那須方面に2泊の旅行。なんで今頃かというと、「休暇村那須」の50周年プランがあって、さらに40日以上前早割で6700円なのを発見したわけ。(GWからは高くなって、もうこのプランはない。)せっかくだから、泊まったことがない近くの板室温泉にも泊って2泊の旅行。
今回は最初の日を除いて雨。本当は「那須平成の森」に行ってみたかった。(施設自体には見に行ってみたけれど。)「那須平成の森」というのは、2011年5月にオープンしたばかりだから、まだ知らない人が多いと思う。那須御用邸の一部が環境省に移管されて自然と親しめるふれあいの場として開設された自然公園である。誰でも歩けるゾーンもあるけど、予約してインタープリターと行く3時間の「ガイドツァー」でしか行けないゾーンもある。そういう新しい発想の自然と親しむ場所として、是非一度行ってみたかった。ただ、今回は予約満杯で、ガイドツァーはもともとダメだったんだけど。
温泉は昨年はなかなか新しいところへ行けず、今まで行った数が360台で停滞中。関東の温泉地でまだ行ってない数少ない一つが那須と塩原の間にある、板室(いたむろ)温泉。(栃木県の一番北の方。)「国民保養温泉」に指定されている「湯治場の雰囲気を残す」温泉である。泉質は無色透明のアルカリ泉で、肌がスベスベになる。宿泊はどこにしようかと迷ったんだけど、「勝風館」にしたのは「ムアツフトンの宿」だからである。昭和西川のムアツフトン、これは慣れると止められない。今までにもムアツで泊まった宿があるけど、是非多くの宿でも取り入れて欲しい。この宿は実におばあちゃんの長逗留の多いようでびっくり。きっと効能がいいからに違いない。1泊7500円。2~5泊6555円。6~9泊6430円。10泊以上6135円。(2人以上の場合。一人だと1050円増し。)という値段設定を見よ。食事は家庭料理で特別豪華なものはないし、トイレも共同だけど、親切な感じで好感の持てる旅館だった。板室温泉は、宿泊客に限り他の旅館の風呂にも入れる企画をやっているのもいい。(ただし、全部の宿ではない。16時までと言う所もあるので、早めに着いた方がいい。)僕は「加登屋旅館」の湯へ行ってみた。掛け流しの湯をひとり占め。(別館の方。古いムードの木造で有名な「本館」はやっていない。)
(前が勝風館と風呂。最後が加登屋の風呂。)
「休暇村那須」には、那須湯本温泉を過ぎて、ロープウェイ乗り場をめざしてどんどん車で登って行く。1230mの別天地というけど、まだ雪が端の方に積みあがってる。雨というより霧がたちこめ、視界が全く聞かない。宿に入ってからは風も強くなる。食事はバイキングだけど、いろいろのものがあって値段の倍くらい食べた感じ。お風呂は前に行ったことがある大丸温泉の湯で、循環だったけど大きいからやむを得ないのだろう。今回は宿と温泉に関しては、コストパフォーマンスとして満足、満足。
さて、雨で山歩きがダメだから、今回は那須野が原の歴史中心に回ることにした。那須・塩原方面のガイドブックに出ていない歴史ツァーである。那須連山のふもとの「那須野が原」は、水資源に乏しい扇状地で、明治になって「那須疎水」ができるまで開発が進まなかった。しかし、それは中世以後の話で、古墳時代までさかのぼると、関東と奥州を結ぶ地帯として古墳が多く作られ栄えた。それを証明するのが国宝「那須国造碑」(なすの・くにのみやつこの・ひ)である。現在大田原市の笠石神社にある。近くに「なす風土記の丘資料館(湯津上館)」が作られ、レプリカが展示されている。資料館のほぼ真ん前に「下侍塚古墳」(しもさむらいづか=前方後方墳)がある。この地域には国指定史跡が集中しているが、これもその一つ。そして日本の考古学史上、初の本格的な学術調査の行われた場所として有名なところである。時は元禄の世、1692年のこと。何と水戸光圀公こそが、その調査のプロデューサーだった。さらに車を走らせると、「那須郡衙(ぐんが)遺跡」が発掘された近くに、「風土記の丘資料館(小川館)」がある。共通券なので両方行くべし。那須と言ってもずいぶん茨城に近い方で、ここらまで那須野。
(国造費解説、湯津上資料館、下侍塚古墳)
という古代探訪から、今度は一気に近代へ。この地域には「三島」「青木」といった地名が残っている。那須疎水完成後、政府は那須野を払い下げ、競ったように明治の元勲がこの地域の開拓に乗り出したのである。三島通庸、青木周蔵、大山巌、山縣有朋、松方正義らである。知ってるかな。最後の二人が総理経験者。どちらかというと歴史の悪役みたいな人も多いけど。このうち、自由民権の弾圧知事として有名な三島の別邸は焼けて、跡地が那須野博物館になっている。(栃木県令の三島が払い下げを受けるのもどうかと思うが。)それ以外の人の別邸は残っている。またここらは乃木将軍の別荘があった場所としても知られている。那須野に残る近代史跡の素晴らしさはもっと多くの人に知られて欲しい。
建物で一番素晴らしいのは、内部まで公開されている「青木別邸」である。これは外相や駐英公使として条約改正に務めた青木周蔵の建てた洋館で、とても美しい。今は道の駅「明治の森・黒磯」として整備されていて、レストランや物産館もある。国指定重文で、夫人がドイツ人だったからか本格的洋館として見所が多い。ここは前に見たので今回はパスして、ジェラートを食べただけ。
今も発展しているところと言えば、薩摩出身の総理大臣(というより大蔵卿時代の「松方デフレ」で有名な)松方正義の開いた松方農場で、これが今の「千本松牧場」である。西那須野塩原インターを出てすぐ。前にも行ったことがあるけど、今回は雨が小康状態だったので、中をゆっくり歩いてみた。桜が道に散りしきっている。牧場の端の方にある「松方別邸」も遠望することができる。まだ松方家が使っているとのことで非公開。場所は千本松農場にある地図をじっくり見るとわかる。裏道もあって裏も見られる。ここはおみやげも豊富、牛乳やヨーグルトもおいしいし、動物とふれあったりスポーツもできるので家族連れで楽しめる好スポット。(1日目の宿にあった「牛乳無料券」で飲んだ牛乳が美味しかったので、ヨーグルトやシュークリームを買って2日目の宿で食べてしまった。まさに無料券を配る目論見通りだけど、美味しかった。)
塩原には乃木神社があり、そこに「乃木別邸」がある。これは洋館ではなく和風である。この家は乃木がヒマな時代に「晴耕雨読」していたところで、地域一帯に乃木将軍の逸話が多い。乃木将軍が行った温泉で有名なのが大丸温泉。乃木温泉というホテルもある。2012年は明治天皇没後100年、つまり乃木「殉死」100年である。乃木希典も振り返られるのだろうか。家の前に池があり、これは戦後出来た池だが、夫人の名を取って静池という。池越しに別荘を望むと少し見える。別荘の周りは自然に囲まれた林になっていて、気持ちいい散歩コース。
乃木別邸から少し行くと、大山巌の開いた大山農場があったところで「大山別邸」がある。大山は長く陸軍に君臨し元老となった人物。今は「那須拓陽高校」の農場となっていて、別邸は公開されていないので道に案内がない。だから探すのに苦労したが、「大山農場」がヒントになって見つけることができた。ただし高校の管理下にあることを踏まえて連絡をすれば外観は見学可能。
塩原から矢板に入ると、長州閥の親玉で首相も務めた山縣有朋の農場があったところ。山縣は目黒の椿山荘を初め庭園を残した人でもある。小田原にあって関東大震災で倒壊後に移築された「山縣別邸」がここにあり、山縣有朋記念館になっている。写真の左側洋館が有朋時代も建造で、右は後で作られたもの。
(左が大山別邸、右が山縣別邸)
今回は最初の日を除いて雨。本当は「那須平成の森」に行ってみたかった。(施設自体には見に行ってみたけれど。)「那須平成の森」というのは、2011年5月にオープンしたばかりだから、まだ知らない人が多いと思う。那須御用邸の一部が環境省に移管されて自然と親しめるふれあいの場として開設された自然公園である。誰でも歩けるゾーンもあるけど、予約してインタープリターと行く3時間の「ガイドツァー」でしか行けないゾーンもある。そういう新しい発想の自然と親しむ場所として、是非一度行ってみたかった。ただ、今回は予約満杯で、ガイドツァーはもともとダメだったんだけど。
温泉は昨年はなかなか新しいところへ行けず、今まで行った数が360台で停滞中。関東の温泉地でまだ行ってない数少ない一つが那須と塩原の間にある、板室(いたむろ)温泉。(栃木県の一番北の方。)「国民保養温泉」に指定されている「湯治場の雰囲気を残す」温泉である。泉質は無色透明のアルカリ泉で、肌がスベスベになる。宿泊はどこにしようかと迷ったんだけど、「勝風館」にしたのは「ムアツフトンの宿」だからである。昭和西川のムアツフトン、これは慣れると止められない。今までにもムアツで泊まった宿があるけど、是非多くの宿でも取り入れて欲しい。この宿は実におばあちゃんの長逗留の多いようでびっくり。きっと効能がいいからに違いない。1泊7500円。2~5泊6555円。6~9泊6430円。10泊以上6135円。(2人以上の場合。一人だと1050円増し。)という値段設定を見よ。食事は家庭料理で特別豪華なものはないし、トイレも共同だけど、親切な感じで好感の持てる旅館だった。板室温泉は、宿泊客に限り他の旅館の風呂にも入れる企画をやっているのもいい。(ただし、全部の宿ではない。16時までと言う所もあるので、早めに着いた方がいい。)僕は「加登屋旅館」の湯へ行ってみた。掛け流しの湯をひとり占め。(別館の方。古いムードの木造で有名な「本館」はやっていない。)
(前が勝風館と風呂。最後が加登屋の風呂。)
「休暇村那須」には、那須湯本温泉を過ぎて、ロープウェイ乗り場をめざしてどんどん車で登って行く。1230mの別天地というけど、まだ雪が端の方に積みあがってる。雨というより霧がたちこめ、視界が全く聞かない。宿に入ってからは風も強くなる。食事はバイキングだけど、いろいろのものがあって値段の倍くらい食べた感じ。お風呂は前に行ったことがある大丸温泉の湯で、循環だったけど大きいからやむを得ないのだろう。今回は宿と温泉に関しては、コストパフォーマンスとして満足、満足。
さて、雨で山歩きがダメだから、今回は那須野が原の歴史中心に回ることにした。那須・塩原方面のガイドブックに出ていない歴史ツァーである。那須連山のふもとの「那須野が原」は、水資源に乏しい扇状地で、明治になって「那須疎水」ができるまで開発が進まなかった。しかし、それは中世以後の話で、古墳時代までさかのぼると、関東と奥州を結ぶ地帯として古墳が多く作られ栄えた。それを証明するのが国宝「那須国造碑」(なすの・くにのみやつこの・ひ)である。現在大田原市の笠石神社にある。近くに「なす風土記の丘資料館(湯津上館)」が作られ、レプリカが展示されている。資料館のほぼ真ん前に「下侍塚古墳」(しもさむらいづか=前方後方墳)がある。この地域には国指定史跡が集中しているが、これもその一つ。そして日本の考古学史上、初の本格的な学術調査の行われた場所として有名なところである。時は元禄の世、1692年のこと。何と水戸光圀公こそが、その調査のプロデューサーだった。さらに車を走らせると、「那須郡衙(ぐんが)遺跡」が発掘された近くに、「風土記の丘資料館(小川館)」がある。共通券なので両方行くべし。那須と言ってもずいぶん茨城に近い方で、ここらまで那須野。
(国造費解説、湯津上資料館、下侍塚古墳)
という古代探訪から、今度は一気に近代へ。この地域には「三島」「青木」といった地名が残っている。那須疎水完成後、政府は那須野を払い下げ、競ったように明治の元勲がこの地域の開拓に乗り出したのである。三島通庸、青木周蔵、大山巌、山縣有朋、松方正義らである。知ってるかな。最後の二人が総理経験者。どちらかというと歴史の悪役みたいな人も多いけど。このうち、自由民権の弾圧知事として有名な三島の別邸は焼けて、跡地が那須野博物館になっている。(栃木県令の三島が払い下げを受けるのもどうかと思うが。)それ以外の人の別邸は残っている。またここらは乃木将軍の別荘があった場所としても知られている。那須野に残る近代史跡の素晴らしさはもっと多くの人に知られて欲しい。
建物で一番素晴らしいのは、内部まで公開されている「青木別邸」である。これは外相や駐英公使として条約改正に務めた青木周蔵の建てた洋館で、とても美しい。今は道の駅「明治の森・黒磯」として整備されていて、レストランや物産館もある。国指定重文で、夫人がドイツ人だったからか本格的洋館として見所が多い。ここは前に見たので今回はパスして、ジェラートを食べただけ。
今も発展しているところと言えば、薩摩出身の総理大臣(というより大蔵卿時代の「松方デフレ」で有名な)松方正義の開いた松方農場で、これが今の「千本松牧場」である。西那須野塩原インターを出てすぐ。前にも行ったことがあるけど、今回は雨が小康状態だったので、中をゆっくり歩いてみた。桜が道に散りしきっている。牧場の端の方にある「松方別邸」も遠望することができる。まだ松方家が使っているとのことで非公開。場所は千本松農場にある地図をじっくり見るとわかる。裏道もあって裏も見られる。ここはおみやげも豊富、牛乳やヨーグルトもおいしいし、動物とふれあったりスポーツもできるので家族連れで楽しめる好スポット。(1日目の宿にあった「牛乳無料券」で飲んだ牛乳が美味しかったので、ヨーグルトやシュークリームを買って2日目の宿で食べてしまった。まさに無料券を配る目論見通りだけど、美味しかった。)
塩原には乃木神社があり、そこに「乃木別邸」がある。これは洋館ではなく和風である。この家は乃木がヒマな時代に「晴耕雨読」していたところで、地域一帯に乃木将軍の逸話が多い。乃木将軍が行った温泉で有名なのが大丸温泉。乃木温泉というホテルもある。2012年は明治天皇没後100年、つまり乃木「殉死」100年である。乃木希典も振り返られるのだろうか。家の前に池があり、これは戦後出来た池だが、夫人の名を取って静池という。池越しに別荘を望むと少し見える。別荘の周りは自然に囲まれた林になっていて、気持ちいい散歩コース。
乃木別邸から少し行くと、大山巌の開いた大山農場があったところで「大山別邸」がある。大山は長く陸軍に君臨し元老となった人物。今は「那須拓陽高校」の農場となっていて、別邸は公開されていないので道に案内がない。だから探すのに苦労したが、「大山農場」がヒントになって見つけることができた。ただし高校の管理下にあることを踏まえて連絡をすれば外観は見学可能。
塩原から矢板に入ると、長州閥の親玉で首相も務めた山縣有朋の農場があったところ。山縣は目黒の椿山荘を初め庭園を残した人でもある。小田原にあって関東大震災で倒壊後に移築された「山縣別邸」がここにあり、山縣有朋記念館になっている。写真の左側洋館が有朋時代も建造で、右は後で作られたもの。
(左が大山別邸、右が山縣別邸)