論点が多いのでなかなか進まないけど、部活論はもう少し続ける。まずは、日本の部活動のあり方そのものの問題。あるいは学校や企業全体というべきかもしれないが。日本では、本来は好きでやってる課外活動なのに、「部活動」というよりも「部活道」になってはいないか。体罰や勝利至上主義も、嫌なこと辛いことでもガマンして「道を究める」ような活動だからじゃないだろうか。日本の学校で、「学年途中で部活を変える」ことはまずない。「進路にマイナスになる」と教師も止めるのではないか。部活が嫌になったら(あるいは怪我したら)「辞める」しかない。
このような「部活道」は企業も理解し評価している。高卒や大卒の就職では、特に運動部をずっと続けたことが評価される。企業は「体力があって、つらくてもガマンして、とにかく長く続ける」社員を求めている。まあ簡単に言っちゃえば、おとなしくサービス残業をしてくれる人を求めている。将来のトップ候補のようなエリートは別にして、「自ら考える力」なんか一般社員に求めてないだろう。そういう企業風土が変わらない限り、学校の授業も部活も変わらない。
僕は「部活道」を「部活・動」に変えていくのが今後の学校の仕事だと思う。この「動」にはいろんな意味が含まれている。一つは、部活の中身が一年中同じでいいのかということだ。日本も南北東西でかなり気候が違うから、一年中野球やサッカーをやってる方が本来不思議だ。夏は校庭で野球、冬は体育館でバレーボール。例えば、そういう風に変わる方が自然なんじゃないだろうか。試合もそれに応じて日程を変える必要があるが、「夏のスポーツ」「冬のスポーツ」を分けることも考えられる。
また、卓球やバドミントンなどは合同で基礎練習をし、顧問も複数が担当するという部活合同も考えられる。部の活動内容も、運動部と文化部をまたいでもいいだろう。月曜日は体育館で卓球、水曜日は調理室で料理を作る、金曜日は視聴覚室でDVDを見る…と言った「なんでも部」はダメだろうか。生徒も一つの部に限らず、複数に所属したり、時々部分的に他部に参加するというのはダメか。本格的な選手育成を地域に移管すれば、学校はむしろ生徒の親睦を中心にした部活になっていける。
さらに、学校の外部で活動する部活動がもっと盛んになると思う。中学では地元の清掃活動、商店街等での社会体験、地元の伝統芸能などに参加する。それを「部活動」として認定していく。単に一時的な「職場体験」「ボランティア体験」ではなく、もっと日常的な活動にするため、外部の協力を求めながら新しい部活動として推進していく。高校では特に職業高校を中心に、勉強と地元産業を連携させた「起業部」のような活動が考えられる。
こうして考えていくと、「課外活動」とは何だろうかという問題にもなってくる。学校の教員は基本的には授業が本職である。英語や数学が悩みの種だった人は多いだろうが、教えている教師が学校にいるんだから、本来は塾や予備校に行く前に、教師に質問に行ったり、学校で補習を行う方が大切だろう。英語や数学の教員も当然、部活顧問になっている。今まで僕も英語や数学の先生が、熱心にサッカーやテニスを指導している姿を見ている。でも数学なんか、普通の学部じゃ免許も取れない。スポーツの方が好きなら体育系に行ってもいいわけだが、あえて数学教師になるんだから、やっぱり数学を教える方が得意なんだろうと思う。
そうなると、社会全体の人材配置という観点からすると、例えばテニスを指導できる人材は地域にいると思うけど、数学教師には数学の補習を担当してもらう方が良くはないだろうか。なんかそんな気もしてくる。僕はこれからの学校でもっと必要になるのは、「勉強系部活」じゃないかと思う。部活は運動部や文化部に分けるのが普通だ。ボランティアや勉強系は文化部に入れてしまうだろうが、本来は別に考えた方がいいんじゃないか。
今後は特に英語がさらに重要視される。もうそれは間違いないので、あれこれ言ってもまずは英語の諸能力を高める工夫が必要だ。日常的には英語の検定の勉強をしながら、時々地域の外国人との交流活動、地域の飲食店の英語メニュー作成、観光客の案内などもやる、文化祭では英語劇を上演する。そんな「英語部」は大人気になるのではないか。同じように「漢字検定部」「科学研究部」「郷土史研究部」など、学校にはそんな部活も必要じゃないか。生徒のニーズはあるだろう。それは教員が担当するしかないし、やりがいもあるんじゃないか。
このような「部活道」は企業も理解し評価している。高卒や大卒の就職では、特に運動部をずっと続けたことが評価される。企業は「体力があって、つらくてもガマンして、とにかく長く続ける」社員を求めている。まあ簡単に言っちゃえば、おとなしくサービス残業をしてくれる人を求めている。将来のトップ候補のようなエリートは別にして、「自ら考える力」なんか一般社員に求めてないだろう。そういう企業風土が変わらない限り、学校の授業も部活も変わらない。
僕は「部活道」を「部活・動」に変えていくのが今後の学校の仕事だと思う。この「動」にはいろんな意味が含まれている。一つは、部活の中身が一年中同じでいいのかということだ。日本も南北東西でかなり気候が違うから、一年中野球やサッカーをやってる方が本来不思議だ。夏は校庭で野球、冬は体育館でバレーボール。例えば、そういう風に変わる方が自然なんじゃないだろうか。試合もそれに応じて日程を変える必要があるが、「夏のスポーツ」「冬のスポーツ」を分けることも考えられる。
また、卓球やバドミントンなどは合同で基礎練習をし、顧問も複数が担当するという部活合同も考えられる。部の活動内容も、運動部と文化部をまたいでもいいだろう。月曜日は体育館で卓球、水曜日は調理室で料理を作る、金曜日は視聴覚室でDVDを見る…と言った「なんでも部」はダメだろうか。生徒も一つの部に限らず、複数に所属したり、時々部分的に他部に参加するというのはダメか。本格的な選手育成を地域に移管すれば、学校はむしろ生徒の親睦を中心にした部活になっていける。
さらに、学校の外部で活動する部活動がもっと盛んになると思う。中学では地元の清掃活動、商店街等での社会体験、地元の伝統芸能などに参加する。それを「部活動」として認定していく。単に一時的な「職場体験」「ボランティア体験」ではなく、もっと日常的な活動にするため、外部の協力を求めながら新しい部活動として推進していく。高校では特に職業高校を中心に、勉強と地元産業を連携させた「起業部」のような活動が考えられる。
こうして考えていくと、「課外活動」とは何だろうかという問題にもなってくる。学校の教員は基本的には授業が本職である。英語や数学が悩みの種だった人は多いだろうが、教えている教師が学校にいるんだから、本来は塾や予備校に行く前に、教師に質問に行ったり、学校で補習を行う方が大切だろう。英語や数学の教員も当然、部活顧問になっている。今まで僕も英語や数学の先生が、熱心にサッカーやテニスを指導している姿を見ている。でも数学なんか、普通の学部じゃ免許も取れない。スポーツの方が好きなら体育系に行ってもいいわけだが、あえて数学教師になるんだから、やっぱり数学を教える方が得意なんだろうと思う。
そうなると、社会全体の人材配置という観点からすると、例えばテニスを指導できる人材は地域にいると思うけど、数学教師には数学の補習を担当してもらう方が良くはないだろうか。なんかそんな気もしてくる。僕はこれからの学校でもっと必要になるのは、「勉強系部活」じゃないかと思う。部活は運動部や文化部に分けるのが普通だ。ボランティアや勉強系は文化部に入れてしまうだろうが、本来は別に考えた方がいいんじゃないか。
今後は特に英語がさらに重要視される。もうそれは間違いないので、あれこれ言ってもまずは英語の諸能力を高める工夫が必要だ。日常的には英語の検定の勉強をしながら、時々地域の外国人との交流活動、地域の飲食店の英語メニュー作成、観光客の案内などもやる、文化祭では英語劇を上演する。そんな「英語部」は大人気になるのではないか。同じように「漢字検定部」「科学研究部」「郷土史研究部」など、学校にはそんな部活も必要じゃないか。生徒のニーズはあるだろう。それは教員が担当するしかないし、やりがいもあるんじゃないか。