尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『現代化日本の精神構造』ー見田宗介著作集を読む⑤

2022年11月30日 22時51分23秒 | 〃 (さまざまな本)
 見田宗介著作集を読むシリーズ。11月は第5巻の『現代化日本の精神構造』を読んだ。3巻が『近代化日本の精神構造』、4巻が『近代日本の心情の歴史』で、今回が「現代化日本」である。続けて読んできたが、こういう名前の単行本はない。400頁ある長い本だが、後半150頁の「20世紀思想地図」は実は一番最初に読み直した朝日新聞掲載の論壇時評だった。そこから一部を抜粋してあるが、その問題は最後に書くことにする。今回はそれを省略して読んだので、約250頁の前半部分だけについて書くことにする。
(見田宗介著作集Ⅴ)
 ここには主に1960年代初期に書かれた文章が載っていて、本としては最初の著作である『現代日本の精神構造』(弘文堂、1965)や『現代日本の心情と論理』(筑摩書房、1971)に収められたものが多い。最初の2編はなかなか面白いが、途中から全然面白くなくなる。こういう研究もしていたんだという感じ。「ホワイトカラーの分解と意識」「限界エリートの欲望と不安」「現代欲望論」など、60年代のサラリーマンの「出世」意識の分析である。まさに高度成長期の実像を描き出し、「戦後革新」の没落を予見したとも言えるけど、内容的には経営学という方が近い。正直言って、そんな研究もしていたのに驚いた。1968年、69年に書かれたものである。さらに「テレビドラマの二律背反」など今では全くつまらない。
(『現代日本の精神構造』)
 論文自体はどれも判りやすく、そういう文体で書くというのが見田氏のスタイルだったのだと思う。内容的になかなか興味深いのは、一番最初の「現代における不幸の諸類型」という論文。1962年の一年間に読売新聞に載った「人生相談」の内容を分析したものである。1963年に『疎外の社会学』という論文集に初出とある。確かに「人生相談」の内容は「現代の疎外」を表わすだろう。でも、それを学問的に分析するって可能なのか。その難問をクリアーするために、最初にいろいろと考察しているところが一番面白かった。「人生相談」には限界があり、それはまず「投書をかけない人びと」の悩みが出て来ない。それは「乳幼児、重病人、文盲、マスコミに接触しえないほどの極貧層」である。

 他にも「インテリ」「道徳上のタブー、とくにセックス」「政治的、宗教的少数者の問題」「体制の根源的な価値にかかわるような要因」「あまりにも特殊的、個人的問題」「とりあげるほどの価値がないささいな不幸」は取り上げられないという。インテリはマスコミの自分の不幸を投書しない。また貧乏の原因は資本主義だという投書があっても、「その通りです。共産主義社会になるまで解決しません。革命に向けて闘いましょう」と答える回答者はいない。個人の心構えや頑張りで難局を乗り越えよう、不満を言っても変わらないなどの回答になりやすいのである。

 人生相談の中身は今では少なくなった嫁姑の問題を筆頭に、親の無理解、夫の行状への不満、友人関係と孤独、経済的貧困などである。回答者は「女流文学者」などが多いけれど、大体「自分を見つめてみましょう」みたい精神論が多くて驚き。それが嫌なら投書しないはずで、そういう言葉でも頑張るために背中を押す言葉を求めていたんだろう。興味深い投書としては、酒もタバコもたしなまず、真面目に働いて子どもたちも大学を出したような57歳の父親に関するものがある。「ただひとつの悩みは人にはいえぬ癖があるのです。女性関係は全然ありませんが、若い女性の下着を身につけたがり、年をとるにつれひどくなってきました。」そして家族は焼き捨てたりしているが、父は口もきかずご飯もろくに食べなかったりするという。娘の相談だけど、今の僕の感覚ではお父さんが可哀想。見田さんも「異様な内面風景」と書いてるけど、今じゃ許容出来るのではないか。
(『愛と死をみつめて』)
 次の「ベストセラーの戦後史」もなかなか面白い。でも割合知られている内容なので、ここでは詳述しない。映画にもなった大ベストセラーの書簡集、河野実・大島みち子の『愛と死をみつめて』(1963)をめぐる分析はやはり鋭い。この本には二つの読み方があるという。〈愛〉に比重をかけた読み方〈死〉に比重を掛けた読み方だというのである。〈愛〉に関しては、「愛よりも愛されることを夢みて、しかもそのような愛のまぼろしを信じ切れない現代女性」と評する。一方、〈死〉に関しては現代人は「家」も「神州不滅」も信じれらない。宗教の「神」もいない。「神を知らず国家的忠誠を知らず社会的連帯の契機をもたず、しかもなお無数の差別と競争の重圧の底でささやかな光を求める現代の青年男女の『聖典』である。」

 「世代形成の二層構造」「現代青年の意識の変貌」はその後継続されたNHK放送文化研究所の「日本人の意識調査」を使った初めての論文。見田社会学を少しでも読んでる人には知られていることなので、ここでは詳述しない。この時点では生データが多く、多くの人が読むこともないと思う。全体として、この巻は見田宗介著作集を全巻読破するんだというファン、あるいは社会学を志す初学者を除けば、読む必要はないと思う。

 だけど、一番最初に書いたようにここには朝日新聞に掲載された論壇時評が最後に収録されている。同時代に読んでいない人には、取りあえずこれを読むしかない。全部で48本あった時評が『白いお城と花咲く野原』に40編を収録。それをさらに精選して、28本が講談社学術文庫で『現代日本の感覚と思想』(1995)として刊行されたという。いやあ、それは全然気付かなかったです。そして今はそれも絶版のようである。だから、この著作集で読むしかないわけである。僕はこの論壇時評は先に読んで2回記事を書いた。『「論壇時評」再読、35年目の諸行無常ー見田宗介『白いお城と花咲く野原』を読む①』と『〈深い明るさ〉を求めてー見田宗介「白いお城と花咲く野原」を読む②』で、そっちを参照。
(『現代日本の感覚と思想』)
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映画『ある男』、確かな映像で原作を映画化した傑作

2022年11月26日 22時38分21秒 | 映画 (新作日本映画)
 石川慶監督『ある男』が公開された。原作は平野啓一郎ある男』で、ほぼ原作通りの物語になっている。小さな部分で変更もあるが、テーマ性は原作を踏まえている。2018年に刊行された原作は、2021年に読んで非常に大きな感銘を受けた。原作の考えさせられる部分を映画はよく映像化していて、傑作だと思う。今年の日本映画は収穫が乏しかったが、この映画はベスト級の力作だ。

 原作に関しては、読んだときに「大傑作、平野啓一郎『ある男』を読む」を書いたので、詳しい物語はそちらを参照。僕も細部を忘れていたが、原作では主人公の弁護士が震災ボランティアの法律相談に一生懸命になって妻との関係が悪くなるという設定だった。映画ではその部分は全く出て来ない。この数年で震災のリアリティが失われたのかと感慨深い。石川慶監督(1977~)は前作『蜜蜂と遠雷』で長大な原作を上手に刈り込んで見事に映画化した。その実績からも期待大だったが、いつものように自ら編集も担当しキビキビした映画になっている。脚本は向井康介で、最近見た『マイ・ブロークン・マリコ』の人である。
(原作)
 冒頭に絵が出て来る。ラストにも出るが、それはルネ・マグリット複製禁止』という絵だという。下に示すが、二人の男の後ろ姿が描かれている。人間であることは判るけれど、個別認識が出来ない。「人間とは何か」、そう問われれば様々な答え方が出来る。生物学的に、哲学的に、また社会的存在として…等々。だけど普通一般的には、「」と「名前」を個別に記憶して、それぞれ自分の周囲の人間を認識しているものだ。政治家や芸能人、スポーツ選手、あるいは歴史的人物など、直接会ったことはなくても名前で覚えている。その「名前」というものは人間にとって何なんだろうか。
(「複製禁止」)
 離婚して息子を連れて宮崎県の実家に帰った里枝安藤サクラ)は、家業の文房具屋を手伝っている。絵の材料を買いに来る男と知り合い、次第に心を通わせてゆく。やがて里枝は谷口大祐窪田正孝)と名乗る男と結婚し、娘も生まれる。しかし林業をしている大祐は木の下敷きになって亡くなり、一周忌に伊香保温泉の旅館主という兄がやって来る。写真を見てこれは弟ではないと言って、では誰だったのかと探索が始まる。このぐらいは書かないと、先に進めない。
(里枝と「大祐」)
 全編からすればプロローグにあたるこの出だしが素晴らしい。ちょっと古びた文房具屋が懐かしい。昔は学校の近くに必ずあったものだ。一人で店番していると里枝は自然と涙ぐんでくる。安藤サクラの涙は『万引き家族』をしのぐらしい素晴らしい。そして鏡やガラス窓、水面などを通して捉えられた映像の素晴らしさ。それは映像的に見事なだけではなく、テーマとしっかり結びついている。「人間とは何か」は「反射」としてしか我々には判らないのである。全編通じて柔らかな光の中で撮られた映像は近藤龍人の撮影。『私の男』『万引き家族』などの撮影を担当した。
(幸せだった在りし日)
 里枝は離婚訴訟で世話になった城戸弁護士妻夫木聡)に依頼して、「谷口大祐」の真相を調べることにする。結局、原作も映画も城戸を「探偵役」にしたミステリー的な物語になる。探索を進めてゆくと「戸籍」、「死刑制度」、「ヘイトスピーチ」など様々なサブテーマが出て来る。それらは結局「スティグマ」を負わされた人間という問題に行き着く。城戸弁護士も「在日三世」としてヘイトスピーチに無関心ではいられない。そして「谷口大祐」ではない「男X」はあまりにも巨大なスティグマを背負って生きてきたことが浮かび上がってくる。その人間像を多くの人物を通して描き分けていく。
(城戸弁護士の事務所)
 谷口の兄(眞島秀和)やボクシングジム会長(でんでん)など脇役が生きている。また、子役、特に大きくなった長男(坂元愛登)が良かった。彼は亡くなった「父」を慕っていたが、何度も苗字が変わることで自分は何者かに悩んでいる。また「主役」である城戸弁護士を演じる妻夫木聡の抑制された演技は、全編を引き締めている。それに比べると、いつもの名演(怪演)をしている詐欺師小見浦を演じる柄本明がやり過ぎに感じられるぐらいだ。ただ彼も城戸を「イケメン弁護士」と呼び、自らの顔を「不細工」だと言う。「名前」じゃなければ「顔」にこだわるのである。

 ちょっと残念だったのは、主なロケ地が宮崎じゃなかったことだ。文房具屋や林業のシーンは山梨県笛吹市でロケされた。ラストのクレジットを見て主要なロケ地は山梨だったのかと思った。伊香保の旅館の次男が山梨にいたのでは近すぎる。だから映画でも宮崎になっているが、多くの人気俳優を長時間拘束するには九州は遠すぎたのか。宮崎と山梨では光も樹種も少し違うと思うけど、そこは上手に撮られている。すべてを映像で語る映画になって落ちた部分もあるから、映画を見た人は原作も読んで欲しいと思う。だが、原作をキビキビとしたセリフと編集で語り尽くした映画の魅力も捨てがたい。生きることの難しさ、日本社会の問題を突きながらも、終わった後の後味が良いのは子役が良かったからだと思う。
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『風媒花』、占領期の混沌と風俗ー武田泰淳を読む③

2022年11月25日 23時28分53秒 | 本 (日本文学)
 武田泰淳を読む3回目は『風媒花』。1952年に出た長編小説で、今は講談社文芸文庫に入っている。この前、安水稔和の本を図書館に返却に行ったら、この本があったので借りてきた。僕は昔新潮文庫で読んでいて、その時の記憶ではとても面白かった。奥付を見ると、1976年6月に25刷の本である。当然ながらそれ以後に読んだわけだから、大学時代のことになる。

 近年武田泰淳の本を一番出しているのは中公文庫である。それも純文学以外の『十三妹』(シーサンメイ)とか短編集『淫女と豪傑』とか中国を舞台にしたエンタメ系の作品を出している。中国の古代史、中世史を舞台にしたチャイナ・ファンタジーというべき小説やマンガ、映画などは日本でもずいぶん多い。日本ではほとんど紹介されてこなかった「武侠小説」の日本版として、武田泰淳も発掘されたらしい。そういう視点もあるかと思うけど、武田泰淳と中国との関わりはもっと宿命的なものである。

 そもそも出生名「大島覚」だったものが、父の師である武田芳淳の養子になって武田泰淳となった。お寺の子である。「仏教」を教え込まれながら、悩みが多く左傾した。東京帝大支那文学科に入学するも、逮捕されて退学した。しかし、大学のつながりは残り、1934年に竹内好らとともに「中国文学研究会」に参加した。竹内は魯迅研究者として知られ、戦後を代表する評論家になった。晩年まで友人として深く関わった。東大が「支那文学」と呼んでいるときに、日本で初めて「中国文学」を研究するんだと旗を揚げた。この思いは同時代の中国文学者に伝わった。
(竹内好)
 ところが1937年に召集され輜重補充兵として華中に派遣されたのである。愛好する中国の地をあろうことか侵略軍の一員として踏むという屈辱。翌38年に除隊し、評論『司馬遷』を構想し始めた。よく知られているように『司馬遷』の冒頭は「司馬遷は生き恥さらした男である」と始まっている。これは司馬遷が武帝から「宮刑」(性器を切り取られる刑)に処せられたことを指すが、武田泰淳本人の意識でもあっただろう。1943年に『司馬遷』刊行、同じ年に「中国文学」が終刊になった。翌年上海の「中日文化協会」に勤務して、そこで日本の敗戦を見た。解説の山城むつみは「小説家、武田泰淳誕生の秘密は上海にある。『司馬遷』の著者が小説家になったのは、上海で日本帝国の滅亡を経験したからだ」と書いている。

 さて前置きで長くなったが、『風媒花』は1952年の1月から11月まで「群像」に連載された長編小説である。ちょうど1952年4月の講和条約発効を間にはさみ、朝鮮戦争のさなかになる。著者の私生活では前年に鈴木百合子と結婚し、長女武田花が生まれていた。主人公は「エロ作家」の峯三郎。峯が狂言回しとなって、当時の左翼、右翼の有象無象が混沌と乱れ合っている様を描き出している。冒頭は「中国文化研究会」の会合で、これは戦時中に解散した中国文学研究会のメンバーである。学生時代にはよく判らなかったけど、リーダーの「軍地」は明らかに竹内好がモデルになっている。
(武田泰淳と百合子夫妻)
 僕が若い頃に読んだとき、この小説を気に入ったのは観念的な思想小説でありながら、戦後風俗をたっぷりと描いている面白さだったのではないかと思う。今読むと、その辺は古くて現代ではよく判らない部分が多い。まさに「朝鮮戦争下小説」なのである。峯には同棲相手の蜜枝がいて、これは明らかに武田百合子がモデル。その弟と付き合っている左翼の細谷桃代という女性は、同時に峯にも惹かれている。桃代は「PD工場」に勤めていて、峯を工場見学に誘う。そこでは青酸カリによる殺人事件が起きる。この「PD工場」が判らなかったが、検索すると「米軍の調達工場」と出ていた。銃や青酸カリが当然のように登場し、登場人物は「革命」を信じている。隔世の感がある。

 そんな登場人物を結びつけているのは「中国」である。左翼は大陸で成立したばかりの共産党政権を支持している。一方、右翼は台湾に移った蒋介石を支援するために武器を送ろうとしている。前に読んだ新潮文庫の解説は三島由紀夫が書いているが、三島は「『風媒花』の女主人公(ヒロイン)は中国なのであり、この女主人公だけが憧憬と渇望と怨嗟と征服とあらゆる夢想の対象であり、つまり恋愛の対象なのである」と喝破している。この三島の解説は講談社文芸文庫でも収録して欲しかった。

 蜜枝が峯三郎に「毛沢東と私とどっちを愛しているの」と聞く印象的なシーンがあるが、まさにそういう言葉が成り立ちうる時代だったのである。この小説では朝鮮戦争に中国が「人民義勇軍」を送り、事実上の米中戦争になった時代相を背景にしている。「男の世界」では再び中国人民の敵となって、米軍の補給基地となった日本で生きる精神的、物質的苦しさが封じ込められている。それは今から見ればリアリティが欠けている。一番生きているのは蜜枝と桃代の二人の女性である。ただし、この二人の行動も今となれば全く理解出来ないことが多い。

 以前は60年代反乱の余韻の中で読んだから、あまり違和感がなかったんだと思う。時代が全く違ってしまい、今では恐ろしく読みにくい小説になった。でもこの小説を無視して「戦後精神史」は理解出来ない。中国革命に理想を見出した時代があったことも、今では理解出来ないだろう。この小説の「新中国」はやはり理想化された部分がある。この時代はまだ、凄絶な権力抗争は起きていなかった。しかし、それはもうすぐ始まったのである。(東北地方の責任者であり、中央政府の副主席だった高崗が失脚したのは1954年2月だった。前年にはソ連のスターリンが死去していた。)
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『秋風秋雨人を愁殺す』、革命家秋瑾の人生ー武田泰淳を読む②

2022年11月24日 23時06分07秒 | 本 (日本文学)
 武田泰淳の本は何冊も持っているから、この際読んでしまおうと思って、次に「ちくま日本文学全集」の武田泰淳の巻を読んだ。これは全集と言っても文庫版なので読みやすい。全50巻で出て、その後全40巻になって今も出ている。もっとも、残念ながら武田泰淳は残っていない。僕が持っている本は1992年10月に刊行されて、ちょうど30年前の本なのかと驚いた。
(ちくま文学全集「武田泰淳」)
 「全集」だから幾つか入っている。中国史に材を取った『女賊の哲学』や戦後の青春を描く『もの喰う女』、間違いなく最高傑作の『ひかりごけ』などが入っている。1954年に発表された『ひかりごけ』は、戦時中の北海道で起こった船の遭難、そして「人肉食」を扱っている。非常に重いテーマだけに書き方が難しく、途中から戯曲形式になる。それが非常に効果を上げている。熊井啓監督によって映画化(1992年)されたが、映画は成功していたとは言えない。今も新潮文庫に残っているので必読。

 他に評論の『司馬遷伝』『滅亡について』もあるが、大部分(450頁中270頁ぐらい)を占めるのは、1967年に発表された『秋風秋雨人を愁殺す』である。1968年に刊行されて、1969年に芸術選奨文部大臣賞に選ばれたが固辞した。武田泰淳はその戦争体験もあって、国家からの賞は受けなかった。この作品は筑摩書房から出ていた雑誌「展望」に連載されたこともあるんだろうけど、他の文庫に入っていなかったのでありがたかった。その後、2014年にちくま学芸文庫に入ったが今は品切れのようだ。
(ちくま学芸文庫版)
 この本は辛亥革命に向かう時期の女性革命家、秋瑾(しゅう・きん、1875~1907)の評伝である。清朝を倒した辛亥革命、その指導者孫文は、公式的にはもちろん中華人民共和国でも高く評価されている。でも、それ以前に刑死した秋瑾のことは、本国でもちょっと忘れられていたらしい。武田泰淳は1967年に文化大革命さなかの中国を訪問して、その時に紹興(浙江省)を訪れた。「紹興酒」で名高いが、それとともに魯迅の生地として知られている。また秋瑾の故地でもあり、死刑が執行された町である。しかし、その当時はあまり秋瑾の記念物などはなかったらしい。
(秋瑾)
 その後2回も映画化されていて、現在は違うかもしれない。発表当時は文化大革命の真っ只中で、政治的に微妙な問題が多かった。作家などの評価もあっという間に転落したりした。この本でも微妙な書き方になっているところがあると思う。秋瑾という人は、僕は名前は知っていたが詳しくは知らなかった。ずいぶん「過激」で、死ななくても良い結果を自ら招いた気もした。だけど「死刑にされた女性革命家」だから、今も名を残している。そういう人がいて歴史は進むとも思う。

 秋瑾は名家に生まれ、子どもの時は纏足(てんそく)をさせられていた。纏足とは、女性の足を細くするために子どもの足に布を巻いて大きくならないようにすることである。小さい足を美しいとする当時の風習で、革命思想に目覚めると纏足を恥じるようになった。代わりに武芸に励み、刀剣(特に日本刀)を愛好したという。親の決めた結婚をして子どもも出来るが、酒浸りの夫に愛想を尽かし、やがて日本留学を志す。1904年に来日し嘉納治五郎が設立した弘文学院に入った。(その後実践女学院に通う。)そして来日していた多くの学生たちと会合を持ち、同郷あるいは女性だけなど多くの革命結社に加入した。
(映画『秋瑾~競雄女侠』)
 孫文も日本に来たわけだが、まさにその様子を見ると日本が中国革命の根拠地となっていた。清国も困って日本政府に取り締りを要請し、日本は1905年に留学生取締規定を設けた。これに反発した留学生たちは授業のボイコット運動を起こす。秋瑾は一斉帰国を主張するが、日本留学中の魯迅は批判的に見ていた。この人は熱く燃えあがると、もはや後戻りできないのである。そして帰国して「学校」(という名の反政府組織)を結成し、一斉蜂起へひた走る。そして早すぎた決起は失敗し囚われる。そこまでの様子をこの本は丁寧に追っていく。こういう人だったんだという感じ。

 僕がこの本を読んで感じたのは、辛亥革命前後の日本留学の重要性である。知ってはいたが、改めて重大な出来事だったと思う。今ではほとんど忘れられているだろう。知ってる人でも孫文や魯迅、あるいは共産党幹部の周恩来などが多いと思う。「日中連帯の歴史」を記憶しておくのは大切なことだ。ところで題名の「秋風秋雨人を愁殺す」だが、これは秋瑾が最後に残した言葉として伝わった。すごく心に残る言葉だと思ってきたが、実は違うという話がこの本に出ている。そもそも死刑執行は7月15日で秋ではなかった。まあ伝説として残して置いてもいい言葉かもしれない。
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『貴族の階段』、原作と映画ー武田泰淳を読む①

2022年11月23日 21時45分34秒 | 本 (日本文学)
 最近、武田泰淳(たけだ・たいじゅん、1912~1976)をずっと読んでいる。誰だと言われるかもしれない。「戦後派」の代表的な作家の一人である。昔いろいろと読んで好きな作家だった。でも読み残しが結構ある。もう半世紀近く前に亡くなっていて、今年は生誕110年になる。今どき武田泰淳を読んでいる人がいるのかと思ったりするが、最近中公文庫で『司馬遷』『貴族の階段』が続けて刊行された。だから多分武田泰淳を読もうという人は今もいるんだろう。まず『貴族の階段』から。

 『貴族の階段』は1959年に「中央公論」に連載され、同年に刊行された。同じ年に大映(吉村公三郎監督)で映画化されている。新潮文庫、岩波現代文庫に入っていたが、読んでなかった。中公文庫では奥泉光が解説を書いている。それは奥泉光『雪の階』(ゆきのきざはし)が『貴族の階段』にインスパイアされて書かれた続編的な作品だからである。僕はその『雪の階』も持っているけど、先に『貴族の階段』を読んでおきたいと思って、まだ手を付けていない。

 物語は西の丸公爵家の階段から始まる。西の丸家は「天皇に最も近い」という家柄で、西の丸秀彦森雅之)は貴族院議長を務めている。そこには政界お歴々が日々訪れて密談を行う。今日も陸軍大臣の猛田大将滝沢修)が来ていたが、帰りがけに西の丸家の急な階段から転げ落ちる。この密談は娘の西の丸氷見子金田一敦子)が裏で秘かに聞き取って書き残している。小説はこの氷見子の一人語りで描かれている。カッコ内で示したのは映画のキャスト。名優森雅之は高貴な家柄にして「色悪」な役に相応しい。金田一敦子は金田一家(岩手の財閥、言語学者金田一京助の親戚)の出で、当時若手女優として期待されたが早く引退した。田中絹代監督『流転の王妃』で「満州国」皇帝溥儀の皇后婉容を演じている。
(映画『貴族の階段』)
 時代は陸軍青年将校のクーデタ直前。つまり「二・二六事件」だから1935~36年。西の丸家では老公爵志村喬)は沼津の別荘に籠もっているが、折に触れ天皇の相談役となり首相を推薦している。昔から「リベラリスト」と言われ、軍の増長を嫌っている。一方、息子の秀彦は軍に近いような遠いような位置にいて、次期首相の有力候補と言われている。しかし、秀彦の長男義人本郷功次郞)は軍人を目指し、反乱軍勢力に同調している。このような「政治」を巡る男たちの世界とは別に、氷見子は女たちのネットワーク世界も書き留めていく。面白いのはそっちの方である。

 氷見子ら女子修学院に通う上流階級の女子たちは「さくら会」という集まりを持っている。風雅な趣味の会ながら、様々な裏話も飛び交う。政治の行く末は将来の婿候補たちの浮沈に関わるのである。猛田大将の娘節子叶順子)も同級で、美女の節子は氷見子を姉のように慕っている。ある日、女子修学院では近衛師団の見学会があり、銃弾発射訓練も行われる。それを前にして節子は失神してしまう。実は兄の義人は節子を愛して、求愛の手紙を送ったのだが、節子はなかなか返事も寄こさない。実は彼女には秘密があったのである。一方、父の密談筆記で反乱が近いことを知った氷見子は、兄も参加するのではないかと心配している。
(映画『貴族の階段』)
 そして、ついに「その日」がやって来て、西の丸家も攻撃を受ける。そして「大人」は生き延びるが、若者たちは大きな悲劇に見舞われる。昭和裏面史をテーマにした小説は山のようにあるが、『貴族の階段』のように上層華族を主人公にした小説は珍しい。映画を前に見ていて、筋は大体覚えていた。原作を読んでみると、ほぼ原作通りだった。そんなに複雑な筋ではないけれど、流れるように進行するストーリーは良くまとまっている。脚本は当然新藤兼人でさすがだなと思う。間野重雄の美術が素晴らしい。大映で『白い巨塔』『盲獣』などを担当し、その後増村保造『大地の子守歌』『曽根崎心中』などもやっている。キネマ旬報ベストテン19位。まあ、そんなに凄い映画でもないけれど、当時の映画の実力が判る出来映えだ。
(武田泰淳)
 『貴族の階段』は昭和政治史的な観点から言えば、ちょっと無理な筋立てである。西の丸秀彦はどう見ても近衛文麿で、老公は明らかに西園寺公望。二人が家族なら、父は我が子を「大命降下」(天皇から首相候補として指名されること)に推薦することになる。また公爵家の長男(跡継ぎ)が陸軍反乱に加わるというのも想定出来ないと思う。しかし、全てを一家に集約したことで男たちのドラマが完結し、その裏にあった「女たちのドラマ」を際だてることになる。この頃武田泰淳は『政治家の文章』(岩波新書)を書いている。「政治」と真っ正面から取り組もうとしていたのだろう。

 氷見子が通う学校はもちろん「女子学習院」になる。ウィキペディアを見ると、1989年には平民の女子も入学を許されたと出ている。だから猛田節子が通っていてもおかしくはない。猛田大将は若手に近く、反乱後の首相とも言われる。教育にも口を出しているという設定は、荒木貞夫を思わせる。荒木は1935年に男爵になっているから、「二・二六」当時は華族だった。「女子のつながり」というテーマは非常に面白い。まあどの程度現実を反映しているかは、僕にはよく判らないけど。「代表作」とか「第一級の悲劇」とまでは思わなかったが、まずは面白く読めた。(作者の武田泰淳については次回以後に。)
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映画『バルド、偽りの記録と一握りの真実』、イニャリトゥ監督の夢と真実

2022年11月21日 22時32分20秒 |  〃  (新作外国映画)
 『バルド、偽りの記録と一握りの真実』〈Bardo (or False Chronicle of a Handful of Truths)〉という映画が限定公開されている。Netflix配信の映画だが、これは是非大画面で見ておきたい。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督7年ぶりの長編映画で、デビュー作の『アモーレス・ペロス』(2000)以来初めてメキシコで撮影した映画である。

 イニャリトゥ監督は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)、『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015)で2年続けてアカデミー賞監督賞を受賞した名匠である。アメリカで高く評価された監督が、自己を振り返りメキシコやアメリカの歴史を夢のように描き出す。映画監督の夢と真実と言えば、フェデリコ・フェリーニ監督の『8 1/2』を思い出す。聖母が現れたという話も出て来て、これは『甘い生活』。明らかにフェリーニ的なカーニバル風の壮麗な作品で、見事な出来映えだと思うけど、ヴェネツィア映画祭では無冠に終わった。160分と長すぎてまとまりがないという評が多いようである。

 セットも壮大、映像も華麗となると、予算も膨大になる。今ではそういう企画はNetflixしか通らないのかもしれない。劇場公開が前提なら、確かにもう少し切り込んで欲しい気がする。しかし、監督が好きなように作った壮大な世界が魅力的なのも間違いない。映画の主人公シルベリオ・ガマは、著名なジャーナリストでドキュメンタリー映画の監督でもある。アメリカの有名なジャーナリスト賞をメキシコ人として初めて受賞し、それをきっかけにしてメキシコに帰国する。母国ではテレビに呼ばれたり、大パーティが開かれ、彼の想念は夢と現実、過去と現在を行き来する。パーティには彼の親戚が待っていて、その中には死んだ父親もいる。晴れがましい席を避けてトイレに行くと、父に会う場面は感動的だ。
(パーティ会場で)
 この映画では夢と現実が入り交じり変容されて描かれる。長男マテオは誕生直後に「まだ出て来たくないと言ってる」として医者が母の胎内に戻してしまう。そんなトンデモ場面は、後で出て来るセリフで実は死産だったと判る。未だに遺骨を埋葬出来ず持ち歩いていて、その後2人の子どもに恵まれたが夫婦の悲しい思い出である。あるいは主人公の映画として、メキシコの征服者コルテスとの対話が出て来る。死者の山の上にコルテスがいて歴史を語る。ドキュフィクションだと称している。

 『バードマン』『レヴェナント』の2作は名手エマニュエル・ルベツキが撮影していた。ルベツキは2013年の『ゼロ・グラビティ』に続き、3年連続してアカデミー撮影賞を受賞した。しかし、今回は『セブン』『ミッドナイト・イン・パリ』『愛、アムール』などのダリウス・コンジが撮影を担当した。長回し、ロングショットで壮大な作品世界を作りだし、感嘆するしかない。冒頭の夢のシーン(影が飛ぶ)やパーティ場面の長回しなど、特に忘れがたい。俳優はメキシコで活動している人を中心にキャスティングされている。名前を知っている人はいないので省略。
(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)
 主人公はテレビに呼ばれるが、昔の友人の人気司会者に何を聞かれても一言も話さない。それは夢のシーンで、実際はすっぽかしたらしい。パーティで会って、友人のすることかと詰問される。さらに、アメリカに身を売って空虚な映画ばかり作っていると言われる。すると主人公は自由もないメキシコで「いいね」の数を競うような暮ら重要なのかと言い返す。このあたりに、監督の思いが凝縮されている。アメリカで成功したことへの誇りとともに、メキシコの現実を見捨てたのではないかという悔いがある。そのような複雑な思いを監督は抱いているのだろう。

 原題の「Bardo」が何だか判らないけど、映画の中で一度だけセリフに出てくる。そこでは「中陰」(ちゅういん)と訳されている。よく判らないけど、玄侑宗久中陰の花』という芥川賞受賞作があったなと思い出した。仏教用語である。家で調べたらチベット語由来らしく、ネットで調べると「死者が今生と後生の中間にいるためantarā(中間の)bhava(生存状態)という」と出ていた。ラストで監督は栄えある授賞式を前に倒れてしまうが、すべては死の前に見た夢幻だったのかもしれない。
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「信州の鎌倉」、別所温泉(長野県)ー日本の温泉㉓

2022年11月20日 22時52分48秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 何度も行っている温泉を最後に書いておきたい。そうすると日光湯元温泉になるけど、まあ今までいっぱい書いてきたから、長野県の別所温泉を取り上げる。三重県の榊原温泉を書いた時に、『枕草子』に「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」とあるのを紹介した。この七久里がどこだかはっきりせず、榊原温泉だという説が強いようだが別所温泉という説もある。そのぐらい昔から知られた温泉である。今は「信州の鎌倉」と呼ばれている。北条氏とのつながりが深く、「北条氏が七久里を別院(べついん=本寺とは別に設けられた堂舎)として使っていたことから、別所と言われるようになりました」と上田市のホームページに出ている。
(旅館「花屋」の大理石風呂)
 別所温泉は温泉街にお寺や神社が多く、中でも安楽寺八角三重塔国宝になっている。温泉街の町歩きで国宝に出会えるのはここだけだろう。(まあ今はどこでも温泉にしてるので、日光東照宮境内にある宿も温泉になってるけど。また道後温泉と石手寺もかなり近い。)他にも常楽寺北向観音もあるし、近くの塩田平にも多くの寺社が集まっている。温泉に行って山や海のレジャーを楽しむのもいいけど、歴史や文化財を楽しめる温泉としては別所温泉が日本一ではないか。
(安楽寺八角三重塔)
 ここには5回ほど泊まってると思う。近くにも良い温泉がいっぱいあるので、そっちに泊まって安楽寺だけ見に来たこともある。少し離れた青木村の大宝寺にも国宝の三重塔があり、合わせて国宝巡りをしたこともあった。そんな中で別所温泉で一番素晴らしい宿は、間違いなく「花屋」だ。国の登録文化財になっている、宮大工が建てたという素晴らしい建築である。特に渡り廊下で結ばれたムードがなんとも言えない趣を醸し出す。まあその分値段も高いから、そう何度も泊まるわけにいかない。
(花屋の渡り廊下)
 外湯(共同浴場)が今も3つある。大湯大師湯石湯で、全部入った。ものすごく印象的とも言えないが、近在の人もいれば観光客もいて気持ち良い。別所温泉の泉質は「単純硫黄泉」となっているけど、硫黄臭はなく白濁もしてない。そういう硫黄泉もあるんだという感じ。むしろ無色透明の柔らかな湯である。源泉は40度~50度ぐらいらしいが、昔は自然湧出していたという。湧出量が減って何回か掘削して源泉を開発してきた。大湯源泉は自然湧出と出ているから、大湯だけは昔ながらの湯を維持しているようだ。
(大湯)
 場所は長野県東部の上田市になる。上田電鉄という小さな電車も通っている。一番最初はそれで行った思い出がある。そして翌日に塩田平を歩き回った。塩田平というのは、上田市西方に広がる千曲川の河岸段丘で、別所温泉はその西端にある。未完成で終わった三重塔(重要文化財)を持つ前山寺など、ここも鎌倉時代にさかのぼる仏教文化が栄えた地域。また前山寺の門前に1979年に「信濃デッサン館」が作られた。画廊主の窪島誠一郎氏が収集した村山槐多ら夭逝画家のデッサンを集めた小さな美術館である。そこには80年代に初めて別所に行ったときに訪れた。窪島氏は作家水上勉の戦争で生き別れた子だったという人である。
(塩田平)
 そして窪島氏は1997年に戦没画学生の絵を集めた「無言館」をちょっと離れた場所に開設した。ここも出来た年に行って、非常に深い感銘を受けた。一緒に行った妻は新潟市出身なのだが、実家近くの蒲原神社宮司の三男金子孝信という人の絵があったのには驚いた。無言館は当初入館料がなく、「志納」だった。(今は1000円。)窪島氏も高齢となり、両方は大変だから「信濃デッサン館」を閉館するというニュースが流れた年に、デッサン館をもう一回見に行った。現在は限定的に公開されているらしい。特に無言館は必ず一度は見て欲しい場所だ。別所温泉に泊まって、翌日に文化財を巡るという旅を多くの人に勧めたいと思う。

 今回調べていて、昔泊まった宿が閉館になっていて驚いた。もちろんコロナ禍で全国には厳しい宿が多いだろう。また2019年の台風19号で上田電鉄別所線の千曲川橋梁が崩落した影響も大きい。(2021年3月復旧。)ただ別所温泉の大旅館はその前に危機を迎えていた。どこも大変だろうが、やはり大きくしてしまった宿ほど難しい。だから「文化」を発信して個人客にアピールするしかない。寺社、美術もあるが、もう一つ「ため池」というテーマもある。雨が少ないこの地方では昔から「ため池」が多く作られ、ため池巡りが可能なのである。また秋は「松茸」。東京近辺では一番松茸が採れる地域で、秋になると松茸小屋が作られ山の中で食べさせている。様々な楽しみ方がある温泉で、旅番組にももっと売り込んで欲しいと思う。
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「ミサイル防衛」と「分散システム化」ーミサイル攻撃をどう考えるか②

2022年11月19日 22時55分13秒 |  〃  (国際問題)
 ロシアは何故執拗にウクライナにミサイルを撃ちこむのだろうか。季節的に平原が湿地化するので軍の展開が難しく、完全に冬になって凍結するまで戦車などを動かせないとも聞く。その間も発電所などを狙って、ウクライナの抵抗意識をくじこうとするのだろう。ロシアのミサイル保有量が尽きたという説もあったが、どうなっているのかは判らない。ロシアは経済大国だから、経済制裁があっても数年間は戦争継続が可能だろう。だがいくらミサイル攻撃を受けても、ウクライナの抵抗意思はくじけない

 これは当然と言えば当然で、ミサイルはピンポイントで何かの施設を破壊出来るが、社会そのもの、国家組織そのものは破壊出来ないのである。イスラエルはかつて湾岸戦争時にイラクのミサイル攻撃を受けたが、アメリカの要請に応じてあえて反撃しなかった。そこでイスラエルが出て来ると、イスラエル対アラブ諸国という構図になってしまうからである。イスラエルは今もガザ地区からミサイル攻撃を受けることがあるが、ほとんどが迎撃されている。小さくて持ち運べるミサイルもあって、ミサイルは今では小国、あるいは国家ではない武装組織の武器となっている。

 日本付近では最近「北朝鮮」によるミサイル発射実験が相次いでいる。日本上空に掛かりそうなときは「Jアラート」なる警報が鳴り渡るらしい。最近では日本を通過した後に警報が出たと問題化したケースがある。また「排他的経済水域」に着弾した場合は、特に大きく報道されている。この問題はちょっと冷静に考えてみる方が良い。長距離弾道ミサイルの開発は国連安保理決議違反で、非難されるべきである。だけど、ミサイルが頭上に落ちてくるかのような恐怖は意識過剰だろう。
 
 1998年に日本上空を初めて通過したとき以来、今にもミサイルが落ちてくるかのように恐怖心をあおる人が出てきた。もちろん、そんなことは起こらない。100%ないと言えないけれど、それを言えば頭上に隕石が落ちてくる確率と同じレベルだろう。そもそも「領空」のはるか上を通る「ロフテッド軌道」を通るミサイルや、領海ではない「排他的経済水域」に落ちるミサイルを、そのことを理由に非難できるのかは疑問だ。(もちろん「領海」や「領空」に掛かれば主権侵害である。なお「国際海峡」を外国艦船が通過するのは問題ない。)
(ロフテッド軌道)
 僕が言いたいのは「北朝鮮」は独自の思惑でミサイル発射を続けていて、その行為は問題だとしても、今にも日本(あるいは日本国内の米軍基地)を攻撃する意図があるわけではないということだ。「北朝鮮」のミサイルがもし日本に落ちたら、政権が崩壊の危機に陥るだろう。意図せぬ故障で被害が出ても、そんなミサイルはどこにも評価されない。もしどこかの国のミサイルが日本国内に着弾すれば、それは被害を出して大問題だけど、すぐ日本社会が破滅するわけではない。今回は「北朝鮮」の目的をどう考えるか、国内の人権問題をいかに考えるかはテーマじゃないので省略する。

 僕が今回考えたいのは、「北朝鮮のミサイルが心配」だから、アメリカの「ミサイル防衛システム」を整備しなくてはならないという主張である。それが実際に意味があるのかをウクライナの現実で考えるべきだろう。ウクライナはロシアのミサイルをどの程度防げているのだろうか。それは5割から7割程度だという。ないよりはずっと良いが、100%には遠い数字である。なぜ100%にならないかは、迎撃ミサイルの量的な問題と同時に、いつどこに撃つかの情報の問題、さらに迎撃するウクライナ軍の成熟度など様々な要因が絡んでいる。南北も東西も広い日本で、100%近い迎撃を求めるなら膨大な負担が生じるのは間違いない。
(日本のミサイル防衛体制)
 ミサイルが落ちてくる確率に比べれば、大地震が襲う可能性は100%なんだから、そちらの方が優先だろう。それに「大地震」と「ミサイル着弾」には同じ問題がある。社会生活を維持するためのインフラ設備が破壊されたら大変だという点である。ロシアもそこを狙って攻撃し、ウクライナの発電所が大被害を受けているという。原発や火力発電所が被害を受けて、節電を強いられたのは記憶に新しい。一点集中型の大施設は効率上は良い点があるが、災害大国である日本では危険性も大きいのである。

 日本の安全保障面の危険は、対外的な戦争以上に、地震、津波、水害、土砂崩れなどの大災害である。災害をゼロにすることは出来ない。だが「社会システムを分散化させる」ことで影響を少なく出来る。エネルギーの「地産地消」を進めると言っても良い。日本においては「ミサイル防衛」より優先度が高いはずだ。(なお、「マイナンバーカード」はパソコンやスマホが使えること=電気が通じることを前提に成り立っている。もし大地震で一週間電気が停まってしまえば、スマホは切れてしまって自己証明も不可能になる。その意味でも保険証や運転免許証は一体化しない方が良い。逆に紙ベースの保険証や預金通帳が流されたり焼けることもありうるから、デジタル化を進めておくのも意味がある。)
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ポーランドの「ミサイル着弾」問題ーミサイル攻撃をどう考えるか①

2022年11月18日 22時47分28秒 |  〃  (国際問題)
 2022年11月15日午後にポーランドプシェヴォドフ村の近くで爆発が起こった。これはミサイルの着弾によると見られている。この日ウクライナ各地をロシアがミサイル攻撃していた。プシェヴォドフ村はウクライナ国境から約6キロにあるというから、これがロシアのウクライナ攻撃に関連があるのは間違いない。朝スマホを見たら、このニュースがあってビックリした。NATO加盟国であるポーランドをロシアが攻撃したのだとしたら、これは大変な事態になる可能性がある。
(ニュース映像)
 その当時インドネシアのバリ島でG20サミット(金融・世界経済に関する首脳会合)が開かれていて、バイデン米大統領を初め主要国首脳はバリ島にいた。バイデン氏は早速NATO各国首脳と協議のうえ、このミサイルはロシアのもではない可能性が高いと発言した。航跡からウクライナ側の迎撃ミサイルの可能性が高いというのである。とかくスピード感に欠けると批判されるバイデン大統領だが、ここではリーダーシップを発揮して、世界に的確な情報を発信したと言えるだろう。
(プシェヴォドフ村の地図)
 一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアのミサイルだと主張しポーランドでの調査に参加を申し出ている。(認められたらしい。)アメリカは常時監視しているらしく、その情報をある程度明かしてロシアのものではないと言っている。今の段階ではその可能性が高いんだろうと思う。ただ僕には疑問もあって、ロシアは東または南方向から撃っただろうから、ウクライナが迎撃するならそっちの方向になるはず。ポーランドは西北方向になるが、ウクライナはどこから撃ったのか。爆発音がしたというから、破片が落ちたのではないと思う。しかし、完全に迎撃できず方向がずれたという可能性はないのだろうか。

 この問題の真相は今後の調査によりいずれ明らかになるだろう。(防衛上の機密の観点で発表は遅れるかもしれないが。)ミサイルにはすべてシリアルナンバーがあるとのことで、破片を完全に回収出来ればどこのものか判明出来るらしい。それはともかく、結局は「偶発事件」だったのである。ロシアには戦争をポーランドに拡大する意図はなく、もちろんウクライナ側も同様である。ポーランドからすれば、偶発で死者が出ては困る。しかし、それが隣国で戦争が起きているという意味なのだ。ここではこの問題をきっかけにして、「ミサイル攻撃をどう考えるか」を考えてみたい。
(現地の調査の様子)
 ロシアによるウクライナ侵攻、東部・南部4州の併合はそれ自体が国際法違反である。従って、ロシアがウクライナにミサイルを発射することも、当然違法行為だ。だが、開戦当初からミサイル攻撃が続いていて、何だかそれが「日常化」してしまった。「ミサイル攻撃」にもいろいろあるだろうが、そもそもロシアがポーランド国境近くまでミサイルを撃つのは何故か。それは民生施設(今回は火力発電所らしい)を狙っているのである。当然民間人が犠牲になることが前提になっている。これまでもアメリカなどの軍事行動で民間人に犠牲が生じたことは何度もある。軍事行動には「予期せぬ犠牲」が避けられない。

 だから軍事行動(それは「戦争」だが)そのものを停めるしかないのだが、それにしても今回のロシアの異常なミサイル攻撃は歴史上かつてないことだと思う。「空爆」ならヴェトナム戦争中の米軍の北ヴェトナムに対する大空爆(「北爆」と呼ばれた)がある。だが「ミサイル攻撃」としては空前のものだと思う。このような異常な攻撃はどのようにしたら停められるだろうか。
(ロシアのミサイル攻撃地点)
 いろいろなことが今後起きるだろうが、この戦争はロシアが始めたものである。何が目的なのか、ウクライナ政府に「最後通牒」を突きつけることもなく、突然攻撃を開始した。(イラク戦争も国際法違反だと考えるが、それでも「最後通牒」は存在した。フセイン政権には戦争を避ける余地があった。)その後も「宣戦布告」をせず、一方的にウクライナ領土の一部を自国に併合した。そういう国際法違反のオンパレードの一つとして、今回のミサイル攻撃がある。G20サミットではロシアを名指ししないものの戦争非難決議が採択された。そのさなかに公然と大規模ミサイル攻撃を行ったのである。

 このような経緯を考えてみると、「ポーランドに着弾したミサイルは、ロシアのものかウクライナのものか」という問題は、一番重大なものとは言えない。全体的に考えて見れば、「ロシアの戦争犯罪の中で生じた偶発的な悲劇」という評価になる。もちろんウクライナ側の迎撃ミサイルだとすれば、謝罪が必要だろう。ウクライナのミサイル迎撃システムはアメリカの提供したものだろうから、どうしてこのようなことになったのか究明が大切だ。日本もアメリカのシステムに頼って、「北朝鮮」(もしかしたら中国も)のミサイルに対応するとしている以上、日本こそ重大な関心を持つ必要がある。そして、そもそも「ミサイル攻撃をどう考えるか」に進んでいきたい。
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映画『アムステルダム』、30年代アメリカの大陰謀

2022年11月17日 22時36分13秒 |  〃  (新作外国映画)
 デヴィッド・O・ラッセル監督『アムステルダム』という映画。アメリカでは評判が今ひとつらしく、確かに演出に大げさなところがあるけれど、懐かしいムードがあって捨てがたい映画だった。アムステルダムはもちろんオランダの首都で、昔主人公3人が運命的に結びついた町。物語が進行するのはニューヨークで、アメリカを揺るがす大陰謀事件の話である。時代は1933年。アメリカではルーズヴェルト政権が誕生したばかり、ドイツではヒトラーが政権を握った年。主人公3人は第一次大戦で出会い、アムステルダムで結びつき、33年に再会した。傷つく者たちが起ち上がって、今こそ闘い始める。

 1933年、医者のバート・ベレンゼンクリスチャン・ベール)は、場末で退役軍人のための診療所を開いている。ある日、友人の黒人弁護士ハロルド・ウッドマンジョン・デヴィッド・ワシントン)から緊急の要件という連絡がある。会いに行くと、そこには第一次大戦の上官ミーキンズ将軍の遺体があった。娘のリズ・ミーキンズは父の死に疑問があり、解剖して欲しいというのである。黒人看護師のイルマと協力して検視するとやはり他殺の兆候があった。そのことを知らせに行くとリズは何者かに突き飛ばされて交通事故で死んでしまう。その場にいたバートとハロルドは、犯人に疑われて警察に追われることになってしまった。

 そこで話が1918年に戻る。ユダヤ系のバートは義父から第一次大戦で勲章を貰ってこいと戦場に送られる。そこで出会った黒人兵ハロルドは差別されていると苦情を申し立てている。そこへ現れたミーキンズ将軍がバートを黒人兵たちの担当にして険悪な場を収めた。以後、二人は助け合って生き延びる誓いを結び、大ケガを負ったが生き延びた。入院先にいたのが風変わりな看護師ヴァレリー・ヴォーズマーゴット・ロビー)で、彼女は取り出した爆弾の破片を集めてアート作品を作っていた。片目を失ったバートの義眼を作るためアムステルダムに行き、3人は共同生活を送って深く結びついた。
(左からハロルド、バート、ヴァレリー)
 リズは死ぬ直前に「ローズに会え」と言い残したが、バートの妻はそれは「ヴォーズ」だろうと言う。富豪のトム・ヴォーズラミ・マレック)に何とか会いに行くと、そこに監禁されたように暮らしていたヴァレリーがいた。実はヴォーズ家の一族だったのである。ヴォーズはミーキンズ将軍の親友だったギル・ディレンベック将軍ロバート・デ・ニーロ)なら真相を知っているかもと言う。そこで今度は将軍に会いに行くと、そこには怪しい来訪者がいる。次第に浮かび上がる謎の「五人委員会」とは何か。すべての真相を暴くため、バートが中心になって開かれる戦友会で将軍にスピーチを頼み、真相を知る敵をおびき寄せることにした。
(ヴォーズ夫妻とヴァレリー)
 映画の冒頭に「ほぼ実話」と出る。当時は世界的に議会政治を否定して独裁政治を志向する運動が存在した。アメリカでもそういう動きがあって、映画では復員軍人に人気があるディレンベック将軍を担いで、超憲法的に権力を握ろうという試みとされる。将軍は乗ったと思わせて、ラジオ中継で民主主義を守る大演説をして銃撃される。(まるで『チャップリンの独裁者』みたいな大演説をデ・ニーロがするのも見どころ。)実際の将軍は海兵隊のスメドレー・バトラーという人で、映画でも議会の証言シーンが流れる。しかし、「ビジネス・プロット」事件と呼ばれた事件は、関係者が皆否定して冗談だったことにされたらしい。日本語では出て来ないが、英語版ウィキペディアに出ている。映画はその事件を元に作られたフィクション。
(スメドレー・バトラー将軍)
 今書いていても、確かに脚本や演出には難があるなと思った。どういう話なのかつかみにくいし、偶然によって進行する部分が多い。監督、脚本のデヴィッド・O・ラッセルは『ザ・ファイター』『世界でひとつのプレイブック』『アメリカン・ハッスル』でアカデミー賞にノミネートされたが受賞していない。この映画はキャストが素晴らしく見応えがあった。特にヴァレリー役のマーゴット・ロビーは『アイ、トーニャ』(主演)、『スキャンダル』(助演)で受賞できなかったアカデミー賞期待大だが、主演と助演の境目でノミネートされないかもしれない。クリスチャン・ベールはラッセル監督の『ザ・ファイター』でアカデミー賞助演男優賞を獲得した。主演賞は『アメリカン・ハッスル』『マネー・ショート』『バイス』で3回ノミネートされているが落選。今回も義眼を付けた大熱演だけど、主演賞は作品評価的に難しいかもしれない。
(デヴィッド・O・ラッセル監督)
 ジョン・デヴィッド・ワシントンはデンゼル・ワシントンの子どもで、『ブラック・クランズマン』に出ていた。トム・ヴォーズ役のラミ・マレックは言うまでもなく『ボヘミアン・ラプソディ』の人。ちょっと注目はヴォーズ夫人役のアニャ・テイラー=ジョイという人で、冷たい美女を印象的に演じた。撮影はアカデミー賞3回受賞の名手エマニュエル・ルベツキで見応え十分。30年代には黒人やユダヤ人は差別されて、愛を貫くのも大変。そんな時代を背景に古風でロマンティックな趣の政治サスペンス映画である。こういう映画が作られたのは、やはりトランプ前大統領支持者による議会襲撃事件があるんだと思う。
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映画監督大森一樹の逝去を悼む

2022年11月15日 22時34分26秒 | 追悼
 大森一樹監督が亡くなったとスマホで知って驚いた。70歳と出ていた。若手だった人がそんな年になっているんだから、自分の年も推して知るべし。特に大ファンだったというのではないけれど、大森監督の話は何回か聞いていてビックリした。急性骨髄性白血病と出ている。大森監督は医者でもあり、長生きするもんだと思っていたけれど、難病ではやむを得ないか。

 映画監督という職業は、映画会社に就職して他の監督の下で助監督として修行して、それから昇格するというのが普通だった。ある時代までそういう人がほとんだだったけれど、60年代末頃から映画会社が「斜陽」になっていき、新規採用が少なくなってしまった。そして70年代半ばに全く新しいコースで映画監督になる人が出てきた。その代表が大森一樹監督なのである。

 大森監督は1972年に生まれた。兵庫県芦屋市で医者の家に育ち、京都府立医科大を卒業して医師免許を取得。一方、高校時代から自主映画を作り始め、1975年に16ミリで『暗くなるまで待てない!』を製作して評判になった。題名はオードリー・ヘップバーン主演のサスペンス映画『暗くなるまで待って』から取られている。この映画には当時映画を撮れなくなっていた鈴木清順監督が出演するなど、話題性も十分で素人離れしていた。東京でもホールなどで自主公開され、評判を聞いて僕は見に行ったのである。

 その後、1977年に新人のシナリオを対象にした城戸賞に『オレンジロード急行』が入賞した。(一つ上の「入選」は中岡京平で、藤田敏八監督『帰らざる日々』になった。)そのシナリオは松竹で映画化され、何と大手映画会社でプロの映画を作ってしまったのである。主演は嵐寛寿郎岡田嘉子。嵐寛寿郎は戦前から鞍馬天狗で有名だった大スター。岡田嘉子は戦前に樺太からソ連に越境した伝説のスター。当時は日本に戻って女優を再開していた。海賊放送局や自動車泥棒らが警察と繰り広げる大騒動を軽快に描き、僕は大好きだった。当時の評価は高くなかったが、2014年に見直した時もすごく面白かった。
(『オレンジロード急行』)
 2014年は、国立フィルムセンター(当時)で大森監督の小特集が行われた年である。その時、大森監督が何回もトークに立ち、いろいろな話を聞いたのである。『ヒポクラテスたち』(1980)を久しぶりに見て、やはりこれが代表作かと思った。自身の医学生時代を映画化したもので、ATG(アートシアター)で製作された。徳洲会が学生を勧誘に来るシーンなど、今になって判ったところも多い。続いてATGで『風の歌を聞け』(1981)を製作。言うまでもなく村上春樹のデビュー作の映画化で、小林薫真行寺君枝主演で、鼠は巻上公一がやっていた。大森監督は村上春樹と同郷で、中学が同じである。僕はこの作品も大好きで、村上春樹の映画化で原作のムードが一番生きているように思う。
(『ヒポクラテスたち』)(『風の歌を聞け』)
 ここまでが大森監督の作家性の強かった時代。その後、1984年から東宝で吉川晃司三部作『すかんぴんウォーク』『ユー・ガッタ・チャンス』『テイク・イット・イージー』を撮った。続いて1986年から斉藤由貴三部作『恋する女たち』『トットチャンネル』『「さよなら」の女たち』(乙羽信子の生涯を描くテレビ作品『女優時代』を入れれば4部作)を撮って、大手で面白い映画を巧みに撮る名手として実力を認められた。その次に『ゴジラvsビオランテ』(1989)を撮って新時代のゴジラ映画として高く評価された。(1991年に『ゴジラvsキングギドラ』を撮っている。)
(『恋する女たち』)(『ゴジラvsビオランテ』)
 これらの作品は、就職して多忙になったこともあり見ていない作品が多い。大手で作ったアイドル映画、特撮映画だから、ヒマでも見なかったかもしれないけど。最近になっていろいろ見る機会があり、何と言っても『恋する女たち』の面白さが際立っていると思う。金沢を舞台にして女子高生たちの恋愛模様を描き、ものすごく楽しい。先輩役小林聡美の怪演、野球部の柳葉敏郎の若さに目が釘付け。斉藤由貴もいいけれど、友人役の高井麻巳子(秋元康夫人)、相楽ハル子が貴重。キネ旬ベストテン7位になった。
 
 2005年から大阪芸術大学教授になったこともあり、その後も作品数が多いけれど見てないものが多い。1996年の『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』は宮沢賢治生誕100年記念で、神山征二郎監督『宮澤賢治 その愛』と競作になった。これは良かったと思う。2014年のフィルムセンターでは自選の12作品が上映されたが、21世紀の作品では『悲しき天使』(2006)しか選ばれていない。やはり圧倒的に80年代の映画監督だったと思う。まだ30代だった時代の勢いは素晴らしかったし、今見ても面白いと思う。自主映画出身でこれほど成功した監督はいない。こういう道があるんだと示した意義は非常に大きかった。
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ワールドカップ、カタール開催と人権問題

2022年11月14日 22時32分54秒 | 社会(世の中の出来事)
 サッカー・ワールドカップカタール大会は開催時期が11~12月にずらされるなど異例ずくめになっている。その気候の問題は前回書いたけれど、そういう問題以上に重大な点がいくつもある。それはカタールの人権状況で、ヨーロッパではパブリック・ヴューイングを中止するなど、大きな問題になっている。日本ではほとんど論じられていないのだが、それでいいのだろうか。
 (ルサイル・アイコニック・スタジアム)
 今回はカタール半島東部に集中してスタジアムが作られた。全部で8つの競技場が作られたが、そのほとんどは新設。巨大なスタジアムをこんなに作って、その後どうするんだろうか。決勝戦を行うのが、上の2枚目のルサイル・アイコニック・スタジアム。ドーハではなく、ちょっと北にある人工都市ルサイルに新設された8万人収容のスタジアム。これらのスタジアムをコロナ禍に多数作るには、外国人労働者に頼るしかない。その外国人労働者の待遇に関して大問題になっている。

 報道によれば、「出稼ぎ労働者は競技場や地下鉄などの建設現場で過酷な労働を強いられた。人権団体は数千人が死亡したと主張。パリなどフランスの複数の都市は問題視し、パブリックビューイングを実施しない方針だ。W杯報道を拒否する仏日刊紙や、店内上映を中止するドイツのパブも出てきた」とのことである。死者数は判明しないけれど、労働法制が整備されているとは思えないので、多くの問題が生じているのは疑えないだろう。それは単にカタールだけの問題とは言えない。それまでに大規模なスポーツ大会を実施したことがない小国に突然大きなスタジアムを多数建設するという条件そのものに疑問がある。
(ヨーロッパの抗議デモ)
 もう一つ重大なのは性的マイノリティの問題。そもそもイスラム教が支配的な地域では「同性愛が違法」という国が多い。カタールも違法となっている。周辺のサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、オマーンなどすべて違法である。サウジアラビアやイランでは死刑が適用される。トランスジェンダーの性自認に関しても、自由な表現は出来ない。報道によれば、イングランドやフランス、ドイツなどの主将は、W杯で多様性や反差別を意味する「One Love」と記された腕章を着用する予定という。イングランドのケーン主将は「あらゆる差別に共に立ち向かう。世界が見ている中で、明確なメッセージを発信できる」と言っている。日本チームはどうするのか、議論されていないのは疑問だ。
(ヨーロッパの対応)
 これらの問題を考えて行くと、カタールという国家の特殊性に行き着く。カタールは1971年にイギリスから独立したが、その時ドバイやアブダビと共に「アラブ首長国連邦」に参加することも検討された。結局、カタールバーレーンは独自で独立する道を選んだが、それは要するに原油や天然ガスが豊富だということである。OPEC(石油輸出国機構)の原メンバーながら、今は脱退して天然ガスに絞っているということだ。その豊富なオイルマネーを利用して独自の国づくりをしてきたカタールだが、ウィキペディアを見ると2013年の統計では、180万人の人口中カタール国籍は13%、外国籍が87%だと出ている。

 いくら何でも、この比率は異常と言うしかない。これはスポーツ選手でも同じで、サッカー代表選手も外国から帰化、あるいは外国系が半数近くを占めている。今回はまだ調べてないが、2019年の前回アジアカップ優勝時のメンバーはそうだった。ちょっと今回の代表メンバーを見てみたが、外国チーム所属選手が一人もいない。特に半数ほどが「アルサッド」というチームに所属している。そうなると普段から連携が取れているわけで、自国開催で力を入れているだろうから、カタール旋風が起きないとも限らない。それにしても、このようなチーム作りも普通ではない。

 まあ、それはいいんだけど、僕が問題だと思ったのは「女子チーム」の問題。カタールには一応女性チームが存在することになっている。しかし、今まで「女子アジアカップ」に出たことがない。本選に出ていないのではなく、予選にも出ていないのである。イスラム圏では女性がスポーツを行うことが難しい。人前で肌を見せることが忌避される社会なのである。2022年1月にインドで女子アジアカップが行われたが、その予選に参加した西アジア圏の国は以下の国だった。ヨルダン、バーレーン、パレスチナ、アラブ首長国連邦、イラク、レバノンでアラブ系では6ヶ国。(イラクは辞退。)他にイランも出ている。(本選出場はイランのみ。)

 事実上「女子チームが存在しない国」で、男子ワールドカップを開催して良いのだろうか。カタールで開催するというFIFAの判断がそもそも間違っていたのではないだろうか。
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カタールに夏冬はあるのかー乾燥帯の気候を考える

2022年11月13日 22時44分28秒 |  〃 (歴史・地理)
 サッカーワールドカップのカタール大会が近づいて来た。今回は開催時期が暑い時期を避けて11月~12月に行われること、そして小国カタールだけで試合を行うために移動時間が少ないことなど、かつてなく異例な大会である。西アジアから北アフリカに広がるイスラム教国家で開催されるのも初めて。(なお、よく「中東」(Middle East)と呼ぶが、これはヨーロッパから見た時の言葉だから、日本人が使うのはおかしい。授業では「西アジア・北アフリカ」ということが多い。)

 カタールの面積は11,427km2で、世界158位(数え方は様々だが)。日本は377,974km2で世界62位。カタールの近辺ではクウェート(17,818km2)より小さく、レバノン(10,452km2)より少し大きい。日本で言えば、秋田県の面積(11,638km2)とほぼ同じぐらいで、秋田県だけでワールドカップを開くと思えば、いかに小さな地域で行う大会かが想像出来る。

 ここでは気候の問題に絞って考えてみたい。ワールドカップは今まで6月~7月に開かれてきた。これはヨーロッパのサッカーリーグの終了後になる。しかし、今回はカタールの猛暑を避けて、11月開催に変更された。そうするとヨーロッパのシーズン中になり、日本代表でもヨーロッパのクラブ所属の選手はまだ集結していない。どこの国もケガ人が多く、チームとしての完成度には問題があるだろう。だから、番狂わせが多い大会になるかもしれない。

 ところで疑問を持つ人はいないだろうか。この地域は基本的には砂漠気候である。エジプトカイロ近郊のピラミッド、あるいはサウジアラビアメッカ(イスラム教の聖地)などを思い浮かべる人も多いと思う。そうすると、何か一年中暑いイメージがあるのではないか。カタールには夏と冬の違いがあるのだろうか。猛暑を避けて日程を動かしたという以上、はっきりとした季節変化があるはずである。それは一体どんなものなのだろうか。そこでカタールの首都ドーハの雨温図を見てみたい。
(ドーハの雨温図)
 雨温図というのは、月ごとの平均気温を折れ線グラフで、平均雨量を棒グラフで一つに示すグラフである。これが世界の気候を分類するときの基本になる。グラフから読み取るのが生徒は大体苦手なんだけど、非常に大切なものである。こうしてドーハの雨温図を見てみると、気温は夏冬がはっきりする「富士山型」を示している。ドーハの平均気温は7月が最高で34.7度。平均というのは朝夜を入れての温度だから、これはたまらない。平均最高気温を見ると、6月から8月は40度を超えている。それが11月の平均気温は24.2度12月は19.2度まで下がってくる。やはり6~7月から11~12月に移したのは正しかったわけである。
(カイロの雨温図)
 ドーハの雨量を見ると、夏はほとんどないが、冬は結構降っている。といっても年間75ミリぐらいだが、多分ペルシャ湾に面している影響があるんだろう。これでは砂漠気候を教える時にドーハは不適当である。だから教科書ではよくカイロの雨温図が載っている。この図を見れば、一年を通して雨はほとんど降らないことが理解出来る。しかし、夏と冬はくっきりと分かれているのである。一年中暑い地方というのは、赤道直下に近いシンガポールなどが代表である。熱帯の熱帯雨林(ジャングル)気候になるが、下の雨温図を見れば一目瞭然だ。
(シンガポールの雨温図)
 ついでに東京を見てみると、気温は富士山型、雨量は毎月かなり多く、中でも秋が多い。年にもよるが、普通は秋に台風が来て大量に雨を降らせるのである。東京は「温帯」の中の「温暖湿潤気候」になる。南半球の温帯だと、夏冬が逆になるから気温のグラフが逆になる。テストで南半球のグラフを出すと、間違えやすくなるものである。
(東京の雨温図)
 じゃあ、どうして砂漠気候には夏と冬があるのだろうか。それは乾燥帯は中緯度地方だからだ。地球の気候は簡単に言えば太陽の影響だから、太陽に一番近い赤道直下が一番暑くなる。地球は傾いて自転しているから、赤道付近以外では「太陽に近い季節」と「太陽に遠い季節」が生じる。今年の夏は猛烈に暑かったが、それでも秋分を過ぎ冬至が近くなるにつれ、日没も早くなってきた。そうなるとやっぱり半袖が長袖になり、やがてセーター、コートが必要になってくる。

 東京の緯度は北緯35度41分。これはイランの首都テヘランとほぼ同じである。北アフリカになるが、アルジェリアの首都アルジェ(36度46分)やチュニジアの首都チュニス(36度48分)などは、むしろ東京より北になるのである。鹿児島の緯度は北緯31度35分で、カイロの緯度(30度2分)とそれほど違わない。沖縄県の那覇は26度12分、石垣島は24度20分である。ドーハは25度18分で、鹿児島より南、那覇と石垣島の中間あたりである。沖縄、特に先島諸島は暑いし、亜熱帯という言葉もあるが、それでも温帯。夏と冬ははっきりしている。カタールも沖縄あたりと同じ緯度なんだから、当然夏と冬があるわけである。

 赤道付近で熱せられた大気が乾燥して中緯度地方に降りてくるから、アフリカの中緯度地方にはサハラ砂漠など乾燥地帯が生じる。同じことがアジアで起きても良いはずだが、アジアでは季節風(モンスーン)の影響が強く、太平洋からの水蒸気をたっぷりと含んだ風が夏に吹き付けるから、夏には雨量が多くなる。それが西アジアと東アジアを分けている。アジアの西からヨーロッパが小麦の粉食、アジアの東が米の粒食になるのも、この雨量の違いによる。
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『パラレル・マザーズ』『ヒューマン・ボイス』、ペドロ・アルモドバル監督の新作

2022年11月11日 22時45分39秒 |  〃  (新作外国映画)
 スペインのペドロ・アルモドバル監督の新作『パラレル・マザーズ』(2021)が公開された。30分の短編『ヒューマン・ボイス』(2020)も同時に公開されているが、初の英語映画のこっちも見逃せない面白さである。まあ、そっちは最後に回すとして、まずはペネロペ・クルスがヴェネツィア映画祭で最優秀女優賞を獲得した『パラレル・マザーズ』から。

 ペドロ・アルモドバル監督は僕が絶対に新作を見逃したくない数少ない映画監督である。特に『ヒューマン・ボイス』は2週目から上映時間も限られそうなので、公開一週目に見に行った。アルモドバル映画は時に過激に暴走するし、今ひとつ理解出来ない時も多い。打ちのめされるような大傑作『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)、『トーク・トゥ・ハー』(2002)から早くも20年以上。リアルタイムで見てない若い人も増えてきただろう。僕はアルモドバルと言えば必ず見に行くことにしているが、それほど入れ込んでいない人も多くなってきたのかもしれない。

 近年の『ジュリエッタ』(2016)、『ペイン・アンド・グローリー』(2019)も僕は十分満足したけれど、昔ほどの勢いはないと言えばそうも言える。今度の『パラレル・マザーズ』もものすごく興味深いけれど、これで良いのかなという部分もないではない。題名のパラレルというのは、同じ病院で出産した二人の運命が交錯するというストーリーを指している。宣伝ですでに書かれているから触れることにするが、二人の「未婚の母」が同じ病院で同じ日に出産する。しかし、二人の子どもは取り違えられていた。二人が再び巡り会ったとき、片方の子どもはすでに亡くなっていたのだった。これはかなりとんでもない設定だ。
(ジャニスとアナ)
 写真家のジャニスペネロペ・クルス)は冒頭でアルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)の肖像を撮影している。このアルトゥロが子どもの父親になる人物だが、彼は「歴史記憶協会」(名前はちゃんと覚えてないけど)で発掘などをしている人物である。ジャニスの曾祖父は1936年の内戦勃発時に、反乱軍のファランヘ党によって虐殺された人物だった。死体の埋められた場所が証言ではっきりしたので、発掘をして欲しいという件で二人は知り合ったのである。彼は「予算が削減された」「数年先まで予定が埋まっている」と言いつつ、書類を提出すれば応援するという。このような「歴史の記憶」がサブテーマになっている。
(アルモドバル監督とペネロペ・クルス)
 もう一人の母親は 17 歳のアナミレナ・スミット)は、もっと複雑な事情を抱えていた。父母は別れていて、母はマドリッドで女優をしている。グラナダにいる父は登場しないが、出産を歓迎しないので母のもとに家出して来たらしい。妊娠の事情も深刻なものだ。1996年生まれのミレナ・スミットは大健闘していて、ペネロペ・クルスに負けていない。ジャニスはセシリアと名付けた娘と対面した元恋人から、「自分の子供とは思えない」と告げられ、秘かに DNA検査を受ける。その結果、セシリアが実の子ではないことが判明するが、電話番号を変えてしまいアナともアルトゥロとも連絡を絶ってしまう。そこに至る心理的葛藤はペネロペ・クルスの演技力でつい理解してしまうのだ、完全に納得は出来ないと思った。

 自分の実子にこだわる必要はないという考えもあるだろうが、少なくとももう一人の母や病院には伝えるべき情報だろう。スペインの病院だって、今どき赤ちゃん取り違えが起きるとは思えない。このテーマだと、どうしても是枝裕和監督『そして父になる』を思い出すことになるが、そこでは描かれた「取り違え理由」がこの映画にはない。無くて良い、「二人の女性の生き方」がテーマなんだと監督は言うだろう。実際に二人の母親役の熱演で何か究極的な運命を描くように思ってしまうが、これは本来は病院の深刻なミス、あるいは犯罪である。そこを全くスルーしているのが僕には納得出来なかったところ。
(ラストの発掘を見守る女性たち)
 それでもラストで感動するのは、「歴史」に向き合う姿勢である。そもそもジャニスは母親がジャニス・ジョプリンから付けたんだという。そして母はジョプリンと同じく27歳で死んだ。そうするとアナは誰ですか?と聞き返す。それは小さなエピソードだが、内戦に関する知識が少ないアナに対してジャニスが諭すシーンもある。そして最後に曾祖父の発掘が始められ、それをアナも見に来る。一貫して「女性讃歌」を作ってきたアルモドバルの新境地とも言える。ジャニスとアナ、二人の運命の変転を見つめて、撮影や音楽も見事。いつもながらファッションも素晴らしい。

 『ヒューマン・ボイス』はジャン・コクトーの戯曲を自由に翻案したという映画。ティルダ・スウィントンのほぼ一人芝居である。冒頭で斧を買いに行くのでどうなるかと思うが、その後家に帰ると他の女性のもとに去った(?)夫からスマホに電話がある。相手の言葉は聞こえない設定なので、延々と主人公の一人芝居になる。これが素晴らしいの一言で、完成度は非常に高い。美術や撮影も素晴らしく、すごいものを見たという感じがする。30分の映画なので、800円という設定になっている。ティルダ・スウィントンは2007年に『フィクサー』でアカデミー賞助演女優賞を得ている。最近では『メモリア』(アピチャッポン・ウィーラセタクン)が素晴らしかった。ハリウッドの大作にも出るが、作家性の高い映画にもよく出ている。この映画でも圧倒的な名演。
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神戸の詩人、安水稔和の逝去を悼むー2022年8月の訃報⑤

2022年11月10日 23時00分17秒 | 追悼
 詩人の安水稔和(やすみず・としかず)が2022年8月16日に死去、90歳。訃報が公にされたのは10月になってからだった。僕は新聞で知って、そう言えば昔この人の詩集を読んだなあと思いだした。それは素晴らしく瑞々しい青春の詩だったけれど、新聞記事では神戸に住んでいて阪神淡路大震災で被災したこと、その震災体験を執筆し続けたことが大きく取り上げられていた。いや、それは知らなかった。どこかで聞いたかもしれないが、東京ではあまり大きく取り上げられなかったと思う。震災関係の詩集やエッセイは関西の出版社から出されたが、地元の図書館に収蔵されていた。それを読んでみて、この記事を書いている。
(安水稔和)
 日本では現代詩はあまり読まれていないと思う。詩人の名も谷川俊太郎、大岡信、茨木のり子など少数を除いて思い浮かばないだろう。でも僕は若い頃にずいぶん読んでいた。それは角川文庫に確か全5巻の現代詩選集が入っていたからである。その本はどこかにあるはずだが、今はすぐには出て来ない。僕はその文庫本で多くの現代詩人の名前と作品を知ったのである。そして思潮社から出ている「現代詩文庫」を沢山買った。多分10数冊あると思う。そして、その一冊に「安水稔和詩集」があった。
 (現代詩文庫『安水稔和詩集』)
 その頃好きだったのは以下のような詩だった。(行分けは「/」で著す。)
 「君はかわいいと
 君はかわいいと/どうしていっていけないわけがあろう。/ただ言葉は変にいこじで妬み深く/君とぼくとのなかを/心よからずおもいがちで/君とぼくとのあいだを/ゆききしたがらない。/だから君/ちょっとお耳を。/どうだろう/言葉にいっぱい/くわせてやっては。/かわいいという言葉を/君のかわいい口にほうりこみ/君のかわいい唇のうえから/しっかりと封印しよう/ぼくの唇で。/奴めきっと憤然と/君の口のなかで悶死するにちがいない。/言葉の死んだあとに/愛が残るとすれば。/だから君/どうだろう
 「愛するとは
 愛するとは/どうひいきめにみても/あわれっぽいものだ。/雀の秘め事。/いつも離れていて/いつも離れられぬとおもいこむ。/おもいあまった意思が/身を投げる(以下、略)

 これらは25歳の時に刊行された詩集『愛について』(1956)に収録された詩である。全部引用したいぐらい、僕にとって魅力的だった。それは言うまでもなく、「男の子」が日常的に感じていることが書かれていたからだ。次の『』(1958)も良い詩がいっぱいある。
 「鳥よ
 鳥よ。/まっすぐに落ちてくる鳥よ。/落ちて落ちてもはや/おまえがおまえでなくなるとき、/なんと自由に/身をひるがえし/大地を横目に/おまえは新しいおまえとなることか。/おまえであったものが/土に頭を打ちつけ/あっけなく死んだその時に。(以下、略)

 ところで、その後僕は安水稔和を読まずに来た。というか、最近は詩を読むことも少ない。今回知ったけれど、安水稔和は1931年に神戸で生まれ、神戸の大空襲に遭遇した。その後に母親の実家の龍野(兵庫県)に5年間疎開したが、その後神戸市に戻り長田区に住んだ。大震災で一番大きな被害を受けた地区である。神戸大学に進学し、その後は神戸松蔭女子学院大学教授となった。ずっと神戸に住み続けた人生だったのである。大学在学中から詩作を続け「歴程」同人となり、いくつもの賞を受けた。

 1995年1月17日、そんな安水稔和が住む神戸市を大地震が襲った。今地震そのものに関しては書かないが、日本でこのようなことが起きるのかと大きな衝撃を受けた。東京では3月に起こった地下鉄サリン事件の衝撃によって「記憶の上書き」現象が起きた部分がある。しかし、僕は日帰りだけど現地を見ているので、その驚きを今も鮮明に覚えている。

 安水氏はからくも難を逃れた。数年前に建て直した家は倒壊しなかった。テレビが飛んで妻の寝ていた場所に落ちたが、起きていたので助かった。一家全員が助かったが、家の中はメチャクチャになった。通りを隔てた家まで火災で焼けた。電気も水もガスも止まったから、テレビも見られず情報が途絶えた。一週間後に朝日新聞から詩の依頼があり、それを読んで無事の消息が伝わった知人が多かったという。その時の詩が「神戸 五十年目の戦争」というものである。

 目のなかを燃え続ける炎。/とどめようもなく広がる炎。/炎炎炎炎炎炎炎。/またさらに炎さらに炎/
 目のまえに広がる焼け跡。/ときどき噴きあがる火柱。/くすぶる。/異臭漂う。/
 瓦礫に立つ段ボール片。/崩れた門柱の張り紙。/倒れた壁のマジックの文字。/みな無事です 連絡先は...。/
 木片の墓標。/この下にいます。/墓標もなく/この下にいます。/
 これが神戸なのか/これが長田のまちなのかこれが。/これはいつか見たまちではないか/一度見て見捨てたまちではないか。/
 (あれからわたしたちは/なにをしてきたのか。/信じたものはなにか。/なにをわたしたちはつくりだそうとしてきたのか。)/
 一九九五年年一月十七日。/午前五時四十六分。/わたしたちのまちを襲った/五十年目の戦争。/(以下、略)

 一読、忘れられない詩だ。どうしてこの詩を知らなかったのだろうか。その後、中越地震が、東日本大震災が、熊本地震が、その他多くの地震や集中豪雨などの災害が日本で起こった。この後に続く安水氏の詩がもっと多くの人に読まれていたならば、「何か」が違ったのではないか。「防災教育」などの場で、国民全員が読むべき詩ではなかったか。
(詩集『生きているということ』)
 今の詩を冒頭におき、4年目になるまで書き続けた詩を集めたのが「詩集『生きているということ』」(編集工房ノア)として刊行された。(第40回晩翠賞受賞。)今も入手できるようだが、まず地元の図書館で探してみてはどうか。是非一度読んで見て欲しいのである。先に書いた若い頃から、ずっと安水氏の詩は判りやすい言葉で書かれてきた。現代詩には言葉のアクロバットのような難解なものも多いが、特にこの詩集は表現的には誰でもすぐに通じると思う。それでも中に込められた重みは計りがたいぐらいだ。
(『神戸 これから 激震地の詩人の一年』)
 そして、震災後1年間に書かれた(話された)文章をまとめたものが「『神戸 これから 激震地の詩人の一年』(神戸新聞総合出版センター)である。ここには震災そのものではない文章(江戸時代の菅江真澄に関した文などだが、それらも震災に関連している)も入っているが、震災後に人がどのように生きていくか克明に記録されている。非常に貴重な文章で、これほどのものを知らなかったことにショックを受けた。東京では訃報に関しても追悼記事などは出ていないと思う。でも是非多くの人に読んで欲しいと思って、ここに紹介した。出来れば岩波文庫で『安水稔和詩集』を刊行して欲しいと願う。
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