尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

11.5 ハンセン病 いのちと向き合う集会案内

2012年10月31日 20時40分33秒 |  〃 (ハンセン病)
 11月5日(月)、「いまハンセン病療養所のいのちと向き合う!~実態を告発する市民集会~」が行われる。(午後6時スタート、8時終了。東京の北の丸公園、科学技術館サイエンスホール。最寄駅地下鉄東西線竹橋)
 

 7月18日、全療協(全国ハンセン病療養所入所者協議会)は、臨時支部長会議を開催し、政府のすすめる行政改革・合理化政策に対して、ハンスト、座り込みで抗議することを決議した。ハンセン病療養所入所者の平均年齢は、もう82歳を超えている。そのような人々が、ハンガーストライキをすれば、まさに「いのち」に関わってくる。この「いのちの抗議」を新聞で読んだときに、僕は大きな衝撃を覚えた。もし本当にそのような事態になったならば、多くの人々とともに「その場にいなければならない」と強く思ったものである。

 チラシの裏から少し引用する。「ハンセン病療養所のおける国家公務員の定員削減、欠員不補充、新規雇用抑制等の施策により、医療機関の基本的な役割である医療、看護・介護、給食等のサービスが著しく損なわれており、その影響は療養生活上の不安を超越し、われわれの生存権を脅かしていることを強く訴える。」(7.18決議より)

 ハンセン病問題は、1996年の「らい予防法」廃止、2001年のハンセン病国賠訴訟熊本地裁判決、2009年の「ハンセン病問題基本法」制定と進んできた。最後の基本法により、療養体制の充実、入所者の人権の尊重が確認されたものと僕は考えていた。しかし、自民党政権に始まり、民主党政権でも進められている「公務員削減政策」により、もっとも弱い所に国家の矛盾がしわ寄せされていたのだ

 「平均年齢82歳を超えた当事者たちは、実態を明らかにするために、最後のたたかいに立ち上がろうとしています。」

 「ハンセン病首都圏市民の会」のホームページに多くの賛同の声が紹介されている。この集会のニュースはまだ多くの人に届いていないのではないかと思う。僕も紹介しておきたい。(僕個人も是非参加したかったのだが、他用ができてしまった。でも多くの人々に直接の声を聞いてもらいたいと思い、紹介した。)
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「新しい左翼入門」-新書④

2012年10月30日 20時31分45秒 | 〃 (さまざまな本)
 松尾匡(まつお・ただす、1964~、立命館大学経済学部教授)さんの「新しい左翼入門」(講談社現代新書、7月刊)。この間新聞に簡単に紹介されていて買う気になった。出たときは買わなかったのである。何故かというと、この書名と目次にちょっと疑問を感じたわけ。この書名は「新しい左翼」の入門という意味ではない。どこか世界に「新しい左翼」があって、その入門書なんかではない。それは当然なんだけど、では「新しい」「左翼入門」書というわけだけど、目次をみると「近代日本左翼運動史」である。いまどき、大正期のアナ・ボル論争とか、昭和の福本イズム講座派・労農派なんて、読む気するか?ってなもんである。大体、福本イズムなんて知ってる人、どれだけいるのか? もちろん知らないでも読める。というか、知らないものとして解説された本だけど。


 まず最初に大河ドラマの話が出てくる。78年の「黄金の日々」、79年の「草燃える」、80年の「獅子の時代」、この3作が大河ドラマの黄金時代なんだと。これらは「裏切られた革命」3部作だったらしい。僕はその頃は大学(大学院)生で、もう大河ドラマは見なくなっていたから、これらは見ていない。特に、最後の「獅子の時代」。これは明治維新期を扱っていた。新しい近代国家を作ろうと理想に燃える男たち。しかし、出来上がった明治国家はまた民衆を抑圧する体制ができてしまったのだった…。薩摩藩士刈谷嘉顕(加藤剛)はイギリスに留学し、日本の現状を憂慮し、正義感と理想主義のために失脚してしまう。一方、下級会津藩士平沼銑次(菅原文太)は、会津戦争に敗れ、五稜郭に敗れ、極寒の斗南(下北半島)に追われ、行くところ、行くところ抑圧と理不尽に見舞われ、闘っていく。最後は秩父事件の農民とともに武装蜂起する。欧米に学んで私擬憲法を作った嘉顕が書いた「自由自治」が、銑次に伝わり「自由自治元年」の旗が秩父に翻るのだった…。

 っていうストーリイだったらしい。なかなかすごいじゃん。見たかった。で、日本の左翼運動史は、この「嘉顕の道」と「銑次の道」の相克だった、という観点で、運動史を洗い直した本。こういうのは「社会学」らしい。帯にそう出ている。「歴史社会学」「知識社会学」という分野があって、細かい実証を必要とする歴史学に比べて、大胆にまとめるには向いている。面白いには面白い。「嘉顕の道」っていうのは、ヨーロッパの近代に学ぼう、ロシア革命の共産党が正しい、誰それの思想が一番新しい、これが最新の学問だと、上から決めつけて日本を良くしようと言う路線。「銑次の道」は、ここに苦しむ民衆がいるではないか、ここに問題ありと下から問題を突き付けていくような運動のあり方。それが運動の基本ではあるけれど、その銑次路線も大きくなる場面では、大組織の経営と言う問題が出てきて、ワンマン指導者が運動を乗っ取ってしまったりする。どっちがどっちと言うことではなく、とにかくそういう二つの道が相争い、常に分裂し、内ゲバしてきたのが近代日本の左翼だった。というか、実は右翼も同じ、とちゃんと書いてある。どこでも社会運動は同じとも言えるけど、特に「遅れてきた帝国主義国」の日本では、そういう面が多かった。

 だから、明治の話も大正の話も、昭和も戦後も、似たようなことが繰り返してきたということになる。「左翼」は学ばないのか。日本では、十分学んだ人は左翼を卒業してしまうのかもしれない。若い時はバリバリの左翼だったという人は、保守政界、財界にとっても多い。学ばないのかというあたりの話は、最後の方に少し触れてあるけど、「市民の自主的事業の拡大という社会変革路線」という章の名前が方向性をよく示している。「ワーカーズ・コレクティブ」とか「NPO」とか。僕もそれしかないと思っている。どこかの党がなんとかしてくれるもんでもない。でも、国会で多数を占めないと変わらないことも多い。それはそれで、とても大事なことだと思う。

 僕が面白いと思ったのは、最後のところに出てる左翼の定義
 「世の中を横に切って上下に分けて、下に味方するのが左翼」、「世の中を縦に切ってウチとソトに分けて、ウチに味方するのが右翼」というのである。うまいね。座布団5枚ぐらい? で、左翼は右翼のことを「世界を上下に分けて、上に味方するヤツラ」と思ってる。右翼は左翼のことを「世界を内外に分けて、外に味方するヤツラ」と思ってる。でも世界の切り方がお互いに違うので、相互誤解しているという。お互いに自分の切り方で世界を見ているわけ。なるほど。
 
 さらに、世界を上下に分けて上の味方をするのは何と言うべきか。これは「逆左翼」と呼ぶべきだと言う。下の味方ではないけど、世界の切り方は左翼と同じなのである。一方、世界を内外に分けて外の味方をするのは「逆右翼」。問題は、自称「右翼」の中に「逆左翼」が紛れ込んでいることだという。右翼的なことを言ってるつもりで、やってることは「世界の上の方の味方」という、まあ小泉政権みたいな存在。一方、自称「左翼」の中にも、世界を横に切らずに縦に切ってソトの味方をしてしまう人々がいると言う。まあ、日本にもいた「チュチェ思想派」なんか。日本では「下」の味方をしてるつもりで、外国の「上」を支持してしまう。「逆右翼」という存在。というような、もう頭が痛くなるからやめるけど、なかなか面白いことを言ってる。そういう話を書いてる「あとがき」だけでも読んでみる価値あり。

 僕にとっては、明治や大正も大事だけど、社会党の「協会派」と共産党の問題で終わっては、なんだか「左翼専門家」向けだなあと言う気もした。社会党の「非武装中立」の「平和主義」の問題、「新左翼」の「内ゲバ」問題なんかももっと触れて欲しかった気がする。あっという間に「リベラル」が窒息してしまった理由を解き明かさないと、若い世代も「左翼」できないでしょう。またまた分裂かと思えば、運動に参加する気にならないし。「世界を横に切って、下の味方をしたい」という人は、今もたくさんいる。アジアやアフリカの貧しい子供たち、中国のハンセン病の村人、インドやネパールやマレーシアやベトナムやミャンマーなどにどんどん出かけていって、活動している若い人。震災の被災者のためにできることはないかと活動している若い人。そういう人を僕はたくさん知っている。日本で、日本をよくするために、それらの人々の気持ちが生きるような政治のリーダーシップがないだけで。うーん、「左翼」はまだまだこれから必要な生き方だな。と改めて思った。
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永井愛の新作「こんばんは、父さん」

2012年10月29日 23時45分35秒 | 演劇
 永井愛さんの劇は最近割合見ているんだけど、2年ぶりの新作「こんばんは、父さん」が世田谷パブリックシアターで始まっている。(11月7日まで)


 男だけ、それもたった三人しか出てこないという、永井愛としても珍しい劇。特に前作の「シングルマザーズ」が、女性の苦闘を描く劇と言う感じだったから、意外性が強い。時間も1時間45分で、短い(家が遠いので嬉しい)。父親が平幹三郎、息子に佐々木蔵之介、青年に溝端淳平。平幹三郎は洋の東西を問わず時代劇の印象が強いが、これはまさに今を映す現代劇。三人は老壮青を代表する役柄である。僕は一番若い「ヤミ金取り立て青年」が面白かったけど、感情移入はしなかった。でも帰るときの客の会話では、「私は一番年が近いから、青年に一番共感した」と言ってる若い女性の声が聞こえた。多分、様々な年齢で劇の感想を交わすと面白いのではないか。

 場所はあるつぶれた鉄工所。もはや廃墟のような感じ。そこへ1人の年寄りの男(平)が入ってくる。窓からしのびこんで。町工場には首つり用かとも思える縄が下がっていて、男は首を通してみる。そこへ彼を追ってきた若い男(溝端)が…。この二人の関係は何なのか。どうも男が借りている金を返さず、借金取りに来たのが青年らしい。どうしても返せぬというなら、男の息子に連絡すると言う。アパートの隣の部屋で、もしもの時はここに連絡してという息子のケータイ番号を聞いてきたのだ。それだけはやめてくれ、いやもう家族に返済を求めるしかない…。ついにかけてしまうと、息子(佐々木)が思わぬところから登場し…。この息子も何やら「訳あり」のようである。

 というみな「訳あり」の三人の男たちのドラマが始まる。ヤミ金業界で生きるしかないと思い込んでいる高校中退の青年。カネ返せぬ方が言うことでもないはずが、父も息子も一緒になって、ブラック企業をやめる方がいいんじゃないかと説得したり…。女性は誰も出てこないが、それは女優が壇上に出てこないだけで、親子の会話に出てくる「母さん」の印象は深い。父親よりも、もっと大きいかもしれない。そういう形で女性像も描いている。そして、町工場の発展と没落、バブルとその破産というこの四半世紀のドラマがこの家族を翻弄してきた様子が明らかになっていく。「人間の幸福」はどこにあるのか。

 3人の演技のアンサンブルが面白いし、廃墟風町工場の舞台装置が素晴らしいけれど、中で語られる各人の設定が多少図式的で、「ありがち」なものになっている感じもした。一人芝居、二人芝居はあるけれど、三人で作る劇と言うのは、多少無理があるのではないか。ただ、各世代を描き分けるセリフの妙が楽しめるので、やはり永井愛さんの芝居は面白い。
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映画「希望の国」

2012年10月28日 20時10分40秒 | 映画 (新作日本映画)
 園子温(その・しおん)監督(1961~)の新作映画「希望の国」。この数年来、問題作を連発している園監督だが、今年はすでに「ヒミズ」が公開され、続く「希望の国」は原発問題を正面から描く。ついに国内では資本が集まらず、外国資本も入って製作された。日本の閉塞状況をよくあらわすエピソードである。チラシには「園子温監督最新作」と大きくうたわれ、俳優の名前は小さくしか出ていない。いまや園子温は監督の名で客を呼べる数少ない一人なのか。
 

 とにかく話題作であり、問題作である。じゃあ、傑作かというとその判定は難しい。多分誰にとってもそうではないか。話としてストーリイが判らない部分はない。立派に「社会派エンターテインメント」している。ただ、原発問題をどのように描くべきか、それが判らない。話は何年か後、福島で事故を起こした日本を再び大地震と大津波が襲い、長島県の長島第一原発でメルトダウン事故が起きるという設定。原発近くで酪農を営む老夫婦と若夫婦がいて、その家族(小野家)がいかに分断され追いつめられていくかが、この映画の中心的なストーリイになっている。一方、畑が中心の隣家は夫婦と息子と女友達。その小野家と隣家の間の道が、ちょうど原発から20km圏内の境目となる。隣家は強制的に避難させられ、ペットの犬を置いてあわただしく出ていく。(その犬は、小野家の父親(夏八木勲)が避難区域に入って助けてくる。)小野家は当面避難しないでよいが、家の裏庭が避難区域になってしまった。父親はチェルノブイリの時に買ったというガイガー・カウンターを出してくる。長島原発ができるときは反対していたのだ。そして息子夫婦には早く避難するように強く促す。息子の妻(神楽坂恵)には、これから子供を産むのだから、この本を読めと原発本をたくさん手渡す。

 隣家の息子の女友達は、家が津波が来た地域にあり毎日二人で避難所から捜索にいく。ある日、その地域も避難区域に指定され出入りできなくなると、知恵をしぼってなんとか入りこむ。小野家の母(大谷直子)は認知症で、盆踊りに呼ばれていると思い冬の避難区域に入り込む。そういう「放射能と津波に襲われた空白の地域」を幻想的とも言える美しい映像で描き出す。一方で、実家からそう遠くない都市に避難した息子夫婦には子供ができる。妊娠した妻は放射線を怖がるあまり、家の中をシェルター化し、外出するときはいつも防護服を着るようになる。そのことを周りから非難されたり、敬遠されたりして、避難した都市で孤立していく。そして実家のある場所も避難地域に指定されることになり…。小野家の老夫婦はどうするのだろうか??

 僕は評価をためらうのは、この父親と「嫁」の描き方をどう評価するべきか、僕にはよくわからないからだ。原発事故(に限らないと思うが)に見舞われた際の人間の反応のあるタイプ。そう言ってもいいけど、かなり「極端化」されている。もっとも現実にもあったことを描いているわけだが、でも実際にはこうならない人の方が圧倒的に多い。それはもちろん劇映画だから構わない。原発事故がまた起きたという設定なのだが、もし実際にそういうことになったら、だいぶ違うような気もして、僕はそのリアリティに疑問も感じた。しかし、実際は現実の福島第一原発の事故と避難者を取材する中で作った映画だから、これは「次の事故」を描いた映画ではなく、今の映画と見るべきなのかもしれない。原発事故と避難者については、かなり報道もあるような、またほとんどもう忘れられてしまったかのような状況である。記録映像としてもかなり発表されている。しかし、そうなると全体像を見渡すのが難しく、フィクションによって全体を再創造するというのも大切な試みである。だけど、まだまだ進行中の出来事で、描き方が難しい。

 だからこの映画では、たまたま避難区域で分けられた二組の家族を中心にした。そして見えてきたのは、「絶望の果てにたどりついたのは、長年、苦楽をともにしてきた夫婦愛だった。」(梁石日) 「地震や原発事故を過激に描き出すのではなく、突如訪れた悲劇の中で一日一日を必死に生きる人々を繊細かつ感動的に活写する。」(ジョヴァンナ・フルヴィ=トロント国際映画祭プログラマー)ああ、そうなんだろうなと思いつつ、そういう「家族の物語」に回収されていくことへの不安と不満、と言うべきか。

 映画内のテレビでは、原発事故から他局に変えると、お笑い番組をやって不安にならずに笑っていようと言っている。これが日本か。福島に続き、もう一回メルトダウン事故を起こしながら、真正面から向かい合えない日本と言う社会。そういうことにしては絶対にならない地震がいずれ起きることの方は防げないから、原発の方で防ぐよりない。それにしても、大地震に見舞われ大津波が来て原発も事故を起こしたと言うのに、主人公の家を初め周りの家はほとんど壊れていない。内部は混乱したろうけど、津波が来なかった地域では、実際に家屋全壊は非常に少なかった。だから、家が建ってるので、原発からの距離だけで機械的に避難が決められることが不条理に思える。だけど、それほどの地震で倒壊しない家にいたという事実もすごいなと思う。みんな案外気づかず当然視しているが、公共施設、商業施設、民家の耐震性は大方問題なかった。でも僕はそれってすごいことではないかと思う。

 夏八木勲は長いキャリアにもかかわらず、映画だけでなく、舞台やテレビでも賞に縁がない。老年になっていい味を出しているし、この映画の存在感は非常に大きい。主演賞をどうだろうかと思った。またまた役所広司でもあるまいと思い(「わが母の記」に加え、「キツツキと雨」「終の信託」があるから、本当は今年の主演男優賞は役所広司がふさわしいのだろうと思うが)、あえて一言。

 「希望の国」というけど、「希望」はない。監督はWEB上で、「シナリオを書き始めたときに、結末が絶望へ向かおうが希望へ向かおうが構わないと思ったんです。だから、わざわざ希望を見せようとは思いませんでした。実際、取材した中で希望に届くようなものはあまりありませんでした。ただ、目に見えるものの中に希望はないかもしれないけど、心の中にはそういったものが芽生える可能性があると思っています。」と語っている。昔大島渚の監督昇進作として、中編シナリオ「鳩を売る少年」が映画化されたとき、会社によって「愛と怒りの町」が「愛と希望の町」に変えさせられた。それとは違うけれど、ある種皮肉な題名かと思ってたけど、見たら「ここから始まる」という意味では「これも希望」なのかという気もした
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シリア情勢の混迷を読む-新書③

2012年10月27日 00時15分22秒 |  〃  (国際問題)
 国際問題のカテゴリーで書くけど、新書本の続き。夜まで出かけている日が多くて、なかなかブログが書けないうちに、石原都知事が辞職を表明した。西の橋下、東の石原、書きたいこともあるけど、まだまだ情報もはっきりしないので、先に国際問題を書いておこう。もっとも今日紹介したいシリア問題も、なんだか外から見ているとよく判らない。だから僕は書かないでいた。ただ、今までの国際情勢ウォッチングの経験からすると、「シリアでは市民の弾圧が続いています」「アサド政権の崩壊過程が始まりました」なんてニュースが言ってるのを聞いて、シリアのどこに市民がいるんだよアサド政権はそう簡単にはつぶれないんじゃないですか?などと思いながら、シリア情勢の複雑さを知らないのかと思ってきたわけである。

 国枝昌樹「シリア アサド政権の40年史」(平凡社新書)は、そのようなシリア情勢の飢餓状態を満たしてくれる貴重な本である。著者の国枝氏は2006~2010年に、駐シリア大使を務めた人物。
 「辺境の町まで足を伸ばしてシリア国内を自動車で走り回ること8万キロ。」
 「ゴラン高原も、海面下50メートルの最南端地点から最北端に位置する標高2814メートルのヘルモン山頂まで、地雷が残る緊張した最前線地帯117キロを国連の停戦監視団の行軍に加わって踏破した。」
 「ダマスカス市内はジョギングして年間1200キロを走った。警官や治安軍兵士が自動小銃を下げて警戒する施設の前を毎回何か所も走り抜け、ウォーキングすれば外国人が近寄らないスラム街にも入り込み、一種無法地帯の匂いを嗅いだ。」
 そして多くの人々にも会っている。「バシャール・アサド大統領から始まり、政権中枢幹部、首相、大臣などの政府高官、軍幹部、マスコミ関係者、さらに自由と民主主義を求めて何年の投獄されながら決して屈しなかった人権活動家、2000年の「ダマスカスの春」を演出した在野の知識人たち、NGO運営者たち、また弁護士や大学教授、イスラム教スンニー派指導者や東方キリスト教指導者、ダマスカスやアレッポのみならず地方の有力な実業家、商店主、そして現在は引退しているが情勢を推移を眺めながら静かに暮らしている人々など。」


 政府や軍の幹部に会うのは仕事だが、それ以外にもシリア全土にわたって各界の人々に会っているのに驚く他ない。しかもジョギングしてダマスカス市内を走り回るなど、こんな行動的な大使がいたのか。どうしてこの人がもっとマスコミに出てこないのだろう。テレビなんかはともかく、新聞の論説欄や総合雑誌などにもっと出ていてもおかしくない。と思うんだけど、この人のシリア情勢観が、アメリカやカタールの論調とかなり違うからか

 世界の「中東」情勢ウォッチングでは、カタールにある衛星放送局「アルジャジーラ」が大きな役割を担っている。「アラブの春」でも大きな役割を果たしたが、どうもいい加減な情報も多かったらしいという話もある。アルジャジーラは決して完全にフリーなジャーナリズムではなく、カタール首長家の影響を排除できないだろう。シリア情勢は、周辺国の思惑が複雑すぎて、多元連立方程式が解けない。はっきり言えることは、「シリア国内に自由を求める反体制派市民がいて、市民の蜂起によってアサド独裁政権が追いつめられている」などと言う理解は、表面的なもので、宗教、宗派、部族、民族が絡み合い、そこに国際的な問題があり、とても反体制派が一致できるような状況ではない。

 シリアの情勢を簡単に書くのは難しいのだが、レバノンの治安機関トップのウィサム・ハサン准将という人物が19日に暗殺された。これにアサド政権が関係しているとレバノンのスンニ派勢力は主張している。一方、23日にカタールの首長が「ハマス」が支配するガザを訪問した。パレスティナのガザ地区は、エジプトのムバラク政権時代は、イスラエルによって封鎖されていた。ムルシ大統領になって、事実上ガザの封鎖は終わり、エジプトとの交通が自由になっている。カタールは豊富な天然ガスなどの資金を反シリアのために使っている。シリアに本部があった「イスラム過激派」の「ハマス」は、内戦激化を理由にシリアから撤退して反体制派支持を明らかにしている。カタール首長のガザ訪問は、このようなハマスの変化に対する「ごほうび」だと見られている。

 第一次世界大戦までは、この地域はオスマン(トルコ)帝国の支配下にあった。映画「アラビアのロレンス」に描かれるようにアラブ民族の独立運動が高まったが、大戦後はシリアとレバノンがフランスの委任統治領、イラクとパレスティナがイギリスの委任統治領と、英仏で分割された。シリアとレバノンという区分けも、それまであったわけではなく、事実上一体の地域を統治に便利なように分けてしまった。別の国ではあるが、今に至るもシリアがレバノンに圧倒的な支配力を持っているのは理由があるのである。第二次世界大戦後のシリアは正式に独立するが、アラブ民族の統一を目標に1958年から61年まで、シリアとエジプトが合同して「アラブ連合共和国」という国があった。国境が離れた連合は無理があり過ぎて3年でつぶれたが。

 当時のアラブ世界では、イスラム世界がヨーロッパに負けない国力を身に付けるにはどうしたらいいか、大きく分けて二つの考えがあった。一つは「社会主義」で、もう一つが「イスラム教」である。50年代、60年代は社会主義の影響力が強かった。エジプトやイラクは王政だったが、革命がおこり軍人政権で社会主義的な開発政策が進んだ。その当時にシリアで結成されたのが「バース党」。「アラブ社会主義復興党」の略称である。シリアでは政権を握り、今のアサド政権もバース党。そのイラク支部が「イラク・バース党」。同じバース党なんだから仲がいいだろうと思うと、これが犬猿の仲。シリアを追われた指導部をイラクが匿ったとか、主導権争いがあってバース党同士で仲が悪かった。イラクの独裁者だったサダム・フセイン政権もバース党で、イラクではバース党政権が崩壊したわけだが、やはりシリアとイラクの関係は悪い。それはイランとの関係による。イランはアラブ民族ではなく、イスラム教の少数派シーア派である。イラクからペルシア湾岸にかけてシーア派は多いが、どこでもスンニ派が権力を握りシーア派は恵まれない立場にある。

 シリアのアサド政権はアラウィ派が事実上支配している。シリア内では少数派で2割いない。スンニ派が7割を占めるが、フランス支配時代にアラウィ派を重用して、分断支配した。アラウィ派は教義的にシーア派に似た部分があり、イランはシーア派扱いして、シリアとの関係を深めてきた。間にあるイラクとは、イランもシリアも対立を抱えていたから、典型的な遠交近攻策とも言える。そして、レバノンの「イスラム過激派」ヒズボラはシーア派組織なので、シリアを通してイランが支援してきた

 このシリア・バース党政権の中で、70年に権力を握ったハーフェズ・アサド大統領が30年間権力を維持した。その間には反体制派とのし烈な争いもあったが、最大の反体制組織は「ムスリム同胞団」だった。エジプトのナセル、サダト、ムバラク時代の最大の反政府組織も「ムスリム同胞団」だった。つまり社会主義か、イスラムかというのが、この何十年かの最大の争いだったわけである。そのムスリム同胞団はスンニ派で、パレスティナで作ったのが「ハマス」である。エジプト革命でムスリム同胞団が権力を握ったことで、地域の勢力バランスが変わってきているのだ。

 ということで、簡単にアラブ内の構図を見る。湾岸のバーレーンやクウェートでは反体制運動が盛んで王制(首長制)崩壊の危機さえある。これはサウジアラビア王制の危機につながりかねず、シーア派国民の反体制運動を支援するイランとは骨肉の争い。カタール首長家が反シリアで突っ走るのは、イランの勢力を削ごうという考えであるだろう。シリアは事実上イランしか支援国がない。だからアサド政権の崩壊も近いと見る向きもある。しかも、エジプトでムスリム同胞団政権が誕生し、同じスンニ派でシリアとクルド人問題を抱えるトルコの公正発展党のイスラム政権(エルドアン首相)も、反アサド政権の姿勢をはっきりさせてきた。もう「社会主義」ではなく、イスラム圏では「イスラム主義」が優勢である。

 では、アサド政権はつぶれそうなものだが、アラウィ派の支持が固いのと、いったん政権が崩壊すると、リビアやイラクのような無秩序が広がり、民族、宗派間の争いで今以上の悲劇が起こることを心配するスンニ派内の有力勢力がいるのではないか。もう一つはイスラエルである。アサド政権はレバノンのヒズボラを支持し、ハマスを匿ってきたという「イスラエルの明白な敵」である。しかし、力の弱さをよく知るアサド政権は、反イスラエルを掲げつつ、決してゴラン高原回復などと言って単独でイスラエルに戦争を挑むような暴挙は行わなかった。明白な敵ではあるが、敵同士という暗黙の了解があったと言ってよい。イスラエルからすれば、ヒズボラもハマスも敵なんだけど、ヒズボラはシーア派、ハマスはスンニ派で基盤勢力が違う。シリアのアサド政権が崩壊してしまえば、ムスリム同胞団政権になる他はないだろう。または無政府状態。この無政府状態はイスラエルにとってアサド政権よりずっと危険。エジプトとシリアが同じムスリム同胞団になって、南北から圧迫を受けるのも実際は困るのではないか。イスラエルはイランの核を危険視しているので、イランと提携するアサド政権も支持することはできないが、現状維持でも良いと考えているのではないかと思う。

 このように、中東各国の思惑が複雑に絡み合い、反体制派も各国の意向を受けざるを得ないので、四分五裂状態。反体制派も残虐行為が絶えず、アサド政権に自由がないのは確かだが、どっちもどっちの状態。もともと国民的一体感があった国ではないので、国民皆が独裁に反対する国民連合ができるということはない。このまま、内戦状態のような感じでしばらく続かざるを得ないと思う。で、どうなるか。北朝鮮はもうつぶれるなどと言って「反北」を売る本がいっぱいあったが、今も朝鮮労働党政権が続いて、急激な政権崩壊は考えられない。同じように、マスコミではアサド政権の命脈は尽きたかに報道されていても、なお政権は続くというのが現時点の見通しではないか。
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PC遠隔操作冤罪事件

2012年10月23日 00時06分29秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 新書について書くと言いつつ、ずっと書いてない。政治の話題も書きたいことが本当は多いんだけど、なかなか書いていられない。そんな中で、パソコンの遠隔操作で犯罪予告メールを送られた件については、書いておきたいと思う。この問題では4人が逮捕され、大学生が逮捕された事件では、すでに保護観察処分が決定されていた。土曜日に警察や検察の責任者が謝罪に訪れたという。

 この事件に見られる捜査のいい加減さ、冤罪の問題については、布川事件の桜井昌司さんがブログで早くから指摘していたが、初めは遠隔操作ウィルスの危険性に皆驚いてしまい、これが大規模な冤罪事件であることを追求していなかった。ようやく最近になって、いろいろ報道が始まってきた。昔から「日本に冤罪はどのくらいあるか」ということが問題になる。無罪になった事件、有罪だったけど再審を求める事件。問題はそれらだけではない。裁判では被告が有罪を認め、弁護士も寛大な判決をとしか言わない事件。そのような事件の中に冤罪が隠れているのである。そのことは富山県の氷見事件が示している。この事件では実刑が確定し、すでに刑務所を出所していた。その後に真犯人が明らかになったのである。現在、国賠訴訟を闘っている。「富山冤罪国賠を支える会」参照。

 そういう恐ろしい事情を考えると、果たして冤罪事件がどのくらいあるか、測り知れないものがある。どうしてそういうことになるのだろうか。それは「人質司法」という取り調べを行うからである。この学生の場合、「認めないと少年院」と言われたと告発している。警察は言ってないと主張しているらしいが、もちろん言ってるに違いない常套手段である。そして、実際に「認めることにした」ことで、「保護観察処分」で済んでいる。「自白」しないと不利になるのである。場合によっては何週間も逮捕され、接見も認められない。それほど重い刑が考えられない事件の場合、一審が始まるまで外に出られないで会社を首になり、家族や友人を失うくらいなら、認めて謝って数日で出た方が「有利」である。数日なら病気で連絡できなかったことにできるし、謝ったことで執行猶予になる可能性が断然大きくなる。弁護士を頼んで裁判で徹底的に争うと、弁護料がかさむうえ、裁判官に「反省してない」と思われ罪が重くなる。裁判官の多くは検察側に近い判断をすることが多いし、最高裁まで争えば10年かかってしまう。

 ところで、そういう問題は刑事裁判の冤罪問題に限らないのである。日本では、すべての問題で、「自己主張をすると不利になる」というシステムが出来上がっている。日本では、ではなく、世界のほとんどの国できっとそうだろう。なんでもいいけど、不当な目にあった場合は、自己主張しないで、黙ってガマンして「はい、はい」と上の言うことを聞いて、「おとなしくしてれば、見逃してくれる」のである。どんな問題でもそうで、自分の主張をしないすべを身に付けていかないと、日本社会を渡っていけないのだ。それが司法の場で現れているのが、冤罪という問題。でも冤罪捜査を通して、日本社会が透けて見えてくる

 今回不思議なのは、警察と検察が謝罪したのに、裁判所は何故謝罪しないのかということ。家庭裁判所では、本人が認めて謝罪の意思を見せたので、ほとんど事実に踏み込まず「保護観察」にしたに違いない。今度東電OL殺人事件の再審が始まるわけだが、再審というものは請求人か検察側が求めて、初めて開始するかどうかが決まる。裁判所が自分で開くことができない。しかし、裁判所の決定こそが最終のもので、無実の被告に有罪を宣告したことこそが一番の問題ではないか。その裁判所は再審が開始され無罪を言い渡す時も、謝罪することはほとんどない。(少しはあったが。)今回も裁判所の謝罪は何故ないのか。誰も不思議に思わないのが不思議。

 もう一つ、「誤認逮捕」と言われる問題について。「間違って逮捕された」ことが問題だとされている。しかし、「誤認」と「逮捕」は別である。遠隔操作を疑ってなかったんだから、「誤認」されたことはある意味仕方ない。遠隔操作されたパソコンが押収され調べられるのも仕方ない。で、パソコン内に送信の跡が残っていて、それが犯人である証拠だというならば、もう逮捕する必要がないではないか。証拠は万全、警察がパソコンを押収して証拠隠滅の恐れは皆無。そのまま「在宅起訴」すればいい。それを逮捕までするのは、警察、検察の中で、「自白」「動機の解明」で、ストーリイをうまく作る、それこそが捜査だと思い込んでいるわけである。確かに殺人罪などの場合、動機の解明で殺人罪が傷害致死、過失致死、過剰防衛、正当防衛などの可能性がはっきりしてくる場合がある。動機の解明に踏み込んで行く必要も高い。でも今回のような犯罪予告だけの場合、そういうストーリイは被告、弁護側が主張するならともかく、検察側があえて踏み込む必要がどれだけあるだろうか。

 これも捜査だけの問題ではない。学校でいじめなどの問題が起こった場合も同じ。会社などでも同じだろう。「自白」があり、「謝罪」があることが、日本では認識の必須の前提なのだ。「私小説風土」、「談合社会」とでも言えばいいだろうか。この鬱陶しさ。きちんと科学的証拠に基づく捜査を行うということは、他分野での「情による不明朗取引」をなくしていくような取り組みと一緒に進める必要がある。
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中国映画「スプリング・フィーバー」

2012年10月22日 21時51分31秒 |  〃  (新作外国映画)
 新宿K’sシネマで上映中の「中国映画の全貌」シリーズ。日曜夜の回で、ロウ・イエ監督「スプリング・フィーバー」。おととしの公開作品だけど、当時見逃した。その後名画座等でなかなかめぐり合わず、ようやく見ることができた。2009年のカンヌ映画祭脚本賞、2010年キネマ旬報ベストテン9位。今回は2回しか上映がなく、その2回目が昨日なので、旅行翌日で夜はあまり行きたくなかったけど、仕方ない。だから、紹介しても劇場で見る機会はないんだけど、DVDも出てるし、非常に素晴らしい映画だったので書いておきたい。

 これは、昔風に言えば「愛の不毛」を描く、南京の5人の男女の関係を描く映画。ラブ・ストーリイであると同時に、「文芸映画」であり、否応なく「政治映画」でもある。この映画は、中国映画史上初の本格的に同性愛を描く映画である。(「覇王別姫」など直接ではないけれど、同性愛的な感情を描く映画はある。また香港でワン・カーウェイの「ブエノスアイレス」は直接の同性愛関係を描くが、舞台がアルゼンチンだった。「スプリング・フィーバー」は現代中国の様子を描いている。)ただし、一般的な映画ではなく、ゲリラ的に作られた映画である。前作「天安門、恋人たち」(2006)で、天安門事件を扱ったため(ではなく、フィルムの品質の問題にされたらしいが)、カンヌ映画祭での上映許可が下りなかった。ロウ・イエ監督は中国での5年間映画製作禁止処分を受けたが、フランスの出資で「スプリング・フィーバー」を作った。中国国内で上映するつもりの映画は、当局の検閲を通過しないと作れない。だから中国では映画製作の自由はないんだけど、国内上映をあきらめれば製作自体が罪に問われたり、撮影中に検閲無許可の撮影を理由に逮捕されたりすることはないらしい。だから「インディペンデント」(個人製作の映画)の映画はかなりたくさん作られている。外国でしか知られていない監督も多い。

 夫の浮気を疑う女性教師が探偵に夫の調査を依頼する。その探偵は夫の相手がジャン・チョン青年であることを突き止め、依頼主の妻に知らせる。夫は友人と称して妻を含めて三人の会食を計画する。妻は翌日、ジャンの職場の旅行社に乗り込み、書類をばらまく。これをきっかけに、夫婦の間も、夫とジャンの間も壊れていく。この3人の関係が前半。一方、探偵と恋人リー・ジンにジャンが絡んでくるのが後半。探偵はいつの間にか追跡するジャンに惹かれていき結ばれる。三人はきまぐれに旅行に行き、奇妙な三人旅が始まる。この間にジャンが通う南京のゲイバーのシーン(実際にあるところをロケしたという)、リーが働くコピー商品の縫製工場での工場長との関係(工場は警察の手入れがありつぶれてしまう)などが挿入され、中国社会の巧みなスケッチがなされる。旅行中、リーが酒を買いに行き戻ると、男二人が抱き合っているのを見てしまう。悲しくなったリーは部屋を抜け出る。時間が経ち、ジャンはリーがいないのを心配し探すと、ホテルのカラオケルームで一人で歌っているリーを見つける。二人は理解しあえるか。そこに探偵もやってきて、三人のカラオケ。プ・シューという歌手の「あの花たち」という曲だというが、孤独な魂に寄り添う素晴らしい歌で、心に沁みる。歌はあるがほとんどセリフのない、このカラオケシーンの長回しのカメラが印象的で、素晴らしい。

 そのあとどうなるかは書かないことにするが、この映画の中の孤独は相当に重い。それは「一人っ子」の中で同性愛を生きる孤独でもあるだろう。また、検閲がなく自由な脚本で撮れた反面、大型カメラが使えず小型のデジタルカメラでドキュメンタリー的に撮らざるをえないという、この映画の製作事情にもよるだろう。しかし、基本的には都市に生きる若い人間の愛を求める孤独の叫びが世界共通で心を打つと言うことだと思う。

 「文芸映画」というのは、この映画が南京で作られた事情に関わる。上海は経済が進み過ぎ、北京は政治が絡む。戦前の中国作家、郁達夫(ユイ・ダーフ、いく・たっぷ)の短編小説にインスパイアされて作られたので、中華民国の首都だった南京で撮影されたという。郁達夫の「春風鎮静の夜」という小説は、高校教科書にも載るものだというが、「こんなやるせなく春風に酔うような夜は、私はいつも明け方まで方々歩き回るのだった」という部分が、この映画の基調低音となっている。この小説の文は随所で引用され、全体に文芸映画的な香りをつけている。ジャンがゲイバーで女装して歌う場面も興味深い。そういう風俗的な関心、文芸風の香り、政治的な暗喩などを含みつつ、孤独な愛の映画として完成度が高い。監督は事前にアメリカ映画「真夜中のカーボーイ」と「マイ・プライベート・アイダホ」を見せたという。どちらも同性愛が出てくるが、孤独な愛の映画だった。なお、中国では福祉制度が遅れていて、老後は子どもに依存する度合いが高いようだが、一人っ子が同性愛だと孫ができない。心ならずも結婚せざるを得ない同性愛者が多いのだとパンフに書かれていた。中国事情を見るという意味でも、オールロケ(ゲリラ撮影)なので興味深い。
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雪国の宿 高半

2012年10月22日 00時10分28秒 |  〃 (温泉)
 越後旅行。昼は十日町の小嶋屋総本店で蕎麦を食べた話は昨日書いた。その後、清津峡へ寄って、トンネルを歩く。日本三大峡谷というらしいけど、土砂崩れのあと、10数年前にトンネルができ、途中に4つ見る場所が開いている。紅葉の季節かなと思ったけど、今年はどこも遅れているらしくほとんど紅葉してなかった。清津峡には秘湯の会にも入っている清津峡温泉の清津館があるが、他にも「よーへり」という掛け流しの立ち寄り湯があった。軽く浸かる。

 そのあとは、宿をめざし早めにチェックイン。「雪国の宿 高半」というところ。入るとエスカレーターで、上に上がるという珍しい宿。ここは湯沢温泉の湯元で、800年も昔、通りかかった高橋半六翁が武蔵の国に向かう途中病にかかり、薬を探しに山に入ったら見つけたという。湯沢温泉の一番高台の、ガーラ湯沢に近い方。見晴抜群で温泉街も新幹線も遠くの山々もよく見える。そして、そこに戦前、川端康成が逗留し、「雪国」を書いた。当時の部屋が残され、資料館として開放されている。1957年に作られた東宝映画「雪国」(豊田四郎監督、岸恵子、池部良主演)でもオールロケされ、当時の宿が出てくる。館内ではこの映画が16時からと、20時半からと2回、上映されているという宿である。写真は、その「かすみの間」。中に入れる。
 

 そういう由緒ある宿なんだけど、それよりお湯が素晴らしい。アルカリ性の肌がスベスベする美肌の湯源泉で43度、浴槽ではそれが少し下がるので、人肌にやさしい。奇跡的な湯。こういう温度の温泉は他にもあるけれど、湧出量が多く、アルカリ性の「美人の湯」というのは珍しい。男湯は浴槽二つとサウナ、水ぶろ。女湯に半露天があるが、男湯にはない。男湯の一つはジャグジーだったんだけど、ジャグジーに塩素殺菌が義務付けられたのをきっかけに、止めてしまったとある。その代り、お湯の量を調節して「超ぬる湯」にしている。どちらも泉質が良いので、いつまででも入っていられるような風呂である。


 最近はネットや電話で秘湯や公共の宿に泊まることが多くなった。今回は大手の会社で使える助成金のようなものがあったので、久しぶりに大きな旅館に泊まった。越後湯沢というところはスキーが中心で、夏のアウトドアや川端康成で来る人も多いけど、温泉そのものはあまり意識されてないと思う。僕はこれほどの湯はめったにないと思った。館内は大きいが、金額はそれほどではない。夕食もコシヒカリの新米で、美味しい。地酒もうまい。しかし、朝食はもう少し工夫の余地はあると思うし(おかずバイキングだけど、和風のおかずだけでなくサラダバーは欲しい)、多少古い感じもある。でも、きれいな風呂と「雪国」の施設で十分、大満足。ここしばらく、身体が温泉を求めている感じだったんだけど、だいぶほぐれた感じ。ところで「雪国」という小説も、名前と冒頭のみ有名で、ちゃんと読んだ人が少ないかもしれない。今になるとすごく変な話だけど、言語表現として素晴らしい達成であるのは間違いない。傑作です。ノーベル賞を受けた中国の莫言に大きな影響を与えた。「雪国」に犬が出てくる、それにインスパイアされて「白い犬とブランコ」という小説を書いたというんだけど…。ええっ、犬なんか出て来たか?と日本では皆思った。確かに一行ほど出てくるらしい。(読み直してない。)映画にもちゃんと出て来る。

 翌日も晴れて素晴らしい天気。近くのロープウェイで、「アルプの里」に行く。ロープウェイはあちこちにあるが、ここも紅葉が遅い。遠くの山が一望。越後三山から谷川岳まで絶景。写真は日本百名山の巻機山(まきはたやま)。奥の平の方。手前のピラミッド型の山は飯士山(いいじさん)。午後は大源太キャニオン(だいげんた)へ足を延ばす。東京ではほとんど知られてないが、湯沢の辺りではキャンプなどで有名らしい。ダム湖から見えるとんがった山が「日本のマッターホルン」(言い過ぎでしょう)の大源太山。
 

 2日目の昼は、越後湯沢駅の駅ビルで食べた。いや、ここは素晴らしい。オシャレなお店や土産物屋が立ち並ぶ。新潟駅よりいいかも。「魚沼イタリアン ムランゴッツォカフェ」で食べたピザはここしばらくの中では一番おいしい。カフェ「MESSIA GARE」(メシアガレ)というカフェでは、「コメシュー」180円など、安い値段で美味しいスイーツを。新潟は米良し、酒良し、野菜良し、魚良しの土地なんだけど、恵まれすぎのためか、今ひとつデザインや発信力が弱かったと思う。でも、その場に行くと、温泉やスキーだけでない魅力がいっぱい生まれつつある。越後湯沢駅はわざわざ立ち寄ってみる価値がある。4時間まで駐車無料。
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小嶋屋総本店の蕎麦-新潟旅行①

2012年10月20日 23時56分03秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 19日から20日に越後湯沢に旅行。旅行記の中に食の話を入れてしまうと、印象が薄れるから今回は別立てで。前にも書いたけど、前の家が更地になってマンションを建築中。そのうえ、近隣一帯の水道工事もあって、家の前にはトラックが停まったり、掘り返したり。昼になると車を出せないような日々が続いている。そこで早めに車を出さないといけない。だから8時前には家を出た。山に当日登るようなときは、5時、6時に家を出ることもあったけど、最近は9時、10時に出ればいいやという時が多かった。

 東北道、北関東道(反対車線が事故渋滞で延々とつながっていたけど)、関越道と順調に走り、予定より早く関東を抜ける。そこで思い切って十日町まで足を延ばし、小嶋屋総本店を再訪することにした。ここは3年前に一度行っている。

 小嶋屋というのは、東京でもスーパーで売っていることがある。「ふのりつなぎ」を最大の特徴とする、四角い紙の包装をしている乾麺を見たことがある人もいるだろう。新潟駅ビルにも入っている。これが昔から好きだった。のど越しが素晴らしい。コシと歯ごたえが抜群。乾麺で食べる蕎麦では一番だと思ってる。妻の出身が新潟市で、よく行く機会があったから昔から知っているという事情。ところが、新潟駅に入っているのは、よくみると「株式会社長岡小嶋屋」。今日越後湯沢駅に行ったけれど、そこに入っているのは十日町に本社がある「株式会社小嶋屋」。それと別に「株式会社小嶋屋総本店」というのがあるのだった。のれん分けで、似た名前があちこちにあるというのは、文明堂や吉兆なんかと同じ。もともとは、「総本店」が本家で、二代目の兄弟が、十日町と長岡で別会社を興したということらしい。

 そして、その「株式会社小嶋屋総本店」は、十日町中屋敷というところに、それこそ「総本店」という店を出している。いや、そのことを知ったのは割と最近のことなんだけど、これは行かなくてはいけないということで、3年前に「大地の芸術祭」を見に行ったときに食べに行った。本当は今年も「大地の芸術祭」の年だったけど、夏は暑くて宿も高いから敬遠してしまった。ということで、また食べに行けるとは思わなかった。やはり旅行は早く出るほうがいい。

 どこと説明するのは難しいけど、「千年の湯」という立ち寄り湯のそばなので、そこを目指す。目印は水車。落ち着いた大きな構えの店構え。駐車場も広いけど、かなり埋まっている。
 

 頼んだのは「天ざる」。新潟でよくある「へぎそば」もあるし、季節の松茸ごはんセットなんかもあったけど、普通に天ざるを。待つ間に「ごまをする」。ゴマとすり鉢があって、ゴマをすってお待ちくださいとのこと。蕎麦が来ると、これには本わさびが付いている。これもする。食べる前にいろいろ仕事がある。でも、わさびを自分でするのは、蕎麦を食べるまでに心を高揚させる一番の方法だ。蕎麦は二段重ねのへぎそばに海苔がかかる。ここのそばは、つなぎに「ふのり」(布乃利と当て字を使う)を使っている。これは海藻だが、もとは織物の意図の糊付けで魚沼地方で使われてきたものだという。

 雪ありてこの水あり
  人ありてこの技あり
   織ありてこのそばあり

 とチラシでうたっている。それだけの言葉に負けない、おいしさである。

 最近「蕎麦打ち」ブームなどと言って、「もりそば」しかないような店が結構ある。手打ち、10割そばで、おししいけど、「もり」と言わずに「せいろ」と書いてある。脱サラ店主がそばのうんちくを語りだしそうな、ジャズが流れてるような店。おいしいけど、たかが蕎麦屋なのに、高級すしやかフレンチかというような「権威」がどうもね…という店もある。僕は「蕎麦道系」の店と言っている。もう「道」の域に入っているのではないか。伝説的な椎名町の「」に僕は行ってるし、そういう店も嫌いではない。(あの甲州長坂の清春白樺美術館隣にある「翁」の移転前の店。)でも、「種物」も欲しい。「やぶ」だって、「砂場」だって、天ぷらなどの種物があるではないか。神田やぶの「天だね」など、絶品中の絶品である。何もカレーやカツ丼がなくてもいいとは思うけど、ある程度いろいろな種類が欲しいし、ご飯ものもおいしいのがあっても悪くない。小嶋屋総本店の魚沼産新米コシヒカリを使ったご飯ものも実に美味しそうだったけど。

 乾麺を売ってて、首都圏ではそれで知られているようなところで、本店で食べられるような店。それは蕎麦では小嶋屋総本店。うどんでは、秋田湯沢市稲庭町の「七代目佐藤養助本店」(稲庭うどん)。これにつきるのではないか。麺好きなら一度は訪れたいところだと思う。 
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追悼・若松孝二監督

2012年10月18日 20時36分58秒 |  〃  (日本の映画監督)
 若松孝二監督が交通事故で亡くなった。1936年4月1日生まれで、満76歳だった。奇しくも今年1月に交通事故で死亡したギリシアの映画監督、テオ・アンゲロプロスも76歳だった。近年になって大活躍していて、今年だけで新作を2本公開された。さらに中上健次原作の「千年の愉楽」が来月にも公開予定である。そういう映画監督が交通事故で亡くなってしまったのか。そんなことがあって良いのか。

 映画の中身は連合赤軍とか三島事件だった。さらに戦争と性を追及して、ベルリンで寺島しのぶに女優賞をもたらした「キャタピラー」。低予算の映画作りを実践し、その分を観客に還元、低料金で公開したという監督である。映画祭やトークショーなどにもよく出かけていった。来月の多摩映画祭でも、トークが予定されていた。76歳といえども、まだまだ元気。生きていたら、もっと若松監督に映画化しておいて欲しかった同時代史がたくさんあった。
 
 若松監督の独自な所は、ピンク映画出身だったことである。当時の映画監督は、松竹とか東宝とか、大手の映画会社の採用試験に合格して助監督経験を積んだ。ところが大手映画会社の外で、安いポルノ映画がたくさん作られていた。これを「ピンク映画」と呼んだ。(「不良少年」が「不住異性交遊」するのを、昔は「桃色遊戯」と呼んた。その意味での「桃色映画」。)若松監督は高校中退で、そういう学歴だと大手には入れない。偶然のきっかけでピンク映画に出会い、自分の表現を獲得していった。その後、大手は新入社員を取らなくなってピンク映画出身が監督が増えた。そのはしりが若松孝二だった。

 若松孝二の名前(悪名?)は、1965年の「壁の中の秘事」でとどろいた。団地で悶々とする受験生と人妻を扱った成人映画が、なんとベルリン映画祭に正式出品されてしまったのだ。日本の正式出品作は落とされ、買い付けた映画会社が出したものを事務局が独自に選定したらしい。国内で見るのも恥ずかしい「下品な映画」が、よりによって「日本代表」。何たる国辱!と怒った人が多かったらしい。この時の映画祭当局は先見の明があったというべきだろう。大傑作かと言われれば疑問はあるが、確かに才気ある独自の表現だったからである。

 日本映画界の異端児となった若松孝二は、自分の若松プロで独自のピンク映画を量産した。表現的にも、政治思想的にもどんどん過激になっていった。映画界本流からは無視され通しだが、60年代末の日本映画は若松孝二を抜かして語れない。若松プロで若い才能も発掘し、「日本のロジャー・コーマン」とでもいうべき存在にもなった。作品はものすごく多いが、誰しも認める問題作、ピンク時代の代表作は「胎児が密猟する時」(66)と「犯された白衣」(67)だろう。どちらもエロというよりグロ、というかスプラッターもの。アメリカのB級映画の一番面白い時のテイストがある犯罪映画である。前者は山谷初男が若い女性を密室に監禁し、後者は唐十郎が看護婦寮に忍び込む。いずれも猟奇犯罪ものだが、その異常犯罪ぶりは時代に先駆けている。後のサイコ・ホラーもののような感じである。
(「胎児が密猟する時」)
 69年の「処女ゲバゲバ」「現代好色伝 テロルの季節」、70年の「性賊(セックスジャック)」や「新宿マッド」など、ポルノ兼政治映画みたいな作品が多くなり、若松の名は若い世代にとどろく。プロデュースした「荒野のダッチワイフ」(大和屋竺)や「女学生ゲリラ」(足立正生)も伝説的な「奇妙な味」映画だった。71年にはパレスティナまで行って「赤軍‐PFLP・世界革命宣言」という映画まで作ってしまった。72年には、ATGで初の一般劇場公開映画「天使の恍惚」を撮り、76年には大島渚の「愛のコリーダ」を製作。こうして、日本映画界の位置も安定していった。

 80年代以後は一般映画を作るようになり、「水のないプール」(82)、「われに撃つ用意あり」(90)、「寝取られ宗介」(92)がベストテン入りしている。特に「寝取られ宗介」の原田芳雄は主演男優賞を獲得する熱演で、原田の代表作の一つ。「われに撃つ…」は、佐々木譲原作のハードボイルド。これも原田主演で、新宿で暴力団に追われる外国女性を助ける元学生運動家の酒場主人を生き生きと演じている。しばらく間があり、2008年に「実録連合赤軍 あさま山荘への道程」という大問題作を発表する。2010年に「キャタピラー」、2012年「海燕ホテル・ブルー」、「11・25自決の日」「千年の愉楽」となる。
(実録連合赤軍 あさま山荘への道程) 
 性的、政治的な映画を作った監督として知られているが、俳優、特に男優に自由に演技させていい味を引き出すのがうまい。映画の構造としては、シンプルなワンテーマ映画が多い。いろいろな人物が様々に絡み合って複合的な世界を作る映画ではなく、一つの視点で描き切る。ピンク映画で会得した映画作りとも言える。「寝取られ宗介」は原作がつかこうへいで、かなり様々な人物が出てくる。「連合赤軍」も長くて人物が多いが、時間の流れは一本である。そういう僕の見方からすると、ただひたすらシンプルに、異様な犯罪を描くだけの「胎児が密猟する時」の緊迫感が一番すごいと思う。

 ただ、見るのが辛いとは思うが、若い世代にも「実録連合赤軍」は見て欲しい。「キャタピラー」も。(ちなみに、「キャタピラー」とは「芋虫」のことで、戦争で手足を失った男を直接に表現している。「芋虫」から、戦車のキャタピラーの意味が生まれた。)三島由紀夫映画の評価は難しい。若松監督の映画らしく、シンプルで判りやすいが、そうなるとあまり面白くないのである。知ってる出来事が絵解きされていく感じなのである。そういうところが難しい。テレビで見たら、これから原発事故を映画にしたいと言っていた。若松監督の原発映画はどういうものになっていただろうか。もう見ることはできない。残念だ。
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今こそ「上野千鶴子」を読もう

2012年10月17日 22時01分16秒 | 〃 (さまざまな本)
 今日買ったばかりで、まだ読んでない。読んでからなんて言ってると遅くなって書かなくなるかもしれないので、今紹介してしまう。上野千鶴子さんの本である。今月の岩波現代文庫新刊。「ナショナリズムとジェンダー新版」(1240円)と「生き延びるための思想新版」(1300円)。
 

 紹介する意味は後で書くが、どちらも「新版」である。だから、元の本を持っているという人は買わなくてもいいと思うかもしれない。でも、この「新版」という意味は重い。「ナショナリズムとジェンダー」には「『慰安婦』問題は終わらない」と帯に書かれている。「生き延びるための思想」は「逃げよ、生き延びよ」。そして「東大最終講義を収録」とある。この本の第Ⅴ章、「3・11の後に」に「生き延びるための思想-東大最終講義に代えて」が収録されているわけである。そして、この「3・11の後に」が311頁から始まるという何という卓抜な編集

 上野千鶴子が「3・11後」を語るという、それだけで「新版」といえども買うべきだ。(もっとも僕は元を買ってないけど。)一方、「ナショナリズムとジェンダー」も、第2部、第3部は全部新たに収録されたもので、特に「アジア女性基金の歴史的総括のために」という書き下ろしの文章が入っている。これは読まないと。岩波の本は町の小さな書店には置いてないことが多い。大型書店かネットで買うことになる。だから意図的に買おうという意思がないと知らずに終わるかもしれない。それも早めに紹介する理由の一つである。

 以上の点だけでも紹介に値するが、上野千鶴子といえば、知的関心がある人なら買わないわけにはいかない存在、だったと思う。ついちょっと前までは。でも、フェミニスト世代も高齢化し、若い人は東大の教授だったエライ人としか思ってない人も多いだろう。上野さんの本といえば、フェミニズムやケアだから、「男は関係ない」「怖いから読まない」という「食わず嫌い」の男どもも多いのではないか。何ともったいないことか。「主張はともかく、芸を楽しむ」という読み方だってできるのが、上野さんの本だと僕は思っている。それは「セクシィ・ギャルの大研究」(これも今や岩波現代文庫で生き延びている)だけだろうと言われるかもしれないが。確かに、「従軍慰安婦問題」に何の関心のかけらもない人は、無理して「ナショナリズムとジェンダー」を読むのは辛いだろう。でも、僕が思うのはむしろ「運動」の側で、上野千鶴子さんの本をもっと読んでおくことが必要なのではないかということだ。

 例えば、「ナショナリズムとジェンダー」自著解題の一節。「『国民基金』の解散は、折しも日本でもっとも保守的な政治家、安倍晋三政権のもとであった。憲法改正を可能にし、教育基本法を『改悪』し、『ジェンダーフリー』バッシングの先頭に立ち、そして2000年の女性国際戦犯法廷のNHK放映に介入した当の政治家が、政権のトップに就いたときである。」「『国民基金』関係者が政治的リアリズムから予見した通り、その後の日本の政治環境は右傾化の一途をたどり、『あのとき』を除けば、『国民基金』が成立する機会は二度とふたたび訪れなかった-のは、今となっては誰しも認めないわけにはいかないだろう。そしてこのようなささやかな『評価』ですら、『国民基金』側に立つ者として裁断されるような原理主義が、運動体の側にあり、それを指摘することすらタブー視される傾向がある。」

 やはり上野さんはすごい、と思った。このような情勢自体、運動体の分裂というようなことも、今や歴史的に追及されるべき問題である。そうでないと、原発問題で同じことが繰り返される。いや、もう繰り返しているのではないか。バラバラに選挙に立ち、安倍政権の再来をもたらすのか。

 そして、「生き延びるための思想」自著解題に、次のような深い言葉が書かれている。「ケアとは非暴力を学ぶ実践である。この目の覚めるような命題に出会ったのは、岡野八代の近刊『フェミニズムの政治学』である。」「『3・11』は圧倒的な災厄だった。その中でももともと弱者だった者たちが、さらに災害弱者となった。女、高齢者、障害者、子ども、外国人…である。無力な者に強者になれと要求することはできない。無力な者が無力なまま、それでも生き延びていけるためにはどうすればいいのか?」

 僕は上野千鶴子さんの本は比較的読んできたと思う。上野さんは社会学なので、専門的な本は読んでないものも多いのだが。でも、現代日本を考えるときに、「上野千鶴子がどう語るか」は常に関心を持ってきた。そういう現代日本の何人かの「知的リーダー」の一人と思ってきたのである。90年代に入って、歴史問題と性教育などで「バックラッシュ」と言われる動きが強まってくる。その先頭をひた走ってきたのは、東京都教育委員会だった。「つくる会教科書」を採択し、「七生養護学校事件」を起こし、「10・23通達」を出し、教員の職階制を強化し、教員賃金の成果主義をすすめ、僕には毎年毎年、毎月毎月、暗い時代が強まっていった。(別に学校現場の生徒は関係ないのだが。)そして安倍政権が出来て、教育基本法が改悪され、教員免許更新制が通った。(さすがに上野さんは、教員免許更新制には触れていない。)

 僕は授業で涙を流したことがただ一度だけある。それは90年代後半に、戦争の特別授業を行った時に、石川逸子さんの「従軍慰安婦」に関する詩を朗読した時のことである。「731部隊展」に関わり、生徒に勧めて感想文を書かせるようなことができた時代だった。そんなことを思い出しながら、上野さんの文章を読み直してみたいと思う。上野さんは、良く知られているように、2011年3月末をもって、東大を早期退職した。以後は「Women'sAction Network」を拠点にし、そのWEBサイトにブログもある。2011年3月というのは、そこで辞めた人が多い時だった。上野千鶴子はその一人、僕もその一人。

 安倍晋三は今日靖国神社に参拝し、沖縄では再び米兵による女性への暴力事件が発生した、そういう日に。
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映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」

2012年10月16日 23時22分37秒 | 映画 (新作日本映画)
 遠隔操作ウィルス問題とかiPS細胞の世界初の臨床応用をめぐる問題とか、ウソだとか「なりすまし」ということが実社会には結構ある。死体がいっぱい出てきたり、一体誰が誰なんだか、現代社会ではそういうことが多いのか。映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」という映画は、日本を舞台にしてそういう「虚実皮膜」の風俗を描く。イランの巨匠アッバス・キアロスタミが日本で撮った、日本人(数人)しか出てこない、フィクションのようなドキュメンタリーのような(というか俳優がやってるから劇映画であることは誰でも事前にわかっているけど)、不思議な感じの映画である。あんまり期待しないで見たんだけど、これがすごく面白かった。渋谷のユーロスペース(26日まで)などで公開中。

 キアロスタミ監督は最近はイランを離れて撮っている。イランの政治的状況が厳しい(アフマディネジャド政権の検閲などが厳しい)ためだと思うが、有名な監督だから海外でも製作ができる。大人を描くのが大変なイラン映画界で、子どもを主人公にした「友達のうちはどこ?」などの名作を作った。友人の監督マフバルバフを騙るニセモノを描いた「クローズ・アップ」、大地震をめぐって記録映画と劇映画の混ざった「そして人生は続く」など、思えば昔からニセモノと本物に関心が深い監督だった。前回の作品「トスカーナの贋作」(ジュリエット・ビノシュがカンヌ女優賞)もイタリアを舞台に、イギリスの美術評論家(を演じる俳優)が贋作を論じる。そして出会ったビノシュと夫婦に間違われるけど、誤解はそのままで夫婦を演じていく…というか、見てる側も本当はこの二人の関係はなんだか判らなくなるというような映画だった。今回も「誤解」が話を進めていくけど、一体なんなんだか話はよく判らない部分がある。

 この映画はカンヌ映画祭のコンペに出品されたが無冠に終わった。最近のキアロスタミも巨匠になって好きなように撮れるからか、どうも今ひとつ判らない作品が多い。有名になると映画がわけわからなくなることを僕は「ゴダール化」と呼んでいるが、キアロスタミや台湾のホウ・シャオシェンもそんな感じ。だから、この映画もあまり期待しなかったのである。でも、相当に面白かった。この映画だって判らないところは多いんだけど、やはり同じ国だから推測できる部分が多いということかな。今まではイランやイタリアだったから判らなかったのか。ホウ・シャオシェンが一青窈主演で作った「珈琲時光」やソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」なんかより、僕には面白かった。(以下、映画の設定について書いています。)

 冒頭、オシャレっぽい酒場、若い女性がケータイで口論してる。相手は交際相手の男らしい。女性は友人と来てるけど、居場所についてウソをついているらしい。そこに「でんでん」演じる男が現れ、今日の夜はどうするかというようなことを…。「でんでん」だから、他に男がいるのに二股かけて付き合ってるという感じではないなあ。お婆ちゃんが来てる、明日は試験、だからダメ。いや、今日は是非行ってくれ。そこに男の電話がしつこい。どうも「フーゾク」でバイトしてるのか。試験というから女子大生か。というような感じがしてくる。この女子大生役が高梨臨(たかなし・りん)という若手女優で、この人が好きなタイプかどうかで、かなり映画の印象が違ってくるのではないかと思う。僕は好感を持ってしまったので、そういう立場でつい見てしまった。夜も遅い、タクシーで1時間、結局タクシーで「仕事」に行く。途中の車内で、お婆ちゃんなどのケータイの留守電を聞く。さっきの酒場で一緒だった「渚」という友人と一緒に東京に出てきたらしく、二人で「フーゾク」の仕事をしてたらしい。お婆ちゃんは心配で突然出てきたらしい。どうもやってることが怪しい。

 ついたところがある老人の家だった。この老人役の奥野匡(ただし)、1928年生まれの84歳にして初の主役だそうである。何だかインテリっぽい。老人だから、ただのデートはいらない。彼女は袋井(静岡)の生まれとのことで、桜えびのスープを用意して、シャンペンとろうそくでムードを出す用意をしていた。でも、桜えびはきらい。もう酔ってお酒はいい、眠いという感じ。翌朝、老人は女子大生を大学に車で送っていく。道が詳しいと思えば、老人はその大学で教授をしていたという。ところが大学に着いたら男が待ち伏せしていて、なかなか試験にいけない。この男(加瀬亮)が老人を女性の祖父と思い込み、車に接近し乗り込んで話し込む。男は「中卒で自動車修理工場の社長」で、二人の間に問題はあるが、自分は結婚するつもりで結婚すれば判りあえるという。自分勝手で思い込みが強そうで、どうもこの二人の行く末は大変そう…。

 ここまで書いてしまうと、見たときの面白さが減るかもしれない。でも、この一日にも満たない時間の記録のような物語は、かなりの緊迫感をはらんでいる。女子大生、老人、修理工場の彼、皆がよく判らない人物で、何者だろうか、この先関係はどうなるのかという緊張感もある。それと後半は老人がほとんど運転していて、80過ぎた運転自体の危なさ(居眠りしてるシーンも)もある。何もなしで終わるのか、何かあって終わるのか。そういう何もないような、でも大きなドラマをはらんでるような、日本の日常。この女子大生や老人や若者がリアルといえばリアル、こんなのはいないと言えばまあそういう感じ。でも日本の話だから、その間の事情が何となく察することができる。日本は人間関係が壊れてますなあ。「お金と暴力」ではないですか。でも、それはどこの社会でも共通か。日本社会はそれを「洗練」してしまったのか。若い男性、女性が見て感想を聞きたい感じの映画。同時に、こういうアイディアだけで映画を作れてしまうという自由さも素晴らしい。「ライク・サムワン・イン・ラブ」というのは、ジャズの名曲でエラ・フィッツジェラルドの歌だそうである。映画でも流れるし、ネットの予告編でも聞ける。
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追悼・ノロドム・シハヌーク

2012年10月16日 12時53分34秒 | 追悼
 カンボジアの、ノロドム・シハヌーク前国王が北京で死去。89歳。2004年に退位後、ガンを公表してほとんど北京にいたから、正直まだ存命だったのか、89歳だったのかという感慨もある。「シアヌーク」と日本の新聞は表記しているが、これは宗主国だったフランス語の読み方(フランス語は「H」を発音しない。ホテルはオテルになる)であるから、ちゃんと発音できる日本語表記では「シハヌーク」と書くべきだろう。

 15日は遅くまで映画を見ていて、家に帰って夕刊を見て死去を知った。その間、携帯電話のニュースサイトを何回か見たけど、このニュースは見なかった。確かに今となっては現実の政治に影響を与えることはないだろうけど、新聞では一面に載る記事を知らないでいた。WEBやケータイでニュースを見ているだけでは偏るという実例だろう。

 僕は1970年のカンボジアのクーデタ、米軍のカンボジア侵攻作戦をよく覚えている。全米の大学で反対運動が起こり、オハイオ州立大学で州兵により学生の死者が出た。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの「オハイオ」という曲はその悲劇を題材にしている。この侵攻はニクソン政権の愚行中の愚行で、後のブッシュ・ジュニア政権のイラク侵攻とともに記憶される必要がある。カンボジア内戦からポル・ポト派の大虐殺、その後の苦難の道のりは、皆この馬鹿げた侵攻作戦がもたらした。しかし、それには中国の責任も大きい。

 シハヌークは第二次世界大戦中、18歳で国王に即位した。日本軍が東南アジア一帯を支配し、敗戦後はフランスが戻ってきてインドシナ戦争が始まった、そういう時代。完全独立後に、国王を退位し、首相や国家元首というような肩書きで、実質上カンボジアの政治を握り続けた。それは不思議な政策で、王制、仏教、社会主義、中立外交がセットになったようなもので、「王制社会主義」と呼ばれたりした。しかし、これは諸外国のはざまで小国が生きる知恵として、伝統と中立を掲げていたもので、その繊細なガラス細工のような工夫をアメリカの粗雑な軍事外交が葬り、何百万人もの犠牲者が出たと僕は思っている。

 カンボジアは当時、国土の一部を「北ベトナム」が「南ベトナム解放民族戦線」を支援する「ホーチミンルート」に使用するのを、黙認していた。これは当時の情勢を考えると、やむを得ないものだと思う。このルートをたたくのが、米軍の作戦だったけれど、これは昔「蒋介石援助ルートの遮断」を掲げて仏印進駐をおこなった日本軍と同じではないか。

 当時、シハヌークは外遊中でモスクワにいた。しかしソ連は支援せず、シハヌークは北京に赴く。そして、中国や北朝鮮の支持の下で、反アメリカ活動を始める。これがポル・ポト政権が政権を獲得することにつながる。以後のカンボジアの悲劇はここでは書かないが、シハヌークにとっても苦難の道のりだった。92年にカンボジア和平への取り組みが始まるが、それまでの間のシハヌークの評価は難しい、しかし、結局シハヌークの国王復帰という形でしか和平は成立しなかった。シハヌークの存在は大きかったのである。

 本人は本来は芸術、芸能に関心がある明るいプレイボーイなのではないかと思うが、歴史がこの人に国民統合の象徴以上の役割を持たせてしまった。しかし、大国に翻弄された小国がかろうじて独立と尊厳を保つのも、こういう有名な国王がいたからでもあるだろう。世界的に見れば、20世紀後半の忘れがたい脇役、ということになるだろうか。
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追悼・丸谷才一

2012年10月14日 22時54分16秒 | 追悼
 この前追悼を書いたばかりの大滝秀治は、昨年の文化功労者に選ばれていた。今回追悼を書く丸谷才一は昨年の文化勲章受章者だった。「かろうじて間に合った」と言うべきなのか。他に昨年選ばれた人に、加賀乙彦さんや山口昌男さんがいる。(五百旗頭眞さんや毛里和子さんもいる。)加賀さんは6日の死刑廃止集会で元気な姿を見たばかり。

 丸谷才一という人は「小説家」と思われている。確かに僕も小説を一番読んでるとは思うけど、本質は批評家であり、また翻訳家だったのではないか。僕は中学時代に突然「純文学」にめざめたときがあり、三島由紀夫、大江健三郎なんかを読み始めてしまった。その頃芥川賞を受けた丸谷才一、大庭みな子、庄司薫、清岡卓行、古井由吉なんかの名前は、とても親しい感じで覚えた。でも、庄司薫の赤頭巾ちゃんシリーズを除き、ほとんど読んでない。「若い人向け」ではなかったからである。70年代後半になると、中上健次、村上龍、三田誠広など若い作家が芥川賞を取ることも増えていくのだが。

 丸谷才一の小説を初めて読んだのは、大学時代に書評を見て短編集の「横しぐれ」を読んだときである。面白かったので、文庫の「年の残り」を読んだ。芥川賞を取った表題作より、「思想と無思想の間」という現代の「知識人」の生態を面白おかしく風刺した小説がやたらと面白かった。付き合った彼女の父が、思想的オポチュニストとして名高い人物だったという設定である。当時は清水幾太郎という人が有名で、戦時中は国策に沿い、戦後は「進歩的文化人」の代表となり、60年安保の時は「世界」に「今こそ国会へ」という檄文を書いた。その後「転向」し、左翼批判をするようになり、最後は日本の核武装論を書いていた。まあ、そういう今は右翼の、思想的変動をくり返してきた人物が、よりによって若き知識人の「義父」になったら…。彼女はいいけど、父親が不評で自分の「出世」にも問題ありそう…という風俗喜劇みたいな、思想小説みたいな面白さ

 丸谷才一はこの「風俗喜劇みたいな思想小説」である長編小説をいくつか書いた。最初は71年の「たった一人の反乱」で大評判になった。そのことは知ってたけど、高校生が読みたいと思う本ではなかったので、読んだのはだいぶ後。そうしたら同時代批評である風俗喜劇部分がかなり色あせていたように感じた。刊行当時は題名が流行語になったけど。その後の「裏声で歌へ君が代」(82)は台湾独立運動、「女ざかり」(93)は新聞社の女性論説委員、「輝く日の宮」(03)は女性の源氏物語研究者を描いて、全部同時代的に読んできた。読めば面白い。いずれも風俗喜劇であり思想小説である。昨年も「持ち重りする薔薇の花」という長編を出したということだが、そんなに評判にならなくて読んでない。でも時間が経つと、これらの小説群も、どうも忘れられていないだろうか。「裏声」はもう文庫にないし、「女ざかり」は大ベストセラーになったけど、現代日本文学の必読書として評価が定着しているとは言えないと思う。(「女ざかり」は大林宣彦監督、吉永小百合主演で映画化されたが、丸谷、大林、吉永の取り合わせは全くの大失敗だった。)

 丸谷のこういう小説は、日本の「私小説」的な風土を嫌い、ヨーロッパの社会小説を目指したものである。19世紀のイギリス、フランス、ロシアなどで書かれた大小説は、社会、思想、風俗を描き切り今でも素晴らしい迫力で迫ってくる。でも、日本では作家の貧乏自慢や性の悩みに悶え苦しむような「自我」を描く小説がありがたがられて、「大人」が出てこないではないかというわけである。だから日本の実社会では、小説は共産主義なんかと同じく、若いときにはかぶれることもあるが、いつか抜け出て大人になると必要なくなるもんだと思われてきた。小説なんて若いときしか読まないものだったのだ。まさに「小説」(小さく説く)だった。丸谷はそれを超えた、大人の知的世界に読まれうるノヴェルを目指したのだろう。それは確かに成功したとも言えるが、それでも現代日本の全体をとらえる小説にはならなかったと僕は思う。評判になった長編も、東京の知的スノッブの世界を背景にして存在していた感じがする。

 僕はそれらの長編よりも、「横しぐれ」「樹影譚」のような短編の方がいいと思う。小説の中の批評性が面白いと思う。大体、この人は批評の方が面白い。「後鳥羽院」がもしかしたら最高傑作ではないか。でも大評判になった「忠臣蔵とか何か」(84)は頂けない。あれは論証ではなく、ほとんどフィクション。あれで賞を取れるなんて、文芸批評は実証性が要らないのかと僕は驚いた。それはともかく、長編は10年にいっぺんだけど、批評、エッセイのような文章はずっと多い。そちらの方が残っていくのかもしれない。そして翻訳。何と言ってもジョイスの「ユリシーズ」なんだろうけど、グレアム・グリーンの「ブライトン・ロック」、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」などを評価する人もいるだろう。翻訳家であり、元は英文学者であるが、そういう英文学の伝統を受けて、日本の小説を書いた。今でも長編は読んで面白いとは思うが、その透徹した批評性こそが一番印象的だった。同時代の作家として一番すくなわけではなかったけれど、次の大長編ではどういう世界を舞台にして知的な喜劇を展開してくれるのだろうかとはよく思ってきた。「女ざかり」を読み返すとどうなんでしょうねバブル崩壊期の社会を批評したとして、いずれは大きく評価されるのかもしれない。
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串田和美の「K.ファウスト」

2012年10月14日 14時15分54秒 | 演劇
 とても楽しいお芝居を観た。けれども東京ではもう上演終了。世田谷パブリックシアターの「K.ファウスト」。6日~14日公演で、この後19~21に松本市民芸術館で公演。


 13日(土)は僕が関わっている福祉作業所が東京馬主協会の補助金を得られることになったので、その目録贈呈式で東京競馬場に行ってきた。普通の競馬を見る門ではない事業所門から入って馬主会館へ。そういうとことがあるのである。式はすぐ終わったけど、そのあと、競馬場の来賓席へ行ってお弁当を食べた。そういうところがあるとは聞いていたけれど、すごくきれいで広い場所。写真はFacebookに載せた。

 それで時間がうまく合わないんだけど、夜に世田谷パブリックシアターへ。これは木曜の朝日新聞劇評欄を見てから行く気になった。今当日券を何とか入手してみたい演劇がいくつかあるが、この芝居はその中に入っていなかった。割合安くチケットを入手できたので早速行った。串田和美が作ったこの芝居、とても面白かった。今までに一番感動したのが井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」だとこの前書いたけど、一番面白かったお芝居は間違いなく「上海バンスキング」。そのあといくつかは見てるけど、コクーン歌舞伎は全く見てない。渋谷の東急文化村そのものにほとんど行ってない。ル・シネマで映画を見たことも、たぶん21世紀になってから一度もないと思う。(ユーロスペースに行くときトイレだけ利用しててすみません。)

 ということで、しばらく串田和美を見てなかったんだけど。感想はほとんど劇評につきている。
 「串田が絶望と希望、苦みを込めて我が人生、我が世界を、サーカスのリンクのような舞台でカーニバル風に展開する。」
 「演出と美術も担当する串田は、サーカス、大道芸、生音楽、夢の視覚化、歌舞伎手法と、培ってきた方法を総動員する。」
 「ああ、串田は、長い演劇人生をかけて、こういう舞台を作りたかったのだ、と得心させる。」

 ファウストは笹野高史悪魔メフィストフェレスが串田和美道化役に小日向文世。主にこの3人で展開する。が、冒頭に生音楽(アコーディオンのCOBAが素晴らしい)、サーカス(フランス初めヨーロッパ人をオーディションで採用)の空中ブランコが出てきて、目と心を奪ってしまう。空中ブランコは本当に素晴らしく、人生の夢と飛翔、揺れる心そのものでもあるだろうけど、サーカスの祝祭的な演劇空間が皆の心をとらえる。

 笹野高史は最近いろいろ出ているが、映画「天地明察」では老学者を印象的に演じていた。1948年生まれで老け役ばかりやっている。この芝居でも最初は高齢のファウスト博士だが、悪魔に魂を売ってエステに行くと(このエステ場面が傑作)、みるみる若くなって本当に若返ったかに見えるのが驚き。体を張った体技も披露していて、笹野の若さに驚いた。串田は悪魔役を遊び人風に演じて楽しい。最後、ファウスト博士の時間が無くなると悪魔の勝利かと思うと、悪魔は人間が作り出したとお互いがお互いであったという結末

 人間が永遠を欲する、錬金術を求めるというのは、現代で言えば、永久エネルギーであったはずの「核燃料サイクル技術」ではないか。人間は理想を追い求め、ついに核兵器を手にしてしまった。高齢化社会にあふれるアンチ・エイジングのブーム。ファウスト伝説に込められた現代への意味は大きいと改めて考えさせられた。そのようなすごく重いテーマを裏に潜めているとも思うけど、あくまでも楽しく、祝祭的なファンタジーであり、西洋縁日のような舞台。見ていた観客も大満足だったことは、長い拍手とカーテンコールが示しているだろう。

 なお、舞台には直接関係ないが、最近映画や演劇に行くと、観客の中に着帽のまま見ている人がいる。昨日は僕の真ん前がそうで、見渡してみたら6人くらいいた。また映画でも背にもたれないで、前の席にもたれてみている人がいる。困ったもんだ。まあ、頭髪もわざと突き出すようにボサボサにしてる人もいて、そういう場合は帽子でもかぶってもらう方がいいが、普通は頭髪に帽子が乗る分、後ろの席からは見にくさが増す。昨日の人は、かゆいから頭を掻くのはまあ仕方ないが、普通は頭に手を持って行って掻くところ、手を固定させておいて頭の方を動かすという不思議な人だった。
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