尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2024年も育鵬社は採択せずー都教委の中学教科書採択

2024年07月31日 22時47分53秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京都教育委員会の定例会が2024年7月25日に開かれて、来年度からの中学校教科書の採択が行われた。前回2020年に引き続き、今回も中高一貫校、特別支援学校すべてで育鵬社は採択されなかった。それは事前に予測されたことで、僕も今回は(コロナ禍の4年前と同様に)教科書展示会を見に行かなかった。今回も左右両派ともに大きな集会や運動はなかったように思う。関連する運動団体のホームページを久しぶりにのぞいてみたが、両派ともにほとんど更新されていないようだった。
(東京都教育委員会=都教委ホームページから)
 最近書いてないから、「中学教科書問題」を簡単に説明しておきたい。中学校の教科書は4年ごとに新しくなる。それに合わせて、4年ごとに教科書を採択し4年間同じ社を使うことになる。教科書は法律で使用する義務があり、いくらデジタル化が進もうと(今のところ)紙の教科書を買う必要がある。ただし義務教育段階の小中学校は、公費で負担する「教科書無償化」が1963年に始まり1969年に全学年で実施された。それ以前は学校ごとに教科書を決めていたが、無償化をきっかけに教育委員会が設置全学校の教科書を決めることになった。ということで、2024年は2025年度から4年間使用する教科書を決める年である。

 戦後の歴史を振り返ると、何回か「教科書問題」が起きてきた。現行の教科書を「左翼的」だと非難する右派勢力が文部省(2000年から文部科学省)を突き上げて、教科書批判を繰り返すというのが大体のパターンだった。しかし、1997年に結成された「新しい歴史教科書をつくる会」は自分たちが自ら教科書を作成し全国で採択をめざすとともに、その教科書を一般に市販するという今までにない特異性があった。教科書は産経新聞の子会社扶桑社から発行され、2001年から採択可能になった。

 こうして21世紀初頭には全国各地で「扶桑社を採択せよ」と迫る右派系と「扶桑社を採択するな」という反対派の運動が繰り広げられた。しかし、実際に扶桑社を採択したところは少なかった。一般に都道府県は高校以上を設置し、中学校は設置しない。しかし、特別支援学校(当時は養護学校)とその頃から作られ始めた中高一貫校の中等部では、都道府県立学校なので都道府県教育委員会が採択する。そして東京都(石原慎太郎知事)と愛媛県(加戸守行知事)の養護学校だけが扶桑社を採択した。右派系首長だった影響だろう。(石原、加戸両氏ともすでに故人である。)

 その後、2005年の採択でも大きな伸びを達成できず、「つくる会」内部ではその原因を「右派的すぎた」として分裂が起きた。八木秀次氏らは新しく「育鵬社」(扶桑社の100%子会社)を作って新しい教科書を作ることになった。一方藤岡信勝氏ら残留派は「自由社」から教科書を出し続けた。2024年はさらに竹田恒泰氏らが「令和書籍」という会社を作って「国史教科書」という教科書を出した。つまり右派系だけで3つも教科書があるのだ。令和書籍は検索しても会社のホームページが出て来ない謎の組織である。「国史」と学習指導要領と違う分野名の教科書が認められるのは不可解だ。
(育鵬社)(自由社)(令和書籍)
 経過説明だけで長くなってしまった。東京都では2005年から都立中高一貫校が設置され、現在10校になる。そして、2004年に採択された白鴎高校附属中に始まりすべての学校で扶桑社が採択されてきた。2011年以後は歴史分野だけでなく公民分野も育鵬社が採択されてきた。(教科書は4年ごとに新規採択が原則だが、学習指導要領改訂の影響で2011、2015、2020年に新規採択が行われた。)それが前回2020年に初めて育鵬社を採択せず、中高一貫校すべてで山川出版社を採択したのである。その年も育鵬社を採択した公立校は、全国でも栃木県の大田原市、石川県の金沢市加賀市小松市、山口県の下関市岩国市和木町などだった。
(都立中高一貫校の採択資料=根津公子氏のホームページから)
 今回も大田原市ではすでに育鵬社の継続が決定された。他市は8月に決定のようである。今後全国的に見て右派系教科書が大きくシェアを伸ばすことは考えにくい。今までは右派系政治家による支援が行われ、それが保守的首長を頂く各教委に少なからぬ影響を与えてきた。知事や市長が教科書を決めるわけではないが、権限のある教育委員を議会に提案する力を持っている。しかし、安倍元首相の死亡、その後の「統一教会問題」、安倍派「裏金問題」などが続き、右派系勢力に大きな陰りが見られる。3つも右派系教科書が出たことも、右派の分裂状況を反映しているだろう。

 東京都においては、かつてのような極端に右派的な教育委員は見られなくなった。教育長も入れて女性が3人いて、バランスが良くなった感がある。しかし、最大のきっかけは山川出版社の中学教科書が前回から登場したことだ。高校は各学校ごとに決めるが、進学校はほとんど山川だろう。そこに連続することを意識すれば、中学段階から同じ会社の教科書を使用する方が指導が楽になるだろう。自分で詳しく調べたわけじゃないが、歴史用語や各種副教材のスタイルなども共通しているんじゃないか。大学受験を考慮すれば、中学といえど山川に優位性があると思われる。(学力差のある公立中ではより一般的な東京書籍のシェアが多い。)

 それと同時に、教科書を各教科多数出してきた東京書籍、教育出版、帝国書院、山川出版社などの方が、全般的に各学校への手当が厚いはずである。教科書デジタル化を考えると、「教科書専門会社」の方が安心して採択できるだろう。今後の歴史教育が大きく変わっていく中で、「教科書が諸悪の根源」的な陰謀論的発想は時代遅れになっていくはず。大体「サヨクの影響力がある教科書を使うから自虐的になる」などど本当に信じている人などいないだろう。それでは戦後ほぼすべての時代で自民党(または自民党に連なる勢力)が政治権力を持ち続けた理由が説明できない。自分たちが政権を握って教科書検定をしているのに、そんなバカなことがあるわけがない。自民党政権が「考えさせない」教育を続けたから、選挙の投票率が低いというなら判るけど。
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猛暑の迎賓館を見に行くー50周年記念で「羽衣の間」の写真を撮る

2024年07月30日 22時44分16秒 | 東京関東散歩
 関東以西は毎日ものすごい猛暑が続いている。とても散歩どころではないんだけど、昨日(7月29日)「迎賓館赤坂離宮」に行ってきた。JR、東京メトロ四ツ谷駅から徒歩7分(とホームページに出てる)と、それほど遠くもない。でも余りにも暑くて(東京でも38度になった)、何で来ちゃったんだと思ってしまった。まあ今日無事に書いてるぐらいだから、大丈夫だったわけだが。

 迎賓館は国宝に指定されている。国宝指定建築物は是非見るようにしているが、迎賓館に今まで来なかったのは「内部で写真が撮れない」からだ。外観だけに1500円の参観料は高いかもと思っていた。(事前予約して和風別館も見ると、2千円。)しかし、今年は「迎賓館」(として整備されてから)50周年として、7月は特別に「羽衣の間」の写真撮影可だった(8月は「東の間」、9月は「花鳥の間」の撮影可)。ということで、「羽衣の間」は7月中に行かないと写真を撮れないから行ってみたわけ。

 迎賓館はよく正面からの写真が使われるので、僕も「主庭」から見た外観を知らなかった。内部を見た後、庭を見ることになるが、写真的にはこっち側の方が見ごたえがある。噴水があったり、松の木がアクセントになっている。迎賓館はもともとは1909年に「東宮御所」、つまり皇太子(大正天皇)の居所として建てられた。しかし、大正天皇はほとんど使わずに「離宮」となった。あまりにも壮大なネオ・バロック様式で使い勝手が悪かったともいう。だけど、やはり近代日本洋館建築の最高峰ではある。
   
 受付を済ませて中へ入ると、いろいろとグルグル回って行く。広いのでどこがどうやら判らないし、写真を撮れない。羽衣の間ってどこだと思う頃、出て来た。全景はホームページからコピーする方が理解しやすい。
(羽衣の間)
 ここは広さ約330平方メートルで、典型的なロココ様式なんだという。名前は天井に謡曲「羽衣」の壁画(フレスコ画)があるから。もともと舞踏会場として設計され、迎賓館で一番大きなシャンデリアがある。
   
 実際に撮ったのがこんな写真だが、やはり観客がいるから難しい。つい大きなシャンデリアに目が行くわけ。ここは今は晩餐会の招待客に食前酒、食後酒を提供する場になっているという。こうしてみると、誰が見てもヴェルサイユ宮殿の影響というか模倣。昨日書いたハイチ(サン=ドマング)で大もうけをしたブルボン王朝が建てた宮殿を、アジアの後発帝国主義国が精一杯マネした。複雑な感慨もあるが、ここまでやれば立派とも思う。内部には日本風の装飾も施されている。見終わると、外へ出て主庭へ回る。ものすごく暑くて、行きたくないけど、せっかく来たんだから。
   
 横から見るのもなかなか面白い。4枚目の樹木はゴルバチョフ「お手植え」の記念植樹である。そしてもとへ戻ると、前庭に行ける。こちらがよく写真で見る正面側になる。そこではパラソルと椅子があって、お茶が飲めるところがある。暑くて休みたいを通り越えて、早く駅に戻りたいという気持ちで寄らなかった。
   
 ここはもともと片山東熊が設計した。近代建築史に名高いジョサイア・コンドルの弟子で、宮内省に勤務して多くの建築に携わった。京都国立博物館奈良国立博物館東京国立博物館表慶館新宿御苑御休所などが残っている。戦後になって国に移管され、国会図書館や東京オリンピック組織委員会などが置かれたこともある。当時の迎賓館は旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)だったが、狭すぎるとして赤坂離宮を迎賓館に改修した。その「昭和の大改修」は村野藤吾が担当し、1974年に完成。その時谷口吉郎設計による「和風別館・洗心亭」も作られた。

 現在も迎賓館として使用されているので、外国からの賓客があるときは非公開となる。2016年からそれ以外の日は公開されている。観光立国をめざすとした菅官房長官が残した恐らく唯一の「善政」だろう。外国人観光客は確かに多かった。また行くかどうかは微妙だが、国宝なんだし一度は見ても良いのかなと思う。「権力者の館」ではあるが、それはお城だって同じだし。
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君はハイチ革命を知っているか?ー『ハイチ革命の世界史』を読む

2024年07月29日 22時46分45秒 |  〃 (歴史・地理)
 君はハイチ革命を知っているか? 「ハイチ革命」とは、18世紀末に中米カリブ海にある小国ハイチ(当時はフランス領サン=ドマング)で起きた黒人奴隷による革命である。1804年に独立を達成し、「世界初の黒人共和国」を樹立した。ハイチはその後苦難の道のりを歩み、今でも西半球最貧国と呼ばれる。現時点では政府がほとんど機能せず、国土の大部分をギャング組織が支配していると言われている。余りにも先駆的な「反植民地革命」だったため長く世界から認められず、世界史上でも「忘れられた革命」になってきた。しかし、今ではアメリカ独立革命フランス革命と並び「18世紀の三大革命」とされている。

 最近岩波新書の浜忠雄ハイチ革命の世界史』を読んで、この記事を書いている。2023年8月に出た本だから、ほぼ一年前に出た本だが、「積ん読」だったわけではない。新書といえど税込で千円を超えるから、もう世界史の新書はいいかなと思って買わなかったのである。今回読んだのは、きちんと中南米カリブ海地域の歴史を知りたいと思ったからだ。ガルシア=マルケスの小説はずっとコロンビアのカリブ海沿岸地域を描いていた。さらに、ちょっと前に『MV「コロンブス」炎上問題、「教養欠落」が問題なんだろうか?』(2024.6.23)を書いたので、「コロンブスが『発見』した島」で何があったのかをきちんと考えたいのである。

 その島はイスパニョーラ島と名付けられたが、後に聖ドミニコ(13世紀初頭にドミニコ会を創設したスペインの修道士)にちなんで「サントドミンゴ」と呼ばれるようになった。現在島の東3分の2が「ドミニカ共和国」となり、首都がサントドミンゴなのも、この聖ドミニコから来ている。17世紀になってスペインが衰えフランスが強大になり、次第に島の西部を占領するようになった。スペインには撃退する力がなく1697年にフランス領と認められ、フランス語読みで「サン=ドマング」と呼ばれた。
(ハイチの場所)
 スペイン領時代から原住民タイノ族は鉱山などで酷使され、また白人の持ち込んだ病原菌によって原住民はほぼ絶滅するか逃亡した。人口は十万人から百万人いたとされる。(なおスペイン人が新しい作物などを得てアメリカ先住民に病原菌が流入したことを、今は歴史学用語で「コロンブス交換」と言うらしい。)そこでスペイン人はアフリカから黒人奴隷を導入し、奴隷制プランテーション農業が盛んになった。18世紀フランス経済はサン=ドマングの砂糖貿易に支えられ、砂糖きび栽培はぼうだいな黒人奴隷に頼っていた。表が掲載されているが、18世紀末には黒人奴隷が40万以上にもいて、白人3万人を大きく越えていたのである。

 過酷な環境にたえかねて、1791年8月21日に黒人奴隷の一斉蜂起が始まった。蜂起はあっという間に広がり、北部の大部分を解放した。サン=ドマングでは解放奴隷のトゥサン・ルヴェルチュール(1743?~1803)がリーダーとなり、奴隷解放を宣言した。その時本国フランスは大革命のさなかで、1789年に採択された「人権宣言」は「人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ」と格調高く述べている。ならばフランス領内に奴隷の存在は認められないはずだ。根強い抵抗を排して、やがてフランス議会が奴隷廃止を決定する過程は興味深い。結局「恩恵」として解放を認めたのは、革命後の周辺諸国との戦争の影響が大きかった。
(トゥサン・ルヴェルチュール)
 しかし、ナポレオン政権になって情勢が暗転する。ナポレオンは1801年にトゥサンを罠にかけて逮捕し、フランスまで連行して投獄した。(トゥサンは1803年に獄死した。)その後ナポレオンは秘密指令で奴隷制復活を指示し、大軍をサン=ドマングに派遣した。しかし、サン=ドマングの人々は団結してフランス軍を打ち破り、1803年末には全土を解放した。そして1804年1月1日に「ハイチ独立宣言」を発したのである。国名をハイチとした理由は不明だが、これは先住タイノ族の言葉で「山の多いところ」を意味するという。絶滅した先住民の尊厳の回復も込められた国名だったと思われる。

 この本を読んで驚いたのは「世界史の偉人」とされてきた人々の実像である。今書いたようにナポレオンは奴隷制復活をもくろんだ。「独裁者」であり「解放者」でもある二面性が指摘されるナポレオンだが、それはヨーロッパ内の視点に過ぎず、植民地から見れば抑圧者だった。ガルシア=マルケス『迷宮の将軍』が描いた「ラテンアメリカ解放者」シモン・ボリーバルも不利になるとハイチに援助を求めるのに、結局は奴隷の反乱を恐れていた。さらにアメリカの奴隷解放令を出したリンカーンの実像は衝撃。彼は確かに奴隷を「解放」したが、黒人を社会をともに担う存在とは考えずアフリカやハイチへの「黒人植民」を考えていたのだ。

 ハイチを承認する国はなかなか現れず、結局は1825年にフランスに巨額の賠償金を支払うことと引き換えに、独立が承認された。フランスが払うのではなく、フランス人植民者の利益分の賠償をハイチが負わされたのである。あまりにも巨額のため支払いは度々遅延し、なんと支払いが終わったのは1922年だったが、それもアメリカからの借款による返済だった。この重い賠償金がハイチの国力を奪ったのは間違いない。「独立」したものの世界から無視されて「忘れられた革命」となったハイチ革命。それはあまりにも先駆的な革命だったために、世界史から忘れられたのだ。しかし、アフリカ諸国が次々と独立したものの、政治的、経済的に苦難が続くのを見ると、今こそハイチの先駆性の教訓をくみ取る必要がある。

 この本は世界史認識がひっくり返る本である。僕は若い頃に児童文学者乙骨淑子(おつこつ・よしこ、1929~1980)の『八月の太陽を』(1966、愛蔵版1978)という本を読んでいる。ハイチ革命とトゥサンの生涯を1960年代に児童文学として描いた恐るべき先見性に満ちた作品である。この本ぐらいしか若い頃にハイチ革命の本はなかったと思う。一応世界史の教科書には小さく載ってるし、歴史教員だったんだから(日本史が専門だが)、僕はハイチ革命の存在を知っていた。しかし、世界史的意義について、この本を読むまできちんと考えてこなかった。多くの人がそんなものだろう。これは「世界」を認識するために必読の本だ。
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最後の作品『出会いはいつも八月』ーガルシア=マルケスを読む⑩

2024年07月27日 22時08分41秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケスを読むシリーズは、『百年の孤独』で終わったようなものだが、もう一つ『出会いはいつも八月』(En agosto nos vemos)を読んだので簡単に紹介しておきたい。この本はガルシア=マルケスが生前最後に書いていた作品とされる。作家は晩年に認知症を患い、結局発表されることなく終わった。2014年に亡くなった後、原稿が整備され発表されるはずだったが、やはり完成度に問題があるとして中止になったらしい。しかし、家族には残念な思いが残り、没後10年を迎える前に改めて刊行されることになったという。日本では2024年3月に旦敬介訳で刊行されたという「新作」なのである。

 ガブリエル・ガルシア=マルケスは重要な作家だから、このような「遺作」も読んでいいかなと思って思わず買ってしまった。本文だけなら90頁ほどという中編というべき作品に定価2200円というのは、一般的には高すぎるだろう。まあはっきり言えば、他に読むべき本がいっぱいある中で、あえてこの本を読む必要もない。それでも読めば面白いし、一番最後にこんなことを書いてたんだという感慨はある。今までは「過去」を描くことが多かったが(19世紀から20世紀半ば頃)、この作品は島に観光用リゾートホテルが建ち並んでいるので明らかに現代。その意味では貴重な作品ではある。

 さらに今まではどちらかというと、男性の目から「愛と性」を描くことが多かったが、今回は女性の目から描いているのも珍しい。コロンビアのカリブ海沿岸地域(と思われる)に、アナ・マグダレーナ・バッハという46歳の女性がいる。(ちなみに、この名前は作曲家のバッハの二度目の妻と同じ名前。20歳で16歳年上の作曲家に嫁ぎ、13人の子どもをなしたという人である。ストローブ=ユイレ夫妻によって映画化され、日本でもかつて話題になった。)この命名はジョークなのか、作中のアナ・マグダレーナの夫も音楽家である。母親を亡くし、遺言で母は街から離れた島に葬られた。
(英語版=Until AUGUST)
 彼女は八月の命日に船で島に墓参に出掛ける。そして、ある年たまたま見知らぬ男と出会って結ばれたのである。名前も職業もわからぬ男との一夜が妙に忘れられず、翌年も八月になると見知らぬ男に抱かれたいという願望を抱くようになった。ということで、翌年はどうなったか。翌々年はどうなったか。毎年島は少しずつ開発が進んで変わっていく。その変化の中で、毎年八月だけ島に出掛ける数年間を描いている。この間に夫や二人の子どもの様子も触れられるが、基本的には「アナ・マグダレーナ・バッハの八月」だけを事細かに描いている。そして50歳の年、島では開発のため母の墓も改葬されたのだった。

 この小説はこれで終わりなんだろうか。多分そうなんだろう。もっと面白くなりそうな手前で終わりになっちゃう感じがしてしまう。でも作家の創作力はここまでしか描けなかったんだと思う。興味深い設定だし、毎年どうなるかは一種のミステリーみたいな興趣がある。だけど今ひとつ薄いのは、女性を描いたからか、あるいは現代を描く難しさか。いや『百年の孤独』や『コレラの時代の愛』を思い浮かべれば、ガルシア=マルケスはもっと長大で、女性心理にも細かく分け入る小説を書いていた。やはり体力的、精神的な衰えによって、ここまでの淡彩に終わったと思う。

 ということで、この小説はファン向けのボーナス・トラックみたいなものだろう。ガルシア=マルケスに取り組んでみようというときに、これは抜いても構わないと僕は思う。もちろんそれでも十分面白いし、最後まで「愛」をテーマにしていたことも判る。ガルシア=マルケスの重要作品では『族長の秋』(1975)が残っているが、これは止めておく。集英社のラテンアメリカ文学全集の第1回配本として、1983年に発売された。その時に読んだけれど、全集を探し出すのも億劫。短編で読んでないのもあるし、ノンフィクションでは自伝、紀行などずいぶん翻訳されている。地元の図書館にあるのを確認しているが、いささか飽きてしまった。読みやすい日本の小説を読みたい気分。同時にラテンアメリカの歴史に興味が出て来た状態。
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他の知事・市長経験者は当選しないー過去の都知事選で判ること

2024年07月26日 22時17分46秒 |  〃  (選挙)
 都知事選のデータを見ていて気付いたこと。今さら都知事選について何を書くのかと思うだろうが、今年の都知事選ではなく過去から見えてくるデータに関心がある。「東京」を繁栄した首都のように思っている人が多いかもしれないが、この町は決して住みやすい町ではない。そのことは今は書かないけど、「東京都制」を何とかして欲しいと思う。「東京都解体」「東京市復活」を掲げて知事選に立候補する人はいないだろうか。暑すぎて映画館に行く気も起こらないので、少し過去の話を。

 今まで都知事選で現職が落選したことがない。これは今回の選挙中も指摘されたことだが、では過去最高得票の落選者は誰か。それは1975年の石原慎太郎候補の2,336,359票である。この時の当選者は3選を決めた美濃部亮吉知事で、2,688,566票だった。かなり迫っていたのである。この時の記憶が高齢の保守系有権者に残っていて、それが1999年の当選につながったのではないか。

 次が1967年の松下正寿候補の2,063,752票。自民、民社が推薦したが、社会、共産推薦の美濃部亮吉候補に競り負けた。美濃部氏は2,200,389票だったから、わずか14万票程度の差だった。落選候補が200万票を越えたのは、この2回だけである。この時は公明党が独自候補を立て、60万票ほどを獲得した。つまり1967年に「革新都政」が成立した最大の原因は、公明党が自民党に付かなかったことである。ちなみに1975年には公明党は美濃部3選を支持したが、79年からは基本的に自民党に同調している。
(過去の主な都知事)
 半世紀前の過去はともかくとして、その後美濃部知事(3期)、鈴木俊一知事(4期)を経て、1995年には青島幸男知事が当選した。当時は「自民、社会、さきがけ」の村山富市内閣だったこともあり、自民、社会などの主要政党がこぞって石原信雄氏(元内閣官房副長官)を推したことに、青島氏が反発して立候補したのである。結局都政に足場がない青島知事は大した業績も残せないまま1期で去った。この経験から、石丸伸二氏には「都議会にはどう対応するのか」を問う必要があった。

 今回の石丸伸二氏のように、他の場所で知事や市長を務めた人が立候補したことはかなり多い。例えば2011年知事選に出た東国原英夫候補である。石原慎太郎知事が4選を決めたが、東国原氏も1,690,669票を獲得し次点だった。(全体の28%。)この時は東日本大震災直後で、選挙運動も盛り上がらないまま現職が当選した。東国原氏は直前まで宮崎県知事を務めていた。しかし、1月にあった知事選に出馬せず、都知事選に立候補したのである。
(2011年都知事選)
 その前に、2007年には石原知事の対抗馬として、前宮城県知事の浅野史郞氏が民主党など野党に支援されて立候補したことがある。後の東国原氏とほぼ同数の1,693,323票を獲得している。2012年には前神奈川県知事の松沢成文氏(現参議院議員)が出馬したが、3位で敗れている。2016年に小池百合子氏が当選したとき、自民党は小池氏ではなく元岩手県知事の増田寛也氏(現日本郵政社長)を推したが、1,793,453票で敗れた。(小池氏は290万票ほど。)古くは1963年に東知事の対抗馬として前兵庫県知事の阪本勝氏が出ているが、こうしてみると当選した人は誰もいない。

 市長経験者としては、1995年に前出雲市長の岩國哲人氏が立候補したが、3位で敗れた。ついでに書くと、2007年には元足立区長の吉田万三氏が出たこともある。保守分裂のため当選した共産党系区長である。この時も共産党推薦で立候補して、63万票近くを獲得している。そして、2024年の石丸伸二氏ということになる。こうしてみると、与党系で出ても、野党系で出ても、完全無党派で出ても、他の自治体トップの経験者は当選出来ないという「法則」があるということか。

 都知事選では200万票を越える得票がないと当選出来ない。今まで他の自治体トップ経験者は160、170万票程度しか取れていない。2016年の増田氏のケースで判るように、何で東京の国会議員がいっぱいいるのに東京以外の人を知事にするのかと反発が出て来る。野党系の場合、野党支持者はまとめられても、無党派層に浸透するのが難しい。今回の石丸氏もずいぶん得票したが、当選には遠かった。「知名度」とともに、なんで地方の市長が東京の知事になりたいのという素朴な疑問を越えられないということか。

 今後も他の自治体トップでは難しいと思う。全都的に支持を得るには、他県、他市のトップだった過去が足を引っ張るのかもしれない。東京の有権者に違和感を感じさせるということではないか。今まで誰も言ってないと思うので、ちょっと書いてみた次第。
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都知事選、「石丸+蓮舫」票が小池票を上回る地区はどこかー都内格差の可視化

2024年07月25日 22時13分59秒 |  〃  (選挙)
 都知事選について、改めてデータに基づき考えたい。当選した小池百合子の得票率は42.77%だった。従って過半数は得ていない。(前回2020年はほぼ6割の得票で、過半数を大きく超えていた。なお、21世紀の都知事選では、2003、2007年の石原慎太郎、2012年の猪瀬直樹が過半数を獲得している。)日本の選挙には「決選投票制度」がないので、これで当選である。

 それはいいんだけど、法定得票(有効投票数の1割)を越えたのは(言うまでもなく)3人だけだった。多数が出ていても、4位の田母神俊雄は27万票弱、全体の4%である。以下、10万票を超えた人が3人いる。それはそれなりに重いんだろうが、選挙情勢的には無視して良い。そこで上位3人を見ると、2位石丸伸二得票率24.3%、3位蓮舫得票率18.81%だった。合計すると43.11%になり、若干小池票を上回る。具体的に票数を見ると、小池(2,918,015)、石丸(1,658,363.406)、蓮舫(1,283,262)となる。石丸+蓮舫=2,941,625.406票となる。

 まあ、二人合わせれば2万票ちょっと上回るわけだけど、これはまあ誤差の範囲である。有力二人合わせて、やっと現職とほぼ同じなのである。知事選後、「石丸候補は何故躍進したのか」「蓮舫候補は何故3位に終わったのか」はいろんな人がいろいろ語っているけれど、本当に検証するべきなのは「前回より減ったものの、小池知事は何故圧勝出来たのか」の方だろう。それを解明せずにあれこれ語っても、2位にはなれても東京で当選出来ない。
(東京各地)
 東京と言っても広い。各地域には大きな違いがある。それを考えるために、何かいい地図がないかなと検索したところ、東京都企業立地相談センターという部署の地図が見つかった。そこでは各地域が色分けされている。23区部は「都心・副都心」「城東」「城南」「城西」「城北」の5つのエリアに分かれている。多摩地区は「北多摩」「南多摩」「西多摩」の3エリア。それに加えて「島しょ」エリアがあり、全部で9つになる。ここで考えたいのは、各エリアで各候補の得票がどう違うのかである。
 
 とは言うものの、全部見るのは大変だ。幾つかを抽出して、「小池票」と「石丸+蓮舫票」を比べてみる。どういう意味があるのかというと、小池知事の支持傾向に地域差があるのかがそれでつかめると思うのである。一票単位で比べるのは面倒なので、千票単位で四捨五入する。先に見たように、全都的には「小池票」=「石丸+蓮舫票」になっている。では、まず国会議事堂、首相官邸がある千代田区を見てみる。小池(1万3千)、石丸(9千)、蓮舫(5千)で、ほぼ全都の傾向と同じである。

 人口が最大の世田谷区(城西地区)を見ると、小池(18万7百)、石丸(13万4千6百)、蓮舫(9万8千7百)なので、小池票は一番なんだけど2位、3位を足すと5万票近く離されている。同じ城西地区の杉並区(小池=11万3千、石丸=7万7千、蓮舫=6万6千)や中野区(小池=6万4千、石丸=3万9千、蓮舫=3万4千)も似たような傾向にある。これは多摩地区の隣接市も同じで、武蔵野市(小池=3万、石丸=2万、蓮舫=1万8千)、三鷹市(小池=3万9千、石丸=2万6千、蓮舫=2万2千)なども同傾向である。

 この城西、北多摩地区には「野党系首長」が多い。選挙前に都内52の区市町村長が小池氏に知事選出馬要請を行った。それに加わらなかった首長も10人いるが、世田谷、中野、杉並、立川、小金井などほぼ城西、北多摩地区の区長、市長である。2021年衆院選で、立憲民主党候補が小選挙区で当選したり、あるいは比例区で復活当選したのも同じ地域が多い。つまり、もともとこの地区では非自民系の有権者が多いのである。

 では先の地域分けの「城東地区」を見てみる。僕が住んでる足立区は小池(14万8千)、石丸(7万)、蓮舫(5万2千)で、2位、3位を足しても現職に2万6千票も及ばない。ここでは都議補選も行われ、千票も差が付かなかったが14万票で立憲民主党候補が当選した。つまり小池支持者でも、都議補選では自民党に入れなかった人が相当いた。だけど、知事選では小池と書くのである。

 続いて足立の隣の葛飾区を見ると、小池=9万8千、石丸=5万3千、蓮舫=3万7千。その南の江戸川区では、小池=14万4千、石丸=7万4千、蓮舫=4万8千。城東地区でも、江東区や台東区では少し両者の票が上回る。しかし、それは「二人合わせれば」ということで、小池を抜いてトップになれるということではない。それにしても、ここで判るのは東京の一番東にあたる城東地区では、石丸票と蓮舫票の差が非常に大きい。先の中野区や三鷹市などを見れば歴然としている。

 面倒なので他の地区は検討しない。僕がここで書きたかったのは、城西、北多摩地区などに住んでいる非自民系の人は、小池知事が盤石ではないという肌感覚を持っていたのではないかということだ。当初石丸候補がこれほど取るとは予想されてなく、もし無党派票が蓮舫候補に集中すれば「勝機あり」と見えていたのではないか。しかし、城東地区に住んでいる自分から見れば、「小池に勝つのは難しいだろう」という肌感覚になる。そして蓮舫陣営の運動は城東地区であまり展開されなかった(と思う)。

 そして、野党系リーダーばかりでなく、野党系「文化人」や「市民運動家」、マスコミ関係者などもおおよそ「城西地区」に住んでいる。そこの感覚で発信するから、城東地区には浸透しないのではないか。非自民系の弱い地域で、地道な運動を行う以外に勝機はない。そして、実はこの選挙データは経済的、文化的な「都内格差」に基づいていると僕は考えている。そこを検証しない限り、東京は変わらないままだろう。(なお選挙のデータは各市区の選挙管理委員会のホームページに出ている。また新聞では、選挙直後の火曜日朝刊の地方版に掲載されている。)
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都知事選ポスター問題再論、内田樹氏のとらえ方

2024年07月24日 22時04分20秒 |  〃  (選挙)
 都知事選関係の問題をもう一度。まず「ポスター掲示板」問題から。「NHKから国民を守る党」が都知事選に24人の候補者を立てて、その「掲示板を利用する権利」を販売したという問題が起きた。選挙後に公職選挙法改正の論議があるところまで書いている。このように一党があまりにも多くの候補者を立てたために、掲示板にポスターが貼れない候補者が出た。都選管はそれに対して「クリアーファイル」を渡して、それに入れて掲示板の外側に貼るように指示した。これが「不公平」であるとして、選挙無効の訴えが相次いでいる。これに対しては僕は「笑止千万」としか思ってない。
(自宅近くの掲示板)
 何が不公平なのか。確かにちゃんと掲示板に貼れないのは公平性に問題がある。だが、それを主張出来るのは全都の掲示板にクリアーファイルを貼っていた候補者だけだろう。前にも紹介したが、わが家近くの掲示板(複数)は最後の最後までたった9人の候補者のポスターしか貼られてなかった。マスコミで「主要候補」に入っているはずの候補でもポスターがない人がいた。僕は別に驚きも嘆きもしない。都知事選や参院選はいつもそんなものだからだ。半分以上の枠が空いたままになるのは僕の地区では通常のことだ。こっちこそ「不公平」だと思う。クリアーファイルで貼っていたポスターは恐らく都心部のごく限られた掲示板だけだと思う。

 僕は下に載せた「掲示板ジャック」も見ていない。クリアーファイルも見てない。知事選の間、何も自宅に引きこもっていたわけではなく、都心部の主な地区には行っていた。だけど、銀座、新宿、渋谷、池袋、上野などで駅から映画館や寄席などに行く動線上にポスター掲示板は一箇所もなかった。人が集まる主要駅にこそ掲示板を立てればいいと思うが、候補者が余りにも多いから掲示板が大きいのである。商業活動に影響を与えるから設置出来ないのかなと思う。住んでる人が駅まで行く途中にはあるんだろうけど、暑い時期にわざわざ裏の方まで入り込まない。東京東部の周辺地域には、都知事選の運動は及ばないのである。
(「掲示板ジャック」)
 ところで、この問題をもう一回書いてるのは、東京新聞7月21日付(日曜)の「時代を読む」というコラムを読んだからである。ここでは毎週違う人が月1回書いてるが、当日は内田樹(うちだ・たつる、1950~)氏の文章が掲載されていた。「性善説システムからのお願い」と題されたその文章を読んで、なるほどそういう見方もあるなあと思ったのである。なお、内田氏の肩書きは「神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長」になっている。これじゃ知ってる人にしか判らない。Wikipediaには「フランス文学者、武道家(合気道凱風館館長。合気道七段、居合道三段、杖道三段)、翻訳家、思想家、エッセイスト」となってる。

 まあ、これでも判らないかもしれない。要するにフランス哲学者レヴィナスの研究、翻訳、紹介から始まり、21世紀になる頃から数多くの一般書を書いて知られた人である。僕も最初期の『ためらいの倫理学』や『「おじさん」的思考』なんかを面白く読んだ。対談等を含めると、すでに100冊を遙かに超える本を出していて、とてもじゃないが飽きてしまったが。しかし、うっかり忘れていたような視点からの鋭い指摘は時々ハッとさせるものがある。
(内田樹氏)
 さて、今回の問題に対する内田氏の考え方は以下の通り。「これまでも政見放送や選挙公報にはあきらかに市民的常識を欠いた人物が登場したけれども、それは「民主主義のコスト」だと思って、私たちは黙って受け入れていた。だが、今度の都知事選の非常識さは前代未聞だった。」「でも、こういう行為をする人たちは別に選挙を利用して金儲けをしたり、売名をしたいわけでもないと思う。彼らの目的は公選法が「性善説」で運用されているという事実そのものを嘲笑することにあるのだと私は思う。」

 「供託金さえ払えば、公器を利用して、代議制民主主義というものの脆弱性と欺瞞性を天下にさらすことができる。民主主義というのがいかに理想主義的な仕組みであるか、それを暴露して冷笑することがこのような行為をする人たちを駆動している本当の動機だと私は思う。「民主主義がどれほどくだらない制度だか、オレたちが好き放題にしているのを見ればわかるだろう?」と彼らは国民に向かって挑発的に中指を立てているのである。」

 なるほど、言われてみればこの「民主主義システム嘲笑論」は、世界に広がる「極右」勢力の気分をよく表わしている。今までの常識を「時代遅れ」と決めつけ、タテマエを非難して「ホンネ」を掲げる風潮。禁止されてないんだから、やって構わないという主張。揚げ足を取るようなやり取りで「論破」したと自分でみなす「論争」。そんな様子を思い出すと、彼らはシステムを嘲笑するのが目的なんだというのは、実に正確に言い当てている気がする。

 そして内田氏は「だからといってこういう行為を処罰できるように法整備をすることは原則としては反対である」という。その後の論理展開はかなり面倒くさい議論になっているので、ここでは省略する。詳しく読みたい人は自分で探して欲しい。僕は内田氏と違って、公選法を改正することに反対ではない。というか、常識で理解出来る範囲の問題行動があったとき、それを明文で禁止する法改正を立法院がするのをあえて止める理由が自分にはない。確かに無くて済めばその方がいい規定だろうが、そういうことをした人がいるんだから、僕が反対するような問題でもない。
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喜んでるのに、なぜ「悲願」と表現するのか?

2024年07月23日 21時56分08秒 | 気になる言葉
 パリ五輪の開会が近づいて来た。開会式は26日(金曜日)で、それに先立ちサッカーや7人制ラグビーの予選が明日(23日)から始まる。東京はものすごい猛暑が連日続いているが、パリの最高気温はなんと20度台半ばほど、最低気温は10度台になっているらしい。快適というより、むしろ観客には冷涼と言うべきか。一方、アメリカ大リーグのオールスター戦も16日に行われ、大谷翔平選手がスリーランホームランを打った。日本のプロ野球でも、ただいま現在オールスター戦第1日をやってる。2回にセリーグが3本のホームランで9点も取って試合的には面白くなくなった。

 他にも多くのスポーツが行われているが、高校野球の地方予選もその一つ。少しずつ代表校が決まりつつある。青森では冬の高校サッカーを制した青森山田が野球でも7年ぶり12回目の出場、秋田では6年前に準優勝した金足農が7回目の出場を決めている。一方、南北海道代表は初出場の札幌日大。ここは北海高校という40回出ている強豪校があり、札幌日大は今まで3回決勝に進出したものの準優勝に終わった。また宮城県代表も初出場の聖和学園。ここも30回出場で2022年に東北勢初優勝を飾った仙台育英、また22回出場の東北(ダルビッシュ有を擁して2002年に準優勝)という強豪校がある地区である。

 というようなスポーツの話を書きたいわけではない。これらのデータは特に知ってたわけじゃなく、今調べて知ったのである。僕はこの札幌日大や聖和学園が「悲願の初優勝」と報道されていることに、突然「なんで?」と気付いたのである。大相撲も今名古屋場所をやってるが、横綱照ノ富士が10連勝している。それに続くのが大関3場所目の琴櫻で2敗と2差が付いている。テレビや新聞では「悲願の初優勝」に向けて「これ以上は落とせません」なんて言っている。
(聖和学園が「悲願」の初優勝)
 僕が思ったのは、優勝して喜んでるのに何で「悲しい願い」なんだという疑問である。悲劇、喜劇というわけだから、悲願じゃなくて「喜願」と言う方が良くないか。大体「願い」というのは、悲しいことにならないようにと願うわけだから、これって反対の言葉がくっついている。言葉に慣れちゃって、今まで何の疑問も持たなかったけど、一体なんで「悲願」と言うんだろう。
(札幌日大も「悲願」の初優勝)
 そこで調べてみたが、結局「仏教用語」だった。仏教から来た言葉が意識せずに日常語になっていることは多い。(安心、挨拶、差別、自由、退屈、利益などなど。)問題の「悲願」は、「仏・菩薩(ぼさつ)がその大慈悲心から発する誓願。阿弥陀仏の四十八願。薬師如来の十二願などの類」ということなのである。ここで「慈悲」という言葉が出て来る。そこで慈悲を調べると、「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の内、最初の2つをひとまとめにした用語・概念であり、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の用語・概念であると出ている。

 「悲」は願望が実らず残念な状況ではなく、「あわれみ」という意味だった。そして特に浄土系の教えでは「阿弥陀様がすべての人間を救おうと立てた誓い」を意味している。そのように御仏の計らいで願いが叶ったと考えるとき、それは「悲願が成就した」ということになるんだろう。「かなしい」という言葉を「愛しい」とも書けるように、単に「sadness」だけを意味するのではなく、愛しい(いとしい)というようなニュアンスを含んでいる。そういう意味合いで「悲願」というわけである。
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愛と抵抗の年代記、『百年の孤独』②ーガルシア=マルケスを読む⑨

2024年07月21日 22時21分47秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケス百年の孤独』を読む2回目。昔読んだときの本を探し出してきた。なんと1972年に出た初版を持っていたので驚いた。いつ買ったのか不明だが、1982年まで読まなかったのは確か。値段は950円で、300頁ほどの本である。文庫で600頁を越える本が300頁で収まるのは、小さな字で二段組みなのである。今ではとても読む気になれない。一番最後にジャン・ジュネノーマン・メイラートーマス・マンカミュの全集の広告が載っている。こういう作家の全集を買う読者がいて、そういう読者層向けに『百年の孤独』が出版されたわけだ。今ではちょっと考えられない人選だろう。
(初版本)
 文庫ではアウレリャノ・ブエンディアと書かれているが、初訳ではアウレリャーノ・ブエンディーアと長音になっている。前に読んでる人は、そっちに慣れているだろう。帯を見ると「まさしくあのホメーロスや、セルバンテス、ラブレーが描いた〈巨大な人間劇場〉!」とうたっている。なるほど間違いじゃないだろうが、今はこのような受け取り方は少ないと思う。20世紀の小説は人間心理の深淵を究める方向に進み、さらに「物語性」を否定する「ヌーヴォロマン」へ至った。そんな時に現れた『百年の孤独』は、大昔のセルバンテス、ラブレーのような「ホラ話」の復活と思われたんだろう。
(スペイン語版)
 この小説を改めて読み直してみると、「全部愛の話」だと思った。そもそもその後に書かれた『コレラの時代の愛』や『愛その他の悪霊について』など、ガルシア=マルケスほど「愛」、それも「奇怪な愛」を書き続けた作家はいない。もちろんどんな作家も愛を描くし、ガルシア=マルケスだって「権力」や「宗教」も考察している。短編の場合だと、特にテーマを打ち出さず「奇想」をそのまま描いた作品も多い。しかし、なんと言ってもガルシア=マルケスの最大のテーマは「」だった。「愛」を裏返せばもちろん「孤独」である。『百年の孤独』は題名にあるように「孤独の考察」でもあるが、それは「愛の不在」でもある。

 『百年の孤独』のブエンディア一族は「愛」に憑かれているが、愛に恵まれない。およそ(普通の意味での)「幸福な結婚」から生まれた子どもがいない。「正式な結婚」は不幸な運命しかもたらさず、ブエンディア家を継ぐ次世代は母親や父親が判らぬような子どもばかりが多い。もっとも「正式な結婚」をするためには、町に行政当局や教会がなくてはならない。マコンドは何もない状態から建設された町で、つまり「平家の落人」みたいな一族なのである。それにしても複雑な愛と性の絡みあいが何回も繰り返される。それらは幸福な結実を見ずに終わることばかり。一方で愛を拒絶して自ら孤独に沈潜する人も多い。「孤独癖」の一族でもあった。そして一番最後に現れた本当の情熱こそ、延々と生き続けたウルスラの「予言」の成就だったとは。
(執筆していた頃)
 ガルシア=マルケスの小説はすべて「」がない。つまり長編小説の場合、普通「第1章」「第2章」などと分かれている。章なんて書いてなくても、数字の「1」「2」などで分けられるのが普通だ。それがないから延々と最後まで切れ目がないのかと最初は心配するだろうが、さすがにそんなことはない。何十頁か読むと、数字が付いてないだけで明らかに判る区切りがある。この巨大な小説は、「愛」をテーマとみなした場合、前半は「ウルスラ」、後半は「フェルナンダ」の時代となる。もっとも後半になっても初代ホセ・アルカディア・ブエンディアの妻であるウルスラ・イグアランは全然死なないけど。

 それでも明らかに一家の主導権(二代目家母長)は、初代から見てひ孫世代のアウレリャノ・セグンドが祭で見初めて遠くの町まで求婚に出掛けて結ばれたフェルナンダ・デル・カルピオに移る。敬虔なカトリックで「家風に染まぬ嫁」だったフェルナンダは、結果として子どもたちに不幸をもたらして孤独のうちに世を去る。それが「女系」で見た『百年の孤独』だが、これを「男系」で見るとまた違ってくる。ブエンディア一族こそ、2代目の「アウレリャノ・ブエンディア大佐」とひ孫世代の「ホセ・アルカディア・セグンド」(フェルナンダの義兄)という偉大な伝説的抵抗者を二人輩出した一家なのである。
(執筆当時頃の夫妻)
 コロンビア内戦で伝説的な自由の闘士となったアウレリャノ・ブエンディア大佐は、将軍になれるのに一生「大佐」を名乗っていた。(まるでリビアのカダフィ大佐だが、カダフィの方が後である。)出世のために起ち上がったのではないのだ。国家と無関係に生きてきたマコンドに、国家権力が入り込み横暴を極める。そしてついに町の若者が蜂起するが、その時リーダーとなったのが町を作った一族のアウレリャノだった。そして何度も何度も死地をくぐり抜け、伝説的な勝利と敗北を繰り返し最後は町に戻ってくる。自由党幹部がいくつかの大臣の椅子と引き換えに「停戦」を承諾して、現場の戦闘員は切り捨てられたのである。

 これはコロンビアで実際に続いた内戦を描いている。19世紀から20世紀に掛けて「千日戦争」と呼ばれる3年も続く内戦が繰り広げられた。アウレリャノ・ブエンディア大佐は他の作品にも出て来るが、抵抗のシンボルとしての「永久革命家」である。しかし、実際の戦争の中で彼も変貌していく。恐るべき政治的思考に囚われていくのだ。さらに戦場のあちこちで「献上」された美女たちとの間に、すべてアウレリャノと名付けられた17人の子どもまで産まれた。しかし、彼らは新しい蜂起を恐れる国家の謀略で次々に殺害される。大佐は部屋に閉じこもって、蜂起以前の仕事だった魚の金細工に打ち込み、恐るべき孤独の中で死んでいく。

 後半になると、鉄道が敷かれ「文明」が押し寄せる。ブエンディア家がアメリカ人観光客にバナナを提供したことから、バナナの特産地であると知られた。アメリカの会社がバナナ農園を築き、行政や警察の庇護のもとマコンドの新しい支配者となった。アメリカ帝国主義による経済的植民地化で、中南米各国は「バナナ共和国」と呼ばれた。余りに過酷な労働条件に怒った労働者がストを起こしたとき、そのリーダーがホセ・アルカディア・セグンドだった。しかし闘争は敗北し、軍隊の発砲で3千人が死亡し死体は海に捨てられた。この大虐殺は政府が事実と認めなかったので、やがて「そんなことは起こらなかった」と忘れられた。

 このような国家的な「フェイクニュース」により人々の記憶が消されていく状況は、現代の世界で多く見られる。中国の「天安門事件」を若い世代が知らないというが、記憶の抹殺と言うべきだろう。同じようなことが20世紀初頭のマコンドで起こり、すべては忘れ去られた。そして4年間の大雨でバナナ農園は壊滅し、人々はバナナ農園があったことさえ忘れていく。何という歴史的な「孤独」だろう。こうして、愛の年代記の裏にあった抵抗の年代記も、恐るべき孤独をもたらすのである。『百年の孤独』は奇想のマジック・リアリズムばかり言われるが、コロンビア民衆の抵抗の歴史が刻まれた書であることももっと重視するべきだ。
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マジック・リアリズム、『百年の孤独』①ーガルシア=マルケスを読む⑧

2024年07月20日 21時58分10秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケス連続読書は、いよいよ『百年の孤独』である。論点がたくさんあるので、2回に分けて書くことにする。『百年の孤独』は1967年に発表され、世界で累計5千万部売れたという大ベストセラーである。日本では鼓直(つづみ・ただし)訳で1972年に翻訳され、1999年に改訳された。そして2024年6月に初めて新潮文庫に収録されたわけである。原題は「Cien Años de Soledad」で、英訳題は「One Hundred Years of Solitude」。つまり、普通に訳すなら「孤独の百年」である。それを『百年の孤独』と訳したところに妙味があり、日本語として詩的な深みが出ている。検索すると、宮崎県の会社が作っている「幻の焼酎」の名前にもなっている。そういえば聞いたことがあるが、製造本数が少なくて入手が難しいという。
(新潮文庫)
 以前に寺山修司が舞台化し、さらに映画化を試みたが、原作者の許可を得られなかった。そのため作者死後に『さらば箱舟』と改題されて公開された作品が実は『百年の孤独』になるはずだった。今回Netflixでドラマ化されるということで、改めて世界的に注目されている。ということで、話題だから読んでみようという人もいるだろうが、早くも挫折した人がいるかもしれない。だから、友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』(ハヤカワ文庫)という本まで出てるぐらいである。そういう話を聞くと、どんな難解な小説かと身構える人もいるかもしれない。でも、この本は特別に難しい本じゃない。
(Netflixでドラマ化)
 しかし、自分も今回読み直すのに一週間ぐらい必要だった。案外「読みにくい本」でもあるのだ。それは何故だろうか。まず一つは純粋に長いということ。文庫本で注や解説を抜いて625頁ある。他の新潮文庫と比べて薄い紙を使っているので、「読み進み感覚」がスロー。しかも地の文ばかり続いて会話が少ない。司馬遼太郎の歴史小説みたいな気持ちで取り組むと、全然進まないのにガッカリする。もう一つは、同じ名前がひんぱんに出て来て混乱するのである。日本でも親の名前を襲名するということはあるが、基本的には子どもに親と同じ名前は付けない。しかし、アメリカのジョージ・ブッシュ元大統領の長男がジョージ・ブッシュ元大統領、という風に外国では親子で同じ名前を付けたりする。

 この小説はホセ・アルカディオ・ブエンディアに始まる一族で、その子がホセ・アルカディオとアウレリャノ、その次の世代がアルカディオとアウレリャノ・ホセ、その次の世代はホセ・アルカディオ・セグンドとアウレリャノ・セグンド…という具合。女性の場合は、レメディオスとかアマランタの名前が繰り返される。これじゃ混乱しても無理はない。一応家系図が出てるけど、関係者も多いから忘れてしまう。ところで何でこんなに似たような名前を付けるのか。実際にコロンビアで多いのかも知れないが、それだけではない。この小説より『コレラの時代の愛』の方が長いけど、「長さ感」では『百年の孤独』の方が上だと思う。
(家系図)
 それは『コレラの時代の愛』が基本的には時間が線的に進むのに対し、『百年の孤独』は時間が円環的な構造になっていて同じような話が繰り返されるからだ。その仕掛けの謎はラストに解明されるが、この物語は一番最初に書かれていた「予言」が実現する物語だった。それも「繁栄」ではなく、「滅亡」に至る物語である。ホセ・アルカディオ・ブエンディアウルスラ・イグアランは訳あって村を離れ、自分たちの新しい村を創る。それが「マコンド」で、『百年の孤独』は簡単に言えば「マコンド盛衰記」である。また「ブエンディア家の人々」とも言えるが、一家の盛衰が町の運命と絡まり合っていることが特別だ。

 物語は19世紀初め頃に始まり、題名通り百年間の時間が経つ。日本で言えば、江戸時代の徳川家斉将軍時代から昭和になるまでで、この間の変化はものすごく大きい。それは近代文明が世界を支配した時期である。ブエンディア家によって栄えていたマコンドも、外部から影響を受けることによって変わってしまう。それまでも「ジプシー」の一団が年に1回訪ねてきて、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは不思議な文物を入手して錬金術に熱中する。しかし、何十年か経つと「国家」と無縁に生きてきたマコンドにも、地方政府と教会が作られる。さらに何十年か経つと鉄道や飛行機などの「近代文明」がマコンドにも出現する。そして小説世界が全く変わってしまう。後半三分の一はひたすら衰えていく物語だから、読むのが辛いのである。

 この間マコンドでは不思議な出来事が起こり続ける。死者が甦るし、死なない人はずっと死なない。家母長と言える初代のウルスラは何と150歳近く行き続ける。目が見えなくなっても周囲に悟られず家族を見守っている。「小町娘」と言われるレメディアスは文字通り「昇天」してしまう。(小町娘はもう古いだろう。英語の「ザ・ビューティ」で良いと思う。)「ジプシー」のメルキアデスが籠っていた部屋は、彼の死後(いや、一度死んでから、甦ってマコンドに来るのだが)も塵が積もらず、空気も澄んでいる。後半になると4年と11ヶ月2日間も雨が降り続くし、その後は10年間の干ばつがやってくる。

 こういう現実にはあり得ない描写が連続し、その魅力に世界は驚かされたのである。そこで「マジック・リアリズム」という用語が作られて、ラテンアメリカ文学の代名詞ともなった。だけど、今回読み直してみると、そういうもんだと知って読むからかもしれないが、案外驚きはない。こういうものに慣れてしまったのもあるだろう。前にも書いたが、全く同年に発表された大江健三郎万延元年のフットボール』にもマジカルな描写が見られる。何もガルシア=マルケスの、あるいはラテンアメリカ文学の発明というよりも、同時に多くの作家たちが同じような試みをしていたんだと思う。

 それは従来の「リアリズム」、あるいはそれを越えたはずの「社会主義リアリズム」では、もはや世界の大きな変化を表せなくなってしまったという時代認識があったのだろう。だけど、それは単に「ファンタジー」とは呼ばない。どんな奇想天外な世界が展開されようが、それはファンタジー小説ではなかった。やはりラテンアメリカの現実にしっかりと根ざしたリアリズムだった。初めて読んだ時は驚くべき幻想小説にも見えたが、再読するとラテンアメリカ民衆史でもあり、壮大な愛の神話だった。
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公選法改正、「ネット事前運動」や「戸別訪問」の解禁も議論を

2024年07月19日 21時47分03秒 |  〃  (選挙)
 都知事選関連の問題はもっと考えるべきことがある気がしてる。結局それは「東京一極集中」という問題になる。まあ、そのことは後に回して、先に公職選挙法(公選法)の改正問題を考えてみたい。自民、公明両党は改正に向けた議論を始めていて、秋の臨時国会の大きなテーマになるだろう。「つばさの党」事件や「ポスター掲示板販売」問題が起こった以上、それらの明らかに選挙をおかしくする行為を禁止するのは当然だ。ついでに「政党その他の政治団体は、各選挙の当選者定数を越える候補者を公認することはできない」というルールも作って欲しいところだ。

 しかし、そういう「禁止事項を加える」だけでなく、この際「選挙運動の自由」を大幅に拡大するべきだと思う。まず日本の選挙運動期間は非常に短い。アメリカの大統領選なんか、常にガンガン議論している。まだ民主、共和両党の候補を決める段階だけど、事実上「事前運動」をずっとやってる。それが良いかどうかはまた別だが、衆議院選が12日参議院選と知事選が17日は明らかに短すぎる。多くの人が休日の土曜、日曜が(告示の曜日にもよるが)1回か2回しかない。これで議論が活発になるはずがない。だから、普段から顔と名前を売っている現職が出る場合、新人が勝つのはとても難しいのである。

 だけど、実際の選挙運動が長すぎるのも困る。選挙カーが回ってくると騒音だし、燃料代も公費負担である。だから実際の選挙運動は今と同じ期間でもいいけど、ネット上の運動なら告示日なんか関係ない。「次の選挙に立候補します」とネット上で宣言することに何か問題があるだろうか。都知事選なんか「後出しジャンケン」なんて言われて、誰が出馬するのかなかなか判らない。そして選挙期間中もほとんど議論がない。逆に早く立候補を表明して、どんどんネット上で支持を広げる戦略もアリではないか。インターネットの使い方に関しても、上記画像にあるように「SNS」は可なのに、電子メールは不可など、不可解なルールが存在する。こんなバカげたルールは意味不明。何を使っても良いが、他候補への根拠無き非難などを刑事罰で禁止する規定の方が必要だろう。
(ネット選挙の現状)
 一方で、「マスコミの公平性」も緩和するべきだ。今回明らかに小池、石丸、蓮舫3候補が大量得票が見込まれた。(新聞やテレビ局は世論調査をしてるんだから、事前に承知している。)だから、3氏の討論会をやって欲しいわけだが、小池知事が「公務優先」を理由にして出ないということで、実現しなかった(と言われる)。でも、「蓮舫対石丸」の討論会でいいから、テレビや新聞、ネットメディアでやって欲しかった。終わってから石丸氏を各番組に呼ぶんじゃなく、選挙期間中にもやれば良い。他の候補が不公平だと言うだろうが、多少は知名度がある候補数人に5分程度のアピール時間を確保すれば十分だ。

 もう一つ「戸別訪問」の問題もある。もともとなんで禁止なのかというと、「買収が起こりやすい」からと言われる。また労働組合が支持する革新党が有利になることも保守陣営は心配したんだろう。でも今じゃ誰が録音録画しているか判らない。迷惑な戸別訪問をする陣営は、録音がネットに掲載されてあっという間にネットで叩かれるに決まってる。確かに今戸別訪問を解禁すれば、公明党(創価学会)や共産党の支持者がやって来て、支持者じゃない人には迷惑もあるだろう。でも嫌なら嫌で、ビラだけ受け取って帰って貰えば良い。支持しない政党のビラでも貰って読むべきだろう。
(戸別訪問と個々面接の違い)
 理解出来ないルールが残り続け、選挙運動期間も少ない。これでは盛り上がるわけがない。僕は街で選挙運動を見る機会が非常に少ない。ほとんど誰とも会わないのを覚悟している。いつもそうだからである。もっとも今回は都議補選の候補者の演説は二人とも聞いた。(立憲民主と自民から出た。)地元密着の選挙なら、運動にもぶつかるのである。しかし、住民が1400万もいて、離島もある東京都の知事選では、候補者を見る機会が少ない。業界団体や労働組合、宗教団体などに参加している人は今とても少ない。誰からも働きかけがないなら、選挙の投票率が下がるのも当然だろう。自分で調べて投票に行く人ばかりじゃないんだから。以前書いたことと重なる論点もあるが、あえてまた書くことにした。
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「水俣病」と向き合う家族『風を打つ』、ー音無美紀子と太川陽介の名演

2024年07月18日 21時33分17秒 | 演劇
 トム・プロジェクトプロデュースの演劇公演『風を打つ』(ふたくちつよし作・演出)を亀戸文化センター・カメリアホールで見た。最近ライブ芸能は寄席ばかりになってるけど、ホントは演劇も見たい。しかし、見たい舞台ほど料金が高いうえに、僕が住んでる町から遠い。散々そんなことを書いてるが今度は東武線で行けて、しかも退職教員向けの機関誌に割引の案内が出ていた。(もっとも2回乗り換えないと行けないが。亀戸は例のつばさの党「選挙妨害事件」が起こった街である。)

 この作品は今回が4回目の上演で、主演している音無美紀子が、第74回(2019年)芸術祭優秀賞と第30回(2022年)読売演劇大賞優秀女優賞を受けたという。知らなかったんだけど、題材が水俣病なのに何で初演を見てないのか。音無美紀子は昔結構好きだったのに。夫役は太川陽介で、今やテレ東のバス旅の印象ばかり強いが、大昔のアイドル歌手である。リアルで見たことないから、ちょうど良い機会。難役を見事にこなす音無美紀子の名演に驚き感嘆した。音無が「ツッコミ」で、太川陽介は「受け」の演技になるが、こちらも見事に夫婦の時間を感じさせる。ラストに太鼓の実演シーンもあって見ごたえがあった。

 ホームページから、どんな話か紹介する。「1993年水俣。あの忌まわしい事件から時を経て蘇った不知火海。かつて、その美しい海で漁を営み、多くの網子を抱える網元であった杉坂家は、その集落で初めて水俣病患者が出た家でもあった...。...長く続いた差別や偏見の嵐の時代...。やがて、杉坂家の人々はその嵐が通り過ぎるのを待つように、チリメン漁の再開を決意する。長く地元を離れていた長男も戻ってきた。しかし...本当に嵐は過ぎ去ったのか?家族のさまざまな思いを風に乗せて、今、船が動き出す...。生きとし生けるものすべてに捧ぐ、ある家族の物語。」

 これじゃ今ひとつ判らないが、昔網元だった杉坂家の物語である。舞台には居間とその隣の仏壇がある部屋がある。手前(観客側)が海という設定で、天気はホリゾントで表わされる。夫が新聞を読み、遠くで妻の電話の声が聞こえる。それがまた大声なのである。実は東京へ出ていた長男が帰ってくるという。次第に判ってくるが、二人が1959年に結婚したとき、夫は20歳、妻は21歳だった。妻が網元の一人娘で、網子だった夫が求婚したのである。そして男の子ばかり5人生まれた。しかし、4人は水俣を去り都会へ行った。「水俣病」という重さを避けたのかもしれない。3男のみが残って両親と海に出ている。
(ふたくちつよし)
 作者のふたくちつよし(二口剛)作品は初めて見るが、市井の人々の葛藤をさりげないユーモアで描き出す芝居が多いという。母親は今まで語らなかった水俣病の体験を自分の口で語り始めている。しかし、電話や手紙で「寝た子を起こすな」という匿名の脅迫も寄せられている。そういう「外部」の悪意が家族を引き離してきた。母は病気を抱えて、新しい歩みを始めたいが、重いものを背負わされてきた長男はなかなか納得できない。長男が何故家を出たか、そして何故帰ってきたのか。親と子の葛藤が見事に形象化される。一緒に帰ってきた長男の妻が出来過ぎな感じだが、そういう人がいないと話がまとまらないだろう。
(音無美紀子・若い頃)
 音無美紀子が演じる杉坂栄美子は、もともと網元の娘でリーダーとして育成された。地声も大きいし、感情的な起伏も激しい。普段は元気だが、疲れて調子が落ちてくると水俣病のしびれや目まいの症状がひどくなる。その病状を演じわけながら、快活な人柄を印象付ける。そういう難役をまさにそんな人がいるかのように演じている。夫の孝史はその妻を支えてきた長い時間を太川陽介の存在感が表わしている。見ていて栄美子には危なっかしさもあるが、太川陽介の存在が安定感を与えている。太川陽介はうまいのかどうか判断が難しいけど、やはり存在感が大きいなあと思った。
(太川陽介・若い頃)
 ところで、劇内の時間から30年以上経つが、今も水俣病問題の完全解決には至ってない。いや「問題としては終わっている」という判断もあるのかもしれないが、「病気」というものは奥が深く全貌がはっきりしない。原一男監督のドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』を見ても、まだまだ解明されていない論点が様々にあることが判る。『風を打つ』は家族を描くウェルメイド・プレイ(良く出来た芝居)だが、構造としては世界の様々な問題と重なる。世界の大きな矛盾は「家族」に圧縮されて現れ、その時には家族の弱い部分に特に重圧がかかる。そんなことを考えながら見た舞台だった。
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『予告された殺人の記録』、もう一つの『異邦人』ーガルシア=マルケスを読む⑦

2024年07月16日 22時34分17秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケスを続けて。『予告された殺人の記録』(Crónica de una muerte anunciada)は1981年に発表され、日本では1983年に野谷文昭訳で刊行された。刊行当時に評判となって、その当時に読んだ記憶がある。1997年に文庫化され、新潮文庫に今も生き残っている。解説を入れても150頁ほどの本だから、時間的には割とすぐ読めるけど、これも結構手強い。人名が多すぎて、誰が誰やら悩んでしまう。ある実在の殺人事件の時間軸を一端解体して再構成している。その構成が「卓抜」と評され、作者本人も自分の最高傑作と言っている本である。だけど、時間構成がバラバラなので、外国人には理解が難しくなるわけである。

 この小説は1951年に実際にコロンビアで起こった殺人事件を描いている。ガルシア=マルケスの家族が住んでいた町で起きた事件で、家族の証言も出てくる。しかし、ガブリエル本人はもうカルタヘナでジャーナリストをしていたので、事件当日は町にいなかった。知人も多く関係していて、事件当時に大きな関心を持って取材していたらしい。しかし身近な事件過ぎて発表出来なかった。30年経って関係者も亡くなりつつあり口を開きやすくなって、改めて取材してまとめたのである。世界的に知られた作家が実在の殺人事件を描いたとなると、ノンフィクション・ノヴェルと呼ばれたトルーマン・カポーティの傑作『冷血』が思い浮かぶ。

 よく比較される本だが、作家が身近な題材を扱い、(事実上)自分の家族まで出て来るところが違っている。では、これは「ノンフィクション」なのかというと、先に取り上げた『誘拐』が紛れもなくジャーナリズムの範疇に属するのに対して、この本は明らかに「小説」になっている。実際にはいなかった作者に代わって、事件を物語る主人公が出て来る。また時間の再構成がなされた時点で、「事実」から「文学」になっている。訳者後書きによると、この方法は中上健次が高く評価していたという。また香港の映画監督ウォン・カーウァイに影響を与えて、『欲望の翼』以前と以後の違いをもたらしたという。
(映画『予告された殺人の記録』)
 この小説も映画になっていて、1987年に製作され、日本では1988年に公開された。イタリアの巨匠フランチェスコ・ロージの監督で、コロンビアの現地でロケされた。この監督は『シシリーの黒い霧』『黒い砂漠』『エボリ』など社会派系の名作を作っていて、僕が大好きな監督である。期待して見に行った記憶があるが、映画はあまり面白くなかったと思う。映画祭やベストテン投票などでも評価は高くなかった。何がどうなるか不明な状況こそ映画の題材にふさわしい。「予告された殺人」が予告通りに起こっても、原作を再現しただけになってしまう。そこら辺に弱さがあったかなと思う。
(映画の一シーン)
 さて、今まで事件そのものに触れていないが、簡単に言えば「名誉の殺人」というものである。現代ではイスラム圏で多く見られるが、日本を含めて過去には世界各国で起きてきた。バヤルド・サン・ロマンという人物が町へやって来て、何者だか不明だが有力一族らしい。アンヘラ・ビカリオを見そめて、結婚を申し込む。アンヘラは親が認めた結婚を受けざるを得ず、町を挙げた「愛のない結婚」の祝祭が繰り広げられる。ところが夜遅くなって、アンヘラが家に帰されてきた。「処女」ではなかったという理由である。一家の名誉を汚されたとして、双子の弟たちが問い詰めると、アンヘラはサンティアゴ・ナサールを名指しした。

 こうしてサンティアゴ・ナサールが付け狙われることとなり、そのことを(ほぼ)町中の人々が知っていた。しかし、本人に教える人がいなかった。本当に事件を起こすとは思っていなかった人もいた。兄弟も止めて貰いたいかのように、周囲に言いふらす。一度は凶器のナイフを警官に取り上げられる。それで終わったかと思うと、家から豚を殺すためのナイフを持ちだしてきた。様々な偶然も重なり、止められたはずの殺人が現実に起こってしまった。という意味合いで、この物語を「運命に操られた殺人」と理解して「ギリシャ悲劇のよう」と評されることもある。
(スクレ県シンセレホの大聖堂)
 事件が起きたのは大都市ではなく、コロンビア北部のカルタヘナ西方のスクレ県で起こった。そこで「地域共同体」の構造が問題になる。ここでは誰も指摘していない観点を示しておきたい。それはアルベール・カミュ異邦人』との比較である。『異邦人』では、北アフリカのフランス植民地アルジェリアでフランス人ムルソーがアラブ人を射殺する。そしてそれを「太陽のせい」と表現し、「不条理殺人」と呼ばれてきた。しかし、僕はそれは植民地で起きたある種のヘイトクライムととらえられると考え、『ヘイトクライムとしての「異邦人」』を書いた。では『予告された殺人の記録』と何が関係するのか。

 実は殺害されたサンティアゴ・ナサールアラブ人だったのである。正確に言えば、父親がアラブ人移民だった。イスラム教ではなく、カトリックである。シリアやレバノンにはキリスト教信者も多く、レバノンで大統領を出す慣例がある「マロン派」は「マロン典礼カトリック教会」のことである。かのカルロス・ゴーンもその一人。オスマン帝国支配下で困窮し、世界各国に移民として流出した。南米にもブラジル、アルゼンチンなどに多く、コロンビアにも100万人ぐらいいるようだ。サンティアゴ・ナサールはその一人だった。もうすっかり受け入れられ、裕福な経済環境もあって、町に溶け込んでいたはずだった。

 しかし、誰も彼に「殺害予告」を教えなかった。またサンティアゴとアンヘラが仲良くしていた様子は誰も見ていなかった。サンティアゴには許婚者がいて、結婚式も決まっていた。後になって人々が解釈したところでは、アンヘラは「まさか家族が襲撃するとは思えない人物」の名前を挙げ、「本当に関係があった人物」を隠したと理解される。そんなことがあり得るのか。「家族の名誉」が汚されたと思われた時、家族がその当人や関係者を殺害するのが「名誉の殺人」と呼ばれる。それにしても、「事実」の確認を本人にしないで突然襲撃するなら、単なる殺人だ。

 これは「共同体」からはみ出す要因を持つ「アラブ人」が名指された事件だった。『異邦人』は偶然に発生し、『予告された殺人の記録』ではまさに「予告」されて発生した。しかし、どちらも被害者がアラブ人だから起きた事件だった。それが僕が感じた事件の解釈である。ガルシア=マルケスは必ずしもその辺を深堀りしていない。問題意識になかったのかもしれない。「移民」「ヘイトクライム」が大問題になった21世紀になってから、見えてきた観点かもしれない。
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『わが悲しき娼婦たちの思い出』、90歳の大冒険ーガルシア=マルケスを読む⑥

2024年07月15日 21時52分42秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケス連続読書6回目は、『わが悲しき娼婦たちの思い出』。2004年に発表され、日本では木村榮一訳で2006年に翻訳された。ガルシア=マルケスの生前に発表された最後の小説だった。1928年生まれなので、77歳の時である。冒頭に川端康成眠れる美女』が引用されていて、日本でも評判になった。それは1961年に刊行された小説で、1899年生まれの川端は62歳だった。今なら「老人」扱いはまだ酷だが、当時は(特に睡眠薬中毒で悩んでいた川端は)相当の高齢という年だった。それを反映して、『眠れる美女』には濃厚な死と退廃(デカダンス)の匂いが立ちこめている。

 ガルシア=マルケスは以前にも、『十二の遍歴の物語』所収の短編「眠れる美女の飛行」(1982)で『眠れる美女』に触れている。川端康成は相当に異様な性愛小説を幾つも書いた作家だが、中でもこの小説はぶっ飛んでいる。大昔に読んだきりで、細かいことは忘れてしまったが、当時としてもかなり気色悪い設定だろう。何しろ特殊な薬物で眠っている若い女性とただ添い寝するだけの「秘密クラブ」というのである。僕にはよく判らない感覚なんだけど、この小説は内外で5度も映画化されている。

 僕に理解出来ないというのは、「高齢になっても元気な男」が「若い女性」を求めるというなら、それは理解可能ではある。しかし、そういう「理解可能」な話はエンタメ小説にはなっても、純文学としては底が浅い。だから、すでに性的能力がなくなった「老人」がただ添い寝するに留まるという方が小説としては面白い。だけど、わざわざそんなことをするのが僕にはよく判らないわけである。そこには当然「金銭」が絡んでいる。金持ち老人の「悪趣味」みたいな気がする。ところで、そういう話をガルシア=マルケスも書いたのかというと、ある意味その通りなんだけど、本質的には逆方向の作品とも言える。
(2009年のガルシア=マルケス)
 『わが悲しき娼婦たちの思い出』は翻訳で120頁ほどの中編と言ってもよい作品だが、案外手強い。主人公はもうすぐ90歳を迎える新聞のコラムニストである。いつの話かというと、1960年だという。場所はコロンビアのカリブ海沿岸最大の都市バランキージャだと思う。(いつもカルタヘナを舞台にすることが多かったが、この小説では事件が起こってカルタヘナに逃げていく場面があるので別の町。)そして「90歳を迎える記念すべき一夜を処女と淫らに過ごしたい」と思ったのである。異様である。そんな90歳がいるのか。そんなことを妄想するもんなのか。

 帯の裏を見ると、「これまでの幾年月を 表向きは平凡な独り者で通してきた その男、実は往年 夜の巷の猛者として鳴らした もう一つの顔を持っていた。かくて 昔なじみの娼家の女主人が取り持った 14歳の少女との成り行きは…。 悲しくも心温まる 波乱の恋の物語」と書いてある。1960年のコロンビアの話だから、「女性差別」とか「小児性愛」と言っても始まらないだろうが、それでも21世紀に書かれた小説としては問題がありはしないか。
(映画)
 この小説はメキシコを舞台にして、2012年に映画化されたという。日本未公開だが、特に海外で評判になったという話も聞かない。ヘニング・カールセンというデンマークの監督作品である。この映画化においては、メキシコで「児童の人身売買と性売買を助長する」と批判が上がったという。ただ製作者側は(主演女優も含めて)、これは愛の物語だと論じたらしい。確かに原作を読むと、「死への誘惑」を漂わせる川端作品と違って、ガルシア=マルケス作品には生へのエネルギーがある。もう辞めるつもりだった主人公は元気を取り戻し、90歳にして人気コラムニストとして再生する。しかし、ここでも主人公と少女は性的な接触はない。それを「愛」と呼べるのか。僕にはどうも疑問が多かった。単に創作力の衰えかもしれないが。
(バランキージャ)
 90歳で新聞にコラムを書くというだけで、相当に凄い。さらに裏の生活として、少女と日々逢いたいと思う。それがある事件をきっかけに不可能となるが、それでも生きることに執着する主人公は何とか少女を見つけようとする。お互いに直接は何も知らないし、話をしたこともない。そんな二人に「愛」が成り立つのか。それはよく判らないけれど、何で作者はこの小説を書いたのかは、解説にヒントがある。『コレラの時代の愛』の中でも、ここでは触れなかったが親戚の少女が登場して悲しい運命をたどる。もう老人の主人公を愛してしまうのだが、主人公は半世紀前の恋人を待ち続けていたわけである。

 それも実に変な設定で、周囲に若い少女がいて愛してくれるんなら、半世紀前に振られた高齢女性に執着するのが理解不能なのである。しかし、それを言語のマジックで何となく納得させてしまう。しかし、その影で物語の犠牲になった少女を悲しい運命に追い込んだ。この『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、その時の少女の再来なんだという。確かにそう解釈すると、『眠れる美女』が死の気配に満ちていたのに対し、この小説が生きるエネルギーに向いた「反・眠れる美女」とも言えることが理解出来る。ただ、やっぱり内容以前に作品としての面白さが減退してるんじゃないか。どうもそんな気もしてくる小説だった。
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斎藤兵庫県知事の「内部告発」問題ー「維新」知事のパワハラ疑惑

2024年07月14日 22時21分12秒 | 政治
 都知事選から一週間ほど。様々な余韻は漂うものの、地方政治をめぐる問題としては「兵庫県知事問題」が大きくなってきた。この問題は前からくすぶっていて、その話は聞いていた。しかし、地元の都知事選ならともかく、全然縁のない地域の話を書くのもなあと思って触れないでいた。しかし、重大な問題が幾つもあると思うので、ここで書いておきたい。

 2024年3月に「西播磨県民局長」(播磨=はりま=兵庫県南西部の旧国名)を務めていたW氏(本名も判明している)が、兵庫県の斎藤元彦知事の「パワハラ疑惑」などを告発する文書(「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」)をマスコミ、県議などに送付した。斎藤知事は告発を「嘘八百」と否定して、「業務時間中なのに嘘八百含めて文書を作って流す行為は、公務員としては失格。被害届や告訴などを含めて法的手段を進めている」と激しく反発した。W氏は3月末で定年退職だったが、「懲戒処分の可能性がある」として退職辞令が取り消された。そして5月になって「停職3か月」の懲戒処分が下された。
(内部告発を否定する斎藤知事)
 細かいこと(疑惑の内容など)は書かないが、その後県議会で「百条委員会」(自治体の疑惑や不祥事があった際、事実関係を調査するため、地方自治法100条に基づいて地方議会が設置する特別委員会)が設置され、来週にはW氏も委員会に出席して証言することになっていた。しかし、それを前にW氏は7月7日に亡くなった。「自殺」とされる。(遺書もあると言われるが、現時点では公表されてない。)ところで、この問題をちょっと調べて驚いたのは、死者は1人ではなく2人だったのである。先の文書で「セ・パ優勝パレードにおけるキックバック強要」が告発されていた。その担当の総務課長が大阪府との調整などに悩み「ウツ」状態だと告発されていたが、その課長が4月に「自殺」していたというのである。
(斎藤知事は辞職せず)
 兵庫県ではおよそ半世紀にわたって現職知事引退後に、副知事が出馬して当選してきた。2021年の知事選では、3期務めた現職の井戸敏三氏が引退を表明し、井戸氏は金沢副知事を後継に指名した。しかし、県政の刷新を求める声もあり自民党県議団は分裂し、斎藤元彦氏が自民党と維新の支持で立候補して、金沢氏らを破って当選した。斎藤元彦氏(1977~)は神戸市生まれで、地元小学校、愛媛県の中高一貫校を経て東大を卒業、総務省に入省した。総務官僚(旧自治省系)は全国各地に出向するが、Wikipediaを見ると斉藤氏は三重県、新潟県、福島県に出向している。直前は大阪府財務部財政課長だった。

 コロナ禍の真っ最中で「従来の発想の県政を脱却するべき」という方向性はあると思うが、こうして「大阪維新」の薫陶を受けた総務官僚が若くして知事になったわけである。権力者のふるまいは「大阪に学んだ」との声もあるようだ。パワハラ問題の具体的状況は知らないが、いろいろと検索すると「県職員なら誰でも知っている」という証言が多い。副知事は「厳しい叱責」と表現しているが、命に関わるようなケース以外で厳しく叱責することを普通は「パワハラ」と受け取るんじゃないだろうか。

 そもそも告発者が3月末で定年だと聞いた時点で、「告発は事実なんだろう」と僕は思った。今後もずっと生活のために辞めるわけにはいかない人は告発出来ない。もうすぐ退職する人間だから、最後に言うべきことを言わなければ無責任な終わり方になると思ったんだろう。ところが、退職自体が差し止められた。この退職差し止め自体がパワハラっぽい。多くの自治体に「定年延長」の仕組みはあると思う。しかし、それは「余人をもって代えがたい」場合の話で、「処分の可能性」で辞めさせないという措置はあり得るのか。普通は「退職金支給差し止め」はあっても、定年年齢になったら退職になるはずである。
(職員組合は知事の辞職を求めた)
 この退職差し止めは大きな重圧になったと思う。そして5月に「停職3ヶ月」となるが、それが仮に妥当な処分内容だとしても、「懲戒免職」事案ではなかった。わざわざ定年を延ばした上で「停職」など全く無意味である。在職時に問題があれば、その分の退職金を削減すれば済む話で、退職させないなんて聞いたことがない。この問題の県調査に「第三者機関」は関わらず、逆に「県が調査の協力を依頼した弁護士が、告発文書で知事の政治資金に関連して指摘された県信用保証協会の顧問弁護士だった」という。
 
 そこで県議会が「百条委員会」設置ということになったわけだが、自民党県議団は設置に賛成した。一方、維新と公明が反対したのである。維新や公明は普段は政治倫理に厳しいようなことを言っているが、やはり自分の支持する場合は違うのだ。それも大きな教訓である。そして、噂レベルだが、維新の県議は百条委員会で告発当事者の元県民局長を追求する構えを示していたという。3月末に副知事と県人事課長が突然県民局を訪れ、局長が使用していたパソコンを押収したという。局長にもまさかの油断があったのだろうが、どうも職場のパソコンで告発文書を作成していた。そしてパソコン内には個人的な情報も保存されていたらしい。

 「自殺」の真相は不明だが、このような百条委員会で予想される「追求」が大きな心理的負担になっていたのではないか。片山副知事は上記画像で職員組合からの辞職要求文書を受け取った人だが、辞任の意向を表明した。知事に一緒に辞任するよう求めたが拒否されたという。しかし、県庁で一人ならず二人も死者が出ている事実は重く、このまま最高責任者が居座ることが出来るとはとても思えない。何にしても「上司にしたくない」人物が間違ってトップに立ってしまった場合、下の者はどうすれば良いのか。

 僕は東京都の教員として、都教委(の都立中学教科書採択)に反対する運動をしてきた。従って、「身を守る」ためにはそれなりに気を付けていた。職場のパソコンで職務以外の文書を作ったり、有給休暇を申請せずに集会に参加するなど、避けなければならない。どこから難癖を付けられるか判らないからだ。裁判になれば、当局者はどこまでもウソをつき続ける。それを前提にして、不当な罠に陥れられないように「内部告発者」も注意が必要である。
*その後、W氏は音声データを遺していたことが判り、百条委員会に提出された。なお「死をもって抗議する」と言っていたという。「告発」内容の問題は今後しっかりと検証するべきだが、それ以上に告発以後の知事の対応に大きな問題があり、責任を免れないと考える。(7.17追記)
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