尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『私生活』と『ラムの大通り』、BB(べべ)生誕90年祭

2024年09月16日 22時21分11秒 |  〃  (旧作外国映画)
 フランスの元女優、ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot、1934.9.28~)の生誕90年を記念して、「ブリジット・バルドー レトロスペクティブ」の上映が始まった。未公開映画3本(うち1本は記録映画)を含めて全11作品も上映される。こんなに多くては時間もお金も大変だが、まず作品的にも興味深い2本を見た。ブリジット・バルドーは「BB」(べべ)の愛称で呼ばれ、50年代末から60年代にかけて世界的人気を誇った女優だ。1973年の映画を最後に芸能界を引退し、その後は動物保護活動家として世界的に知られている。登場した頃は「セックスシンボル」としてマリリン・モンローと並ぶ存在だった。BBの初期映画のほとんどは「お色気」を売り物にするエンタメ映画だが、決してそれに止まらない魅力的な作品に出演してきた。

 BBが出たアート系映画としては、ゴダールの『軽蔑』(1963、アルベルト・モラヴィア原作)がある。日本では最近デジタル・リマスター版が公開されたので見ている人もいるだろう。その前年に作られたルイ・マル監督『私生活』(1962)は今度初めて見たけれど、非常に興味深い傑作だった。BB自身を彷彿とさせるジルという女優を自ら演じ、あまりの多忙に加え注目と悪意にさらされ失踪に至る姿が描かれる。パパラッチに追い回され常に見張られ自由がない様子は、見ている方も恐怖を感じるような迫力がある。ある種の「メタ映画」だが、このような「大衆社会で自己を失う恐怖」というテーマは当時よく取り上げられていた。
(『私生活』)
 ジュネーブからパリへ行ったジルは女優として成功するが、ある日アパートのエレベーターで「あんたの映画は見ない。恋人をすぐ取っ替えて信用出来ない女」と罵倒される。街で人々に見つかると追いかけ回され、もみくちゃにされてしまう。そんな日々に消耗し、ある日故郷のジュネーブの母の家に帰ってしまうが母は旅行中だった。昔の知人ファビオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と再会し、彼の助けで家に閉じこもって過ごす。ファビオは演劇雑誌の編集をしながら、演劇の演出もしている。その頃はイタリア中部のスポレート音楽祭に招かれて、クライスト(19世紀初頭のドイツの劇作家、詩人)の演劇を野外劇として上演する準備をしていた。音楽祭というが演劇やダンスもあり、1958年に始まったという。

 スポレートは小さな町だが古い町並みが残り素晴らしい。そこで行われる野外劇の様子も興味深い。ファビオは準備のためどうしても出かけざるを得ず、ジルは我慢できなくなって訪ねてしまう。失踪後初めて見つかって大騒ぎとなり、ファビオとの関係も揺らぐ。マルチェロ・マストロヤンニは『甘い生活』『イタリア式離婚狂騒曲』などキャリア絶頂期の「男盛り」である。ジュネーブ(レマン湖)、パリ、スポレートの街を映し出すのは、名手アンリ・ドカエのカメラ。ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』『恋人たち』『地下鉄のザジ』に続く劇映画第4作目。その次の『鬼火』(1963)が最高傑作レベルで、初期作品の中で『私生活』はほとんど忘れられてきた。しかし現代人の孤独と大衆社会の病理の考察として、非常に見事な作品だと思う。BBも最高。
(『ラムの大通り』)
 もう一つ、ロベール・アンリコ監督『ラムの大通り』(1971)を再見。他の映画は時代的に見たことがないが、この映画だけは若い頃に見て大感激した記憶がある。昔見た映画を再見するとガッカリすることが多いが、これは全く期待を裏切らないロマンティック映画だった。1925年、アメリカ禁酒法時代の話である。題名はラム酒をカリブ海で密輸するルートのこと。この前見た韓国映画『密輸1970』と同じく、目的地近くで海に密輸品を投げ込む。コーネリアス(リノ・ヴァンチュラ)は密輸船の船長で、沿岸警備艇に追われて船を失ったり苦労の連続。ある日雨に降られてたまたま映画館に入ると、リンダ・ラリュー(ブリジット・バルドー)の映画をやっていた。そして一目で心を奪われてしまった。
(『ラムの大通り』)
 ある日キューバにいたら海岸にリンダがいる。何とか話しかけ仲良くなり、ホテルに招かれるようになった。でも旅先の思い出だけの存在で終わるのか。恋敵の伯爵も現れ、リンダも次第に本気になっていく。一緒に船に乗ると、船長を無視して密輸に向かい、リンダがいるのに銃撃され…。憧れの女優と知り合い、恋人にもなって、今度は銃撃とは。この映画はアクション映画でも恋愛映画でもなく、ひたすらノスタルジックでロマンティックな夢のような映画だ。ロベール・アンリコ監督は『冒険者たち』でもロマンティックな夢を描いているが、『ラムの大通り』はもっとロマンティック。それは「禁酒法時代」「カリブ海」という設定からもうかがえる。こんなに夢のような映画も滅多にない。BBも年齢を超えて魅力的。
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映画『美しき仕事』、クレール・ドゥニ監督の伝説的作品が初公開

2024年07月04日 21時53分26秒 |  〃  (旧作外国映画)
 クレール・ドゥニ監督『美しき仕事』(1999)という映画が4K版で日本初公開された。しかし、上映時間が夕方しかないので困ったなと思ってるうちに渋谷のロードショーが終わってしまった。柏のキネマ旬報シアターでその映画を一週間だけ上映しているので、見に行ってきた。イギリスの映画雑誌「サイト&サウンド」が10年おきに「世界映画ベストテン」を選んでいるが、最新の2022年版でなんと7位に選出されている。『東京物語』が4位、『2001年宇宙の旅』が6位である。(詳しくは『世界映画ベスト100、2022年版の結果はどうなったか』参照。)一体どんな映画なんだか気になるじゃないか。

 2022年版の世界映画ベストワンは女性監督シャンタル・アケルマン作品が選ばれた。世界的に「映画と女性」をめぐって再発見が行われている。クレール・ドゥニもフランスを代表する孤高のアート系女性監督である。それは大切な視点だと思うけれど、『美しき仕事』(Beau Travail)は僕には全く理解できないタイプの映画だった。そもそも「美しき仕事」とは、ジブチにあるフランスの「外人部隊」のことなのである。もっとも戦闘シーンは出て来ない。ひたすら美しい映像で撮影された「(上半身裸体の)男たち」のトレーニングが続く。その中で「男の嫉妬」が起きてくる。そんな映画なのに驚いた。

 女性が裸体を披露し、「男からの受け」をめぐって相争うという娼婦やストリッパーの映画はかなり存在する。男社会である「軍隊」の汗にまみれた訓練風景に「萌える」女性というのも、かなり存在するらしい。この映画は男女の視点を逆転させた映画なんだろうか。アフリカで育ちカメルーンで撮った映画でデビューしたクレール・ドゥニ監督は、アフリカにフランス軍が存在することそのものを問う視点はないようである。ジブチの海や砂漠がこんなに美しく撮られているのに、部隊内部には嫉妬が存在する。「美しき仕事」は反語なんだろうか。いや、ここでの訓練シーンには官能的な美意識が明らかに見えている。

 主演するのは上級曹長を演じるドニ・ラヴァンである。レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』や『ホーリー・モーターズ』で主演した人である。上級曹長は上司に憧れる一方で、人望のある新兵を陥れる。こんなことをするヤツがいるのかという感じだが、そのことで自分も外人部隊での地位を失い本国送還、軍法会議となる。そして、今過去を回顧している。訓練風景は男どうしがぶつかり合うという、何か相撲部屋の猛稽古みたいなものである。「身体性」に注目し、しかも女性監督の目で作られた映画。興味深くはある。世界で再評価されるのも理解はできる。

 軍隊の訓練を描く映画としては、山本嘉次郎『ハワイ・マレー沖海戦』やスタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』、ロバート・アルトマン『ストリーマーズ』などがある。それらは戦意高揚、または反軍意識のもとで作られた。しかし、「外人部隊」は軍隊としては異例な存在なので、ナショナリズムを植え付けるような訓練は行わない。戦前のフランス映画『外人部隊』や『モロッコ』などでも同様。しかし、「外人部隊」もフランス軍の一部であり、むしろフランス軍が行けないようなところに行かされる暴力装置である。フランスは植民地を今もたくさん所有し、植民地主義の清算が遅れている。その問題意識がこの映画にはないのが難点だ。
(クレール・ドゥニ監督)
 クレール・ドゥニ(Claire Denis、1946~)は1988年の『ショコラ』でデビュー。フランス映画の女性監督としては、アニエス・ヴァルダなどを継ぐ世代として映画を撮り続けてきた。『パリ、18区、夜。』(1994)で評価された。その後『ネネットとボニ』(1996)、『ガーゴイル』(2001)などは公開されたが見ていない。その後は映画祭や特集上映などで上映されても正式公開される新作が少ない。そのため僕には評価する材料がないのだが、映像の素晴らしさは魅力的だった。ジブチはこんなところかとも思った。あまり見る機会もないと思うけど、一応紹介。
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思い出の『死刑台のメロディ』、冤罪「サッコ&ヴァンゼッティ事件」を描く

2024年05月08日 22時05分28秒 |  〃  (旧作外国映画)
 是非とも紹介しておきたい旧作映画、『死刑台のメロディ』(1971)をやっと見た。もっと前に見る心づもりが、体調不良などでなかなか見られなかった。上映は東京では新宿武蔵野館で23日まで。1972年に日本公開だから、すでに半世紀以上前のことになるとは驚き。個人的にも思い出深い映画だが、まさかまた映画館で見られるとは思ってもいなかった。今回はなんと「エンニオ・モリコーネ特選上映」と銘打って、映画音楽に注目しての上映である。これもモリコーネだったのか。『ラ・カリファ』(1970、初上映)というロミー・シュナイダーが印象的な映画と2本が上映されている。

 最近はデジタル修復版がDVDまたは配信される前にちょっと劇場上映される機会が増えている。ほとんど宣伝しないから、気が付かないうちに終わってしまうこともある。しかし、注意していれば相当珍しい映画を見るチャンスが増えた。この『死刑台のメロディ』は甘美で抒情的なモリコーネ節を味わう映画ではない。実に厳しいリアリズムで「サッコ・ヴァンゼッティ事件」を描いていて、冤罪映画の最高峰である。1919年にアメリカで起きた強盗殺人事件で、イタリア人アナーキスト、ニコラ・サッコバルトロメオ・ヴァンゼッティが捕えられた。当時から冤罪と言われ、アメリカ内外で激しい抗議活動が繰り広げられた事件である。
(DVD、左=サッコ、右=ヴァンゼッティ)
 当時はパーマー司法長官による「赤狩り」がアメリカ国内を荒れ狂っていた。一体大統領は誰なのかと思うが、急には思い浮かばない。調べるとウッドロウ・ウィルソンの2期目だった。第一次大戦後の「14ヶ条の平和原則」で知られるウィルソンだが、ノーベル平和賞を受けた裏でこんな人物を司法長官にしていたのか。そんな時代にマサチューセッツ州ボストン近郊で事件が起き、二人のイタリア人が銃の不法所持で逮捕された。彼らは靴職人(サッコ)、魚行商人(ヴァンゼッティ)だったが、同時にアナーキストでありアメリカ社会の不平等に苦しんでいた。捜査では全く言い分を聞かず強引に起訴された。
(映画のサッコとヴァンゼッティ)
 裁判になると、強引な訴訟指揮、偏見に満ちた証言で、弁護士が異議を申立てても(かなり証人を「威圧」してもいるが)全く聞かれない。今ならばこの裁判官の指揮だけでも上級審で破棄されるだろう。恐るべきことに、証人が証言をひるがえしても、また獄中で真犯人が名乗りを上げても、全く何の影響も及ぼさない。それどころか真犯人の可能性がある人物の捜査ファイルは消え去っていた。つまり、当局も途中で真犯人は別にいると気付いたのである。この裁判シーンが長いけど、全く退屈しない。音楽がないシーンも多く、そのことが緊迫感を高めている。とにかく恐るべき政治裁判だったのである。
(実際のサッコ=右、ヴァンゼッティ=左)
 サッコやヴァンゼッティが法廷で自らの無実を訴える陳述をするシーンがある。これが見事で、日本の冤罪事件でもよくあるように(布川事件の桜井昌司さんや狭山事件の石川一雄さんのように)、「庶民が獄中で鍛えられ真実を訴える」姿が感動的だ。今見ると『独裁者』のチャップリンよりずっと心打たれた。そして、ヴァンゼッティは最後まで諦めず訴え続けるが、サッコは途中から心を閉ざしてしまった。これも袴田巌さんを思い出して心が苦しくなる。ヴァンゼッティが皆に訴えた言葉、我々の名前は自由と正義を求める人々の心に永遠に残るが、あなた方(裁判官や検察官)の名は忘れられるというのは全くその通りだと思った。

 この映画を非常に有名にしたのが、途中で3回流れるジョーン・バエズの歌だろう。当時「フォークソングの女王」と言われ、ベトナム反戦運動にも大きな影響を与えていた。その「Here’s To You」(あなたがここにいるといった意味)は「勝利への讃歌」などとおかしな邦題を付けられたが、日本でも大ヒットした。作曲はエンニオ・モリコーネである。この映画で一番思い起こすのはこの曲だという人が多いだろう。ただ歌詞ではイタリア名を「ニック&バート」と歌っていた。デモ隊の掛け声も英語名である。バエズの透明で力強い歌声が心に残リ続ける。
(バエズ『勝利への讃歌』)
 ヴェンゼッティ役はジャン=マリア・ヴォロンテで、実に見事な存在感を発揮している。国際的知名度があるただ一人の配役で、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』では悪役だった。ちょっと前に見たジャン=ピエール・メルヴィル監督の『仁義』でも、アラン・ドロンと共演していた。サッコはリカルド・クッチョーラという人で、この映画でカンヌ映画祭男優賞を受けた。監督・脚本はジュリアーノ・モンタルド(1930~2023)で、何本か映画祭受賞映画もあるようだ。日本ではあまり公開されておらず、全貌はつかめない。2007年にダヴィッド・ディ・ドナテッロ生涯功労賞を受けているというからイタリアでは高い評価を受けている。

 日本では非常に高く評価され、キネ旬ベストテンで3位に選出されている。僕のベストワンはアメリカの青春映画『ラスト・ショー』で、これはキネ旬と同じ。日本映画は『旅の重さ』で、どっちも同世代で見た高校生の映画なのである。『時計台のオレンジ』や『ゴッドファーザー』の年だが、僕はむしろベルトルッチ『暗殺の森』、スコリモフスキー『早春』などに心惹かれていた。社会派系映画を高く評価する批評家が選出委員に多かった時代だからこその上位だろう。ところで僕は大学時代以後に政治犯救援や冤罪救援に参加するようになったが、もしかしたらこの映画の影響もあったのかと今回見て感じた。
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映画『モンタレー・ポップ』、伝説のフェスティバルを永遠に残す

2024年04月09日 22時39分19秒 |  〃  (旧作外国映画)
 一部映画館で『モンタレー・ポップ』4K版を上映している。題名を見れば判る人もいると思うけど、これは1967年6月16日から18日に行われた「あの伝説のミュージック・フェスティバル」の記録映画である。1968年末にアメリカで公開されたものの、何故か日本では今まで正式に公開されていなかった。このフィルムには、まさに伝説となった何人ものミュージシャン、幾つもの演奏シーンが続々と出て来て、今もなお興奮して見られる映画だ。しかし、それに止まらないまらない社会的意味も持っている。

 スコット・マッケンジー花のサンフランシスコ』という曲がある。“If you're going to San Francisco Be sure to wear some flowers in your hair If you're going to San Francisco You're gonna meet some gentle people there” と始まる。(もし君がサンフランシスコへ行くなら 花で髪を飾って行って もし君がサンフランシスコへ行くなら そこで優しい人たちと出会うだろう)この歌はこのフェスティバルを企画したママス&パパスジョン・フィリップスが、このフェスティバルのプロモーションのために作った曲なのである。冒頭でこの歌声が流れる時、あっという間に時空を越えてしまう。

 モンタレー・ポップ・フェスティバルは、69年のウッドストック音楽祭など大規模音楽フェスティバルの最初のものだった。さらにそれに止まらずアメリカの60年代末のカウンター・カルチャーの象徴にもなった。67年の「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれたヒッピー・ムーブメントの絶頂でもあった。ベトナム反戦運動、公民権運動に揺れた60年代アメリカで、「gentle people」が集結したのである。そして、このフィルムはその運動の限界をも記録してしまった。

 何より貴重なのは、このフェスティバルがジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスの名前を広めたことである。奇しくも二人は3年後に、同じ27歳で亡くなることになる。ジャニスなど、そのシャウトが非常に評判になって2回出たぐらいである。しかし、こう言っちゃ何だけど、アップにすると早くも肌の荒れが気になるのである。ジミ・ヘンドリックスはイギリスで活躍していたが、このフェスで母国アメリカでも知られるようになった。有名なエレキギターを燃やしてしまうシーンが出て来る。
(ジャニス・ジョプリン)(ジミ・ヘンドリックス)
 ギターを壊すと言えば、その前にザ・フーもぶっ壊している。そんなシーンはそれまで誰も見たことがなかったと思う。冒頭にママス&パパス夢のカリフォルニア』が流れ、サイモン&ガーファンクル59番街橋の歌 (フィーリン・グルーヴィー)』が出て来る。いや、懐かしいな。全部書いても仕方ないが、ジェファーソン・エアプレインエリック・バードン&ジ・アニマルズカントリー・ジョー&ザ・フィッシュとか、ロック界の有名どころが次々と出て来る。

 そんな中で特に貴重なのは、オーティス・レディングだ。黒人のソウル歌手であるオーティス・レディングは、異色メンバーである。だけど、映画を見れば一目瞭然、完全に聴衆を虜にしてしまった。僕もこの人はあまり知らなかった。何しろこの年(1967年)の12月10日に自家用飛行機の事故で亡くなってしまったのである。その意味でも、すごく貴重なフィルムなのである。そして歌った『シェイク』、『愛しすぎて』などは全く素晴らしいというしかない。感動的だった。
(オーティス・レディング)
 ところで、この映画に登場するミュージシャンは白人が圧倒的に多い。黒人はジミ・ヘンドリックスとオーティス・レディングだけである。観衆の方も圧倒的に白人ばかりである。観衆を映すシーンもいっぱいあるけど、黒人客は10人ぐらいしか写らない。またカップルで来ている客もいっぱいで、それこそ「サマー・オブ・ラブ」なんだけど、それも異性カップルばかりだ。つまり、ヒッピー・ムーブメントの象徴とも言える祭典だったけど、まだ「ヘテロセクシャルの白人」のものだったのである。後に性的指向に寛容な町として知られるサンフランシスコでも、この時点では同性カップルが公然と行動出来なかったのだろう。
(ラヴィ・シャンカール)
 アジア系観衆はほぼ出てないけど、映画の最後はラヴィ・シャンカールシタール演奏である。当時ビートルズへの影響などでインド音楽が注目されていた。中でもラヴィ・シャンカールは世界的に有名になったが、この映画でも圧倒的である。かなり長く出て来て、終了後に観衆はスタンディング・オベーションで応えている。ロックコンサートというのに、この段階では座って聞いている人ばかり。今なら考えられないと思うが、ラヴィ・シャンカールに対しては皆起ち上がったんだから、いかに素晴らしいかが伝わってくる。とにかく歴史的なフィルム。D・A・ペネベイカー監督は、この後ボブ・ディランの『ドント・ルック・バック』、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』などを製作していて、アカデミー名誉賞を受賞している。
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映画『ピアノ・レッスン』、30年ぶりに見た大傑作

2024年03月29日 20時42分55秒 |  〃  (旧作外国映画)
 1993年にカンヌ映画祭で女性監督として初めてパルムドールを受賞したジェーン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』が4K版で公開された。昔の映画が修復されて上映されることが最近よくあるが、最初の一週間を逃すと回数が少なくなることが多い。そこで鈴本演芸場に行った日のお昼に見ることにした。日本では1994年の2月に公開されて、キネマ旬報の外国映画ベストワンになった。米国アカデミー賞でも主演女優賞、助演女優賞、脚本賞を獲得した名作である。作品賞、監督賞を逃したのは、同じ年にスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』があったためである。

 今見ても新鮮な大傑作だったが、細部の展開をほとんど忘れていた。やはり30年というのは長い。19世紀半ば、スコットランドから口をきけない女性エイダ(ホリー・ハンター)が女児フローラ(アンナ・パキン)とともにニュージーランドに嫁いでくる。ピアノとともに生きているような女性で、わざわざ大きなピアノを持ち運んできた。しかし、道が悪いために運ぶことが出来ず、ピアノだけが海岸に取り残される。この海辺のピアノをロングショットで映すシーンが素晴らしく、これだけは一度見たら永遠に忘れないだろう。ピアノを置き去りにした夫とは心が通わないが、近所に住むベインズ(ハーヴェイ・カイテル)が土地と交換にピアノをもらい受け、ピアノのレッスンをするという。
(エイダとフロ-ラ)
 このベインズという男は原住民(マオリ族)とともに生きてきて、文字も読めない無知で粗野な男である。顔にはマオリのように入れ墨をしているぐらいだ。彼がピアノを運ばせたのは、何も音楽に関心があったのではなく、エイダに惹かれてしまったのである。エイダは彼の元を訪れ、ピアノを弾く。夫はベインズはピアノの練習をしていると信じているが、実は弾くことはない。フローラは外へ出ていろと言われ、二人だけの空間になるのである。この危うい関係がどうなっていくのか。片時も画面から目が離せない緊迫感が漂う。ニュージーランドの中でも辺境の地で、口をきけない女性が自らの生き方を決められるのか? そしてラスト近くになるまで、壮絶な人間ドラマが繰り広げられる。あっと驚く展開が続き時間を忘れる。 
(ハーヴェイ・カイテル)
 ホリー・ハンターは自ら希望して難役に挑み、自らピアノを弾いている。『ブロードキャスト・ニュース』(1987)でアカデミー賞主演女優賞ノミネート、ベルリン映画祭女優賞を得たというが覚えていない。興味深いことに、この映画で主演女優賞を獲得した年に、『ザ・ファーム 法律事務所』でアカデミー賞助演女優賞にもノミネートされていた。しかし、助演で受賞したのはフローラ役のアンナ・パキンの方で、わずか11歳だった。これは『ペーパー・ムーン』のテイタム・オニールの10歳に次ぐ史上2番目の若さ。僕はこの子役の存在を全く忘れていて、見ていて凄いなと思い始めた。どんな大女優になっているのかと思ったが、コンスタントに活躍しているようだがテレビが中心みたいである。
(ジェーン・カンピオン監督)
 ジェーン・カンピオン(1954~)はニュージーランド生まれの監督で、同国初の世界的監督だ。イギリスで学んだ後、本国の市場規模が小さいのでオーストラリアで活動していた。『スウィーティー』(1989)、『エンジェル・アット・マイ・テーブル』(1990、ヴェネツィア国際映画祭審査員賞)で注目され、僕もすごいアート系監督が現れたと驚いたものだ。この映画の後はニコール・キッドマン主演の『ある貴婦人の肖像』(1996)などを作った。近年は作品が少なかったが、2021年に『パワー・オブ・ザ・ドッグ』で注目された。繊細な、時には病的なまでに揺れる心を描くことが多く、現世で生きにくい人々に心を寄せる映画を作ってきた。

 『ピアノ・レッスン』は生涯の代表作で、単に「女性監督」という枠組ではとらえきれない映画だろう。94年のベストテンを見ると、2位にチェン・カイコー監督の『さらばわが愛 覇王別姫』が入っている。92年のカンヌ映画祭パルムドールである。僕はどちらかと言えば、そっちの方が当時は面白かった。これも近年リバイバルされているから、見比べてみると面白い。『パルプ・フィクション』『ギルバート・グレイプ』『日の名残り』など最近でもスクリーンで見られる映画がいっぱいベストテンにある。その中で、3位になったロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』(レイモンド・カーヴァーの短編を組み合わせた作品)が見られないのが残念だ。これも一度はスクリーンで見るべき映画である。
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『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』、「マカロニ・ウエスタン」の傑作を見る

2024年03月25日 20時20分56秒 |  〃  (旧作外国映画)
 セルジオ・レオーネ監督の「ドル3部作」4K版がリバイバル上映されている。『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』の3作のことで、まず最初の2本が上映中。(なお「ドル箱3部作」という表記もあるが、今回「ドル3部作」としている。)これらは「マカロニ・ウエスタン」(アメリカではスパゲッティ・ウエスタン)と言われたイタリア製西部劇の世界的ブームを呼び起こした。当初は残酷描写が売りの「まがい物」と思われていたが、今ではエンニオ・モリコーネの音楽と主演したクリント・イーストウッドを全世界に知らしめた映画史的にも重要な傑作シリーズと認識されている。

 『荒野の用心棒』(1964)は言うまでもなく黒澤明監督の『用心棒』の(無許可の)リメイク作品である。後に問題になって、日本の上映権は黒澤プロに所属している。黒澤作品を見てない人でも、今では定番的設定なので筋書きは読めるだろう。このストーリーは多分江戸時代の日本よりも、アメリカ国境に近いメキシコの方が相応しいと思う。冒頭のアニメのタイトルロールから、すべてが完璧に決まってる。主人公は名前もなく、ただ二大勢力が対立する町にフラッとやってきた。彼はカウボーイハットに無精髭を伸ばし、ポンチョをまとって、その下には銃を隠し持っている。演じているのはテレビドラマ「ローハイド」で知られ始めていたが、映画では無名のクリント・イーストウッド(1930~)だった。
(『荒野の用心棒』)
 監督のセルジオ・レオーネ(1929~1989)はイタリアで娯楽映画を作っていたが、世界的には全く無名。多くのスターにオファーしたが断られ、結果的にイーストウッドになったという。それが大成功したのである。また小学校の同級だったエンニオ・モリコーネに音楽を依頼、一度聞いたら忘れられないメロディが西部劇に合っていた。各国入り交じったキャストだったので、その国ごとに吹き替えて公開されたという。今回は英語版に字幕が付いている。この段階では監督は面白い映画作りに徹していて、確かに何度見ても面白いと思う。ロケはスペイン南部で行われたが、まるでメキシコっぽいセットは違和感がない。イーストウッドは両勢力を行き来しながら、彼らを操る。そして最後に有名な決闘シーンである。構図も決まっていて見入ってしまう。
(『夕陽のガンマン』)
 『荒野の用心棒』が大ヒットして、すぐに『夕陽のガンマン』(1965)が作られた。「3部作」というけど、この前書いた香港の『インファナル・アフェア』シリーズなどと違い、全く継続性はない。ストーリーだけじゃなく、主人公の設定も違っている。ただ質感は同じで、カッコいいイーストウッドに、忘れがたいモリコーネの音楽が重なる。ロケ地も同じだから風景も似ている。違うのは主人公が「賞金稼ぎ」で、懸賞金がかかる悪党を追っている。同じように賞金稼ぎをしているモーティーマー大佐という役も新味。リー・ヴァン・クリーフが演じて凄みを出している。両者の共闘と欺し合いが見物となっている。
(右=リー・ヴァン・クリーフ)
 エルパソ銀行は鉄壁の守りを固めているが、そこを狙う「エル・インディオ」(ジャン=マリア・ヴォロンテ)の盗賊団がいる。イーストウッドはその一味に潜入して仲間を装う作戦を取るが…。それぞれが策謀をこらして、なかなか展開が読めないけれど、欺し合いの末に銃撃戦になる。筋としては娯楽映画の枠組で解決されるわけだが、ワイド画面に多くの情報が詰め込まれ、風景や音楽とあいまって「映画を見たなあ」という感じ。やはりこういう映画はテレビ画面以下ではダメで、大きなスクリーンで見たい。『続・夕陽のガンマン』は確か前に見ているが、コミカルな要素も入って時間的にも一番の大作になっている(178分)。
 
 その後、巨匠と認められたレオーネ監督は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』(公開題名『ウエスタン』)という傑作を作った。これは最近リバイバルされたが、非常に見ごたえがある傑作だった。そして遺作となった1984年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は日本でベストワンになった。公開版は144分だったが、その後さらに長いヴァージョンが幾つも作られているらしい。日本でも公開されて欲しいのだが、まだ見られない。今回の「ドル3部作」がヒットすれば、可能性も出て来ると思うのだが…。どうも可哀想なぐらい客が少ない。東京では丸の内TOEI、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、グランドシネマサンシャイン池袋などで上映されている。宣伝しておく次第。
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『インファナル・アフェア』3部作一挙上映ー香港ノワールの最高傑作

2024年03月10日 20時30分57秒 |  〃  (旧作外国映画)
 池袋の新文芸坐で『インファナル・アフェア』3部作一挙上映を見た。2023年に4K版が公開され、ずっと見たいと思っていた。午後12時45分から、途中25分の休憩を2回はさみながら19時15分までの長丁場である。間が空くと訳が判らなくなってしまうシリーズだが、順番に見ても良く判らないところがあったかな。このシリーズは営々と作られ続けた香港ノワールの最高傑作と言えるだろう。話が連続したシリーズとしては、『ゴッドファーザー』や『仁義なき戦い』に匹敵するか、むしろ面白さだけなら上回る出来映えだ。アメリカでリメイクされたマーティン・スコセッシ監督『ディパーテッド』は、アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、編集賞と4部門も受賞した。しかし、僕は原シリーズの方がずっと良かったと思っている。

 3部作を紹介しておくと、『インファナル・アフェア』(2002)、『インファナル・アフェアⅡ 無間序曲』(2003)、『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』(2003)である。第1作は金像奨で最優秀作品、監督、主演男優(トニー・レオン)、助演男優(アンソニー・ウォン)の各賞を受けた。日本では2003年に公開され、キネ旬ベストテン9位に入選した。第2作は時間をさかのぼり、前日譚となっている。第3部は第1部を直接受けて、前2作の伏線を回収するとともに全体像を示している。

 このシリーズは簡単に言えば、警察とマフィア(黒社会)が相互にスパイを送り込む話である。それで「いろいろある」訳だが、じゃあ時間軸に沿って何があったのか正確に書けと言われるとよく判らなくなる。見ている間は判ったつもりになれるけど、筋が複雑に入り組みすぎていて、よくよくDVDを何度も見返さないと筋を書けないのではないか。まあ第1作はまだ判りやすいが、段々複雑になっていく。監督はアンドリュー・ラウアラン・マックの共同監督だが、どういう分担かは知らない。二人とも香港のアクション映画監督で、その後も『頭文字D THE MOVIE』(2005)を共同で監督している。
(Ⅲのチラシ)
 元は1991年のことだった。警察学校を退学になったように見せかけて、実はマフィアに潜入を命じられたのがヤントニー・レオン)、逆にマフィアのボスから優秀さを認められ警察学校に送り込まれたのがラウアンディ・ラウ)。10年もすれば優秀な二人は出世をとげている。ヤンが報告した麻薬取引が行われるとき、ラウがボスに事前に捜査情報を伝える。二人の危うい生き方が、ともに日常生活に支障を来すほどになっていくが、取りあえずは実に緊迫した設定が見事で見入ってしまう。

 まあ、トニー・レオンアンディ・ラウの2大スター競演が目玉だが、原題は『無間道』。仏教の「無間地獄」(むげんじごく)という考えがベースにある。「無間地獄」とは「大悪を犯した者が、死後絶えることのない極限の苦しみを受ける地獄」だそうだが、何を信ずるべきか判らぬ暮らしを十年続けて、二人とも二重生活の苦しみが限界に達しつつある。今見ると、この映画は「誰もが携帯電話を持っている時代」の警察捜査アクションを完成させた映画だと思う。瞬時に連絡可能というスリルがたまらない。
(トニー・レオン)(アンディ・ラウ)
 この映画を支えているのは、二人の名助演だろう。マフィアのボスのサムエリック・ツァン)と、ヤンの上司として接触するウォン警視アンソニー・ウォン)である。どちらも香港アクション映画(だけでなく恋愛映画などでも)に欠かせない名脇役である。アンソニー・ウォンは雨傘運動支持を表明して香港、中国で干されていると伝えられるが、近年も『淪落の人』『白日青春』で健在ぶりを示したのは嬉しい。この二人が丁々発止とやり合うのを見るのは楽しい。しかし、第2作『無間序曲』を見ると、実はサム以前に香港のボスだったンガイ家を倒すために、第2作段階では両人が手を組んでいたことが判る。ヤンも初めはンガイ家に送り込まれ、後にサムの手下に移った。この第2作の中で、香港返還(1997)が実現した。
(エリック・ツァン)(アンソニー・ウォン)
 第2作ではまだ携帯電話がない(ボスだけは超大型の昔の携帯電話を持っている)時代で、英国支配から「一国二制度」になった時を描いている。そして第3作『終極無間』になると、「本土」との絡みを避けられない。第1作ラストでヤンは殺害されるが、その真相、そして後日譚が複雑に絡み合う中で語られる。第2作は若い時代ということで、トニー・レオン、アンディ・ラウは出演していないが、第3作では再び二人が戻っている。実はマフィア一味であるラウがどんどん出世し、やがて「善人」になりたいと思うようになった。しかし、第3部になって判明したことは、実は潜入者は両側ともに複数いたのである。誰がマフィアのスパイか判らぬ中で、ラウは何を信じるべきか。一応ラストになるが、何があり何が起こったのか。

 とにかく主要人物は皆死んでゆく。最後に生き残るのは誰か。『ゴッドファーザー』『仁義なき戦い』のような名監督の社会派的ノワール映画とはちょっと違う。社会的な主張をする映画じゃないと思っていたが、再見してみるとやはり「香港」をめぐる時代が写し取られていた。またベースにある仏教的世界観が案外本気で描かれている。ウォン・カーウァイのアート的完成度とは違うが、香港映画が作り続けて来た世界観の総まとめみたいなところもあるなと思う。それにしても、第3部は複雑。それが余韻か。
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映画『テルマ&ルイーズ』(1991)、今も圧倒的に面白い傑作

2024年02月26日 22時04分15秒 |  〃  (旧作外国映画)
 昔の映画をデジタル化してリバイバル上映する機会が最近多い。まあ昔見てるんだしと思って見逃すことも多いけど、『テルマ&ルイーズ 4K版』はまた見たいなと思った。昔見た人も、まだ見てない人も、DVDや配信じゃなく大画面で是非見て欲しいと思う映画だ。主演したスーザン・サランドンジーナ・デイヴィスは、そろってアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。この年は大本命『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターがいたので受賞は出来なかったけど、脚本賞をカーリー・クーリ(女性)が獲得した。(『羊たちの沈黙』はトマス・ハリスの原作があるため脚色賞に回るので競合しなかった。)

 アメリカ南部アーカンソー州の仲良し女性二人組。ルイーズスーザン・サランドン)はレストランでウェイトレスをしているが、恋人とうまく言ってない。テルマジーナ・デイヴィス)は18歳で結婚した夫が横暴で、自分の気持ちを伝えられない。たまには二人で旅行しようとルイーズがテルマを誘って、ドライブに出る。たまに女だけで楽しんで何が悪いとルイーズが誘ったのである。テルマは夫に言おうと思うけど、やっぱり言えない。レストランの店長が今度離婚して、別荘が妻のものになるから、それまで皆で使ってくれと言ったらしい。じゃあ山の別荘で釣りでもしてみよう。それだけの一泊旅行のはずだったけど…。
(ルイーズ(左)とテルマ)
 50年代なら「地獄の逃避行」とか題名が付くB級ノワールになっただろう。60年代末なら、こういう話は「ニューシネマ」と呼ばれていっぱいあった。例えば最近リバイバルされた『バニシング・ポイント』は、同じようにアメリカ西部を男が車で疾走する映画だった。『明日に向かって撃て!』は悪いことがどんどん積み重なっていくが、二人の男たちの物語。60年代末になって「反抗」がテーマの映画がいっぱい作られたが、その時点ではまだ「男(たち)の映画」だったのである。その意味ではFBIの女性捜査官が主人公の『羊たちの沈黙』が同じ年の映画だったことは象徴的だ。女性の描き方が変化してきたのである。
(トラックに出会う二人の車)
 筋書きを細かく書いてはつまらない。ちょっとはしゃいでみたいと思った女たちに、理不尽な出来事が次々と襲いかかる。あっという間に警察に追われる身となるが、それでも車で逃げ続ける。ロード・ムーヴィーの最高傑作と言いたいぐらい魅力的な映像が連続する。今見ても一瞬も退屈せずラストまで観客も疾走し続けることになる。とにかく面白いのである。と同時に、DVやミソジニー(女性嫌悪)が今になっても古びたテーマになってない現実がある。またアメリカには「銃社会」という大問題が潜んでいることを忘れてはいけない。それあっての悲劇なのである。
(ブラッド・ピット)
 スーザン・サランドンは、その後1995年の『デッドマン・ウォーキング』でアカデミー主演女優賞を受賞した。死刑制度を告発する映画で、その当時のパートナーだった名優ティム・ロビンスが監督した。ジーナ・デイヴィスは、1988年の『偶然の旅行者』でアカデミー助演女優賞を得ている。彼女たちに同情的な警官をハーヴェイ・カイテルが渋く演じて良い味。この人はなんと言っても『スモーク』が良かった。チョイ役ながらかなり重要なヒッチハイカーをまだ無名のブラッド・ピットが演じて出世作となった。僕が覚えたのは、翌1992年のロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』だったけど。

 監督はリドリー・スコット(1937~)で、一番脂が乗っていたころだ。『デュエリスト/決闘者』『ブレードランナー』『エイリアン』などを作った後で、第7作目。前作は日本を舞台にした怪作『ブラック・レイン』だった。その後、『グラディエーター』(2000)でアカデミー作品賞を受賞した。しかし、僕は大作ばかり任されるようになったリドリー・スコットはもういいかなという感じだった。80代後半に入った最近も『ナポレオン』を作って健在だが、158分と長いので見てない。『テルマ&ルイーズ』も129分と2時間を越えているが、長さは全く感じない。

 ラストをどう評価するか、当時いろんな意見があったと記憶する。だが、「シスターフッド」の映画として見直す必要がある。僕は昔からラストはこれしかないと思っている。「トラウマ」があってルイーズはテキサス州に入りたくないという設定は、現在の方が良く判る。30年前と思えないぐらい同時代の映画として生き生きと輝く映画だった。
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サイ・エンドフィールド監督の2作ー「赤狩り」時代のアメリカ映画

2024年01月06日 22時13分46秒 |  〃  (旧作外国映画)
 シネマヴェーラ渋谷で「Film Gris 赤狩り時代のフィルム・ノワール」という特集上映をやっている。第二次大戦直後のアメリカ映画には社会批判的な犯罪映画が大量にあり、それを「Film Gris」(フィルム・グリ)と呼ぶらしい。ほとんどはB級犯罪映画だが、中にはアカデミー賞作品賞を取った『オール・ザ・キングスメン』やノミネートされた『十字砲火』などもある。しかし、それらは占領下の日本では公開されず、この時期のアメリカ文化受容に欠落が生じることになった。この手のB級犯罪映画は大好きだし、赤狩り時代のアメリカにも関心がある。貴重な機会だから何本か見に行ってみた。

 今回の特集には多くの監督の作品が入っている。その中にはジョセフ・ロージージュールス・ダッシンのように、アメリカを捨ててヨーロッパで映画を作り続けて大成した監督もいる。エイブラハム・ポロンスキーのように、雌伏の後に60年代末になって再び監督に戻れた人もいる。しかし、サイ・エンドフィールドという監督は知らなかった。紹介を読むと、赤狩りでアメリカを追放されたと出ている。全く聞いたことがないんだけど、その後の作品が少しは日本で公開されているようだ。そもそも映画を見ると、クレジットが「サイ」じゃなくて、「シリル」だった。Cyril Endfield(1914~1995)である。
(サイ・エンドフィールド監督)
 日本語の紹介は少ないので英語版Wikipediaを見ると、ペンシルバニア州出身のユダヤ系移民2世で、イェール大学に入学する時に大恐慌で父の事業がつぶれて1年遅れたという。学生時代は演劇と急進的左翼運動に熱中していたらしい。そして演劇では食べていけず、夫婦でハリウッドに赴いた。当時よくある人生行路を送ったわけである。戦後になって短編映画で認められ、長編映画も任されるようになり、1950年に2本の映画で少し注目された。それが『アンダーワールド・ストーリー』と『群狼の街』である。ところが1951年になって下院非米活動委員会で名が挙り、他の人の名を答えることは出来ないと考えてイギリスに向かった。
(『アンダーワールド・ストーリー』公開時のポスター)
 『アンダーワールド・ストーリー』は特ダネ優先で書いた記事がもとで、証人がギャングに殺害された記者が主人公。新聞社をクビになり、そのギャングに金を出させて、小さな町レイクタウンの新聞社の共同経営者になる。到着した日に有力新聞社主の息子の妻が殺害される。そして黒人のメイドが逮捕されるが、地方紙の経営者は父を継いだ若い女性でメイドとも長い知人だった。犯人とは思えないと救援会を立ち上げるが、やがて有力新聞社の手が回って彼らは孤立していく。真犯人は早くから観客に提示され、正義より金で動く主人公がどうなるのかが焦点。黒人メイドも実は白人が演じているが、「ニガー」と表現されている。ラストが甘いが、有力新聞をめぐる権力の動きなどに批判的な眼差しがある。
(『群狼の街』公開時のポスター)
 『群狼の街』はラストの群衆シーンの迫力で忘れがたい映画だ。失業中の主人公は妊娠中の妻と幼い長男と抱えて、何とか仕事を探すが見つからない。ボーリング場で会った男に仕事があると誘われるが、それは強盗の運転手だった。断りたいが他に仕事もなく、引きずり込まれていく。男はついに殺人事件を起こすが、主人公はそんな成り行きを全く想像していなかった。主人公の苦悩、ついに精神的に破綻して捕まるが…。それを新聞のコラムニストが極悪人として告発し、そのため住民の怒りが沸騰して警察に押し掛け、犯人を殺せと要求する。これは1933年に起こった実話で、フリッツ・ラング監督『激怒』という映画にもなっているという。煽動の恐ろしさを描くこの作品は、明らかにマッカーシズム(赤狩り)批判に違いない。

 サイ・エンドフィールド監督は当初イギリスでも警戒されたようだが、結局送還されることはなく、やがてイギリスで映画を作れるようになった。『SF巨大生物の島』とか『ズール戦争』などの作品が日本でも公開された。演劇やテレビでも活躍したようだが、結局はあまり大きな成功を収めたとは言えない人だろう。その中で「民衆暴力」批判映画として、『群狼の街』は再評価されているという。日本で作られた『福田村事件』などとの比較検討なども必要だと思う。
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『エドワード・ヤンの恋愛時代』と『ヤンヤン 夏の想い出』

2023年08月27日 20時05分17秒 |  〃  (旧作外国映画)
 台湾映画の巨匠、エドワード・ヤン(楊徳昌、1947~2007)はもうずいぶん前に亡くなったが、むしろ近年の方が評価が高いかもしれない。現在『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994)の4Kレストア版がリバイバル公開されているので、早速見てきた。前に最高傑作『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(2017.4.11)について書いたが、僕は『恋愛時代』も公開当時に凄い映画だと思った。また最後の作品『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)を最近見直して、改めて素晴らしい映画だと思った。

 いま思うと、1990年代は中華圏映画の全盛期だった。中国のチェン・カイコー(陳凱歌)、ティエン・チュアンチュアン(田壮壮)、チャン・イーモウ(張芸謀)、香港のウォン・カーウァイ(王家衛)、そして台湾のホウ・シャオシェン(侯孝賢)、ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)らの傑作群が各映画祭で続々と受賞したのである。これらの人々の中で、エドワード・ヤンの映画はちょっと違っている。若いツァイ・ミンリャンは別にして、大方の「巨匠」たちは過去の歴史的な痛み(日中戦争、国共内戦、文化大革命など)を描くことが多かった。それに対して、エドワード・ヤン(あるいはウォン・カーウァイを含めても)は、すでに発展して世界最先端になった人々の心の孤独を見つめていたのである。

 『恋愛時代』は冒頭で孔子を引用した後で、「台北はわずか20年ばかりのうちに、世界で最も裕福な街の一つになった」と字幕が出る。1980年代には韓国、香港、シンガポールと並び、台湾が「アジアの4小龍」と呼ばれて、急速な工業化が注目されていた。まだ中国本土は経済的には遅れていて、90年代になって中台相互の経済投資や交流が解禁され始めた頃である。この映画の登場人物は恋人と関係が悪くなると、一時大陸に行く。恋愛も「一国二制度」で、それぞれ自立したいなどと話している。今じゃ「一国二制度」には欺瞞的なイメージが付いてしまったが、香港返還前にはそういう言い方もあったのか。登場人物たちは「中国人ならわかるだろう」と言っていて、今昔の感がある。

 それを思うと、原題が「獨立時代」というのも、複雑な感慨を催す。『恋愛時代』には多くの登場人物が出て来て、それぞれの思惑がぶつかり合う恋愛コメディとして作られている。主要登場人物のモーリーは財閥令嬢でカルチャー会社の社長をしている。そこで働くチチは、誰にでも愛想良く接して「会社の良心」と呼ばれている。しかし、モーリーはそれはウソの顔だと決めつける、チチの恋人ミンは公務員で、3人は高校の同級生。誰が誰やら最初はよく判らないぐらいだが、親たちも巻き込んで仕事も恋愛もうまく行かない若者たちの右往左往が描かれる。経済が発展すれば幸福になれるはずが、いざ発展してみると毎日自分を忘れて追いまくられる日々だった。そんな思いをベースにして軽快に進行する。都会の孤独を描いたアジア映画の先駆作。
(エドワード・ヤン)
 『ヤンヤン 夏の想い出』は、2000年カンヌ映画祭で監督賞を受賞した。この時は中華圏から3本が出品され、『花様年華』(ワン・カーウァイ)が男優賞、『鬼が来た!』(チアン・ウェン)がグランプリだった。その中で、やはりエドワード・ヤン作品のみが現代を扱っている。それも台北の結婚式やゴミ出しなど、細かな日常をていねいに描いている。ヤンヤンは小学生で、コンピュータ会社経営の父、別の会社で働く母、女子校に通う姉、そして母方の祖母と暮らしている。母の兄の結婚式で問題発生、その後に祖母が倒れて入院する。その年の夏休みの家族を描いていく。
(『ヤンヤン 夏の想い出』)
 小学生ヤンヤンは何にでも興味を持つ年頃、カメラに関心があって父が買ってあげる。いろんな人を写しているが、それが皆人間の後頭部ばかり。自分では見られないからだという。実際、この映画に出て来る父も、母も、姉も、家で見せている姿とは別の「後ろ姿」があるのだった。そこがとてもよく出来ていて、実に面白い映画だった。173分もある長い映画だが、全然長さを感じない。(今回は2日間のみ特別上映だったので、現時点では上映館なし。)

 なお、日本のゲーム作家役でイッセー尾形が出ている。やはりゲームなら日本だみたいなセリフがあって、台湾からすれば日本経済が先進的だったのである。父親の日本出張シーンもあり、熱海温泉の「つるやホテル」が出て来る。調べてみると、ここは映画公開翌年の2001年に経営が破綻し長く「廃墟」になっていたが、最近香港資本が買収して「熱海パールスターホテル」になったという。日本経済の沈滞を象徴するような話で、日本と東アジアの関係も大きく変わりつつあるなと思う。
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ピーター・チャン監督『ラヴソング』、マギー・チャン回顧上映を見る

2023年06月16日 22時41分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 先頃見たアメリカ映画『ター』に、最近東京のBunkamuraで誰それを聞いたとかいうセリフがあった。そんなに世界のクラシック界に知られたところだったのか。それはオーチャードホールだろうが、今は基本的に2027年までBunkamuraは閉まっている。渋谷の東急本店の全面改築に伴う措置で、オーチャードホールだけは土日はやってるという話だが、舞台、映画、展覧会は他の場所に移っている。映画に関しては、昨年閉館した渋谷東映のあった場所(宮益坂入口ビックカメラ上)に「Bunkamurル・シネマ渋谷宮下」が今日(6月16日)開館した。前より駅から近く、客席も広い。

 ところで最初の上映として、なんと「マギー・チャン・レトロスペクティヴ」をやっている。香港の女優マギー・チャン(張曼玉)は2004年の『クリーン』でカンヌ映画祭女優賞を獲得して以来、20年ほども映画から遠ざかっている。しかし、ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』『欲望の翼』『楽園の瑕』などが時々上映されているから、若い映画ファンも知ってるだろう。今回は久しぶりのピーター・チャン監督『ラヴソング』、メイベル・チャン監督『宗家の三姉妹』に加え、ベルリン映画祭女優賞の『ロアン・リンユィ 阮玲玉』、3年間結婚していたこともあるフランスのオリヴィエ・アサイヤス監督『イルマ・ヴェップ』『クリーン』などがラインナップされ貴重な機会となっている。

 僕が大好きな『ラヴソング』(甜蜜蜜)は久しぶりの上映なので、今日見てきた。(当時の35ミリフィルム上映)。非常によく出来た恋愛映画だが、同時にある時代の「香港映画」の代表作的な意義もある。1996年の映画で、「香港返還」の3年前。1997年の香港電影金像奨では作品、監督、主演女優など9部門で受賞した。テレサ・テンの名曲をバックに、1986年3月1日から1995年5月8日(テレサ・テンが亡くなった日)まで、およそ10年に及ぶ2人の男女の出会いと別れを描いている。今見直すと、香港と中国本土の経済格差が非常に大きかった時代相を反映した作品で、もう2度と戻ってこない「香港映画の輝き」が詰まっている。(以下、細かなストーリーを書くけれど、エンタメ系だから知ってても感動できる。知らずに見たい人は先に読まないよう。)

 1986年3月、シウクワンレオン・ライ)は、おばを頼って天津から香港へやって来る。まだ経済開放が始まって間もない頃である。香港は大陸青年から見ると圧倒されるような大都会で、北京語しか話せず広東語の出来ないシウクワンには戸惑うことばかり。このおばは、昔のハリウッド映画『慕情』ロケの時、ウィリアム・ホールデンとペニンシュラホテルで食事したという思い出(幻想?)に浸って、ホールデンの写真を飾っている。おじの伝手で仕事も見つかったが、それは自転車で鶏肉を運ぶ仕事だった。故郷天津に待つ婚約者シャオティンに毎日のように手紙を書き、「運送関係の仕事をしてる」と書くのだった。

 少し金ができたシウクワンは、ある日曜日に初めてマクドナルドへ行ってみる。初めて注文するハンバーガーとコカコーラ。注文の仕方もわからず、時間がかかる彼に店員はあきれつつ対応する。ふとみると店員募集のビラが。自分でもなれるかと店員に聞く。この店員レイキウマギー・チャン)は、野暮ったい大陸青年シウクワンに広東語が出来なきゃだめ、英語も出来なきゃダメと教えるのだった。レイキウは彼に英語学校を紹介し、二人は学校を訪ねる。どうやら彼女は生徒を紹介して紹介料を取っているらしい。その時、レイキウのポケベルがなる。「すごい、ポケベル持ってるんだ。」

 レイキウはいろんなアルバイトを掛け持ちして稼いでいるのである。その英語学校の清掃もしてる。レイキウは彼に、銀行カードを持つように教える。こうして、忙しく働き金をため夢を追うレイキウと大陸から来て大都会で孤独なシウクワンは友達になる。彼にとって、香港でただ一人の友達だ。英語学校で会って、次の仕事に向かうレイキウに、シウクワンは「車で送ってくよ」と言う。自転車の後座席にレイキウを乗せて香港の街を行くシウクワン。「香港じゃ自転車は車って言わないのよ。」自転車に相乗りしながら、テレサ・テンの「甜蜜蜜」が流れるシーンは、『明日に向かって撃て!』の「雨にぬれても」に匹敵する名場面だと思う。

 1987年、旧正月前夜、レイキウはテレサ・テンのカセットを売る屋台を出す。「大陸出身者はテレサを買うわ。香港人の5人に1人は大陸出身よ。私たちも、二人に一人がそうよ。」しかし、雨の中、テレサ・テンのカセットは全然売れない。「大陸出身だと判っちゃうから、テレサ・テンはみんな買わないんだよ。」「何で? 去年の広州じゃ売れたのに。」レイキウは思わず自分が広州出身であることをバラしてしまう。「自分も大陸出身なの」と認めるのだった。二人はレイキウの部屋へ行って、餃子を食べる。シウクワンはレイキウを「大陸出身でも、バリバリ働いて、お金を稼いでいて、君はすごいよ。」と慰める。「何よ、嘘ついてたから馬鹿にしてるんでしょ。」「馬鹿にしてるのは君の方だろ。俺が何も知らないから。」「そう思ったらもっと怒りなさいよ」「怒ったら、付き合ってくれないだろ。香港でただ一人の友達なのに」
(シウクワンとレイキウ)
 雨の中帰ろうとするレイキウにシウクワンは、いっぱい外套を着せようとする。向かい合う二人、ふと見つめあい、想いが高まって抱き合い結ばれるのだった。「私も香港に友達がいないの。」次の日、シウクワンはマクドナルドにレイキウを訪ねるが、彼女は「雨の日に寒さをしのいだだけ」という。でも、その後も二人は会いつづける。シウクワンは故郷のシャオティンを思いながらも、レイキウと会わずにいられない。レイキウはテレサ・テンを仕入れた借金を返しながら、相変わらずお金をためている。株と外国債で財産は増えていく。生きがいのように、キャッシュカードの残高確認をするレイキウ。だが、ある日、世界的な株安(ブラックマンデー)に巻き込まれ、レイキウの財産はほとんどなくなってしまった。

 借金を返すため、レイキウは仕方なくマッサージ師になる。ある日、暗黒街のボス、パウエリック・ツァン)のマッサージを担当したレイキウは、度胸があると気に入られる。一方、シウクワンはシャオティンへのプレゼント選びにレイキウに同行してもらう。金のブレスレットを選びながら、レイキウの腕に触ると、マッサージで疲れていて腕が痛む。「マッサージで痛いんだね。」「なんで、大声で仕事をばらすのよ。」そして、最後に同じものを二つ買うシウクワン。ひとつはレイキウへのプレゼントだと言って渡す。怒るレイキウ。「同じものを二人にプレゼントするなんて信じられない。」悩んだ末、シウクワンは次の日に、レイキウに「さよなら」の伝言メッセージを残すのだった。

 ここまでが、出会いと最初の別れである。大陸出身だからというだけでなく、シウクワンには無神経なところがあるが、そこもまた魅力だというレオン・ライが良い。しかし、なんと言ってもエネルギッシュに香港を駆け抜けているかに見えながら、故郷を背負って孤独なレイキウ役のマギー・チャンが見事。次第に彼に惹かれていく心情を繊細に演じている。次のシーンは1990年。1989年を飛ばしている天安門事件が香港人の心に与えた傷は大きい。1989年を描くなら、学生支援集会に姿を見せたテレサ・テンを描かないといけない。返還直前ということもあるだろうが、「あえて1989年が出てこない意味」を感じないわけにいかない。
(ピーター・チャン監督)
 1990年、冬。シウクワンはシャオティン(クリスティ・ヨン)を香港に呼び結婚する。彼は路地裏のバスケを通して知り合った料理人の引きで、コックとして成功した。今は有名料理店の副料理長である。友人も一杯、祝福にやってくる。レイキウも今は若手実業家として成功している。そして、この結婚式で二人は再会したのだった。レイキウは今はパウの愛人だった。香港に友達のいないシャオティンにレイキウは親切にする。バレエが特技の彼女にバレエ教室の講師の仕事を紹介したりする。事情を知らないシャオティンはレイキウに、はめている金のブレスレットをプレゼントしたいという。あわててレイキウは辞退する。しかし、どうしても思い出さないわけにいかない。

 ある日レイキウの開くブティックの祝いに二人はかけつける。豪華なドレスを売る店を開くまでになったのだ。美しいドレスに見入るシャオティン。帰りに二人をレイキウは車で送る。事情を知らぬシャオティンは、発表会の用事があると、途中で下りてしまう。気詰まりなまま、仕方なく二人は車を出す。間の持たないシウクワンは、ラジオをつけると、テレサ・テンの『グッバイ・マイ・ラブ』がかかっている。平尾昌章が作ってアン・ルイスがうたったあの曲。「さよなら愛しい人よ あの時はもう戻らない」「いい歌ね」その時シウクワンは、道の向こうにテレサ・テン本人がいるのに気づく。あわてて車をとめてもらい、かけよるシウクワン。(もちろんテレサは撮影時には死んでいるので、別人の演技である。)
(テレサ・テンのCD『甜蜜蜜』)
 皆に囲まれサインをせがまれるテレサ。彼は何も持ってないので、来てるシャツの背中に「鄧麗君」(中国名)とサインしてもらう。戻ってきた彼は、ここで下りると言って去っていく。サインを背中に背負って遠ざかるシウクワン。画面にはずっと『グッバイ・マイ・ラブ』が流れてる。想い高まりハンドルにもたれると、思わずクラクションが鳴ってしまう。その音でシウクワンは振り向く。歌は止まり、無音の中、フロントガラス越しに見詰め合う二人。ゆっくりと戻ってくるシウクワン。こうして、また結ばれたのだった。
 
 この後、二人はそれぞれ相手に告白することを誓うが、家に戻ると、パウは警察に事情聴取を求められ、身を潜めている。彼を追って、台湾行きの密航船まで追っていく。パウは「俺は逃げる。新しい男を見つけろ」というが、レイキウは思わずパウに付いて行くことを決心する。雨の埠頭で、シウクワンはずっと待ち続けるのだった。戻った彼はシャオティンに告白。シャオティンは、ずっと天津にいれば幸せだったとなじり、許せないと去っていくのだった。妻と愛人を同時に失ったシウクワンは、彼をコックにしてくれた先輩が今住むニューヨークに一人向かうのだった。

 ニューヨーク、1993年。シウクワンはコックとして落ち着き、先輩には結婚をすすめられている。一方、レイキウとパウもニューヨークに流れつき、そろそろ落ち着こうかと話している。次の日、二人で買い物へ行き、レイキウがコインランドリーに行く間、街角で待っているパウは、地元の不良青年に因縁をつけられ、銃で撃たれる。突然の悲しみの中、背中の刺青で死を確認するのだった。この事件でレイキウの滞在資格が切れてることが判明。国外退去になり、空港へ向かう車から、レイキウはシウクワンを見る。思わず車を飛び降り追い続けるが、自転車でニューヨークを行くシウクワンをどうしても捕まえられない。

 2年後、1995年、レイキウは中国からのツァー客に自由の女神を案内してる。どうやらグリーンカードも取れたらしい。その日、シウクワンも自由の女神に来ている。9年ぶりに一度広州に帰る彼女はチケットの手配に旅行社へ行く。チャイナタウンのテレビはその日、テレサ・テンの死去を伝えていた。1995年5月9日。画面はテレサの生涯を紹介するテレビ番組を流し、テレサの歌を流す。「私の愛がどれほど深いか あなたは私に尋ねたわ」チャイナタウンの電気屋の店頭はみんなテレサの死を伝えている。そして、テレビを見るレイキウとシウクワンはそこで、5年ぶりに再会するのだった。このシーン、テレサ・テンの「私の心は月が知っている」があまりにもピッタリで、涙なしに見られない。映画には最後にちょっとしたボーナス・シーンがあるが、ここでは触れない。
(1995年5月8日に)
 この映画は、いろんな仕掛けがある。例えば、昔のハリウッド映画『慕情』。主人公のおばは、その時代の思い出に生きている。ハン・スーイン女史の自伝をジェニファー・ジョーンズ主演で映画化したロマンチック映画だが、中国革命と朝鮮戦争が背景になっている。また、「自由の女神」でわざわざロケしてるのは、どうしても天安門広場の「民主の女神」を思い出してしまうだろう。なにより、「テレサ・テン」である。台湾時代の愛らしさとスーパーアイドル時代から、80年代には大陸で大ブームを呼ぶ存在になるが、天安門事件で学生を支持し、以後大陸へ行けなくなった。そして、タイでの孤独な死。テレサ・テンをまったく知らないと、この映画の重要な部分は伝わらない。

 作者の思いを深読みすれば、二人のラブロマンスでありつつも、香港返還前に中華民族の自由を求める精神史を描く大きな狙いがあると思う。そういう東アジアの、香港や台湾が負ってきた心の痛みをある程度知っていて見た方がいい。単に「歌謡メロドラマ」としても出来がいいけど。しかし、このように偶然再会するということがあるのだろうか?昔の恋人が隣に越してきた(『隣の女』)とか、雨宿りしたら可愛い子と知り合った(『雨宿り』)とか、そんなことは映画や歌でしか起こらないのだろうか。非常に成功したメロドラマだが、単にそれに止まらない複雑な感慨を催す。今じゃ「大陸」が「香港」を制圧し尽くしたからこそ、この映画には言葉に出来ない懐かしさがある。なお、テレサ・テン甜蜜蜜』というCDがあり、映画に使われた曲が入っている。原題にもなった『甜蜜蜜』は元はインドネシア民謡だという。
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映画『バニシング・ポイント』、アメリカン・ニュー・シネマ再見

2023年03月10日 22時30分39秒 |  〃  (旧作外国映画)
 落語や2月の訃報を書いている間に、本や映画が溜まってしまった。13日は袴田事件の再審決定が出る日だから、今年は東京大空襲や東日本大震災の記事は書かず週末も趣味方面で。ちょっと前に『バニシング・ポイント』(Vanishing Point)という映画を見た。ほとんど宣伝してないから、やってることも知らない人が多いだろう。1971年の映画で、日本では同年に公開されキネ旬ベストテンで5位と高く評価された。僕は若い頃に見ていて、どういう映画だったっけ、もう一度見たいなと思ってきた。当時言われた「アメリカン・ニュー・シネマ」の代表作という感じの映画である。

 映画の内容はただ車をぶっ飛ばすだけという感じである。その合間に主人公の過去がちょっとずつ出て来たり、盲目の黒人DJがやってるラジオ局が出て来たりする。でも、映画の大体の時間は車の陸送を仕事にしている男コワルスキーバリー・ニューマン)が、デンバー(コロラド州)からサンフランシスコ(カリフォルニア州)目指して、ひたすら車を飛ばしている。15時間で届けるとちょっとした賭けをしたのである。当然スピード違反をせざるを得ず、パトロール警官に警告される。それで停まったら映画はそこで終わりだが、彼は無視してパトカーや白バイを振り切っていく。

 車種は「白の1970年型ダッジ・チャレンジャー」というクライスラー社のものだという。誰かに届ける車なのにこんな無理していいのかと思うけど、それを言ったらオシマイ。ただのスピード違反なのに、振り切られた警察の車はダメになるし、警官も負傷する。コロラドからユタ、ネヴァダ、カリフォルニアと逃げられ、警察もメンツをつぶされて次の州に引き継いでいく。その警察無線を傍受して、スーパー・ソウルという盲目DJが放送したから、がぜん注目されコワルスキーを助ける人も出て来る。見失わないようにヘリコプターまで追ってくる。

 カリフォルニア警察はついに厳重な検問所を設けて、なんとブルドーザー2台で道をふさぐ作戦を取る。しかし、コワルスキーは「バニシング・ポイント」(消失点)に向かってアクセルを踏み込むのだった。という映画なんだけど、今見ても「カーアクション」の凄さは見応え十分。だけど「物語」として見た時は、何でここまでぶっ飛ばすのか今では理解出来ない気もする。銀行強盗をして逃げてるとかの「合理的理由」がない。「必然性がない」というヤツである。デンバー、サンフランシスコ間の距離を調べると、約1550キロだという。ガソリン入れたり休憩も必要だが、15時間で行くためには時速約100キロ超で可能。警察にはソフトに対応してやり過ごした方が良いではないか。

 というようなことを今言っても無意味だ。当時「アメリカン・ニュー・シネマ」と言われた映画は、『俺たちに明日はない』『明日に向かって撃て!』が代表的だが、主人公たちは皆破滅に向かって突き進んでいく。ヴェトナム戦争では若者たちが死んでいき、本国でもマーチン・ルーサー・キングロバート・ケネディが暗殺(1968年)され、多くの都市では激しい黒人暴動が起きる。そんな時代だったことを忘れてはならない。それまでのハリウッド映画は不自然に皆がハッピーになって終わりになる。反対に「アメリカン・ニュー・シネマ」が今見返すと不自然なほどに破滅的なのは、そのような時代背景を抜きには理解出来ない。

 監督はリチャード・C・サラフィアン(1938~2013)という人で、『サンセット77』『バークレー牧場』など多くのテレビドラマで有名になった後、映画監督になった。この映画の他には『ロリ・マドンナ戦争』『キャット・ダンシング』などがあるが、まあ忘れられた存在だろう。晩年にはむしろ俳優業が中心だったらしい。巨匠ロバート・アルトマンの義弟に当たるという。

 脚本はギレルモ・ケインという人で、実は『亡き王子のためのハバーナ』などで知られるキューバ出身の作家、カブレラ=インファンテだという話。またクウェンティン・タランティーノ監督の『デス・プルーフ in グラインドハウス』では、この映画にちなんだカースタントが描かれている(とウィキペディアに出てるけど、すっかり忘れてしまった。)音楽も素晴らしいけど、今初めて見た若い人が素直に熱中できるかどうかはよく判らないなあ。
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世界映画ベスト100、2022年版の結果はどうなったか

2022年12月29日 20時22分14秒 |  〃  (旧作外国映画)
 イギリスの映画雑誌「サイト&サウンド」が選ぶ世界映画ベストテン2022年版はどうなっただろうか。この間に映画界では多くの変化があった。アメリカのアカデミー賞を選ぶ会員が白人男性に偏っていると批判され、人種や性別の多様化が進んだ。また「#MeToo運動」を通し、セクシャル・ハラスメントの告発を越えて映画史の見直しが進行中だ。そのような動きがどのように反映しただろうか。今回は批評家版のベスト100を紹介してみたい。日本映画もかなり選ばれているので、それも要注目。

 では、まずベスト10を紹介する。
ジャンヌ・ディエルマン、ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地(シャンタル・アケルマン、1975)
めまい(アルフレッド・ヒッチコック、1958)
市民ケーン(オーソン・ウェルズ、1941)
東京物語(小津安二郎、1953)
花様年華(ウォン・カーウァイ、2000)
2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック、1968)
⑦「美しき仕事」(クレール・ドゥニ、2001、日本未公開、特別上映のみ)
マルホランド・ドライブ(デヴィッド・リンチ、2001)
カメラを持った男(ジガ・ヴェルトフ、1929)
雨に唄えば(スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー、1951)
(『ジャンヌ・ディエルマン』)
 いや、これは驚きの選出になった。『ジャンヌ・ディエルマン』は日本では2022年に公開されたばかりである。「フェミニズム映画」の金字塔ではあるけれど、今まで全然出て来なくて突然トップというのは選出投票者を見直した影響があるのではないか。7位のクレール・ドゥニも女性監督である。ところで『花様年華』や『マルホランド・ドライブ』は同時代に見たわけだが、確かに良い映画だったが世界映画史上のトップテンに入る映画とは思わなかった。僕は『ブエノスアイレス』や『ブルー・ベルベット』の方が好きなんだけどなあ。さて、1952年から2012年まで連続で選ばれていた唯一の作品『ゲームの規則』はどうなった?
 
 以下は10本ごとにまとめて紹介したい。日本未公開作品はカギカッコで示す。
サンライズ(ムルナウ)⑫ゴッドファーザー(コッポラ)⑬ゲームの規則(ルノワール)⑭5時から7時までのクレオ(アニエス・ヴァルダ)⑮捜索者(ジョン・フォード)⑯午後の網目(マヤ・デレン、アレクサンドル・ハッケンシュミード)⑰クローズ・アップ(アッバス・キアロスタミ)⑱ペルソナ(ベルイマン)⑲地獄の黙示録(コッポラ)⑳七人の侍(黒澤明)
寸評 今までの定番だった『ゲームの規則』や『捜索者』『サンライズ』などが女性監督作品に押し出された感じ。『午後の網目』は女性監督マヤ・デレンが1943年に作った14分の実験映画で、日本では2019年に一部で上映された。
(マヤ・デレン)
裁かるるジャンヌ(ドライヤー)㉒晩春(小津)㉓プレイタイム(ジャック・タチ)㉔ドゥ・ザ・ライト・シング(スパイク・リー)㉕バルタザールどこへ行く(ブレッソン)㉖狩人の夜(チャールズ・ロートン)㉗ショア(クロード・ランズマン)㉘ひなぎく(ヒティロヴァー)㉙タクシー・ドライバー(スコセッシ)㉚燃ゆる女の肖像(セリーヌ・シアマ)
寸評 28位、30位が女性監督。『燃ゆる女の肖像』は2019年作品である。小津は2本が入選。

(フェリーニ)㉜(タルコフスキー)㉝サイコ(ヒッチコック)㉞アタラント号(ジャン・ヴィゴ)㉟大地のうた(サタジット・レイ)㊱街の灯(チャップリン)㊲M(フリッツ・ラング)㊳勝手にしやがれ(ゴダール)㊴お熱いのがお好き(ワイルダー)㊵裏窓(ヒッチコック)

自転車泥棒(デ・シーカ)㊶羅生門(黒澤明)㊸ストーカー(タルコフスキー)㊹「キラー・オブ・シープ(羊の殺し屋)」(チャールズ・バーネット)㊺バリー・リンドン(キューブリック)㊺アルジェの戦い(ポンテコルヴォ)㊼北北西に進路を取れ(ヒッチコック)㊽奇跡(ドライヤー)㊾ワンダ(バーバラ・ローデン)㊿大人は判ってくれない(トリュフォー)㊿ピアノ・レッスン(カンピオン)
★寸評 44位はアメリカの黒人監督作品で日本未公開。「キラー・オブ・シープ」の題名で自主上映された。49位は1970年の女性監督作品で、日本では2022年に初めて公開された。それにしてもヒッチコックは4本目である。
(『ワンダ』)

52.「不安と魂」(ファスビンダー)52.「家からの手紙」(シャンタル・アケルマン)54.軽蔑(ゴダール)54.ブレードランナー(リドリー・スコット)54.戦艦ポチョムキン(エイゼンシュテイン)54.アパートの鍵貸します(ワイルダー)54.キートンの探偵学入門(バスター・キートン)59.サン・ソレイユ(クリス・マルケル)60.甘い生活(フェリーニ)60.ムーンライト(バリー・ジェンキンズ)60.「自由への旅立ち」(ジュリー・ダッシュ)
寸評未公開作品が増えてきて、僕も知らない映画が多い。60位は黒人女性監督として初の長編映画で1991年作品。日本ではこの題名でテレビで放送されたようである。52位はアケルマン映画祭でも未公開の作品。

63.グッド・フェローズ(スコセッシ)63.第三の男(キャロル・リード)63.カサブランカ(カーティス)66.「トゥキ・ブゥキ/ハイエナの旅」(ジブリル・ジオップ・マンベティ)67.アンドレイ・ルブリョフ(タルコフスキー)67.ラ・ジュテ(クリス・マルケル)67.赤い靴(パウエル、プレスバーガー)67.落穂拾い(ヴァルダ)67.メトロポリス(ラング)
寸評 66位はセネガル映画だが、この監督は日本では全く紹介されていない。60位台になると、『第三の男』や『カサブランカ』『赤い靴』など昔の名作が登場してくる。

72.情事(アントニオーニ)72.イタリア旅行(ロッセリーニ)72.となりのトトロ(宮崎駿)75.千と千尋の神隠し(宮崎駿)75.悲しみは空の彼方へ(ダグラス・サーク)75.山椒大夫(溝口健二)78.サンセット大通り(ワイルダー)78.サタンタンゴ(タル・ベーラ)78.牯嶺街少年殺人事件(エドワード・ヤン)78.モダンタイムス(チャップリン)78.天国への階段(パウエル、プレスバーガー)78.セリーヌとジュリーは舟で行く(ジャック・リヴェット)
寸評 宮崎駿作品が連続しているのは、投票が真っ二つに分かれたということだろう。確かに一つを選ぶなら難しいところだろう。タル・ベーラとエドワード・ヤンの超大作が同じ順位というのも偶然とは言え良く出来ている。

84.ブルー・ベルベット(リンチ)84.ミツバチのささやき(ヴィクトル・エリセ)84.気狂いピエロ(ゴダール)84.映画史(ゴダール)88.シャイニング(キューブリック)88.恋する惑星(ウォン・カーウァイ)90、パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ)90.ヤンヤン 夏の想い出(エドワード・ヤン)90.雨月物語(溝口健二)90.山猫(ヴィスコンティ)90.たそがれの女心(マックス・オフュルス)
(『ミツバチのささやき』)
寸評 早くも『パラサイト』が登場。『ブルー・ベルベット』や『恋する惑星』『ヤンヤン 夏の想い出』など同時代に見た記憶が蘇る映画が入っていて感慨深い。特に『ミツバチのささやき』が入っているのが嬉しい。

95.抵抗(ブレッソン)95.ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト(セルジオ・レオーネ)95.トロピカル・マラディ(アピチャッポン・ウィーラセタクン)95.「黒人少女」(ウスマン・センベーヌ)95.キートン将軍(バスター・キートン)95.ゲット・アウト(ジョーダン・ピール) 

 この2022年版の選出をどのように考えるべきだろうか。これは「映画批評家選定」で、同時に「映画監督選定」もある。そちらはもう少し知っている映画が多いような気がする。今回の映画批評家選定はところどころに知らない映画があって、全部見ている人は多分日本にはいないのではないか。少なくとも「単なる映画ファン」には未公開作品、DVDでも出てない作品を見る機会はない。

 それにしても、『ジャンヌ・ディエルマン』がベストワンという選出は、少し「イデオロギー偏重」なのではないか。この映画は映画史の欠落を鋭く突く重要な作品だと思うが、ではベストワンかというとそれも疑問だ。ストーリー性、ドラマ性をここまで排した映画は観客を選んでしまう。それに思想性重視の観点から選出するのだったら、中国のワン・ビン(王兵)やボリビアのウカマウ集団の映画なども選ばれないとおかしくないだろうか。

 では抜けているのは何か。一つは案外製作国の多様性が少ないこと。ポーランドのアンジェイ・ワイダやギリシャのテオ・アンゲロプロス、スペインのペドロ・アルモドバルなどが一つも入っていない。95位に入った『ゲット・アウト』や『トロピカル・マラディ』より上だと思うけど。また娯楽性の高い作品は、ヒッチコックと宮崎駿を除きほぼ無視である。スピルバーグ作品が一作もないのはどうなのか。まあ、こういうものに絶対はなく、ある傾向を示す「お遊び」と受け取っておくべきものだ。僕も15本ほど見てない映画がある。今後の機会を待ちたい。
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「世界映画ベストテン」の変遷ー「サイト&サウンド」1952~2012

2022年12月28日 16時23分43秒 |  〃  (旧作外国映画)
 世界映画史上最高の映画は何だろうか。それは人それぞれ違う考え方、感じ方があると思うけど、一応の目安というものがあるのだろうか。世界各国で映画賞やベストテン選出などが行われている。ある程度、映画の完成度には共通の感覚があるということだろう。それでも「世界映画」全体となると、そもそも世界各国の映画を見られる地域が限られている。世界には自由に映画を見られない地域はかなり多い。自由に映画を見て論じられる環境がある社会だけが「世界映画」を論じられる。

 実はイギリス映画協会の「サイト&サウンド」という雑誌が、1952年に始まって10年ごとに「世界映画ベストテン」を選出する試みを続けている。それは偏った部分もあると思うけれど、そこも含めて「世界で映画がどのように見られて来たか」を示すものとなっている。10年ごとというと、つまり2022年が最新の選出年である。今年の結果はある意味で当然、ある意味で衝撃的なものだった。それを紹介する前に、まず1952年から2012年までを振り返ってみたい。(批評家選出部門を見る。)

 以下、題名と監督名を示す。最初に出て来たときだけ太字にしてある。つまり、1952年は全部太字だが、それ以後は新たに入選した作品だけが太字。当然ながら、その年以後に作られた映画は入らない。しかし、それ以前の映画でも新たに評価が高くなった映画、逆に評価が落ちた作品が存在する。例えば1962年から2002年まで1位に選ばれたオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941)は1952年には選ばれていない。その後に、この映画の革新性と完成度の高さが世界で認められて行ったのである。
(『市民ケーン』)
1952年
自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ)②街の灯(チャーリー・チャップリン)③チャップリンの黄金狂時代(チャーリー・チャップリン)④戦艦ポチョムキン(セルゲイ・エイゼンシュテイン)⑤イントレランス(D・W・グリフィス)⑤ルイジアナ物語(ロバート・フラハティ)⑦グリード(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)⑦陽は昇る(マルセル・カルネ)⑦裁かるるジャンヌ(カール・ドライヤー)⑩逢びき(デヴィッド・リーン)⑩ル・ミリオン(ルネ・クレール)⑩ゲームの規則(ジャン・ルノワール)
寸評 イタリアの「ネオ・レアリズモ」の代表作『自転車泥棒』がこの時だけベストワン。チャップリンの古典が高く評価されているのも時代を感じさせる。無声映画が半数ほどを占めるのも古い感じがする。

1962年
市民ケーン(オーソン・ウェルズ)②情事(ミケランジェロ・アントニオーニ)③ゲームの規則(ジャン・ルノワール)④グリード④雨月物語(溝口健二)⑥戦艦ポチョムキン⑥自転車泥棒⑥イワン雷帝(セルゲイ・エイゼンシュテイン)⑨大地のうた(サタジット・レイ)⑩アタラント号(ジャン・ヴィゴ)
寸評 初めてオーソン・ウェルズ『市民ケーン』がベストワンに選ばれた。またアントニオーニ『情事』が1960年の映画にもかかわらず2位に選ばれている。日本映画で溝口健二『雨月物語』が4位入選。以後、毎回日本映画が選出されている。

1972年
①市民ケーン②ゲームの規則③戦艦ポチョムキン④8 1/2(フェデリコ・フェリーニ)⑤情事⑥ペルソナ(イングマル・ベルイマン)⑦裁かるるジャンヌ⑧偉大なるアンバースン家の人々(オーソン・ウェルズ)⑧キートン将軍(バスター・キートン)⑩雨月物語⑩野いちご(イングマル・ベルイマン)
寸評 『市民ケーン』が1位、『ゲームの規則』が2位というのがこの後しばらく定着する。『ゲームの規則』は日本では岩波ホールで1982年公開と遅れたが、フィルムセンターで見ることが可能だった。確かにジャン・ルノワール監督の最高傑作だと思う。ベルイマン作品が2本入選しているのも70年代を思わせる。
(『ゲームの規則』)
1982年
①市民ケーン②ゲームの規則③七人の侍(黒澤明)③雨に唄えば(スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー)⑤8 1/2⑥戦艦ポチョムキン⑦アタラント⑦偉大なるアンバースン家の人々⑦めまい(アルフレッド・ヒッチコック)⑩キートン将軍⑩捜索者(ジョン・フォード)
寸評『雨月物語』に代わって、日本映画では『七人の侍』が選ばれた。またヒッチコック『めまい』、ジョン・フォード『捜索者』が初選出。二人ともたくさんの娯楽映画を作った監督だが、この頃からこの2作がそれぞれの代表作と見なされるようになった。公開当時はどちらも不評で失敗作と見なされていた。
(『めまい』)
1992年
①市民ケーン②ゲームの規則③東京物語(小津安二郎)④めまい⑤捜索者⑥アタラント号⑥戦艦ポチョムキン⑥裁かるるジャンヌ⑥大地のうた⑩2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)
寸評  欧米への紹介が遅れた小津安二郎だが、80年代に「発見」され『東京物語』が上位選出の常連となった。またキューブリック『2001年宇宙の旅』が公開20年以上経ってベストテンに入り、以後常連となる。
(『東京物語』)
2002年
①市民ケーン②めまい③ゲームの規則④ゴッドファーザー(フランシス・フォード・コッポラ)⑤東京物語⑥2001年宇宙の旅⑦戦艦ポチョムキン⑦サンライズ(F・W・ムルナウ)⑨8 1/2⑩雨に唄えば
寸評 公開30年目で『ゴッドファーザー』が入選した。一方で1927年製作の無声映画『サンライズ』が初めて入選。『戦艦ポチョムキン』とともに無声映画が2本となった。

2012年
①めまい②市民ケーン③東京物語④ゲームの規則⑤サンライズ⑥2001年宇宙の旅⑦捜索者⑧カメラを持った男(ジガ・ヴェルトフ)⑨裁かるるジャンヌ⑩8 1/2
寸評 ヒッチコック『めまい』が7位、4位、2位と上昇してきて、ついに2012年にベストワンになった。5回トップの『市民ケーン』が2位、『東京物語』が3位である。またソ連のジガ・ヴェルトフが1929年に作った実験的ドキュメンタリー映画『カメラを持った男』が選ばれたのも特徴的。

 この順位が絶対の基準だとは僕は全く思わない。ヒッチコックの『めまい』が世界映画史上のトップなのだろうか。ヒッチコックの中でも他に素晴らしい映画があるのではないか。『市民ケーン』や「東京物語』『ゲームの規則』の方が社会性を考えて評価するとずっと上だと思う。それよりもフェリーニなら『甘い生活』、ゴダールの『気狂いピエロ』などもっと好きな映画はいっぱいある。それでも一応の目安として、映画を見るときの参考にはなるかもしれない。(ところで、『カメラを持った男』は未だに見てないんだけど。)今回は資料編で、続いて2022年版を紹介したい。
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ポール・ニューマンの映画を見るー今も面白い傑作揃い

2022年11月01日 22時47分21秒 |  〃  (旧作外国映画)
 アメリカの映画俳優ポール・ニューマン(Paul Newman、1925~2008)の主演した映画4本が「テアトル・クラシックス ACT.2 名優ポール・ニューマン特集」として上映されている。昔の映画が大きなスクリーンで見られる機会があれば、ついつい出掛けてしまう。4本全部見て、ものすごく面白かった。宣伝コピーは「映画史上最も愛された “碧い瞳”の反逆児。タフで繊細、クールでチャーミング、世界が憧れたハリウッド伝説のスターに、この秋、魅了される!
(画像は『暴力脱獄』)
 ポール・ニューマンは、ほぼ20世紀に活躍した俳優だった。21世紀初めに『ロード・トゥ・パーディション』(2002)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたが、それ以後は声優などが少しあるだけである。やはり思い出すのは、60年代の「反抗する若者」像だろう。1982年には趣味を生かした食品会社「ニューマンズ・オウン」を設立、自分の名を冠したドレッシングやパスタソースを販売、収益は全部恵まれない子どもたちのために寄付している。民主党支持のリベラル派としても知られていた。妻は女優、映画監督のジョアン・ウッドワードで、おしどり夫婦として有名。まるでスキがない見事な人生で、没後10年以上経ったが生前のスキャンダルなど報じられていない。それでも成功までには時間が必要だった。

 アクションで売り出したがベースは演技派。沖縄戦に参加したギリギリ戦中派で、戦後になって大学に通い演劇に力を入れた。舞台やテレビで認められ、1952年にジェームズ・ディーンマーロン・ブランドとともにアクターズ・スタジオに入所した。しかし、二人が売れた後でもポール・ニューマンはなかなか認められなかった。何となく判る気がする。二人にあるような「クセ」がないのである。美男子過ぎて、影のある役柄に向かないと思われたんだろう。ディーンが事故死したため、ボクシング映画『傷だらけの栄光』の主役が回ってきて初めて大役をつかんだ。それ以後は順調に出演を続け、アカデミー賞主演男優賞に8回ノミネートされたが、受賞したのはノミネート7回目の『ハスラー2』(1987)だった。

 以下、4本の感想を簡単に。まず『明日に向かって撃て!』(Butch Cassidy and the Sundance Kid、1969)で、僕はこれを1970年の公開時に見ている。当時は中学生で映画ファンになったばかり。「アメリカン・ニュー・シネマ」の代表作と言われ、とても大きな影響を受けた。その後、一回リバイバルされたときに見ていて、今回3回目。1890年代西部のギャング団「壁の穴」を描く。ポール・ニューマンがリーダー格のブッチ・キャシディで、相棒のサンダンス・キッドは当初予定のスティーヴ・マックイーンが出られず、ロバート・レッドフォードが選ばれ出世作となったのは有名。ジョージ・ロイ・ヒル監督。
 (明日に向かって撃て!)
 僕はただひたすら好きな映画で、見ていると思い出が蘇る。サンダンスの恋人役のキャサリン・ロスも良かった。ポール・ニューマンがキャサリン・ロスを自転車に載せるシーン、有名なテーマソング「雨に濡れても」が流れる。案外すぐ出て来るのに驚いた。非情冷酷なギャングの話だけど、時代に追い抜かされてボリビアに流れていくところが心に沁みるのである。もっともこの前読んだブルース・チャトウィンパタゴニア』には、まずアルゼンチンに行ったという話が書かれていた。作品がどうのという以前に、懐かしくてまた見たい映画。

 1961年のロバート・ロッセン監督『ハスラー』(The Hustler)は実は初めて見た。ビリヤードをする人を日本で間違ってハスラーと呼ぶぐらい有名な映画だ。(「ハッスル」は「頑張る」という意味で使われることが多いが、俗語でばくちで稼ぐという意味がある。)エディはハスラーとして王者ミネソタ・ファッツに挑戦するために出て来て、負ける。サラ(パイパー・ローリー)と出会って一緒に住むようになるが、それでも賭けることを止められない。その破綻ぶりがすさまじく、悲劇につながる様を見つめていく。場を仕切っているバートを演じるジョージ・C・スコット成田三樹夫みたいだった。サラ役のパイパー・ローリーが「彼が美しいから、撮影中に気が散った」と語ったという。そんな美形なのに破滅するのである。
(ハスラー)
 『熱いトタン屋根の猫』(Cat on a Hot Tin Roof、リチャード・ブルックス監督、1958)は実に面白かった。テネシー・ウィリアムズの有名な戯曲の映画化。ポール・ニューマンは、南部の金持ちの一家の次男ブリックを演じて初めてアカデミー賞にノミネートされた。妻のエリザベス・テイラーとうまく行かず、兄とも揉めている。一家の父が病院から戻ってきて誕生日パーティを開く一日の話。セリフの応酬による緊迫感がものすごく、ポール・ニューマンの演技力にしびれる。テネシー・ウィリアムズは同性愛者で知られ、この美男美女カップルがうまく行かない背景にもそれが暗示されているという。ただ50年代の映画なので、ほのめかしに止まりラストも安直。ここでも酒浸りの役で、こういう虚偽に敏感なため破綻する役が似合う。
(熱いトタン屋根の猫)
 『暴力脱獄』(Cool Hand Luke、スチュアート・ローゼンバーグ監督、1967)こそ面白さだけなら随一。ここでも泥酔した破綻者ルークを演じている。器物破損で刑務所に送られ、刑務所では先輩囚人にいじめられる。やがて周囲に認められるが、今度は徹底して看守にいじめられる。これぞ60年代末の反逆映画。昔テレビで見たと思うが、大画面で見ると面白さも倍増。卵を50個食べられるかどうかの賭けの場面など名シーンが多い。それにしても、ここまでやるか的な反抗のあげく、破滅に向かっていくのはヴェトナム戦争時代のアメリカという感じ。刑務所の顔役を演じたジョージ・ケネディがアカデミー助演賞を受けた。
(暴力脱獄)
 ポール・ニューマンは、僕にはアメリカの「ある時代」を象徴する俳優として忘れられない人だ。パスタソースは今も日本で売っているが、僕も昔何回か買った思い出がある。70年代以後しか同年代の記憶がないわけだが、他にはジョージ・ロイ・ヒル監督の『スティング』『スラップ・ショット』、あるいは西部の伝説を描くジョン・ヒューストン監督『ロイ・ビーン』などを思い出す。監督作に『レーチェル、レーチェル』『ガラスの動物園』などがあり、後者は僕も見た。一般1200円、学生500円という価格設定は若い人に見て欲しいということだろうか。どんな感想を持つのか、是非見て欲しい気がする。
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