どこの学校でもいろいろな問題が起こり振り回されることがある。しかし教師の日常は、とりあえず時間割通りの授業をすることである。どちらもここでは語らない。要するにそれらはどこの学校でもあることであって、「六本木高校でのお仕事」とは思い返していないわけである。開設当初の「チャレンジスクール」の仕組み作りこそが書いてもいいかなということである。
六つ目。「短期集中講座を3回に分けた」。これは自分では、ホームランではないけど三遊間を抜けたと思っている提案。教員の個性を生かした様々なテーマで集中講座を設定して単位認定するという「総合研究」という科目を設置している。僕が来た年は、夏休み前と冬休み前で5日と4日に分けて開講していた。一日4単位時間×9日で36時間なので、一日だけ3時間の日を作る。そうすると法定の35単位時間の授業を行うことになる。(「単位時間」というのは要するに「授業時間」のことで、おおむね50分か45分。六本木では45分。)僕の提案はそれを夏と冬以外に、前期と後期の間の期間にも設置し3回に分けようということで、承認されて開校3年目以後は3回で続いている。変更のキモは、夏を11時間とすることで、夏期間全休の生徒でも、秋冬に全部出れば単位が取れるようになったことである。でも5日間連続は教員にも結構大変だった。「長期集中しすぎ講座」では生徒も飽きてくる。なお、僕は3年間、視聴覚室で「映画研究」をやり、とても楽しかった。でも安易に取る生徒も多くなったので、2年間歴史探訪や社会科見学と称して外部見学講座を作った。これがまた面白かった。僕はこの短期集中講座での生徒との交流が面白かったので、「人権」の次に好きな科目かな。続いてほしい。
七つ目。「地域研究の後半を個人研究にした」。1期生が2年の時に、「総合的な学習の時間」として「地域研究」という授業が作られた。その時点では2期生(1年)の担任だからタッチしていないが、まずこの授業構想がヒットだと思う。学校のすぐ近くに、全国に知られた「麻布十番商店街」や「六本木ヒルズ」がある。そのような地の利を生かし、生徒がグループに分かれて麻布十番の様々な商店を訪問してインタビューし、模造紙にまとめるとともに発表会を行う。「総合学習」だから、これをクリアーしないと卒業できない。不登校で引きこもりがちの生徒も多い中で、地域の協力を得ながらもう6年続けている。これはもっと注目されていいのではないか。グループ作り、礼儀指導など事前指導も結構大変なのだが、2期生の発表会を見て僕は感心したですね。
で、その時の担当だったんだけど、1年目は後半もグループ研究だったけど、2年目からは後半を個人研究で行うことを提案した。生徒を見ていて、グループだと積極的な生徒に頼ってしまう場合が多いと感じたので、後半は個人の責任を追及してみたかった。また2年目からは、前年度に落とした上級年次の生徒が参加してくるわけでグループ作りが難しくなるという問題もあった。個人研究用のテーマ届出用紙やテーマ例などの書式は今でも僕が作ったものが原型になってるようである。(誰か大胆に変えてよ。)やってみて、やはりいい加減なレポートもあるけど、素晴らしいものが沢山出てきた。4期生でも担当したけれど、いいレポートは多いと思う。ところで、授業の中身もだけど、この時の担当者(ほとんどが2期生の担任)で行った毎週の会議が(負担ではあるけれど)、とても面白かった。どういう形にしていくか、まだ形が決まってない中でああだこうだ議論をして、生徒を伸ばす工夫を皆で考えていく。「垂直伝達型」ではない「水平型」会議の意義を感じさせられた。
八つ目。「修学旅行の担当として」。九つ目。「遠足で横浜へ行った」。校外学習は2期生の経験はあまり継続されていないかな。僕は遠足担当ではなかったけど、2年次から横浜はどうだと言っていた。車いすの生徒がいて、移動しやすくてたくさん見学できるところという発想である。でも2年目は「お台場で科学未来館を見て潮風公園でバーベキュー」になった。これはとても良かった。3年で「横浜で見学、中華街でバイキング」。この時に「新聞博物館」を取り入れたところに僕の意見が入っていて、それは前任校で夏の自主研修で行っていたのである。ところで、2期生の遠足は朝昼夜の各部を時間ごとに分けず、一緒に集めて一緒に食べるというのが大きな特徴で、ここが実はキーである。つまりバラバラな生徒なりに同期生意識を育てるという趣旨である。
それは修学旅行も同じ。僕は自分の学年の宿泊行事は全部担当してきたから、当然六本木でも担当するつもりだった。大変ではあるけれど、僕は学校のすべての仕事の中で宿泊行事が一番好きなのである。でも精神的、身体的に長期の旅行が大変そうな生徒もいるために関西への2泊旅行となっている。もっとも修学旅行は難しいという意見も当初はかなりあったので、実施できているのは1期生の生徒の強い希望が大きい。2回目の旅行は京都2泊、真ん中が自由行動、最終日に「京扇子作り体験」をして清水寺、皆で湯豆腐を食べて帰るということにした。やはり全員で体験学習したり食べるのを入れたのである。裏ではけっこう大変だったりもしたが、生徒理解には意味があったし、やはり修学旅行という行事は意味があるんだと思う。
十番目。もうあまり順番は関係ないんだけど、「文化祭で体育館ステージを初めて使う」。僕は生徒部ではないので文化祭そのものの企画責任者ではない。文化祭はクラス参加ではなく部活と有志という枠組みでやっているので、企画そのもので書くことも少ない。(毎年何か関わっているわけだが、そういう単なる思い出ではなく、「仕組みを作った」ことを書く趣旨なので。)1年目の文化祭は体育館を使わず、校舎だけで行ったということである。(僕は知らないが。ちなみに体育館は道の向こう側にあり空中の渡り廊下で校舎とつながっている。)2年目にして体育館解禁となった。その時に演劇部顧問として初めて誰もよく知らなかった照明装置を使ったのである。緞帳の鍵なんかも初めはどこにあるか判らなかった。体育館を始業式やなんかで使うようになるのは、その後のこと。最初僕が赴任したときは、各部ごとに視聴覚室で始業式を行っていた。だから3回始業式をやったのである。もっともその時は1期生だけしかいないわけだが。でスポットライトやフットライトを探し出してくるところから始まった。前の城南高校時代の設備自体はかなりそろっていたのである。数年間誰も触れてなかっただけで。この時は担任していた生徒がMCを担当して体育館の舞台発表も成功した。ダンス部なんかプロ級というよりプロそのものがいたので感心した。
ということで、仕組み面で考えた10個なんだけど、どうも書いて行くうちに「補遺」がいることに気づいた。六本木高校のお仕事といったら、A勤B勤問題や、二人担任制に触れないわけにはいかないことを思い出した。さらに毎日続く夕休み会議などにも。これらは僕にどうこう出来る問題ではないんだけど。ま、とりあえずこんなことをしてきたのかなと一年経ってのまとめ。
六つ目。「短期集中講座を3回に分けた」。これは自分では、ホームランではないけど三遊間を抜けたと思っている提案。教員の個性を生かした様々なテーマで集中講座を設定して単位認定するという「総合研究」という科目を設置している。僕が来た年は、夏休み前と冬休み前で5日と4日に分けて開講していた。一日4単位時間×9日で36時間なので、一日だけ3時間の日を作る。そうすると法定の35単位時間の授業を行うことになる。(「単位時間」というのは要するに「授業時間」のことで、おおむね50分か45分。六本木では45分。)僕の提案はそれを夏と冬以外に、前期と後期の間の期間にも設置し3回に分けようということで、承認されて開校3年目以後は3回で続いている。変更のキモは、夏を11時間とすることで、夏期間全休の生徒でも、秋冬に全部出れば単位が取れるようになったことである。でも5日間連続は教員にも結構大変だった。「長期集中しすぎ講座」では生徒も飽きてくる。なお、僕は3年間、視聴覚室で「映画研究」をやり、とても楽しかった。でも安易に取る生徒も多くなったので、2年間歴史探訪や社会科見学と称して外部見学講座を作った。これがまた面白かった。僕はこの短期集中講座での生徒との交流が面白かったので、「人権」の次に好きな科目かな。続いてほしい。
七つ目。「地域研究の後半を個人研究にした」。1期生が2年の時に、「総合的な学習の時間」として「地域研究」という授業が作られた。その時点では2期生(1年)の担任だからタッチしていないが、まずこの授業構想がヒットだと思う。学校のすぐ近くに、全国に知られた「麻布十番商店街」や「六本木ヒルズ」がある。そのような地の利を生かし、生徒がグループに分かれて麻布十番の様々な商店を訪問してインタビューし、模造紙にまとめるとともに発表会を行う。「総合学習」だから、これをクリアーしないと卒業できない。不登校で引きこもりがちの生徒も多い中で、地域の協力を得ながらもう6年続けている。これはもっと注目されていいのではないか。グループ作り、礼儀指導など事前指導も結構大変なのだが、2期生の発表会を見て僕は感心したですね。
で、その時の担当だったんだけど、1年目は後半もグループ研究だったけど、2年目からは後半を個人研究で行うことを提案した。生徒を見ていて、グループだと積極的な生徒に頼ってしまう場合が多いと感じたので、後半は個人の責任を追及してみたかった。また2年目からは、前年度に落とした上級年次の生徒が参加してくるわけでグループ作りが難しくなるという問題もあった。個人研究用のテーマ届出用紙やテーマ例などの書式は今でも僕が作ったものが原型になってるようである。(誰か大胆に変えてよ。)やってみて、やはりいい加減なレポートもあるけど、素晴らしいものが沢山出てきた。4期生でも担当したけれど、いいレポートは多いと思う。ところで、授業の中身もだけど、この時の担当者(ほとんどが2期生の担任)で行った毎週の会議が(負担ではあるけれど)、とても面白かった。どういう形にしていくか、まだ形が決まってない中でああだこうだ議論をして、生徒を伸ばす工夫を皆で考えていく。「垂直伝達型」ではない「水平型」会議の意義を感じさせられた。
八つ目。「修学旅行の担当として」。九つ目。「遠足で横浜へ行った」。校外学習は2期生の経験はあまり継続されていないかな。僕は遠足担当ではなかったけど、2年次から横浜はどうだと言っていた。車いすの生徒がいて、移動しやすくてたくさん見学できるところという発想である。でも2年目は「お台場で科学未来館を見て潮風公園でバーベキュー」になった。これはとても良かった。3年で「横浜で見学、中華街でバイキング」。この時に「新聞博物館」を取り入れたところに僕の意見が入っていて、それは前任校で夏の自主研修で行っていたのである。ところで、2期生の遠足は朝昼夜の各部を時間ごとに分けず、一緒に集めて一緒に食べるというのが大きな特徴で、ここが実はキーである。つまりバラバラな生徒なりに同期生意識を育てるという趣旨である。
それは修学旅行も同じ。僕は自分の学年の宿泊行事は全部担当してきたから、当然六本木でも担当するつもりだった。大変ではあるけれど、僕は学校のすべての仕事の中で宿泊行事が一番好きなのである。でも精神的、身体的に長期の旅行が大変そうな生徒もいるために関西への2泊旅行となっている。もっとも修学旅行は難しいという意見も当初はかなりあったので、実施できているのは1期生の生徒の強い希望が大きい。2回目の旅行は京都2泊、真ん中が自由行動、最終日に「京扇子作り体験」をして清水寺、皆で湯豆腐を食べて帰るということにした。やはり全員で体験学習したり食べるのを入れたのである。裏ではけっこう大変だったりもしたが、生徒理解には意味があったし、やはり修学旅行という行事は意味があるんだと思う。
十番目。もうあまり順番は関係ないんだけど、「文化祭で体育館ステージを初めて使う」。僕は生徒部ではないので文化祭そのものの企画責任者ではない。文化祭はクラス参加ではなく部活と有志という枠組みでやっているので、企画そのもので書くことも少ない。(毎年何か関わっているわけだが、そういう単なる思い出ではなく、「仕組みを作った」ことを書く趣旨なので。)1年目の文化祭は体育館を使わず、校舎だけで行ったということである。(僕は知らないが。ちなみに体育館は道の向こう側にあり空中の渡り廊下で校舎とつながっている。)2年目にして体育館解禁となった。その時に演劇部顧問として初めて誰もよく知らなかった照明装置を使ったのである。緞帳の鍵なんかも初めはどこにあるか判らなかった。体育館を始業式やなんかで使うようになるのは、その後のこと。最初僕が赴任したときは、各部ごとに視聴覚室で始業式を行っていた。だから3回始業式をやったのである。もっともその時は1期生だけしかいないわけだが。でスポットライトやフットライトを探し出してくるところから始まった。前の城南高校時代の設備自体はかなりそろっていたのである。数年間誰も触れてなかっただけで。この時は担任していた生徒がMCを担当して体育館の舞台発表も成功した。ダンス部なんかプロ級というよりプロそのものがいたので感心した。
ということで、仕組み面で考えた10個なんだけど、どうも書いて行くうちに「補遺」がいることに気づいた。六本木高校のお仕事といったら、A勤B勤問題や、二人担任制に触れないわけにはいかないことを思い出した。さらに毎日続く夕休み会議などにも。これらは僕にどうこう出来る問題ではないんだけど。ま、とりあえずこんなことをしてきたのかなと一年経ってのまとめ。