「選挙に行く」ということに意味について考えたいと思う。というのも、最近どこかで(多分新聞記事だと思うんだけど)、若い人の投票率がなぜ低いのかという特集記事があって、その中である若者が「選挙に行くって障壁があるじゃないですか」と言っていたのを読んだからである。うっかり切り抜くのを忘れてしまったので、いつの記事だか示せないのだが。僕はこれにビックリしてしまった。選挙に行かない人がたくさんいるのは理解できるが、それが「選挙そのものの障壁」によるものだなどと考えたことがなかったからである。この若者にとって、障壁であることはもう自明の前提らしいのである。
もちろん、初めてすることには気おくれや面倒くささがつきまとう。最初の国政選挙に行かないと、その後も何となく行きづらくなるかもしれない。でも、20歳以上の日本国民の半数以上は国政選挙に行っている。(95年の参議院選挙を除く。)行ってる方が多いのだから、そこに大きな「障壁」があるわけがない。でも最近の国政選挙では、年齢別にみると20代、30代の投票率がかなり低いらしいことが示されている。同世代の中で半数以上が行ってないなら、選挙に行く方がフシギに見えてくるかもしれない。身の回りの友人が行ってないのに、自分は行こうと言うんだったら、そこには「障壁」があるというべきかもしれない。
この問題をいくつかの点から考えてみたいと思う。まずは「実際の選挙を知らないのではないか」ということである。もちろん、インターネットでは投票できないのだから投票所までは行かないと選挙はできない。(在外日本人や重度の障害があるなどの例外はあるが。)世の中には「引きこもり」というケースもあるわけだから、選挙に行くのも「障壁」になる場合があるのは当然である。せっかくの日曜日に仕事の人もあるだろうし、遊びに行きたい人もあるだろう。大雨や猛暑では行きたくないし、地方では投票所が遠い場合も多いだろう。
そうなんだけど、そういう問題を言い出せば、バスに乗るにも電車に乗るにも、レストランに入るにも映画館に入るにも、何だって「障壁」になりうる。実際、レストランなんか、高そうでも入れないし、人がいなくても入りにくい。デパートの食堂街みたいに、いろんな店があり過ぎても選べなくなってしまう。あれも食べたい、これも食べたい、あれは高い、これも高いとか言ってるうちに、今度はどこも別に特に食べたくないなあとなってしまうのである。選挙でもこのケースはかなり多いのではないかと思う。
しかし「コンビニでおにぎりを買う」という場合はどうだろう。この場合だって、人と接したくない、どのおにぎりを選ぶか迷ってしまうなどという人もいるだろうけど、まあほとんどの人にとって、コンビニは気楽に買い物ができる場所ではないかと思う。「スターバックスでコーヒーを頼む」「デパートでスーツを買う」というのはどうか。スタバは種類が多いから選ぶのが大変で、通みたいな常連と一緒にならんでしまうと、少し気おくれしてしまう。ドトールも今は分煙だから注文しやすいドトールでいいではないかという感じ。(もっとも最近は一人行動が多いので、休憩で店に入ることは少ないのだが。)デパートは高いというのもあるけど、店員がすぐに寄ってくるから、確かに面倒。
選挙というのは、この中ではどれに近いか。僕はコンビニだと思う。投票入場券を出せば、名前を確認されるので「ハイ」ぐらい答えるが、後は渡された用紙に置いてある鉛筆で名前を書いて(または書かないで)、投票箱に入れるだけで、誰とも口は利かないし、あっという間に終わるので拍子抜けするぐらいだ。歩いて1分の中学(母校)が投票所なので、全部で10分かからない。出口調査なんか聞かれたことないし。名前を書く場所には候補者あるいは政党名が書かれているので、面倒な字の候補の場合確認したりする。そういう時は大体候補者の方も考えて、書きにくそうな字を「ひらがな」で届出してる場合が多い。コンビニというか、自動販売機というか。選挙と言っても、投票自体はこんなにも簡単なのである。一度でも行った人は誰でも知ってることだが。
だけど、投票所で「だれにしようかな、カミサマの言うとおり…」なんてやってる人は見たことない。その場所で広報を読んで、投票する人を決めようとしてる人もいない。もちろん携帯電話で話しながら投票している人もいない。(それは禁止なんじゃないかと思う。)投票そのものは簡単だと言ったけど、それはみんな入れる人を決めてから行ってるということで、だから後はスムーズなのである。誰に入れたらいいか、本当に判らない、自分の考えがない、全く関心がないという人がいたら、それは投票所に行っても仕方ないだろう。
しかし、中高年は選挙にかなり行ってるんだから、それなりの考えがあるんだろうか。まあ長いこと生きて来てれば、どの党はどう、この党はこうといったイメージというか、自分なりの判断はできている人が多くなる。でも、若い人の投票が少なく、中高年の投票が多い理由はそこにあるわけではないと思う。年齢を重ねて来れば、仕事や様々な人間関係が構築されて来て、投票を頼まれたり、業界団体なんかに関係してたりするだろう。20代の若い世代は、そういう社会関係の輪の中にまだ入っていない人が多い。昔はそれでも、親が仕事がら自民党に入れてくれと子どもに頼んだり、大学の知り合いが社会党や共産党の投票を依頼してきたもんだろう。でも今は親も無党派が多いし、子どもに選挙の話なんかできない家が多いだろう。もちろん「若いから革新陣営支持」なんて時代でもない。要するに、どこからも頼まれないから、取り立てて投票に行かない、日曜もバイトがあるし…って言うあたりではないか。
だけど、選挙そのものを全否定してしまってる人も少ないはずだ。そこまで行くとエネルギーがいるし、タテマエとしては「選挙は大事だとは思う」と言うのではないか。世論調査があったりすれば、「必ず行く」には○はしないが「できれば行きたい」、選挙には「ある程度関心がある」というところにしておくという人である。今の若い人だって、必ず行く人はいるわけだが、問題は年を取ってきたら行くようになるだろうけど、若い時は「関心がないとまでは言わないけど…」という層がどれほど選挙に行くかである。そして、そういう人にとっては、確かに比例代表区なんて「食堂も多いし、メニューも多い」のではないか。入れるところを決められないし、どこに入れても同じような感じ。また逆に、特に政治を勉強したわけでもない自分が決めてしまっていいのか…という気も起こるだろう。
僕はそういう場合は、逆に考えていくのがいいと思ってる。「どこに入れたくないか」の方を先に考えるのである。選挙に行こうかと思うほどの人なら、入れるべきところは決めがたい場合もあっても、入れたくない方は決まってる場合が多いのではないか。今は、何でも自由選択、個人の責任が重視されて、小さい時から進路の希望などを問われ続けている。お店に行けば商品がそろっていて、選択に困るぐらいである。だから「何を選ぶか」という選択を迫られるのに飽きているのではないか。だけど、嫌なものは自分で拒否しないといけない。実際日常生活ではそうしているはずである。選挙だって同じで、入れたくない方、あまりピンとこない方を除いて行って、残った中から、まあこだわりたい問題とか、ネット上で見た趣味とか、なんか少しはピンときた人や政党があれば、そこにするわけである。実際、そうやって決めるしかないでしょ。本当に心から支持している政党があるなんて言う人は、今はまずいない。まあ選挙のたびに、良さそうな人に入れて、裏切られると言えばその繰り返し。「男はつらいよ」の寅さんの恋(失恋)のようなもんで、しょうがないことを繰り返していくしかないんだし…。
「選挙に行っても何も変わらない」「自分の一票では何も変えられない」、あるいはさらに「選挙のたびにコロコロ入れる政党が変わるような大人と一緒になりたくない」と思う人もいるだろうけど、その問題はまた次に考えたい。
もちろん、初めてすることには気おくれや面倒くささがつきまとう。最初の国政選挙に行かないと、その後も何となく行きづらくなるかもしれない。でも、20歳以上の日本国民の半数以上は国政選挙に行っている。(95年の参議院選挙を除く。)行ってる方が多いのだから、そこに大きな「障壁」があるわけがない。でも最近の国政選挙では、年齢別にみると20代、30代の投票率がかなり低いらしいことが示されている。同世代の中で半数以上が行ってないなら、選挙に行く方がフシギに見えてくるかもしれない。身の回りの友人が行ってないのに、自分は行こうと言うんだったら、そこには「障壁」があるというべきかもしれない。
この問題をいくつかの点から考えてみたいと思う。まずは「実際の選挙を知らないのではないか」ということである。もちろん、インターネットでは投票できないのだから投票所までは行かないと選挙はできない。(在外日本人や重度の障害があるなどの例外はあるが。)世の中には「引きこもり」というケースもあるわけだから、選挙に行くのも「障壁」になる場合があるのは当然である。せっかくの日曜日に仕事の人もあるだろうし、遊びに行きたい人もあるだろう。大雨や猛暑では行きたくないし、地方では投票所が遠い場合も多いだろう。
そうなんだけど、そういう問題を言い出せば、バスに乗るにも電車に乗るにも、レストランに入るにも映画館に入るにも、何だって「障壁」になりうる。実際、レストランなんか、高そうでも入れないし、人がいなくても入りにくい。デパートの食堂街みたいに、いろんな店があり過ぎても選べなくなってしまう。あれも食べたい、これも食べたい、あれは高い、これも高いとか言ってるうちに、今度はどこも別に特に食べたくないなあとなってしまうのである。選挙でもこのケースはかなり多いのではないかと思う。
しかし「コンビニでおにぎりを買う」という場合はどうだろう。この場合だって、人と接したくない、どのおにぎりを選ぶか迷ってしまうなどという人もいるだろうけど、まあほとんどの人にとって、コンビニは気楽に買い物ができる場所ではないかと思う。「スターバックスでコーヒーを頼む」「デパートでスーツを買う」というのはどうか。スタバは種類が多いから選ぶのが大変で、通みたいな常連と一緒にならんでしまうと、少し気おくれしてしまう。ドトールも今は分煙だから注文しやすいドトールでいいではないかという感じ。(もっとも最近は一人行動が多いので、休憩で店に入ることは少ないのだが。)デパートは高いというのもあるけど、店員がすぐに寄ってくるから、確かに面倒。
選挙というのは、この中ではどれに近いか。僕はコンビニだと思う。投票入場券を出せば、名前を確認されるので「ハイ」ぐらい答えるが、後は渡された用紙に置いてある鉛筆で名前を書いて(または書かないで)、投票箱に入れるだけで、誰とも口は利かないし、あっという間に終わるので拍子抜けするぐらいだ。歩いて1分の中学(母校)が投票所なので、全部で10分かからない。出口調査なんか聞かれたことないし。名前を書く場所には候補者あるいは政党名が書かれているので、面倒な字の候補の場合確認したりする。そういう時は大体候補者の方も考えて、書きにくそうな字を「ひらがな」で届出してる場合が多い。コンビニというか、自動販売機というか。選挙と言っても、投票自体はこんなにも簡単なのである。一度でも行った人は誰でも知ってることだが。
だけど、投票所で「だれにしようかな、カミサマの言うとおり…」なんてやってる人は見たことない。その場所で広報を読んで、投票する人を決めようとしてる人もいない。もちろん携帯電話で話しながら投票している人もいない。(それは禁止なんじゃないかと思う。)投票そのものは簡単だと言ったけど、それはみんな入れる人を決めてから行ってるということで、だから後はスムーズなのである。誰に入れたらいいか、本当に判らない、自分の考えがない、全く関心がないという人がいたら、それは投票所に行っても仕方ないだろう。
しかし、中高年は選挙にかなり行ってるんだから、それなりの考えがあるんだろうか。まあ長いこと生きて来てれば、どの党はどう、この党はこうといったイメージというか、自分なりの判断はできている人が多くなる。でも、若い人の投票が少なく、中高年の投票が多い理由はそこにあるわけではないと思う。年齢を重ねて来れば、仕事や様々な人間関係が構築されて来て、投票を頼まれたり、業界団体なんかに関係してたりするだろう。20代の若い世代は、そういう社会関係の輪の中にまだ入っていない人が多い。昔はそれでも、親が仕事がら自民党に入れてくれと子どもに頼んだり、大学の知り合いが社会党や共産党の投票を依頼してきたもんだろう。でも今は親も無党派が多いし、子どもに選挙の話なんかできない家が多いだろう。もちろん「若いから革新陣営支持」なんて時代でもない。要するに、どこからも頼まれないから、取り立てて投票に行かない、日曜もバイトがあるし…って言うあたりではないか。
だけど、選挙そのものを全否定してしまってる人も少ないはずだ。そこまで行くとエネルギーがいるし、タテマエとしては「選挙は大事だとは思う」と言うのではないか。世論調査があったりすれば、「必ず行く」には○はしないが「できれば行きたい」、選挙には「ある程度関心がある」というところにしておくという人である。今の若い人だって、必ず行く人はいるわけだが、問題は年を取ってきたら行くようになるだろうけど、若い時は「関心がないとまでは言わないけど…」という層がどれほど選挙に行くかである。そして、そういう人にとっては、確かに比例代表区なんて「食堂も多いし、メニューも多い」のではないか。入れるところを決められないし、どこに入れても同じような感じ。また逆に、特に政治を勉強したわけでもない自分が決めてしまっていいのか…という気も起こるだろう。
僕はそういう場合は、逆に考えていくのがいいと思ってる。「どこに入れたくないか」の方を先に考えるのである。選挙に行こうかと思うほどの人なら、入れるべきところは決めがたい場合もあっても、入れたくない方は決まってる場合が多いのではないか。今は、何でも自由選択、個人の責任が重視されて、小さい時から進路の希望などを問われ続けている。お店に行けば商品がそろっていて、選択に困るぐらいである。だから「何を選ぶか」という選択を迫られるのに飽きているのではないか。だけど、嫌なものは自分で拒否しないといけない。実際日常生活ではそうしているはずである。選挙だって同じで、入れたくない方、あまりピンとこない方を除いて行って、残った中から、まあこだわりたい問題とか、ネット上で見た趣味とか、なんか少しはピンときた人や政党があれば、そこにするわけである。実際、そうやって決めるしかないでしょ。本当に心から支持している政党があるなんて言う人は、今はまずいない。まあ選挙のたびに、良さそうな人に入れて、裏切られると言えばその繰り返し。「男はつらいよ」の寅さんの恋(失恋)のようなもんで、しょうがないことを繰り返していくしかないんだし…。
「選挙に行っても何も変わらない」「自分の一票では何も変えられない」、あるいはさらに「選挙のたびにコロコロ入れる政党が変わるような大人と一緒になりたくない」と思う人もいるだろうけど、その問題はまた次に考えたい。