尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

劇団民藝公演『八月の鯨』、樫山文枝と日色ともゑの共演を見る

2025年02月13日 19時53分22秒 | 演劇

 NHK朝の連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」に主演した女優を10人挙げよと言われると誰になるだろう。若手で活躍している人気女優は大体出ていた感じだし、放送当時には話題になることが多い。だから10人ぐらいすぐに答えられても良いだろう。一般常識と記憶力テストである。ところで、僕の場合まず思い浮かぶのが、樫山文枝日色ともゑなのである。

 いつの話だよと言われるだろうが、樫山文枝は1966年の『おはなはん』、日色ともゑは1967年の『旅路』である。(1961年から74年まで、朝ドラは一年連続だった。それ以後は半年ごと。)僕は小学生だったけど、よく覚えていて『おはなはん』なんかテーマ曲が口ずさめるぐらいである。たださすがに展開は覚えてなく、最近になって映画版『おはなはん』(野村芳太郎監督、2部作)と『旅路』(村山新治監督)を見て、こういう話だったんだと思ったものである。

 樫山文枝(1941~)と日色ともゑ(1941~)は、奇しくも同年生まれ。当時から劇団民藝の若手俳優として活躍していた。そして奈良岡朋子亡き今は劇団民藝を支えている。この二人が『八月の鯨』で共演するということで、これは見ておきたいなあと思った。紀伊國屋サザンシアターで17日まで。デイヴィッド・ベリー作、丹野郁美訳・演出。民藝公演は夜だと2千円安いので、ついナイトチケットを買ってしまうけど、中村屋で2千円以上食べてしまったのもいつものことだ。

 『八月の鯨』と言えば、岩波ホールを思い出す人も多いだろう。リンゼー・アンダーソン監督による映画は1988年に公開されて、岩波ホール最大のヒットとなった。10階のホールから階段を外まで並んでいたものである。無声映画時代の大スターリリアン・ギッシュ(1893~1993)とトーキー初期の大スターベティ・デイヴィス(1908~1989)が主演したが、年齢差と逆にベティ・デイヴィスが姉だったことに驚いた。ベティ・デイヴィスはアカデミー主演女優賞に10回ノミネートされ、2回受賞した大スターである。母親が大ファンだったので、当時見に行ったと語っていた。確か半年ぐらいロングランしていたと思う。

(映画『八月の鯨』)

 この映画は1988年のキネマ旬報ベストテンで4位になっている。ベストワンは『ラスト・エンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ)で、2位が『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック)、3位が『ベルリン天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース)だった。それに次ぐ4位というのは、僕には過大評価なんじゃないかと思えた。正直言えば、この映画がそんなに好きじゃなかったのである。「老姉妹」の日々を静かに見つめるが、そこには過ぎ去った人生の思い出とともに、現在の日々にも葛藤がある。あるんだけど、それはあまりに小声で語られるから、「しみじみ老女映画」になっていて不満だったのである。

(樫山文枝=右、日色ともゑ=左)

 あらすじを民藝のホームページから紹介すると、「アメリカ、メイン州沿岸の島にある別荘でリビーとサラの姉妹は毎年、夏を過ごすことにしている。1954年の8月、鯨の訪れを心待ちにする姉妹だが、もう昔のように鯨がこの島にやってくることはない。目がみえなくなった姉のリビーはますます気難しく、面倒見のいい妹のサラもさすがに手を焼く始末。そんな頃、幼なじみのティシャがサラにある提案をする。リビーを施設に預けて自分と暮らさないか、と言うのだ。迷うサラ。さらにロシアの亡命貴族マラノフの登場で姉妹の間には微かな波風がたつ……。」

(マラノフ=篠田三郎)

 マラノフが今住んでいるところは、近所の女性宅。その主人が急死してしまい、葬儀後には家を出なくてはいけない。マラノフは魚を釣って、姉妹の家に持ってくる。夕方に再訪して魚をさばくという。しかし、姉は魚が食べたくないという。妹はそんな姉のために豚肉を用意する。メイン州の簡素な別荘というセットに、姉リビー(樫山文枝)と妹サラ(日色ともゑ)が暮らす。姉は目が不自由で、外に出るのも大変。そんな姉を妹が甲斐甲斐しく世話をしているんだけど…。

 やっぱりどうも今ひとつ思い入れ出来ないなあ。昔映画を見たときはまだ若かったから、今見れば共感度が違うかと思ったけど、そうでもなかった。この前見た映画『』のブラックユーモアの方が自分に合ってる。まあ樫山文枝と日色ともゑを見に行ったんだから、それで眼福である。役柄的には妹の日色ともゑの方が儲け役だろう。樫山文枝の姉は前回(2013年)の初演時は奈良岡朋子だったという。それは見てないが、「不機嫌」さの表出が難しい役である。戯曲の設定上の難役だと思う。

 老女性二人が同格で出てくる芝居は少ないだろう。三人ならよく商業演劇でやってる『三婆』があるが、他にはなかなか思いつかない。従って樫山、日色の同格共演はもう見られないかと思う。その意味で見て良かったなと思っている。

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『おばあとラッパのサンマ裁判』、アメリカの不当な関税から故郷を守った沖縄民衆

2025年02月04日 20時47分12秒 | 演劇

 トム・プロジェクトプロデュース『おばあとラッパのサンマ裁判』(紀伊國屋ホールで9日まで)を見た。病み上がりでちょっと辛いが、そこが事前に予約している演劇鑑賞の大変さ。しかし、見たらあまりにもグッドタイミングなテーマに驚いた。これは60年代沖縄の話だが、「アメリカの不当な関税から故郷を守った」沖縄民衆の戦いを描いた芝居である。何十年も前の小さな事件のはずが、まさに今世界史的意味を持っているではないか。自らの辞書にある最も美しい言葉は「関税」だと公言するトランプ米大統領、それに対して国会で問われた石破首相は自分なら「ふるさと」だと答えていた。二人にも見て欲しいな。

 柴田理恵が事実上の主演格の魚屋の女将、太川陽介が副主人公的な弁護士役。大和田獏も助演していてフロアは花輪でむせるような香りに包まれていた。そういうのは観劇ムードを高めるが、体調不良中なので「香害」だったかも。マツコ・デラックスや立川志の輔から柴田理恵、テレビ東京旅番組スタッフ一同から太川陽介など、目を引く花輪だった。

 

 1960年代初め、それまで本土からのサンマ「輸入」に税金は掛かっていなかったが、突如琉球政府当局は課税することに改めた。そのため大損を被る糸満の魚商人玉城ウシ(柴田理恵)はおかしいと思って下里恵良弁護士(太川陽介)に相談する。そうすると米国民政府の布令ではサンマは課税対象に挙げられていないことが判った。それはおかしいとウシは今まで取られた税金の返金を求める裁判を起こしたのである。それは認められたのだが、今度は米側はサンマを対象に加える布令を出してきた。

 ウシはひるまずさらに他の業者の裁判を支援していき、その主張は裁判で認められたが、今度は裁判管轄権を取り上げられてしまった。それまでは沖縄人が裁いていたのだが、今度は米側が直接裁くというのである。今までウシに自重を訴えていた新垣裁判官(大和田獏)も大いに悩んでついに闘いに参加する。こうして、「もうけが第一」を信条とするウシが起こした裁判が、沖縄の米軍統治を問う民衆運動に発展していくのだった。

(1966年の裁判移送事件)

 このサンマ裁判は2021年に沖縄テレビ制作『サンマデモクラシー』という映画になった。翌年には書籍化もされている。当時も「埋もれた現代史」と紹介されていた。僕は沖縄現代史にそれほど詳しくはないけれど、仕事柄何冊かの本は読んできた。その中でこの裁判のことを聞いた覚えがなかった。近年になって「肝っ玉おばあ」の物語として再発見されたのである。「ラッパ」というのは、ほら吹きと言うことらしいが、当時の大手映画会社大映社長だった永田雅一のあだ名から付けられたと冒頭で自称している。ただの庶民だったウシが弟(鳥山昌克)や姪(森川由樹)とともに「成長」していく様が感動的だ。

(映画『サンマデモクラシー』)

 僕はこのドキュメンタリー映画を見逃してしまって、今度初めてこの裁判を詳しく知った。なにより「おばあ」役の柴田理恵が圧倒的な存在感。太川陽介は難しい説明をセリフで行う弁護士役という役がどうかなと思ったけど、昨日が初演なので次第になじんでいくだろう。アフタートークがあったが、驚くべきことに太川陽介はセリフを「映像記憶」出来るんだという。そのため直前にセリフが代わると大変なんだという。作者の古川健は現代史を題材に近年多くの注目作を書いているが、実は初めて見た。演出日澤雄介。舞台は簡素な美術で、休憩なし1時間40分程度。まさにトランプ関税で世界が揺れる現在、是非。

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俳優座劇場プロデュース『音楽劇わが町』(ワイルダー作)を見る

2025年01月17日 22時02分54秒 | 演劇

 俳優座劇場プロデュース音楽劇わが町』を見た。『わが町』はアメリカの劇作家ソーントン・ワイルダー(1897~1975)が1938年に発表した戯曲で、ピュリッツァー賞を受けた名作。日本でも何度も上演されてきたし、原作もハヤカワ演劇文庫で読んだことがある。それを2011年に「音楽劇」にして、各地を198回上演してきたという。2015年以来10何年ぶりの再演だが、ちょうど阪神淡路大震災30年の1月17日に見たこともあって、とても心に沁みる舞台だった。

 この劇はアメリカの小説や映画に多い「スモールタウン」ものの演劇における代表作で、1901年のニューハンプシャー州の小さな町(グローヴァーズ・コーナーズ)の人々を「進行役」が巧みに紹介していく。3幕に分れていて、1幕で町の日常生活をテキパキと紹介、2幕で3年経つと隣同士で育った二人が結婚する日を迎える。そして3幕は9年経って、どうなるか。20世紀初頭のまだ自動車が登場し始めた時代を生きる人々。その時代のその町でも、人々は明日がどうなるか判らないまま一生懸命生きて、大きくなると人を好きになり、そして死んでいった。それはいつの時代も同じなんだけど、いつもは意識しない。

 そんな愛おしい日々を進行役が語るという手法が非常に感動的である。しかし今から見てみると人種対立も、銃犯罪も、薬物中毒もない時代なのである。WASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)の異性愛者ばかりが登場する劇で、工場が出来て町の違う地区にはポーランド人(カトリック)が増えたと言われている。犯罪など特に起きないが、1913年になると家に鍵を掛ける人が増える。1914年に第一次大戦が始まり、1917年にアメリカも参戦、町には戦死者も出る。そういう変化も書かれているけど、それでも「生活の規範」があった時代だなあと思うのである。それは懐かしいとも言えるが、古い。

(ソーントン・ワイルダー)

 アメリカの演劇というと、テネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラーなど葛藤渦巻く舞台が思い浮かぶが、戦前に書かれた『わが町』はそういうのと違う「しみじみ系」の傑作。しかし、僕も原作を読んだときに、ちょっともう古くなった気がした。それを製作陣も感じて、音楽の上田亨と演出の西川信廣は日本人になじみやすくするために「音楽劇」にするというアイディアを実現したという。一種のミュージカルだが、井上ひさしの作品のように舞台上にピアニストがいて伴奏とともに俳優が歌ったりする。エミリーを演じる土井裕子の魅力と若々しいジョージの奥田一平が良い。進行役の清水明彦(文学座)も忘れられない。

(俳優座劇場)

 『わが町』は「さようなら俳優座劇場」という企画である。六本木交差点そばの俳優座劇場は、2025年4月末で閉場する。ここは俳優座以外の公演も多く行われてきた場所で、「青春の思い出」というほど行ってはいないけど、それでもまあ惜別の思いはある。しかし行く度に狭い階段が大変になってきて、やはりバリアフリーとか考えてない時代の建物だなあと思う。そろそろ終わるのもやむを得ないような気がする。今の建物は1954年に作られた旧館を1980年に建て直したもの。300席と小さいが、舞台との距離が近く見やすい。4月までにまだいくつかの公演が控えているので、もう少し見たいなと思ってる。

 なお、『音楽劇わが町』の初演は2011年3月12日だった。大震災翌日だが俳優座劇場は大丈夫だったので、公演を挙行したものの観客は50人だったという。僕は当時六本木高校に勤務していたので、3月12日朝(10時頃)まで六本木にいたわけである。(震災当日は地下鉄が停まったので、生徒・職員は学校で夜明かしした。)そんな日のことも思い出した。

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劇団民藝『囲われた空』を見る、映画『ジョジョ・ラビット』原作の戯曲化

2024年12月12日 21時53分15秒 | 演劇

 劇団民藝囲われた空』を見た(12.7~12.15、紀伊國屋サザンシアター)。この題名を見ても何だか判らないけど、これは映画『ジョジョ・ラビット』(2019)の原作戯曲の日本初演だという。その映画については、かつて公開時に『「ドン・キホーテ」と「ジョジョ・ラビット」』(2020)を書いた。アカデミー賞にいくつもノミネートされ、監督のタイカ・ワイティティが脚色賞を受賞した。第二次大戦下のドイツを少年目線で描いた佳作で、特に少年が困ったときに脳内に監督自身が演じるアドルフ・ヒトラーが登場してアドバイスするという趣向がコミカルで面白かった。

 しかし、それは大胆な脚色というべきもので、本来の原作はもう少し年上の設定だったのである。舞台はオーストリアの首都ウイーン。空襲で顔に大ケガを負った17歳の少年ヨハネスは、母と祖母と暮らしている。ある日謎の物音を聞きつけ、どうもこの家はおかしいと思うようになる。ヨハネスは大のヒトラーびいきで、ドイツが勝つと信じていて部屋には総統の写真を飾っている。しかし、どうも母にはそれが不満で、秘かに反ナチスらしいのである。そして、実は家で姉の友人エルサという25歳のユダヤ女性を匿っていると気付いてしまう。人々はかつてヒトラーによる併合を喜んでいたが、最近は空襲が相次ぎ敗色が漂っている。

(ヨハネスとエルサ)

 冒頭シーンはヨハネスが大ケガをして寝ている部屋。それがグルッと回って居間になると、少し元気になったヨハネスが食べにくる。しかし、書斎に向かう扉にはいつも鍵が掛かっている。さらに舞台が回ると書斎で、そこの壁の裏にエルサが隠れている。つまり舞台は3分割されて回るのである。完全に120°ずつではなく、居間は広いが書斎はもう少し狭い。それはエルサが隠れている隠れ場所を作るためで、観客からはそれが見えるのである。回り舞台はよくあるけど、こういう風に3分割は珍しい。この舞台装置は見ごたえがある。ヨハネスとエルサという対照的な二人の位置を可視化する優れた舞台だろう。

(出演者一同)

 映画と同じく、母親は途中で消えてしまう。(父も最初から行方不明で、それは逮捕され収容所に送られたと推測出来る。)その後はヨハネスが病気の祖母(日色ともゑ)の面倒を見ることになる。いつしかエルサを愛してしまったヨハネスは、自分の信条との葛藤に苦しむが、次第にエルサを守らなくてはと思うようになる。ついに戦争はドイツ敗北で終わるが、そうなるとエルサは自由になって家を出ていってしまう。つい「ドイツが勝った」と言ってしまったのである。エルサとの暮らしを失いたくないために、嘘に嘘を重ねていくヨハネス。一方それを見守りながら弱っていく祖母はどこまで知っているのか。

(クリスティン・ルーネンズの原作)

 原作はクリスティン・ルーネンズというアメリカの作家で、原作『Caging Skies(2004)は小鳥遊書房から囲われた空として刊行されている。それを戯曲化したのはデジレ・ゲーゼンツヴィ。翻訳河野哲子、上演台本丹野郁弓、演出小笠原響。ヨハネスとエルサはダブルキャストで、僕が見たのは一之瀬朝登、神保有輝美。映画ではスカーレット・ヨハンソンが演じた母親は石巻美香。終わり頃はさすがベテラン日色ともゑの存在感が舞台を支配する。ヨハネスの「幼さ」が際立つのも日色あってのことだ。「解放」とは何なのか。人間は幾重もの壁に囲われている。「愛」もまた枷なのかもしれない。

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こまつ座『太鼓たたいて笛ふいて』、林芙美子と井上ひさし

2024年11月07日 22時17分23秒 | 演劇

 こまつ座公演『太鼓たたいて笛ふいて』を見た。30日まで。紀伊國屋サザンシアター。こまつ座は井上ひさし(1934~2010)の戯曲を上演する劇団だから、もちろん井上ひさし作である。演出は栗山民也。井上ひさしは遅筆で有名で、初日の公演が中止になることがしばしばあった。しかし、もう故人の旧作だから遅れる心配はないので早めに見たわけである。2002年が初演で、その年の読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞した。また作者の井上ひさしが毎日芸術賞、鶴屋南北賞、主演の大竹しのぶが紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞最優秀女優賞などを受賞した。非常に高く評価された作品だったが、20年以上経つとどうだろうか?

 ところで僕は初演の舞台を見たんだろうか? 当時はこまつ座から案内が送られていて、井上ひさしの新作はほぼ見ていた。見なかったとは思えないんだけど、記憶がないのである。見忘れたのか? 初日近くにチケットを取っていて公演が中止になったとか? 見てないと思って出掛けた映画が、実は見てたということが最近は時々あるから、要するに忘れただけか。井上ひさしは全部じゃないが、25~30作ぐらいは見ているから、はっきり記憶してない作品が多いのも事実だ。この作品は林芙美子の戦時中を描くミュージカル風評伝劇。その頃は林芙美子に関心がほとんどなく、あえてスルーしたのかもしれない。

 こまつ座を見るのは、2013年の『イーハトーボの劇列車』以来。今春に林芙美子を集中的に読んだので、この際(高いんだけど)久しぶりにこまつ座を見ようかなと思ったのである。安定した劇作の面白さ、懐かしい朴勝哲のピアノ演奏によるミュージカル風進行。サザンシアターは見やすいから、観劇的には満足した。大竹しのぶもしばらく見てなかったから、とても良かった。2014年の再演でも主演し、再々演でもやって、もう林芙美子にしか見えない熱演。林芙美子と言えば、『放浪記』の森光子ではあるけれど、大竹しのぶの存在感も森光子に匹敵するだろう。間違いなく代表作の一つだ。

 人物はたった6人。母と住む下落合の家でほとんどが進行する。そこに現れる4人の人々。歌詞を書いてくれと言う三木は、その後NHKに転じ、さらに内閣情報局と移りゆく。また行商をしていた母を慕って二人の男が現れる。さらにカンパを募りに来たのが島崎こま子。島崎藤村『新生』のモデルとなった実在人物で、無産運動に加わったところは事実。困窮が新聞に報じられ、養育園に収容されたこま子を林芙美子が訪ねて記事を書いた。しかし、その後も林家に何度も世話になるなどの事実はないらしい。林芙美子をいっぱい読んだので、これは作品の登場人物を使ってるなとか、事実じゃない創作的設定だなとかなり判る。

 そのことの善し悪しがあって、要するにこれは林芙美子じゃなくて、というか林芙美子を借りて井上ひさしが語っている。南京に、漢口にと日中戦争に報道班員として積極的に関わった芙美子。「私は兵隊が好きだ」と書き、ラジオでも述べる。しかし、米英との戦争に拡大し、南方を視察して以来ふさぎ込む。そして自分の戦争責任を痛感し、「日本はきれいに負けることだ」と思う。「滅びるにはこの日本、あまりにもすばらしすぎる」と歌い上げる芙美子。しかし、これは井上ひさしによって創作された「こうあるべき林芙美子像」だと思う。もちろん、フィクションなんだからそれはそれで構わない。

(林芙美子記念館)

 井上ひさしが生涯にたくさん作った「評伝劇」。それは歴史そのままではなく、もちろん舞台向きにエッセンスだけ取り出し、作家によって解釈された「偉人伝」である。作者はこの前後に「東京裁判3部作」を書いている。『夢の裂け目』(2001)、『夢の泪』(2003)、『夢の痂(かさぶた)』(2006)の三つで、これは新国立劇場で行われた初演をすべて見ている。劇作家としても、メッセージ的にも、井上ひさしの最高の達成ではないか。ちょうどその間に『兄おとうと』(2003、吉野作造と吉野信次)、『円生と志ん生』(2005)が書かれているが、題材的に幅広いように見えるが、皆「戦争にどう向き合うか」がテーマだ。

 井上ひさし文学が一番「戦争責任」を深く追求していた時期に、林芙美子も書かれなければならなかった。それは「庶民はいかに戦争を生きたか」が作家にとって最も深刻な関心事だったからだろう。その結果、どうも都合良く「反省」して見せている芙美子像なんじゃないかと思った。いっぱい読んだ林芙美子文学の感触とは少し違う気がしたのである。それは違って良いんだけど、22年経つとこの芙美子像も少し昔風になったかもしれない。世界は全く変わってしまい、「責任」とか深く考えることも少なくなった。作者死後に起こった東日本大震災やコロナ禍の衝撃が大きかったのである。

 ということで、この劇は非常によく出来ていて、いろいろと感じ考えさせる優れた劇で、作者の劇作の楽しさ、素晴らしさを十分に味わえる。また大竹しのぶの演技も見ておくべきだろう。だが林芙美子をドラマ化したという意味では、少し昔っぽいかなとも思った次第。1万円を超えるので、なかなかこまつ座を毎回見るのも大変だ。まあ、大竹しのぶは1年に1回は見たいけど。

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文学座公演『摂』を見るー朝倉摂の生涯、自由を求めた一生

2024年11月02日 20時12分08秒 | 演劇

 文学座公演『』を見に行った。紀伊國屋ホール(6日まで)。瀬戸口郁作、西川信廣演出。摂というのは朝倉摂のことで、彫刻家朝倉文夫の長女として生まれた。舞台美術家として活躍し、僕もその素晴らしい舞台美術に驚嘆したことが何度もある。しかし、前半生は日本画家として活動していて、その様子は2022年に行われた『「生誕100年朝倉摂」展を見るー日本画から舞台美術ま』』に書いた。この朝倉摂という人に関心があって、どう演劇化されるのか是非見てみたいと思ったのである。

 父の朝倉文夫は早稲田大学にある大隈重信像などの作者で、本当に有名な彫刻家だった。台東区谷中に居を構え、その家は今「朝倉彫塑館」として公開されている。昔行ったことがあるが、よくぞ空襲で焼けずに残ったものだ。その庭園も2008年に国の名勝に指定されている。娘が二人いて、長女の朝倉摂(1923~2014)は舞台美術家、次女の朝倉響子(1925~2016)は父を継いで彫刻家となった。この芸術家姉妹のことは生前から有名だったが、朝倉摂の人生はほとんど知られてこなかった。

 舞台は2幕で、前半で戦時中、後半で戦後を描いている。上演時間は休憩を入れて3時間ほど。舞台上には2階建ての部屋が広がり、それは大体朝倉家という設定。戦後になると、摂が自立するので摂の部屋や旅先の常磐炭鉱などの設定にもなるが、朝倉家で進行する場面が多い。最初から最後まで、自由を求める摂(荘田由紀)のエネルギーに圧倒される舞台だった。実は2年前の展覧会まで、前半生の日本画家時代はほとんど知られなかった。(本人も封印していた。)父の朝倉文夫は「トンデモ親父」で、学校教育を否定して二人の娘を学校に行かせず家庭教師を付けた。「偉大な父」を持つ苦労が朝倉姉妹には付きまとったのである

(朝倉摂)

 子ども時代の摂は冒頭から自由奔放に生きていて、妹の響子が取りなす日々。朝倉家には彫刻を学びに来る若者たちが常にいて、大所帯だった。そんな中で摂だけは父の後を追わずに、美人画で有名な伊東深水に師事して日本画に進んだ。時は戦時中で、何より自由を求める摂には納得出来ないことが多い。戦争が激しくなると、金属の供出が始まり彫刻も出来なくなってしまう。摂の日本画も戦時を生きる女性像を描いていた。(舞台上部で当時の摂の絵が映し出される。)時に父と議論するが、山の頂上を目指す時に道はいくつもあり、登り方は自分が決めると宣言する。ほとんどケンカ腰で、自分のことを「ボク」と語る摂の姿がスゴイ。

(朝倉文夫)

 やがて摂は日本画の世界の窮屈さ、旧弊に抗うようになる。戦後はシベリア帰りの彫刻家佐藤忠良(俳優の佐藤オリエの父)の影響もあり、共産党員になる。日本画の技法で労働者を描くが、新聞では酷評される。常磐炭鉱を訪ねて炭坑にも入るが、現実の労働者からは羨まれる存在だった。「50年代」は忘れられているが、この舞台は「インターナショナル」が響き渡り、反戦に燃える摂の戦後史を丁寧に描いている。だがそんな摂たちが全力を挙げた60年安保闘争後に、党とのあつれきが大きくなって除名されるに至った。そんな頃に舞台美術に取り組むようになった。折しも高齢になった父に呼び出され、芸術を語り合うが…。

(荘田由紀=摂役)

 僕は知らなかったのだが、摂の娘が文学座の女優富沢亜古で、この舞台では摂の母、つまり実祖母を演じている。最後は本人役にもなる。摂役に荘田由紀、朝倉文夫役に原康義、摂の叔母役に新橋耐子といった配役。朝倉文夫役の原康義が迫力ある演技で娘たちと渡り合うが、何と言っても主演の荘田由紀が素晴らしかった。この公演は「築地小劇場開場100周年」をうたっている。文学座は社会的な演劇よりも芸術的な演劇という趣旨で結成されたが、この舞台では珍しく戦争反対や女性解放の意義を高く語っている。それもこれも朝倉摂の生き方が時代を突き抜けていたのである。摂、響子姉妹の話は朝ドラに格好な題材なんじゃないだろうか。

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シス・カンパニー『夫婦パラダイス』(北村想作)、『夫婦善哉』じゃなかったけど…。

2024年09月12日 22時03分32秒 | 演劇
 新宿の紀伊國屋ホールで、シス・カンパニー制作、北村想(1952~)作の『夫婦パラダイス~街の灯はそこに~』を見て来た。「夫婦」は「めおと」である。尾上松也瀧内公美が主演カップルを演じている。『夫婦善哉』にモチーフを得た作品ということで、気になっていたところに安いチケットがあったので買うことにした。でも後ろの方の端の席で、それはそうだろうなあ。声は通っていたし、舞台もよく見えていたから良かった。休憩なしで1時間40分程度。19日まで上演。

 ホームページからコピーすると、こんな話。「川の向こうは「パラダイス」。でも、こちら側は人生の吹き溜まり…。そんな川辺のスナックに、ワケアリのカップル柳吉(尾上松也)と蝶子(瀧内公美)が流れ着く。店のママ信子(高田聖子)は蝶子の腹違いの姉で、失踪中の亭主藤吉(鈴木浩介)を待つ身の上。近所の出前持ちの静子(福地桃子)や羽振りのいい常連客馬淵 (段田安則)もその姿は、とんと見たことがないという。スナック2階の屋根裏部屋に転がり込んだ二人だったが、この店にもなにやらワケアリの雰囲気が…。」これだけじゃ全然判らないが、要するに『夫婦善哉』との共通点は柳吉蝶子の名前だけという感じ。
(主演の二人)
 時代は昭和初期ではない。というのも「IRパラダイス」なる施設が河内に出来ている。そしてついに政府はカジノを作ったとかセリフで言ってる。そもそも大阪のIR予定地は夢洲なんだから、これは「近未来」というより「パラレルワールド」。と思ううちに、店の様子がどんどん変になっていき、河童や安倍晴明、蘆屋道満の葛の葉伝説などファンタジックになっていく。それはそれで面白いのだが、僕は『夫婦善哉』期待だから、何だかハシゴを外された感もした。観客のかなりは尾上松也ファンと見受けられ、見得を切ったりするシーンが受けていたが。この尾上松也瀧内公美のコンビはなかなかはまり役で、今さら映画のリメイクは無理だろうが舞台版『夫婦善哉』を企画しても良い気がした。

 ところで、もう一人「影の役者」がいて、それはナレーション。ちょっと古いセリフがあると、演技がストップして解説がある。これがおかしかったが、最後に明かされる声の主は高橋克実だった。段田安則鈴木浩介など豪華な顔ぶれ。蝶子の姉(そんな人は原作にはいない)を演じた高田聖子(たかだ・しょうこ)は、「劇団☆新感線」で有名な人。出前持ちの福地桃子は短い出番の割りに印象的だった。知らなかったが、調べてみると哀川翔の娘だった。僕は瀧内公美がナマで見られて良かった。皆うまくて俳優を見る楽しみはあるけれど、ちょっと戯曲の「夢オチ」が納得出来なかった。
(出演者)
 チラシを見ると、「日本文学へのリスペクトを込めた『日本文学シアター』シリーズが久々に復活」とある。僕は北村想を見てないので、そう言われても良く判らないが、そう言えば『銀河鉄道の夜』に想を得た戯曲があったのは覚えている。北村想は岸田国士戯曲賞や紀伊國屋演劇賞などを受賞してきた日本を代表する劇作家の一人である。名古屋で活動を始めたということもあるが、「小劇場ブーム」の劇作家は僕はあまり見てないのである。活躍し始めた時期が自分が働き始めた時期と重なっていて、多忙だったからだ。ということで、この世代のことは語りにくい。このように「夢か現か幻か」という作風なんだろうが、『夫婦善哉』からはどんどん離れて行くのだった。ラストの「頼みにしてまっせ」も逆に蝶子のセリフ。
(北村想)
 秋は面白そうな舞台が幾つもある。映画の特集も行きたいのがいっぱい。展覧会もあるし、と言っていくと旅行や散歩が出来ない。その前に猛暑が何とかならないと元気が出ない。今日も猛暑日なんだけど、いつまで続くのか。それでも紀伊國屋ホールに行って、本の匂いに触れると元気が出る気がする。ま、ちょっと予想外の展開だったけど、役者が良かったから満足かな。
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「水俣病」と向き合う家族『風を打つ』、ー音無美紀子と太川陽介の名演

2024年07月18日 21時33分17秒 | 演劇
 トム・プロジェクトプロデュースの演劇公演『風を打つ』(ふたくちつよし作・演出)を亀戸文化センター・カメリアホールで見た。最近ライブ芸能は寄席ばかりになってるけど、ホントは演劇も見たい。しかし、見たい舞台ほど料金が高いうえに、僕が住んでる町から遠い。散々そんなことを書いてるが今度は東武線で行けて、しかも退職教員向けの機関誌に割引の案内が出ていた。(もっとも2回乗り換えないと行けないが。亀戸は例のつばさの党「選挙妨害事件」が起こった街である。)

 この作品は今回が4回目の上演で、主演している音無美紀子が、第74回(2019年)芸術祭優秀賞と第30回(2022年)読売演劇大賞優秀女優賞を受けたという。知らなかったんだけど、題材が水俣病なのに何で初演を見てないのか。音無美紀子は昔結構好きだったのに。夫役は太川陽介で、今やテレ東のバス旅の印象ばかり強いが、大昔のアイドル歌手である。リアルで見たことないから、ちょうど良い機会。難役を見事にこなす音無美紀子の名演に驚き感嘆した。音無が「ツッコミ」で、太川陽介は「受け」の演技になるが、こちらも見事に夫婦の時間を感じさせる。ラストに太鼓の実演シーンもあって見ごたえがあった。

 ホームページから、どんな話か紹介する。「1993年水俣。あの忌まわしい事件から時を経て蘇った不知火海。かつて、その美しい海で漁を営み、多くの網子を抱える網元であった杉坂家は、その集落で初めて水俣病患者が出た家でもあった...。...長く続いた差別や偏見の嵐の時代...。やがて、杉坂家の人々はその嵐が通り過ぎるのを待つように、チリメン漁の再開を決意する。長く地元を離れていた長男も戻ってきた。しかし...本当に嵐は過ぎ去ったのか?家族のさまざまな思いを風に乗せて、今、船が動き出す...。生きとし生けるものすべてに捧ぐ、ある家族の物語。」

 これじゃ今ひとつ判らないが、昔網元だった杉坂家の物語である。舞台には居間とその隣の仏壇がある部屋がある。手前(観客側)が海という設定で、天気はホリゾントで表わされる。夫が新聞を読み、遠くで妻の電話の声が聞こえる。それがまた大声なのである。実は東京へ出ていた長男が帰ってくるという。次第に判ってくるが、二人が1959年に結婚したとき、夫は20歳、妻は21歳だった。妻が網元の一人娘で、網子だった夫が求婚したのである。そして男の子ばかり5人生まれた。しかし、4人は水俣を去り都会へ行った。「水俣病」という重さを避けたのかもしれない。3男のみが残って両親と海に出ている。
(ふたくちつよし)
 作者のふたくちつよし(二口剛)作品は初めて見るが、市井の人々の葛藤をさりげないユーモアで描き出す芝居が多いという。母親は今まで語らなかった水俣病の体験を自分の口で語り始めている。しかし、電話や手紙で「寝た子を起こすな」という匿名の脅迫も寄せられている。そういう「外部」の悪意が家族を引き離してきた。母は病気を抱えて、新しい歩みを始めたいが、重いものを背負わされてきた長男はなかなか納得できない。長男が何故家を出たか、そして何故帰ってきたのか。親と子の葛藤が見事に形象化される。一緒に帰ってきた長男の妻が出来過ぎな感じだが、そういう人がいないと話がまとまらないだろう。
(音無美紀子・若い頃)
 音無美紀子が演じる杉坂栄美子は、もともと網元の娘でリーダーとして育成された。地声も大きいし、感情的な起伏も激しい。普段は元気だが、疲れて調子が落ちてくると水俣病のしびれや目まいの症状がひどくなる。その病状を演じわけながら、快活な人柄を印象付ける。そういう難役をまさにそんな人がいるかのように演じている。夫の孝史はその妻を支えてきた長い時間を太川陽介の存在感が表わしている。見ていて栄美子には危なっかしさもあるが、太川陽介の存在が安定感を与えている。太川陽介はうまいのかどうか判断が難しいけど、やはり存在感が大きいなあと思った。
(太川陽介・若い頃)
 ところで、劇内の時間から30年以上経つが、今も水俣病問題の完全解決には至ってない。いや「問題としては終わっている」という判断もあるのかもしれないが、「病気」というものは奥が深く全貌がはっきりしない。原一男監督のドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』を見ても、まだまだ解明されていない論点が様々にあることが判る。『風を打つ』は家族を描くウェルメイド・プレイ(良く出来た芝居)だが、構造としては世界の様々な問題と重なる。世界の大きな矛盾は「家族」に圧縮されて現れ、その時には家族の弱い部分に特に重圧がかかる。そんなことを考えながら見た舞台だった。
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劇団青年座『ケエツブロウよー伊藤野枝ただいま帰省中』を見る

2024年05月30日 21時59分25秒 | 演劇
 創立70年の劇団青年座が開館60年の紀伊國屋ホールで、『ケエツブロウよー伊藤野枝ただいま帰省中』を上演している(6月2日まで)。何だか判らない題名だが、伊藤野枝と故郷の家族を描く演劇だと知ったら見たくなった。マキノノゾミ作、宮田慶子演出。29日の夜に見たが、やはり夜に出掛けると外食するから、血圧に影響してしまう。演劇や長い映画は拘束時間の関係でしばらく控えようかと思ってたけど、見逃さなくて良かった。とても面白く見ごたえがある舞台だった。

 大正時代の女性運動家伊藤野枝(1895~1923)と言えば、波瀾万丈の生涯を送った人物として知られる。余りにもドラマチックな人生を生き急ぎ、たった28歳で国家権力に虐殺された。その波乱の現場はおおよそ東京近辺だった。この前、野枝の生涯を描いた映画『嵐よあらしよ劇場版』を見たばかりだが、そこでは東京(と周辺の県)しか出て来ない。それが伊藤野枝を描くときの定番で、何しろ彼女の生涯に登場する多士済々の人物こそ面白いのである。野枝にももちろん故郷と家族があったわけだが、そっちは普通省略される。一方この劇では正反対に、故郷の家しか描かれないのである。

 だから舞台上には故郷の家が作られて、そこから動かない。幕は使わず、途中で休憩を挟んで4場のドラマが繰り広げられる。いずれも野枝が帰郷したときに家族・親戚が集まるシーンである。この設定が工夫で、やはり作者マキノノゾミの才能だと思った。現代日本で一番活躍している劇作家(の一人)ならでは。その故郷というのは、福岡県今宿(現・福岡市西区)なので、そうそう気軽に帰省する機会がない。東京で貧窮していた野枝は、人生で数回しか帰れなかったのである。
(マキノノゾミ)
 前半では「強いられた結婚を破談にするための帰省」(1912年、17歳)と「辻潤と長男まことを連れた帰省」(1915年、20歳)の2回。後半では「大杉栄と長女魔子を連れた帰省」(1918年、23歳)と「没後に訪ねてきた同志村木源次郎」(1924年)が描かれる。実は1922年に三女(エマ)と四女(ルイズ)を連れて帰省しているが、それは省かれている。この間、野枝(那須凛)は常に家族と揉め続け。最初は家で決めた結婚を断固否定する。次は辻潤とうまくいかなくなり、辻が「浮気」をしたという。何より「自立」を重んじる野枝に親の統制は効かない。祖母サト(土屋美穂子)は野枝の決断を認めるしかない状況を見事に演じる。

 後半では新聞を賑わせたスキャンダル(日蔭茶屋事件)が起こり、「無政府主義者の巨頭」大杉の娘を産んだ。母の姉の夫、代準介横堀悦夫)は頭山満配下の国家主義者で、二人を別れさせ野枝をアメリカに行かせる、と意気込んで乗り込んでくる。そこに大杉を慕う八幡製鉄所の工員もやって来て、喧々諤々の大論争に発展。結局、皆が踊り出してしまうシーンは傑作。その場では無政府主義と言っても怖いものではなく、日本古来よりつながる共同体の営みこそ「国家に縛られない仕組み」だと示唆する。主義に賛同出来ずとも、大杉はともあれ「ひとかどの人物」で、辻より野枝に相応しいと家族も何となく納得(?)。
(宮田慶子)
 この休憩開けの3場がとりわけ興味深く、次第に大杉のアジテーションに皆が感化されてしまうあたり、見事な演技と演出だった。それはマキノノゾミ戯曲との付き合いが長い宮田慶子の手堅い演出ぶりも大きい。そして、もう見る前に知ってるわけだが、突然の死を迎える。野枝と大杉はこの時は「お盆」に幽霊となって戻って来るという設定。震災での無事を知らせるハガキが野枝から届いていた。それを見た同志「源さん」の深い怒りと悲しみ。大杉の霊は村木は復讐を考えていると言い当てる。(歴史的事実だから書けることだが。)哀切な思いを残して劇は終わる。

 最後に題名の話をすると、「ケエツブロウ」は水鳥の「かいつぶり」のことだった。伊藤野枝が「青鞜」に掲載した詩「東の磯」に出ている。それを青空文庫で見てみると、「東の磯の離れ岩、/その褐色の岩の背に、/今日もとまつたケエツブロウよ、/何故にお前はそのやうに/かなしい声してお泣きやる。」途中省略して、ラストは「ねえケエツブロウやいつその事に/死んでおしまひ!その岩の上で――/お前が死ねば私も死ぬよ/どうせ死ぬならケエツブロウよ/かなしお前とあの渦巻へ――」とどこか自らの最期を思わせ示唆的だ。野枝は大杉とともに死にたいと語るセリフがあったのである。

 新宿の紀伊國屋ホールは、椅子は改装されたが昔の感じが残されている。俳優座劇場が閉館すると、もう70年代からそのままの劇場はなくなってしまう。チラシがたくさん置かれているのも昔と同じ。懐かしい空間がいつまでも残って欲しい。
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オフィス300『さるすべり』、渡辺えり・高畑淳子の「二人芝居」

2024年04月06日 22時17分28秒 | 演劇
 渡辺えりがやっている「オフィス3OO」(さんじゅうまる)の『さるすべり』という芝居を紀伊國屋ホールで見てきた。今日が初日で、15日まで。高畑淳子を迎えて、渡辺えりと姉妹役をやっている。チラシでは「新劇とアンダーグラウンド、歩んできた道の違う同い年の二人が奇跡のコラボ!」とうたっている。セリフがある役はこの二人だけで、一人芝居ならぬ「二人芝居」になっている。舞台は5時に始まって、6時半に終わってしまった。内容的には深刻なドラマも含むけれど、姉妹二人の葛藤というよりは、虚実入り交じるスケッチ風の芝居になっている。

 演劇というのは、普通入場したときには舞台の幕が閉まっている。開場のベルが鳴って幕が上がると、そこはドラマの世界になっている。それに対して今度の芝居では最初から最後まで一度も幕が下りない。最初から舞台が見えていて、大道具を直したりしている。初日だからバタバタしているのかと思うが、それなら幕を下ろしてやるはず。そして主演の二人も大道具や小道具を動かしている。そして、いつの間にかセリフも始まるのだが、姉役の高畑淳子は「ゴミの分別」をしていて、突然『八月の鯨』をやると言うから出たのに、何でゴミ処理なんかしなくちゃいけないのとか言い出す。そうすると、妹役兼作者の渡辺えりがアングラだから何でもアリなんだとか言い出す。そういう趣向が面白いのである。
(チラシ裏)
 『八月の鯨』は岩波ホールで姉妹で見たという。その時のベティ・デイヴィスとリリアン・ギッシュほどではないけれど、高畑淳子、渡辺えりも高齢になってきて、この劇ではもう認知症っぽい役作りになっている。しかし、そういうセリフがしっかり入っているんだから、現実の二人はまだまだ元気なんだろう。そういう設定で、テレビデオ(!)が壊れてニュースも見てないから、自分たちが何で「自粛」しているんだかも忘れている。妹は夫を置いて実家に戻ったまま、4年目らしい。姉は独身で昔の家に住んでいるけど、実は二人には「もう一人の家族」があったのである。その悲しい秘密も、ちょっと忘れてしまうぐらい老いてきたのである。
(渡辺えりと高畑淳子)
 舞台にはバンドネオンとコントラバスの「楽士」がいて、音を奏でている。またセリフが無いダンサーがいて、いろいろな過去の象徴のようである。戦争や学生運動、姉は闘争を経て築地場外市場で成功したりした。そして昔家にあった「さるすべり」の思い出が蘇ってくる。もっと若ければドラマティックになるところ、何だか忘れてしまう心境になってる。二人の女優の掛け合いが楽しいメタ演劇だが、やはりコロナ禍の「老い」を描いた作品である。テレビや商業演劇でもよく見る二人だが、この二人が舞台に立つだけで芝居が成立するのである。夜7時開始の公演はまだ余裕があるということで、紹介する次第。
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文化座公演『花と龍』を見るー火野葦平から中村哲へ通じる道

2024年02月28日 22時15分39秒 | 演劇
 文化座公演『花と龍』を見て、とても面白かった。六本木の俳優座劇場で、3月3日まで上演。文化座は長い歴史のある劇団だが、実は一度も見たことがなかった。俳優座劇場も来年で閉館するし、見ておこうかと思った。もう一つ、今どき何で火野葦平原作の『花と龍』なのか。それは企画した文化座代表の佐々木愛の文章で判る。『「父や母の時代のように美しく生きられないかもしれないが…」と語っていた火野の言葉と、火野の甥で祖母マンに育てられた中村哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れたことを考えると、玉井金五郎一家の夢と野望は今もなお脈々と息づいているように思える。』この言葉の意味を知りたかったのである。

 舞台はとにかく面白く、今どきの多くの芝居のような謎めいた設定に悩まず、ただストーリーに没頭できるのが楽しい。もっとも若い人だとよく判らない点があるかもしれないが、まあ観客に若い人はいないようだった。『花と龍』という小説は昔は何度も映画化されていた。高倉健主演の『日本侠客伝 花と龍』(1969、マキノ雅弘監督)もあるし、何となくヤクザ映画的な世界に思っていた。石原裕次郎渡哲也も主人公玉井金五郎を演じていて、トップ男優の演じる役柄だった。この玉井金五郎こそ、作家火野葦平こと玉井勝則の実父だった。火野は実の両親をモデルにして、暴力とロマンあふれた一大叙事詩を描いたのである。
(火野葦平)
 火野葦平(1907~1960、ひの・あしへい)って誰だという人もいるだろう。若松(北九州市)で沖仲仕組合に関わりながら創作活動を行っていたが、1937年の日中戦争勃発後に30歳で召集された。その従軍中に『糞尿譚』が芥川賞を受賞して一躍名前を知られ、続いて戦場体験を綴った『麦と兵隊』『土と兵隊』が大ベストセラーとなった。(『土と兵隊』は映画化されて大ヒットした。)戦争中は軍の宣伝に使われ、火野葦平にはどうしても戦争のイメージが付きまとう。戦後には公職追放にもなった。その火野が自らの両親を描いた『花と龍』は、1952年から53年に読売新聞に連載され有名作家に返り咲いた。1960年に亡くなったが、1973年になって自殺だったことが公表された。一つも読んでないけど、僕には謎多き作家として気になる存在なのである。
(映画『花と龍』渡哲也版)
 さて、舞台では若き愛媛のミカン農家玉井金五郎藤原章寛)が登場し、賭場で稼いで広い世界を見たいと思う。やがて門司へ行って沖仲仕(ごんぞう)となった金五郎は、谷口マン大山美咲)と知り合う。金五郎は大陸を目指し、マンはブラジルを目指す。ともに世界に雄飛するはずが、差別され低賃金にあえぐ中で金五郎は持ち前の正義感とリーダーシップで、いつの間にか波止場の有力者となっていく。ヤクザの暴力から仲間たちを守り、ともに闘う金五郎とマン。しかし、金五郎は背中に昇り龍と菊の花の入れ墨があるのだった。両親が実名で登場し、男っぷり、女っぷりを存分に発揮する。見てて面白く、一気に見られる。
(藤原章寛=玉井金五郎役)
 この玉井金五郎を演じているのは藤原章寛という俳優で、昨年上演された『炎の人』のゴッホ役で紀伊國屋演劇賞を受けたばかり。名前を知らない人が多いと思う(僕もそう)だが、映画なら高倉健や渡哲也が演じた役柄を堂々と演じきる。鮮やかな立役(たちやく)ぶりに舌を巻いた。「男が惚れる」「女も惚れる」、自然に人の上に立っていく度胸を見事に演じている。妻のマン役の大山美咲をはじめ、脇役ひとりひとりが生きていて、文化座の豊富な俳優陣に驚いた。舞台には二階建ての建物があり、手前が海岸にもなれば料亭にもなる。旗揚げした玉井組の本拠にもなる。映画ならロケやセットで大々的なアクションになるところ、狭い舞台上で大道具を使い回すことで想像力が働くと思った。
(佐々木愛)
 もう一人、「ドテラ婆さん」こと、島村ギンという女親分を代表の佐々木愛が貫禄で演じている。旗揚げメンバーの鈴木光枝の娘で、1987年から文化座代表を務めている。80歳という年齢を感じさせないセリフ回しで、堂々たる存在感がすごい。脚本は東憲司、演出は鵜山仁と名手が担当している。火野葦平は文化座に『陽気な幽霊』『ちぎられた縄』という二つの作品を書いているという。その火野葦平の妹の子どもがペシャワール会創設者の中村哲である。

 しかし、その精神的つながりが今まで僕にはよく判らなかった。しかし、この『花と龍』を見たことで、自由な世界を求めて闘い続けた玉井一族の長い長い歴史が判ったのである。ケンカが嫌い、実は賭け事も酒も嫌いだった「親分」風でない玉井金五郎あって、その孫の「中村哲」が生まれたのだ。若松を日本一の港にしたいという夢は、炭鉱がなくなって今では見果てぬ夢に終わった。しかし、世界を見渡して自由な世界を築きたいという夢は今こそ切々と迫るものがある。ひたすら楽しく見られるお芝居だけど、同時に近代日本人の精神史に迫る力作だ。
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劇団民藝『やさしい猫』を見るーていねいな役作りで入管制度を問う

2024年02月10日 21時59分48秒 | 演劇
 劇団民藝公演『やさしい猫』を9日に見て来た。本来は3日からの公演で、僕は初日を取っていたが、何と役者に体調不良が出て公演前半が中止になってしまった。そんなことが今もあるのか。僕は初の経験で、だから「生」の舞台は難しい。9日昼に振り替え公演があるとのことで、そこで見ることにした。久しぶりの演劇だし、入管制度がテーマなのでキャンセルしたくなかった。

 中島京子が読売新聞に連載した小説が原作で、当時大きな評判になったことは覚えている.。2023年には優香主演でNHKの「土曜ドラマ」になったのも知っている。もっとも原作も読んでないし、ドラマも見てない。原作を小池倫代が脚色し、丹野郁弓が演出した。劇団民藝ならではの安定したリアリズム演劇で、ある意味安心して見ていられる。内容的にそれで良いのかという気もしたが、あまり疲れずに感情移入出来るのも演劇の楽しみだろう。
(主演の3人)
 東日本大震災のボランティアで知り合った女性保育士ミユキ(森田咲子)とスリランカ人男性クマラ(橋本潤)が思わぬところで再会する。クマラが警官から職務質問を受けて困っていたのである。彼の本当の名前は寿限無みたいに長いけど、劇中ではクマラと皆に呼ばれる。ミユキはシングルマザーで、クマラは次第に彼女の娘マヤ(成人時は井上晶)とも親しくなっていく。クマラは自動車整備工場で働いていたが、ある日解雇されてしまう。そのことをミユキに打ち明けられず、後で知ったミユキはウソはつかないという約束を破ったと怒り二人は一端離れることになる。クマラは仕事を見つけられず、その間に在留期間を過ぎてしまう。

 二人は再びよりを戻し結婚することになるが、不法滞在になってしまったクマラは入管に行く前に逮捕されてしまい、そのまま入管施設に収容されてしまった。ミユキは最初は戸惑うが、マヤの幼友達ナオキが調べてくれた弁護士に相談に行くことにする。そして、裁判をすることに踏み切るが、証言に立つと思ってもいない質問を投げかけられる。マヤも証言を希望するが、クマラは止めた方がいいとアドバイスする。それでも高校生のマヤが証言台に立つところがクライマックスとなる。チラシにある絵はマヤが小学生の時に描いた絵で裁判でも提示される。三人で海へ出掛けた幸せな一日を描いたのである。
(中島京子)
 観客はクマラとミユキ、マヤ親子が親しくなっていく過程をずっと見ているので、クマラが「在留資格」を得るために「偽装結婚」をするんじゃないことをよく判っている。しかし、それが入管職員には通じないし、周囲の日本人も外国人と結婚すると言ったら皆「利用されている」と言う。日本人との結婚には言わないことを口にするのである。ミユキが8歳年上であることも、相応しくないと決めつける。初めは鶴岡に住むミユキの母も反対するが、「おしん」の話題で盛り上がり、やがて認めるようになる。

 現実に知り合って人柄を知っていくことが「共生」の第一歩だと示している。「やさしい猫」とはスリランカの民話で、クマラが幼いマヤに伝えた話。猫もネズミの苦しみを理解出来るようになる。一つ一つのエピソードがていねいに提示され、納得しやすい。もっとも納得出来るように物語が出来ていると見る方も判っていて、入管行政への怒りを含めて「予定調和」的なことは否定出来ない。そこに「新劇」的な物語の限界を見ることも可能だろう。入管制度とそれを支える日本人の心性を問うためには、もっと違うアプローチも必要かも知れない。ただし、それでも複雑なものを理解しやすく観客に示すのも演劇の初心だろう。

 本来は公演終了近くの日だが、実際は初日翌日に見たわけで、セリフ回しなどまだ練られてない部分もあったと思う。だが特に最後の方の裁判シーンは「法廷ミステリー」的な盛り上がりを見せる。観客を引きつける確かな演出と演技は、劇団活動をしているだけの見ごたえがある。だがテレビではスリランカ人が演じたクマラを日本人が演じるのは、舞台ではやむを得ないかと思うが違和感もある。新劇的感動の枠に収まって、入管行政を考えるというテーマ性が弱くなる。難しい問題だが、これを入門編として全国で上演して欲しいと思う。
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文楽『源平布引滝』をシアター1010で見る

2023年12月14日 22時57分00秒 | 演劇
 北千住のシアター1010(せんじゅ)で文楽の公演を見てきた。国立劇場が建て替えのため閉場になって、文楽はどこでやるのかと思っていたら、地元に来たのである。歌舞伎や落語は他でいくらでもやっているけど、東京の文楽公演は国立小劇場だけだった。そこで数年間の代替劇場を探して、北千住にも来ることになった。そして、都民劇場の半額鑑賞会に出てたから、申し込んだら当たった。ということで、珍しく夫婦で見てきたわけ。近いから30分で帰れるのがうれしい。

 入院したときに思ったけど、映画、演劇、落語などなど僕の好きなものは、じっと座って見ている必要があるものばかりなのである。これじゃ「エコノミークラス症候群」にわざわざなりに行ってるもんじゃないだろうか。今後血栓みたいなのが出来たら、生活に支障が出てしまうかもしれない。ということで、演劇や寄席は長いからちょっと敬遠気味である。しかし、今回のものはずっと前に申し込んで当たったものである。果たして一緒に見に行けるだろうかと病院で気になっていた。やはり、たまには必要だな。
(シアター1010)
 今日は2時間20分程度で、間に25分も休憩があるから短くて良い。出し物は『源平布引滝』(げんぺいぬのひきのたき)で、全然知りません。作者がチラシに書いてないから調べてみると、並木千柳三好松洛の共作で、1749年に初演されたものである。
この作者は『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』の三大狂言を書いた人だという。そう言えば、忠臣蔵を書いた人を多くの人は知らないだろう。ちょうど12月14日なんだから、文楽の千住デビューは忠臣蔵にすれば良かったのにな。

 話はメチャクチャで、木曽義仲出生秘話というようなものである。竹生島の近くの琵琶湖で、平家方の武将斎藤実盛(さいとう・さねもり)が源氏の白旗を手にして逃げる女「こまん」の片腕を切り落とした。一方、源義賢が平家に追われて、子を宿した葵御前が近江の九郎助の家に匿われている。そこで清盛の命令で斎藤実盛と瀬尾十郎がやってくる。葵御前が産んだ子が男子なら見逃せないのだが、そこへ「こまん」の腕が拾われてくる。実は「こまん」はこの家の娘だった。実盛は「こまん」の片腕が葵御前の産んだ子として場を収めようとする。って、いくら何でもムチャクチャすぎるだろ。

 それ以前に、義仲が生まれたのは埼玉県の武蔵嵐山近くである。前に散歩して紹介したことがある。義仲の父、源義賢は平家に追われたのじゃなく、兄である源義朝と関係が悪化して、義朝の長男義平に襲撃されて殺されたのである。源氏の内輪揉めなのに、強引に源平の争いにしている。ま、江戸時代からしても数百年も前の話であり、見ている人もどうでも良かったんだろう。話は怪異譚縁起譚になっている。それは昔の話は大体同じである。物語は個性のぶつかり合いじゃなく、此の世は絡まる因縁で動くというのが当時の人々の世界観なのである。

 ちょっと舞台から遠く、人形の動きが見えにくかった。その分、浄瑠璃語りの太夫が近くに見え、熱演ぶりが興味深かった。これが場所が違うと人形ばかり見ることになり、その方が面白い。はっきり言って話は大したことなくて、人形や語り、三味線は批評するほど知識がない。たまには古典芸能もいいんだけど。これからも時々北千住でやるはずだから、東京東部の人はチェック。
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遊行寺で横浜ボートシアター『小栗判官・照手姫』を見る

2023年11月04日 22時30分52秒 | 演劇
 神奈川県藤沢市遊行寺(ゆぎょうじ、正式には清浄光寺)本堂で、横浜ボートシアターの『小栗判官・照手姫』をやるというので見に行ってきた。横浜ボートシアターは名前は知っているけど、初めて見た。2020年に亡くなった劇団主宰の遠藤啄郎(えんどう・たくお)の追悼公演である。『小栗判官・照手姫』は1983年に遠藤が紀伊國屋演劇賞個人賞を受けた作品だ。しかし、その年は就職・結婚した年で、なんか船の上で公演する劇団があるという評判は聞いたけど行くヒマがあるはずがない。

 前から遊行寺に行ってみたかったので、今回行くことにした。箱根駅伝で「遊行寺坂」を通るので、名前を知ってる人も多いだろう。ここは一遍の開いた時宗の総本山である。そしてここには「小栗判官」と「照手姫」の墓がある。伝説だろうと言われるかもしれない。でもモデルみたいな人物はいる。墓がその人のものか、僕はよく知らない。でも一度死んだはずの小栗判官は家臣の頼みにより、閻魔大王の命で藤沢上人に預けられる。これは遊行寺の上人のことである。そして熊野の湯の峰温泉に浸かって蘇る。前に湯の峰温泉に行ったとき、小栗判官伝説がいっぱい書かれていた。まさか死者は蘇らないだろうが、素晴らしい名湯だった。
  (順に小栗判官、照手姫、名馬鬼鹿毛の墓) 
 家からは遠いと言えば遠いけど、実は乗り換え一本である。藤沢はずいぶん栄えていた。遊行寺は北口を降りて15分程度。間違えることもなく到着した。早く行って宝物館などを見た。11月なのに夏日という日だが、ちょっと坂になっていて涼しい風が吹いている。いつから入れるのかなと思っていたら、いつの間にか入場が始まっていた。本堂の中は当然写真禁止だろうから撮ってない。そんなに広くなく、そこに椅子席、及びその前に座椅子席がある。大昔に大谷石の採石場で転形劇場を見たことがあるが、テント芝居は別にして、劇場以外で見るのは久しぶり。役者の後ろにご本尊の仏像があるわけだから、ムードがあると言えばその通り。
 (本堂)(一遍上人像)
 『小栗判官・照手姫』の細かい筋書きは書かない。役者は仮面を付けていて、いくつかの役を演じる。と同時に両脇に様々な楽器が置かれていて、それを演奏するのも役者である。その音楽は「アジア」的なムードで、どこかインドや東南アジアなどの仮面劇を呼んできたという感じである。昔そういうのを結構見てるが、紛れもなく日本の伝承を演じているはずが、どこか異国的なムードを感じる。説経節の「おぐり」自体、自分の属する文化という感じがしない物語である。中世の伝承で、時代が違いすぎるのである。だから『マハーバーラタ』を見るのと違わない。
(遠藤琢郎)(今回の上演ではないけど)
 だけど、この芝居は傑作だと思う。椅子に座っているとお尻が痛くなるが、大いに見る価値がある。ただ普通の意味の観劇体験とは違うのである。テーマや物語に共感するようなタイプの劇ではない。そもそも仮面を被るということが、(能などもそうだが)登場人物の「個性」を鑑賞するというのとは違う。役者の肉体は鍛えられていて、いろいろな人物をどんどん変容しながら演じていく。常にドラムなどの音楽が鳴り渡る。そこで普通のドラマとは違う、生と死のファンタジーが身体に染み渡る。演劇と言うより「舞踏」に近いのかもしれない。でも、ストーリーももちろん存在する。日本の伝承をやってるんだから、何となく知っている。
(遊行寺坂)(説明板)(大イチョウ)
 中世の荒々しさ、宗教の持つ力など、前近代の物語の枠組で語られるから、ちょっと遠いところもある。そこに「温泉伝承」がプラスされるところが、日本的というべきか。昔見たらもっと感激したんじゃないかと思う。「アジア的」とか「身体」とかに関心が強かったから。今見ると、こういう芝居が作られた時代が懐かしい感じもした。11月23~25日に代官山シアターでも上演。
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サードステージ『アカシアの雨が降る時』を見る

2023年10月22日 22時23分18秒 | 演劇
 ちょうど一週間前に天地真理を見に行ったばかりだが、今日は竹下景子の舞台を見てきた。竹下景子(1953~)も70年代に大人気だった人で、当時「お嫁さんにしたい女優№1」と呼ばれていた。自分の結婚相手ではなく、自分の息子の結婚相手に望むという、ホントの「嫁」である。今ではセクハラだろう。舞台女優のイメージは薄いかもしれないが、昔から商業演劇ばかりでなく小劇場にもずいぶん出て来た。黒木和雄監督『祭りの準備』(1975)の影響で、僕の中では70年代の想い出が残っている。

 何も竹下景子だから見たのではなく、作者の鴻上尚志(こうかみ・しょうじ)にも関心があるが、それよりもシニア料金があったから見たのである。映画館、美術館にはシニア設定があるのに、演劇にはほとんどない(ユース割りはあるのに)。マチネ(昼)で席が空いてるなら、演劇にもシニア割りが欲しいと思っていたら、この公演にはあったのである。サードステージアカシアの雨が降る時』である。(新国立劇場小劇場。)題名にも心引かれた。僕は関口宏の司会ぶりが批判されると、「アカシアの雨がやむとき」が脳内に鳴り響くのである。(何でという人向けの説明は書かない。)
(左から鈴木福、竹下景子、松村武)
 舞台には3人しか出て来ない。(声だけ出る人はいるけど。)孫(鈴木福)が祖母(桜庭香寿美=竹下景子)の家を訪ねると、玄関に倒れていた。あわてて救急車を呼ぶと、医者から一時的な失神だと言われる。孫の両親は離婚していて、母とも息子とも疎遠だった父親とは数年ぶりに病院で会う。そして意識が目覚めると、祖母は自分は20歳の学生だと言い張り、孫は自分の恋人で、まだ子どもがいるはずはなく父親は知らない人だと言う。医者からは妄想を否定してはいけないと言われ、二人は「香寿美ちゃん」と呼ぶことになる。この祖母が自分は「村雨橋」に行かなくちゃと言い出したのである。

 「村雨橋」(むらさめばし)は横浜市神奈川区にある橋で、1972年8月5日、相模原市の米軍施設から横浜港に向かう戦車を市民が取り囲んで止めた現場である。ベトナム戦争に加担してはならないと考える「ただの市民」が集まって座り込んだ。当時の飛鳥田横浜市長が、車両制限令で橋を通行できる重量が決められており、戦車を積載したトレーラーは重量が超過するとして通行を認めなかったのである。香寿美はノンポリ学生だったけど、心の底で何かしなければと思っていた。今こそ行かなくちゃと二人を誘う。エッと驚くと、あなたはベトナム戦争をどう思っているの?と問い詰めてくる。

 これは同じ鴻上尚志が原案・脚本を担当した2007年の『僕たちの好きだった革命』の姉妹編というか、逆ヴァージョンである。あの舞台は中村雅俊が主演した抱腹絶倒の傑作コメディだった。高校闘争のさなかに石に打たれて意識を失ったまま30年、1999年になって突如意識が戻り、かつての革命意識を持ちながら47歳で目覚めた男が高校に戻ってきた…。男と現役高校生のギャップが面白かったのだが、その舞台から早くも10数年。相模原戦車闘争からすでに半世紀である。あの時代に20歳だった学生が意識不明で今蘇っても古稀を越えている。今さら高校や大学に復学するという設定が成り立たないほど時間が経ってしまった。

 ということで、祖母の意識が昔に戻るという設定にせざるを得ない。だが、そうなると孫世代はすでに戦車闘争どころか、ベトナム戦争も知らない。香寿美は高野悦子の『二十歳の原点』を読みたいと言い出す。岩波ホール支配人じゃなく、立命館大学学生だった人である。むろん孫は知らない。実際に鈴木福君はこの舞台に立つまで、戦車闘争も『二十歳の原点』も知らなかったんじゃないかと思う。今はスマホがあるから、舞台上でも孫はあわててベトナム戦争って何だっけと検索している。それだけじゃ観客に見えないから、舞台上にはスクリーンがあって『二十歳の原点』が流れるし、当時や今の村雨橋の映像が映し出される。
(出演者と鴻上尚志)
 そこがどうしても説明的になってしまい、演劇的感興を削ぐのである。設定上、今じゃ観客も判らないことが多く、セリフだけでは伝えきれない。やむを得ないけれど、残念な点である。話はそこから、祖母が秘密のミッションに乗り出し、それは脱走米兵を受け入れるということで(知ってる人なら予想が出来る)、だけどすぐに頼める若いアメリカ人などいないから、父親が金髪のカツラを被って脱走兵に扮する。これは予想外で爆笑。祖母(20歳の香寿美)は歌が好きで時々歌うシーンがある。最初は「遠い世界に」で孫は何て曲と聞く。次は元気が出る曲として香寿美が選んだ「友よ」で、竹下景子と鈴木福が舞台で歌ってる。

 そこに親子や夫婦の葛藤、施設に入れるべきかなどの問題が出て来る。そのうち祖母は脳梗塞を起こし、やがて肺炎を起こして亡くなる。実際の竹下景子の年齢を考えると、これは若すぎる。確かにそういう人もいるけれど、日本人女性の平均寿命を考えると、今や85歳超じゃないとおかしい。母を亡くすというのは、最近自分の身に起こったばかりで、その意味では身につまされる劇だが、自分の場合は95歳だから想い出は戦争前後である。だけど、まあ竹下景子が「遠い世界に」や「友よ」を歌うのを聞けたんだから、それでいいじゃないかと思った。

 この芝居は本来、2021年に上演されるものだった。その時は竹下景子ではなく、久野綾希子が演じていたが、コロナ禍で中断せざるを得なかった。その間に久野が2022年8月に亡くなってしまい、今回キャストを変えて再演となったという。父親役の松村武(1970~)は「劇団カムカムミニキーナ」を主宰する作家兼役者で、この劇では鬱陶しい父親であり、かつ仕事でトラブっているという難役を見事に演じている。スマホが鳴るたびに、それは仕事のトラブル関係がほとんどなので、見ているこちらもビクッとしてしまう。鈴木福は小劇場系の舞台出演は少なく、こういう場で出ずっぱりの体験は大切だろう。この後何公演か地方を回るけど、東京は今日が最後。
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