上野の東京国立博物館で開かれている「縄文展」も盛況のうちに9月2日までの会期となった。教員時代なら見逃せない展覧会だけど、最近は並んでみるのが面倒でパスすることも多い。8月上旬に台風が近づいて雨風が強い日があったので、実はその日に見に行った。このぐらい空いてればいいねという日だったが、内容的にはどうも納得できなかったので書かなかった。だけど「縄文にハマる人々」というドキュメンタリー映画を最近見たので、合わせて書いておこうかなと思う。
「縄文」は「じょうもん」と読むんだと教わるから皆が読める。「縄」の字は「沖縄県」とか「縄跳び」の「なわ」だが、普通音読みが「じょう」だと意識することはないだろう。一方「文」は普通は「ぶん」と読む。でも「縄で付けられた文様(もんよう)」の意味だから、「じょうもん」と読むわけだ。大森貝塚を発見したモースが発見した土器を「Cord Marked Pottery」と名付けたことの直訳である。「縄紋時代」と表記するほうがいいという意見があり、僕もそう思っている。
ここでは「縄文」と書くけど、そういう議論もあるのである。ところで、僕がある種「縄文にハマる」感じだったのは、だいぶ前のことだ。きっかけは95年に発見された青森県の三内丸山遺跡を翌年の夏に見に行ったこと。車で北海道まで行こうという旅の途中である。まだ今のように整備されてなくて、あちこちにブルーシートがかかっていた。バラックの展示場で買ったビデオは、ずいぶん教材として使ったものだ。進学校じゃないから、日本史の授業の最初には「歴史の面白さ」を実感できるような授業をおきたい。そうするとやはり「縄文時代を熱く語る」パフォーマンスになる。
その時に気をつけないといけないのは、縄文時代は「日本列島の始まり」だけど、「日本の始まり」ではないということだ。国家成立以前の無文字時代で、世界史的には「新石器時代」(初期は旧石器または中石器)ということになるだろう。土器で編年するのは日本史の独自性である。「日本」というのは中国に対する王朝名で、その後「国家」や「民族」の名にも転化していった。「日本」以前の「倭国」は弥生時代の中から誕生する。
今度の「縄文展」は正確に言えば「縄文土器名品展」で、映画は「縄文土器にハマる人々」である。土器だけに焦点を当てて、「ニッポンすごい」と言ってるような風潮を感じるのである。「縄文展」には現時点で国宝に指定されている6点が全部集まっている。その他重文指定のものも多い。それらは確かに迫力があるのだが、正直言って「火焔式土器」を新潟県十日町市の博物館で見た時の感動に遠く及ばない。青森県の亀ヶ岡式土偶も現地で見た時の方が面白かった。
まあすべて現地で見るのは一般の人には大変だから、こういう展覧会も必要なんだろう。でも人が一番旅行に出かける夏休みに、よりによって地域の宝物をまとめて首都に持ってきていいんだろうか。その地域の「目玉」がなくなっちゃうじゃないか。他の時期の方がいいんじゃないか。それに「美」を目的として作られていない考古遺物を「美術品」として展示するのではなく、生活や労働、家族関係、葬送などを総合的に展示するのが本来「国立博物館」の役割なんじゃないだろうか。
長くなってしまうので簡潔に書くが、「縄文時代」は「縄文海進」と呼ばれる「海面上昇」により「日本列島の成立」を見た時代である。最終の氷河期が1万3千年ころに終わり、大陸と陸続きだった地域が島となった。それまでは針葉樹林が広がっていた日本列島も、この温暖化により東日本は落葉樹林、西日本は常緑樹林が広がる。その落葉樹林帯はドングリが豊富で、そのドングリを食べるシカやイノシシも増えた。その動物を狩猟するために「弓矢」が発達する。ドングリはアク抜きしないと食べられないし、動物の肉も加熱する方が食べやすい。そのために土器が必須のものとなったわけである。最低レベルとして、このような理解は前提になる。
縄文時代の人々の「精神世界」をどう理解すべきはかなり難しい。僕もよく判らないことが多いけど、その点は映画「縄文にハマる人々」(山岡信貴監督)が詳しい。最初は縄文土器にハマったトンデモ人間が多数出てきて、どうなるのかと思う。だんだんマトモな意見も出てきて、なかなか面白くなる。日本各地の縄文遺跡、縄文ミュージアムがいっぱい出てくるのも面白い。全然知らないところも多い。
鹿児島の上野原遺跡(ここも見に行ったことがある)を除き、ほとんど西日本の遺跡が出て来ない。「縄文展」でもおおよそは「糸魚川静岡構造線」の東の出土品である。東日本に重要な縄文遺跡が集中しているのは、植生の違いが大きいと言われている。縄文時代の人口は、列島全体でおおよそ10万人だったとされる。あまりに過度な思い入れは危険だろう。
「縄文」は「じょうもん」と読むんだと教わるから皆が読める。「縄」の字は「沖縄県」とか「縄跳び」の「なわ」だが、普通音読みが「じょう」だと意識することはないだろう。一方「文」は普通は「ぶん」と読む。でも「縄で付けられた文様(もんよう)」の意味だから、「じょうもん」と読むわけだ。大森貝塚を発見したモースが発見した土器を「Cord Marked Pottery」と名付けたことの直訳である。「縄紋時代」と表記するほうがいいという意見があり、僕もそう思っている。
ここでは「縄文」と書くけど、そういう議論もあるのである。ところで、僕がある種「縄文にハマる」感じだったのは、だいぶ前のことだ。きっかけは95年に発見された青森県の三内丸山遺跡を翌年の夏に見に行ったこと。車で北海道まで行こうという旅の途中である。まだ今のように整備されてなくて、あちこちにブルーシートがかかっていた。バラックの展示場で買ったビデオは、ずいぶん教材として使ったものだ。進学校じゃないから、日本史の授業の最初には「歴史の面白さ」を実感できるような授業をおきたい。そうするとやはり「縄文時代を熱く語る」パフォーマンスになる。
その時に気をつけないといけないのは、縄文時代は「日本列島の始まり」だけど、「日本の始まり」ではないということだ。国家成立以前の無文字時代で、世界史的には「新石器時代」(初期は旧石器または中石器)ということになるだろう。土器で編年するのは日本史の独自性である。「日本」というのは中国に対する王朝名で、その後「国家」や「民族」の名にも転化していった。「日本」以前の「倭国」は弥生時代の中から誕生する。
今度の「縄文展」は正確に言えば「縄文土器名品展」で、映画は「縄文土器にハマる人々」である。土器だけに焦点を当てて、「ニッポンすごい」と言ってるような風潮を感じるのである。「縄文展」には現時点で国宝に指定されている6点が全部集まっている。その他重文指定のものも多い。それらは確かに迫力があるのだが、正直言って「火焔式土器」を新潟県十日町市の博物館で見た時の感動に遠く及ばない。青森県の亀ヶ岡式土偶も現地で見た時の方が面白かった。
まあすべて現地で見るのは一般の人には大変だから、こういう展覧会も必要なんだろう。でも人が一番旅行に出かける夏休みに、よりによって地域の宝物をまとめて首都に持ってきていいんだろうか。その地域の「目玉」がなくなっちゃうじゃないか。他の時期の方がいいんじゃないか。それに「美」を目的として作られていない考古遺物を「美術品」として展示するのではなく、生活や労働、家族関係、葬送などを総合的に展示するのが本来「国立博物館」の役割なんじゃないだろうか。
長くなってしまうので簡潔に書くが、「縄文時代」は「縄文海進」と呼ばれる「海面上昇」により「日本列島の成立」を見た時代である。最終の氷河期が1万3千年ころに終わり、大陸と陸続きだった地域が島となった。それまでは針葉樹林が広がっていた日本列島も、この温暖化により東日本は落葉樹林、西日本は常緑樹林が広がる。その落葉樹林帯はドングリが豊富で、そのドングリを食べるシカやイノシシも増えた。その動物を狩猟するために「弓矢」が発達する。ドングリはアク抜きしないと食べられないし、動物の肉も加熱する方が食べやすい。そのために土器が必須のものとなったわけである。最低レベルとして、このような理解は前提になる。
縄文時代の人々の「精神世界」をどう理解すべきはかなり難しい。僕もよく判らないことが多いけど、その点は映画「縄文にハマる人々」(山岡信貴監督)が詳しい。最初は縄文土器にハマったトンデモ人間が多数出てきて、どうなるのかと思う。だんだんマトモな意見も出てきて、なかなか面白くなる。日本各地の縄文遺跡、縄文ミュージアムがいっぱい出てくるのも面白い。全然知らないところも多い。
鹿児島の上野原遺跡(ここも見に行ったことがある)を除き、ほとんど西日本の遺跡が出て来ない。「縄文展」でもおおよそは「糸魚川静岡構造線」の東の出土品である。東日本に重要な縄文遺跡が集中しているのは、植生の違いが大きいと言われている。縄文時代の人口は、列島全体でおおよそ10万人だったとされる。あまりに過度な思い入れは危険だろう。