御茶の水は、わが「生誕地」なのである。と言っても浜田病院なんだけど。御茶の水橋口を出てスクランブル交差点を渡り水道橋方面に歩き、駿台予備校の真ん前。浜田病院というのは東京でも有名な産婦人科らしい。昔は古い建物だったけど、今は巨大ビルの中になった。僕はその真ん前の駿台予備校の校舎に一年間通っていた。授業に出ないで近くのアテネ・フランセに映画を見に行った時もあるけど。写真のビルの4階までが病院。
お茶の水あたりは本を買いに行くために来た町である。昔はネット書店もなく、あちこちに大書店があるわけでもなかった。神保町あたりか、新宿の紀伊国屋くらいしかなかったのである。本を探そうと思ったら、古書店街も集中している神保町近辺に来ることになるのは当然。今は神保町に地下鉄が3線も通っているけど、最初に地下鉄三田線が出来たのが1972年である。それもわが家からは使いにくいので、結局御茶ノ水から行くしかなかったのである。神保町近辺の本屋とカレー屋はまた別に書くとして、今回は駅から明治大学周辺を。お茶の水橋口から明大通りを行くと、まず目に入るのは楽器店の並び。小沢昭一は「ハーモニカブルース」で、「明治大学の周りの道具屋を探したんだ 明治はハーモニカバンドで有名だったんだ うまいところに目を付けたもんだ…」と歌っている。もちろん今はエレキギターがたくさん並んでいて、金管楽器やヴァイオリンもある。
少し行くと明治大学である。ここには無料の明治大学博物館がある。アカデミーコモンの地下にあり、中に入ってエスカレーターで降りる。
昔、刑事博物館に集められていた拷問用具やギロチンなんか(もちろん小さくしたレプリカである)がここにまとめられている。展示は商品、刑事、考古の3部門に分かれていて、有名な刑事部門には、日本の十手やヨーロッパの「鉄の処女」などがある。人権発達の裏の歴史を一度見ておく必要もあるだろう。興味本位だけではなく。写真も撮れそうなんだけど、まあ実際に見てもらう方がいいから、撮らなかった。考古部門では有名な岩宿遺跡の旧石器など、明大が発掘してきた貴重な遺物が展示されている。僕は中学生の時に「岩宿の発見」を読んで感激し、そこに出てくる明大の芹沢教授の名前を覚えた。一時は考古学者になりたかったものである。大学史の展示も常設されている。これは大事なことだと思う。ここは生徒と一緒に見学に来た場所。
博物館のある地下1階に、2011年に「阿久悠記念館」ができた。明大出身で、作詞家、小説家として活躍した阿久悠は2007年に亡くなり遺品が寄贈された。レコードジャケットが外の壁に並んでいるが、「北の国から」「UFO」「また逢う日まで」「津軽海峡冬景色」「舟唄」などなど。他にもあれもこれも作っていたのである。「宇宙戦艦ヤマト」とか「ざんげの値打ちもない」とか「もしもピアノが弾けたなら」とかとか。
このあたりは、明大と駿台予備校ばかりという感じだけど、ちょっと裏に入ったところに、明大の米澤嘉博記念図書館というマンガ図書館が出来た。「コミケ」で有名な米澤氏が2006年に亡くなり、マンガやサブカルチャ―関連の資料が明大に寄贈された。明大は国際マンガ図書館も建設予定で、世界に冠たる日本のマンガ研究は明大が中心になるのか。場所が少し難しいし、火水木が休館だけど、会員になればマンガを借り出せるという図書館である。
明大の角を水道橋方向に曲がっていくと、マロニエの並木道が続いていて、その中に絵の材料を売ってる喫茶店「レモン」が生き残っている。ガロの「学生街の喫茶店」のモデルだと言われることもあるが、それは違うらしい。でもムードのあるお店であるのは間違いない。この辺はパリの一角みたいな感じがちょっとする。
少し行くと文化学院。文化学院という学校も、大正自由教育の名残りをとどめる不思議な場所。
明大から下って行くと、右手に山の上ホテルがある。よく作家が缶詰になって原稿を書いていたという場所だけど、僕は入ったことがない。食事や会合にも使えるんだろうけど、なんだか敷居が高い。ましてや泊ることなどなかろうかと思う。でもここは御茶ノ水周辺の有名な場所では落とせないところなんだろうと思う。聖橋を下った方には、龍名館という和風旅館もある。
お茶の水あたりは本を買いに行くために来た町である。昔はネット書店もなく、あちこちに大書店があるわけでもなかった。神保町あたりか、新宿の紀伊国屋くらいしかなかったのである。本を探そうと思ったら、古書店街も集中している神保町近辺に来ることになるのは当然。今は神保町に地下鉄が3線も通っているけど、最初に地下鉄三田線が出来たのが1972年である。それもわが家からは使いにくいので、結局御茶ノ水から行くしかなかったのである。神保町近辺の本屋とカレー屋はまた別に書くとして、今回は駅から明治大学周辺を。お茶の水橋口から明大通りを行くと、まず目に入るのは楽器店の並び。小沢昭一は「ハーモニカブルース」で、「明治大学の周りの道具屋を探したんだ 明治はハーモニカバンドで有名だったんだ うまいところに目を付けたもんだ…」と歌っている。もちろん今はエレキギターがたくさん並んでいて、金管楽器やヴァイオリンもある。
少し行くと明治大学である。ここには無料の明治大学博物館がある。アカデミーコモンの地下にあり、中に入ってエスカレーターで降りる。
昔、刑事博物館に集められていた拷問用具やギロチンなんか(もちろん小さくしたレプリカである)がここにまとめられている。展示は商品、刑事、考古の3部門に分かれていて、有名な刑事部門には、日本の十手やヨーロッパの「鉄の処女」などがある。人権発達の裏の歴史を一度見ておく必要もあるだろう。興味本位だけではなく。写真も撮れそうなんだけど、まあ実際に見てもらう方がいいから、撮らなかった。考古部門では有名な岩宿遺跡の旧石器など、明大が発掘してきた貴重な遺物が展示されている。僕は中学生の時に「岩宿の発見」を読んで感激し、そこに出てくる明大の芹沢教授の名前を覚えた。一時は考古学者になりたかったものである。大学史の展示も常設されている。これは大事なことだと思う。ここは生徒と一緒に見学に来た場所。
博物館のある地下1階に、2011年に「阿久悠記念館」ができた。明大出身で、作詞家、小説家として活躍した阿久悠は2007年に亡くなり遺品が寄贈された。レコードジャケットが外の壁に並んでいるが、「北の国から」「UFO」「また逢う日まで」「津軽海峡冬景色」「舟唄」などなど。他にもあれもこれも作っていたのである。「宇宙戦艦ヤマト」とか「ざんげの値打ちもない」とか「もしもピアノが弾けたなら」とかとか。
このあたりは、明大と駿台予備校ばかりという感じだけど、ちょっと裏に入ったところに、明大の米澤嘉博記念図書館というマンガ図書館が出来た。「コミケ」で有名な米澤氏が2006年に亡くなり、マンガやサブカルチャ―関連の資料が明大に寄贈された。明大は国際マンガ図書館も建設予定で、世界に冠たる日本のマンガ研究は明大が中心になるのか。場所が少し難しいし、火水木が休館だけど、会員になればマンガを借り出せるという図書館である。
明大の角を水道橋方向に曲がっていくと、マロニエの並木道が続いていて、その中に絵の材料を売ってる喫茶店「レモン」が生き残っている。ガロの「学生街の喫茶店」のモデルだと言われることもあるが、それは違うらしい。でもムードのあるお店であるのは間違いない。この辺はパリの一角みたいな感じがちょっとする。
少し行くと文化学院。文化学院という学校も、大正自由教育の名残りをとどめる不思議な場所。
明大から下って行くと、右手に山の上ホテルがある。よく作家が缶詰になって原稿を書いていたという場所だけど、僕は入ったことがない。食事や会合にも使えるんだろうけど、なんだか敷居が高い。ましてや泊ることなどなかろうかと思う。でもここは御茶ノ水周辺の有名な場所では落とせないところなんだろうと思う。聖橋を下った方には、龍名館という和風旅館もある。