派と名を変えてきた。額賀元財務相の権威が低下して会長を竹下亘(わたる、竹下元首相の弟)に譲った。茂木は会長代行だが、茂木も加藤も自分の派閥を持ってないことは弱い。
(石破元幹事長)
 石破茂は知名度が高く、世論調査でも支持がある。父は鳥取県知事、自治相を務めた石破二郎だが、1981年に亡くなった。1957年生まれの石破茂は86年に20代で初当選している。しかし宮沢内閣不信任案に同調し、選挙は無所属で戦った。その後離党し、新進党に参加するも再び離党、96年選挙も無所属だった。97年に自民党に復党したが、このように安倍、岸田らが初当選した後しばらくは立場を異にした。どうもこの時代のことが今も自民党幹部の頭には残っている感じだ。自前の派閥は持っているが、メンバーが19人だから、総裁選立候補に必要な20人に達しない。地方票頼りで、かつての小泉旋風の再現になるか。非常に難しいのではないか。
(菅官房長官)
 さて、安倍氏が3番目に挙げた菅氏だが、一時は「令和おじさん」などと呼ばれ、ポスト安倍最有力とまで思われた時期もある。しかし、その時期はもう終わったと見るべきだ。側近の菅原一秀、河井克之両大臣が辞職した段階で終わった。はっきり言って、菅後継を認めない勢力が党内には多いんだろう。しどろもどろの会見を見ても、もうこの人の応援を求める候補も減ることだろう。IR汚職もマイナス。党内の「石破にはしたくない」を優先して、安倍首相の辞任表明、岸田「禅譲」もありうると思うが、いつ衆院選をやるか。そのためには二階幹事長の意向、公明党の意向も大きく関係してくる。僕にはこれ以上判らないけど、大筋としては「ポスト安倍」に向けて動いていく年になるんじゃないかと思う。今回は野党の問題を書いてないけど、まあいずれということで。
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業績なき史上最長の安倍政権

2019年12月30日 22時34分11秒 |  〃  (安倍政権論)
 2019年11月20日、安倍内閣が史上最長を記録した。2886日である。何と何と、1年で退任した1期目を覚えている人は、まさかこんな日が来るとは想像も出来なかっただろう。それにしても安倍首相の業績は何だろうか。よく思いつかないんだけど…。5年間だった中曽根康弘小泉純一郎両首相は、良きにつけ悪しきにつけ、もっと強烈な印象を残している。それに比べて、長い内閣になると「業績」を思い出せない。以下の4人が任期が史上1位から4位の首相だが、名前を言えるだろうか。

 左から、安倍晋三桂太郎佐藤栄作伊藤博文である。この4人には共通点がある。それは山口県出身ということだ。桂太郎は陸軍出身で、日露戦争時の首相である。戦争前後は変えられないので長くなったが、顔を見ても名前を判らない人の方が多いだろう。佐藤栄作は「日韓国交正常化」「沖縄返還」が実現した時の首相だが、今に残る問題を残したとも言える。伊藤博文は名前は一番知られているだろうが、首相じゃない時の出来事の方が重要だろう。首相任期歴代順位は以下の通り。

 安倍内閣復活より、すでに7年。その間何をしたのか、よく判らない。取りあえず「景気はそこそこ回復した」かもしれないが、これは首相の業績か。リーマンショック(2008)と東日本大震災(2011)による大規模な景気縮小の後に、東京五輪誘致とトランプ政権発足があった。アメリカでは株価が史上最高値を更新しているんだから、日本の株もあがる。だが米中貿易摩擦が報じられると一気に下がる。その繰り返しみたいな株価変動で、安倍政権の政策によって経済が活性化したと思えない。
(史上最長任期を迎えた安倍首相)
 それより日銀による「異次元の金融緩和」によって、2年間でデフレを克服し2%の物価上昇率を実現するとかいう話はどうなった? もう僕はそんな物価上昇も困るんだが、それはそれとして全然実現せずに先送りじゃないか。日銀も誰も責任を取ってない。実現しなければ辞めるとか言ってた人がいたはずだが。「天皇代替わり」「五輪」があってムード的に忘れられてるけど、つまりは「アベノミクス」は当て外れだったということか。

 消費税は安倍政権下で5%から10%に上昇した。しかし、それは是非はともかく、野田前政権下の「三党合意」によるものだ。沖縄では度重なる民意表明を押しのけて強引に進めてきた辺野古埋め立ては軟弱地盤とかで10年延びるとか。元々は「普天間基地の返還」問題なので、非常に危険な米軍基地をそのままにしておくのか。鳴り物入りで整備するとかいう「IR(統合型リゾート)」、つまりはカジノだが、実現どころか早速怪しいカネに手を出す与党議員が現れたとは恐れ入った。

 外交に目を向ければ、拉致問題を解決するというのはどうなってるのか。ロシアのプーチン大統領とは何度も何度も会っていて、「平和条約の締結」、つまりは北方領土問題の解決を目指しているということだった。外交は相手があることだから、一概に政権の責任とも言えない場合もあろうが、トランプ政権に従う姿勢ばかり思い出されて、近隣諸国との関係は悪化した印象だ。トランプとゴルフをするのを「業績」と呼べるなら、それこそが安倍政権の最大の業績かもしれない。

 この間、「特定秘密保護法」「安保法制」「共謀罪」を強行し、保守の首相取り巻きからすると「業績」なのかもしれない。だが、これらは「法の整備」なので、そのこと自体で社会がすぐに変化するわけではない。「いざというとき」のために「政権の武器」を整備するもので、それは「業績」とは呼べないだろう(政権支持の立場からしても)。安倍首相は「地方創生」「一億総活躍」「女性活躍社会」「希望出生率」だの判ったような言葉を散々並べてきたが、どれも実現しないどころか悪化したとしか言えない。

 こうなってくると、「業績が上がる」=「政権の終わり」とでも思って、第4次政権は「天皇代替わり」と「東京五輪・パラリンピック」をそこそこ無事に終えればいいと思って、特に業績を上げる気もないんじゃないかとさえ思える。そうとでも考えないと、全然後継者を育てる意思がないのが理解出来なくなる。いろんな課題が「先送り」されている。官僚の世界は、ほとんど「忖度」になってる感じで、「虎の威を借る」とでも言うように、官房副長官や首相補佐官ばかりが力を振るっている。

 最大の失政は、麻生財務相を切れないことだ。国際的に問題となる「失言」を繰り返してきたが、特に2018年には「森友文書改ざん問題」が起きた。同時に財務次官によるセクハラ問題が発覚し、麻生大臣は「セクハラ罪という犯罪はない」とか問題発言を繰り返した。いくら何でも責任を取るかと思ったら、今も居座っている。いくら批判されても、部下が大問題を起こしても、一切関係なくポストに居座る姿を見せられてきた。その「無責任」が社会を害する度合いは非常に大きい。安倍氏は権力維持のため「泣いて馬謖を斬れない」のである。権力構造内部の人間だけしか頭にない。

 自分から辞表を出した下っ端大臣は辞めるけれど、政権維持に必要な麻生、菅、二階は代わらない。いくら問題が起きても、失言しても、ずっと続ける。これでは、ただ単に「長期政権維持そのものが自己目的化」していると言われてもやむを得ないと思う。日本全体も「改元」「五輪」で2年間浮かれて貴重な時間をロスしそうだ。安倍政権は「岩盤の支持率」を誇ってきた。今の権力構造をそのままにすることに利益を見出す人がいるということだ。しかし、そうそろそろ、自民党支持者も、野党支持者も、政治に無関心な人も、「安倍政権の終わらせ方」を真剣に考えないと大変なことになるだろう。
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「議論しない」安倍政権

2019年07月19日 22時25分01秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍首相の選挙演説で「安倍やめろ」などとヤジを飛ばした男性が警察に排除されたと問題になっている。「ヤジを飛ばす」ことそのものが、公衆の安全に大きな問題を与えるとは思えない。首相といえど、選挙演説は公務ではなく、私的結社の長としての私的な行動である。ヤジに対して自民党関係者が対応するならともかく、公務員である警察が対応するのがおかしいんじゃないかということになる。
(北海道でヤジを排除する警察=HBCテレビ)
 安倍首相は国会で野党議員に対して、自分もたびたびヤジを飛ばしている。それなのに、というか、それだからこそというべきか、自分がヤジられるのは嫌いらしい。そして、それに対応してかどうか、警察も「忖度」しているのか。映画「新聞記者」の時に書いたように、かつての内閣情報調査室トップが官房副長官と内閣人事局長を兼務するという、異例な事態が起こっている。官邸が官僚人事を統括しているから、だんだん自民党=国家という考えが官僚世界に染みついているのか。長くなると皆が慣れてしまい、世の中そういうもんだろと思うようになってしまう。

 ところで、その安倍首相が野党に対して「この選挙では、未来に向かってしっかりと憲法の議論をしていく候補か、全く議論しない、議論を拒否する候補か」など言い続けている。トランプ大統領と同じく、同じことを言い続けていると慣れてきて、そういうもんかと思う人が出かねない。前国会では野党が求める予算委員会を開かず、2年前は憲法の規定に基づく臨時国会に応じなかった。憲法の規定に従わない安倍首相が、野党に対して「憲法改正の議論をしない」と非難するのである。僕も安倍首相の演説に出会ったら「お前が言うな」とでもヤジを飛ばしてしまうかもしれない。(しかし、安倍首相がどこで演説するかは公表されていない。実になんとも言いようがない。)

 野党を「議論しない」と非難するけれど、実は議論しないのは安倍政権の方だ。何しろ「選択的夫婦別姓」も「女性天皇」「女性宮家」など、課題とされる問題も何の議論もしない。勘違いされないように最初に書いておくけど、僕は(そのままで)「選択的夫婦別姓」や「女性天皇」に賛成するものではない。(その問題は長くなるからここでは書かない。)だけど、これらの問題が「課題」とされつつ、何の方向性も示されないままになっているのは問題だと思っている。そして、その事情は安倍首相の「忖度」にあると思っている。一度退陣し政治生命を失いかけた安倍氏を、不遇の時代にも見捨てなかった日本会議などの勢力が反対することは「議論しない」のである。

 安倍首相が力説する「憲法改正」とは、実は「自衛隊の存在を憲法9条に書き加える」というだけのことである。なんでかというと「自衛官の子どもがいじめられた」とか事実不明の情緒論である。今の9条の1項、2項をそのままにして、自衛隊を置くというだけを加えるから、「現状の自衛隊のあり方は変わらない」らしい。変えるけど、変わらない。膨大な国費を投じて、そんなことに情熱を傾けるとは信じがたい。当然のこととして、野党側は実は「自衛隊の役割が拡大解釈されてゆく」と批判する。僕も首相のホンネはそっちだろうと疑わざるを得ない。だって、今まで憲法の文面を勝手気ままに解釈してきた「前科」がいっぱいある以上、とても信じられないのだ。

 「議論しない首相」が「議論しないと批判する」逆転した言論が横行する。トランプのアメリカでも起こっていることだが、「逆転」ばかり見続けていると、なんだか「正転」しているように思う人が出てくる。今回の参院選は政策の具体的議論の前に、「言論が機能するか」の方が問題だ。かつて「世界経済の危機」を主張して「消費税アップの先送り」を掲げて「衆議院の解散」を行ったのが安倍政権である。しかし、その頃ではなく今こそが米中経済摩擦などで「世界経済の危機」だろう。ならば、今回こそ先送りするべきでは? 消費税をどうするかの議論以前に、マジメな政策議論が成り立たない安倍政権に慣れてしまうと、皆がもう選挙は行かなくてもいいんじゃないとなる。そういう段階に日本はある。
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行き詰まる安倍外交

2019年05月14日 23時08分04秒 |  〃  (安倍政権論)
 内政では経済の先行きが怪しくなっているものの、「改元」「即位」を利用して安倍政権の支持率がむしろアップしてる不思議。「10連休」やら近づく「五輪」などで浮かれているうちに、つい忘れてしまいがちだが安倍内閣の外交が完全に行き詰まっている。国会も開かれず、やぶ蛇に終わったアメリカ訪問などがきちちんと追求されないままだ。米中経済摩擦が大きくなりすぎ、当面日米経済問題は後回しかもしれないが、大統領選前に再度持ち出されるのは確実だ。
 (4月27日の安倍・トランプのゴルフ)
 安倍首相はトランプをもてなしておけばなんとかなると思っているのか、今度は新天皇下の最初の国賓に招くという。天皇の政治利用の極致だろう。それに大相撲も見に来るという。「同盟国」の首脳が「国技」を見に来る。拒否はできないかもしれないが、それなら貴賓室で見ればいいだろう。何でも升席に椅子を設置する方向らしいが、ちょっと特別扱いがすぎる。それに特別にトランプ杯を作って自ら優勝力士に授与したいらしい。ここまで来れば、その目立ちたがりにさすがとも思うけど、そんなトランプを大相撲千秋楽に合わせて招く安倍外交こそ批判しないといけない。

 本来なら参院選前にでも「北方領土問題」に一定のめどを付ける想定だったはずだ。しかし、全く解決の兆しもない。僕は秘密情報を持たないから、首相が何度もロシアを訪問しているぐらいだから、何らかの感触はあるのかもしれないと思っていた。しかし多分何の進展もないまま、6月の「G20サミット」を迎えるしかない。もう弊害の方が大きくなっているから、すっぱりと諦めた方がいいと思う。プーチンを怒らせないように、日本だけロシアに何も言えない、言わない

 さらに外務省が「外交青書」から「北方四島は日本に帰属する」との表現を削除した。日本の公的な主張が外交青書にないんだったら、そもそも交渉する意味が判らなくなる。それなのに、教科書では領土問題で日本の主張を伝えよと検定でうるさく指摘される。一体日本の主張とはなに? 今後は北方領土は教えなくてもいいということか。(僕が言いたいのは、政府の方針に矛盾があるということである。日本の「領土問題」はいずれも辺境にあって、どこも日本人の住民がいない。様々な教育的課題がある中で領土問題だけをことさら重視すること自体がおかしい。)

 そんな安倍首相が新たに言い出したのが、「キム・ジョンウン委員長と前提条件なしに向き合う」との言葉だ。あれだけあっちこっちで「対話より圧力を」と言い続けてきたのが安倍首相だ。トランプ大統領がキム・ジョンウン委員長との会談に踏みきって以来、すこしずつスタンスを変えてきた。しかし全然日朝首脳会談のめどが立たないまま、思い切って「無条件」と踏み込んだ。方針が変わったわけじゃないと強弁しているが、明らかに方針転換である。だが、そんな新方針も相手にされてないのか、答えが「弾道ミサイル発射」である。逆に北側から条件を付けているとの観測もある。

 ということで、難しい外交課題に参院選前の進展は難しい。せっかくG20サミットがあっても、米中の間を取り持つこともできず、たいしたことも出来なさそうだ。しかし、海外首脳の中に立って会議をリードする姿を見せることで、なんだかエラそうな雰囲気を醸し出すんだろう。だが、実は日本外交は危機にある。サミットや五輪などのイヴェントに外国首脳は来るだろうが、それだけだ。トランプと親密と言っても、イラン問題やパレスチナ問題で何も言えない。米中経済摩擦でもWTOを無視する高関税を批判できない。何かうまくいきそうな感じを与えてきた分、安倍外交の行き詰まりはむしろ安倍支持層に疑念を呼ぶんじゃないだろうか
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「入管法改正」と外国人労働者問題①

2018年12月09日 21時18分27秒 |  〃  (安倍政権論)
 2018年12月8日(土)に「入管法」(出入国管理及び難民認定法)「改正」案が参議院本会議において賛成多数で可決された。この法案にはその中身の問題とともに、国会審議のあり方を問題視する批判も多かった。法案には今後政令で決める事項が多すぎ、「政府一任法案」と野党は批判した。法案のベースになるはずの「技能実習生」に関する調査データの「不備」も多く見つかった。
 (参議院法務委員会の「採決」)
 もっと審議を尽くすべきだとする野党を押し切って、上記のような採決が衆参両院で行われた。これは通常の言い方で「強行採決」だと思うが、菅官房長官は「強行」ではないとしている。野党である「日本維新の会」が採決に加わっているから、「与党が全野党を押し切って採決した場合」のみを指す(と勝手に意味を自分で狭めた)「強行採決」にはならないということらしい。「維新」は閣内に大臣を送っていないけど、「憲法改正」を含む安倍政権の政策に協力する代わりに、大阪に「万博」と「カジノ」がやってくるということなんだろう(と邪推している)。

 恐らくこの筋書きは相当前に決まっていた。もともと「外国人労働者政策の転換」は、6月15日に発表された「経済財政諮問会議」の「骨太の方針」で公表された。僕は当然の道筋として、そうなるだろうと思っていた。「復興」を掲げながら「東京五輪」を実施する以上、労働力不足が深刻になるのは判っている。2013年9月に東京五輪決定時に書いた「2020年東京五輪問題④」で、「外国資本と外国人労働者」によって対応するだろうと書いた。ずいぶん前から、やがて外国人労働力をもっと受け入れるしかないというコンセンサスは政府内で形成されていたはずだ。

 それにしてはずいぶん遅いじゃないか、内容も決まってないじゃないかと思うかもしれない。しかし、人出不足が一番深刻になる2019年に実施するためには、どうしたらいいか。「もっと議論を」となれば「外国人労働者の人権問題」がクローズアップされる。外国人労働者の人権に配慮したルールになれば、それは「外国人移民」だとして、安倍政権のコアな支持層が離反しかねない。また単に「使い捨て労働力」が欲しい経済界も反発する。よって、2018年秋の臨時国会で「スカスカの法案」を強行するしかない。今回だって、自民党総務会での承認は難航した。安倍政権としては、これ以上「中身のある法案」にはできないのである。

 「水道法」や「漁業法」の「改正」も成立した。今まで僕も安倍政権を「極右」政権だと批判してきた。「日本会議」に共鳴する議員が安倍政権では重用される。それは「保守」じゃなくて、外国基準では「極右」の「歴史修正主義」だと言ったと思う。そういう面も確かにあるけど、今回の臨時国会で成立した「改正」は、むしろ右翼民族派が反発してもおかしくないような内容である。安倍首相は政権復帰後の初の施政方針演説で「日本を 世界で一番企業が活躍しやすい国にする」と述べた。そっちが優先だったんだということである。

 安倍首相の党内基盤は右派にある。トランプ政権やプーチン政権との外交、天皇の代替わりなどを控えて、右派の反発を抑えるためには、慎重な手続きがいるだろう。しかし、「経済界」と「アメリカ」の要請は、最大限に重視する。これが安倍政権の本質だった。そう見ると、今後詰められる外国人労働者受け入れ政策の具体的方針も、大体想像できるというもんだ。一応家族を呼び寄せ定住も可能なようなシステムを作るけれど、それは可能な限り難しい資格となるだろう。「日本人と外国人を差別しない」かもしれないが、それは「日本人も切り捨て可能な派遣労働者にする」という意味なのだ。(続けてもう一回)
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岸田政調会長は安倍首相と会ったのか

2018年07月27日 23時05分38秒 |  〃  (安倍政権論)
 オウム真理教の問題を続けて書くつもりだったけど、ちょっと政治の「小ネタ」を。何だか興味深いんだけど、あまり書かれてないようなので。7月24日に、自民党の岸田政調会長が来る9月に行われる自民党総裁選に不出馬を表明した。そのこと自体は大した問題じゃない。やっぱり出ないんだなあ程度の感想である。まあ出ても勝てない。岸田派は48人いるから、総裁選に出るために必要な20人の推薦人は確保できる。その意味では石破氏や野田氏より有利だ。でも人気がさっぱりだし、ヘタして石破氏より下になると二度と総裁候補になれないかも
 (24日の岸田氏)
 まあそんな感じで総裁選出馬を見送ったんだろうが、これは今の自民党を象徴している。安倍氏は自民党総裁をすでに3回務め、内閣も第4次まで来たが、一時は森友、加計問題で支持率も急降下、不支持が上回った。その後回復の兆候も見えるけれど、いつの間にか総裁選は安倍氏有利になっている。安倍氏の属する細田派、副総理の属する麻生派、幹事長を出している二階派。共通利益を有するこの三派の結束が崩れない限り、安倍氏三選が有力だ。

 そういう情勢を見て、岸田氏も不出馬と安倍氏支持を表明したわけだろう。岸田派というのは「宏池会」(こうちかい)で、池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一と4人の首相を輩出した名門派閥。岸、福田、安倍晋太郎とは違う系列にある。政策的にも本来は「潜在的反安倍派」であり、一定の期待を持たれてきた。でも2021年には、もはや岸田氏の出る幕はないのではないか。「加藤の乱」前後の加藤紘一氏のケースがトラウマになっているのだろうが、冷や飯覚悟の行動も「天下取り」には必要だ。まあ外相時代の岸田氏を見ても「その程度」の政治家だったのだろう。

 ところで、24日の不出馬表明にあたって、岸田氏は23日に安倍首相に会って、不出馬と安倍氏支持を伝えたとされる。「西日本豪雨や北朝鮮問題」を理由にして、「今の政治課題に安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進めることが適切」なんだという。ものは言いようで、毎年のように災害は起きるし、「北朝鮮問題」が完全に解決するまで安倍首相がずっとやるべきなんだったら、いつまで安倍内閣が続くことやら…。自民党総裁は私的な役職だけど、事実上は日本国の総理大臣だ。そういう大事な問題について、二人で会って決めてしまっていいのか

 本来はそういう「闇取引」みたいなことはおかしい。それでも安倍氏と直接会って「現下の政策的な取り組みについて合意した」ことは、不出馬を正当化する最低ラインだろう。出馬を強く求める同志、支持者もたくさんいたわけだから。ところが、菅官房長官は25日の記者会見で「(首相は)会ったことはないということだった」と発言した。自民党の三役である政調会長が会ったと言ってるのに、首相本人は会ってないと言う。どうなってるんだ? 岸田氏はウソをついているのか

 新聞に載っている「首相動静」では確かに会っているとは出ていない。午前中は歯の治療で日本歯科大付属病院に行っていた。正午前に官邸に戻り、しばらく来客はない。その後は議員や官僚が相次いで訪れ、7時前に自宅に帰っている。しかし、新聞記者が作る「首相動静」は官邸正面から入る面会者を確認するだけである。他に出入り口もあるし、大体官邸以外で会うのはつかみようがない。総裁と政調会長は連絡がつかないと困る関係だろう。本人同士もそうだし、秘書同士も携帯電話でいつでも連絡が付くだろう。出先でちょっと会っても何の不思議もない。

 それなのに、首相、官房長官は会談自体を否定する。何故だ? 誰でもすぐに思いつくのは、加計問題だ。愛媛県の文書で、安倍首相と加計孝太郎氏が会ったと書かれていたが、安倍氏も加計氏も会ってないと否定している。何でも加計学園関係者が間違って県に伝えたとか。首相動静には確かに載ってないわけだが、首相と加計氏は会ったのか。ここで「首相動静に出てない岸田氏と会ってたと認めると、じゃあ加計氏ともどこかで会ってたんじゃないかと思われる」ってことだと思う。違うかな? でも民間人で遠くに住んでる加計氏と与党の政調会長では立場が違う。

 ウソをついたことにされた岸田氏は怒らないのか。支持者や同志に何と言い訳するのか。あるいは、しないのか。岸田氏も加計問題に波及することに気づいて、ことを荒立てないことにしているのか?その代わり、秋に見返りがあるのか。でも官房長官にバカにされたままでいいのか。これで判るのは、むしろここまで神経質になるってことは、やっぱり加計氏と会ってたってことだよね。安倍首相も、こんなことでウソついてどうするんだろう。
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ネポティズム化する世界-森友・加計問題もまた

2018年05月14日 23時31分21秒 |  〃  (安倍政権論)
 「ネポティズム」(népotisme)という言葉がある。普通「縁故主義」と訳している。権力者が自分の身内ばかりを優遇するような社会のことである。「身内」というのは族が代表だけど、地縁(出身地が同じ)、学縁(大学など出身校が同じ)なんかもある。権力者が所属している「共同体」に属している者が優遇されるということだ。そういうケースが世界で目立つようになってきた。

 アメリカのトランプ政権は政界のアウトサイダーをウリにしてきたこともあって、今まで共和党政権に関わっていた重要人物もほとんど入っていない。トランプと肌が合わない人はどんどん罷免し、家族と側近ばかりが残っている。ロシアのプーチン政権でも、大統領の家族は出てこないけど、「友人」の実業家などがよくスキャンダルに出てくる。中国の習近平政権も、「太子党」と言われて党幹部の子どもであることで出世してきた。このように世界中でネポティズム化している。
 
 「法治主義」の社会では、法に基づいたルールで世の中が動いていくはずだ。もちろん「コネ」のようなものがまったくない社会はないだろう。でも、多くの社会では、「中小企業」なら許されても「国家公務員」だったら許されないといった「許容範囲」がある。日本でもアメリカでも私立大学では出身者の子どもが優先的に入学できるルールがあることが多い。しかし、それは私立では許されても国立大学では認められない。

 日本の安倍政権で起こっている「森友学園」「加計学園」問題も、世界的に広がるネポティズム社会化の一つだと考えられる。「森友」の場合は、首相に近い(と自分たちで考える)特殊なイデオロギーを掲げていた。それを売り物にして首相夫人を名誉校長に担いだ。首相夫人が関わっていたからというだけでなく、首相に近いイデオロギー集団を恐れるという心理が国有地払下げに影響したと考えられる。「加計」の場合は、もっと直接的に首相に近い友人だけが情報にアクセスできるという構造が出来ていた。「選定プロセスには一点の曇りもない」というけど、試験で言えば確かに「採点は公正に行われた」かもしれない。でも事前に問題作成者が特定の受験生に問題を見せていた。そんな風に考えると判りやすい。採点者にいくら聞いても不正とは判らない。

 安倍政権は何回か強引な国会運営などで支持率が下がった。今回も各調査で不支持が大きく上回っている。しかし、どの調査でも3割程度の支持率がある。そこを割り込まない。このように森友文書改ざん問題、加計をめぐる柳瀬秘書の国会招致、財務次官のセクハラ問題と麻生大臣の対応(の不真面目さ)などが相次いでも、それでもかなりの人が安倍政権を支持している(らしい)。安倍政権ではなく、支持しているのは「自公政権」であって、他の人でもいいんだけど、他の有力候補がいないじゃないかということか。それとも経済や外交はそこそこうまくやってるんじゃないか(少なくとも民主党政権時代より)ということか。

 そういうこともあるんだろうけど、それ以上に「ネポティズム化」を問題にしない風潮が背景にある気がする。親の経済力によって教育格差が生じることを不公平と思わない人が増加しているらしいことが気になる。(朝日新聞4月5日付によれば、教育格差を「当然」「やむをえない」と超える保護者が6割を超えたという。「教育格差「当然」「やむをえない」6割超 保護者に調査」) これは一体何なんだろうか。「公平さ」の概念がこれほど変わってしまった時、だからこそ安倍政権やトランプ政権が出現したのではないか。

 歴史をたどってみると、「法治」の意識が人々に定着しない社会では、信用できるのは「ミウチ」だけだから、当然権力は世襲される。近代社会ではそれはまずいので、今ではいくつかの国を除いて選挙でリーダーを選んでいる。だけど、その人だけが勝つような仕組みで選挙が行われる。世界の半分ぐらいの国の選挙はそうである。日本はそうじゃないはずで、実際に立候補と選挙運動は自由にできるんだけど、安倍首相や麻生副首相の選挙区では圧倒的に強くて他の人が当選する余地はない。(小選挙区での得票率を見ると、安倍氏は2017年選挙で72.6%、2009年選挙で64.3%、麻生氏は2017年選挙で72.2%、2009年選挙で62.2%とほぼ同じ得票率を示している。)

 そういう社会に人々の不満が高まると、発展途上の国では比較的実力で出世できる「軍隊」に期待が集まる。多くの国で「軍政」の時代があって、独裁的な手段で経済が発展することも多い。軍隊にもネポティズムはあるが(日本では陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥だった)、軍隊そのものの存在目的からして「権力者の友人だけど無能なボス」はいらない。(日本でもある時期以後は、藩閥に属していても陸海軍の大学校の成績が優先された。)現代の世界を見ても、タイエジプトなど選挙がうまくいかないと軍事クーデタが起こる。

 そうしたことを考えると、最近の日本でも自衛官が野党国会議員に暴言を吐くなどの事件が起こっているのが気になる。昨年には、制服組トップの河野統合幕僚長が安倍首相が主張した憲法改正案に「非常にありがたいこと」と語る問題があった。現行憲法を守る必要がある国家公務員、それも「自衛官のトップ」である人が憲法改正を語る。それが何のお咎めもない。ネポティズム化と軍隊美化は根っこにおいては同じ土壌から出てきているような気がする。
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