尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

バッテリー技術の革命を

2011年06月30日 20時53分46秒 |  〃 (原発)
 明日から節電態勢がさらに強化されます。で、原発は再開すべきか、いや自然エネルギー開発に力を注ぐべきだ、それより文明社会の便利さ自体を問い直すべきだ…といろいろな意見が飛びかいます。これらの議論も大事だと思うけど、それより新技術の方向性で違う考え方もあるのでは、という話。これは先に紹介した安斎さんの本で教えられたことです。
 今の議論は「電気は貯めておけない」ことが前提になっています。しかし、一日中クーラーをつけてるわけじゃないから、つけてない時に充電しておいて、その電池でピーク時の運転ができるようになれば、何の問題もありません。技術的には、核廃棄物の最終処理や太陽光以外の自然エネルギーの大規模実用化などより、ずっと簡単なのではないかと想像します。というか経済性を無視すれば今でもできるのではないかと思います。(太陽光も蓄電技術だから、その大規模バッテリーは太陽光で可能になるのかもしれません。)

 現在もすでにずいぶん多くの電機製品がバッテリーで動いています。ひげそりや電動歯ブラシなんかはモーターを動かすだけで大して電力はいらなさそうだし、手に持って使いたい製品だから充電して使ってます。これらは小さな機械ですが、携帯電話などはいまや小さなパソコンというべきだけど、バッテリーを充電して使っています。ケータイするためにはコードがあっては意味なく、バッテリー技術の発展で携帯電話という機械ができました。携帯電話という商品ができてからもどんどん進化していって、バッテリーの使い勝手も急激に良くなっていきました。
 また、電気自動車というものも実用化されています。(しかし、今後はどうなるんでしょうか?)そういう風に考えると、ケータイや電気自動車まで実用化できるバッテリー技術の発展を、さらに追及していけば「電気を貯める」ことがもっとできるようになるのではないでしょうか?

 今までの大型家電が充電式でないのは理解できます。ケータイするわけじゃない、冷蔵庫やクーラー、洗濯機、テレビなんかを充電する意味はありません。コンセントにつなぎっ放しの方がいい。動かさないんだから。水道から水が出るのにわざわざ汲み置きするのは二度手間です。しかし、水不足で時間断水することは今でも時々聞かれるけど、そういう時は水道が出るときに水をためておきます。今や電気も不足する時代なんだから、大型バッテリーで夜などに電気を貯めておく技術が必要です。

 いや大都市では夜も朝も暑くてクーラーつけるぞと言われるかもしれません。その通りなんだけど、工場やオフィス、学校などを考えると、夜はほとんど使ってないでしょう。(業種によって夜間の方が使う場合もあるし、理系大学の実験なんかで夜も使うかもしれないが。)そういう大型施設を考えると、そこで大型のバッテリーが設置できるようになれば、とても効果があるはずです。
 家での家電状況を考えると、小型製品(1万程度)や自動車(100万超)はバッテリーが可能だけど、その中間の大型家電(10万超)の価格帯では、充電タイプにすることでコストアップになると価格競争に太刀打ちできないのではないかと思います。しかし、大規模オフィスなどでは、規模のメリットがあるのである程度実用性があるのではないかと予想します。ゴーヤを窓にはわせたり、雪を利用したりするよりも、よくないですかね。

 ただし、以上の話はしろうと考えです。すごい技術が開発されたはいいけど、レアメタルを使わなければならなかったということもありえます。(そういえば、原子力に使うウランもレアメタルで、石油より早くなくなりそうということですが。)
 また、夜間電力は主に原子力で作られてきました。一度運転を開始したら急に止められない原子力発電を前提にして、揚水発電とか夜間電力の利用が言われてきました。原発を使わないなら夜間電力も少なくなるとも考えられます。しかし、火力でも水力でも連続稼働した方がコストダウンになるのは当然ではないかと予想できます。昼の電力使用を抑えるために夜に発電して貯めておくことは可能でしょう。

 ということで、大規模なバッテリー技術の革命的発展をめざしましょう!

 ところで今回家電製品をいろいろと思い浮かべて考えましたが、掃除機が充電式になって欲しいですよね。まあ、日本の家庭事情ではそう広い部屋もないので、せいぜい10分、20分だからガマンしてるけど、長くなったコードを収納するのが面倒。学校みたいにけっこう広い場所を掃除するときは不便です。もうずいぶん充電式掃除機もあるようだけど、どんどん性能がアップしていくことを期待します。
 またドライヤー。旅行用品などではコードレスもあるけど、一般的にはコードがあると思います。まあドライが目的と言うより、正確には「ヘアスタイル・コンディショナー」として使うことが多いから、ドライヤーとしてはポータブルの方がいいけど、大型の鏡の方が動かないからコードレスの意味がないと言えるでしょう。しかし、それとともに、電気を熱に変換するという点で効率が悪いので、バッテリー式に向かないのかもしれません。

 商品としての電気とは何なのかを考える中で、こういうことを考えました。この話題はまたいずれ続けたいと思います。
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東電総会、訂正と補遺

2011年06月29日 23時20分27秒 |  〃 (原発)
 毎日重大なことを書き続けるのは読む方も大変だろうから、今日は休もうかとも思ったけど、訂正があるので。(なお、字の変換ミスの見逃しはいくつもあるので、いちいち訂正しませんので。昨日も「御前」という間違いがあった。今までも「辻本清美」「緒方拳」とかあったけど、菅直人論のところで市川房枝さんを「恒例の女性運動家」という間違いにはわれながらびっくり。)

 株主総会の話で、「89%で否決」と書き、だから株主提案が1割以上の賛成だと思ってそう書いた。これはNHKのニュースを聞いて書いたのだが、今日の東京新聞を見ると、否89、賛8、残り3%が棄権・無効票とあった。よって株主提案は1割行ってませんでした。しかし、賛否を明らかにしない場合や議決権行使書を送らない場合は会社案賛成になるはずなのに、どうすれば棄権できるのか、わからん。

 さて、本日、東電の「株主総会決議ご通知」が送られてきた。多くの会社は配当(及び株主優待品がある場合も)が、この通知とともに送られてくる。(郵便局で現金に引き換えられる為替が同封されていることが多い。今はゆうちょ銀行だから、為替と言わないようだけど。銀行振り込みを指定しない限りそれが来る。)配当があるなら、早く来る方がいいとはいえるだろう。しかし、今回は無配だし、総会でも「質疑応答の内容を報告して欲しい」という要望が出た。どうなんだろう?午後4時過ぎまでかかった総会の通知をそれ以後に一斉に投函(というかどうするのか知らないが)して、今日中に届くのか?(料金後納郵便で出している。)一体いつ出してるのか?(第3号議案が否決されたのは午後4時。それから刷っていては今日着くはずはない。だから「予定稿」で印刷しておいたわけだが、それは実務上やむを得ないと考える。しかし、発送するのは総会が完全に終了してからでないとおかしい。)

 原発、エネルギー問題のことは今後も書いていくが、どうなんだろう?それだけになってはまずいでしょ、とも思うけど。今後他の原発でも事故が起きる確率と、普天間基地周辺で米軍機の事故が起きる確率はどちらが高いですか?でも、本土で普天間問題を今でもずっと気にしてる人はどれだけいるの?そして、今年も自殺者が3万人を超える確率はと言ったら、それこそ100%確実だ。
 放射能がこれだけばらまかれてしまったけど、それでも「ガン発生リスク」ではタバコの方がずっとずっと高いはず。そういうことも考えて行かないと。
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東電株主総会記

2011年06月28日 23時49分29秒 |  〃 (原発)
 今日はこっちがメインのはずが大事なことが起こり先に書きました。最近映画や芝居で夜遅く今日も朝から株主総会で疲れるんだけど、書いておきます。(あまり書く中身はないんだけど。)
 
 東京電力の株主総会きわめて不快な体験でした。僕は初めて株主総会というものに出たんだけど、これはいったいなんなんだろうと思いました。場所は芝公園の「ザ・プリンス パークタワー 地下2階 ボールルーム」というところです。ここは他にも大会社の総会によく使われています。自分の家から行きにくく、布川事件判決があった茨城県土浦の裁判所の方が近かったのにびっくり。まあ、東京の東北のはじですから。

 で、思ったより時間がかかり、メイン会場に入れませんでした。ニュースで報じられているように、9200人以上来たわけで、第5会場まで作られたわけです。僕は第2会場に案内されましたが、大きなプロジェクターで総会のようすを見ていただけで、言っちゃなんだけど総会参加者というより、傍聴者に過ぎない。開会少し過ぎてから、議長(勝俣会長)不信任動議が出て動議だから優先して採決したけど、メイン会場以外では採決を取らない。後でその件で質問が出たけど、議長は半数以上の株主の委任状を受けているからいいんだと強弁してましたけど、それならメイン会場で採決する必要もない。メイン会場だけ挙手をさせて、数えもしないで「反対多数と認めます」と議長が言う。どの会場にいても同じ株主としての権利を持ってるはずなのに、メイン以外には挙手もさせない。会社関係者が各会場に行って確認すれば済むだけでしょう。

 株主提案は否決されたと各テレビで伝えています。そうなんでしょうか?勝俣議長が「株主様の提案による第3号議案は反対多数で否決されました」と言ったのは確かです。しかし、菅内閣不信任案採決だったら、「賛成(白票)○○票」「反対(青票)○○票」と発表されました。よって否決だったんだなと納得できます。しかし、株主総会では「一応挙手させる」けど数えない。というか、出席票で議決権は行使してるので、インターネット、委任状と合わせ、票は事前に分かっているはずです。「賛成○○株、反対○○株、議長への委任○○株、よって第3号議案は否決されました」と発表すれば、納得できます。そりゃあ、大株主が会社賛成なんだから、株主提案は普通どの会社でも否決されます。でも、票数を発表しないんですね。それが株主総会なんだ。と思うと、資本主義というシステムは中国の全人代なんかよりずっと閉じられたシステムなんだなあと痛感しました。

 いろいろ質問が出て、いつもこういう会議で思うけど訳の分からない質問もあったけど、おおむね心に響いたり参考になった内容のものが多かったと思います。しかし、答弁は想定問答通りのものが多い感じであまり内容がなかった。御前10時から始まり、僕は午後2時頃を想定していたけど、延々と4時頃までかかりました飲まず食わずで6時間はお互いにつらいよ。お昼過ぎに、今日は長くなりそうだから休憩を入れろという動議があったけど、例によって否決。しかし、これは出席してる生身の人間のことだから、一株一票ではなく一人一票で採決して欲しかった。というかそれは会社法でできないだろうけど、挙手が多ければ議長が動議受け入れを考慮して欲しかった。もっとも腹減った、早く終わろうという方向に持ってくために昼食休憩を取る気は最初からないんだろうけど、今年は特別だよ。夜までやってもいいじゃないか。(遅くなったために、帰る途中の電車の中で、昨年卒業して就職した卒業生にバッタリ会いました。元気で働いてるということを聞けたのが、今日唯一のいい出来事。)

 僕は「東電経営陣」は経営責任を取って総退陣するべきと思っています。それは今までの総会で「脱原発株主提案」に反対する会社案を採用して、原発を推進してきたという経緯から、その会社経営方針で(結果的に、とか想定外の大津波でとか付けたければ付けてもいいけど)会社に大損害を与えた。今まで株主提案に賛成してればこうなってないわけで、そこに法的、道義的にはまた検討がいるけど、経営上の間違いであるのは明白です。去年まで事故はないと言ってきて起こったんだから、単に口先で謝罪するんでなく経営責任を取るべきです。確かに今回清水社長は退任するけど実質的な最高責任者である勝俣恒久氏がこのまま会長を続投して会社の信用が保てますか?取締役が全員一挙に退任するのは確かに問題だとしても、会長、社長は辞めるべき。だから、取締役選任の議案は、個々別々に採決すべきだと思います。(議決権は個別に「あの人はダメ」と指定して行使できます。僕は勝俣さん他数人を不信任。)また、勝俣議長の不信任案をめぐっても、自分で議長をやったまま自分は公正公平な議事運営を心がけてるから大丈夫と言って、そのまま採決してました。やはり普通の会議の場合は議長不信任案が出たら議長を交代し、他の人が議事進行をして不信任案が否決されてからまた前の議長に戻るという手続きになるんじゃないかと思います。
 まあ、勝俣さんも休まず6時間よく頑張ってたんだろうけど、どうも実がない感じがしてならず、僕としては「原発に一定のメドが付いたら」退陣するべきだと思います。

 テレビニュースで「4700万の老後資金をつぎ込んでいた」と言う人がいたし、会場での発言で「父の遺言で固い電力株を買えということでずっと持ってる。東北電力株も持ってるけど、あれだけの大被害でも今回20円の配当があった。すべては原発事故のあったか、なかったか。」という人もいました。今ニュースを見たら株主提案は89%で否決と報じていました。株主提案が1割以上も支持されたのは大きなことだと思います。朝日の夕刊には東京都に電話や意見がいっぱいあったと出ていました。
 この問題はまだまだ考えていきますが、とりあえず株主総会ってこんな感じ。
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バカンスとシエスタ

2011年06月27日 23時14分27秒 |  〃 (原発)
 さて、前回は「ピーク時電力需要」をどう抑えるかの問題。そこでは、家にいるより大規模施設に出てきてもらうほうがいい言う風に書いたけど、それは「小さな話」である。ホントは一番いいのは日本にいないこと。あるいはせめて、東電管内じゃない北海道にでも行く。東北も電力問題があるけど、東北でもいい。西日本でもいいんだけど暑いんだよね。

 要するにバカンスである。これは本来電力事情には関係ない。日本人の働き方、今後の経済発展の方向性の問題である。ここまで蒸し暑くなった大都会でブーブー言いながら働いていても能率は上がらない。バカンスを取るべきだ。旧盆前後の数日しか休めないから、夏も高い旅館に行くことになる。10日以上の休みがあれば、全部高い旅館には行けないから、どうしたって安い自炊の施設が出来てくる。必ずそうなる。日本はどこに行っても文化、スポーツ施設はあるし、ハイキングコースや史跡があるから、日本人はバカンスが過ごせないなんてことにはならない。農村への経済効果もあるけど、経済というより若い世代に農村体験をしてもらう、あるいは外国体験をしてもらうことに教育的意義がある。
 大量生産品の量産ではなく、付加価値の高い文化的な商品を開発するしか日本の道はない。そのためには暑い都会で事務作業をするより、山の温泉でのんびり2週間くらい本でも読んで過ごすことも大事。

 バカンスというのは、要するに年休のほかに特別夏季休暇を15日ぐらい与えるということだが、15日はまあ急には無理だろうが、今は5日から7日程度のものを10日以上にはしていくべきだ。なお今年に関しては、年休と夏休み以外に「ボランティア休暇を5日~10日間程度取れる」という制度を多くの会社、役所で取り入れるべきだろう。それでバカンス増に替える。

 が、小さい子供がいる、介護の必要な年寄りがいる、という人も多いだろう。そんな長いバカンスに行けって言われても行けない。と言う人のために「勤務時間短縮」制度でもいいんではないだろうか。増えた夏休み分のうち5日分くらいは、勤務時間短縮に充てられるようにするのである。一日2時間で20日分。8月いっぱい早帰り可。で、「1時間は在宅勤務で充当」を見込む。(夏に関しては、絶対家でパソコン入力した方が能率がいいに決まってる。)だから、朝早く始めれば、7時半から12時半まで働いて、それで上がり。(労基法上、休憩時間の特例を設ける。)8月は「半ドン」でいいじゃないか。

 もちろん、人によりけりだが長いシエスタを取ってゆっくり家に帰る。会社全体が長いシエスタを取る。1時から4時頃まで休む。その後夕方に2時間くらい働いて6時に終える。仕事量が終わるかと言えば、どうせクリエイティヴな仕事ができる時期ではないし、事務作業、顧客対応は夕方勤務社員が担当し、ワークシェアリングすればいい。つまり、バカンス、シエスタで人が減る期間は、アルバイト等で対応するほか、元気でお金が欲しい人はダブルワークすればいい。
 とにかく東京の夏の午後はオフィスで働くのは辛い。思い切って長時間のシエスタにすれば、そこに新しい産業も起こるし、新しいライフスタイルも生まれる。ホテルは「ランチバイキング+マッサージチェアで休憩プラン」などを作るだろうし、サウナで休んでもよし、子供と美術館や博物館へ行くとか、夏はシエスタでランチ合コン、などなど。

 もちろん大事なことは、休みをどうすごすかは個人の自由であって、部屋に引きこもって冷房をきかせてゲームをしていても、それはそれで構わないということだ。でもせっかくの夏のバカンスをそうやって過ごしていていいのか、というムードになるだろう。思い切って大胆に制度をつくることで、新しい発想が生まれ新しい産業が生まれると思う。電力事情の問題はひとまずおき、どういう働き方の社会を作るかということが先の問題だろうと思う。自分が楽しくなれるように考えていくのが本筋だと思う。
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「ピーク時電力不足」への対応問題

2011年06月26日 22時37分01秒 |  〃 (原発)
 「電気というもの」「節電とは何か」ということについて、何回か断続的に書きたい。(東電の責任というテーマが終わってないが、それはまた後で。)
 今年はとにかく節電である。例えば、箱根登山鉄道が恒例の「あじさい列車」の夜間ライトアップを今年はしないという記事があった。ホームページには、「今年(2011年)は電力需給状況から夜間のライトアップは中止とさせていただきます。光に彩られたあじさいの観賞をお楽しみにお待ちいただいたお客さまにおかれましては、大変申し訳ございませんが、何卒、ご理解を賜りますよう、よろしくお願い申しあげます。」と書いてある。しかし、これはおかしいのではないだろうか?

 なぜ今年は例年以上に節電が叫ばれるのだろうか。僕が思うに、節電には3つまたは4つの理由が考えられる。
経費節減。景気低迷、震災で企業利益が減り、家計、税収も減ってるから経費を節減しなくてはならない。
地球環境への配慮。火力発電で出る二酸化炭素量を減らすために、電気を節約する。
原発事故で夏のピーク時電力供給に不安がある。大規模一斉停電を避けるために、電力を節約しなくてはならない。
④もう一つ、震災以後の「自粛」ムードに配慮して、今年は派手な行事を止めたり、「震災に配慮してます」というポーズのために電気をつけず暗いままにしておく。

 ④は理由になってないが、実際は批判されないために④の理由で節電してることも多いのではないか。①②は昨年もあるが、今年特に節電というのは、③の「ピーク時供給への不安」からのはずである。だから節電対策はピーク時の電力需要を減らすことが中心でなくてはおかしい
 
 6月だというのに急に暑い日が続き、東電管内では需要が供給の「90%」を超えた日が出た。その時のピークは午後2時から3時だという。毎日電力予想が出てるが、ピークはいつも午後2時頃になっている。これは常識で理解できる。
 だから、夜寝るとき暑い日があったら、その時は会社や工場はほぼ休んでて電力は余ってるからクーラーを控える必要はないはずである。節約したいとか健康に悪いとか別の理由ならともかく、電力事情だけを見れば大丈夫なはずだ。
 箱根登山鉄道に関して言えば、むしろ昼間は来ないでくれ、夜のライトアップは今年もやるから、できるだけそっちに来てくれというのでないとおかしくないか。説明として「電力需給状況」を理由にしてるなら、「ピーク時の電力供給」を下げるため客を夜に回す方がいいはずだ。

 今いろんなところでやってる節電対策という名のサマータイムとかクールビズとか、皆「ピーク時の電力需要を下げる」という対策にはあまりなっていない。家庭に対して、脅しのように節電しろというだけなので、このままでは熱中症になるお年寄りが増えるだけで大変なことになる恐れがある。

 しかし、ではピーク時電力需要を下げるにはどうすればいいのだろうか
 安斎さんは先に紹介した本の中で「朝日新聞に対して、高校野球を秋にすればと言った」という話を書いてるけど、朝日もそう言われても甲子園はすでに押さえてある以上困るだろう。しかし、決勝戦は朝にするとか、阪神は「死のロード」に出てて夜も空いてるんだから、大胆に「シエスタ」を取る(第3試合の開始を午後5時頃にする)などの対策はできるはずだ。

 では、同じような発想で映画館なんかも午後の上映は中止にしてしまうというのはどうか。いやしかし、もっと考えてみると話は逆で、平日の午後の映画は無料にしてしまうほうがいい。家でクーラーつけてテレビを見てる元気な老人、夏休みで部屋に引きこもってゲームしている青少年諸君が、できるだけ近くのシネコンに映画見に行った方が効率がいい。どうせ映画館は冷やしてるんだから、皆が利用して家庭のクーラー使用を減らした方がいい。まあ無料はともかく、「平日午後の映画は1000円」ならどうか。ペイするのではないか。またスーパーなども「平日午後安売り」を行う。地域商品券も「平日午後使用の場合のみ割引」にして行政が売り出してはどうか。もっともこうして暑い時に出歩くのがいいかどうかという問題もあるが。
 といろいろ思いつくのだが、こういうアイディアを出しあう方がいい。そして夜の電力は大丈夫だとアナウンスするべきだと思う。(夏休みに夜間照明を過度に抑えるのは犯罪対策上疑問だ。)

 もちろん、僕はむやみにキンキンギラギラするのは好きじゃないから、節約するべきはした方がいいと思っている。しかし、この世はとかく住みにくい。憂きことばかり多い。そういう時には「たまにするちょっとしたムダ使い」はとてもよく効くクスリとなる。昼間の電力事情を気にするあまり、夜もガマンしてストレスをためたらおかしい。(観点を少し変えて、この問題を続けたい。)
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映画「マイ・バック・ページ」

2011年06月24日 23時49分30秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画「マイ・バック・ページ」。山下敦弘監督。妻夫木聡、松山ケンイチ主演。
 公開から時間がたって、もうあまりやってないけどやっと見た。映画としてというより、モデルになった人物や事件への興味関心。この映画は「僕の前の世代の失敗についての物語」である。

 監督の山下敦弘は1976年生まれで、71年の事件当時は知らない世代である。この監督は「天然コケッコー」「リンダリンダリンダ」などを作った人で、特に後者は地方の高校文化祭のたるいムードがよく出てて大好きである。正直言って筋を知ってる本作より、今までの作品の方がずっと好きだが、若い世代が見るとどうなんだろう?

 この作品の原作は川本三郎さん。森まゆみさんと同じくらいよく読んでる。映画は名前を変えてフィクション化してるけど、僕は基本的な人物は実名で書きたい。川本さんは朝日ジャーナル記者だったけど、過激派の自衛隊襲撃(自衛官殺害)事件の犯人と接触し証拠品の腕章を預かり焼却した。そのことが「証拠隠滅」として逮捕起訴され、朝日は解雇された。川本という人はどうなるんだろうと僕はすごく気になったが、当時の週刊誌に「前から他の雑誌に映画の話なんか書いてたから、映画評論で生きてくんじゃないか」と書いてあった。そのうち本当に映画や文学の評論で有名になった。時代劇や西部劇、都市論、荷風や林芙美子など様々な本があるが、「大正幻影」や町歩きの本が好き。

 モデルになった事件は、川本三郎を評論家にし、滝田修(竹本信弘京大助手)を「逃亡者」にしたという副産物がなければ忘れられてる。僕も本当は忘れたい。革命(または犯罪)の歴史に残るような事件ではなかった。それは主犯が「偽物」だったからである。革命家としてではなくて、人間として。その偽物性を松山ケンイチがとてもうまく演じていて、こういう人はいるなあと思った。会社にも学校にも。ずいぶんあったですよ。弁舌さわやかで自己正当化しかしない。そこそこ魅力があって、事務もできるから平時にはだませるが、肝心の時に裏切る。そういうことを思うと、初めから「ダメなヤツ」「単なるいい人」を通せる人の方がずっとましなのである。

 人間をある程度見て来て、僕はこの映画の松山ケンイチの偽物性の演出、演技を素晴らしいと思った。しかし、僕も若い時なら見抜けたか。自信はない。思うと恥ずかしいような過去は誰にでもあるだろう。でもあの時代には実際に傷つけあうことまで進んでしまった。(いや、もう少しするとマジメで有能な青年たちが教祖のために毒ガスをつくる時代が来てしまったが。)

 妻夫木(役名沢田=川本)のギターを松山が見つけ、前は音楽をやってたと言う。好きな音楽はと聞かれて「沢田」が「CCRってわかる?」と言うと、「雨を見たかいの雨って、ナパーム弾のことなんですよね」と言って松山は「Have you ever seen the rain?」と弾き語りする。CCRは、「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」というグループで、僕はこの曲が大好きだった。心に残る名シーンだが、こうして心優しい青年は騙されてしまう。いや、そういう話だけで済む時代なら、問題はないのかもしれない。

 沢田はデートで「ファイブ・イージー・ピーセス」を見に行き、女の子が「ジャック・ニコルソンが最後に泣く場面が良かった」と言う。それに対し、沢田は「男が泣くなんて」と批判する。ボブ・ラファエルソン監督、1971年日本公開のこの映画は僕も大好きで、アメリカン・ニューシネマで一番好きだが、その「泣く場面」には深く心動かされた。この映画に印象的に使われてるカントリーの名曲「スタンド・バイ・ユア・マン」を歌うタミー・ウィネットのLPを買ってしまったくらいである。まあ、アメリカの保守派のど演歌だけど。

 僕にとって、男が泣くのは当たり前で、それはアメリカン・ニューシネマと呼ばれた当時のアメリカ映画で学んだ。政治で傷つき、傷つけあうのを見て、人間は右翼・左翼で判断できるものではない。どこにでも信頼できる人はいるし、どこにでも足をすくう人もいると学んだ。前の世代はいつまでうっとうしいと思う時もあるけど、前の世代の失敗に学ぶことで少しスタート地点を先にできたのかもしれない。

 松山ケンイチのモデルの人物の名前もよく覚えてるけど書きたくない。あまたの冤罪事件でわかるように警察の取り調べで完全黙秘を貫くのは難しい。革命家を気取るんだから本来は完黙すべきだが、それはまあいいが、自分のために人を売りまくった。「平気でうそをつく人々」の一人だったのである。自分の赤衛軍事件だけじゃなく冤罪ピース缶事件の裁判でも警察側で偽証してる。(偽証は後に賠償請求が認められてる。)そういう人が松山ケンイチではもったいない。映画の話ではないことばかり書いたが、妻夫木、松山の初共演作品として、一見の価値はあるだろう。当時の雰囲気はかなり出てると思う。当時はみんなよく喫煙していた。そういう時代だった。
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安斎育郎さんの「福島原発事故」

2011年06月24日 21時00分24秒 |  〃 (原発)
 いろいろ原発事故に関する本が出てます。もちろん全部は読めません。そんな中で、東京の本屋だとあまり見ないけどおススメ本を一冊紹介。安斎育郎さんの「福島原発事故 どうする日本の原発政策」(かもがわ出版)と言う本です。あとがきの日付が4月18日、発行日が5月13日。だから、事故後にすぐ書かれた本で、事故の現況については出てきません。しかし、そういうことが全部わかるにはまだ時間もかかるだろうし、事故内容だけでなく、放射線の危険性、核分裂のしくみ、原発政策の歴史などがわかりやすく書かれた本として、とても貴重だと思います。とにかく説明がわかりやすい。

 安斎さんは東大工学部の原子力工学科の第1期生だった方です。ところが原子力開発政策に批判的だったため、東大医学部助手になったものの口もきいてもらえない「アカデミック・ハラスメント」を受けます。その後、京都の立命館大学で平和学を教えるようになり、狭義の原子力研究とは離れていたのですが、本来の専門が放射線防護学ということで、今回の緊急出版となります。

 立命館大学では国際平和ミュージアムを作り、今年3月の退職後も名誉館長を務めています。そこは長野県上田市にある戦没画学生美術館「無言館」の京都別館があるところで、最近公開された記録映画「無言館」にも安斎さんが出ていました。ホームページを見ると、来週6月29日(水)の16:45~18:00の時間に、「福島原発から何を学ぶか?-二度の現地調査をふまえて-」という安斎さんの講演が立命館大学で行われるとのことです。京都まではなかなか行けませんが。

 安斎さんは最近は原子力というよりも、岩波新書「だます心だまされる心」のような科学を装ったエセ科学への批判、正しい科学教育の普及などに力を入れてきました。これらの活動はとても貴重なものだと思います。「福島原発事故」も「事態を軽視せず、過度に恐れず、被害者支援と復興にモリモリと取り組もう」という姿勢で貫かれています。なお、微量放射線について、「ちょっと不謹慎」と言いつつ「がん当たりくじ」と表現していて、この表現は前からのものですが、なるほどそうか!とあまりにピッタリの表現にとても納得できました。

 安斎さんの名前は前から知っていて、それは都立両国高校出身だからです。両国高校も中高一貫になり附属中に扶桑社の歴史、公民教科書が採用されています。その問題が起きたときに、都立高校出身者の学者、文化人などを調べたことがありました。僕はかつての都立高校の自由闊達な校風を誇りに思っているので、都立出身者が平和や人権のために活動しているのを知るととてもうれしく思うのです。
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東電の個人株主として

2011年06月23日 22時55分17秒 |  〃 (原発)
 21世紀に入ってから、幸か不幸かいろいろな問題に良く当たる。都教委の「高校改革」で、当時勤務していた夜間定時制は閉課程、母校の白鴎高校は中高一貫校。その白鴎高校附属中で都教委が「つくる会」教科書(扶桑社)を採択。仕方ないので同窓生による反対運動を始めて7年目。(先週「会報8号」を発行した。)安倍内閣では誰も本当にやるとは思っていなかった教員免許更新制度が成立、自分が第1回目の該当者となる。まさかそのまま実施されるわけはないと思って講習を受けずにいて退職に追い込まれる。

 さて、その時大いにあてにしていた財産がある。東京電力株である。
 父親の遺産でもらった東電株2000株。昨年9月に増資が発表されて急激に値を下げた。相続当時2400円で、今までは大体の時期でその金額を少し上回っていたのだが、1900円程度に値を下げた。具体的に見てみると、2010.9.6に2494円。それが11.4に1884円。2011.3.11には少し回復していて2121円だった。その後ストップ安で値を下げ続け、6.23現在293円。気になる人は自分で計算してみてください。(売ってないので机上の損失だけど。)

 僕が書きたいのは、二つ。東電株主の責任東電の責任問題(これは明日以後)である。
 僕は父親の遺産で初めて株主というものになった。他に数社の株もあった。不動産、現金、債券を遺族で相続するときに、たまたま東電株が僕に振り当てられた。自分で希望したわけではない。その後、他社株を売り払い、株主優待で映画を見られる会社に買い替えたりした。しかし、東電は持っていた。理由が特にあるわけではないのだが、ネット株じゃないから仕事があると証券会社に連絡しにくい。(3月の暴落時は仕事が多忙すぎて売ろうという気も起こらなかった。)配当が安定しているということもあったけど、なんとなく遺産記念で持っていたというのが正直なところだ。(実は野村證券株もあったけど、証券不祥事が起こったころ、車を買い替える資金のために東電か野村かどっちか売ろうと思い、野村株を売ったのである。)
 ある政治家が値上がり目当てで持ってる株主の責任を追及せよなどと言ってたが、とんでもないことだと思う。もちろんそういう株主もいるだろうが、東電などは安定した財産として長期保有していた人がほとんどだと思う。長期保有する個人株主を育てなくて日本の経済成長はあるのか。

 株主になると株主総会の案内が来るが、初めのうちはせっせと反原発株主提案に賛成票を投じていた。当日参加できない株主のために書面投票のハガキが来るのである。(今はネット投票も可能な会社が多い。)チェルノブイリ原発事故の後は集会やデモも行ったので、91年に相続した時も気持ちは脱原発である。ところが、ここは自分でも反省するところではあるが、ここ数年はハガキでもネットでも投票していなかった。東電だけでなく、どの社にもそうである。自分のような極小株主がどうしようが大勢には何の関係もないからである
 そうはいってもアムネスティのハガキを世界各地の独裁政権には送っていた。そういうことは効果が少なくともやる気になるのだが、正直都教委とか東電なんかのほうが何も言う気がしないのである。反省と言うのは、自分が株主提案に賛成投票し続けなかったことにではなく、なんか何を言っても仕方ないような相手にはもう面倒くさいなという気分が自分の中にあったということに対してである。(「都教委シンドローム」と名付けることにした。)

 僕の株はどの程度の割合かということを調べてみる。昨年10月に2億株以上増資され、現在16億701万7531株が発行済株式総数。計算すると、0.00012%になる。正直言って0.01%くらいかと思ってたけど、二けたも違う。(マイクロパーセントという呼称単位を作りたい。)日本の全有権者が約1億人であるから、選挙を通して僕が日本政治に負ってる責任と権利の方が、東電株主としての責任と権利より8倍も大きい。(小選挙区を考えると、選挙権はもっと大きい。)個人株主などという存在も悲しいくらいに小さなものである。
 しかも選挙というものは原理上1票差で決まることもありうるし、比例代表の場合は自分の入れた票がそのまま割合に反映する。一方、1株1票の株主総会では自分の投票行動がどうであろうが、まあ普通は会社提案が(銀行や保険会社、機関株主などが会社に賛成するので)勝利することが決まっている。(株主提案可決には3分の2を要する。)

 というようなことを思うと、株主運動という行動で日本の大会社を変えるという発想には、正直無力感を感じてしまっていたのである。

 そういう問題を別にして、原発事故に関して株主として倫理的責任はあるかというと、それはないと考えている。もともと株式会社というのは、株を所有する投資家が金銭以外の責任を負わないという「カンパニー・リミテッド」である。様々な会社が不祥事を起こしているが、株主には法的、倫理的責任はないという責任限定をすることで、投資家を集めるというのが資本主義体制下の株式会社である。株主の責任というのは、株が値下がりするか、さらに倒産して無価値になるかもしれないというリスクを負うということにつきる。経営者には経営責任があるが、株主には経営のミスそのものの責任はないわけである。

 それにしても、なんでこのような時期(退職しようという時期)にこんなことが起こったのか。この事故に関してはいろいろと考えることが多いけど、津波被害を受けた上避難生活を強いられている人がいることに比べれば、自分で買ったわけでもない株が下がるくらいで音を上げたりはしない。けど、ずっと持ってても配当が復活する日が来るのだろうかとか、国策の間違いなんだから何とかしてくれと思わないでもない。ホリエモンが有罪確定で収監されたけど、原発は安全だと言った学者や今まで推進してきた政治家は、はるかに大きな被害を株主や株式市場に与えたことをよくよく痛感して欲しい。
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都民はみんな東電株主

2011年06月22日 23時43分18秒 |  〃 (原発)
 教科書問題、授業料無償化問題をいずれ書きたいのですが、しばらく原発、エネルギー問題を書きます。時々本や映画の話も書くけど、基本的にはずっと原発関連で。

 まずは、28日に迫った東京電力の株主総会について。
 毎回、反原発東電株主運動の会から株主提案が出ます。その他、いつもなら配当案があるけど今回はさすがに配当ゼロ。社長が退任し取締役17名、監査役2名選任の人事案件があります。

 実は僕も東電株主の一人なんだけど、その話は明日。株主提案は詳細は総会開催通知に出てるので見たい人はそちらで。簡単に書くと「我が社は、古い原子力発電所から順に停止・廃炉とする。」「我が社は、原子力発電所の新設・増設は行わない。」という箇所を定款に新設するという提案です。これは現実的な脱原発提案で、東電の利益という観点からも望ましいし、大規模事故を起こした会社としてまさに時宜をえた経営方針であると考えます。従って、個人株主として賛成

 しかし、今日はそのことではなく、東京都が東電の大株主であるという問題。今までそれは知ってたけど、都が株主総会でどうしてるのかは全く知らなかった、というか問題意識がなかったのです。今回も気づいたのは先週。もう時間はあまりないけど、都に電話してみました

 まずは基礎データ。東電全体では発行済株式総数は16億701万7531株。東京都は4276万6千株を保有し、2.66%を占め、第5位の大株主です。これは戦前の東京市電を経営していた電気局が戦中、戦後の変遷を経て東電となったという歴史的経緯があるようです。そのため、都では交通局が担当し、配当はバス会計に入れてきました。配当だけで25億以上にもなるのです。今年はそれがゼロとなる。

 さて、電話してみたら、担当の交通局の財務課につながりました。株主総会は毎年交通局長が出て議決権を行使しているとのことでした。(ただし、毎年時期的に都議会開催中なので、局長が出られない時は代理が出席とのこと。)今年の議決権行使の内容はまだ決まっていない。庁内で検討し、27日までに決定する。都議会で議決する必要はなく、報告義務もないということでした。
 そこで、株主提案に賛成するべきであるということと、それと同時にどういう結論になるかは都民も関心があるところで、都民に知らせて欲しい(マスコミ発表など)と要望しておきました。

 都が大株主ということは、東電株は都民の大切な財産だということです。株主としてどのように株主総会議決権を行使するかは、都民に知る権利があります。というより、都民は意見を言う義務があるのではないかと思います。それは原発に反対か賛成かということ以前の問題で、都庁内部で決めていた今までがおかしく、本来は都議会で決するべき問題なのではないかと思います。
 むろん都が株主提案に賛成しても多数にはなりません。また「原発事故後の知事選で原発賛成知事が当選しているから、都民の民意は株主提案反対である」という考え方だってありえます。しかし、そのことも含めて、議論が公開され都民に知らされる必要はあると考えます。

 まだ時間は少し余裕があるので、是非多くの都民が都に意見を述べてみてはどうでしょうか
 株主提案に賛成するように。あるいは、株主総会ではどうするのか決まったのか、都民や都議会に報告しないのかということでもいいと思います。また都議会議員に働きかけるのも大切だと思います。

 都へのメール提案の窓口は、ここから「都民の声総合窓口」をクリック。
 電話は、代表電話 03-5321-1111
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原田病日記-森まゆみさんの本③

2011年06月21日 21時57分04秒 | 〃 (さまざまな本)
 森まゆみさんにはブログがあり、今東北へ行ってる。気仙沼に「尾形家住宅」という文化財があるんだそうだ。森さんは東京文京区生まれだが、親をたどれば宮城県丸森というところで、最近よく行ってるという話がエッセイに出てくる。僕も親をたどれば父方も母方も東北で、ここにも共鳴する基がある。東北人の系譜として「彰義隊遺聞」を書いてるのである。

 さて、それはそれとして、3回にもわたって森さんの本のことを書いてるのは、去年9月に出た「明るい原田病日記」のことを書きたいのである。いや、あんなに元気にグルメ旅をしてたのに、というか、だからというべきなのか、森さんは病気になった。スーちゃん田中好子は学年で一つ下。森まゆみさんは一つ上。僕らの世代が病気になる。僕らの世代が病気本を出す時期が来たのかというショックである。

 しかし、原田病ってなんだ?本人も含めて誰も知らない。副題が「私の体の中で内戦が起こった」である。これは免疫疾患なのである。目に来る。体内のメラミンを他者と誤認して自分の免疫機構が攻撃を始めるらしい。メラミンは目や耳に多く、視力減退、耳鳴り、めまい、頭痛が起こる。名前は原田永之助という大正時代の医者の名前からついた。今は世界では「フォークト・小柳・原田病」と言うらしい。

 原因は分からないが、過労や加齢だけで起こるものではなく、何かのウィルスが関係してたらしい。ウィルスがメラミンにいたずらして、体がメラミンを攻撃対象として認識し、ウィルスはそのままどこかへ逃げちゃったあとも攻撃が続く、なんて説明をされてるけど、わかるようなわからないような。やはり読んでると、どうも過労が一番のトリガー(引きがね)なのではないかと思ってしまう。たまたま昔の友人が女子医大にいて、最初は恵まれてる感じなのだが、基本的な治療法は「ステロイド投与」である。
 で、症状自体は収まっていくのだが、結局のところ体の不具合はその後も続く。自己免疫疾患が目だけの病状で終わるわけはないんじゃないか、あるいはステロイドの副作用かと狭義の西洋医学を離れていろいろ聞いていくのが後半で、ここが面白いと言ってはなんだけど、考えさせる。

 僕は1998年に突然聴力の異常が起こった。耳鳴りである。医者に行ったら、「突発性難聴」と病名がついた。耳鳴りは他人には認識できない。外部からは感知できないのである。検査して聴力が落ちたことは確認できるから、病名は略して「突難」である。治療法はステロイドの点滴しかない。連続10日、朝から点滴。ちょうど中間考査にかかる時期だった。僕は長期勤続の休暇を取れる年で、大分県中津に松下竜一展を見に行く予定だった。というか緒形拳さんの講演を聞きに行くことにしていた。今はもう松下さんも緒形さんも故人である。その前に部活の引率予定もあった。全部キャンセルである。なにもそんな時に出なくても。

 で、この10日で、てき面にに出た。ステロイドの副作用である。本当は10日では少ないらしいが、そこでやった血液検査の肝臓系の数値が思わしくなく、急に点滴中止となった。その頃のステロイド副作用による気持ち悪さは表現しようがない。普通の風邪や熱中症気味の時の悪寒とは質が違う。元の症状の耳鳴りより、ステロイド副作用の方が重いのだから本末転倒である。その時は左の耳なんだけど、なんとかその時は収まったけど、しばらくして右でも始まり、その後ずっとある。正直言ってこれを書いてる今もしてるのだが、あまり重症にならないので放ってある。でも聴力を計ると、右は左の半分である。耳や目は単なる感覚器である以上に、身体の平衡感覚に関係してるわけだが、何とか今は大丈夫そう。まあ昔は地獄耳で、聞かなくてもいい生徒の言葉が聞こえてても聞こえないふりをしてた。最近10年は聞こえが悪くてちょうどいいくらいだったかもしれない。

 まだまだ一発退場レッドカードはあまりもらわないと思うけど、こうしてイエローカードを時々人生の審判から突きつけられる年齢となってきたのだろう。というようなことを森さんの「明るい原田病日記」という本を読んでいろいろ考えさせられたのだった。
 森さんの話は終わりで、これから原発の話がしばらく続きます。
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森まゆみさんの本②

2011年06月20日 22時21分04秒 | 〃 (さまざまな本)
 森まゆみさんという人は、ウィキペディアから引用すると「日本のノンフィクション作家、エッセイスト、編集者、市民運動家」ということになる。
 この人は「谷根千」を出したことで有名になったわけだが、調べてみると1984年のことである。「谷根千」とは、東京都文京区、台東区にかけての「谷中、根津、千駄木」のことである。東京東部の古い下町的な地域で、その地域に住む人々の聞き書きなどを載せて、面白い地域雑誌として有名になった

 2009年に終刊になった「谷根千」を僕は読んだことがない。その地域に行ったことはあるが、わざわざ寄り道して常連になることはなく、僕のような東京東部に住んでる者にとっても、まあ一種の観光スポットなのである。
 東京は西へ西へと発展していて、都庁が有楽町から新宿へ移ったことがその象徴である。(しかし、有楽町の東京国際フォーラムが昔都庁だったことも知らない人が多くなった。)新宿、渋谷から、さらに吉祥寺、下北沢、代官山、成城などが有名になって、おしゃれなブティックやイタリアンの店なんかがあるらしい。東京の西の方に生まれた人は、生い立ちを語るだけで売り物になる。そこに東部の人間からすると、羨望というか嫉妬があるのである。一方、東部でも浅草、深川などと違い、「谷根千」は厳密に言えば下町ではない。江戸までさかのぼれば郊外で、「根岸の里のわび住い」である。しかし、東京は震災、戦災で壊滅し郊外に広がったため、谷根千も古い情緒を残す地域として再発見された。そこが足立区あたりからすると、ちょっと悔しい。東京も広くていろいろ複雑なのである。
 
 で、僕は「谷根千」は地方によくあるタウン誌のようなものだと思っていて、森さんのことも長いこと「主婦の余技」みたいな感じで地域活動をする人だと読みもしないで思い込んでいた。

 森さんがだんだん谷根千の体験を本にし始め、90年代後半には「谷中スケッチブック」「不思議の町根津」などがちくま文庫に入った。何を最初に読んだのか忘れたが、いずれにしてもなんかのついでに買ったのである。つまり、まあもう一冊買っちゃうか、みたいな時ってあるでしょう。で、読んだらこれが面白い。つい他の本も買ってみる。みな面白い。そのうち、文春文庫で出た「明治快女伝」を読んでわかった。これは別名義で若い時に出てた本だが、森さんは一貫してフェミニズム女性史家であり、社会運動家であり、しかし何よりも人間という興味深い生きものに関心を持ち続ける人だったのだ。

 だから、谷根千を出しながら森さんは芸大の奏楽堂保存運動など、文化財の保護運動を始めていった。また、新内語りの岡本文弥、「森のひと」四手井綱英などのような素晴らしい老人の聞き書きをまとめている。それが過去に目を向けると、地元を生かして一葉、鴎外の本が多いが、同時に近代女性史への関心も高い。ということで、90年代後半に僕は森まゆみという作家を発見したわけである。

 そして、この人はただ者ではない、と確信した文章を読んだ。河出の文藝別冊「追悼特集 須賀敦子」(1998年)に寄せた追悼評伝「心に伽藍を建てる人」である。僕は須賀敦子さんが人生の晩年になって語り始めたイタリア体験の物語が大好きで、とても好きだからブログに書きたくないくらい。(人に言いたくない。)ずっと読んでた須賀さんが1998年に逝去してショックだったが、この評伝には心打たれた。このように心のこもった、誠実で暖かく、しかも鋭い追悼の評伝を他に読んだことがあったろうか。

 というわけで、文庫主体だが森さんの本はたくさん読んでいて、東京グルメ案内みたいな、昔からの店を紹介した本も重宝しているが、一番心に残っているのが「大正美人伝 林きむ子の生涯」である。これは出てすぐ買った。林きむ子と言っても普通誰も知らないだろうが、僕は名前は知っていた。「大正三美人」とも言う。他は九条武子、柳原白蓮だから、近代史家なら誰でも知ってる名前だが、この人だけ知らない。しかし、大正の新聞、雑誌を昔いろいろ調べたことがあるのだが、「日向男爵未亡人きむ子女史の再婚問題を識者に問う」みたいな特集記事がいっぱいあるのである。誰、この人?そもそも「きむ子」という名前が脱臭剤みたいで何だという感じだが、これは昔の書き方で本名は「きん」である。男爵夫人だった社交界の花形美人が、政治家だった夫が疑獄事件に巻き込まれ死去したあと、6人の子があったが、9歳年下の男性と再婚した。今でもけっこうワイドショーで騒がれそうだ。新夫は後に「うみ」や「おうま」を作る作詞家。きむ子も舞踊で知られ、二人の間には子どもも二人生まれるが、戦後は夫は離れていき…、となかなか波乱万丈の人生だが、単なる美人ではなく頑張って大正、昭和を生きぬいた素晴らしい人生である。そういう人の本格評伝。長年の疑問が完全解決した、僕にとって忘れられない本である。(森さんの話はもう一回。)
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森まゆみさんの本①

2011年06月19日 21時55分44秒 | 〃 (さまざまな本)
 森まゆみさんの本を続けて読んだので、まとめて紹介。森まゆみさんは僕が一番読んでる人の一人だけど、読み始めたのは遅かった。ハードカヴァーで読むこともあまりなくて、文庫本で読むことが多い。今回も3月に「円朝ざんまい」(文春文庫)、5月に「『即興詩人』のイタリア」(ちくま文庫)が出たので読んだけど、こんな面白い本をどうして今まで買ってなかったのかと思った。

 「女三人のシベリア鉄道」はハードカヴァーで買ったんだけど、その違いは対象になってる作家への興味の違い。僕は一葉や鴎外にはあまり関心がないが、大正・昭和になるとがぜん興味が湧いてくる。それでも、もちろん「たけくらべ」や「舞姫」は読んでるけど、傑作だということはわかるんだけど、文語体は頭に入りにくい。どうもスラスラ読めない。年が一つしか違わないのに、どうして森さんが「即興詩人」にこんなに入れ込めるのか、世代的には不思議としか思えない。

 ましてや三遊亭円朝は「怪談牡丹灯籠」で言文一致体の元祖みたいな影響を与えたという文学史的知識は知ってるけど、読んだことも聞いたこともない。でも、この「円朝ざんまい」は面白かった。言っちゃなんだけど、シベリア鉄道よりずっと面白かった。森さんの文学紀行ものでは一番面白いんではないか。円朝の様々な噺に出てくる地名を訪ねて現地報告したような本なんだけど、絶対自分じゃ読まなかったような話が面白い上に、あちこち旅グルメの話が楽しい。円朝は取材のための旅行をいっぱいしていて、しかもそれは現在みたいな短時間で済む旅行ではなく、一大イベントなんである。そこを森さんは友にして編集者と女二人連れで「追っかけ」を続ける。熱海、湯河原、伊香保、四万と円朝は温泉めぐりも多い。近代温泉文学史上、牧水、花袋、桂月以前の大物である。

 「即興詩人」の方は、アンデルセン作、森鴎外訳の現地調査なんだけど、デンマークの童話作家の作品ということで名前は知ってたけど、イタリアが舞台とは知らなかった。いや、これが一大冒険ロマンスで、びっくりである。その舞台を安野光雅画伯と旅する。安野さんがまた大の「即興詩人」マニアで、森さんも小さい頃からのファン。そして憧れのイタリアへ、地中海へと出かけていく。同時に鴎外訳がいかに後世に影響を与えたかも追求されていくが、やはり基本は文学グルメ旅。
 こういう森さんの文学、歴史エッセイはとても面白い。歴史系では「彰義隊遺聞」という傑作がある。あまり本の中身に触れてないが、紀行なので直接読む楽しみを奪ってはいけないし、逆に言うと面白いという印象を残して、細部は忘れていくとも言える。森まゆみという人はどういう人で、どうして読むに至るかと言う話は次回に。 
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熊本県の事情その後-教員免許更新制の問題点

2011年06月18日 20時58分36秒 |  〃 (教員免許更新制)
 なかなか書いてるヒマがなかったけれど、熊本県の事情でその後わかったことを報告しておきます。
 熊本県は全国最多の9人の免許失効者が出て、「失職者」が出た県です。免許更新講習に問題があったわけではなく、いずれも更新手続き上の問題だと思われるので、この教員免許更新制度と言う仕組みのバカバカしさを象徴する事例です。そのことはさきに「熊本県教委の責任」で報告しました。

 さて、熊本県の来年度教員採用試験の実施要項に興味深い部分があることに気づきました。
 小中高、特別支援、養護、栄養など様々な募集合計240名のほかに、「教員免許失効者等特別選考」というカテゴリーがあるのです。人数は若干名となっています。
 さらに詳しくみると、「熊本県公立学校における教員免許更新等に係る申請が未完了の者等を対象にした特別選考」とあり、「本県公立学校における教員免許更新等に係る申請が未完了の者で志願する者は、本人宛別途通知する要領により受考すること。」となっています。

 ホームページ上ではそれ以上わかりませんが、このように公表されているということは事実上県教委が自らの責任を一定程度認め、救済の方向性を打ち出していると見ることができると思います。採用試験はどの都道府県でももう締め切られ倍率等も発表しているところもありますが、熊本は未発表です。それにこの「特別選考」の「倍率」が発表になることは考えにくいでしょう。しかし、このカテゴリーで応募した人がいた場合は、本人に責任があって「停職」になっているわけではないのですから、県の責任で救済すべきです。まだ事態は途中ですが、ホームページで公表されているので報告しておきます。

 他にも失効者が出た都府県がありました。全部は確認してませんが、複数の失効者がいた府県で、このような特別選考を実施するところはありません。「臨時免許状」で雇用が継続している場合は、あらためて「選考」の対象になるわけはないので、たぶんそういうことなんでしょう。熊本の場合は、一度失職という事態まで行ってしまい、雇用関係が一端途絶えたことになるので、形式上「選考」となるのだと現時点では理解しておきたいと思います。
 (震災被災者の特別選考など別の特別選考を行うところはあります。また東京では高知、大分、秋田と協力した特別選考も行われます。各都道府県で様々な「特別」な選考があります。)

 しかし、これで救済されればオシマイというものではないでしょう。制度のおかしさがこれほど明白になった事例はありません。単なる制度上の事務的ミス(としか思われない)で、突然退職金もなしに職を失う、こんな人権無視の出来事が現代の日本でおこり、大きな問題にもならない。
 今東北の被災地では4月の異動辞令が凍結されているような教員が多数います。とても教員免許更新講習を受講申し込みするような余裕はないと思います。全国学力テストは事実上できなくなりました。教員免許更新制度も早く「停止」して、熊本のような事態が被災地で起きないようにすることが緊急の課題ではないでしょうか。
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孤独なヒーローが心に沁みる-加藤泰の映画②

2011年06月17日 23時26分59秒 |  〃  (日本の映画監督)
 自分の心で感じ、自分の頭で考えること。当たり前のようだけど、それを続けるのは難しい。誰かの判断に心も頭もゆだねて生きる方が簡単だ。原発が来た現地でも、遠くで電気を享受する大都市でも。有罪判決で一件落着と思いこみ、えん罪で苦しむ人の存在に想像が及ばないのも同じ。

 組織に身をゆだねるのではなく自分で判断する生き方、自分の名誉のために戦い続ける生き方が昔から好きだった。そういう人生を選び取った主人公が出てくる映画が好きだった。日本でいえば、日活無国籍アクションのヒーローや時代劇の「股旅もの」の主人公がそれである。(いや、黒澤明「生きる」や「チャップリンの独裁者」などをあげても別にかまわないけれども。)

 アウトローを描く映画は世界に多い。そういう映画は大体、悪の組織(ギャング組織やナチス、ソ連、謎の国際犯罪組織など)と戦う善の組織(警察や自国情報組織、あるいは善玉ギャングなど)の活躍を、男性人気俳優を主人公としてアクション主体で面白く描く。そういう映画がいっぱいある中で、そのごく一部に「孤独な主人公が自分のために戦う映画」がひっそりと作られてきた。

 どこの組織にも属さず旅を続けて暮らす主人公が、様々な義理や人情に挟まれ苦しみながら生きていく。それが「股旅もの」だが、史実の映画化ではない。成立したのは長谷川伸子母澤寛らが出てきた昭和初期。農村から都会へ出てきた低賃金労働者となった階層の情感がベースにある。同時にアメリカの西部劇の影響でもある。股旅ものの主人公は、日本の現実から出てきたというよりは、アメリカの「ロンサム・カウボーイ」、孤独なさすらいのガンマン、つまり「シェーン」のアラン・ラッドに近い。
(「沓掛時次郎 遊侠一匹」)
 アメリカの西部は基本的には資本制社会だから、さすらいのカウボーイは大牧場資本に雇われる非正規労働者である。しかし、江戸時代末期の日本は崩壊期といえども封建社会である。「義賊」(歴史学者ホブズボームがいうような)は国定忠治など類似の存在はあるが、純粋な一匹狼が生きていける社会的基盤はほとんどなかったはずだ。

 だから現実の股旅は惨めで汚いということを描写した市川崑の「股旅」は僕にはあまり面白くなかった。(当たり前のことをリアリズムで描いている。)それよりも汚い現実に傷つきながら理想を求め続ける、自らに厳しい「沓掛時次郎 遊侠一匹」や「ひとり狼」のようなストイックでロマンティックな映画が心に沁みる。「母もの」のヴァリエーションである「瞼の母」を別にして、大体股旅映画の主人公は、よんどころ無い事情のゆえに結ばれない宿命を背負った「運命の女」(ファム・ファタール)に憧れ、陰ながら慕い、ひたすら尽くす。これは西部劇もそうだが、そもそもは西洋の騎士道ものだろう。

 「遊侠一匹」の主人公時次郎は、一宿一飯の義理が嫌いで出入りを避けて旅に出ようとする。それは仁義に反すると時次郎を慕う身延の朝吉(渥美清の名演)は一人で乗り込み惨殺される。こういう風に下の者の命を粗末にする親分が嫌いな時次郎は旅に出る。川で舟に乗った時に、子連れの女(おきぬ=池内淳子)は旅人時次郎にも柿をくれる。次にわらじをぬいだ一家でも出入りがあり、時次郎はどうしても断りきれずにある親分と対決し、殺めることになる。死に際に妻子への伝言を頼まれた時次郎が待ち合わせ場所に行くと、そこには舟で出会った親子がいた…。
(「遊侠一匹」の渥美清)
 流れゆく定めのまま、時次郎は自分が殺めた親分の妻おきぬに憧れながら、そんな自分が許せない…。別れと再会、病に倒れた女、薬代のためにまた助っ人として出入りに行く時次郎。しがない一匹狼にはそれしかないのだ…。好きになってはいけない女を好きになり、尽くして尽くして、最後はまたさびしく去っていく。これは日本映画の中でも、もっとも切ない映画の一本だろう。孤独なヒーローの後姿が心に沁みて忘れられない。ローアングルでとらえた構図が素晴らしく、情感たっぷりの錦之介の名演もあり、傑作中の傑作である。

 股旅映画の傑作を他にあげると、山下耕作「関の弥太っぺ」、加藤泰「瞼の母」、池広一夫「中山七里」「ひとり狼」、沢島忠「股旅 三人やくざ」などがある。主役は中村(萬屋)錦之介市川雷蔵である。時代劇はこの二人だと僕は思う。
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加藤泰の映画①フィルムノワールの世界的巨匠

2011年06月16日 22時40分20秒 |  〃  (日本の映画監督)
 シネマヴェーラ渋谷で加藤泰(かとう・たい)監督(1916~1985)の特集をやっている。大体見てるんだけど、また通っている。だって好きだから。日本で一番か、二番に好きな映画監督かもしれない。東映で任侠映画を作っていたから、見ない人もいるだろうが、世界の「フィルム・ノワール」史上でもフリッツ・ラングジャン・ピエール・メルヴィル、最近の香港のジョニー・トーなどに並ぶ巨匠だと思う。
(加藤泰監督)
 今回は最高傑作だと思う「明治侠客伝 三代目襲名」が抜けてるけど、ほぼ代表作が網羅されている。伝説的な傑作中の傑作「沓掛時次郎 遊侠一匹」をはじめ、藤純子の傑作シリーズ「緋牡丹博徒」シリーズから加藤泰が監督した「花札勝負」「お竜参上」「お命戴きます」の名作3本、松竹で作った問題作「みな殺しの霊歌」や後期の大作群などなど。

 しかし、それらに勝るとも劣らない、いや面白さにかけては明らかに勝ってる快作が「車夫遊侠伝 喧嘩辰」である。この映画も、ジェンダー的観点からは問題をはらんだマッチョイズムが基調にあるが、それはそれ、面白いものは面白い。まあ、坊ちゃんを車夫にしたような一世一代の恋物語である。この映画はもっと知られていい。破天荒な面白さに満ちた驚くべき傑作だ。
(「車夫遊侠伝 喧嘩辰」)
 加藤泰の映画は極端なローアングルで、これを見れば小津をローアングルと言っていいのかというレベルである。「畳の視点」なんてものでなく、下から見上げるようなショットが連続する。これは娯楽映画として主人公をよく見せる方法とも言えるし、構図に凝った美意識の問題とも言える。決めに決めた構図の連続である。しかし、やはりそれだけでなく、世界を上から見ることを潔しとしない人生観が背景に見えるような気がする。

 1937年東宝に入社しながら満映(甘粕正彦が理事長をしていた満州映画協会)に行って、敗戦後は大映で「羅生門」の予告編を撮ったりしたが、組合活動を理由にレッドパージされた。その後は時代劇映画の監督として東映で映画を撮り続ける。ようやく自分のスタイルを発揮し始めるのは1960年に入ってからである。それでも一貫してプログラム・ピクチャーの監督だったけど、自己のスタイルにこだわり抜いた映像美が次第に評判を呼び、巨匠と認められていった。
 
 60年代後半に量産された任侠映画は、ヤクザ礼賛と毛嫌いもされたが全共闘世代と若い低賃金労働者には大歓迎された。ラストで高倉健が抑えに抑えた堪忍袋をついに切らしてあくどい敵に殴り込む時、当時の観客はスクリーンの健さんに向って大声で「ヨシ!」と掛け声をかけた。任侠映画はグローバリズムに浸食される伝統的価値を守るために一人で戦う「孤独なテロリスト」を描く思想映画だった。しかし、その政治犯は世界との自立的連帯には向かわず、結局は伝統的組織への忠誠で終わる。結局は「会社主義」に収束していった60年代反乱を象徴するような映画群である。

 そんな中で緋牡丹博徒シリーズは、異色のシリーズだ。東映の伝説的大プロデューサー俊藤浩滋の娘がたまたま撮影所見学に来てマキノ雅弘監督にスカウトされた。それが藤純子。戦後でも一番スクリーン映えする女優ではないか。大河ドラマで静御前を演じたことから、義経役の現七代目菊五郎と結婚した。そして寺島しのぶと尾上菊之助の母になった。このスカウトは日本芸能史を変えた。

 藤純子の人気沸騰に見合った企画として、亡父の組再興を誓いながら諸国を修業中の女ばくち打ちを主役とするシリーズが作られた。全くの男社会である犯罪組織を描く映画の中で、これほど美しい女主人公を描く作品群が世界に他にあるのだろうか。このような映画が作られ続けたことは、ジェンダー論としてきちんと分析される必要があると思う。

 実は僕もあまり組織の映画は好きじゃない。好きなのは、組織を離れた一匹オオカミの栄光と悲惨を描く「股旅もの」である。股旅映画の最高傑作は「沓掛時次郎 遊侠一匹」(錦之介主演)と池広一夫監督・市川雷蔵主演の「ひとり狼」だろう。もう一回、今度は股旅映画にしぼって、続きを。
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