尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『ゆきてかへらぬ』、中原中也「愛の伝説」を描く傑作

2025年02月23日 21時45分52秒 | 映画 (新作日本映画)

 田中陽造の脚本を根岸吉太郎が監督した『ゆきてかへらぬ』が公開された。名脚本を名監督が見事なキャストで映像化した傑作だが、内容的に少し解説がいるかもしれない。脚本はもう40年ぐらい前に出来ていたが、なかなか映画化が実現しなかったという。田中陽造は『ツィゴイネルワイゼン』や『セーラー服と機関銃』などの名作を書いた脚本家で、根岸監督の前作『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』(2009)もこの人。太宰治をモデルにした傑作だったが、今回は中原中也小林秀雄を扱う。というか、この二人と関係があった長谷川泰子が事実上の主人公。文学史に名高い「愛の伝説」を香り高く描いて感銘深い。

 根岸監督としても『ヴィヨンの妻』以来16年ぶりの新作だが、全く衰えを見せていない。『ヴィヨンの妻』は太宰治を浅野忠信が演じたが、心に残るのは妻役の松たか子だろう。今回の『ゆきてかへらぬ』も中原中也木戸大聖)や小林秀雄岡田将生)が名演しているが、やはり心に残り続けるのは広瀬すず演じる長谷川泰子だろう。結局は売れない女優で終わって文学史の片隅に残るだけの女性だが、時代を精一杯生き抜く様がまさにこんな感じだったかなと思わせる。他にも何人か出ているわけだが、圧倒的にこの3人(小林が登場する前は2人)が出ずっぱりで頑張っていて見ごたえがあるシーンが連続する。

(左から中原中也、長谷川泰子、小林秀雄)

 京都で出会った中也(17歳)と泰子(20歳)は同棲するに至るが、中也がローラースケートで登場し二人で興じるシーンがある。実際に中也は好きだったらしい。また東京に出てきて小林秀雄を含めて会うようになると、3人で遊園地に行きメリーゴーランドに乗る素晴らしいシーンがある。その後、ダンスに行き、泰子は見事に楽しんでいる。中也は一緒に踊り始め、小林は二人を見ている(その後少し加わる)。3人でボートに乗るシーンも素晴らしい。映像的に見事なだけでなく、この3人の関係、心の動きを象徴するような美しくて怖いシーンである。事実を基にしているので、展開は知っているがハラハラして見てしまう。

(ローラースケートに興じる)

 この3人の関係は昔から有名だった。特に70年代には、「知られざる詩人」中原中也(1907~1937)の評価が完全に定着し、また小林秀雄(1902~1983)が文芸批評界の頂点に君臨していた。その二人が若き時代に長谷川泰子(1904~1993)という女性をめぐって「三角関係」にあったという事実は、非常に興味深い近代文学史の謎だったわけである。ところで、今書いた没年を見れば判るように、3人の中で最も長命だったのは長谷川泰子なのである。どんな後半生を送っていたのかと思うと、1976年に岩佐寿弥監督の記録映画『眠れ蜜』という映画に出演した。70歳を越えて見事な踊りを披露し、ホントに生きてたんだと驚かされた。

(実際の長谷川泰子)

 中原中也は1937年に30歳で亡くなり、その時点では第一詩集『山羊の歌』しか刊行されてない。詩人仲間には知られていたが一般的知名度はなかった。その当時の仲間だった大岡昇平が戦後に全集や評伝を書き、次第に知られていった。有名な「汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れつちまつた悲しみに/今日も風さへ吹きすぎる」という詩があるが、僕には70年代の荒涼とした心象風景をうたう現代詩に思えた。高校時代から好きで大きな影響を受けた詩人だ。一方の小林秀雄も『ドストエフスキーの生活』や『モオツアルト』などを読んで、よく判らなぬながら断定的な魅惑される文体に影響された。

(中原中也)(若き小林秀雄)

 この3人がどんな会話をしていたか実際には不明なわけだが、田中陽造の脚本は見事に出来ていて名言が多い。中原中也は「売れない詩人」として現実性のない子どものような魅力を振りまいている。長谷川泰子はマキノ映画の大部屋女優だったが、中也の天衣無縫な天才ぶりに魅惑されただろう。東京へ出て小林秀雄と実際に知り合う(京都時代にランボーの詩を小林訳で読み感激していた)と、泰子からすると中也より年長で見守ってくれる小林秀雄に惹かれていくのも納得出来る。中也は自ら「天才の持つ不潔さ」というが、泰子は小林と一緒になると今度は何でも批評できてしまう男が不満に思えてくる。

(小林秀雄の家で)

 その意味では長谷川泰子を頂点にする「二等辺三角形」のような愛の形になり、泰子からするとどちらか一人と暮らすというのは精神的に不均衡になってしまうのだ。まだ小林秀雄も中原中也も何者でもなく、皆独身だった。もちろん当時の感覚からすれば、未婚の男女が一緒に住むのは不道徳なスキャンダルとも言えるが、「文学」にとっては世の評価などどうでも良い。僕にはまさになるべくして結ばれては別れる円環構造を描く「愛の伝説」を見事に造形していたと思う。

(根岸吉太郎監督)

 根岸吉太郎(1950~)は昔から相性の合う監督で、僕の好きな映画が多い。前に国立フィルムセンター(当時)で特集が組まれた時に、同時代に見た映画もほぼ見直して記事を書いた。『「探偵物語」と「俺っちのウェディング」ー根岸吉太郎監督の映画①』『「遠雷」と「ウホッホ探検隊」-根岸吉太郎監督の映画②』『「雪に願うこと」など-根岸吉太郎監督の映画③』で、2016年3月のことだ。特に『遠雷』『雪に願うこと』『サイドカーに犬』『ヴィヨンの妻』などの映画が好きだ。もう作品を撮らないのかと思っていたら、こういう風に新作が現れて嬉しい。しかし観客動員的には苦戦している感じで是非見逃さないように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『敵』、筒井康隆原作、吉田大八監督の大傑作

2025年02月10日 20時19分25秒 | 映画 (新作日本映画)

 吉田大八監督が筒井康隆の原作を映画化した『』。東京国際映画祭東京グランプリ最優秀男優賞長塚京三)、最優秀監督賞の3冠に輝いた作品である。事情があって見るのがちょっと遅れたが、この映画はものすごい傑作である。今どき珍しい白黒映画だが、演出、演技、撮影などの完成度が高く、緊迫した画面に目が離せない。しかし、この映画があまり好きじゃないという人もいると思う。それは原作者筒井康隆の「悪意」あるブラック・ユーモアが合わない人もいるはずだから。だけど、これはかつてなく完成度の高い「知識人映画」で、高齢者にとっては思わず笑ってしまう「悪意」に満ちている。

 主人公は元フランス文学の大学教授、渡辺儀助長塚京三)、77歳。妻はもう20年近く前に亡くなり、都内の古い家で一人暮らしをしている。もちろん大学は退職しているが、今も昔の教え子が雑誌連載を少し依頼してくれる。だから毎日少しずつパソコンでエッセイを書いている。専門はラシーヌとかモリエールとかの何百年も前のフランス演劇。一人暮らしでも生活レベルは落とせず、自分で材料を買い込んで自炊している。やがて年金と資産を食い潰す時が来るだろうが、その時が寿命の終わりと考え、特に健診にも行かない。そして、彼の内的世界には未だ女性が住み続けている。

(瀧内公美と)

 その一人が教え子の鷹司靖子瀧内公美)で、今も時々自宅でディナーを振る舞っている。大学時代は彼女を観劇に誘って食事を奢っていたらしい。性的関係はなかったものの、実は惹かれてきたのか? 今の基準なら問題になりかねない付き合いだったらしい。卒業後は出版社に就職し、昔は時々雑誌に劇評を書かせてくれたが、今はもうそんな雑誌も無くなった。儀助の夢の世界には靖子の面影がひんぱんに現れ危ない会話を楽しむが、自分でも夢と理解しているらしい。

(河合優美と)

 また家の片付けなどに来てくれる男の教え子もいる。雑誌に原稿を依頼してくれる教え子とは、時々バーに飲みに行ったりする。それは「夜間飛行」というサン=テグジュペリにちなんだバーで、最近はオーナーの姪(河合優美)が時々手伝いに来るようになった。彼女は立教大仏文3年で、『赤と黒』も『異邦人』も途中で挫折したというのに、何故か仏文を選んだ。儀助とのフランス文学の会話を楽しんで、今度フランス文学に出て来る料理を作ると約束する。しかし、彼女は学費も滞納していて何か悩みもありそうだ…。と「今を時めく」河合優美とフランス文学を語りあい、つい同情してしまうのだが…。

(黒沢あすか=亡妻と)

 しかし、もちろん彼の人生で一番重要な女性は亡妻(黒沢あすか)である。古い家には時々亡妻が現れるようになり、一緒にパリに連れて行ってくれなかったと責める。時には一緒にお風呂にも入るし、ディナーにも同席する。しかし、儀助は亡妻がいるのは不自然だからこれは夢の世界だと認識したりする。そんな彼の世界に「」が出現する。初めはパソコンに届くスパムメールとして。「敵」が現れたという。「北」から攻めて来ていると言う。マスコミは全く報じないが、どんどん近づいていると言う。何度も何度も「敵」に関するメールが届くので、ある日クリックしてしまうとパソコンは異常になってしまう。

(東京国際映画祭で)

 儀助先生の日々の暮らしを細密に描くリアリズム映画に始まり、やがて彼の夢の世界が画面に出現し、ついには「敵」の襲撃(?)という事態に陥る。日本には知識人を描く映画が少ないが、これは非常に珍しい成功作だと思う。ちょっと前に『春画先生』があったが、あれは素材的にもコメディだった。一方、『』は日本では成功例が少ない「ブラックユーモア」の傑作。市川崑『黒い十人の女』や森田芳光『家族ゲーム』などに匹敵する傑作だと思う。

 吉田大八監督(1963~)は『桐島、部活やめるってよ』(2012)と『紙の月』(2014)という傑作があるが、演出だけ見れば2作を越える傑作ではないか。主演の長塚京三(1945~)は実年齢では79歳で、儀助より少し年長だった。パリに留学していた経験があり、まさにはまり役。去年見直した左幸子監督『遠い一本の道』(1977)に「新人」としてクレジットされていたが、当然若々しくて驚いた。『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』を見たばかりだが、あれは女性2人による「死をめぐる対話」だった。この『』は一人暮らし男性老人の妄想的な死との戯れである。どっちも高齢者映画の傑作だが、若い人もぜひ見て欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『雪の花ーともに在りてー』と天然痘の話

2025年02月03日 21時46分03秒 | 映画 (新作日本映画)

 末廣亭に行った後、金曜日は新宿で『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』を見に行ったけど、土曜日に体調を壊した。咳ものどの痛みもないが、吐き気がする。お腹に来るタイプの風邪か。風邪気味のときに昔よく目が赤くなっていた。自分で「風邪目」と呼んでいたが、今回も赤かったから風邪だと思う。日曜もダウンで、ようやく少し良くなってきた。しかし、今日はまあ簡単に書けるテーマで書いておきたい。

 映画『雪の花ーともに在りてー』は松坂桃李芳根京子役所広司出演で、けっこう宣伝もしていたのに第1週の興収ベストテンに入らなかった。僕が見たのは一週間ほど前だが、確かにあまり流行っている感じじゃなかった。僕もまあ大傑作だから是非見逃すなと思ってるわけじゃない。小泉堯史監督は丁寧で良心的な作風で知られた人で、演出にケレンがある人じゃない。「史実」の映画化という意味でも、どうなるどうなると固唾を呑んで見守ることはなく、静かに感動を見守ることになる。

 この映画は日本に種痘(しゅとう)を広めようとした人々を描いている。特に福井藩の笠原良策が取り上げられていて、藩内に根強い種痘反対派の妨害があった中、藩主松平春嶽の支持を得て次第に広まっていく様が丁寧に描かれている。美しい景色、良心的な人々、とても良いんだけど、まあ「想定内」という映画ではある。松平春嶽(慶永、1828~1890)は幕末四賢公と言われた人で、かつて『葉室麟「天翔ける」と松平春嶽』を紹介したことがある。ちなみに小泉監督は葉室麟の『蜩ノ記』『散り椿』を映画化している。『蜩ノ記』は直木賞受賞作だが、役所広司の名演もあって感動的な作品だった。

(松平春嶽)

 もう一つ触れておきたいのは、ここで扱われている病「天然痘」の恐怖がもう忘れられているんじゃないか。奈良時代に流行した時は、藤原四兄弟が相次いで亡くなったことで知られる。それを描いたのが直木賞作家『沢田瞳子「火定」(かじょう)ー天平の天然痘大流行を描く』で、これは歴史小説ではあるがどんなホラーより怖い小説だった。その天然痘ももう大分前に根絶されている。それはWHOによる長年の根絶作戦の成果で、その作戦を率いた蟻田功氏の訃報を書いたことがある。WHOは今ポリオの根絶を進めていて、『ポリオ、アフリカで根絶ーWHOの成果』で紹介した。そのWHOをトランプ政権は脱退しようとしているが、『中公新書「人類と病」を読むーアメリカは前からWHOを敵視してきた』を読むと、アメリカ政府はずっとWHOを敵視してきた。

(笠原良策)

 映画のモデル、松坂桃李が演じた笠原良策は1809年に生まれて、1880年に亡くなった。明治13年まで生きた人だから、写真が残っている。福井藩の種痘は笠原が推進したが、それは何も日本初ではない。長崎近辺ではすでに実施されたところもあった。しかし、足で運ぶしかない時代に北陸まで「痘苗」(牛痘の苗)を運ぶのが大変で、それを大変な苦労の末に成功させたのである。そして福井だけでなく、金沢や富山にも広めた。種痘は世界初のワクチンで、日本でも1972年頃まで小学校で全員接種が行われていた。僕も受けた記憶がある。しかし、同時に「種痘脳炎」という副反応が一定程度生じることも知られている。種痘で天然痘を撲滅できてが、その影で犠牲になった子どもたちも相当程度いることを忘れてはいけない。

(東京国際映画祭で)

 小泉堯史(1944~)監督は黒澤明に長く師事したことで知られる。黒澤監督没後に、黒澤のシナリオを映画化した『雨あがる』(2000)で監督になった。その後『阿弥陀堂だより』(2002)、『博士の愛した数式』(2006)、『明日への遺言』(2008)、『蜩ノ記』(2014)、『散り椿』(2018)、『』(2022)と作ってきた。まあ『博士の愛した数式』がベストだろう。こういう「良心的作風」の人が数年置きとは言え、ずっと映画を作り続けて来られたのは奇跡だと思う。原作者の吉村昭は数多くの歴史ノンフィクション小説を書いている。あまりにも緻密な作品が多く、歴史系では『桜田門外の変』しか映画化されていない。(相米慎二監督の『魚影の群れ』も吉村昭原作である。)僕の愛読してきた作家だけに長く読み継がれて欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『港に灯がともる』、震災30年の「心の傷」を描く

2025年01月25日 22時15分21秒 | 映画 (新作日本映画)

 阪神淡路大震災30周年の2025年1月17日に、映画『港に灯がともる』が公開された。NHKドラマを基にした『心の傷を癒やすということ』の劇場版映画を手掛けた安達もじり監督が、阪神淡路大震災翌日に神戸市で生まれた在日コリアンを描いた映画である。富田望生(とみた・みう)の初主演映画で、ラストに流れる主題歌「ちょっと話を聞いて」も作詞して歌っている。

 この映画について書こうかどうか、ホント言うとちょっと迷った。見た映画全部を書いてるわけじゃない。エンタメ系の場合、自分が見なくても良いと思っても、他に人には面白いという映画は多いだろう。一方シリアス系の場合、見ていて辛い映画も多い。暴力シーンなど血糊を使っていると知ってるけど、人間関係のもつれとか心の病を扱う場合は見ていて辛い場合がある。

 この映画の主人公「金子灯(かねこ・あかり)」の設定もかなり大変で、過呼吸になってるシーンなど見る側にも伝染してしまいそうだ。同じような悩みを持つ人は無理して頑張って見なくても良いと思う。しかし、この映画は小さな公開なので、知らない人も多いだろう。阪神淡路大震災30年の年に公開された意味もあり、多くの人に知らせる意味もあるから記録しておきたい。

(震災20年目の成人式)

 2015年から映画は始まる。震災の年に生まれた子どもたちも成人式を迎えたのである。金子灯富田望生)も参加するが、家ではもめていて家族写真も撮れない。灯は震災翌日に生まれて、幼い頃から母に「大変だった」とばかり言われ続けて、実は重荷に思い続けてきた。長田区に住む在日コリアンだが、震災で移った過去がある。父は震災直後の長田の大変さ、頑張ってきたことを語るが、それも灯には重い。姉を中心に日本の国籍取得を進めているが、父は反対していて父とは別居の予定である。

(家族写真の思い出)

 灯は工場で働いていたが、次第に「すべてがしんどい」と心の平衡を失っていき、病院へ行く。「うつ」と診断されるが、また別の病院で皆で話し合いをする療法に出会う。少しずつ回復していくが、まだ家族、特に父と向き合うことが出来ない。ようやく面接に行けるまでになるが、履歴書に療養歴を書くと全然受からない。ある小さな建設設計事務所で働けるようになり、そこで長田区の「丸五市場」のリニューアルという仕事に携わる。生まれたばかりの家族写真に出て来た場所はここだったのかと灯は初めて気付く。少しずつ父の心境も理解出来た気がするが、父と話すとやはり一方的に言われて衝突してしまう。

(安達監督と富田望生)

 という風に、「震災」や「民族」を描いた映画かなと思うと、実は「心の病」を描く映画という面が大きい。そして、それが大切なところであり、また見る側もちょっとしんどいところだ。大人は「自分たちが復興を頑張ってきた」ことを次の世代に「伝えていかなくてはいけない」と思いがちだ。しかし、それを重荷を背負わされてきたと感じる人もいるんだなということが理解出来る。それがこの映画のテーマなのかどうか、僕にはちょっと決めがたいが、自分にはそう感じられたのである。

 富田望生は福島県いわき市で、2011年に東日本大震災に遭った。その後東京に移り、2015年の『ソロモンの偽証』のオーディションに合格した。『チアダン』の小太りなメンバー、『SUNNY強い気持ち強い愛』の渡辺直美の若い時期を演じた人である。いつも太っているわけじゃなく、役のために10キロ以上増減するんだという。最近は朝ドラ『なつぞら』『ブギウギ』や日曜ドラマ『だが、情熱はある』の南海キャンディーズしずちゃん役などで思い出す人もいるかと思う。映画初主演は非常にシリアスな役柄になったが、僕は見事に演じていたことに感心した。

 安達もじり監督はNHK大阪放送局のディレクターとして、『まんぷく』『花子とアン』などを手掛けた後、『カムカムエヴリバディ』でチーフ・ディレクターを務めて評価されたという。朝ドラ以外に『心の傷を癒やすということ』(2020)とその劇場版があり、この映画もそこからのつながりで作られた。なお、Wikipediaを見たら、哲学者鷲田清一の子だと出ていた。「もじり」はモディリアーニから取ったという。音楽を世武裕子が担当している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『どうすればよかったか?』、姉が統合失調症になって家族はどうしたか

2024年12月26日 22時02分20秒 | 映画 (新作日本映画)

 評判のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』を見て来た。12月7日の公開後、上映館ポレポレ東中野は連日満員で、いつも事前予約がすぐ埋まってしまう。今週からテアトル新宿などでも上映が始まり、僕はキネカ大森まで行って見て来た。まあ半分ほどという客数だったけど、年末の平日にしては相当多かったというべきだろう。

 この映画は監督の藤野知明(1966~)が20年以上にわたって自分の家族(父、母、姉)を撮影したものを編集した「家族の年代記」、もっとはっきり言えば「家族の失敗の記録」である。父も母も医学部を出て研究者をしていたという人で、姉も医学部を志し4年掛かって入学した。そして勉強に励んでいた時、精神的な失調が現れた。それは「統合失調症」、当時は「精神分裂病」と言われた症状に思えたが、当然医者である両親はすぐに病院に連れていくと思いきや、そうではなかった。しばらくして父の教え子がやっているという精神科を受診したが、問題ないと言われたとして即日連れ帰ってきたのである。

 それが80年代初めのことで、以後姉は自宅の部屋に閉じこもることが多くなった。姉は1958年生まれで姉弟の年齢差が大きく、弟の知明は親の対応がおかしいと思いながら、直接介入できないまま時間が経っていった。90年代初めに「録音」した姉の音声が冒頭で流れるが、大声で意味不明のことを怒鳴っている印象である。何も出来ない弟は家を出て関東地方で就職した。(北海道の話で、監督は北大農学部を7年掛けて卒業した。)そして1995年になって前から勉強したかった日本映画学校に入学した。そして、将来家族の対応を検証しようと思いつつ、映像の練習みたいに取り繕って撮り始めたのが映画の素材なのである。

(母と姉)

 ということで成り立った映画なので、普通の観点から言えば映像的には物足りない。一般的には劇映画であれ、記録映画であれ、ニュース的なケースを除き「映像に凝る」ものだ。でもこの映画は、家族のスナップ写真を撮るように特にピントや露出にこだわらずに撮り続けている。だけど、この家族はどうなるんだろうという関心のもと、非常に強い緊迫感がみなぎっている。身もふたもない題名が付いているけど、観客が考えるのもまさにそのことなのである。そしてどうなったかは今後見る人のために書かないことにする。しかし、医学研究者である両親のもとでまるで「私宅監置」みたいなことが21世紀にも起こっていたのは衝撃である。

 映画後半になって、監督は母に何故と問うと「パパの壁」と答えている。父親が病院に連れて行かないという決断をして、姉を病院に入れると「パパは死ぬ」とまで言う。一方で父に問う場面があるが、「ママが病気を恥ずかしく思った」と答えている。日本では精神病院で人権侵害的なことが起きてきた。それを心配して家に留めたというわけでもないようだ。どう考えれば良いのか、僕にはさっぱり判らない。一般論的としては、できるだけ早く精神科病院を受診するべきだったと思う。しかし、外交の「内政不干渉」のように、他の家庭の判断にも「他家庭不干渉」ということになりやすい。

(映画のラストで父に問う)

 もう一つ、両親はどんどん老いていく。姉も還暦を迎えた場面が出て来る。病気や障害を抱えた子どもを持つ家庭は、「親が死んだらどうなるか」という大問題を抱えている。この家庭の場合、弟がいたので結局親の介護も含めて北海道に戻ったようである。しかし、そういう条件がない家も多いだろう。やはりしっかりと受診して「障害者手帳」も取得し、地域の社会保障システムにつなげるしかないんじゃないか。自分がいつ死んでも大丈夫なように公的な対応を考えるべきだ。この家庭は経済的には問題なかったらしいが、本当に「どうすればよかったか」。普通の意味での映画鑑賞とは違うが、重い映画体験だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『小学校~それは小さな社会~』ー東京の公立小学校から見えるもの

2024年12月19日 21時57分51秒 | 映画 (新作日本映画)

 山崎エマ監督『小学校~それは小さな社会~』という映画が評判になっている。まだ東京の一部映画館などに上映が限られているが、これから各地で上映が進んで行く予定である。この映画は東京都世田谷区の公立小学校に密着取材して、「日本の初等教育」を見つめた映画だ。700時間の撮影を行い、監督自身は4000時間も現場の学校に滞在したという。そこから99分の映画に凝縮したわけだが、その結果感動的で興味深い子どもたちの様子が見えてくる。また2021年度という「コロナ禍の学校」、先生たちが毎朝消毒し、子どもたちは「黙食」し、宿泊行事が中止になるという苦難を永遠に記憶する映画にもなった。

 山崎エマ監督は、イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、大阪の公立小学校を卒業した。その後、中高はインターナショナル・スクールに通って、アメリカの大学へ進学した。ニューヨークに暮らしながら彼女は、自身の“強み”はすべて、公立小学校時代に学んだ“責任感”や“勤勉さ”などに由来していることに気づいたという。そこで公立小学校を長期取材しようと試み、世田谷区の学校で可能になった。小学1年生を撮影するために、事前に入学前から子どもたちや家族を取材している。その結果、「入学式から卒業式まで」、桜に始まり雪で終わる「日本の四季」を背景にした日本の教育を「物語」として見事に編集している。実に見事で、面白くて、考えさせられることが多い。「映画」「教育」という枠を越えて多くの人に見て欲しい。

 この映画の特徴は「特活」を日本の教育の特徴としてとらえていることだ。ホームページには「本作には、掃除や給食の配膳などを子どもたち自身が行う日本式教育「TOKKATSU(特活)」──いま、海外で注目が高まっている──の様子もふんだんに収められている。日本人である私たちが当たり前にやっていることも、海外から見ると驚きでいっぱいなのだ」とある。掃除や給食もあるけれど、それ以上に「行事」や「児童会活動」が取り上げられている。例えば「放送委員」の活動。まるで一組の男女児童が毎日やってるように見えるけど、実は毎日違った5組の児童が担当しているという。全員撮ったけど、結果的にある一組だけになったのは、運動会の縄跳びが不得意な子どもがどうなるかという「絵になる」シーンが撮れたからである。

 特活というのは「特別活動」の略で、小学校学習指導要領では「学級活動」「児童会活動」「クラブ活動」「学校行事」に分れている。中高ではクラブ活動がなく、残りの3つだけ。(「学級活動」は高校では「ホームルーム活動」、「児童会活動」は中高では「生徒会活動」。)ちなみに「学校行事」は「儀式的行事」「文化的行事」「健康安全・体育的行事」「遠足・集団宿泊的行事」「勤労生産・奉仕的行事」に分れている。清掃や給食当番は「学級活動」の中に明記されている。学校で掃除をするのは、何も「日本人の勤勉さ」「日本文化の特色」ではなく、法的拘束力がある指導要領に書かれているからである。

 僕も特別活動は非常に大切だと思って教師時代に仕事をしていた。僕の場合、自分の関心と経験から「旅行行事」を担当することが多く、自分でも面白かった。映画を見てれば判るが、行事の面白さは子どもたちの日常とは違った顔を見られるところにある。思った以上の頑張りや思いやり、連帯感などが発露され、教師も感動する瞬間があるのである。この映画を見て、「教師の大変さ」だけでなく「教師の魅力」も感じ取って欲しいと思う。しかし、この映画には出て来ない部分もある。

 僕は最後に夜間定時制高校や三部制高校に勤務して、「特活」以前に「学校に来て授業を受ける」ことの重大性を痛感した。やはり学校の中心は「授業」であり、「進路」なのである。公立小の生徒はかつてはほとんどが地域の中学に進学するものだった。しかし、都立中高一貫校設置以後、公私の中高一貫校を受験する小学生が多くなった。世田谷区は地域的にも私立学校が多く、かなりの児童が私立受験をするんじゃないかと思う。しかし、6年生を撮影しながら「進路活動」が全く出て来ない。日本人観客からすれば、むしろ進路をめぐって葛藤する様子こそ知りたいことなんじゃないか。

(山崎エマ監督)

 また小学校教育としては、2020年から英語が必修教科となったという大変化があった。学校として英語にどのように取り組むか、試行錯誤していたはずである。もちろん小学1年生にはまだ関係ないけれど、6年生にとっては非常に大きな問題だろう。その問題も全く出て来ない。もちろん映画は作る側が自由に課題を設定して編集するわけだが、あえて描かなかった面がたくさんあることも忘れてはいけない。そして中学や高校になると、果たしてこういう取材を受けてくれる学校が見つかるか。中高教員からすれば、小学校がうらやましい感じもするんじゃないか。それはともかく自分は私立に行ってたのに「公立学校はおかしい」などと平気で語る政治家にこそ、この映画を見て欲しいものだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『雨の中の慾情』、つげ義春の大胆映画化に驚き

2024年11月30日 21時54分03秒 | 映画 (新作日本映画)

 片山慎三監督『雨の中の慾情』を公開初日に見に行った。公開直後に見ることは少ないが、まあ時間がちょうど良かったのと、そう大ヒットしそうもないから1週目に見ておく方が良いかという判断もある。見る前に、この映画に関する情報はほとんどなかった。普通ならチラシを見れば大体予想できるけど、この映画のチラシには主演者しか書いてない。東京国際映画祭で上映され、つげ義春原作だと出ていたが、ほとんどそれだけ。片山監督は『岬の兄妹』や『さがす』を作った人。『さがす』は2022年のキネ旬ベストテンで7位に入ったが、どこか「過剰」な描写が気になってここには書かなかった。

 つげ義春原作の映画はかなりあるが、竹中直人監督『無能の人』(大傑作!)を除けば、短編をオムニバス的に映像化したものが多い。最近石井輝男監督の『ねじ式』を再見したが、それもいくつかの短編が基になっていた。同じ石井監督『ゲンセンカン主人』は最初からオムニバス映画として作られている。今回の『雨の中の慾情』も同様で、1950年代に書かれた初期作品幾つかを組み合わせている。ただし、それで終わらずに、イメージがどんどん暴走していき、時間の迷宮に入り込む。場所も年代も判らぬ幾つものイメージが重なり合いながら、作者を思わせる義男成田凌)と福子中村映里子)の関係が変奏されていく。

(左から福子、義男、伊守)

 映画館の紹介では「貧しい北町に住む売れない漫画家・義男。アパート経営の他に怪しい商売をしているらしい大家の尾弥次から自称小説家の伊守とともに引っ越しの手伝いに駆り出され、離婚したばかりの福子と出会う。艶めかしい魅力をたたえた福子に心奪われた義男だが、どうやら福子にはすでに付き合っている人がいるらしい。伊守は自作の小説を掲載するため、怪しげな出版社員とともに富める南町で流行っているPR誌を真似て北町のPR誌を企画する。その広告営業を手伝わされる義男。ほどなく、福子と伊守が義男の家に転がり込んできて、義男は福子への潰えぬ想いを抱えたたま、三人の奇妙な共同生活が始まる……。」

(PR誌の営業)

 冒頭が『雨の中の慾情』のシーンで、すぐに売れない漫画家義男の現実になる。その後伊守森田剛)とともに、『池袋百店会』が基になったPR誌のエピソード。だが、どうも変なのである。「北町」と「南町」の間には検問所があるという。町は「分断」されているらしい。そして三人の共同生活になるが、実はこれで話の半分にもならない。怪しい病院で子どもの「脳髄」から液を取り出し、薬として南町に売りに行く。検問を越え、初めて海を見る。そこでは中国語が支配言語になっている。何だか全然判らないけど、今度は突然戦闘シーンになる。負傷した義男は慰安婦(福子)から貰った毛を握りしめている。

(「南」で海を見る)

 全編に漂う不思議ムードは、この映画が台湾でロケ撮影されたことにもよる(台湾との合作)。南国風の「空気感」があって、突然時間が逆転してもおかしくない気がしてしまう。慰安所や野戦病院も出て来るのはどうなのかと思うが、つげと関係が深かった水木しげるの世界にワープしたような印象。時間が132分と長く、時空を飛び越えたイメージの連鎖が少しやりすぎというか、やはり今回も「過剰」な感じを受ける。そこも含めて、つげ原作映画の中でもとりわけ「変」な映画に仕上がっていて、そこが魅力。(「変」は褒め言葉である。)今年のベストとは思わないけど、妙に忘れがたいイメージが残り続ける。

(片山慎三監督)

 片山慎三監督(1981~)は、ポン・ジュノ監督『母なる証明』や山下淳弘監督『苦役列車』などの助監督を務めたあと、『岬の兄妹』(2019)で監督デビューした。今回の『雨の中の慾情』では福子の中村映里子が素晴らしかった。森田剛や成田凌が惹かれているのも納得。また大家や野戦病院の医師などをやってる竹中直人は、出て来るだけでムードが高まる。ロケは当初金門島でやりたかったというが、結局嘉義市で撮影された。多少茨城県などで撮られたシーンもあるようだが、基本は嘉義ロケ。その懐古的なムードが、つげ作品に似合っている。不思議な「怪作」であり、また「快作」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『八犬伝』(2024)と『里見八犬伝』(1983)、比べてみたら

2024年11月15日 22時33分47秒 | 映画 (新作日本映画)

 真田広之が『将軍』でエミー賞を取ったのを記念して、新文芸坐で「世界の真田広之へ、その軌跡」という特集上映をやっている。日本時代の代表作『たそがれ清兵衛』がないのは残念だし、来年の大河ドラマに関連する『写楽』もやって欲しかった。それはともかく、深作欣二監督『里見八犬伝』(1983)を見てなかったので、この機会に見てみた。角川映画の大作で、1983年末の正月映画だったらしい。まったく記憶にないのだが、就職、結婚した年なので、人生上一番多忙だったのである。

 2024年のいま、曽利文彦監督『八犬伝』という映画もやっている。じゃあ、合わせて見比べて見ようと思った。「八犬伝」なんだから、八犬士が珠を持っているのは同じで、その表現もほぼ同じように光っていた。しかし、感触的には全然違っていて、『八犬伝』は作者である曲亭(滝沢)馬琴が登場して、物語を創作する現実世界と物語内の虚構世界を交互に描き分けている。一方、『里見八犬伝』は虚の世界だけを描いている。しかも内容的には「勧善懲悪」よりも、薬師丸ひろ子と真田広之のラブストーリーになっていくのでビックリした。19歳の薬師丸ひろ子を見たい観客もいるだろうが、新作の『八犬伝』の方が傑作だろう。

 両者が違うのも当然で、原作が別なのである。『里見八犬伝』は鎌田敏夫新・里見八犬伝』、『八犬伝』は山田風太郎八犬伝』である。長大かつ近代以前の物語である曲亭馬琴南総里見八犬伝』は、もう著作権も関係ないので自由に翻案できるわけだ。新作『八犬伝』は、馬琴が役所広司、妻お百が寺島しのぶ、息子宗伯が磯村勇斗、その妻お路が黒木華と一家が豪華キャスト。さらに葛飾北斎が内野聖陽、鶴屋南北が立川談春、中で演じられる歌舞伎を中村獅童尾上右近がやってる。北斎と馬琴は実際に知人だったということだが、こんなにひんぱんに訪ねていたわけじゃないだろう。

(馬琴と北斎)

 南北の『東海道四谷怪談』が評判になって、二人が見に行くシーンがある。その歌舞伎シーンは香川県琴平町にある現存最古の芝居小屋金丸座で撮影され、実際の「奈落」が出て来る。そこに作者の南北が現れ、馬琴と虚実論争を交わすシーンが、実はクライマックスでもある。何が虚で、何が実か。この映画も「虚」に賭けて後半生を「八犬伝」完成に費やした馬琴、失明後は嫁のお路との関わりが一番丹念に描かれている。お路が代筆して完成したことは有名な史実で、僕も見る前から知ってたが、いくらでも熱演できる黒木華の抑えた演技が心に残る。馬琴とその家族を描いたシーンこそ、この映画の見どころだろう。

(八犬士)

 一方、その分「虚」の伝奇物語の方は、あまり有名俳優も出ていない。伏姫が土屋太鳳、玉梓が栗山千明、浜路が河合優美と女優はそれなりなんだけど、肝心の八犬士は僕は知らない人ばかり。だが筋書き自体は原作にほぼ沿っているらしい。僕は原作は現代語訳でも読んでないけど、ネットで調べると妖刀村雨を古河公方に献上しようとして、疑われるシーンなど原作通り。そこの特撮アクションはとても面白く出来ている。だけど、面白くなってきたところで、現実の馬琴の悩みになっちゃうんで、アクション、ファンタジー映画という意味では、中途半端な感じもする。馬琴の「実」生活の方が面白いのである。

(『里見八犬伝』)

 一方、深作欣二監督『里見八犬伝』は一大冒険ファンタジー映画としては面白い。八犬士も千葉真一、寺田農、志穂美悦子、それに最後に加わる真田広之など、豪華な面々。ただし、村雨を献上するとか原作由来のシーンはほとんどない。里見家には静姫薬師丸ひろ子)がいて、ひたすら逃げまくる。つまり黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』みたいな話なのである。まあ玉梓夏木マリ)は悪の統領として出て来て、薬師丸ひろ子と戦う。その城は戦国時代だというのに、中世ヨーロッパの古城かなんかみたい。主題歌が英語のロック調ということもあって、昔のハリウッド製冒険映画っぽい感触である。

 どうも不思議なところの多い映画だったが、実は当時の深作欣二監督の大作映画には似たようなものが多い。ハリウッドを越えると意気込んで、結果的に怪作になったような作品群である。深作監督の大作だから見なかったのかも知れない。そして最後は薬師丸ひろ子、真田広之が手に手を取って馬で去って行く。(薬師丸ひろ子は実際に乗馬していると思う。)大ラブロマンス映画になっちゃって、二人はキスシーンまであるのである。

 『南総里見八犬伝』は1814年から1842年にかけて刊行された。これはフランスでアレクサンドル・デュマが『三銃士』(1844)や『モンテクリスト伯』(1842~1846)を書いたのとほぼ同年代である。「近代文学」以前の「勧善懲悪」文学なのである。ところで、里見家は房総半島に土着の一族ではない。新田氏につらなる源氏の一門だが、安房で戦国大名になった経緯はまだよく判ってないらしい。古河公方、堀越公方に続く第三の関東公方(自称)の「小弓公方」を支持して関東の独自勢力となった。関東は本来「公方」と「管領」という体制で、そっちの方が正統のはず。物語世界で里見氏が勝つと「勧善」なのも不思議だが、300年前の話だから江戸の人々もどうでも良いんだろう。里見家も断絶して、馬琴の時代には大名としては存在しなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『拳と祈り 袴田巌の生涯』、袴田事件を追い続けて

2024年11月12日 20時39分25秒 | 映画 (新作日本映画)

 『拳(けん)と祈り 袴田巌の生涯』というドキュメンタリー映画を見た。ホントはどうしようかなと悩んだんだけど、やっぱり見ようかと思った。見たら非常に「面白い」映画で、見逃さなくて良かった袴田事件については今まで何度も書いてきたから、やはり見ておきたい。だけど、なんで悩んだかというと、すごく長いのである。159分もあって、2時間半を越える。最近長い映画を見ると、途中でトイレに行きたくなるし、腰も痛くなる。もちろん袴田事件が進行中なら支援の意味で見なければならない。でも周知のように、長い再審が終わって無罪が確定したのである。もう見なくても良くないか?

 多分そう思う人も多いかなと思って最初に書いたけど、冤罪事件を扱う「社会派」映画であるだけでなく、「袴田巌」という人間の不思議に迫る人間追求映画だった。映画は再審段階で開示された「録音テープ」を流して、冤罪を作り出す取り調べを告発している。だがそれ以上に袴田さんに密着する映像が多い。それが非常に興味深くて、見ていて退屈しない。「袴田巌」という人物を、我々は名前としては知っている。でも実際に一緒に暮らしているわけではないし、身近に接してきたわけでもない。映画は再審請求が認められ、「著しく正義に反する」として、死刑囚から突然釈放された2014年時点から、ずっと密接取材をしている。

(笠井千晶監督)

 監督の笠井千晶氏は大学卒業後に静岡テレビに入社し、2002年から姉の袴田秀子さんの取材を続けてきた。その後、退社、留学、中京テレビ勤務、フリーになったという経歴だが、その間もずっと取材してきたようだ。特に釈放当日の車に秀子さんや小川秀世弁護士などと同乗している。東京のホテルに泊まった様子も記録されている。袴田巌さんは獄中で「拘禁反応」により心を病んで、一時は姉の面会も拒否する状態だった。釈放直後も能面のように現実と遮断されたような様子をしている。秀子さんの長年の苦労には本当に頭が下がる。90歳前後の日々なのである。(もう一人の姉も出て来る。)

(姉と弟)

 袴田巌さんは結局今に至るも正常に戻っていないが、その間に次第に「冤罪」と語るようになり、「死刑は良くない」と語る。ボクシングのことも語るようになっていく。当初は一日中部屋を歩き回っていたが、その後姉と同居した浜松市で町を歩き回るようになった。健康にための散歩というよりも、もう「巡察」と呼んだ方が良いぐらいである。カトリックでありながら、目につく寺社には賽銭を投げて祈る。小銭を子どもにあげたり、花の根本に置く。パンが大好きで、何個も買い込んだりする。

 実に不思議なんだけど、その合間に再審の進展、事件内容、そして本人の生涯が振り返られる。この過去の写真(国体のボクシングに出た時など)に初めて見るものが多く貴重。特にプロボクサー時代の話が興味深い。当時を覚えている人がまだいて、タフなファイターだったことが語られる。アメリカのボクサーでやはり冤罪に巻き込まれたハリケーン・カーターとの交流は心に残る。先に冤罪を晴らし、その後ガンの闘病を続けたハリケーンは、2014年に袴田さんの釈放の報を聞いてから亡くなった。

(ボクシングを語る)

 袴田事件そのものは、再審無罪判決、検察側の控訴断念、無罪確定によって、1966年の事件発生58年経ってようやく終わった。しかし、袴田巌さんの精神は破壊されたままである。何とか日常生活を送っているものの、やはり「フシギ感」は残っている。それは冤罪そのものにもよるけれど、何と言っても「死刑制度」がもたらしたものだと思う。近くの房にいた死刑囚が執行されるのを知れば、次は自分かと恐怖に駆られるのも当然だ。次に死刑制度も問わないといけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『ゼンブ・オブ・トーキョー』と『侍タイムスリッパー』

2024年10月31日 22時16分15秒 | 映画 (新作日本映画)

 最近はずっと衆議院選挙の話ばかり書いていたが、この間もアメリカや日本の野球中継を見たり、映画を見たりする「日常」があるわけである。最近ようやく涼しくなってきたので、散歩をすることが多く、映画もあまり行ってないが、その中で見たものを。どっちもテーマ性や芸術性でどうこうというわけじゃない。ま、楽しい映画だったかなという感じで紹介する。

 熊切和嘉監督の『ゼンブ・オブ・トーキョー』という映画をやってる。何でも「日向坂46の四期生全員!アイドルデビューから約2年で演技初挑戦の11人がメインキャストとして大抜擢」というアイドル映画だそうだけど、僕には関係ない。熊切監督は『海炭市叙景』『私の男』『658㎞、陽子の旅』など割合とお気に入りの監督だが、それも一応チェックしただけ。東京国際映画祭で『グランド・ブダペスト・ホテル』を見るので、その前に見られる映画を探していて、珍しい「修学旅行映画」を見ようと思ったわけ。

 「部活映画」「文化祭映画」はかなりあるのに、「修学旅行映画」はそう言えばあまり記憶にない。(和泉聖治監督『この胸のときめきを』という京都の修学旅行を描く1988年の映画があったぐらい。)それはそうだろう。ロケが大変だし、時間が限られていて物語を深めるのも大変。文化祭のような「最後の盛り上がり」も作りにくい。だけど、教員時代は一番「旅行行事」に思い入れがあったので、なんか懐かしいのである。もっとも当然「東京修学旅行」は経験してない(東京都の教員なんだから)。東京に行くと、こういうところを巡るのかと興味深かった。浅草、スカイツリーに始まり、諸事情から上野、新宿、渋谷、池袋、下北沢、月島、お台場なんかが出て来る。50年後に「2020年代の東京を記録した貴重な映画」として再発見されるかもしれない。

 班長を務める池園さんが頑張って「東京の全部」を楽しめる緻密な計画を作る。しかし、お昼に予定していた店が満員で長蛇の列。自由昼食にして時間を決めて集合する予定が、皆バラバラに。何これ、マルチバースに迷い込んだのか。実は班長以外のメンバーは、他に行きたいところがあって勝手に自由行動にしてしまったのだ。東京から転校してきてクールぶっていた人、実はアイドルのオーディションを受けに来た人、好きな同級生を追っかけている人…。まあいろいろあって、最後に皆がまた集まるまでを軽快に描くコメディ女子高生映画。「旅行」という行事でお互いに知らなかった姿を見て、一歩成長できるハートウォーミング映画。

 次は『侍タイムスリッパー』。単館上映から始まった独立プロ作品が、面白いと評判になって全国で拡大上映中である。安田淳一監督・脚本、撮影、山口馬木也主演って、誰ですか? 安田監督はビデオ撮影の傍ら自主映画『拳銃と目玉焼』『ごはん』を作った人で、2023年に父が亡くなった後は実家の米作りを継いだ。そして製作したのがこの映画だというのである。脚本が面白いと東映京都撮影所が全面的に協力して作られているので、自主映画的な感じはせず本格的エンタメ映画になっている。で、確かになかなか面白いのである。展開は予想通りなんだけど、それもまた良しというタイプの映画である。

 幕末の京都、会津藩士二人が長州藩士を暗殺する命を受ける。今やまさに斬り合うという瞬間に、雷が落ちるのである。気付いたときには高坂新左衛門は現代の東映撮影所にいた。まあ確かに近い場所にいたかもしれない。そこではテレビ時代劇を撮影していたが、セリフで「江戸」と出て来る。浪人が女に狼藉しようとしていると、高坂は助けに行こうと出ていく。ま、そんなバカなという設定をあれこれ言っても仕方ない。結局周りからは、記憶喪失の変なオジサンと思われて(言葉遣いが昔のままなので、役に成りきったまま記憶を失ったとみなされた)、切られ役専門の俳優として撮影所で生きていくことになっていく。

 そこへある大物俳優が時代劇に復帰することになり、その相手役に高坂を指名してきたのである。なんとまあ、そいうことで後は書かないけれど、あれよあれよの展開でクライマックスに突入する。その大物俳優は冨家ノリマサ、何くれとなく面倒を見てくれる助監督を沙倉ゆうの(下画像)と言われても初めて見る顔ばかり。この沙倉さんは安田監督の前2作でも重要な役で出ているらしい。この助監督役あっての映画で、ウソの話をホントらしくする脚本の妙である。そして「時代劇」とは何か。変革の時代に残すべきものは何かと熱く語られる。なお、幕府滅亡から140年と出ているから、これは2020年代の話ではなく2008年頃の設定らしい。

 修学旅行の映画を探そうとして「修学旅行 映画」と検索したら、「修学旅行 映画村」がいっぱい出て来た。僕も修学旅行で太秦映画村を企画したことがあるが、まさにそこで撮影された映画。テレビドラマや映画のメイキング、映画を作る過程を描く映画という趣もあって、それが一番面白いところかも知れない。どっちの映画も「頑張っていると報われる」という映画でもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイス』、ますます面白い3作目

2024年10月10日 22時18分20秒 | 映画 (新作日本映画)
 阪元裕吾監督・脚本の『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』が公開中。今まで書いてないが、同名の長編シリーズ映画の第3作である。高石あかり伊澤彩織の若い女性2人が何と殺し屋をやってる奇想天外な設定である。まだ28歳の阪元裕吾(1996~)が作っていて、第1作『ベイビーわるきゅーれ』(2021)、第2作『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』(2023)に続く第3作。前2作は小さな上映から始まって評判になったが、まだ自分たちで楽しく作ってます感が強かった。第3作は池松壮亮前田敦子をゲストに迎えるまでになり、娯楽アクション映画として見逃せない出来映えになっている。

 杉本ちさと高石あかり、2002~)と深川まひろ伊澤彩織、1994~)は、シリーズ当初は卒業間近の女子高生だった。しかし、社会に適合できない二人は「殺し屋」という裏の顔を持っていた。「殺し屋協会」に所属して、依頼に応じてプロの手腕で殺しを行う。しかし、この2人は社会性に乏しく、公共料金の振込みとかそういうことが出来ないのである。高石あかりの方が8歳も年下だが、映画では伊澤彩織の方が年下でコミュニケーション障害という設定になっている。だから「ちさと」が対外的に対応するが、伊澤彩織は本業がスタントなので「まひろ」が最終盤にアクションを披露することが多い。
(右=高石、左=伊澤)
 今回は初の「出張」で、宮崎にやってくる。「依頼案件」はさっさと片付けて、宮崎牛を食べたいな。いけない、「まひろ」はちょうど二十歳になるのに、「ちさと」はお祝いを忘れてた。なんてノンビリムードが一変するのが、「依頼」をこなすために宮崎県庁舎に行った時だった。この県庁舎が効果的で、ちょうど日曜で人がいないことになっている。ターゲットを探していくと、別人が殺そうとしていた。それが協会に所属せずフリーで活動する殺し屋、冬村かえで池松壮亮)だった。いつもジャマになる冬村は協会から抹殺指令が出て、協会に所属する地元の入鹿みなみ前田敦子)と七瀬大谷主水)も加わる。みなみはいちいち2人に突っかかり、険悪ムードの中4人はターゲットと冬村を探し回る。
(冬村かえで=池松壮亮)
 この宮崎という設定で、シーガイアなども効果的に出て来る。宮崎県庁舎本館は1932年建設で、国の登録有形文化財に指定されている。観光地としても知られているらしい。あらすじを細かく書く必要はないだろう。ただ冬村は今までで一番の強敵で、4人で当たっているのになかなか倒せない。最後はまひろと一騎打ちになるが、見事なアクションにしびれる。「ちさと」「まひろ」コンビがボソボソとガールズトークするのも、ますます磨きが掛かってきた。ただ単に面白く見られる映画だが、たまにはこういうのも見ないと。人気俳優が客演するだけのシリーズに育って、今後の展開も楽しみだ。
(宮崎県庁舎本館)
 最近公開されたアメリカ映画『ヒットマン』はニセ殺し屋映画だが、その中に日活映画『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(1967)が引用されていてビックリした。同年には『殺しの烙印』(鈴木清順監督)も作られている。日本は伝説的「殺し屋映画」を作ってきた伝統がある。「殺し屋ランキング」とか「殺し屋協会」とか奇想天外な設定が出来るのは、日本には銃が少ないからだろう。日本は世界的に「殺人事件発生率」が非常に低い社会だが、だからこそあり得ない設定を楽しむファンタジーが可能なんだろう。今後もこのシリーズがますますハチャメチャに発展していくことを期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』『ぼくのお日さま』

2024年10月05日 22時11分38秒 | 映画 (新作日本映画)
 最近見た日本映画2作を紹介。『ぼくが生きてる、ふたつの世界』と『ぼくのお日さま』。どっちも題名に「ぼく」が付いてるのは偶然だけど、映画の中身を表わすとも言える。どちらもなかなか良かったが、少し淡彩の佳作。株主優待券を残しても仕方ないから、頑張って2本続けて見てきた。『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、吉沢亮が「コーダ」、つまり「Children of Deaf Adults」、耳の聞こえない親に生まれたこどもを演じている。それが見どころだが、もう一つ僕にとっては呉美保(オ・ミポ)監督)9年ぶりの復帰作ということも大きい。
(『ぼくが生きてる、ふたつの世界』)
 冒頭で父親が漁船に塗装をしている無音の映像が、音が入る世界に変わるのが印象的。これが「ふたつの世界」なのである。続いて、一族郎党が集まって子どものお祝いをしている。祖父(でんでん)がうるさいが、今どきこんなに集まって飲み食いする地域があるのか。母親(忍足亜希子=おしたり・あきこ)と父親(今井彰人)は、二人とも耳が聞こえない。それは事前にそういう話だと知っていたが、両親役の二人はともに「ろう者」の俳優である。子どもが泣いていても親は気づけない。そんな様子を丹念に映しながら、子どもはどんどん大きくなる。場所は宮城県の石巻、時代は20世紀末から21世紀頃と次第にわかってくる。
(父と子は釣りに行く)
 子どものうちは自然に手話を覚えて、周囲にも教えて得意になる。だが次第に「授業参観には来ないで」と言うようになって、中学生になると進路相談に乗れない親を疎ましく思い出す。何で自分だけ「親が違う」んだろうか。そうして、高校を卒業後に東京へ出る道を選ぶ。パチンコ屋で働きながら、やがて採用された編集の仕事。ろう者とのつながりも出来て、「コーダ」という言葉も知る。この映画は五十嵐大という人のエッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』が原作になっている。そのことは知らずに見たのだが、親への反発から親との和解、運命の受容への歩みを自然に描いている。そこには「コーダ」の悩みもあるが、普遍的な青春でもある。そこが感動的。
(大人になった大と母親)
 監督の呉美保(1977~)は『そこにみにて光輝く』(2014)、『きみはいい子』(2015)で注目された。9年ぶりの長編映画だが、出産を経て映画界に復帰したことが嬉しい。前作を見て、いずれ再び映画を作ることをずっと期待していたので。一方『ぼくのお日さま』の監督は、若手の奥山大史(1996~)。『僕はイエス様が嫌い』(2019)でサンセバスチャン映画祭で最優秀新人監督賞を受けた。北海道を舞台に、フィギュアスケートのコーチをしている荒川(池松壮亮)と二人の教え子を描く。さくら(中西希亜良)、タクヤ(越山敬達)のスケートシーンが長いが、当然二人ともフィギュアスケートをやってる。
(『ぼくのお日さま』)
 吃音のタクヤは運動も苦手。アイスホッケーのチームに入っているが、失点を繰り返すゴールキーパー。そんな彼がさくらのフィギュアスケートを見て、憧れるようになる。その様子を見た荒川がタクヤも誘って、二人でアイスダンスをしてはどうかと提案する。タクヤがどんどん上手になるのが、ちょっと不自然だと思うけど、そういう子どもたちの様子を描く映画かと思うと実は違った。その事を書くと、見たときに面白くないので止めておく。そうか、そういう映画だったのかと、美しい映像に魅惑されていたらシビアな現実に突如触れることになる。
(さくらとタクヤ)
 自然光を生かした撮影が素晴らしいが、監督の奥山が脚本、撮影、編集を兼ねている。さくらや荒川の視線をとらえた映像を見て、観客の心の中にドラマが生まれる。そのようなタイプの映画で、ここに書けないのが残念。見ている間は「どこか小さな町」のように感じられるが、札幌周辺のあちこちで撮影してつないでいる。かつて有力な選手だった荒川がなぜ小さな町でコーチをしているのか。それは全く説明されないが、人間は奥が深い。池松壮亮はもちろんフィギュアスケートが出来ないから、相当練習したという。もちろんジャンプなんかしてみせないが、スケート自体はそこそこ不自然さなくやっている。
(カンヌ映画祭で。右端=奥山監督)
 雪に覆われた風景が多いが、夏の映像もある。時間をかけて撮影したことが効果を上げている。海を見下ろす町のシーンは明らかに小樽。小樽を舞台にした忘れがたい映画がまた一本現れた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『Mommy マミー』、和歌山カレー事件に迫る問題作

2024年09月18日 21時43分59秒 | 映画 (新作日本映画)
 二村真弘監督のドキュメンタリー映画『Mommy マミー』をようやく見た。この映画は和歌山カレー事件を現時点で検証し直す映画である。8月3日に公開されて評判になったのは知っていたが、東京で上映しているシアター・イメージフォーラムが駅から遠く猛暑の時期は避けたくなる。今日は駅直結の柏・キネマ旬報シアターでやってるので見に行くことにした。

 1998年に起きた和歌山カレー事件は、よく覚えてない(または年齢的に知らない)という人もいるだろう。ホームページからコピーすると「1998年7月25日、和歌山市園部地区の夏祭りで提供されたカレーを食べた67人が急性ヒ素中毒を発症、そのうち4人が死亡。同年12月、和歌山県警はカレーへのヒ素混入による殺人と殺人未遂容疑で林眞須美を逮捕。1999年5月、初公判。林眞須美は、過去の保険金詐欺は認めるものの、カレー事件をはじめとするヒ素関連事件については否認。続く二審からは無実を訴えた。2009年5月、最高裁で死刑が確定。戦後日本で11人目の女性死刑囚となる。2024年2月、弁護団が3回目の再審請求を和歌山地裁に申し立てる。林眞須美は現在も大阪拘置所に収容されている。」と出ている。
(林眞須美夫妻)
 林眞須美死刑囚は一切の供述をしなかったので、動機は不明とされたたまま状況証拠の積み重ねで確定した死刑判決だった。発生当初の大報道は今も鮮明に覚えている人が多いだろう。事件発生現場付近に「怪しい夫婦」がいると報道され始め、その林夫婦は保険金詐欺で暮らしているなどと大報道がなされた。今回はもちろん死刑囚本人には取材できないが、息子が案内して今は施設で暮らしているらしい夫はよく語っている。また同居していた男性がいて、その家にも直撃取材を行っている。

 そこら辺は非常に興味深いシーンなのだが、全体的には「冤罪映画」としては飯塚事件を扱った『真実の行方』の方が「面白い」だろう。面白さで比べちゃいけないだろうが。両者の違いはこの映画では捜査員が全く取材に応じないことである。検察官や裁判官(故人であると判明する)まで直撃しているが、もちろん何も語らない。(守秘義務があるから本来語る方がおかしい。)飯塚事件は死刑執行後に再審請求している事件だから、捜査当局側も「適正な捜査だった」と広報したいんだろう。一方、和歌山カレー事件は再審請求しているが、一般的には「もう終わった事件」である。今さら取り上げられたくないと思う。

 一番の問題は「鑑定」ということになる。裁判を支えた捜査段階の鑑定人が出て来て説明する。そしてそれに反対意見を述べる有力な学者が登場する。問題は「ヒ素が同一かどうか」である。林宅にはヒ素が存在したが(当時はシロアリ駆除などのためヒ素を所有する家庭も多かったという)、そのヒ素と事件当時のカレーやカレーに入れた時に使用したとされる紙コップから検出されたヒ素が同一物質かどうか。ヒ素は皆同じかと思うと、産地ごとに「亜ヒ酸」の化学的組成がかなり異なっているという。

 兵庫県にある大型放射光施設「SPring-8」で行われた鑑定の結果、ヒ素は同一由来とされた。それはおかしいと批判されるが、僕には判定が難しい。「パッと見」で同一パターンと見るのは危険と批判されているが、「パッと見」なら同じに見えるとは僕も思った。再審過程でもう一回再鑑定をするべきだろうが、日本の裁判所はそれを認めていない。「ヒ素が違うと新たに証明された」と断言出来るほど原審での鑑定が揺らぐのかどうか。僕にはそこまで判らない。再審請求で鑑定が問題になっていることは知識として持っていたが、その内容は難しくて(現時点では)判断出来ない。
(二村監督)
 僕は死刑廃止論者なので、この事件が冤罪かどうかに関わらず死刑制度は無くすべきだと思っている。では「冤罪なのか」と「有罪判決が正しいのか」はまた別の問題だ。再審請求が行われても裁判官の裁量範囲が大きすぎる。原審段階の未提出証拠もあるだろうし、鑑定は疑問が出されたらやり直してみるべきだ。関係者は口を開かない中で、二村監督はラスト近くで、関係者の車にGPS発信器を取り付けようとして「不法侵入」で警察の取り調べを受ける。(示談が成立して不起訴と出る。)監督の暴走で終わる映画で、監督は「無実」を信じているのだろう。そういうタイプの映画で、そこが面白くもあり、大丈夫かなとも思う。

 二村真弘監督は1978年生まれで、日本映画学校卒業後多くのテレビドキュメンタリーを作ってきたという。「見る当事者研究」(2015)、「情熱大陸/松之丞改め神田伯山」(2020)、「不登校がやってきた」シリーズ(21~/NHK BS1)などがあると出ている。今回が映画初監督作品。東京では忘れられ、現地では「タブー」とされている事件を追う情熱は見事。製作陣の勇気を称えて、見ておくべきだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『あんのこと』、この凄まじい現実を変えられるのか?

2024年06月16日 20時32分55秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画は見ていて楽しくなるものばかりではない。むしろ厳しい現実に見る方がひるんでしまうような映画も必要だ。最近では吉田恵輔監督の『ミッシング』が代表。吉田監督は2021年の『空白』で娘が事故で死んだ父親を描いた。それに対し、今度の映画は娘が行方不明になった母親を描く。この石原さとみが凄まじく、一見の価値がある。ただ途中から報道のあり方などに焦点が移っていき、肝心の行方不明(事故または事件)は解決を見ないまま終わる。沼津のロケが効果を上げていたが、この映画はここまで。

 ここでは主に入江悠監督の『あんのこと』を取り上げたい。河井優美主演で、内容のすごさもあって評判になっている。普通は「この映画はフィクションです」と出るのに、この映画は「実際に起きた事件に基づく」と最初に出るのである。新聞記事にインスパイアされて脚本が書かれたという。たった数年前のことなのに、忘れかけている「コロナ禍」の人々に与えた影響を伝える映画としても貴重。それにしても凄まじい現実に言葉を失う映画だ。

 紹介をコピーすると、「21歳の香川杏河合優実)は、ホステスの母(河井青葉)、足の不自由な祖母と、東京・赤羽の団地で暮らしている。杏は幼い頃から酔った母親に暴力を振るわれ、小学4年生時より不登校となり、十代半ばから売春を強いられるなど過酷な人生を送ってきた。」それが変わっていくきっかけは、「ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた杏は、多々羅佐藤二朗)という妙な人懐こさを感じさせる刑事と出会う。多々羅は杏に薬物更生者の自助グループを紹介し、なんの見返りも求めず就職を支援する。大人を信用したことのない杏だったが、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。」
(刑事役佐藤二朗と)
 警官としては異色すぎる「多々羅」には様々な知り合いがいるようだ。施設ではヨガを指導したりしている。そこに週刊誌記者の桐野稲垣吾郎)も訪れ、杏は大人に導かれて新しい自分を見つけられた。高齢者施設で働けるようになり、なじみの利用者もできる。小学校から行ってないというから、僕は夜間中学へ行ったらと思ったらやはり夜間中学を訪ねている。そこには外国人も多いが、一緒に数学を勉強している。杏は周りの助けを得て、立ち直れるのか。そこへ「週刊誌記者の桐野稲垣吾郎)は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた-。」
(佐藤二朗、河井優美、稲垣吾郎)
 こうして、「大人の世界」が揺らいでいくときに、世界で新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。夜間中学も突然休校し、高齢者施設では非正規職員は自宅待機となった。今まで居場所だった飲食店も入れない。DV向けの避難施設にいた杏は、そこに閉じこもっていたら突然ノックされる。隣室の女性が子どもを押しつけて、どこかに消えてしまった。杏はなんとか子どもと遊び、食べるものを作る。しかし、今までそうだったように、いつも大事なときに母親が現れてすべてを壊すのである。河井青葉が演じる母親の壊れっぷりはものすごい。大体父親はどうなっているんだか。散らかりきった部屋もひどい。
(高齢者施設で働く)
 こうしてすべてを失った(と思った)杏には、生きていく力がもう残っていない。悲劇までを一直線に描く作品だが、完成度的には問題もあると思う。「現実」に規定され、想像力で羽ばたく展開じゃない。「虐待」と「コロナ禍」でどうしようもない現実を描くため、どうしてもこの凄まじい現実を変えられたとしたら何だったのかを考えてしまう。「行政」や「学校」は子どもを抱えた母親と接触する機会が多いが、家庭内部に介入するのが難しい。「強制力」を持った警察が登場するまで、杏を動かすことが出来なかった。しかし、その「強制力」は良いばかりではない。裏に暗い部分を秘めている。映画はそのことを示している。
(入江悠監督)
 入江悠(1979~)は2009年の『SR サイタマノラッパー』が注目され、『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(2010)、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(2011)、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(2012)と作ってきた。これらは大手作品ではないが、後で見たら非常に面白かった。その後、大手で『ジョーカー・ゲーム』(2015)、『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(2017)、『ビジランテ』(2017)、『AI崩壊』(2020)など、何でもこなす器用さが持ち味。しかし、ここまで「社会派」的な作品は今までにはない。今回は自ら脚本も書き、力強い作品になっている。なかなか見るのが辛い映画だが、日本の現実を考える時に見ておくべき映画だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『トノバン 音楽家加藤和彦とその時代』、♪あの素晴らしい愛をもう一度

2024年06月12日 22時36分31秒 | 映画 (新作日本映画)
 (6月11日の)夜に落語に行く前に映画を2本見たのだが、これは今では「暴挙」だったかも。でもどちらも内容に満足できたから後悔はしてない。最初が『トノバン 音楽家加藤和彦とその時代』という映画。やってるのを知らない人もいるかも知れないけど、これぞ「待ってました」と声を掛けたいような映画だ。中に出て来る高橋幸宏坂本龍一はすでに亡くなっている。作るにはギリギリの時期だったのである。と言っても加藤和彦って誰だという人もいるだろう。

 2009年10月17日、加藤和彦が軽井沢のホテルで自ら命を絶ったというニュースの衝撃は今も忘れてない。62歳だった。僕はちょっと前の8月28日に(今は無き)新宿厚生年金ホールで開かれた「イムジン河コンサート」で加藤和彦を見たばかりだったのである。変幻自在に音楽活動を行った加藤和彦に一体何があったのだろうか? 

 しかし、この映画はそれを追求する映画ではない。デビューから80年代までの音楽活動を証言やアーカイブ映像で振り返る映画である。外国にはこのような音楽ドキュメンタリー映画が多いのに、日本には何故ないのかと常々思っていた。日本では社会問題や「障害者」に長年密着取材したような記録映画が多い。それも大切だけど、こういう音楽映画ももっと見たい。相原裕美監督。題名の「トノバン」は加藤和彦の愛称で、イギリスの歌手ドノヴァンから来たという。
(加藤和彦)
 加藤和彦(1947~2009)の名前を知ったのはいつだか覚えてない。でもフォーク・クルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』(1967)はよく覚えている。小学生だったけど、この奇想のコミックソングはレコード化されてよく売れた。日本初のミリオンセラー、つまり100万枚以上売れたという。ラジオでもいっぱい掛かった。小学生でも誰もが知ってたし、真似していた。

 その「フォークル」が、加藤和彦北山修(1946~)、はしだのりひこ(端田宣彦、1945~2017)の3人だと名前を覚えたのはいつなのか、今では思い出せないことである。一年限定でプロ活動をしたフォークルの、2枚目のシングルレコードが発売中止になった『イムジン河』、3枚目が『悲しくてやりきれない』、4枚目が『青年は荒野をめざす』。そして1968年10月17日にフォークル解散コンサートが行われた。(今気付いたけど、41年後の同じ日に加藤和彦の遺体が発見された。)
(フォーク・クルセダーズ)
 その後、多くの歌手に楽曲を提供しながら、自らも歌い続けた。その中で最大のヒットが1971年に北山修と歌った『あの素晴らしい愛をもう一度』だ。僕が中学教員になった80年代半ばには、生徒たちはこの歌を合唱コンクール用の歌と思っていた。普通に大ヒットした曲だったんだけど。そして1971年11月にサディスティック・ミカ・バンドを結成した。このバンドはイギリスで評価され、大きな反響を呼んだ。しかし、今までのようなシングルレコードのヒット曲と違って、内容的にも複雑で僕も今までよく知らなかった。バンド名の「ミカ」は加藤の妻だが、どういう人かよく知らない。存命だが映画には出て来ない。それなりの複雑な経過があることが示されるが、このミカ・バンドの時代の映像は凄く楽しいし、今見ても興味深い。
(サディスティック・ミカ・バンド)
 1975年にミカと破綻した後で、8歳年上の安井かずみ(1939~1994)と結婚した。70年代を代表する伝説的な作詞家である。小柳ルミ子の「わたしの城下町」や沢田研二の「危険なふたり」などの他、僕にとってはアグネス・チャンの「草原の輝き」や天地真理の「ちいさな恋」を作詞した人。竹内まりやの「不思議なピーチパイ」は二人が作詞、作曲している。二人による『ヨーロッパ三部作』は今映画で聞いても驚くほど魅力的だ。二人は時代を象徴するファッショナブルなカップルとして有名にもなった。加藤は美食家で自ら料理も作った。それらの様子は生き生きとして楽しい。

 だが安井かずみはガンに冒され、1994年に55歳で早世したのである。Wikipediaを見ると、1995年にはオペラ歌手の中丸三千繪と結婚した。そのことは覚えていなかったが、2000年に離婚している。中丸は存命だが映画には出て来ない。加藤はその後も様々な分野で活動していた。フォークルやサディスティック・ミカ・バンド(ミカじゃなく木村カエラだけど)を期間限定で再結成したり、スーパー歌舞伎も『ヤマトタケル』など何作も手掛けた。映画音楽でも『探偵物語』など何本も担当し、中でも井筒和幸『パッチギ!』(2005)は評判になった。この映画で「イムジン河」に再び脚光が当たったのである。2009年に開かれたコンサートでは、「イムジン河」はアジアの「イマジン」と言っていた。
(証言する北山修)
 多くの人が映画内で証言を寄せているが、中でも北山修は何度も出て来る。北山修は当初からのフォークルメンバーである。精神科医になるため学業に専念するのが、フォークル解散の理由でもあった。そして実際に日本を代表する精神科医となり、特にカウンセリング論の大家である。「あの素晴らしい愛をもう一度」の他、「」「戦争を知らない子供たち」「白い色は恋人の色」などの忘れられない歌詞も書いた。エッセイ『戦争を知らない子供たち』は時代を象徴するベストセラーになった。

 その後もつかず離れず、時には音楽活動を共にしてきた友人が「自死」したのである。精神科医としても、友人としても、痛恨という言葉では語りきれないだろう。幾つか追悼文を書いているが、加藤和彦を語る時に北山修を抜かすことはできない。だから何度も出て来るわけだが、それでも語り切れた感じはしない。人間の生と死は、そうそう簡単にまとめきれるものではない。僕も書いているうちに、何だか「悲しくて悲しくて とてもやりきれない」、「広い荒野にぽつんといるようで 涙が知らずにあふれてくるのさ」と口ずさんで悲しくなってきた。

 ところでこの前書いた代島治彦監督の『ゲバルトの杜』、その前作『きみが死んだあとに』が扱う60年代後半から70年代初頭は、ちょうど加藤和彦のフォークル、サディスティック・ミカ・バンド時代と重なっている。どっちがA面で、どっちがB面かはともかく、その両面を合わせ見ないとあの時代を理解出来ない。新左翼運動が高揚した同じ時に、「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたというのは、日本の大衆文化の健全さを示すものじゃないだろうか。(なお、大島渚監督の怪作映画『帰ってきたヨッパライ』にフォークルの若き三人の姿が留められている。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする