安倍晋三元首相が辞任して、すでに1年以上が経過した。内政のみならず、外交問題に関しても冷静に振り返ってみる必要があるだろう。安倍時代には特に日ロ平和条約締結を目指す首脳会談が頻繁に開かれた。安倍、プーチンの首脳会談は合計で(第一次政権時代から数えて)27回に及んだ。安倍氏はトランプ米大統領との親密な関係でも知られた。安倍支持者に言わせると、トランプにもプーチンにも何度も会える「偉大な安倍首相」となるらしいが、その認識は正しいのだろうか。この問題を考えるために必読の本がこの秋に出たので、読んでみた。一つは北海道新聞社編「消えた『四島返還』 安倍政権日ロ交渉2800日を追う」(北海道新聞社、2021.9)である。もう一つは鈴木美勝「北方領土交渉史」(ちくま新書、2021.9)である。
北海道新聞社(道新)の本は地元紙としてこの間の交渉経過を追い続けた記録である。長くて大きい本だが、取材を基にした本だから読みやすい。帯裏には「北方領土交渉はなぜ失敗したのか」とある。道新本は安倍時代だけを対象にしているが、鈴木本は鳩山一郎政権の日ソ国交回復に始まり、中曽根、小沢一郎などの交渉を追い、その後に安倍時代を検証している。帯には「安倍外交の”大誤算”で、領土はもどってこない」とある。両著とも安倍外交を失敗と断じているが、その内実には驚くべきものがあった。政権寄りメディアが折々に「領土交渉に進展」のような報道を繰り返し、国内では当時平和条約締結近しとのムードが高まっていた。
しかし、特に道新本を読めば、今井尚哉(たかや)氏(首相秘書官、後に首相補佐官)を中心とする経産官僚が外務省や菅官房長官さえ「排除」して、安倍首相の「レガシー」作りのため奔走した様子がヴィヴィッドに描写されている。外交交渉と呼ぶレベルじゃない。その結果、事実上の譲歩を繰り返して、ついには「二島返還」にほぼ絞られ、それでも島をめぐる交渉は全く動かなかった。鈴木氏によれば、安倍外交は「清水の舞台から飛び降りてみたが、複雑骨折してしまった」とまとめられる。
(「北方領土」地図)
そもそも担当大臣でさえ、北方四島の名前が読めないことがある。ここで簡単におさらいしておくと、千島列島の最南端の二島が択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島の2島である。日本はサンフランシスコ平和条約で「千島列島」の領有権を放棄したが、同条約は当時のソ連が署名しなかった。日本は1855年に結ばれた安政の日露和親条約で、択捉島までが日本領、その北のウルップ島以北はロシア領とした歴史から、南千島の2島は「放棄した千島列島に含まれない」としている。また、色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島は、北海道に付属する小諸島として「平和条約締結後に引き渡す」と1956年の日ソ共同宣言に明記されている。
ソ連時代は交渉もままならなかったが、ソ連崩壊後の90年代初頭、具体的には1993年10月のエリツィン大統領訪日、細川護熙首相との会談による「東京宣言」の頃が「北方領土が最も近づいた日」(鈴木美勝)だという。しかし、僕はこの頃をあまり覚えていない。国内政治が「政治改革」(選挙制度改革)をめぐって揺れていた上、外交的にはアジア諸国との「歴史認識」問題が問われていた時代だった。その時代にはロシア側も政治・経済面で弱体化していたが、日本も大胆な外交交渉が出来るような安定した政治基盤がなかった。その結果、原則論の応酬で何十年も空費した。
その意味では、安倍元首相が経済協力を大胆に進めて、相互理解が進むことを優先させるべきと判断したとしても間違いとは言えない。だが、これらの本を読んで、冷静に判断すれば安倍時代に北方領土が解決する可能性はなかったと思われる。2014年のソチ冬季五輪に際して、欧米諸国はロシアの「同性愛宣伝禁止法」が人権上問題だとして、開会式に首脳が出席しなかった。それに対して、安倍首相は国会開会中であるにもかかわらず、また2月7日が「北方領土の日」であるにもかかわらず、同じ2月7日に開会するソチ五輪開会式に出席した。時差があるから可能だったのである。今、日本の保守派は「北京五輪外交ボイコット」を主張しているが、ソチ五輪の安倍政権は違ったのである。
(2018年11月14日のシンガポール会談)
しかし、ソチ五輪終了後の2014年3月に、ロシアによるクリミア併合が起きた。G7諸国はロシアに対し「力による併合は認めない」として制裁を科した。日本政府は欧米諸国ほど厳格なものではなく、ほとんど形式的なものに近かったが、欧米にならって制裁を発動した。その間の事情はロシアも判っていると安倍政権は考えていたようだが、重要な局面になるとロシアは制裁を問題視した。
実際問題として、米ロの「新冷戦」がここまで激しくなった現時点で、日本に歯舞、色丹を返還した場合、そこに米軍基地が出来る可能性は否定できないとロシアは考えた。それはないと安倍氏は保証したらしいが、口約束では信じられない、文書にして欲しい、米国側の保証もいると言われたら、どうしたらいいんだろうか。そう言われたかどうか、外交交渉の秘密で明かされていないが、事実上そんなやり取りがあったのではないか。なぜならプーチン大統領は公の場で「沖縄」を取り上げているからだ。沖縄の状況を見れば、日本政府よりも米軍の方針が優先されるのだと言われたら、僕には返す言葉がない。だからといって、日米安保がある限り北方領土は返さないなんて話になったら、いくら何でも内政干渉でバカにし過ぎだろう。
安倍首相が日本の協力があれば極東ロシアが大発展できるとビデオで熱を込めて説明したときに、プーチン大統領は日本はロシアを下に見ていると内心憤慨したらしい。一方で、プーチン大統領も「日本は事実上米国に従属しているじゃないか」とバカにしていた感じがする。安倍氏はプーチン大統領を「ウラジーミル」とファーストネームで呼んで、「ウラジーミルと私で、平和条約締結まで、駆けて駆けて駆け抜けようではありませんか。」「今やらないでいつやるのでしょう」などとポエムみたいな演説をしていたが、内実は政権のレガシーが欲しい首相側近が先走って、外交としての実りがなかった。その証拠に安倍首相が11回も訪ロしたのに対し、プーチン大統領が訪日したのは国際会議(APEC大阪会議)を含めて2回しかなかった。
プーチン氏が純粋に来日したのは、2016年12月のあの長門会談だけである。シリア情勢を理由になかなか到着せず、安倍氏がわざわざ故郷に招くとして、長門湯元温泉の高級旅館、大谷山荘を用意した例の会談である。その経過を見れば、日本はバカにされているのではないかと感じた人も多かったのではないかと思う。そうして、コロナ禍によって、2019年9月のウラジオストク会談が結果的に最後となった。11月にもAPECチリ会議で再会談することを予定していたが、チリの政情不安で国際会議そのものが中止になってしまった。あそこまで何度も会談した挙げ句、ロシアは憲法を改正して「領土割譲禁止」を決めてしまった。コロナということもあるが、しばらくは対ロ外交進展を手掛ける政権はないだろう。そして、安倍外交の結果、日本は今さら「四島返還」は持ち出せなくなったと考えられる。それが安倍外交の帰結だった。
(映画「クナシリ」)
今、「クナシリ」というドキュメンタリー映画が公開されている。フランス在住のロシア人、ウラジーミル・コズロフ監督が特別の許可を得て撮影したもので、2018年のシンガポール会談の映像がテレビに映っているから、その頃の取材である。まだ「戦後」が残っているような厳しい生活を住民が語っている。風景の向こうには日本(知床半島)が見えている。土を掘れば日本時代の遺物が発掘できる。ソ連軍が上陸した過去を再現するイベントも開催されている。ヨーロッパから見れば、まさに「地の果て」の島の人々は、複雑な思いの中ナショナリズムを生きている感じだった。複雑な感慨を覚える映画だったが、貴重な映像だった。
北海道新聞社(道新)の本は地元紙としてこの間の交渉経過を追い続けた記録である。長くて大きい本だが、取材を基にした本だから読みやすい。帯裏には「北方領土交渉はなぜ失敗したのか」とある。道新本は安倍時代だけを対象にしているが、鈴木本は鳩山一郎政権の日ソ国交回復に始まり、中曽根、小沢一郎などの交渉を追い、その後に安倍時代を検証している。帯には「安倍外交の”大誤算”で、領土はもどってこない」とある。両著とも安倍外交を失敗と断じているが、その内実には驚くべきものがあった。政権寄りメディアが折々に「領土交渉に進展」のような報道を繰り返し、国内では当時平和条約締結近しとのムードが高まっていた。
しかし、特に道新本を読めば、今井尚哉(たかや)氏(首相秘書官、後に首相補佐官)を中心とする経産官僚が外務省や菅官房長官さえ「排除」して、安倍首相の「レガシー」作りのため奔走した様子がヴィヴィッドに描写されている。外交交渉と呼ぶレベルじゃない。その結果、事実上の譲歩を繰り返して、ついには「二島返還」にほぼ絞られ、それでも島をめぐる交渉は全く動かなかった。鈴木氏によれば、安倍外交は「清水の舞台から飛び降りてみたが、複雑骨折してしまった」とまとめられる。
(「北方領土」地図)
そもそも担当大臣でさえ、北方四島の名前が読めないことがある。ここで簡単におさらいしておくと、千島列島の最南端の二島が択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島の2島である。日本はサンフランシスコ平和条約で「千島列島」の領有権を放棄したが、同条約は当時のソ連が署名しなかった。日本は1855年に結ばれた安政の日露和親条約で、択捉島までが日本領、その北のウルップ島以北はロシア領とした歴史から、南千島の2島は「放棄した千島列島に含まれない」としている。また、色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島は、北海道に付属する小諸島として「平和条約締結後に引き渡す」と1956年の日ソ共同宣言に明記されている。
ソ連時代は交渉もままならなかったが、ソ連崩壊後の90年代初頭、具体的には1993年10月のエリツィン大統領訪日、細川護熙首相との会談による「東京宣言」の頃が「北方領土が最も近づいた日」(鈴木美勝)だという。しかし、僕はこの頃をあまり覚えていない。国内政治が「政治改革」(選挙制度改革)をめぐって揺れていた上、外交的にはアジア諸国との「歴史認識」問題が問われていた時代だった。その時代にはロシア側も政治・経済面で弱体化していたが、日本も大胆な外交交渉が出来るような安定した政治基盤がなかった。その結果、原則論の応酬で何十年も空費した。
その意味では、安倍元首相が経済協力を大胆に進めて、相互理解が進むことを優先させるべきと判断したとしても間違いとは言えない。だが、これらの本を読んで、冷静に判断すれば安倍時代に北方領土が解決する可能性はなかったと思われる。2014年のソチ冬季五輪に際して、欧米諸国はロシアの「同性愛宣伝禁止法」が人権上問題だとして、開会式に首脳が出席しなかった。それに対して、安倍首相は国会開会中であるにもかかわらず、また2月7日が「北方領土の日」であるにもかかわらず、同じ2月7日に開会するソチ五輪開会式に出席した。時差があるから可能だったのである。今、日本の保守派は「北京五輪外交ボイコット」を主張しているが、ソチ五輪の安倍政権は違ったのである。
(2018年11月14日のシンガポール会談)
しかし、ソチ五輪終了後の2014年3月に、ロシアによるクリミア併合が起きた。G7諸国はロシアに対し「力による併合は認めない」として制裁を科した。日本政府は欧米諸国ほど厳格なものではなく、ほとんど形式的なものに近かったが、欧米にならって制裁を発動した。その間の事情はロシアも判っていると安倍政権は考えていたようだが、重要な局面になるとロシアは制裁を問題視した。
実際問題として、米ロの「新冷戦」がここまで激しくなった現時点で、日本に歯舞、色丹を返還した場合、そこに米軍基地が出来る可能性は否定できないとロシアは考えた。それはないと安倍氏は保証したらしいが、口約束では信じられない、文書にして欲しい、米国側の保証もいると言われたら、どうしたらいいんだろうか。そう言われたかどうか、外交交渉の秘密で明かされていないが、事実上そんなやり取りがあったのではないか。なぜならプーチン大統領は公の場で「沖縄」を取り上げているからだ。沖縄の状況を見れば、日本政府よりも米軍の方針が優先されるのだと言われたら、僕には返す言葉がない。だからといって、日米安保がある限り北方領土は返さないなんて話になったら、いくら何でも内政干渉でバカにし過ぎだろう。
安倍首相が日本の協力があれば極東ロシアが大発展できるとビデオで熱を込めて説明したときに、プーチン大統領は日本はロシアを下に見ていると内心憤慨したらしい。一方で、プーチン大統領も「日本は事実上米国に従属しているじゃないか」とバカにしていた感じがする。安倍氏はプーチン大統領を「ウラジーミル」とファーストネームで呼んで、「ウラジーミルと私で、平和条約締結まで、駆けて駆けて駆け抜けようではありませんか。」「今やらないでいつやるのでしょう」などとポエムみたいな演説をしていたが、内実は政権のレガシーが欲しい首相側近が先走って、外交としての実りがなかった。その証拠に安倍首相が11回も訪ロしたのに対し、プーチン大統領が訪日したのは国際会議(APEC大阪会議)を含めて2回しかなかった。
プーチン氏が純粋に来日したのは、2016年12月のあの長門会談だけである。シリア情勢を理由になかなか到着せず、安倍氏がわざわざ故郷に招くとして、長門湯元温泉の高級旅館、大谷山荘を用意した例の会談である。その経過を見れば、日本はバカにされているのではないかと感じた人も多かったのではないかと思う。そうして、コロナ禍によって、2019年9月のウラジオストク会談が結果的に最後となった。11月にもAPECチリ会議で再会談することを予定していたが、チリの政情不安で国際会議そのものが中止になってしまった。あそこまで何度も会談した挙げ句、ロシアは憲法を改正して「領土割譲禁止」を決めてしまった。コロナということもあるが、しばらくは対ロ外交進展を手掛ける政権はないだろう。そして、安倍外交の結果、日本は今さら「四島返還」は持ち出せなくなったと考えられる。それが安倍外交の帰結だった。
(映画「クナシリ」)
今、「クナシリ」というドキュメンタリー映画が公開されている。フランス在住のロシア人、ウラジーミル・コズロフ監督が特別の許可を得て撮影したもので、2018年のシンガポール会談の映像がテレビに映っているから、その頃の取材である。まだ「戦後」が残っているような厳しい生活を住民が語っている。風景の向こうには日本(知床半島)が見えている。土を掘れば日本時代の遺物が発掘できる。ソ連軍が上陸した過去を再現するイベントも開催されている。ヨーロッパから見れば、まさに「地の果て」の島の人々は、複雑な思いの中ナショナリズムを生きている感じだった。複雑な感慨を覚える映画だったが、貴重な映像だった。