尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

河瀨直美監督『東京2020オリンピックSIDE:A』、『SIDE:B』は何故つまらないか

2022年06月30日 20時09分36秒 | 映画 (新作日本映画)
 河瀨直美監督の『東京2020オリンピックSIDE:A』、『東京2020オリンピックSIDE:B』がそれぞれ6月3日、24日に公開されたが、やっぱり歴史的な不入りになっている。「東京五輪、映画も無観客」なんて言われてるらしい。多分2週目からは限られた上映になっちゃうだろうと予想して、どっちも公開第1週に見に行った。つまらないに決まってる映画をわざわざ見に行くのもなあと思うけど、一種の社会問題だから見たのである。大スクリーンで見られるのも今回限りと思えば貴重ではある。

 見たらやっぱりつまらなかった。『SIDE:A』を見たら、これは「NHKスペシャル」だと思った。つまりテレビのドキュメンタリーでやれば十分という感じだが、この前見た『教育と愛国』みたいな例もあるから、この感想はテレビに失礼かもしれない。『SIDE:B』になると、一体これは何なのだろうと考えさせられた。僕も含めて多くの人は森喜朗元首相の顔面大クローズアップなんか見たくないと思う。そんなことを書いたら、これも「ルッキズム」(見た目差別)や「エイジズム」(年齢差別)なんだろうか。いや、僕の違和感は大権力者に密着することにあって、例えば瀬戸内寂聴の映像だったら気にならないんだと思う。

 この映画はオリンピック映画だからというよりも、やはり河瀨監督作品だからつまらないのだと思う。日本では政治家や官僚が文化に触れる機会が少ない。小泉元首相はオペラに行くかもしれないが、安倍元首相は年末などに家族で映画を見ていたが大した映画を見ていない。(『永遠の0』は見ても『万引き家族』は見ないとか。)だから、多分「河瀬っていうカンヌでグランプリを取った女性監督がいる」と言われたときに、組織委関係者でちゃんと河瀨作品を見ていた人はいないだろう。もしちゃんと見ていたら、河瀨監督を選任しないと思う。事前にミスマッチが判りそうなもんだ。
(河瀬直美監督)
 2019年に国立映画アーカイブで「オリンピック記録映画特集」と「映画監督 河瀨直美」という特集上映が行われた。この時、河瀨直美のトークを何回か聞いて、この人はなかなか良い人だし面白い人だという印象を持った。だからあまり悪く書きたくないんだけど、その時に見た映画はやはりつまらなかった。全部見てるわけではないから断言はできないが、ある程度面白いのは『萌の朱雀』(1997)と『2つ目の窓』(2014)ぐらいだと思う。『沙羅双樹』『殯の森』『朱花の月』『2つ目の窓』『』と5回もカンヌ映画祭のコンペに選ばれ、『殯(もがり)の森』(2007)はカンヌでグランプリ(第2席)を取ってしまった。

 当然のこと、当時は期待して『殯(もがり)の森』を見に行ったんだけど、全くつまらないことに唖然とした。カンヌで評価されたんだから、何か美点はある。(ちなみに審査委員長は映画監督のスティーヴン・フリアーズ。委員にはミシェル・ピコリ、マギー・チャン、オルハン・パムクなどがいた。パムクはトルコの作家で、後にノーベル賞を取る。)それは判らないではない。いつものように奈良を舞台にして、認知症患者と介護士の触れあいを通して、民俗的な生と死の感覚を描き出す。というか、そういうことなんだろうと思うけど、映像は観客を置き去りにして暴走していくので付いていけないのである。

 その「主観的な世界」こそが河瀨作品の特徴であると思う。実の祖母を撮影する「私的映像」から始まった河瀨直美だが、一貫して主観的な私的世界を描いている。映画アーカイブの特集以後に公開された『朝が来る』(2020)は、今までの中で一番面白いと思ったけれど、原作があるのに自分が出張って劇映画でインタビューしている。ハンセン病差別をテーマにした『あん』(2015)を撮ったため、何か人権問題を扱う女性監督のように思っていた人がいたらしいが、その『あん』も原作があるのにドキュメンタリー的で、ハンセン病理解に関しては公的な啓発キャンペーンと同レベルだった。

 他の作品ばかり書いてきたが、今までの作品と今回の『東京2020オリンピック』は構造が同じである。何か意味ありげな映像が主観的に連続する。一つ一つは面白いところもあるが、全体を通してまとまりがない。『SIDE:A』では子どもを持つ女性選手に焦点が当てられる。カナダのバスケ選手は夫とともに来日した。日本の女子バスケ選手は出場を断念した。また難民の選手もいれば、イランからモンゴルに国籍を変更した柔道選手もいる。それぞれ重要な問題だと言われればその通りだが、ただ点描されてゆくだけで印象に残らない。例えば「女性アスリート」に絞って、テレビ放映する映像を作れば、それで十分なのではないか。

 結局「五輪映画」というものを我々はもう必要としていないということである。全部の競技を描いていたら何時間あっても終わらないし、見たい競技の映像は映画館に行かなくてもすぐ見られる。結局レニ・リーフェンシュタール(1936年ベルリン大会の『民族の祭典』『美の祭典』)、そして1964年東京五輪の市川崑監督『東京オリンピック』を越えるものはもう作られないのだろう。映像美もなければ、スポーツと人間への洞察もない。まあ、今回は無観客だったから、選手や競技場を大スクリーンで見られる意味だけはあるわけだろう。

 『SIDE:B』は森喜朗、菅義偉、小池百合子などの支持者以外は、敬遠した方が良いと思う。関係者には違いないから出て来るのは仕方ない。しかし、何度も顔だけがクローズアップされ、批判的な眼差しが全くない。森組織委会長辞任問題という大問題も、当然出て来ることは出て来るけど、事実関係は外国ニュースで伝えられる。ナレーションや字幕の解説なしに、この問題を扱うのは無理だ。直後に山下泰裕JOC会長の「そんな人ではない」などという発言まで出てくる。森喜朗という人は、首相時代から失言の連続で知られた人だ。そのことを指摘しなければ、批評的精神の欠如というしかない。結局、「権力者」の発言をつないでいるだけで、どうなってるんだという思いが募る。

 もう一つ、最後にあえて書きたい。この映画には両方通じて多くの競技が出てくるが、バレーボール、ハンドボール、卓球、馬術、サッカー、ラグビー、ホッケー、テコンドー、ゴルフ、ボクシング、カヌー、セーリング、ボート、射撃、ウェイトリフティング、トライアスロンなどは全く出てこない。(もしかしてちょっと出てたかもしれないが。)日本選手が活躍した競技を全部出せなどと言うわけではない。それはもともと不可能だが、それにしてはバスケットボール(3×3を含め)の出てくる時間が長い。確かに日本女子の銀メダルは歴史的快挙である。だけど、河瀨直美が2021年にバスケットボール女子日本リーグ会長に就任していることを思い出せば、これじゃ「えこひいき」じゃないかと言いたくなる。
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「日本維新の会」という「古い党」ー参院選比例区の党③

2022年06月29日 22時25分38秒 |  〃  (選挙)
 「参政党」「NHK党」を書いたので、続けて「日本維新の会」(以下「維新」と略)を書いてしまいたい。「維新」については、かつて「大阪維新の会」や「大阪都構想」について何度も書いたのだが、もうずいぶん前になるので覚えている人もいないだろう。なんでこの党が再び勢力を取り戻したのだろうか。「大阪都構想」が住民投票で2回続けて否決されたことで、もう存在意義を失ったのかと思っていたら、2021年の衆院選で大躍進したわけである。

 下のポスターにあるように、「身を切る改革、実行中」をうたうが、身を切りすぎたからか全国でコロナ死者が人口当り最多である。保健所を減らしすぎたのではないかと言われ、橋下徹元市長も認めたと記憶する。それに、テレビで「維新」を代表して政見を述べている松井一郎大阪市長は来年で引退すると公言している。今回の参院選で述べている公約に責任を持てるのだろうか。
(「日本維新の会」ポスター)
 「維新」に関しては以前から様々な疑問を持っているが、NHK党を調べていたら興味深い記述を見つけた。3年前に参議院に当選した立花孝志氏は、「議員会館にテレビを設置し、NHKと受信契約を締結した上で不払いすることを宣言」した。もう少し細かな記述があるのだが、それは省略する。それに対して、松井一郎大阪市長は「現職国会議員の受信料未払いをNHKが認めるなら、大阪市もやめさせてもらう」と述べたという。また吉村洋文大阪府知事も「現職議員が受信料を踏み倒すというのが許されるなら府も払わない」と述べたと出ている。この問題、結局どうなったか知らないけれど、そんなやり取りがあったと思い出した。

 この「維新」ツートップの発言は非常におかしいと思う。まず、受信料に関する立花氏の対応をどう考えるのだろうか。「正しい」と考えるならば、立花氏とともに「不払い」をするべきだろう。一方、「間違い」と考えるならば、立花氏がどうあれ「維新」は受信料を払うと言うべきだ。松井氏、吉村氏が言うのは、「あの子がズルしても先生が叱らないんなら、僕もズルしちゃうから」と駄々をこねている子どもと同じではないか。

 しかし、その問題と別にもっと重大な問題がある。立花氏が言っているのは、国会の議員会館のテレビである。だから、松井氏が「現職国会議員の不払いをNHKが認めるなら」「維新の国会議員も払わない」と言うのなら、理解はできる。しかし、松井氏や吉村氏が言うのは、「大阪市」「大阪府」が払わないというのである。政党は私的な存在だが、府市は地方自治体である。自分たちはたまたま選挙で選ばれて首長を務めるが、そこは「領地」ではない。自分たちの政治的方針で、公的なルールを守らないのはおかしい。(なお、災害対応が避けられない地方自治体がNHKニュースを見ないことはあり得ない。)

 このような「公的感覚の欠如」が「維新」の特徴である。「大阪都構想」もそうだし、2回やった「ダブル選挙」(府知事、市長選を同時に仕掛ける)もそう。公明党の支持を取り付けるため、衆院選で公明が出ている4小選挙区に「維新」候補を立てないのも、何だか小選挙区を「領地」のように考え「陣取り合戦」をする感じだ。かつて橋下市長が卒業式の君が代斉唱を「校長のマネジメントの問題」と述べたのも同じである。立場はいろいろあっても、学校教育はマネジメントの問題じゃないだろう。

 最近の問題では「核兵器の共有」論がある。これは安倍元首相が言い出したが、結局自民党内でも否定された議論だ。善し悪しを論じる前に、絶対に不可能である。そのことを当然「維新」も判ってるに違いないが、あえて掲げるのは安倍氏が掲げた政策なら支持する「超保守派」層有権者を取り込もうという策略だろう。NATOのような集団的防衛組織は東アジアにはない。個別に日米安保を結んでいるのに、日本に「核共有」を認めたなら、当然韓国でも認めよという議論になる。日本が率先してNPT体制を崩すと言うんだから、今後は日本が制裁の対象になりかねない。もちろん、そんなことぐらい判っていて、あえて票のために議論をもてあそんでいると思う。論外だけど、もし判らないで論じているならもっと重大だ。
(「核共有」をめぐる各党支持層の考え)
 これはかつて書いたのだが、「維新」は「問題のある言葉」である。「維新」というから、新しいと思うかもしれないが、実は「維新」というから「古い」のである。「維新」そのものは「これ新た」という新造語で、「明治維新」という官製用語である。人々が旧体制の崩壊を「御一新」と呼んでいたときに、上からの統制用語として「維新」と呼ぶようにしたのである。「大正維新」「昭和維新」「平成維新」と全部あったけれど、すべて保守や右翼の運動だった。だから「維新」と称した時点で、政治史的に自分は右ですと宣言したのと同じである。

 そういう「古い党」だからか、比例区候補を見てみると「昔の名前で出ています」が多すぎる。知名度の高い方で言えば、猪瀬直樹中条きよし青島健太松野明美などである。松野明美は54歳で若いけれど、元五輪選手だから活躍を覚えているのは昔の世代。(その後、熊本県議をしたから政治を知らないタレント候補とは言えないが。)他にも、後藤斎(民主党衆院議員4期を経て、山梨県知事1期)、松浦大悟(元民主党参院議員)、山口和之(元みんなの党参院議員)、木内孝胤(元民主党衆院議員)、井上一徳(2017年に「希望の党」から衆院に当選した)など、「元議員」をたくさん勧誘した。そう言えば、西郷隆盛5代目の子孫(西郷吉之助元法相の孫)、西郷隆太郎という人も出ている。(西郷隆盛総本家敬天会代表だそうである。)
(年収ごとの政党支持率)
 松井代表は政見で「自民党をピリッとさせる」などと主張している。それならば、立憲民主党が提出した内閣不信任案に賛成するべきだ。「岸田内閣は何もしてないから、不信任の理由もない」などと変なことを言ってたが、就任から8ヶ月「何もしてない」なら、当然「不信任」のはずだろう。しかし、実は「維新」の標的は自民党ではない。ホントは立憲民主党である。比例区でも、複数区でも、最後に立民を追い抜いて、「維新」が上回るのが真の目標だろう。共産党と「閣外協力」して政権をねらった立憲民主党を口汚く攻撃する「別働隊」が「維新」の存在意義なのである。

 気になるのは、安倍・菅元総理との関係が深すぎることである。そして鈴木宗男参院議員の「親ロシア」的言動も許容している。「核共有論」を含めて考えると、何だか「反米親ロ」的傾向が見え隠れする。岸田内閣がどのようになるかにもよるが、2025年大阪万博が終わってしまえば「維新」は存在意義を失うと思う。分裂して、強硬派は「弾圧」され、穏健派は自民党に吸収されていくのではないかと考えている。
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「NHK党」とは何だったのかー参院選比例区の党②

2022年06月28日 22時58分50秒 |  〃  (選挙)
 「NHK党」をどう考えるべきだろうか。3年前に「NHKから国民を守る党」として、突然1議席を獲得して驚かせた。その時は党首の立花孝志が個人名1位で当選した。その後、立花孝志は参議院埼玉県選挙区の補欠選挙に立候補したため失職した。その後、立花氏はいろいろと「お騒がせ」があって、党名もどんどん変わっていった。7回も変わったらしいが、書くまでもないだろう。そして、立花氏が失職した後に誰かが繰り上げ当選したわけだが、その人の名前を言える人は少ないと思う。

 参議院議員に繰り上がったのは、浜田聡という医者出身の議員である。一人では活動できないので、「維新」を除名された渡辺喜美議員とともに「みんなの党」という院内会派を結成していた。この間の首班指名選挙では渡辺喜美に入れている。しかし、今年度の予算案には賛成しているので、(国民民主党と同じく)「事実上の与党」として活動していたのである。
(浜田聡議員)
 衆議院では「維新」を除名された丸山穗高を「副党首」に迎えた。(ちなみに丸山議員は北方領土視察時の「暴言」が問題となった。)だから、2021年10月の衆院解散までは衆参で一人ずつ議員がいたわけだが、丸山氏は立候補せず、他でも誰も当選しなかった。党首を務めて、知名度が一番高い立花氏は衆院選も参院選も立候補しなかった。2020年7月の都知事選を最後にどの選挙にも出ていないようである。その理由は何なんだろうか。

 もしかしたら、多くの刑事、民事裁判に関わっていることが理由なのだろうか。立花氏は2021年4月に不正競争防止法違反や中央区議への脅迫などの罪で在宅起訴された。その事件で2022年1月20日に懲役2年6ヶ月、執行猶予4年、罰金30万円の有罪判決を受けた。公職選挙法違反で公民権が停止されているわけではないから、執行猶予中でも立候補出来るはずである。だが、そうすると刑事裁判で有罪になった事実が大きく取り上げられる可能性がある。それにしても、普通の党なら「刑事裁判で有罪」なら党首を辞任するのではないか。しかし、NHK党は事実上「立花氏個人の党」なんだろう。そんな議論が起きることもない。
(立花孝志党首)
 僕がこの党をどうもおかしいなと思ったのは、2019年の足立区議選だ。「足立区議選、「NHKから国民を守る党」問題」を書いたけれど、「NHKから国民を守る党」から出馬した候補は得票ゼロとなった。区内に住所がなく、被選挙権がなかったのである。今までに「居住実態がない」という理由で、当選が取り消された例はかなりある。しかし、一応は住民票を移しておくものだ。足立区議選では区内に住民票がないのに、カプセルホテルを住所として届けたという。そして当選無効後に住民以外が立候補出来ないのは憲法違反だと訴えたが、最高裁で斥けられた。あまりにも区民をバカにしているのではないか。

 バカにしてると言えば、「同名戦術」もある。2020年4月の衆院静岡4区補選で、野党統一候補として田中健氏が立候補した。(この田中健氏は落選したが、その後国民民主党に入党し、2021年10月の衆院選で東海ブロックから比例で当選した。)その補選に「NHKから国民を守る党」も全く同姓同名の「田中健」氏を擁立したのである。この田中氏は元江戸川区議で、今回も東京都選挙区から立候補している。だから政治家としての活動歴はあるわけだが、静岡で活動していたわけではない。立花氏は当時「同姓同名の候補者が出た場合、どのような票の割れ方をするのかテストしたい」などと述べていた。そして今回は何と比例区に「山本太郎」候補を擁立している。比例区の名簿を見て「れいわ新選組」と間違う有権者が出るのではないか。

 僕が思うのは、これらは単に「バカにしている」「ふざけている」という問題ではないように思う。静岡補選も今回の参院選も、野党候補をジャマするような行動を取っているのである。今回は「年金受給者からはNHK受信料問題を取らない」などと言っている。僕もそれはその方が良いような気がしてくるが、考えてみれば電気代やガソリン代に比べて、NHK受信料の地上波月額1225円は大きくない。受信料がなくなっても、それだけでは焼け石に水ではないのか。それなのに「ワン・イシュー政党」として他の物価問題は論じない。それに何より、受信料以外のNHKをめぐる問題には口を閉ざしてきた。

 この間大きく報道され問題化してきた「かんぽ生命保険の不正販売」を取り上げたNHKの番組に森下俊三経営委員長が介入した問題に対しては、何も言ってない。安倍政権下で政府とNHKとの距離が小さくなり、はっきり言えば「御用報道」化したとよく批判される。安倍政権で起きた森友学園、加計学園、桜を見る会などの問題で、NHKの報道が十分だったとは言えない。というか、長年(テレビをあえて持たなかった一時期を除き)「社会科教員として一応NHKのニュースはチェックする」ことをモットーにしていた僕も、数年前からはもう見る意味がないなと思って見てないから判らないのだが。

 「NHK党」と言いつつ、報道機関としてのNHKにとって一番重大な問題に対して何も言わない。どういうことなんだろうか。そして、内閣提出の予算案に賛成する。立花氏はかつて、衆院選で多数の議席を取ったら「閣外協力」するというようなこを発言していた。しかし、それは実現しなかったし、仮にある程度の議席を取っても自民党は受け入れないだろう。現時点で過半数を大きく超えている与党にとって、問題発言・行動が多い少数党を受け入れることはデメリットしかない。もちろん、今回NHK党が仮に1議席を獲得しても、受信料問題は何も変わらない。これほど小さい党があれこれ言っても影響力がない。むしろNHKの報道内容問題から目をそらさせる意味を持つことで存在しているというのが、僕の見立てである。
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謎の「参政党」、新しい右翼政党に警戒ー参院選比例区の党①

2022年06月27日 23時29分19秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙が公示され、東京都選挙区では34人も立候補している。供託金が諸外国に比べて高すぎるという批判を以前書いたが、とにかく今は選挙区に立候補するには300万の供託金が必要なのである。300万円出して何か訴えたい人がそれだけいる。そして比例区にもずいぶん知らない党が出ている。(比例区の供託金は名簿登載者×600万円。)「ごぼうの党」なる候補者の顔写真を一切載せない不思議な党もある。何と選挙公報にも候補者名や政見が書いてない。どうなっているんだろうか。

 そんな中で、情勢報道で「参政党」なる党に議席獲得可能性があると報じられた。参政党って何なんだと話題を呼んでいるのだが、何しろ全国45選挙区すべてに立候補者を出していることにも衝撃を与えている。比例区には5人立候補していて、5×600=3千万円。45×300=1億3500万円。合計して1億6500万円の供託金が必要になる。一体誰が負担しているのだろうか。いずれ政治資金報告書が公表されれば判明することだが、現時点では謎が多い。ただ秘密のスポンサーがいるというよりも、5億円目標のカンパがすでに3億5千万円も集まっていることに注目すべきだろう。
(参政党メンバー)
 参政党から比例区に立候補しているのは、松田学吉野敏明赤尾由美武田邦彦神谷そうへいの5氏である。普通、誰も知らないだろう。何となく武田邦彦という名前に聞いたような覚えがしたが、他は全く知らない。ところで、松田学という人の経歴を見ると、元衆議院議員1期と出ている。調べてみると、1957年生まれ、東大卒で1981年に大蔵省に入省した。2010年に退職して、「立ちあがれ日本」から参院選に立候補して落選。「太陽の党」を経て旧「日本維新の会」に合流し、2012年衆院選で南関東ブロックの比例単独で当選した。その後、2014年に分裂したときには「次世代の党」に参加したが、同年の衆院選で落選した。
(松田学氏)
 「参政党」を立ち上げたのは、2020年4月とある。「次世代の党」は自民党よりも右の位置取りで成立したが、支持が広がらず「日本のこころを大切にする党」と改名した後、2018年に自民党に合流した。安倍政権が長期化する中で、「より右」の存在意義が薄かったのだろう。候補者を欲しいだろう現「維新」から出ないのは、かつての分裂劇が尾を引いているのだろうか。「投票したい政党がないから、自分たちでゼロからつくる。」とホームページでうたっている。しかし、今までの松田氏の経歴を見ても、明らかに右派的な政策を持った党であるのは間違いない。

 参政党を検索すると、画面に『国民の眠りを覚ます「参政党」』という電子書籍の広告が出て来る。参政党立ち上げメンバーである吉野敏明神谷宗幣両氏の著作という。吉野氏は今回比例区に出ていて、歯科医だが「西洋医学と東洋医学、医学と歯科医学を包括した治療」をすると広報で述べている。神谷氏は元吹田市議で、その後自民党から2012年の衆院選に出るも「維新」に敗れて落選した。今回は比例区から立候補している。2013年にネットチャンネル「CGS」を開設したという。この本を出しているのは、青林堂ヴィジュアルとある。青林堂と言えば、かつて伝説の漫画雑誌「ガロ」を出していた会社だが、今はヘイト本をたくさん出している。そこから出しているのだから怪しさを感じる。

 武田邦彦氏を調べると、この人も非常に怪しい感じがする。1943年生まれで、すでに79歳。2020年に、あの田母神俊雄氏らとともに参政党アドバイザーに就任とウィキペディアに出ている。選挙違反で有罪となって以後名前を聞かなかった田母神氏の名前を久しぶりに見た。東大を出て旭化成に入社、その後芝工大、名大、中部大で教授を務めているのだから、元々はきちんとした科学者のはずである。しかし、ウィキペディアには、地球温暖化、コロナウイルスやワクチン、喫煙などについて「トンデモ発言」を繰り返していると指摘されている。また愛知県の大村知事リコール問題では、高須克弥百田尚樹有本香竹田恒泰とともにリコールの会の設立記者会見に出席したという。結果的に刑事事件で終わったリコールだが、武田氏も上記のような人たちと同類だった。
(武田邦彦氏)
 このように、明らかに現代日本の極右的な系譜につながる人たちが参加しているのが「参政党」だと考えられる。「日本維新の会」とは一緒にやれない過去を持つ人たちである。そこで自分たちで新たに立ち上げて、すでに地方議員も複数いる。市議会が多いが、ボードメンバーになっている川裕一郎という人は石川県議会議員である。「ボードメンバー」というのは、「党全体のお世話役。全体の方向性をまとめます。」とホームページに出ている。神谷、川、松田、赤尾由美、吉野の5人がボードメンバー。赤尾由美氏はアルミ会社社長というが、元日本愛国党総裁の赤尾敏の姪だという話。
(神谷宗幣氏)
 今まで日本の議会政治の歴史では、共産党より左の党も、自民党よりも右の政党も、長く存在出来なかった。まあ、共産党より左の勢力とは、つまり議会政治を否定し直接的に革命を目指すわけだから、選挙には出ないのだが、地方議会には少しいたこともある。また諸外国に多い環境主義的政党も当選できなかった。参議院に小政党が当選したことは何度もあるけれど、結局は消滅するか、自民党に吸収されていった。その意味では圧倒的に多数を形成する自民党より右側に党を作る試みが成功するとは思えない。参議院で少し議席を獲得しても、何も出来ないからである。それはともかく、ネットやSNSを駆使することで伸びているらしき、怪しげな右翼政党「参政党」は危険かつ怪しいというのが調べた結果である。
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鹿児島県の吹上温泉みどり荘ー日本の温泉⑱

2022年06月26日 20時53分11秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の温泉シリーズ。次は九州を書く順番だけど、遠いからあまり行ってない。それも最初の旅行では取りあえず大きな宿に泊まったので、あまり特色のある宿が思い当たらない。別にもう一回指宿温泉を書く予定なので、今回はまず鹿児島県日置市にある吹上温泉みどり荘を取り上げたい。地名だけ書いても場所が判らないと思うけど、鹿児島県南西部、薩摩半島西部の海辺に近いあたりになる。なお、北海道と宮城県にも吹上温泉がある。北海道の吹上温泉は上富良野町にあり大露天風呂で有名。「北の国から」で若き日の宮沢りえが入って有名になった。僕も行ったことがある。
(「みどり荘」の露天風呂)
 一方、鹿児島の吹上温泉みどり荘は長いこと、九州で唯一の「日本秘湯を守る会」の会員旅館だった。この会は福島県の二岐温泉「大丸あすなろ館」から始まったので、東北や関東信越の宿が多い。スタンプ帳に10個たまると一泊招待がウリなので、離れた宿が入っているメリットは少ない。しかし、入ってなければこの宿を知らなかったかもしれない。東京から行く人はやはり秘湯の会で知った人が多いと思う。空港から薩摩焼の窯元などを見て、たどり着く。遠くまで来たなあという感じだ。
(入口)
 吹上温泉は源泉43度の硫黄泉で、数軒の宿があるようだ。「みどり荘」は中でも大きな宿で、優しい泉質が肌に優しい。付近の様子はもう忘れてしまったけれど、案外大きな敷地にゆったりとムードある宿が建っていた。この時は開聞岳に登ることがメインの旅で、鹿児島県の薩摩半島だけをノンビリ回った。近くに大きな温泉もないし「みどり荘」に泊まろうとなったが、料理も施設も立派なことに驚いた。8部屋しかなくて少人数向けの宿である。内風呂もいいけれど、ちょっと離れた露天風呂がとても素晴らし。いつまでも入っていたくなる。まあ、最初の写真は撮りようだなと思うけど。
(池に面した全景)
 宿はみどり池に面していて、そこをグルッと部屋が立ち並ぶ。面してない部屋もあるし、多分そこに泊まったのだが、露天風呂も池に面してとても気持ちが良い。料理も鹿児島の地鶏など美味しかった。ところで僕は実は前から温泉近くにある「吹上浜」を見てみたかった。鳥取砂丘や浜松の中田島砂丘と並び、日本三大砂丘と呼ばれている。それより吹上浜は戦後派作家・梅崎春生の遺作『幻化』の舞台になった場所なのである。「桜島」でデビューした作家の最後の作品で、心に傷を持つ主人公が砂丘を彷徨う場面は永遠に忘れられない。もう知らない人が多いと思うけれど、読んだときから吹上浜を見たかったのである。
(吹上浜)
 また坊津(ぼうのつ)を訪れたのも忘れがたい思い出。と言われても判らないと思うけれど、薩摩半島南西の小さな港町。昔、鑑真がここにたどり着いたのである。中国からここへ来て、そこからまた奈良まで行ったのか。小さな記念館があって、今では小さな漁港という感じの港が、かつて栄えた歴史を展示する。一日目に行った薩摩焼の窯元(日置市の苗代川)も司馬遼太郎故郷忘じがたく候』を読んだから行ったのである。やはり山と温泉に加えて、歴史と文学も旅情を呼ぶわけである。
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ウワサ沸騰!「ヤクルト1000」に効能ありや?(個人の感想です)

2022年06月24日 23時22分01秒 | 自分の話&日記
 「ヤクルト1000」が売れている。「睡眠の質が改善される」と話題になって、あちこちで売り切れ状態。なかなか手に入らないんだけど、本当に効くのか。というような話を聞いた人も多いんじゃないだろうか。僕が聞いたのは2週間ぐらい前で、その頃からネットニュースを中心にずいぶん取り沙汰されるようになった。たまたま話を聞いた翌日に、スーパーにあったから買ってみた。味だけで言えば、普通のヤクルトを飲むのと同じ感じなんですけど…。だけど、確かにその日は良く眠れたような感じがした。

 そう言えば去年日本一のヤクルト・スワローズは今年も絶好調である。あちこちで品切れでも、スワローズの選手には一日一本飲むように渡されているという話。まあ、だからって言うわけでもないだろうが、交流戦で優勝、セ・リーグでも10ゲーム以上でぶっちぎりでトップ快走中である。話題沸騰のきっかけは、テレビでマツコ・デラックスが「良く眠れる」と発言したからだという。4月頃らしいが、それから次第にジワジワ口コミで広がったんだろう。今までマツコ・デラックスのオススメ商品を幾つか買ったことがあるが、確かに外れがなかった。そういう信用を多くの人が持っているんだと思う。

 何でも生産ラインを拡充中だというが、今はなかなか見ない。スーパーではほぼ見なくなった。東京のあちこちの駅に時たまヤクルトの自販機がある。そこにヤクルト1000を売ってるのを見つけて、買うようになった。150円する。普通のヤクルトは90円で2本買える。3倍強である。毎日一本飲んでも、別に破産はしないけど、ちょっと高いかなとは思う。それは他の缶飲料との比較である。ホントはカフェインも糖分も取りたくないから、水分補給だけなら水が一番である。(夏はお茶を持ち歩くことが多い。)ところで、今週から自販機にも売り切れが多くなった。ところによっては「ヤクルト5」に変わってる。
(品切れお詫び書きがある自販機)
 だけど、僕はかなりの確率で買える自販機を知っている。それはもう、マツタケやマイタケの取れる秘密の場所みたいなもので、ここでは書かない。あるときは一本飲んだ後で、ついでに買いだめしようかとコインを入れたら買えなかった。さっき飲んだのが「最後の一本」だったのである。ここまで希少価値が出て来ると、「プラセボ(偽薬)効果」なのかもしれないけど、確かに良く眠れているのである。それは一体何故? 「機能性表示食品」とうたうけど、それはトクホと何が違うんだろう。

 まず後の方の問題だが、「トクホ」(特定保健用食品)は1991年に始まり、消費者庁による審査がある。認可されるとマークを付けられる。つまり、人による実験を経た科学的根拠が必要になる。だから医学的データで示せる「体脂肪を減らすのを助ける」とか「コレステロールを下げる」とかをうたう。一方、2015年に始まった「機能性表示食品」は科学的根拠を示す必要はあるが、消費者庁への届け出だけで良い。しかし、事業者は情報を公開する義務があるというものである。だから、個人差が大きく証明が難しい「睡眠の質」とか「精神的ストレス」「記憶力」とかをうたう食品が出せる。
(睡眠の質改善を大きくうたう「ヤクルト1000」)
 「ヤクルト1000」は「ヤクルト史上最高密度の乳酸菌シロタ株」と書いてある。ヤクルトのホームページによれば、「ヤクルト400」の2.5倍にあたる1000億個1mlあたりの密度も2倍の10億個/mlだという。開発に20年をかけたという。培養も大変だし、それだけ乳酸菌が入っていると、酸味が強くなりすぎるをどう防ぐかという問題も出て来る。それは少しヤクルトの他の製品を飲み比べてみれば、すぐになるほどと判ってくる。「シロタ株」と言われると、何だろうと思うけれど、もともとヤクルトを創設した代田稔博士が発見した乳酸菌である。だからヤクルトは全部シロタ株。ヤクルト社長を務め、1982年に亡くなった。
(代田稔博士)
 「乳酸菌」とは何かということまで書いてると長くなるので割愛する。ただ一言書くと、乳酸菌という細菌があるのではなく、代謝で乳酸を作る細菌類の総称である。しかし、それが何で「睡眠の質」改善になるのだろうか。むろん人間を対象にした実験が行っていて情報は公開されている。ホームページを見ると、「唾液中のコルチゾール濃度の上昇が抑制されました」「ストレス体感が抑制されました」「熟眠時間と熟眠度が増加しました」「起床時の眠気を示すスコアで改善が認められました」「乳酸菌 シロタ株を含んだ飲料の継続飲用により腸内の良い菌が増え、腸内環境を改善する機能があることが報告されています」なんて書かれている。最後の腸内環境はなるほどそうだろうと思うけど、後は全然判りません。

 ただ確かに良く眠れているのである。もちろん「個人の感想」です。僕はもともと寝つけないタイプだった。教員時代はあれこれ考えてしまったりして、なかなか寝られないことがあった。特に夏休みの最後の日とか、明日のホームルームで何を言おうとかつい考え込む。そういう問題はなくなったわけだが、今度は「加齢」という問題が出て来た。トイレに起きてしまうのである。年取るとそういうことがあるとは聞いてたけれど、実際自分もそうなったのである。何でという理由は幾つかあるけれど、まあやむを得ないんだと思う。問題は一回トイレに起きたら、そのまま寝られないことが多かった。それが軽減されたのである。

 ホームページには、「『ヤクルト』は、子どもの飲み物というイメージをお持ちの方も少なくないと思いますが、大人になって卒業したという方にこそ、進化した『Yakult1000』を知っていただき、体感していただければ、イメージが変わると確信しています。ぜひ試してみてください」(渡邉氏)と出ている。渡邉氏というのは「ヤクルト本社開発部 研究開発管理課主事」という人である。そうだよな、昔は子どもにヤクルトや味の素を与えるもんだった。ある時代まで、温泉旅館の朝食にもよく出ていた。もう正直、昭和っぽい商品というイメージだったのだが、まさかヤクルトがこれほど「進化」していたとは。今は宅配、ネット通販など受付中止中だが、今後ずっと飲むかはじっくり考えたいと思う。
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小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』ープーチン政権の危険を暴く

2022年06月23日 22時56分11秒 | 〃 (さまざまな本)
 小泉悠現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)を読んでみた。著者の小泉悠(こいずみ・ゆう、1982~)という人は、ロシアのウクライナ侵攻後にマスコミでよく聞くようになった。様々な災害や事故、戦争などが起きるたび、テレビニュースに「専門家」が登場する。およそどんな分野にも研究している人がいることに驚いてしまう。この本は2021年5月に刊行されたが、ウクライナ戦争がなければ間違いなく読まなかった。300頁ほどで、税込1034円。買えない、読めない本じゃないけど、現代ロシアの軍事思想とかロシア軍の演習なんか特に関心がなかった。世界情勢としてもアジアへの関心の方が強かった。

 多くの日本人は同じだろうと思う。著者の小泉氏は自分でも言うように「軍事オタク」的な側面があって、この本のロシア軍演習分析など、あまりにも詳細かつ精緻なことにちょっと驚いてしまう。そうなんだけど、そこまでして初めて見えてくることがある。その事がよく判る本で、今となっては著者の「先見の明」に感謝したいぐらいだ。ロシア軍というか、プーチン政権の危険性をこれほど明かす本もない。今から思えば、2014年に「第一次ウクライナ戦争」が始まっていた。ロシア軍はやがてそれが「西側の大国」との戦争になる可能性をみすえて、これまで演習を重ねてきていたのである。われわれは気付かなかったけれど。
(小泉悠氏)
 この本で判ることは幾つもあるが、まずは「非線形戦争」という概念。世界の多くが21世紀は「対テロ戦争」だと考えていたとき、ロシアは(恐らく中国も)違ったことを考えていた。自分の「勢力圏」を守り抜くためには、あらゆる軍事的対応が必要になる。最終的には本格的な核戦争に至るが、その前に様々な戦争の形態がある。戦争は必ずしも「直接的な衝突」として起こるわけではない。国民の不満が爆発して「反政府デモ」が起きる。その動きはアメリカのIT企業が運営するSNSで情報が広められる。これは「偶然」なのか。いや、世の中に偶然などありえない。反政府デモとは、実は「西側」の大国による陰謀なのである。

 例えば、以上のような思考法で現代の「戦争」を考える。つまり、ロシアや中国にとって、ウクライナや香港で起こったことは「戦争」なのである。われわれが「民衆運動」だと理解したことは、彼らには「戦争」だった。そして、戦争には備えなければならない。だから、新しい戦争形態に沿う新しい戦い方を構築してきた。それは例えば「ドローン」である。再燃したナゴルノ・カラバフ戦争ではドローンが大きな役割を果たしたという。(アゼルバイジャンはトルコやイスラエルのドローンを駆使したという。)そして、人間が乗機して化石燃料で動く戦闘機と違って、ドローンは「電子情報機器」である。だからドローンを操る電磁波を妨害すれば、ドローンを無害化することも出来るはずだ。
(ロシアのパンツィリS-1防空システム)
 現代社会はコンピュータの情報で動いているので、サイバー攻撃を成功させれば大きな打撃を与えることが可能になる。実際にロシアはウクライナの発電所をハッキングして、大規模な停電を起こしたことがあるという。GPS(Global Positioning System)とは実はアメリカの軍事衛星の技術を利用しているものである。スマホもカーナビもGPSを使っている。もしアメリカの人工衛星が宇宙で攻撃されたら、世界中が大混乱になるだろう。こういう状況を理解するなら、「防衛」「安全保障」というものの考え方が大きく変わる。「防衛費の増強」などと言っても、それは単に相手が核兵器やミサイルを持ってるなら、自分も持たないと不安だなどというレベルの問題では全くないのである。しっかり中身の議論をしないといけない。

 そしてロシアはチェチェン、ウクライナ、ジョージア、ナゴルノ・カラバフ、シリアで、軍事的実践を積み上げてきた。そして世界を変えてしまったのである。もちろんロシアが(ロシアの「支配権」にない)日本に攻めてくるなどというバカげた妄想に付き合う必要はない。だけど、ロシアの「非線形戦争」論によるキャンペーンを受けて、日本でも2014年のウクライナ「マイダン革命」は「西側によるクーデタ」などという認識を真顔で語る人もいる。ウクライナはネオナチだというのも、ロシアによる戦争キャンペーンである。そういうことが時間をかけて分析していくと、理解出来てくる。

 プーチン側近による「民間軍事会社」まで作られているのには驚いた。プーチン政権の危険性を理解するには、このような本も読んでみる必要がある。改めて書いておくと、この本は2021年5月に刊行された。全面的なウクライナ侵攻の前に書かれたにも関わらず、まるで予知したかのような本である。最新情報がないとしても、むしろここに至る過去20年間を理解するために、関心がある人は是非チャレンジするべき本だ。
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新劇交流プロジェクト『美しきものの伝説』(宮本研)を見る

2022年06月22日 22時44分50秒 | 演劇
 新劇7劇団が共同で制作した新劇交流プロジェクトで、宮本研作『美しきものの伝説』を見た。本来は2020年に予定されていたが、コロナ禍で2年延期され、僕も2年待ってようやく見られた。場所は六本木の俳優座劇場だが、六本木も久しぶり、俳優座劇場もこんなに小さかったかという感じ。新劇交流プロジェクトは2017年の三好十郎『その人を知らず』に続くものだというが、それは見ていない。今回は文学座、民藝、俳優座、文化座、東演、青年座、青年劇場の7劇団が参加している。

 劇作家の宮本研(1926~1988)は近代日本の人々を描く作品をたくさん書いた。『美しきものの伝説』は1968年に文学座で初演されたもので、革命4部作といわれる。大正時代の社会主義運動家、女性運動家群像を題材にしながら、昭和の「暗い時代」の前にあった「ベル・エポック」(美しい時代)を描き出している。ついこの前、文学座『田園1968』を見たけれど、1968年は2022年から見ると54年前になる。一方、この劇が初演された1968年から劇が始まる1912年は、56年前でほぼ同じ時代間隔になる。60年代にとって大正時代を考えるのは、今から60年代を振り返るようなものなのか。

 宮本研の作品は同時代に何作か見ているが、この作品は実は初めて。よく上演されているが、内容的に知ってる世界なので、どうなんだろうと思っていた。劇中の人物はすべてモデルがあって、名前が変えられている(あるいはニックネームで呼ばれる)が、知ってる人なら誰だか判るだろう。(事前配布のチラシで解説されている。)初演当時には、平塚雷鳥、神近市子、荒畑寒村はまだ存命だった。(舞台には出て来ないが、名前が呼ばれる辻まこと=伊藤野枝、辻潤の長男も存命だった。)そういうことも仮名にした理由かもしれないが、見ているものにはすぐ判るんだから、ある種「伝説」を物語るという目的なんだろう。

 鵜山仁演出はいつもながら、僕には納得出来るものだった。当時の芸術座の芝居が劇中劇として出て来る。一つはトルストイ原作の『復活』で、有名なカチューシャの唄が大流行した。劇中のカチューシャ=松井須磨子渡辺美佐子が演じていて大熱演。これをラストの舞台にするということだが、熱烈な口づけを披露している。最初はどう見ても年齢が違う感じなのだが、やがて納得してしまうから、不思議である。師である島村抱月を従えている感じである。抱月は1918年11月にスペイン風邪で急死する。そして須磨子も後追い自殺するわけだが、知ってる展開だから衝撃はない。100年前のパンデミックが描かれているのは興味深い。
(渡辺美佐子)
 しかし、何と言っても大杉栄伊藤野枝がいろいろあっても生き生きしている。大杉は南保大樹(東演)、野枝は荒木真有美(俳優座)が演じている。しかし、大杉の女性関係は今見ると、「伝説」で済ませてよいのだろうか。それでも堺利彦との間に交わされる革命論争は今も重要だ。ロシア革命で誕生したソヴィエト政権をどう捉えるか。ソ連が崩壊してしまった現時点では測れないほど重大問題だった。アナーキズムに立つ大杉とボリシェヴィキ革命を支持する堺との間には、当面の連帯は成り立っているが究極的には対立点がある。ただ60年代には身を切るような議論だったろうが、今では時代が変わった感は強い。
(稽古風景)
 もう一つ抱月を中心に、小山内薫、沢田正二郎、久保栄などと交わされる芸術論議も見落とせない。そもそも「新劇」と呼ばれる劇が成立したのがこの時代である。新劇があれば「旧劇」もあるわけで、それが歌舞伎などである。今でも女優のいない旧劇に対して、新劇で初めて女優が生まれた。その最初の大スターが松井須磨子である。「新劇」は日本社会にとって、どのような意味を持ったのか。今では新劇風リアリズムが当たり前になってしまって、歌舞伎の「見得」などの方が不思議に見える。今も「商業演劇」とは違うものとして「新劇」があるが、その背後にあった社会運動的意義をどう評価すべきか。

 ただ僕にとって、登場人物の行く末をほぼ知っているわけで、その意味では劇として面白みが少ない。事実と違う部分もあって、それはそれでいいんだけど、自分なりにイメージと違う部分もある。出て来る人物が多いから、テーマが深まらない面もある。「ベル・エポック」探訪という感じが強い劇だなあと思う。でも大正時代をこのように描き出すこと自体が、ちょっと今ではロマンティックな幻想だったかもしれないとも思う。それは60年代に関しても言えることだろう。
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映画『私のはなし 部落のはなし』(満若勇咲監督)を見る

2022年06月21日 22時48分02秒 | 映画 (新作日本映画)
 記録映画『私のはなし 部落のはなし』を見に行った。東京で最初に上映されたユーロスペースは終わってしまい、キネカ大森まで見に行ったのだが、何しろ205分という長さが大変である。題材からしても、中途半端な描き方は出来ず、ある程度長くなるのもやむを得ないかと思うが、この長さ(途中休憩あり)は見る前に覚悟がいる。内容的に覚悟して見よということかもしれない。

 監督の満若勇咲(みつわか・ゆうさく、1986~)は大阪芸大在学中に『にくのひと』(2007)という映画を作った人である。この映画内で触れられているが、牛が肉になる過程に関心を持って屠場を取材したのだという。その映画は評判を得て東京で劇場公開が予定されたが、部落解放同盟兵庫県連から批判を受けて、封印されたという。当時の関係者が出て来るが、ずいぶん公開の道を探ったものの了解に達しなかった。その後テレビドキュメンタリーの撮影をしていたというが、2019年にフリーになった。そして大島新がプロデューサーとなって、この映画を製作したというから、持続した志に深く感じるものがある。
(満若勇咲監督)
 冒頭から何人もの人々が集まって、自分の人生、自分の思いを語り合う。その語りの魅力がこの映画だと思うが、そこが長いのも間違いない。「被差別部落」とは何なのか。解説の部分は黒川みどり氏(静岡大学教育学部教授)が担当して、歴史的な説明を行っている。ここで「部落差別」とは何か、あるいは「部落解放運動」をどう捉えるかなどを考え始めると、長くなってしまう。僕もそこまで深く関わったことはない。東京にも被差別部落はあるけれど、「同和教育」を実施したことはない。東日本では大体同じだろう。外国籍や障害の生徒に対するいじめ、からかいなど、身近にあって指導しなければならない課題は別なのである。
 
 ここでビックリしたのは、鳥取の「示現舎」の宮部という人が出て来ることである。戦前に作られた「部落地名総鑑」をネット上に掲載し、公刊もしようとした人である。それに対し、刊行差し止め、ネットからの削除と損害賠償を求める裁判が起こされて、2021年秋に東京地裁で差し止め、削除を認める判決が出た。賠償をめぐって一部が認められず、双方が控訴している段階。常識的に考えて「どうかと思う」人物だが、さらにあちこちの被差別部落を回って、ネット上に写真を載せたりしているというから、僕には差別行為としか思えない。しかし、映画は彼の部落訪問に同行しカメラに収めている。どう考えればいいのだろうか。

 本人は本人なりに一応配慮はしているとのことで、子どもの写真は撮らないなどと言っている。ネットに載せることについても、情報自体は中立的なものであって、差別に悪用する人が悪いという主張をしている。情報がなければ差別しようがないだろうに、わざわざ差別心がある人に対して「差別する道具」を与えていることをどう思っているのか。これはドナルド・トランプの銃規制反対論と同じ構造をしている。銃は悪くなくて、銃で犯罪を起こす人が悪いという発想である。しかし、悪用する人が必ず出て来ると判っていて、その準備をする行為は犯罪ではないのか。毒ガスのサリンを作った人は悪くなくて、撒いた人(撒くことを命じた人)だけが悪いのか。裁判ではそうではない判断が出ているではないか。

 そのように思うけれど、実際に映画に出て来ているということは何なのだろう。他にも「差別心を持つ人」を取材して、重層的な取材になっているが、ある意味でそんな取材を受ける人がいるのも驚きである。相互に理解し合う場もなく、お互いに「恐怖」を持っているのがよく判る。歴史的には「同和」という言葉が行政用語として定着し、「同和対策事業」が進められたことの「功罪」が随所で出てくる。「同和」という言葉は「人心惟レ同シク民風惟レ和シ」という昭和天皇の即位時の詔勅から作られた言葉だという。昭和期になってからの、上からの「一視同仁」を表わす官製用語だったのである。
(映画「西九条」)
 中で昔作られた映画が出て来る。60年代末、京都の朝鮮人集落だった地域を18歳の共産党員が撮影したんだという。完成したときは、党と解放同盟の関係が破綻していて、解同の宣伝映画と批判されて党を除名されたという。封印されていた8ミリ映画はもう見られなくなり掛かっていた。何とか専門業者に依頼して修復作業を行って、その一部が出て来る。それを見ると、わずか半世紀ほど前の日本にこれほどの貧困地区があったのかと驚く。映画などで見る発展途上国のスラムという感じである。このような貧困がまだまだ残されていた時代には、国による対策事業は必要だっただろう。

 長くて見るのも大変だけど、社会問題に関心がある人だけしか見ないのはもったいない。こういうテーマだと、いわば「社会科教員」向けとなるが、記録映画としての出来映えからしても、是非多くの人が接する機会があれば良いと思う。だけど、まあいくら見ても「差別の本質」は何だか判らない。この「何だか判らない」空気のようなものに動かされることが、日本社会という気がする。
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『黒ヶ丘の上で』、ウェールズの双子農民の20世紀ーブルース・チャトウィンを読む③

2022年06月20日 22時48分02秒 | 〃 (外国文学)
 イギリスの作家ブルース・チャトウィンを続けて読んだ。次は図書館に開架で置いてあった『黒ヶ丘の上で』(On The Black Hill、1980)だが、順番で言えば『ウィダの総督』(または『ウィダの副王』)が先になる。日本での翻訳は一番遅れて、2014年に栩木伸明(とちぎ・のぶあき)訳でみすず書房から出たが、400頁を越える大作で、値段も3700円もする。チャトウィンは『パタゴニア』で有名になって、次作『ヴィダの総督』もアフリカの奴隷商人の話だった。外国のエキゾチックな魅力を書く紀行作家と思われるのを嫌って、今度はイギリスからずっと移動しなかった農民を書くことにしたんだという。

 それはいいけど、今度はある農家の100年にも渡る一大長編である。片方の窓から見るとウェールズ、もう片方の窓からはイングランドが見えるという農園で、そこに20世紀のはじめに双子の男の子が生まれる。その両親の代から書かれていて、悠然たる筆致で1980年になるまで描かれる。こういう一家を描く大長編というのは他にもあるけれど、双子というのは珍しいのではないか。双子であるがゆえに、決して幸せな人生を歩まないだろうなあと途中から判ってきて、読むのが辛くなってくる。そもそも農民の生活は起伏が少なくいのだが、時代の変遷が否応なく一家に襲いかかるのである。
(ウェールズは緑の部分)
 この小説は今もウェールズでは高い人気を誇っているという。イングランドではない「ウェールズ」の特性を非常によく描いているということらしい。例えば、主人公の一家は当初は英国教会の教会に通っているが、ある時期からウェールズの会衆派教会に変えることになる。それが第一次世界大戦の時期で、ヨーロッパでは第一次大戦の影響が大きいと言われるのがよく判る。2つの文学賞を受け、1986年に舞台化され、1987年には映画化された(日本未公開)。アンドリュー・グリーブ監督の映画では、双子の兄弟をマイク・グリウィム、ロバート・グリウィムという俳優がやっている。この二人は兄弟だけど、双子ではないようだ。
(映画版)
 この長い小説をあまり詳しく書いても仕方ないだろう。そんなに読んでみる人もいないだろうし。もともと双子の父であるエイモス・ジョーンズメアリー・ジョーンズは「身分違いの結婚」だったのである。そうなるには経緯があるが、国教会に通う野心的な貧農に過ぎなかったエイモスが、牧師の娘メアリーと結婚したのは1899年8月のことだった。小説は事実上そこから始まる。メアリーの持参金で「黒ヶ丘」にある屋号「面影」(ザ・ヴィジョン)という農場を借りた。そして翌1900年にルイスベンジャミンという双子が生まれたのである。営々と働くエイモスだったが、隣の農家との土地争いが起きて頭が痛い。この争いが最後の最後まで、20世紀後半にまで禍根を残すのである。
(映画から)
 会衆派教会に新しい牧師がやってきて、熱心にエイモスを誘うことで国教会を離れることになる。メアリーも渋々従うが、神に直接従う会衆派に魅せられていく。しかし、国教会の学校に通っていた兄弟は止めさせられる。エイモスからすれば、子どもは学校へ行く必要はなく、農場で仕事を覚えるべきなのである。双子の兄弟は母に似て繊細だったため、父は妹のレベッカを偏愛する。ちょっと先走ると、結局レベッカは父の束縛を逃れて、イギリスを捨ててしまう。そのままになるかと思うと、ラスト近くでレベッカが残した娘と孫が現れて、農場を引き継ぐことになる。

 第一次大戦が始まると、ウェールズでも愛国熱が高まるが、エイモスには納得出来ない。農場に引き籠もっている生活には世界の動きも遠い。もう戦争も終わりそうな1918年に双子にも徴兵が迫るが、エイモスは繊細だったベンジャミンに比べて、頑強なルイスは家に残って仕事させたいと考える。その結果、ベンジャミンは徴兵されるが、牧師に対して神を信じているのかと問う。戒律の第6番をどう考えるのかと。「人を殺すなかれ」である。その結果、ベンジャミンは軍隊で壮絶ないじめに遭うが、何が起きているのかを双子のルイスは体で実感した。二人は引き離せないのである。しかし、ベンジャミンは二度と社会に出られず、ルイスは徴兵忌避として娘たちから避けられる。その結果、二人は結婚出来ないまま年齢を重ねていく。

 父が突然亡くなり、母も亡くなる。なかなか機械を使わなかった農場でも、第二次大戦後にはトラクターを使うようになる。その間に丘周辺の農家の様々な出来事が語られる。結局金持ちだった家も没落していき、幸せになった人はほとんどいない。70年代になると、近くにコミューンを作る人々が現れ、その人々に影響を受けたりもする。旅行もせず、娯楽らしいこともせず働き続ける双子の兄弟。そういう世界を読んでいて面白いのかというと、やっぱり長すぎる感じはする。最後になると、登場人物の関係がこんがらかってくる。だけど、この小説は傑作に違いない。ウェールズで羊を飼う農家の話は日本人には遠すぎるとは思ったけれど。
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文学座公演『田園1968』(作・東憲司)を見る

2022年06月19日 22時20分54秒 | 演劇
 町田市から戻って、新宿の紀伊國屋サザンシアターで文学座公演『田園1968』(作・東憲司、演出・西川信廣)を見た。25日まで。時々お芝居を無性に見たくなるけれど、あまり遠くまで行きたくない。今回は1968年という時代設定に魅力を感じて、見ようかと思った。ただし、チラシにある「時は1968年(昭和43年)。ベトナム戦争の激化、キング牧師、ロバート・ケネディーの暗殺、フランス五月革命。日本でも学生運動が激しさを増し、世界全体が大きく揺れていた」というほど、時代性を強く描くわけではない。高度成長下の農村で生きるある家族の「ひと夏」をコミカルに描き出す佳作という感じである。

 内容に触れる前に、何と言っても祖母・梁瀬サワ役の新橋耐子(しんばし・たいこ、1944~)の元気さが素晴らしい。長男が農地を売ろうとしているのに対し、絶対に売らせないと頑張って農業を続ける。まあ、劇中では夏の終わりに亡くなってしまうが、ご本人はまだまだ元気なようだ。今まで文学座の芝居で、あるいは一番思い出にある『頭痛肩こり樋口一葉』などで、ずいぶん楽しませてもらったけれど、まだまだ活躍して欲しいなと思う。今度舞台女優を引退するという渡辺美佐子とは12歳の差があるんだから。
(祖母役の新橋耐子を中心に)
 冒頭は浪人生の梁瀬文徳(やなせ・ふみのり=武田知久)の語りである。1968年、世界も日本の激動の中、浪人だから勉強しなくちゃいけないのに、町の映画館に入りびたっている。アメリカやフランスの映画を見まくって、自分でシナリオを書いたりしている。「浪人なのに映画ばかり見ていた」のは、この数年後の自分とそっくり。しかし、この時代の「数年」の違いは大きい。1968年の僕は中学1年生で、8月下旬に起きたソ連によるチェコスロヴァキア侵攻に大きな衝撃を受けていた。
出演者一同)
 ある地方の農家梁瀬家も、今は父親の孝雄(加納朋之)は土建会社をやっている。会社が不調で農地を売って事業資金に回したいが、農地は売らせないと祖母のサワが頑張っている。長男の博徳(ひろのり=越塚学)は皆がうらやむ優等生だったが、小学6年生の時、台風の日に大けがをして片足が不自由になった。引け目を感じてしまって高校へも行かず、中卒で印刷会社に勤めたが、今辞めてしまったところ。祖母を助けて農業をやろうというのである。長女の睦美(磯田美絵)は東京の大学に行かせてもらったが、学生運動に夢中になって、今はワケありで故郷に戻っている。母はすでに亡くなり、梁瀬家5人のひと夏が始まる。
(祖母と孫睦美)
 そこに様々な闖入者が現れる。祖父がかつてやっていた農民学校を再建したい長男博徳。そこに近所の団地に住む女性が協力者として現れる。突然大学から消えた睦美には、片思いの男が突然押しかけてくる。映画館の娘はかつて長男に憧れていたらしい。次男の文徳とは映画館で親しくなって、シナリオを読んであげる。そんな中で一家にカタストロフィが起きるのは、再び台風が農園を襲った後だった。祖母+長男の「農業やりたい連合」対父親の「早く農地を売りたい」対立がドラマの争点だった。それが農地が大きな被害を受けてしまうことによって、家庭内の関係が一挙に変転する。そこに長男と近所の女性との関係。そして女性の夫(高橋克明)が乱暴者として登場して、場をさらってしまう。
(東憲司)
 西川信廣の演出は、登場人物をコミカルに描きわけていく。しかし、東憲司の台本は、いくつかの要素が詰め込まれて整理されていない感じもした。映画好きの次男の目から見た「1968年の夏」。田園が無くなっていく高度成長下という時代背景。幾つものすれ違いの恋愛関係。それらは見慣れた光景だが、切実に思い出すものがある。一応満足感があったけれど、もう一つ深い感動が欲しかった気もする。各人物はよく描きわけられていて、僕は皆がどこかで会った気がしてならなかった。演劇や映画で俳優を見たのではなく、自分の実人生のどこかで出会ったような気がする人が多かった。

 自分は東京生まれ、東京育ちだが、それは地名が東京都に入っているだけのことである。東京と言っても周辺部の農村地帯だったから、小学生時代は田んぼのあぜ道を通って登校したのである。だから、あちこちに空き地や雑木林があって、秘密基地というか、どこにカブトムシがいるとかを知っていたものだ。それが東京五輪からの数年間で、ほぼ消えてしまった。前にあったはずの林がいつの間にか無くなっていた。それが僕にとっての「高度成長」という時代だった。この劇は「田園1968」と題されているが、ラストで農地は売られる。あっという間に「都市近郊」の日本中同じような風景が広がる分岐点だった。
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「彫刻刀が刻む戦後日本」ー版画を通してみた戦後民衆史

2022年06月18日 20時14分32秒 | アート
 町田市立国際版画美術館で開かれている「彫刻刀が刻む戦後日本」展(7月3日まで)は、とても刺激的で感動的な展覧会だ。単なる美術展というよりも、全く新しい視角から見えてくる戦後日本の歩みが興味深い。特に50年代には多くのポスター、チラシには版画が使われていた。その後、印刷技術やパソコンの普及などで、印刷物の作り方が劇的に変わっていく。もう皆で版画を作った時代のことも忘れかけている。戦後日本の文化運動史、教育史、民衆史を振り返る素晴らしい企画だった。
 
 町田市に版画の美術館があるというのは知っていたが、そもそも町田市に行くのが初めて。東京都だけど神奈川県に突き出たような位置にある。どうやって行くのか知らなかったが、東京からだと小田急線。ロマンスカーで箱根へ行ったことはあるから、通り過ぎたことはあったわけだ。代々木上原まで地下鉄で行って、急行唐木田行に乗り換えたら、新百合ヶ丘でまた乗り換える必要があった。「しんゆり映画祭」をやってるのかここか。町田駅で下りたら、完全に小田急百貨店の地下。徒歩15分だから歩いたが、地図もあって判りやすい。版画美術館前という信号から急坂を下るので驚いた。家から2時間以上かけて到着。
 
 「工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった」というキャッチコピーを見て、思い出す人も多いはず。そうだなあ、昔は家に彫刻刀があった。授業で版画を彫った経験があるなあ。60年代の小学校で版画をやったのは、1958年の小学校学習指導要領に明示されたことが大きいという。それは70年代まで続いたようだ。その後は書かれていないから、今はやってないのか。まあ彫刻刀を扱うのは危険という時代になったのだろうか。それに他の素材を入手しやすくなったのだろう。彫刻刀と版木があれば誰でも出来るという簡潔さが、そんなに意味を持たなくなったのかもしれない。

 今回の展示で驚いたことは、日本の版画運動に影響を与えたのが中国だったということだ。1947年だから、まだ革命前である。日本で現代中国の版画展が開かれて、民衆に根付いた力強い表現がインパクトを与えたという。版画は他の美術に比べて持ち運びが簡単で、何枚も刷れるという特性もある。抗日戦争下の民心鼓舞として大きな意義を持ったということらしい。それが戦争で貧しくなった日本に大きな影響を与えた。労働組合のチラシやポスターが印象的だ。特に原水爆禁止運動を支えた意義が大きかったことが展示で判る。「原爆の図」展のポスターなどばかりではなく、上野誠ヒロシマ三部作』など版画家の作品も力強い。

 さらにそれらの版画運動が教育と結びついた。50年代に有名だった『山びこ学校』などの「生活綴り方」運動とともに、子どもたちの生活を版画にする教育版画運動の「生活版画」が全国的に取り組まれた。今回はそれらの成果が一堂に会して圧巻である。特に熱心な教員がいた小学校から大作が出ている。版画は共同製作が可能だからクラスで取り組んだ大作があるわけである。それらは写真が可能になっているものが多い。東京都東久留米市の神宝小学校卒業生有志による「森は生きている」は一番の大作である。
(森は生きている、1999年)
 青森県八戸市立湊中学校養護学級生徒による「虹の上を飛ぶ船・総集編(2)」の「天馬と牛と鳥が夜空をかけていく」(1976)という絵は、アニメ『魔女の宅急便』に出て来る森の中に住んで絵を描いている少女ウルスラの絵のモデルになったという。
 (後者=魔女の宅急便)
 石川県の羽咋郡の志賀中学校の「収穫」(1967)という作品など、地域の中で働く人々、あるいは公害など社会的問題にチャレンジした作品など数多くの作品が出ている。指導した教員も、彫った生徒も、モデルの民衆も、皆「無名の人」である。その後、どのように生きたのだろうか。日本の高度成長の中で、決して幸せではない過酷な人生を送った人も多いはずだ。それは『山びこ学校』を書いた生徒たちのその後を追った佐野眞一『遠い山びこ』を読んだから想像できるのである。
(「収穫」)
 そして作品の所蔵先も指導教員の個人蔵のものがかなりある。描かれた生徒たちの学校や地域の美術館などで所蔵されているものばかりではない。さらに版画ではなく、壁画やレリーフなどを作った学校も多いだろう。この何十年か、日本中で学校の統廃合が行われている。生徒たちが取り組んだ貴重な作品がいつの間にか破壊されていることも多いのではないか。

 見るものに様々なことを思い出させ、考えさせられる展覧会だった。「作家」という意味では、後に切りえ作家として有名になった滝平二郎、あるいは栃木県に住んで田中正造ら足尾鉱毒事件の版画を作った小口一郎の二人しか知らなかった。50年代の様々な民衆運動の中で作られた雑誌がいっぱい展示されていたが、表紙には版画が使われている。それらを見たこともあるのに、「戦後民衆運動と版画」なんて考えたこともなかった。自分も版画の授業があったが、「戦後教育における版画」なんて考えたことがない。自分の思いもよらないところに、新しい世界が開かれているものだと改めて痛感した。
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参院選、東京はもう決まってる?を検証

2022年06月16日 23時15分51秒 |  〃  (選挙)
 6月15日で通常国会が閉会し、いよいよ参議院選挙が近づいて来た。町にはポスター掲示板が立てられたけど、何でも東京では継ぎ接ぎして大きくしているとか。もともと30人も用意してあったのだが、それを超えるかもしれないと言われている。高い供託金を払って立候補するのは自由だが、ポスターを貼らない人の方が多い。なんだか矛盾を感じるな。

 7月10日投開票の参院選だが、始まる前の体感では全然盛り上がっていない。「野党分裂」がその最大の理由だが、岸田首相も人気が沸騰するタイプじゃない。ごく平凡に選挙を終えて、ごく平凡な勝利をえることを与党は求めているようだ。そしてデータ的には、自民党の圧勝になる可能性が高い。野党内の盛衰ぐらいしか「面白み」がない。従って投票率も低いと予想される。

 衆院選は何とか5割を超えるが、参院選は5割に行かないことがある。前回2019年は48.8%だった。今回(2022年)も5割を下回る可能性が高いのではないだろうか。ロシアのウクライナ侵略の中、エネルギーや食料の値上がりが著しい。しかし、それは日本が取ってきた経済政策による「円安」によるものでもある。そこら辺の問題をきちんと論議するのではなく、財源の裏付けもない「防衛力増強」が選挙の争点にされていきそうだ。相互の議論がかみ合わないまま投票日になってしまう予感がする。
 
 さて、自分が住んでいる東京都選挙区6人も当選する。大選挙区というしかなく、毎回誰に入れるべきか、情勢報道を見ながら悩むことになる。100%一致する人はいないことが多い。かなり近い人はいたとしても、当選可能性が低かったりする。絶対当選する人に入れるのもなあと思ったりもする。しかし、そういう議論の前に、「もう東京の当選者は決まっている」という声が高い。いや、これからの選挙運動によって変わりうるといえば、その通り。しかし、大方は見えているのも間違いない。
(東京都選挙区の顔ぶれ)
 まず「絶対確実」は竹谷とし子公明党)、蓮舫立憲民主党)、朝日健太郎自由民主党)である。公明党は1962年の「公明政治連盟」として初めて立候補して以来、東京で負けたことがない。(新進党で立候補した1995年を除く。)かつては4人だった選挙区で、4位になったことが2回あるけれど、大体は2位ぐらいになっている。竹谷とし子は全国的には無名かもしれないが、すでに2期当選してきた。公明党は支持者周辺をまとめれば勝てるわけで、その範囲では知名度十分だろう。

 蓮舫は「アンチ」も多いが、政治家では悪名は無名に勝るだろう。すでに3期当選してきて、蓮舫しか知らない有権者もいるだろう。前回2016年でさえ112万票も獲得した。立憲民主党のもう一人に票を分けるだけの得票があるが、制度上それは出来ない。今回も知名度の高い蓮舫がかなり先行していると伝えられる。今回は前回より減ると思われるが、当選は堅いと見るべきだ。自民党の朝日健太郎は自民党の情報では一番優勢だというが、それほどかどうかは僕には判らない。前回当選して1期やってるから、自民党支持者には浸透しているということだろう。
(2016、2019年の東京選挙区)
 さて、過去2回の「6人当選」になってからの「最低当選者」は50万票ちょっとになっている。自民、立民の票割り具合にもよるが、今回も大方似たような感じになるだろう。そう考えると、山添拓日本共産党)、生稲晃子自由民主党)も当選ラインを越えるのは間違いないと思われる。共産党は2021年衆院選東京ブロックで、67万票を獲得している。山添は前回66万票、もう一人の吉良佳子は70万票ほどである。普通に得票出来れば当選である。生稲晃子は自民党支持者に浸透していないという声がある。その名前で活動していたわけじゃないので、知らない人もいるんだろう。でも選挙が始まれば、自民党票(衆院選で200万票)のうち70万ぐらい来ればいいわけだから、当選ラインを越えるんだろうと思う。

 そこで最後の一人ということになる。結局東京で立候補した山本太郎れいわ新選組)、都民ファーストの会代表で国民民主党支持の荒木千陽、立憲民主党のもう一人松尾明弘、日本維新の会の海老沢由紀、無所属の乙武洋匡の5人が続くと考えられる。海老沢は都議選に出たというけど、大阪出身で大阪市会議員である。党の勢いだけで当選ラインに届くかは疑問。荒木は小池都知事がどこまで票を出せるかによるが、「ファーストの会」公認で「諸派」扱いになるのが弱点。松尾は1年だけ繰り上げ当選で衆院議員を務めただけなので、全都的知名度がない。乙武が何票取るかは予想しようがないが、50万はキツいか。

 となると、やはり「悪名は無名に勝る」ということで、知名度が高い(党代表だから党首討論にちょっと出られる)山本太郎の可能性が高いと思われる。2013年には東京で66万票を取った実績がある。ただ衆院選では36万票だった。2019年参院選でも東京では20万票ぐらいだった。海老沢や荒木と山本では、現時点では山本優位と思うけれど、それこそ選挙戦中に変わってくるかもしれない。まあ、自民、公明で与党が3人。後は野党で3人だが、国民民主と維新の会は実質与党である。この野党内の情勢しか意味がないような今回の参院選を象徴するような東京都選挙区になりそうだ。社民やNHK党は当選可能性がない。
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映画『オフィサー・アンド・スパイ』、ドレフュス事件を描く傑作

2022年06月15日 22時20分55秒 |  〃  (新作外国映画)
 ロマン・ポランスキー監督の『オフィサー・アンド・スパイ』という映画が公開された。題名だけでは何だか意味不明だが、これは19世紀末フランスで起きた「ドレフュス事件」の完全映画化といえる作品である。2019年のヴェネツィア映画祭審査員大賞国際映画批評家連盟賞を受賞した。原題は「J'accuse」で、作家エミール・ゾラの有名な弾劾文「私は告発する」(あるいは「我弾劾す」)である。日本語題名は、原作になったロバート・ハリスの小説『An Officer and a Spy』から。この人はポランスキーの『ゴーストライター』(2010)の原作者である。

 冒頭でフランス陸軍砲兵大尉アルフレッド・ドレフュスの軍人名誉はく奪の儀式が描かれる。大きな建物の前に軍人が建ち並び、そこをカメラがゆっくりとパンしてゆく。ドレフュスは「私は無実だ」と叫ぶが、容赦なく階級章が剥ぎ取られていく。結局無実の冤罪だったわけだが、このような不名誉の儀式が行われるのか。そこから時間が戻って、実は真の主人公であるジュルジュ・ピカールとドレフュスの関わりが示される。そこから裁判になって、非公開の軍法会議でドレフュスに終身禁錮が言い渡される。そして南米ギアナ沖の俗称「悪魔島」に送られた。1895年のことである。
(名誉はく奪式)
 ドレフュス事件といっても、今では日本ではほとんど忘れられているだろう。僕の若い頃はかなり違っていた。「自然主義の大家」ゾラの名前は有名で、松川事件救援に立ちあがった作家広津和郎は「日本のゾラ」と呼ばれた。戦後日本では共産党をターゲットにした冤罪事件が多発し、1920年代のアメリカで起きたサッコ&ヴァンゼッティ事件と並び、ドレフュス事件も「政治的冤罪」として知られていたのである。1930年に書かれた大佛(おさらぎ)次郎の傑作ノンフィクション『ドレフュス事件』に詳しく経過が描かれていて、僕も若い頃に読んでいろいろと教訓を得たものだ。
(実際のドレフュス)
 1895年にピカールが新任の諜報部長に就任し、士気が乱れていた諜報部の立て直しに着手する。ドイツ大使館のごみ箱から出た紙くずを清掃人の女性から秘かに入手していたが、ピカールが復元してみたところ怪しい人物が浮かび上がる。警察に頼んでそのエステルアージを調べると、ドイツ大使館との秘密のつながりが明るみに出て来る。エステルアージの自筆文書が入手出来たのだが、それを見たピカールはドレフュスのものとされた文書と筆跡がそっくりなことに気付く。ドレフュスを有罪とした証拠を再検討すると、すべてあやふやなものだった。ピカールはドレフュスは無実で、エステルアージが真犯人と確信してゆく。
(ピカールと愛人モニエ夫人)
 その時点ではピカールはまさか軍が真実を拒むとは思ってもいなかった。外部に漏れる前に再審を開いてドレフュスを釈放するべきだと上層部に上申するが、この事件は終わった、一切触れるなと言い渡される。それでも引き下がらないと、かえってピカールの方が軍の名誉を汚すとして左遷され、ついに命の危険を感じたピカールはすべてを告発する決意をする。ドレフュスを守れというエミール・ゾラの告発が新聞に掲載された日、ピカールは逮捕されてしまった。結局いろいろと曲折がありながら、ドレフュスとピカールの名誉は回復されたわけだが、この事件から得られる教訓は大きい。
(エミール・ゾラ)
 権力機構は自分の権威を守るためには、真犯人を守ることさえする。証拠の偽造さえする。そのことが判っていると、現代日本で起きた袴田事件などを理解するのに役立つのである。この映画は事件の経過と関係人物をていねいに描いていく。的確な編集リズムで、事件の構図を判りやすく提示する。その古典的な出来映えは、ポランスキーとしても「テス」「戦場のピアニスト」などを思わせるほどである。ポランスキーには過去に少女との性的スキャンダル問題があって、セザール賞の監督賞を受賞したことに抗議活動があった。しかし、演出の力量に限って言えば、確かなものがある。

 ピカールにはジャン・デュジャルダン(『アーティスト』でアカデミー主演男優賞)、ドレフュスルイ・ガレル(父フィリップ・ガレルの『恋人たちの失われた革命』主演)、ピカールの愛人モニエ夫人にエマニュエル・セニエ(ポランスキー夫人)、筆跡鑑定人にマチュー・アマルリックなどなど。撮影は『戦場のピアニスト』以後のポランスキー作品を担当しているパヴェル・エデルマン、音楽はアレクサンドル・デスプラ。現実のピカールはその後軍籍に復活して、少将まで昇進。ドレフュス救援の同志だったクレマンソー内閣で陸軍大臣となったが、1914年に落馬して死亡した。ドレフュスも軍に復帰したが、健康を害していて1907年に退役。1935年に75歳で亡くなった。
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『ウッツ男爵』、コレクターの人生ーブルース・チャトウィンを読む②

2022年06月14日 22時30分35秒 | 〃 (外国文学)
 ブルース・チャトウィンのデビュー作にして代表作『パタゴニア』(1977)の次に読むべき本は何か。まあ本当は出た順番に読むべきなんだろうけど、入手しやすいのは『ウッツ男爵 ある蒐集家の物語』(1988)だ。池内紀訳で白水Uブックスに入っている。解説まで入れて220頁ほどで、訳文も読みやすい。他の本は長いようなので、これが一番読みやすいと思う。チャトウィンは1989年1月に49歳で亡くなった。死因はエイズとされる。そのため『ウッツ男爵』は生前に発表された最後の本になった。

 『パタゴニア』の解説を池澤夏樹が書いているのだが、これが実に面白い。チャトウィンという人は、作品以上に本人の人生の方が面白かったような人らしい。18歳で競売会社サザビーズの美術部門に勤めるようになったが、その時は単なる運搬係である。しかし、仕事しているうちに美的感覚があることが知られるようになった。真贋を見極める能力があったのである。埋もれていたゴーギャンの本物を見つけたこともあった。若くして印象派の専門家になったのだが、6年勤めたところで目に異常を覚えて、しばらく仕事を離れたほいうが良いと言われて、チャトウィンはアフリカに赴いた。まだ24歳だった。

 『ウッツ男爵』はそんな経験が反映しているような作品である。1994年に『マイセン幻影』(ジョルジュ・シュルイツァー監督)という映画になっている。日本でも公開されたが、見ていない。英語の小説なのにドイツ文学者の池内紀が訳しているのは、これがプラハの物語だからだろう。「私」はイギリス人だが、主人公のウッツはチェコに住んでいる。父は第一次大戦で戦死し、母方のユダヤ人の祖母から財産を受け継いだ。そして若き日にマイセン磁器に魅せられて一生を収集に費やした。
(マイセン磁器)
 冒頭はまずウッツの葬式である。1974年3月7日のことだった。最初に主人公が死んでしまい、葬儀も非常に寂しい。社会主義政権は教会での伝統的儀式は朝8時半までに終わるように定めていた。そして「私」がウッツを訪ねた1967年に舞台が変わる。この年は「プラハの春」とワルシャワ条約軍による侵攻の前年のことだった。ウッツは政治的には「中立」だが、騒乱は歓迎した。世に隠れていた美術品が市場に現れるからである。「戦争、大弾圧、革命、この三つだね」が口癖だった。チェコはナチスドイツに占領され、戦後はソ連圏に組み込まれた。その時代をいかに生き延びていったか。
 (映画『マイセン幻影』)
 祖母も母も亡くなって、遺産を自由に収集に使えるようになった時、ナチスがやってくる。ウッツは時勢を予測して、収集品は田舎の実家に移して守ったが、ナチスに協力したとも言われた。イギリスの服を着続け、祖母がユダヤ人だったウッツはいかにナチスを生き延びたか。父が戦死したドイツ軍人だったことを強調したのである。そして美術品がどこにあるかの情報をナチスに渡していた。しかし、そのことでユダヤ人の友人を救ったのである。ナチスの敗北を見越して収集品を守ったウッツだったが、戦後にやって来た共産党政権はずっと手強かった。芸術は全人民のものであり、個人的に所蔵するべきものではないとしたからだ。

 50年代初頭、ついにウッツはチェコを捨てる覚悟を決めた。うつ病という診断書を書いてもらい、フランスのヴィシーでの療養を要すとされたのである。チェコにはマリエンバート(マリアーンスケー・ラーズニェ)やカルルスバート(カルロヴィ・ヴァリ)のような有名な温泉地がある。果たして出国を認められるか。それが不思議なことにヴィシーは特別らしかった。財産は秘密にスイスの銀行に預けてあるから、外国でも暮らせる。チェホフの「犬を連れた奥さん」のような展開を夢見たのだが…。ところが住んでみた「西側」に幻滅して、ウッツは当局も思ってなかった帰国に踏み切るのである。

 ウッツと友人の学者オルリーク、ウッツ家に仕えるマルタしか出てこないような小説である。不可思議な謎が多い。もともと狷介なところがあったウッツは、戦後のチェコの中で鬱屈して生きる。現代の大収集家を通して、時代を考える。一体コレクターとは何なのだろう。僕には人生を賭けたコレクション趣味はなく、よく判らないとしか言えない。そして、死後にその収集品はどこに行ったか。生前には死後には国家に寄贈するということで、私有を許されていた。「私」は死後に再びプラハを訪ねて探し回ったが見つからない。ウッツの人生には多くの謎があり、最後まで謎の人生を送ったのである。この本は1988年に出され、チャトウィンは89年1月18日に死んだ。だからもう少し生きていたら見られた「ベルリンの壁崩壊」「チェコのビロード革命」を知らずに死んだ。
(マイセン市)
 マイセンはドイツの東部、ドレスデン近郊にある小さな町である。中国や日本から輸入するしかなかった磁器をヨーロッパで初めて作った。昔のザクセン王国の国王がのめり込んで国家財政を破綻させた。そこで錬金術師を呼びつけて、初めは金を作ろうとするが、うまく行かないから今度は磁器の製作を求めた。そして1709年に白磁の製造に成功した、なんて歴史も初めて知った。その錬金術師ベドガーは王に幽閉されて研究を強制され、磁器の成功後には染付の複製を求められた。成功しないまま幽閉された状態で死んだという。37歳だった。ひどい話である。コレクターという人生には苦労が多い。
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