尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アニメ映画『Flow』、ハンパなき没入感と映像美

2025年03月25日 21時29分44秒 |  〃  (新作外国映画)

 『Flow』というアニメ映画を見てるだろうか? これはちょっと驚くような映画で、凄いなあと感心してしまった。2025年のアカデミー賞長編アニメーション映画賞受賞作である。ゴールデングローブ賞も受賞していて、アメリカのアニメ界を席巻する勢いである。アカデミー賞の長編アニメ賞は2001年から制定された賞で、大体は『アナと雪の女王』などディズニー作品か、ドリームワークスなどアメリカの会社が取っている。その中で、ジブリが『千と千尋の神隠し』と『君たちはどう生きるか』で2回受賞したのは快挙。さて、今回の『Flow』は何とラトビアのアニメーター、ギンツ・ジルバロディスという人の作品なのである。

 ラトビアってどこよという人のために、一応地図を下に載せておきたい。バルト3国の一つで、北がエストニア、南がリトアニアである。エストニアは大相撲にいた元大関把瑠都(ばると)の出身国、リトアニアはその昔杉原千畝がユダヤ人のためにビザを発給した国である。じゃあ真ん中のラトビアはというと、日本関連のエピソードはちょっと思いつかない。ロシア、ポーランド、スウェーデンの3大国に支配されてきた歴史で、第一次大戦後にロシア帝国崩壊により独立した。しかし、第二次大戦開戦後にソ連軍が侵攻し、1940年に併合された。1990年にソ連崩壊(91年末)に先立って独立を勝ち取った国である。

(バルト3国)

 「Flow」というのは流れという意味の英語題だが、原題も同じく流れという意味らしい。何だか判らないけど、突然世界が大洪水に襲われる。(「津波映像」に近いので注意!)人間は全然出て来ないので、人類滅亡以後らしい。(廃墟都市が出てくるので、人類以前ではない。)画面上には黒猫がいるが、そこに鹿の大群が逃げてきて続いて大水があふれてくる。そこでひたすら猫も逃げる。他の動物たちも逃げる。そしてボロ船が流れてきて、猫も乗り込む。これは「ノアの大洪水」動物版なのか?

 冒頭少しすると圧倒的な映像美と動きにハンパなく没入してしまうこと確実。チラシを見ているだけでは想像出来ないほど素晴らしい。そして人間の旧居などを経めぐりながら、4種の動物たちが同じ船で流れていく。それは猫と犬とカピバラとキツネザル、ってどこの国だよ。キツネザルはマダガスカル特産。カピバラは南米のアマゾン一帯ということで、そういう意味ではこんな動物たちが住む大自然はない。動物園から逃げてるわけじゃなく、要するに「絵になる」ように作ってるということなんだろう。鳥や鯨も出てくるけれど、そういう「ノアの大洪水」みたいなときには、空を飛べる鳥と水に住む鯨だけが強いのである。

 この映画は84分と短いが、非常に凝っていて内容が濃い。人間が出て来ない以上、通常のセリフもない。「猫語」や「犬語」は出てくるけど、要するに普通は「鳴き声」というものである。だから一切の説明抜きの映像のみの作品で、そんなのが面白いかと言われるかもしれないが、確実に凄いもの見てるなあと感じ入る。この映画には何か「意味」や「教訓」、「メッセージ」はあるんだろうか? あるのかもしれないし、ないのかもしれない。極限環境では、動物たちも種を越えて「共生」していく。それがある種のメッセージかもしれないけど、そんなことはホントに起きるものなのかなあとは思った。

 監督のギンツ・ジルバロディスは1994年とまだ若い人である。前作『Away』が2019年のアヌシー国際アニメ映画祭で受賞して注目された。この映画は日本でも公開され、現在一部でリバイバルされているが、まだ見てない。その時からラトビアに才能豊かなアニメーターが現れたという話は聞いていたが、すぐにもアカデミー賞を受賞するとは想像もしていなかった。この監督は一人で監督、脚本、撮影、編集、音楽を担当しているが、今回は製作チームが作られたという。最新の映像技術あっての映像美ではあるけれど、美しい映像は驚き。何よりダイナミックな躍動感がすごく、映像への没入感に圧倒されてしまった。

(ギンツ・ジルバロディス監督)

 タイのアピチャッポン・ウィーラセータクンとか、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイランとか、いつの間にか難しい名前を覚えてしまったが、このラトビア人もなかなか覚えきれない。でも覚えておきたい監督になった。なお、昔はアカデミー賞に長編アニメ部門がなかったのかと初めて気付いた。1991年に『美女と野獣』が初めてアニメ作品で作品賞にノミネートされたことがあった。作曲賞と歌曲賞の2部門で受賞したが、作品賞は『羊たちの沈黙』だった。長編アニメに関する部門賞がなかったとは!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『飢餓俳優 菅原文太伝』(松田美智子著)を読むー菅原文太の内面に迫る

2025年03月24日 22時14分34秒 | 〃 (さまざまな本)

 松田美智子飢餓俳優 菅原文太伝』を興味深く読んだ。2021年に刊行され、2024年12月に新潮文庫に収録された本である。菅原文太(1933~2014)の主要な映画作品は、ほとんど同時代に見ている(見てなくても知ってはいる)から、とても懐かしかった。しかし、菅原文太がどのような人生を送った人か、ほとんど知らなかったことに気付かされた。恵まれない家庭環境の中、戦時下に子ども時代を送り、「人を信じない」人生観を持つようになった。大スターになった後も、群れずに孤独を貫き最後は農業と反原発運動に情熱を注いだ。家族(妻、娘)の取材を得られず、ついに解明されない謎も多いがまずは渾身の評伝だ。

 菅原文太の代表作と言えば、まず『仁義なき戦い』。『仁義なき戦い』を見てない、あるいは好きじゃない人はこの本を読んでも面白くないだろう。この作品が作られるまでの経緯は、それ自体が映画になるぐらい面白いし証言が交錯する。東映実録映画を連続して論じた時に、70年代東映映画についてずいぶん書いたのでここでは映画の詳細は省略する。とにかくこのシリーズは音楽や撮影、脇役ひとりひとりの輝きなど素晴らしい。73年1月に公開され、すぐに大ヒットした。僕は多分その後銀座並木座で見たと思う。第1作『仁義なき戦い』以上に、第3作『仁義なき戦い 代理戦争』、第4作『仁義なき戦い 頂上作戦』が凄かった。

(『仁義なき戦い』)

 このシリーズで、菅原文太は1973年度のキネマ旬報主演男優賞を受けた。(当時ブルーリボン賞は中断されていたが、1975年に再開されたとき、『県警対組織暴力』や『トラック野郎』シリーズで主演男優賞を受けた。)高倉健が演技賞を受けるのは、1977年の『幸福の黄色いハンカチ』以後のことで、東映任侠映画時代に演技が評価された男優はいなかった。当時の東映トップ俳優は高倉健だったが、73年をきっかけに興行価値だけでなく演技賞でも菅原文太が頭一つ抜けたのである。監督の深作欣二とは1972年の『人斬り与太』シリーズで組み、その暴力描写の新しさが注目されていた。二人ともブレイク直前の熱さがたぎっていた。

(『人斬り与太 狂犬三兄弟』)

 しかし、そこまでの道のりは長いものだった。恵まれない子ども時代、大学時代にファッションモデルになった経緯、新東宝にスカウトされ芸能界へ。高身長若手を集めて「ハンサムタワー」と名付けられたが、なかなか売れなかった。そして新東宝は倒産、文太は松竹へ移るが、女性映画中心の松竹でも浮かび上がれなかった。東映以前の映画は新東宝の映画を上映する企画などで時々見ることが出来る。松竹映画『見上げてごらん夜の星を』は定時制高校に通う坂本九を主人公にした映画だが、何と菅原文太が定時制高校の教師役で出演している。見てる人は少ないと思うけど、経験者から見ても違和感のない演技で忘れられない。

(『見上げてごらん夜の星を』=左端菅原文太)

 1967年に東映に移って以後もしばらくは雌伏の時を過ごすが、次第に菅原文太が必要にされる時代が近づいてくる。任侠映画にも出ているが(『緋牡丹博徒 お竜参上』で藤純子を相手にした有名な別れのシーンがある)、スタティック(静的)な任侠映画の演技には向かず、風貌からしてもダイナミックな現代劇に向いていた。そして大人気俳優になっても、一つところに安住できず実録映画以外を求めた。その結果『トラック野郎』というもう一つの大ヒットシリーズが始まる。ところが実録映画も『トラック野郎』も関係者に説明抜きに出演を拒否して終わってしまった。トラック関係者との絆も切れてしまったという。その理由は判らない。

(『トラック野郎』シリーズ)

 そこら辺は著者も自分の気持ちを監督や脚本家にフランクに伝える場があればと書いている。しかし、そのような飲み明かして関係を修復するようなことをしなかった。飲めないわけでもないから、付き合いづらい生き方だったということになる。結婚の経緯も不明である。妻となったのは9歳年下の文学研究者で、なんと立教大学文学部を卒業して福田清人氏の下で堀辰雄と萩原朔太郎の本を書いていた。(福田清人編の『人と作品』というシリーズが清水書院から出ていた。)妻の父は立教大学文学部教授の英文学者飯島淳秀(いいじま・よしひで)という人で、角川文庫にあった『雨の朝巴里に死す』(フィッツジェラルド)や『ベン・ハー』の翻訳者だった。大学時代に最初の結婚をしていて、文太とは再婚だという。ちょっと知り合った経過が想像出来ないが不明である。

(晩年の講演活動)

 僕は菅原文太の家庭生活、特に妻の影響が非常に大きいように思った。それに子どもが3人いて、東映の実録映画や『トラック野郎』(面白いけど、下ネタ満載)ではなく、NHK大河ドラマ『獅子の時代』(1980)などに出たかったんじゃないかと思う。子ども向きじゃない映画で活躍するより、お茶の間で話題のテレビの主役の方が子どもに誇れるだろう。特に長男は溺愛したと何度も書かれていて、やがて長男が芸能界入りを希望し、悲劇的な事故死したのが人生を変えた。もし長男が映画やテレビに出ていたら、文太も引退せずに子どもを見守る意味で芸能活動を続けたんじゃないかと書かれている。納得できる見解だと思う。

(最後の主演作『わたしのグランパ』)

 2003年の筒井康隆原作、東陽一監督『わたしのグランパ』が最後の主演作となった。これは石原さとみのデビュー作である。そうだったっけ? 僕は見てるし、文太ははまり役だと思ったけど、細かいことは忘れてしまった。また見てみたい気がする。そして東日本大震災以後は完全に芸能界を去って、農業と平和運動、反原発運動が中心となった。その前に20世紀後半に飛騨にログハウスを建てて住民票も移したという。それが「オーク・ヴィレッジ」の隣だという話。新宿の紀伊國屋書店であった展示即売会に行って、意気投合したらしい。そう言えば紀伊國屋にショールームがあったなあ。(僕はオーク・ヴィレッジに泊まったことがある。)

 映画関係者にはこの晩年の活動は理解されていないという。しかし、長男を先に失ったという(他に二人の娘がいるが)境遇を考え、芸能界より「いのちを守る」活動に心惹かれたのは僕にはよく理解出来る気がする。とにかく謎が残る人生で、松方弘樹、梅宮辰夫のような豪快そのものの役者とはちょっと違う。といっても東映スターだったんだから、当然「ヤクザ」業界との付き合いもあったわけである。しかし、文太自身は飲み会より本を読んでいたいようなタイプだったらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石破政権の「奇妙な安定」?ー「贈与・互酬」の自民党政治

2025年03月23日 21時36分48秒 | 政治

 政治の話。石破首相が衆議院当選一回生に「商品券10万円」を配布していたという問題が先々週に明るみに出て、直後の世論調査で支持率が激減した。減ったんだけど、それでも自民党支持率と合わせると「低位安定」しているとの見方も可能である。野党はこのまま石破首相で参院選に入った方が有利と踏んでいる。一方、自民党内には「石破おろし」の声も少しは出ているけど、あまり広がってはいない。代わったとしても、参院選で負ければそれまでで、今手を挙げる意味がない。また総理大臣指名選挙をやって、もし野党が全部集まったら自民党は野党に転落してしまう。そんな可能性はなしと安心して党内抗争やってる段階じゃない。

 予算案は参議院の審議を経て「高額医療費問題」で再び修正されることとなった。一度衆議院で修正された予算が参議院でもまた修正され、もう一回衆議院で再議される運びである。そんなことはちょっと聞いたことがない。内閣提出予算案に2度も修正が入るなんて総辞職ものじゃないか。石破首相は「ヘタを打った」と一度は僕も思ったけど、これが案外「妙手」になっている。3月3日に予算案が衆議院を通過しているので、このまま参議院の審議が揉め続けると、「4月3日に予算が自然成立する」ことになる。これは参院段階の修正がなされてないから、野党側も困ってしまう。参院での予算案採決に応じざるを得ないだろう。

(石破内閣の支持率推移=毎日新聞)

 参院選は「自民党に厳しい結果」になることが目に見えている。その前にある都議選で自民党は大敗しそうだ。都議会自民党にも「裏金問題」が発覚し、有力都議が出馬辞退、公認取り消しになっている。その影響を受ける以上、都議選で自民党は惨敗する可能性が高い。都議選、参院選が続く年は、都議選の流れが参院選に引き継がれることが多い。昨年来の裏金問題も続く中、石破首相への期待感も失われている。食費を中心に物価高が続いていて、石破内閣の対応に不満が募っている。だけど、首相が代わっても負けそうだから、「当面参院選まで石破、大きく負けたら辞任して新総裁選出」が今一番ありそうな展開だろう。

 ところで肝心の「商品券問題」はどう考えるべきだろうか。野党側は「法に抵触する可能性がある」と言っているが、それは裏返せば「法に抵触しない可能性もある」わけで、そういう答弁を続けている限り立件されることはないだろう。何も石破氏に限ったことではなく、岸田前首相や安倍元首相の時にもあったらしい。それはもちろんそうだろうし、当然予想していたことだ。これがもし何の「お土産」もないとしたら、首相ともあろう人が若手を招いて土産もなしに帰したのかと感じるのが、「普通の保守の感性」だと思う。「保守」とは「自民ムラ」の慣習を守り続ける人たちで、ムラは「贈与・互酬」で成り立っている。

 もっともあまりに多額になれば首相も対応出来ないから、多分以前は「官房機密費」から出ていたんだろう。今回はどうだか知らないが、石破氏はポケットマネーだと言っていて違うという証拠もない。ただ「ボスは子分に施しを与える」ものであって、石破氏は変人と言われつつも「やはり自民ムラの人」だったのである。それは自民党総裁になったんだから当然のことだろう。この問題に怒っている人は、多分もともと自民党には入れていない人だと思う。自民党の「弱い支持層」は離れるかもしれないが、「固い支持層」が離れるかどうか。石破内閣の支持率が下がっても、「自民党の支持率」がどういう傾向になるかが注目である。

 商品券の原資はともかく、要するにやっぱり「お土産を配った」ということだと思う。国民が困窮しているときに、仲間うちにだけそんなものを配るのか? その通りである。10万円も貰えるなんて庶民感覚とズレていると言う人がいるが、当たり前である。「庶民」じゃないんだから。自民党は「ムラの有力ボス層」と「大企業の資本家」の連合である。ただそれだけでは選挙で不利なので、「福祉」の充実などを通して「国民政党」を目指してきた。でもベースは「ムラの論理」で動いている。

 言うならば「御恩」と「奉公」で結ばれた関係である。ボスは何かと言えば子分に金品を配る。「いざ鎌倉」というときに子分は一生懸命お返しをする。自民党総裁選は公職選挙法に拘束されないから、昔は「ニッカ」「サントリー」などと言われる凄い時代があった。2派閥から金を貰えば「ニッカ」、3派閥だと「サントリー」である。全部から貰って白紙で入れる「オールドパー」というもっとスゴイ人もいたとか。今はそういうことは出来ないだろうが、基本的にムラ社会なんだから何かにつけ「贈与」慣行が出てくるわけである。「そんなもんは貰っとけばいいんだ」が古参幹部のホンネだと思う。

 野田元首相(立憲民主党代表)だけは、そのような配布はしてないと明言している。現在の野党系の政党は成り立ちが違うのである。「ムラ」からはみ出した人が集まって、労働組合など自発的に結成した組織が背景にあるからである。労組なども実際にはムラ慣習を引きずっていることが多いが、一応「ボスー子分関係」は都市部では弱くなっている。だから旧民主党政権はもろくてバラバラになってしまったのだ。良くも悪くも「ムラ」の粘着的なつながりに負けてしまうのである。

 しかし、自民党ももう都市型、理念型の党に成り掛かっている。「長年お世話になってきた」から入れるという支持者も少なくなっているんだろう。(それは公明党や共産党なども同様。)今までは「ミウチになれば有利なことがある」から支持していた人も、これからは「お土産もないのか」となれば離れて行くんじゃないか。日本社会が大きな曲がり角を迎えているというのが、今回の問題から見えてくることだと思う。「ムラ」的な関係性がどんどん弱まって行くんだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア映画『ドマーニ 愛のことづて』、戦後女性史を見つめたヒット作

2025年03月21日 21時59分25秒 |  〃  (新作外国映画)

 イタリア映画『ドマーニ 愛のことづて』という映画が公開されている。上映館が少ないし、知名度のある俳優がいないので、知らない人の方が多いと思う。僕はイタリア映画が好みなので見ようと思ったが、見る前の印象とはかなり違った。2023年のイタリアで最大のヒットとなり、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(2024年)では最多19部門でノミネートされ、主演女優賞、オリジナル脚本賞などを受賞した。でも意味不明の題名で、どっちかというとラブロマンスみたいに聞こえるが、これが何と白黒で敗戦直後のイタリア女性を描くバリバリの社会派喜劇映画だったのである。

 映画的に内容に触れにくい作りになっているので、そこら辺は触れないようにしたい。映画の展開は一種のミスリーディングで、ラストでそうだったのかと深く感じ入ることになる。1946年のローマ、ある一家が困窮の中で暮らしている。主婦デリア(監督、脚本を務めたパオラ・コルテッレージの自演)は夫、3人の子ども、義父と半地下の家で暮らしている。まるで『パラサイト』みたいな家がローマにもあったのか。それより何より驚くのは、夫のDVがすごいこと。日本だってあるけれど、酒に酔って暴れるみたいなのが多いと思う。だけど、この映画では特に理由もなく、朝起き抜けの一発という感じでビンタしていて驚く。

(夫のイヴァーノと)

 イタリアで大家族主義、家父長制が強いことは一般論として知っている。過去の地方を題材にした映画で見たことがある気もする。しかし、20世紀半ばの首都ローマでこんなことがあったのか。イタリア映画界でも正面切って取り上げられてこなかったのではないか。監督のパオラ・コルテッレージはとても知られたコメディ俳優だそうで、女優としてダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で主演女優賞を受賞したこともあるという。(この映画で2度目の受賞。)その有名女優の初の監督作品。社会派と書いたけど暴力シーンでスローモーションになったり、ミュージカル風になるなど面白く見られる工夫をしていて、重くならずに見られる。

(監督のメッセージ)

 デリアは仕事を掛け持ちして、細かく稼いでいる。夫の稼ぎだけでは余裕がないからだ。しかし、夫は完全に理不尽だし、幼い二人の男児はがさつな言動ばかり。義父は寝たきりのトンデモ爺さんで、救いは長女マルチェッラだけ。彼女は最近金持ちの息子と仲良くなっていて、結婚間近かと思われている。デリアは何とか娘の結婚式には新しいドレスを着せたいと仕事を頑張っているのだ。そして、ついに彼が親を紹介したいという。貧しいわが家に招きたくはないが、夫は花婿の両親が花嫁の家に来るのが慣例だと言い張り、結果的に彼の両親がやって来ることになる。デリアは精一杯もてなそうと努めるが、果たしてうまく行くか?

(娘と彼)

 デリアには「元彼」がいる。今は自動車整備工をしているが町でよくあう。彼はちょっと油断している隙にイヴァーノに取られてしまったという。今からでも遅くない、ローマにいても仕方ないから今度北部へ移るから一緒に行こうと誘う。また市場などあちこちに「女縁」の友がいて助けてくれる。また町を警備している米兵(黒人のMP)にちょっと親切にしたら、チョコレートをくれて、その後も何かと話しかけられる。(しかし、英語がわからないから会話が通じない。)そんな時デリアに「手紙」が届き、今度の日曜には是非とも夫に内緒で外出しようと決心する。そこに障害が相次ぎ、果たしてデリアは「行動」出来るのか?

(デリアと周囲の女たち)

 イタリアはムッソリーニ統治下で日独と三国同盟を結んだが、戦況悪化で1943年に降伏した。その後ドイツ軍がムッソリーニを救出し北部にドイツが支援するイタリア社会共和国を樹立した。連合軍はシチリア島に上陸して、1944年6月にローマを解放した。その後の新政府は連合国に加わりドイツ、日本に宣戦布告した。また北部ではパルチザンが中心となって解放闘争が闘われた。そういう経緯から、戦後イタリアではドイツ、日本と違って連合国による占領は行われていない。むしろ最後は自らファシズム体制を打倒したという意識が強いらしい。それでも1946年には米軍は駐留を続けていたんだろう。

 この映画で戦後3年目と言われているのは、そういう経緯がある。夫のイヴァーノは何かというと「二度の戦争に行った」と語って苛酷な日々を送ったと回想している。戦場体験が「家庭内暴力」のきっかけとなった事例は戦後日本でも多いようだ。二度の戦争って何だろう。第一次大戦は古すぎるだろう。僕はエチオピア侵略戦争(1935年)と第二次大戦の東部戦線(対ソ戦)かなと想定するんだけど、確実なことは不明。アメリカ兵が親切だが、最後は連合軍の一員だったことも影響しているのだろうか。

 もちろんイタリアでも(ドイツ軍だけでなく)連合軍の戦時性暴力は当然あっただろう。アルベルト・モラヴィア作『ふたりの女』(ヴィットリア・デ・シーカ監督により映画化され、1962年にソフィア・ローレンが米アカデミー賞主演女優賞を獲得)では、戦時性暴力の問題が追及されていた。しかし、日本でもそうだったけど、やはりベースになったのは「アメリカ軍は解放軍」意識だったんだと思う。チョコレートをくれるのも日本と同じで、直接知らないけど何だか懐かしい気がした。

 そして、1946年6月の総選挙で初めて女性参政権が認められた。日本は1945年12月の総選挙で女性参政権が認められていた。ほぼ同時期で、要するに「戦争に負けて獲得出来た権利」なのである。イタリアの「戦後改革」がよく理解出来る。イタリアにも「敗北を抱きしめ」た女性たちがいたのである。題名の「ドマーニ」は明日という意味。原題は「まだ明日がある」という意味で、ラストで意味が判明する。白黒で作られたのは、まさに色のない時代だったということだろう。映画の完成度的には不満も残るが、イタリア社会史、女性史の知らなかった面を見ることが出来て興味深かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『ひき逃げ』、成瀬巳喜男監督晩年の「イヤミス」

2025年03月20日 22時23分17秒 |  〃  (旧作日本映画)

 国立映画アーカイブの小ホールで、『横浜と映画』という小特集をやっている。その中に成瀬巳喜男監督の『ひき逃げ』(1966)が入っていた。いかにも横浜っぽい映画の中にあって、へえ、これも横浜の映画なのかと思った。見てないので、せっかくだから安い所で見ておくかと思った。結構今でも上映される機会が多いが、見てなかったのは設定が嫌いなのである。

(映画は白黒)

 夫を亡くした高峰秀子は一人で子どもを育てている。しかし、ある日その子がひき逃げ交通事故で死んでしまう。事故を起こしたのは自動車会社の重役夫人だが、夫の命令で無事故を続けていた運転手が身代わりで出頭する。高峰秀子は実は奥さんが運転していたという話を聞き込んで、警察に訴えるが相手にされない。そこで自ら名を変えて家政婦派遣所に登録して、その重役の家庭に潜り込む。自分は子を失ったのに、なんで加害者の子は無事なのか。子どもに復讐しようかとすら思うが、案外子どもに懐かれてしまう。夫人は実は不倫中の相手と乗っていたので真実を言えないのである。ね、イヤな話でしょう。で、どうなるか?

(高峰秀子と弟役の黒沢年男)

 成瀬巳喜男(1905~1969)は戦前から活躍してきた名匠だが、作品数が多くて見てないのが結構ある。(そもそも戦前の無声映画には失われた映画も多い。)『浮雲』『稲妻』『めし』『晩菊』など林芙美子原作の傑作で知られるが、晩年の『女の中にいる他人』『ひき逃げ』(以上1966年)、『乱れ雲』(1967)はどれも困ってしまう設定。前2作はいわゆる「イヤミス」だし、遺作の『乱れ雲』は交通事故の加害者(加山雄三)が被害者の妻(司葉子)に惹かれてしまうというドロドロのメロドラマ。まあ、きめ細かい演出手腕や撮影、照明、音楽などの技術面は非常に見ごたえがある。でも、何だこれという設定に困惑するのである。

(夫人=司葉子と愛人=中山仁)

 僕はこの映画を非常に優れた映画で、ぜひ見て欲しいという趣旨で書くのではない。今度シネマヴェーラ渋谷の成瀬巳喜男特集でも上映があるが、半世紀以上経つと自国の映画であってもこんなに「変」なのかという発見が興味深いのである。先に書いたイラン映画『聖なるイチジクの種』を見ると、イランのイスラム体制というものが実に不可解なことに改めて驚く。『ひき逃げ』で判明する60年代日本も、いわば「映画社会学」的な意味で発見が多かったのである。

 「横浜」映画という意味では、これは黒澤明監督『天国と地獄』と同じである。つまり高台に住み自動車を保有する富裕層とゴチャゴチャした川沿いに住む貧困層が対比される。ただ黒澤作品ほど、横浜の階級差は強調されない。確かに横浜でロケされているが、「交通戦争」に巻き込まれた庶民という60年代日本の普遍的な問題を扱っている。僕も今回の上映があるまで、横浜の映画だとは知らなかった。その上で、「運転者は誰か」「加害者と被害者」というミステリー的な設定で物語を作っている。

 以下具体的な展開を書くけれど、大昔の映画だからいいだろう。高峰秀子の母親は錯乱気味なので、会社弁護士がヤクザの弟(黒沢年男=現在の表記は年雄)と交渉して、示談金120万円で手を打つ。弁護士はこれで罰金で済むかもしれないという。まさか幼い子どものひき逃げ死亡事故で、罰金刑なんてありうるのか? と思うと、裁判シーンになって、何と罰金3万円に執行猶予まで付くのである。罰金刑に執行猶予はありうるのか? 僕は聞いたことがないので調べてみたが、制度上はあるようだが年に2,3件あるかないかだと書いてあった。特に子どものひき逃げは今なら実刑が確実だろう。当時はそんなものだったのか?

 妻の柿沼絹子(司葉子)は愛人がニューヨークに転勤になるので動揺していた。愛人小笠原(中山仁)はもうこれで終わりにしたいと言ってくる。一方、その頃高峰秀子(役名は伴内国子)は家政婦として潜り込もうと考えるが、いくら何でも「本人確認書類」(戸籍謄本など)は要らないの? こんな例は珍しいだろうが、「手癖が悪い」人だっているはずだ。本人確認書類と身元保証人ぐらいは必要なんじゃないか。あの頃はテキトーに名乗っても通用したんだろうか。

 さて、何とか潜入に成功し信用も勝ち取るが、その間にガスストーブの事故を装って夫人を殺そうとしたりする。それは別の家政婦に見つかって失敗するが、ある日一家の主人(小沢栄太郎)が会社の急用で夜に出社した日、もう一回忍び込む。そうしたら、すでに夫人と男の子は死んでるじゃないか! そして、それは殺人とみなされて、高峰秀子は逮捕されてしまう。新聞は大々的に書き立て、警察はひたすら自白を迫る。無実を主張する高峰秀子も、ついに錯乱して「私がやったことにすればいいんでしょう」と警察に屈服してしまい、自分でも犯人だと思い込んでしまう。しかし、何と「遺書」を夫が隠していたことが最後に判明する…。

 この警察の「自白偏重」も凄いものである。この映画が作られた1966年というのは、まさに袴田事件が発生した年だった。運転手が身代わりになった後で、高峰秀子は女が運転していたという近所の証言を聞いて、警察に再捜査を要望する。しかし、警察は「自首して出た者がいる」一辺倒で、「自白」こそ「証拠の王」なのである。少しきちんと証拠調べをしていれば、運転手が犯人だというのは疑わしいことが判るはずだ。例えば当日の運転距離を調べれば、どこへ行ったか詳しい説明が必要になる。もちろん今のようにどこにでも監視カメラがあるという時代ではないけれど、運転手の説明が不自然だと思うんじゃないか。

 この映画では警察捜査のひどさは問題視されない。そんなものだと皆が思っていたんだろう。今なら、仮に真犯人だとしても、こんな暴言、決めつけは許されないという強権的取り調べが行われている。さて、もう一つ夫の「犯人隠避」が問われないのも不思議。今ならひき逃げと同じぐらい大問題になって、社会的制裁を受けるだろう。子どもを道連れにしてしまうことも含めて、トンデモ展開にあ然。これは高峰秀子の夫である松山善三のオリジナルシナリオだが、今になると不思議なことばかり。

(交通事故年齢別被害者の推移)

 もう一つ凄いのは、子どもも信号がない交通ひんぱんな道路を渡っていることである。何で信号がないのか。とにかく凄い車の量なのである。当時だって、道路を渡ろうとする人がいる場合、一時停車するもんだと思うが。交通事故の年齢別被害者の推移が判るグラフを見ると、1960年代前半まで子どもの被害者が一番多かった。子ども数自体が今よりはるかに多かったし、車の方も飛ばしていた。当時は「交通戦争」と呼んでいた。信号も歩道もないんだから、ヒドイものである。すべてルールなき(整備されざる)時代だったのである。後に美化される高度成長期だが、実情はこんなにひどかったことを思い出した方がよい。

 この映画はこの年のベストテン13位になっている。10位が同じ成瀬監督の『女の中にいる他人』。これもイヤな話なんだけど、何でこんな「イヤミス」がこの時代に作られたのか。それを言えば、この年のベスト1は『白い巨塔』だったが、ミステリーじゃないけど、ドロドロの権力ドラマでイヤな話。そもそもこの時期は「イヤミスの帝王」松本清張が作品を量産していて、続々と映画化されていた時期である。高度成長の中で格差が拡大し、新時代に適応する人と取り残される人々の葛藤というテーマが共感を呼んだのだろう。清張作品もおおよそは恵まれないものの恨み辛みが事件の裏にある。イヤミス耐性がある人はチャレンジを。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私立高校の無償化問題をどう考えるかー高校授業料無償化考③

2025年03月19日 22時04分55秒 |  〃 (教育行政)

 高校授業料無償化問題の3回目。最後は私立高校授業料の支援をどうするかである。今回の合意を受けて、中には「私立高校の学費がなくなる」かのような言い方をする人が時々見られるが、これは大きな誤解である。確かに私立高校へ通学する生徒への「就学支援金」は大きく増額される。「45万7千円」となるが、それは全国の平均だということだから、これより高い学費の高校が半分あるわけだ。もちろん他に入学金、教科書代、制服等の諸経費が必要だから、相当の金額が掛かるはず。大幅に拡充されて助かる家庭が多いだろうが、すべての私立高校で授業料が無償になるというのは、明らかに誤解だろう。

(三党合意の内容)

 ところで、所得制限なしで私立高校授業料の無償化を拡大すると、格差拡大につながるという批判もある。世論調査では公立の無償化は賛成が多いが、私立高校だと賛否半ばするか反対が多いという結果が多いようだ。これは「かえって格差拡大につながってしまう」と解釈すると間違うだろう。本来の政策意図として「富裕層の支援を行う」ことが目的と考えるべきだ。「日本維新の会」はもともと富裕層向けのポピュリズム的政策を打ち出すことが多い。また「公」の役割を小さくすることを目標にしている。富裕層が一番税金を負担しているわけで、貧困層のためではなく自分たちにこそ税を還元して欲しいという支持者に応える政策である。

(「高校無償化の光と影」と報じるテレビ)

 私立高校授業料の無償化拡充は必要なことだと思う。初めから全員が公立高に進めるわけではなく、必ず3分の1以上の生徒は私立高校に進学する。募集定員そのものがそうなっている。望んでいく場合もあれば、不本意入学もあるだろうが、中学卒業生の3割強が私立へ行くんだから、支援は必要だ。さらに東京都大阪府など財源に余裕がある自治体が独自に私立学校への支援を拡充してきた。公立と違い、私立高は受験に居住条件がないから、東京や大阪などの有名私学高校には近県からも多くの生徒が通学している。しかし、東京や大阪在住生徒だけ多額の補助を受けられて、同じ学校の生徒なのに差別的な状態になっている。

(大阪府立高校が減っていく)

 その意味で私立高校生徒への国レベルの支援拡充は望まれた政策だろう。しかし、一方で私立支援拡充策によって、公立高校が定員割れする事態が大阪や東京で生じている。大阪の場合は、むしろそれが目的だろう。「3年連続定員割れだと閉校」という条例まで作っているんだから。公私立の条件は平等ではないのに、同じように授業料を無償化すれば私立を希望する生徒が増えるのは事前に予測出来る。その結果として公立高校が減れば、新規採用教員を減らせて「公務員の定数削減」につながり、公務員の人件費を減らしたと宣伝出来る。就学支援金は増大するが、それも国費で大部分がまかなわれる。まさに「成果」に見える。

(大阪の府立高校の声)

 2回目で書いたように、高校教育は事実上義務教育に近くなっているので、公立高校は公立小中と同じように「授業料そのものをなくすべき」と考えている。そうなると、「就学支援金」制度は、公立(国立も)以外の進路先(私立高校や専修学校、外国人学校等)に通う生徒にだけ支給することになる。そうなった場合、僕は「所得制限」を設けても良いのではないかと思う。それも「ある所得」以上は支給しないというのではなく、私立高校の学費に応じて細かく「全額補助」「半額補助」「3割補助」などと区分した方が良い。全国一律で47万5千と言っても、安い私立と高い私立ではお得感が違ってくる。

 それと同時に、私立高校をいくつかのタイプに分類して、支援金額を変える方が良いと思う。有名大学に直結した附属高校とそうじゃない高校では差を付けても良いのでは? 都市部の「名門校」、地方の「伝統校」、スポーツで知られて全国から集まる「強豪校」など様々。また私立高校への支援が拡充すれば、富裕層は今まで授業料に宛てていた金額を「寄付金」に回しやすくなり、公私間の教育格差が広がっていく。地方財政が物価高、コロナ禍で悪化していて、公立学校の予算が逼迫しているという声がかなりある。公私間の格差が拡大するのが、望ましいのか? 公立学校の教員採用試験の方が、私立学校よりまだ公平な気がするけど。

 そして、最後の最後に。本来の「生徒の学びを支援する」という本質から考えると、まとめて学校に支給するというのを止めてはどうだろうか? 私立高校の場合は、保護者(または生徒本人でもいいけど)が地方自治体に直接請求し、自治体は前年度の所得等を捕捉しているから、審査して家庭へ支給する。自治体はまとめて国に請求する。一方、各家庭は直接私立学校(高校や専修学校等)に支払う。その金を使い込んでしまう家庭の生徒は授業料未払いにより退学になってもやむなし。もともと授業料のない公立高校へ転学すれば良いはず。私立高校を何らかの理由で退学した生徒は、公立高校が無条件で受け入れるべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公立高「所得制限撤廃」は当然ー高校授業料無償化考②

2025年03月18日 21時59分35秒 |  〃 (教育行政)

 高校授業料無償化問題を考える2回目。この問題に関しては、大きく言って二つの問題がある。公立高校の授業料を無償にすることは、自明の前提で今さら元に戻すという選択肢はないし、そういう主張をしている人もいない。その上で、2014年に安倍政権によって導入された「所得制限」をどう考えるか。それが第一の問題。第二の問題は「私立高校の無償化」をどう考えるかである。まず、最初の所得制限の問題から考えてみたい。結論を先に書けば、「所得制限撤廃は望ましい」と思うが、もっと正確に言えば「公立高校の所得制限撤廃は当然」だと考えている。(私立高校はまた別だと思っている。)

(2014年からの所得制限=現行)

 2014年当時に指摘したが、実際に導入されて保護者側も学校事務としても、あまりにも複雑で面倒だという声が強い。単に所得「910万」で切るというのではなく、もう一人の子どもが中学生にいるかなど複雑な決まりがあるらしい。さらに「一端徴収した後で支援金を支給する」という原則になるようで、それじゃあまりにも面倒である。保護者が支援金を申請する用紙というのがネットにあったので、示しておく。それを現在も、あるいは全国で使っているのかどうかは知らないけれど。

(申請用紙)

 この問題は当初から「子どもたちの学びを支援する」という発想で実施された。そうであるならば、直接子どもにとは言わないけど、本来は親に支給するのが筋である。しかし、世の中には子どもに支給された給食等の補助金を自分で使っちゃう親もいる。だから、学校にまとめて支給するという制度設計になった。それはやむを得ないだろうと思う。僕もいろんな家庭があることはよく知っているから。そのため、所得制限に掛からないかどうか、保護者が証明書類を取り寄せ申請書を書いて、それを一端学校に集めて事務担当者が確認した上で、それを地方自治体に申請するという流れになるらしい。実に面倒。

 そういう面倒が無くなれば、幾分かは学校現場も楽になるだろう。と思うんだけど、世の中にはすごいお金持ちもいる、そういう家庭からは授業料を取ってもいいんじゃないかという考えもあるだろう。だけど、どんなお金持ちでも公立の小中学校では授業料を取っていない。そもそも小中では「授業料」というものがない。そこで「義務教育の小中と義務じゃない高校とは違う」ということを声高に語る人も出て来る。だけど、現実は「事実上の義務教育」に近いし、世界には高校まで義務の国はいっぱいある。

(2020年までの高校進学率推移)

 文科省のサイトにある高校進学率の推移を見ると、2020年度において全日制・定時制合計の高校進学率は95.5%通信制を含めれば98.8%となっている。中学卒業生は「事実上ほぼ全員が高校に進学する」のである。全定含めた高校進学率は1974年に90%を越え、以後ずっと9割を越えている。半世紀以上9割以上が高校に進学している。この実態をみれば、「高校は義務教育じゃない」というのは単なるタテマエで、制度上はそうだけど現実は義務教育みたいなものである。だけど、高校は義務じゃないということで、退学した生徒への行政上のケアなどがない。家庭的、あるいは学力的、精神的に大変な生徒は高校を離れてしまう。

 ここでちょっとアメリカの例を見てみたい。アメリカの高校はどうなっているんだろうか。よくアメリカ映画や小説に全寮制の私立高校が出てくる。そこで問題を起こした生徒が退学して、今度は地域の公立高校へ転学してくる。あるいはアメリカの地方にある「小さな町」(スモールタウン)にある高校には、「いじめられ系のオタク生徒」がいて、チアリーダーの「ミス学園」とあれこれあったりする。まあ、よくある定番的発想だけど、アメリカの高校というとそんなイメージが思い浮かぶ。

 そういう実態はよく判らないし、文科省のサイトではアメリカの義務教育年限は「各州ごとに違う」となっている。各州ごとの教育制度を調べる気にならないけど、「アメリカの高校に留学するには」みたいなサイトがいっぱいあって、それを見れば大体判明する。それを見た限りでは、多くの州では「高校まで義務教育」になっていて、だから当然「公立高校は無償」なのである。一方で有名大学進学をめざす名門私立高校は、もちろん高額な学費が掛かるのである。寮に必要な食費などはまた別である。そういう高校を退学させられると、すぐに公立高校に転学出来る。お金は掛からないし、試験もなしで全員受け入れるからである。

 日本の(ほとんどの)全日制高校はクラス別定員が決まっていて、クラスごとの授業が行われる。従って、教室の定員による制限が必要になるわけである。クラス数によって教員定数が決まるので、それを守らないといけない。だから、私立高校を辞めた生徒をすぐに公立高校が受け入れることが出来ない。(大規模災害の発生時など緊急に転校を受け入れることはある。)それなのに、アメリカでは何故公立高で受け入れられるのだろうか。それはアメリカの高校は完全に「単位制」だからである。

 もちろんアメリカの高校にも「必履修科目」みたいなのはあるらしい。だけど、それは卒業までに取れば良いわけで、取りあえずまだ空席がある講義を取るんだったら、受け入れ可能なんだと思う。それに大都市は別にして、地域の公立高校は一つなんだろうから、そこが受け入れるしかないのである。このようなアメリカの高校のあり方は、すぐに日本に適用は出来ないだろうが、大きな参考にはなるんじゃないだろうか。

 今どき中卒で正社員になれるわけじゃない。多くの資格は高校卒を要求している。いつか大学や専門学校へ進みたいと思っている場合、高校卒が必須となる。高校は義務教育ではないが、事実上98%以上が進学している以上、「公立高校は地域の生徒を受け入れる義務がある」と僕は思う。「事実上の義務教育」なんだから、授業料を取ってはいけない。公立なんだから、授業をいくつ取るかに関係なく、初めから無償であるべき。(留年しても無償で良い。)そして、高校を単位制に変えて行けば、もっと多くの希望者を受け入れ可能である。必履修科目は講師を含めてたくさん開講すれば良く、後は好き好きに取れば良い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一から考える「高校授業料無償化」ー高校授業料無償化考①

2025年03月17日 22時15分55秒 |  〃 (教育行政)

 「高校授業料無償化」に関する与党と日本維新の会の協議がまとまって、「維新」は内閣提出の予算案に賛成した。与党だけでは衆議院の過半数に達しないわけで、どこかの野党を取り込む必要がある。前に書いたが「維新」が与党に協力するのは予想していた。国民民主党や立憲民主党よりも、「維新」との方が妥協しやすかったと思う。大阪万博を控えて4月半ばまで予算をめぐって国会が荒れ続けるのは「維新」も困る。だから、きっと維新との協議がまとまるだろうと踏んでいたが、予算が衆議院を通過後になって、「デメリットが大きい」「かえって格差を広げる」などの反対論も出て来たようだ。この問題を何回か考えてみたい。

(「維新」との協議がまとまる)

 この問題については今まで何回も書いてきた。ブログ開始直後の2011年には4回も書いたけれど、もう昔過ぎて誰も覚えていないだろう。だから、1回目はまず基本的な解説を「一から」書いておきたい。時々「高校の授業料が無料になるのは良いことだ」みたいな感想を述べる人がいる。しかし、「高校授業料は前から無料」じゃないか。それに「正確な意味では今後も完全な無償ではない」のである。高校授業料無償化は2010年度から実施された。民主党政権の数少ない成果である。民主党政権に問題が多かったのは事実だし、この時の制度設計、実施も完全ではないと思っている。だけど、「民主党政権で始まった」のである。

 高校教育、つまり専門的に言うと「後期中等教育」が無償であるということは、本質的には人権問題である。国際人権規約(社会権規約)の中に明記されている。日本はもちろん人権規約を批准しているが、2009年までその条項を「留保」していた。(いくつかの問題に関して、受け入れを留保することが出来る。)民主党は2009年の総選挙に際して、高校授業料無償化を公約に掲げて勝利し、その通り実施した。そして鳩山由紀夫政権時に、その留保を解除すると国連に通告したのである。

 その時点では「所得制限はなし」で「公立高校を無償化する」「私立高校に関しては公立と同額の支援金を出す」というものだった。なお、「高校授業料」ではなく、正式には「就学支援金」である。高等学校は義務教育ではないので、専修学校に通う場合も支援金を出す。外国人学校や特別支援学校高等部も同様。5年制の高等専門学校(高専)の場合は、3年まで無償で4年から授業料が発生する。(卒業すれば、高卒ではなく短大卒と同じ資格になる。)この制度に野党だった公明党は賛成したが、自民党は「所得制限なしの無償化はバラマキ」と批判して反対した。そして与党に復帰して第2次安倍政権で所得制限が設けられた。

 それから12年、今度は自民党政権がやむなく所得制限を撤廃することになった。僕は所得制限撤廃時に『高校授業料無償化の末路』(2013.12.11)を書いて批判した。所得制限を設けるという考えもあるだろうが、かえって面倒くさい書類がいっぱい必要になる。小中学校は親の所得に関係なく、公立ならば無料じゃないか。面倒だというのは、「高校授業料は生徒ごとに違う」からである。まあ多くの学年制の全日制高校(定時制も)ならば、基本的には1、2年生はクラスごとに同じ授業を受けるだろう。だが3年になれば選択授業が増え、授業数が生徒で違うこともある。単位制高校や(最近増えている)通信制高校では、生徒ごとにその年に受講する単位が異なるのは当たり前。授業料は「授業の対価」だから、受講する授業数が違えば授業料も違う。

(通信制の場合の支援金申請の仕組み)

 ここで授業料問題を離れて、そもそも公立学校と私立学校の数を調べておきたい。もちろん小学校、中学校にも私立学校はいくらもある。しかし、何故か「私立小学校」「私立中学校」の授業料を無償化せよとは言われない。私立高校だけ無償化の対象になるのは何故だろうか。それは小中の場合、私立学校の数が少なく、児童生徒の年齢もあって小中学校は地元の公立学校に通うことが圧倒的に多いからだろう。それを文部科学省の「学校基本調査」で確かめる。(2024年度調査が公表されている。)

 まず小学校。全国で18,822校あって、国立67、公立18,506、私立249である。児童総数は5,941,733人、 そのうち公立小学校に5,826,352人が在籍している。私立は 79,990人である。国立はその半分ぐらい。児童総数は過去最低だというが、それでも全国で600万人近い小学生がいる。次に中学校。 全国で9,882校あって、国立68、公立9033、私立781である。私立中学は私立小の3倍もあるが、それは「中高一貫」が多いからだろう。生徒総数は 3,141,132人、そのうち公立中が2,866,304人、私立中が 247,982人である。なお、小中一貫の「義務教育学校」が別に238校あり、ほぼ公立。やはり圧倒的に義務教育は公立学校である。

 それが高校になると、ガラッと変わる。総数は4,774校で、国立15、公立3,438私立1321である。在籍生徒数は、総数が 2,906,921人で、公立が1,891,020人私立が 1,007,865人である。また中等教育学校(中高一貫校)が59校あり、 34,514人が在籍している。公私比をみると、学校数が3:1ぐらいなのに、生徒数だと2:1以下である。これは公立高校は生徒数が少なくても離島、山間部にも設置されているのに対し、私立高校は都市部の大規模校が多いからである。

 これを見ても、私立小、私立中は数も少なく、子どもの発達段階を考えてもごく少数しか通わない。公立小中学校は地域の生徒を全員受け入れる義務があり、私立で問題があれば地域の公立校にすぐ転校出来る。しかし、高校の場合は全員が公立高に進学することは不可能である。子どもが減っているのだから、その気になれば可能かもしれないが、それでは私立高校がつぶれてしまう。私立学校は歴史が長く、スポーツ等の活躍で知られていたり、地域の有力政治家が理事だったりする。つぶすわけにもいかず、あらかじめ公私間で協議して、翌年の受け入れ生徒数を決めている。初めから3分の1以上は私立高校に行くしかないのである。

(慶應義塾幼稚舎)

 一方で、東京の場合など満員電車に乗って私立小学校に通学するなど無理。都心部に住んでいて、さらに自動車で送り迎えが可能なような高所得世帯じゃないと、子どもを私立小に通わせるのは難しいだろう。ちょっと調べてみたが、慶應義塾幼稚舎(幼稚舎だが小学校である)は年間98万円、青山学院初等部は年間81万円の授業料が必要らしい。もちろん他に入学金があり、寄付等も求められるんだろう。なかなか「普通の人」が行かせられない額だ。その代わりに「内部進学」で有利に大学まで通じているし、親も各界の「有力者」が多いだろうから、親子とも将来に向けて人脈が作れるわけである。ここで一端区切る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「財務省解体」より、「大蔵省解体」ー財政、金融担当大臣を分離せよ

2025年03月16日 21時51分01秒 | 政治

 何でも「財務省解体」を唱える人たちがいて、財務省前でデモが行われているという。3月14日にはその場にいた立花孝志氏が襲撃される事件も起こった。(千葉県知事選に立候補していた立花氏がなんで財務省前にいるんだ? まあそういう話は聞いてたけど。)この問題については、いろんな人がいろいろと言ってるが、僕は「天下の暴論」だと思っている。典型的な「陰謀論」であり、陰謀論の常として、「真の敵を隠す」役割を果たしている。それが目的なのかは判断出来ないが。

(「財務省解体」デモ)

 まず思ったのは「財務省解体」とはどういう事だろうという疑問だ。国家そのものを認めない無政府主義社会がすぐ実現出来るはずもないから、「国税」というものは必須だろう。財務省を解体したら、「税金を集めて予算を編成する」仕事は誰がするのか。外国には税と社会保険料をまとめて集める「歳入庁」がある国もあるらしい。そういうのを求めているのか? しかし、僕は「社会保険」は「保険」である以上、別の組織で行う方が正しいと思う。一緒にしても、それは形の上で同じ組織になるだけで、別の部署が担当するという実態が変わるはずがない。(「税」と「保険」を一緒くたに「五公五民」などというのも理解不能。)

 しかし、もう少し調べてみると、要するに「財政政策変更」を求めるというデモに近いのが実態ではないか。ただその時に、「国民が困窮しているのに財政政策が変わらないのは、財務省が黒幕にいるからだ」と考えるらしい。確かに安倍元首相と対立していた石破茂氏が首相に就任しても、内外の政策に大きな変わりがない。だけど、それは当たり前だろう。内部でいろいろ対立していても、同じ自由民主党なんだから、国家の基本政策が大きく変わったらそっちの方がおかしい。

 「財務省が黒幕」だという認識が仮に正しいとしても、財務省にデモを掛けても何の意味もない。財政政策は、内閣と国会が決めることである。国会は長いこと「与党が絶対多数を占める無風状態」が続いていた。それが2024年衆院選で与党が過半数を割り込み、いま少し変わりつつある。それでも行政権を握る内閣内閣を組織する与党)の力は大きい。結局、内閣(最高責任者の内閣総理大臣)が予算を決定し、それが国会で可決されて正式な予算となる。そんなことは誰でも知ってるだろう? 予算は年度内成立ギリギリの状況なのに、何で国会や首相官邸前でデモをしないんだろう? ホントの責任者はそっちだろ? 

(2001年、大蔵省から財務省へ)

 そういう風に思うんだけど、それはそれとして別に書きたいことがある。それは「大蔵省を解体せよ」ということである。もちろん、大蔵省はすでに解体されている。2001年から大蔵省は存在しない。それは名前が変わっただけではない。「通商産業省」が「経済産業省」にというように名前が変わっただけの省もある。財務省もその時点では名が変わっただけだった。しかし、事実上は1998年6月から、金融機関監督業務が「金融監督庁」→「金融再生委員会」と別組織になり、2000年7月には金融政策立案も行う「金融庁」が設立された。きっかけは大蔵省接待汚職事件だったが、「財政・金融分離」が実現したわけである。

 ところが、2012年12月の第2次安倍政権成立(自公政権の復活)以来、財政担当大臣と金融担当大臣が同じ人なのである。それ以前は違っていた。初代金融担当相は柳沢伯夫氏、第2代は竹中平蔵氏だった。小泉内閣で「内閣府特命担当大臣(金融担当)」と扱いが少し変わったが、相変わらず竹中氏が務めた。竹中氏は民間人閣僚として入閣したが、その後財政経済政策担当、さらに参議院議員となって総務相となり、後任として与謝野馨、渡辺喜美、茂木敏充氏らが金融担当相となった。

 2008年の麻生太郎内閣成立後に、中川昭一氏(辞任後は与謝野馨氏)が財務、金融双方の大臣を兼務するようになった。2009年の民主党政権成立後は財務相が藤井裕久、菅直人、野田佳彦、安住淳と変わる中で、金融担当相には貫して連立を組む国民新党所属議員が就任していた。具体的には亀井静香自見庄三郎松下忠洋各氏である。一時的に臨時代理を務めた人もいたし、松下氏は野田内閣末期に自殺して中塚一宏氏に代わった。それでも民主党政権では財政と金融は別の大臣が担当していたことは共通している。ところが、2012年12月から2021年11月まで、9年もの長い期間麻生太郎氏が「副総理兼財務相兼金融担当相」だった。

(麻生「副総理兼財務相兼金融担当相」)

 さらに言えば、第2次安倍政権当初に日銀総裁黒田東彦氏が就任し、「異次元の金融緩和」政策を実施した。事実上、財務、金融、日銀が同じ一つの役所のようになって「アベノミクス」実現に突き進んだわけである。そして、当初の想定は実現出来なかった。はっきり言えば「失敗」に終わり、そのままコロナ禍に突入して日本国の財政はかつてない債務超過に陥っている。そのため財政政策のダイナミックな展開が難しい状態になってしまった。まずは財務相と金融担当相を再び分離することが、経済、財政政策の緊張感を取り戻す第一歩なんじゃなかろうか。「安倍・麻生政権」こそが「異常な時期」だったのだと思う。

 過度の円安が物価高を呼んでいるが、金融政策の抜本的変更が難しい。「今こそ減税」という声も高いし、僕も共感するところはあるが、「ない袖は振れない」というのが実情じゃないか。課税最低限の引き上げ、高校授業料の所得制限撤廃・私立高授業料補助引き上げを行う以上、他に向ける財源があるとは思えない。(それらの政策が今真っ先に必要なことか僕には疑問。)ここしばらくの日本は別に緊縮財政ではない。どう見ても、これ以上ないと言うぐらい「積極財政」を続けてきた。そして失敗したのである。これ以上赤字を積み増すことは、大々的なインフレーションを呼ぶ恐れが否定できない。(僕はそういう恐怖がある。)

 ところで「黒幕は財務省」ということになれば、石破内閣でも出来なかったことは野党が政権を担ったとしても無理ということになる。つまり、「参院選で野党に投票するのは無意味」ということになってしまう。仮に参議院も与党が過半数を割り込んで、国会運営が行き詰まって再び総選挙になったとする。そして現在の野党が政権を握っても「財務省が解体してない以上」何も出来ないというリクツになるはずだ。こうして、「野党に投票しても意味がないというムードを高める」。僕はそれが「財務省解体論」の真の目標か、そうじゃなくても結果的にそう機能するんじゃないかと思っている。「陰謀論の役割」である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闘うヒロイン、女たちのアクション映画が量産された時代

2025年03月15日 22時34分18秒 |  〃  (旧作日本映画)

 アカデミー賞で作品賞など5冠を獲得した『ANORA アノーラ』のショーン・ベイカー監督が来日して、3月8日に舞台挨拶を行った。その時に梶芽衣子がサプライズで登場して花束贈呈を行った。なんと監督は主演女優のマイキー・マディソンに、役作りの参考にと梶芽衣子主演の『女囚701号 さそり』(1972)を渡したというのである。いや、それは映画を見たときには考えもしなかった。共通点はあるにしても、マイキー・マディソンは狭義の「アクション」で復讐しようとするわけじゃない。しかし、半世紀を超えて70年代日本の「闘うヒロイン」映画が21世紀のアメリカ映画にインパクトを与えたというのは興味深い。

(ショーン・ベイカー監督と梶芽衣子)

 梶芽衣子(1947~)は僕も昔からファンで、一度「トーク&ライブ」に行ったこともある。『梶芽衣子トーク&ライブ』に書いたが、ブログ開始半年程度で画像もない愛想のない記事を量産していた時期だった。日比谷図書館がリニューアルした時の記念で、梶芽衣子は神田出身、銀座でスカウトされたと東京都心部に縁が深いのである。元々は日活の俳優で、本名太田雅子でデビューした。60年代末の「日活ニューアクション」と呼ばれた『野良猫ロック』シリーズなどで活躍した。そのシリーズは大好きだけど、さすがに同時代に見たわけじゃない。梶芽衣子も東映映画の『さそり』シリーズでブレイクしたと言って良いだろう。

(『さそり』シリーズの梶芽衣子)

 伊藤俊也監督のデビュー作『女囚701号 さそり』は評判になって大ヒットし、監督は日本映画監督協会新人賞を受けた。この年藤純子が結婚して引退、東映は新しい女性スターとして梶芽衣子に目を付けたのである。1973年には東宝で藤田敏八監督の『修羅雪姫』も公開された。この映画はクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』に深い影響を与えている。その当時映画ファン初心者だった者として、半世紀後にこんなことがあるとは予想もしなかった。僕も『さそり』シリーズは当時見たが、見たのは名画座。東映の映画館は高校生には金銭的にも雰囲気的にもハードルが高くて、ほとんど行ってないからだ。

(『修羅雪姫』)

 当時の日本映画には、「女性主人公のアクション映画」がいっぱいあった。世界映画史、大衆文化史の中でも珍しいんじゃないだろうか。世界中どこでも男性スターのアクション映画は無数に作られてきた。70年代頃のアメリカのシリーズ映画(『ダーティ・ハリー』『ロッキー』『ダイ・ハード』など)は皆男性スターの映画だった。最近でこそ『マッドマックス』シリーズや『キック・アス』など女性が主演したアクション映画もあるけれど、70年代には考えられない。インド映画も最近無数に公開されているが、その大部分は男性スターのアクション映画である。女性が活躍しているアクション映画はほぼないと思う。

 (藤純子の「緋牡丹博徒」)

 なぜ70年代日本映画に「闘うヒロイン」映画が量産されたのだろうか。日本社会、あるいは日本映画界で女性進出が世界に先駆けて進んでいたわけではもちろんない。日本社会ではむしろ女性の活躍が遅れていたし、今も遅れている。じゃあ何故だろう? 当時の外国映画では香港のキン・フー監督『侠女』ぐらいしかないというのに。直接的には藤純子の影響が大きいと思う。藤純子とその実父俊藤浩滋については、『おそめ』の記事で紹介したことがある。たまたま撮影を見に行ってスカウトされた藤純子は、60年代末には事実上高倉健、鶴田浩二に次ぐ第三のスターになっていた。藤純子の成功を見て、大映の江波杏子なども活躍した。

(江波杏子)

 しかし、藤純子、江波杏子の映画はは当時人気を誇っていた「任侠映画」だった。「ヤクザ」もギャングだとはいえ、任侠映画には独特のお約束があって海外では理解が難しいだろう。それに藤純子のアクションも、時代劇の殺陣(たて)と同様に「日本舞踊の様式美」である。映画を作っているスタッフも主に男性で、「ジェンダー平等意識」なんかなかっただろう。梶芽衣子のヒット作の原作も、『さそり』は篠原とおる、『修羅雪姫』は小池一夫上村一夫の劇画だった。それは女性の価値観を反映したものじゃない。しかし60年代末の反体制、反権力的な空気が濃厚に漂っていて、世界で受けた原因になったのではないか。

(杉本美樹『0課の女 赤い手錠』)

 1974年にはもう一つの忘れがたい「闘うヒロイン」映画が作られた。杉本美樹が主演した『0課の女 赤い手錠(わっぱ)』(野田幸男監督)である。杉本美樹は「日活ロマンポルノ」と張り合った「東映ポルノ」で活躍したというが、僕はこの映画が初めて。大好きな映画で何度か見ているが、いくら何でも演技がまずいと思いつつ、見てるうちにのめり込んでしまう。この映画も篠原とおるの劇画が原作である。さて、70年代頃から「少女漫画」が話題になっていくが、ジェンダーをめぐる漫画・劇画の歴史的研究も大事だろう。70年代半ばになると、様式的アクションを越えるスターも現れてきた。志穂美悦子である。

 (志穂美悦子)

 志穂美悦子は千葉真一が作った「ジャパン・アクション・クラブ」出身で、ホンモノのアクションスターだった。70年代はブルース・リーに始まる香港カンフー映画が世界でヒットし、日本でも女子プロレスがブームになっていた。もはや女性が体を張ってアクションをこなすのは、意外でも何でもなくなっていた。(しかし、まだそれらは「マトモ」とは思われず、端っこの文化だったと思うが。)ところで、これらを見ていたのは誰だろうか? 藤純子、梶芽衣子らの映画は主に男性ファンが見に来ることを目的に作られていた。実際、東映のアクション映画は(日活ロマンポルノほどじゃないとしても)女性観客が見に行くのは難しい。

 文学研究における「読者論」のような意味で、映画の「観客論」も大事になる。映画雑誌やファンクラブなどの分析が必要だろう。梶芽衣子が脚光を浴びたのをきっかけに、ちょっと70年代の「闘うヒロイン」映画をふり返ってみた。それは「男性」によって「男性観客」のために作られたものだったが、濃厚な反権力的意識に基づく「復讐」というテーマが今も世界に通じているんだろうと思う。しかし、映画を見直し、諸資料に当たって、きちんと調べる意欲はもうないので、若い大衆文化史研究者のために思いつきを書いてみた次第。こういう映画があって、現在の『ベイビー・ワルキューレ』シリーズなどが出て来たと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸・偕楽園「梅まつり」を見に行く

2025年03月14日 21時53分40秒 | 東京関東散歩

 世に言う「日本三名園」。岡山・後楽園金沢・兼六園は行ってるのに、一番近い水戸・偕楽園に入ったことがなかった。「入ったことがない」というのは変だけど、真ん前を車で通ったことはあるのだ。雨だったので、入るのを止めたのである。「車窓見学」だけじゃ何なので、一度「梅まつり」に行かなくちゃと思っていた。水戸藩の藩校だった弘道館は2回行ってるので、今回はパス。今年は3月に入っても寒く、梅が咲いてなければ意味がない。ようやく暖かく(ちょっと暑いぐらいに)なった。関東は快晴の予報の日に行って来ようかな。まだ満開というより7分咲き、8分咲きぐらいだったけど、門を入ると梅の香でいっぱい。

   

 水戸駅で下りて北口へ。真ん前でバスの「一日フリーきっぷ」を売ってる。40円お得になるだけだが、交通系ICカードが使えないので、買わないと不便。そして真ん前のバス停で待つようにと言われて、来たバスに乗った。(車は混んでるから公共交通機関を使えとパンフに出ている。レンタサイクルもあるらしいが、偕楽園に行くだけならバスの方が便利だろう。)そして20分ぐらいで「偕楽園・常磐神社前」バス停に着いた。門はいろいろあるが、バスが満員なので皆が下りる場所でしか下りられない。

   

 神社はパスして、縁日みたいなお祭り空間を抜けて、入口へ。混んでると思って、事前にデジタルチケットを買っていった。それで正解だったが、結構面倒だった。写真はいくら載せても同じで、要するに偕楽園の北半分は梅林なのである。他に広場や竹林もあるが、普通「名園」というと「日本庭園」で、池の周りに築山という「池泉回遊式」である。兼六園もそうだし、岡山の後楽園もそう。だけど、偕楽園は違う。趣という点では同じく水戸藩ゆかりの「小石川後楽園」の方が良いかも。

(①烈公梅)(②白難波)(③虎の尾)

 園内の梅の品種を研究し、1934年に「水戸の六名木」というのが選ばれた。白梅が多いが、紅梅「江南所無」もある。園内各所にあって、垣に囲われて説明が出ている。まあ、一応それは見ていこうかと思って、6つ写真に撮ったのがこの6品種。

(月影)(⑤江南所無)(⑥柳川枝垂)

 偕楽園は読んで字のごとし、「民と偕(とも)に楽しむ」という意味で「孟子」の言葉だという。幕末の有名な水戸藩主、徳川斉昭 (烈公)により構想されて、1842年に開設された。元は藩士の休養の場として作られたが、3と8が付く日には領民にも開放されていたという。幕末の水戸藩は不毛のイデオロギー対立で有為の士をほとんど失ってしまった。「尊皇」思想の発祥地みたいなとこなのに、明治政府で活躍した有名人がいない。(その対立のすさまじさは、水戸出身の山川菊栄覚書 幕末の水戸藩』に詳しい。)それでも偕楽園が今に残っているのは不思議だし、まあ良かったんじゃないかと思う。

 (吐玉泉)

 東門から梅を見ながら表門まで行き、竹林を通り過ぎて下りていくと「吐玉泉」(とぎょくせん)がある。斉昭が作らせた湧水所で、大きな大理石から湧いている。今の石は4代目だそうで、1980年代に作られたものだという。そこから「好文亭」をめざす。斉昭が作った休息所で、各種の催しに利用されたという。空襲で焼けたが、1958年に再建された。さらに1969年に落雷で奥御殿が焼けたという。市街地とは離れているが、空襲でここまで焼けたのは驚き。全景が撮りにくいのが難だけど。

   

 部屋を見て回った後で、最後に3階まで登れる。すごい急階段で危ない感じだけど、自分もそうだけどこういう場所で落ちてる人はいないもんだ。上は風が強かったが、南方面が見渡せる。まあ梅林には向いてないけど、常磐線を越えて千波湖、そして市中心部が見えている。日本最古の食器用昇降機が珍しかった。

  

 他にもいろんな碑があるようだし、もっと見て回るべきなんだろうが、かなり暑い日だった。線路の南側にも梅林があるのは知ってたが、まあいいだろうと思った。むしろ弘道館や水戸城の遺構を見たい気があったけど、一度に両方見るのは大変だからパス。要するにさっさと帰ってきたわけ。これで「偕楽園」に「済」マークを押したというわけ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お見事!『ファーストキス』、ラブコメファンタジーの傑作

2025年03月12日 20時32分41秒 | 映画 (新作日本映画)

 2月7日公開の映画『ファーストキス 1ST KISS』はひと月経っても大ヒット中。ヒット映画はそのうち見れば良いと思って見逃すことがある。見てもガッカリだと書かないこともあるけど、『ウィキッド』の前にこっちを見ようかと思って大正解。坂元裕二はさすがカンヌ映画祭受賞脚本家である。松村北斗も『夜明けのすべて』でキネマ旬報主演男優賞を取ったのは間違いではなかった。そして塚原あゆ子監督も日本アカデミー賞優秀監督賞受賞にふさわしい見事な演出。それにしても塚原あゆ子監督は昨年来『ラストマイル』『グランメゾン★パリ』『ファーストキス』と三連続大ヒットはエンタメ映画界、女性監督史上の快挙だ。

 映画の紹介をコピーすると、こんな話。「結婚して十五年目、事故で夫が死んだ。夫とは長く倦怠期で、不仲なままだった。残された妻は第二の人生を歩もうとしていた矢先、タイムトラベルする術を手に入れる。戻った過去には、彼女と出会う直前の夫の姿があった。出会った頃の若き日の夫を見て、彼女は思う。わたしはやっぱりこの人のことが好きだった。夫に再会した彼女はもう一度彼と恋に落ちる。そして思う。十五年後事故死してしまう彼を救わなくては――。」

(塚原あゆ子監督)

 もう少しだけ書いておくと、夫は硯駈(すずり・かける=松村北斗)で、妻は硯(旧姓高畠)カンナ(松たか子)。二人はもううまく行ってなく、寝室も別なら朝食まで別(夫はご飯、妻はパンを別の机で食べている)。ついに離婚届にサインして今日提出すると言って夫は仕事に出かけた。そして駅のホームからベビーカーが落ちたとき、助けようと線路に飛び降りて自分だけ轢かれて死んだ。彼の死は日本中に感動を与え、全国から手紙が殺到した。2024年6月のことである。

(脚本の坂元裕二)

 カンナはある日、仕事場に向かう途中で首都高で事故を避けようとして、違う車線に入り込む。そこを通っていくと異界に通じて、2009年に夫と知り合った日に戻ってしまった。首都高と言っても三宅坂トンネルで、トンネル(みたいなところ)を抜けると違う世界というのはよくある設定だ。だけど、タイムトラベルなんてあり得ないわけで、この設定面白そうですか? 何だかありふれたファンタジーっぽくて、期待薄に思うかもしれない。というか、僕も見る前はそう思っていたんだけど、この脚本は素晴らしく面白い。そして松たか子と松村北斗のコンビは、他の誰でも不可能なような奇跡を実現している。

(ロープウェーに乗る)

 カンナは若い夫に再び恋して、何とか「死なない未来」に改変出来ないか過去と現在を何度も行き来する。そこは学会を控えたリゾートホテルで、風景も素晴らしい。そして評判のかき氷を食べに行ったり、ロープウェーに乗りに行ったりする。(北八ヶ岳ロープウェーだという。)駈は古生物研究者で、教授(リリー・フランキー)の助手で来ている。教授の娘(吉岡里帆)も来ていて、駈に気がありそうだ。どうすればよいのか? ついに自分じゃなくて教授の娘と結婚させれば良いのかとまで思うが。この何度も何度も過去に戻って、現実改変の反復を試みるところが、コミカルで面白い。近年出色のラブコメの傑作。

(道を散歩する=諏訪市)

 夏の避暑地で繰り広げられる至極のラブストーリー。一面から見るとそういう映画だけど、ベースは「タイムトラベル」ものだから、ジャンル映画のルールは変えられない。「あの日に帰りたい」というのは、多くの人々の思いである。皆が皆、「若い日のあの頃」に戻りたいと思ったことがあるはず。子どもを亡くしたとか、悔いを残す人はなおさら。2011年3月10日とか、1945年8月5日とかに戻れたら多くの命を救えるかも…。そういう願望に基づく多くの小説、映画などが作られてきた。しかし、どんな「物語」でも何らかの障害が起こって「現実は変えられない」という結末に至ることになっているのである。

 だけど、この映画が感動的なのは、駈は死んだけど「自分は生きている」からである。現実世界はいくつもの違った世界が層になっていてミルフィーユみたいになっている。登場人物がそういうセリフを言っている。それが事実かどうか別にして、自分が変わることによって、これからの世界は変えていける。泣いて笑って、最後にそういうメッセージを貰える。エンタメ映画のお手本じゃないか。何と言っても脚本の世界観が素晴らしく、主演の二人も最高。松たか子の「美魔女」ぶりは見事。それに加えて、撮影の四宮秀俊も特記しておきたい。『ドライブ・マイ・カー』『』の撮影を担当した人である。

 (フルーツパーク富士屋ホテル)

 この映画の主要な舞台となったホテルはどこだろうか? 日光じゃないようだから、北軽井沢あたりかなと思ったら、富士山が見えたので違った。クレジットを見て山梨県の「フルーツパーク富士屋ホテル」だと判った。ロケ地を調べたサイトがあって、その他知りたい人は調べれば出てくる。「出会い」と「結婚」に関する金言名句も散りばめられていて、カップルで見てた人は泣いてる感じ。この映画はきっと他国でリメイクされるんじゃないだろうか。韓国やタイ、そしてハリウッド版を見てみたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『聖なるイチジクの種』と『TATAMI』、イラン・イスラム体制体制の闇を描く

2025年03月11日 21時44分02秒 |  〃  (新作外国映画)

 現代イランの恐るべき闇を描く映画が2本上映されている。特に『聖なるイチジクの種』は恐ろしくて、面白い政治スリラー映画で見逃さなくて良かった。モハマド・ラスノフ監督が実刑判決を受けながら国外に脱出し、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受けた。また米アカデミー賞の国際長編映画賞にドイツ代表としてノミネートされた(受賞はせず)。特にすごいなと思うのは、当然国内で作れないだろうから近隣諸国で撮影したんだろうなと思っていたら、何と秘密裏に国内で撮影したということである。

 この映画は2022年に起きたマフサ・アミニ死亡事件(ヒジャブの付け方を問題視されて「道徳警察」に逮捕された女性が獄中で死亡した事件)を機に燃え広がった抗議運動を描いている。映画の中では当時のニュース映像も使われていて、「神権政治打倒」「最高指導者打倒」など単なる抗議を越えた革命運動的要素を持っていたことが判る。多数のデモ隊を警察が武力で弾圧する様子も描かれている。非常に大きな反政府運動だったことが伝わってくる。その事態をこの映画では「弾圧側」の家族を通して描くところが興味深い。外国人には理解が難しい設定もあるが、最初から最後まで圧倒的迫力で描き切る力強い映画だ。

(夫婦)

 ある家族がいる。父親のイマンは最近革命裁判所の調査官に昇格したという。そのため官舎に入れることになって、二人の娘にも初めて仕事の内容を明かす。(それまでは秘密の国家的仕事とぼかしていたらしい。)しかし、「革命裁判所」で働くことは憎まれることもあり、家族も細心の注意がいるから明かすらしい。母ナジメは娘に必ずきちんとヒジャブを被るように念を押す。そして、何と当局は「自衛」用にと銃を貸し出すのである。そんなに憎まれる仕事なのか? それに何の対策を取らず、ただ銃を貸し出すというのも普通じゃない。しかし、特権の代償としてイマンは何も調べずに「死刑求刑」への署名を求められたのである。

(左から妻、長女、次女)

 娘たちは警察の横暴に批判的である。スマホで情報を集めて、政府が検閲しているテレビはウソばかりと批判する。長女の友だちはたまたまデモ隊と一緒になり、大ケガを負ってしまう。長女は家に連れてきて手当するが、母親はいい顔をしない。そんな中で、父が持っていた銃が突然紛失する。それは家族の誰かが盗んだのか? 上司は銃が見つからないと、最悪服役の可能性もあると脅す。さらにある日、父親の写真と住所がネット上にさらされる。イマンは強制的に休暇を取らされ、家族を連れて地方にある実家に行く。そこで家族の争いが激化して…。砂漠の中の不思議な山の中で争い合うラストは凄絶なまでにスリリング。

(カンヌ映画祭の監督と主演女優)

 「革命裁判所」というのは、イラン・イスラム体制を守るための「国家安全保障」などに関わる罪を裁く。国家機構なのに、憎まれてるから自衛しろみたいなのも不思議。まあ、それはともかく、この映画は監督がオンラインで演出しながら撮って、映像素材を持ち出してドイツで完成させたという。ラスロフ監督は、2020年に『悪は存在せず』という映画でベルリン映画祭金熊賞を受けた。イランの死刑制度を描く映画で、監督は今までの映画製作で実刑判決を受けてベルリンに行けなかった。今回はもっと厳しく、懲役8年、財産没収の判決を受けたという。命がけで撮られた映画だが、純粋に政治的スリラーとして面白い映画である。

 もう一つ、ガイ・ナッティヴザーラ・アミール監督の『TATAMI』が公開されている。TATAMIはもちろん「」のことで、柔道を象徴している。2019年世界柔道東京大会でイランの男子選手に起こった実話を基にした映画で、場所をジョージアの首都トビリシに移し女子選手の話に変えている。イランはイスラエルの存在自体認めていないので、イラン選手がイスラエル選手と対戦することを認めていない。それは知っていたが、イスラエル選手と対戦するときに棄権するんだと思っていた。しかし、ちょっと違っていて、イスラエル選手と対戦可能性がある場合、早い段階からケガなどを理由にして棄権を求められるのである。

(選手と監督)

 共同監督の一人ザーラ・アミールはイラン出身の女優で、『聖地には蜘蛛が巣を張る』でカンヌ映画祭女優賞を受賞した人。今回はイラン代表監督マルヤム・ガンバリ役で主演もしている。もう一人の監督ガイ・ナッティはイスラエル出身でアメリカで活動しているらしい。レイラ・ホセイニ役で主演したアリエンヌ・マンディは中東にもルーツを持つアメリカ人で、ボクサー役もやったことがあるというから柔道も健闘している。家族を脅して何とか棄権させようとする国家意思が怖い。2024年の東京国際映画祭で審査員特別賞、主演女優賞を受けた。モデルとなったサイード・モラエイは東京五輪男子81キロ級の銀メダリストである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若竹七海『まぐさ桶の犬』、帰って来た「不運な探偵」葉村晶

2025年03月10日 19時57分46秒 | 〃 (ミステリー)

 文春文庫新刊の若竹七海まぐさ桶の犬』をさっそく読んだので、その紹介。同窓の誼だからというわけでもないが、昔から若竹七海のミステリーはずいぶん読んできた。中でも「最も不運な探偵葉村晶シリーズは現代屈指のハードボイルドで、ずいぶん楽しませてもらった。しかし、2019年の『不穏な眠り』以来、新刊が出てなかった。つまり「コロナ禍」以来ということになるが、作中ではコロナ時代には全く探偵の依頼がなかった、皆家に閉じこもっていて、探偵に会いに行き謎を解明するのも「自粛」だったとされる。ようやく2023年5月に「5類移行」という話が出て来た頃、そのちょっと前にやっと依頼を受けたのが今回の話。

 葉村晶シリーズは、今まで『「錆びた滑車」』と『若竹七海の「葉村晶シリーズ」』と2回記事を書いている。葉村晶は日本には珍しい「女性探偵」だが、昔はちゃんと大手興信所の調査員だったこともある。その後無職となって、吉祥寺のミステリ専門書店の「アルバイト」をしている。店主の意向もあって、2階にちゃんと免許を受けた「白熊探偵社」の看板を掲げているが、ほとんど客は来ない。コロナ時代は店も閉めてることが多く、ネット注文の本を送るぐらいしかすることがなかった。付き合う相手もほぼご近所の住人しかいなかったが、ようやく実際に顔を合わせる会合が開かれる時期となってきた。

 ということで、何故かご近所に頼まれて高齢女性を法事に連れて行くことになってしまう。そこで会う人々は奇妙な人々が多いが、早速その日から「不運」と「事件」に巻き込まれる。しかし、まあそのつながりで数年ぶりの依頼人を獲得出来たのである。ある学園の元理事長で、エッセイストとしても知られる老人。今は高齢者住宅に移ったが、そこを訪ねると昔の知り合いを探して欲しいという。それはかつて勤めていた高校の同僚だった養護教諭だという。電話をもらったままになっているので、連絡先を調べて欲しい、しかし、そのことは周囲には秘密にして欲しい、ミステリーのエッセイを出す仕事を頼んだことにしてくれという。

(若竹七海氏)

 まあ、最初からちょっと変な依頼だなとは思ったけど、その学園創立者一族の面々は奇人変人勢揃い。さらに困った仕事を押しつけられるし、よりによって不運のオンパレード。そして数年ぶりの探偵稼業は、その間の加齢によって思ったように体が動かない。しかし、だからといって、またまた怪しい事件に当たりすぎ。今はネットで基本情報をかなり集めることが出来るが、ネットで調べきれない部分もあるから、やはり「現場」に行くしかない。そうすると「不運」が待っているわけ。

 ま、そういうコンセプトで出来ているシリーズだから、やむを得ないとはいえ、今回は少し葉村をいじめすぎかもしれない。季節はいつでも良いはずが、よりによって花粉症の季節に山へ行くハメになる。おまけに歯も痛くなるし、車に至っては代車の代車が必要になる。そのうえ、冒頭で出てくるけど、何と殺されかかるじゃないか。その時思ったことは、自分をねらう容疑者が多すぎて絞れないという悲しい現実だったのである。警察小説ではないのに、「モジュラー型」、つまり同時並行的に主人公が様々なトラブルに巻き込まれるタイプの小説で、今回もついあちこち動き回る葉村晶だった。

 推理を外しまくって悔やむこと多い葉村だが、今回はやむを得ないのではないか。依頼者もおかしいし、周辺人物も怪しすぎる。それにしても学校法人には怪しい人物が巣くうことがある。現実の事件も思い浮かべてしまう。時々出てくるミステリーのうんちくが定番ながら楽しい。例によってラストに解説が付いてるから安心である。

 さて「まぐさ桶の犬」の意味だが、冒頭にロス・マクドナルドさむけ』からの引用が出ている。イソップ物語で「自分に不必要な物は他人にも使わせない」と出ている。ちょっと判りにくいが、小説内でもう少し詳しく出てくる。「秣」(まぐさ)は馬や牛の食べる草である。犬は食べないのに、犬がまぐさ桶近くで吠えていると怖がって馬や牛が近づかない。犬は自分には何の利益もないのに、馬や牛をジャマしているわけである。つまり、自分に何の利益もないのに、他人が得しそうになるとジャマする輩。いるよな、そういうヤツ。世界的に増えているのかもしれない。

 なお、中にジョイス・ポーターの『ドーヴァー』シリーズのことがちょっと出てくる。あったなあ。しかし、これは復刊されないだろうな。「青春ミステリ」特集の話も納得。僕は小峰元のファンで、まさに高校時代に読んでいた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『名もなき者』、ボブ・ディランの若き日、激動の60年代

2025年03月09日 20時16分57秒 |  〃  (新作外国映画)

 毎週世界の賞レースを賑わせた映画が日本公開されて、お金もヒマも取られて困ってしまう。今度は米アカデミー賞8部門ノミネートの『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を見に行った。「ノーベル文学賞受賞者」であるアメリカの歌手ボブ・ディランの若き日を見事に描き出した映画である。『デューン砂の惑星』シリーズや『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』で今やすっかりハリウッド最高の若手人気俳優となったティモシー・シャラメが主演して自ら全曲を歌っている。「そっくりじゃない」とか言われているようだが、僕には十分ボブ・ディランっぽかったと思う(まあ当時見ていたわけじゃないが)。

 非常に感動的で、面白く見られた(聞けた)素晴らしい映画。すぐにでももう一回見たいぐらい魅力的だが、時間と金がかかるから行かないだろうが。ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」「時代は変わる」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」などが次々に歌われる。正直言って涙無くして見られないぐらい懐かしい。ウディ・ガスリーピート・シーガー(エドワード・ノートン)、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)、ジョニー・キャッシュアル・クーパーなど実在人物が続々と出てくるのも見逃せない。ノートンとバルバロはアカデミー賞助演賞にノミネートされた。

(ティモシー・シャラメ演じるディラン)

 1961年、ロバート・アレン・ジマーマンという青年が大学を中退してニューヨークにやってきた。ギター片手でバスを降りた彼は、闘病中のフォークシンガー、ウディ・ガスリーを訪ねてきたのである。病院には同じくフォークシンガーのピート・シーガーもいて、ボブ・ディランと名乗った青年は一曲披露する。その夜はシーガー宅に泊めて貰い、やがてニューヨークの店で歌わせて貰えるようになった。そこで当時人気が高かったジョーン・バエズとも知り合う。また教会で歌った後で、ボランティアに来ていたシルヴィエル・ファニング)とも知り合って恋人となった。(シルヴィは当時の事実を基にした架空の人物。)

(シルヴィと)

 ボブ・ディランはあっという間に人気を集め、町に出れば「追っかけ」に見舞われる。シルヴィの部屋にいても歌詞を書き続け、出来ると今度は曲作り。シルヴィが実習中で不在の時にはジョーン・バエズを連れてきたり…。音楽にしか関心がなく、傍迷惑とも言える青年だが、いつの間にか時代のカリスマになっていった。60年代前半、キューバ危機公民権運動ケネディ暗殺など激動の様子も描き出される。そんな中、ディランは従来のフォークソングを求められるのに飽きてきて、エレキギターを使うようになった。そして有名な1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルがやって来る。

(実際の若い頃のボブ・ディラン)

 そこで何が起こったのか? それは非常に有名なエピソードなので、ここでは書かない。僕は同時代に知っていた世代じゃないけれど、何が起こったのかは知っている。結局今になってみれば、ボブ・ディランはただ「ボブ・ディランを生きた」のだと理解出来る。(「ディラン」はイギリスの詩人ディラン・トマスから付けた芸名だが、その後正式に本名にしてしまったという。)ほとんどがコンサート場面みたいな映画で、ティモシー・シャラメは大健闘していた。実在人物を演じてアカデミー賞を取った人も多いのだが、今年に関しては『ブルータリスト』のエイドリアン・ブロディが強すぎて、不運だったというしかない。

(ジョーン・バエズと歌う)(ジョーン・バエズ)

 ウディ・ガスリー(1912~1967)は大恐慌時代に歌手として認められた様子を描く『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(ハル・アシュビー監督、1976)という素晴らしい映画がある。晩年に長く闘病したが、これはハンチントン病(いわゆる「舞踏病」)で、息子の歌手アーロ・ガスリーが主演した『アリスのレストラン』(1969、アーサー・ペン監督)でもアーロが見舞いに行くシーンがあった。ピート・シーガー(1919~2014)も非常に有名な歌手で、冒頭に出てくる非米活動委員会での証言拒否が問われた裁判は実話。妻のトシは日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれた日系米国人で、1943年に結婚したのだからすごい。

(ウディ・ガスリー)(ピート・シーガー)

 ジェームズ・マンゴールド監督は長いキャリアがあるが、この映画で初めてアカデミー賞監督賞にノミネートされた。かつて『17歳のカルテ』でアンジェリーナ・ジョリーが助演賞、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でリース・ウィザースプーンが主演賞とアカデミー賞を取ったが、本人が今までノミネートもなかったとは意外。後者の映画は『名もなき者』にも出てくるジョニー・キャッシュとその妻ジューン・カーターを描いた作品だった。最近は『フォードvsフェラーリ』や『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』など大作を手掛けていた。そう言われてみればずいぶん見てるのに名前を忘れていた。

(ジェームズ・マンゴールド監督)

 今回の映画はコンサート場面が多く、マスクをしていたコロナ時代には撮影不可能だった。そのため企画が数年延期され、ティモシー・シャラメはその間歌のレッスンに当てられたという。独特にしわがれ声をうまく出している。60年代初期のニューヨークを、ロケで再現している。どこで撮影したんだろうか。日本では不可能だろう。そのような「再現ドラマ」が見事で、ノスタルジックなムードを醸し出してとても感動的。だけど、どうも知ってる話が多かった気はする。知らないという人もいるんだろうけど、特にボブ・ディランやフォークソングファンじゃなくても、ラストのエピソードは有名な話だと思う。

 ゴールデングローブ賞では映画作品を「ドラマ」と「ミュージカル・コメディ」部門に分ける。どっちで勝負するかは製作サイドで決められるが、この映画は「ドラマ」部門で作品賞にノミネートされ、『ブルータリスト』に負けた。(「ミュージカル・コメディ」部門は「エミリア・ペレス」が受賞。)まあアカデミー賞で8部門ノミネートながら、一つも受賞出来なかったのは作品評価としてはやむを得ないんじゃないかと思う。しかし、それは好みとはまた別の問題で、自分はこの映画がとても好き。ぞれが「懐かしさ」を越えて「ボブ・ディランという謎」にどこまで迫れたかの判定は難しい。ぜひ続編を見てみたい気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする