1962年東宝作品「その場所に女ありて」(鈴木英夫監督、司葉子主演)。見たのは二度目だが、最近になって再発見された日本映画の傑作である。鈴木英夫という東宝監督の名前を知ったのは、ここ10数年のことだろう。「その場所に女ありて」がサンパウロ映画祭で受賞しているなどということはそれまで全く聞いたこともなかった。東宝でベストテン入りした映画は黒澤明と成瀬巳喜男ばかりで、あとは黒澤の弟子の堀川弘通が何本か…。鈴木英夫?…聞いたこともない、というのが70年代以後から映画を見てきたものの正直な感想だろう。ここ10年で評価がぐっと高まった映画監督は、清水宏と鈴木英夫だと思う。映画史も常に見直しがなされ、再発見されていくのだ。
その中でも、この「その場所に女ありて」はもっとも重要な日本映画の再発見の一つである。安保闘争と東京五輪の間の62年、高度成長渦中の東京・銀座の広告会社を舞台に、女性の労働をテーマに描いたこの作品は、時代を突き抜けている。ほとんどロケで撮り、発展する東京の時代相の中に、「まだセクハラという言葉がなかった頃」の女性をリアリズムで追及する。司葉子があまりにも凛々しく、素晴らしい名作である。
司葉子は「男を知らない優等生BG」である。BGと言っても死語だが、ビジネスガールの略。その後OLとなり、今はキャリアウーマンと言うのだろうか。姉が森光子でいつもだらしない男に引っかかり、妹に金をせびりにくる。(ちなみに今の男役は故児玉清。)両親はいない。司葉子は役名が矢田律子。上司からは「矢田君」、同僚からは「矢田ちゃん」と呼ばれている。「女が7年も一人で働くということは大変なこと」だった。27歳であるという。短大を出て就職したのである。これは司葉子の実人生と同様である。映画当時、司は28歳だった。もう30近くで、当時の感覚ではだんだん結婚が遠くなる年齢である。
コピーライターで入ったが、今は営業職である。製薬会社を回り、目薬や精力剤の広告を取るために走り回る。タバコを吸い、男と混じって麻雀を打ち、得意先の接待で夜も遅い。接待すればセクハラ、得意先からは見合いの話も。そういった仕事の事情がテンポよく語られる。ライバル会社のやり手社員宝田明との出会いと恋と別れ。仲間の女性社員の様々なタイプの描き分け。男につくす水野久美、男言葉の「幹事長」、男社員に小金を貸してもうける女性社員。60年代初頭のまだまだ労働条件が劣悪な中で高度成長を支えた「高学歴女性労働」がこれほどきちんと描かれた映画は他にない。映画は悲劇でもハッピーエンドでもなく終わる(と僕は見る。)「やるっきゃない」という終わり方。
この映画の中では、男は皆だらしなく、無責任でずるい。特に広告美術の賞を受ける山崎努(若い!)のいい加減さ。それに比べ、周りの男のだらしなさを一人で飲み込み、あくまで仕事を進める司葉子の素晴らしさ。このような「仕事ができる女」は日本映画で珍しい。ファッションも抑えたカラー画面に映えるステキなデザインである。司葉子はまあ若い頃から老齢まで演じた「紀ノ川」が代表作だろうが、洋装ではこの作品が一番ではないか。
画面の中には、当時の銀座が写されている。それも貴重。「オート三輪」が走り回る東京の姿は懐かしい。鈴木英夫はミステリー映画などスリリングな描写に才を発揮した映画監督で、まだまだ発掘されるべき作品が多く残ってる可能性がある。日本映画の歴史も奥深い。
その中でも、この「その場所に女ありて」はもっとも重要な日本映画の再発見の一つである。安保闘争と東京五輪の間の62年、高度成長渦中の東京・銀座の広告会社を舞台に、女性の労働をテーマに描いたこの作品は、時代を突き抜けている。ほとんどロケで撮り、発展する東京の時代相の中に、「まだセクハラという言葉がなかった頃」の女性をリアリズムで追及する。司葉子があまりにも凛々しく、素晴らしい名作である。
司葉子は「男を知らない優等生BG」である。BGと言っても死語だが、ビジネスガールの略。その後OLとなり、今はキャリアウーマンと言うのだろうか。姉が森光子でいつもだらしない男に引っかかり、妹に金をせびりにくる。(ちなみに今の男役は故児玉清。)両親はいない。司葉子は役名が矢田律子。上司からは「矢田君」、同僚からは「矢田ちゃん」と呼ばれている。「女が7年も一人で働くということは大変なこと」だった。27歳であるという。短大を出て就職したのである。これは司葉子の実人生と同様である。映画当時、司は28歳だった。もう30近くで、当時の感覚ではだんだん結婚が遠くなる年齢である。
コピーライターで入ったが、今は営業職である。製薬会社を回り、目薬や精力剤の広告を取るために走り回る。タバコを吸い、男と混じって麻雀を打ち、得意先の接待で夜も遅い。接待すればセクハラ、得意先からは見合いの話も。そういった仕事の事情がテンポよく語られる。ライバル会社のやり手社員宝田明との出会いと恋と別れ。仲間の女性社員の様々なタイプの描き分け。男につくす水野久美、男言葉の「幹事長」、男社員に小金を貸してもうける女性社員。60年代初頭のまだまだ労働条件が劣悪な中で高度成長を支えた「高学歴女性労働」がこれほどきちんと描かれた映画は他にない。映画は悲劇でもハッピーエンドでもなく終わる(と僕は見る。)「やるっきゃない」という終わり方。
この映画の中では、男は皆だらしなく、無責任でずるい。特に広告美術の賞を受ける山崎努(若い!)のいい加減さ。それに比べ、周りの男のだらしなさを一人で飲み込み、あくまで仕事を進める司葉子の素晴らしさ。このような「仕事ができる女」は日本映画で珍しい。ファッションも抑えたカラー画面に映えるステキなデザインである。司葉子はまあ若い頃から老齢まで演じた「紀ノ川」が代表作だろうが、洋装ではこの作品が一番ではないか。
画面の中には、当時の銀座が写されている。それも貴重。「オート三輪」が走り回る東京の姿は懐かしい。鈴木英夫はミステリー映画などスリリングな描写に才を発揮した映画監督で、まだまだ発掘されるべき作品が多く残ってる可能性がある。日本映画の歴史も奥深い。