尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ピーター・スワンソンのミステリーにハマる

2025年01月29日 22時10分59秒 | 〃 (ミステリー)

 ミステリーの話続き。最近アメリカのピーター・スワンソン(Peter Swanson、1968~)という作家をずっと読んでいる。名前は知っていたが、最近は文庫でも千円を越えるから、そうそう新刊本を買えない。今のところ6冊翻訳されていて、そのうちデビュー作だけはハーパーBOOKSから出ているが、その後の5冊は創元推理文庫。ブックオフに行くと何冊も並んでると思う。

 順番に紹介すると以下の通り。(太字が読んだ本)

①時計仕掛けの恋人(The Girl with a Clock for a Heart ) 2014

そしてミランダを殺す(The Kind Worth Killing) 2015 

ケイトが恐れるすべて(Her Every Fear) 2017

アリスが語らないことは(All the Beautiful Lies) 2018

だからダスティンは死んだ(Before She Knew Him) 2019

8つの完璧な殺人(Eight Perfect Murders) 2020

 2作目の『そしてミランダを殺す』が「このミステリ-がすごい!」「週刊文春」「ミステリーが読みたい!」のベストテンでいずれも2位になったことで、一躍ミステリー界に知られる存在となった。しかし、今回順番に読んだわけではなく、まず読んだのは『8つの完璧な殺人』である。これも「このミス」に入選している。主人公はミステリー専門の書店主で、大分前に店のブログに「8つの完璧な殺人」という記事を載せたことがある。まあお遊びで、ミステリーに書かれた殺人の中で「完璧」かなと思う作品を8つ選んでリストを作ったというだけの話である。全然評判にもならず自分でも忘れていた。

 ところがある日FBI捜査官が訪ねてきて、このブログの作品をまねたと思われる連続殺人が起こっているかもしれないと言うのである。そこで捜査に協力することになるが、主人公や主人公周辺の人物にもいろいろな疑惑もあり、一体真相がどこにあるか迷走していく。8つの中には、A・A・ミルン『赤い館の秘密』、アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』、フランシス・アイルズ『殺意』などミステリーファンには知られた作品もあるが、中には邦訳がない本もあってリスト自体が興味深い。他にも随所でミステリーおたくっぽい論及がなされて楽しい。特にミステリーファンじゃなくても、楽しめるとは思うけど。

(ピーター・スワンソン)

 『8つの完璧な殺人』が面白かったので、本屋で『そしてミランダを殺す』を買ってきて読んでみた。なんだか物騒な題に恐れを抱いていたが、この設定と展開は誰も予測不能だと思う。飛行機に乗ってアメリカに帰ろうとするテッドは、ロンドンの空港で見知らぬ美女リリーと出会う。最近浮気しているらしい妻を「殺してやりたい」と口走ってしまうが、何とリリーはその怒りを肯定するのである。というあたりで、パトリシア・ハイスミス原作、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『見知らぬ乗客』を思い浮かべる人もいるだろう。実際作者はいろんな本でハイスミスに触れていて、現代版ハイスミス流サスペンス小説だろう。

 作者はマサチューセッツ州に住んでいて、ボストンがよく出てくる。メイン州もよく舞台になっている。ニューイングランド地方が主な舞台で、人種的にはヨーロッパ系の事件ばかり。それは特に意味があるというより、アガサ・クリスティやハイスミスへのオマージュなんじゃないかと思う。また連続殺人犯(シリアルキラー)が出てくることも多い。『台北プライベートアイ』で主人公は台湾でシリアルキラーが少ない理由を考察していたが、スワンソンを読むとアメリカではなぜ連続殺人が多いのかと思う。司法制度や銃犯罪の多さなどもあるが、ベースにアメリカ社会の強い緊張感があると思う。『そしてミランダを殺す』は2023年に続編が刊行されていて、早い翻訳を期待したい。それにしても、ぶっ飛んだ展開に驚くしかない作品だ。

 『ケイトが恐れるすべて』はボストンに住むまたいとこ(いとこの子)が仕事でロンドンに住むことになり、交代でボストンに住むことになったケイトの話。ところが到着当日隣室に住んでいる女性が殺されたとか。まさか犯人は親戚? 『だからダスティンは死んだ』は引っ越してきたボストン郊外で、なんだか隣人が殺人犯かもしれないという話。しかし、いくら何でもそんな偶然ってあるのか。それを証明できるのか。この二つの本も強烈なサスペンスで読者を引きずっていく。

  

 『アリスが語らないことは』は今読んでる途中なので、展開はまだ不明。だけど、他の4冊に負けず劣らずサスペンスいっぱい。さらに自然描写や人間描写もメイン州の海岸地帯で共通する。近年は「サスペンス」というミステリージャンルが、どちらかというとホラーになりがちだった。または「嫌ミス」に。もちろんシリアルキラーが出てくるサスペンスだから、怖い要素はあるが案外「嫌ミス」じゃない。弱い人間、精神的にもろい人間がよく出てくるが、寄り添うような展開が多い。そして「真相」の驚きは、謎解きの本格になってるし、主人公が駆け抜けるハードボイルド、犯罪を語る「倒叙」など、ミステリーのジャンルミックスになっている。別にだからどうだという話じゃなくて、単に娯楽として読んでるわけだけど、とにかくスリリングで止められない。

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『台北プライベートアイ』、台湾ハードボイルドの傑作

2025年01月28日 22時41分17秒 | 〃 (ミステリー)

 年末にカフカを読んで2回ほど書いたが、その後もずっと短編やノートを読み続けた。この機会に読まない限り絶対に読まずに終わると確信するほど、実につまらない体験だった。途中で中断した断片が多いし、不条理文学は20世紀後半に大発展して、もっと優れた面白い作品は山のように書かれていると思った。100年前のヨーロッパはもう古めかしくて、最後の頃は読むのが苦痛だった。でも途中で止めずに読み切ったが、ここで書く必要もないだろう。

 そこで正月になったが、今度は純粋に面白い本が読みたい。もう体内にそういう欲求が満ちてきて、僕の場合はそう言う時に溜まってるミステリーを読みふける。今はミステリーも長くて複雑だから、結構時間がかかる。ホントは1月で終わりにしたかったが、どうも2月に続きそうだ。そろそろ体は歴史、社会系のマジメ本を欲し始めているけれど。

 

 そこでミステリー本の話を少し書きたいと思う。まずは紀蔚然台北プライベートアイ』(原題『私家偵探』、文春文庫、船山むつみ訳)。題名は「タイペイ」とルビが振られているが、作者は「き・うつぜん」で良いようだ。一応中国語表記も出ていて「ジー・ウェイラン」とある。2011年に出た本で、単行本は2021年に刊行され、2024年5月に文庫になった。著者紀蔚然は1954年生まれで、国立台湾大学演劇学部名誉教授。劇作家として多くの戯曲を書き、論文も多いという。

(紀蔚然氏)

 近年中華圏のミステリー、SFなどが大流行していて、世界的に評価されている。例えば去年の「このミステリーがすごい!」ベスト1は馬伯庸両京十五日』(ハヤカワ・ミステリ)という本だった。なかなか分厚い2巻本なので、まだ読んでない(買ったり借りたりする気になれない)。今まで読んだのは、香港の『陳浩基「13・67」、驚愕の香港ミステリー』だけである。あれは警察小説の傑作にして、香港現代史でもあった。僕は比較的ハードボイルド系が好きなんだけど、アジアの町は(東京も含めて)純粋のハードボイルド、つまり探偵が「卑しい街」を走り回るような小説が書きにくい。

 まず主人公が独自に動き回れる「自由な都市」が必要だが、それが少ない。また銃犯罪も少なく、警察の捜査力が強くて、私立探偵が成り立ちにくい。ということで、日本でもハードボイルド系のほとんどは、一匹狼の警官や新聞記者などが主人公のことが多い。そこへ台湾から突如現れたのが、この『台北プライベートアイ』である。今まで数多くのミステリーが書かれてきたが、この小説の後半の事件、展開は今まで読んだことがないものだ。インターネット携帯電話、それに防犯カメラなど、現代社会の調査システムをフル稼働させているが、ベースの発想は非常に深刻かつ深遠で宗教的なものだ。

(信義署)

 後半では主人公が事件に巻き込まれる展開になり、それも新味がある。今まで読んだことがないような設定だ。ミステリーだから、詳しく書けないのが残念だけど、これはこれはと思わせられる。主人公呉誠(ウー・チェン)は作者本人とほぼ同じらしい。台湾演劇界で知らぬ人がいない大物だが、他人にも自分にも厳しく攻撃性が強い。暴言を吐きまくり、ついには妻も去り自分も大学教授の職を捨てて、街の片隅に探偵事務所の看板を掲げた。興信所の資格もなく、公式な「私立探偵」なんてものじゃない。要するにただ「調査します」というだけのことである。ほとんど仕事はなく、毎日散歩するばかり。

(よく散歩する富陽自然生態公園)

 そんな中で、ある依頼が舞い込む。ある日から娘が父親と一切口をきかなくなってしまった。その理由を探って欲しいというものである。まあ、そういうことがあるとすれば、大方は父親が愛人といるところを偶然見たとかそんなものだろうと調査を開始するが…。それが父親はほぼ動きもなく普通に仕事しているじゃないか。一応動きが出て来て、調査らしくなって、真相も見えてくる。ところが、それは前置きみたいなもので、後半から台湾に珍しいシリアルキラー(連続殺人犯)ものになっていく。

 台北の街の描写も興味深いが、それ以上に面白いのが主人公の人生観や映画、小説などの批評。チャンドラーなんかも小説内でけっこう文明評のおしゃべりをしているが、ハードボイルドの興趣を高めるのは主人公の生き方、世界観である。この自分を基にしつつ、相当誇張して独善的になった主人公が、やがて下町に知人を増やしていき、本格的に考えて行く。さすがに現代では捜査そのものは警察力なくして不可能だが、主人公は「考察」するのである。家に閉じこもって、ついに『戦争と平和』を初めて読破しながら、主人公に迫る敵を一生懸命見つけ出す。

 ちょっと独自色の強いミステリーだが、日本に関する叙述も豊富。特に仏教に関心がある人に読んで欲しいミステリー。もちろん台湾に関心がある人にも。2021年に続編が出たということで、早めの邦訳を期待したい。

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A・ホロヴィッツの新作『死はすぐそこに』、傑作にして大問題作

2024年09月26日 22時24分38秒 | 〃 (ミステリー)
 秋になると創元推理文庫からアンソニー・ホロヴィッツの新作が出るというのも、毎年の恒例である。猛暑が幾分和らぎ、夜が長く感じられてくると、またホロヴィッツが楽しめるというのは今では秋の風物詩と言えるかも。今年も出ました、今回もホーソーン・シリーズで、『死はすぐそばに』(Close to Death)が山田蘭訳で刊行された。これがまた傑作にして、ちょっと驚くしかない(ミステリーとしての)「問題作」になっていて、ミステリー・ファンには読み応えたっぷり。

 ダニエル・ホーソーンとアンソニー・ホロヴィッツがコンビを組んで、事件解決を描くというシリーズももう5冊目。一応今までの作品を紹介しておくと、『メインテーマは殺人』、『その裁きは死』『殺しへのライン』『ナイフをひねれば』と続いてきた。警察を訳あって辞めたダニエル・ホーソーンという秘密を抱えた男がいて、今も時々警察に頼まれて事件捜査に関わることがある。その捜査に作家のアンソニー・ホロヴィッツが同行し(または捜査情報を教えて貰い)、真相を探ってゆくというシリーズである。ホームズもののワトソンにあたる役をホロヴィッツが演じるわけだが、このホロヴィッツは作者自身と見て構わない。

 児童向けミステリーで成功し、テレビ番組にも関わっているというのは本人と同じ。スピルバーグと会ったとか楽屋オチ的ネタも豊富で、今回は人気俳優ユアン・マクレガーが通ってるという歯医者が出て来る。まるでホーソーンという人物が実在し、彼の捜査を書いているノンフィクションみたいな体裁なのである。もちろん実際は完全なフィクションで、作中でホロヴィッツがミスを犯して難局に陥るというのが定番である。第3作ではチャネル諸島で開かれた文芸フェスで事件が起きる。第4作では自分の書いた戯曲が上演され、酷評した劇評家が殺されたためホロヴィッツ自身が容疑者となるという禁断の展開になる。
(著者と原書)
 そういう「メタ・ミステリー」、つまり「ミステリーの中で、ミステリーについて考えるミステリー」という構造なので、次第に書くのが難しくなってくる。そうそうホーソーンが呼ばれる事件が起きるわけもなし、書くことがなくなってきた。だけどシリーズの評判は良いようで、エージェントからは早く次を書いてくれと言われる。じゃあ、自分が関わる前の事件なら書けるんじゃないかとホーソーンに打診する。まあ、ないわけじゃないが…ということで、5年前にロンドンのリッチモンド地区で起きた地区の資料が送られてくる。それが全部じゃなくて少しずつ送ってくるから、ホロヴィッツは全貌を知らないまま書き始めたのである。

 ミステリーとしての特質から、内容を余り書けないのが残念だが、簡単に書くと「中途半端に終わってしまった事件」なのである。どういう事かというと、普通の古典的謎解きミステリーだと警察が解けない謎を名探偵が関係者一同を集めて解き明かす。すると警察も感嘆し、犯人自身も恐れ入ったり逃げ出したりして、犯人が判明して事件解決となる。ところが今回の事件では、ホーソーンが目星を付けつつある段階で「容疑者」(と思われる人物)が「自殺」(と思われる)死をとげて、警察はそれで一件落着とする。しかしホーソーンは納得出来ず独自捜査を続ける。という展開なのである。
(テムズ川に面したリッチモンド地区)
 リッチモンド地区はロンドン西南部の高級住宅地だという。そこに「閉じられた集合住宅地」があって、何軒かが暮らしてきた。しかし、そこに近所迷惑な一家が越してきて、いさかいが頻発するようになる。そして、ついに殺人事件まで…、という設定である。5年前の事件の展開に納得出来ないホロヴィッツ(作中人物)は、独自に現地調査に行くと当時を知る人物に会える。また当時ホーソーンの助手をしていたダドリーという(ホーソーンと同じぐらい)謎めいた人物が出て来て、気になるホロヴィッツはホーソーンとダドリーを調べ始める。たった5年ぐらいだが、過去と現在を行き来しながら進行するのである。

 ホーソーンは「自殺」は見せかけで実は殺人だと考えるが、そうなると「密室」ものになる。そこでホロヴィッツは作中で「密室ミステリー」談義をしている。「密室」ものでは「密室つくり」に不当なまでのエネルギーが費やされるという。それはまあその通りで、外国では銃が入手しやすい所が多いから、銃を一発お見舞いして「逃走」や「アリバイつくり」の方に頭を使った方がずっと楽である。なおホロヴィッツは本書の中で、「密室」ものは日本で発展したと述べ、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』横溝正史『本陣殺人事件』の名を挙げている。日本のミステリーを読んでるんかい。

 また古典的ミステリーだけを置いている小さな本屋を二人でやってる老女性が住人にいて、「アガサ・クリスティのあの小説」について言及する。その名前を書けないが、これを知らないとこの小説は面白みが無くなる。ということで、事件内容には触れてないが、近隣同士のイザコザが事件に発展して…という体裁で進行する。登場人物の謎が次第に深まっていき、ホーソーンの見立てがラストに炸裂するんだけど…。もっと書かないと何が「問題作」か理解出来ないと思うが、それを書くと本書の構造に触れざるを得なくなる。480ページほどと案外長いが、僕は第1作以来の傑作だと思う。ミステリー史に残る怪作としても魅力的。
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『すべての罪は血を流す』ーS・A・コスビーの犯罪小説②

2024年09月01日 20時25分08秒 | 〃 (ミステリー)
 アメリカミステリー界の新星、S・A・コスビーの『黒き荒野の果て』『頬に哀しみを刻め』が面白かったので、続いて今年出た『すべての罪は血を流す』(All the Sinners Bleed、2023)を読むことにした。文庫で500頁、税込で1450円という大長編だが、一気読み確実。久しぶりに時間を忘れてラストまで読みふけってしまった。これこそミステリーの醍醐味。

 今度の小説は今までと大きく違う設定になっている。今までは「犯罪」をアウトローの目から描いていたが、今回は保安官が主人公の「警察小説」なのである。舞台はもちろん大西洋に面したヴァージニア州で、チャロン郡(架空)初の黒人保安官タイタス・クラウンが主人公である。タイタスは元FBI捜査官だったが、父の病気などもあり故郷に戻った。捨てたはずの故郷の人々に請われて立候補して、図らずも保安官に当選したのが1年前。当選を快く思わぬ人もいたが、何とか地域の平和を守ってきた。

 小さな地域だから、面倒を起こす面々も大体知り合いの範囲のことが多い。今も南部国旗を掲げる人々も多いが、対抗する黒人教会もある。FBIを辞めるときに恋人とも別れ、今はチャロン郡で知り合った新しい恋人もいる。母を若くして亡くし、弟はほとんど家に帰らないので今は父と二人暮らし。というようなタイタスの私生活も細かく描写される。母との死別が人生を苦しめ、FBIを辞めたきっかけも複雑なものがあった。そのため彼は信仰を持つことが出来ず、教会には懐疑心を持っている。
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 ほとんど殺人事件など起こらない地域で、ある日大事件が起きた。それは彼も卒業した高校での銃撃事件だ。知らせを聞いたタイタスらが駆けつけると友人の息子ラトレル・マクドナルドが銃を手にして階段を下りてきた。タイタスも教わった地理教師の名を挙げて「スピアマン先生の携帯電話の画像を見ろ」と言い放って銃を手に近づいて来たので、部下がラトレルに発砲して射殺した。捜索した結果、校内でスピアマン先生の死体が見つかったが、他の犠牲者はいなかった。町ではスピアマン先生追悼の動きも出るが、一方では警察が黒人のラトレルを殺したことへの抗議も寄せられる。

 そんな中でスピアマンの携帯電話が何とか見られるようになったのだが…、そこには驚くべき恐怖の映像が残されていた。スピアマンには裏の顔があり、黒人少年多数を監禁して殺害する様子が残されていたのである。そしてラトレルもその協力者だった。さらにスピアマンでもラトレルでもない、マスクを被った第三の男が映っていて、その男こそが真の主犯と思われたのである。タイタスはプロファイリングの知識を駆使して7人の遺体を見つけ出し、町は大騒ぎとなった。噂が広まり、町が二分される中、タイタスは第三の男を見つけ出せるのか。まあそういう小説なんだけど、非常に出来が良いと思う。

 警察捜査小説としても、シリアルキラー(連続殺人犯)の犯罪小説としても読み応えがある。しかし、一番興味深いのは大西洋に面した漁業の町チャロン郡の社会描写だ。人種によって分断された教会の影響力が大きく、麻薬なども存在するが基本的には安定して保守的な町。人々はまさかここで黒人保安官が当選する日が来るとは思っていなかった。しかし、保安官は人種によってルールを変えることが出来ない。白人至上主義団体が許可を得たデモを行うのを止めることは出来ず、そこに黒人団体が対抗デモを仕掛けると衝突を止めるために両者の間に入る。

 作者は悪人を描く方が書きやすいと言っている。悪の側はルールを守らなくて良いが、善の側はルールに縛られているからだ。なるほどと思わせるのは、ルールに縛られるタイタス・クラウン保安官の存在感が凄い迫力。犯罪内容からも、人種対立が大きな意味を持っている点からも、この小説は映像化が難しいと思う。しかし、読む人は頭の中にくっきりと映像が浮かび上がる傑作長編だ。
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『頬に哀しみを刻め』と『黒き荒野の果て』ーS・A・コスビーの犯罪小説①

2024年08月31日 22時05分07秒 | 〃 (ミステリー)
 最近の翻訳ミステリーベストテンでは、イギリスの作家アンソニー・ホロヴィッツが毎年のように上位になる。しかし、この2年ほど「このミステリーがすごい!」のベストワンは違う作家で、ホロヴィッツは2位止まりだった。2024年版(2022年11月から2023年10月に刊行された本が対象)では、アメリカのS・A・コスビーの『頬に哀しみを刻め』が1位だった。誰だと思ったが、その前年にも『黒き荒野の果て』が6位に入選していた。それが初翻訳で、今年になって『すべての罪は血を流す』も出た。いずれも加賀山卓朗訳でハーパーBOOKSから出ている。小さいミステリー文庫なので知らない人も多いと思うが、この作家はすごい。

 アメリカの犯罪小説(クライム・ノヴェル)は面白いけど、お国柄を反映して銃弾が飛び交う暴力描写が凄まじい。そういう世界に耐えられない人もいるだろうから全員におすすめはしないが、この作家の本はチェックしておいてもよい。S・A・コスビー(S・A・Cosby、1973~)はアメリカのミステリー作家には少ない黒人作家なのである。しかもヴァージニア州が舞台になっていて、白人至上主義的な風土が描かれる。大学で文学を専攻しながら、卒業後は警備員、建設作業員、葬儀社のアシスタントなどをしていて、2019年にデビューした。デビュー作は未訳だが、第2作が『黒き荒野の果て』、第3作が『頬に哀しみを刻め』である。
(S・A・コスビー)
 『黒き荒野の果て』も面白かったが、『頬に哀しみを刻め』(Razorblade Tears)はミステリーとしての出来映えも見事だが、それ以上に作品の設定に驚いた。ヴァージニア州で息子を殺された男が二人。警察がなかなか犯人にたどり着けないので、何とか自分たちで犯人を追いつめたいと思った。二人とも今は足を洗っているが元囚人である。そして一人は今は庭園管理会社を経営している黒人男性、もう一人はトレーラーハウスに住んでるアル中の貧乏白人。二人は息子たちの葬儀で初めて出会った。彼らの息子たちは人種を越えて「同性婚」をしたのだが、その生き方を認められず、二人とも結婚式には出なかったのだ。

 二人とも子どもを失って初めて自分たちの間違いに気付いたのである。やっぱり子どもを愛していたのに、息子たちが愛する相手を見つけたときに認めてあげることが出来なかった。白人であれ、黒人であれ、「親の教育の間違い」で息子がゲイになったという周りの目に立ち向かえなかったのだ。だけど、今になって思うと生きてさえいてくれれば、それが一番だったのに。二人は文化の違い、境遇の違い、人種の違いで何度も衝突する。保守的なアメリカ南部で、黒人であること、貧乏白人であること、同性愛者であることのいずれが一番大変なんだろうか。それらは比べる問題ではないことを彼らは今ようやく学んでいく。

 もちろん、それは単純なヘイトクライムではなかった。明らかにプロの犯罪だったし、裏には隠された事情があるらしい。警察には出来ない元犯罪者のやり口で、二人は少しずつ真相に迫っていく。だがその結果多くの大切なものも失うのである。この二人の、普通だったら絶対に出会わないタイプの男たちの組み合わせが良い。ただ息子たちの親というだけの関係だったのに、次第に友情めいたものが芽生えてくる。どうしようもない性差別者で、息子の苦しみに背を向けて生きた二人が、最後の最後に息子に詫びたいと心底後悔する。暴力描写も凄まじいが、やはり親の心情こそが読みどころだと思う。
(ヴァージニア州)
 地図を見れば、何でここがアメリカの「南部」なのか理解出来ない。しかし、南部とは南北戦争時に「南部連合」(アメリカ連合国)に参加した州を意味することが多い。当初は南部連合の首都はヴァージニア州都のリッチモンドに置かれたし、総司令官のリー将軍もヴァージニア州の出身だった。(一方で連邦残留を選択した西部地方が「ウェストヴァージニア州」として離脱した。)小説を読むと、今も街に南部の旗を飾ったりしている描写が出て来る。未だに人種対立も厳しいが、さらに性的マイノリティへの差別も激しいことがわかる。そんな地域で人種を越えた同性婚をしたという二人という設定はものすごく深い意味を持っている。

 『黒き荒野の果て』(Blacktop Wasteland)も出来が良い。こちらは映画化権が売れてるようだが、とても面白い映画になるだろう。何しろものすごい「走り屋」が主人公なのである。犯罪組織の手伝いで運転手をしていた伝説的なドライバーが、足を洗って自動車整備工場を開く。しかし、経営不振で追い込まれ、これが最後と決めて宝石店強盗を企む知り合いを手助けする。そしてそれは成功したのだが、実はその店は絶対に手を出してはいけない店だったのだ。ギャング御用達のマネーロンダリング用の店だったのである。激怒したギャングが追ってくるわけだが、裏切りに次ぐ裏切り、驚くべきカーアクション、知恵比べが続くノンストップアクション小説。ただ面白いと言うだけならこっちかも。
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米澤穂信『冬季限定ボンボンショコラ事件』、小市民シリーズ完結編(?)

2024年05月13日 21時45分50秒 | 〃 (ミステリー)
 直木賞作家米澤穂信は青春ミステリーのライトノベルから出発した。角川スニーカー文庫の「古典部シリーズ」である。その後創元推理文庫からもう一つの青春ミステリーシリーズが誕生した。人呼んで「小市民シリーズ」というが、題名にスイーツが付いていることが特徴である。『春季限定いちごタルト事件』(2004)、『夏季限定トロピカルパフェ事件』(2006)、『秋季限定栗きんとん事件』(2009)と来たからには、次は冬だと待ち望みながらなかなか出なかった。番外短編集『巴里マカロンの謎』(2020)が一時の渇を癒やしたものの、どんどん作者は有名になってしまった。もう冬は出ないのだろうかと思っていた2024年4月末、ついに出ました、『冬季限定ボンボンショコラ事件』(創元推理文庫)である。

 このような「ジャンルもの」については、本や映画、音楽などを問わず関心がない人には何の意味も持たない。今度の小説はとても面白かったが、これだけ読んでみてもホントの面白さは伝わらないだろう。じゃあ、最初から全部読むべきかと言えば、その価値はあるとは思うけど…。ミステリーは脳トレになるし、青春ものは「あの頃」がよみがえって気分を若くしてくれる。とは言うものの、このシリーズは設定が変わっていて普通じゃない。同じ高校に通う小鳩常悟朗小佐内ゆきは、よく一緒にいるところを目撃されるが交際しているわけではない。身近に起こった「日常の謎」を解決するために「互恵関係」を取り結んでいるだけなのである。
(米澤穂信)
 そりゃ何だという感じだが、二人は謎解きはするのもの、本当はそんなお節介はやめたいのである。しかし生来の謎解き好きの虫が騒ぎ、つい口をはさんでしまう。しかし、中学時代に何か苦い体験となった思い出があり、二人は二度とこんなことはやめようと決意した。目指すのは「小市民」である。その意味は目立たず出しゃばらず、おとなしく学校生活を送る一生徒と言った感じか。しかしながら「あっしにはかかわりのないことでござんす」と言いながら、結局は関わってしまう木枯らし紋次郎のように、小鳩君と小佐内さんも謎があれば解いてしまうのである。で、その中学時代の苦い体験ってなんだろう?

 このシリーズは今度アニメになって7月から放映されるそうである。登場人物の絵は画像で出てくるけど、いやあこんなにカッコよくなっちゃうのか。ちょっとイメージが違う感じで、もっと陰影というか、屈託がある感じを思い描いていた。それは今まで語られない「謎の中学時代」の影とも言える。そして15年ぶりに刊行された今回の作品で、ついに中学時代が明かされたのである。それもとりわけ衝撃的な設定として。今回の作品では、冒頭に主人公小鳩君がひき逃げされて入院してしまうのである。スマホも壊れたから誰にも連絡できない。そこでどうしても中学時代に起こった、もう一つのひき逃げ事件を思い出さずにいられない。
(アニメ化のキャラクター)
 小鳩君と小佐内さんも高校3年の受験生、もう謎解きもないはずの2学期末、たまたまスイーツ好きの小佐内さんについて鯛焼きを買いに行き堤防沿いの道を歩いていた時のことだった。年内に早くも雪が積もったため道も歩きにくいが、そこに車が突っ込んできたのだった。全治数ヶ月で、なんと受験もフイになった小鳩君である。一緒にいた小佐内さんはどうなったんだろう? そして同じ道路で起こった前のひき逃げ事件は? その事件は同級生が轢かれ、二人は協力して犯人捜しをしたのだったが…。ある解けない謎を残したまま、心に傷を残して終わってしまったのだった。 

 てなことを字が書けるようになった小鳩君はつらつら思い出してはノートに書いていたのである。そんな小鳩君に小佐内さんが差し入れしたのが、「冬季限定ボンボンショコラ」だった。いつまで昔話に興じているんだと思うと、やはりその中に伏線が散りばめられているではないか。ラスト近くの「怒濤の展開」、それはまあミステリー小説の定番ではあるが、えっそうだったんだの連打に打ちのめされた。回顧談かと思うと、ちゃんと現在進行形のミステリーじゃないか。まあ、僕は設定にちょっと無理があるなという気もしたけど、まずは満足の傑作。そして、春夏秋冬すべて終わって完結編かと思われるが、もしかして大学編もあるの?的な終わり方に期待が高まる。ところでアニメ化連動企画で、限定スイーツをどこかで食べてみたいもんだ。
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『受験生は謎解きに向かない』、ピップシリーズ前日譚+『愚者の街』『印』

2024年01月29日 22時20分01秒 | 〃 (ミステリー)
 ミステリーについて書くと、グッと(有意に)読者数が減るんだけど、まあ自分が面白かった本だから書きとめておきたい。年末年始にいっぱい買い込んでしまって、ゆるゆると読んでいるところ。まず今月出たばかりのホリー・ジャクソン受験生は謎解きに向かない』(KILL JOY)である。ホリー・ジャクソン(1992~)は『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』『卒業生には向かない真実』三部作で一躍注目されたイギリスの若手ミステリー作家だ。

 その彼女がもう一冊ピップ・シリーズを書いたのである。町を揺るがした殺人事件の真相を女子高生が解き明かす趣向で、第一作は大人気となった。しかし、2作目、3作目と苦さが増していき、最後の作品は一体どう評価するべきか大いに悩む問題作になってしまった。ところが今回は第一作の直前に時間を戻して、高校生が謎解きゲームをするという趣向の中編である。つまり、シリーズの前日譚で、ボーナス・トラックみたいなものだろう。

 それは高校2年生が終わった後の夏休みに、仲良し高校生6人が集まって謎解きゲームをするという話なのである。舞台は1924年に設定され、孤島の豪邸で行われる富豪の誕生会で殺人事件が起きる。もちろん、そんな設定を実際に再現するのは不可能だから、親が留守の家に皆で集まり「ここは孤島です」とみなし、執事が配膳する料理はドミノピザを頼んで良しとする。皆はそれらしき服装をして集まるように指定され、配布されたブックレットを読みながらゲームが進行する。

 要するに現実に演じるロール・プレイング・ゲームである。設定はなかなか良く出来ている。作家が書いてるんだから当然だが、どうやらイギリスには実際にそんなゲームがあるらしい。主人公ピップはその時余り乗り気じゃなかった。新学期が始まったら取り組むべき「自由研究」のテーマが未定だったからだ。ところが思わず謎解きに熱中してしまい、作者(小説中のゲームの作家)の思惑を超えて大暴走していく。その「キレッキレ」推理が実に楽しく、僕は明らかにピップの推理が正しいと思った。この推理ゲームに参加したことから、ピップは自由研究で町の長年の謎(第一作の事件)に取り組むと決意した。

 もう一つの読みどころは、三部作を先に読んでいれば、この登場人物にはこの後どんな苦難が降りかかるのかを読者は知っていて読めるのである。今は仲良しの彼らもその後亀裂が入ることになる。そういう苦さを味わうのも、シリーズものならではの醍醐味だ。またヤング・アダルトの高校生もので売り出したホリー・ジャクソンだけど、やっぱりイギリス人であって、アガサ・クリスティばりの密室ミステリーが大好きなのも面白い。まあ、このシリーズのファン向けボーナスだけど。

 ついでに年末年始に読んだ外国ミステリー。ロス・トーマス(1926~1995)の『愚者の街』(1970)は、こんな面白い小説が未訳だったのかと驚く。よくも半世紀前の傑作を発掘してくれたと新潮文庫に感謝。もっともとぼけたスパイ小説なんかが持ち味のロス・トーマスは通好みの作家かもしれない。僕は生前はずいぶん読んでいて好きな作家だった。この小説は失敗したスパイが、元悪徳警官や元娼婦と組んである町を「腐らせる」仕事を請け負うという話。町を再生させるために一方の勢力から雇われるが、誰が誰やら大混乱する中でマフィアが入り乱れる。上下2冊あるけど、終わるのがもったいない面白さ。ただ、この手の小説は苦手という人も多いかも知れない。ふざけすぎだし、流血も凄いから。

 アイスランドのミステリー作家アーナルデュル・インドリダソンの6作目『』(サイン)。『湿地』『緑衣の女』『』『湖の男』『厳寒の町』に続くエーレンデュル捜査官シリーズである。ミステリーとしては『声』が傑作だと思うが、このシリーズはアイスランドの厳しい自然と独特の歴史を知る意味も大きい。どの作品もなかなかの出来だが、ミステリーとしてはどうなんだという作品もある。それは人口が少ないアイスランドで、派手な銀行強盗や連続殺人魔なんかの事件が起きるはずがないからだ。だからしみじみ系のミステリーが多くなる。それは主人公の生活にも言えることで、こんな捜査で良いのかなと思うときもある。

 『』は事件としての決着は付いている自殺事件を追い続ける話である。『印』というのは、あの世からのサイン、つまり霊媒なんかが死んだ人の言葉を伝えるような「印」を指している。昔のエピソードを延々と追い続け、それは正規な仕事じゃないので、同僚に苦情を言われる。また、今さら解決しようもないだろう失踪事件も追う。そんな昔のことばかり、趣味のように調べ続ける。そして一応「真相」が見えてくるんだが…。今は火山噴火で大変らしいアイスランドの暮らしを垣間見る本でもある。
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米澤穂信『可燃物』、真相を見抜く主人公に驚く

2023年12月30日 20時39分05秒 | 〃 (ミステリー)
 年末恒例のミステリーベストテンが発表され、『このミステリーがすごい!』『週刊文春』『ミステリが読みたい』で米澤穂信可燃物』が1位となった。今本屋に行くと、カバーが掛かったこの本が何冊も置いてある。最初は文庫まで待てば良いと思っていたけど、なんか急に読みたくなって単行本を買ってしまった。買っちゃうと、すぐに読み始めるしかない。これが大当たりで、最近こんなに感心したミステリーはない。もちろん素晴らしく面白い一気読み本だから、年始に大のおすすめである。

 米澤穂信(1978)は割と早くから青春ミステリーを読んでいたが、本格ミステリー作家としてどんどん大きくなり、2022年には『黒牢城』でついに直木賞を受賞したばかり。あの本は織田信長に反逆した荒木村重を主人公にした歴史ミステリーだが、戦国の合戦最中に「不可能犯罪」が起きるという超絶的設定に驚いた。その論理性が時に面倒くさいぐらいの本だった。この論理性がないと、本格ミステリーは成り立たない。しかし、論理性の説明が面倒くさいミステリーはたくさんある。
(米澤穂信)
 今度の『可燃物』も「論理性」に驚かされる本だが、警察小説でもあるので現実社会に生きている現実の人間が登場する。いずれも不可解さが残ると主人公は判断するが、一見不可解じゃないとみなす方が自然な状況でもある。主人公は群馬県警本部刑事部捜査第一課葛(かつら)警部という。名前は出て来ない。家族などの私的な情報も不明である。趣味も何も判らず、いつも事件捜査中は菓子パンとカフェオレで済ませている。上司にも部下にもちょっと疎まれている。あまりにも独自な発想で事件の真相を見抜くので、上司からすると部下が育たない「個人プレー」型に見えるのである。

 しかし、そんなことはどうでも良い。葛警部は事件解決を仕事にしていて、まさに切れ味鋭く真相を見抜く。証拠がそろうと、証拠がそろい過ぎじゃないかと恐れる。動機は重視しないが、動機こそが鍵になる事件では動機を探る。バラバラ事件の死体が発見されると、発見されやすい場所に放置されていたのは何故だろうと考える。5篇の短編が収録されていて、いずれも傑作。

 どんな事件かというと…。雪山で発見された死体が殺されていた。行動確認中の容疑者が正面衝突の交通事故を起こしたが、どちらが信号無視だったのか。バラバラ死体が榛名山で見つかり犯人と思われる人間も見つかるが、バラバラにした動機が判らない。放火事件が相次ぐが、どれも可燃ゴミにちょっと火を付けただけで終わる。捜査に乗り出すと放火が止まるが、真相はいかに。そしてファミレス立てこもり事件が起きて、これは他と違うのかと思うと、それにも驚きがあるのだった。

 こんなことを書いても全然判らないですよね。ミステリーの紹介は筋が書けないから困る。ただ、殺人だの放火だのといった重大犯罪じゃなくても、仕事をしていれば毎日のように何かの「事件」が起きている。それが仕事というもんじゃないだろうか。僕が勤めていた「学校」という職場でも、深刻な暴力やいじめ事件もないではなかったけれど、もっと軽い人間関係のイザコザなどの「事件」はよく起きていた。そして、それを何というか判りやすく「解釈」して終わりにすることも多かったと思う。

 是枝裕和監督の映画『怪物』でも、表面上見えているものと、子どもの心にある「真実」には大きな違いがあった。葛警部のように何でも見抜くことは、凡人たる我々には不可能だ。だが、「真実」はそんなに判りやすい形を取るわけじゃないと知っていることは何かの役に立つだろう。別に役立つから薦めるのではないが、なるほど人間の真相は深いなと思う小説ばかり。そして、読みやすいからすぐに読める。ミステリーはジャンル小説だから、読む人は読むし、いくら薦めても読まない人はなかなか手に取らない。だから、あまり書かないようにしてるんだけど、これは日常を生き抜く時にもヒントになりそうだから、書いた次第。
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『ナイフをひねれば』(アンソニー・ホロヴィッツ著)を読む

2023年10月05日 20時35分31秒 | 〃 (ミステリー)
 秋にアンソニー・ホロヴィッツの新作ミステリーを読むのも、今年で6年目。これほどレベルの高いミステリーを世に送り出し続けるホロヴィッツの才能に改めて驚く。今回の『ナイフをひねれば』(The Twist of a Knife、2022)は、ホーソーン&ホロヴィッツ シリーズの4作目だが、驚くべき趣向でミステリー史に残る作品だろう。

 シリーズの趣向を簡単に紹介すると、作者自身のアンソニー・ホロヴィッツが、元警官の凄腕探偵ダニエル・ホーソーンの捜査過程を記録していくミステリーである。つまり、自分自身(と同じ名前の人物)がワトソン役となり、ホームズ役のホーソーンの推理を語るわけである。その際ついアンソニーも自ら推理してしまい、それが全く外れてしまうのがお約束になっている。作中のアンソニー・ホロヴィッツはまさに実在の作家本人を思わせる楽屋オチ満載で、それも楽しい。

 だが今作ではその趣向が「楽屋オチ」では済まないレベルになっている。最初に語られるのは、ホロヴィッツの演劇への情熱である。若い頃から舞台に憧れ、自ら戯曲も書いてきた。そして『マインド・ゲーム』という台本を認めてくれる製作者が出て来て、地方だけど公演も行われた。そして、ついにロンドン公演も実現することになる。たった3人だけの舞台で、二人は今までと同じだが、もう一人若い男優は降りてしまい、代わりに売り出し中の若手が入る。彼はこの後クリストファー・ノーラン監督の『テネット』に出演が決まったとか。そんなこんなで初日が近づき、舞台の裏話が語られる。
(原書と作家)
 初日の客はなかなか楽しそうに観劇していたと思うのだが…。初日の打ち上げパーティでは、製作者が前に失敗した『マクベス』(野外劇が雨で大コケ)で作ったナイフを出演者や作家、演出家に記念に配った。ところがそこに、酷評することで嫌われている女性劇評家が現れ、皆に毒づき帰って行く。気分が沈んだ面々はもう一回劇場に戻って飲み直そうということになる。ところがその最中に、スマホを離さぬ若い女優が、早くも劇評が出たと知らせる。これがもうとんでもない酷評で、特にホロヴィッツの台本が大失敗の原因と決めつけるのだった。主演俳優も怒り出し、「殺してやる」とわめく始末。

 もちろんその劇評家が翌朝殺害されるのだが、何と警察当局が逮捕したのはアンソニー・ホロヴィッツその人だった。何も酷評されたからという理由ではない。凶器は当日配布のナイフで、他の人はすべてナイフを持っていたがアンソニーだけはナイフをどこに置いたか記憶がない。凶器のナイフからはアンソニーの指紋も検出される。ということで、作者本人と思われる人物を逮捕させてしまうという、ミステリー史上類例のない荒れた展開となる。アンソニーはホーソーンに助けを求め、「何故か」科捜研(にあたる部署)のコンピュータが故障して証拠を示せなくなり、一端仮釈放されるが…。
(舞台となったロンドンのヴォードヴィル劇場)
 今作は「謎解き」としては少々弱いと思う。まず凶器の問題から、容疑者が絞られている。今までのホロヴィッツ作品を思い出しても、殺人にまで至るのは単に劇評だけが動機とは思えない。となると、僕でも展開は予想可能なのである。もちろんミステリー小説はすべてを疑って読まなくてはいけない。語り手が実は真犯人だったという小説もある。だがこのシリーズはホロヴィッツが犯人か、無実でも裁判で有罪になってしまえば、それで終わりである。英国ではすでに第5作の刊行が予定されているという。今後もアンソニー・ホロヴィッツは書き続けるのである。これは「ミッション・インポッシブル」と同じだ。ミッションが不可能なら生還出来ないはずが、シリーズ化されている以上、「ミッション・ポッシブル」になるわけである。

 しかし、では何故ホロヴィッツのナイフが使われたのか。疑わしき証拠の数々は何故相次いでホロヴィッツを指し示すのか。「犯人当て」以上にそっちの「いかに」の解明に鋭さがある。実に見事なもので、ミステリーの読みどころである。また作中で語られる様々な社会問題への感想も興味深い。特に少年犯罪の裁判には驚いた。小学生の年齢に当たる被告人が、普通の刑事裁判を受けている。またその事件に関して実名が出ている本が刊行された。ちょっと日本の感覚では信じられない。この小説には様々な子どもをめぐる問題が出て来るが、現実のアンソニー・ホロヴィッツも子どもを守る活動で知られているという。
(現実の『マインド・ゲーム』舞台)
 この小説に出て来る戯曲『マインド・ゲーム』は実際にホロヴィッツが書いている。舞台公演も行われていて、その画像が上記のもの。日本ではまだ上演されてないようだ。そういうホロヴィッツが語るロンドンの演劇事情も興味深い。さすがに小説内に出て来るほど、ひどい劇評家が日本には(イギリスにも)いないと思う。これでは書いても新聞では掲載不可になるだろう。イングランドの風景美もいつもながら印象的な小説だった。日本の桜がちょっと使われているのも面白い。
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『卒業生には向かない真実』、ピップ最大の危機、苦い完結編

2023年08月15日 22時14分32秒 | 〃 (ミステリー)
 ホリー・ジャクソンのピップ・シリーズの3作目『卒業生には向かない真実』(服部京子訳、創元推理文庫)が刊行された。670ページもあるシリーズ最長の問題作で、完結編になるのだろう。正義感にあふれた女子高生ピップが活躍する溌剌たる青春ミステリーとして始まったシリーズも、次第に苦みが増していって、今回はほとんど「イヤミス」レベルじゃなかろうか。第1作『大収穫、「自由研究には向かない殺人」』、第2作『『優等生は探偵に向かない』、ピップ大いに悩むの巻』と内容的に連続していて、続けて読む必要がある。一話完結のシリーズではなく、ピップが登場する連作と言うべきだろう。

 第1作を簡単に振り返っておくと、17歳の女子高生ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは学校の「自由研究」として、町の未解決事件に取り組んだ。5年前に高校生のアンディ・ベルが行方不明となり、付き合っていたサリル(サル)・シンの死体が発見された。警察はサルがアンディを殺害して自殺したとみなしたが、未だにアンディの死体は発見されていない。ピップにはもちろん強制捜査権がないから、公開されているSNSを探ったり、関係者に接触したりして真相を探っていく。この小説は英米に多い「スモールタウン・ミステリー」に、「学園ミステリー」、そして「デジタル捜査小説」の味わいを加えた傑作だった。

 第1作は5年前の事件の真相を探る中で、町の暗部をあからさまにした。何人かの登場人物が逮捕、起訴されることになったが、小説内の現在では誰も死なない。それもあり、真相を探る主人公ピップのひらめきや人権感覚が印象的だった。ピップは小説内でも評価されて、ケンブリッジ大学への進学が決まっている。母親からは「探偵ごっこ」はもう止めて欲しいと強く言われたが、第2作では行方不明者の発見に協力を求められ、再び自主的な捜査を始めてしまう。警察は若者が数日どこかへ行っただけと相手にしてくれなかったからだ。その事件の真相は驚くべきもので、何が正しいのか、ピップも人間性の深淵におののく思いをする。

 その事件は悲劇的な結末を迎え、ピップは第3作冒頭では「壊れて」しまっている。明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。そんなピップにはさらに憂慮すべきことがある。どうやら誰かに後を付けられたり、悪意を持たれているらしい。家の前に謎の記号が書かれていたり、鳩の死体が置かれたり。警察に相談しても、イタズラだろうと相手にされない。ネットで検索してみたところ、同じような前兆があったケースが見つかる。それは連続殺人事件で、「DTキラー」と呼ばれている。ただし、犯人はすでに逮捕されていて、有罪を認めて服役中。その後、事件は起きていない。事件は冤罪で真犯人は別にいるのか?

 やがて真相が明らかになるが、ミステリー通ならばある程度予想通りだろう。だが、この小説の読みどころはそこではない。その「真相判明」は小説の前半にしか過ぎない。ピップの恐怖、そして驚くべき計画。こんな展開はあっても良いのか。これ以上詳細を書くわけにはいかないが、第1作から思えば遠くへ来たもんだ。高校を卒業して、まだ大学は始まってない。そんな18歳の少女は、すでに人生を見終わってしまったかの感がある。原題は“AS GOOD AS DEAD”で、これは調べてみると「死んだも同然」という意味らしい。それはピップの心理状態を指すだけではないだろう。

 むしろ作者はイングランドの警察や司法制度を批判する意味合いで言っているのかもしれない。後書きには作者も警察に信用して貰えなかった経験があると書かれている。確かに第1作から、警察は「無能」である。それは作品成立の条件としてそうなっているのかと思っていた。(警察が有能で、何でも解決出来ていれば、素人探偵は不要である。)しかし、どうもそれだけでもないらしい。作中で出て来る冤罪主張者の供述は日本と非常に似ているではないか。この小説をどう評価するべきか、なかなか決めがたい。驚くべき問題作であると言うだけ。だが着地点を目指してドキドキしながら読むのは間違いない。
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フェルディナント・フォン・シーラッハ『刑罰』を読む

2023年01月13日 22時34分30秒 | 〃 (ミステリー)
 映画などへは行かず時事問題も書いてないから、書くことが尽きてきたけど本の感想なら書ける。(ちなみに時事問題を書いてないのは、ウクライナ戦争や日本の防衛政策大転換など、とても一回では終わらない大問題で、今集中して取り組める精神的余裕がない。)ドイツのフェルディナント・フォン・シーラッハが書いた『罪悪』(創元推理文庫)を読んだ。この人に関して、今までここで書いたかなあと思って探してみたら、『映画「コリーニ事件」、法廷ミステリーでドイツの過去を直視する』(2020.6.22)を書いていた。シーラッハ原作の『コリーニ事件』の映画化をコロナ禍に見ていたとは、自分でも忘れていた。

 フェルディナント・フォン・シーラッハ(1964~)という人はドイツの弁護士である。非常に有名なドイツを代表する弁護士の一人らしい。その人が2009年に『犯罪』という本を出した。掌編と呼ぶべき短編が11編入った作品集である。ドイツでクライスト賞を受賞したが、それはヘルタ・ミュラー(ノーベル賞受賞者)や多和田葉子も受けている賞である。一方、日本では東京創元社から翻訳(酒寄進一訳)が出され、年末の各種ミステリーベストテンで2位に選ばれるなど、「ミステリー」として受容された。そして、その後『罪悪』『コリーニ事件』『禁忌』などを続々と発表して作家として地歩を固めた。
(フェルディナント・フォン・シーラッハ)
 今回読んだ『刑罰』(2018)も「創元推理文庫」から刊行されている。翻訳は2019年に出て、2022年10月に文庫になった。この本は『犯罪』『罪悪』に続く作品集で、一応ミステリーと言えるけど普通の意味のミステリーとは全然感触が違う。先に挙げた映画の原作『コリーニ事件』(2011)はある程度「法廷ミステリー」的な作品になっているが、『犯罪』『罪悪』『刑罰』の三部作は「ミニマリズム・ミステリー」とでもいうか、感情描写には踏み込まず犯人当てもなく、ただ事実を淡々と綴るのみである。ただ、それがものすごく面白い。謎解きではなく、犯罪を通して見えてくる人生が心に沁みるのである。

 難しいところはどこにもなく、誰でもすぐに読める。でも、こういう本は今まで読んだことがないと思うだろう。ここに書かれている「事件」は著者が弁護士として体験したことだろうか。もちろん違うだろう。直接自分が担当した事件を小説にするのは、弁護士としての倫理に反する。しかし、法廷で見聞きしてきたことのエッセンスは間違いなく小説の中に生かされている。確かにこういう人生は存在するだろうという、自分や隣人のことが書かれている気持ちがする。今回は特に「孤独感」、人生中で孤独がいかにその人を蝕んでしまうかを描く作品が多い。

 最初に置かれた「参審員」、2番目の「逆さ」、さらにトルコ系ドイツ人女性が弁護士になる「奉仕活動」など、法律の意義を問い直すような作品が多い。裁判はもちろん「法律」に基づいて行われるもので、人間の真実をあぶり出す場ではない。人間として「有罪」であっても、法廷では「無罪」になることもあり得る。やむを得ないと言えば、その通りである。しかし、その裁判の結果、大きな過ちがもたらされた場合はどうなのか。「法の限界」があることをこの本は静かに告発している。つまり、この本は題名の通り「刑罰」を考えさせるのである。

 法廷が下す「刑罰」よりも重いものは、自分が自分に与える「自罰」だろう。ここには自分で自分の人生を罰するような、閉じられた生を生きる人々が数多く登場する。彼らは我々の隣人であり、また自分の中にも住んでいる。多くの人がそのように思うのではないか。そして彼らが静かに人生を送っている限り、「犯罪」に関わるはずがない。だが、静かな生活が周囲の人々によってかき乱される時、思わぬ形で彼らが犯罪の「被害者」だけでなく「加害者」にもなってしまう。人生の恐るべき秘密をこの本は淡々と語るが、事実のみを提示するだけの作品が読むものの心に染み通っていく。

 『犯罪』『罪悪』は図書館で借りて読んだこともあって、ここでは書いてなかった。短い作品が集まって、読みやすいから、出来れば順番に読む方が良いと思う。何故なら『刑罰』の一番最後にある「友人」という作品はやはり最後に読むべきものだと思うから。その作品は感触としては事実がベースになる気がする。プライバシーに配慮して変えてあるところが多いだろうが、実際の知り合いを描いているのではないか。そこで思うのは「人生いろいろ」だという当たり前のことなんだけど、自分の人生を振り返ってしまう本である。なお、著者の祖父にあたるバルドゥール・ベネディクト・フォン・シーラッハ(1907~1974)という人は、ナチス時代の高官でヒトラーユーゲント(ヒトラー青少年団)の責任者だった。「フォン」がつく家柄では珍しい。戦後のニュルンベルク裁判で禁錮20年を宣告されたという。ウィキペディアでは孫よりも遙かに長く記されている。
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『殺しへのライン』(アンソニー・ホロヴィッツ)を読む

2022年10月01日 22時24分00秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツのホーソーン&ホロヴィッツ シリーズ第3作『殺しへのライン』(A Line to Kill、山田蘭訳、創元推理文庫、2021)をさっそく読んだ。ホロヴィッツはここ4年ほど毎年1作ずつ翻訳されて、すべて大評判になってきた。ここでもその都度書いてきたが、このシリーズの方だけ紹介すると『メインテーマは殺人』、『その裁きは死』である。元刑事ホーソーンの名推理を描くシリーズだが、作者が作中に出て来るなど独創的なミステリーになっている。特に第1作は傑作だった。

 エンタメシリーズとして、この作品から読んでも可能になっているけど、登場人物には前からの経緯もあるから順番に読む方が面白いだろう。今回はもうすぐ第1作『メインテーマは殺人』が刊行される直前で、すでに第2作『その裁きは死』の事件も解決した後という時間設定である。宣伝のため、文芸フェスティバルに参加してはどうかということになる。探偵役のダニエル・ホーソーンは何しろヘンクツで、個人的なことはほとんど明かさない。だから文芸フェスなんか嫌がるかと思うと、場所がチャンネル諸島オルダニー島だと聞いて参加に前向きになる。
 (チャンネル諸島、後の地図の赤いところがオルダニー島)
 チャンネル諸島は上に掲載した地図にあるように、英仏海峡のほぼフランス寄りにある島々である。英国王室の私領という不思議な存在で、イギリスが外交・防衛を担うけれど独自の憲法があって行政は別になっているという。一番大きなジャージー島は人口10万を超えていて、「ジャージ」「ジャージー牛」の語源。オルダニー島なんてところは知らないし、いかにも的な地図が載ってるから、きっと架空かと思ったら実在していた。チャンネル諸島の中では北東に離れた人口2400人の小さな島である。チャンネル諸島は第二次大戦中にドイツに占領され、オルダニー島には強制収容所が作られている。そのことは小説の中にも出て来る。
(オルダニー島)
 さて肝心の文芸フェスだが、今回が初開催ということで、主催者のジュディス・マシスンは張り切っているが参加者はパッとしない。児童文学者のアン・クリアリーは前にホロヴィッツも会ったことがあるが、他にはテレビで評判の料理人マーク・ベラミーとその助手キャスリン・ハリス、本が売れている盲目の霊能者エリザベス・ラヴェルとその夫シド、フランスの朗読詩人マイーサ・ラマルなどが参加している。ホロヴィッツは何しろ紹介するべき本が未刊行とあっては知名度も今ひとつ。

 一方、島側では後援者である大金持ちのチャールズ・ル・メジュラーは、オンラインゲーム会社で大もうけして、島に「眺望館」という大邸宅を作った。今は彼も関わって、ノルマンディー半島から島を通ってイギリスに通じるケーブル設置計画があり、島を二分する争いになっている。ル・メジュラーは料理人マーク・ベラミーと同じ学校で、過去に因縁があったらしい。一方、彼の財務顧問をしているのがデレク・アボットという人物で、これがまたホーソーンと過去の因縁があったのである。どうやらホーソーンはアボットがオルダニー島にいることを知っていて、この文芸フェスに参加したかったらしい。
(オルダニー島の強制収容所跡)
 しばらくは文芸フェスの様子が順を追って描かれる。そしてル・メジュラーは彼の大邸宅に関係者を集めて、マーク・ベラミーが料理を担当する大パーティを開くことになった。ル・メジュラーの妻、ヘレン・ル・メジュラーも島に帰ってきた。ミステリーなんだから殺人事件が起こるんだろうけど、いつ起こるんだという感じで進んで行き、450頁中の150頁ほどになって事件が起きる。島にはすぐ動ける警官がその時はいなくて、ガーンジー島から派遣されてくるが、ホーソーンも捜査への協力を依頼される。

 ホロヴィッツは作中でミステリーでは意外な犯人が多いものだなどと言いながら、今回だけは違うかもしれない。それだと作品にまとめるのは苦労するなどとつぶやいている。英国本土から遠く、一種観光小説的な興趣で進んで行く。そのためスラスラ読んでしまうのだが、もちろん奸智にたけた作者だけに何も起こってないはずの文芸フェスの間にも様々な伏線が散りばめられている。

 それが最後の最後になって、電撃的に真相が明かされて、自分は何を読んでいたんだろうと思う。まあ作りすぎ的な感じも否めないのだが、いかにもホロヴィッツ的なミステリーだ。読んで傑作だと思ったけど、どうにもホーソーンという謎がますます大きくなってくる。イギリスではすでに次回作“The Twist of a Knife” が発表されている由。来年の翻訳刊行が待ち遠しい。
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『優等生は探偵に向かない』、ピップ大いに悩むの巻

2022年08月17日 22時17分05秒 | 〃 (ミステリー)
 ホリー・ジャクソン優等生は探偵に向かない』(服部京子訳、創元推理文庫)が刊行された。昨年翻訳されて大評判になった前作『自由研究には向かない殺人』の続編である。この作品はイギリスの女子高生が探偵役になる小説で、フェアな謎解き、現代のSNSを駆使した推理、主人公の魅力など非常に素晴らしい小説だった。だから続編も早速読んだわけだが、全く期待を裏切らない傑作だ。邦訳だと「向かないシリーズ」という感じだが、原題は第1作が“A GOOD GIRL’S GUIDE TO MURDER”で、第2作が“GOOD GIRL,BAD BLOOD”なので、GOOD GIRLシリーズということになるだろうか。

 この作品は前作から引き続く設定になっている。最初の方で1作目の真相が明かされているから、1作目から読まないといけない。前作は女子高生ピップが学校の自由研究として、町の未解決事件を調べる話だった。事件と探偵役ピップの細かな設定は前作の記事を参照。1作目は「ピップ大いに頑張るの巻」とでもいう感じで、ピップは二人の死者にまつわる驚くべき真相を明らかにした。その結果、ケンブリッジ大学への推薦入学も決まり、全国的にも注目された。イングランドのスモールタウン、小説の舞台リトル・キルトンでは、前作で真相が明かされたアンディとサルの追悼会が開かれることになった。

 ところがその追悼会に出たまま、同級生コナー・レノルズの兄、ジェイミーが行方不明となる。今までに家出したこともある24歳、警察にも届けたが重大性を認めず捜査はしてくれない。しかし、突然スマホのやり取りも止まってしまい、コナーと母はいつもと違うと心配する。思いあまったコナーはピップに頼むことを思いつく。ピップは第1作事件に関するポッドキャストをやっているので、そこで情報を集めて欲しいというのである。ポッドキャストというのは米英の小説に時々出てくるけど、もともとはiPodなど携帯プレーヤーに音声データをアップして配信する仕組み。今では画像も配信できるというが、ピップは音声でやってるらしい。日本では聞かないけど、感じで言えば「人気YouTuber」というあたりか。
(原書)
 しかし、ピップは悩む。前作の最後で大変な目にあって、心配した母に二度と「探偵のまねごと」はしないと堅く約束させられたのである。だから、ピップはまず警察に捜査を督促に行くが、相手にされない。その後もまったくジェイミーとは連絡が取れず、家族が心配するのも無理はない。ピップしか頼れる人がないといわれ、「義を見てせざるは勇なきなり」と持ち前の正義感と義侠心から捜索に手を貸すことになる。まずはコナーと母から情報を集める。何故か父親は大事視してなくて相手にしてくれないけど。ジェイミーのパソコンを見たいのに、パスワードを何度試しても入れない。まずは写真入りのポスターを作ることにする。

 こうしてピップは再び捜査を始めてしまう。次第に明らかになるジェイミーの不審な行動。追悼会で彼は誰を見たのか。その夜、彼はどこに行ったのか。いろいろと判明するおかしな行動。最近のジェイミーには明らかにいつもと違う様子だったらしい。その原因には「ある女性」とのつながりがあったようだが、その人物の正体は何か。深まる謎の迷宮の中、時間だけがどんどん過ぎていく。しかし、ネット上で情報を集めることから、様々な誹謗中傷も殺到する。前作の事件で逮捕され起訴された裁判も思わぬ展開に。ついにピップは学校でも問題を起こしてしまう。
(2作を手にする作者ホリー・ジャクソン)
 そしてピップやコナーらはある夜「秘かな行動」に出るのだが…。ラストの急展開、思わぬ真相はピップに深い衝撃を与えるものだった。そこは読んで貰うとして、前作では「女子高生頑張る」という明朗青春ミステリーの趣が強かった。事件は数年前に起こっていて、問題は「真相は何か」に絞られる。新たな死者が出るケースではなかった。しかし、今回は同時進行の事件である。もしかしたらピップの間違いで、助かる命が失われるかもしれない。その緊張感があり、また予想外に深い真相の衝撃がある。言ってみれば「ピップ大いに悩むの巻」とでも言うべき一冊だ。

 もちろん夏バテ中でもスラスラ読める極上の小説で、530頁以上にもなるが長いという感じはまったくしない。(まあ前作を読んでない人はそっちからだから倍になるわけだが。)それを前提にして、ピップの周りでは何故こんなに事件が起きるのだろうか。シリーズ小説なんだから、そんなことを言っても仕方ないけど。でも、何やら映画『ダイ・ハード』シリーズのブルース・ウィリスみたいではないか。「世界で一番不運な女子高生」である。しかしながら、自由研究で未解決事件を扱う高校生なんて考えられるだろうか。そんな設定を支えるピップの性格は、かなり「面倒くさい人」なんだなとようやくはっきりしてきたと思う。ラヴィやカーラなど脇役陣も魅力的だが、今後ピップに幸せが訪れるんだろうかと心配だ。
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ライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』を読む

2022年06月05日 20時56分04秒 | 〃 (ミステリー)
 新潮文庫4月新刊で、ライオネル・ホワイト気狂いピエロ』(矢口誠訳)が刊行された。原題は『Obsession』(1962)で、本文中では「妄執」と訳している。何とこのアメリカ製の犯罪小説がゴダールの映画『気狂いピエロ』の原作なんだという。初めての翻訳で、今まで原作なんて考えたこともなかったけれど、確かにこれを読んで納得出来ることが幾つもある。著者のライオネル・ホワイト(1905~1985)はものすごくたくさんのミステリーを書いたが、翻訳されたものは少ない。どこかで名前を聞いたような気がしたのは、キューブリック監督『現金(げんなま)に体を張れ』の原作を書いてるからだろう。

 ゴダールの『気狂いピエロ』は僕の大好きな映画で、ビデオソフトも持ってたから何度も見た。最近も上映されたが、それは前に公開されたものと同じ素材なので、まあいいかと思って見ていない。2019年の年末に『勝手にしやがれ』と一緒に見たときには、「ゴダールの「気狂いピエロ」について」を書いた。最初に見たのは中学3年生の時で、圧倒的な影響を受けた。最近シャンタル・アケルマン映画祭を見たので監督を調べたら、15歳の時に『気狂いピエロ』を見て映画監督を目指したと出ていた。やはりそういう人がいるのである。映画のことは先の記事で書いたので、ここでは触れない。
(ゴダールの映画「気狂いピエロ」)
 はっきり言ってしまえば、この小説はアメリカのごくありきたりのノワール小説である。『気狂いピエロ』が大好きだという人以外は特に読む必要もないだろう。この小説と映画との関係は山田宏一さんの解説に詳しく、それ以上書くことはない。68年の「五月革命」まで盟友だったゴダールとトリュフォーは、競い合うようにアメリカのB級小説を読みあさっていた。トリュフォーの『ピアニストを撃て!』はそんな中から見つけた原作を映画化したものである。ゴダールは明らかに『Obsession』をもとに映画を作ろうとしていたことが解説に良く判るように書かれている。

 特に冒頭の逃亡へと至る展開は基本的に原作通りだった。映画ではジャン=ポール・ベルモンドがつまらないパーティに妻と出かける。つまらなくて先に帰ると、ベビーシッターのアンナ・カリーナがいた。実は二人はもともと知り合いで、家に送っていくと関係してしまう。そのまま朝を迎えると、隣室に謎の死体が…。壁にはOASと赤い文字で書かれている。OASはアルジェリア問題で独立反対のテロを起こしたフランスの極右組織である。もちろん原作にそんな政治的ニュアンスは全くない。そもそも二人は知り合いではなく、ベビーシッターはなんと17歳の女性アリーである。しかし、一人暮らしで謎が多い。死体は彼女が殺した組織の集金屋で、彼は女の部屋代を出していた。その集金の金を持ち逃げするのである。
(ライオネル・ホワイト)
 主人公はコンラッドと言ってニューヨーク近郊に住む失業者。自分で殺したわけではないから警察を呼ぼうと言うが、信用されるわけないと一蹴される。結局アリーと一緒に逃げることになるが、わずか17歳といえど平気で人を殺せるアリーの「ファム・ファタール」(運命の女)性がすさまじい。最初は南部に逃げて、家まで借りる。二人は結婚して別人になりすます。結婚してるのに、何故重婚が可能なのか。なんと結婚を届け出る時には、身分証明書が不要だと書いてある。だから偽名で結婚を申請したら、認められたのである。今でもそうなのかは疑問だが、とにかく戸籍で確認されてしまう日本と違って、別の州に移ってしまえばアメリカでは別人になれるのである。もっとも警察のお世話になってしまえば、指紋が手配されるからバレてしまう。

 ただ逃げているだけの映画と違って、小説ではもっと具体性が求められるから、あちこち逃げ回る様子が細かく書かれる。マイアミで組織に捕まり拷問される。これは映画にもあるが、経過は良く判らなかった。小説では明らかに「女に売られた」のである。生き延びたコンラッドは女を探し回って、ラスヴェガスで見つける。映画も小説も、女の方では「兄がいる」と言うが、映画では兄なんだかよく判らない。しかし、もちろん小説では兄なんかではない。ヴェガスのカジノで働いていた「兄」は強盗事件を仕組む。追いつめられたコンラッドはその犯罪に協力するしかない。そこら辺は映画にはない部分で、結局原作は逃げる話ではなく、カジノの金を奪おうという犯罪小説になっていく。

 映画にあった「詩と政治」は原作にはもちろんない。しかし、圧倒的な疾走感は共通している。設定は最初の出発点、滑走路地点は明らかに似ているが、飛び立つと景色はどんどん違っていく。ゴダールは別れたばかりの妻アンナ・カリーナを悪く描きたくなかったのか、彼女の性格付けが謎めいている。そこが映画の魅力なんだけど、原作では17歳にして極悪である。それもまた魅力と思える人には面白いかな。ノワール小説の『ロリータ』という設定だが、女がすべてを引き回すところが凄い。まあ特に書くまでもないんだけど、あの『気狂いピエロ』の原作という点を珍重して書き残すことにした。
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ホロヴィッツ「絹の家」「モリアーティ」ーシャーロック・ホームズの「続編」を読む

2022年05月04日 22時05分59秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツと言えば、現在各種のミステリー・ベストテンで4年連続第1位を獲得して、もっとも注目されているミステリー作家だ。「カササギ殺人事件」「ヨルガオ殺人事件」、「メインテーマは殺人」「その裁きは死」はここでも感想を書いたが、圧倒的な面白さと充実感には大満足である。そのホロヴィッツはこのように認められるまでに、テレビや少年小説など多方面で活躍してきた。その中には、シャーロック・ホームズ007シリーズの「公認」の続編を書くという仕事もあった。

 ホームズものでは「絹の家」(2011)と「モリアーティ」(2014)、007では「007 逆襲のトリガー」(2015)がそれで、いずれもアーサー・コナン・ドイル財団、イアン・フレミング財団の公認を得た正式な「続編」という扱いである。日本ではどれも駒月雅子訳で、角川文庫から出ている。しばらく入手できなかったのだが、最近たまたま本屋の棚で見つけた。去年の12月に増刷されていたのである。007はもともとを読んでないので、まあいいか。でもホームズは是非読んでみたいなあと思って、買ってみた。
(「絹の家」)
 ホームズものは全部読んでるが、何度も読み返したり細かな知識を競うほどではない。だから、ホームズの贋作、模倣作はいっぱいあるらしいが、読んでない。「絹の家」(The House of Silk)を手に取ったのは、多分ホロヴィッツの「名人芸」を味わえると思ったからで、全く期待を裏切られない。文庫本だが400頁もあって、ホームズものは長編でも案外短いから、読みでがある。「続編」の書き方にはいろいろとあるだろうが、これは「公認」だけに本格派。当時ワトソンによって書かれていたのだが、国家的スキャンダルを恐れて100年間公表禁止にしていたという設定になっている。

 「もともとワトソンが書いていた」のだから、当然ヴィクトリア朝時代(設定は1890年)らしき文体と描写が完璧に再現されている。それでも原作との食い違いは存在するらしく、訳者によって指摘されている。それに公表禁止って言っても、ホームズが関わるのは市中の事件であって、国家間の外交的機密じゃないはずなのに、そんなことがあるんだろうか。しかし、最後まで読んでみると、なるほど「当時は公開できない」ことが納得出来る。そして、今ならそれが書けるということも。でも、それだけに「多分あれかな」と読者は想像出来てしまうかもしれない。(僕は想像が的中した。)

 もう一つ、今回書かれた2作は、いずれもアメリカ絡みになっている。アメリカも発展してきて、イギリスまで犯罪者が「進出」してくる。それは時代を表現するだけでなく、世界最大のミステリー・マーケット向けのサービスかもしれない。ホームズが「ベーカー街別働隊」(街頭の悪童連)に捜査の協力を頼むと、少年の一人が殺されてしまう。真相を探っていくうちに、ホームズ史上最大の危機、ホームズが逮捕され監獄に送られるというあり得ない事態が起きる。そこから「脱獄」する経緯など、実に上手く作られて関心する。そして驚くべき真相に至るわけだが、それは王室まで巻き込みかねない大スキャンダルだったらしく、公式には「封印」されてしまったということになる。「よく出来ました」という作品。
(ライヘンバッハの滝)
 「絹の家」事件の翌年、1891年にホームズはスイスにある「ライヘンバッハの滝」で宿敵モリアーティと対決、二人して滝に落下して行方不明となった。公式的には二人とも死亡したとされる。コナン・ドイルはホームズものばかり書かされるのに飽きてしまって、歴史小説などを書くためにホームズを死なせることにしたらしい。しかし、読者の期待、あるいは抗議が絶えず、結局「過去の未発表の事件」を書かざるを得なくなり、さらに「実は生き残って東洋を放浪していた」ことになって復活した。テレビで死んだはずの寅さんが、要望が多くて映画化されたようなものである。
(「モリアーティ」)
 ところで、そのイギリス犯罪界の黒幕、モリアーティ教授という人も取って付けたように登場する感じが強い。そんな黒幕がいたんだという突然の登場である。ホロヴィッツの「モリアーティ」(Moriarty)は、そのモリアーティが国外に出た事情がはっきりされる。アメリカの犯罪王がイギリスを支配下におくべくロンドンに来ていた。そしてモリアーティの部下たちも、どんどん寝返るか、殺されるか、逮捕されてしまった。そんな中で、ホームズとモリアーティは追われるようにヨーロッパ大陸へやってくる。

 そして彼らを追って、アメリカのピンカートン探偵社から調査員が送られる。また、ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)からもジョーンズ警部が出張してくる。(この人は原作にも登場するという。)調査員によれば、アメリカの犯罪王クラレンス・デヴァルーからモリアーティに手紙が送られた形跡があるという。モリアーティらしき死体から、確かに手紙が発見され、その暗合が解かれる。かくして二人はイギリスに戻って、二人の出会いの場で待ち受けることにするが…。そこから続く謎また謎、殺人また殺人の連続を語るのは、ピンカートンのフレデリック・チェイスという調査員である。

 この作品は、直接にはホームズもモリアーティも登場しないという体裁で進行する。いわばホームズ外伝なのだが、本当にそうなのかと最後まで疑いながら読む。それでも最後近くの展開は予想外で、いやあ驚き。この小説では、基本的にはアメリカの犯罪組織対イギリスの犯罪組織という構図がある。ホントにそんなことがあったわけではないだろう。まあ、今の時点で面白くする趣向だ。どっちも「過去に書かれた犯罪実録」ということになっているが、実際は現代ミステリーである。ホームズものは案外簡単に結論が出てしまうが、この2作はあちこちに飛びながら細かな分析がなされる。長いから「ホンモノ」のホームズより、読むのが大変だが充実感もある。さすがホロヴィッツだなという読後感。
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