2015年に刊行されて直木賞、本屋大賞の候補にもなった深緑野分「戦場のコックたち」(創元推理文庫)を読んだ。2019年8月に文庫化され、単行本が評判になったから買ってみたものの、500ページを越える長さにビックリして放っておいた。創元推理文庫に入っているように、この本は「ミステリー」とされている。2015年の「このミステリーがすごい!」第3位を初め、ミステリーベストテンに選ばれている。
この本は普通の意味のミステリーとはとても違っている。「戦場における日常の謎」を描くという、今まで誰も書いてない小説である。「日常の謎」ミステリーは、北村薫以後多くの作家により書かれてきた。殺人事件が起こって犯人を捜すという昔風の「探偵小説」と違って、毎日の暮らしの中で起きる「小さな疑問」、それらを心理的な謎も含めて解き明かすというタイプの小説である。
しかし戦場、特にこの小説で舞台になっている第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、ノルマンディー上陸作戦以後の米軍とナチスドイツとの戦いにおいては、毎日毎日兵士がどんどん死んでいる。飛んでくる銃弾に当たるかどうかは偶然で決まる。それはもちろん「殺人」だが、「犯人」は「敵兵の誰か」であって、追求のしようがない。そんな死がありふれた世界で、「日常の謎」、具体的には「何故かパラシュートを集めている兵士がいるが理由はなんだろう」とか「倉庫から粉末卵600箱が盗まれた事件の犯人と理由は何か」とか、小さな謎が一体どういう意味があるのだろうか。
著者は初めて読む作家だが、「ふかみどり・のわき」と読む。1983年生まれの日本人女性作家。2010年短編集「オーブランの少女」(創元推理文庫)でデビュー。2019年の「ベルリンは晴れているか」も高く評価され直木賞候補になった。読んでないけど、それも第二次大戦下のヨーロッパが舞台だ。なんで今どきの若い日本人、それも女性が、遠くヨーロッパで起きた戦場の小説を書くんだろうか。もちろん小説は誰がどんな話を書いてもいいけど、読んでみると戦闘経過だけでなく、装備品や糧食なども詳しく調査して違和感なく書かれている。というか、普通に読むときは詳しすぎるだろう。
(深緑野分氏)
プロローグ、エピローグに挟まれた全5章で構成されている。一つ一つの章は100ページぐらいあって、とにかく細かい。「コックたち」と題名にあるが、確かに戦場で食事を作るけれど、普段はともに銃を持って戦う兵隊である。語り手は南部出身の新兵ティム(ティモシー)で、一番若いから「キッド」と呼ばれている。身分的には「特技兵」というのになって、少し待遇もいいらしい。しかし一般の兵士からは下に見られている。まずはノルマンディーにパラシュートで落下するところから始まるが、あまりに詳しいので困惑してしまう。長くて長くて、ちょっと読み始めたのを後悔するぐらい。
しかし次第にティムの仲間たちに親しみを覚えてくる。10代で経験も薄いティムがだんだん兵士としても人間としても視野を広げてゆく。特に年長のエドが「ホームズ役」となって謎を解き明かすが、その生い立ちも判ってくるとグンと世界が深みを増して見えてくる。そして、第4章、第5章と驚くような展開があり、ミステリーというより「成長小説」の側面が強くなる。ドイツ軍との死闘はやがて連合軍優位で推移し、ティムも驚くような行動を見せるようになる。
そして最後の最後になって、読者はやっと著者の企みに気づくことになる。戦争は終わり、生き残ったものは故郷に帰る。感動的なエピローグを読んで、小説というよりも、この戦争に関わった兵士たちの人生を考えることになる。1989年、ベルリンの壁崩壊後のベルリンのマクドナルドで、もう若くはないティムたち4人が再会する。そしてそのとき、ティムたちが戦場で取った行動の意味が初めて判るのである。ティムの人生そのものも含め、この小説に張りめぐらされた伏線がようやく深い感動の中で理解できるのだ。ミステリーだから細かな筋は明かせない。ただ読もうと思った人は途中でめげずにラストまで頑張って欲しい。かつてない深い感動が待っている。
今でも第二次世界大戦を振り返る意味がどこにあるのか。なんで戦争を知らない若い日本人がアメリカ人兵士の世界を描くのか。それも何故コックたちなのか。それはラスト近くのユダヤ人収容所解放のシーンを読んで、僕には完全に納得できた。それぐらい衝撃的で深く考えさせられる。だからこそラストで判るティムの戦後の生き方に深い感動を覚えた。まあそこまでたどり着くのが大変過ぎたけど。
この本は普通の意味のミステリーとはとても違っている。「戦場における日常の謎」を描くという、今まで誰も書いてない小説である。「日常の謎」ミステリーは、北村薫以後多くの作家により書かれてきた。殺人事件が起こって犯人を捜すという昔風の「探偵小説」と違って、毎日の暮らしの中で起きる「小さな疑問」、それらを心理的な謎も含めて解き明かすというタイプの小説である。
しかし戦場、特にこの小説で舞台になっている第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、ノルマンディー上陸作戦以後の米軍とナチスドイツとの戦いにおいては、毎日毎日兵士がどんどん死んでいる。飛んでくる銃弾に当たるかどうかは偶然で決まる。それはもちろん「殺人」だが、「犯人」は「敵兵の誰か」であって、追求のしようがない。そんな死がありふれた世界で、「日常の謎」、具体的には「何故かパラシュートを集めている兵士がいるが理由はなんだろう」とか「倉庫から粉末卵600箱が盗まれた事件の犯人と理由は何か」とか、小さな謎が一体どういう意味があるのだろうか。
著者は初めて読む作家だが、「ふかみどり・のわき」と読む。1983年生まれの日本人女性作家。2010年短編集「オーブランの少女」(創元推理文庫)でデビュー。2019年の「ベルリンは晴れているか」も高く評価され直木賞候補になった。読んでないけど、それも第二次大戦下のヨーロッパが舞台だ。なんで今どきの若い日本人、それも女性が、遠くヨーロッパで起きた戦場の小説を書くんだろうか。もちろん小説は誰がどんな話を書いてもいいけど、読んでみると戦闘経過だけでなく、装備品や糧食なども詳しく調査して違和感なく書かれている。というか、普通に読むときは詳しすぎるだろう。
(深緑野分氏)
プロローグ、エピローグに挟まれた全5章で構成されている。一つ一つの章は100ページぐらいあって、とにかく細かい。「コックたち」と題名にあるが、確かに戦場で食事を作るけれど、普段はともに銃を持って戦う兵隊である。語り手は南部出身の新兵ティム(ティモシー)で、一番若いから「キッド」と呼ばれている。身分的には「特技兵」というのになって、少し待遇もいいらしい。しかし一般の兵士からは下に見られている。まずはノルマンディーにパラシュートで落下するところから始まるが、あまりに詳しいので困惑してしまう。長くて長くて、ちょっと読み始めたのを後悔するぐらい。
しかし次第にティムの仲間たちに親しみを覚えてくる。10代で経験も薄いティムがだんだん兵士としても人間としても視野を広げてゆく。特に年長のエドが「ホームズ役」となって謎を解き明かすが、その生い立ちも判ってくるとグンと世界が深みを増して見えてくる。そして、第4章、第5章と驚くような展開があり、ミステリーというより「成長小説」の側面が強くなる。ドイツ軍との死闘はやがて連合軍優位で推移し、ティムも驚くような行動を見せるようになる。
そして最後の最後になって、読者はやっと著者の企みに気づくことになる。戦争は終わり、生き残ったものは故郷に帰る。感動的なエピローグを読んで、小説というよりも、この戦争に関わった兵士たちの人生を考えることになる。1989年、ベルリンの壁崩壊後のベルリンのマクドナルドで、もう若くはないティムたち4人が再会する。そしてそのとき、ティムたちが戦場で取った行動の意味が初めて判るのである。ティムの人生そのものも含め、この小説に張りめぐらされた伏線がようやく深い感動の中で理解できるのだ。ミステリーだから細かな筋は明かせない。ただ読もうと思った人は途中でめげずにラストまで頑張って欲しい。かつてない深い感動が待っている。
今でも第二次世界大戦を振り返る意味がどこにあるのか。なんで戦争を知らない若い日本人がアメリカ人兵士の世界を描くのか。それも何故コックたちなのか。それはラスト近くのユダヤ人収容所解放のシーンを読んで、僕には完全に納得できた。それぐらい衝撃的で深く考えさせられる。だからこそラストで判るティムの戦後の生き方に深い感動を覚えた。まあそこまでたどり着くのが大変過ぎたけど。