尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「統一教会」と自民党、その深い関係ー「安倍事件」考④

2022年07月31日 23時07分29秒 | 政治
 旧「統一教会」と自民党など政治家との関係が次々に報道されている。それが安倍元首相暗殺につながったわけだから、その実際のところを知りたいと思うのは当然のことだ。本来は自民党が率先して究明に乗り出すべきものだ。しかし、茂木幹事長は「自民党として組織的関係がないことを既にしっかりと確認をしております」と述べている。これはわざとポイントを外す発言である。言ってみれば、「愛人と密会」が報道されているときに、「該当の人物とは正式の結婚関係にないことを確認している」と言うようなものだ。初めから「組織的関係」なんて誰も言ってない。「裏のつながり」を疑問視しているのである。

 一方、福田達夫総務会長は「党が組織的に強い影響を受けて政治を動かしていれば問題かもしれないが、一切ない。何が問題かよく分からない」と発言した(後に釈明。)福田氏は福田赳夫福田康夫と二人の首相を祖父、父に持ち、群馬県4区で圧倒的な知名度を誇っている。小選挙区制度になって9回の選挙があったが、ここは福田康夫、達夫父子しか当選していない。2009年の政権交代選挙こそ、1万2千票差に迫られて民主党の三宅雪子に比例当選を許したが、それ以外は常に福田家の圧勝になっている。福田達夫は一度も苦戦したことがないし、だからこそ安心して正論を主張でき「若手のホープ」として台頭した。

 将来の社長候補の御曹司には、総会屋対策などの汚れ仕事を担当させない。それを判っているのかいないのか、我が社は本当にクリーンな会社だと信じ込んでしまっているのかもしれない。しかし、三代目としてもはや党の政策が右翼宗教団体に支配されている実態にも考えが及ばなくなっているのである。だが、もしかするとこれは右派陣営における福田家の位置に関わっているのかもしれない。岸派創設者の岸信介は首相退任後も保守政界の実力者として暗躍し、「巨魁」「昭和の妖怪」と呼ばれた。岸派を継いだのは福田赳夫だが、福田や小泉純一郎は「表の顔」であって、裏での調整役は森喜朗に受け継がれたのではないか。それが森の引退によって、安倍晋三に受け継がれていたのではないか。(まあ、僕の想像だが。)
(福田達夫自民党総務会長)
 それをうかがわせるのは、青山繁晴参議院議員(自民)のブログでの発言である。(7.18付)
 「▼比較的、最近の出来事です。参院選に向けて、自由民主党の公認作業などが進んでいた時期でした。良心的な議員がわたしにこう語りました。「所属する派閥の長から ( 旧 ) 統一教会の選挙の支援を受けるようにと指示されたが、断った。そのため派閥の長は、その分の票を別の議員に割り振ったようだ」そこで、この派閥の長を訪ねました。わたしは完全に無派閥ですから、アポイントメントの申し入れさえ受けていただければ、どの派閥の長にも自由に、利害関係なくお話しすることができます。」
 「▼わたしがこの派閥の長に、事実関係を問うたところ、「各業界団体の票だけでは足りない議員については、 ( 旧 ) 統一教会が認めてくれれば、その票を割り振ることがある」との率直な答えがありました。わたしは「この宗教団体の支援を、すくなくとも一般の有権者が知らない、明らかにされていないのは問題です」と指摘し、「見直すべきです」と具体例を挙げて諫言しましたが、派閥の長は具体的には答えませんでした。」
(青山繁晴議員)
 この「派閥の長」が誰だか明言していないが、これは当然安倍派会長だった安倍晋三氏だと考えられる。麻生、茂木、二階、岸田氏らに旧統一教会票を左右できる関係があるとは考えられない。ここは「天宙平和連合」にメッセージを送り、大きな「恩」を与えた安倍氏にこそ、選挙での見返りを求める権利があると考えられる。僕はこれを「違法行為」と批判しているのではない。「統一教会」(「家庭連合」)が合法的な宗教法人として存在している以上、選挙で特定の候補を支援するのも合法である。かつて田中角栄元首相が建設業界などに強い影響力を持ったように、派閥の長たるものは、このような「票田」を握っているのである。だからこそ、大きな派閥を維持出来るのだろう。

 その旧統一教会の票を割り振られた候補者は井上義行参議院議員であると考えるといろいろな辻褄が合う。今回「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の「賛同会員」であると認めた人物である。井上氏は今まで官僚から安倍首相秘書官になった人ぐらいの知識しか無かったので、ウィキペディアを見て驚いた。この人は小田原市の私立高校を出て国鉄に就職し、日大の通信課程を卒業した。その後、国鉄民営化に伴って総理府(現内閣府)に異動したというのである。「もう一人の赤木さん」であるが、人生行路は正反対になった。98年に額賀福志郞内閣官房副長官の秘書官となり、2000年には安倍晋三内閣官房副長官の秘書官に横すべりし、そして安倍氏が官房長官、総理大臣と上り詰めていくのに同道して秘書官を勤め続けたのである。
(井上義行議員)
 2007年の安倍内閣総辞職で、「総理大臣秘書官を退任した。千葉科学大学の客員教授などを務めた。」と出ている。退任して元の役所に戻るのではなく、退官してしまったようだ。千葉科学大学というのは、例の加計学園が経営する、安倍氏が創立10周年に講演したという大学である。もう完全に安倍氏とのパーソナルな関係に人生を賭けてしまったのである。そして政界入りを目指して、2009年の衆院選に出馬するも無所属で落選。この時は民主党政権が出来た時だが、そもそも井上氏は自民党公認を得られなかった。小田原の神奈川17区は河野洋平氏が長く当選したところで、河野氏の後継である牧島かれんデジタル相が自民党の公認を得たのである。そのため、井上氏は4万2881票で落選した。

 自民の公認は無理と諦めたのだろう、2010年には「みんなの党」に加入し、2012年の衆院選に出馬するも再び落選。この時は5万4337票で、1万票以上伸ばしたものの比例代表の復活も次点で終わった。そこで2013年の参院選に「みんなの党」から出馬して、今度は4万7756票で「みんなの党」の4位となって初当選を果たした。「みんなの党」はこの時4人が当選だったから最後の当選者である。「みんなの党」や「維新」は党名得票が多く、5万票弱で当選出来たのである。しかし、「みんなの党」は2014年11月に解党してしまう。井上は「日本を元気にする会」に参加するものの、首班指名では安倍晋三に投票している。2015年には同会を脱退し、無所属として自民党会派に加わった。

 2019年の参院選には自民党から立候補したが、8万7946票で落選した。この時の自民党当選は19名だが、この選挙から「特定枠」が出来たので、それを除けば17人当選となる。最下位当選の赤池誠章は13万1727票だった。その後に比嘉奈津美、中田宏、田中昌史、尾立源幸、木村義雄と井上候補の上に5人もいたのである。そして2022年の参院選になるが、今回は16万5062票を得て、個人票の11位で当選したのである。3年前から倍増させているが、この3年間は落選中だったわけだから、特に新しい業績が加わったはずがない。今回「新しい組織票が付いた」としか理解出来ないと思う。そして安倍氏個人とパーソナルな関係をこれほど築いていた候補は他にはいないだろう。このように党の正規のルートの他に、有力者が握る組織票があるわけだ。
(細田衆議院議長)
 今回多くの自民党議員が旧統一協会と「深い関係」を持っていることが明らかとなった。驚くべきは細田博之衆院議長まで、会合に出席するなど深い関係がうかがわれる。この人は前国会で様々な問題発言やセクハラ疑惑に答えることなく、議長を続けている。やはり問題ではなかろうか。名称変更の経過など、内閣がきちんと疑惑に答える必要がある。しかし、岸派からつながる現在の「安倍派」系列の政治家が多い。違和感を感じずに参加出来る素地が出来ているんだろう。「組織的な関係」ではない、一部政治家との不透明な「票を割り振る」「組織を保護する」という関係があったことが推定できる。
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追悼演説のゴタゴタ問題ー安倍事件考・番外

2022年07月29日 22時49分04秒 | 政治
 8月3日から開会される臨時国会で、安倍晋三元首相の追悼演説が行われる予定だったが、まあ後述の問題が生じて秋の臨時国会に延期されるという。この問題をちょっと考えてみたい。その前に、何で臨時国会をもっと早く開いて、「国葬」とか「コロナ」とか内外の諸課題を審議しないのかという問題。今回の臨時国会は、7月10日に行われた参議院選挙を受けたものである。引退、落選した議員もいれば、新たに当選した新人議員もいる。だから新たな座席を決めて、議長・副議長を選び直す。しかし、参議院は解散がないので、落選議員も任期満了の7月25日までは議員である。だから、それまでに国会を開いても参議院の新人議員が出られない。26日から、名札を入れ替えるなど新議会の準備を始める。だから、8月まで開けないわけである。

 さて、国会では同僚議員が現職で亡くなった場合、慣例で所属の院で追悼演説を行うことになっている。当然のこととして、議場に立って演説を行うのも同僚議員に限られる。安倍氏の場合、もう人選でもめるぐらいなら、森喜朗元首相、小泉純一郎元首相などはどうかという人もいるが、人選的にはベターかも知れないがすでに議員を引退しているから対象外となる。今回は「遺族の意向」で甘利明自民党前幹事長という名前が出て、与野党から反対論が噴出して先送りになったわけである。

 追悼演説は多くの場合、他党の議員が行うことが多い。それは何故かといえば、単なる葬式の弔辞ではなく、国権の最高機関たる国会の意思として追悼の意を表わすために、「仲間褒め」に見られないようにするということだろう。憲政史上最も有名な追悼演説は、恐らく1960年の池田勇人首相による浅沼稲次郎社会党委員長に対する演説だろう。浅沼稲次郎は総選挙前に日比谷公会堂で行われた自民、社会、民社の三党党首演説会で、右翼少年によって暗殺された。その特別な事情もあって、池田首相は国会だけでなく、社会党葬でも弔辞を読んでいる。
(社会党葬で弔辞を述べる池田勇人)
 その時の追悼演説はネット上で読むことができる。「池田勇人君の故議員淺沼稻次郎君に対する追悼演説」である。1960年10月18日に行われた演説は今も語り草になっている。原稿を書いたのは、池田のスピーチライターをしていた伊藤昌哉だった。西日本新聞記者から、宏池会職員になり、事実上池田の私設秘書をしていた。後に『自民党戦国史』というベストセラーを書いたことで知られている。「議場がシーンとしてしまうような追悼文」と池田から要望され、資料を集めて書き上げたのである。

 「淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。(拍手)」
 「君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。」
 沼は演説百姓よ
 よごれた服にボロカバン
 きょうは本所の公会堂
 あすは京都の辻の寺
 これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。(拍手)」
 「君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。(拍手)君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。(拍手)」

 少し引用したが、これを読めば庶民的政治家として知られた浅沼の風貌が(時代的に直接知らない自分の世代であっても)蘇るような気がしてくる。この名演説は選挙に臨む池田首相の人気を大いに上げたと言われている。野党第一党の委員長を悼むに相応しいのは与党第一党の総裁である。議会政治においては、選挙によって政権が交代する可能性があるわけで、与野党と言っても絶対的なものではない。それに、例えば大会社の社長が亡くなったとして、単にその会社を発展させただけではなく、業界全体のために貢献した人だとする。その場合、社葬に止まらず、業界団体との合同葬にして、弔辞はライバル会社の社長に頼むものだろう。その方が一企業をもうけさせただけでは無い人に相応しいからだ。

 国会の追悼演説もその党に尽くしただけではなく、国民のために貢献したという観点から、他党派の議員が行う慣例がある。現在の議員では、3回追悼演説を行った尾辻秀久参議院議員が知られている。山本孝史西岡武夫羽田雄一郎の3人の追悼演説を行っていて、中でも山本孝史議員への演説は名演説として有名だ。山本孝史は兄の交通事故死をきっかけに交通遺児育英会で働くようになり、その後日本新党から衆議院議員に当選した。新進党を経て、2001年から民主党参議院議員に当選した。在職中にガンを発病し、発病を明かして活動を続けて、2007年には比例区で当選した。しかし、2007年12月22日に亡くなったのである。
(尾辻秀久議員による山本孝史氏の追悼演説)
 追悼演説は2008年1月23日に行われた。尾辻氏は厚労相としてがん対策基本法、自殺対策基本法制定を目指した山本氏と関わった人である。尾辻氏はがん対策基本法の早期成立を訴えた代表質問を引用し「すべての人の魂を揺さぶった。今、その光景を思い浮かべ、万感胸に迫るものがある。あなたは社会保障の良心だった」「自民党にとって最も手強い政策論争の相手だった」と追悼した。そして「先生、今日は外は雪です。寒くありませんか」と結び、涙ながらに演壇から呼びかけた。この演説も語り継がれている。

 このように、国会の追悼演説は出来れば、他党派の議員によるべきものだろう。甘利明氏は2016年1月28日に辞職するまで、第1次、第2次、第3次安倍内閣でずっと閣僚を務めていた。だから「盟友」なんだろうが、要するに「部下」である。部下が上司を誉めたたえるのは当然であって、言葉に重みが出ない。しかも、甘利氏は大臣室で政治資金の報告をしていない現金を受け取った人物である。「週刊文春」にURへの口利き疑惑と報じられ、辞職を余儀なくされた。自らのスキャンダルで安倍内閣に泥を塗った人物が、よりによって追悼演説ですかと誰でも思う。それに「疑惑について調査し報告する」としながら、以後「睡眠障害」を理由に国会を欠席して、国会への報告を怠っている。この問題に触れるか、触れないか。どっちでもヤジが飛ぶ可能性を否定出来ないだろう。飛ばさないようにするには、事前に国会の政治倫理審査会などへの出席が必要だ。

 では何故甘利氏の名が「遺族の意向」として伝えられたのだろうか。この遺族というのは、昭恵夫人のことだと思われるが、まあ幹事長を辞任した甘利氏に「同情」したのだろう。麻生氏には家族葬で弔辞を頼んだから、今度は甘利氏にということなのかなと思う。しかし、常識的に考えて、もっとも相応しいのは野田佳彦元首相である。菅直人元首相は、安倍氏のブログ記事をめぐって法廷闘争をしたから、確かに遺族が望まないかもしれない。しかし、野田氏も忌避したのは何故だろう。もしかして、首相官邸に住むべきだと直言した野田氏の国会質問が理由なのかも知れない。どうしても自民党からというなら、同じく首相を務めた麻生太郎菅義偉両氏のどちらかとなる。

 ただ、「首相経験者が凶弾に倒れた」というケースの追悼演説は、他党に頼むべきだろう。それが「憲政の常道」だ。ここで判ったことは、やはり安倍昭恵氏は「判っていない人」だったということではないか。かつて森友学園問題で、幼稚園児に教育勅語を暗唱させるという特異な教育法人に、首相夫人が関わったら大問題になると思わなかったのかが不思議だった。今度も追悼演説にスキャンダルで辞任した元大臣が出て来たら大問題だという、当然の常識が欠けている。まあ、野党がやったら「偉大な夫」が批判されかねないという自覚を持っているのかもしれないが。
*記事の最後で、「遺族の意向」を昭恵夫人の意向とする報道を受けて書いたけれど、30日になって事情は違うという報道もなされた。その記事によれば、「国葬」は岸田、家族葬は麻生、追悼演説は甘利と3人で決めてしまって、野党には「遺族の意向」をタテにして押し切るという方針だったという。しかし、甘利氏が「安倍派(後継の有力議員)にはカリスマがいない」という発言が安倍派の反発を買って、自民党内から甘利反対論が噴出したということらしい。それが本当なら、安倍昭恵夫人には関係がなかったことになる。ただし、まだ確かな事実関係は不明である。以上情報まで。(7.30追記)
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大崎、袴田、小石川事件ー再審の現状(附・台湾の再審法改正)

2022年07月28日 23時11分11秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 死刑問題に関してちょっと書いたので、続いて再審請求事件の現状について簡単にまとめておきたい。まず、1979年に鹿児島県大崎町で起こった「大崎事件」の第4次再審請求で、6月22日に鹿児島地裁が棄却決定を下した。5月にも判断が出ると言われたが、6月下旬に延びていた。言い渡し決定日が告知され、開始決定を予測する向きも多かった。この事件は第3次再審請求に鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部が開始を決定したが、何と最高裁が2019年6月25日付で再審開始決定を取り消したという驚くべき経過がある。これに関しては、「大崎事件再審取り消しー信じがたい最高裁決定」(2019.6.28)を書いた。
(大崎事件の再審棄却)
 なんで最高裁決定が「信じがたい」かというと、下級審で2回開始決定が出たのに対し、「自判」して棄却したからである。最高裁は憲法違反、判例違反の判断を下すことが最大の役割である。幅広い権限を持っているので、事実認定が出来ないわけではない。しかし、一応、一審二審で「事実認定」を行い、最高裁では法的判断のみを行うのが通例だ。それが事実調べを行わずに鑑定の評価を変えて棄却するという前代未聞の暴挙が行われた。もし仮に下級審の事実認定に疑問を感じたら、差し戻しを命じるのが普通のことだろう。この「事件」はそもそも殺人事件ではないと弁護側は主張し、新証拠をもとに第4次請求を行っている。

 最高裁がひどい判断をすることは多いが、最高裁が決定してしまえば法律的には終わってしまう。大崎事件の場合で言えば、第三次請求審は終わりだが、最高裁の事実認定は新たに申し立てられた第四次請求には及ばない。裁判官は新たに請求された内容を、それまでの証拠と「総合評価」して判断しなければならない。だけど、今回の鹿児島地裁決定は最高裁決定に無条件に盲従するような決定になっている。この決定に対しては、木谷明氏ら元判事10人が「異例の声明」を出して批判した。現在の裁判官に対する危機感の現れでもあるだろう。もともと全国に報じられるような大事件ではなかった。しかし、日本の司法の非人間性を世界に示すような「大事件」になってしまった。請求人関口アヤ子さんは95歳で入院中である。

 続いて袴田事件。1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起こった味噌醸造会社専務一家4人殺人事件である。逮捕された社員の元プロボクサー袴田巌さんの名前を取って「袴田事件」と呼ばれる。袴田さんは犯人じゃないんだから、地名から「清水事件」と呼ぶべきだという声がある。その通りだと思うけど、通称として定着してしまったので「袴田事件」と書く。静岡地裁で2014年3月27日に、5例目となる死刑事件の再審開始決定が出され、同時に死刑及び拘置の執行停止命令が出された。袴田さんはその日のうちに釈放され、そのまま再審が開始されるのかと思ったら、検察側の即時抗告を受け、東京高裁が2018年6月に再審開始決定を取り消した。これに対し、最高裁第三小法廷は高裁に差し戻す決定を下した。
(袴田事件)
 これらの経過は随時ここでも書いてきたところだが、最高裁が差し戻した論点にそった鑑定人らの証人尋問がようやく7月22日から始まっている。これは一審途中で新たに発見された「血染めの衣類」に付いていた色をめぐる科学論争になっている。雑誌『』6月号に出ている弁護団の報告に詳しいが、ここでは細かくなりすぎるから省略する。いよいよ、捜査当局による「証拠ねつ造」の可能性が証明されてきた。再審請求審は非公開なので、今行われている証人尋問は傍聴できない。新聞などには小さく報じられていることがあり、注意していれば裁判の推移をうかがうことが出来る。一日も早い開始決定が望まれる事件だ。

 1984年に滋賀県日野町で起こった「日野町事件」では、犯人とされた阪原弘さんが無期懲役が確定したまま、2011年3月に亡くなってしまった。獄中で請求した再審請求はそれで終わったが、2012年に遺族が第二次請求を行い、2018年7月に大津地裁が再審開始の決定を出した。死者の再審が認められたのは、徳島ラジオ商事件の富士茂子さん以来になる。現在、検察側の即時抗告に対する審理が大阪高裁で行われているが、関東ではあまり知られていない。典型的な冤罪の構造を持っている事件だと思う。
(日野町事件)
 福井女子中学生殺害事件では、2回目の再審請求が行われる予定。ここではもう一つ、ほとんど知られていない事件を紹介しておきたい。なんだか冤罪事件とというと、「昔の地方の警察はひどかった」みたいな印象の人が多いだろうが、ここで紹介する小石川事件は21世紀の東京で起こった事件だ。2002年8月に東京都文京区小石川のアパートで一人暮らしの女性(84歳)の遺体が発見された事件である。同じアパートに住んでいた青年が逮捕され、4ヶ月に及ぶ拘留を経て「自白」して、無期懲役が確定した。千葉刑務所で収容中。2015年に再審を請求したが、2020年3月に東京地裁が請求を棄却した。現在、東京高裁に即時抗告中。
(小石川事件の再審棄却)
 この事件は最近になって、日弁連が支援し、また救援会が作られた(国民救援会内にある。)しかし、まだウィキペディアにも項目が立っていない。ほとんど知っている人もいないだろう。調べてみると、一番の大問題は「タオルに付着したDNA」。高齢女性の口にタオルを押しつけて窒息死させたとされるが、そのタオルから元被告人のDNAが検出されなかった。何者かのDNAは検出されていて、それが一致しなかった。着衣の繊維なども検出されず、情況証拠で有罪とされた。弁護側は「謎のDNA」を遺したものが真犯人だと訴えている。東京のど真ん中で起こった事件として注目している。

 ところで、再審問題を考えて行くと、「再審法」の壁にぶつかる。まあ再審法という個別の法律はなく、刑事訴訟法の中の再審に関する項目である。日本の再審は、非公開で審理され、証拠調べの必要もない。極端に言えば、裁判官が勝手に棄却すると決定しても違法ではないのである。また、請求人が再審のために弁護人を選任する権利もない。すでに刑期を終了している場合(あるいは仮釈放されている場合)はいいけれど、今まさに獄中にいる場合、再審請求が非常に難しい。それに対し、台湾では、2014年、2019年の2回にわたって、再審法の改正が行われた。調べてみると、今書いた日本の再審法の問題点は、すべて解消されている。アジアで先陣を切った「同性婚の制度化」などにも見られる台湾の民主化が、再審制度のような問題でも見過ごされていないのに感心した。
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許してはならないミャンマーの死刑執行(附・日本の死刑執行)

2022年07月27日 22時10分49秒 |  〃  (国際問題)
 ミャンマーの軍事政権民主派活動家4人の死刑を執行した。絶対に許してはならない暴挙である。国営紙が25日に伝えたもので、執行日時は不明である。遺体の返還も許可されていないという。死刑判決は1月に出されていて、国際的な批判を浴びていた。早速在日ミャンマー人が抗議に立ちあがったが、日本のマスコミでは報道されない状態である。青山の国連大学前には26日午後にミャンマー人ら400名が集まり抗議の声を挙げた。「テロ軍がミャンマー国民を無差別に殺害していることに沈黙するな」「ミャンマーをたすけてください」という横断幕を掲げて抗議している。
(国連大学前で抗議する人々)
 死刑が執行されたのはアウンサンスーチー氏の側近、ピョーゼヤートー氏(41)や著名な民主活動家のチョーミンユ氏(53)ら4人。「ら」の2名が誰かは名前が判らないが、「男性2人が、女性を国軍の協力者と疑って殺した罪で死刑を執行された」という。その男性の情報はないけれど、先の2人に関しては「行政関係者らを殺害するなどのテロ行為に関与した」というのが死刑判決の理由とされる。これは明白な政治犯であるというしかない。ミャンマー国軍はあってはならない一線を越えたというしかない。
(死刑を執行された2人)
 かねてよりミャンマー寄りで知られたASEAN議長国カンボジアのフン・セン首相もミャンマー国軍トップのミンアウンフライン最高司令官に宛てた書簡で「ミャンマーの正常化に向けたASEANやカンボジア政府の努力に壊滅的な影響を及ぼす」と懸念を示していた。今までミャンマーでは政治犯以外でも終身刑に減刑されることが多く、僕も何となく水面下の折衝で執行が避けられるように今まで思い込んでいた。2021年2月1日の国軍クーデタ以後、1万2千人以上が拘束され、10代を含め117名が死刑判決を受けているという。(東京新聞7月26日)このままでは酷薄な軍事政権はどこまで非道を行うか判ったものではない。
(タイの抗議デモ)
 すでに多くの国がミャンマーを非難している。ミャンマー担当の国連人権理事会のアンドリュース特別報告者は25日の声明で「人権と民主主義の擁護者である人々の死刑が執行されたとの知らせに憤慨し、打ちのめされている」と非難し「東南アジア諸国連合(ASEAN)と全ての国連加盟国は相応の行動を取るべきだ」と訴えた。日本政府もEU上級代表、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、ノルウェー、韓国の外務大臣と共同で、林外務大臣が共同声明を出した。「ミャンマーの軍政による民主化活動家及び反体制派指導者の死刑執行は、軍政による人権と法の支配の軽視を更に例証する非難されるべき暴力行為である」とた上で、「不当に拘束されている全ての人々の解放」「更なる暴力ではなく、対話を通じた平和の追求」などを求めた。

 しかし、ただ声明を出すだけでは効果が期待できない。僕もロシアのウクライナ侵攻や国際的な多くの問題に気を取られて、ミャンマーのことをあまり書いて来なかった。日本にはミャンマー出身者が多く、歴史的なつながりも多い。持続的な関心が必要だ。まさかミャンマー軍政代表者を「安倍元首相の国葬」に呼んだりしないように、厳重に監視していかないといけないと思う。

 ところで、日本ではミャンマーの死刑執行が伝えられたその日に、秋葉原事件の死刑囚の死刑が執行された。日本では例年、7月末か8月初め、及び12月下旬に死刑が執行されることが多い。これは国会の開会中ではない時期に行われているのである。22日に法務大臣が執行を命じているというから、ミャンマーと重なったのは偶然だが、何かミャンマーを支援するような感じになってしまった。もちろん政治犯と刑事犯だから、全然違うわけではあるが、EUなどではそうは見られないだろう。世界の先進国ではほとんど死刑が廃止されている中で、日本だけが全く聞く耳を持たず毎年の執行を続けている。

 では、なぜ秋葉原事件の死刑囚が今回執行されたのだろうか。もっと前に確定していた死刑囚は他にたくさんいる。(それはネット上に死刑囚や執行死刑囚のリストが掲載されているので、簡単に確認できる。)それは恐らく「安倍元首相銃撃事件」の影響だろう。かつて神戸の少年事件が起きた年に、順番を変えて永山則夫が執行された。それは「少年犯罪への厳格な姿勢」を示すという意図だったとされる。今回も「街頭で起きた大事件」には峻厳に対処するという国家権力の意図を示すということだと考えられる。そういう思考法をするのが法務省なのである。
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『生と死と愛と孤独の社会学』ー見田宗介著作集を読む②

2022年07月26日 21時58分55秒 | 〃 (さまざまな本)
 見田宗介先生の著作集を毎月読んでいこうという企画。2回目は著作集Ⅵの『生と死と愛と孤独の社会学』を読んだ。前回の『現代社会の理論』とともに、第1回配本で出た本である。非常に有名な「まなざしの孤独」や「夢の時代と虚構の時代」など全7編の論文を収録している。社会学論文には違いないが、社会時評的な面もあり、一般雑誌(「展望」「朝日ジャーナル」「思想」など)に発表された。今読んでも非常に刺激的で、時間が経ったとはいえ「見田社会学」の見本のような論文集だと思う。

 一番後ろにある「定本解題」には、以下のように書かれている。「社会学という領野を志した時のわたしの最初のモチーフは、一人一人の生きている人間たちの愛や孤独や野望や執念や憧憬やシニシズムや歓喜や絶望のひしめく総体のダイナミズムとして社会を把握し表現してみたいということにあった。」さらに「『まなざしの地獄』は、尽きなく生きようとする人間たちの生のひしめきの総体として社会を把握し、表現するという、わたしにとってのあるべき社会学、あるいは夢の社会学のモデルの一つを提示しておきたいという意図で書かれた」と宣言されている。

 このように見田社会学のマニフェスト的意味を持つ「まなざしの地獄」(「展望」73年5月号。ちなみに「展望」は筑摩書房の総合誌)は、端的に言ってしまえば「N・N」という「連続射殺魔」、つまり永山則夫の人生の考察である。主要な参考文献は鎌田忠良殺人者の意思』(三一新書)であり、また本人が書いた『無知の涙』『人民を忘れたカナリアたち』も援用されている。集団就職や出稼ぎに関しては官庁統計を使っているが、永山の生育歴は鎌田著に依拠している。永山則夫に関しては、堀川惠子の著書が刊行されて全く様相を異にした。「究極のカウンセリング-「永山則夫 封印された鑑定記録」」(2013.8.5)を参照。
(永山則夫)
 この論文は「都市論」として構想されている。階級的観点からはNは「国内植民地」である東北地方から「金の卵」ともてはやされる中卒労働者として集団就職で東京へ来た下層労働者である。しかし、彼らのほとんどは東京に居場所を見つけられない。物理的にもそうだし、精神的な意味でも。そして、自分を見定める視線に自分で囚われている。「N・Nは東京拘置所に囚われるずっと以前に、都市の他者たちのまなざしの囚人(とらわれびと)であった。」彼は大学生の名刺を偽造し、外国タバコを持ち歩く。

 拘置所で麦めしが出ると残してしまい、「貧ぼうくさくていやだ」と語る。貧困による犯罪と主張しながら、贅沢好みを批判もされた。しかし、金持ちが健康のために食べる麦めしは貧乏くさくない。「麦めしが貧乏くさいのは、それが麦めしを食う人間の、ある情況の総体性を記号化(シグニファイ)しているからだ。」そして彼の都市からの疎外感が「怒り」として噴出する時がやって来たのだった。「都市空間」を「まなざしの地獄」として捉えたこの論文に対し、獄中の永山則夫からは「興味を持ちました、「被害者論」を完成させて下さい」と返信があったという。

 永山則夫の事件からおよそ40年後に、秋葉原無差別殺傷事件が発生した。著者はこの事件の犯人「K」について、今度は「まなざしの不在の地獄」という小論を書いた。インターネット上の「掲示板」に何の反響もなかったことにKは苛立っていた。60年代には「贅沢」「貧乏」が記号として成立していたから、「まなざし」が大きな意味を持った。インターネットの登場で、人は何者にでも仮装できるようになったが、逆に何者に扮しても誰も応えてくれないという「まなざしの不在」にこそ意味が生じてしまったのである。この文章を書いている、まさにその日にKの死刑が執行されたのは、驚くべき偶然だった。

 解題によると、この「N・N論」は本来もっと大きな構想ものだという。全部を紹介すると長くなるので、大きな分類のみ引用する。「Ⅰ家郷論」「Ⅱ都市論」「Ⅲ階級論」「Ⅳ国家論」「Ⅴ言語論」「Ⅵ革命論」「Ⅶ被害者論」「Ⅷ「第三者」論」「Ⅸ歴史構造論」。この論文は「都市論」「階級論」の一部だとある。永山則夫が被害者論を完成させて下さいと言ったのは、このⅦのことだろう。しかし、結局はこの全体構想は書かれずに終わったのである。

 長くなったので、「夢の時代と虚構の時代」のみ簡単に。初出は1990年の東京都写真美術館の開館記念「東京 都市の視線」のカタログだという。おっと、それは知らなかった。この論文は「戦後」を3期に分け、「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」とする。理想の時代とは、もちろん理想的だった時代という意味ではない。人々が「戦後の理想を信じていた時代」のことである。60年の池田内閣による「所得倍増」の掛け声で「高度経済成長」が本格化する。生活向上の夢を多くの人が共有した時代が「夢の時代」。そして、73年の第3次中東戦争によるオイルショックで、高度成長の時代が終わる。以後を「虚構の時代」とする。

 これは同時代的に非常に納得できる時代区分だった。しかし、それからさらに30年が経っている。自分の実感としては、95年のオウム真理教事件阪神淡路大震災で、それまでの「虚構の時代」は転換したように思う。ちょうどその時期が携帯電話パソコンの「勃興期」だったとも大きい。暮らし方がそれ以前(インターネット、携帯メールのない時代)と全く違ってしまった感じがする。それ以後では2011年の東日本大震災原発事故だろうが、それが果たして「時代の画期」だったかどうかは未だはっきりとは言えない。現在地点を「何の時代」と呼ぶべきかも判らない。ただ、衰退化する社会という感じがする。
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指宿温泉白水館の元禄風呂と砂蒸しー日本の温泉⑲

2022年07月25日 21時01分34秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 鹿児島県の薩摩半島南端にある指宿温泉は、温泉の中でも難読地名のトップ級だろう。「いぶすき」と読めない人に何人か会ったことがある。直木賞作家の山本一力は、若い時に旅行会社に勤めていて客から「いぶすき温泉」を取ってくれと言われた時に、全然知らなかったと書いていた。いろいろとパンフなどを調べて、「扱ってないですね」と言ってしまったという。漢字の読みを知らなかったのである。もっとも「熱海」とか「鬼怒川」なんかも、知らなきゃ正しく読めないだろう。

 今まで小さな秘湯を取り上げることが多かったので、2回ほど大旅館を書きたい。大旅館を避けてきたわけじゃなく、時々は行っている。本当に若い頃は、国民宿舎や民宿、ユースホステルなどに泊まって旅行したが、そのうち少し余裕が出来てくると「たまの贅沢」をしても良いかなと思うようになった。でも、勇んで予約した大旅館に行ってみると、案外つまらない。部屋は大きいし、食事の品数は豊富だけど、それだけみたいな宿が結構多かった。特にいつまでも女将が見送っていたりする宿が困る。車だと車内整理とか、宿周辺の散歩、写真撮影をしたいのに、ずっと入口で立っている。もう引っ込んでくださいという感じ。
(指宿白水館の元禄風呂)
 ところで指宿温泉だけど、開聞岳に登りに行った時に泊まって気に入って、また行ったところである。1回目は指宿いわさきホテルに2泊。ここも素晴らしいんだけど、2回目にはたまに大旅館と思って、「白水館」にした。ここの名物の「元禄風呂」と名付けた「江戸時代を再現」という巨大な風呂がすごい。とにかく広くて豪華。そりゃまあ、宿賃は高いけど、十分満足だった。指宿温泉は湧出温度82℃のナトリウム塩化物泉だという。湧出温度はもっと高温もあるらしいが、泉質は同じ。大露天風呂は他にもあるけれど、内風呂の大きさと満足度ではここが一番だった。
(白水館全景)
 ところで指宿温泉と言えば、言わずと知れた「砂むし」が名物である。「指宿砂むし会館」という立ち寄りがあるから、誰でも入れる。だけど、ちょっと大きな旅館・ホテルには自分のところに「砂むし」の施設がある。チェックインした後に外出するのは面倒なので、指宿で大旅館を取ったのは、中で砂むしもやれるところという目的がある。
(指宿砂むし会館)
 「砂むし」というのは、浴衣だけになって熱い砂を掛ける温浴である。首にタオルを巻いて横たわると、係の人が砂を掛けてくれる。砂が熱いのは下から地熱で温まっているからで、50度ぐらいになるという。だから、裸のままで砂に埋まると熱くてやけどする。だけど体の奥の方から温まって発汗して、体内の毒素が全部出ていくような快感は他では得られない。独自の入浴法があると大体試してみる。砂むしに似たようなのは他にもあるけど、指宿の砂むしが一番趣があって面白い。
(指宿いわさきホテル)
 最初に泊まった指宿いわさきホテルも大満足の宿だった。岩崎グループは鹿児島を中心に観光、交通業を展開している。一時は首都圏にも進出していたが、現在はホテルとしては指宿屋久島種子島に集中している。(昔行って面白かった伊豆南端の石廊崎ジャングルパークも岩崎がやっていたと今知って驚き。)南国リゾートムードの大ホテルで、隣に美術館を併設している。そういう宿も時々あって、創建者が美術マニアで収集品を展示しているのである。温泉に入ってアートに浸るのも一興。指宿温泉は高いところばかりではなく、民宿、ペンション、休暇村など周辺を入れて40軒以上の宿がある大温泉地で価格もそれぞれ。
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音楽関係4団体の自民候補支持問題ー2022参院選④

2022年07月24日 22時14分43秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙中の6月30日に、音楽・芸能4団体が自民党から出馬した候補を激励する決起集会を自民党本部で開いた。これに対し、抗議する関係者も出てきたが、この問題をどう考えるべきだろうか。支援したのは、東京選挙区から出ていた新人の生稲晃子(元「おニャン子クラブ」)と比例代表区からでていた現職の今井絵理子(元「SPEED」)である。二人とも当選したが、生稲候補は6人中の5位、今井候補は自民の比例区当選者18人中の15位だった。当選はもともと有力視されてはいたが、決して盤石ではなかったので、この支援は有り難かったのではないか。この問題をどう考えるべきだろうか。
(今井絵理子、生稲晃子)
 その前に、今回の比例区での組織内候補の結果を見ておきたい。自民党では、医師会が推す候補の自見英子で21万3千票。3年前の羽生田俊の15万3千弱に比べて大幅に増えている。その理由はよく判らないが、コロナ禍で医師会が自民党に期待することが多くなっているのだろうか。そういう組織もある反面、郵便局長会は20万票、農政連は3万票、遺族会も3万票教減らしている。遺族会はもともと会員の高齢化が進んでいたわけだが、今回は現職の水落敏栄が落選した。郵政票は数々の不正問題が響いたのだと思う。

 野党系労組票を見ると、立憲民主党では自治労の推す新人鬼木誠が3年前の岸真紀子より1万3千票余り増やして当選した。しかし、日教組JP労組情報労連基幹労連いずれも、数千票から3万票ほど3年前から減っている。国民民主党でも、電力労連自動車総連UAゼンセンが、当選したものの、すべて3年前から減らした。UAゼンセンは5万票近く減らしたが、多くの小売業を傘下に持つだけに、コロナ禍で組織人員そのものが減っているのかもしれない。電機連合も3万票以上減らして4位で落選した。

 このように、一部の例外を除き、与野党ともに「組織内候補」は苦労していることが判る。組織が決めればメンバーが黙って投票してくれる時代ではない。しかし、それは以前からずっと同様で、組織人員の1割も得票出来ていない場合がほとんどだろう。それにしても、今回さらに苦労した組織内候補が多かったのは、やはり3年続く「コロナ禍」の影響なんだと思う。この間、大規模な集会などが難しく、全国大会などがオンライン開催になった年もあっただろう。職場でのきめ細かな集票活動もままならない。それは公明党共産党の得票が3年前より減った一因でもあるだろう。
(ネット上で発表された抗議文)
 そのような「組織票の先細り」の中で、自民党としては「新しい組織」が欲しい。一方で、コロナ禍でもっとも大きな困難を負ったのが、観光業飲食業とともに、音楽・芸能などの娯楽業界だった。生のコンサート、演劇公演などが次々と中止になったのは記憶に新しい。また映画館も休館になって、ミニシアターの支援運動が行われた。この間、マスクを外して「密」になって製作せざるを得ない芸能界ではコロナ感染も相次いだ。このようなコロナ禍での苦境を打開するために、音楽・芸能業界からも「与党への接近」が必要になっただろう。 

 今回生稲・今井候補支援を表明したのは、以下の4団体である。「日本音楽事業者協会」(音事協)はトラブル防止や著作権確立を目的として、1963年に設立された一般社団法人。業界大手のホリプロ、渡辺プロ、エイベックス、サンミュージック、吉本興業など有名プロダクションが加盟している。「日本音楽制作者連盟」(音制連)は、80年代に貸しレコード屋の出現に対応して、著作権に「貸与権」が新設された際、その分配のために1986年に作られた一般社団法人。大手以外の個人事務所等も加盟している。さらに「コンサートプロモーターズ協会」は1990年設立の一般社団法人。「日本音楽出版社協会」は1980年に認可された一般社団法人。

 今「一般社団法人」と書いたが、それは現制度が確立されて認定を受けた2010年頃のことである。それ以前はまた別の法人だったわけだが、細かくなるので省略。「一般社団法人」は政治活動をするためのものではない。だから、今回の支援運動はおかしいということになるだろう。ただ、関係者は「候補者を支援しただけで、自民党を支援したわけではない」と語っている。(朝日新聞、7.14日)さらに、「そこが魂を売らないギリギリの譲歩ラインだった」と語っている。しかし、音楽・芸能関係者だったら、維新から中条きよしも出ていた。そちらは支援せず、自民党本部で決起集会をしているんだから、「魂を売った」感がする。

 「組織内候補」というが、タテマエ上は組織そのものではないようにしている。今まで何回か政治資金規正法違反事件を起こした「日歯連」というのは、「日本歯科医師連盟」という組織である。「日本歯科医師会」とは別で、歯科医師会のための政治活動を行うために作られた。また日教組の組織内候補と書いているが、実際には「日本民主教育政治連盟」(日政連)という別組織である。もともとは日教組内の社会党支持派が作った政治運動組織で、今は立憲民主党の候補を支援している。労働組合や医師会などは政治活動を行う団体ではないので別の組織を作るわけである。日教組の場合も組合と日政連のチラシは別だった。

 だから、本来は音楽関係の「一般社団法人」が政治活動を行ってはならない。一党に偏した政治活動を行うなら、「一般社団法人」の資格が疑われる。ということになるわけで、「日本音楽政治連盟」みたいな組織を作って行うべきだっただろう。しかし、音楽など文化関係者が直接政治活動を行うのは問題も大きいだろう。個人個人はいろいろあって良いが、事実上組織的に政権与党を支持するのは、文化関係としてはあり得ない。だからこそ、抗議運動も起こったわけである。しかし、逆に考えれば、コロナ禍でそこまで追いつめられているとも言える。

 今回野党が伸びたとしても、参院選なんだから政権交代にはならない。だったら、与党との関係を深くすることが業界のためだという発想もあっただろう。衆院選、参院選では自民党が好調だったのは、政策課題が支持されたとか、岸田政権が支持されたというよりも、コロナ禍において「与党に恩を売りたい」ということが大きかったのではないか。自民党の方も今後、さらなる給付金などを打ち出すわけだろう。「御恩」と「奉公」という関係である。
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選挙区の事情、沖縄、京都、東京の検討ー2022参院選③

2022年07月22日 22時49分42秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙の結果検討が2回で切れているので、続き。比例区票は見たので、次に選挙区の事情を検討したい。今回は28ある「1人区」で自民党が圧勝した。野党系が勝ったのは4つだけである。そのうち山形県は国民民主党舟山康江だから、予算案に賛成した「事実上の与党」みたいなものである。この結果は安倍氏の死去の同情票ではなく、事前の予測情報通りの結果である。また、野党の分立が理由でもなく、野党系が束になっても自民党に届かないところがほとんどである。

 立憲民主党が議席を持っていた岩手新潟山梨三重でも自民党候補が勝利した。このうち三重県は現職引退による新人候補に議席を引き継げなかったが、他の3区は現職が敗れたのだから深刻である。しかし、いずれも調査報道で自民有利がはっきりしていた。新潟県の場合は直前にあった県知事選の影響が大きいと当時から言われていた。

 立憲民主党が勝った青森では2期目の田名部匡代(たなぶ・まさよ)の知名度が強かった。自民の斉藤直飛人は、大相撲の元関脇追風海(はやてうみ)で、引退後故郷で町議、県議を務めていた。今まで選挙に追風海の名で立候補していたため、全県規模選挙の初挑戦で知名度に難があったのではないか。長野は自民の松山三四六が追い上げて、追いついたという予測もあったが、投票日直前の「週刊文春」にスキャンダルが報道された。その結果、立民の杉尾秀哉が43万3千対松山37万6千と思った以上の差が付いたわけである。松山は長野で長く活動するローカル・タレントで県民が皆知っていると言われていた。

 沖縄もむしろ自民が一歩抜けたかという報道もあった。結果は野党系の無所属伊波洋一(元宜野湾市長)が自民の古謝玄大を27万4235票対27万1347票という僅差で振り切った。僅か2888票差得票差0.49%である。6年前の2016年参院選では、伊波が35万6355票、自民の現職島尻安伊子が24万5999票と、10万票以上の差が付いていた。3年前の2019年参院選では、野党系の高良鉄美が29万8831票、自民の安里繁信が23万4928票だった。今回の票の出方を見ると、「オール沖縄」体制が崩れて野党系の票が相当減ったことが判る。それでも伊波が辛うじて勝ったのは、参政党が2万2585票、NHK党が1万1034票、さらに幸福実現党も出て、合わせて6.72%を得たからだと思われる。特に参政党が自民票を浸蝕したのではないかと言われている。
(沖縄選挙区のポスター掲示板)
 続いて、2人区の京都選挙区を見る。ここは立憲民主党の福山哲郎前幹事長が1998年に無所属で当選以来、4回連続で当選していた。その時は橋本内閣時の自民大敗選挙で、何と福山が1位、2位に共産党で、自民党が落選した。京都は昔から全国で最も共産党が強いところで、福山が出ていない3年前、9年前の選挙でも共産党が当選している。今回は国民民主党の前原誠司が「日本維新の会」候補を推薦し、長い協力関係が崩壊した。立憲民主党の泉健太代表は京都選出だから、過去の民主党幹部によるし烈な選挙戦が展開された。「維新」にとっては、大阪の「地域政党」性を脱却するためにも、京都を最重点に位置づけていた。
(議席を守った福山哲郎)
 結果的には、吉井章(自民党)が29万3071票、福山哲郎(立憲民主党)が27万5140票で当選。維新の楠井祐子は25万7852票、共産党の武山彩子は13万0260票だった。さらに参政党が4万票、維新政党・新風が2万千票、NHK党二人で1万6千票ほどを獲得している。過去の福山の得票をザッと見てみると、39万6千、48万4千、37万4千、39万、27万5千となっていて、今回およそ12万票近く減らしたのは立民の不振もあるだろうが、前原票の影響が大きいと思われる。

 6年前は今回出馬せず引退する二之湯国家公安委員長が42万2千、福山が39万、共産党候補が21万1千だった。3年前は自民の西田昌治が42万1千、共産の倉林明子が24万6千、立民候補が23万2千だった。これを見ると、最近2回は40万票を獲得していた自民党が今回30万にも達しなかったのは、明らかに維新に浸蝕されたと見られる。一方で過去21世紀の選挙で(民主党政権時代の2010年を除き)共産党が20万票を得ていたのが、今回は13万票に止まった。これは「弱い支持層」が反維新を優先して福山に流れたと考えられる。いずれにせよ、「京都のことを大阪に決めさせるな」「維新の東進を京都で食い止める」が一定の支持を得るところに維新の弱点がある。また、今後参政党の伸び方次第では自民も安泰とは言えない可能性がある。しばらく三つ巴か。
(東京で6人目に当選した山本太郎)
 続いて、東京選挙区。ここは34人も立候補して、事前に用意したポスター掲示板30人分では足りなくなって、後から継ぎ足した。しかし、貼らない候補もいるので矛盾も感じる。結果は公示直前に書いた「参院選、東京はもう決まってる?を検証」(6.16)通りだった。まあ蓮舫の4位は意外だったが、これは立民不振もあるだろうが、蓮舫安泰の調査結果を読んで当落線上と伝えられた山添拓山本太郎、あるいは立民のもう一人松尾明弘に多少流れたと考えるべきだろう。1位の朝日健太郎、2位の竹谷とし子は予想通りだが、朝日は前回より28万票近く伸ばしたのに対し、竹谷は80万、77万、74万と漸減している。4位の蓮舫は過去2回100万票を越えたが、今回は67万票。5位の生稲晃子は62万票弱、山本太郎が最後に56万5925票で当選。次点の維新・海老沢由紀は53万0361票で、3万5564票差だった。この6人の当選は常識で判る範囲だから、当たっても別に嬉しくもない。
(維新で落選した海老沢由紀候補)
 8人目以後は立民の松尾明弘=37万2千、無所属の乙武洋匡=32万3千、「ファーストの会」、国民民主推薦の荒木千陽=28万4千の以上10人が法定得票数に達した候補。11位が参政党の川西泉緒で13万8千票弱だった。ここでは特に「山本太郎」と「海老沢由紀」を見てみたい。7位の海老沢としては、取りあえず山本太郎票を上回らないと当選出来ない。そして地区によっては上回っているのである。それが千代田、中央、港、新宿、文京、江東、品川、目黒、大田、北の10区である。多磨地区では稲城市で200票ほど海老沢が上回っているだけである。東京の土地勘がある人なら判ると思うけど、この区名には意味がある。

 ほぼ山手線に沿った東京都心部に偏っているのである。そこから外れた北区は3年前に維新の参院議員に当選した元都議音喜多駿の地盤、大田区もやはり3年前に比例区で当選した元都議柳ヶ瀬裕文の地盤である。江東区だけが山手線外の東京東部に位置するが、ここは近年高層マンションが立ち並んで都心部に近い住民構成なのではないかと思う。東京では都心部に高所得層が住み、東部とは所得格差がある。西部の多磨地区も中央線沿いは高いだろうが、平均すれば都心部より低いだろう。つまり、東京では高所得者の住む地域で維新の支持が強い傾向がある。それは何を意味するのだろうか。
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中公新書『新疆ウイグル自治区』(熊倉潤著)を読む

2022年07月21日 23時04分04秒 |  〃  (国際問題)
 中公新書6月新刊の熊倉潤著『新疆ウイグル自治区』は、この問題の理解のための必読書だ。まあ、関心がある人はもう読んだかも知れないが、やはり紹介しておきたい。著者の熊倉潤氏は1986年生まれで、アジア経済研究所研究員などを経て、2021年から法政大学法学部准教授。古代から現代まで簡潔に叙述されて、とても判りやすい。30代の注目すべき筆者が現れたと思う。

 まず「新疆ウイグル自治区」だが、「新疆」は「しんきょう」、中国語では「シンチャン」。「」は「境界」「果て」という意味で、この地域を征服した清朝から見た行政上の地域区分である。1884年に初めて「新疆省」が置かれたが、地名ではない。「ウイグル」も地名ではなく、民族名である。では、地名では何と呼ぶかと言えば、「東トルキスタン」ということになる。清朝崩壊後、そのまま中華民国の支配下にあったが、ムスリム住民によって2回ほど「東トルキスタン共和国」の建国が宣言されたことがある。「東」があれば「西トルキスタン」もある。現在のウズベキスタンからトルクメニスタンなどの旧ソ連の中央アジアである。

 「トルキスタン」というのは、中央アジア一帯に広く住んでいるトルコ系住民の住む土地のことで、イスラム教徒の社会である。大昔から中国史では「西域」(さいいき)と呼ばれた地域で、ずいぶん複雑で興味深い歴史がある。それはここでは省略する。この本は中華人民共和国成立後の新疆統治を現在に至るまで細かく追っている。中国共産党の政策、幹部の異動などにも細かいが、関心のある人には非常に興味深いと思う。特に「解放」直後にウイグル族への扱いに関して、王震習仲勲の対立があったという指摘は重大だ。習仲勲は現在の党主席である習近平の父である。そこに中国現代史における「新疆」の重要性がある。
(熊倉潤氏)
 ロシアのウクライナ侵攻ですっかり忘れられた感があるが、その直前まで国際情勢の焦点は「ウイグル問題」だった。北京冬季オリンピック、パラリンピックを前にして、欧米は「ウイグル族へのジェノサイド」が行われていると激しく非難した。新疆産の綿花を使う企業は批判され、新疆産は扱わないとすると、今度は中国で批判されたりした。ウイグル問題を正しく理解することは、このように国際人権問題に止まらず、我々の日常生活や企業経営にも重大な関わりがある。

 僕も読んだのは参院選前で、細かなことは忘れ掛かっているので、以下は簡単に。この地域は中ソ対立期には「対立の最前線」だったが、改革開放以後も「ソ連崩壊」によって中央アジア諸国が独立し警戒が必要な地域となった。2001年後はイスラム過激派のテロも起こった。「ウイグル自治区」ということで、一応自治区政府のトップはウイグル人になっている。しかし、もちろん中国の真の支配者は共産党であり、新疆の党委員会書記は漢人が務めてきた。その中でも様々な人がいて、書記人事の細かな話は僕もそこまで知らなかったので、判りやすい。
(2014年のウルムチ爆弾テロ)
 僕も全然知らなかったのだが、新疆には「新疆生産建設兵団」という「屯田兵」が存在する。この地域は国境の向こう側に宗教と民族に共通性を持つ人々が住んでいるという独自性から、中央から漢人を送り込んで支配を固めたわけである。実はこれはソ連を訪問した劉少奇にスターリンが助言したことから始まったという。漢人の移民も推進し、1949年には20万人だった漢人が、1962年には208万に増え、全体の3割を超えたという。ウィキペディアの記載では、民族分布はウイグル族45%、漢族41%、カザフ族7%、回族5%、キルギス族0.9%、モンゴル族0.8%…になっている。すでにウイグル族は過半数を割っているのである。

 そのような中で、ウイグル人の苦難を象徴するのがラビア・カーディルだろう。改革開放の波に乗り実業家として成功した女性で、一時は入党が認められ、政治協商会議のメンバーにも選出された。しかし、民族問題をめぐる発言で失脚し、逮捕・投獄された。2005年に出国が認められ、アメリカに亡命した。その後、世界ウイグル会議議長として活動している。日本も何度か訪れているが、日本では「反中国政権」という共通性からか、保守派と相性がよく靖国神社を訪問したりしている。それはともかく、ウイグル現代史の有為転変を象徴するような女性である。
(ラビア・カーディル)
 今回読んで、非常に驚いたのは「親戚」制度である。ウイグル人と漢人の対立が激しくなって、それを緩和する民族宥和政策として、両者を「親戚」として交友させる制度が出来た。良いように思うかもしれないが、強制的に「友好」を押しつけても逆効果だろう。特に漢人が押しかけて来て、相互理解のためと称して「豚肉料理」を作ったりするというのに恐怖を感じた。宗教上忌避する食材を押しつけられても、拒否出来ないだろう。しかし、この屈辱感は屈折して永遠に残るに違いない。著者は「ジェノサイド」とは違う概念だという立場だが、僕はここまでやるのは、「文化的ジェノサイド」と言われても当然ではないかと思う。
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ピーター・ブルックの逝去を悼むーイギリスの演出家、映画監督

2022年07月20日 22時11分52秒 | 追悼
 ちょっと時間が経ってしまったが、ピーター・ブルック(Peter Stephen Paul Brook)が7月2日に亡くなった。1925.3.21~2022.7.2、97歳と長命だった。イギリスの演出家であり、映画監督もずいぶんしている。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの活動で有名になったけれど、フランスでの活動も多かった。20世紀後半、最も知られた演劇、オペラの演出家の一人で、とても刺激的な存在だった。書きたいことが幾つかあるので、やはり特別に一回書いておきたい。

 ピーター・ブルックを有名にしたのは、70年の『夏の夜の夢』だった。それまでの演出と大きく違って、空中ブランコなどを使う祝祭空間のような斬新さが衝撃を与えた。というか、そういう風に当時の新聞に出ていた。中学生、高校生の頃だけど、新聞は隅々まで読んでいたから知ったのである。72年だったと思うけど、来日公演が行われたが、高校生の僕はもちろん行ってない。映画のロードショーだって、たまの贅沢だった頃である。でも、テレビで見た覚えがある。NHK教育テレビでやっていた。(地デジ前は3チャンネルである。)これが本当に素晴らしく、どんな演出も可能なんだと深く印象付けられたのである。
(「夏の夜の夢」)
 映画としては、略称『マラー/サド』が1968年のキネ旬外国映画4位に入っていた。ATG(アートシアター)で公開された映画である。これは数年の差で同時代には見てない。何かで知って、是非見たいと思った。そして、どこかで一回だけ見た記憶がある。もともとはドイツの劇作家ペーター・ヴァイスによって1964年に書かれた戯曲である。正式名称を『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』という。名前通りの映画で、1793年に過激な革命家マラーが暗殺された事件を、1808年のフランスでサド侯爵が入院患者を演出して上演するという設定である。
(「マラー/サド」)
 実際に当時のシャラントン精神病院では治療の一環として、演劇療法みたいな試みを行っていて、サドも台本を書いていたという。何重にも入り組んだ作品で、革命の時代に徹底した「革命主義」のマラーと徹底した「個人主義」のサドの思想的対決を劇中劇も含めて描き出す。いかにも60年代の政治と革命の季節にふさわしい危険なテーマである。これを1964年にイギリスで上演したのがブルックだった。そして1967年には映画化もしたのである。この劇は数年前に実際の精神病者が演じるイタリアの劇を見に行ったが、今も面白いと思う。上演は大変かもしれないが、この映画だけでもどこかでまた見たい。

 もう一つ、僕がまた見てみたいブルックの映画がある。それがグルジェフの原作をもとにした『注目すべき人々との出会い』(1979)という映画である。日本でも1982年に公開されている。多分、渋谷の旧ユーロスペースではなかったか。ゲオルギー・グルジェフ(1866~1949)は、独自の精神世界を追求した著述家、舞踏家、教育家である。ギリシャ人の父とアルメニア人の母の間に生まれ、ロシア革命後は西欧各国やアメリカで活動した。日本ではシュタイナー教育で知られるルドルフ・シュタイナーの方が有名だが、精神世界への傾倒、独自の舞踏(シュタイナーはオイリュトミー、グルジェフは「神聖舞踏」)を創始するなど共通性が多い。

 『注目すべき人々との出会い』はグルジェフの自伝的な原作の映画化で、精神的放浪を続ける主人公を描く。グルジェフは古代から続く秘密教団を求めて驚くべき冒険の旅をすることになる。なかなか面白かったので、めるくまーる社から星川淳訳で出た原作も買ったはずである。(多分読んでない。)80年代は「精神世界」へ大きな注目が寄せられた。オウム事件以後、そういう関心がグッと引いてしまったが、代わって功利的、自己責任一本槍の社会になってしまった。この映画もまた、もう一回見てグルジェフという人を考えてみたい。ブルックは『グルジェフ-神聖舞踏』(1984)というドキュメンタリーも作っている。未公開だと思う。
(『注目すべき人々との出会い』)
 映画ではベストテンに入った『雨のしのび逢い』(1960)もある。マルグリット・デュラスの『モデラート・カンタービレ』の映画化で、主人公を演じたジャンヌ・モローが素晴らしい。他にも、ノーベル賞作家ゴールディング原作の『蝿の王』、演劇で大評判になった『マハーバーラタ』など、興味深い未公開作品がたくさんある。演劇公演の記録映像もかなりあるようだし、ピーター・ブルックの全貌を見せてくれる回顧展を開いて欲しいなと思う。日本人では笈田ヨシが直接指導を受けてフランスで活動している。『マハーバーラタ』の演出に加わった他、近年ではスコセッシ監督の『沈黙』に出演していた。

 来日公演も多く、僕も確か2回見ているけれど、あまり面白くなかった。確か2012年に『魔笛』を見たはずだが、特に刺激的な舞台でもなかったと思う。もともと奇をてらった演出ばかりしたわけじゃないようだ。ただ、60年代から80年代にかけては世界で最も注目すべき演劇人だったと言える。長生きしすぎて、全盛期を知らない人が増えていると思うけど、映画なら残っている。特集上映企画を望む気持ちから、あえて記事を書いた次第。
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コロナと高校野球、早見和真『あの夏の正解』

2022年07月19日 23時10分27秒 | 〃 (さまざまな本)
 2021年3月に出たばかりの早見和真あの夏の正解』が早くも文庫化された(新潮文庫)。2020年、全世界に新型コロナウイルスが流行し、その年に予定されていた東京五輪は一年延期された。夏に予定されていた多くの行事も中止された。夏といえば「高校野球」だという人も多い日本だが、この年には夏の甲子園大会も中止された。その時に野球部の高校生、特にこの年が最後となる高校3年生は何を考えていたのだろうか。それを元高校野球部員だった作家、早見和真が取材したのが『あの夏の正解』という本だ。

 まず作家とこの本の成り立ちを書いておきたい。早見和真(1977~)を読むのは初めてだが、最近『ザ・ロイヤルファミリー』(2019)が山本周五郎賞を受賞し、『店長がバカすぎて』(2020)が本屋大賞候補作となりベストセラーになった。少しずつ知られてきたわけだが、デビュー作は2008年の『ひゃくはち』という作品だった。読んでないけれど、高校野球部の補欠部員の話だという。実際、著者は神奈川県の桐蔭学院で野球部に所属していた。1971年夏に甲子園初出場で優勝し、以後春6回、夏6回の出場を誇る。著者も小学校時代から野球をやっていて、憧れて桐蔭中学に入ったのである。
(早見和真氏)
 入部後に2年上のすごい先輩を見た。それが高橋由伸(後、巨人で活躍し監督)で、完全に別次元だと感じた。その後、いくら努力してもレギュラーになれなくなり、高校在学中に2回出場した甲子園でも補欠で試合には出られなかった。そんな部員の目から複雑な思いを書いたのが『ひゃくはち』で、2008年に森義隆監督によって映画化された。森監督は『宇宙兄弟』や『聖の青春』を作った人である。ところで、早見さんは2018年から愛媛県に在住していて、森監督は石川県に在住していたのである。

 2018年夏の第100回記念大会では、2回戦で愛媛県の済美高校が石川県の星稜高校と対戦した。星稜は1回に5点を挙げ、8回表まで7対1とリードしていた。森監督は早見氏に「これは星稜楽勝か」とメールしたという。ところが、8回裏に済美が8点を入れ逆転。しかし、星稜も9回に2点を返して9対9の同点で延長戦に入ったのである。そして13回表に星稜が2点を入れるも、何と13回裏に済美が長い高校野球史上でも初めてとなる逆転満塁サヨナラホームランで勝利したのである。早見氏は早速「済美楽勝だったな」と森監督に返信した。この劇的な試合がいわば伏線になる。たった2年後、その時に出場した選手もまだいる年に甲子園が中止になった。
(済美高校)
 森監督は星稜高校の取材を始めていた。それを聞いて、早見氏も済美高校を取材するというプロジェクトが始まったのである。(映像版はNHKBSで放映された。)愛媛新聞社の協力を得て、連載を掲載している。コロナ感染を避けるため、自動車で何度も愛媛と石川を往復して、両者を取材した。両校の監督も、また生徒たちもよく取材に応じて、答えている。強豪校だからかもしれないが、コロナ禍という特殊な時期を自分でもどう考えるべきか迷っていただろう。その揺れを描きながらも、結局両校とも3年生は一人も退部せず、代替の県大会(甲子園にはつながらないが、各地方で工夫して実施した大会)まで活動を続けた。
(星稜中学・高校)
 その様子を事細かに紹介する必要はないだろう。そんなに長い本ではないので(230頁程度、550円)、自分で読んで欲しいと思う。というか、かなり評判を呼んだので、もう読んでいる人も多いだろう。僕が感じたのは、とにかく生徒たちが凄いな、深いなということである。それも道理、星稜のキャプテンだった内山壮真は今はヤクルトスワローズのキャッチャーとして活躍している。(2年目で相当に試合に出ていたが、今回の大量コロナ感染者の一人になってしまった。1年上に奥川恭伸もいる。)こういう高校生がいるのかというぐらい、全体状況を考えられるのに驚きだ。

 済美の中矢太、星稜の林和成、二人の監督も正直に語っている。この二人にもドラマがあった。先に書いた2018年の大熱戦を率いていた二人は、あの「松井秀喜5連続敬遠四球」(1992年)の試合に出ていたのである。中矢は愛媛県出身だが、野球の盛んだった高知の明徳義塾に進んだのである。その頃、済美はまだ女子校で、2002年に共学となり、創部2年目の2004年春に選抜大会で優勝した。一方の星稜は夏の甲子園に20回出場し、準優勝2回を経験しながらまだ優勝がない。(明治神宮大会の優勝はある。)そんな両校だが、もちろんプロや大学を考える生徒ばかりではない。むしろ高校で野球は終わりという生徒の方が多い。有力校のレギュラーなら、全国にテレビ放映される生涯ただ一回のことかもしれない。それがなくなったのである。

 何が正解だったのかは誰にも決められない。あの頃はまだワクチンもなく、社会全般を広く深く恐怖感が覆っていた。たった2年前だが、今では感染者数が激増していても、今年は高校野球は開催される。今まさに地方大会真っ盛りである。だから、注意すれば、2年前も出来たのか。しかし、五輪も出来ない、インターハイも中止になった夏である。高校野球を強行開催して、もし各校に感染者が出た場合、社会的批判は非常に大きかっただろう。2021年は夏の大会が無観客で開催されたが、星稜はコロナのクラスターが発生して、石川大会の参加を辞退したのである。やはり2020年夏は中止せざるを得なかったと思う。

 そんなかつてない時代、後から振り返って「あの夏」と呼ばれるだろう時代を後世に残すのが、この本だ。この本を多くの若い人、特に高校生に手に取って欲しいと、昨年出たばかりの本を早くも文庫化したのだろう。まだコロナ禍にある高校生に読んで欲しいということだと思う。若い人、あるいは高校野球に関心がある人以外も、この夏に読んで欲しい本だ。あえて言えば、野球部経験者の著者には、やはり甲子園への思いが強い。だけど、他の部活、あるいは公立校などにはまた別の「あの夏」があっただろう。隣県の高知では全国総文祭が予定されていたが中止になった。例年、愛媛県松山で開かれる「俳句甲子園」はこの年、オンラインで開催された。そんな話もちょっとでも取材して欲しかった気がする。

 蛇足。「せいりょう」高校がいくつもあったのに驚いた。星陵高校星稜高校は違う。エッと思うけど、よくよく「りょう」を見れば違う字だ。静岡と兵庫に「星陵」があり、東京には「青稜」がある。東京の学校は、以前の「青蘭」である。石川県の学校は「星稜」である。違いを知らなかった人も多いと思う。
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映画『ベイビー・ブローカー』、是枝裕和監督の韓国映画

2022年07月18日 22時56分38秒 |  〃  (新作外国映画)
 是枝裕和監督が韓国で製作した『ベイビー・ブローカー』(브로커)をようやく数日前に見た。もちろん見応えのある作品だったが、多少評価が難しい。ソン・ガンホカンヌ映画祭男優賞を受賞したが、特に一人だけ傑出しているわけではない。むしろ主要人物にアンサンブル演技賞を出したいような映画だった。カンヌに出た韓国映画は『パラサイト 半地下の家族』など作品自体の評価が高く、今まで俳優に賞が回ってこなかった。ソン・ガンホを深く印象づけた『殺人の追憶』(2003)や『大統領の理髪師』(2004)の頃は、まだカンヌに出ていなかった。だから、今回は長年の活躍への功労賞みたいなものだろう。

 ホームページからコピーすると、以下のような物語である。「古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョンソン・ガンホ)と、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンスカン・ドンウォン)。ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨンイ・ジウン)が〈赤ちゃんポスト〉に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーだ。しかし、翌日思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。一方、彼らを検挙するためずっと尾行していた刑事スジンぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事イ・ジュヨン)は、是が非でも現行犯で逮捕しようと、静かに後を追っていくが…。
(カンヌ映画祭で) 
 原題、英語題はただの「ブローカー」だが、日本題には「ベイビー」が加わっている。そこら辺の語感の違いはよく判らないけど、「ベイビー」がないと何のブローカーだか判らない。赤ちゃんを買おうという「客」や児童養護施設の子どもたちなど、もちろん他の登場人物はいるけれど、先の紹介文に出て来る5人がほぼ出突っ張りである。もっともブローカー側と警察側は最後になるまで交わらないけれど。そもそも何でスジン刑事たちが張っているかというと、教会を舞台にした大々的な人身売買組織を疑っているらしい。警察内部で軽んじられる部署にいるスジンらは、ここらで大きな手柄を立てたいと目星を付けていたのである。
(ソン・ガンホとカン・ドンウォン)
 しかし、実態はそこまで大きなものではなく、教会の臨時職員ドンスが時々受け入れられない赤ちゃんをサンヒョンと組んであっせん先を探しているという程度らしい。サンヒョンはギャンブルの借金を抱えて、ヤバい人たちに追われている。だから、何とか今度の取引を成功させたい。元々の舞台はプサンだが、そこから蔚珍(ウルチン)へボロ自動車で出掛けていく。そこに母親のソヨンも同乗して行くことで、面白みが増すわけである。しかし、これはよくよく考えると、結構無理筋じゃないか。警察がずっとつけ回すほどの大事件とも思えず、何としても現行犯で逮捕して手柄にしたいというのがよく判らない。サンヒョンは金が欲しいだろうが、ドンスの役割も良く判らない。さらに実の母親が付いて回るのも謎。という具合で話に不自然さを感じる。
(「客」を求めて右往左往)
 是枝監督は『万引き家族』でパルムドールを得て以後、フランスで『真実』(2019)、韓国で『ベイビー・ブローカー』(2022)と外国で作っている。そういう試みが可能になったのだろう。スジン刑事役のペ・ドゥナは、前に『空気人形』(2009)で組んでいるが、その時は人形役だったから次は人間役でと約束していたらしい。またソン・ガンホカン・ドンウォンとは、海外の映画祭での交流が出演につながったという。最初に決まった3人は「宛て書き」された感じである。だから、ソン・ガンホ、カン・ドンウォンのコンビは幾分不自然だが、やむを得ない部分がある。
(母親役のイ・ジウン)
 そこに後から加わった2人の若い女優が素晴らしい。特に母親のムン・ソヨンを演じたイ・ジウンの存在感が圧倒的だ。僕は詳しくないのだが、歌手としてはIU(アイユー)として活躍していて、ウィキペディアには「韓国で「国民の妹」と称されるほどの絶大な人気を誇る国民的歌姫」とある。ものすごく多くのヒット曲があるが、同時に本名でテレビドラマに出るなど俳優としても活躍。是枝監督は「ドラマ『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』を見て彼女にハマり、後半はイ・ジウンさんが登場するシーンはずっと泣いているような状況で、もうこの人しかいないと思って、オファーしました。」とコメントしている。

 『野球少女』や『梨泰院クラス』のイ・ジュヨンも素晴らしい。ソン・ガンホの男優賞は代表受賞であって、イ・ジウンにも女優賞を出してあげたい。そして、この映画は典型的なロード・ムーヴィーになっている。今までの作品もロード・ムーヴィー的ではあったけど、本格的なものとしては初めてだ。韓国の海辺の町、あるいはプサンやソウルなどを印象深く映し出している。撮影は『流浪の月』を見たばかりのホン・ギョンピョで、この映画も素晴らしい。このように、俳優も撮影も素晴らしくて満足出来るのに、作品全体にはどこか不自然さが感じられるように思われる。

 それは何だろうと考えてみると、「子どもの描き方」ではないかと思う。『誰も知らない』『万引き家族』のような圧倒的傑作にあった「冷徹さ」がないのである。次第に事情が判ってくるに連れ、観客だけでなく、登場人物どうしも情が移ってしまった感じ。その結果、何だか温かな終わり方になった。それでもいいんだけど、もっと厳しい映画を作ってきた記憶からすれば、今ひとつ感がある。まあ、その結果、ラスト近くの遊園地での映画史に残る観覧車シーンが生まれたとも言える。観覧車映画のベスト級だ。しかし、外国ではなかなか冷厳に徹することは難しいだろう。次作は是非日本で作って欲しいなと思う。
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「統一教会」をめぐる問題ー「安倍事件」考③

2022年07月17日 22時17分44秒 | 政治
 大和西大寺駅前で安倍元首相を銃撃した容疑者は、「宗教団体」にからむ個人的な恨みによる犯行だと早くから報道された。これは取り調べに当たった警察当局しか知らないことだから、警察側から恐らく「人心安定」のため非公式に伝えられたものだろう。そのため、政治的な背景がある事件というよりも、個人的怨恨による「逆恨み事件」だというような報道が続くことになった。

 もっとも片山さつき元総務相は14日にTwitterで「警察庁長官に『奈良県警の情報の出し方等万般、警察庁本庁でしっかりチェックを』と慎重に要請致しました。これ以上の詳細は申せない点ご理解を」と書き込んだという。「霞ヶ関を肌で理解する者同士の会話です。皆様の感じられた懸念は十分伝わっています。組織に完璧はありませんが、国益を損なう事はあってはなりません。」とあって、今ひとつよく理解出来ないけれど、警察情報が漏れすぎだという圧力だと考えられる。「霞ヶ関を肌で理解する者同士」というところに、「忖度せよ」という圧力があるんだろう。

 当初「宗教団体」の名前が日本では報道されなかった。まあ確認が取れないうちは実名報道が難しいということなんだろう。僕は当初から「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)だろうなあと思った。ちょっと前に「神道政治連盟議員懇談会の「同性愛差別冊子」問題」(2022.7.1)に、以下のように書いたばかりである。「(神政連議員懇で配布された冊子の)著者は在日韓国人のキリスト教神学者と思われ、「神道政治連盟」とは相反する宗教的立場に思われる。しかし、自民党右派は昔は統一協会系の勝共連合と深い関係を持っていた過去がある。韓国系キリスト教とはなじみがあるのかもしれない。」
(天宙平和連合に寄せた安倍元首相のビデオメッセージ)
 自民党右派と「統一教会」との深いつながりは、90年以前から政治に関心があった人には、「公然の秘密」というより「常識」というべき事柄である。(なお、「世界基督教統一神霊協会」の略称が「統一教会」である。あるいは「統一協会」と書くこともある。前記記事では「協会」としたが、略称としては「教会」と表現することが多いようなので、今後はそちらを使用したい。)もう多くの証言や文書が明らかになっていて、それは否定しようがない。しかし、ずいぶん昔の話になってきて、マスコミ関係者でも若い人は「合同結婚式」など知らないんだという。92年には桜田淳子が参加して大問題になった。
(「統一協会」への恨みと語る容疑者)
 しかし、僕も今は「統一教会」とは言わないというのは知らなかった。今は「世界平和統一家庭連合」(Family Federation for World Peace and Unification)という。しかし、組織は同じだから改名はなかなか(宗教団体を管轄する)文科省が認めなかった。第2次安倍政権になって認められたということである。この「家庭連合」が記者会見して、「安倍氏が会員だったことはない」「友好団体にメッセージを頂いたことはある」「別法人である友好団体と本法人を混同して、安倍氏が関係あると思い込んだのではないか」などと発言した。それを受けてかどうか、マスコミは「関係があると思い込んだ」などという表現をしている。

 しかし、その後「全国霊感商法対策弁護団」が記者会見で指摘したように、「別法人」と言っても同じビルに本部があり、関係者も共通する。「事実上の同一団体」的な側面が強いのは常識だ。昔から、宗教組織の「統一教会」、政治組織の「国際勝共連合」(および傘下の新聞「世界日報」)、そして「ハッピーワールド」(高麗人参や壺などを販売)などの関連企業、関連のNPO、ボランティア団体「世界平和女性連合」「世界平和連合」「天宙平和連合」などは表裏一体をなしている。「世界平和」などを掲げているから、うっかり協力すると、実は反共の宗教団体だったという仕掛けである。
(霊感商法対策弁護団の会見)
 しかし、91年の「ソ連崩壊」で「勝共」という旗印の意味が薄れた。日本では95年にオウム真理教事件が摘発され、カルト教団への警戒が強まった。統一教会の創始者である文鮮明(ムン・ソンミョン)が2012年に亡くなって、まだ組織はあるのかもしれないが、極めて弱体化していると思い込んでいた。しかし、「霊感商法」などの被害者は近年も発生しているという。今もなお、被害が起きているのに、何故大きな問題にならなかったか。警察の捜査対象にはならなかったのか。今後解明されるべきだろう。
(文鮮明と韓鶴子)
 もっとも安倍晋三氏が統一協会に極めて近いというのは、ちょっと違うのかもしれない。本当に近かった、というか「育てた」と言うべきは岸信介元首相だろう。安倍氏が国会議員に初当選したのは1993年だから、すでに冷戦終結後。もう統一教会の役割が終わろうとする頃だ。安倍氏が「会員になったことはない」のは当然である。もともと信仰に結ばれた関係ではなく、相互に利用する関係である。教団側は「広告塔」として、政治家側は「票」や「人員」目当てである。統一教会は大きな票を持っているわけではないから、熱心な運動員を出してくれるということだろう。そこにお互いに利用価値があった。

 「家庭連合」と改名してからは、「同性愛否定」「夫婦別姓反対」「性教育反対」などに力を入れていたようである。これは自民党右派の主張と同じだが、「神道政治連盟」なども同じ考えなんだろうから、どっちが影響を与えているのかは不明である。要するに、「家庭連合」は「日本会議」や「神道政治連盟」などと同じような主張をしていて、安倍時代の自民党政治家には違和感が少なかっただろう。「霊感商法対策弁護団」は「天宙平和連合」に安倍元首相がメッセージを送った(2021年9月12日)ことに抗議する文書を送ったと言うが、議員会館の安倍事務所では受け取りを拒んだという。このような素っ気なさ、反対派にまともに対応しない姿勢は、いつものこととは言え、いかにも「安倍的」である。

 「家庭連合」(旧統一教会)系の諸団体に賛同するのは、「霊感商法」などの被害者に対して誠実とは言えない。そのことを前提にして、いくら寄付するか、何をいくらで買うかは、「信仰」の問題が入り込むので対応が難しい面がある。ある意味、財産を放棄することは「神の国」に近づく道だろう。しかし、現代社会では親が宗教団体にはまると子どもが大学へ行けなくなる。人生設計が狂うわけだが、それは親が早く亡くなったり、経済的に破綻した場合も同じである。親の経済力によらずに高等教育が受けられる社会をつくることこそ、急務というべきだろう。

 安倍氏は第一次政権では「再チャレンジ出来る社会」を掲げた。(「再チャレンジ担当相」を置いた。)自分だけは数年後に「再チャレンジ」に成功したが、2期目以降の政権では、「再チャレンジ」出来る仕組みを作ることに熱心だったとは言えない。「身を切る改革」などと言う前に、政治に出来ることはもっとあったのではないかと思う。
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警備問題の裏にあったものー「安倍事件」考②

2022年07月16日 22時35分55秒 | 政治
 「安倍元首相暗殺事件」に関しては、警備のあり方の検証が欠かせない。それは警察庁でも行うということだが、決して明かされないこともあるだろう。そこで以下に自分の考えを書くことにするが、そこにはどうしても「憶測」が入り込むことを最初に断っておきたい。なお、安倍氏の背後が開いていたのは偶然ではなく「何かの陰謀」だと主張する向きもあるらしいが、それは妄想し過ぎというものだろう。また現場で拘束された容疑者以外に真犯人が存在すると考えるのも常識的に無理だろう。
(現場模式図)
 安倍氏の他の応援演説会場では、車が置かれたり背後にビルなどがある場合が多かったようである。今回何故背後に警備車などを設置しなかったかは、要するに「抜かった」ということだと思う。日本では政治家を銃撃する事件などほぼ起こらない。日本の警察が「ほぼ起こらない」事件に十分対応出来ないことは、昨年読んだ「「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件の真実」」でも指摘されていた。警察に限らず、コロナ対応で示されたように、同質性が強い日本社会では「全く新しい事態」には十分対応しにくい。むしろ、そういう柔軟な対応能力を摘むような教育を家でも学校でも行っている。

 SPが一発目の後に、もう少し機敏に動けていたら事態は変わっていたかもしれないが、その意味ではそれを求めるのはなかなか厳しいのかと思う。もっとも、それは今回の事件が「想定出来ない」ものと考えた場合である。そして、僕はもう少し「安倍氏襲撃」を想定していても然るべきだったのだったのではと思う。奈良県警の、まさに西大寺を管轄する奈良西警察では「銃弾をめぐる不祥事」が発生していた。銃弾が5発行方不明で、現場で紛失、窃盗が疑われたが、実はもともと配布されていなかったことが判明したというもので、8日に発表予定だったとされる。前日に決まった演説に十分対応出来なかった理由でもあるだろう。
(被疑者を取り押さえる瞬間)
 だが要するに、安倍氏は「右派の大物」だから、事件を起こすとするなら「左翼」の方だという思い込みがあったのではないか。「新左翼」はほぼ壊滅に近く、新しい事件を起こして組織を大弾圧にさらすエネルギーはないだろう。そうすると、聴衆の中に「左派リベラル系運動家」がいて、「安倍元首相にヤジを飛ばす」というのが「一番起こりうる不祥事」となる。だから、僕は聴衆側に多くの私服警官が配置されていたと思っている。背後への警戒がおろそかになった一因である。

 しかし、関西では「京都アニメーション事件」「北新地ビル放火事件」が起こっていた。特に政治的背景が無くても、「愉快犯」として模倣犯罪が起きる可能性を常に考える必要がある。確かに「銃を自作する」のは想定が難しいが、ボーガンだってパチンコだって卵の投げつけだって防がなければならないのだから、抜かりがあったと思うわけである。

 もう一つ、「右翼が襲撃する可能性」である。保守派、右派の総帥格の安倍氏を右翼が襲うわけがないと思うかもしれない。しかし、安倍氏は主張は右翼でも、政治家としての振る舞いは必ずしも右派的ではない部分がある。「桜を見る会」などの対応はまさに本来の右翼なら嫌悪する「自己顕示欲」に満ちている。しかし、それ以上に僕が思うのは「ロシア外交の失敗」である。日本政府が堅持していた「四島返還」を国会で議論すること無く、事実上「二島返還」にレベルを下げたことには、外務省などに禍根を残すとの懸念が強かった。そして経済協力だけ進めても結局「北方領土」は1ミリも動かなかった。

 プーチンの「オレオレ詐欺」に引っ掛かったようなものだ。その挙げ句にプーチンはウクライナに侵攻して、すべてはチャラになった。今まで日本が出資してきたロシアの資源開発も風前の灯火。これでは「暗愚の宰相」というか、本来の右翼なら「売国行為」だと怒るはずではないか。そこで安倍氏を狙撃して、「日本民族は決起した」から、心あるロシア民族もプーチンに対して決起せよと訴える。そういう右翼が出て来てもおかしくないと僕は思う。右派の安倍元首相を右翼が襲うわけがないと予断を持たなければ、ウクライナ戦争の下では日本でも何があっても不思議ではないと想像力を持てるだろう。
(襲撃事件現場の全景)
 恐らく安倍氏が来るとなったら、ヤジを飛ばす反対派と安倍氏、安倍支持の聴衆がやり合ってもみ合いになるという想定しかしていなかったのではないか。安倍氏の演説に居合わせたら、小心者の僕には言えないだろうけど、心の中では「ここまで来たら赤木さんにお詫びに行けや」とか「こんなところにいないで、ウラジーミルに戦争止めいと言って来いや」とか思って聞いてたに違いない。それに対して、安倍氏は「選挙妨害は法律違反ですよ」「こんな人たちを生んだ戦後教育を変えなければと私は頑張ってきた」とか言い出して、騒動になることも予想される。それを防ぐことを警備当局は優先していたんだと僕は想像する。

 なお、現場となった大和西大寺駅は昔何度か通ったなあと思いだした。この通信の由来でもある奈良市の「大倭紫陽花邑」(そこにある「交流(むすび)の家」)に東京から行くには、新幹線で京都へ行って近鉄に乗り換える。西大寺で大阪方面に乗り換えて、学園前駅で下りるから、何度も通っている。でも、西大寺で下りたのは多分一回だけだと思う。15年ぐらい前に奈良へ行ったときである。奈良中心部に泊まって、大好きな唐招提寺、薬師寺に行くため西大寺で乗り換えた。帰りに下車して西大寺を見た後で、「ガトー•ド•ボワ」というケーキ屋に寄った。ガイドブックで見て行きたくなったのだが、ホントに生涯最高レベルの美味しいケーキだった。ホームページを検索すれば納得だと思います。
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安倍元首相暗殺事件、「殺人不可の絶対則」からー「安倍事件」考①

2022年07月15日 22時58分03秒 | 政治
 安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件から一週間近く経った。被疑者に関する情報も相当報道されている。また岸田内閣は秋にも「国葬」を行うという方針を示している。それらも考えなくてはいけないが、取りあえず次回以後に回して、まず「この事件の本質をどのように考えるべきか」に絞って書くことにしたい。
(事件を報じる号外)
 まず「事件の名前」だが、当日に書いた記事では「衝撃の安倍晋三元首相暗殺事件ー日本でも起こった銃によるテロ」と書いた。その時点では謎の組織があるのか、政治的・思想的な理由による犯行だったのか、まだ何も判らなかった。とにかく政治家に対する事件ということで「銃によるテロ」と書いた。「テロ」とは「テロリズム」(恐怖主義)のことだが、今回も恐怖を感じた人は多かっただろうが、それが目的ではなかったとされている。個人的な「恨み」を一方的に募らせて外部に転嫁する「拡大自殺」のような事件、「京都アニメーション放火事件」「大阪北新地ビル放火事件」などに近い印象がある。そこで前回書いた「テロ」という表現は今後は使わないことにしたい。

 一方で、マスコミでは「銃撃事件」などと表記していることが多い。しかし、これは「金丸信自民党副総裁銃撃事件」(1992年)や「本島等長崎市長銃撃事件」(1990)などにふさわしい用語だ。今回はケネディ大統領インディラ・ガンディー首相などと同様の事件なのだから、「暗殺事件」で良いのではないか。「暗殺」は政治的背景がある場合だけに使う言葉ではない。「暗殺」ではおどろおどろしいイメージなのか、また「」の字を避けたいのか。「暗」は「暗い」から発して、見えないから「秘かに」「そらで覚える」の意味が生じた。「暗記」「暗譜」は後者、「暗殺」「暗号」などが前者である。「秘か」じゃなく「公然」の事件だが、それを言ったら世界から暗殺事件が無くなる。犯行じゃなく、「計画」「準備」が秘かということになる。
(「政治信条の恨みではない」と報じるテレビ)
 この事件に限らず、「殺人事件」を考える際は、「人を殺してはいけない」がすべてに優先する「絶対的原則」になる。もちろん「正当防衛」は別である。動機にいかに同情すべき事情があった場合でも、それは裁判などで「情状酌量をするべきか」を判断する時の問題だ。もちろん境界線上のケースは存在する。「尊厳死」「安楽死」をどう考えるか、「自殺」は許されるのか、「傷害致死」「過失致死」は殺人と同様かなど、判断に迷うケースはありうる。しかし、基本的には「殺人不可」が現代世界のルールだ。それは何故かと問うてはいけない。戦国時代は殺しあっていたのに、いつから殺人は禁止なのかと問うのも無意味。

 従って、論理必然的に「死刑制度は廃止するべきだ」という結論になる。死刑廃止論に立たない人は、本当の意味で「安倍事件」を否定することが出来ないと思う。安倍氏を殺害してはいけないのと同様に、この事件の犯人も殺してはいけない。しかし、その問題を追及していくと、死刑問題になってしまうから、ここでは省略する。(なお、最近岩波書店から刊行された平野啓一郎死刑について』は死刑制度を考える取っ掛かりになる好著である。)

 この事件が報道された直後には、多くの政治家が「民主主義への挑戦」と非難した。マスコミも選挙戦中の凶行に衝撃を受け、「民主主義の危機」と報じた。それに対し、犯行の個人性が明らかになってきたため、政治家が「民主主義への挑戦」などと語ることを批判する人もいる。今まで民主主義を守るために戦ってきたと思えない政治家たち(安倍氏自身も含めて)が、暴力に屈せず民主主義を守ると語る。それを世界に示すために大規模な「国葬」を行うなどと、国民世論に弔意を強制する動きも強まっている。それらを批判する意味で、「この事件の本質は民主主義への挑戦ではない」と言うことも大事だろう。

 しかし、僕はやはり「選挙演説中の政治家を狙う」ことは、日本の民主主義制度、選挙制度に深刻な影響を与えると思う。今はネット社会だから、選挙運動もウェブ上で行えばいいと考える人もいるだろう。だが、選挙はナマの政治家に接することが出来る貴重な機会である。ただでさえ日本の選挙期間は短い。街頭演説や選挙カーはうるさいなどと言っては、大事なものを失う。そして、一度「こういうことが出来る」と思ったら、今後どんな事件が起きるか判ったものではない。例えば、今回は「与党政治家」が狙われたから、今度は「野党政治家を襲わなければならない」、なぜなら「宇宙のバランスを取り戻すため」などと訳が判らないことを言う「模倣犯」が出て来るかもしれない。後で振り返って、「あの事件から日本社会から自由が失われた」にしてはならない。

 もう一つ、あまり言われていないのだが、この種の犯罪は「流れ弾による第三者の犠牲」を生みやすい。1974年の韓国・朴正熙大統領狙撃事件では夫人と聴衆の女子高生に当たって死亡者を出した。爆弾や銃による事件はターゲットに与える打撃という意味では「効果的」なのだろうが、第三者を巻き込みやすい。今回警察官や自民党関係者、あるいは聴衆でさえないただの歩行者に全く当たらなかったのは、奇跡である。安倍氏が演壇に乗っていたために、下から少し上向きで撃ったことが周囲に当たらなかった原因らしい。それでもかなり離れたところに弾痕が残っているんだから、誰にも当たらなかったのは幸運だった。

 被疑者(とされている人物)は、安倍氏以外には絶対に当てないという自信があったのだろうか。そんなことはないだろう。とっさにかばった警備陣に当たったとしても「やむを得ない犠牲」だと考えたのではないか。そう考えなければ、このような事件は起こせない。かつて60年代末から70年代に掛けての「政治の季節」には、「新左翼」諸党派が起こした爆弾事件も起こった。犠牲者を出した事件も多く、そのような場合、犠牲になった被害者の家族はもちろんだが、起こした犯人の方にも未だに癒えない深刻な傷を残している。そういうことも伝えていかないといけないと思う。
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