アメリカにジェーン・ワイマン(Jane Wyman、1917~2007)という女優がいた。最近この人の出演作を2本見て、名前を覚えた。調べてみると興味深い履歴を持った人だったので、書いておくことにしたい。ジェーン・ワイマンは1948年のアカデミー賞で主演女優賞を獲得している。対象作品は『ジョニー・ベリンダ』という映画で、日本でも1949年に公開されている。しかし、この人の名前も、その映画のことも記憶している人はほとんどいないだろう。
アカデミー賞を受賞すると、オスカー像を受け取ることになるが、そのオスカー像を得られた女優は限られている。名優や人気俳優でも、作品運に恵まれないと受賞できない。主演女優賞第1回はジャネット・ゲイナー、2回目はメアリー・ピックフォードだった。前者は無声映画『サンライズ』『第七天国』『街の天使』に主演した人で、後者は谷崎潤一郎『痴人の愛』の主人公ナオミが似ていると言われていた人である。どっちも映画史的には有名だが、一般的には忘れられているだろう。
アカデミー主演女優賞を最多受賞しているのはキャサリン・ヘプバーンの4回で、最初が1932年、最後が1981年だから凄いものである。近年作品力と演技力でフランシス・マクドーマンドが3回受賞したが、『ファーゴ』『スリー・ビルボード』『ノマドランド』だから全部アート系映画なので見てない人もいるだろう。ノミネート数はメリル・ストリープの17回が最多(2回受賞)、続いてキャサリン・ヘプバーンが14回、ベティ・デイヴィスが10回(2回受賞)となる。
そんな中で、1940年代や50年代になると、よく知らない人が時々いる。1950年のジュディ・ホリデイ(『ボーン・イエスタデイ』)は、『サンセット大通り』のグロリア・スワンソン、『イヴの総て』のベティ・デイヴィス、アン・バクスターを押さえて受賞したのが不思議。(『イヴの総て』で2人が主演にノミネートされ票が割れたんだろう。)1952年のシャーリー・ブースも知らない。『愛しのシバよ帰れ』というウィリアム・インジの戯曲の映画化。そういう映画があったのは知ってるが見たことない。
1948年のジェーン・ワイマンがアカデミー賞を得た『ジョニー・ベリンダ』も全然知らない映画である。何でもカナダで実際に起きたろうあ者の女性に対するレイプ事件がモデルで、ブロードウェイの舞台の映画化だという。レイプ事件や「噂」が広まっていく恐怖などをテーマにして、当時としては公開が問題視されたらしい。ラスト近くでは殺人事件と裁判になる。アカデミー賞に作品、監督(ジーン・ネグレスコ)、男女主演、男女助演など12部門でノミネートされるという高評価を受けた。
その映画は全く知らなかったが、古い外国映画は時々シネマヴェーラ渋谷というところで上映している。日本の古い映画をやる映画館は他にもあるが、ここは上映素材に自ら字幕を付けて上映している。最近ではグレース・ケリーが1954年のアカデミー主演女優賞を獲得した『喝采』を初めて見た。同じ日にビリー・ワイルダー監督『失われた週末』も見て、これにジェーン・ワイマンが出ていた。売れないアルコール中毒作家の話で、よくもこんな地味な映画が1945年、つまり第二次大戦終結の年に作られてアカデミー作品賞を得たものである。監督、主演男優、脚色賞と主要4部門受賞の名作である。
今に至るも多分「アル中映画」の最高峰だと思う。前に見ているが、依存症の恐ろしさをここまで描くかという映画である。まあまだ麻薬じゃなかっただけ、「古い」のかもしれない。ジェーン・ワイマンは主人公(レイ・ミランド)の恋人役で、何度欺されてもずっとそばにいてくれる役である。そんなお人好しがどこにいるのかと思うが、ここにいるというまさに「善人」のはまり役。従って、イングリッド・バーグマン、グレース・ケリー、オードリー・ヘップバーンのような超絶美人ではない。まあちょっと可愛いけど、いかにも「善人」みたいな感じで演技力を発揮している。日本じゃあまりいないタイプかもしれない。
ジェーン・ワイマンはアカデミー主演女優賞に4回ノミネートされている。最初が心温まる感動作『子鹿物語』(1946)の母役、続いて『ジョニー・ベリンダ』、『青いヴェール』(1951)、『心のともしび』(1954)である。最後の『心のともしび』をやはりシネマヴェーラ渋谷のダグラス・サーク特集でやってたので見に行った。ダグラス・サークはドイツ時代からメロドラマの名匠と言われて、戦後すぐのハリウッドでも幾つものメロドラマを監督した人である。あまり見てないからこの機会にいっぱい見ようかと思ったが、結局何も年末年始に渋谷まで行って大昔の映画も見るのも面倒だなあと思って2本しか見なかった。
その一本が『心のともしび』だが、何この無茶な展開と思いつつ、なんか面白くなって夢中で見てしまった。その翌年に作った『天はすべて許し給う』も無茶な話だが、とにかくストーリーがご都合主義そのもの。なのに面白いのが昔のハリウッド映画の素晴らしさである。道楽息子がモーターボートで事故を起こし、町に一つしかない人工呼吸器を使って生き延びる。その時町の名医フィリップス先生が喘息の発作を起こすが、人工呼吸器が間に合わず死亡する。その道楽息子はさすがに自分を恥じて、夫人に謝ろうと思うが拒絶される。もう近づかないでと言うのに、タクシーに無理やり乗り込んで来るので、夫人は車を飛び出して事故にあう。
その事故で失明した夫人、道楽息子は父親が死んで会社を相続して遊び暮らしていたが、実はその前に医者になろうとしていた。彼は再び医者の道に戻ろうと決意する。ということで、まあすったもんだがあった末に、彼は外科医として働くようになり、夫人の手術を行うことになる。その時、彼と彼女は愛し合うようになっていた。って、ムチャな展開に驚くでしょ。でもこれが面白いんだよね。彼ロック・ハドソンは1925年生まれだから、ジェーン・ワイマンより8歳年下である。ま本人どうしがいいなら問題なしと現代人は思うだろうが、当時としてはやはり同情のあまりの「異様な愛」だったのではないだろうか。
それもこれも、そんなに美人じゃないのに「善人」であるというジェーン・ワイマンの存在感が映画を支えているのである。この人は生涯に4回の結婚歴があり、その3回目が1940年に結婚し、1948年に離婚したロナルド・レーガンという二流俳優だった。二人の間には娘一人とすぐに亡くなったもう一人が生まれている。(他に養子が一人。)結婚当時は役者的には同じようなポジションで、B級映画の共演もあった。しかし、妻の方はどんどん評価されていき、アカデミー賞を獲得するに至る。その年に離婚しているのは、要するに「夫の嫉妬」ということらしい。
アメリカでもテレビを中心に活動するようになり、知名度も薄れてかけていた80年代にジェーン・ワイマンは再び短い脚光を浴びた。「大統領の娘を産んだ女優」として。しかし、あまり人前にも出ることなく、レーガンの死去(2004年)より長生きした。しかし、悲しいことに二人の娘モーリーン・レーガンは2001年に両親に先立って亡くなった。父親がアルツハイマー病になり、彼女はその啓発活動をしていたが、死因はメラノーマ(悪性黒色腫)だとWikipediaに出ている。